プラーナの瞳


 

 

第8話


 本にお気に入りのしおりを挟んだみたいに、つい3日前の出来事を、これから先何度も振り返ることになるだろう。
 私の人生をもしも物語にして書き綴ってくださる方がいたとしたら、その人には、吉岡恭一様に出会う以前のことについては序文で済ませていただいてかまわないと言う。
 あの日、私は恭一様に大人の体にしていただいた。
 これだけの幸運を授かる資格が、はたしてこの私にはあるのだろうか。などと望外な慶福に腰が引けてしまいそうになるが、そのような態度はむしろ恭一様に失礼になるので、あえて堂々と、心中でこっそりと、飛び跳ねて喜びたい。
 私は恭一様のモノ。
 篠原美月は吉岡恭一様の所有物。
 もうあの御方以外のことは考えられない。恭一様の声を思い浮かべるだけで頭が痺れる。恭一様に名前を呼んでいただけるだけで、体中が彼に支配される。
 朝、目覚めとともにそっと恭一様の名前を呼ぶ。恭一様のお目に触れても恥ずかしくないように念入りに体を磨き、朝食の前には心の中で恭一様に「いただきます」を述べ、できるだけ早く学校へ行き(恭一様より遅れるなんてとんでもない)、教室の中で級友たちと談笑しながら恭一様のことを想い、そして待ちわびたHRの時間に恭一様のお顔を拝見して、あそこを濡らす。
 恭一様のお顔。お声。指。ネクタイ。スーツ。立ち振る舞い。私を濡らさないものは何一つない完璧な男性。
 私が彼にされているのは、支配。恋でも愛でもなく、もっく根深く絶対的な絆。私はこれから先、名乗る際には名前の前に『恭一様の』と付けるべきだろう。
 一日中、恭一様のことを考えてすごす。恭一様の姿を目で追い、偶然お見かけしたときの幸運に感謝し、会えないときはこっそり恭一様の写真にキスをさせていただく。
 2日前は、放課後に呼び出してもらえた。あのCALL教室に。
 ご奉仕をさせていただく幸せは、私が生きている幸せでもある。彼の前に傅き、彼のモノをしゃぶらせていただく幸福。私は涙を流してしまっていた。あそこも自分で驚くくらい濡れて、何度か小さく達してしまっていた。
 その後、セックスをしてくださった。
 恭一様のが体の中に入ってくるだけで、私はもう天国に昇ってしまい、あとは記憶が飛んでしまう。きっとはしたなく乱れているだろうし、甘えたことを言ってしまっているのに違いないけど、恭一様はそんな私を丹念に徹底的に犯してくださった。
 死んでしまってもいいと思えるほど幸せな時間だけど、少しでも理性を残したまま恭一様に触れられるご奉仕の時間の方が好きなのは、恭一様にも内緒だ。だって、私の好みなどを主張して、恭一様に気を遣わせて申し訳ないし。
 あの御方は、少しお優しすぎるところがあるのだ。
 セックスが終わって、私が目を覚ますのを待って、恭一様は私のこれからについてお話してくださった。

「学校では出来るかぎり今までどおりでいろ。友人たちにも、自分が変わってしまったことがバレないように」
「卒業したら家を継げ」
「あとは、お前がやりたいようにすればいい」

 要約すると、そのようなことをおしゃっていた。
 私としては今すぐ学校をやめて恭一様の御家に入ってペットとして飼っていただきたいのですが。と、正直にやりたいことを告げると、「そうはいくか!」とおっしゃられた。

「いや、その気持ちは嬉しい。大事なことだ。だが、美月の将来の姿も俺は見たい。今のままの生活を続けるんだ」

 せっかくあなたのモノにしていただいたのにですか。と、私は少し寂しい気持ちになった。
 だけど、恭一様は照れくさそうに頬を染めておっしゃった。

「俺は、今の美月が好きなんだ」

 私も負けじと真っ赤になってしまった。
 CALL教室の冷たい机の上で、火照った体を寄せ合い、キスをして、私は恭一様に誓う。

「全て、あなたの仰せのままに。美月はあなたの女です」

 だけど、もし私が鎌倉のおうちを継いでしまったら、恭一様に会える時間がなくなってしまう。
 それを考えると私は悲しくなってしまった。恭一様が決めてくださったことだから私は従わないといけないのだが、どうしても胸がチクチク痛んでしまう。
 そんな私ごときの小さな不安を、この優しいご主人様は気にかけてくださるのだ。

「まあ、そのことも考えるさ。なんなら、店ごとこの近くに引っ越してくればいい」

 なんて素晴らしいアイディア。恭一様はやはり天才です。
 でも、そうなるとかなりの費用が。商売の地盤が。これはかなり頑張らないと呉服しのはらは私の代で……。

「それもなんとかする。約束しただろう。俺が、お前を幸せにするって」

 私なんかに未来を約束する必要などないのに(なぜなら私の未来も恭一様が好きにしてくれてかまいませんので)、次から次へとこのご主人様は明るい未来を囁いてくださる。
 美月は増長しちゃうかもしれません。ご主人様は、こんな私をおそばに置きたいと思ってくださってるって。私は、これからもずっと恭一様のおそばにいられるのだと。
 でも、それがそう簡単に叶うものだと思えるほど、私も子どもではないのですが。

「俺に任せておけばいい。美月は心配するな」

 恭一様がそうおっしゃるなら、私はもう何も気にしません。ごまかされているのかもしれませんけど、ご主人様のおっしゃることを詮索するなんてとんでもない。
 話したくないことは聞きません。
 ご主人様のおっしゃる甘すぎる未来も、私はそのまま信じます。
 美月をどうぞ、騙してやってくださいませ。

 恭一様のお顔を見上げているだけで幸せな気持ちになってしまう私を、なぜか少し悲しそうに恭一様は見返しています。でも、優しく微笑んで頭を撫でてくださいました。
 それだけで、美月は幸せです。







 カフェのテラスで、テーブルクロスを片付けている七嶋さんの背後に近づく。
 彼女はすぐに気づいて、振り返って破顔した。

「吉岡さん、お一人ですか? また白兎ちゃんは隠れんぼかしら?」
「いえ、そうではありません。あなたとお話しさせていただきたくて来ました」
「あらやだ」

 私なんかに、などと手にしたクロスを簡単にまとめながら彼女は席を勧める。
 座る前に、俺は先日の非礼を詫びた。

「この間はお世話になりました。それと、あなたのことを存じずに数々の失礼をしてしまい、大変申し訳ございませんでした」

 七嶋さんは、俺の豹変した態度にも驚くことなく、「そんなそんな」と手を顔の前で扇いで恐縮する。

「ただの給仕のおばちゃんですよ。失礼も何も」
「そのことを伺いたくて来ました。あなたは、どうしてこんなところで給仕なんてなさっているのですか?」
「そりゃあもう、旦那の稼ぎが少ないもので」
「いえ……失礼ながら、生活の面で不自由される立場ではないかとお察しします。なのにどうして」

 彼女の身元をもう一度洗った。どうしたって怪しかったからな。ただの食堂のおばちゃんとは思えなかったし、それに、今も気配を殺して近づく俺に、声をかけるより先に気づいた。普通のおばちゃんのわけがないんだ。
 なのに、経歴にも嘘はなかった。
 古いマンションに文芸評論家の夫と二人暮らし。収入も暮らしぶりも確かに怪しいところはない。ここの賃金もきちんと時給で支給でされている。仕事の帰りには途中のスーパーに寄って、値引きされた総菜を買っていることも調べた。
 普通の、慎ましい生活を送っている老女だ。それなのに。

「桐翼会の会長が、どうしてこんなところで給仕をしているのかを、伺いたいんです」

 桐翼会は学園OGの集まり、と言ってしまえばそれまでだが、メンバーが普通じゃない。日本でも最高レベルの政治力を持つ女性集団だ。
 幹部には政治家や大企業役員、芸術家や大女優といった連中が名を連ねる。一般会員でもほとんどが名家出身か大物の伴侶ばかりで、海外支部まであるくらいだ。会の事業名目で相当の金も動いているとも聞く。
 そのトップなら、それらしくしてくれないと困る。白兎お嬢様は知っていたから食堂には近づかないんだ。うっかりお茶なんてご馳走になってしまったぞ。
 いったい何が目的なんだ?
 本人を前にしてもまだ混乱している俺に、七嶋さんは――七嶋会長は朗らかな笑みを崩さない。

「まずは、お席へどうぞ」

 クロスの残っているテーブルを勧められる。その微笑みを信じることにして俺は席に着く。
 七嶋会長も、「お茶はお出ししない方がよさそうね」と、そのまま席に着いた。もちろんだ。もう俺はあなたの給仕を受けるわけにはいかない。

「さて。あなたもとうとう私の正体を知ってしまいましたね。ふふっ」

 戯けるように笑うと、会長は年の割にしゃんとした背筋を伸ばす。

「でも、残念ですがそれだけですよ。あんなのただのOG会です。役員とはいってもボランティアですし。私が他の人と違ってヒマだから、会長をやらせてもらっているだけです」
「ここお仕事は、どうして?」
「パートもこの年になるとなかなか見つからないから、段蔵くんに頼んで働かせてもらっているんですよ。それはもう嫌な顔をされてしまったのですけど。ふふっ」
「はあ……え、段、え、いや」

 あまりにもさりげなく言うので、聞き流してしまうところだった。
 世界に誇る我が桐沢財閥の総裁が、桐翼会では「段蔵くん」呼ばわりされているという噂は本当だったのか。俺の方こそ、背筋が伸びてしまった。
 それは総裁だってさぞ嫌な顔をされただろう。働かせるくらいなら、いくらでも払うとおっしゃったはずだ。

「いい年をして、まだ学園に未練があるみたいで恥ずかしいのですが、やっぱり最後は若い子たちを見守りながら過ごしたいと思いまして。桐翼会はなんといいますか、ホラ、何かというと細かいことであれやこれやとうるさくなりますし。疲れるんですよねえ」

 朗らかに語る彼女は、いかにも人の好い近所のおばさんといった感じだ。特異な人材ばかりが集まる桐翼会幹部に君臨している人物には、やはり見えない。
 慎ましい暮らしぶりを見る限り、清廉な女性であることは間違いないだろう。だが、それだけでは決してないはずだ。
 そっとポケットの中の《プラーナの瞳》に手を伸ばす。
 しかし、触れる寸前に「おやめなさい」と釘を刺された。

「つぶれますよ。あなたにはまだ早い」

 急に圧を増した彼女の声色。俺はそのまま呼吸まで止めてしまっていた。
 じわりと汗をかいた手を、ゆっくりとポケットから離す。ついでにホールドアップもしたい気分だ。
 白兎お嬢様や東城くんの《プラーナ》に感じたプレッシャーを、見る前から感じさせた。
 いや、そのときよりも絶望的な予感に背筋が凍った。戦場で銃口を押し当てられたように。

「あらやだ。驚かせてしまってすみません。ふふっ」

 前に一度だけ桐翼会の集まりに出席して、疲労困憊した顔で帰ってきたときの白兎お嬢様を思い出す。「あの人たちには勝てない」と漏らしていたことも。
 俺なんかは、絶対に彼女の《プラーナ》は見るべきじゃない。今ので命を拾ったと思おう。

「……ペンダントのことを知っているのですね?」

 おそるおそる尋ねる俺に、七嶋会長は意外そうな顔をした。
 すぐに表情を崩して、「当たり前ですよ」と言った。

「聞いてらっしゃらないのですね。それは元々、先代の桐翼会副会長、段蔵くんのお姉様のものですよ。その前は先々代会長だったお母様。彼女たちの依頼で、桐翼会が管理していたんです」

 ポケットの中で、さらに《プラーナの瞳》の重さが増した。
 返上できるものなら、誰が相手でもお返ししたい。

「桐沢家筋の御身内が会の中にいなくなりましたので、段蔵くんに返したのですよ。彼の娘さん……花ちゃんは、体が弱くて学園を中退してしまいましたものね。無理をしてお産みになった白兎ちゃんを残して亡くなられたのは、本当に残念なことでしたでしょう」

 正統な所有者は白兎お嬢様だった。そうして、やがて自然な形で桐翼会の管理に戻るのが本来だったのだろう。
 それを、こんな馬の骨に持たせてしまうなんて、本当になんてことをしてくれたんだ。
 いや、ということは、つまり。

「あなたがここにいる理由の中に、このペンダントのこともありますね?」

 もしくはそれが全ての理由。桐翼会は、よりによって最強の刺客を学園に送り込んだわけだ。
 さっさと彼女に返して命乞いするのが正解だろうと思えた。

「そうですわね。桐翼会の大事な役割の一つでもありますけど」

 七嶋会長は俺の推測を否定しなかったが、「あまり私たちが横からつべこべ申しますのもねえ」と、若かりし頃はさぞかし大量の男どもを不眠症に追い込んだのだろう思わせぶりな微笑みを浮かべる。

「管理を任されたとはいえ、元々が桐沢家のものですから。特に今回は祖父から孫の代替わりになりますし、考え方もやり方も私たちの頃とは違いますもの。若い人たちにお任せしていいんじゃないかと私は申しましたのですけど」

 ということは、桐翼会でも意見は割れていると。
 知らぬ間に、大きな渦中に俺はいたわけか。非常に迷惑だ。やはりすぐに返そう。

「だって、こんなに可愛らしい話はないじゃないですか。段蔵くんに結婚相手を決められちゃう前に、初恋の人と結婚したいから一番大事なものをあげちゃうなんて。白兎ちゃんって少女漫画のヒロインみたいね。ふふっ、わくわくしちゃう」

 どうやってペンダントに触れずにこの人に渡すかを検討していた俺に、七嶋会長はまったく見当のつかないことを言った。
 可愛らしい? 初恋? 少女漫画の何みたいだって?
 欲望にまみれた汚いアクセサリーの処分方法について話していたと思ったら、まったく想像の埒外からキラキラした世界観を持ち込まれて混乱した。
 白兎お嬢様が、金と賭博とブランド品以外の何に恋をするっていうんだ。このペンダントも、東城くんという大物を自分の手下にする邪な計画のために俺に寄越しただけだ。結婚相手はそのうち総帥がお決めになるだろうが、その相手だって白兎お嬢様は何らかの手段で支配するに決まっている。
 そもそも、うちの彩以外の人間に執着などしたことない人だぞ。初恋の相手も、下手したら彩だ。
 え、まさか彩と結婚するつもりか? いや、やりかねない。あの人なら。

「……あなたって、本当に愛を受け付けられない人ですのね」

 今、俺の頭を悩ませている原因はどう考えても七嶋会長なのだが、それを遙かに見透かすような瞳で、彼女はじっと覗き込んでくる。

「愛の代償に、死の恐怖を経験したのね。一度にたくさんの愛を失ったこともある。しかも……そのどちらもあなたが幼い時だった。そのせいですか」

 両親を亡くした日の記憶がフラッシュバックした。ベッドの上の幼い白兎お嬢様の姿も。
 いきなり自分の過去を引きずり出されて、俺は逆上しそうになった。だが、七嶋会長は「失礼」とすぐに目線と表情を緩めた。

「余計な詮索をしてしまいました。これだから年寄りって嫌われるのよねえ」

 どっと力が抜けた。なんだ今のは。この人に丸呑みされたのか俺は。
 一瞬、激しく感情を揺さぶられたと思ったら―――残されたこの衝動はどういうことだ。
 抱かれたいと思っている。
 この人に、母親みたいに抱きしめられたいという気持ちに心が震えている。

「俺は……汚いことをしているんです」

 この人は全て知っている。わざわざ告白などしなくとも。
 それなのに聞いて欲しくなった。懺悔させてもらえるのなら。
 覚悟を決めて行ったことなのに、美月に無垢な愛情を向けられるたびに感じるこの痛みを、誰かに言いたかったんだ。

「何も知らない少女を、この手で穢してしまいました。心まで犯してしまった。こんな俺のことを、純粋に信じて愛してしまったんです。その子には、自分で選んだ将来も友だちもいたのに、その何よりも俺を選ぶようになった。俺なんかがいなくても幸せになれた子なのに」
「誰を愛したとしても同じですよ。人生に影響しない恋愛なんてありませんもの」
「恋愛じゃない、支配ですよ! ペンダントのせいだ。俺が愛されたわけじゃないんです。全てがウソだ」
「でも、あなたには愛の真偽などわからないでしょう。支配とおっしゃっても、その意味さえもまだ。そのペンダントは、あなたが思っているほど重いものではありませんよ。軽くもありませんけど」

 愛と同じですねと、俺にはまるっきり意味のわかないことを言って七嶋会長は1人で笑う。俺はその表情に胸が苦しくなる。
 必死でわめいたかんしゃくを、母親に優しくかわされたみたいで。

「あなたに愛を知ってほしい誰かの願いで、《プラーナの瞳》は巡ってきたんですよ。そして、あなたから愛を教えてほしいと待っているんです。もう本当に不器用な人たちですね。ここまで言ってもわからないなんて、それこそウソでしょって思いたいですよ。端から見てもバレバレなんですけどねえ」

 しかもなぜか、逆にイラっとされてしまった。
 俺には全然わからないことで。

「勝手にですけど、私の方でルールを決めさせていただきます」

 話を打ち切るつもりになったのか、七嶋会長はテーブルに置いた肘をあげると、クロスのしわをシュッと手のひらで伸ばした。
 学園のカフェが、途端に重要な交渉のテーブルに変わった。

「一つは、《プラーナの瞳》は決して学園の外に持ち出さないこと」

 元よりそのつもりはなかった。
 はい、と俺は会長に約束をした。白兎お嬢様のいない場所で何も約束するべきではないと思うが、今は俺が所有者であり、お嬢様の盾である。
 それに桐翼会の会長が「決めた」とおっしゃるルールなら、そもそも白兎お嬢様も逆らえないはずだ。「取り上げる」と言われても返事は「はい」しかないだろう。
 おそらく、ひとつめのルールが一番軽いだろうことを考えると、ここは即答のイエスで正解のはず。これからいくつ条件が並ぶのかもわからないのだし。

「もう一つは、必ず女の子を幸せにすること。以上です」

 しかし2つめの注文に、思わず「え?」と声に出る。
 あまりにも漠然というか、ふんわりしていた。しかも、それで終わりだという。
 目をぱちくりさせる俺に、七嶋会長は何も言わず返答を待っている。「それは?」と俺は真意を尋ねる。

「言葉のとおりですよ。手をつけた女の子たちは、責任を持って最後まで幸せにしてください。それが条件です」
「いえ、ちょっとそれは。手をつけた時点で不幸な支配しかできないペンダントですよ。いくら将来の保証をしても偽りの幸福でしかない」
「ですから、幸せにしろと申しているのです。始まりが偽りだと思うのなら、その後を本物にするしかないでしょう」

 あなたの愛で、と七嶋会長は笑みすら浮かべずに言う。
 どうしていいのかますます混乱する。俺に出来ることなんて何もないはずだ。白兎お嬢様の言いなりでしかないのに。

「たとえば、白兎ちゃんや段蔵くんが『捨てろ』と言っても、あなたは女の子を捨ててはいけません。彼らをねじ伏せてでも守ってください。最後まで」
「そんなこと……」
「出来ますよ。《プラーナの瞳》を持たされた者は、最終的にはそれが出来る。おわかりですよね?」

―――出来るわけがない!
 俺は歯を鳴らしていた。桐翼会は、いや、七嶋会長はとんでもない条件を出してきた。
 篠原美月と心中しろと。いざとなれば桐沢家ごと心中しろという話だ。
 もちろん白兎お嬢様がそんなことを望むわけがない。俺が苦しんで死ぬところは見たがるかもしれないが、自分を巻き込むような真似を許すはずない。それ以上に俺が絶対に嫌だ。白兎お嬢様を守るのが仕事なんだからな。
 それを……俺の手で、どうかしようなんて。

「簡単なことです。あなたはやり方もわかっているはずです。一言、約束するとおっしゃってくだされば結構ですよ」

 冗談を言っている目ではなかった。勘弁してくださいと哀願したいが、それで許してくれるようにも見えなかった。
 この場は適当でもウソをついて切り抜けるべきだ。白兎お嬢様だって、美月には責任を持てと言っていた。この約束は今のところ守られるはずだ。総帥は俺たちが何をしているのかも無関心だ。問題はない。
 イエスだ。その覚悟はあると答えろ。生きるためだぞ。
 しかし、どうしても俺の口は開かなかった。彼らを裏切る自分を想像するだけで震えた。

「……これは白兎ちゃんも苦労しますね」

 七嶋会長は、はぁ、とため息と一緒に横を向き、何やらつぶやいた。

「あ、あの」
「はい、もう結構です。時間切れです。あなたは桐翼会を敵に回しました」
「そんなっ! ちょっと待ってください、もうすぐ覚悟しますので!」
「嫌ですよ、そんなとってつけた覚悟なんて格好悪い。はー、がっかり。うちの旦那の爪の垢でも分けてあげたいねえ」

 しっかりしてくださいよと、七嶋会長は言う。
 いや、任務に対してすごくしっかりしていると自己評価したいのだが。

「だいたい、考えすぎなんですよ。心配しすぎとも言えますね。そこまで悩まなくても、白兎ちゃんも他の女の子も、人生は自分で選んで生きています。あなたが摘んだのはその選択肢だけで、そこからどう歩むのかも彼女たちは考えますよ。誰かに言われるまでもなくね。あなた、女の子をあまり見くびらないほうがいいですよ」

 可能性を奪われても人は自由に想像する。成長を諦めない限りさらに可能性を広げる。
 死ぬまでそれを続けると七嶋会長は言う。

「あなたも白兎ちゃんも、自分には選択肢すらないと考えて生きてきたのでしょう。でも、白兎ちゃんは不器用ながらも翼を広げ始めました。あなたはそれを受け取ったんですよ。しっかり考えて使いなさい。ただし、もしも使い方を誤ったと私が判断したときは―――」

 七嶋会長はそこで言葉を切り、俺を脂汗で溺れさせるほど見つめ合ったあと、表情を和らげた。
 具体的なことを何も言われなかったことが、余計に恐ろしいと思った。

「でも、よかったですね。桐館学園は迷える雛鳥たちを優しく導いてくれる場所です。時間はありますから、ちゃんと愛を学んでから卒業してください。あなたも」
「俺もですか?」
「ええ、もちろん。あなたも可愛い桐館の雛鳥ですよ」

 そりゃあ彼女にしてみれば、俺の尻にも卵の殻がついているのかもしれないが。
 どっと疲れた俺の目の前を、どこからか風に舞ってきた羽根が、テーブルをかすめて飛んでいった。
 さて、と七嶋会長は立ち上がると、「あなたに桐翼会のとっておきの秘密を1つだけ教えましょう」とささやく。

「どんな集まりのときでも、最後にはみんな『学生のときに恋がしたかった!』って、口を揃えて愚痴ってるんですよ」

 私たちもまだ夢見る雛鳥なんです。
 と、彼女は言ってテーブルクロスを鮮やかに引き上げる。
 翼をたたむように。







 もちろん、私だっていつまでも可愛がっていただくだけのお子ちゃまでいるつもりはない。
 と、気持ちだけは引き締めておく。
 恭一様のように素敵な御方に囲っていただくからには、私もひとかどの女性にならなくては。桐館学園の教えを守り、磨きをかけて、恥ずかしくない女になるんだ。
 これは大変な事業だ。うかうかしていられない。これまでの自分がひどく怠けていたような気分になって焦ってしまう。教養も気品もまだまだ全然だ。女性の魅力とはいったい何だ。
 あぁ、どうして私は東城先輩や白兎さんじゃないんだろう。地味な自分が憎い。恭一様に申し訳ない。
 夜、そんなことを考えていると眠れなくなるし、涙が出てしまうこともある。こんなことはもちろん恭一様に相談できないし、よっちゃんにもむっちーにも当然言えないし、1人で抱え込むしかなかった。
 だけど、そんな風に落ち込んでいた私に、ある日、白兎さんが優しく声をかけてくださった。

「この御本、きっと篠原さんのお気に召すと思いますので、よろしかったらお読みになってみませんか」

 彼女は本を貸してくれた。どなたにも内密にと言い添えて。
 それは、まさに私に絶対必要な人生の一冊だった。

『虜囚の教室〜恋に飼われた女子高生〜』

 一晩で一気に読んでしまった。
 主人公への感情移入も生半可なものではなく、ページをめくるたびにハラハラドキドキし、泣いたり笑ったりを共にした。彼女の努力と成長が胸に刺さった。心を衝き動かされた。
 主人公の心情描写で特に気に入ったところはノートに書き出し、お相手の男性教師を恭一様で想像してしまっては、申し訳ないと思いながらもじゅんじゅん感じる。
 聖典と出会ってしまった。これは手元に置いて、いつでも開けるようにしておかなければいけない本だ。
 次の日、白兎さんに「街の書店でも購入できるのでしょうか?」とお尋ねした。
 店頭購入は難しいとのお答えに落胆したが、白兎さんは「よろしければ差し上げます」とおっしゃってくださった。
 申し訳ないし、せめてお金は払わせていただきたかったのだけど、白兎さんは「かまいません」と首を振った。

「それよりも、続編が3巻ほど出ていますけど、もしかしてそちらもご入り用ではありませんか?」

 私は、すがるようにして「読みたいです!」と叫んでいた。
 白兎さんは、たおやかに微笑まれて(一瞬、蛇っぽく見えたけど気のせいでしょう)その続編も全て譲ってくださいました。
 なんという僥倖。世界は優しさに包まれていると思いました。

 それにしても、この『リッジモンド公爵』という作者様は何者なんでしょうか。先生の所有物になりたい女子高生の機微を知りすぎです。
 しかも『月出版』なんて、検索しても出てこない会社から刊行されてるんですけど……でも、そういう謎っぽさも聖典らしくていいですよね!







 次は恭一様の授業なので、セーラーの胸元を緩めておく。
 他の人に見つかったら、うっかりしていたことにするつもり。でも、みんな恭一様の授業のときは恥ずかしそうに顔を伏せているので(だって素敵すぎますものね!)、誰も私の秘密のアプローチには気づかない。
 恭一様だけだ。私が今日、少し扇情的な赤い下着を身につけていることを知るのは。
 早く私のハートを見つけてください、旦那様。

「…………」

 ささやかなこのラブラブサインを、しっかりと目を見開いて恭一様は確認してくださった。やったね!

「それでは教科書の137ページを」

 少し上ずった声で授業を続ける。
 真面目なところも凜々しいところも大好きですけど、私なんかの下着に動揺してくださるところも大好きですよ。
 乙女の聖典『虜囚の教室〜恋に飼われた女子高生〜』に導かれ、最近の私はちょっとだけ大胆になれた。他の子には見つからないように、こっそりとアピールを楽しんでいる。
 恭一様は少しだけ(本当にちょっぴりだけ)女の子にそっけないとこもあるので、私の方から気持ちをお見せしないと、忘れられてしまっては大変だ。
 あなたの女の子はここにいますからね、恭一様。下着はあなたのために身につけるものです。
 でも、他の子に見つかってしまう前にフックはすぐ閉じる。ちょっと顔も熱くなってるけど、変に思われないように呼吸を整えて、真面目に恭一様の授業を聞く。
 こんなに素敵な先生の姿を拝めるというのに、みんなは恭一様の授業は恥ずかしくて正視できないという。私も最近までそうだったからわかる。でも、すごくもったいない! わかりやすくて、格好良くて、胸にきゅんきゅんくる授業をしてくださっているのに!
 私はもちろん、ちゃんと余さず拝聴させていただきます。
 背筋を伸ばして、目をしっかりと向けて、大好きな声に耳を傾る。自然と口元が緩んでしまう。

「あー……」

 また恭一様と目が合った。でも、授業を進める声が少し動揺なさいました。
 どうしたのかな。私、ブラはちゃんとしまったのに。きちんとしているはず。なのにさっきよりも、なんだか先生の頬が赤い。
 しかも、あまり目が合わなくなってしまった。寂しいです。もっと私を見て欲しい。
 近頃の恭一様はやっぱり少し変ですよ。私が顔を近づけると、なんだか恥ずかしそうになさったりするし。前はしっかりと私を見つめて、優しく微笑んでくれたのに。頭をなでなでしてくださる回数も減ったように思う。由々しき事態が起こっているのかも。

『美月は、どんどん大人っぽくなっていくな。子ども扱いもしていられない』

 こないだは、そんなことをおっしゃっていた。
 そのときはすごく舞い上がった。私だって少しは女性らしくなるための勉強をしているし、その成果が恭一様に認められたのだとしたら嬉しいと思って。
 でも、冷静に自分を振り返ると、やっぱりまだまだですよ。調子に乗ってはいられませんよ。
 そりゃ、むっちーやよっちゃんには、たまに「きれいになった」と言ってもらえるときもあるし、白兎お嬢様に「何かなさっているんですか?」としげしげ顔を見つめられて照れくさかったこともある。
 特別なことなんて何もしていない。せいぜい、恭一様のために生きているというだけだ。
 大切な殿方のために私はいるのだと、この体に教えていただいてますので(あ、これは『虜囚の教室第2巻〜秘密の性指導(レッスン)〜』の231ページで、先生の命令で放課後の教室に裸で放置された主人公の美兎さんが言うセリフです。すごく切なくて好きなシーンなので引用しちゃいました!)
 私もたぶん少しぐらいは、大人っぽくなれたのでしょう。心に決めた殿方に抱いていただいているのですから、愛は全身を駆け巡っています。そりゃ女を自覚しますよ。
 でも、私は自分に全然満足できてないし、美兎さんみたいに先生のために何でもする女になると決めてるんだから、もっともっと厳しく指導していただきたい! まっすぐ私を見て、足りないところをビシビシして欲しい! あなたを満足させられる所有物になるために、本気で努力したいんです!
 寂しくて涙が出そうです。でも恭一様から目を離すなんてもったいなくて、じっと見つめます。
 あぁ、やっぱり素敵。ちょっぴり憎らしいくらい格好良い。そうやって、そこに立つだけで私を夢中にさせてしまうんですよね。もう余計に寂しくなる。大好きです、私の旦那様。

「ん、んんっ」

 恭一様は空咳をなさいました。
 あ、お風邪を召したりはしていませんか。教室の空気が乾いてますか。もう、心配ではらはらする。恭一様には万が一のこともあってもいけないのに。私に何かさせてください。

「……篠原さん、どうかしたの?」

 隣の席の子が親切にも声をかけてきます。少し挙動不審に見えたのかも。いけないいけない。恭一様の授業の妨げになってしまう。

「何でもないの。ごめんね」

 動揺していることが悟られないよう、出来るだけ自然な笑みで答える。
 その子は、「あ……」と急に頬を染めて、「失礼しました」と顔を伏せてしまった。
 どうしたのかな。恥をかかせてしまったのかな。
 もう一度、「ありがとう」と声をかけた。

「いえ……そんな、篠原様……」

 なぜか、白兎お嬢様でもあるまいしというようなリアクションをされてしまう。
 最近は、教室のみんなも少し変。ちょっと私は距離を置かれている気がする。なのに注目もされているように思える。どうしてかな。嫌われたりしているのかな。
 いいもん。私には、恭一様だけいてくださればそれで。
 スカートを少し上げてみる。昨日、ゆっくりお風呂につかってマッサージしたつるつるの足。できれば全身を見て欲しいけど、それは放課後じゃないと無理なので、少しだけアピールさせて欲しい。膝だけでも。
 隣の席の子が喉を鳴らした。振り向くと驚いた顔が真っ赤になって、すぐに背けられた。周りを見渡すと、いつの間にか注目されていたみたいで、いっせいに視線が逃げていく。
 もう、旦那様にだけお見せしたい足なのに!
 残念だけど、そっとスカートを戻す。私なんかよりも、みんなもっと恭一様の授業に注目するべきだ。こんなに素敵な先生どこにもいないのに。目を逸らすべきじゃないんだよ。
 そして、私を見てもいいのは、もちろん旦那様だけだ。
 恭一様だけが本当の篠原美月を知っていてくださる。全てを受けとめてくださる。だから私も恭一様には全部をお捧げしたい。
 何でもしてみせますので、本当にいつでもいいので、私のことをまた可愛がってください。
 どうか美月に、旦那様の暴力的なセックスをください。







 美月が変だ。
 まず、急激にきれいになっていく。いや成長期なのだから大人に向かって変化していくのは当然だが、それにしても輝きの増し方が普通ではないような。
 姿勢や所作までも美しい。元々、老舗の店を継ぐつもりで客前の礼儀は身につけていた子だ。しかし最近は、それが自然と現れているというか、普段の動作まで気品を感じさせる。学園内での白兎お嬢様がそうであるように、美月も人を惹きつける仕草を持つ女性になっていた。
 いや、それはもちろん良いことなんだ。「きれいになりたいです」と彼女はいつも言っていた。今もそう言う。十分すぎるくらい美しくなった今でもだ。
 教壇から見ても、ひときわ輝きを放っている。白兎お嬢様ばかりが異彩を放っていた教室で、今は美月の台頭が顕著に光っている。以前までは、本当に目立たない子だったんだぞ。
 同級生の間でも注目を集めているらしい。彼女の隣の生徒が「篠原様とお呼びしたい」と言っているのをお嬢様が耳にしている。
 それはそうだろう。その変貌ぶりは、白兎お嬢様ですら「何かやっているのなら知りたい」と漏らすほどだった。
 しかし、それでも彼女は美容に関した特別なことをしているわけじゃない。あくまで以前よりも意識を高めた姿勢と立ち振る舞い。そして……俺が言うのも変かもしれないが、男に恋をしたことと、セックスの経験によって体への認識が変わったせいだけなんだ。
 白兎お嬢様も「篠原の伸びしろを読み切れてなかった」と、若干の後悔を見せていた。「モブ侮りがたし」とも。
 こう言っていいかわからないが、俺も愛人の男として、少女から美しい女性へと変化していく彼女を誇らしく思っている。
 しかし、美月の成長はそれだけに収まらなかった。
 あれからも何度か寝てもいるのだが、なんというか……誰かに教わっているのかと思うくらいにそっちのテクニックも上昇していた。
 夢の中でもレクチャーらしきことはしていたので、多少は慣れているのも当然かと思っていたが、明らかに教えていないこと(たとえばアナルを積極的に攻めてきたりなど)もしてくるし、何よりも性的なアピールや、指導と称してSM的なものを要求してきたりと、本当にこれがあの純情で素朴だった美月かと思うくらい性的好奇心を増しているのだ。
 桐館の生徒に相応しい清楚な気品と美貌の裏で―――彼女は魔性も育て始めている。

「……それでは教科書の137ページを」

 何をしているんだと声に出そうになったのをこらえて、なんとか授業を進める。
 スカーフもホックも緩めて、美月は赤いブラを見せていた。こういうイタズラをたまに彼女は仕掛けてくる。本人は「恭一様への軽いご挨拶です」などと言っているが、それは普通に誘惑だろう。しかも授業中に。
 本当に、何を参考に覚えてくるんだ、そういうの。
 横目で彼女がセーラーを整えるのを確認する。俺が見つけるまでずっとその格好でいられても困るので、最近はすぐに彼女に注目するようにしている。ひょっとしたら、それが真の目的なのかもしれないが、愛人として教師として、まずチェックは怠れないんだ。

「あー……」

 彼女は真面目に授業を受けている。他の生徒と違って、背筋をしゃんと伸ばして、正面から俺の顔を見つめているだけだ。
 なのに余計に動揺してしまった。8つも下の少女に見つめられて、いい大人が赤面してしまう。
 可愛らしいが地味な女の子だった美月が、ほんのわずかの間に色気まで感じさせている。
 見た目には清楚なままなのに、彼女がセックスのときの乱れる姿まで知っているせいで、楚々としたその表情にまで欲情している。
 おいおいマジかと、自分自身の変化に驚く。俺は、美月を抱きたくなっている。さっさと授業を終わらせて押し倒したい、なんて妄想まで沸いてくる。あんなに彼女を抱くことに引け目を感じていたのに。
 バカな。俺は白兎お嬢様の従者だ。お嬢様が退屈そうに俺の授業を聞き流している教室で、他の女に劣情している場合か。
 なんとか彼女から意識を引き剥がして、授業に集中する。白兎お嬢様は株の取引でもしているのか、隅の席でケータイをいじっている。他の授業では絶対にそんなことをしないで欲しい。しかし、俺の授業ではおとなしく取引だけやってて欲しい。
 なんとか気持ちを落ち着けて教壇に戻る。そしてチラリと美月の方へ視線を向ける。
 彼女は、じつに熱っぽい顔をしていた。
 潤んだ瞳が、とろんとしている。頬が少し上気している。唇が緩く開いている。
 完全に「抱いて欲しい」と言っている顔だった。そして、むしゃぶりつきたくなる色気を放っていた。
 少しは自制してくれないか。もう高校生のそれではないだろう。そのへんだけ空気がピンクか紫色に見える。おかしなプラーナを感じる。というか、隣の席の生徒も、異変を感じて君を見ているぞ。

「ん、んんっ」

 落ち着け。授業中だ。今はそのことだけ考えろ。もしくは白兎お嬢様の冷たい視線を思い出せ。大丈夫だろ。
 いーや、無理だ。
 何をしているんだ美月。やめろ。授業中にスカートをたくし上げるな。膝を見せるな。
 ゴクリと美月の隣の子が喉を鳴らした。そのおかげで美月も裾を元に戻した。
 ホッと息をつく。だが、まだ心臓がうるさく鳴っている。
 これはもう体に悪い。非常に具合のよくない事態だ。
 そこはかとなく緊張感まで漂う。美月の醸し出す雰囲気が他の生徒にも伝播するのか、彼女を中心に熱っぽい空気が広がっていく。微妙に、教室内の匂いが変わったような気もした。
 教科書の設問を解く時間を与える。
 俺に絡みつくようになってきた女子たちの視線を遮断し、意を決して、こっそりとメモを美月の机に落とす。

『放課後CALL教室で』

 やってしまった。かなりの冒険だ。授業中に生徒を誘うなんて、俺もいよいよ淫行教師らしくなってきたな。
 少し時間をおいて、美月の方を見る。おそらくは俺のメモを握りしめているのか、祈るような格好で彼女は微笑んでいた。
 天使の表情だ。教室の空気も爽やかに華やぎ、彼女の周りの女生徒たちまで、優しい表情をしていた。
 俺もなんとか表面上はそつなく授業をこなしたわけだが、水面下では劣情がねっとりとした熱を持ち、その後もなかなか大変な時間だった。
 おそらく放課後、俺は乱暴なセックスをしてしまうだろう。すまない、美月。今のうちに謝っておく。

 
 


 

 

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