煉牙の門


 

 

プロローグ


「そろそろ出てきたらどうだ?」
 闇夜に響く男の声。
 まるで、これから起こることを純粋に期待する少年のような声色。
「いえ、あなたと正面きって争うことは不本意なんですけど」
 答えるは、幼い少女の声。
 それと同時に空間が揺らぎ、一人の少女が現れた。
 女は小さかった、150センチメートルぐらいだろう。肩で切りそろえた髪が似合っている。ビシッと決めたスーツも、ジーンズとT―シャツを着ている男に張り合っているようでなんだか微笑ましいそんな雰囲気だった。
 何もない空間から現れたことをのぞけば、だが。
 少女と男の距離は約10メートル。
 二人が佇む場所は公園の一角らしい。二人を木が囲んでいる。
 闇夜に公園のライトが二人を照らしていた。
「紅。組織の名に於いて、神楽 舞が相手をします」
「舞か………。ああ、組織での最年少記録とやらを更新した奴だな? 俺の為に来てくれるなんて光栄だよ」
 紅と呼ばれた男は、さりて光栄でもなさそうに言い捨てる。
「で、こんなことに誘い込むなんてとうとう組織もヤキが回ったか?」
「誘い込むなんて失礼な。まぁ、そう取られるのが普通でしょうね」
 舞が懐に手を入れ、一振りのナイフを出す。
「貴さんの件で、組織はあなたのことを危険視しています」
 ナイフを持っている手を、舞が上げる。
「表舞台に出てこなかったあなたがどうやって貴さんを殺したのかは不明ですが、組織はあなたを野放しにしておくほど寛大ではありません」
 それに合わせるように空間の温度が下がるように感じられた。
 けれど、それはあくまで気のせい。鈍感な人は何も感じられないだろう。いや、敏感な人でも感じられる人は一握りだ。
 けれど、紅は舞の行為が何を示すか知っていた。
「結界か………。魔術師の技なんて出して、どうする気だ?」
 結界―――それは一定の区間を隔離し、術者の望んだ『形』を取るものの総称だ。『形』の具体例をあげると『暗示機能を付ける』、『隔離した区間を壁で覆う』などなど。
 もともとは仏教用語で、聖域と外界を隔離するものの意だ。
 それを技術として始めて設立したのが魔術師で、現在は魔術師が身を守る術の総称に変わっている。
 もちろん、魔術師のほかにも使える者は多数いるが。
「いえ、ただ邪魔が入らないように『この公園は存在しない』という強制暗示を付けただけです」
 舞が手を下ろす。
 二人を囲む木が震えだし、鳥が羽ばたいていく。
 おそらくは、この辺りの異常性を感じ取ったのだろう。
「では……舞といったな? 俺を確保することが組織の指令で間違いは無いな?」
 紅が尋ねる。
 ニヤニヤと笑い、舞を小バカにしていることが見てとれた。
「どこでそんなことを知ったのですか。……いえ、あなたなら知っていてもおかしくはないですね」
 全くの無表情で舞が言う。
「もう少し驚いてくれないと、情報を手に入れた労力に割りが合わないな……。これでもなかなか骨が折れたんだよなぁ」
 紅がぼやく。
 だが、ふざけているのは口調だけで、一帯には息苦しいほどの殺気が充満していた。
「まあ、いい。舞、相手になろう」
 紅が構える。
 事は一瞬。
 今まで何も握っていなかったその腕には、長い、一振りの槍が存在していた。
 2メートル以上。あまりにも長いその槍は、一目で紅以外には使いこなせないことが見てとれた。
「ええ、組織の名のもとに」
 舞のその一言が合図となった。
 紅が『踏み込む』。ある種の格闘技に用いられる踏み込みは、一歩で数メートルの移動を可能にする。紅の踏み込みはまさにそれだった。
 異なるのは、紅の『踏み込み』が数メートルどころではないということだ。
 一振りの旋風。
 それだけで、舞の後ろにあった木が吹き飛んでいた。
「どこを狙っているんですか………!!」
 紅の後ろから声。
 だがそれは、舞のフェイント。
 紅が声のした方に対する薙ぎ払い、そこには舞の姿は無い。
「ちい―――」
 紅が呻き声をあげる。
 舞は消えていた。
 気配を消して隠れているというレベルではなく、この世界から消えているのだ。
 槍を右手に持ち、左手で探るような仕草。
 その仕草は自然であるが故に、異常な行為のようだった。
「小賢しいわ!!」
 その気勢、業火のごとく。
 紅の何も存在しない空間に対する打突。
「く、っ――――」
 何もないはずの空間にはいつのまにか舞の姿。
 最初に舞が出てきたのと同じように、空間が揺らいでいた。
 紅の打突が繰り返される。
 けれど、打突の軌道が点である以上見切ってしまえばかわす手段は幾らでもある。
 例えば、ナイフで槍の柄を打ち、わずかに軌道をずらせばそれだけで隙になってしまう。
 舞を甘く見ているのだろうか? 外見から打突が主体だと判断されることが多いが、槍の基本戦術は払いにこそある。
 長さを利用した広範囲の薙ぎ払いは、身を引いてかわすという防御を許さないからだ。
 中途半端な後退では槍の間合いから逃れられず、反撃を試みるような見切りでは腹を裂かれる。
 だからといって、無造作に前にでれば、槍の長い柄に弾かれ肋骨を容易く折られてしまう。
 だが、それが打突なら話は変わる。
 神速の一刺。
 急所への打突。
 これらは確かに恐ろしい。けれど、避ける手段は数多くあり、隙も生まれやすいというのに―――。
「遅い!!遅い!!遅い!!遅い!!遅いぃぃぃ!!」
 紅の雄叫びは、果たして舞に向けたものか、自分自身に向けたものなのか。
 紅の際限なき打突。
 打突は一撃、一撃ごとに速く、尚速く舞を突く。
 戻りの隙などない。
 いや、そればかりではなく、鋭さも威力も桁違いに上がっていく。
 それは見切ることができるはずなかった。速さが際限なく、一撃ごとに上がっていく攻撃をどう見切るというのだろうか。 
 紅は強い―――。
 槍使いとしてではなく、人間として。否―――人間を超えているからこその実力なのか。
 巻き起こる鎌鼬。鳴り響く鉄の音楽。
 既に三桁に届きそうな鬩ぎ合いは、とどまる事を知らないとでもいうように、ますます苛烈していく。
 一撃目より二撃目。二撃目より三撃目。
 スピードは緩むことなく、ただ舞を追い詰めるのみ。
 だが、紅の打突をことごとく避けている舞もまた人間という種を超越していた。
 槍とナイフ。
 二つの獲物は血を求め、死を求め、音楽を鳴らし続ける。
「砕っ!!」
 紅の打突をナイフの腹で受け、その衝撃を殺しつつ舞は紅から距離をとった。
 空中で姿勢を正し、猫のように着地をする。
 紅が追撃してこないところを見ると、仕切り直しにするということだろう。
「舞、貴様何者だ? オレの攻撃をここまで避ける奴は組織には存在しないはずだが?」
「いえ、わたしは組織の人間です。……組織も進化したんじゃないのですか? あの程度なら避けることは苦ではありませんよ」
「言ってくれる、女狐め」
 紅のあからさまな侮蔑を意に介さず、舞は懐から、もう一つナイフを取り出した。
「ここらへんで、決着をつけましょう」
 舞が構えをとる。
 ここに来て初めて、舞から殺気が迸る。
「いや、舞。もう勝負は決まってしまう」
「え?」
 ――――――。
 ――――――――――。
 ―――――――――――――。
 一瞬の空白。
 舞が、紅の言動に惑わされなければ、この空白は生まれなかっただろう。
 紅の言動により、自分の方が有利だと侮ってしまったが故の圧倒的な失策。
 だが、生まれてしまった空白を埋めることは誰にも出来ない。
 そして、紅はこの一瞬の空白しか必要としていなかった。
 紅にとって、必然により生まれた空白は全てを超越する武器となりうる。
 空白は『無』であるが故に、『有』への道しるべとなる。
 『有』が示す道が今、ここに具現する。
「全ては決定した」
 誰かの声。
 舞には判別できなかっただろう、なぜならそれは『無』だから。ないものを理解することはできない。
 0の意味を理解できないのと同じように。
 空間が揺らぎ始め、大きな波になる。
 それはまるで津波のように二人がいた公園を粉砕し、全てを消し去った。
 否―――始めから、この空間にはなにも存在していなかったのだ。
 これが『有』の決定。
 なんびとたりとも覆すことの出来ぬ、絶対的な行為。
「な……!! いったいどうやって!!」
 何もない純白の空間。あまりに白すぎる空間は、そこに佇む二人の姿がなければ遠近感すらつかめないだろう。
「オレを舐めるなよ。タネがばれたマジックに驚かないのと同じように、理解された能力に有効性などない」
 紅が槍を構え直す。
「……隔離空間だな? 結界だと思っていたのが運の尽きだったんだろう。
 先入観なんて持つもんじゃない。油断していたわけじゃないが、結果的に油断していたことになったんだから」
 隔離空間―――結界であって、結界でないもの。
 結界の進化形とでもいえるだろうか。
 結界が、一定の区間を隔離し、術者の望んだ『形』を取るものの総称なら、隔離空間は一定の空間を隔離し、術者の望んだ『形』を取るものの総称ということだ。
 区間と空間には大きな違いがある。
 区間とは、ある地点とある地点を結んだ間のことで、空間とは、何も無く空いているところという意味だ。
 つまり、術者にとって、隔離空間(結界)を移動させることは対して難しくなくなる。
 結界は移動できないために防御などにしか使えないという欠点を無くし、攻撃的な結界を張れることを意味するのだ。
 この利点の示すところは大きい。
 なぜなら、効果の大きい結界は総じて規模が小さくなってしまうから。けれど、隔離空間なら自分を中心に張れるため、区間が小さくてもこと足りるのだ。そして、区間が小さいということは気づかれにくいということでもある。
 おそらく、舞は行動抑制系の隔離空間を展開していたのだろう。
「だが、オレに本気を出させたことを誇ってもいいぜ。
 久しぶりに『虚無』を使ってしまったよ」
 今までと同じようで、まったく違う紅の構え。
 低く構えた紅の身体は猛禽類を思わせ、槍の穂先がまるで牙のように舞を襲う。隙が微塵も感じられないその構えは、まるで―――。
「食らえ、我が必殺の一撃を」
 ―――紅、そのものが槍になったよう。
「我、隔離せん、未来への、―――」
「今ごろ遅い!!」
 疾走する紅。
 その動きを捉えられるものは果たしているのか。
 20mはあった距離が一秒足らずで踏破される。
 紅が放つは三点。眉間、首筋、そして心臓。
 全弾急所となる紅の打突。
 放たれた白刃の閃光。
「くっ、―――壁、具現せよ!!」
 舞の叫び。
 その叫びに呼応するように、舞と紅との間に不透明な壁が現れる。
 壁はまるで、なんびとたりとも通さぬ、とでも主張するかのように紅を威嚇した。
 だが、威嚇で紅が止まるなどとはありえない。
 紅の打突と壁との衝突の音が響き渡る。
 数秒の間。しかし、舞にはとてつもなく長い時間に感じられた。
 紅の殺気が失せ、同時に気配も消えている。
「防いだ?」
 目の前には不透明な壁。
 紅の打突を防ぎきれたとは思えないが、壁が壊れていないのなら―――。
「動くな」
 後ろから声―――!!
「動くな、と言っている。……間に合わないと判断してからの次の行動は見事だ。
 だが、あれはフェイントだよ。ハッタリに騙されるなんてまだまだだな」
 紅が舞の背中に穂先を向ける。
「言動を鵜呑みにするとバカをみるぜ」
 圧倒的な存在感。動いたら間違いなく殺される。いや、その前に動こうとする意志さえ芽生えない。
 恐ろしい。今までのは遊びだと思わせる殺気。
 息苦しいなんてレベルじゃなく、この殺気で人を殺すことも十分可能なのではないか。
「けどな、舞。オレはお前を気に入ったよ」
 紅の言葉を聞きながらも舞は内心焦っていた。
 動いたら殺される。これはまず間違いない。
 なら、どう動く? いや、動かずに紅に動揺を誘える行為は?
 隙を探さなくては、紅が不用意に近づいている今が最大のチャンスなんだから―――。
「大サービスだ。お前に決定権を与えよう」
 自分の言動に陶酔している口調。
 舞はこれを『隙』だと判断してしまった。
 それは間違いだというのに。
 今の紅には逆らってはいけないというのに。
 舞は腰を捻り、地面を蹴ることなく、紅との間合いを詰めようとする。
「轟!!」
 舞の気合が迸り、一気に紅との間合いが詰められた。ナイフの独壇場である接近戦を挑むために。
 左のナイフでルーン文字を刻み、右のナイフで牽制する。
 その動きは悪くはなかったが、今の紅には無意味だった。
「これが答えか」
 呟きつつも、舞の間合いから離れずにただ舞を見つめていた。
 他人事のように。
 ナイフが一閃し、紅の頚動脈が切られる。
 返す刃で心臓を一突きし、完成したルーン文字で紅の周辺の、空間の爆発、及び炎上。
 指向性を持ったダイナマイトのような爆発は、確実に紅を巻き込んでいる。
「殺った?」
 爆炎が収まり、何もない白い空間が現れる。
 手ごたえも十二分にあるし、完成したルーン文字に間違いは無い。
 抵抗しなかったのが不思議だったが、これで無傷なんてありえないはずだ。
「いや、効かないな」
 それは独り言に対する反論。
 頚動脈を切られ、心臓を一突きにされたままの紅が現れる。
 それはまるで、出来の悪いB級ホラー映画を見ているよう。
 心臓にはナイフが刺さり、首にはナイフで切られた後が残っているというのに。
 紅は何事も無いかのように佇んでいる―――。
「お前は『虚無』がわかってない。
 あれは全ての行為に対して『絶望』を与えるというのに」
 紅が舞に向かって歩いていく
「決定権を放棄したお前には、オレの―――」
 紅の言動を異に介さず、舞は紅に向かって跳躍する。
 この悪夢を断ち切るために。
「―――奴隷になってもらう」
 空中で、準備をしておいたナイフをむりやり腰の運動で投げる。
 ドス、ドス、という生々しい音が響き渡り、紅に数十本のナイフが刺さる。すこしよろめいた紅は、その場所に留まった。
 紅は舞の行動にやはり無関心だった。胸に刺さったナイフにも注意をはらっていない。
 舞は、着地したと同時に滑るように移動し、すれ違いざまに紅の眼球にナイフを突き入れた。
 そして、振り向きざまにナイフを無造作に投げつけ、計18本のナイフが紅の身体に刺さった。
「だから、無駄だというのに」
 紅の嘆息。
 脳まで届いているはずのナイフを、かさぶたを剥がすような感じで引き抜く。
 その間に紅の身体は、肉薄している舞に切り刻まれていた。
 だが、切られた場所からは出血は起きず、スライムのように切られた場所が復元していく。
 風を切る音が、途切れることなく鳴る。
 紅の皮膚が、腕が、足が、胸が、爪が、頭蓋骨が切り裂かれる音が鳴る。
 紅の皮膚が、腕が、足が、胸が、爪が、頭蓋骨が破壊される音が鳴る。
 秒から分に変わる。
 すでに舞は、紅を百回以上殺しているはずだった。
 紅は立っているだけ。
 ここまでくると、B級ホラー映画というよりはコメディ映画の方が近かった。
 ただ、黙々とナイフを走らせ、紅を解体していく舞。けれどその行動は全くの無意味だった。
 そしてそれは、舞が一番よく知っているはずだった。
「なんで!! なぜ、死なないんです!! こんな能力は聞いたことがありません!! 紅、答えてくださいっ!!」
 駄々っ子のように喚く舞。
 舞はパニックに陥っていた。
 切られても、破壊されても復元する紅。スライムのようなその姿は舞の精神に異常をきたすには十分すぎた。
 そもそも舞は組織にいるが、ただの少女なのだ。
 少女にとってこの光景は悲惨であり、いままでしてきた行為を暗に責められる気がして不安を煽られる。
 組織の一員としていままでしてきた行為は、褒められたものだけではない。
 人を殺したことも数多くある。舞には、その怨念が襲ってくるように感じられていた。
「答える必要性はない。準備は整った」
 紅の傷が元通りになり、足元には数え切れないほどのナイフが落ちていた。
「舞。これで終わりだよ」
 紅の声が響く。
 その声は、エコーのように響きまわり、鼓膜を震わせた。
 否―――声が響きまわっているのではない。空気が振動しているとでもいうのか?
「これ…は、頭が……」
 舞が膝をつき、倒れこむ。
「言っただろう、『虚無』は全ての行為に対して『絶望』を与えると。
 けれど、お前には『絶望』は似合わないよ」
「なに……が、似合わ…ないですか。……私に似合…うものは……私が…判断しま……す」
 意識が途切れがちになり、目の前が暗くなっていく。
 ある種の精神支配だと、舞は気づいた。
 これから気絶するのだと理解できたし、紅に敗北するということも理解できたが、紅が『死なない』という悪夢から逃れられるのなら、このまま気絶してもいいなと思った。
 そもそも、この程度の精神支配は舞なら簡単に破れるはずなのだが、パニックに陥っていた舞には効果が抜群だった。
 そして。
 舞は今ごろ気づいた。
 紅が化け物であるということに。
 その名の通り、『化けた物』であるということに。
「そん……な、そ…んな……ことっ…て」
 暗転。
「舞。『虚無』とは、無いということだ。故に、私には『死』を無くすることができるんだよ―――」
 紅の呟きは、誰が聞くでもなく虚空に消えていった。
 そう、純白の美しい世界へ。

 
 


 

 

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