碧色の黄昏


 

 

第三話

《1》


「練習、終わります!」

「「ありがとうございましたっ!!」」

 早朝の日が射し込む板張りの剣道場の中に、女生徒達の凛としたかけ声が唱和する。

 木観塚 弥生(きみづか やよい)は剣道の面の上にかけてあった手ぬぐいを取り、顔を拭った。
 黒髪は短めにまとめているが、それでも顔にかかってくる幾本かのそれを、指で軽くのける。
 道場の中をながれる、まだ太陽の熱をはらんでいない僅かな風が、練習で汗をかいた顔にひんやりと心地よかった。

 慶洋学園高校の剣道部は週3回、あくまで自主参加として朝の練習を行っている。
 弥生もこの夏までは主将であったこともあり、練習には必ず参加していたものだが、今日は主将を後輩に譲ってからは、初めての参加であった。

『やっぱり、気持ちがいいな』

 弥生は、道場の空気が好きだった。
 静かで、凛とした、その雰囲気。
 そして練習が終わった後の、気持ちのいい気怠(けだる)さ。

「センパイっ、お疲れさまでした!」

 道着姿の後輩の一人が、声をかけてきた。弥生を慕っていつも笑顔で話しかけてくる、小柄な一年生だ。
 それと共に、何人かの後輩達が、わらわらと弥生の周りに集まってくる。

「今朝は、先輩と練習できて、朝練(あされん)きてラッキーッって感じでした」
「そうだよね。千絵とか、聞いたら悔しがりそう」
「あ、そうそう、先輩っ…」

 弥生の周りで、少女達の華やかなおしゃべりの輪ができる。
 美人で面倒見の良い彼女は、部の内外問わず、後輩達に絶大な人気を得ていた。
 後輩達の中には、彼女に憧れて入部した者も少なくない。
 そんなわけで、練習前後にはきまって、弥生はそうした後輩達に取り囲まれることになるのだった。

「あ、そういえば宮田さん。この前の試合凄かったみたいね」

 弥生にとっても、そうして自分を慕ってくれる彼女たちは、大切な存在だ。後輩の一人に、笑顔でそう返す。
 声をかけられた少女は、パッと嬉しそうな顔になり、まるで勢い込んでいるかのように答えた。

「えっ? あ、ありがとうございます。
 いや〜、先輩に見てもらえなくって、残念でしたっ」
「あ〜、朝子いいなあっ。先輩っ、私も頑張ったんですよっ!」

 そんなふうに際限なく盛り上がっている皆に、現主将である片岡久美子から声がかかった。

「ほら、1年っ。片付けっ!」

「あっ、すみません、主将っ」

 慌てて動き出す少女達。
 そんな彼女等を笑って見送り、弥生は立ち上がった。

 一息ついた後、軽くシャワーを浴びて、制服に着替える。
 遅れてシャワー室になだれ込んでくる後輩達に軽く挨拶し、校舎へと向かった。

 外は良い天気だった。
 秋晴れ、と表現するにふさわしい、あくまでも高く、蒼い、その透明な空。

 流れる雲を眺めながら、弥生はぼんやりと考える。

『渡辺先生、練習来てなかったな…』

 剣道部顧問である和人は、わりとこまめに朝練に顔を出していた。
 今日、弥生が朝練に出席したのは、彼と顔を合わせることを期待してでもある。
 どうしても心に引っかかることがあり、それで、なんとか彼と会いたかったのだ。

『このまえの先生、何かヘンだったよね…?』

 先日、彼が授業中に倒れたと聞いた。
 弥生はその日、廊下で彼と出会ったが、そのときの彼の様子は、確かにおかしかった。
 まるで、弥生を避けるような…

 そのことが気になっていたのだが、ただ何の用事もなく、職員室を訪ねるのも気が引けた。
 それで、今日のこの練習で会えることを期待していたのだが……。

『そんなに、気にすることでもないのかな?』

 弥生自身、なぜ和人のことがこれほど気になるのか、わかってはいなかった。
 朝練で会うことを期待したと言っても、別になにか話さなければならないこと、あるいは話したいことがあったわけでもない。
 どうしても会わなければならない理由など、何も挙げることなどできなかった。

『なんでだろう……』

 先日の出来事からか、ここのところ、弥生は和人のことを考えることが多い気がする。
 いや、それは正確ではない。もっと前から、多分夏休みに入る少し前の頃から、弥生は自分でも意識せずに、和人のことを目で追っていたような気がする。

 和人がこの学校に来たのは、この4月。大学を卒業したての新任で、歴史の老教師が定年で退職するのと入れ替わり就任した。
 それと同時に、その老教師が務めていた剣道部顧問も同時に、引き継いだのである。

 当時は現役の主将であった弥生は、部の運営等について何かと和人と相談し合う機会が多かった。

 最初の頃の彼は、端で見ていて気の毒なほどにうろたえていた。
 女子校という、若い女の子で作り出された世界にもあたふたとし、初めて務める武道系の部の顧問という立場にも、困惑していたようだった。

 それでも教師として、顧問として、なんとか頑張ろうとする彼。
 その姿は、少し不器用ではありながらも、誠実だった。
 だから弥生も彼に協力し、そうして彼女としては剣道部を、とてもいい状態で後輩達に譲ることができたと満足している。

 だから和人は確かに、弥生にとっては最も近い場所にいた教師でもあった。
 ……だから弥生も、彼に対して親近感を持つようになったのだろうか。

『渡辺先生……』

 そう、それほど心配することではないのかも知れない。
 もし何かあったのだとして、弥生がどうするというのだ。
 彼個人の問題であれば、大人である和人が抱える問題に、生徒でしかない弥生が口を突っ込むようなことはできない。

『そう…別に、私が気にする事じゃあないかもしれない』

 ……それでも、ただ、彼に会いたい。
 ただ意味もなく、ただ漠然と、弥生はそんな想いを胸に抱いていたのだった。

「──弥生姉さん」

 校舎に入ったところで、突然そう声がかけられた。
 考え事をして、少しぼうっとしていた弥生は、内心慌てて声の方を向く。そこには小柄な、ほっそりとした少女が立っていた。

 眼鏡をかけた、柔らかな輪郭をもつ大人しそうな顔。その周囲を、ややウェーブがかった髪が囲んでいる。
 制服の胸のリボンに色からすると、1年生。
 少しまだ子供っぽさが残っているような、愛らしいと表現していい笑顔で、彼女は弥生を見ていた。

「ああ、おはよう、渚(なぎさ)」

 弥生はほっとした、くつろいだ笑顔を浮かべると、そう彼女に挨拶を返した。

「どうしたの、こんな所で?」

「うん…、ちょっと、事務の人に用事があったから…
 あ、あと、なんとなく、弥生姉さんに会えるかなあ、って」

 相変わらずの内気そうな声で、彼女はそう答えた。
 そんな彼女を優しい目で見ながら、弥生は『クスリ』と笑う。

 渚の『なんとなく…』はよく当たる。弥生はずっと前から、それを知っていた。

 例えば、彼女が“なんとなく”傘を持って出かけた日は、大抵雨が降った。他にも、なんとなく出かけた先で古い友人と出会ったり、──最も印象に残っているのは、彼女がなんとなく乗るのをやめたバスが、事故にあったこともあった。

 だからこうは言いつつも、渚はきっと、弥生に会えることを自分でも疑っていなかったに違いない。

「それで、弥生姉さんは…」

 しかし弥生は、その言葉を身振りでやんわりと止めると、渚に言った。

「いいよ、…二人だけの時は、『お姉ちゃん』で」

「……うん、お姉ちゃん」

 鈴本 渚(すずもと なぎさ)は、嬉しそうに微笑む。
 従姉妹ということになっている彼女たち……二人は、実の姉妹であった。




 ──僅かに目を細めながら、空を見上げる。
 どこまでも晴れわたった秋の空が、目に美しい。

 沙夜香は、ゆるやかな風に揺れる長い髪を片手で軽く押さえながら、その肌に当たる心地よい陽気を楽しんでいた。
 冷たく感じられるほどに整った顔を空に仰ぎ、心地よさそうに目を細める。

 ここ慶洋(けいよう)学園の屋上は高いフェンスに囲まれており、一般生徒にも開放されている。昼食時ともなれば人気の場所の一つで、そこかしこで少女達の歓談の輪が作られる。
 しかし朝まだ早いこの時間、そこには彼女以外の人影は無かった。

“ガチャ…“

 金属製の扉が開く、軋むような重い音。
 その音を耳にし、彼女は顔を音のほうに向け、そしてそこに彼女の待ち人が訪れたことを知った。

「先生」

 平均よりはやや高めの身長に、痩せ気味に見える体つきをした、若い男。その顔は基本的には整っており、まあハンサムと言ってもいいだろう、といった感じか。

 しかし、そのような外観的な特徴は、沙夜香にとって大した意味のあるものではなかった。
 彼が内在する、『力』。
 想像を絶する程に古く、そしてあまりにも強大な『力』を、彼はその身に所持している。

 ……彼女にとっての絶対の主(あるじ)、渡辺 和人であった。

「およびだてして申し訳ありません、先生」

 しなやかさを感じさせる優雅さで、恭しく一礼し、彼に挨拶する。
 しかしそんな彼女を見る主の目つきは、控えめに表現しても、あまり好意的とは言えないようなものだった。

「いいや、かまわないよ。
 それより、どうした? 神条」

 言葉少なに、そう応える。

 沙夜香は今朝、たまたま朝早く学校に来た和人と、正面玄関で出会った。
 そのときに、ここに来てくれるよう、他の者に気づかれぬようにそっと彼に頼んだのである。

「それで、なんの話だ?」

 和人は、ややせっかちな物言いで彼女に訊ねた。

『無理もない』 …表情には出さず、心の内で沙夜香はそう考える。
 彼女の主にとって、彼女はあまり会話をしたいような相手ではない。
 彼は自分の人生を、他ならぬ彼女によって、それまで思いもしなかった狂った方向へとねじ曲げられてしまったのだから。

 そして今、目の前にいる沙夜香の話たい事というのが、恐らくは彼にとって面白くないものであろうということ。
 これも、お互いにとってわかりきった事であった。

「1年3組の“鈴本渚”という生徒を、先生はご存じですか?」

 おもむろに、話を切り出す。
 これが和人にとって苦痛な内容の話であれば、可能な限り早めに済ますべきであろう。
 それが、彼の下僕たる自分に出来る、せめてもの気遣いだ。

「鈴本……、いや、知らないな。
 直接の知り合いでもないし、そのクラスの授業は持ってないしな」

「そうですか、…なら、良かったです」

 その沙夜香の言葉に、なにを感じたのであろうか? 和人の眉が、しかめられた。

「良かったというのは、どう言う意味だ?」

 別に知りたくもないが、聞かなければならないこともまた確かだっだ。
 彼のその質問にに対し、沙夜香は、よどみなく答える。

「その娘には、『贄(にえ)』としての資質があります」

「………」

 和人の顔が、歪む。そして彼は、憎しみをたたえた目で、沙夜香の白い顔を睨みつけた。



《2》


「それで、お姉ちゃん…」

 渚は嬉しそうに目を輝かせながら、弥生を話をする。
 弥生もそんな妹に対し、親しみと愛情のこもった顔で応じていた。

 二人が自分たちの真の関係を知ったのは、今年の正月のことだった。
 酒に酔った親族の一人が、弥生にその秘密を漏らしたのである。

 それによると、渚が生まれた後すぐ、二人の母親は体をこわして亡くなったのだそうだ。

 突然妻に先立たれ、まだ幼い弥生と、乳飲み子である渚を残された父親。彼に、親族である鈴本夫妻が、渚を引き取れないかと話を持ちかけたのだそうである。
 ちょうど、と言ってはなんだが、妻の方がその2年ほど前に病院で、妊娠能力が無いとの診断をうけたというのである。
 だから渚を、養子として迎えたい…。

 そうして渚は、鈴本の家に移された。

 その話を聞いたときには、さすがに姉妹はショックを覚えたが、それもじきに収まった。
 なにより鈴本夫妻は本当によい人たちであり、だから二人も、自分たちがそのことを知ったということは伏せておくことにしたのである。

 それでも二人はそれまでよりも親密な仲となり、二人きりの時はより親しい呼び方を使おうということになった。

「お姉ちゃんは、また剣道?」

「うん、やっぱり、体を動かすのは好きみたい」

「へえ、すごいなあ」

 そんな他愛もない会話でも、渚はとても嬉しそうに話す。
 もともと、渚は小さい頃から弥生に憧れていた。
 美人で、凛としていて、スポーツも出来る理想の姉。
 そんなふうに、思っていたのである。

「でも最近は、ウチの秋祭りの準備がいそがしくって…。
 あんまり、剣道の方はやれてないんだけどね」

 季節は、秋。そして紅葉の時期も、すぐそこまでやって来ていた。
 木々が色づいた頃、弥生の家である神社では、例年の秋祭りが行われる。
 その準備も着々と進んでおり、氏子(うじこ)の人たちや露天商の人たちとの下準備で、父親は忙しそうだった。

 弥生も簡単な雑務を頼まれることも多く、なにかといそがしい。
 もっとも彼女にとっては、祭りの“準備”はそれだけではないのだが。

「それでお姉ちゃんは、今年もお祭りで踊るの?」

「うん、ホントは恥ずかしいから、あんまりやりたくないんだけどね」

 苦笑しながら、弥生は答える。
 彼女は毎年、その祭りの時には神楽(かぐら)を舞っていた。

 神社に古くから伝わる舞。
 その年の収穫を神に感謝し、翌年の豊穣を祈願し、そして同時に『魔』よりの加護を祈る。
 古くから巫女によって舞われてきたそれを、ここ3年ほどは弥生が引き継いでいた。

 綺麗な衣装が着られるのは嬉しいし、弥生にとってその神楽を舞うことはひとつの誇りでもあった。
 ──が、やはり大勢の前で舞うのは、いつも恥ずかしくもある。

「ええ、もったいないよ。お姉ちゃんの踊り、綺麗なのに…」

 そう言う渚に、弥生は微笑みながら言う。

「そろそろ行かないと、時間、大丈夫?」

「あ、本当だ。事務室に行かないと…」

 そう言って、渚は名残惜さそうに去っていった。
 弥生もそれを笑って見送ると、教室へと向かったのだった。




 ……じっと、不機嫌そうに、あるいは警戒するように、和人は沙夜香を睨む。
 しかし彼女は、そんな彼の視線を正面から受け止めながら、続けた。

「その娘の中には、何らかの『力』を感じます。通常ではない、何か。
 もちろん、先生のそれと比べれば問題にならないほどのものですし、私と比べても落ちます。
 しかし、『贄』としては、──実際に味わってみなければ正確なことは言えませんが──極めて良質かと」

 和人が、胸に手をやる。
 まるで、自らの内の何かを押さえつけようとしているかのように。

 沙夜香は、そんな自らの主(あるじ)を、どこか探るような視線で見つめた。

「その…その娘が、このまえお前が言っていた、夏紀と“もう一人”の娘なのか?」

 彼女のその視線には気づかず、和人はそう問う。
 沙夜香はしかし軽くかぶりを振ると、それに答えた。

「いえ、違います。
 この鈴本という生徒は、その二人と比べれば、二つほどランクが下がると考えていただいて結構かと思います。
 彼女らが通常の人間の5倍以上の『生気』を保持しているとすれば、その生徒はせいぜい2・3倍ほどでしょうか? そう思って下さい」

「……それじゃあ、その“もう一人”は誰なんだ?」

「………」

 何かを揶揄(やゆ)するように彼を見つめる、沙夜香。
 そして彼女は、逆に彼に質問した。

「それを聞いて、どうなさるおつもりですか?」

「どう、って……」

 和人は言葉に詰まる。

「先日の西原さん。そして、今回の鈴本という生徒。
 私がどのような基準で彼女らを選定しているのか、先生にもおおよそのところは、おわかりなのではないですか?」

 ……その通りであった。
 先日の西原に、今日の鈴本。
 和人には、沙夜香が『贄』の選定の基準として、その娘が彼に直接関係のない生徒である、ということを組み込んでいることを、判っていた。
 そしてその“もう一人”が、彼の身近な人間であるということも…。

「…だからこそ、知りたいんだ。
 誰なんだ? そのもう一人っていうのは」

 二人の目が合う。
 和人と、沙夜香。

 ……そして、沙夜香はゆっくりと答えた。

「もう一人は剣道部の、木観塚弥生さんです」

「……そうか」

 和人も、特に驚いた様子も無しに、そう答えた。

 二人の間に、沈黙が訪れる。

 沙夜香には、わかっていた。
 もうこれ以上、二人が話すべきことは無いということを。

 和人は沙夜香が贄を確保することと、そしてその贄から生きるための糧としての『生命』を奪うことを、もはやあきらめと共に受け入れている。
 同時に彼の中では、最後の、そこだけは譲れないラインのようなものも、すでに決まってしまっている。それは恐らくは漠然としたものであるだろうが、同時に強固なものでもあった。

 和人は、沙夜香が鈴本渚を贄として確保することを、すでに受け入れてしまっているだろう。
 同時に、彼は木観塚弥生を贄とすることを、決して許すことはないだろう。

 沙夜香が自分自身と、そしてなにより主たる和人のために行わなければならないこと、行ってはならないことは、すでに決まっている。

「それでは、先生。…また、放課後」

 そう挨拶し、沙夜香は屋上から校舎内へと戻る。
 和人からの返事は、無かった。

 日の当たる屋上から校舎内へと入った沙夜香を、ひんやりとした空気が包む。
 屋上と比べればやや薄暗い階段を、ゆっくりと降りる。
 廊下を歩けば、登校してきた生徒達が、徐々に教室に集まりつつあった。

 鞄を持って歩く生徒達の間を、沙夜香は一人ゆっくりと歩く。
 すれ違うとき、ほとんどの生徒が彼女の方をチラチラと見、あるいは振り返った。
 それももう慣れた風景。沙夜香は彼らのその態度を、何も気にせずに歩く。

『あら…』

 そんな彼女の表情が、ほんの僅かに動いた。
 彼女が向かう方向から、知った女生徒が歩いてきたのだ。

 スラリとした真っ直ぐな背筋で歩く、凛とした雰囲気を纏った、綺麗な女生徒。
 その清潔そうに短めに切りそろえられた髪は、最近の多くの生徒達がそうしているように脱色されたりはしていない。だがそんな深く黒い髪の色こそが、彼女にはよく似合った。

 ──木観塚 弥生。

 しかし、沙夜香の表情は、一瞬で元に戻る。
 すれ違う弥生に対し、何事もなく通り過ぎる。
 …当たり前のことだ。沙夜香と弥生は別に知り合いでも何でもなく、それが普通なのだから。

 しかし……

「──え?」

 二人がすれ違う、まさにそのとき、…弥生が突然そう小さく声を上げると、沙夜香の方を見た。




 教室へと向かう弥生は、廊下で何人かの見知った生徒達とすれ違い、朝の挨拶を交わす。
 見慣れた廊下の、見慣れた顔。そして見慣れた制服。
 いつもの、朝の光景だった。

 そんな慣れ親しんだ眺めの中を歩く彼女の目に、突如異質な『何か』が入ってきた。
 一人の女生徒。
 彼女がいるその場所だけが、違和感をもって浮かび上がっているような、そんな雰囲気を醸し出している。

『……?』

 その不思議な感覚に導かれるかのように、弥生はその女生徒に視線を向けた。

 この学校のものではない、深いシックな色使いをした制服の少女。
 黒く長い髪を持つその姿が、向こうから歩いてくる。

『あの子が…』

 そういえば噂で聞いた気がする。
 先日、2年生のクラスに、もの凄く綺麗な娘が転校してきたと友人が言っていた。
 きっと、その娘であろう。

 …思わず一瞬、見とれてしまった。
 美しい、長い真っ直ぐな黒髪。綺麗な弧を描く眉に、長いまつげ。スラリとした鼻筋。鋭角的な輪郭。艶やかな唇……

 それでも、あまりじろじろと眺めては失礼と、視線を外す。
 見れば自分だけではなく、廊下の皆が彼女に目を奪われている。

 近づき、その彼女とすれ違う。
 そのとき……

「──え?」

『ぞわり……』と、何かが背筋を駆け上がった。
 本能的な危険を知らせるような、そんな…。

「……なにか?」

 ──知らぬ間に、声を出してしまったのだろうか。
 気がつけば、その美しい彼女が弥生の方を見ながら立っていた。




「……なにか?」

 …何事が起きたのか?
 しかし、沙夜香はそんな小さな驚きを、表面に表したりはしない。
 そっと、おかしく思われない程度の笑みを顔に浮かべ、沙夜香はそう弥生に尋ねた。

 だが、彼女の方も、なにやら要領の得ない顔で、沙夜香の方を見るだけである。
 そして、

「…ああ、ごめんなさい。何でもないの。
 驚かせちゃったわね?」

 弥生はその場をごまかすように、そう沙夜香に言って、謝った。

「いいえ、お気になさらないでください、先輩」

「え? 先輩って?」

 戸惑う弥生に、

「ああ、失礼しました。制服のリボンの色が、3年生のものでしたので…。
 私、先日、2年に転校してきたんですよ」

「ああ、それで……。
 初めまして、ですね。
 ──3年1組の、木観塚 弥生です。あなたは?」

「初めまして。2年2組の、神条 沙夜香です」

「そう……」

 まだ何か言いたげな、弥生。

 しかし沙夜香は、それ以上の接触を彼女とするつもりはなかった。
 木観塚弥生とは関わらない。それは、もうすでに下っている結論であったはずだ。

「それでは、先輩。失礼します」

 軽く頭を下げ、その場を立ち去る。
 その背中に感じる視線は、彼女が廊下を曲がるときまで、ずっと消えることはなかった……。




 弥生は、立ち去る女生徒の背中を、じっと見つめる。
 …なぜ、あの娘がこれほど気になるのか、弥生自身にもよくはわからなかった。
 しかし彼女の中の『何か』が、弥生に警笛を鳴らしていた。

「……」

 先ほど見た、少女の瞳。
 限りなく深く、限りなく暗く黒い、その瞳……。

 何かを、彼女に確認したい。
 しかしどんな質問をしたいのか。何を確かめたいのか。
 弥生にはそれがわからず、ただ漠然とした不安感だけを感じる。

 神条と名乗る少女の、その細い、後ろ姿…。
 そして一人残された弥生は、そんなはっきりとしない焦燥感を胸に、沙夜香が廊下を曲がるときまで、その背中をずっと眺めていた……。



《3》


 放課後、渚は図書室をあとにし、廊下を歩いていた。
 本の好きな彼女は、よく図書室に入り浸っている。
 今日も本を読み、気が付けは空は紅く染まっていた。

『早く帰らないと、遅くなっちゃう…』

 最近、日が短くなってきたのを実感する。
 渚の家の周りは夜は薄暗くなるので、出来れば本格的に暗くなる前に家に着きたかった。

『お姉ちゃん、今日はもう帰ったのかな…』

 姉のことを、思う。
 もともと綺麗で、頭がよく、運動もできる、理想の従姉だった。
 渚は彼女のことを、小さな頃から憧れの目で見てきた。
 そしてその思いは、彼女が実の姉とわかってからも、変わるものではない。いや、むしろ強まったと言っていいだろう。

『でも…』 …朝の彼女は、少しいつもと違って見えた。

 普段は凛とした雰囲気をかもし出している彼女。その彼女が、あんなふうにぼんやりするのは、珍しいことだった。

 …いや、正確にはそうではない。
 渚は思う。

 別に、弥生とて人間だ。ぼんやりしているときだってある。
 だが、それでも、やっぱりあのときの弥生は、いつもの、渚のよく知っている彼女ではなかった。
 恐らくは、なにか大きな悩みとか、そんなものを抱えているのではないか…?

『もしかしたら、誰か、気になる男の人でもできたのかなあ…?』

 何の脈絡もなく、渚はそう思った。
 なぜ、突然そんな考えが頭に浮かんできたのかはわからない。しかし、そう思い当たれば納得のいくこともたくさんあった。

 ここ数ヶ月、弥生は変わった気がする。
 凛としたところはそのままに、だが、どことなく線が柔らかくなったというか…。

 さらに、渚はこうした自分の“カン”がよく当たることを、経験からよく知っていた。

 昔から、そうだった。
 何となくイヤな予感がして乗らなかったバスが、事故にあった。
 大した根拠もなく折り畳み傘をもって外出すると、やはり雨が降った。
 意味もなく惹かれたクジを引くと、欲しかった景品が当たった。

 ……そして、何故かはわからなく、どうしても違和感を感じていた自分の両親は、血の繋がりのない両親だった。

 自分にそんな、第六感のようなものがあることを、他人に話したことはない。
 だが、彼女の中では、自分のそうした勘は、信じるに値するものとして確かに存在していた。

『どんな人なんだろう。
 他の学校の男の子かなあ。それともだれか、学校の先生とか…』

 もし、本当に弥生に好きな人でもできたのだとすれば、それは自分にとっては嬉しいことなのか。それとも、悲しいことなのか。
 同世代の女の子として、そうした想いを寄せる男性が現れたということは楽しいことでもあるし、同時に親しいその娘を、その男性に取られてしまうような不安もある。

『でも、そうと決まったわけでもないよね』

 自らを、苦笑する。
 いくらなんでも、空想を進めすぎだ。

 …そんなとりとめのない思いにふけっていた渚の脚が、ふと止まった。

『……?』

 自分でも、何故止まったのか、よくわからなかった。
 しかし、同時に、

“ゾワ………ッ!!”

 体中が、総毛立つような感覚。

『…なに?』

 全身の皮膚が、ピリピリとするような、そんな空気を感じる。
 指先がブルブルと震え、脚が勝手に止まり、それ以上前へと出ることを封じた。

『……なん、で………?』

 そのあまりに強烈な、あまりに異常な感覚に、混乱する彼女。
 しかし、そんなうろたえる彼女の思考を無視して、彼女の本能はその場を逃げると、大声でわめき立てていた。

『どうしよう……っ』

 廊下の先、曲がり角の向こうから、何か巨大な、──そして明らかに“異質な”気配があふれ出し、渚を絡め取っていた。

『ああ…、ああああっ!』

 逃げなければならない。──いくらそう思っても、渚の脚は動いてはくれなかった。
 廊下を包むその気配は、明らかな『闇』をまとったそれであり、そのあまりに強い力をもつその気配のせいで、まるで廊下そのものが闇に包まれているような錯覚を覚えた。

『助け……助けて…っ!!』

 せめて必死そう叫ぼうとするが、渚の喉は彼女を裏切るように、その動作をまったく行おうとはしなかった。
 ただひゅうひゅうと、声にならない空気を漏らすだけであった。

 ……闇が、たわむ。
“それ”はジリジリと、彼女を縛り付け、そして彼女を蝕む。
 身体を絡め取り、心を浸食し……渚はその『闇』が、彼女を喰らい尽くそうとしているのを、はっきりと知った。

『たす…け……っ』

 曲がり角の向こう。そこにいる“何か”。
 それは未だ姿を現さず、それでいて確かにそこに存在していた。

 そしてその“何か”の前に、渚は自分が絶望的なまでに無力であることを、はっきりと感じていた。

『いや…や……』

 ジリジリと、“それ”が渚に近づいてくる。
 ゆっくりと、しかし確実に、まるで彼女をいたぶるかのように、それはその食指を渚へと伸ばしていた。

『あ……あああ…』

 曲がり角に、“それ”の影が見えたような気がした。
 暗い……闇よりも更に暗い、その影。
 優美な程にほっそりとしたその姿を、渚は見たように思った。

『助け……』

 この世界でただ一つ、本当にすがれるように感じるその人を、渚は必死で呼んだ。

『おね………お姉ちゃんっっ!!』

「──渚?」

 突然背後からかけられた、声。

 ……その瞬間、止まっていた世界が動き出したように感じた。
 辺りを覆っているように感じた闇の気配が消え去り、まるで灰色だった視界に色が戻ったかのように思える。

「渚、どうしたの? こんなところで、ぼうっとして」

 渚は後ろを振り向く。
 凝り固まってしまったようにギチギチと鳴る首の筋肉を無理矢理動かして、その声の主を確認した。

「おねえ……ちゃん」

 まさか本当に来てくれるなどとは、思ってもみなかった。
 しかし確かに、そこには彼女が必死で助けを求めた相手が立っていた。

 きょとんとしたような表情で渚を見つめる、弥生。
 その顔を見たとき、渚の中でそれまで張りつめていた緊張が、限界を迎え、途切れた。

「────」

 ふらり…と、その小柄な身体が傾ぐ。

「渚っ!?」

 弥生は慌てて、その躰を支える。

「う……うあっ、……うわぁぁぁぁぁん!!」

 戸惑う彼女の腕の中で、渚はまるで怯えた幼子のように弥生にしがみつくと、声をあげて泣き始めた。

「渚……どうしたの、何があったの!?」

 しかし渚は答えない。というよりも、今の彼女にはそんな余裕などなかった。
 ただ弥生の服を小さな手でギュッと掴み、顔をその胸に押し当て、ただ恐怖から逃れようと、必死に姉にすがりつくようにして泣き続けるだけであった。




 ……早足で、廊下を急ぐ。
 その長い黒髪が、苛立たしげな歩調に合わせて、せわしなく揺れていた。

『いったい……』

 沙夜香は小さく唇を噛んだ。

『どうして、あんなところに、木観塚弥生が……』

 あと、もう少しであった。
 もう少しで、鈴本渚の精神を完全に掌握し、沙夜香の思う方向へと誘導することができたはずであった。

『なのに……』

 なぜ、あそこに弥生がいたのか。
 なぜ、彼女はあそこに現れることができたのか。

 ──沙夜香は、獲物を確実に捕獲するために、あの周囲に人払いの結界を張っていた。
 通常の生物であれば無意識にあの場に近づかぬように行動するはずであるし、また何者かがその内部に侵入すれば、それはすぐに沙夜香の知ることとなるはずであった。

 にもかかわらず、弥生はあの場所に現れた。
 しかも、その時まで、沙夜香は彼女の接近に気がつくこともなかったのだ。

『やはり、“只の人間”ではないか…』

 みすみす獲物逃してしまった悔しさに、奥歯を噛みしめる。きしり…と、その口元から歯と歯が擦れ合う音が洩れた。

 だが、あれ以上あの場に残ることができなかったのも、また確かだ。

『よりによって、なぜ木観塚が?』

 沙夜香がその気になれば、弥生をどうにかすることは、当然可能だったと思う。
 しかし彼女は、弥生と接触するわけにはいかなかった。
 そんなことをすれば、彼女の主(あるじ)の意向に背くことになる。

『く……っ!』

 燃えるような屈辱感に身を震わせながら、沙夜香は目的の部屋にたどり着いた。
 戸を開けようとして、数瞬のあいだ躊躇う。
 一体どのような顔で、主に失敗を報告すればいいのか。

 ……だが、それも僅かな時間でしかなかった。
 こんなところに立ちつくしていても、なにも始まらない事は分かっていたから。

 沙夜香は戸を開けると、保健室の中に入った。



《4》


 保健室の中、白いシーツが敷かれたそのベッドの上では、3つの人影が、全裸で絡み合うようにしてうごめいていた。

「はあっ、はあっ……」

 荒い息づかいが、部屋中に響いている。

「ふうっ、ふ…ああっ!」

 和人は小柄な由佳の躰に後ろから覆い被さるようにして、彼女を責め立てていた。
 シーツに顔を埋ずめながら、顔を赤く染め、必死に耐えるかのようなあえぎ声をあげる少女。その細い身体は和人の下で、今にもひねり折られてしまいそうにも見えた。
 そんな彼女の秘所を、和人のいきり立ったものが貫き、そして蹂躙する。

「あっ、ああっっ!」

“ぬちょっ、にちょっ…”

 そんな淫らな水音を立てながら、和人と優佳の腰がうち合わされる。
 和人のモノを迎え入れたそこから、彼女の分泌した粘液がその華奢な太股の内側を伝わり、シーツの上に染みを作っていた。

「ああ……、ご主人様…」

 由佳をねじ伏せる和人に寄り添うように、養護教諭である高坂裕美はその裸身を重ねる。

 その同性でさえも憧れを覚えるであろう、胸の膨らみ。引き締まったウエスト。そして妖艶な腰つき。
 まるで、男の欲望の理想そのものであるかのようなプロポーションを備えたその裸体を、彼女は体重がかかりすぎないように気を使いながら、和人にすり寄せた。

「ん……、んん…っっ」

 和人の横から彼の肩や脇腹の辺りに、己のたわわな胸の膨らみを擦りつける。そうしながらも顔を寄せ、舌を伸ばし、和人の肌や耳を舐め、彼の快感を少しでも引き出そうと奉仕する。

「はあ……、あああ…」

 そうしているだけで、裕美の奴隷として調教されてきたその心と身体は、高ぶりを感じているらしい。
 目元をぼうっと赤くし、熱く湿った息を吐きながら、裕美は片手を自らの股間に伸ばし、その濡れそぼった場所を慰めていた。

「ふぁっ、あああっ!!」
   「んん……、う…んっ」

 己の胎内を行き来する和人の欲望の動きに合わせて吐き出される、由佳の幼さを感じさせる高めのあえぎ声。
 それとは別に、深く、ゆっくりとした、それでも底から沸き上がるような、耐えきれぬような吐息であえぐ、裕美。

 そんな二人の息づかいに包まれながら、和人はそれでもそんな二人に全く気を払わず、ただ自分の快楽を引き出すためだけに腰を動かし続けていた。

「先生……」

 突然、そう声がかけられた。
 しかしその声に対して驚いたり、慌てたりする人間は、一人もいない。
 3人共に、それまでと全く変わらぬ様子で、ただ快楽を汲み上げるために動き続けていた。

「申し訳ありません、先生。
 今日のところは、鈴本渚を確保することができませんでした」

「……」

 その声に対し、やっと、3人のうち和人だけが反応を見せる。
 由佳を突き上げる動きはそのままに、顔だけをあげ、その瞳を沙夜香に向けた。

『────っっ!!』

 沙夜香の身体が、硬直した。

 彼女に向けられた、和人のその瞳。
 碧い……日本人として、いや人間のものとして決してあり得ない、碧さに染まった瞳。
 その中には圧倒的な力を持った光と、底知れぬ深さを湛えた闇、──本来矛盾するはずの両者が混じり合い、そしてそれが沙夜香を縛り付ける。

『あ……、ああ…っ!』

 人間などとは比較にならぬ力を、その身に潜めた沙夜香。
 だが和人のその一瞥(いちべつ)は、たったそれだけで、彼女をねじ伏せた。

 魂そのものをその手に握りしめられたような、そんな感覚。
 あとほんの少し彼がその気になれば、彼女の存在など簡単に握りつぶされてしまいそうな、そんな圧倒的な恐怖。
 そして、そんなふうに自身を踏みにじられることから来る…………喩えようもないほどの悦楽!

『く……ふっ!』

 和人の力に縛り付けられ、捻り伏せられ、……しかし彼の贄である沙夜香の魂の底からは、理性を喰い尽くされるほどの快感が沸き上がり、彼女を蹂躙する。

「はあっ…、はあ……っっ!」

 心臓がバクバクと脈打つ。耳の脇の動脈が、ドクドクとうるさくがなり立てる。
 そして、身体の奥底、下腹の一番奥の方からどうしようもなく熱いものがこみ上げてきた。

「……なにがあった?」

 そう、彼女の支配者は訊ねた。
 沙夜香はその身が崩れそうになるのを必死に耐えながら、絶対の主である和人の問いに答える。

「申し訳ありません。邪魔が入りました」

「邪魔…?」

 和人の眉がひそめられた。
 彼は、沙夜香の力を知っている。以前、彼女の主となるその前に、身をもって知らされたことがあるのだ。
 彼女は、ただの人間にどうこうできる存在ではない。

「……木観塚弥生です」

「………」

 和人の眉が、更に歪められる。

「あと一歩で鈴本を確保できるところで、木観塚が通りかかりました。
 その場が私の結界で閉ざされていたにも関わらず、です」

 沙夜香は、懸命に声を絞り出す。

「やはり、彼女にはある種の力があると思われます。
 それを当人が理解しているかどうかは分かりませんが、このままではいずれ我々にとって……」

「もういい」

 和人はそう言って、彼女の言葉をさえぎった。
 そのまま苛立たしそうに、腰を突き上げる。

「はあ……っ!」

 突然の動きに、彼の下で由佳が声を上げる。
 そんな彼女の声までも押しつぶすかのように、和人は後ろからさらに彼女にのしかかり、腰を打ち付けた。

「はあっ、……ああっっ!」

 二人が再び動き出したのを見て、裕美も主人に対しての奉仕を再開する。
 和人の動きの邪魔をせぬよう気を使いながらも、たわわな胸の膨らみを彼に擦りつけ、あるいは舌を伸ばし彼の耳や首筋、背や脇腹を舐め回す。

“ぐちゅ…、にちゅ……っ”

 和人が腰を振るたびに起こる、淫猥な水音。
 裸の腰と腰とがぶつかる音が、保健室に響いた。

「ふう、ふう……っ!」
   「はあっ、はあっ、はあっ…!」

『……あああ………っっ』

 そんな3人が繰り広げる狂宴を前に、沙夜香は背を小さく振るわせる。
 彼と彼女たちから放出される、淫らな波動。
 まさしくそういったものを主食とする魔である沙夜香にとって、彼等から放出されるそれはあまりに甘美なものであった。

 だが、彼女はそれに参加することを許されてはいなかった。
 獲物を逃し、のこのこと還ってきた、彼女には。

『く……、ふ…っ』

 沙夜香の下腹の奥底から、煮えたぎったものが沸き上がり、彼女を狂わせる。
 スカートの中の下着は、既に彼女の中からあふれ出したものでぐっしょりと濡れ、肌に張り付いていた。

「はあぁ……っ、んんんっっ!!」

 ベッドの上、和人の動きが更に荒々しいものとなり、それに従って由佳のうめき声もまた、昂ぶる。
 その小さな白い裸身を、男の身体で押しつぶされながら、もはや悲鳴とも嬌声ともつかぬ声を張り上げている。
 シーツに押しつけられたその顔は、涙を浮かばせた目を硬くつぶり、眉はギュッと寄せられ、そして喰いしばった口元からは唾液があふれ出し、顔中がグチャグチャに汚れていた。

「はあっ、はあっ…!」

 和人はただ一心に、己の腰を少女に打ち付ける。
 そうしながらも片手を伸ばし、脇から彼に奉仕していた裕美の髪を掴み、彼女の顔を自分の顔に引き寄せた。

「んっ…、んんっ」

 裕美もそれに逆らうことはせず、むしろ喜びを湛えながら主人の求めに応じる。
 舌を大きく突きだし、和人の舌を迎える。
 彼の舌を吸い、あるいは舌を伸ばして彼の口の中を愛撫し、あるいは送り込まれた唾液を音をたてて嚥下する。

 二人の重ね合わされた唇の間から、ぴちゃぴちゃという粘膜同士がたてる音と共に、混じり合った二人の唾液が糸を引いて垂れ落ち、和人に覆い被られた由佳のうなじの辺りを濡らした。

「くふっ、……くっっ!」
   「んんっ、……あああっっ!」

 彼等の吐く息がさらに大きなものとなり、やがてその限界を迎える。

「ぐ……っっ!」

 そう小さくうめき声を上げると、和人は腰を由佳に押しつけ、ブルブルと腰を振るわせた。
 沙夜香はそんな彼を見て、彼が由佳の胎内へと己の欲望を放ったことを知る。

「あ……、ああ……」

 そう声を洩らしながら、由佳の身体がシーツの上に崩れ落ちる。
 その身体は完全に弛緩し、ベッドの上に投げ出された。

“ずる……”

 そう音をたて、和人のモノが由佳の中から抜き出された。
 放出によりいくらか硬さを失っているように見えるそれは、己の吐き出したものと由佳の分泌した愛液とで、てらてらと濡れていた。

「ああ……、ご主人様。裕美の口を使って、汚れてしまったものを綺麗にしてください」

 年上の養護教諭はそう言って和人の腰ににじり寄ると、彼のペニスに恭しく手を差し伸べた。
 手で根本の部分をそっと固定し、表面にこびりついた粘液を舌で何度も何度も舐めとる。

“ぴちゃ…、くちゅ……”

 幹や亀頭の汚れを丁寧に舐めとり、その下にある剛毛に包まれた袋にまで舌を伸ばす。
 そうしているうちに、彼の欲棒は再び力を取り戻してきた。
 それを敏感に感じ取り、裕美は嬉しそうに、さらに力を加えながら、彼のモノを口に咥える。

「もう、いい」

 しかし和人は、そんな裕美の頭をうっとうしそうに押しやると、ベッドから下りた。
 脇の椅子の上に畳まれていた服に手を伸ばし、身につけていく。

「先生、どちらに?」

 服を身につけ終わり、扉の方に向かおうとする和人に、沙夜香は声をかけた。

「もう、今日は特になにもないだろう? 帰るよ」

「あの……」

 沙夜香は、和人を呼び止める。
 その声の中には、何らかの抑えきれないような、小さな震えが含まれていた。

「なんだ?」

 振り返る、和人。
 その彼の顔を見上げる沙夜香の顔は、ぼんやりと紅く染まりながらも、目は必死な色を湛えて彼に訴えていた。

「あの…、お願いします。私にも……先生の御慈悲を頂けませんか……?」

 それは、言葉に出した沙夜香にとってさえあまりに意外な言葉であった。
 力を持った者として、いままで多くの他者を操り、食し、破滅させ、そうやって常に強者として人間達や、ときには魔をさえ踏みにじりながら生きてきた彼女。

 だが、口にして彼女は理解する。今の彼女にとっては、その言葉こそが真実の自分であった。
 彼の『モノ』、彼の『従者』、そして彼の『贄』である、彼女。
 そうであること、ただそれだけこそが、現在の沙夜香にとっては、己の全てであったのだ。

「先生……」

 そしてなにより、沙夜香は耐えられそうになかった。
 今このときも、全身の動脈ががなり立て、身体が熱を持ったようにあつくなっている。
 その熱は彼女の中の官能を刺激し、頭の巡りを鈍らせ、目を潤ませている。
 身につけた布の下では、胸の頂が下着を押し上げ、それが布と擦れて僅かな痛みを主張している。
 そして彼女の中心からあふれ出した蜜は、もはやショーツだけでは止められず内股を伝い落ちるのではないかと思われた。

 彼女の全身、そして彼女の魂そのものが、主たる和人に串刺しにされ、蹂躙され、すすり尽くされること──それこそを求め、暴れていたのだ。

「先生、お願いします……」

 だが、

「なにか、誤解していないか?」

 ──和人から放たれたのは、そんな言葉だった。

「俺がどうして、お前に求められて、お前を抱いてやらなくてはならないんだ」

 その、彼の瞳。
 和人の今では本来の黒に戻ったその瞳に浮かんだもの、……それを、沙夜香は正確に読みとった。

 苛立ち、拒絶、侮蔑、嫌悪、苦渋………ただ単純に、それらが形となって現れていたのではない。
 だが彼女を見る彼の目に浮かんでいたのは、はっきりとそうしたものだった。

 沙夜香は目をそらし、うつむいた。
 それ以上、主が彼女に向けるそういった感情を受け止めることはできなかったのだ。

「………申し訳ありませんでした」

 絞り出すように、そう呟く。

 そんな彼女に声をかけるでもなく、和人の気配は彼女を離れ、そして扉を開け、部屋を立ち去っていった。

「………」

 唇を噛みしめ、下を向いたままの彼女。
 長い髪がその白い顔を隠し、その表情を全てうかがうことはできない。
 だが身体の両側に垂らされた二本の腕は、手を白くなるほどにきつく握りしめ、小さく震えていた。

「はあ……」

 ベッドの上で、由佳がひとつ、ため息のような声を洩らした。

 その声がゆっくりと、沙夜香の耳を通り、彼女の頭へと届いた。
 首をもたげ、ベッドの上を見る。

 そこには疲労し、折り重なるように倒れる二つの若い女性の裸身があった。
 まだ熟す前の、しかしその年齢のときでしかあり得ない瑞々しい肌を備えた少女。
 欧米人のような凹凸に富んだプロポーションと、黄色人種特有のきめ細かな肌をした女性。
 二人は肌にうっすらと汗をかき、それでも満ち足りたような放心した顔でそこに横たわっていた。

 沙夜香はそんな彼女等にいまさら気がついたかのような顔をし、そして、ベッドに歩み寄った。

「…あ……」

 呆けたように彼女を見上げる、裕美。
 彼女の口元には、先ほど汚れた和人のモノを清めたときについた残滓が残っていた。

 そんな裕美の顔を汚した物を目にしたとき、沙夜香の中で何かが爆発した。
 ほっそりした白い腕を裕美の乳房に伸ばし、その頂をそっと撫でたあと……指に力を込め、彼女の乳房を力任せに握り、ひねり上げた。

「あああああっっっ!!」

 そのあまりの痛みに悲鳴を上げる裕美。
 しかし沙夜香の中に生まれた歪んだ怒りは、その悲鳴で更に激昂した。

 そのまま小さく爪を立て、その肌に立てる。
 乳房の表面に、赤く線が描かれ、その浅い傷から小さな血の滴がいくつも盛り上がる。

「どうだった?」

 苦悶に身をよじらせる裕美に、沙夜香は氷を思わせる冷たい声で、静かに訊ねる。

「どうだった? 渡辺先生のものは、美味しかったの?」

「ぐ……っ、は…ああっっ!」

 髪を振り乱し、何とか身体の敏感な部分から生じる痛みから逃れようと、あがく裕美。
 そんな彼女達を、いつの間にか起きあがった由佳が怯えたような目で見ていた。

 そんな視線に気づき、沙夜香が少女の方を向く。

「ひ……っ!」

 引きつるような、そんな悲鳴を上げる由佳。
 ベッドの隅までズルズルと後ずさり、両手で身体を守るようにして、恐怖の表情で沙夜香を見る。
 彼女の股間からは先ほど和人に注がれた精液が流れ落ちていたが、そんなことにも気を払う余裕もなく、少女は追いつめられた小動物のように歯をカチカチと振るわせていた。

「………」

 そんな少女をどう見たのか、沙夜香は裕美を、まるきり興味を失ったかのように放り出すと、由佳に近づいた。

「あ……ああ………」

 身をすくませる由佳。
 沙夜香はそっと、優しげとさえいえるような動作でその頬に手を添えると、顔に顔を寄せ、静かに訊ねた。

「由佳。先生は、どうだった?」

 ゆっくりと、あくまで柔らかく、沙夜香は由佳に話しかける。

「先生のモノを受け入れ、先生のものを注がれて。──そして先生に、贄として生気を啜り取られて。
 そんな喜びを先生から与えられて、あなたは、どうだった?」

 ガタガタと震える由佳の頬を、沙夜香は優しく、撫でる。
 その手はゆっくりと下の方へ移動し、彼女の肩、脇腹を通り、その白い太股へと伝う。
 そして沙夜香は少女の膝の辺りを掴んだ手に力を入れると、由佳の脚を開かせた。

「あ…っ!」

 露わになったその付け根の部分は、行為の跡でグチャグチャに汚れていた。
 手入れをされた股間の茂みから太股の内側まで、粘液でぐっしょりと濡れており、そしてその中心にある割れ目からは、奥へと注がれた白い体液が逆流し、尻の方へと流れ落ちていた。

「ああ……」

 それをうっとりとした表情で見つめる、沙夜香。
 彼女は少女の中心へと顔を埋めると、舌を伸ばし、伝い落ちるものを舐め取った。

“ぴちゃ……”

 静まりかえった保健室の中に、そんな音が響く。
 沙夜香は何度も何度も、少女に吐き出された異臭を放つそれを舐め取り、すすり上げ、そして飲み込んだ。

「ああ……これが、先生の………」

“ぴちゃ…、ぴちゅ……”

 由佳は怯えながら、身体を硬くしている。
 しかし淫魔である沙夜香の気に冒された彼女の躰は、そんなこととは無関係に快楽を脳へと伝えはじめる。

「ふぅ…っ、んん……」

 抑えられずに、小さな声であえぐ由佳。
 沙夜香は舌に和人の味を求めながら、そんな少女から発散される彼女の生命を啜り取っていた。

 ……だが、そうしながらも、彼女の中には快感とは全く別の感情が燃え上がっていた。

『───木観塚、弥生…っ!』

 彼女の力に逆らい、狩りを邪魔し、獲物を連れ去った、その女の名前。

『あの女……!』

 屈辱感とそこから生まれる怒りの感情が、沙夜香の心に浮かび上がる。
 だが、残念ながらあの女に手を出すわけにはいかない。
 彼女の主である和人が、それを許さない。

『…それでも、いつか……』

 その怒りは憎しみにも似通い、彼女の心の奥の方でくすぶる。
 そしてその感情は荒々しく燃え上がるものでは無い故に、より深く沙夜香の中に沈み込み、浸潤していったのだった……



《5》


「すう…、すう……」

 弥生のベッドの上、小さな寝息を立てながら、渚は静かに眠っている。
 しかしその眉は不安そうに寄せられ、その額にはうっすらと汗がにじみ、乱れた髪が肌にへばりついていた。

「渚……」

 弥生はそっと、妹の髪を撫で、それを整えてやる。
 彼女の手の感触を感じたのだろうか。それまでひそめられていた渚の眉から、ふっと力が抜ける。

『いったい、なにが?』

 弥生は、呟く。

 放課後の学校の廊下で、恐怖に泣き、震えていた渚。
 弥生がどれほど慰めようとも、どれほどわけを聞こうとしようとも、渚はただ彼女にしがみつきながら涙を流すだけで、その言葉はまったく要領を得なかった。
 支えながらもどうにか彼女助け起こしたが、渚は家に帰ろうとはせず、ひたすらに弥生と一緒にいたがった。
 弥生は仕方なく、鈴木家に電話を入れ、渚を家へと連れてきたのだ。

 その後もしばらくは子供のようにぐずり続け、ようやく先ほど弥生の部屋で眠りについた。
 よほど疲れていたのだろう。一度落ち着いてしまえば眠りにはいるのは早かったが、それでも寝入る直前まで、渚は弥生に側にいてくれるように懇願していた。

『………』

 弥生は“その時”のことを思い出して、密かに身体を振るわせた。

 放課後、図書室から借りていた本が返却期限を過ぎていることに気づいた。
 そうして図書室に向かう途中で、彼女は“それ”に出会ったのだ。

 あれを、なんと表現すればいいのか。

『闇』……では、ない。
 事実、あの廊下は夕日の光が赤く差し込んでいたのだ。
 だが、間違いはない。あの場を支配していたのは、昏(くら)い『何か』であった。
 まるで、闇がそのまま気配として、あの場に圧倒的な濃度で漂っていたような……

『あれは、いったい?』

 廊下いっぱいに漂うその異常な空気に、弥生は引き返そうと思った。
 だが、なぜかそれはできなかった。
 むしろ、それに立ち向かわなければならない。
 その中へと入らねばならない。
 そう思ったのだった。

『渚……』

 そしてそれは、正解だった。
 そこでは、血を分けた妹が彼女の助けを待っていたのだ。

『………』

 弥生はそっと、ベッドの上の渚に手を伸ばす。
 ゆっくりと、何度も優しく、その軽く波打つ髪を手で撫でる。

 彼女は、この世界に不思議な力が存在することを信じていた。
 もちろん、自身が神社の娘であることもあるだろうが、決してそれだけではない。

 今目の前で安らかな寝息を立てる妹の“カン”もその理由のひとつである。
 そして彼女自身も、生まれたときから、神社の敷地内や自分の周りに、“何か”の気配を感じ取りながら育ってきたからだ。
 もっともだからといって、弥生は自分に何らかの霊能力だの超能力だのがあるなどとは、思ってはいなかったが。

『なんだったんだろう…?』

 彼女も疲れていたのだろう。
 考え事をしながらも、ついうつらうつらとしはじめた。

『私も、もう寝ようかな』

 そう弥生が考えたその時、

「──っ、」

 眠っている少女の唇が小さく動き、なにかの音をつむいだ。

「渚?」

 軽く呼びかけるが、反応はない。
 どうやら、眠ったまま何かを呟いたらしい。

「──が、よ……」

『……っっ!?』

 渚の髪を撫でていた弥生の手が止まる。
 この日何度目かの驚愕が、彼女を襲った。

 渚の唇から洩れる声。
 それは、明らかに彼女の声などではなかった。

 まるで男の声であるかのように低く、そしてひび割れた声。
 その声は、目の前の少女の口から放たれているにもかかわらず、どこか遙か遠くから響いてくるかのように、弥生の耳の中に反響しわたった。

「そな……よ。──が、…える」

 何度も、何度も…
 その声は、同じ言葉を繰り返す。

 眠る渚の表情に、変化はない。
 しかし彼女を通して弥生に放たれるその声は、更に大きな響きを持って弥生を襲った。


   「「「 子らよ、備えよっ!!

        “最も古き者”が ─── 蘇るっ!!! 」」」

 
 


 

 

戻る