ビールス・パニック


 

 

第7話


<報告書 ヒグチ・ウイルスMC−A群について (その4)>

IX. ヒグチ・ウイルス生成者と目される人物について

 V章で記述した、樋口感染症予防センター所長、樋口耕蔵(医学博士)は、1941年10月21日に福岡県門司市(現在の北九州市門司区)に、航海士、藍原耕作の次男として生を受ける。
 父の影響を受け、幼少より航海士を目指すが、喘息を患っていたために断念。
 以後、医学の道を志すことになる。
 裕福な家ではなかったため、港湾の荷役管理のアルバイト等をしながら、苦学の末、1962年、北九州医科大学医学部に入学。1970年に医師免許を取得。
 1972年には北九州医科大で博士号を取得する。
 この時期、流行していたインフルエンザ・ウイルスに関する研究が、当時学会でウイルス学の権威とされていた順天堂大学名誉教授(当時)、樋口庸司の目にとまり、以降、彼に師事するようになる。

 1974年、庸司の一人娘、樋口真佐子と結婚。養子縁組を行なって、樋口耕蔵となる。
 以降、名実ともに樋口庸司の研究の後継者として、活躍することとなる。
 1984年には、英ネイチャー誌に、論文が掲載される。
 同年、米サイエンス誌で「今年最も注目を集めた研究論文百選」に選ばれる。

 1987年、養父、樋口庸司の死を受け、彼が設立した樋口疫学研究所を発展させ、財団法人、樋口感染症予防センターを設立。ウイルス研究、遺伝子研究の分野で当時国内で最も進んだ研究を行なう。
 1990年には英ケンブリッジ大学のノーマン・ファーロウ教授チームとの、「人工ウイルスによる鬱病治療」の共同研究で成果をあげ、日本ウイルス学会でも高い評価を受ける。

 その他、ウイルス治療、抗ウイルス薬の研究で、日本の製薬会社に多くの特許を売り、それら製薬会社の支援で研究を続けた。
 しかし、2002年に学会で発表した内容が、他の研究者から「盗用」の疑いをかけられると、信用が失墜する。一部で独自の研究として製薬会社と特許使用契約を結ぼうとしていた研究結果が、さらに別の若手研究者と製薬会社から「盗用」として訴えられると、研究者としての社会生命を、ほぼ失ってしまうこととなった。

 2004年以降の博士の言動は、被害妄想や強迫観念に支配されていたと言われ、「監視されている」、「妻が毎晩、口汚く私を責めるので、妻を従順にさせるウイルスを開発したい」等々、狂気じみた発言が多くなったため、数少ない交友関係も、閉ざされていった。
 そして2008年5月、助手も妻も彼のもとを去った後で、半ば錯乱状態で研究途中のウイルスを研究所近隣でばら撒いた。
 そして研究室に戻ると、休憩時間に睡眠薬を大量摂取し、昏睡状態に陥ったとされている。

 医学用の特殊廃棄物を回収しに来た業者が、翌日研究室で倒れている彼を発見する。
 一旦近隣の慈光院総合病院に意識不明のまま送られた彼は、危険なウイルスを生成、散布した疑いで、5月31日、国立市の警察病院に強制送致された。


( 報告その5に続く )



。。。



 捜査3日目となる、6月6日。製薬会社巡りを続けるも、進展が見られないなか、芹沢警部補が面倒くさそうに呟いた。

「ま、初っ端から、いい情報がまんまと転がってるとは思わないけど、しかしこの、大企業の応対ってのはそっけなくて嫌だね。なんっていうか、やる気を根こそぎ、削いでいかれそうだ・・・。」

 灰色の2ドアセダンに乗り込んだ芹沢。
 助手席には、芳野分析官が慌てて、遅れないように乗り込んで、ドアを閉める。
 3日目にして、やっとタイミングが遅れないようになってきた。

 『製薬業界は今、外資が入って競争が激化していたり、製造者責任の問題で色々とリスクを抱えていますから、僕らの捜査案件に対しては何の隠しごともなくても、本能的に全てを隠そうとしてしまいますね。
 こうした中での聞き取り調査っていうのも、限界を感じちゃいますね。』

 芹沢と芳野の右耳のイヤホンに語りかけるのは、中継ブースで情報をつないでいる、北峰巡査長だ。

「明日からは大企業様はみんな、週末でお休みか。こうしてる間にも、色んな場所で、ウイルスの被害が拡大していってるっていうのに、製薬会社の社員さんたちは呑気なもんだな・・・。ま、そんなことはいいとして、俺たちも、週末の間の動き方も含めて、一度集合して、ネジを巻きなおした方がいいんじゃないか?」

 『調査状況の共有と、週末の捜査計画について、集合して話し合えないか、女王様・・・、いえ、重野警部補に相談してみますね。』

「よろしく。」

 『芳野さんは、もう捜査の段取りには慣れましたか?
 隣でボヤかれてばっかりだと、大変でしょ。』

 北峰が芳野渚に話を振る。調査状況をノートに書き込もうとしていた芳野が、とたんに緊張気味に背筋を伸ばす。

「いえ、あの、おかげさまで、ずいぶんと慣れました。お気遣い、ありがとうございますっ。北峰巡査長殿っ。」

 真面目に返答しようとする芳野の耳元から、芹沢が面倒くさそうにイヤホンのコードを引き抜く。
 自分のイヤホンも抜いてしまって、コロナのエンジンをかけた。

「北峰はいつも、中継ブースにこもりっきりだから、暇して無駄話をしたがるんだ。全部付き合う必要はない。一旦、本庁に戻るぜ。」

 灰色のコロナが急発進する。
 千代田区霞ヶ関に向かう途中、コロナは一旦セブンイレブンで停車して、芹沢が野菜ジュースとヨーグルトを買い込んだ。


。。。



 大手化粧品メーカー、「クオリア」の本社受付に立つことは、大変な名誉と緊張を穂花たちに与えていた。
 女性の美に携わる会社の顔として、服装、髪型、メイクにも乱れが許されない。
 清潔感のある美しさを全身から醸し出し、印象的な笑顔でお客様や関連会社、取引先の方々を迎え入れなければならない。
 入社3年目の松園穂花は、やっとその役目を、外に緊張感を見せずにこなせるようになってきた。

 青い作業着姿の男が本社1階の自動ドアを通って受付に向かってきたのは、穂花が先輩の葉室里奈と受付に立っていた時だった。
 従業員の誰かに、連絡を繋げばよいだろうか?

「こんにちは。クオリアへようこそいらっしゃいました。」

 笑顔で同時に深々とお辞儀をした穂花と里奈の、真ん中ぐらいの位置に歩いてきた男は、服装とは印象の異なる白い肌で、細く切れ長の目に、度の強そうな眼鏡をかけていた。

 名刺を取り出そうとする仕草。
 穂花が、すぐ取り次げるように、電話の受話器に手をかける。
 里奈はエレガントな笑顔を崩さずに、自動ドアの脇に立つ警備員に視線を送って頷いた。
 警備員は視線を男から外してドアの外へ向きなおす。
 しかし、青い作業着の男が懐から取り出した名刺は、少し変わった状態にあった。
 妙に湿っていて、かすかにアルコールのような鼻を突く匂いを出している。
 そして手を覆っている軍手の、手首の部分からは、薄手のビニール手袋が少しだけ覗いていた。
 普通の受付嬢であれば見過ごすような点だが、日常的に化粧品や美容医薬品に触れている穂花は、それに気がついた。
 もっとも、人様の名刺を不審げに扱うような態度は、1ミリも見せなかったが。

「こちらの方に取り次いでもらいたいのですが。」

「かしこまりました。・・・えぇっと・・、当社の従業員で・・しょうか?」

 名刺を両手で受け取って、確認しようとした穂花は、その流暢な応対が一瞬、滞ってしまった。
 名刺のデザイン、社章は明らかに「クオリア」のものとは違っている。
 研究開発のために出入りしているメーカーの名前は全て暗記しているのだが、今、手にしている名刺の会社名や人の名前はどれとも結びつかなかった。
 よく見ようと顔を近づけた時に、急に名刺の文字が二重、三重に滲んで見える。
 めまいを感じた穂花は、眉をひそめながら、人差し指と中指をこめかみに当てた。

「どうしたの?松園さん。私に見せてみて。・・・失礼致します。」

 丁寧に男に断って、松園穂花の手から名刺を受け取った里奈は、わずか数秒後には穂花と同じように、虚ろな目で遠くを見つめて立ち尽くしていた。

「普通に、来客に応対しているような素振りをしながら聞きなさい。あなたたちに、指示を与える。私、諏訪の指示は絶対だ。いいね・・・。」


。。。



「ほ・・・、本当にいいの?松園さん。」

 向井良孝は、目の前で起きていることが信じられずに、情けなくも何回も確認してしまった。
 彼の所属する化粧品メーカーの広報部は、会社員としては、比較的華やかな世界だと思う。
 モデル、タレント、美人販売員等、綺麗な女性は山ほど見てきた。
 そんな中でも、自分の会社の受付嬢がトップクラスであるということは、向井にとってはとても誇らしいことだった。
 もちろん、顔が綺麗なだけなら松園や葉室を凌ぐ女性たちもいる。
 しかし彼女たちほど、優しい応対で、性格も良さそうな受け答えで、日々、向井たち男性社員を癒してくれる存在は、他にはいなかった。
 その「受付に立つ天使」、松園穂花が今、内側から鍵をかった会議室で、向井を誘っていた。

「向井君・・・。私ね、とっても寂しいの。」

 長い睫毛、黒目の大きい魅力的な眼で向井を見つめながら、西洋人形のように可憐な顔立ちの松園が、甘えた声を出しながら、鮮やかなパールホワイトのジャケットを脱いでいく。
 白地にカラーとカフスだけがターコイズブルーになっている、受付嬢のシャツ。
 胸もとの厚みに、思わず向井の目が行ってしまった。

「私・・・。よく考えたら、セックスフレンドが一人もいないの。この歳になって、誰もいないなんて、暗い子って思われちゃう。向井君、私のセックスフレンドになってもらえないかしら?」

 松園穂花は必死だった。
 ついさっき、ふと重大なことに気がついた。
 自分には安心して体を許せる友人が、一人もいない。
 社会人として、非常にまずいのではないだろうか?
 人生の価値は、何人のセックスフレンドと厚い友情を交わすことが出来るかにかかっているのではないだろうか?

 ごく少数の性友と深い関係を持ち、互いを体の隅々まで理解しあうのを求める人。
 数多くの人たちと、気軽に社交的に、毎日の性行為を楽しむ人。
 どういう関係を求めるかは人それぞれだろうが、「セックスフレンド・ゼロ」というのは、恥かしくて誰にも言えない。

 穂花もいち早く、セックスフレンドに囲まれた、明るい性生活を送れるようにならなければ、彼女の両親だって悲しむはず。
 色んなタイプの人間と、わけ隔てなく体で交わって、早く自分なりの、明るい性生活を確立したい。
 そう思うと、恥かしがってはいられない。
 彼女は懸命に、精一杯セクシーな仕草で向井を誘惑した。

 藍色のスカーフを解くと、小さめのネックレスが首もとで光る。
 シャツのボタンを一つずつ外しながら、ゆっくりと向井良孝に近づいていく。

 向井は、少しずつあらわになっていく、レーシーなブラジャーを凝視しながら、生唾を飲み込んでいた。
「セックス」なんていう言葉が、松園の口から出てくるだけで、自分の耳を疑ってしまう。これは本当に、夢ではないのだろうか?

「セッ・・・、セックスフレンド・・ねぇ・・・。別に、僕、そんなに強いわけじゃないけど、本当に僕でいいのかな?だって、松園さんに憧れてる男なんて、この会社の内外に何百人もいるよ。」

「嬉しいっ。じゃぁ、私、何百人ともセックス出来るのかしら?」

 穂花が両手を胸の前で合わせて跳び上がると、ボタンが外されきって肩にかかっていたシャツが、ハラリと両肘にぶら下がった。
 ブラジャーに覆われた張りのある胸も、同時に跳ねる。
 向井が思わず目を逸らした。
 実は松園の先ほどからの発言にも、地味にショックを受けている。

 松園穂花は、向井の表情を読み取って、元気づけようとさらに近づく。
 シャツは脱ぎ去って、スカートのチャックに手を当てていた。

「そんな寂しそうな目をしないで、向井君。友達は何人いても、私はちゃんとその一人一人を大切にするから、大丈夫よ。セックスフレンドの頼みだったら、何でも聞いちゃう。どんなことでもしちゃう。ほら、こんなことだって。」

 タイトスカートを足もとに落とした穂花が、向井良孝の右手を両手で持って、自分の股間に押しつける。
 太腿の付け根の熱い部分が、薄い布地を通して向井の手に押された。
 思わず指を動かすと、割れ目の谷間らしき部分を感じ取れる。

「あんっ・・・。向井君のエッチ・・・。もう、こうなったら、私のエッチな姿も全部見てもらうんだから・・・。」

 穂花がブラジャーを外すと、丸い、おわん型のオッパイがプルンと震えた。
 ミルクのように白い穂花の体が、パステルピンクに色づく。
 向井のもう片方の手を自分の胸に誘導すると、穂花は、オッパイを揉ませながら良孝の唇に、すぼめた自分の唇を密着させた。
 チュパッと音を立てて唇を離すと彼女は、乳首を指で弄ばれるままに、首を振って気持ちよさに浸った。

 ショーツをゆっくりと下ろしていくと、栗色のアンダーヘアーが顔を出す。
 向井が遠慮がちに指を沿わせると、穂花は積極的に腰を突き出して、さらに激しい愛撫を誘った。
 もう少しで、待望の友達が出来る。
 上辺だけではない、正直に互いの欲望を曝け出して、性器をまさぐりあえる、本当の友達。
 穂花の胸は希望に弾んだ。

 向井良孝が、穂花に誘われるように、彼女を抱き上げて会議室の机の上に座らせる。
 恥かしげもなく両足を開いて股間を見せつける穂花。
 向井は松園穂花の秘密の場所に、顔を埋めていった。
 赤く捲れている小陰唇に、舌を伸ばす。割れ目に沿って舌を入れて上へ舐め上げる。
 塩っぽい、彼女の体液の味がした。
 クリトリスまで向井の舌が届くと、穂花が快感に震える。
 桜色に火照っていく彼女の裸は、力いっぱい抱きしめたくなるような、清廉としたエロティシズムを感じさせた。

 指を二本、緩んできた穂花のヴァギナに挿れる。
 はぁっ、と彼女が息を飲むと、内股に一瞬、緊張の腱が走った。
 しかしすぐに、彼女の下半身の動きは、さらに入れてもらおうとするように、卑猥にくねり始めた。指をグッと締めつけて、腰を動かしながら内部の襞で、少しでも多くの摩擦の感触を貪ろうとする、淫らな動き。

 今の彼女にとっては、下の口を使ったコミュニケーションこそが全てだった。
 手当たり次第、男たちと、セックスフレンドになりたい。
 そのための挑発だったら、どんなに恥かしいことでも出来るという気がした。

 我慢が出来なくなった向井が、机に全裸で腰掛けている穂花に、慌ててズボンから出したペニスを押しつける。
 穂花は悪戯っぽく笑うと、焦る彼のモノを、白くて華奢な手にとって、自分の膣へと誘導する。
 同僚たちが働いている職場の一角で、これまでほとんど親しい会話もしてこなかった二人が、幸せそうに結合していた。

 背中に汗をびっしょりとかきながら、向井がやっきになって腰を振る。
 穂花も、声を出さないように堪えながら、向井の腕の中で荒れ狂った。
 神聖な職場で昼間から、こともあろうか、「あの」松園穂花とセックスをしている。
 向井はこれが現実のことだと確かめるように、力の限り激しいピストン運動をおこなった。

 友情を確かめ合って、感じ入っている穂花は、声を出さないように向井のシャツの肩部分に噛みついて、快感に耐える。
 ギシギシと会議室の机がズレる中、二人のオルガズムが近づいてきた。


。。。



「なぜ足が掴めない?この3日間の間に、都内で4か所も、新たな感染拡大が発見されてる。もちろん感染者が知らずに移動して、他の人に伝染してる可能性は否定できない。しかし今日発見された、杉並区役所での感染は解せない。統合対策本部からの要請を受けて、出入り口には赤外線体温検査とそこで引っかかった市民への簡易血液検査が行なわれていた。それだけやっても、午後に受付の職員と住民票手続きを待っていた女性が、判子と女性器の呼称とを聞き間違えて公然猥褻で通報を受けるまでに、この区役所に出入りした市民のうち40名も感染させてしまった。明らかにこれは、恣意的な撒布があったとしか考えられない。何者かが、チェックをすり抜けて人の集まる場所でばら撒いているんだ。」

 緊急対策分室の野田警部が、苛立ちを抑えきれないように、拳を握り締めながら声を絞った。
 重野千春警部補は眉間に皺を寄せたまま、何も話さずに考え込んでいる。
 都筑巡査長も、パイプ椅子に深く座り込んで、腕組みをしたまま遠くを見つめている。
 分室メンバーの重苦しい雰囲気に耐えかねるように、芹沢警部補が後頭部をポリポリと掻いた。

「あの・・、梅園製薬は、広報部、渉外部が顧問弁護士の同席するなかでしか事情聴取には応じられないと言っています。担当者が全員揃う、来週火曜まで待ってもらえないかとのことです。現在、一日でも早い聴取に向けて調整を・・・。」

「無駄だ。梅園は例の薬害事件以来、貝みたいに防御を固めてる。正攻法で攻めたところで、公式には何にも出てこないだろうな。」

 芳野分析官の発言を、芹沢が遮る。
 芳野渚は、シュンと俯いて、ノートに書き込んだ。

「梅園製薬は1998年にアメリカのマッカーシー&マンセル社に買収されて以来、外資系の製薬メーカーとして90年代の薬害問題を乗り切った。以降、スキャンダルへの対応とコンプライアンスへの取り組みは、普通の会社とは覚悟が違う。与党の新厚生族との繋がりも強い。こっちの線は確かに、正攻法では時間がかかりそうね。それこそマッカーシー&マンセルの本拠地があるデンバー市にでも行って、役員と直談判でもしないと、情報開示は進まないかもしれないわね。」

 重野千春が、芹沢に視線を向けずに話す。
 熟考している時でも、回転早く周囲の会話に返答出来るのが、彼女の特長。
 行動と思考が高いレベルでバランスされている、敏腕捜査官だ。

「おう、女王様、それでこないだの、諏訪岳人の件はどうだった?何か、いいネタでも出てきたか?」

「諏訪は・・・、これまで通り、カナダで休暇中という回答があったのみ。本人の確認は一切取れていません。客員研究員としての勤務中の写真等も残っていない。今、得られている情報だけから言うと・・・、怪しいですね。」

 重野が、芹沢の呼び方に不快感を見せながら、樋口博士のかつての助手について言及した。

「諏訪か・・・。日本にいるとしよう。樋口の協力者か何か・・・。今もウイルスの散布をしているとする。・・・なぜ統合対策本部の網に引っかからんのだろうな?」

 険悪なムードになりそうな、重野と芹沢の間に割って入るように、腕組みをしたままの、都筑巡査長が口を出した。
 その場にいる分室メンバー全員が、都筑の次の言葉を待つ。

 しばらく間をおいて、腕組みをしていた都筑が、ピシャリと自分の額を叩いた。

「わからん。千春ちゃん、ちょっと休憩しようか?」

 都筑が言うと、みんなが一息ついて、席を立った。
 大学ノートにまだ書き込んでいる芳野渚の肩を、芹沢が去り際にポンと叩いた。


。。。



 榊広志がカジュアルウェアのアウトレットに入ろうとした時、一人の作業員とすれ違った。
 青い作業服の男は、服とは印象の異なる、青白い顔をしていた。
 榊は気にせず店内に入り、自分のサイズに合うジーンズを探し始めた。
 いつもよりも店内が閑散としていたので、ノンビリと気に入ったパンツを探す。
 ジーンズの他にも、動きやすそうなチノパンを一つ。
 二本のパンツを持って、広志は試着室に入ろうと、店の一角にある、試着コーナーに行く。

「いらっしゃいませ。裾直しがご必要でしたら、お申しつけ下さーい。」

 茶色の髪を後ろで束ねた、可愛らしいショップ店員が少しハスキーな声を出す。
 ジーンズ地のエプロンの下には、グレーとエンジ色のストライプ柄になっている服を、お洒落に着こなしていた。

 カーテンを閉めて、広志は一本ずつ、試着を始めた。


「あのー、よろしければ、サイズを確認致しますが。いかがでしょーか?」

 ハスキーな声が、カーテンの向こう側から聞こえる。

「あ・・・、お願いします。」

 榊が声を出すと、さきほどの店員が、待ち針とメジャーを持って、ゆっくりとカーテンを開ける。
 どこの高校にもいるような、少しワルいグループと付き合っている美人の女子・・・。
 そんなイメージがする、茶髪のキレイなお姉さん。
 茶色の髪と眉とは対照的に、パッチリと長い、黒々とした眉毛が印象的な女性だった。

「裾の位置は、踵が隠れるぐらいでいいですか?もっと短い方がいいですか?」

「あ・・・、普通でお願いします。」

 理容室に行っても、裾直しをする時でも、広志はいつもそう答えてしまう。
 では普通とはどれぐらいかと店員に聞かれたらおそらく困ってしまうが、ようするに「おまかせ」でいいと思っているということだ。

 チャコールブラウンのチノパンの裾を、折り曲げて、待ち針を左右二箇所に入れてくれる。
 作業しやすいように、短めになっている爪は、根元のところにうっすらと、キラキラする素材のマニキュアが塗ってあった。
 狭い試着室の中で、跪いている店員さんと視線が交わらないのをいいことに、彼女の指先やつむじをジロジロと見る広志。少しだけ、変な気持ちになる。
 店員さんがもう一歩体を乗り出して試着室に入りきり、中からカーテンを閉めた時には、広志は、一瞬これが現実なのか、自分の妄想なのか、わからなくなってしまった。

「えっ・・・?」

 狭い試着室の中は、二人が入ると、ほとんどスペースがない。
 店員さんが裾の調整を終えて、立ち上がると、二人の顔が至近距離で向き合う体勢になってしまう。
 広志は急に自分の鼓動が早くなったと感じた。
 店員さんのミント系の香水が、広志の鼻腔をくすぐる。

「あの・・・、どうしたんですか?」

「あれっ?ご存じないですか?男性のお客様の場合は、パンツのサイズを確認する時にも、このあたりのサイズはTPOで変わるから。色々な状態を試して、どんな時も動きやすいか、キツクないか、見てもらわないといけないんですよ。」

 ハスキーな声の店員さんは、諭すように広志に言って、開いた両手で彼の股間を示した。
 店員さんの丁寧な説明にもかかわらず、広志はまだよく事態が飲み込めないでいる。

「色んな状態って・・・。」

「あはっ、私じゃ、状態変わらないかもしれないけど・・・、ちょっと裸になるんで、見ててもらえます?」

 店員さんは少し恥かしそうに笑うと、手を後ろに回して、エプロンの紐を解き始めた。
 狭い試着室内なので、店員さんが動くたびに、広志の鼻先を、茶髪の髪が触れる。
 シャンプーの匂いがした。
 ゆったりとしたストライプ柄の上着を脱ぐと、紺色の下着があらわれる。シンプルな柄のハーフカップブラは、小ぶりだが形のいい、リンゴのような乳房を包んでいた。

「どうかな?ちょっと様子変わってきてます?失礼しますね。」

 チノパンの上からとは言え、突然、店員さんに股間をギュッと手で押されて、広志は驚いて腰を引く。

 店員さんは笑い上戸らしく、手を叩いて笑った。

「こういうサービスって珍しいのかな?別に普通のことだと思うんですけど・・・。半立ちってところかな・・。もうちょっと攻めてみます?」

 店員さんが、かすれがちのセクシーな声で囁く。
 ベルトやジッパーをチャカチャカ鳴らして、ジーンズを下ろすと、スラリとした美脚と、ハイレッグな下着が榊広志の目に飛び込んできた。

「脱がしてもらえます?」

 ニッコリと笑った店員さんが、悪戯っぽく広志におねだりをする。
 生唾を飲み込みながら、広志が彼女のショーツに手をかけて、ゆっくりと下ろしていく。
 骨盤の形がはっきりわかるような華奢な腰つきだが、股間と陰毛から少し覗く割れ目の部分は、意外と肉厚のようだった。
 クルクルとカールしているアンダーヘアー。
 働いている女性の、少し汗の混じった女の匂いを発散させていた。

「お客様の腰まわり、まだキツくないですか?」

 すこし指先をそらした、フィギュアのような「気をつけ」のポーズをとりながら、脱がされるままにしている店員さんが、広志に尋ねる。

「あ、大丈夫です。・・・あの、上も、脱がせた方がいいんですか?」

「ふふっ。そうですねっ。お願いします。」

 震える指先で、広志がもどかしそうに店員さんのブラジャーを外すと、同時に店員さんがふざけて抱きついてきた。
 むなもとに、形のいいオッパイが押しつけられるのを感じて、広志の股間はパンパンに膨れ上がった。

「サイズは・・・これで良さそうですね。はい。OKです。でも、ここまでで終わりにしちゃったら、可哀想だから、お買い上げ頂けたら、もっとサービスしちゃいますよっ。どうしますか?」

 かすれがちの声が鼓膜をくすぐるように、広志の耳もとで響く。

「あの、このチノパンと、ジーンズ、両方頂きます。」

「ありがとうございましたーっ。じゃー、二回ヤッちゃいましょっか。」

 抱きついたまま言うと、店員さんが目を閉じながら口をすぼめて、背伸びをする。
 チュッと唇が触れ合った後、二人は体勢を変えながら絡み合い始めた。
 服を脱がされながら、広志がカーテンの方に背を向けると、店員さんの無防備な後姿が、鏡に大映しになっていることに気がつく。
 お尻を撫でる振りをして、尻の肉をグッと掴み、開いてみる。
 鏡に、店員さんのアナルまで映った。
 しばらく気がつかずに、広志の服を脱がせていた店員さんは、彼に鏡越しに肛門を凝視されていることがわかって、頬を赤らめながら広志の手を払った。

「ちょっともうっ! サービス取り消しにしちゃいますよっ。」

 強い口調を作りながら、笑い上戸の店員さんは、広志にしなだれかかって笑った。
 喉をコロコロと転がすように笑う店員さんにつられて、広志も笑いだした。
 二人は笑いあいながら、昔からの恋人同士のようにリラックスした雰囲気で、狭い試着室で性行為を始めた。



「ありがとうございましたー。」

 途中で裏返る、かすれがちな店員さんの声。
 最後に広志に耳もとで何か囁いた、店員さんの声だ。
 その、情事の余韻に浸るような艶っぽい声を背中に、広志はズボンを二つ持って試着室を出た。
 そこで初めて広志は、自分の使った試着室だけではなく、ほかの試着室もカーテンがモコモコと揺れていたり、色っぽい吐息や、肉が打ち合うような音を漏れてきていることに気がつく。

 どうりで、店内がいつもよりもガランとしている訳だ。
 きっとほとんどの客が、店員さんと試着室に入ったきり、なかなか出てこないのだろう。
 数日のうちに、一気に彼の洋服ダンスがズボンだらけになってしまうかもしれない。
 そんなことを考えながら、榊広志はアウトレットを後にした。


。。。



 これが今日の会議で3度目の休憩になる。
 喫煙ブースにいそいそと入っていった都筑は、ガスがなくなりかけている百円ライターをポケットから取り出して、煙草に火をつけた。
 お気に入りのハイライトを、肺一杯に満たす。

 会議室が不夜城になるような時は、禁煙のルールも往々にして無視される。
 しかし緊急対策分室では、強硬な嫌煙派の重野がチーフをしている間は、分煙ルールを極力尊重するという不文律が出来つつあった。

 透明のガラス越しに、芹沢と芳野がブース隣の自動販売機にドリンクを買いに来たのが見える。
 芳野がペコりと会釈をすると、都筑は微笑んで、挨拶代わりに煙草を持つ手を少し上げた。

 ゴトリと音がして、芹沢が取り出し口から「飲むヨーグルト」の紙パックを拾い上げた。

「都筑さん、『ダラダラ会議やってないで、足で稼げ』って思ってるでしょ?」

 ストローの入ったビニールを破りながら、芹沢がガラス越しに都筑に話しかける。

「フー。」

 都筑が長く息を吐いて、ハイライトの煙をくゆらせる。

「いやー、今回のヤマは、歩き回ってりゃ棒に当たるってなもんでも、ないかもしれないなぁ。本部は、所轄の皆さん動員して、ローラー作戦かけてる。しかし、なかなか尻尾が掴めん。諏訪が動いているとして、どんなかたちで動き回っているのか。何の検討もない中で、少人数のワシらが一緒になって走り回っても、無駄が多いだろうよ。」

 喫煙ブースの仕切りになっている透明ガラスに、芹沢はもたれかかって頭を掻いた。

「そろそろ・・・何か・・・、専門家のアドバイスでも頂きたいところ・・・ですかね?」

「ま、急かす必要はないがね。」

 眠たそうな重い瞼を片側だけ上げて、都筑が自動販売機の方を見る。
 芹沢もヨーグルトを飲みながら、同じ方向を見ていた。

 視線を感じて、アイスコーヒーを取り出した芳野渚が、振り返る。

「わ・・・、私・・・ですか?」

 二人の捜査官に見つめられて、コーヒーの紙パックを両手で抱えている芳野は、緊張したように背筋を伸ばした。

「確かに・・・、私も、諏訪も、ウイルス研究に携わっている人間のようですが、でも、同じ種類の人間だとは、思っていません。それに、あの、まだ、今のウイルス感染の多発が諏訪の仕業だとは・・・。」

「決まっていない。しかし、有力な可能性の一つとして、今、俺の中で想定分析を始めているんだ。いくつかの場所で、ウイルスが発生しているが、不審者やトラブルの報告はない。ウイルスの特性や扱い方を熟知した人間が、時に巧妙に、時に大胆に感染を拡大させている。多発している感染の軌跡を見ると、そう考えるのが自然だ。もちろん、犯人はそのウイルス専門家一人とは限らない。しかし、なかにそういう奴が混じっているっていうのは、十分考えられる。そう思わないか?」

「わかりませんっ。不特定多数の市民に、危険なウイルスをばら撒こうとするなんて、狂ってる。そんな、悪魔のような考えの持ち主が、何を企んでいるかなんて、考えたくもないし、私には全く思いつきませんっ!」

 潔癖症のような口ぶりで、芳野が断言した。
 興奮気味の彼女の様子を見て、灰皿にハイライトをねじり潰した都筑が、ブースから出てきた。
 芹沢は手を肩の高さに上げて、都筑に対して、大丈夫だというサインを送る。

「先生。人間だ。俺の捜査のパートナーなんだから、心に刻んでおいてくれ。犯人は人間だ。俺やアンタと同じように飯を食って、同じように睡眠をとる。人間なんだ。そう考えないと、相手には辿り着けない。」

 都筑を止めた芹沢は、もたれかかっていたガラスから体を起こして、芳野渚のもとへ歩み寄った。

「みんなそうだ。凶悪な犯罪を見ると、狂ってるとか、鬼だとか、悪魔の仕業だとか、思いたくなる。自分と同じ存在が、こんな酷いことを出来るなんて思いたくない。自分とは違う。そう考えないと安心できないんだろうな。だが、そんな見方は、メディアにまかせておけばいい。捜査に携わる人間は、それでは駄目だ。相手は自分と同じ人間だ。自分が相手の立場にもなりうる。その時、自分だったらどう動く?自分だったら何がしたくてこんなことをした?そういう視点で考えることに耐えられなければ、相手には絶対に辿り着けないんだ。」

 自動販売機の前まで、芹沢が近づいた。

「俺はアンタを侮辱したくて、アンタと犯人が同類だとか言ってるんじゃない。アンタに、俺たちには持てない視点から、一緒になって考えて欲しいんだ。」

 夕日に赤く照らされた警視庁公安部の廊下で、芹沢が芳野に懸命に語りかける。
 俯いてふさぎこむようだった芳野も、気丈に顔を上げて、芹沢の顔を見据えた。

 都筑は喫煙ブースに残って、胸ポケットからもう一本煙草を取り出す。
 芹沢も、かつての手のかかる若造ではない・・・。そう思いながら、新しい煙草に火をつけた。

 一方で芳野は、熟考のあげくに、やはり自信のない表情に戻ってしまった。

「やっぱり・・・、考えられないです。努力はしました。でも研究者として、自分なりにどれだけ考えても、街を出歩いてウイルスをばら撒くことなんて、考えられないんです。」

 芹沢は芳野を落ち着かせるように語りかける。

「そりゃわかる。急にそんな自分を思い浮かべられる奴なんていない。だけど先生。先生のモラルをちょっと脇に置いてだな。」

「違うんですっ!」

 芳野が両手でコブシを握り締めた。コーヒーの紙パックが床に転がる。

「自分の道徳観で考えていては、いけないなんてことはわかっています。でも、研究者としての職業倫理、興味、関心、心配から照らし合わせても、この時期にそんな革新的なウイルスを手にしながら、研究室にその研究対象の多くを置いて、サンプルをばら撒きに街に出るなんて、考えられないんですっ。私には無理ですっ。研究室から出られませんっ。」

 芹沢の目つきが変わる。何かが引っかかってきそうな手応えを感じている。

「続けて・・・。先生、なぜ無理なのか、続けて教えてください。」

「だって・・・、当たり前じゃないですか・・・。そんなの・・・、だって、ウイルスは湿度や温度に影響を受けやすいし、活動速度を管理可能な範囲に落として保管するには、冷蔵・冷凍装置だって必要です。もうすぐ梅雨になるっていうこの時期に、たくさんのサンプルを持ち歩く訳にもいかないし。・・・それに、そんな専門家が誰も見たことのないような観察対象を持っていたら、その増殖プロセスを一分でも長く観察していたいと思うのが普通じゃないですか?それらを置いて、研究室から離れて、逮捕されるのを覚悟で外を歩くなんて、出来たらそんなの、研究者じゃないですっ。」

 芹沢の目が光っている。後頭部の髪を、ゆっくりと掻いていた。

「研究室から・・・、離れていないとしたら?」

「はい?」

「研究室ごと移動出来て、湿度も・・・、とかく温度を管理出来て、おまけに小型のコンピュータか制御装置みたいなものまで積み込んで、なおかつ街を自由に動けたら、どうする?観察っていう意味では、ヒトウイルスは人の細胞を使ってしか増殖出来ないんだろ?移動研究設備があって、街中に観察用のモルモットがあれば、・・・そこは理想的な研究室なんじゃないのか?」

 芳野の唇が震えている。この質問に答えていいものかどうか、それすら今は考えられない。

「教えてくれ、先生。十分に冷やして置ける部屋があるとして、そこに最低限の小型研究設備を載せたら、大き目の車一台分のスペースには納まるのかい?」

「クール宅配便・・・か。」

 芹沢の意図を察知した都筑が呟くと、吸いかけのハイライトを灰皿に捻り潰す。

「休憩はオシマイ。保冷車、冷凍車。全部集中的に網にかけよう。芹沢、芳野先生。いい分析だと思いますよ。動きはじめましょう。」


。。。



「うーん、・・・やっぱりこれは、営業妨害・・かな?」

 林通夫が首を捻る。
 彼の営業しているアダルトショップ、「満陳堂書店」にびっくりするほどの美女が乱入してから30分。
 林はいま一つ、判断出来かねていた。

 駅裏の、予備校や専門学校が立ち並ぶ一角に、ひっそりと店を構えている満陳堂書店では、夕方から若い男性諸氏が、セルDVDや中古ビデオ、ビニールに包装されたアダルト雑誌などを物色している。
 そこにOL風のお洒落な美女が現れたのだから、5、6人いた客も、店長の林も驚いた。
 しかも、その美女の出で立ちは、物騒なことになりそうだという予感を林たちに持たせた。

 頭には「ポルノ撲滅」と書かれたハチマキを巻いている葉室里奈は、「エロス反対」と書かれた、手作りのノボリを片手に、彼女が唾棄する破廉恥な店に乗り込んできたのだ。

 店に入るや否や、あっけにとられる客や林を尻目に、次々と身につけていたものを脱ぎ捨てた里奈は、ハチマキとノボリ以外は全裸になってしまって、近くにいた客に襲いかかった。

 呆然としている男性客の手から、いやらしいビデオを奪い取って投げ捨てると、里奈は突然その男性に、濃厚なディープキスをした。
 もどかしそうに、もう片方の手で、男のジーンズのチャックを下ろす。
 これが里奈が、日中、受付に立っていてふと思いついた、「ポルノ撲滅のための実力行使」だった。

 女性を、性の対象としてしか扱わないような、下劣な本やビデオ類。
 それらをこの世から一掃するために、彼女は立ち上がったのだ。
 世の中にポルノを氾濫させている根源となっている、「一部の破廉恥な男性たち」の劣情。
 それを全て抜き出してしまえば、世の中はもっと平和で道徳的になる。
 アダルトショップに訪れる客のザーメンを、片っ端から完全に抜き取ってしまえばよいのだ。
 勤務中、受付で思いついたにしては、やけに壮大な計画と使命を帯びて、里奈はこの店に乱入した。

 倒された男の上に強引に跨ると、チャックからイチモツを取り出して、あまり使い込まれていない、綺麗なアソコで咥え込んだ。
 腰を上下させ始めた彼女は、大真面目な表情で、ノボリを両手で持って振り始めた。
 応援団の旗のように、「エロス反対」と書かれたノボリがバタバタとたなびく。
 勇ましく旗を振りながら、卑猥な腰つきでペニスを締め上げる葉室里奈の表情は、真剣そのものだった。
 熱い使命感に突き動かされて猥褻メディア根絶のために行動している彼女は、今の自分が周りからどう見えているのか、まったく気にならない。
 一人でも多くの、溜まった精液を出し尽くしてやろうと、息巻いている。

 彼女の周りには、店内の男性客が、円を作り始めていた。
 最初は恐る恐る遠巻きに、やがて彼女の美貌と完成された肉体美に見とれて、我を忘れて近づいていく。

「店長、これ、なんかの企画?ここの店も自社ブランドみたいなの出すの?カメラが見当たらないんだけど・・・、防犯カメラで撮ってるのかな。」

 常連の客の一人が、林に声をかけるが、林もなんとも答えようがない。

 ノボリを左手で持って、空いた右手で他の客の股間もまさぐりはじめた里奈を、店内の男性たちが、口を開けて見守っていた。

 お客たちは・・・、驚いてはいるが、嬉しいハプニングを見ているように思える。
 それにしても、このお嬢さんの、ハチマキやノボリに書いてあることと、今やっていることのギャップが、林を混乱させている。
 これが何かの抗議行動だったとしたら、謝ってでもお引取り願わなければいけないが、このまま店の一角で、こうしていてもらっても・・・、よい客寄せにはなるかもしれない。

「ほら、出たっ。スッキリしたでしょ?もうエロビデオなんて漁ってないで、勉強しなさいっ。はいっ、次っ!」

 葉室里奈の下で、あっけなく果てた若い男が、起き上がったところで尻をパシッと叩かれて、スゴスゴと離れる。
 なんとなく「システム」を理解した男たちが、彼女の前に列を作る。
 里奈が三人目の男に精液を出しつくさせたところで周りを見回すと、いつの間にか店内には、若い男たちの長い列が、店内を一周していた。
 予備校か専門学校の授業が終わって、店が混雑する時間帯に入ったようだった。

 長い戦いになるわね・・・。
 手の甲についたザーメンをペロッと舌で舐め取りながら、彼女はいっそう決意を強めた。

 一人の男に跨って、騎乗位で揺すぶられながら、右手と左手はそれぞれ別のペニスを握り締める。
 口は喉の奥まで届きそうなぐらいに、深くペニスを受け入れている。
 両胸を誰かが握り締め、揉んだり、乳首をこねくり回す。
 ポルノ撲滅に向けて、孤軍奮闘。壮絶な戦いを続ける彼女の姿を、何人もの行列客が、携帯の動画におさめている。

 30分もこんな状態が続いていると、林もさすがに不安になってくる。
 店は、開店以来の混雑振りだ。それは間違いない。
 しかし、並んでいるうちに、こんな美女の奉仕が受けられるという状態で、中古のエロビデオやビニ本を買おうという客は一人もいない。

 これは本当に・・・、今日の売り上げにはマイナスかもしれない。
 お客様サービスデーと割り切ればそれも良いが、騒ぎがこれ以上大きくなって、誰かに通報でもされたら・・・。
 それこそ、このお嬢さんの「ポルノ撲滅活動」は効果を発揮するかもしれない。

 林は薄くなった天然パーマの頭を撫で上げながら困っていた。

「お姉さん。ファンになりましたっ!写真一緒に撮って下さいっ!」

 大人の女性の魅力に溢れた里奈に、童貞を奪ってもらった浪人生が、感激しながら里奈にお願いする。
 里奈は頷いて、戦果を誇るようにカメラに微笑む。
 Vサインをしながらベロを出すと、そこには、隣で直立して写真に写っている、浪人生の精液がしっかり残っていた。

「おーっ。」

 男たちの低いうなり声が上がる。拍手をする行列客もいる。

「これって、・・・何なんだ、一体。」

 林はまた、首を捻った。

 雨上がりの竹薮のような、青臭い匂いが、店内にこもっていく。
 林も、営業妨害として通報すべきか、それともポルノ反対運動自体に対し毅然と反論すべきか、色々迷った挙句、自棄になったようにフラフラと歩いていって、行列の最後尾に並んだ。


。。。



 多少時代遅れのフォルムをしたグレーの2ドアセダンが、激しく車線変更を繰り返しながら、混雑気味の道路を走り抜ける。
 助手席では芳野渚分析官が身を縮めて、左右に激しくかかるGに耐えていた。

 『所轄の捜査員、警らには統合対策本部を通して、保冷車、冷凍保存車、そして改造可能なトラック、バンの検問、聴取を依頼しました。都内は網かけが進みつつあります。
 今日の夜までには、首都圏全域のローラー作戦に組み込むことが出来そうです。』

 北峰巡査長の連絡が、芹沢と芳野のイヤホンに入る。

「おし。本部もイヤイヤだろうが、よく動いてくれたな。これで一応現場の捜査員にとっては、指揮系統の乱れはなくなったわけだ。じゃ、北峰はここ数日で感染が確認された近隣の会社、機関の防犯カメラ、それから幹線道路のカメラが残しているテープを片っ端から集めてくれ。宅配便の車が一時停車していても、普通通行人は不審にも思わないし、記憶にも残らない。運送業者は一般客とは違う出入り口からすんなり入ってるケースもあるだろう。だが、そんな場合でも、防犯カメラには写って残ってるはずだ。全部集めて洗い出してほしい。」

 『防犯カメラのテープ・・・、と。了解。
 あと、女王様から言われてた、大手ダイワ運輸をはじめとした運送・宅配業者の従業員リストと車のナンバー全件照会なんですが、当初の見通しよりも時間がかかりそうです。
 この業界は人の出入りが激しくて、大勢の運転手、派遣職員、バイトが短期間で入れ替わっています。
 おまけに昨今の規制緩和で、消費者組合や中小の配達業者もダイワの「クール宅配便」みたいなことを始めている。絞込みにはかなりかかると思いますね。』

「ウイルス散布には、まさに理想的な化け方だな。芳野先生の指摘がなかったら、もう少し特定に時間がかかっていたかもしれん。その調子で助言をしていってくれ。」

 激しいハンドル操作の合間に芹沢が、助手席の芳野に声をかける。
 芳野は座席にしがみつきながら、いっそう縮こまった。
 芹沢に珍しく誉められて、すこし顔が紅潮している。

 状況の詳しい説明と本旨を、現場の各拠点に行き渡らせたい。
 現場主義の都筑、芹沢の提案で、今、分室メンバーは手分けして所轄を回ろうとしていた。


 しかし、芹沢と芳野は、その計画を全うすることは出来なかった。
 中野区から西へと向かっている時、中継ブースの北峰巡査長から、緊急連絡が入ったからだ。

 『皆さん、中継ブースより緊急連絡。
 警察病院で収監・治療を受けていた、樋口耕蔵博士が、意識を回復したとのことです。
 本部では博士の容態安定を見てから、事情聴取に入ります。』

 片耳から北峰の言葉を聞いて、芳野の顔色が変わった。
 芹沢も耳を疑う。

「なんですぐに事情聴取に入らない?進行中の事件の重要容疑者だろうがっ!」

 『詳しい中身はわかりませんが、どうも現在、この報を受けた、合衆国の中央情報局が、外務省を通じて、尋問の協力を打診してきたようです。
 被害が各国にも一層伝播しそうな状況ですから、政府も立場上、回答を決めかねている・・・、と。』

 芹沢が意味なくクラクションを鳴らして、怒りを表す。

「アホかっ! だから、頭がいくつもある組織は駄目なんだ。CIAなんか噛ませたら、全部ブッコ抜かれるぞ。政策協議より事件解決を優先しないと、どんどん立場が悪くなるに決まってるだろうが。・・・これから国立の警察病院に直行する。板倉さんに伝えておいてくれ。」

 武蔵野市に入ったコロナは、国立市を目指して、そのまま西へ向かう。
 芹沢はイヤホンを外してしまい、運転に集中する。
 横の芳野は、太腿に置いた両手でズボンの生地を握り締めながら、全身を硬直させて、じっと前を見据えていた。


。。。



 暗くなった道を、諏訪が流していると、矢印が点滅する看板を前方に確認した。
 交通課の婦警らしき人影が数人、順番に車を左側へ停車させるべく誘導している。
 検問か・・・。諏訪は落ち着いた様子で、軽トラックのスピードを落とす。
 青い帽子と青い作業服。ダイワ運輸の「クール宅配便」配達係の服装に身を包んだ諏訪は、あくまで冷静に、検問に対処しようとした。

「はーい、お仕事中ご迷惑をおかけしております。皆様の安全のために、ただいま検問中です、ご協力お願いしまーす。」

 若い婦警が運転席側の窓越しに、笑顔で声をかける。
 最近の警察は、市民に悪い感情を抱かれないように、ずいぶんと腰が低い。

「はい、ご苦労様です。免許証と、飲酒チェックですか?」

「いえ、あのトラックを運転されている方は、今回、お荷物の中身を確認させて頂いております。すみませんが後ろのドア、開けて頂いてもよろしいですかー?」

 もう一人の婦警が、冷凍車の後ろに回って、荷室を確認しようとする。
 この婦警たちは二人で行動しているらしい。

「はぁ・・・、なんだか普段よりも厳重なチェックですねぇ。夜に婦警さん二人で・・・、大変ですね。何か事件でもあったんですか?」

「いえ、私たちもあんまり知らされてないんですが、いまは署に大動員がかかっていまして・・・。あの、すみやかに荷室の開錠をお願いします。」

「怪しい車でしたら、さっき見かけたんですが。」

 諏訪の言葉に、二人の婦警の動きが止まる。

「詳しいお話を、聞かせてもらってもよろしいですか?」

 積荷を調べようとしていた婦警も駆け寄ってくる。
 諏訪は運転席のドアを開けて、車から降りようとした。
 しかし、車から出たのは、一本の小さな物体だけだった。

 カシャンッ!

 駆け寄った婦警と、話を聞こうとしていた婦警、二人の前に、一本の、指ほどの長さの、試験管が落ちる。
 ゴムで封をされていたその試験管が、アスファルトに打ちつけられて砕けると、アルコールのような鼻をつく匂いがして、二人は身を固くした。
 しかしすぐに、二人の婦警は、体を脱力させて、ボンヤリとガラスの破片を見つめている。

「やはり即効性と感染経路の柔軟さでは、MC−A3だな。複雑な命令は出せないが・・・。」

 諏訪はハンカチで自分の口と鼻を覆いながら、独り言を呟く。

 俺の動き方について、かなり具体的なイメージを持っている人間が捜査機関の中にいるらしい。
 残念だが、これからあまり自由に動けなくなるな。
 しかし、そこまでわかっていて、婦警二人で検問を張らせたりする・・・。
 その一部の「勘のいい」奴らの思いは、きちんと末端の捜査員までは伝わっていない構造・・・。
 捜査機関が、複数あるということか?

 諏訪は、しばらく自問自答していたが、ふとその場で立ち尽くしている、二人の婦警のことを思い出した。
 二人は相変わらずボンヤリとした視線を地面に向けていたが、心なしか顔を赤らめて、肩で息をしている。
 モジモジとした素振りが、警察官の制服に似合わない、淫微な空気を出している。

「効いてきたかい?かろうじて正気でいられるのはもう数分、そのあとアンタらは数週間、性欲の権化だ。目にする男女、誰とでもかまわずに、セックスすることしか考えられなくなる。性欲は加速する一方だが、どんどんアブノーマルなプレーに進んでいけば、快感も底なしだ。よかったな。だが、その前に、そこのガラスの破片、片付けといてくれ。発情した牝警官になる前に、俺の痕跡は全て消す。わかったな。」

「はい・・・。」

 二人の婦警が頷く。
 諏訪は車を発進させた。
 この道を通るドライバーにとっては災難と言うか幸運と言うか、珍しい検問に出会うことになるだろうな・・・。

 諏訪は「クール宅配便」の配送車を加速させる。


。。。



 トヨタ・コロナは、減速していった。
 道路脇に、ハザードランプを点けて、停車する。

「本当か、板倉さん。誤報の疑いは?・・・どこかで情報が捻じ曲げられている可能性は?」

 イヤホンと小型マイクを付け直した芹沢が、中継ブースに現れた板倉管理官と会話している。
 隣の助手席では、芳野渚が放心状態で、フロントガラスの向こうの景色を眺めていた。

 『間違いない。他の情報機関が手を入れた形跡もない。
 医療部長が知り合いだったのでな、私が主治医に直接電話をかけて、確かめた。
 樋口耕蔵は、今日20時16分。意識回復後、約40分後に再び昏睡状態に陥り、心停止した。
 蘇生処置が行なわれたが、3分後には正式に死亡が確認されている。
 繰り返すぞ、彼が意識を取り戻したわずかな時間、主治医や看護士に伝えた言葉だ。

 【私がウイルスを撒き散らした。お詫びのしようもない。患者を診てやってくれ。】
 この言葉を2度、かなりはっきりとした口調で伝えて、樋口耕蔵は息を引き取った。
 遺体は別居中だった婦人が引き取ろうとしているが、本部は司法解剖を考えている。いずれにしろ、今、お前たちが行っても無駄だ。
 任務に戻るように。』

 思い沈黙が、車内を支配していた。
 芹沢は頭を掻きながら、芳野の様子を伺う。
 芳野は、身動き一つせずに、ずっと前方を見つめていた。

 芹沢は、迷った挙句、車から降りることにした。

 車内では、突っ伏した芳野が、動きを押し殺すようにしながら、背中を震わせている。

 一度、大きく伸びをした芹沢は、ボンヤリと、彼らを次々と追い抜いていく車のテールライトを見送っていた。

 
 


 

 

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