闇からの視線 〜黒と白外伝〜


 

 

2.飽食の微笑


「あ、課長、ジュクのチンピラでそれらしいのが見つかったそうじゃないですか」

 署内の食堂で食事中の響子を見つけた竹下がトレイを目の前に置くと無遠慮に席についてきた。
 
「ええ、午後の会議であなたにもそっちに廻って貰うように言おうと思ってたのよ」

 少しして口の中をようやく空にした響子が少しだけ目を細め、そう言った。
 彼女にとって食事中は一人でゆっくりと頭を整理できる数少ない時間なのだが、目の前の竹下にはそう言った気遣いはどうやら希薄なようで、しかし部下の中では一番”マシ”な部類に入る彼をそれ程蔑ろにしている風でもなかった。

「そうですか。今の所こっち、心理学者絡みでは”マリ”との接点は見あたりませんしね」

「恐らくこっちが本命だと思うわ。あくまでも勘だけどね、今の所は」

「けど課長の勘は署内どころか本庁にも聞こえる程の的中率だって聞いてますよ。あのぶっちぎりの検挙率見れば誰だって信じない訳にはいかないでしょう。特に殺人課に来てからは神憑り的なトコ、有りますもんね」

 何気なく出た竹下のその言葉に思わず箸を止めた響子の頭を、今も消し去ろうとして出来ずにいる、嫌な情景がフラッシュバックする...。




 真夜中、ふと目が覚めた少女の耳に階下のリビングから聞こえる不振な物音。
 ギシッ、ギシッ、ギシッ....
「はぁっ、はぁっ、はぁっ.....」
 興味ではなく、なにかに背中を押されるような、そんな衝動に駆られ、そっと階段を下り、リビングの薄く開いたドアの隙間に目を当てる。
 その少女の澄んだ瞳をドアの向こうからじっと見つめていたのは、
 胸に包丁を突き立て、血塗れの顔面の中に填め込まれた、光の無い....母親の眼だった。
 その向こう側では、美しかった母の脚の間に一心に腰を打ち付けている男。
 そしてその男の背中にまとわりつく真っ黒な霧が獣の様な形で揺らめいているのに気付いた時、少女の意識は薄れていった。



 以来、響子の目にはヒトの狂気が写るようになった。望むと望まざるとに関わらず....。
 
 当初それは、幼い少女が体験するにはあまりにも残酷な仕打ちであると思えた。

 だがある日、ごく小さな獣を纏わらせた男の跡をつけ、それによって自分のかけがえのない友人の身体と心を守る事が出来た。それは今までは只自分を苦しめるばかりの存在だった力が”自分の大事な人を守る為に役に立つ”という事に気付けたと同時に、響子が救われた時でもあった。

 その時の決意を為すために少女が選んだ道はやはり”この街の狂気を駆逐する”。そしてそれに最適な場所がここ、警察であった事は自明な選択なのだった。



「.....そうね、刑事には勘も大事だけど...そんな物に頼ってちゃいつか痛い目に遭うものよ。取り敢えずはそのチンピラを掴む事ね。そこからよ、この事件は」

「へへっ、面白くなってきましたね」

 その不謹慎な部下の態度にいつもの様に強烈な視線が送られたが、いつもマイペースなこの竹下にだけはそれも通じないようで、諦めた響子は冷めかけた食事に箸をのばした。






 ピリリリリリリリ、ピリリリリリリリ、ピリリリリリリリ......
 
 いかにも響子らしい電子音のみの着信音が鳴ると、バッグから取り出されたなんの飾り気もない携帯に醒めた声が向けられる。

「はい」

「あ、どうも〜♪、俺っす」

 菅沼の軽々しい口調に肩をすくめながらも事務的な口調は崩さない。

「なんか判ったの?」

「はい、取り敢えず女の名前と今も歌舞伎町の風俗で働いてるってトコまで判りました。住所と勤め先はまだですが、そいつの仕事の世話したってヤツ掴みましたよ」

「そう、じゃ後は私がやるわ。そのネタいつものアドレスに送って頂戴。今日中には振り込んどくから...口座、変わってないわね?」

「何言ってんすか、俺の口座がそんなに長く使えねぇの知ってんでしょ。新しいのはもうそっちに送っときましたから」

「わかったわ」

 なにか自分も犯罪の片棒を担いでいるような気になり若干は後ろめたさを感じもしたが、自分の目指す狂気の駆逐、その為には多少の寄り道も仕方ないとまで考えられるようになっていた響子だった。



 署内2階の男子便所で”清掃中”の札を払い除け、汚れたタイルの床に靴音がツカツカと響いてくる。
 
「ああ、札、見えなかったの?今せいそうちゅ....」

 目の前で腰に手を当て仁王立ちする響子を見上げながら、ブランドスーツを身に纏い、ゴム手袋にブラシを持った勝本が固まった。

「あ、ああ、どうも課長。できたら女子トイレの方を使って貰った方が....」

「何バカな事言ってんの。聞き込みに行くから運転手させてあげる。すぐに用意して」

 このプライドを打ち砕かれる雑用と、響子と同じ車で長時間一緒に居る事、果たしてどちらの居心地がいいだろうか?そんな秤が一瞬は揺れ動いたが、自分に選択権など用意されていない事を響子の視線で感じ取った勝本は、慌ててブラシと手袋をバケツに放り込むと襟を正し颯爽と立ち上がった。
 
「ちょっと、手ぐらい洗いなさいよ。一緒の車に乗るんだから」

 自分の颯爽になどこの女にはゴキブリの産卵程の興味も無い事を思い知らされ、勝本は黙って白い陶器へと手を延ばした。



 響子が小さくなっている勝本を従え喧噪沸き立つ署内を闊歩している時、意識の外で何人かの婦警とすれ違った。

「!っっ!!」

 その直後、響子は背筋を肉食獣に舐め上げられるような悪寒を感じ、壁に張り付くと臨戦の構えをもって振り返る。
 ....が、そこには既にそれらしい気配は無かった。
 私服・制服姿の警官達と連行されてきた被疑者達、それはいつもと変わらない職場風景でしかなく、今すれ違った婦警も喧噪に紛れて分からない。
 
(な、なんなの?今の感じ...狂気とも違う...初めてだわ...なんか、後ろから食いつかれるかのような.....)

 しばらく棒立ち、睨むような視線で署内をじっと見据えていた響子だったが、怯えた目で声すら掛けられずにいる勝本が視界に入ると、ようやく気を取り直し再び歩き出した。

(なんか...ヤバい....)

 だがそんな予感のせいで二の足を踏む訳にはいかない。恐らくこれらの謎も今の捜査を進めれば自ずと氷塊するような気がする。自らにそう言い聞かせながら、響子は車に乗り込んだ。







 歌舞伎町の裏通り、中でも風俗関係の店が多く立ち並ぶ雑居ビルの5階。”中本興業”の事務室で趣味の悪いデザインのソファーにかわいい尻を少しだけのせ、響子は向かいの男を睨み付けていた。

「ほう、一課の課長さんがわざわざお越しとは、余程大きな事件でも有りましたかな?」

「余計な詮索はしない方がいいわね、お互いに」

 と、響子は牽制するかの様に室内をジロジロと見回す。

「はっはっはっ、おっしゃる通りですな。少しは話の分かり易そうなお嬢さんだ」

(うわっ、課長に”お嬢さん?”知らねぇぞこのおっさん)

 だが響子にとってこの程度の挑発は予想済みであり、個人のプライドなどの為に捜査に支障をきたすような軽はずみは彼女の思う所では無い...筈だ。

「こちらが聞きたいのは一つだけ。半年前あなたが職を仲介した”磯村真由子”。今もこの街で稼いでるのは分かってるわ。この子についてあなたが知ってる事、全部話して頂戴。そしたら厄介者は消えてあげる」

「さあて、磯村...ですか?私も人の仲介はこの半年で山程やってますからねぇ。ご存じの通りそんな帳簿なんぞ置いてもおりませんし...お時間が頂けるのでしたら一度調べてもみますが...恐らく無理でしょうな」

「あらそう、勝本君、こちらの社長さんには協力の意思は無いそうよ?」

「ですか...仕方ないですね。社長さんもせっかくここまで店を大きくしたのになぁ、もったいない...」

 そう言いながら勝本は、部屋のあちこちを物色しながら掻き回して行く。
 
「あ、ダメっすよ社長さん。非常用進入口をこんな棚なんかで塞いじゃったら。火事でもあったらどうするんですか」

 と言いながら天井までの書類棚を一気に引き倒し、部屋にぶちまける。
 
「ちょ、ちょっとあんた!こんな事してタダで済むと...」

「あ〜あ、非常ベルまで隠れちゃってますね、ヤッバいな〜。検査、しときますか?」

 チラとこちらを見た勝本に響子は親指を一つ立てる。
 
 たちどころに非常ベルが全館に響き渡ると、いつかの新聞記事を彷彿とした客や女のコ達が慌てふためき、殆どが半裸の格好で我先に道路に飛び出して行くのが見える。

「確か他にも社長の持ちビルが4〜5件有ったわね。そっちも検査しとかなくっちゃ」

「そ〜りゃそうっすよ。やっぱり公平にしとかなきゃ。こちらの社長もその時が来たらきっと感謝してくれるんでしょうね。いや〜良い事した後って気持ちがいいなぁ」

「そうね、面倒臭いけど、なんか有ってからじゃ遅いしね。じゃ行きましょうか」

 そう言って腰を上げた響子の前に真っ青に血の気を無くした中本が立ち塞がる。
 
「あっ、ちょ、ちょっと待って下さい。そういえば真由子ってコ、今やっと思い出しましたよ。表通りの”マルーン”ってソープでシホって名で働いてます。今すぐ呼びますから...」

「表通りなら5分で来れるわね、それ以上かかるなら私達がそっちに行くから」

「あ、いやそっちに行かれるのは...とにかくすぐに呼びますから、ちょっと待って下さい。

 ..........ああ、私だ。そっちのシホは今日は出てるのか?.....じゃあ今すぐウチの事務所に来させてくれ....あ゛、客?客には別のコをあてがっとけ....うるさいっ!!とにかく5分以内にここまで連れてこいっ!」

 ガチャン!と怒りをぶつけるように受話器を叩きつけた中本は「はぁ〜っ」と息を吐きながらソファに倒れ込んだ。
 
「お互いダメな部下には悩まされますわね、社長さん?」

 響子に至極にこやかな笑顔を向けられた中本は頬だけを引きつらせ笑いを作った。



 コンコンッ

 軽いノックの音の後、中本の返事を待って一人の女がそっと中を覗き込んだ。

 恐らく接客中に店を追い出されたのだろう、男物の黒いコートを羽織った中には薄いレースのネグリジェが見え隠れしている。
 顔やスタイルだけを取れば芸能界に居ても不思議のない程の彼女が、なぜ風俗で身体を売っているのか?刑事達二人が持ったそんな疑問も、さほど場違いな物では無かった。

 だが、その女が響子の顔をチラリと見た瞬間、響子の中に先程署内で感じたものとも違う嫌な感覚が突き抜ける。

(な、なに?また...くっ、この感じ..この女に?...それとも..?)

 それは先程の様な不気味な敵意では無く、人が隠し持つ狂気でも無い。怯えた子犬が嬲り、虐められるのをただ傍観するような..そんな感触だろうか?

「課長?」

 勝本の声にようやく我に帰った響子が気を取直し、顔を上げた。

「あ、ああ、磯村さん、どうもすみません..お仕事中に。私は新宿署一課の四宮と申します」

 同じく警察手帳を出そうとした勝本を無視して話は続けられる。

「実は.......ああ、中本社長、下の階が大変そうですから少し見に行かれた方がよろしいんじゃないかしら?」

「はいはい、分りましたよ。でもそのコからは何にも出て来ませんよ、ちっと頭がおかしいからね。仕事はキッチリやるんだけど...」

 興味本位で様子を伺っていた中本は響子の真意を察し、至極不機嫌そうに部屋を出て行った。

「磯村さん、貴方、天野影一という男をご存じですね?」

 その男の名前を聞いた途端、真由子の顔が幸せそうに綻び、胸の前でギュッと手を握り合わせた。
 だが遠い目で天井を見つめたままそれ以上の反応は何も返らない。

「磯村さん、磯村さん?貴方は天野影一を....」

 再びその名前にビクッと反応した真由子は今度は太股をモジモジと擦り合わせながら、押しつけていた腕を胸に強く押しつけグリグリと揉み込んでいる。

 次第に大きくなる吐息が喘ぎに変り始め、堪りかねた響子が思わず目を背けると、真由子の痴態を凝視していた勝本が慌てて視線を泳がせた。

「ったく....勝本君、下に行って社長からこのコの住所、経歴、貰ってきて頂戴」

「はい.....」

 名残惜しそうに真由子を眺めながら部屋を出て行った勝本がドアを閉めると、今にも股間に手を差入れようとする真由子の腕を取り、睨み付けた。


 それからも続けられた聞取りは1時間にも及んだが、結局真由子から核心に迫る情報は得られなかった。
 それ以外の話には比較的普通に会話も出来る彼女であったが、天野の名前だけにでも欲情する彼女が”なんらかの関係があるだろう”といった程度の収穫だった。


 だがその後行われた彼女の身辺捜査の中で、非常に興味深い事実が浮かび上がることとなる。

 彼女が風俗で稼いだ金の大半はすぐに引き出され、消えていた。恐らく菅沼が言っていた通り、天野に貢いでいたのだろう。そして丁度天野の消息が分らなくなった頃からその金は、ある企業に振込まれるようになっていたのだ。

 ”Office Shiratori”....この街に住む者なら殆どが見上げた事のある、あのビルのオーナーだ。


 そして今、響子も同じくそのビルを見上げ、そこから漂う只ならぬ雰囲気にゴクッと喉を鳴らした後、ようやく足を踏み出した。






 新宿署5階 署長室
 
 今、最奥に据えられた革張りの豪華な椅子に包まれている尻は、本来の持ち主のそれでは無かった。
 その前にある大きな書斎机に乗せられた美しい脚も...。

「...で、署長。総監の視察はまだ決まらないの?」

 まだうら若い制服姿の婦警は正面で直立する署長を睨み付けながら、机の上に散らばっているピーナッツを一つ取り上げ、親指でピンと弾き飛ばす。

「は!なにぶんこちらから接触する事の出来ない人物ですので、本庁の総務には頻繁に問い合わせしているのですが....」

「叩き上げとは言えあなたも署長にまでなったっていうのに、使えないわね。せめて本部長位は呼び出せないのかしら」

 イライラしながらも再びピーナッツを今度は少し強めに弾くと、傍らで正座している敬子の額に跳ね返り、ポトリと床に落ちた。

「すみません、今からもう一度本庁の方へ行ってみます」

「そうね、呼び出すのが無理ならこちらから出掛けてもいいわよ。本庁のド真ん中って訳には行かないけどね」

 話を続けながら三たび弾かれたピーナッツは緩やかな放物線を描き、椅子の傍らに全裸で正座している姿勢から必死の形相でそれに飛びついた敬子の口にようやく納まった。

「クゥゥン...クゥゥン...」

 敬子はピーナッツを噛み砕きながら喉奥から犬の様な催促の声を漏らし続ける。

 その声と音を聞いた婦警は机の上に官給品の革靴だけを残し、その素足を敬子に向けながらリモコンのスイッチを押した。
 
 ブィィィィィィィィィィン.....
 
「ああっ!あぁぁぁん...んんんぁん...クゥゥン.....んぐっ、んぐっ....」

 敬子は愛しい主人に与えられたむせ返る甘い香りのする足先を嬉しそうに口中一杯にほおばり、懸命に舌を這わせながら、下の口にもようやく貰えた刺激に歓喜の鳴き声と共に、踵でグリグリと股間に挿入されたバイブをこね回している。

 そして次に弾き出されたそれは、敬子の横に同じく控えていた2匹の牝犬の方に向かい、ようやく自分達の番が廻ってきた事を嬉しそうに舌で表現しながら競うようにピーナッツに飛びついた。
 だが2匹の顔が互いに邪魔をし、心底欲したそれは無情にも床に転がった。
 落ちてしまったそれにはもう意味は無いというのに、2匹は争いながらその粒を口先でついばんで拾おうとしている。
 
 そんな3匹の牝犬達を蔑んだ目で見ていた婦警がふと前に目をやると、股間を膨らませながら牝犬の発情ぶりに見入っている署長が居た。
 
「ちょっとあなた!どうやら反省の色が見えないようね」

 自らのズボンの膨らみに今ようやく気づき、慌てて前屈みになりながら署長は冷や汗を吹き出した。

「あ、これは、その....」

「”駒”風情がご主人様の持ち物に欲情したりしたらどうなるか、教えて貰いたい?」

 組んだ手の甲に乗せられた婦警の妖艶な微笑みに、頭と股間から一気に血の気が抜けた署長は、直立し、思わず警察式の敬礼をしてしまっている。

「いえっ!充分に承知しておりますっ。申しわけ有りませんでしたっ、お許し下さい!」

「ならそんなトコでサカってないでさっさと仕事に戻んなさいよ」

「はい!失礼します」

 婦警はバタンッ!と閉まった扉を睨み付けながらそのしなやかな指先でピン、ピン、ピンッと続けざまにピーナッツを弾くと、もう片方の革靴を机の上に転がし、飼犬に与える躾のメニューに思いを巡らせた。

「餌の後は...散歩が必要かしら。犬を飼うのも手間が掛かること...」

 ふぅとつかれた溜息をさえ愛おしそうに主人を見つめる3匹の牝犬達は、次に自分達を襲うであろう淫虐に、小さな尻から短く生えた”尻尾”をいそいそと振り喜びを表現していた。






「いらっしゃいませ。どちらのオフィスに御用でしょうか?」

 極上の笑顔を浮かべながら尋ねてくる受付譲に思わず赤面しながら用件を告げる勝本。
 
「ああ、あの、”Office Shiratori”の白鳥社長に面会の約束が....」

 勝本の背後では、3階分吹き抜けた広く豪華な玄関ホールの中央を向いた響子が、先程からあちこちで湧いては消える不気味な気配の正体を探ろうと行き交う人々を睨み付けていた。
 スーツ姿の営業マン、制服姿のOL達、響子程では無いが厳めしく全体を見渡す警備員。
 その誰もが忙しそうに歩き回っていたが、響子の見つけるべき人物は見あたらない。
 
 そんな響子が”気のせいか?”と思い始めた時、再び背後から、今度ははっきりと自分を見つめる視線に気付き振り返った。
 
「新宿署の四宮様でいらっしゃいますか?」

 真っ直ぐに立ち、丁寧なお辞儀をしている制服姿のOLは、振り返った響子の形相に若干驚いた様子を見せたものの、にこやかにこちらの返事を待っている。
 
「あ、ええ、そうです。"Shiratori"の方ですか?」

「はい、お待ちしておりました。どうぞこちらへ」

 仕草、言葉使い、物腰、どれを取っても流石に世界的企業というべきか、機械的でもなく完璧ともいえるその接客は先程の悪寒と相まって響子の不信感を煽り立てた。

 そんな感情を振り払い、ようやくこちらに気づき駆け寄ってきた勝本と共に”Office Shiratori”とロゴが施された最上階専用エレベーターに乗り込む。しかしその籠が上がる程に湧き起こる不安は強くなるばかりだ。
 しばし後、その扉が開き踏み出したオフィスでは、響子にとって目に写る明るく清潔な風景とは逆の、猛獣の檻の中をケチャップを付けて歩いているような強烈な不安感に苛まれる。

 先程のOLに従い歩く間にも、すれ違う社員達全てが極丁寧な挨拶を向けながらも自分を観察している様な錯覚に襲われる。そして、ようやく辿り着いた社長室でも、やはり極上の笑顔で自分たちを出迎える女性がいた。

 ふと横を見ると、勝本が呆気に取られたような顔でその女社長に見入っている。
 
 それもそうだ。これだけの会社を切り回す女性にしてはあまりにも若く、そして美しい...。過ぎるといってもいい位だ。

「ようこそお待ちしておりました、四宮様。この度はどのようなご用件でしたでしょうか?」

 豪華な革張りのソファに座を勧めながら、女社長がよく通る声で話しかけて来る。
 その極上の笑顔はあくまで社交上の物と分かってはいても、触れる物全てに親近感を持たせずにはいられない。その裏に見え隠れする影を覗く事が出来る響子を除いて...。

 いつまでも鼻の下を延ばして棒立ちする勝本を肘打で促し響子はソファの前で丁寧に身分証を提示した。
 
「どうも、お忙しい所申し訳ありません、社長。私、新宿署第一課の四宮と申します」

「白鳥と申します。こちらこそよろしくお願いします」

 白鳥が差し出した豪華な名刺の裏には扱われている様々な業種が所狭しと並んでいる。

 勝本にも差し出されたそれを「ああ、一枚で結構です」と片手で制すると、ゆっくりと腰を下ろし話を切りだした。

「実はある事件の中で捜査の対象となった女性がこちらの会社に定期的に送金しているのが分かりまして、それについての確認と諸事情をお伺いしたいと思い、お邪魔いたしました」

「そうですか、お役に立てるといいのですが。その女性というのは?」

「磯村真由子さん、歌舞伎町の風俗店で働いている女性です。其他の個人情報はこちらにありますがここからの持ち出し、複写等はご遠慮下さい」

 白鳥はざっととそれらの書類に目を通すと、顔を上げた。

「持ち出せないのでしたら他の者をこちらに呼んでもよろしいかしら?」

「ええ、ですがこれらは一応極秘扱いですのでできれば口の堅い方をお願いします」

「あら、私共の会社に口の軽い者などはおりませんわよ」

 にこやかにそう言いながら白鳥は傍らの受話器を取った。
 
「ああ、あゆみちゃん、居るかしら?....ならちょっと部屋に来て貰って」

 受話器が置かれたのを見計らったように、ドアがノックされた。

「失礼します」

 そう言いながら入ってきた制服姿のOLがトレイの上のコーヒーを丁寧に3つ置き、去っていくと、その後ろ姿をじっと見つめていた勝本がボソッと呟いた。

「いや〜課長、ここの会社ってホンット美人揃いですよね〜。それもとびきりの。今まで一人もハズレが居な....」

 勝本が今の不謹慎な発言を響子がいつもの調子で睨みつけて来るものと思い、肩をすぼめながらチラと横目で見たのだが、響子自身それについては同じく不信に思っていた。会社に限らず一つの組織の中にこれほど容姿に粒が揃っている必要があるのだろうか?芸能プロダクションといえども事務職にはそれなりの女性も居る筈だ。ましてやここは普通のコンサルティング会社に過ぎない。しかも会社の規模と人数を考えると全員がかなりの優秀さを備えていると考えられ、正に超の付く才色兼備と言える人材が相当数揃っているというのはあまりにも不自然と言える。

 そんな響子の不信は次に入ってきたスーツ姿のOLを見るにつけ、確信へと変わった。

「失礼します。社長お呼びでしょうか?」

「ああ、悪かったわね打合せ中に.....四宮さん、こちら当社の篠村と申します。外部営業が多い私の代わりに社内を任せておりますので今回の事に関しては私よりお役に立てるかと思いますわ」

「篠村と申します。宜しくお願いします」

 あくまでも社交的に名刺を差し出すその女性に響子も改めて自己紹介すると、再び本題を切り出す。

「この女性がこちらの会社に送金している筈ですが、その日付と金額、そして理由をお聞かせ頂きたいのです」

 響子を補足するように白鳥が口を挟む。

「その書類はここから持ち出し禁止らしいから私の端末を使って頂戴。それから分かってると思うけどこの部屋の外にはマル秘でね」

「分かりました。少々お待ち下さい」

 そのOLは社長用の椅子に遠慮がちに少しだけ腰を乗せ、キーボードを叩き始めた。

 2人の刑事は彼女の手際の良さにしばし見とれていたが、そんな沈黙に耐えられなくなったのは以外にも響子の方だった。

「白鳥社長、失礼ながらこちらの社員さんにはとびきり綺麗な方ばかりが目に付くのですが、こちらの雇用時の規定になにか事情でもお有りなのでしょうか?」

 可愛らしい笑顔の裏に冷たく筋が通っていた白鳥の表情が、その時初めて僅かに歪んだようにも見えた。

「あら、その疑問は私の方がずっとお伺いしようと思っておりましたのよ。四宮さんの様な美しい方がどうして刑事一課のような所にいらっしゃるのかと...」

「それはどうも、ありがとうございます。ですが私の言いたいのはお世辞ではなく、コンサルティング業務や社内事務にどうしてこれ程の美女達が必要なのかという事です。確かにこちらの社員の方々は美しいだけでなく業務上の能力も備えていらっしゃる様ですので、一概におかしいとは言えませんが...」

 白鳥の頬が嬉しそうに吊り上がった。響子の溢れる知性に食指が動くように....。

「ふふっ、四宮さんって刑事にしておくのがもったいないですわ。私のお手伝いをして下されば、今の3倍の年収は保証いたしますのに...あ、そうするとまた不自然な美女が増えてしまいますわね。うふ。
 先程のお話ですけど...彼女達の容姿がどれ程売り上げに関与しているかなんて計算した事はありませんが、今の当社の数字は全て彼女達が上げて来たものである事は間違い有りません。能力や知識などは後からいくらでも開発できますし、この程度の人数なら才色兼備のコが揃ってもおかしくありませんわよ。なにせウチの給料はもう少しで長者番付に載るってコも居る位ですからね。ご納得、頂けます?」

 まるで子供を諭すかのように自分の目の奥を覗き込みながら話す女社長に、響子は少し肩をすくめる素振りを見せた。

「まあ、それがおかしいかおかしくないかなんてのは私のような公務員には判断致しかねますがね。それにしてもよく稼いでいらっしゃる...。私は税務署の者ではありませんのでこれ以上つっこむ気はありませんが...」

 響子は白鳥の言い訳があまりにも稚拙な事にも違和感を持っていた。
 まるで本気で誤魔化す気など無かったような...響子の反応を試しているような....。

「そうですね、税務署の方でしたら私より対応に相応しい者を用意しておりましたけれど...。」

 目の前の女社長はまるで新しい遊びを心から楽しむ様にニコニコと嬉しそうに響子を眺めている。
 
「社長、ちょっとよろしいですか?」

 カタカタとキーを叩いていた篠村がまるで内緒話でもするかの様に声を掛けた。

「あゆみちゃん、四宮さんには何も隠す必要はないわ。検索が終わったのなら持ってきて頂戴」

「あ...はい、分かりました」

 少し意外だったという表情をすぐに押し包んだ篠村は手早くプリントアウトした書類の束を持って皆の方へ歩み寄り、各部を配る。

「ご依頼の磯村真由子さんに関する資料です。ご覧の通り、一年前に当社が貸し付けた金銭貸借契約の連帯保証人として連名していた彼女が半年前から返済を引き継いでおり、彼女からの送金はその一部に充当されています。債権の総額は5千3百万円。本日現在の残債は3千9百65万円、毎月の返済金額が均等でないのは彼女が安定した収入源を持たない為、生活を破綻させない範囲で返済するという当社の譲歩案に基づいての事だと思われます。2枚目は彼女からの送金額と日付の一覧、3枚目が彼女との折衝状況報告書、4枚目が....その契約書の写しです」

 響子はこの会社がかなりの確率で事件に絡んでいると感じていた。もしそうであればこの書類にも恐らく何らかの偽装はされているだろうとも予想はしていたが、あまりにも完璧に作られたそれらを見るにつけ、これら一連の事件が起こる事が数年前から決められていたのではないかとさえ思えてしまう。

 余裕の笑みで自分を見つめる二人の美女に何故か追いつめられていく様な錯覚を憶えながらも書類の穴を隅々まで探していく響子。

「!!」

 そして最後のページを捲った時、彼女の頬は思わず吊り上がった。

 契約乙者....”天野影一”

(繋がった!...やはりこの会社、若しくはこの天野が黒幕なのだ。後は証拠を集める.....だが、これ程までに周到な彼女達に付け入る隙が果たしてあるのだろうか?怪しい所は幾らでもあるが、恐らく検察に提出できる証拠など残ってはいないだろう。何らかの犯罪のプロフェッショナル集団と言っても遠からずといったところか。
 それと...さっき篠村というOLが白鳥に相談しようとしたのは恐らくこの4枚目を見せるかどうか、だろう。
 それを白鳥は”全て見せるように”と言った。何故?これ程他の書類を完璧に用意しておきながら何故天野の名前を隠さない?あえて私に見せる事のメリットとは...........罠、か?
 だが、だからといってここで糸を切る訳には行かない。罠に填った振りをして出方を待つか、或いは危険を避け外堀から埋めるか?...そんな時間の余裕はない。いつ次の犠牲者が出るかも知れないこの状況では.....)

 そんな響子の逡巡にすら、女社長はワクワクする子供のように彼女の出方を待っている。

「篠村さん、この天野さんとOfficeShiratoriとはどういったご関係で?」

 OLの篠村はチラと社長と視線を交わすと響子に向かい、慎重に言葉を選びながら言った。

「そちらは当社の資本が株式化された時の出資者のお一人です。返済が滞りました折、担保の一つとしてお預かりしておりました株式は徴収させていただきましたので現在当社とは法的に無関係です」

「”滞った”と言うのは?」

「行方が分からなくなったのです、今も。こちらとしては磯村様と話がついておりますので特に探したりはいたしておりません」

「なるほど、上場までもたせればこの程度の負債は返してもお釣りが来たでしょうに、もったいない」

 響子のその含んだ言い方に白鳥は”堪えきれない”といった風で笑いを零した。

「うふ、ふふふふ...四宮さん?上場などと言う物は資金さえ揃えば枷にしかならない俗物ですのよ」

「極力情報は開示したくない、という事ですね?いや、よく分かりました。こちらの書類はお借りしても?」

「ああ、申し訳有りません。こちらにも守秘義務はございますのでこれらの個人情報の持ち出しはご遠慮願いたいのです。お互いにここだけのお話と言うことで...もしどうしても必要であればそれなりの手続きを踏んで頂ければすぐにでもお渡し致します。先程おっしゃていた経理上の情報も含めてね....」

「わかりました、仕方がないですね、出直すとしましょう」

 自分の一言一言に奥底までを覗き見るような女社長を前に、一刻も早くここから立ち去りたいという衝動に駆られた響子は、表面上は丁寧に謝礼を述べ、名残惜しそうに二人の女性に見とれている勝本を引っ張り部屋を出て行った。


 その後、社長室の前で深々と頭を下げエレベーターを見送っていた彼女達が見合わせながらそっと上げた顔には、先程までの爽やかな笑顔とは対照的な....まさに”魔性”と呼ぶに相応しい妖しい光が宿っていた。

「驚いたわね、まさかあれ程とは.....」

 白鳥は心底嬉しそうな笑みを漏らし、しみじみと響子の姿を思い浮かべていた。

「それもこの街にね。”灯台もと暗し”かしら?...でもあれならご主人様もきっと喜んでいただけますよ」

 篠村にもその嬉しそうな表情が伝染したのか、同じくうっとりとしている。

「そうね、できればあのコ、私に頂けないかしら....きっとご主人様のお気に召す牝犬にして差し上げるのに...」

「あら、そんなコトしたら綾香ちゃんが怒るんじゃないですか?ずっと前から欲しがってたんですから、あの”おもちゃ”」

「あら、でも”響子ちゃん”がここに来た事、綾香は知らないんでしょ?」

「ん〜...そうですけど、新宿署ですよ?言わない訳にはいかないんじゃ...」

「そう...そうね。ご主人様にも言われてるし...仕方ないか....」

 美人社長は至極残念そうに肩を落としながら、トボトボと社長室の中に消えていった。

 
 


 

 

戻る