Shadow Twins


 

 

第6話『平穏』


 翌朝……土曜日。
 由紀はゆっくりと目覚めた。周りを見渡す。脇で寝ていたはずの影美の姿はない。
 影美を探してリビングへと向かう。影美は美影と一緒にキッチンで朝食を作っているところだった。

「先輩、手伝いましょうか?」
「大丈夫よ、もうすぐ終わっちゃうから。それよりもあゆみちゃん起こしてきて」
「は〜い!」

 言われて由紀はあゆみが寝ている部屋……美影の自室へと向かう。

「あゆみちゃん、起きなよ……もう朝だぞ!」
「むにゃ……あれ、由紀ちゃん……どうしてここに……」

 寝ぼけ眼をこすりながら体を起こすあゆみ。美影から借りたちょっとだぶつき気味のスウェットスーツが、微妙にかわいらしさを演出している。

「あゆみちゃんが寝たままだから起こしに来たんだよ」
「あ、そうか……私、美影お姉さまの家に泊めていただいてたんですよね」
「朝食、もうすぐできるから一緒に食べよ」
「あ、はい……ちょっと待ってください、顔を洗ってきますから……」

 そう言って部屋を出るあゆみだったが……

「あゆみちゃん、そっち玄関!」
「あ、ごめんなさい……」
「ひょっとして……寝ぼけてる?」
「かもしれません……なにせ朝が弱いもので。家でも目覚まし五つは必須ですし……」

 あゆみの意外な一面を見る思いだった。

 テーブルに並んだ朝食は、ご飯に味噌汁・玉子焼き・海苔・キャベツの千切り……

「すごく和風ですねえ……」
「どしたの由紀ちゃん?」
「いえ、先輩たちが作る朝食って、パンとコーヒー中心の洋食かなあと勝手に想像してたもので……」
「日本人の食事はご飯に味噌汁、これで決まり!」
「まあ、私たちは二人とも和食党ですから……お気に召しませんか?」
「いえ、そんなことないです!」
「……おはようございます」

 そんな会話をしていると、顔を洗ってきたあゆみがやってきた。

「おはようあゆみ……よく眠れました?」
「はい、おかげさまで……」
「じゃ、あゆみちゃんも来た事だし、早く朝飯食っちゃおう」
『いただきま〜す!』

 真田家で迎えた朝は、二人にとって新鮮なものだった。

 由紀の場合、朝食はほとんど一人で済ませる。仕事の忙しい父と朝に顔をあわせることが滅多にないからだ。由紀が目覚める頃にはすでに出ていることが多いし、たまに家にいるときは夜勤明けでぐっすりと寝ている。
 もっとも、朝一緒になれない分、夕食はできるだけ一緒に食べるようにしているから、現状でもそれほど不満があるわけではないが、それでも一人での朝食は時たまさびしい気分になる。
 そういう意味で、このにぎやかでアットホームな雰囲気に包まれる真田家の朝は、由紀にとって楽しいひと時となった。

 あゆみの場合は、食事中に会話を交わすこと自体途絶えて久しい。
 昼は学食でひとり食べることがほとんどだし、夜は予備校の帰りにコンビニやファストフードの店に寄って食べている。唯一家族と顔を合わせる朝食でも、終始無言のまま……それがあゆみの家の現状だ。
 だから、こうやって会話を弾ませながら食事を取る行為に、多少戸惑った。ほかの3人が積極的に話を振ってくるのだが、どう答えていいか分からず……それ以前に食事と話のどちらを優先させたらいいのか分からないので、とりあえず黙々と食事を取ってしまう。
 それでも、会話を聞いているうちに自分の心も和やかになってくる。こんな朝っていいなあ……あゆみは素直にそう感じていた。


「さてと、今日は半日だしなあ……学校終わったら何しようか……」

 食事を終えた後、リビングのソファーで伸びをしながら誰に聞くでもなくそうつぶやく影美。なお、美影は朝食の後片付け中である。

「じゃあ、親睦を深める意味も込めて、4人で一緒に出かけましょう!」
「そだね……それがいいかな。あゆみちゃんはどう?」
「はい、それで構いません」
「となると、どこに出かけるかだけど……」

 そう言って思案する影美。そこへあゆみが口を出す。

「駅前の繁華街に出ましょう」
「なんかいい案あるの、あゆみちゃん?」
「ウィンドウショッピングにゲーセンです。暇なときにはこれに限ります」
「あゆみちゃんがゲーセン……正直想像つかないです」
「で、どうして駅前の繁華街?」
「駅の近くに市立図書館がありますから、勉強を口実にサボるにはちょうどいいんですよ」

 そう言ってあゆみは悪戯っぽく笑う。
 思わず顔を見合わせる影美と由紀。実は結構いい性格しているかも……そう思ったかは定かではない。


 放課後……
 白河未沙希の自室……そこには数人の少女が直立不動のまま整列していた。
 服装は双葉学園指定のブレザー……そう、それは立花七海の術中に落ちた双葉学園の学園生。ちなみに七海当人は学校での仕事が残っているため、ここには来ていない。
 ここにいる学園生は七海の暗示により、試験勉強のため駅前の市立図書館へ行くと周りの人間に告げている。日が暮れるまでに自宅に帰せば何も疑われることはないだろう。

「ほう……なかなかいい娘たちが来たものだ……」

 みな一様に虚ろな瞳で前を見つめていた……いや、見つめているかさえも定かではない、それほどに虚ろな瞳だ。

「まずはお前からいただくとしよう……」

 男が指差す先には、天王寺澪が立っていた。男に命じられ、一歩前に出る澪。
 男が瞳に力を込める。それにあわせ、澪の身体が小刻みに震える。

「お前はなんだ?」
「ワタシハ、ゴシュジンサマノドレイデス……」

 よどみなく、平坦な声で答える澪。七海を通じて『力』の影響を受けてきたためか、澪の心は男によって一瞬のうちに掌握された。

「よくできたな。お前にひとつ役目を与えてやろう……お前はオナニー人形だ。俺の命があれば何時、何処ででも即座にオナニーを始める人形だ。そしてそのオナニーを俺に見せることがお前にとっての至上の喜びとなる……いいな?」
「ハイ……ワタシハおなにーニンギョウ……ゴシュジンサマニおなにーヲミテイタダクタメノニンギョウ……」
「そうだ、早速はじめるがいい……服は脱げよ」
「ハイ……」

 制服を脱ぎ、一糸まとわぬ姿となった澪は、その場で立ったままオナニーを始める。

「いいか、俺の許可が下りない限りは決してイクな、分かったな?」
「ハ、ハイ……」

 一心不乱……その言葉がぴったり来るほど一所懸命にオナニーをする澪。そのあまりの激しさに、身体から汗がにじみ出てくる。
 だが、男の命令により頂点に達することを禁じられた澪は、イケないもどかしさにさいなまれ始めていた。
 しかし、オナニーを中断することはない。オナニーしろと命じられたからには、どのようなことになろうともオナニーを続けなければならない……それがオナニー人形たる澪の使命だから。
 秘所から溢れ出てくる蜜液により、指が秘所に出入りするたびジュボ、ジュボという卑猥な音が聞こえてくる。その音に後押しされたかのようにさらに指の動きを加速させる澪。

「ウア……ア……アァァ……ファアッ!?」

 澪の口から意味不明の言葉が漏れ始める……それは、イクことが出来ない彼女が必死になって肉体と精神の高ぶりを外へと逃がそうとあがいている証である。
 虚ろな瞳がさらに霞み、体が小刻みに震え、膝が笑い出す。それでも澪はオナニーをやめない。両の手の指先だけが別の生き物のように蠢き、澪の秘所を的確に刺激し続ける。

「よし、イッていいぞ」
「ハ……イアァァァァァッ!?」

 男にイクことを許可された瞬間、澪は膝から崩れ落ちるように床へと倒れ込む。その秘所からは溢れんばかりの愛液と共に黄金色をした水が噴き出していた。
 男は澪に再び『力』を注ぎ込む……しばらくすると、澪は何事もなかったかのようにその場に立ち上がる。

「どうだ……気分は?」
「サイコウデス……」
「これからもこのすばらしい快感が欲しいだろう?」
「ハイ……ホシイデス……」
「この快感を他のみんなにも分け与えてやりたいと思わないか?」
「ハイ……ミンナニモキモチヨクナッテホシイデス……」
「ならば、お前の知り合いの女を俺に差し出せ。そうすればお前にもそいつにも最高の快感を与えてやる」
「アア……アリガトウゴザイマス」
「ただし、俺の存在を俺の奴隷人形以外には悟らせるな」
「ハイ、カシコマリマシタ……」
「詳しい指示はあの保健の……立花という女がする。迷ったときには彼女に聞け」
「ハイ……」

 男は澪の横にいた女たちにも自らの『力』を注ぎ込み、みだらな性癖を植え込んでいく。そして快感のイメージと共に自分への忠誠と使命を植え込み、自らの手駒にしていく。

 数時間をかけその作業が一通り終わった頃、男はふと後ろを振り返る。そこには学園での仕事を終え帰宅していた立花七海の姿があった。一糸まとわぬ姿で直立不動の姿勢をとる七海。

「よくやったな、お前には特別に褒美をやろう」
「アリガトウゴザイマス……」
「そうだな……お前だけの奴隷人形は欲しくないか?」
「エッ……?」

 わずかに驚きの声を上げる七海。それは、自身の内心を悟られたことによる動揺であった。
 典型的いじめられっ子だった七海は、その奥底で『いじめた連中に仕返しする』という負の感情を抱いていた。催眠術を知ったことによって、それは『他人を支配し、人形にして弄ぶ』という欲望へと変化したが、実行する機会に恵まれなかった上、理性が実行を思いとどまらせていたため、鬱屈した感情が澱のようにたまり続けることになる。
 男の命の下、何人もの学園生を支配することである程度満たされた七海だったが、満たされてくると今度は自分だけの人形が欲しくなってきた。だが、男にそれを望むわけにもいかず、新たな不満として心の中でくすぶることになる。
 その不満を主に見せないよう必死に欲望を押し隠してきたのに、それを主に悟らせてしまった。恥ずかしさと罪悪感にさいなまれ、うつむいてしまう七海。

「己の欲望に忠実になることはいいことだ……俺の命に従い続けるならば隠す必要はないんだぞ」
「ア、ソノ……」
「お前への褒美はそれにしよう……次の獲物は俺に差し出す必要はない、お前の好きなように弄べ」
「ソ、ソレハ……」

 己の不実を責めないばかりか、温情までかける主。確かに嬉しいのだが、自分にここまでしてもらう必要はないと、遠慮の言葉を口にしようとしたのだが……

「遠慮する必要はない……それとも何か、俺の褒美は受け取れないとでも言うのか?」
「ソンナ、メッソウモナイ……」

 その言葉に思わず首を左右に振る七海。口調に怒気を含まない分、その言葉がいっそう恐ろしく感じられた。

「なら素直に受け取るがよい、俺の気が変わらぬうちにな」
「ハイ、アリガトウゴザイマ……ム……」

 お礼の言葉が終わらぬうちに、男の深い口付けを受ける七海。反射的に舌を絡ませ、より深く男の口付けを味わおうとする。
 男の出した唾液を飲み込む七海。その唾液がとても熱く感じる。それと同時に全身に力がみなぎってくるような感覚に襲われる。
 男のくちびるが離れる。七海はかすかなため息を付くと、驚いたように自分の両手をじっと眺めた。

「コ、コレハ……」
「それだけの力があれば十分だろう。お前の望み、かなえてこい」
「アリガトウゴザイマス!」

 七海は最大の敬意を表し、恭しく頭を下げた。


 その頃……
 4人は、本当に駅前の繁華街でウィンドウショッピングをしていた。
 もちろん、一度家に帰り、私服に着替えてからの集合である。試験前のこの時期に先生に見つかると何を言われるか分からない。面倒は避けて通るに限るというものだ。もっとも、この街でも有数の有名人である双子にとっては、服を着替える程度ではごまかしにならないという説もあるが……

 メインは歩きながら、あるいはどこかのオープンカフェでのおしゃべり。そのほかにも、ショーウィンドウの最新ファッションについておのおの好き勝手に意見を言ってみたり、電気店に行って流行の携帯の機能を吟味してみたり……

「結構、楽しめるね……ああん、また取り損ねた」
「でしょ。節度もって挑めば、お金もそうかからないですしね……っと、これでもうひとつゲット!」

 一行は今、ゲーセンでクレーンゲームにいそしんでいるところである。
 由紀が取りこぼす傍らで、3つ目のぬいぐるみを拾い上げるあゆみ。ちなみに双子は後ろで見学中である。

「うますぎる……どうやったらそんなにできるの?」
「コツがあるんですよ、まず……」

 由紀は、昨日からあゆみの持つ『意外な一面』に驚かされっぱなしである。
 無口で淡白な優等生だと思っていた人間が、これだけ生き生きと遊び、喋っている……それは、自身が知らずに抱いていたあゆみに対する『先入観』を打ち崩すには十分なインパクトだった。

 インパクトといえば……今のあゆみのルックスもそうだ。
 集合場所に現れたあゆみの姿を見て、由紀は思わず驚きの声を上げていた。
 まず目に付いたのは、そよ風になびく緑がかった長髪。その光景は思わず見とれてしまうほどの美しさを持っていた。
 いつもの三つ編みをほどいて、丁寧に櫛で梳いたのだろうか……そこには普段学校で見る、ファッションとは無縁そうなあゆみの姿はどこにもなかった。
 服もこざっぱりとした感じにコーディネートされ、このままファッション雑誌の1ページに載せても違和感を感じさせないほど奇麗に決まっている。
 顔に目を移すと、目元に薄くアイシャドーを引き、くちびるは淡いピンクのルージュで彩られている……化粧の仕方もかなりこなれていて、見たとき一瞬別人かと思ったぐらいだ。

「奇麗……」
「お褒めいただき、ありがとうございます」

 見とれているうち思わず漏れた由紀の言葉に対し、丁寧にお礼の言葉を返すあゆみ。
 こんなに奇麗なら、普段学校に来るときもこうしたらいいのに……率直な疑問が頭に浮かぶ。

「たまにするから気持ちいいんですよ。それに、気を惹きたくてこんな格好しているわけじゃないですしね」

 あゆみは微笑みながらそう答えた。その笑顔もまた、あゆみの美しさを引き立てる。

「『優等生』な彼女は、親の期待に答えるための仮面。でもあの子は、それを被り続けるのに疲れたのね……だから、人の交わりの少ないこういう場所で、彼女はそっとその仮面を外すのよ」

 とは美影の弁。もっとも、こんな楽しみ方ができるようになったのは美影の『しもべ』になってからのこと。以前のあゆみはその疲れを癒す術を知らなかったがゆえに、死ぬことによって楽になろうと考えたぐらいだ。
 優等生も楽じゃないんだね……今までずっと表裏なく生きてきた由紀は素直にそう思った。


 繁華街で大いに楽しんだ帰り、駅前のバスターミナルでバス待ちの列に並ぼうとしたとき……その最後尾に並ぶ女性の顔を見て双子は驚いた。それに女性も気づいたのか、こちらに顔を向けると双子と同じように驚いた顔を見せる。

「……知佳姉ちゃん!?」
「もしかして……美影ちゃんに影美ちゃん?」
「お久しぶりです、知佳姉さん」

 それは、互いにとってまさに偶然の再会であった。

「懐かしいですわねえ……二人の顔を見るなんて何年ぶりのことでしょうか?」
「中学に上がってからは会っていませんから……結構経ちますね」

 バスの最後部に陣取った3人は、そう言って再会したことを喜び合っていた。
 由紀とあゆみは、事情が分からず頭にハテナマークを浮かべて3人の会話を聞いていた。

「あの、影美先輩……この方、どちらさまでしょうか?」
「あ、ごめんごめん……」
「はじめましてですね、そちらのお二人さんは……椎名知佳と申します。よろしくお願いしますね」
「は、はい! 風間由紀です!」
「工藤あゆみです……」
「あの……ところで一ついいですか?」

 知佳に質問する由紀。

「はい、なんでしょうか?」
「椎名さんって……先輩たちとどういうご関係にあるのでしょうか?」
「ご関係って……」

 ある種の気迫に包まれたものの言い様に少しとまどう知佳。

「関係って言っても、あたしらが昔住んでいた家で隣近所だったってだけ。姉ちゃんの方が年上だから、あたしらの面倒を見て貰った、と言うのはあるけど」
「あ……そうなんですか……」

 影美の説明を聞いて、由紀は少し恥ずかしそうにうつむく。
 その表情を見て影美は悟った……要するに知佳も自分たちと同じ『しもべ』なのかと思ってしまったんだ、と。最後の仕草が嫉妬から来るのか落胆から来るのかは想像はつかないが。

 それからしばらくは、双子と知佳を中心に話題が進む。
 隣近所で姉妹のように生活していた3人も、双子が家の都合で引っ越してからは、顔をあわせることも連絡を取ることもなかった。
 それだけに、お互いに話すことが山ほどあったのか、途切れることなく話を弾ませる3人。主な話題は昔話や互いの近況など。由紀やあゆみにしても、双子の昔話には大変興味があり、その話にじっくりと耳を傾けていた。

「ところで知佳姉ちゃん、どうしてこっちに?」
「仕事の都合でですね……しばらくこの街に住むことになったんですよ」
「どのあたりにですか?」
「えーと、確か……」
『次は……』

 そのとき、バスの車内放送が流れる。
 その車内放送に過敏に反応した知佳は、あわてて停車ボタンを押そうとして……こけた。

「ち、知佳姉ちゃん、大丈夫!?」
「あたた……大丈夫ですけど……ボタン押してください」

 その声に無言でボタンを押す美影。

「あ、ありがとう美影ちゃん……」
「相変わらずですね、そのドジさ加減」
「ひどい言い方……否定できないけど」

 そう言ってクスリと笑いあう。

「じゃあ、私はここで降ります……また機会があったら会いましょうね」
「うん、知佳姉ちゃんも元気で」

 手を振りながらバスを降りていく知佳。バスが動き出し、姿が見えなくなるまでその手を振り続けていた。

「相変わらずだったなあ、知佳姉ちゃん」
「そうねえ……」

 その後、由紀とあゆみも最寄のバス停で降り、今回のお出かけはこれにて解散とあいなった。


「しかし、ここであの二人と出会うとは……世の中、つくづく狭いものだと感じますわね」

 そんな事をつぶやきながら一人狭い路地を歩く知佳。日はすでにかなり西に傾いていた。

「今回の仕事がひと段落着いたらもう一度二人に会いに行くというのも……あ」

 そこまで言って知佳は気づく。二人の住所と電話番号を聞くのを忘れていたのだ。

「……まあ、いいですか。運がよければもう一度会えるでしょうし」

 そう勝手に結論付けて独り言を締めた頃、知佳は古ぼけたアパートの前に立っていた。

「さてと、確かこの部屋のはずですよねえ……」

 そしてその一室のドアをノックする。

「は〜い!」

 その声と共にドアを開けたのは……永瀬真澄だった。

「椎名先輩!」
「お久しぶりですね、真澄ちゃん……元気してましたか?」
「ええ、先輩もお元気そうで……向こうの仕事はもう片付いたんですか?」
「おかげさまでね……」

 そんな挨拶を交わしながら、アパートに入る知佳。

 知佳と真澄は『護り人』の先輩後輩。真澄が『護り人』となったとき、最初に指導に当たったのがこの知佳なのである。
 実地における行動のノウハウを手取り足取り教えたり、年頃の女の子である真澄の相談に乗ったりと、知佳は『護り人』となったばかりの真澄に対して何かと世話を焼いたのだった。一度は先走ってピンチに陥った真澄を助けたこともあるほどだ。
 そんな経緯もあって、真澄のほうが実力上位となった現在においても、真澄は知佳に対して尊敬の念を抱いている。

 今回守護者協会は、双葉学園周辺で起きている婦女暴行騒ぎに『あやかし』の影響がある可能性を察知、事の真相を確かめるべく知佳と真澄を現地に派遣したのだ。
 本来ならば二人一緒に乗り込む手はずだったのだが、知佳が前の仕事の切り上げに手間取ったため、一足先に真澄が乗り込んだ次第である。

「ところで、今回の件ですが……まずはこれまでの経過報告からお願いします」
「分かりました……」

 そう答えた真澄の声がどことなく落ち込んでいることに気づいた知佳。だが、それに関してはあえて何も触れず話を促す。
 真澄はこれまでの経過報告を淡々と行う。『あやかし』と思しき存在と都合二度接触したこと、そのうち一度は戦闘状態に入り敗北したこと……
 その口調はきわめて事務的。努めて冷静でいようと感情を押し殺した結果だった。

「真澄ちゃんほどの人がそうも簡単に負けるとは、侮れない相手のようですね」
「いえ、自分の経験不足がその原因です……」
「気持ちは分かるけど、そう自分を責めないで……それはそうと、その『あやかし』の資料はありますか?」
「はい、携帯で撮影した写真と、こちらで手に入れた簡単なプロフィールなどをまとめて、こちらに……」

 そう言って真澄はパソコンを操作する。
 現れた映像を見て、知佳は一瞬我が目を疑った。
 それは……影美の顔だった。脇のプロフィールを確認する。『真田影美』……間違いない、あの影美である。

「真田影美、双葉学園の学園生。陸上部のエースで主将を務めています……」

 そんな真澄の解説を呆然とした頭で聞き流す。本当に彼女が一連の騒動の首謀者なのか……だとすればなぜ……そんな疑問が次々と浮かび上がってくる。

「……先輩、どうしたんですか?」
「うわっ!?」

 真澄にそう尋ねられた知佳は、驚き慌てふためいた末に畳の上に倒れこんでしまう。
 どこをどうすればそんな倒れ方ができるのだろうか……真澄は知佳のいつもながらのリアクションに驚かされながら、思わずそんな事を考えてしまう。

「あつつ……」
「大丈夫ですか、先輩?」
「だいじょぶだいじょぶ……」

 そう言って無事を真澄にアピールする裏で、知佳の頭の中では必死に考えを巡らせていた。
 先ほど接触した限りにおいては、影美も美影も引っ越す以前とさほど変わらないように感じられた。正直な話、影美が実は『あやかし』でしたと言われても今ひとつ実感がわかない。
 知佳は思った疑問を素直にぶつけてみる事にした……無論、影美と知り合いであることは伏せたままで。

「それより、本当に彼女は『あやかし』なのですか?」
「間違いありません。『あやかし』の力をこの身で確かに感じましたし、当人が『あやかし』だと認めましたから」
「認めた? 当人から聞いた……というか、『あやかし』の事を知っていたんですか?」
「ええ。『あやかし』だけでなく『護り人』や『守護者協会』のことも知ってましたよ」
「『守護者協会』のことまで……」

 ますますもって話が見えなくなってくる。『守護者協会』を知っているというだけでも十分稀有な存在なのに、それが自分の知り合いで、『あやかし』かも知れない……ごちゃごちゃした頭の中を整理してみるが、それらがどういう形で結びついているのか、さっぱり想像がつかなかった。

「椎名先輩……これからどうしますか?」

 何はなくとも影美の事情を知りたい……真澄の問いかけを聞き流しつつ、その方策を思案する知佳。
 幸い、真澄の資料で影美が真澄と同じ学校に通っていることは確認できた。影美当人に接触する事自体はそう難しくはない。
 問題はどうやって接触するかだ。現時点で真澄に自分と影美の関係を明かすのは少し躊躇われるところ。となると、真澄に接触の仲介を頼むわけにはいかない。単独で学校に乗り込んで接触するのも、影美が真澄にマークされていることを考えるとかなり難しそうだ。
 他に接触する方法はないだろうか……そう考えているうち、知佳はあることに気が付いた。真澄が美影のことについて一言も触れていないのだ。
 パソコンの画面に映し出されるプロフィール欄にもその名が書かれていないことを含めて考えるならば、あるいは真澄は美影の事を知らないのかもしれない。
 そこまで考えたとき、知佳の頭にひとつのアイデアが浮かぶ。
 美影に影美の事を聞いてみる、というのはどうだろうか……あるいは彼女ならば事情を知っているかもしれない。

「『護り人』を知る『あやかし』……なかなか興味ある存在のようですね。真澄ちゃん、彼女のこともう少し詳しく調べていただけないでしょうか?」
「調べる……ですか?」
「そう。真澄ちゃんと互角以上に戦える『あやかし』を相手に、私程度では戦力の足しにもならないですからね。多分、応援を呼ぶ方向で話は動くと思いますが、応援が来るにはしばらく時間がかかりますから、その間に相手の素性を調べておいて損はないでしょう」

 などと理論武装してみせるが、実際は真澄を影美の調査に専念させることで、美影を真澄の目から外すことが目的。調査の過程であるいは美影のことに気づくかもしれないが、真澄の性格からすれば影美の調査を優先させるはず。早い段階で美影と接触すれば問題ないはずだ。

「調査ならば椎名先輩のほうが……」
「同じ学園に通うあなたのほうが接触しやすいでしょう?」
「確かにその通りですが……」
「幸い、今回はまだそんなに逼迫した状況ではないようですし、相手を見極めてから事を起こしても遅くはないでしょう」
「…………」

 知佳の意見を聞き、真剣に悩む真澄を見ながら、少し後ろめたさを感じる知佳。たとえ知人だろうが『あやかし』かもしれない存在をかばっていることに違いはない。もし真澄がそれを知ったら、自分の事をどう思うのだろうか……

「分かりました、真田影美と再度接触して出来るだけの情報を集めてみます」

 不承不承ながら提案を受け入れる真澄によろしくと返事をしながら、知佳の心は影美のことに思いをめぐらせる。

(影美ちゃん……一体何があったの……)

 
 


 

 

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