つい・すと


 

 



昔話6 あたしと俊ちゃん、そしてみんな


 いつから俊ちゃんが好きだったの、と聞かれたら、私は下を向きながら、こう答えるだろう。

 ――最初から、かな。



 小さい頃は、俊ちゃんと遊んでいた記憶しかない。本当はマコちゃんもいたはずなんだけど、あたしの頭の中にはなぜかいない。ごめんなさい、マコちゃん。
 俊ちゃんは、あたしの周りにいつもいる、唯一の男の子だった。お父さんは、あたしが生まれる直前に、労災事故で亡くなっていた。だから、俊ちゃんの印象がなおさら強かったんだと思う。あたしにとって、俊ちゃんはお父さんの代わりでもあった。あたしはまるで、刷り込みのように俊ちゃんに懐いていた。
 俊ちゃんとの関係は、小学校に入学しても何も変わらず、私はジャングルジムの中で、俊ちゃんを見つめていた。すると、俊ちゃんはことあるごとにあたしに構ってくれた。あたしはそれだけで、とても楽しかった。

 俊ちゃんがお父さんだとすれば、マコちゃんはお母さん。マコちゃんは当時から「男っぽい」と言われることが多かったみたいだけど、あたしにとってはマコちゃんは疑いなくお母さんだった。俊ちゃんが構ってくれたのに対して、マコちゃんはあたしを見守ってくれることの方が多かったからかもしれない。
 本当のお母さんのために言うと、お母さんはちゃんとお母さんだったし、経済的にも苦しさを感じることは全くなかったけれど、本当のお母さんが仕事から家に帰ってくるのは夕食頃で、それまでは一人でなんとかする必要があった。学校や放課後にお母さんの代わりをしてくれていたのが、マコちゃんだった。
 俊ちゃんとマコちゃんのおかげで、あたしは寂しさを感じることなく生活することができた。

 小四になると、あたしは俊ちゃんとクラスが分かれた代わりに、カナちゃんが同じクラスになった。どういった訳か、あたしはカナちゃんに気に入られ、友達になった。
 カナちゃんはとても強い子だった。俊ちゃんやマコちゃんも強い子だったと思うけれど、カナちゃんの強さはそれとは違った。誰に対しても物怖じしないカナちゃんの態度は、気後れしがちで、言いたいことがなかなか言えないあたしにとって、憧れだった。だから、あたしはカナちゃんとよく遊ぶようになって、俊ちゃん達と遊ぶ機会が少しだけ減った。



 あたしは、小さい頃からしゃべるのが苦手だった。でも、あたしはそれをなかなか克服できなかった。今も、できているとは言いにくい。
 小学校低学年の頃、テレビ番組を見ていたあたしは、CMで映った遊園地に連れて行って欲しい、とお母さんにおねだりしたことがある。
 あたしはものをねだることも珍しかったから、お母さんは忙しい中、張り切って週末にその予定を立て、あたしを連れて行ってくれた。でも、遊園地に行くその日、お母さんは実は具合が悪かった。柄にもなくはしゃいでいたあたしがそのことに気づいたのは、遊園地から帰ってきてから。そして運悪く、お母さんは風邪をこじらせ、救急車で運ばれて緊急入院してしまった。
 今から思えば、それは誰が悪いということではない。だけど、小さかったあたしは、胸に刻み込んでしまっていた。発した言葉は、時に取り返しがつかない――そんな恐怖心を。

 自分を表現するのが苦手なのが災いして、当時のあたしは、クラスの交友の輪から置いて行かれることが多かった。だから、俊ちゃんやマコちゃん、カナちゃんが構ってくれるのは嬉しかった――いや、それを越えて、あたしにとって必要不可欠だったと言っていい。
 俊ちゃんとマコちゃんは、言葉をなかなか発しないあたしが何を考えているかを、一生懸命察してくれた。その察しは、見当外れなことも結構あったけれど、俊ちゃん達の判断が正しいかは問題じゃなかった。カナちゃんに至っては、時にあたしの考えにお構いなしだったけれど、それでも十分だった。当時のあたしにとっては、あたしの気持ちを正しく理解してくれることより、あたしがついて行けるように引っ張って、あるいは見つめてくれることの方が遙かに大事だった。



 ただ、その一方で、当時のあたしはカナちゃんの誘いにかこつけて、俊ちゃんからは少し離れようとしていた。
 あたしは、気づいていた。俊ちゃんが、マコちゃんに惹かれ始めていることに。だから、たまにだけど、俊ちゃんとマコちゃんのいるところに行きたくなくなる時があった。そういう時、カナちゃんが連れ回してくれるのは助かった。連れ回すと言っても、実際にはあたしが好きな図書室に良く連れてってくれた。あたしは本が好きだった。

 小五になって、ますます俊ちゃんがマコちゃんに惹かれていき、あたしはだんだん焦ってきた。その時にはもう、はっきりと俊ちゃんに恋している意識があったので、俊ちゃんの彼女になりたいと強く願っていた。
 だから、私が俊ちゃんとするのが好きだった「例え話」の中で、うっかり告白まがいのことをしてしまったこともある。
 普段のあたしから考えれば、それは思い切ったというよりは、はっちゃけたという方が近い。よっぽど焦っていたのだろう。その割には間接的すぎて、俊ちゃんには全く気づかれないという悲しい結果になった。

 小六も夏を越えると、俊ちゃんが完全に恋に落ちたのが分かって、あたしは身動きが取れなくなってしまった。あたしはもやもやしながら、どうすることもできずに小学校の卒業を迎えた。
 小学校を卒業したら、突然カナちゃんがいなくなった。あたしは卒業式の翌日、その事実をマコちゃんから知った。マコちゃんはものすごく泣いていた。なんでそんなに泣くかは分からなかったけれど、でも、あたしも悲しかった。
 俊ちゃんとの関係が微妙になっていたところに来たそれは、あたしにとって完全に追い打ちで、とても不安になった。



 ところが、中学校に入ってからのあたし達の関係は、思わぬ方向――あたしにとっては良い方向――に転がっていった。
 入学直後の五月のある日、あたしは俊ちゃんが抜け殻になっていることに気づいた。あたしは俊ちゃんと一緒に登校していた(マコちゃんはその頃から朝練だったので、一緒には通っていない)けれど、話しかけても返事がない。次の日も、同じような状態だった。さすがにおかしいと思って、俊ちゃんをあたしの家に誘った。
 あたしの部屋に入った途端、俊ちゃんは座り込んで泣き出した。何が起こったか分からなくて、あたしは呆然としていた。でも、俊ちゃんの独り言で、どうしてこうなったか分かった。

 ――マコトに、振られた――

 要するに、そういうことだった。
 あたしはどうすればいいか分からなくて――いや違う。その時だけは、黙って側にいるのが良いと思って、あたしは俊ちゃんの手を握った。

 俊ちゃんが正気を取り戻したのは、夜になって、お母さんが帰ってくる寸前だった。俊ちゃんの顔は、ほとんど暗闇でも分かるくらいぐしゃぐしゃだったけど、笑った気配がしたので、ほっとした。

 そして、俊ちゃんが言った。

「やっぱり、持つべきものは『もう一人の親友』だな」

 鋭く――胸を貫かれた気がした。何が起きたのか、何を感じたのか、一瞬分からなかった。
 なんとか、その場を取り繕った気がする。
 そして、そこでやっと――あたしは傷ついたことに気づいた。それも、これまでにないくらい深く。

 多分。

 マコちゃんは想い人で親友。だけど、あたしは親友でしかない。

 自分でもはっきりと分からないけど、そう感じたんだと思う。



 次の日、俊ちゃんは学校を休んだ。そしてその日、今度はマコちゃんがあたしの家に来た。
 てっきり、俊ちゃんをフったことを報告しに来たのだと思った。それは正しかったけれど、実際はもっと大事なことがあった。

「ちーは、『女の人と恋愛する女の人』っているの、知ってる?」
「うん、知ってる」
 レズビアンとかいうんだよね、という中途半端な理解だったけど、全く知らないわけではなかった。図書室の本で見たことがあったからだ。もちろんエッチな本ではない。
「わたしは、そういう人しか愛せない女の子なんだ。だから、シュンは愛せない。もちろん、ちーも」
 ぽかん、とした。理解するのに、時間がかかった。そういう人が、こんな身近にいるとは思わなかった。
 ただ、マコちゃんは辛抱強く、あたしに説明してくれた。

 マコちゃんは、女の人としか恋愛できない「レズビアン」であること。
 女の人なら誰でも良いのではなくて、「女の人と恋愛できる人」にしか、ときめかないこと。
 俊ちゃんは友達として大好きだけど、愛することはできないということ。
 「もちろん」、私をそういう目で見たこともないこと。

 根気強いマコちゃんのおかげで、あたしは少しずつ説明を呑み込むことができた。

 ――生理的な違和感が、全くなかったか、といえば、ウソになる。だけど、そんなことより、マコちゃんの真剣な顔に心を打たれる感覚の方が、あたしには遙かに大事だった。

 最後の方で、マコちゃんは言った。
「シュンの奴、傷ついてると思うから、一緒にいてやって。……今は、ちーにしかできない」

 あたしは「そういう子」じゃないけれど、その時のマコちゃんの笑顔は、本当に綺麗だった。



 俊ちゃんが学校に帰ってきてからも、あたしはこれまでと変わらず、俊ちゃんの側に居続けた。俊ちゃんが心配だというのもあったし、マコちゃんに頼まれたというのもある。そして何より、――俊ちゃんの彼女になる、願ってもないチャンスだった。
 だけど俊ちゃんは、しばらくマコちゃんとのことを引きずっていた。俊ちゃんは誠実な人なので、マコちゃんとのことに一区切りつかなければ、あたしを受け入れてもらえないだろうと思った。だから、我慢した。



 と、当時のあたしは思っていた。でも、違う。それは、ウソだ。



 あたしは、告白する勇気がなかっただけなのだ。俊ちゃんの気持ちを言い訳にして、問題をすり替えていただけ。

 どれほど俊ちゃんの近くにいても、あたしが望む場所――「彼女」という場所に、なかなか手が届かなかった。それでもあたしは、告白をしなかったし、求めなかった。我慢はとても苦しくて、辛かったけれど、それは自業自得だった。

 俊ちゃんが立ち直るまでは、思った以上に時間がかかった。



 一方、マコちゃんはしばらくして、柔道部の先輩と付き合い始めたと、嬉しそうに報告してくれた。マコちゃんが俊ちゃんをフってから、三人で遊ぶことはさすがになくなったけれど、それぞれとは何度も遊んでいた。あたしとマコちゃんとの関係は、結局何も変わらなかった。

 中二のある日、突然俊ちゃんの雰囲気が変わった。俊ちゃんがあたしに触れる時、ほんの少し、躊躇するようになったのだ。その躊躇が、俊ちゃんがあたしを意識し始めたからだっていうのが、空気で分かった(それは、奇しくもマコちゃんがフラれたと報告してくれたのと同時期だった。ただ、それがきっかけでまた三人で遊べるようになって、それは別の話でとっても嬉しかった)。
 そのすぐ後、マコちゃん経由で、俊ちゃんがようやく立ち直ったことを知る。あたしはいよいよだと思った。

 でも、そこからがまずかった。
 その時のあたしは、贅沢だった。何より、告白をしない、求めない自分のことを棚に上げる、悪い女だった。長く我慢したのだから、俊ちゃんから告白して欲しいと思った。だから、黙っていた。だけど、俊ちゃんがなかなか告白してくれなかったせいで、あたしはだんだん意地になってしまった。俊ちゃんが本格的にアプローチをしてきた頃には、もう引くに引けなくなっていた。そのまま、あたし達は三年生に進級してしまった。
 あたしは困って、マコちゃんに相談した(マコちゃんは俊ちゃんに、「あたしが仕返ししたいって言った」と言ったらしいけど、いくらなんでもそんなこと言ってない! ……そういう気持ちがなかったわけじゃないけど)。マコちゃんが何をしたのかはよく知らないのだけれど、ある日突然、帰りの会で、

「河野 千晶さん、俺と付き合って下さい」

 と言われた。
 びっくりして、心臓が止まるかと思った。けれど、そのチャンスを絶対に逃したくなくて、あたしは渾身の声で、「よろしくお願いします」と言った。やっとの事で、あたしは俊ちゃんの彼女になった。

 その日は、三人で家に帰った。帰り際、マコちゃんが先にあたし達から離れて二人になる。そして、あたしの家の前で俊ちゃんとキスをした。もちろん、ファーストキスだった。
 それはとても恥ずかしかったけれど、拒まなかった。

 その日の夜、あたしはベッドの中でうずくまっていた。
 唇の感触が忘れられず、ずっとドキドキしていた。



 もちろん、お母さんにもすぐ報告した。お母さんは喜んで、翌日に俊ちゃんの家に電話し、俊ちゃんを呼んだ。夕飯の時間だったけど、家が近いので問題ない。

 俊ちゃんはかしこまっていたけれど、お母さんが満面の笑みを浮かべているのを見て、緊張を解いたようだった。

 そして、
「千晶をよろしくね。付き合い方は二人に任せるわ」
 と言った。
 お母さんは、小さいときから俊ちゃんのことを知っている。日中にいない自分より、俊ちゃんに任せた方が良い、と思ったのだろう。
 ただし、――と、そこだけ、お母さんは厳しい顔をして言った。

「避妊は絶対にすること。それだけが条件」



 夜、あたしはベッドの中でうずくまっていた。
 ドキドキしていた。けど、そのドキドキは昨日とは全く違うものだった。

「避妊は絶対にすること」

 それは明らかにこの場合、「避妊さえすれば、シていい」という意味だ。
 興味はあった。だけどシたことはない。もちろん、一人でも。
 頬が熱かった。あたしの胸には大きな不安と――ほんのちょっとの期待があった。



 案の定、次の日曜日、コンドームをポケットに忍ばせて、俊ちゃんはあたしを求めてきた。
 怖かったけれど、受け入れない理由は無いので、受け入れた。
 実は、最初は失敗した。本当に受け入れられたのは、翌週の日曜日、三回目だった。痛かった。なんで恋人同士はこんなことをするのかと思った。二日くらいアソコが痛かった。だから、月曜日は誘いを断った。
 水曜日、また誘われた。実は少しだけ嫌だったけど、受け入れた。まだちょっと痛かった。でも、変な声が出た。
 金曜日、また誘われた。もう痛くなかった。変な感じがした。
 土曜日、また誘われた。すごく変な感じがした。
 日曜日、また誘われた。もっと変な感じがした。突き抜けるような感覚があった。
 一日空けて火曜日、また誘われた。変な感じがイイ感じであることに、気づき始めた。
 水曜日、また誘われた。変な感じを楽しめるようになってきた。
 金曜日、また誘われた。俊ちゃんに少し余裕ができてきたのか、「あたしのイイ感じがするところ探し」をしてくれるようになってきた。
 土曜日、また誘われた。イイ感じが、気持ちいいということがわかってきた。
 日曜日、また誘われた。イイ感じ探しで、初めてはっきり、気持ちよくなったのが分かった。
 少し空いて水曜日、また誘われた。気持ちよくなった。
 金曜日、また誘われた。気持ちよかった。
 土曜日、また誘われた。気持ちよかった。
 日曜日、また誘われた。気持ちよかった。



 乙女の意地で――と言えば聞こえはいいけれど、それを明かす勇気がなかっただけだ――、あたしから誘うことはなかったけれど、あたしは順調に快楽に染まっていった。そのまま夏休みに入り、あたしは生理二日目からしばらくを除いて、毎日(「のように」ではない)誘われた。生理の日だったり、アソコがひりひりするとか、断る必要がある日以外は、断らなかった。夏休みも終わりの頃には、アソコがダメなときはアソコじゃなくて、後ろの方でもスるようになった。おかげで、本当に毎日できるようになってしまった。
 ただ、あたしが絶頂を覚えたのは、実は夏休みではなくて、受験が終わって、春休みになってからだった。そのコツを学ぶのに時間がかかったからだ。それからは――もう、断る気になんて本当にならなくなった。



 決して誰にも――俊ちゃんにさえも、言えないけれど、
 あたしは、俊ちゃんと二人でスるのが好きだ。
 本当に、本当に好きだ。

 それは単に、気持ちいいから、というだけではない。
 二人でスるというのは、ボディコミュニケーションだ。だから、あたしの意思は行動で示せばよくて――言葉は少なくていい、ということに気づいたからだった。そして、スるときに漏れてしまう言葉や声は、とても恥ずかしいけれど、決して俊ちゃんを傷つけない。そして、「気持ちいい」という言葉は、絶対に俊ちゃんを喜ばせる。
 そういう状況は、あたしにとってとても安心できて、あまりにも快適だったのだ。その快適さに性の快楽が絡みついて、あたしは俊ちゃんと二人でスる、という行為にどっぷりとはまり込んでしまっていた。

 俊ちゃんもきっと、いや間違いなく、あたしとスるのは好きなんだろうと思う。でも、俊ちゃんも多分気づいていない――俊ちゃんがあたしを求めるよりもっと多く、あたしが俊ちゃんを求めたくなっている、ということに。



 こんなことばかり言っていると、あたしはともかく俊ちゃんの方も身体目当てだなんて誤解されてしまいそうな気がするけど(あたしの方が「身体目当て」なのは、ある意味事実だ、と思う)、実際には俊ちゃんは付き合い始めてからも優しくて誠実だった。学校で気を回してくれ、構ってくれるのも変わらなかった。……無神経なのも、あんまり変わってない。
 マコちゃんはマコちゃんで、あたし達が関係を深めていく様子を優しい目で見ていてくれた。それを見てあたしは、俊ちゃんを取り合いしなくて済んで、本当に良かった、と思った。



 高校に入ると、マコちゃんに異変があった。
 マコちゃんは、高校に入った途端に、自分のことを「僕」と呼ぶようになり、そのうちファッションも中性的になっていった。最初は良かったのだけれど、だんだんと真琴ちゃんが友達関係や部活での人間関係に苦しむようになってきたのだ。
 あたしはマコちゃんに、「大丈夫?」と何度も言った。マコちゃんは、「大丈夫」と何度も答えた。でもどう見ても大丈夫じゃなかったので、あたしは俊ちゃんに相談した。
 俊ちゃん自身も、マコちゃんの異変を感じ取っていた。でも、俊ちゃんはこう言った。

「マコト自身の人格そのものの問題だから、マコト自身で解決したいんだろう。俺がマコトだったら、そう思う」

 その感覚は、私にはよく分からなかったけれど、俊ちゃんから説得されて、マコちゃんを見守ることにした。ただし、その代わりに、「あたし達はここにいる」と、もっとマコちゃんに訴えることにした。「おはよう」「どうしたの?」……そういう声かけを、欠かさないように、と。

 でも、一度だけ。あたしは耐えられなくなって、マコちゃんを家に呼びつけた。そして、迫った。何があったか言いなさい、と。

 教えてもらえた内容は、かなり限られていたけれど、どうやら条件を呑むか、柔道部を退部するかの決断を迫られているようだった。その条件の内容は聞けなかったけど、きっとかなり屈辱的なものだった、のだと思う。続けてマコちゃんは、あたし達が気にしてくれているのは分かってる、と言った。

「大変だけど、どうしても『欲しいもの』があるんだ。もちろん大会の成績もだけど、そんなことより、もっと大事なものがあって。そしてこれは僕の問題だから、僕が解決しなきゃいけない」
 マコちゃんはそう言った。「欲しいもの」が何かは分からなかったけれど、俊ちゃんの察しは正しかった。そして、あたしの目を見て、マコちゃんは続けた。
「ちーは、シュンと一緒に僕の側にいてくれ。そうしてくれれば、僕はどこまででも頑張れる」
 力強い言葉で、そう言った。

 その数日後から、マコちゃんの表情は急激に明るくなってきた。マコちゃんは柔道部を退部しなかったから、きっと条件を受け入れたのだと思う。でも、マコちゃんは充実しているようだったので、結果的にはそれで良かったのだろう。

 高二になってすぐ。あたし達はいつも通り、休日に三人で遊んでいた。
 その日、マコちゃんが珍しく、
「いいなー、僕もそろそろ次の恋がしたいなあ」
 とうらやましそうに言った。何でそんなことを言いだしたかは、……察して欲しいけど。
「何だよ、新しい彼女作ればいいじゃん。マコト、モテるだろ」
「レズはそもそも枠が少ないんだよ。そう作れるもんじゃないって」
 聞き流そうとして、あれ? と思った。マコちゃんから堂々と「その言葉」――レズ、という単語を聞いたのは、初めてのような気がした。
 ふと、マコちゃんの顔をのぞき込む。マコちゃんは何でもない、と言いたげだったけれど、隠しきれない笑みが浮かんでいた。
 そして、我慢できなかったというように、
「へへ、言えた」
 と破顔した。

 ――その言葉を堂々と言える「気持ち」こそが、マコちゃんの「欲しいもの」だったことに、あたしはその時やっと気づいたのだった。



「――――んっ」
 横でベッドが弾んだのを感じて、あたしは目を開ける。
「悪い、起こした?」
 そこには、カーテン越しに漏れる、遅い時間になって衰えた太陽光の中、トランクス一枚の俊ちゃんがいた。
 大学生になって二回目の夏休みに入り、今日は久しぶりに二人だけで遊んだ。大学の違うマコちゃん、そしてカナちゃんが夏休みに入るまでは、あと数日かかる。ただ、随分暑かったのもあって、最寄り駅前でお昼を食べて、買い物してお茶してそのまま、あたしの家に帰ってきてしまった。……そこからどうなったかは、言うまでもない。

 そういえば、マコちゃんがあたし達と違う大学に行くと知ったときは、ちょっと驚いた。何となく、また三人とも同じところに行くと、漠然と思っていたから。
 マコちゃんは、ファッションデザインの研究ができる大学に行きたかったらしかった。

「ほら僕、男装するじゃん。だから、カッコイイ男装のために必要なこととか、少し興味があるんだ。……結果としてファッションデザイナーになれたら、それはそれでいいかもしれないけど」

 なんてことを、マコちゃんは言っていた。



「ちゃんと、後始末しておいたぞ」
 俊ちゃんの声で、あたしは我に返る。
 布団にくるまったあたしは、衣服を一枚も着けていない。
 言われてみると、アソコから溢れてくる感触がなかった。

 大学受験が厳しくなってきた頃、ストレスのせいか、あたしは少しだけ生理不順を起こしていた。そこで産婦人科からピルをもらい、それから常用している。もちろん、ピルは避妊薬でもあって――結果として、お尻でスるとき以外は、コンドームは使わなくなった。代わりに俊ちゃんは、必ずスる前に「ピル飲んだ?」と訊くようになったけど。

「随分気持ちよく寝入ってたな」
「本当? ――何か、夢見てた気がする」
「夢か」
「うん、昔のことだったと思う」
 なぜか、ちょっとだけ顔に血が上るのを感じた。何か、変な夢だったのかな。もう、思い出せないけど。
「そうか」
 そう言って、俊ちゃんは布団の中に潜り込んできた。そのまま、枕の上で見つめ合う。
「昔のことも大事だけど、これからのことも大事だな」
「うん」
 あたしの頬をなでながら、俊ちゃんはそう言った。
 俊ちゃんが言っているのは、旅行のことだ。来週、マコちゃんとカナちゃんを含めた四人で、海水浴のために旅行することになっていた。
 俊ちゃんが言うには、泊まるところは結構期待できるらしい。

「楽しみだね。――ねえ、もし、あたしが家だったら?」
 何となく、思いついたことを口にした。それは、あたしと俊ちゃんでよくやる、「例え話」だった。一つの仮定から、世界を広げていく、そんな遊び。
「いきなりだな。そうか、家か……なら俺は家の住人だな、簡単だ。
 きっと、居心地が良くて二十四時間家の中で寝てる」
「もぅ」
 ぐうたらだなあ、と思う。
「ああ、いや」
 すると、俊ちゃんは突然、
「俺が家の方がいいな」
 前提をひっくり返した。
「え?」
「だってそうじゃないと、――お前を守れないだろ」
 照れくさそうに、俊ちゃんはつぶやいた。
 あたしは下を向いた。照れ隠しだった。
「家か……俺達は、そういう家庭を築けるのかな」
「……!」
 思わず、顔を上げた。
「まだ無理だけどな。でも、うまくいけば、な」
 そう言って、俊ちゃんは笑った。……そして俊ちゃんは、そういうときに決して冗談を言う人じゃなかった。

 ――ああ。やっぱり、俊ちゃんが好き。

 あたしは熱い思いを胸に秘め、俊ちゃんの胸に顔を埋める。心地良い静寂が、あたし達を包んだ。

 ふと、話したいことがあった。

「ねえ、俊ちゃん。もしあたし達の子供が生まれたら、どんな名前にするか、考えてる?」
「えっ」
 俊ちゃんは一瞬、意表をつかれたような表情をしたけれど、すぐに笑った。
「いやー、全然考えてないなあ」
「そっか」
「千晶は、なんかあるの? 希望」
「うん。一つだけだけど」
 俊ちゃんが、少し意外そうな顔をした。あたしが自分から、はっきりと希望を言うことなんて、滅多にないから。
 あたしも成長してるんだよ、とかすかな抗弁を胸に秘めながら、天井の向こうにある未来に目を向ける。



「もし、生まれてくるのが女の子だったら――」

 
 


 

 

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