夢の続き 〜 第2章 〜


 

 

第1話


 夢を、見た。
 翠色の、夢。
 物心ついた頃から何度も何度も見てきた、同じ景色。

 どこかの森の中。高い壁に囲まれた、古い2階建ての大きな洋館。
 僕は鉄柵でできた大きな門の外側から、いつもその建物を覗いていた。

 門から建物の扉まで、煉瓦で舗装された道が続いている。
 その途中には噴水があり、青空の下、涼しげな水流を吹き上げている。
 通路の先にの館には、大きな両開きの立派な扉がついている。

 でも、そこまで行くことはできないはず。
 なぜなら門には必ず鍵がかかっていてから。

 そしてその門は、二度と開くことは無いはずであった。
 あの日、僕はこの翠色の夢の中で、その鍵を森の中に捨ててしまったのだから……。

『なのに、どうして……?』

 なのに今、僕の目の前で、その門は大きく開かれていた。

 穏やかな日の光が、美しい庭全体に降り注いでいる。
 木々の葉を揺らしながら、優しく風が吹き、その風に乗ってどこか遠くから小鳥たちの鳴き声が聞こえてくる。

 そんな風景の中を、一人の少女と思われる人影が、館に向かって歩いていた。

 後ろでまとめられた髪が、背中の中程まで流れている。
 その小さな頭が、やはりほっそりとした肩の上に乗っている。
 恐らくは少女だろうと思われる、その袖のない、短めのワンピースのような黒い服を着た姿は、一歩一歩、音もなく扉の方へと近づいていく。

 振り向くことはないその顔は、僕の方からは確認することが出来なかった。

『──っ!』

 その小柄な姿に、必死で呼びかけようとする。
 なのにどれほど全身の力を入れてもがいても、僕の身体はピクリとも動くことはなく、僕の喉からは音と呼べるようなものが発せられることはなかった。

 そしてそんな僕の視線の先で、そのほっそりとした背中は、開かれた扉の隙間へと消えていった…………。





「……クンっ、稔クン?」

 僕の名を呼ぶ声が聞こえる。
 僕は脳味噌に絡まるようなねっとりとした眠りの雲をかき分け、ひどく苦労しながら目を開けた。
 木目調のプリントをした合板でできた天井に、白いプラスチックのカバーがかけられた蛍光灯がついている。──見慣れた、僕の部屋の天井だった。

 そしてその天井と一緒に、僕の視野に黒く長い髪で縁取られた、白い顔が入ってきた。

「稔クン、起きた?」

 その聞き慣れた声を聞いて、少し気分が楽になった気がした。

「ああ、おはよう、センパイ」

 僕は、僕の顔をのぞき込む、その綺麗な顔にそう挨拶した。
 その頃になって、やっと今の状態を認識する。
 そう、昨夜は由香里センパイと、梨名との二人が、僕の家に泊まったのだった。



 今は6月。僕ら3人が共に過ごすようになってから、ちょうど3年ほどになるだろうか。

 あのときの、僕がかけがえのない2人を得るきっかけとなった、あの夢。
 今ではそれは、まさに遠い日の夢だったようにも思われる。

 その後、僕と梨名よりも1年先に卒業した高嶋 由香里(たかしま ゆかり)センパイは、大学に進学。今では英文学科の三回生だ。
 英会話の方も一生懸命勉強したみたいで、最近では時々、大学の同級生や友人と、英語で電話してたりもする。
 そのうちには、センパイを通訳として3人で海外へ旅行、なんて事も考えている。
 もっとも、その前に僕が大学に受からなくちゃあとは、いつも言われてしまうけど。

 僕と同級の草加部 梨名(くさかべ りな)は卒業後、専門学校で料理の勉強をしている。
 もともと料理が好きだったらしいけど、才能もあったらしい。なんでも、有名な女流料理家にも気に入られていて、卒業後は彼女の下で働かないかと誘いを受けているそうだ。
 実際彼女の腕前は、入学以前から由香里センパイの遙か上を行っていたけれど(センパイの名誉のために言っておくと、彼女だって普通程度には料理ができる……らしい)、専門で勉強するようになってからは、彼女に料理を作ってもらえるのならば、下手な店に外食に行くのがバカバカしく感じるほどになった。
 僕やセンパイにも、その腕前を振るって楽しませてくれるのが嬉しい。

 そして僕こと倉田 稔(くらた みのる)はどうかというと……恥ずかしながら、浪人二年目のまっ最中である。
 ちょっとした理由から建築に興味を持った僕は、自宅から通える場所にある某大学の建築科を受験した。
 まあ、現役時代の成績からみて、もう一頑張り、て感じの大学であったが、──その『もう一頑張り』がくせ者だった。
 気がついたら、二度連続で落ちてしまったのだ。

 まあ、今年受からなかったら、そのときは仕方がない。他の大学も考えている。
 もっともセンパイや梨名とは離れたくはないので、やはり自宅から通える大学を選ぶことにはなると思うけど。

 そんな状態ではあったけれど、由香里センパイと梨名とに囲まれて、僕はとりあえず幸せな日々を送っていた。



「もう朝か…。今、何時? 梨名は?」

 僕は手を由香里センパイの長くて手触りのいい黒髪に伸ばし、その感触を楽しみながら、そんなふうに訊ねた。
 確か昨晩は3人で楽しんで、そのあとシャワーを浴びて寝たはずだ。
 それが気がつくとカーテン越しに日の光が射し込み、一緒に寝ていたはずの梨名もベッドからいなくなっている。

「今はもう、9時くらいかなあ。
 梨名ちゃんはもうとっくに起き出して、みんなの分の朝ご飯を作ってくれてるところ」

 センパイは彼女の髪に何度も指を通す僕に、されるがままになりながら、少し気持ちよさそうな顔で、そう教えてくれた。

 この3年間でセンパイは、以前より綺麗になった。頬のラインが少しほっそりとして、それ以外も、やはり体つきが引き締まった感じがする。そう言うと、まるでもともとが太っていたように聞こえるかも知れないけど、それは全然違う。
 なんて言うのだろう、“少女”から一歩、“女性”へと変わった、そんな感じがする。

 それでも、この髪の毛だけは、変わらない。
 長く、真っ直ぐで、あくまでも『黒い』、しなやかな髪。
 この手触りのいい髪をこんなふうに触ることができるのが、男では自分だけに認められたの特権かと思うと(まあ、あと美容師とかは触れるかもしれないけど)、それだけでなんだか優越感を感じられるくらいだった。

 ふと耳を澄ませば、確かに階下でなにやら人が動く音が聞こえてくる。

 もともと僕の両親は家に居着かない方だったけれど、最近はそれがよけいに酷くなった。今では両親ともに、家の外に宿泊場所をもっている始末だ。
 なにやらいろいろあって、お互いすっかり冷え切ってしまったらしい。
 最後に両親が自宅に来たのがいつなのか、僕には思い出せない。いっと彼等は、僕のベッドが二人と関係するために大きなものと買い換えられたのさえ、知らないだろう。

 息子としては寂しいことであるが、両親がいなくなった分、由香里センパイと梨名がこの家をよく訪れ、僕の側にいてくれる。
 そう思えば、惨めな感じなどまったくせずにすんでいた。

 そんなわけで現在では、我が家のキッチンは僕がお湯を沸かすくらいで、他には家族の誰にも使われず、すっかり梨名の専用の場所と化していた。
 新しい包丁やナイフに、新しい鍋やフライパン。
 彼女の手で配置のシステムを組み直された台所は、ちょっと寂しいと同時に、見ているだけでも楽しくもあった。

 ……気がつくと、由香里センパイが少し心配そうな顔で、僕を見ている。
 僕は目で『なに?』と訊ねてみた。

「…稔クン、大丈夫?
 少し顔色が悪いみたいだし、汗もいっぱいかいてるし」

 そのときになって、僕は自分の身体がひどくだるい感じになっているのに気づいた。
 全身、汗まみれだ。寝間着代わりのTシャツが、肌に張り付いて気持ちが悪い。

『風邪でも、ひいたかなあ?』

 もっともその割に、頭が痛いとか、熱っぽい感じはしない。

 そんな僕を見ながら、センパイが気遣わしげに続ける。

「それとも、酷い夢でも見たの?
 なんだか、すごくうなされてたから、声をかけて起こしたんだけど……」

『夢────……っ!?』

 その彼女の言葉で、僕ははっとした。
 そう、たった今まで見ていた夢。起きた瞬間に忘れてしまいそうになっていた、夢。それを、思い出したのだ。

『夢──あの夢は……!?』

 翠色の、夢。
 物心ついたときから繰り返し訪れ、そして3年前のあのときに僕の人生を動かした、あの夢。
 もう、2度と見ることのないはずであった、“あの”夢……!

 ぞ……と、背筋に悪寒が走る。
 背中や手の平に、じんわりと汗がにじみ出るのを感じた。

『なんで、いまさら……』

 右手で、自分の左腕を掴む。
 小さな震えと、何故か異様に冷たく感じる自分の体温が、手のひらを伝わってくる。

 ふと顔を上げると、センパイがこちらを心配げに見ている顔に出会った。
 そんな彼女の顔を見るうちに、不思議と、恐怖がさめていくのを感じた。

「大丈夫だよ、センパイ」

 僕は彼女に言った。

「ちょっとだけ、怖い夢を見たんだ。
 ただ、それだけなんだよ」

 自分では、笑顔でそう言ったつもりだった。
 だけれども、本当にそうできていたのかは、自身が無い。
 だって、もし本当に平気な顔ができていたとしたら、センパイだってきっと笑い返してくれただろうから。

 だけど、彼女はそうする変わりに、ベッドの上に膝をついて乗り上げ、そっと僕を抱きしめてくれた。
 その細くてしなやかな両腕が回され、僕の頭は由香里センパイの胸の中にそっと包まれる。
 柔らかなシャツの布地をはさんで、彼女の心地よい体温が僕の頬に伝わってくる。僕の耳に、『トクッ…トクッ……』と、穏やかな彼女の鼓動が聞こえてくる気がする。息をする僕の鼻腔に、彼女の優しい香りが満たされる。

 ……気がつけば、ついさっきまで身体を縛り付けていた重いだるさは消え去り、僕自身のゆっくりとした呼吸の音が、僕の鼓動を沈めていた。
 僕は身体の力を抜き去り、その身をセンパイに寄りかからせた。

「センパイ……ありがとうね」

 そっと、彼女にささやきかける。
 彼女の胸に抱かれた僕からは、由香里センパイの顔は見えない。
 だけれども、その気配だけで、僕には彼女が優しく微笑んでくれたのがわかった。

「いいのよ、稔クン。
 稔クンに何か辛いことがあったとき、私に何かしてあげられる事があるなら……それが、私には一番嬉しいの」

 頭の後ろに回された彼女の手が、何度も、何度も、僕の頭を優しく撫でてくれる。
 それがこそばゆく、恥ずかしいと同時に、とても、気持ちいい。

「だって…」

 センパイは、温もりを感じさせる柔らかな声で、続ける。

「だって、私は、稔クンの『従者』なんだもの。
 あのときから、ずっと…。そして、これからも。
 …そうでしょう?」

 ……僕は、心地よい脱力の中に、心をゆだねる。
 そこには安堵と、信頼と、そして…………絶望にも似たあきらめがあった。

 僕があの夢の中で、彼女と、そして梨名に対して、してしまったこと。
 僕があの夢を通して、彼女たちを変えてしまったこと。

 今、彼女たちに囲まれて過ごしている僕は、間違いなく幸せだ。
 そして彼女たちも、そのきっかけや、夢での出来事、夢が現実の彼女たちを変えてしまったこと。それらを全て受け入れた上で、僕の側にいてくれて、そしてそれを幸せだと言ってくれている。

 だけど僕の心の中では、やはりそのことに対して、割り切ることなどできない部分が存在しているのもまた、事実だ。

 僕等は本当に、こうとしかなれなかったのだろうか?
 ほかにも、もっといいやり方が無かったのだろうか?
 今の由香里センパイや梨名は、『本当の彼女たち』なのだろうか?

 ……しかし、それを今更変えることなどできない。
 彼女たちは、僕と過ごす今を、幸せだと言ってくれる。
 僕にとっては、それを信じ、彼女たちが幸せであるために、できることをするしかない。

 ────たとえ心の中に、こんな『歪んだ後悔』を抱えたままでいても。

「好きだよ、由香里センパイ…」

 僕は再び、そっと、彼女にささやいた。



『トクン…、トクン……』

 ゆるやかな鼓動に身をまかせている内に、何故か身体の一部だけが、どうにも落ち着かなくなってしまった。
 何故か──と言っても、まあ、理由は判りきったことかも知れない。
 なにしろ僕は若くて、起き抜けで、しかも顔に由香里センパイの柔らかな胸の感触を感じているんだから。
 身体の一部が自然と元気になってしまっても、それは生理的な、仕方のないことだと思う。

「あれ……?」

 彼女も、自分の太股の辺りに触れた硬い固まりに気づいたらしい。
 そっと僕から身を少しだけ離し、僕の顔をのぞき込むようにする。
 その顔に浮かんだ微笑みは、今では少しいたずらっぽいものに変わっていた。

「…少し、安心したのかな?」

 軽く揶揄するように、その目が笑いの形に細められている。
 僕はそんなセンパイを抱き寄せ、いたずらを見つかった子供のようなばつの悪さを隠すように、その綺麗なピンク色をした唇に、唇を重ねた。

「んっ…んん……」

 はじめは、ただ唇を合わせるだけ。だけど、にそれだけではぜんぜん物足りない。
 舌を出し、由香里センパイの唇を軽くなぞると、彼女もすぐにそれに応え、舌からませてくる。先に起きていた彼女は、コーヒーでも飲んでいたらしい。彼女の唾液と絡まって、苦みを帯びたいい匂いを、ほのかに感じた。

 お互いの唇を吸いあい、舌を絡ませあう。僕がセンパイの口の中に舌を差し込むと、彼女もお返しにと僕の口の中に舌を入れて、歯茎の辺りを舐めてくれる。
 二人の吐息が混じり合い、唾液が混じり合う。
 唇と唇の間だから、ぴちゃぴちゃといやらしい音が、小さく洩れた。

 すっ──と、僕のこわばりに、センパイの手のひらが重ねられるのを感じた。服の上から触られただけで、ゾクリとした快感が背筋を駆け上がる。
 センパイの手は、そのまま優しく、僕の起立したモノをさすり続けてくれる。

 お返しにと、僕も彼女の胸の膨らみに手を伸ばした。
 触れた瞬間、「あ…」と、重ねた唇の間だから、吐息のような声を出す。

 僕はそのまま首を軽く動かし、彼女の顔に何度かキスしながら、唇をセンパイの横顔へと移動させる。
 良い香りのするセンパイの黒髪に顔を埋めるようにして、彼女の耳や首筋に、舌を這わせる。センパイも興奮しているのだろうか? 肌から立ち上る僅かな香りが、ほんの少し高まってる気がする。

 センパイの手が動き、その指先が僕のトランクスをかき分け、下着の中へと入ってくる。
 柔らかい、ひんやりとしたその指を僕の欲望に絡ませてきた。
 そのまま軽く握ると、手のひらをくびれた部分に擦りつけるようにしながら、その手を上下に動かす。

「う……っ」

 その軽い摩擦から生じる快感を味わいながら、僕も手を動かす。
 センパイの服の中に手を入れ、手触りのいい、引き締まった腰から軽く浮き出た肋骨の辺りを撫でる。
 そして、興奮で荒くなってきた彼女の呼吸の音を耳元で感じながら、その手を更に…………

「あ……れっ?」

 突然、センパイのそんな間抜けたような響きの声が、僕の耳のすぐ側であげられた。

「え?」

 僕のモノを撫でさすっていた、彼女の手の動きが止まる。
 その彼女の突然の反応に、僕は戸惑う。

「あっ、梨名ちゃん。えっと……っ」

 先輩の口から出る、そんな言葉。

 あわてて僕もドアの方を向くと、そこには梨名が立っていた。

「えっと、おはよう、梨名」

 そう、挨拶しておく。

 夏らしいタンクトップに、スリムなデニムのパンツ。
 くつろいだときの彼女は、こんな格好が多い。

 この3年で、先輩が女性としての凹凸を深めたプロポーションになったのに比べ、梨名は体型的にはほとんど変化していないと思う。
 相変わらず、にひたすらにほっそりとした体型。胸も、腰も、女性としては信じられないほどに薄く、細い。
 それでいて、女性らしさを感じさせないかというと、それは違う。
 女性としての確かな曲線を残しつつ、それでいて可能な限りシャープなラインで描かれたスタイルは、相変わらず、彼女独特の個性的な美しさだ。

 それでも、彼女に変化がなかったかというと、それは全く違った。
 確かに外観的には、はっきりとしたメイクををするようになった以外は、あまり変わってはいないが、その雰囲気は、以前よりも丸みというか、大人らしい優しさを帯びてきたように思う。

 ただし、今の彼女の顔には、あまりそういう柔らかさは感じられなかったが。
 明らかに気分を害した表情で、ベッドの上の僕たちを見ている。

「先輩、朝ご飯に合わせて、稔君を起こしに行くって言ってませんでした?」

 ちょっとむくれたような顔で、梨名が言う。
 対して先輩はちょっと焦ったような顔で応えた。

「あ、あのね。私もそのつもりだったんだけど、それが……」

「……別にいいんですけどね。
 でも、私がみんなの分の朝ご飯を一生懸命用意している間に、先輩はこれっていうのは、ちょっとずるいです」

 そして僕の方を向いて、言う。

「稔君も、もうあんまり時間無いわよ?」

「え……?」

 そこまできて、思い出した。
 そういえば…

「あ、そうか。
 今日はみんなで、映画に行くんだっけ」

 昨日、そんな話をしてた記憶がある。
 梨名が見たいっていう映画があって、それを3人で見に行くコトになってたはずだ。
 彼女は実はSFXバリバリのアクション物ってのが大好きで、昨晩僕がインターネットで上演時間を調べてあげて、今日この後出かける予定だったような……。

「あれ、じゃあ、もうあんまりゆっくりしてる時間、無いじゃないか」

 時計を確認すると、もうそんなに早い時間じゃあない。
 朝ご飯を食べようとすれば、そんなに余裕はない。

「ごめんね、梨名。
 わかった、すぐ食べに行くから……」

 そう彼女に謝って、すぐにベッドを立とうとする僕に、なにやらセンパイが、物欲しそうな顔をする。

「でも、稔クン。
 それ、本当にいいの?」

 はじめ、彼女がなんのことを言ってるのか、よく判らなかった。
 梨名の方を見ると、彼女もなにやらちょっと困ったような顔で、僅かに頬を赤らめながら、由香里センパイと同じように僕の方に視線をよこす。
 …その視線の先には、──しまった、忘れていた──元気になったままの、僕の起立したモノがあった。

「えっと、もし稔君が困るって言うなら……」

 梨名がモゴモゴとそんなことを言い出す。
 センパイもなにやら、コクコクと頷きながら同意している。

 かなり心は揺らいだが、センパイも梨名も学校があって、昼間みんなで出かけられる機会は、あまり多いわけではない。
 それをこんな形で流してしまうのも、もったいなかった。

「あ〜、いや、大丈夫。
 大丈夫だから、二人とも先にダイニングに行っててよ。
 僕も着替えたら、すぐに行くから」

 そう言いながら、彼女たちを部屋から追い出す。
 二人とも、なにやら物言いたげだったが、それでも納得したらしく階段を降りていった。

「さて、と」

 とりあえずはひと落ち着きして、僕はまず汗でべっとりと濡れたシャツとトランクスを着替える。
 窓から差し込む日差しから言って、今日も暑そうだ。上はTシャツ一枚で、十分だろう。下は、ジーンズですませる。

 着替え終わって、どうしても確かめたかったことを実行に移すことにした。

『たしか、机の引き出しに……』

 机の一番下の引き出し。
 その奥に、僕は『あれ』をしまい込んだはずだ。

 引き出しを開け、中に詰め込まれた雑多な物を取り出していく。
 その下の方に、記憶通りに、小さな箱が押し込んであった。

 もともとは、ずっと前に何かのお土産にもらったお守りが入っていた、小さな木箱。
 3年前、僕はこの中に『あれ』を入れ、あまり手の着かない場所にしまい込んだのだった。

 木箱を、開ける。
 その中を確認し、僕は小さく息を吐いた。

 ……以外と、驚きは無かった。
 なぜだか。このことは始めから、心のどこかで予感していたから。

「でも、どうして……」

 僕が3年前に、引き出しの一番奥に押し込めて、確かにしまっておいたはずの、木箱の中身。
 僕たち3人の人生を大きく変えることとなった、あの不思議な夢へと続いていく、その証とも言うべき物。

 ──その箱の中からは、あの『館の鍵』が消え失せていた。





 夜の暗がりの中、明かりのついていない我が家へと帰り着く。

 今日は結局朝から夕方まで、3人で遊びほうけることになった。
 梨名お勧めの店で夕食を済ませ(お勧めと言うだけあって、安くて美味しかった)、みんな明日は朝から用事があるということで、それでお開きとした。
 まあ実際のところ、昨晩は三人でエッチしたり、今日は朝から出かけたりで、僕も正直疲れていたのだ。

「ただいまあ……」

 誰にともなく呟きながら、玄関のドアを開ける。
 その音を聞きつけたのだろう、『トッ、トッ、トトッ、トッ…』とちょっと変速気味のリズムを刻みながら、聞き慣れた足音が出迎えてくれた。

「よう、カル。ただいま」

 飼い猫のカルが、僕がまだ靴を脱ぎかけなのにも頓着せず、身体をすり寄せてくる。
 僕はそんなカルを蹴り飛ばしてしまったりしないよう注意しながら、靴を脱ぎ捨て、玄関に上がった。

 コイツは僕が、5年くらい前に、ケガをしているところを拾ってきた猫だ。
 足音のリズムに変拍子が入るのは、そのときのケガが原因で、足を一本引きずっているからである。

 僕と梨名との関係には、コイツが絡まったりしているのだが、まあ、それはまた別の話だ。

 台所に行き、カルにエサをやる。
 よほど腹を空かせていたのだろう、ガツガツと一心不乱に、キャットフードを食べはじめた。

「ふう……」

 椅子に座り、一息つきながら、カルが食事をとるのをぼんやりと見つめる。
 しかし、僕の頭を占拠しているのは、それとは全く別のことだった。

『なんで……』

 なんで、あんな夢を見たのだろうか。
 なんで今更、あの夢が僕に絡んでくるのか。
 今朝の夢の内容は、いったい何を現しているのだろう。
 そしてどうして、木箱の中身は空っぽだったのだろう……。

 古い、小さな、銀色の鍵。
 あの夢の中に存在する館の、門を開けることができる、鍵。
 あの、現実へと続く夢の世界で、全ての支配権を手に入れることができる、そんな鍵。

 その鍵が、消えた。

『あの娘……』

 僕が今朝見た夢は、今までとは内容が全く違っていた。
 あの夢の中、支配者であったはずの僕が、身体の自由を縛られ、なにも行動することができなかった。

 そして、あの少女。

 彼女は、身動き一つできない僕の目の前で、まるで僕に見せ付けるかのように、館の中へと入っていった。
 館の主人であるはずの、僕の目の前で……。

 ──いや、それは違うのかも知れない。僕は、あの館の『支配者』などではないのではないか。
 3年前、これで最後と思っていた、あの夢の中。
 あの夢の中で、確かに、僕は感じた。
 あの館が、僕をじっと見つめていたことに……。

「なんなんだよ……」

 漠然とした、恐怖に似た感情が、心の奥底の方から立ち上る。
 あの夢が、再びその形を変え、僕の前に姿を現そうとしている。

『今日は、寝るのが怖いな』

 だけど、人間は睡眠をとらずにいることはできない。
 それに、あの夢の意味はなんなのか、それを知るためには、やはり眠りにつかなければならない。

 今日は一日中行動しまくっていて、もう疲れている。
 正直、今にもまぶたが降りてしまいそうだ。

「まあ、寝たからって、あの夢を見るとは限らないしな」

 そんな独り言を呟き、僕は自室へと向かった。

 だけれど僕は、自分でもそんな期待なんか、信じてはいなかったのだった。





 ……気がつくと、僕は夢の中にいた。

 穏やかな日差しの中、僕は館の庭に立っていた。
 門から館の正面玄関まで続く、煉瓦敷きの道。その中程には噴水があり、涼しげな飛沫をあげながら、綺麗な水が噴き出している。
 噴水に近づき、水の中に手を差し入れる。
 ──冷たい。夢とは信ずられないほどの、その確かな感覚。
 間違いない。あの夢だ。

 ふと振り向けば、門はしっかりと閉まっている。
 これで僕は、この館からは出ることはできないのだろう。

 自分の身体を見下ろすと、現実世界で来ていたのとは、全く違う服装だった。

 濃いグレーのスタンドカラーのシャツに、やはり同色のスラックス。
 スタンドカラーのシャツなど、初めて着る。
 襟元が息苦しく感じ、僕は一番上のボタンを外した。

「さて、と……だ」

 これから、どうしよう。
 このままここで、何か起きるまで待つか。それともいっそ、館の中に入り、探索でもしてみるか。あるいは慎重に、まずは館の周りでも探ってみるか。

 ……だけど、それほど悩んでいる自由はなかったようだ。
 小さな軋みのような音に目を向けると、館の扉が開き、そこから人影が現れた。

「………」

 身構えながら、その姿をよく確認しようと目を凝らす。
 そしてその人影は館の外へと歩み出て、庭の日差しの中へと入ってきた。

「……え?」

 思わず、驚きの声が洩れる。

 その人影は、人間ではなかった。
 スラリとした背の高い、背筋の通った姿勢のいい、黒いタキシード姿に身を包んだその人影。
 しかし、その蝶ネクタイを締めた襟の上に乗っている頭は、見間違いようのない、黒猫の頭だった。

 正装に身を包んだ猫が、僕の方へと歩いてくる。しかも、2本足でだ。

 近づくにつれて、その細かな部分がよく見て取れるようになる。
 タキシードはいかにも高そうな、そういうのに詳しくない僕が見ても、いかにも高級そうな布地でできているようだった。
 白手袋に、やはり高級そうな黒い革靴。
 その猫の頭は、よく見ると本物ではなさそうだ。
 デフォルメされた、その気取った顔つき。その毛皮の具合とか、ヒゲの感じだとか、高級な猫の人形の頭という感じだろうか。
 とはいえ、かぶり物ではあり得ない。その目は明らかに生命を感じさせる物で、なによりかぶり物としては、あまりに小さすぎる。あの中に、あの身長の人間の頭は入りきらない。

 その猫の紳士は、僕の前まで歩いてきて、歩を止めた。
 目の位置は、僕よりも少し高いところにある。

 そして彼(かどうかは判らないが)は、片手を身体の前に持ってきて、深々と僕にお辞儀をしてみせた。
 その仰々しい仕草は、まるで映画の中に出てくるような、西洋の貴族が目上の者に対してするようなものだった。

 彼は頭を起こすと、片手で館の方を指し示す。

「……家の中についてこい、ってこと?」

 僕がそう訊ねると、猫の紳士は軽くお辞儀してみせることでそれに同意を示した。

「わかった。じゃあ、行こうか」

 考えても、仕方がない。
 他にどんな手段があるのか、現在の僕には見当もつかないのだから。

 タキシード姿の後ろにつき従いつつ、扉に向かう。
 厚く、重そうな、大きな両開きの、木製の扉。
 その扉をくぐり、僕等は館の中へと入った。

 中はやや薄暗く、ひんやりとした空気が漂っていた。
 2階まで吹き抜けとなったその広い空間には、記憶の通り、分厚い絨毯が敷かれ、その壁や飾り棚には古めかしい絵画や彫刻、陶器などが飾られていた。
 3年前、最後に見たときと寸分変わらぬ光景が、そこには広がっていた。
 当時はただ、大した興味もなくその造りを眺めていた僕だが、建築に興味を持ち、そっち方面の学部に進みたいと思っている僕には、この玄関は以前とは違った意味での感嘆を覚えさせた。

 猫の紳士は、左手へ向かう。
 その先には、確か応接室と思われる広い部屋や、豪勢な寝室などがあったように覚えている。
 その通り、僕は応接室へと案内された。

 応接室もまた、記憶にあるとおりの姿をしていた。
 高い天井。そこからつり下げられた、小さな、それでいて造りの細かいシャンデリア。どっしりとした、皮のソファー。壁に飾られた芸術品。映画に出てくるような応接室、そのものだ。
 そしてそこには、一人の少女が僕を待っていた。

「こんにちは、ミノルさん。
 来ていただけて、嬉しいです」

 彼女は据わっていた椅子から立ち上がると、本当に嬉しそうな声でそう言った。

 多分、僕の知らない少女だと思う。
 なぜはっきりと、そう言い切れないかというと、それには理由があった。

 一つは、彼女が僕の名前を知っているということ。
 もう一つは、彼女が身につけているもののせいだった。

 縦横、小柄な少女であった。
 恐らくは、綺麗な女の子なのだとは思う。

 小さな頭と、後ろで結わえられた真っ直ぐな黒髪。
 すっきりとした、綺麗な線を描く頬の輪郭。
 すっと通った鼻筋。
 小さな、赤い唇。

 ──しかしその顔の上半分は、黒い布で覆われていた。

 薄い、黒い布地が、まるで幅広の目隠しをされているかのように、少女の顔の上半分を隠してしまっている。
 ただし見たところ、その布はかなり薄い物で、恐らくは彼女はそれを通して周囲を見ることができそうだった。

 身長は150cmを少し越えるくらい。
 年齢は、よく判らないけれど、多分15・6歳かそこらではないか。

 小さな頭と、細い首筋。そこからつながる肩のラインも、やはりほっそりとしている。
 黒い、袖のないワンピースのような服を着ていて、その裾は短めで、そのせいで裸の腕と足がさらされている。細く、長く、白く……ちょっと乱暴に扱ったら、それこそ折れてしまいそうな、そんな手足だ。
 ワンピースを押し上げる胸の膨らみも、やはり慎ましいものであったが、それでも形の良さそうなラインが見て取れた。

「キミは…?」

 短い僕の質問に、少女は小首を傾げて、僕を見た。

「その、キミは僕の名前を知ってるみたいだし、もしかしたら会ったことがあるのかもしれないけど、どうしても思い出せないんだ。
 ごめんね。どこで会ったのかなあ?」

 そう訊ねる僕に、彼女は小さく微笑む。

「確かに私たちは何度もお会いしてますが、それも大してお話をしたというのでもありません。正直、ミノルさんが私のことがわかったら、そのほうが驚きですよ。
 だから、気になさらないで下さい」

 そう答える彼女の声は、キレイで、ただ少し高い、やはり若い娘の声だった。
 丁寧な口調はあまり子供らしくは無いが、もしかしたらまだ中学生くらいの年齢かもしれない。

「そうすると、どうしてキミは僕の名前を知ってるんだろ。
 キミの名前は?」

 少女は小さく下を向き、黙ってしまった。
 そのまま少し考え込むような素振りを見せ、そして、言葉を選ぶように話す。

「その……、私がミノルさんの名前を知っているのは、以前ミノルさんがお友達とおしゃべりをしている場所にいたことがあるからです。
 髪の長い、綺麗な女の人
 ごめんなさいね。こう言うと、なんだか立ち聞きしていたみたいで」

 多分、由香里センパイのことだろう。
 間違いない。

 少女は身振りで、僕にソファーに座るように勧める。
 僕は促されるままに、彼女の正面に座り、この見知らぬ少女と向き合った。

「それと、私の名前ですが……
 宜しければ、ミノルさんの好きな名前で呼んでいただいてかまいませんよ?」

「え…?」

 思わず戸惑って、そんな反応をしてしまう。

「ここには、ミノルさんと、私と、あとはこのロイドしかいません。
 ですから、私のことはお好きに呼んでいただいても、なんの問題もありません」

 どうやら、ロイドというのは猫の紳士の名前らしい。
 しかし、これではっきりしたことがある。
 やはり僕と彼女は、知り合いというわけでは無いらしい。普段は、お互いの名前を知る機会がないような、その程度の関係のようだ。

 そのことは僕をある程度はほっとさせたが、同時に、疑問も生じる。
 なぜ彼女と僕は、この夢の中で顔を合わせることになったのか。

 僕は、少しカマをかけてみることにした。

「それじゃあ、とりあえずは“キミ”って呼ばせてもらうけど──あんまり勝手な名前で呼ぶのもナンだしね。
 教えて欲しいんだけど、ここはどこなのかなあ?」

 密かに緊張しながらの質問だったが、彼女はにっこりと笑うと、なんのてらいも無しに答えてくれた。

「正直なところ、私にもよくはわかりません。
 ただ、一つはっきりしているのは、ここは、この屋敷は私の夢の中にあるものです」

『私の夢』……
 確かに、今、彼女はそう言った。

「キミの、夢?」

「ええ、そうです。
 このところ、同じ夢ばかり──このお屋敷の夢ばかり見るんです。
 何でかは、判らないんですけど。

 でも、ミノルさんが出てきて、こんなふうにお話ができるなんて。
 夢でもラッキーかな、って思います」

 彼女は、本当に嬉しそうな声で、そう言った。
 顔の上半分を隠した薄布のせいで、その表情はよく判らなかった。しかし声だけでなく、その軽く手を合わせるような彼女の仕草もまた、素直に可愛らしくて、こちらまで思わず嬉しくなってしまいそうになる。

 だけど、それとは全く反対に、彼女と話せば話すほど大きくなっていく、別の感覚があった。

『やばい……』

 頭の中で、警告音が鳴り響く。
 なぜかはまだ、はっきりとは判らなかったが、ここにいることはマズイ。そんな感覚が、頭の中でどんどん大きくなっていくようだった。
 一刻も早く、彼女から離れなければならない……。

「その、ゴメン。今日はもう行くよ」

 僕は彼女にそう言うと、席を立った。
 どこにどう行こうというのか、そもそもどこかに行くことができるのかも分からなかったが、それでも彼女の前から逃げ出したかったのだ。

「あ、でもっ」

 それまで、本当に嬉しそうにしていた彼女。
 その彼女は、突然の僕の行動に、慌てたように言った。

「まだ、今いらしたばかりですし、それに、そう、ロイドがお茶でも用意しますから……ロイド?」

 その彼女の声を聞いて、猫の紳士は一礼すると、応接室から出ていった。
 恐らくは、彼女の言葉に従い、お茶を入れにいったのだろう。

 だけど僕には、それを待つ気は無かった。
 ともかく、まずはこの場所から離れ、その先のことはそこでゆっくり考えればいい。
 僕は彼女を無視して、部屋のドアへと向かった。

「あ、あの……っ!」

 何か続けようとする彼女。
 僕がそんな彼女にはかまわず、ドアのノブを握り、そしてその扉を開けようとしたそのとき、

「あのっ、……待って、待って下さいっ。
 お願いです。行かないで下さいっ!」

 彼女の、そんな声が僕の耳に届いた。

 ……僕の手が、止まった。
 足が、動かない。

『な……っ!?』

 あらん限りの気力を振り絞って、ドアノブを握った右手を動かそうとする。
 しかし、どれほど必死になっても、僕の身体は動かず、その位置から動くことはできなかった。

『これは……』

 僕は、理解する。
 やはり、僕が感じていた不安は、正しかったのだ。
 この世界は、『あの夢』だ。
 3年前、僕が見た、夢。
 僕が思うがままの、僕が支配した、あの世界。

 だけど……

「お願いです、ここにいて下さい。
 どこかに行くなんて、言わないで下さい」

 彼女の言葉の一つ一つが、僕を絡め取り、縛り付ける。

 そう、さっき、彼女が言ったではないか。
 この世界は、『私の夢』だと。

 今度のこれは、僕の夢ではないのだ。

 この世界は、この館は、彼女の夢。
 彼女の思うがままにある、彼女の支配する世界なのだ……。

 ……僕は、ゆるゆると彼女の方を振り向いた。
 顔の上半分を薄布で覆った、見知らぬ少女。
 しかし彼女は確かに、その薄布を通して、僕を見ていた。

「よかった……、まだ、もう少し、ここにいて下さるんですね?」

 少女は、懇願するように僕にそう言う。
 否定しようにも、その言葉がどうしても僕の口からは出てこなかった。
 そうと理解した今となっては、驚くほどのことではない。僕が、由香里センパイや梨名に対して、さんざん行ってきた事が、繰り返されているだけだ。

 僕の様子を、どう見て取ったのだろう。
 彼女は、不安そうに語りかけてくる。

「その……なにか、私が、失礼なことでも言いましたか?
 もしそうなら、謝りますから、だから……」

 その彼女の姿は、何と言うか、ひどく心細そげな、必死さを感じさせるものだった。
 薄布の下から、上目遣いの目が、懇願するように僕の方に向けられているのが感じられる。
 もしかしたら、彼女はその目に涙さえ溜めていたかもしれない。

 その彼女の、苦痛さえ感じさせそうな仕草から目を背け、僕は不自由な舌をなんとか動かしながら、無理矢理息を吐き出しながら、答えた。

「いや、別にキミが何か悪いことをしたという訳じゃあないんだ。
 ただ……」

 この少女がどうして、そんなに必死になって僕を止めるのか、僕には分からなかった。
 悲痛ささえ感じさせる、その仕草。
 彼女は僕に、訴え続ける。

「じゃあ、どうしたら、ここにいてくれます?
 何をすれば、せめて夢の中だけででも、私と一緒にいてくれるんですかっ?」

 その小さな身体を震わせながら、まるですがりつくかのように僕を見る、少女。
 どうしてそんなふうに、大した知り合いでもないはずの僕を求めるのか、そのわけを知りたかった。
 もう少し、彼女と話をすれば、何か分かるのかもしれない。

 だけど、僕も必死だった。
 ここにいるかぎり、僕は彼女の支配下にある。
 身体も、精神さえも、彼女の思うがままだ。
 そしてそれは、恐らくは現実の世界の僕にさえも強制力を持ち得る。

 とにかく、逃げ出したい。
 焦燥と、そして恐怖で、とにかく僕はいっぱいだったのだ。

 そんな気持ちで、なんとかもがこうとする。
 が、すでに僕は彼女により、逃げることを封じられた。
 ぎこちなく首を振り、彼女に拒否の意志を伝えるのが、僕にできる精一杯だった。

 それでもその行為は、拒絶の現れとして彼女に伝わったらしい。
 少女の顔が青ざめていくのを、僕は感じた。

「………」

 傷ついたようにうつむき、黙ってしまう少女。
 僕と彼女の間に、沈黙が訪れた。

 ……と、静寂を破り、突然ノックの音が響き渡った。

“ガチャ…”

 ドアを開けて入ってきたのは、さっき部屋を出ていった、猫のロイドだった。
 手に、ティーポットとカップを載せたお盆を持っている。
 やはり、彼女の命令に従い、お茶の用意をしてきたらしい。

「あ……」

 やや茫然としたようにそちらを見る、少女。
 だがやがて、その口元に、なにやら意志のようなものが宿ったように見えた。

「ロイド」

 彼女は静かに言った。

「ごめんなさい、お茶はいいわ。
 ……少し、向こうに行っていてくれる?」

「……」

 ロイドは小さく一礼することで了承の意を表すと、そのまま無言で部屋から出ていった。
 部屋には、再び、僕と少女の二人だけが残される。
 再び訪れる、沈黙。

 彼女は唇をぎゅっと噛みしめ、そして、僕の方に歩み寄った。
 そんな彼女の動きを見つめる、僕。
 そして彼女は、そのほっそりとした腕を僕の首に回すと、小柄な身体を伸び上がらせる。

「お願いです。逃げたりしないで下さい」

 その言葉に、僕の身体は動けない。

 目より上を薄布に隠した、それでも分かるほどに整った顔が、僕の顔に寄せられる。
 ……彼女の唇が、僕の唇に重ねられた。

 ただ、唇を重ねるだけの、キス。
 だけどその合わさった唇を通して、彼女が身体にまとった熱と鼓動とが、僕に伝わってくるような錯覚を覚える。

 ゆっくりと、静かに、彼女は僕に口づける。
 長い、口づけ。

 そしてやはりゆっくりと、彼女は顔を離した。

「……」

 じっと、僕を見上げる。
 その彼女の唇は、小さく振るえていた。

「ミノルさん……ごめんなさい」

 突然の、言葉。
 その言葉に戸惑う僕の前で、彼女の身体が沈み込んだ

「え……?」

 突っ立った僕の前の床に、膝をつく少女。
 そして彼女の手が、僕のスラックスへと伸ばされた。
 その小さなほっそりとした指が、カチャカチャとベルトのバックルを扱う。

「ちょ…、ちょっと……」

「言わないでくださいっ!」

 あまりのことにうろたえる僕の言葉を、彼女は激しい口調で遮った。
 その言葉に従い、それきり僕の喉からは、声が出なくなる。
 ……これでもう、僕はこの場から動くことも、何も言うこともできなくなった。

 そんな僕の反応に、気づいているのかどうか。
 少女の手の動きは止まらない。
 ベルトを外すと、その下のボタンを外し、そしてそのままズボンのチャックへと手を伸ばす。
 そして彼女は、躊躇いながらも、それを引き下ろした。

「……ごめんなさい」

 もう一度そう呟くと、彼女はそっと、手で僕の股間に触れた。

「う……っ」

 彼女の小さな手が、僕の性器を下着越しにさわる。
 そのひんやりとした感触が、僕にそんなうめき声を漏らさせた。

「……」

 彼女は黙って、その手を動かす。
 ゆっくりと、力を入れず、何度も僕のモノを手で撫でさする。
 混乱で頭がいっぱいとなった僕のペニスは、最初はなんの反応もしなかった。
 それでも彼女は、その柔らかい刺激を、加え続ける。

 そうしている内に、自然と、僕は自分の股間に血液が集中していくのを感じた。
 ペニスが、勃起していくむず痒いような感覚が、腰を伝わって背中をくすぐる。
 その僕の反応は、もちろん彼女にも伝わっているはずだ。

 だけど彼女は、なにも言わない。
 ただ黙って、今度は僕の下着のをかき分け、僕のモノに直接指を絡ませた。

「……っ!」

 そのまま、彼女のその柔らかい手が、僕の欲望を下着から引き出す。
 浅ましいほどにそそり立った肉の固まりが、少女の目の前にさらされた。

“ごくり…っ”

 少女の喉が小さく上下するのが、わかった。

「…………ごめんなさい」

 呟くように、ため息をつくように、…少女はそう言った。

「ごめんなさい、ミノルさん。
 こんなの、……こんな、こんなこと」

 華奢な裸の肩を振るわせながら、絞り出すようにそう言葉をつむぐ。
 そうしながらも、その手はゆるゆると動き、僕のモノに刺激を加え続ける。

「こんな…………私、汚らしいですよね。こんなこと、するなんて。
 …でも、私、他にどうしていいか、わからないんです。
 こんなことしか、私ができることなんて、無いんです……」

 すすり泣くように、彼女は話す。

「ミノルさん、お願いです。
 せめて夢の中でくらい、こんな私でも、嫌ったりしないで下さい。
 私、こんなことしかできないけど……でも、一生懸命、ミノルさんに気持ちよくなってもらうから…」

 ……彼女が、何を言っているのかは、僕にはわからなかった。
 必死に、まるで祈るかのように、この少女は僕に何かを伝えようとあえいでいる。
 それでも僕には、彼女が本当の意味で伝えたがっていることがなんなのか、わからなかった。
 わかるのはただ、彼女がもだえ、苦しみ、すがりつく対象として僕を求めているということだけだった。

 だけど、そんな形のまとまらない思考でさえ、僕には続けることができなかった。

 ゾクッと、腰にむず痒いしびれが走る。
 僕のモノの先端に、熱く、湿った吐息がかけられたのだ。

 少女の口から出た、息だった。
 その小さな頭が、僕の欲望に近寄る。

 彼女の小さな唇から、とがったような赤く濡れた舌が伸ばされ、僕の欲望の先端に触れた。

“ぴちゃ……”

「うっ…っ!」

 ペニスの先端から腰にかけて、快感が甘美な電流のように走り抜けた。
 僕は思わず、声を洩らした。

「ん……、はぁ……」

 まるでため息のような声を洩らしながら、彼女のその動きは続く。

 先端の丸みにに舌をべっとりとまとわせつつも、ゆっくりと欲棒の先端を、口の中へと迎え入れていく。
 僕の亀頭の部分が、熱を持ったように熱い彼女の口の中に含まれた。その濡れたような熱さと、ねっとりとした粘膜の感触に、僕は自分の起立したものが、更に高まっていくのを感じた。

 僕のものを口に含んだ彼女にも、そのことがわかったのだろうか。
 少女は僕の先端を咥えたまま、僅かに顔を上げ、僕の顔を見た。
 僕のものを咥えて歪んだ、その口元。間延びしたように見える、その頬の線。
 そしてその薄布に隠された目は、それでも間違いなく僕と視線を合わせ、そしてその瞳は──確かに熱く潤んでいた。

“……ぴちゃ…”

 彼女は、口から僕のモノを引き抜く。
 そして再び、少女は唾液に濡れた舌を伸ばし、ペニスを愛撫しはじめた。

 両の手を肉棒の根本と、その下の毛深い袋の部分に添えて、ペニスの裏側を根本から先の方まで、舌をべっとりとまとわせながら、何度も舐めあげる。

「…はぁ……ふう」

 その息づかいは辛そうなものとして僕の耳に届いてくるけれど、でも、その口元だけは活発に動き続けていた。

「うん…っ、ふう……っ」
   “ぴちゃ……、くちゅ……”

 起立の竿の裏側をなぞっていた舌が、雁首の部分をこすり上げる。
 そのまま、舌が細まるように尖らされ、その舌先がくびれの部分をひっかくように、何度も何度も刺激しはじめた。

「うう……っ!」

『この娘……』

 …ヘタをしたら、まだ中学生かとまで思われる、少女。
 だけどその男性を喜ばせるための行為は、明らかに“慣れた”動きだった。

 由香里センパイや梨名の口もいつだって気持ちよかったけど、少女の“これ”は、それとは比べものにならない。
 今まで僕が体験してきた口技とは全く違う、初めて体験するほどの快感だ。

 もう、なんとか彼女を止めようなどという思考は、徐々に働かなくなってきていた。
 僕をの動きや声を縛り付ける、彼女の言葉がもたらした見えない力も、関係なくなってくる。

 僕はただ、抑えられない快楽の声を、喰いしばった歯と歯の間から洩れ出すだけだった。

『こんな……』

 この夢とは信じられないような、細密な五感の感覚。
 僕を声と身体を縛り付ける、理解できない力。
 現実よりも現実感を感じさせるような、圧倒的な感触。

 ──この夢は、この少女の夢。
 彼女の、世界。

 頭の中を、過去の様々な出来事が駆けめぐる。
 僕が夢の中で由香里センパイや梨名に対して、どんなことをしたか。どんなことをさせてきたか。それによって、彼女たちにどんな事が起きたか。

 夢の中で、僕が彼女たちに対して行ったこと。
 それらは夢からあふれ出し、現実の彼女たちにさえ、影響を現した。

 そして今度は、今、僕自身が、その支配されるべき存在としてこの夢の中にいるのだ。

『なんで……』

 必死に頭を働かそうとする。
 なにか、どうにかして、ここから脱出しなくてはならない。
 それはまさしく、“自分自身”を守るための、人生そのものを左右する行為となる。

 だけど……

「ミノルさん、気持ち、いいですか?」

 薄布越しに、上目づかいに僕の顔を見上げながら、彼女がそう問いかけてくる。
 その間も、僕のペニスとその下の毛深い袋とを両手で捧げ持つようにし、その幹の部分に頬をすり寄せ、あるいは横から下を伸ばしてその手の中の欲望をチロチロ舐め、そうしながら快感を煽り続ける。

『はあっ、はあ…っ』 ……彼女の息もまた、熱くなっているのがわかる。
 僅かに上気した頬、うっすらとかいた汗、溢れた唾液で濡れた口元。
 ……僕の興奮を感じとることで、彼女もまた、間違いなく昂まっているのが伝わってくる。

 その動作自体、見られながらそうすることに馴れた仕草であったが、こんな少女がそんなふうに振る舞うという現実離れした状況そのものが、僕の中の倒錯感を刺激し、さらなる欲望を煽った。

「あ……」

 そんな僕の興奮が伝わったのだろう。彼女の手の中で、僕のモノがピクンッと小さく動いく。
 それを敏感に感じ取った彼女は、そう声を洩らし、本当に嬉しそうな顔で僕を見上げた。

「もっと、……もっと気持ちよくなって下さい」

 その彼女の言葉が僕の耳に染み入り、それが僕の脳の、どこか深い部分を絡め取るのがわかる。
 身体を焦がす熱が、更に際限なく高まってゆく。
 そしてその熱は僕の頭を酔わせ、さらに思考する力を奪い取っていった。

 こんなささいな一つ一つの言葉でさえ、彼女の発した言葉は、この世界の中では絶対の力を持つのだ。
 僕はその事実を、支配される側になって初めて、本当に理解した。

「ん……っ」
   “ぴちゃ……”

 ゆっくりと、その小さな唇が、僕の先端に被された。
 少女の口の粘膜に、僕の敏感な部分がくるまれる。

「んっ、ふ……んっ」

 唇でくびれの部分を強く締め付けつつ、口の中で舌を動かし、その舌先で鈴口の部分をつつくように刺激する。
 あるいは、舌をべっとりとまとわりつかせながら、ゾロリと舐めあげる。

「う……、あ…っ」

 股間から立ち上る快楽に、脳髄が焼き尽くされてしまうような感覚。
 気がつけば僕は、無意識のうちに腰を彼女に突き上げていた。

「ぐぅ…っ、うう……ん」

 鼻声のような呼吸を苦しげにしながらも、少女は逃げることなく、僕のモノを口の中いっぱいに迎え入れる。
 小さな顎を精一杯広げ、僕の欲棒を迎え入れていく様は、痛々しく、そしてそれ故に刺激的だった。

“ぐちゅ…、ぴちゅ……”

 少女は僕のモノを咥えたまま、頭を前後に動かしはじめる。
 唇、舌、上顎、そして喉。
 その全てを使って、僕のペニスを吸い、締め、こすりあげ、奉仕する。

 ペニス全体が、熱くぬめった口の中に含まれる。
 深くくわえ込んだときには、その先端が彼女の喉にぺたりと当たるのを、彼女は喉の奥を締め付けるようにする。あるいは頭を引いたときには、上顎に擦りつけるようにして刺激する。
 その間にも常に舌は僕のモノの腹にねっとりとからみつけられ、唇はすぼめられ、幹の部分の締め付けた。

 前後に動かされていた頭が、ときどき回転するようにねじられた。
 そうすることで、その時折に刺激される部位を変え、時には小さく当たる彼女の歯が、鋭い、ひやりとした快感を感じさせる。

 少女の唇と、僕の肉棒、そしてその境目から垂れ流れる彼女の唾液がたてる濡れた音が、淫らに響き渡った。
 そんな音や、股間に感じる彼女の熱い鼻息さえも、ひたすらに僕の快楽を押し上げていく作用を持っているようだった。

 もはや僕は、彼女から与えられる快感以外、なにも頭には無くなっていた。
 ただがむしゃらに彼女の喉を突き上げ、その圧倒的な快感を、貪欲に汲み上げていく。

 そして彼女も、必死にそれに答えようとする。
 喉の奥を突かれむせそうになりながらも、それでも唇でペニスの根本を締め上げ、口全体で僕のモノを吸い上げる。
 その細い指先を使い、ペニスの下の袋を刺激し、更にその下の縫い目の辺りを、チロチロと軽くひっかくようにさすり続ける。

 腰の奥の方から、高まりきった圧力が、どんどん上昇してきた。
 僕はそれが爆発しそうになるのを、必死で押さえ込む。

 それを彼女も感じただろう。
 それでも、彼女は口を離したりはしない。
 むしろ、いっそうの熱意を込め、口の中のものを吸い上げる。

 そして、僕は限界を迎えた。

「う…っ、ああ……っ!!」

“びゅくっ、びゅく…っ!”

 根本から先端に向け、ペニスの中を粘液が信じられないほどの激しさでもって通り抜け、それら全てが少女の口の中へと注がれていく。
 何度も、何度も、それはまるで鼓動そのものであるかのように、脈打ちながら放出された。

「うっ……うう、うむ…うん……」

 少女は顔を真っ赤にしながらも、それを口で受け止める。
 その白く細い喉が、“コクッ、コク…ッ”と動き、彼女が僕の放った精液を全て嚥下していくのが、はっきりとわかった。

 全ての放出を終え、僕の身体から、力が抜けていく。
 僕は“ガクッ”と身体を後ろに引き、背中を壁にもたれかけさせた。

 だけど少女は、まだ僕のモノから口を離そうとしない。
 僕の出した全てを飲み干し、最後に尿道の中に残った精液までも吸い上げ、それからはじめて、彼女は唇を引いた。

 少女の赤い唇の間から、“ヌル……ッ”と、やや力を失ったペニスが吐き出される。
 その未だ硬さを備えた肉棒の幹には、彼女の唾液と僕の精液とが混じった粘液が、ヌラヌラとこびりついていた。
 彼女の着た黒いワンピースの襟元の部分は、やはり垂れ流された唾液で、ぐちょぐちょに濡れている。

「……気持ち、よかったですか?」

 僕を見上げながらそう訊ねる彼女からは、さっきまでの昂揚した様子は消え去っていた。

 そこには、さっきまでの、ただひたすらに淫らな、そんな彼女の姿は無かった。
 今そこにいるのは、ただ、まるで拒絶されるのを恐れるような、不安と、寂しさに震える、小さな少女だった。

 僕はそんな彼女を見つめながら、ただ“コクン”と頷いた。

 サッと、彼女の頬に朱みが戻る。
 彼女の顔に嬉しそうな、……この場の状況とはあまりにかけ離れているはずの、本当に嬉しそうな、無邪気な笑顔が浮かんだ。

「あの、……ありがとうございます、ミノルさん。
 私、嬉しいです……」

 彼女は僕にそう言うと、もう一度僕の股間に顔を伏せた。

“ぴちゃ……、ぴちゃ…”と、猫がミルクを舐めるような音を立てながら、彼女は粘液で濡れた僕のペニスを、舌で清めはじめた。

 ぐったりと、疲れ果てた身体。
 そんな中、彼女の奉仕を受ける股間だけが、むず痒いような快感を敏感に感じている。

 僕は、ただ茫然としながら、僕の股間に顔を埋める少女の小さな頭の動きを、他に何もできずに、ただぼんやりと見下ろしていた……。

 
 


 

 

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