ビールス・パニック


 

 

最終話


 6月27日深夜。戒厳令下で封鎖中の練馬区春日町。
 捜査用の立ち入り禁止テープを跨いで財団法人・樋口感染症予防センターに足を踏み入れた侵入者は、落ち着きのない足取りで、建物の窓から施設に忍び込んだ。
 かつて樋口耕蔵博士と助手たちが研究に明け暮れた施設内を、十分に慣れ親しんできたような確信に満ちた歩き方で、足早に進む。
 多くの資料が捜査当局に没収され、ガランとした2階第1実験室内に入ると、苛立ちをぶつけるかのように、乱暴にガスマスクを剥ぎ取って、打ち捨てた。

 机の棚を順番に開き、実験用の大きな机に紙切れや棚、取り扱い注意の薬品庫に、残っていたものを全て広げていく。
 証拠とみなされたものは、全て警察が没収していたはずだ。
 しかし、それらの情報は全て、烏丸・笹沼の手を介して電子情報として諏訪も確認した。
 その中に入っていなかった情報があるとすれば、この研究所に残っているのではないか。
 ゴミにしか見えないものの中に、重大な手がかりが残っている可能性がある。
 諏訪は、このかすかな可能性にかけて、大きな危険を冒してまで、この研究所に戻ってきた。

 全てはこの研究所で、この実験室で始まった。
 何かを初手で間違えていたとしたら、この場所を確認するしかない。
 そのことが頭に浮かんだ日から、諏訪は葛藤の日々を隠遁先で送ってきた。
 そしてついに、自分の仮説を、そのままにはしていられなくなった。
 自分の目で確かめずにはいられなくなったのだ。

 しかし、そうした諏訪の、研究者としての性向を、的確に把握し、予測していた者がいた。
 そしてその彼女の分析を信じ、確信を持って諏訪の到来を待ち続けていた一組のコンビがあった。

「探し物は、見つかりそうかな? 何なら手伝おうか。」

 満を持して、芹沢が実験室に足を踏み入れる。
 やっとお目当ての逃亡犯に会うことが出来た捜査官は、静かな夜、高揚感と静謐の奇妙な同居を自分の中に感じていた。

 諏訪岳人がゴミを漁るようにして薬品庫を引っくり返していた手を止める。
 全く人のいる気配のなかったはずの施設で、芹沢勇人と初めて対面した諏訪は、芹沢と同じく、意外なほどの落ち着きを見せた。

「警視庁公安部、公安第5課の芹沢勇人警部補か。以前に警察機構内部の汚職事件を詳細に解明し、以来、上には逆に嫌われた。専門外の生物テロ関係に放り込まれて、そのままドブ漬けらしいね。千春から聞いているよ。今日も暇つぶしに夜の散歩かい?」

 諏訪がふちの細い眼鏡の位置を直しながら、細面に引きつったような笑みを浮かべる。
 芹沢も自嘲気味に笑った。

「全部ご存知のようだな。全く、上にたてつくもんじゃないな。以来全くの冷や飯喰らいだよ。今日も、格別薄汚いドブネズミの捜査なんかさせられて、閉口している。もっともそのドブ臭いネズミが、どうしようもない間抜けだったんで、手間は省けて助かってるがね。」

 諏訪の歪んだ笑みがいっそう大きくなる。
 余裕を見せようとしているようだが、こめかみに血管が走ったのを、芹沢は見逃さない。

「諏訪岳人。お前が疑っている仮説は、正しいよ。そして、全てをお前の姉弟子が、先に解明した。紹介しよう、樋口耕蔵博士の薫陶を受けた警察庁分析官、芳野大先生だ。」

 実験室のもう一方の隅、諏訪の位置により近い扉から、芳野渚分析官が姿を見せる。
 月明かりと、外の街灯、そして諏訪の持ち込んだペンライトの明かりだけを頼りに、諏訪岳人と、芹沢勇人、そして芳野渚が対面した。
 諏訪の青白い顔が、いっそう白く浮かび上がっていた。

「都内西部だけで、MC−A6の感染が思うように拡大しないので、疑問に思ったのでしょう?最初にMC−A2が流行したのが、この東京の西側・・・。そう。貴方が開発途中の失敗作とみなしたA2。そしてリヴァイアサンが、囮として世間の撹乱のために利用しようとしたMC−A2こそが、実は樋口先生の起死回生の打開策だったのよ。貴方たちはみんな、先生を利用したつもりで、結局先生に敗北したの。貴方の開発したMC−6すら、先生が事前に用意したMC−A群汎用ワクチン、MC−A2に駆逐されたのよ。諏訪岳人、ウイルスの研究を通して社会に貢献するべき立場の人間が、社会に凶悪な病原菌を撒き散らした。その罪を獄中で一生かけて償いなさいっ。」

 芳野が、強い決意と意志をもって言い放つ。
 しかし諏訪は、芳野に対して気押されてはいなかった。
 ペンライトの明かりに下から照らされて、青白い顔が唇の引きつったような笑みを浮かべる。

「病原菌・・・。ここにいる芹沢君のような門外漢ならいざ知らず、君のような専門家がそんな言葉を吐くのは、聞き捨てならないな。ウイルスとは・・・なんだ?優秀なウイルスとは、宿主細胞に強力な害をなすウイルスではない。ウイルス感染症の害悪のほとんどは、宿主細胞の拒絶反応によるもの。それぐらい知らない君ではないだろう?真に優秀なウイルスは、宿主細胞を早急に破損したりはしない。それはウイルス粒子自体の増殖プロセスにリスクを与える。宿主を破損させない範囲で、寄生し、長期的に増殖する。それが優秀なウイルスのあり方だ。」

 諏訪が、一歩ずつ、芳野の方へと近づいていく。
 芳野は自分が後退しないように頑張りながら、密かに額に汗を流した。
 司祭が儀式の前に信者たちの前で説教をするように、諏訪は高らかに語る。

「翻って地球に寄生する人類はどうだ?宿主の地球を、早々にも破損しかねないような暴走的な増殖を行い、増殖環境を損なおうとしている。人類こそ、ウイルスだ。人類こそがアポトーシスのプログラムを書き込まれなければならない、危険な病原体だ。MC−A6こそが、人類と地球環境との長期共存を可能にする、アポトーシス・プログラムなのだ。これをもって人類は恍惚と永遠の幸福とともに大多数の人口を失い、持続可能な繁栄を可能とする規模まで自死を遂げる。救済と大いなる再生だったのだ。ウイルス学者の君ならば、わかるだろう?わからないはずがないっ!」

 諏訪が語りながら一歩、あと一歩と芳野に近づいていく。
 蛇に睨まれた蛙のように、身動き一つとらずにこらえていた芳野が、一歩だけ後ずさる。
 宗教的とも言えるような陶酔の笑みを浮かべて、諏訪が芳野に跳びかかりつつ、懐に手を入れる。
 それを許さないとばかりに、芹沢が両手に構えたグロック17が火を吹く。
 9mm口径の弾は、諏訪には当たらなかったが、背後の薬品棚に命中した。
 アルコール他、発火性の高い薬品が並んでいた棚が、炎を吹いて諏訪を覆う。
 慌てて後ろに飛びずさった芳野を除いて、諏訪の周囲は火に覆われた。

「ぐぁぁあああああっ!」

 全身に燃え盛る発火性の薬品を浴びた諏訪は、顔を腕で覆って守ろうとするが、あまり効果がない。暗かった部屋が、一気にオレンジ色の明かりに照らされた。

「芳野っ!危ないっ。」

 芹沢が、鋭い声をあげる。
 数秒の間、呆然と立ち尽くしていた芳野渚は、ハッとパニック状態から脱すると、慌てて諏訪から離れる。
 諏訪は懐から取り出した拳銃、シグ・ザウエルをゆっくりと構えたが、安全装置を解除する細かい動作を諦めて、火から逃れようと歩き回る。

「アァァァアアアァァ」

 獣が体を引き裂かれる瞬間に出すような、奇怪な声を上げて、諏訪が歩き回る。
 芳野は消火器を探した。しかし、火の明かりを頼りに目を彷徨わせた彼女は、さらに不吉なものを机の上に発見する。
 芳野渚はその時やっと、机の上に置かれた薬品類の中に、アセトアルデヒド等、極めて引火性、揮発性の高い薬品が置かれていることに気がついたのだった。

「芹沢さん、逃げてっ!」

 芳野と芹沢が、実験室の外へと転がり出る。
 助けを求めて体を捻り、空を掻くように両手を振り回す諏訪の体から、火の粉が机に飛び火した。

 フボッッ・・・。

 第1実験室が一瞬、真昼のような明るさに包まれた。

 素早く背広の上着を脱いで頭から被った芹沢が、炎が各所に飛び散らかっている実験室に、再び入ろうとするのを、芳野が必死で止めた。
 パラアルデヒドは有毒ガスも発生させる。彼を入らせるわけにはいかなかった。
 芹沢は、スローモーションのように、あるいはビデオのコマ送りの様に、全身を炎に包まれたシルエットが、ゆっくりと窓を突き破って外へ落ちていくのを見送った。
 既に、断末魔の叫び声も聞こえなくなっていた。


。。。



<報告書 ヒグチ・ウイルスMC−A群について (その8)>

XIII.ヒグチ・ウイルス パンデミックの終結

a) パニックの収束

 2008年7月8日、樋口耕蔵博士の元教え子で、科学警察研究所所属の芳野渚分析官が、樋口からの遺言を基に、副作用抑制の極めて進んだワクチンの生成に成功。
 翌週7月14日には同原理を利用した、MC−A群に罹患した患者への治療薬も開発する。
 これらの研究はMC−A2ウイルスの基本構造の大部分を利用することで進められた。
 改良ワクチンは特に、A2ウイルスのRNA塩基配列の99.2%を生かして作られている。
 MC−A2ウイルスの国内流入を必死に取り締まってきた世界の国々は、それがA6ウイルス等、はるかに危険性の高いウイルスへのワクチンだったと知って驚嘆する。

 副作用がほとんど確認されない、男性に限っては、A2ウイルスをそのまま感染させて予防措置とする国まで現れた。
 9月にはほぼ世界全域に改良ワクチンが行き渡り、MC−A6の感染拡大は急激に収束に向かう。
 2008年10月12日に、WHOが洗脳ウイルスへの勝利宣言を出した。

 樋口耕蔵博士への評価は、事件の収束後も意見が分かれている。
 人類を壊滅的な危機に直面させる結果となったことに対しての批判も根強い。
 一方で、自らの命を賭けて、その危機を回避する手をうち、成果を上げたことを英雄視する報道もある。
 そして、彼の医学的な研究成果に対しては、盗用問題の解明とともに、学会が名誉回復を行なった。
 彼に名誉博士号を進呈したアイスランドの国立レイキャビク大学のように、彼の研究を受け継ごうとする研究機関も現れたが、EUは、「Dr.ヒグチの研究のハイレベルさ、将来的に遺伝子工学技術へ活用した際の有用性は大きく評価しつつも、人格侵食ウイルス再発生の危険度の大きさから、研究は自主規制すべきである」という声明を出した。

 当初は米国もこの共同声明に加わるかと思われたが、結局辞退した。
 製薬会社の大資本が政府に強烈なロビイングを行なったと噂されている。
 日本国政府も、米国との関係、世界で最も大きかった同事件の二次、三次被害からの復旧問題等で行き詰まっており、態度を決めかねているようである。

b) 諏訪岳人の死亡

「リヴァイアサン」構成員の多くの証言、自供から、MC−A3、A5、A6の開発者であり、感染を拡大させたとされている諏訪岳人は、6月27日未明、近くの順天堂大学付属病院で死亡が確認された。
 死因は火傷による組織の破損と失血、そして2階から舗装された地面へ落ちたときの衝撃による打撲。体組織の炭化が進んでおり、検死から多くの情報を得ることは出来なかった。

 小学生、中学生の頃の諏訪岳人は、極度の潔癖症だったと当時の級友たちは語っている。
 病的なまでに汚れやバイ菌を恐れ、学校給食にも自宅から食器と箸を持って通った。
 掃除の時間が終わった後でも、いつまでも自分の手を石鹸で洗っていた彼を、当時のクラスメイトもかすかに記憶していた。
 高校生の時、ふいにウイルス根絶とより清潔な社会を目指して、医学を志した彼は、これまで自分の恐怖の的だったウイルスの世界に、潔癖な真面目さで真っ直ぐ取り組んでいくようになったと、高校時代の教師は証言している。

 東京大学医学部卒業後、樋口感染症予防センター、コロラド州立大学付属メディカルサイエンスセンターに所属。
 死亡した時の年齢は33歳。特にここ5年ほどの彼の情報は、ほとんど残っていない。
 まるで自分の死後、足跡を残さないことを常に意識して生活してきたかのような、謎に包まれた人物であった。


(報告 了。前報告での速報ベースの情報を事後修正した記述については、再編版・「ヒグチ・ウイルスレポート2008」を参照)


。。。



「ねぇ、真弓ちゃん。やっぱり芳野さんに、相談した方がいいんじゃない?」

 バスルームのマットに寝そべる支倉真弓に、八木原潤也は心配そうに声をかける。
 全裸で仰向けになり、まるでオムツを替えてもらう赤ちゃんのような姿勢を取っている。

「もうっ。その話は止めてって言ったでしょ! 解決するために、実は週一でこんなことしてるって誰かに相談するぐらいだったら、一生このままの方がずっとマシなの。」

 強い口調で真弓に言われると、潤也は黙るしかない。
 MC−A2は後遺症が一切ないと言われているが、実は潤也と真弓の間には、絶対に誰にも知られる訳にはいかない秘密が残っている。
 潤也が発症中の真弓に刷り込んでいった言葉は、緩やかに効果を失っていき、彼女は完全に正常な自分自身に戻っているはず。
 しかし、潤也と真弓が始めて結ばれた日に、潤也が彼女に伝えた、「お風呂とエッチを繰り返す。真弓はそれを心から楽しむ。」という暗示は、実は今も効力を失わずにいるようなのだった。

 潤也はこのことをずっと気にしていて、「後遺症だったらいけないから、相談しよう」と真弓に薦めたのだが、真っ赤になって口を開けた真弓の答えは意外なものだった。

「診察を受けて、こんな恥かしい告白をして、診断結果が『これは貴方の本性です』だったりしたら、どうするの?そんなの怖くて、聞きにいけない。そんな宣告されるぐらいだったら、ずっとこのままの方がマシ。だから、潤也君は罰として、一生責任とってよね。」

 このやり取りの後は、10分ほど、二人して、顔から火が出るような思いをしながら、俯いていた。
 二人で東京から脱出して1ヶ月。
 無事真弓の病気も完治して、家に帰ってきたらカップルも解消かと思っていた潤也が、思いがけず天使たちのファンファーレを聞いた瞬間だった。

 学校も閉鎖が解除された今、真弓は元通りの優等生の支倉真弓だ。
 陸上部のホープであり、学校でも評判の美少女。
 男子生徒たちの憧れの的だが、なかなか近寄りがたいオーラをまとっている。
 それなのに、潤也と二人でいる時の彼女は、その反動か、妙にエッチで甘えん坊になる。
 一緒に風呂に入ると今でも、潤也に体を洗って欲しいとおねだりをする。
 嬉しい反面、少しだけ潤也が心配になる瞬間だ。

「潤也君。お願い。真弓をキレイ、キレイにして。」

 そこらの芸能人が嫉妬するような、隙のない、端正な顔立ちの彼女が、舌ったらずな喋り方をして、幼児のようにあどけない笑みを浮かべる。
 両手を顔の近くで握り締めたまま、両膝を上げると、そのまま赤ちゃんのオムツ交換ポーズのようだ。
 潤也が言われるままに、真弓の盛り上がりの大きな恥丘、炎のように前に立ったアンダーヘアを、石鹸の泡に包まれた手で洗う。

「はんっ・・・。気持ちいい。」

 幸せそうな笑顔で、真弓が柔らかな喘ぎ声を上げる。
 目尻の下がった目で、じっと潤也を見つめている。
 ヘアを掻き分けて割れ目の粘膜を丁寧に洗うと、真弓は静かに溜息をついて、目を閉じた。

「ん・・・、そこ、好き・・・。」

「・・・じゃぁ、ここは?」

「・・・そこも好き。」

「真弓ちゃん、だいぶ日焼けの跡がなくなったね。太腿の線のところも、もうわかんなくなっちゃった。」

 学校が完全に稼動し始める前から、陸上部の有志が集まって、自主トレーニングをしていた。
 9月上旬の頃の真弓は、ショートパンツの跡がくっきり残っていて、まるでマレー獏のようにそこから白い肌と小麦色の肌が分かれていた。
 それが今ではすっかり、元のきめの細かい白い肌に戻っている。
 そんな彼女の体の変化を、必ず週に一回、隅々まで洗ってあげながら確認する。
 その後で二人は洗い合ったお互いの体を、思う存分、愛撫して味わう。
 エッチとお風呂の繰り返しで、デートの日が半日は終わってしまう。

「ひゃっ・・・。」

 真弓が肩をすくめる。潤也が見下ろすと、真弓は両手を強く握り締めて、目を強く瞑っていた。

「痛い?強すぎた?」

「んうん。もっと強くても、大丈夫。」

 彼女のクリトリスをそっと剥き出して、敏感肌にも優しいボディ・ソープの泡で包み込みながら、触れてあげる。
 真弓が目をかたく瞑ったまま、痙攣するように、突き上げた顎を奮わせた。
 ヴァギナを優しく洗っている間、真弓はムズがるように、マットの上で身をくねらせる。
 毎週やってくる、彼女の至福の瞬間だった。

「はい、キレイになりました。今度はワンワンのポーズになって。」

 言われるままに、真弓が体を反転させて、四つん這いになると、両肘をつけて背筋を反らし、潤也に向けたお尻を高く突き出す。膝をしっかり開いているので、彼女の後ろが丸見えになる。
 お尻を洗ってあげようとしていた潤也は、彼女が荒い息を「ハッ、ハッ」と飛ばすように吐き出していることに気がついた。

「真弓ちゃん。ポーズだけでいいんだよ。ホントのワンワンじゃないよ。」

 潤也に軽く腰を叩かれると、真弓が振り返った。
 赤い舌を突き出して犬の真似をしていた彼女が、不意に正気に戻って顔を赤らめる。

「笑うな・・・。ちょっとその気になっちゃった、だけだってば。」

 潤也と二人きりでいる時、エッチで朦朧としている時、真弓はふいに、A2に発症していた頃のように、潤也の言葉を真に受けやすくなる。
 潤也にとっては、完全に気を許してもらっているようで嬉しくもあるが、少しだけ心配な気持ちにもなる瞬間だ。

 お尻の山を、谷間を、慣れた手つきで洗ってあげる。
 そして秘密の穴も、シワを広げてそっと洗う。
 マットに頬をつけた真弓は、いつの間にか涎を垂らして喜んでいた。

「真弓ちゃんはお尻の穴洗われて、そんなにヨガっちゃって、エッチな娘だよね。」

「ふぅんんん。潤也君のせいだもん。潤也君がエッチになるよって言ったから、なっちゃったんだもん。」

 真弓が、甘えた声を出す。
 家族に対してもずいぶん前から自立していた彼女にとっては、こんな幼児返りしたような姿を見せるのは、潤也の前でだけだ。
 そんな彼女の無防備な姿を見せつけられると、潤也もついつい、意地悪を言ってみたくなる。

「真弓ちゃん。」

「ふぇ?」

「もしも・・・、僕らがこうやってるところを、学校の新聞部とかにスクープされちゃったら、どうしようか?『陸上部のアイドル、支倉真弓。彼氏にアナルを洗ってもらってアヘアヘ顔』とか、見出しをつけられちゃうかもよ?どうする?」

 からかわれる限度を超えた真弓が、ぶるぶると腕を震わせながら起き上がる。
 無言でシャワーのヘッドを手に取って蛇口を捻ると、振り返って潤也に冷水を浴びせた。

「うわっ・・・冷たっ、やめてーっ。」

 潤也の悲鳴がタイル張りの浴室の中で反響する。

「もー、いい加減にしなさいっ!」

 シャワーで水を掛け合って、じゃれあっているうちに、抱き合ったまま湯船に入った二人は、急に気持ちが盛り上がったかのように、浴槽でキスをする。
 湯と濃厚な接吻との相乗効果で、真弓の白い肌は桜色に染まっていく。

「ん・・・。今度は、私が洗ってあげるね。でも、意地悪言ったら、また冷水だよ。」

 真弓が、思い出したようにむくれながら、浴槽の中にいるままで潤也を立たせ、彼の股間の前に顔を近づける。
 プルプルとした若い唇を開いて、彼の8割方勃起しているモノを、先端から口に含む。
 大事そうに彼氏のペニスを口で愛撫する美少女。
 最近は彼女から言い出して、フェラに挑戦してくるようになった。
 無心にペニスと格闘している彼女が、時々、思い出したかのように、潤也の反応を伺うために彼の顔を見上げる。
 その時に真弓と目が合うのが、潤也はなぜかとても好きだった。

 我慢できなくなると二人は、大きなバスタオル一つに、二人で包まれて、体を拭くのもそこそこに、潤也の部屋へと上がる。
 誰もいない家の中でも、裸の二人が階段を駆け上がる時は、なぜか急ぎ足になる。

 誰かの目から逃げるように、バスタオル一枚の二人が笑いながら潤也の部屋に転がり込む。

「真弓ちゃん、バンザイ。」

「はいっ!」

 二人きりの時にとっさに潤也に言われると、真弓は反射的に彼の指示に従ってしまう。
 やはり、まだ癖が抜けきらないのだろうか。
 直立不動で両手を高く上げた真弓は、潤也にまだ濡れている体を、拭かれるままになる。
 ポンポンと、優しく、叩くように真弓のしなやかな体を拭いてあげる潤也。
 ふいに、イタズラのように彼女の小ぶりな乳首に吸いつく。

「あんっ・・・ズルいよ。」

「チュパッ。バンザイなおれ。」

「はいっ。」

 両手を下ろして、一瞬「気をつけ」の姿勢で停止した彼女は、解放されると、まるで体育の授業のようにいいお返事を返して従っている自分に納得がいかないように、また少しムクれた。不満をぶつけるように、潤也の体に飛びついて、ベッドに押し倒す。
 二人でシーツの上を寝転がりながら、またキスを始めた。

 実は潤也は、それとなく芳野先生に、MC−A2に後遺症が残る可能性を訊いてみたことがある。
 その時彼女は潤也に、「よほど感染者が、発症時の庇護者との関係を心地良いと感じた場合でもない限り、恒久的な関係性の持続はまず考えられない」と言っていた。
 ひょっとしたら、真弓は、潤也といつも一緒にいた間のことを、悪く思っていなかったのかもしれない。なんの言い訳にもならないかもしれないが、そのことが今の彼には大きな希望であり、大きな奇跡であるように思われた。

 真弓の体は、まるで潤也と体を重ねるたびに敏感さを増していくようだ。
 潤也が彼女の体に口づけするたびに、跳ねるように喜んで震える。
 そして今度は、負けん気の強さを示すように、潤也の体にも吸いついてくる。
 おたがいに納得いくまで洗った相手の体を、思う存分に味わいつくし、愛撫する。
 関節の裏側を丹念に舐め回して甘噛みする。
 二人の汗や体液が一体となって、体の曲線を流れていく。

 潤也のモノを撫でさすりながら、真弓が自分の股間へと導く。
 押し開かれた彼女の襞が、咥え込むように潤也のペニスを迎え入れた。
 完全に一つには成りきれない二人の体を悔やむように、駄々をこねるように、潤也が必死に腰を振る。結合した二人の性器が、切ない快感のうねりを生み出していく。
 両手を握り合い、抱きしめ合い、体位を変えながら、真弓と潤也は獣のように互いを貪りあった。
 まるで一段とばしで駆け上がるように、二人の性感が階段を登りつめていく。
 視界がどんどん白く、明るくなっていた。
 荒い呼吸音すら、お互いの激しさを競い合うようにエスカレートしていく。
 頂点手前で少し足踏みするように、つま先立ちしてとどまろうとするような、一瞬の停止の後で、激しいエクスタシーが訪れた。
 潤也のペニスから、熱い精が断続的に放出される。
 真弓のヴァギナが、それを全て搾り出すように収縮して飲み干していく。
 お互いの体に沈み込むように、二人はきつく抱きしめあった。


。。。


「ほら、ボヤボヤしてないで、巡回のサポートしてあげて。お見舞いに来られたご家族も、迷ってナースステーションで列になってるわよ。」

「はいっ。」

 若いナースたちが、3人、お喋りを中断して、小走りに去っていく。

 柿本ミチルは今日も焦っていた。
 慈光院総合病院は今日も患者でごった返している。
 ウイルスの騒動で東京の各医療機関が封鎖、もしくは政府に接収される中、慈光院総合病院は、もっとも早く、都内で民間への医療サービスを再開した総合病院となった。
 女医や看護士たち、早い段階でMC−A2に感染してしまった若い女性たちを中心に、免疫を獲得した職員が復旧の嘆願書を出したからだ。
 騒動で心に傷を負った看護士もいるだろうに、みんな、より困っている人たちへのために、いち早く復帰を訴えてくれた。
 柿本ミチル婦長代理は、そんな同僚たちを誇りに思うとともに、押し寄せる患者たちに適切に対応するため、より厳しく後輩たちに接している。
 みんながよく頑張っていることは、誰よりも理解している彼女だが、患者や家族の前で、そのことへの甘えを見せることは許されないと思うのだ。

 まだ30前だというのに、ミチルは早くも後輩たちから「カキ婆」と陰口を叩かれているようだ。
 それで、彼女たちのストレス解消になるならいいか・・・。
 ミチルはそんなことを考えるようになっている。

 若くして婦長代理を任される重責から、彼女にも悩みは多い。
 いつか、前婦長の須永和子に手紙を書いて、色々と教えを乞いたいと思うのだが、そんな時間すら、今はままならない。いつの間にか、須永と別れてから4ヶ月も経ってしまった。

 それでもいいか、と、最近柿本ミチルは思うようになっている。
 同じ日本で、同じ医療に取り組んでいれば、いつか「スナ婆」と話せることもあるだろう。
 その頃までには、彼女が抜けた穴を、もう少し埋められるようになっていたい。
 そんなことを考えながら、ミチルは日々、新しい事態、新しいトラブル対応に追われて、走り回っている。


。。。



「えっ、何?『名古屋市、臨時の首都になれずガッカリ』・・・。なんだこれ。」

 新井保は、営業を再開した『喫茶エデュアール』で、ホットコーヒーを啜りながら、スポーツ新聞の夕刊を読んでいた。
 OA機器の営業をしている彼の、一時の息休めだ。

『臨時政府の、静岡県三島市から同県浜松市への移設が議論されていた時期、さかんに誘致活動を始めたのが愛知県名古屋市であった。結局、非常事態の収束によって、首都機能は三島市から東京都に戻り、名古屋ではガッカリムードが漂っている。盛り上がりかけた首都誘致活動の情熱を何かのイベントに向けようと、現在、第2回名古屋デザイン博覧会の開催が議論されているが、近隣県からは不謹慎との声も上がっている。』

 ・・・随分脳天気な記事が増えてきたな。
 新井保は、スポーツ新聞の記事から、世の中の空気が落ち着き始めているのを、改めて感じた。
 この夕刊の一面には、『飛鳥井京香、年末特別ドラマでカムバック!』と書かれていた。

 中小企業、個人商店が営業を再開すると、新井の仕事も忙しくなる。
 もう一杯、エスプレッソを頼むことにして、新井はウェイトレスに手を上げた。

 ガッシャーンッ。

 厨房でガラスが割れる音がして、客がみんな振り返る。
 新井は頭痛が始まる気がして、眉間を摘まんだ。

「申し訳ございません。バイトの子がまだ慣れていませんでして・・・。」

 ベテランウェイトレスが手際良く対応する。
 新井はホッと胸を撫で下ろすと、カップのコーヒーをゆっくりと飲み干した。


。。。



 練馬区大泉にある、浄土真宗の寺に隣接する墓地を、やや長めの髪をポリポリと掻きながら、無精髭の男が歩いていた。
 角の方にある墓石の前で、ストレートの髪を後ろに束ねた、真面目そうな顔の女性がしゃがんでいるのを発見する。

「やっぱりこっちに来てたか。さっき、ちょっとセンターに寄ったんだけど、留守みたいだったんでね。」

 芹沢勇人が声をかけると、振り返った芳野渚は、笑顔で会釈をする。
 樋口耕蔵の遺骨は、義父の庸司も入っている、樋口家代々の墓に納められた。
 ここに来て、墓の手入れをし、研究のことやプライベートなあれこれ、ぼんやり考えごとをするのが、芳野の月曜と木曜のスケジュールになりつつあった。

「お久しぶりです、芹沢さん。今日は、お仕事で近くまで?」

「あぁ。相変わらず、忙しいよ。しかも、先生と一緒にやった捜査とは違って、もっと汚い、エゲツない任務だな。変わらず板倉さんにコキ使われてるよ。」

 グレーのトレンチコートに身を包んだ芹沢が、早くもボヤいている。
 芳野は思わず、吹き出してしまった。

「あの・・・、重野さんは、いかがですか?」

「ん・・・。どうも、来月から正式に復帰らしいな。ただ、庁内で思いっきり面が割れちゃってるから、公安部は無理なんだってさ。刑事部の捜査第2課に異動だとよ。前のヤマでの、チーフとしての活躍が評価されて、来年には重野警部になるって噂だ。仕事好きは出世も早いな。」

 芳野は微笑んで、手許の花を墓前に供えると、立ち上がって芹沢と向かい合った。

「他の皆さんも、お元気ですか?」

「んんん・・・、あんまり顔を見ないねぇ。皆、それぞれの任務で、忙しいんだよ。あ・・・、そうだ。12月の終わりで都筑さんが定年なんだ。退官前に、例の元緊急対策分室メンバーで集まって、呑もうって話が出てる。別途、北峰あたりから正式に招待が来ると思うから、先生も来て下さいな。」

 芳野は都筑の温厚そうな顔を思い浮かべる。
 分室メンバーの顔を次々と思い出す。日々の雑務に追われているうちに、わずか数ヶ月前のことが、遠い昔のように思えてくる。

「はい。都筑さん送別会のことは、北峰さんから伺いました。北峰さん、今でも1日10通ぐらいメールをくれますので・・・。」

 芹沢が唖然とした表情で、溜息をつく。
 空を見上げると、すっかり高くなった秋空に、うろこ雲が漂っていた。

「だから北峰さんから、ちゃんと芹沢さんと重野さんのことも、聞いていますよ。最近、また一緒に暮らし始めたんですよね?なんって言うか・・・。よかったですね。」

「はぁ・・・。どうも。」

 上を見上げたまま、芹沢が後頭部を掻く。
 どうもこういう話は、苦手らしかった。芳野はまた、吹き出してしまう。

「私が警察を辞めてから、まだ2ヶ月しか経ってないはずなのに、なんだか色んなことが変わっていきますね。少しずつ、違う風景に。私も、頑張らないと。皆さんに置いていかれてしまいますね。」

 静かに吹いていた秋風が、少しずつ強くなる。
 芹沢のコートの裾がバタバタと音を立てる。
 芳野が自分の髪を押さえた。墓石の脇に置いてあった、芳野の古いノートが、風にページをめくられていく。

 黄ばんだページの中で、書き込まれた文字が薄くなっている。
 いつも芳野が使っている大学ノートよりも、さらに古いノートのようだった。

「昔の、ノートかい?」

「えぇ。北九州医科大で樋口先生が、最期の講義を行なったときに、私、最前列右端の席に座って、ほとんど速記状態で、一生懸命ノート取ったんです。このあいだ、荷物の整理をしていたら出てきたので、今日、ここで読み返していました。樋口先生が最期に医大生たちに残された言葉。芹沢さんも、もう少しだけお時間があったら、一緒に聞いていただけませんか?」

「はぁ・・・。ご存知のように、医学は全くの専門外だけど、わかる範囲で聞かせてもらおうかね。」

 ページを探し当てた芳野が、樋口の墓石と芹沢の両方に向かうようにして、姿勢を正して音読を始めた。

『・・・これまでの講義の中で何度も出ましたが、例えばインフルエンザ・ウイルスの突然変異は、人間の細胞の1000倍もの確率で起こります。1個のウイルス粒子が、1日で100万個に増殖する。哺乳類100万年分の進化を、わずか1年で遂げると言われるウイルスと、格闘し続けなければならない人類は、過酷な競争に晒され続けていると言わざるを得ない。

 ウイルス学研究の道に進もうとするものは、誰もが一度はその戦いの前途多難さに途方に暮れます。
 やっと、去年のウイルスに対するワクチンが実用化出来る見通しがたったと思ったら、今年は別の亜種が生まれていたりする訳ですからね。

 それでは、人間はいつか進化の競争に負けて、死に絶えてしまうのか。
 私はそうはならないと思う。そうはならないと信じたいです。

 人間は、細胞の変異や増殖速度ではウイルスに全く適いませんが、一つ一つの固体が犯した間違い、勝ち得た成功を、別の固体に伝え、繋げることが出来るんです。
 挑戦と失敗の回数と速度では負けていても、そこで学んだものを、ちゃんと同世代の仲間に、そして次の世代に繋げることが出来れば、その挑戦の結果が全て価値となる。
 伝えることが出来るから、人間の失敗は無価値にはならない。
 そのように感じて以来、私は、研究での失敗続きの日々も、全く苦には思わないのです。
 どうかこれから研究者の道に進まれる皆さんも、臨床医学の道に進まれる皆さんも、このことを覚えておいて頂きたい。繋ぐことが出来る限り、何度つまらないミスをしても、大きな失敗をしたとしても、貴方の挑戦は価値を生むのです。』

 そこまで読み上げて、芳野は不意に音読を止めてしまった。
 目を閉じて、ノートで口を押さえている。泣くのをこらえているようだった。
 芹沢は、芳野の横に来て、彼女の肩をポンと叩く。

「アンタはちゃんと繋いでるじゃないか。立派な教え子だよ、所長。」

 芹沢を見る、芳野の目が震える。
 ふいに芹沢が、墓前でしゃがみこんで目を閉じた。

「どれ、俺も祈っとくか。」

 まるで神社で拝むように、両手をパチンと音を立てて合わせた芹沢が、30秒ほど黙祷をした。

「芹沢さんが・・・、お祈りなんて、珍しいですね。」

 少し気持ちの落ち着いた芳野渚が、トレンチコートの男を見守るように見つめる。

「このヤマは、さすがに予想外のことばっかり、凄い規模で起こったからな。さすがの俺も、神様、仏様の助けを求めたよ。」

 コートの裾についた土を払いながら、立ち上がった芹沢が笑う。

 芳野は、風で髪が舞うのを押さえつけることを諦めて、先ほど芹沢が仰いでいた空を見上げてみた。

「神様が・・・、もしいたとしたらきっと、ドジで、失敗ばかり繰り返している人類を、いとおしく思っているんじゃないでしょうか。最近、そんなことを考えます。」

 高い空に漂う、うろこ雲を見つめながら、樋口感染症予防センター二代目所長、芳野渚は、はにかむような微笑みを浮かべた。


。。。



「うん。なかなか良い報告書だ。まだ速報ベースで記述されたものと後日の分析とが混じっているが、再編版のレポートを作る中で、修正・補足していってもらえばいい。」

「はい、ありがとうございます。」

 プロジェクターも使いつつ、報告を終えた佐伯百合香は、雲の上のような存在とすら思える、久我室長から予想外の誉め言葉をもらい、はにかんだ。
 まだ初々しさの残る新任分析官は、先輩であった芳野渚の跡を継いで本件の報告をまとめることとなった。
 科学警察研究所、生物第5研究室でまとめた、その報告書、<ヒグチ・ウイルスMC−A群について>の室長への発表を終えたところだ。

「芳野君の退官は残念だったが、後任を君のような、芳野君に負けず劣らず有望な若者に引き受けてもらえて安心したよ。もう一頑張りして、再編版をまとめて欲しい。」

 キャスターのついた肘掛け椅子に腰掛け、机においた両手を組んでいる老室長は、緊張気味の百合香に、優しい声をかけた。

「ありがとうございます。今後とも、ご指導よろしくお願い致します。」

 百合香が、お辞儀をする。
 定年を過ぎても、科学警察研究所所長からの直々の要請で、嘱託として室長職を兼務する久我は、ウイルス研究以外にも、遺伝子情報を活用した科学捜査の碩学であり、科警研では圧倒的なカリスマを持った実力者だった。
 その久我から誉めてもらった佐伯百合香の頬は、上気していた。
 所内では、芳野と一、二を争うと噂された清楚な顔立ち。
 尊敬する芳野先輩の背中を必死に追いかけてきた、努力家の後輩だった。

 プロジェクターの青白い光が、暗い室長執務室を照らす。
 室内には、佐伯分析官と久我室長の他に、もう一つ、人影があった。

「・・・クシュンッ。」

 佐伯が小さくクシャミをする。


「佐伯君、風邪かな?これから寒くなるから、健康には気をつけてくれよ。まぁ、その格好では、誰でも風邪をひくかもしれないが・・・。」

 久我が言うと、もう一人の人影が、部屋の角でクスリと笑みを漏らした。

 プロジェクターの隣、テーブルの上に上がりこんで報告をした佐伯百合香は、全裸でテーブルの上でしゃがんでいた。右手には報告書を持ち、左手は濡れそぼった股間をずっとクチュクチュといじくりまわしている。
 両膝を大きく開いてしゃがんでいるその位置は、久我室長の目の前に、百合香の秘部を曝け出させてしまう位置だった。

「はい・・・。かぜ・・。気をつけます。お気遣い・・・、ありがとうございます。」

 報告が無事終わったという、緊張感からの解放のためか、途端に佐伯は、自分の体の中で暴れる性的快感を意識し始めていた。悩ましい吐息を漏らしながら、男性たちの前で、恥じらいもなく自分を慰めている。

「私の技術では、これが限界だ。2週間、抗体の効かないMC−A2亜種を開発した。・・・それでも2週間後には、藍原耕蔵の・・・、いや、樋口耕蔵の生み出した抗体に倒されるウイルス。これが私の限界なんだよ。諏訪君。」

「・・・久我室長は、樋口先生のことをご存知だったんですか?」

 マスクを被った男が、病的な嗄れ声を喉から出した。
 気道が火傷を負った諏訪の声は、既に別人のものになっていた。
 それは砂利道で重い鉄の鎖を引きずるような、不吉な響きを持った嗄れ声だった。

「樋口庸司教授、耕蔵の養父に、最も長く師事してきたのは私だっただからね。藍原耕蔵の論文が彼の目に留まるまでは、私が樋口研究室の一番弟子だった。東大医学部を出て、順天堂大学大学院で樋口庸司教授に教わる。当時疫学研究者として、最も羨ましがられたコースを、歩むことが出来た。そのコースからは、藍原の登場によって結局外れてしまったがね・・・。」

「樋口先生の・・・、かつてのライバルが、警察庁技官になっていた・・・とはね。」

 あられもない嬌声を上げながら、人目を憚らずに自慰行為に励む佐伯を放置して、立ち上がった久我室長は、窓に近づくと、ブラインドを少し開け、中庭のイチョウの木を見下ろした。

「樋口耕蔵が命を懸けて生み出したMC−A2ワクチンウイルス。そのウイルスを超える新型ウイルスを、彼のかつての教え子である君が、この私の研究室で作り出すんだ。そのために、私は君を救い出し、匿った。・・・期待しているよ。」

 白衣の老室長は、窓から中庭を見下ろしている。
 火傷跡をマスクで覆った、死亡報告が世に出されている男は、ゆっくりと椅子から立ち上がり、部屋の隅から久我の傍へ歩み寄った。

「樋口耕蔵への、嫉妬ですか・・・。嫉妬がゆえに、緊急治療中の私を運び出し、別の焼死死体とすり替え、死亡診断書を書かせた。私の手術を科警研の中で行い、入手済みの洗脳ウイルスを使って関係者の記憶を摩り替えた。激しい執念ですね。私を包んだ、地獄の業火にも近い、激しい炎が貴方を焦がしている。・・・しかし、とっさの行為と言うには、あまりにも手が込みすぎ、手際が良すぎませんかね?」

 一歩ずつ、重傷から回復中の体が、バラバラになろうとするのを、騙し騙し一つにまとめて動かすように、かつて諏訪岳人という戸籍を持っていた男が歩く。
 両手を左右に広げ、ブラインドの隙間から光が差しこむ窓際に立つ。
 体を久しぶりの日差しに晒すように、立ち止まった。
 斜めに差し込む日の光が、彼の後ろに十字架の形の影を作った。

「・・・地獄の業火で思い出しました・・・。キリスト教には、人を地獄に堕とす、七つの大罪というものがありましてね。『嫉妬』はその中で、最も新しく定義された大罪だ。中世ヨーロッパの神学者は、それら七つの罪、それぞれを司る大悪魔がいると考えた。そして、嫉妬の炎を司るとされた悪魔の名は、リヴァイアサン。どこかで聞いたような名前ではありませんか?」

「・・・・・・。」

 久我は何も話さない。ただ黙って、風が舞う、秋の中庭を見下ろしていた。

「フフッ、余計な詮索はこれまでにしておきましょう。心配なさらずとも、ご期待には応えますよ。MC−A2の抗体などなんの効果も持たない、新種ウイルス。MC−B1の構想は既に私の頭の中にある。それほど待たせはしない。必ず、MC−B群を貴方の研究室で生み出して見せましょう。ァ゛、ァ゛、ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ア゛、ア、ア。」

 ザラついた、息が漏れる。
 重い鎖が蛇行するような、耳障りなその音は、どうやらこの男の笑い声らしかった。
 人を不安にさせるような、そんな奇怪な音が、薄暗い研究室内にいつまでも鳴り響いていた。


。。。



 平日の夕方。潤也と真弓は、塾に向かう地下鉄の電車の中で、一緒に音楽を聴いていた。
 潤也は携帯型のミュージックプレーヤーを操作しながら音楽を聴いているが、イヤフォンの片方を真弓に預けている。
 真弓は本を読みながら、片方の耳で潤也と同じ音楽を聴いている。
 何となく、イヤフォンのコードと音楽で二人が繋がっているように思えて、潤也は嬉しい。

 真弓の部活が終わる時間と潤也の下校時間が一緒になっているのは、潤也の『課外活動』のせいだった。

 学校の授業が再開してすぐ、潤也と大樹は永友先生に謝りに行った。
 ウイルスの騒動自体は二人だけの問題ではないし、二人で抑えられた問題でもないかもしれないと、生徒指導室で永友は言った。
 それでも、潤也と大樹が悪いことをしたと考えているなら、二人で自主的に、二学期が終わるまで毎日放課後に校舎の掃除をしなさい。
 永友先生はそう言った。
 その日から毎日、潤也と大樹は放課後に、学校の清掃をしている。
 時々永友先生も、一緒に掃除を手伝ってくれる。

 今日、大樹が掃除中に、潤也に教えてくれた。
 『女性恐怖症』と診断されて、通院していた圭吾が、来月から高校に戻ってくるらしい。
 来月からはきっと、潤也と大機と圭吾の三人で、放課後の清掃活動をすることになるだろう、と。

 潤也は好きな音楽を聴きながら、ボンヤリと圭吾のことを考える。
 圭吾の名字は小倉。圭吾の姉のツカサの名字は進藤。
 圭吾が中学生の頃、ちょうど彼の両親が離婚でもめていると聞いた頃から、彼は少し変わった気がする。
 結局、親とうまくいかなくなって、自活しはじめたツカサと、圭吾は今も二人で暮らしている。
 あの頃から圭吾は、交友関係も変わって、妙に女子との交際に入れこむ様になったように思える。
 それとも、それは単に、女性への興味に目覚めた、男子の普通の成長だろうか?

 どちらにしろ、「西中トリオ」で冗談を言い合いながら出来るんだったら、冬の便所掃除も、それほど悪くないかもしれない。

 あれこれ取り留めのないことを考えながら、ボンヤリと電車の中で視線を彷徨わせていた時、ふと、車内の中吊り広告が、潤也の目に留まった。
「救世主かマッドサイエンティストか? 関係者たちが樋口博士の素顔を語る。」
 週刊誌の広告に、樋口博士の顔が大きく写っていた。
 偉い老博士というよりは、定年間際のサラリーマンのように見える、ごく普通のオジイサンの顔。
 ウイルス騒動以来、この顔写真を見るたびに、いつも潤也はこの顔を、どこかで見たような、不思議なデジャビュに襲われた。今日も思わず、写真に見入ってしまった。

「あっ!」

 ふいに、潤也が大きな声を上げる。
 隣の真弓が驚いて、潤也を見上げる。周りの乗客もいっせいに、振り返って彼を見た。

「ビックリした。どうかしたの?」

 真弓が心配そうに訊く。潤也の目は、中吊り広告に釘付けになっていた。

「あ・・・、いや、ゴメン。あのさ、例の樋口博士って・・・。地下鉄のこの線とか、乗ったこと、あるのかな?」

 潤也が尋ねると、真弓は少し首をかしげて考えた。

「そりゃ・・・、研究室も自宅も、この区内だったって言うから、乗ったことぐらいはあると思うけど・・・。どうして?」

「いや・・・、何でもない。」

 潤也の思いつきは、確信に変わった。
 電車の中で、彼の顔写真を見た時に、ようやく思い出した。
 この顔がもう少し生気を持って、ソフト帽を被っていたら・・・。
 いつだったか・・・、初めて潤也が、真弓の帰宅時の異変に気がついた時に、電車で少しだけ会話をした、同様に彼女のことを心配していた、あの小柄な老紳士そっくりになる。

 あの人が・・・、樋口博士だったんだ。

 潤也は懸命に、真弓を見送った後の、老紳士との会話を思い出す。
 確か、会話の途中で、潤也が恥かしくなって、曖昧な会釈だけして、一方的に話を終わらせてしまったような気がする。
 老紳士も、少し周りを気にするようにしていて、それ以上彼に話しかけてはこなかった。
 それでも、何か、もっと潤也に伝えたいことがあるような顔をしていた。

 たしか最後に、イヤフォンをつけて音楽を聴いている彼に、何か一言告げて、次の駅で降りていったように思う。
 あれは、何と言っていたのだろうか?
 口の動きだけを、かすかに覚えている。

『守ってあげてね。』

 記憶の勝手な思い込みだろうか?
 でも確かにあのオジイサンの口は、確かにそう動いていたように思えた。

 あの時は、曖昧に頷いて、俯くことしか出来なかった。
 もし、今、あのオジイサンにもう一度会って、同じことを言われていたら、なんって答えられただろうか?
 潤也はあれこれ考える。
 多分潤也の性格だと、今でも電車の中で胸を張って格好いい言葉で返すなんてことは、出来ないと思う。

 それでも・・・、今だったら・・・。

 オジイサンの目をしっかり見て、笑顔でハッキリと頷くことぐらいなら、出来たかもしれない。


 それで、いいのかな?

 潤也は真弓の手を握り締めようとした。
 しかし、真弓はすでに、扉に向かって歩き始めていたために、潤也の左手は空振りした。

「ほら、早く降りないと、乗り過ごしちゃうよ。」

 いつの間にか、電車は、塾のある駅に停車していた。
 真弓が二歩先から潤也に手を伸ばす。
 彼女の手を握って、二人で電車をおりた。

「潤也君、ボーっとして、どうしたの?転ばないように、気をつけてね。もぅ、ホントに、私がいないと駄目なんだから。」

 子供に注意する母親のような口ぶりで、真弓が潤也に言う。
 潤也は笑うしかなかった。

 改札を出て、二番出口から地上に上がると、秋の高い空と、少し冷たく、澄んだ空気が、二人を迎えてくれた。
 東京の雑踏の中を、手を繋いだ真弓と潤也が進む。
 駅前の大きなテレビ画面では、女子アナウンサーがニュースを読み上げている。
 今年の冬には、現在ロシアで流行中の鳥インフルエンザが日本に上陸する可能性があります。
 日頃からの健康管理と、帰宅時にうがいをする習慣がとても大切です・・・。
 神妙な顔つきで話したあとで、アナウンサーは一転、笑顔になると、次はスポーツの話題です、と告げた。

 
 
< 完 >


 

 

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