おしえて魔女先生!


 

 



 午後1時半。

「ふぁ〜あ……」

 2年C組の教室の前から3列目、窓際側の席で、石動リリカは大きくあくびをした。

 まったく、午後の授業というものは何故こうも眠くなるのだろう。
 ポカポカした春の陽気と相まって、教科書の内容など少しも頭に入らない。
 こんな日は講義形式の授業なんて廃止して、体育や音楽だけにすれば良いのに。

 そんなリリカの自分勝手な思いとは裏腹に、今日も教室の中には先生の退屈な授業の声と、ノートを取る生徒たちのシャープペンシルの音、そして時たまホワイトボードに板書するキュキュッという高い音だけがこだまする。

「……このように、制御体系の発達は、陰ながら私たちの生活の向上の一端を担ってきたとも言えるわ。
 ただし、前にも説明した通り、これは生物が持つ根源的な感覚への干渉という側面があるから、それに伴うリスクを決して忘れてはいけないの。
 例えば――宮瀬くん。寒冷地で活動するために厚着をする代わりに、感覚制御によって寒さを和らげる場合、何に気を付けなければいけないと思う?」

 今日の授業は、桃川先生による制御魔法の活用についてだった。
 桃川先生は、持ち前のフレンドリーで面倒見のいい性格と、20代という若さから、多くの生徒たちから人気のある先生だ。
 ふわふわとしたカールのかかった長髪に、スレンダーながらもメリハリのあるプロポーション。噂では、男子生徒たちの中には、桃川先生に告白をして玉砕した者もちらほらいるという話だ。

 桃川先生のことを気に入っているのは男子だけではない。生徒のことを頭ごなしに叱りつけたりせずに、相手の目線に立って相談に乗ってくれるため、気構えることなく話しかけることができると女子たちの中でも上々の評判だ。
 だが残念なことに、好きな先生であろうと授業が退屈であることには変わりない。リリカの思考の半分は、講義内容から離れ、昨日見たお気に入りのドラマの展開の妄想に移っていた。

 先生に指名された、宮瀬と呼ばれた長身で角刈りの生徒が立ち上がって答える。

「はい。ええと……『寒い』という感覚を和らげても気温は変わらないから、気が付かないうちに風邪をひくかもしれない……っていうことですか?」

「その通り、よくできました。宮瀬くん、座っていいわ。
 人間の五感は多くの場合、危険に対する警告装置としての役割を果たしているの。『寒さ』の他に『痛み』なんかもわかりやすい例ね。
 それを感覚制御によって抑制することで、その警告に気付かずに危険に踏み込んでしまうという可能性をはらんでいるから、活動手段としての感覚抑制はあくまで代替的、一時的な手段にとどめることが多いわ。
 もちろんこれには例外もあって、例えば本能的な防御反応によって逆に危険を招く場合や、リスクを正しく認識できる第三者の立ち合いの元での活用の例もあるんだけど、それはまた先の授業で扱うからね。
 資料集の236ページ以降に制御体系の活用例がいくつか載っているから、気になる人がいたら読んでおくと面白いわよ」

 こんなもの、口で教えるよりも実演して見せた方がずっと手っ取り早いのに。
 ぼんやりと思考の隅っこでそんなことをぼやきながら、リリカは窓の外の景色を眺めた。
 雲一つない快晴だ。こんな日に教室に引きこもって授業だなんて、何て勿体ない話だろう。

「さて、感覚の抑制による技術の活用の例は今説明した通りだけど、その逆、つまり感覚の促進による技術活用の場合……」

 そういえば、先週から上映が始まった話題の映画、まだ見れてないな。
 週末は特に予定も入ってなかったから、レイナとかユーリも誘って遊びに行こうかな。
 朝10時からの映画を見て、チョコバナナのクレープでも食べた後、午後からはカラオケで……。

 ポンポンと頭を軽く教科書で叩かれる感覚がして、リリカは我に返った。

「こら、石動さん、ちゃんと聞いてる?
 退屈な内容だからって、しっかり聞いてないと後で絶対に困っちゃうわよ。
 いつも言ってるけど、魔法体系に関する理解を深めることは単なる勉強としての意味以上に、体系を利用した悪意ある魔法から身を守るために必要になってくるんだからね?」

 困ったような表情で口をへの字に曲げる桃川先生。

「えぇー……。だって、感覚制御って、地味でつまんないしー。
 温度操作や浮遊魔法と違って直接怪我に繋がるわけじゃないから、別に心配しなくても大丈夫だよ」

 人前で注意されたことで不貞腐れていることもあるのだろう。リリカが椅子の背もたれに体重を預けた態勢で文句を言うと、桃川先生は小さくため息をついた。

 哀しいことに、世の中、必ずしも善意をもって魔法を利用する人間ばかりではない。
 生徒たちが卒業した後、社会に蔓延る悪意から身を守れるだけの能力を子供たちに身に着けさせること。それも桃川先生の大事な仕事のうち一つだった。

 しかし、親の心子知らずと言うべきか、思春期の生徒たちの中にはそれを素直に受け入れない「跳ねっ返り」のせいで「自分は大丈夫」という根拠のない自信を抱いたまま独り立ちし、最悪の事態を招いてしまうというケースが後を絶たない。
 だからこそ場合によっては心を鬼にして、悪意ある魔法からの被害によるリスクを身をもってでも知らしめる必要がある――というのは研修生時代にも散々聞かされたことだ。

 ちらりと桃川先生が教室の様子を見渡すとリリカの他にも明らかに授業に集中していなさそうな生徒が何人かいる。
 確かに考えてみれば、具体的にどのような被害に及ぶ可能性があるのか分からないままでは、実感が沸かないのも当然かもしれない。
 このまま講義を続けたところで、生徒たちの興味は授業内容から離れるばかりだろう。

――しょうがない、感覚制御に対する危機感と関心を持ってもらうために、今日は石動さんに少しキツめのお灸を据えさせてもらいましょうか。

 密かに決意を固め、桃川先生はコートのポケットの中に手を突っ込むと、ディスペラ――特定の魔法を一時的に解除するための装置だ――を取り出した。

「ふぅん……それじゃあ、今日の講義はこれくらいにして、残りの時間は『実習』にしましょうか」

――『実習』。

 その言葉を聞いて、誰も口にこそ出さないが、教室内の空気が一変した。
 数秒前まで眠そうにしていた生徒たちさえも、一瞬でシャキンと起き上がって二人の様子に注目する。

 桃川先生の授業では、魔法の悪用による被害を生徒に実感させるために、生徒たちのうち一人(あるいは数人)にその危険性を体験させるための『実習』が突発的に行われることがある。
 もちろん生徒たちに怪我を負わせるような魔法の使用は教師として控えているものの、肉体的な損傷に至らない範囲でできる限り被害に対する実感が湧き、かつ、生徒たちの興味を引くような内容にすることは心がけていた。

 そしてその中でも、思春期の生徒たちにとってある意味最も効果的なものは『恥ずかしい目に遭わせること』であった。

「さて……じゃあ、制御魔法の悪用による危険性について知りたいみたいだし、石動さん、協力してくれるかしら?」

 少しは怖気づいてくれることを期待してリリカの顔を覗きこんだが、本人は相変わらずのほほんとした様子で返す。

「別にいいよー? どうせ大したことなんでできないだろうし」

 そう言ってリリカはふふんと笑いながら自ら右手を差し出す。少し呆れながら桃川先生はディスペラをリリカの右手の甲に当て、リリカのプロテクタを解除した。これが『実習開始』の合図だ。
 このプロテクタは、リリカ本人の魔法の使用を制限すると同時に、外部からの魔法による干渉をある程度無効化する役割を持つ。

 在学中の生徒たちはこのプロテクタによって悪意ある魔法から保護されているが、卒業時には全員、プロテクタ無しで自分の身を守ることを義務付けられる。
 不真面目な生徒たちの中には、必修の防御魔法を習得できなかったために卒業できず、3年生をもう一度繰り返す羽目になるという洒落にならない事態に陥る者もいるのだ。

「あ、ところで杖は使ってもいいんだよね?」

 リリカは余裕の面持ちで、自分の鞄の中を探り、可愛いストラップのついたステッキを取り出した。
 魔法の訓練でもよく使うこのステッキは、魔力放出の安定化・発動の高速化等の役割を果たすマジックアイテムであり、魔力の制御に慣れない学生がある程度の防御魔法を使えるようにするためには必須と言えるものだ。

『実習』の内容によっては、杖を持っていない時に不意打ちされた場合を想定し、杖の使用を許可しないこともあるのだが、桃川先生は優しく微笑んだ。

「ええ、お好きにどうぞ。『真っ赤に燃えたぎる石炭のように熱い』そのステッキを握っていられるなら、だけどね」

「えっ……痛ぁっ!?」

 突然教室の真ん中で悲鳴を上げると、リリカは一瞬にしてステッキを放り投げる。ころころと教室の床を転がるステッキの光景に、クラスメイト達からどよめきが上がった。

 桃川先生はクラスメイト達の顔を見回すと、先ほどの講義の続きでもするかのような口調で説明した。

「今のが感覚の促進による具体的な悪用の例ね。杖は確かに身を守る上で役に立つわ。でも、だからこそ、悪意のある人間は必ず最初にそこを狙ってくると思って。
 こうやって杖を奪われてしまうと、多くの場合なし崩し的に抵抗できなくなってしまうからね」

 リリカは呆然としながら自分の右手をグーパーさせながらまじまじと観察していた。まるで、自分の手に火傷の跡が残っていないことが信じられないといった面持ちだ。
 やがて、はっとしたように床に転がっているステッキを追いかけるが、伸ばした手がステッキに触れそうになると慌てて引っ込めてしまった。
 触れそうになっただけで、先ほどの感覚がありありと脳裏に蘇ってしまうのだ。

 そんなリリカの様子を横目に見ながら、桃川先生は続ける。

「さらに言うと、今回は熱さをより具体的に実感できるように、言葉による連想も利用しているわ。ここでポイントは二つあるから覚えておいてね。
 一つ目は『効果は受け取る相手のイメージに依存する』っていうこと。
 例えば、白色矮星の温度は数万度にも及ぶけれど、『白色矮星のように熱い』と言っても、恐らくピンと来る人はいないでしょう?
『実際にどれくらい熱いか』ではなく、『どれくらい熱いイメージができるか』が大事、ということね。
 二つ目は、一つ目と矛盾するみたいだけど、『必ずしも相手が体験したことがある必要はない』ということ。
 燃えたぎる石炭なんて恐らくみんな握ったことはないでしょうけど、これまでに得てきた『燃えたぎる石炭』の記憶から、熱さを『連想』することはできるでしょう?」

 一通りの説明が終わり、説明し忘れていることがないかをゆっくりと考えてから、改めて桃川先生はリリカに向き直った。リリカはまだ、床に転がるステッキを掴もうと奮闘しているところだった。

「お待たせ、石動さん。私が説明してる間、待っていてくれてありがとうね?」

「くっ……! バカにしないでよね!」

 皮肉たっぷりに笑顔を見せる桃川先生。リリカは結局ステッキを拾うことを諦め、桃川先生から距離を取ると初歩的な攻撃呪文の詠唱を始めた。
 恐らく、杖がなくても発動可能な簡単な魔法で応戦しようという心積もりだろう。

 だが、桃川先生がそれを見てから言葉を紡ぐ方が早かった。

「そういえば、石動さんってくすぐったいのには弱い子だったかしら?
 ふふ……はい、石動さんのブラウスの内側に小さな手がいっぱい現れて、体に触れている場所をくすぐり始めますよー」

「え……ひゃぁっ!? なんでっ……あははっ、ダメっ、くすぐっ、やめてー!」

 詠唱していた呪文をあっさりと中断され、代わりにはしたない嬌声を上げ始めるリリカ。
 突然自分の上半身、腰のあたりから首周りにかけてのブラウスに覆われた部分が、見えない手に弄ばれているかのようなくすぐったさに襲われたのだ。
 両手をバタバタさせてブラウスの上から叩いたり、体を抱くように身をよじったりするが、一向に和らぐ気配がない。

「くすくす……ブラウスが体に触れている限り、どうやったってくすぐったさを止めることはできないわよ。
 それどころか、悪戯好きの手があなたの弱い部分をどんどん学習して、そこを重点的にくすぐり始めるわ」

「ひうっ!?」

 びくり、とリリカが大きく背中を震わせる。
 わきの下や首筋、背筋など、くすぐりに弱い部分に、集中的にくすぐったい感触が集まってきたのだ。

「やっ、そこっ、ダメェ……! おねっ、止ま、ってっ、はぅっ……!」

 一際大きな声を上げて教室の床に転がって悶え始めるリリカ。スカートがめくれ、一部の生徒からはピンクの下着が見えてしまっていた。

 桃川先生は満足そうにその様子を眺め、リリカに提案する。

「ねえ、ブラウスの裾をスカートから引き抜いてみたら? そうしたら、その部分はくすぐったくなくなるわよ?」

「くっ……ふぅっ、それより、これ、止めっ……あははっ!」

 僅かに抵抗する素振りを見せていたが、我慢できずに言われた通りブラウスの裾を引っ張ってスカートから引き抜くと、一瞬リリカの小さなお臍がちらりと覗く。
 だが、確かにブラウスが皮膚に触れる面積が減ったことで、腰の部分のくすぐったさは収まってくれたようだった。しかし、更に桃川先生が追い討ちをかける。

「あら……でも、腰の部分に付いていた手が、くすぐれる場所を探して上の方に移動してきたみたい。
 たいへん! ブラウスが皮膚に触れている面積が小さくなるほど、触れている部分のくすぐったさが増してしまうわ」

「ふ、くぅぅぅっ!?」

 突然くすぐったさの段階が増し、苦しそうな悲鳴を上げるリリカ。

「ひぁっ、や、ふぁぁっ、もう、やだぁっ!」

 ここが教室の真ん中であることも構わず、ブラウスを脱ぎ始める。初めのうちは、震える指でなんとか下の方から順番にボタンを外そうと悪戦苦闘していたが、ボタンを外せば外すほど他の部分が飛躍的にくすぐったくなってきたため、胸から上のボタンは乱暴に引きちぎるようにしてしまう。
 ピンク色のブラジャーが丸見えになるが、もはやそんなことに構っている場合ではなかった。袖を通している限り、脇の下や首回りがくすぐったくて仕方がないのだ。
 どうにか袖を引き抜き、ブラウスを遠くに放り投げる頃には、リリカは既に汗だくで息も絶え絶えと言った様子だった。

「はぁっ、はぁっ……苦し……見るなっ……」

 ゼエゼエと肩で息をしながら、丸見えになったブラジャーをようやく腕で隠し、男子たちを睨み付ける。
 目が合った男子は慌てて「何も見てません」とでも言うように目を逸らした。

「ダメよ、『実習』は授業の一環なんだからしっかりと見ないと。しっかり見ないと勉強にならないし、評価にも響くかもしれないわよ?」

 そう桃川先生がたしなめると、「勉強なら仕方ない」とでも言わんばかりにちらちらとリリカの方に視線を送る。男子たちに対してリリカに出来ることは真っ赤になって睨むことだけだった。
 しかし、そんなリリカに桃川先生は囁きかける。

「ねえ、石動さん……残念なお知らせなんだけど、あなたのブラジャーの内側にも、悪戯好きの小さな手が生え始めてきたみたいよ?
 ほら、胸のあたりがどんどんどんどん、くすぐったくなってきちゃう」

「ひぃっ!?」

 結局、それからものの10秒もしないうちに、リリカのピンク色のブラジャーはリリカ本人の手によって外され、宙を舞う羽目になってしまった。




「さて、感覚の促進の分かりやすい使い方については、みんな分かってくれたかしら?
 あと……ふふふ、制御魔法に抵抗できなかった場合に、どんな結果になってしまうのかも、ね?」

 桃川先生がちらりと見遣った視線の先では、上半身裸の石動リリカが両腕で自分の体を抱くようにして胸を隠していた。

 クラスの女子の中でも1・2を争うほどと言われるリリカの胸だったが、今やその大きさが周囲の目にもいっそう実感できた。
 両腕でしっかりと隠しているにもかかわらず、押しつぶされた豊満な胸は腕からこぼれ落ちそうなほどにその存在を主張している。
 その左右の胸の間に形成されたしっかりとした谷間に、多くのクラスメイト達の視線は吸い寄せられていた。

 床にへたり込んだままのリリカは、それでもなお気丈に、潤んだ瞳で桃川先生の顔を睨み付ける。
 桃川先生は、その視線に気付いていないかのようにクラスへの説明を続ける。

「さて、今見てもらったように、制御魔法は単純なものでも、相手の武器や防具をこのように奪って無力化することができてしまうから、くれぐれも無害な魔法だなんて高をくくらないこと。
 では次は制御魔法単体ではなく、他の簡単な魔法と組み合わせた利用について考えてみましょうか。
 例えば……皆さんでも使える初歩的な光学魔法、なんてどうかしら?」

 桃川先生が人差し指をタクトのように立て、軽く手を振ると、淡い青色に光る蝶が一羽、空中に現れる。
『ウィル・オー・ザ・ウィスプ』――光を球や蝶の形にして飛ばすだけの、誰もが知る初歩魔法だ。

「さて、今日の授業でも言ったけど、制御魔法というのは生物が持つ根源的な感覚への干渉を行う魔法なんだけど、それはさっき見せたような五感に対する干渉に限らないわ。
 他にも例えば、生理的な衝動に関する干渉……そうね、身近で分かりやすいところで言えば、『三大欲求』って知ってるわよね?
 食欲、睡眠欲……そしてー……『性欲』……」

 思わせぶりな溜めとともに桃川先生がちらりと生徒たちを見回すと、教室の雰囲気が分かりやすく、これから行われる実習への期待にざわつく。

「――については、みんながもうちょっとだけ大人になってから授業で扱おうかな? はいそこ、ガッカリしない。
 代わりに今回の実習では、それよりももう少し『反射的な欲求』に近い部分への干渉を見せてあげるわね?」

 からかうように悪戯な笑みを浮かべ、桃川先生が人差し指を振るうと、蝶がゆっくりと空中を漂い、リリカの方に向かって飛び始めた。

「ちょ、ちょっと! これ以上何をするつもりよ!」

 リリカは警戒するように蝶を睨み付ける。あの蝶にどんな魔法がかかっているのかは分からないが、絶対に桃川先生の思い通りになってたまるものか。

「人間も含めた生物全般には、本能に根付いた欲求というものがあるの。もちろん、万人が万人、同じように反応する訳ではないけどね。
 例えば、暗闇や火を恐れるような、防衛的な本能に基づくようなものもあれば、逆に狩猟的な本能に基づくものもあるわ。
 狩猟的な本能に基づく欲求のうち代表的なものとして、猫なんかを思い浮かべてもらうと分かりやすいのだけれど……」

 ひらひら、ひらひらと、リリカの頭上を青い蝶が舞い遊ぶ。
 近づいて何かされるのではないかと恐れていたが、どうやら飛び回るだけで何の害もないようだった。
 考えてみれば当然の話だ。もともとウィル・オー・ザ・ウィスプは実体を持たない幻のようなもので、危害を加えるような魔法を付与できるものでない。

「うぅ〜……何よこれ、コケ脅しじゃない!」

 しかし、無害だと分かっていても、いや、無害だからこそ、自分の頭の上で飛び回られるとどうしても気になってしまう。
 リリカは思わず、左腕で自分の胸を隠したまま、右手を使って――

「くす……例えば、『飛んでいるものを見ると飛び掛かりたくなる』欲求とか、ね」

――自分の頭上を飛ぶ青い蝶に掴みかかった。

 おお、と、どよめきがクラス内に広がる。両腕で隠してもこぼれそうな大きな胸を左手だけで隠したまま飛び上がると、必然的にリリカの胸の大部分は露わになる。
 大事なところは隠れているものの、リリカの豊かな胸がクラスメイト達の前で上下に揺れ、全員の視線が反射的に吸い込まれてしまう。

「あ……きゃぁっ!?」

 真っ赤になったリリカは慌てて手を引っ込めると再び両手で胸を隠す。トップレスだと言うのに何故自分はあんなものに掴みかかってしまったのだろう。
 もう二度と反応してなるものか、と誓うリリカだったが、桃川先生は楽しそうに微笑んだ。

「ふふ、無駄よ。もともと、人間はそういう本能的な欲求を、理性によって抑えつけて生活しているの。
 でもね……今石動さんの欲求は、魔法によって何倍にも高められているのよ。理性で抑えつけられるかどうか、試してみる?」

 まるで自分を誘っているように、ひらひらと頭上で飛んでいる蝶。
 見なければいいんじゃないか、と頭の中で考えて目を逸らしてみたりも試してみるのだが、蝶が飛んでいることを意識するとどうしても気になって、3秒もしないうちに再び視線が吸い寄せられてしまう。

 あの蝶は幻なのだ。捕まえようとしても、自分の手をすり抜けるだけで何の意味もない。
 頭の中で繰り返し自分にそう言い聞かせても、リリカのもっと深い部分では、抗えないほど強い存在が「あの蝶を捕まえろ」と命じているのだ。

「うぅ……このぉっ!」

 完全に無駄だと分かっているにもかかわらず、男子が大勢見ている前でぴょんぴょんと飛び跳ねて自分の胸をゆさゆさと揺らすリリカの頬は、屈辱と羞恥で火が出そうなほど真っ赤に染まっていた。
 男子はもちろん女子たちも、リリカが手を伸ばすたびに重力に従って形を変える豊かなバストと、左腕の端からちらちらと覗く乳輪に釘付けだ。

 桃川先生は、そんな生徒たちの様子を眺めながら楽しそうに説明を続けていた。

「ちなみにこの魔法は出力の調整も効くから、出力を高めればこんな風に相手を拘束するのにも使えることを覚えておいてね」

 そう言って2メートルほどの高さで蝶を静止させる。まるで見世物にされるように高く掲げた右手でしっかりと蝶を掴んだリリカの姿は、まるで通勤列車の吊革につかまるサラリーマンのようだった。

「ふ……ふん……偉そうなこと言ってるけど、左手が自由なんだから拘束としては欠陥品じゃないっ……!」

 この状況で何故強気に振舞えるのか、唇を震わせながらリリカが精一杯の強がりを吐く。
 桃川先生は、不思議そうな表情で小さく首を傾げた。

「あら……同時に一羽しか出せないなんて、いつ言いましたっけ?」

「……あ……」

 つい、と桃川先生が小さく人差し指を振った先に現れた桃色の蝶を見て、リリカの顔は真っ青に染まった。


――そこからも、桃川先生による『実習』は続いた。

 右手で青い蝶を掴ませたままの状態で徐々に桃色の蝶の出力を強めていき、どこまで耐えられるか試す実験では、リリカも最初のうちは必死に左腕で胸を抑えながら「蝶なんて存在しない、そんなもの見えない」と祈るように繰り返していたが、いずれはふらふらと左手が揺らぎ始め、そのうち、飛んでいる蝶に左手で掴み掛かって丸出しのおっぱいを見せつけては、慌ててもう一度胸を隠すという動きを繰り返すようになった。

 青い蝶と桃色の蝶の魔法を交互に強めてみせたときには、リリカは右手を高く掲げながら左手で胸を隠し、直後に左手を高く掲げながら右手で胸を隠すという芸人のような真似をさせられてしまった。

 教室中に蝶をひらひらと飛び回らせたときは、クラスメイトの男子の頭上を飛んでいる蝶を捕まえようとして、剥き出しのおっぱいを男子たちの顔に次々と押し付けてしまった。

 やがて15分後、終業のチャイムが鳴る頃には、リリカは嫌というほど制御魔法の恐ろしさを思い知らされていたのだった。

 
 
< 終 >


 

 

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