オナモミ亭


 

 



 日の出横丁という飲み屋街がある。駅裏と地元の人たちが呼ぶ、JR駅の北側の地区だ。戦後は闇市がここに立って、ずいぶんと賑わったらしい。今では日の出というよりも、「斜陽」と言ったほうがしっくりくる。失礼だけど、もっと言うと「場末感」という言葉がぴったりの路地だ。

「昔は、小っちゃな映画館なんかもあって、お酒の出るお店には流しの歌手や楽器弾きの人なんかが出入りして、それは賑やかだったのよ。深夜でもこの通りだけは、朝みたいに活気があったから、日の出横丁。明るくって、とってもいい名前だと思うのよ。」

 まだ昭和にあるようなスナックの、ママというよりもグランド・ママと呼んだ方が良さそうなお姉様は、金歯を見せて笑った。

「俺は、違う由来を聞いたぞ。ここで飲んでると、次から次へと梯子酒になっちまって、気がついたら道の脇でお天道様が出てるまでヒックリ返っちまう。酔っ払いばっかの通りだから日の出横丁だってな。そういう意味では、この通りは昔っから全然変わってねぇんだよ。」

 カウンターでウイスキーをちびちび舐めていた、茶色がかかったサングラスをかけたお爺さんはそう返す。カラオケのイントロがかかると、マイクを手に取って喉を鳴らし始めた。僕はそこの店で初めて、黒沢年男という俳優が歌を出していたということを知った。とにかくこの通りが、日本の高度成長期と足並みを揃えて栄えていって、バブル前後にはもう取り残されていった街だということは、想像出来た。

 僕がこの横丁に出入りするようになったのはいつ頃からだろう? ・・・随分長く、馴染んでいたような気になっていたが、思い出してみると、まだ半年ほど前、会社の先輩に連れられてやってきたのが初めてだった。僕が務めているのは、企業のシステムの保守や新規開発をお手伝いする、星の数ほどある小さなIT会社。この業界は人の入れ替わりが激しくて、社内の交流もそれほど盛んではない。それでも、色んなタイプの人がいて、プロジェクトの期間中だけ朝夕なく隣に座って仕事を続けたりするといった具合だった。

 その先輩は僕よりも15も年上で、SEになる前は営業をしていたそうだ。日の出横丁みたいなディープなスポットを知っていたのも、前職と関係があったのかもしれない。

 僕は昔から場末感のある、香ばしい、安い居酒屋や立ち飲み屋が大好物。そんな話をしていたら、先輩がある日、ここに連れてきてくれた。漂う雰囲気がとにかく変で、緩くて、僕はすっかり気に入ってしまったのだ。モニターをにらみつけて徹夜をした明け方など、この横丁まで地下鉄を乗り継いでやってくると、朝から飲んだくれているオジチャンたちに会える。一杯引っかけて、家に帰る。すると直接帰宅するよりも、よく眠れた。うらぶれた、しみったれた店が並んでいる通りだけど(そして時々本当に道端で寝転がっているオジサンたちがいる通りだけど)、心が少しだけ浄化されるような気がするのだ。汚い飲み屋街なのに、浄化される感じというのは、説明が難しい。何というか、「泥パックみたいなもの」とでも言えば良いだろうか。まぁ、そんなもんだ。

 この街の緩さは本当にいるだけでこちらにも伝染してくるもので、一杯ずつ色んな店でひっかけていても、いつの間にか飲みすぎてしまう。記憶が曖昧になっていたり、気がついたら6時間以上もいた、なんていうことは、珍しくも何ともない。そしてある時僕は、この緩さ、変な雰囲気の原因の一つに気がついた。妙に浴衣というか、作務衣のようなものを着て飲んでいるオジサンが多いのだ。年齢も様々、醸し出す雰囲気から、職層もバラバラに見えるオジサン、お爺さん、お兄さんたちが、パラパラと同じ柄の作務衣を着て呑んでいる。別に友達というわけでも、同じ職場の人たちというわけでもないのに、皆、辛子色の作務衣を着て、ダラダラと飲んでいる。これがこの横丁の、妙な雰囲気を強めているのだった。

 興味を持って見るようになって、しばらくして事情が飲み込めた。このオジサンたちは、皆、日の出横丁の入り口からみて右手前にある、「旭湯」という銭湯から出てきているのだ。僕もその銭湯に入ってみて、仕組みが分かった。ここの銭湯は、一回入って入湯料を460円払うと、途中で「休憩」と言って外へ出て、戻ってきて、また入ることが出来るのだ。だから常連は、最初にひとっ風呂浴びて、店が提供している作務衣を着て、貴重品は預けた上で外へ出て、立ち飲みや角打ち、居酒屋でグイグイ飲む。そして戻ってきて体を流して、私服やスーツを着て、この横丁を出ていくのだ。

 そういう目で見ると、作務衣を着て呑んでいるのは、意外とサラリーマンや営業っぽい人もいる。こういう人たちは煙のモクモク立ちこめるモツ焼き屋や、焼き鳥屋。ヘビースモーカーが両脇に立つような立ち飲みで一杯やって、燻されたような体で職場や家に帰るのが嫌なのだろう。そして作務衣を着ていても、正体不明にまで酔っぱらっているお爺さん。この人はきっと、ただの「風呂上りの一杯」マニアなんだろう。

 僕も一度試してみた。昼過ぎ、まだ世間の社会人が仕事に取り組んでいる時間帯に、銭湯で熱い湯につかる。富士山の絵を見ながら水色のタイルに寝そべって熱を冷ましたり、狭いサウナ室と水風呂をちょっとだけ冷やかしたりして、もう一度、熱い湯につかる。借りた黄色いタオルで体を拭いたら、お馴染みの辛子色の作務衣に身をくるむと、フルーツ牛乳も買わないで僕は「休憩」のために外に出る。立ち飲み屋でキンキンに冷えた、生ビールを一杯。喉を苛めるくらいヒエヒエ、シュワシュワの液体を胃にストレートに落とすと、プハ〜っと大きな溜息が出た。体中のネジが少し緩んで、楽になった気持ち。風呂上がりの一杯はいつも最高に爽快だ。

「お兄さん、いい飲みっぷりだねぇ」

 僕が両目を閉じて、頭を左右に振りながら冷えたビールの喉越しを味わい尽くしていると、同じ丸テーブルに寄りかかっていた、白髪のオジサンが声をかけてきた。

「あ・・・ええ。・・・やっぱり、風呂上がりのビール・・・、最高っす。」

 僕は愛想笑いを浮かべて、オジサンに首だけで会釈をした。

「昼からビール飲めるっていうのは、幸せだよね。お兄さんはどんなお仕事?」

「あ、僕、コンピューター関係の仕事をしていまして、今はちょうど開発を終えたシステムを試行している段階なんです。ユーザーさんが昼システムを使っている間は、手が空いていて、夜に手直しをするっていうことが多い段階なので、比較的、昼に休みをとってますね。忙しくなると、昼も夜もないですけど。」

 人見知りでコミュニケーション能力の低い僕としては、予想外にペラペラと喋ってしまっていた。酔いのせいもあるかもしれないが、それ以上に、真昼から呑んでいる背徳感を共有している雰囲気。そして、見ず知らずの他人と、同じ柄の作務衣を着て、一緒に呑んでいるという、妙な親近感から、知らないうちに心を開いてしまうようだった。

「そうかー。大変だね。今の人はデスクワークはみんなコンピューターだもんねぇ。僕なんかは、パソコンがないと仕事が出来ない時代になる前、ギリギリで定年になったから良かったよ。そうでなかったら、定年間際に若い子たちに1から教えてもらわないといけなかっただろうからね。本当に、キーボードもこうやってしか打てなかったからなぁ」

 オジサンは右手の人差し指だけ伸ばして、空中でキーボードをゆっくり打っているような仕草を見せた。丸テーブルのオジサン側には、炙ったしめ鯖と、貝の刺身が置かれていた。飲んでいるのは梅ハイボールだろうか?

「普通の方々のデスクワークも、パソコン覚えたり、OS変わるたびに新しいこと覚えたり、大変なんでしょうけれど、僕らシステムエンジニアの世界なんか、30代も後半になったら潰しが利かないって言われてて、大変ですよ。もう、自分がプログラム言語操ってるのか、コンピュータに自分が振り回されてるのか、わかんなくなりますもん。」

「そんなんではいかんっ。仕事は、テメェで回さなきゃならんっ。コンプーターに操られとるようでは、いかんのだっ。」

 割り込んできたのは、昼前からずいぶん飲んできたような雰囲気の、色黒なオッサン。くだをまく相手を探しているようで、呼吸を荒げて、人の話に加わろうとする。それを僕と相席というか相テーブルになっているオジサンが、ヤンワリと退けた。

「オジサン。お酒、こぼれてるよ。・・・昼間っから呑んでると、色んな人がいるよね。」

 僕に目配せしてくる白髪のオジサン。その悪戯っぽい笑顔は、品がありながらも、遊びも上手にこなしてきたような雰囲気があった。僕はすっかりそのオジサンへの警戒心を解いてしまった。会話に割り込もうとしてきたオッサンは、カウンターの木に染み込んでいく冷酒を、口をすぼめて吸い上げている。僕らは解放されたみたいだ。

「あのう・・。オジサンはこちらには良く来られるんですか?」

「んー。考えてみると、結構な頻度で顔を出しているなぁ。昔からの馴染の店もあるし、気がつくと、足を運んじゃってるなぁ。定年迎えてからは暇だし・・・。このダラッとした空気が癖になるんだよね。」

「あ、わかります。ここに来ると、すごくリラックス出来るんですよね。今も銭湯の「休憩中」に飲んでいられるっていう、ここの慣習を初めて実践してみて、もっと好きになりました。これなら、モツ焼きも焼き鳥も、燻製のお店も、服とか髪とかに匂いがつく、なんて気にせずに梯子酒出来ますからね。」

 オジサンは僕を見ながら、目を細めて笑う。四角いレンズの眼鏡の奥で、クッキリした二重瞼が、一本の太線になった。

「はははっ。いつの間にか記憶を無くして、作務衣のまま電車で帰ってた、なんてことのならないように気をつけてね。」

 オジサンが楽しそうに笑ってくれるから、まるで僕が、何かとても面白いことを言ったような気がしてしまう。こうやって、銭湯の服を着て、道に開かれた立ち飲み屋で昼下がりに一杯。飲みながら初めて会う人とペアルックで談笑する。また一つ、ここでの楽しみが増えた気がした。

「オジサンが飲んでるのって、梅ハイボールですか?」

「んー。梅しそハイボールに梅干し入れてもらってるの。ただの梅ハイボールよりも甘いんだ。君たち、若い人たちは、あまり甘いお酒は飲まないかな?」

 僕もビールを一口飲んで、ジョッキをテーブルに置く。白くて細かい泡が、ジョッキの内側を撫でるようにしてジョッキの下へと滑り落ちていく。

「いえ、最近は僕もカルピスサワーとか、ラムネハイボールとか飲みます。・・・なんか、大学生の頃とかは、『ジュースみたいな酒飲む奴はお子チャマだ』とか意気がってたんですが、最近よく見ると、結構オジサンたちもジュースみたいなお酒だって飲んでるよなって気がついたんです。・・・もっとも焼酎とかウイスキーは相当濃く入れてるみたいですけど。」

「そうだっ! 焼き鳥だの唐揚げだのには絶対にビールなんていうのは、ビール会社の洗脳だぞっ! 俺なんか、炭酸入りのはいつも、巨峰サワーだ。」

 さっきの酔っ払いオヤジが、またこっちの会話に絡んでくる。お店の大将に「まぁまぁ」ってたしなめられていた。オッサンは多少、居心地が悪くなったのか、手でお勘定を求める合図をしてくれた。

「洗脳されとっては、いかんのだっ。」

 誰にともなく、ぶつくさ喋りながら、オッサンは日本ハムファイターズの昔のデザインの帽子を被ると、お店を出て行った。僕の斜め向かいに立っている、白髪の老紳士に目をやると、困ったように笑いながら、肩をすくめていた。

 お店の人に、斜向かいのオジサンが飲んでいるのと同じ、「梅しそハイボール」を注文する。来るまでの間、僕はオジサンと談笑しながら、ボンヤリと壁に貼ってあるポスターを眺めていた。色が若干褪せて、油汚れが目立つ、年季モノのポスター。砂浜でビアジョッキを掲げた、笑顔の水着お姉さんが写っている。このモデルさん本人は、今では水着になるのも嫌がる歳になっているかもしれない。でもポスターの中では、いつまでも眩しそうな笑顔。バストは、はち切れそうな膨らみ。赤い水着の胸元から谷間がしっかり見えている。ビキニの下はハイレッグでなかなかの角度の切れ込み。仄かにエッチな気持ちが蘇る。・・・普段は淡泊でも、疲れていると、僕の股間は感度が上がるのだ。そして僕はオジサンになりつつあるのだろうか。二十代中盤まではこの、ムチッとしたオッパイと、パンと張りのあるお尻にばかり目が行っていたと思うのだが、今はもちろんそこも見るけど、他にも太腿に張りついた砂浜の白い砂の感じとか、首筋を流れてる若い汗なんかにも目が行く。色あせて油で汚れた古いポスターの、そんなところを食い入るようにして、目をこらしているのだ。

「梅しそハイボール、お待ちっ。」

 ビキニのグラビアアイドルをボンヤリ眺めていた僕の前に、急にヌッと、日焼けした太い腕が突き出されて、思わずビクッとする。現実に引き戻される。場末の立ち飲み。昼間からのビール。明け方までの徹夜仕事。知らないオジサンとペアルックの作務衣で飲んでる自分。果たしてこれが本当に現実なのかは、酔ってきた僕には自信を持って答えることは出来ない。でも、全然悪い気分じゃない。

「でも、オジサンみたいにお仕事も引退されると、いつでもこういうお店に来て、朝から呑むことが出来るんですよね。羨ましいですよ。」

 オジサンに再び話しかける。ちょっとだけヨイショも含めてみた。「コミュ障」とか自称することのある僕でも、酔っぱらっていい気持になれば、これぐらい出来る。これでも一応、社会人なのだ。

「いや〜。これも、最初の一週間は嬉しいけれどね。やっぱり、よくよく考えると、仕事っていう縛りがあって、夜になってその仕事から解放されたっていう喜びと、今日も一日頑張ったっていう言い訳があって飲む一杯が、最高なんだよ。私らみたいに、いつ飲んでもいいって言われちゃうと、これはこれで、ちょっと味気ないもんなんだ。」

「え〜っ、そんなもんですか〜? 僕なんかは今、まさにその仕事の縛りにギュウギュウにされてる最中だから、やっぱり、自由気ままに飲める立場が羨ましいですよ。」

「うん、その気持ちもわかるけどね。・・・でも、やっぱり、振り返ってみると、『やっと飲めるっ』っていうのが一番美味しい一杯なんだ。」

「そうかな〜。」

 僕は両肘をテーブルについて体を預ける。小さな欠伸を噛み殺した。疲れているのだろうか、お酒の周りが早い。風呂上りというせいもあるだろうか? 僕はいつも、寝る直前にお風呂に入るのだ。体は習慣に従順だ。

「そんなもんだよ。」

「そうですかね〜。」

「うん・・・。そういうもんなんだ。」

 オジサンは、酔っぱらった僕との、ほとんど不毛なやりとりにも、根気よく対応してくれている。もしかしたら仕事をしていた頃は責任ある立場にあって、こうやって若手に絡まれたり、なつかれたりするのも、懐かしく思っているのかもしれない。

「・・・でも、やっぱり、どうですかねぇ〜。」

「そういうもんだって。」

 欠伸をすると、涙が滲む。すっかりいい気持になってしまった。これから銭湯に戻って、体を洗い流して、くたびれたスーツを着直して、家に帰るということを考えると、面倒くさくなってくる。だったらいっそ、朝までこの通りで飲み明かすか・・・。路地裏には少し大きめの居酒屋も立ち並んでいて、個室を頼めば仮眠くらいは取らせてくれるらしい。・・・結局こうやって、日の出までズルズル飲んだり寝たり、湯に入ったりするオッサンたちが多いのだろう。

「よく考えてみたんですけど・・・。でもやっぱり、仕事にいかないで良いの、羨ましいなぁ〜。仕事に縛られてるうちが花っていうお話、・・・やっぱり、ほんとうにそうなんですかね〜。」

「そういうもんなんだってば・・・。」

「どうですかねぇ〜。」

「ほんとにそうなんだよ〜。」


 酔っ払い同士の不毛なやり取りは、日が傾くまで続けられそうだった。立って飲むのに疲れたら、今度は居酒屋の「小上がり」に座って、また一杯。締めのラーメンを屋台で食べたら、今度は喉が渇いて、またスナックに上がりこんで常連に挟まれて一杯。日の出横丁の梯子酒は、やっぱり夜明けまで続くのだった。どうせ翌朝には覚えてすらいない。あぶくのように弾けて消える、無駄話と愛想笑いと気だるい酩酊感。そんな一瞬のために、僕は明日のことも忘れて、またジョッキを傾けるのだった。

「やっぱり、どうですかねぇ〜。」

「そんなもんなんだってば〜。」



。。。



 オジサンにジャレつくようにして、おんなじやり取りを飽きるまで繰り返した後は、しばらく無言でお互い飲んで、それぞれの小皿を突く。いい大人は、黙っていても僕みたいな若手を緊張させたりしないでいてくれる。突き放したり、迫ってくるようなオーラじゃなくて、無言でこちらを包み込んでくれるような、そんな空気を出してくれる。僕はホッピーのソトを注文して、薄めに混ぜたホッピーをゆっくり飲んで、少し酔いを醒ました。このオジサンが付き合ってくれるなら、出来るだけ長く飲みたいと思ったからだ。

 そんな手前勝手な気分も、表の通りを歩いているお姉さんを見ると、一瞬で興味を奪われて中断する。やっぱり僕は、疲れて寄って、性欲が強くなっているのだろうか? オジサンたちがほとんどという横丁を、モーゼが海を割るみたいに切り裂いて歩いていくのは、モデルさんばりにナイスバディな、20代前半くらいのお姉さん。ダークブラウンの髪を指でかき分けながら、胸の膨らみが強調されるくらい背筋を伸ばして、格好良く歩いていく。ジーンズを押し出すくらいに張りのあるヒップから、スラリと長い足が伸びる。胸、腰、お尻と、メリハリのハッキリしたカラダの線はダイナミック。見ていて惚れ惚れするほどだった。普通だったら女の子とみると不謹慎な声をかけるような、道端の酔っ払いオヤジたちも、まるで芸能人にバッタリ会って息を飲んでいる、純情なファンのようにその歩く姿を拝んでいる。

 気の強そうなお姉さんは、周りのオジサンたちの視線を嫌というほど感じているはずなのだけれど、「まるでそれに気づいてない」といった表情で、ツンとして歩いていく。横から見ると、オッパイのムッチリとした重量感がたまらない。後姿を見ると、長い足が交差して歩いていくたびに、引き締まったヒップがプリッ、プリッと左右に揺れていた。これほどまでにセクシーだと、いっそ清々しい。男に媚びるというよりも、女であることの魅力を自分で認めて、楽しんでいるみたいだ。日本人の中にも、いつの間にか欧米のプレイガールみたいな格好良いセクシーダイナマイトが育っていたんだ。

「お兄さん、涎が出てるよ。」

 品と余裕のある、白髪のオジサンに指摘されると、僕は慌てて右手で口元を拭った。きっと僕の顔は赤くなっているだろう。

「あ、・・・すみません。・・・その、あんまりにも、ここの通りに場違いな、綺麗な女の人を見ちゃったんで。」

 オジサンはニッコリ笑って、僕を見ている。その視線は、さっきまでの人生の大先輩という余裕の表情だけではなくて、少し悪戯っぽい表情のこもったものになっていた。

「いいんだよ。男なんだから。イイ女を見たらそそられる。そうでなきゃいけないよ。若い人は、いっぱい煩悩も抱えて、それも仕事にぶつけなきゃ。・・ま、今の時代、仕事だけじゃなくて、趣味の世界とか、色々努力が必要なこともあるんだろうけどね。とにかく、そういう活力の源泉は、否定していたらいけない。」

「い、いや〜。活力ってほどでも・・・。その、今の時代っていうと、若い女の子が居酒屋とか立ち飲みとかにも来たりするトレンドもあるみたいですね。不景気だし、ディープスポットの再発見みたいな感じで・・・。」

 いくらか自分を取り繕って、最近の居酒屋ブームの話をする。たいがいこういう店では、吉田類先生だとか太田和彦先生とかの話を振ると、しばらく話題が持つのだ。

「いや、さっきの子は・・・。女同士や男友達と居酒屋探索に来たって様子でもなかったよね。」

 確かに・・・。オジサンの指摘通り、店や知り合いを探す様子もなく、若干不愛想にまっすぐ前を向いて歩いていた、さっきの綺麗なお姉さんには、はっきりとした目的地があるみたいだ。

「まさか・・・、この通りの向こうにある、エッチなお店とかで働いてるとかじゃ・・・。」

「暁町のことを言ってるの? いやぁ、それは無いよ。あそこは旧赤線で、今はうらぶれた安い店しかない。今のクラスの女の子が働くところじゃないよね。」

 オジサンは意外とそっちの世界にも教養があるらしい。若い頃はそれなりに遊びの方も嗜んだのだろうか? だとしたら、相当モテただろう。悪さもしたかもしれない。

「そっか〜。・・・じゃ、どこ行くんでしょうね。あんな綺麗なお姉さん。東京で暮らしてても滅多にいるもんじゃないですよ。・・・一度でも一緒に飲めたら、・・・言うことないんだけどな。」

 僕は今、「一緒に飲めたら、死んでもいい」と言いそうになって、あえて言葉を変えた。別にどうでもいいことだが、命は大切だ。それに言霊っていうものがある。

 オジサンはさっきよりも悪戯っぽい表情を強く出して、僕の顔をマジマジと見ていた。

「今の子・・・。僕、たぶん、ここに行くんだろうっていう場所の目星がついてるんだけど、お兄さん、行ってみる?」

「はい?」

 オジサンの言葉に、急に僕の心臓が高鳴り始めた。こめかみまで、鼓動音に合わせて血がドクドク届いてくるのがわかる。お酒が回りすぎだろうか?

「ここから2本目の交差点を右に入った路地裏なんだけどね、まだギリギリ、日の出横丁の地区に入るかな。ここらの並びと比べると、ちょっとだけランクが高めの、居酒屋があるんだよ。『オナモミ亭』って言うんだけど。」

「オナモミ亭・・・。居酒屋にしては珍しい名前ですね。」

「うん。昔は『酒処、春駒屋』っていう名前だったんだけどね、去年、店の名前も変えて、リニューアル。大将が変わり者で、料理の拘りが凄く強い人だから、春駒屋の頃から、食通には評価が高かったんだ。でも、この横丁にあっては、価格帯が合わないよね。お客さんの入りは多くなかった。立地の問題もあるかな?」

「はい・・・。」

 オジサンの言わんとしていることは良くわかった。飲食業界はIT業界に負けないくらい回転が速い。まして、こんな「センベロ」地区で、味にとことん拘った美食居酒屋をやっていたのでは、なかなか経営は苦しかっただろう。

「ところがね、改装後はずいぶん、店の雰囲気が変わった。いや、建物や内装の作りは全然変わらないんだけど、お店の女の子が、揃いも揃って、美人だらけになっちゃったんだ。それどころか・・・。うん。私も、話しているうちに行きたくなってきたよ。お兄さん。一緒にどう? 次の店は、私に軽く奢らせてもらおうかと思うんだ。」

 綺麗なお姉さんがいるらしい、料理の美味しい居酒屋に、奢りで連れて行ってもらう・・・。僕に、お断りする理由なんて、ひとかけらたりとも見つからなかった。

「センパイ、よろしくお願いします。」

「よしっ、行こうっ。」

 オジサンは自分の太腿をバシッと叩いて、お会計を頼んだ。どことなく、最初にあった時のオジサンの顔よりも、ツヤが増しているような気がした。


 日の出横丁は交差点って言っても信号が立つような大きなものはない。そもそも「横丁」自体が脇道なのだから、そこから曲がる小道なんて、人がすれ違うのも苦労するほどの狭い路地裏だ。スナックと一坪バー。急に出てくる薬局とビニール本、そしてコンドームの自動販売機を避けて歩くと、確かにそこには、並びからすると大きめの、二階建て、黒板づくりの居酒屋があった。赤い提灯には『酒処 オナモミ亭』と書かれている。杉玉がぶら下がっているあたりは本格的な酒場だ。縄ノレンをくぐって、オジサンが中に入っていく。

「らっしゃい・・・。」

 僕の浮ついた気持を少し冷ますような、落ち着いた中年男性の声が響いた。

「らっしゃいっ。」

 さらに太い、男らしい声が続く。カウンターの裏側には、年季は入っているものの良く洗濯された様子の白い和服に身を包んだ、男っぽい料理人が2人、並んでいた。

「いらっしゃいませ〜。オナモミ亭へようこそ。」

 駆け寄って深々と頭を下げた、元気の良い女の子。その子が頭を上げると、僕の口がポカッと開いた。

「お客様、テーブル席へどうぞ〜。」

 満面の営業スマイルで、右手で僕らを誘導するウェイトレスさんは、僕がさっき立ち飲み屋で見た、圧巻のビューティークィーンだった。

「あ・・・え・・・? ・・・お姉さん、ここで、働いているんですか?」

 さっきのツンとした歩き方と、今のサービス精神満点といった笑顔が結びつかなくて、僕は思わず変な質問をしてしまった。オジサンは笑いを噛み殺しながら席について、ハットを脱いで机に置く。ウェイトレスさんは「ア・ウン」の呼吸でオジサンにオシボリを手渡したあと、軽く膝を曲げてお辞儀をしながら帽子を両手で取って、椅子の後ろの仕切り壁から出ているフックにかけた。

「えぇ。こちらで働かせていただいています。ミカと申します。御用がございましたら、何なりとお申し付けくださいっ。」

 僕に笑顔を向けて、ハキハキと喋るミカさんは、若いけれどなかなか経験豊富なお給仕さん、といった様子だった。さっきまでのオヤジどもを歯牙にもかけず闊歩していた、女王様の片鱗は見られない。けれど、鼻筋の通った、キリッとした美人顔。そして小豆色の作務衣と前掛けも隠しきれない、ダイナマイトボディ。その日本人離れしたスタイルは、間違いなくさっきの女王様のものだった。

「ミカさん、・・・さっき外で、チラッとお見掛けしたんですけど、・・・なんだか雰囲気違いますね。」

 僕が少しでも長く、この超絶美人と話していたくて、思わずさっきチラ見していたことを告白してしまうと、ミカさんは申し訳なさそうに肩をすくめて、首をかしげながら答えてくれた。

「ほんっとうにゴメンなさい。お客様に失礼してしまいました。・・・ここだけの話、いつもの私って、性格悪い子なんです。ここのお店で働いている間だけ、とっても素直なイイ子になれるんです。だからお客様も、お気分を害されていましたら、仰ってくださいね。どんな埋め合わせでも致しますから。」

「ミカさんだけに、おミカけしました・・・だってね。このお兄さん、貴方のこと気に入ったみたいだから、しっかりサービスしてあげてよ。」

「もちろんですっ。ミカに何でもおっしゃってくださいね。」

 オジサンはずいぶん気が緩んできている。若い男女のやり取りを見ているだけで、気分よくなっているのだろうか。ミカさんは僕の右手を両手でスッと持ち上げると、オシボリで丁寧に拭いてくれた。右手、左手。順番にオシボリで拭いてくれる。白くて長い指と、控えめに塗られた、形のいい爪。こんな美人に手を触れてもらっている。そう思うと手のひらに、余計に汗をかいてしまっている気がして、申し訳ない気持ちになった。

「お飲み物は、何になさいますか?」

 ずいぶん接近して話しかけてくる。ミカさんの熱くて甘い吐息が顔にかかって、僕は緊張のあまり、少し仰け反って答えてしまう。

「・・・ビールで、お願いします。」

「こっちはヌル燗で。酒は大将に任せるよ。お通しと合うお酒とか、色々こだわりがあるだろうからね・・・。」

「かしこまりました。須賀野様。すぐにお持ちしますね。」

 ミカさんが僕の顔の前、10センチのところで、首をクイッとオジサンの方へ向けて、笑顔で答える。横顔も綺麗だ。目鼻立ちの整っているところが、横から見ると余計際立つ。メイクや表情の作り方では演出しきれない。天性の美形。その美形がもう一度こちらを振り向いて、少し小声になって囁いた。

「お飲み物とお通しを持って、すぐに戻りますね。お料理のご注文はそこで承ります。」

 輝くような笑顔で、僕の目をジッと見つめながら、それだけ言ったミカさんは、スタスタとカウンターと続きの厨房に歩いていく。その歩き方。これはやっぱり、さっきの女王様が見せたモデル歩きそのものだった。


「ね・・・。ちょっとさっきの雰囲気と、違うでしょ? ・・・変な店なんだよ、ここは。」

 ポーっとなってミカさんの後姿を見送っていた僕の耳元に、顔を近づけたオジサンが囁いてくる。さっきのミカさんの囁きとは、同じ小声でもずいぶん違う。

「オジサン・・・。ミカさんのこと、もともと知ってたんですか?」

「うーん、前に2、3度、ここ来た時に給仕してもらったんだ。大学生だけど、なんとかっていう雑誌で、モデルさんのお仕事もしてるんだってさ。まだここのお店で働いて1年くらいのはずだけど、さすがは看板娘。もう慣れたもんだよね。」

 オジサンの話を耳に入れながらも、僕はまだミカさんの後姿を追っていた。そんな僕の様子を見たオジサンは、ちょっと僕をからかってみたくなったようだ。

「お待たせしました。ビールとヌル燗。こちらがお通しの白子ポン酢です。」

 ミカさんがお盆から飲み物と小鉢を移してくれる。僕に顔を向けた時には、ウインクをしてくれた。こんな仕草も堂に入っている。さすがは学生モデル。

「えっとねぇ、わかさぎの天ぷらを頼もうかな。」

「はい。かしこまりました。」

「目印も置いていってね。」

「あ・・・はい・・。もう、須賀野さん、ピッチ早いですよぅ。」

 少し困った笑顔を見せながら、ミカさんはお盆を僕らのテーブルに置いた。小豆色の作務衣を前で縛っている紐に手をかけると、綺麗な指で紐を解き始めた。急に何が起きようとしているのか。僕はミカさんと、須賀野さんと呼ばれている、この白髪のオジサンとを何度も見返す。僕が何度も生唾を飲んでいる間に、ミカさんは作務衣の上着をはだけて、スルスルと腕を抜いてしまった。白い肌。フローラル系の香水の匂い。迫力あるバストの谷間が見えた。レースの装飾の入った、高そうな淡いオレンジのブラジャー。オッパイはロケット型というか、重量感ありつつもドンッと前に突き出ていた。

「こちら、オーダーを間違えないように、私の目印です。あとで料理を持ってきますので、お料理と交換させてくださいね。」

 笑顔で上着を僕に手渡ししてくれるミカさん。僕は嫌がられないか気にしながら、そろそろと手を伸ばして、ミカさんの体温が残る上着を受け取った。

「匂い嗅ぎながら待ってようか?」

「もう、馬鹿っ。やめてくださいよ〜。」

 ミカさんは少し恥ずかしそうに笑いながら、須賀野さんを手で叩くふりをする。須賀野さんも笑いながら自分の頭をコツンと叩き、「ごめんなさい」という古いポーズをとった。僕は、(匂いを嗅ぐのは、駄目みたいだな・・。いきなりしてなくて良かった)と内心ホッとしていた。

 腰から上はブラジャーとシルバーのネックレスしか身に着けていない状態で、にこやかに給仕してくれるミカさん。開店直後のお店に、ぞろぞろと他のお客さんたちも入ってきている。

「おっ、ミカちゃん、ペース早いね。そこにいるのは、須賀野さんか。若いお兄さんをからかってるのかい?」

 4人の常連っぽいオジサンたちは、大将に手で「ヨッ」と挨拶しながら、ゾロゾロとカウンターに、横一列に並んで座る。その中のリーダー格っぽいオジサンが、ミカちゃんと僕の向かいに座る須賀野さんに声をかけた。

「いらっしゃいませ〜。今日、須賀野さんに苛められちゃってるんですよ〜。」

 ミカさんがお辞儀している間に、須賀野さんも笑顔で会釈した。

「じゃ〜、俺たちもミカちゃん苛めに、混ぜてもらおっかな? 生ビール。目印お願い。」

 リーダーの隣に座った、ハゲかけたオジサンが、予想よりも高い声を出して注文する。

「こっちも生。目印ね。」

「生。目印。」

「じゃぁ〜、俺も黒ビールと目印だな。」

 リーダー格のオジサンも注文する。ミカさんは僕の隣でムクれた。

「もう〜。みんなの意地悪っ。・・・まだ夕方ですよっ。」

 ミカさんは一度厨房にオーダーを通すと、カウンターへ歩いていって、常連さんたちの前で、スルスルと服を脱いでいく。前掛けが解かれて、作務衣の下が椅子の背にかけられると、スラリとした長い足の間にはブラと揃いの淡いオレンジのショーツが、張りのあるお尻に食い込んでいるのが見えた。両手を首の後ろに回して、妙に色っぽいポーズになってネックレスを外すと、最後は背中のホックを外す。ミカさんの豊満なオッパイを守っていたブラジャーが、フワリと緩む。首を伸ばして見ていた僕が、思わず立ち上がってしまった。

「もうっ。みんなで注文まとめてくれれば、一枚で済むのに・・・。エッチ、エッチ、エッチ、エッチ!」

 全員に左手でこぼれそうなオッパイを隠して、右手で「目印」を手渡しながら、一人一人をなじっていくミカさん。常連さんとじゃれているようなトーンにしか聞こえない。どれほど度量が大きいお姉さんなんだろうか。

「早く持ってこないと・・・。こっちも目印になっちゃうぞっ。」

「キャンッ、ばか〜。」

 一番端に座っていた常連さんが、ミカさんの後姿に手を伸ばして、ショーツを掴んで引き下ろす。僕の席まで「プリンッ」という音が聞こえたような気がした。丸くて張りのある、若々しいお尻が半分以上見えてしまった。慌ててお盆でお尻を隠しながら、ショーツを引き上げるミカさん。常連さんの方を振り返ると、口を大きく横に開いて、「イーッ」と歯を剥いた。

「わかさぎ天ぷら、出来たよ。」

 低い声で、大将が淡々と告げる。ミカさんの顔がパーッと華やいだ。

「はいよーっ。ただいまーっ。」

 お盆に揚がりたての天ぷらのお皿を載せて、パンツ一枚のほぼ裸という姿でミカさんが嬉しそうに近づいてくる。

「わかさぎの天ぷら、お待ちっ」

 左手はお盆。右手は天ぷらのお皿。僕はお皿に敷かれた和紙の上に盛りつけられたワカサギの天ぷら何かよりも、この瞬間、無防備になったミカさんの胸元を凝視していた。ツンとした生意気そうな乳首と、意外と小さい乳輪。こんな立派なバストにピンクの乳首だなんて、想像以上。神様は不公平だと、つくづく思い知らされた。

「目印、回収させて頂きますっ。」

 ミカさんは須賀野さんに「どうだっ」とばかりにドヤ顔を見せて、テーブルの上に置かれた上着を掴むと、空中でパッと翻して袖に腕を通す。その仕草がなんだか江戸っ子っぽくて、とても様になっていた。ノーブラのまま作務衣の上着の紐を結んで、僕らにお辞儀をすると、さっきと同じ、モデル歩きで戻っていくミカさん。僕はまた後姿を凝視。作務衣の上着の裾からチラチラ見えるミカさんのパンツと、お尻の二つの山。綺麗な足がクロスされるたびに、ねじれるように変形する、若々しいお尻が、動くたびに裾が上がって顔を出す。これがとっても刺激的な光景だった。



「ごめんなさいっ、お2階のお掃除が終わらなくて・・・。」

「厠」と表示のある扉の隣、木の階段をドコドコと降りてきたのは、これまたミカさんにも負けない美人。綺麗系のミカさんと比べると、こちらは純和風の真面目で可愛いお姉さんといった雰囲気だった。桃色の作務衣を着ている。その美貌が、何か僕の心に引っかかった。どこかで、あったことがあるだろうか?

「遥香、遅いっ。掃除が終わらなくたって、お客様がいらした雰囲気感じたら、すぐ降りて来なさいよっ。」

「申し訳ございませんっ。ミカ先輩っ。」

 遥香と呼ばれたお姉さんは、上着とパンツしか身に着けていないミカさんの前に駆け寄って、深々とお辞儀した。そのまま土下座でもしそうな様子だ。遥香さんはミカさんよりは年上に見えたが、それでも先輩に、かしずくようにして教えを受けている。

「あと、階段は走らないっ。」

「はいっ。気をつけます。申し訳ございませんでしたっ。」

「それに、お客様の前で大声出さないっ。」

「失礼しましたっ。」

 店内の全員が、ミカさんの声の方が大きいのに、と思っていた。その空気を察してか、ミカさんはようやく遥香さんをお説教から解放する。

「もういいから、さっさとお給仕、手伝って。今日はお客様多いし、なんかピッチが速いの。頼んだわよ、遥香。」

「はいっ。遥香、何でもしますっ。」

 遥香・・・遥香・・・。そうだっ。あの、桐生遥香だっ!
 呼ばれていた名前で、やっと顔の記憶と結びついた。彼女は今年の初めまで、民放の深夜ニュースでレポーターをしていた、元お天気お姉さん。深夜の天気予報で密かな人気を集めて、レポーターに転向していたのだ。「お嫁さんにしたいアナウンサー、レポーターランキング」でも急上昇しつつあったのに、3ヶ月くらい前に、急に番組を降板して、そのあとはすっかり見なくなっていたのだった。僕は、終電で帰ってくると、脳をクールダウンさせながら晩酌をして、彼女の天気予報やレポートを見ては、疲れた体と心を癒していた。彼女を見られなくなってからというもの、地味に失恋に近い寂しさを感じていたのに。こんなところで会うなんて、どういう縁だろう?

「あの、須賀野・・さん。・・・あの子、新人ウェイトレスさんみたいだけど、・・・あの桐生遥香ですよね? 元お天気お姉さんの・・・。」

「ん・・・? お天気? ・・・何時台?」

「夜の1時です。特番とかあると、たまに2時台になって・・・。」

「いや〜。私はその時間、とっくに寝ているからわからないけど、確か、この前、新人入ったって聞いたね。何でもこのお店に取材に来て、そのまま仕事を辞めて、ここで働き始めたとか・・・。よっぽど気に入ったのかね?」

 ビールを出して、ブラジャーやネックレス、作務衣の下や前掛けを取り戻していくミカさん。続いて入ってくるお客さんたちには、遥香さんが注文を取っていた。オジサンたちにお尻を撫でられたり、ハグされたりしても、困った笑顔を見せながら、やんわりとあしらっている遥香さん。その仕草は、ミカさんほどには慣れていなくて、まだ笑顔が強張っている。お客さんたちに、いいように弄ばれて、タッチされている遥香さんを見ると、僕は少し胸が痛んだ。どこか懐かしい種類の痛みだ。

「桐生遥香みたいな超清純派レポーターが、どうしてこんなところで、あんな働かされ方、してるんですかっ。間違ってるよっ。」

「うーん。」

 須賀野さんは、ワカサギの天ぷらを突きながら、少しの間、黙ってしまう。僕の顔をチラチラと見る。そして、小さくため息をついて、箸を置くと、僕から見て、斜め左の天井近くを指差した。

「あれ・・・。神棚見える?」

 須賀野さんの指差す方向を目で追うと、白木で作られた、ずいぶん立派な神棚が見えた。大将が働いているあたりの上部にある、しめ縄までつけられた本格的な神棚だ。

「木札、読めるかな? ・・・普通は商売繁盛の「正一位 稲荷大明神」とか恵比寿さんとか、あるいは火除けの秋葉さんとかが飾られてると思うんだけど。・・・あれ、なんて書いてあるか読める?」

「えっと・・・、回春山、新楽地・・・聖天?」

「・・・そう。聞いたことないでしょ? ・・・あの神様を神棚で祭るようになってから、このお店、様変わりしたんだよね。従順でエッチな綺麗どころが、丁寧に給仕してくれて、オヤジ客がどんどん増えてる。店名変えて、リニューアルしたっていう時から、あの神棚が出来たんだけど、それ以外は店の名前くらいしか変わってないんだよ。私はね、あの神様、なんかのご利益があるんじゃないかと、思ってるんだよね。」

 神様のご利益・・・。僕は真剣に聞いていた自分にがっかりしてしまった。これまで品があって遊びも知ってる人生の先輩として尊敬の念を抱いていた、須賀野さんというオジサンにも少し失望だ。日本昔話じゃあるまいし、神様のご利益で綺麗な女の子が働くって・・・。オジサンは本気なのだろうか、それとも、まだ僕をからかっているのだろうか?

「あの〜、それ・・・、本気で言ってます?」

 須賀野さんの口が横に開く。手のひらを僕に向けて、「皆まで言うな」とばかりに頷いた。

「信じられないよね。そりゃそうだ。・・・ちょっと見てて。」

 僕に向けていた右手が握られて、人差し指と中指だけが立ったと思ったら、その手が上がる。

「おおーい。・・・新人ちゃん・・・。遥香ちゃんだっけ?」

「はぁーい、只今ぁ! ・・・ごめんなさい。他のお客様がお呼びですので失礼します。」

 すでに出来上がっているようなお客さんに後ろから羽交い絞めにされて、制服の上から胸やお尻を触られてながらも、半ベソ笑顔でやんわりとたしなめていた桐生遥香さんが、須賀野さんにかけられた声を天の助けとばかりに受け取って、僕らの席に飛んでくる。

 須賀野さんは、僕と遥香さんとをチラチラと見比べながら、口を開いた。僕はというと、憧れの元お天気お姉さんを間近で見れた喜びと緊張感で固くなっている。

「遥香ちゃん。お客の質問に『正直に答えて』ね。・・・貴方、この仕事の前は、お天気お姉さんとか、ニュースレポーターとかやってたの?」

「・・・はい。つい3ヶ月前まで、ニュース番組のお仕事を頂いていました。」

「どうして、そのお仕事辞めて、この仕事してるの? お給料いいの? それとも誰かに強制されたの?」

 遥香さんは目をパチクリさせて、笑顔でごまかそうという素振りを見せたけれど、しばらく止まると、困った目をしながら口を開いた。

「・・・いいえ。お給料は月々で変動はありますが、大体10万円くらい下がりました。先月はこちらのお店から17万円頂きました。・・・い・・・以前は深夜勤務ということもあって、手取りで32万円は頂いていましたので。」

 喋りながら自分で驚いたような顔になった遥香さんは慌てて両手で口を塞ぐ。・・・と、その途中で両手がゆっくりと降りてきて、体の横に。「気をつけ」の姿勢になって、さらに答え続けた。

「あの・・・それでも、別に、誰かに強制されたわけではありません。レポーターのお仕事の取材と下準備でこちらのお店に伺った時に、スタッフの方に薦められて、こちらの大将と名刺を交換させて頂いたのですが、・・・それからしばらくして、急にこちらのお店のお手伝いがしたくなって・・・。気がついたら、前のお仕事の事務所への辞表と、こちらのお店に出す履歴書を書いていました。」

「お兄さん、どう思う?」

「えっと・・・。遥香さんは見かけより大胆で行動的で・・・、お給料の話とか、随分オープンだなって思いました。」

 僕が、まだ自分の猜疑心をほぐせずに、言葉を選んで答える。須賀野さんはどんどん悪戯っぽい表情になる。

「遥香さん、引き続き『正直に答えて』ね。ここのお店って、エッチなサービスもあるでしょ? 貴方も担当しているの?」

「・・・・は・・・はい・・・。あの・・・、お店のルールですから・・・絶対順守です・・。1階でも『お触り』やキス、口移しで食べさせたり、エッチの疑似行為みたいなことは、お客様がお求めであれば致しますし、『お2階』を指名されるお客様には2階の個室で、ほ、本番も致します。」

「貴方の最初の『お2階のお客さん』は、誰だったの?」

「私を・・、ここのお店の取材に紹介、案内してくれた、ADの窪島さんです。・・・今でも、時々、ご来店して、私を指名して頂きます。」

 意味ありげな、須賀野さんの沈黙。僕の反応を伺っているようだった。

「わかるかな? お兄さん。私の推測するに、ADの窪島君って子が、職場の仲間で憧れの、高嶺の花だった桐生遥香さんを、取材と称してここに連れ込んで、このお店の子に、したてちゃったんだ。セックスフレンドにするために・・・。名刺交換して、ちょっとしたら、ここで働きたくて仕方がなくなった、って言ってたでしょ? あの神棚の下。あそこのシフト表に名刺を貼られちゃったんじゃないのかな?」

 僕が振り返って、さっきの「ナントカ聖天」を祭っている神棚を見る。確かに下には、スタッフのシフト表が貼り出されていた。

 僕は「気をつけ」の姿勢でさっきからお給料の話やプライベートに抵触する話をスラスラ答えてくれている、元ニュースレポーターさんの様子を伺う。いつも知的で聡明そうな雰囲気でテレビに映っていた遥香さんは、何故か今だけ、「日本語がわからない外人さんが取り残されている」というような表情で、キョトンと僕たちを見回していた。自分の話、それも、もしかしたら自分が罠に陥れられたかもしれない、という話を他人が語っているのに、どいういう訳か、ポカンとした笑顔で、給仕のオーダーだけを待っていた。

「・・・で、でも、これだけじゃ、証拠には、ならないですよね? もしかしたら、遥香さんがどうにもならない事情で、お店の、こういう特殊ルールを守っているだけかもしれないし。」

 僕が、まだ反論を試みると、須賀野さんは小さく溜息をついて、左右5センチずつほど首を振った。

「証拠ね。・・・遥香ちゃん、ゴメンね。ちょっと失礼するよ・・・。『マネキンになって』もらおうか。」

 須賀野さんの話が終わらないうちに、僕の隣に立っていた桐生遥香さんは、急に息を飲むと同時に、両肩をビクッとすくめて、10センチほど床から飛び上がると、両足同時に着地した。両肘はピンっと伸びている。顔を覗き込むと、貼りついたような満面の笑顔になっている。目の焦点は合っているのだろうか? まるでプラスチックのような、人工的なスマイルだった。

「ほら、お兄さん。お天気お姉さんの、オヘソ。」

 椅子から立ち上がって遥香さんに近寄ると、桃色の作務衣の腰当たりに手を伸ばした須賀野さんが、ペロンと上着をめくり上げる。まるで僕の反応を楽しみながら、結び目を解いて上着をはだけさせていく。清楚な雰囲気の純白のブラジャーが顔を出した。

「ブラジャーね。」

 僕が恐る恐る、遥香さんの顔を覗き見ると、遥香さんはピクリともせず、ヘソ出し、ブラ出しの状態で満面の笑顔を崩さない。これは・・・はたして、演技なのだろうか?

「このくらいじゃ、さっきのミカちゃんと変わんないから、驚かないかな? ・・・これはどうだろう? ペロッ。」

 さらに一歩近づいて、遥香さんに密着した須賀野さんは、舌を伸ばすと、あろうことか、遥香さんの左目の白目を舐めた。紳士然としていたはずの須賀野さんの行動にも驚いたが、それ以上に、遥香さんの完全に無反応な様子に、唖然としてしまった。瞬き一つしない。睫毛も瞼も1ミリも動かない。こんな芸当、僕には絶対に無理だ。

「ゴメンね、遥香ちゃん。こっちのお兄さんがとっても疑り深いもんでねぇ。」

 僕のせいにしながら、須賀野さんは遥香さんのブラのカップに指を入れると、クイッと下に引っ張る。ミカさんよりは1サイズか2サイズくらい控えめな大きさだが、お椀型に整った、美乳がポロリとこぼれ出る。より露出させられた左側のオッパイからは、小さな乳輪と、遠慮がちに縮こまった薄ピンクの乳首が、僕の目を奪ってしまって離さない。真面目な清純派レポーターに相応しい、文句なしのオッパイだった。そのオッパイに、須賀野さんは、さっきまでワカサギの天ぷらを突いていた箸を伸ばして、左の乳首を器用につまんで見せる。

「これでも痛くないかな、遥香ちゃん。・・・ほら、お兄さんも試してみる?」

 箸に摘ままれてしまった遥香さんの乳首は、須賀野さんが手首を上げると、引っ張られながら上に伸びる。オッパイの形が変形するほど、乳首が引っ張られている。それなのに、直立不動の遥香さんは、人工的な笑顔のまま、瞬き一つしない。痛みも不快感も、一切感じない、大量生産の工業製品にでもなってしまったかのようだった。

「もっ、もういいですっ・・・。信じますから、やめてあげてくださいっ。」

 憧れだった有名人の下着どころかオッパイまで生で、直に見ることが出来たという、夢のようなシチュエーションだったのに、僕は悲痛な声を出して、須賀野さんに頭を下げていた。好きだった、テレビの中の人が、目の前で苛められている。僕らのような見ず知らずのオッサンに、遊び半分に辱められている。そのことが耐えられなかったのだ。

「やめるもなにも、続けようとしたって無理だよ。今のキーワードは30秒で効果が切れる。お店の業務を停滞させないためにね。」

「・・・は・・・、お客様、ご注文は・・・イッ、イタイッ・・キャーッ」

 急に目が覚めたみたいに顔に生気が戻ってきた遥香さんは、颯爽とオーダーを取ろうとして、途中で胸の痛みに気がついた。床にうずくまると、訳が分からないといった様子で周りを右目だけでキョロキョロと見回しながら、泣きそうな顔で自分の身なりを整える。ブラを引っ張り上げて、作務衣の上着をきちんと羽織って紐を縛る。この間も、左目は閉じたまま。少し涙が出ていた。

「お・・・、お客様っ、何をなさるんですかっ。」

 ベソをかきながら、弱々しい抗議をする遥香さん。それでも須賀野さんの余裕の態度は崩れなかった。

「私が何かしたところ、覚えてる? ・・・貴方、最初から身だしなみが乱れてたんだよ。あと、お客の前で、注意力が散漫なのは、いけないよね。」

 須賀野さんに反論されて、何も言い返せずに口をパクパクさせる、桐生遥香さん。テレビで見たような、真摯で落ち着いた様子はどこかへ飛んでいってしまっていた。

「も・・・申し訳ございません。お客様。遥香の服装が乱れていて、注意力も散漫になっていました。これから気をつけて、良いサービスを必ずご提供しますので、お許しください。」

 遥香さんはまた、このまま土下座でもしそうな勢いの、深々とした礼を見せた。表情は反省そのもの。しょげ返っている。

「いいんです、遥香さん。こっちの話で、こっちで解決してますから。・・・須賀野さん、もう、見てて可哀想になるから、これ以上、この子をなぶらないでください。」

 普通は答えたくないであろう質問をぶつけたり、急にベタベタ触って悪戯したりしていたオジサンに、美女が必死で謝っている。そのシュールな光景に、かえって僕が動転してしまって、オロオロとフォローをした。その様子に満足したのか、須賀野さんは、もとの温和な老紳士といった表情に戻る。

「うん。このお兄さんの言う通り。遥香ちゃんは新人だけど頑張ってるみたいだから、気にしないでこれからも仕事に励んでね。」

 僕にウインクしながら、須賀野さんがこの場を納める。ペコペコとお辞儀をして、左目をようやく手でこすりながら開いた桐生遥香さんが、手を挙げてオーダーしたがっているお客さんの元へと駆けていった。

「可哀想なことしちゃったね。」

 須賀野さんはペロッと舌を出す。この人はきっと若い頃は女の子を泣かしたこともあっただろう。思ったよりも悪い人だ。この人と比べると、まだ僕の方がいい人のはずなのだが、この人程はモテない。そういうものなんだろう。

「須賀野さん。本当に、無茶しちゃ駄目ですよ。まだ夕方なんだから。みんな11時まで頑張ってもらわないと・・・。」

 料理の追加オーダーを運んできてくれたのは、マッチョな板前さん。色黒でアゴヒゲを生やしていて、左耳にピアスをしていた。その筋肉質な体形とは正反対の、優しい喋り口。・・・もしかして、ゲイの人? 僕は少ない経験から、この個性的な板前さんについて判定できずにいた。

「お兄さん、よろしくネ。ちなみにアタシはバイセクシャル。おネエとはちょっと違うからね。はい。バイ貝のお刺身、サービス。」

 板前さんはそれだけ言って、お皿をテーブルに置くと、カウンターへ戻っていった。給仕に女の子の手が回らないほど、ウェイトレスさんたちはフル回転している。よく見ると、ミカさんも遥香さんも、色んなテーブルで服を脱いだり、取り戻して着たり、大忙しになっている。

 引っ張りダコだったミカさんは、店内にこれまた綺麗どころが2人入店してきた時に、やっとホッとした様子を見せた。

「世里、京花、遅いっ!」

「ごめんなさーい。」

 一番の先輩格らしいミカさんにペコペコと謝っているお姉さんは、お洒落な学生風の出で立ち。もう一人は、なんと高校生だろうか? コートを脱ぐと、セーラー服を着ていた。女子高生の方はなんだかムクレている。

「私、本当は今日、オフだったんですよ。バイ田さんに無理やりシフト入れられちゃって、デートの予定が飛んじゃったんですから。」

「ゴッメーン、人手が足りないんだもん。」

 マッチョな板前が胸元で両手を合わせて、小首をかしげながら謝っている。ミカさんも気勢を削がれてしまったようだ。

「彼とタコ焼きパーティーのはずだったのに・・・。」

 まだブツクサ言っている、女子高生の美少女に、大将が小さく舌打ちした。

「チッ、お客さんの前だぞ。あんまり文句ばっかり言ってないで、さっさと着替えて、店手伝え。・・・タコだったら後でいくらでも食わせてやる。」

「そういうことじゃない」とばかりに頬を膨らませた美少女が、もう一人の美女に引っ張られて、裏の方へ引っ込んでいく。10分もすると、桃色の作務衣と前掛けをした綺麗な店員さんが2人増えた。4人がお客さんのオーダーをとっているところを見回すと、なかなか壮観だ。これほど奇跡的に美人ばかりが揃う店も、他に滅多に無いだろう。繁盛するのも無理はないと思われた。・・・しかも、居酒屋なのにお客さんの要望に合わせて脱いだり、ポロリがあったり、タッチやキスを許してくれたり、何でもありではないか。

「人手が増えて、ちょっと落ち着いてきたみたいだね。」

「えぇ・・・そうですね。」

 お酒と美味しい料理を口にして、須賀野さんは上機嫌になっている。僕はまだ、目移りしてしまうほどの店員のラインナップを見比べて、時々こちらからも背中の素肌や下着姿が眺められるたびにドギマギしてしまっていた。

「そろそろ・・・、お2階でも使ってみる? ・・・さっきの遥香ちゃんでも良いし、最初のミカちゃんでも良い。本当のサービスは上の個室でしてもらうんだ。」

 ゴクッ。

 僕が生唾を飲み込んだ音は、思いのほか大きく響いたように感じられて、須賀野さんに聞かれなかったか、心配になった。

「お2階って・・・、さっきの、本番のことですか?」

「そうだよ。30分5千円。居酒屋が本業だから、たぶん風俗とかと比べても、安いんじゃない? 但し、女の子を指名するともう2千円。店外に連れだしたり、女の子がオフの日に店外から呼び寄せたりすると、さらにもう3千円。」

 須賀野さんの言葉を頭の中で反芻させながら、僕が単純な計算をする。・・・さっきまで、憧れのお天気お姉さんに酷いことを、とか怒っていた癖に、一生で何度もないようなチャンスを目の前にぶら下げられると、僕はもう半分以上、その気になってしまっていた。

「あの・・・、ちなみに、さっき須賀野さんが僕に見せてくれたような、遥香さんがマネキンとか、どうにかなっちゃうって、あの変な現象。他にもバリエーションがあるんですか?」

 須賀野さんは、意味ありげな笑い顔を見せる。犬歯のところに入れている、銀歯が光った。

「あれね、色々あるみたいなんだけど、私はいくつか、教えてもらったんだ。『コマし人、九平次』っていう、高めのお酒をボトルキープしたからね。・・・ちょっと試してみようか。・・・おぉーい、遥香ちゃーん。」

「はぁーい、只今―っ。」

 純白のパンティー一丁で、お盆で胸元を隠しながら、桐生遥香さんが早歩きしてくる。近くで見ても、やはりあのテレビ画面越しの憧れの人、疲れた社会人たちを丁寧な説明と美貌で癒してきた、あの桐生遥香さんだ。今、パンツ一丁で僕の前にいて、笑顔で注文をとってくれているのが信じられない。

「こっちのお兄さん。『お2階』だって。指名はないけど、そういう時って、たぶん新人の貴方が割り振られるんでしょ?」

「は・・・、はい・・・。多分、その、ミカ先輩は、私に、お客様のおシモのお世話をするようにって、言われると、思います。」

 両手でお盆の縁を握りながら、赤面した遥香さんがモジモジと僕の顔をチラ見してくる。僕は失礼だけど、遥香さんの色白でスベスベしてそうなお肌を上から下まで何度もガン見していた。

「じゃあ、このまま連れて行ってあげてよ。『恋人の遥香ちゃんになって』くれれば良いと思うよ。」

 またも、須賀野さんが言い終わらないうちに、遥香さんはまるで感電でもしたみたいに背筋をピンっと伸ばして、小さく飛び上がる。目をシロクロさせながら、両足同時に着地する。お盆は床に落ちて床の上をグルングルンと回転して倒れる。僕は遥香さんのオッパイを、今、初めて両方同時に拝むことが出来た。ホヨン、ホヨンと柔らかそうに弾んでいるところまで、懸命に目に焼き付けた。

 今、初めて目を覚ましたみたいに、頭を左右に振りながらこちらを見た遥香さん。僕を視界に入れると、まるで花がパァーッと開花するかのように、喜びを露わにした。

「来てくれたんだっ! ・・・遥香、嬉しいっ」

 ショーツ1枚身に着けている以外は裸になっている遥香さんが、僕の体に飛び込んできて抱き着く。僕はこめかみでオッパイの弾力を味わうことになった。

「最愛の恋人同士だもんね。30分、思う存分、愛を交し合っておいでよ。」

 今度はまるで保護者のような目線で、須賀野さんが言う。視線は遠くを彷徨っていた。遠い昔の、何かを思い返しているような表情だ。その須賀野さんの方を向いた遥香さんが、目を潤ませて、顔がクシャクシャになるほどの笑顔で、首をブンブンと縦に振る。もう一度僕をギュウーっと抱きしめると、整った高い鼻を僕のツムジあたりに押し付けてきた。

「私、いっつもこの匂いが大好きなの。・・・早くお2階に行きましょっ。遥香、早く、完全に貴方のモノになりたいっ。」

 一部の雑誌やネットニュースでは、「クールビューティー」と評されたこともある桐生遥香、真面目で固い清純派だっただけだったはずだ。別にクールに振舞っていたわけではない。とは言え、プライベートになるとこんなに舌っ足らずな口調で、恋人に甘えてくるとは、意外だった。これが本人の本性なのか、それとも何か不思議な現象でハメ込まれた、偽の性格なのかはわからない。ただ僕は、今ここで2階に上がっていかなければ、自分が一生後悔することになるということだけは、理解していた。

「・・・じゃ・・いこっか・・。」

 さっき、須賀野さんに抗議した自分が恥ずかしい。すっかり須賀野さんのペースに乗っかって、憧れのニュースレポーターと「恋人」ごっこに興じている。そしてこのあと・・・。考えているだけで股間が熱く硬くなって、体を「くの字」にして歩くことになってしまった。



「大丈夫? 階段あるから気をつけてね。貴方が怪我をしちゃったら、遥香、悲しい。泣いちゃうよ。」

 さすがに大げさな・・・と思って、遥香さんの顔を見る。僕の腕に両手を絡めた半裸の美人レポーターは、本当にそのつぶらな両目に、涙を浮かべてしまっていた。健気にも、ほどがある・・・。僕はまるで十代に戻ったかのように、キュンキュンと胸を締めつけられるのだった。

 僕にしな垂れかかる、半裸の美女。性格は素直そのもの。この子とイチャイチャしながら登っていられるなら、一生2階に辿り着かなくてもいいとさえ思ってしまった。それでも14段ほどで、普通に2階に到着する。襖の個室が並んでいる。その一つを遥香さんが明けると、四畳ほどの狭い座敷の部屋に、布団が敷いてあった。

「私、向こうの洗面所でシャワー浴びてきても良いかな? ・・・さっきも、変なオジサンに体を舐められちゃった。綺麗な体で貴方のモノになりたいの。」

 1階で最初に接客してくれた時の、丁寧で慎重な姿勢とは違う、心を開ききった様子のカジュアルな喋り方。僕はここ20分程度で、桐生遥香の色んな顔を見せてもらっている。ひょっとしたら、裸以上に、そのことが貴重なのかもしれないという気がした。

「う、うん。・・・行っておいで。」

 ジェントルマンを装いながら、僕は腕時計をチラッと見る。遥香さんのシャワータイムは、さっき須賀野さんが言った、30分に含まれているのだろうか? 居酒屋経営を第一に考えている大将だったら、給仕さんの戦力ダウンとなる、「お2階」時間は短い方がいいだろう。でも30分5千円なら、シャワーに6分かかったら、僕の千円が飛んでいくことになる・・・。とことんケチな計算をしてしまう自分を宥めるように、僕は部屋の中を見回してみた。そして明かりのスイッチの下に、「お2階のおしながき」と書いてある貼り紙に気がついた。

 本日のおしながき
 1. 熱愛中の恋人
 2. 発情期の子猫
 3. 無反応のお人形
 4. 性教育家庭教師
 5. 従順な性奴隷
 6. 意識は正気、体は言いなりロボット
 以上

 大将の直筆だろうか。筆ペンで書かれたらしい、なかなか達筆の文字が並んでいた。和紙にこんな内容が達筆でしたためられている、という光景がなかなかシュールだと思った。

 スーッ。

 襖が開く。その瞬間、バスタオルを体に巻いた、清純派レポーターが僕に飛びついてきた。

「寂しかった〜っ。遥香ね、貴方と少しでも離れているのが嫌で、急いでシャワー浴びてきたの。ゴメンね、せっかちで。遥香のこと、嫌いになった?」

 控えめな女性だと思ってきたけれど、今日僕が目にする「恋人の」遥香さんは、意外と良く喋ってくれた。

「い・・・いや、嫌いにはならないよ。」

「嬉しいっ。ずっと一緒にいようねっ。遥香のこと、捨てないでねっ。ねっ。」

 僕をギュウギュウ抱きしめて、頬に何度もキスをしてくる遥香さん。いつの間にかバスタオルは畳の上に落ちていた。

 遥香さんの髪が僕の顔にかかる。僕は「行儀悪い」とは思ったけれど、首を伸ばして遥香さんの髪の中に顔を埋めて、クンクンと匂いを嗅いだ。犬みたいな仕草だと我ながら思うけれど、遥香さんはくすぐったそうに、そして嬉しそうに僕を受け入れてくれる。

 シャワーを浴びても、女性が頭を洗う時間は与えられていないのか、ストレートの髪はほんの少し湿った程度。その遥香さんの頭は何層にもまざった奥深い香りを発していた。居酒屋の焼き鳥や煙草の匂い。対照的に清潔感溢れる、シャンプーの匂い。そしてその下から醸し出される、働いてる大人の汗の匂いと、さらに微かに香る、女の人の匂い。僕はまるで匂いに飢えたフェチな男のように、遥香さんの頭皮に鼻先を押しつけたまま、無遠慮に深呼吸をしていた。

「もう・・・、ちょっと、恥ずかしいよ・・・。貴方にこんなことされるんなら、頭も洗っておけば良かったよ〜。」

 顔を赤らめながら、少し甘えたような声を出す、桐生遥香。理知的なレポーターも、「最愛の恋人」を前にすると、こんな素顔を見せるんだ。・・・これまでにも、彼氏とこんなラブラブな時間を楽しんできたのだろうか。そう考えると、僕は不意に嫉妬の炎が胸を熱くするのを感じた。

「遥香。・・・これまでの彼氏にも、こんな顔を見せてきたの?」

 僕が少し意地悪な質問をすると、遥香は口をすぼめて下を向く。

「今は・・・貴方だけ・・・だよ。」

「さっきから、貴方、貴方って、・・・遥香、恋人である、僕の名前、忘れちゃったの?」

 酒の力も借りてか、憧れのお天気お姉さんを言葉でいじめる僕。「うっ」と声を出して言葉に詰まった彼女は、記憶を懸命に探るような表情をしながら目を泳がせて、見る間に花がしおれるように、気落ちしてしまった。

「ごめんなさい・・・。私・・・、どうして? ・・・・恋人なのに・・・、貴方の名前・・・。こ、こんな失礼なこと・・・・。本当にゴメン。」

 泣き出しそうな桐生遥香。僕はやっぱり彼女のことが可愛そうになって、裸の彼女をギュッと抱きしめた。僕の名前、教えていないんだから、知らないのは当たり前だ。むしろ、急に僕のことを「最愛の恋人」だと思い込んでいることの方が、異常な現象なんだ。

「もう、いいよ。誰にだって、度忘れすることぐらいあるからね。僕はこんな綺麗なオッパイ、一生忘れないと思うけど。えいっえいっ。」

「あっ・・・・。はぁっ・・・・。ぁあんっ・・・・。」

 僕が形のいい遥香のオッパイを、少し強引に鷲掴みにして揉み上げる。遥香は僕への熱愛の表現か、それとも名前を忘れてしまっているという罪悪感からか、僕にされるがままになって、軽く目を閉じた。熱い吐息が漏れる。全国区のテレビ番組で朗らかに天気予報を伝えていた、才色兼備のスーツ美女が、今は僕の前で生まれたままの姿になって、オッパイを両手で揉みまくられている。それどころか、僕の前で、感じている顔を隠そうともしない。始めてきた居酒屋の2階で、僕は現実離れした状況に放り込まれて、普段の臆病な性格を失ってしまったような気がした。どこまでが本当で、どこからが嘘の世界なのか。これが僕を騙す企みだとしたら、いったいどこからが仕込みなのか。そんな猜疑心も自ら吹き飛ばして、僕はこの、夢のような展開に見も心も委ねきって、飛びつくことにした。

 左の手を遥香のスベスベした背中から腰、お尻にまで伸ばして、円を描くようにお尻をさする。右手はムギュムギュと、白くて柔らかいオッパイを揉み続ける。そしてさっきまで左手で触れていた方のオッパイに、自分の唇を近づけて、乳首の先から吸いついた。乳首の弾力を楽しむように唇で甘噛みすると、微かに乳首に芯を感じる。桐生遥香の乳首が立つ。僕の女性経験に乏しい、たどたどしい愛撫に反応して、遥香の体がオンナの反応を返してくる。そのことが、僕の股間を固くした。全部、彼女が恋人に返す反応の再現かもしれない。彼女は本当は、名前も知らない僕に反応もしていないのかもしれない。けれど、今の熱い吐息は嘘ではない。今だけはこのオッパイは僕に差し出されている。左手を前に回して、下からアンダーヘアーを掻き分けると、桐生遥香の大事なところが、温かく湿っているのもはっきりと分かる。彼女は今、紛れもなく、僕のものなのだった。

 僕が勝ち誇ったように非力を振り絞って彼女を抱きかかえる。遥香が小さく「きゃっ」と叫ぶが、手足は僕にされるがままになっている。体を捻る。相撲の決まり手みたいに、僕と彼女は組み合ったまま、布団の上に重なって落ちた。

「あっ・・・あの・・、優しく・・・。」

「ん?」

 酔いのせいだろうか、いつもの僕は、こんなに自信満々じゃないのに、今日だけは憧れのマドンナの両目を、間近からはっきり覗き込んだ。

「うんん・・・何でもないの・・・。貴方の、好きにしてください。」

 それだけ言うと、遥香はまたうっすらと目を閉じて、顎を上げて、僕に唇を差し出した。その瑞々しい唇を僕は銜え込んで舌で舐め回す。裸の遥香に乗っかったまま、舌を彼女の口の中に押し込んで、強引にディープキッスを始めた。遥香は嫌がらない。少しずつ自分の舌を僕の舌に絡ませながら、僕を抱きしめる腕の力を強めてきた。唾液が彼女の頬を顎をつたう。僕が荒っぽく自分の作務衣を剥ぎ取り始めると、彼女が小さな紐を解くのを手伝った。そして作務衣の下。彼女の仕草は、慣れていない様子で、多少ぎこちなく、向かい合う恋人の脱衣を手伝った。僕は遥香のたどたどしい、それでも決意のこもった脱衣の手伝いを待っていられない。まだ上着が左の肩に、ズボン部分が右の膝に、そしてトランクスが左の足首に引っかかっているのも構わずに、腰を落とす。左手で強引に彼女の膝を開かせた。

「恋人に隠し事なんて駄目だよね・・・。全部見ちゃうよ。」

「は・・・はいっ・・・。遥香の全部、見てっ。」

 うわづった声で、ニュースのレポーターさんが懇願する。僕は彼女の答えに満足しながら、息を飲んで身を屈める。布団の上に立てられた両膝の間。アルファベットの「M」の字に開かれた彼女の足の間には、黒々としたアンダーヘアーと、その隙間から秘密の粘膜が見え隠れしていた。滑りの良い粘液がヘアーを僅かに内腿に貼りつかせている。僕がそのヘアーをさらに選り分けて、指を開く。小豆色の割れ目の口が、クパッと遠慮がちに開いた。

「・・・っつっ・・・・。」

 彼女が、かすれるような音を唇から漏らす。僕は少し臆病になって手を引っ込めたが、桐生遥香は体を動かさない。足も閉じず。僕の手を押さえることもなく、僕の次の行動を・・・ただただ従順に待っていた。潤んだ目で僕を見ながら。その視線の熱を感じて、僕は確信した。恋人なんだ。愛を交わす。体で繋がる。当たり前のこととして、遥香は僕を待っているんだ。そう思ったら、怖がる気持ちは消えた。僕は両膝を開きながら布団に乗せて、いきり立った自分のモノを、彼女の大人しそうな割れ目の口に、ゆっくりと入れていった。

「はぁっ・・・嬉しいっ・・・。」

 遥香は息を荒げて眉をひそめる。それでも下半身には力を入れない。僕を受け入れて、根元まで銜え込んだ桐生遥香のヴァギナ。やっと彼女の腰が、おずおずと動き出して僕のモノを愛おしげに締め付ける。僕も腰を押し出したり、引き戻したり。二人の動きと呼吸が合ってくると、遥香の顎がそれに合わせて上下した。全国放送でお天気を語っていたお姉さんが、僕の下で悶え、喘ぎ始めている。僕が狂ったように腰を振り始めると、彼女もそれに合わせて腰を突き合わせて、空気が抜けるような高い喘ぎ声で鳴いた。白い肌が桜色に染まる。きめの細かい若い肌に、小さな玉のような汗が浮いて、彼女の体を舐めるように流れていく。その上にボトボトと落ちるのは僕の汗。2人の汗が渾然一体となって流れていく。二人の唾液も下半身の体液も、混ぜ合わされるように一緒になっていく。

 そして僕の下半身の疼きがイチモツの根元あたりに集まって、そこから亀頭まで、快感が絞り込まれるようにモノを膨れ上がらせる。遥香の膣壁に締め付けられて、粘膜の摩擦でその快感を倍加されて、はち切れそうになる。

「あっ・・・もうすぐ・・・、イク・・・。」

「いっ・・・、一緒に・・・、お願いっ・・・・。」

 遥香の両手が僕の背中を締めつける。内腿の腱に力がこもる。女性の細い体にこんなに力があるとは思わなかった。我慢の限界に達した僕のモノが、遥香の奥深く。子宮の口にも届くんじゃないかと思われるところまで首を伸ばして、一気に溜まった精を弾き出した。僕の背中が反る。遥香は僕と抱き合ったまま、ブリッジのような体勢になって、一緒に昇天した。

「うぁあああっ、あっ・・・あはぁあああああああっ・・・、あんっ・・・あんっ。」

 髪を振り乱して、乱れながら僕を抱きしめ、よがり狂う遥香。僕は自分でも驚くほどの量の精液を遥香の中に、断続的に何回にもわたって放出した。それはまるで、しつこいほどに入念な、射精の連続だった。

 頭をキツクしめつけるような射精の快感が遠のくと、急に頭が貧血になったような虚脱感を感じて、僕は仰向けの遥香の体の上に、重なるように沈み込む。柔らかい、華奢な女の人の肉布団。気だるい放心状態は、不思議と心地良い、幸せな虚脱感だった。遥香は・・、というと、目の焦点がまるで合っていない。口をだらしなく空けて、脱力しきって放心していた。時々、ピクピクっと体を痙攣させる。遥香はまだ、天国から居酒屋の2階に戻ってきてはいないようだ。このあたり、女性の体の方が、得なのではないかと、つまらない想像をしてしまった。



「はぁ・・・・、ね、ねぇ・・・・。あの・・・、さんじゅっぷん・・・。」

 寝惚けたような声。遥香が僕を重そうに揺り起こす。彼女が指差す方向を見ると、丸い壁掛け時計が、この和室に入ってから30分経過していることを伝えたいのだとわかった。

「仕事に戻れるの?」

 僕が心配になって尋ねる。桐生遥香はまだ呆けたような目で視線を天井に彷徨わせているからだ。

「おしごと・・・もどらなきゃ・・・。しかられちゃう・・・。」

 遥香を起こそうと、両手を引っ張る。体を90度起こした彼女は、僕が手を離すと、そのまま布団に上体をバタンと倒してしまう。壊れたリクライニングシートのようだった。

「こし・・・ぬけちゃった・・。でも・・・おしごとぉぉ・・・」

 甘えた声でベソをかく、元マジメなニュースレポーターをあやすようにして、僕が彼女の仕事の準備を手伝う。足首にショーツを通して、膝まで、そして腰骨まで引っ張り上げる。ブラジャーは、細かい手順が面倒だったので、適当にカップをオッパイにかぶせておく。作務衣とエプロンと三角巾は面倒だったので、三つ折りにして彼女のお腹の上に置くと、とりあえずバスタオルで体を包んであげた。僕もまだ放心状態で、木目の細やかなサポートなんて出来ない状態だったからだ。

「立てる?」

「まだ、立てない。・・・抱っこぉ。」

 両手を差し出して、甘える遥香を抱きかかえると、僕はあわてて「勤務中」のウェイトレスさんをお姫様抱っこした状態で階段を降りた。



「遥香ちゃん、『お2階』お疲れ〜。・・・なんだけど、その格好は、ちょっとお客様に、甘えすぎじゃない?」

 京花と呼ばれていた女子高生のウェイトレスさんが、年上の後輩である遥香に、少し冷めた視線を送って注意する。

「あっ、京花先輩、ごめんなさいっ・・・・。・・・はっ・・・お客様っ・・・。大変失礼しましたっ・・・・。」

 腰の立たない、甘えん坊の恋人だったはずの桐生遥香は、1階に戻ると我に返って飛び起きた。その拍子に、バスタオルも、適当に畳まれていた作務衣もブラジャーも床に落ちて、遥香はパンツ一丁の姿になってしまった。

「きゃっ・・・やだっ・・・。し、失礼しました〜。」

 まだフラフラしながら、遥香が厨房に駆けていく。ペコペコと頭を下げて、オッパイを揺らして駆ける彼女を、常連客たちは笑って見送る。

「遥香ちゃん。こっちにお通しまだ来てないよ。あと、濁り酒ちょうだいっ。目印もよろしくっ。」

 新たに来た常連らしきオジサンが、注文の追い討ちをかける。多少空気の読めていない、しつこいタイミングでの注文だったが、遥香は立ち止まって振り返ると、懸命に身を縮めながら、ショーツを脱いでその席に置き、全裸で厨房に引っ込んだ。


「お通しと、お飲み物ですぅ。お待たせしました。」

 厨房から出てきた桐生遥香は、替えの作務衣ではなく、シースルーの肌襦袢姿で、お盆に小鉢と徳利を載せて来ていた。作務衣はそれほど着替えが揃っていないのだろうか。桃色の肌襦袢はほとんど中身が透けてしまう薄い生地。おまけに腰丈が短くて、マイクロミニほどの丈の長さだった。常連のうちの一人が、後ろから遥香を指差す。

「ありゃ、遥香ちゃん。『お2階』で頑張ったのが漏れてきちゃってるよ。」

 店内のオジサンたちの視線が遥香の下半身に集まる。肌襦袢が隠し切れずに、ほとんどさらされてしまっている遥香の股間からは、ついさっきまで僕が放出していた、白い粘液がタラタラと内腿をつたって流れ出てしまっていた。

「やだぁ〜・・・、ごめんなさい〜っ。」

 隠すように内股でへたり込む遥香。怒る先輩ウェイトレスさんたち。酔った店内のオジサン客たちは爆笑している。股間から男の精液を垂らしながら給仕されたお客は、お通しの白子ポン酢と濁り酒をテーブルに載せられて、微妙な顔をしていた。そして端で見ている僕は、遥香と一緒に顔を赤らめていた。



。。。



「京花ちゃん、今日、彼氏とデートの予定だったんだって?」

「そうなんですぅ〜。彼、大学のサークルで幹事をしてて。忙しいから、なかなか予定が合わなくて、今日は久しぶりのデートのはずだったのに、呼び出しくらっちゃってー。」

 ハゲ頭の常連客に愚痴ってるのは、女子高生のウェイトレス。長谷部京花という名前らしい。今時の子らしく、父親以上くらいの年齢のオジサンたちに対しても物怖じしない。社会人だった桐生遥香よりもよっぽど、世慣れた雰囲気だ。唇が厚くて顔は童顔。体つきはなかなか発育のヨロシそうな雰囲気だった。

「じゃー、京花ちゃんのこれは、勝負下着だったわけだ。」

 指にひっかけてクルクルとブラジャーを回しているのは、カウンターから振り返って話しに入ってきた、野球帽のオッサン。大ぶりのブラは紺色の生地に黒のフリル。確かに女子高生の普段使いとしては、派手に見える。

「もー、早く、目印返してくださいよ。キタさん。私は勝負下着なんてチャラいこと、しないっすよ。こう見えても、奥手なんですって。」

 京花の反応にオジサンたちの苦笑が漏れる。僕の向かいで飲んでいる須賀野さんも、手を「イヤイヤ」と泳がせながら僕に笑いかけた。

「京花ちゃん。高野豆腐一つ。柔らかめね。」

「はいっ。ありがとうございまっス。固さ、どんなもんにしましょう?」

 注文を受けると、京花がすぐさま飛んでいく。手を上げたオジサンの前に跪くと、作務衣の前を両手で掴んでグッとはだけると、Eカップはあろうかというオッパイを、ボロンとこぼれさせた。注文していたオジサンが、何の躊躇もなしに、オッパイに手を伸ばしてムンズと掴む。指の又からこぼれ出るオッパイの肉の様子から、そのムチムチした弾力が想像出来る。

「こんーなもん、かな?」

 乳首の周り、ピンク色の乳輪を摘み上げるようにしてオジサンが注文を完了する。その間も、周りのオジサンたちはよく京花に話しかける。

「・・・で、彼氏とどうなんだっけ? 夜も若さ爆発で頑張ってるの?」

「だから、違いますって、私、よく見た目から軽く見られるんですけど、今の彼が始めてのお付き合いだし、意外とマジメなんですって。男の人も知らないんですよ。・・・こんなこと言いたくないけど、そこそこ家が金持ちのお嬢なんスよ。」

 オッパイを揉まれたり摘まれたりしながら、京花があっけらかんと接客している。どうにも台詞と行動とが合わない、シュールな光景だった。

「あの、長谷部京花ちゃん。お嬢様育ちっていうのは、本当のことだよ。都内の女子高に通ってて、体育会系の部活育ちだから、言葉や態度はあんまり令嬢っぽくないけどね。」

 須賀野さんが、僕に耳打ちしてくれる。

「そうなんですか・・・。じゃ、男を知らないっていうのも?」

「もちろん、ここの店での仕事の間は、そんなこと言ってられないよ。京花ちゃんは若いし体力あるから、引越し屋のアンちゃんたちが打ち上げで2階使った時には、一晩で12人までお相手したっていう記録を保持してるくらいだよ。ただ、プライベートでは本当に処女みたいだね。・・・こういうの何て言うんだろうね? 素人童貞に対して、素人処女?」

「一晩12人? ・・・プライベートでは処女? ・・・・なんか、彼女もまた、ぶっ飛んでますね・・・。」

 厨房に注文の説明をする際に、懇切丁寧に板前のバイ田さんに自分の乳輪を摘ませている京花ちゃんを見ていると、口は悪い今時のギャルだけど、性格は真っ直ぐな子なんだと思えてきた。何より顔は童顔で文句なしに可愛いし、ポッテリとした唇から出る、少し鼻にかかった声がセクシーだ。そして迫力のバストとヒップ。客あしらいの巧さもあって、オジサン人気は如何にも高そうだ。

「京花ちゃーんっ。こっち、ポテトフライとアジフライお願い。あとハイボール。」

「はーいっ。・・・って、チョーさん、また揚げ物ばっかりだと、血糖値上がっちゃうんじゃない? ・・・大根サラダも1つ・・・と。」

「ちょっと、勝手に注文追加しないでよ。」

「えっへっへ。」

 舌をペロッと出しながら、強引に注文を書き足していく京花。勝気な性格と愛嬌は、やっぱり居酒屋の雰囲気に良く合っている。

「そう言われてみれば、ちょっと体の悪いものが溜まってきちゃってるのかも・・・。このままじゃ、味に集中出来ないから、京花ちゃん、パイずり一発頼むよ。」

「す、ストレート過ぎんでしょっ。チョーさん。さすがに、まんんまエッチな注文は、お2階でお願いしたいんスけど・・・。」

 中高年の老獪な反撃にあって、ちょっと怯む女子高生。これはなかなか見ごたえのある攻防だ。僕は、そこここで浮ついた盛り上がりを見せる店内で、京花ちゃんのやり取りに注目していた。

「お2階は本番とかエロ行為そのものの場所でしょ? 僕がお願いしてるのは、料理をちゃんと味わうために、一発抜いてっていうお願い。これはセーフじゃない?」

「いやいやアウトでしょー。」

 チョーさんと呼ばれたオジサンと、京花ちゃんとが拝むように厨房を振り返る。無口な大将は包丁をまな板に置いて、少しのあいだ腕組みした後、両手を胸の前でバッテンを描くようにクロスさせた。

「ほらぁ〜。」

 京花ちゃんが飛び跳ねようとした瞬間、対象の両手が水平に開く。野球の塁審が見せる、セーフのポーズだった。

「よっしゃー! あたた。」

 拳を振り上げて、立ち上がったチョーさんは、腰をポンポンと叩きながら、いそいそとチャックを下ろし始める。京花ちゃんが両手で頭を抱えてしゃがみこんだ。

「もーぉぉっ! ・・・彼氏が家で待ってるんだってばぁ〜っ。バカバカッ。」

 ブーブー文句を言いながら、立ち上がって作務衣に手をかけると、ムンズとオッパイを剥き出す京花ちゃん。このあたりの気風の良さは堂に入っている。居酒屋のカウンターでジイサンがチ○コを出しているところなんて見たくないので、僕は一瞬目を逸らしたが、すぐに京花ちゃんの豊満なバストの谷間の奥深くに埋められてしまったようだ。

「もぉ・・・、チョーさん、アタシ他のお客さんもお給仕しなきゃいけないんだから、早くイってよー。」

 パイずりをしながらもブツクサ文句を言う京花ちゃん。チョーさんはまるで全身風呂にでも浸かっているように、至福の表情でヌル燗をチビチビやっていた。

「今日は長谷部、暖簾くぐって早々に文句垂れてやがったろう。ちったぁ反省しろ。」

 寡黙な大将がボソッと口を開くと、意外と低くて通る声が、ここの席まで聞こえてきた。京花ちゃんはパイずりを続けながら、またふくれっ面を作って、カウンター裏の大将に顔を向ける。どんな表情を見せているのか、大体想像出来た。



。。。



「やだ・・・なんか、このお店。ちょっとガラが・・・その、客層も・・・悪くないかしら? ・・・充君、いつもこういうところで飲んでいるの?」

 敷居の向こうから、女の人の、冷静な、不快さを覆い隠すように自制の限りを尽くした、あくまでも冷静な声が聞こえてきた。

「ん・・・、ま、まぁ、その、・・・今日はちょっと、変な雰囲気だね・・・、でも、料理がとにかく美味しいから。」

「料理は、いいんだけど・・・。」

「そ、それより、義姉さん、アンケート書いてよ。この店の雰囲気が変だったら、それを書けばいいんだし。・・・もし、アンケート答えるのも嫌だったら、ここに名前書くだけでも良いからさ。」

「名前だけ? ・・・良くわからないわ。・・・どういうことかしら?」

「い・・・いや・・・、その・・・。」

 可愛い店員さんたちがエッチなサービスを惜し気もなく提供してくれる、夢のような居酒屋で、唯一、気まずい雰囲気満載の席。いつの間にか、僕と須賀野さんの隣には、そんなお客さんたちが入っていたようだった。

 僕が敷居から顔を出して、そーっと隣の席を除いてみる。薄手のカーディガンを着た、上品そうな若奥さんが、居心地悪そうに座っていた。向かいに座るのは、自信なさげに座り込んで、貧乏ゆすりをしている地味目の青年。一目で2人に血縁関係は無いんだろうということがわかった。

「充君、主人は・・・、悟お兄さんは、貴方のことを心配しているのよ。大学に通わないで下宿先に塞ぎ込んじゃって、今年も留年なんてことになったら、お義父様もお義母様も悲しむと思うわ。それは、もともと酒田家の人間じゃない私にあれこれ言われるのは、充君も嫌かもしれない。でも、もしかしたら、血縁じゃない私だからこそ、いい距離でサポート出来ることがあるかもしれないって思ったから、今日のお誘いをお受けしたの。」

「うん・・・。それは本当、ありがたいと思ってる。」

 若奥様は、懸命にトーンを抑えて、お説教っぽく聞こえないように配慮をして話しているのがわかる。それでも、充君と呼ばれるこの青年には、どうしてもお説教に聞こえてしまうようだ。青年の貧乏ゆすりが止まらない。

「だけど、ゆっくり話が出来るお店でも無いでしょ、ここは? ・・・お料理が美味しいのも良いけれど、今の私たちは、もっと落ち着いた場所で、大事なお話を、真剣にするべきじゃないかしら?」

「うん・・・うん・・うん、うん、うん。・・・・ごめん、お義姉さん。すぐ店を出るのでもいいから、・・申し訳ないけれど、ここのアンケート用紙に、名前だけ書いてくれる? 別に、僕のメモ帳にでもいいから。」

「どうしてなの? 理由が知りたいわ。」

「うっ・・・その・・・。それは・・・。」

 キッと真っ直ぐに「充君」を見据える若奥様。この人は多分、誰にも恥じることの無い、真っ直ぐで明朗快濶、模範的な人生を歩んできたんだろう。そんなつもりがなくても、充君のような青年をその「正しさ」で圧迫している。・・・何となく、充君の実家の雰囲気を想像して、彼に同情したくなったのは、僕も人生の裏街道をコソコソ歩いてきたからだろうか?

 僕は無意識のうちに、須賀野さんを見ていた。もしかしたら、このオジサンが、隣の席の充君に、何か助け舟を出すかもしれないと思ったのだ。それでも、須賀野さんはただしつこく、金目鯛の煮付けを突いていた。もう頭と骨くらいしか残っていない、煮付けのお皿だ。

「・・・その、ここのお店に訪問したお客さんが、名刺とか、アンケートとか、何か名前を残すと、その、お店から500円、募金が送られるんだ。・・・東北とか九州の地酒を沢山扱ってきた、大将が、恩返しにって・・・そういう活動をしてて・・・。僕も、その、大学行かずに、ただ遊んでるわけじゃなくって、最近ちょっと、ボランティアとか・・・、興味が出てて・・・。」

「え・・・、そうなの?」

 若奥様の口調が変わる。しばらくポカンとして充君の様子をジッと見ている。まだ半信半疑の様子ではあったが、明らかに、さっきまでの詰問調の雰囲気は無くなっていた。

「あの、ごめんなさい。わたし、充君のこと、良く分からずに、勝手な決め付けをしていたのかもしれないわ。アンケートは・・・、料理もお飲み物もまだ分からないけれど、とりあえずお店の雰囲気は、・・・困っている人を助ける募金活動に似つかわしい雰囲気じゃないっていうことだけは、書かせてもらうわね。・・・酒田美代子。ほら、名前も書いたわ。これで良いかしら?」

 表情が和らぐと、ノーブルな顔立ちが際立つ。とても綺麗で清楚な雰囲気の若奥様。右目の下に泣きボクロがある。服装や仕草はセレブな生活を思わせるものだった。

「あ、ありがとう。義姉さん。・・・あの、店員さん。これ、お願いします。」

 緊張で声がうわづった様子の充君が店の人を呼ぶと、バイ田さんが出てきて紙を受け取っていく。店内はウェイトレスさんの需要が沸騰している。2階でシャワーを浴びたり、お手洗いで口をゆすいだりと、綺麗なお姉さんたちは給仕の合間も大忙しの様子だ。

 僕の方に背を向けて座っている充君の、後頭部がコソコソと角度を変える。キョロキョロと、周囲や目の前のお義姉さんの様子を伺っていることが丸わかりだ。

「どうしたの? 充君。・・・何か頼む? ・・・それとも、さっきの紙を渡したら、もう気が済んだのかしら。」

「いやっ・・・、その、もうちょっとだけ、いても良いかな? さすがに何にも注文しないで、募金だけお店にお願いするのも・・・、ね。・・・おーいっ。こっちにビールくださいっ。お義姉さんもビールでいい?」

「スパークリングウォ・・・。炭酸水を頂けるかしら? ここのお店では、お酒は辞めておくわ。」

「お姉さーん、キリンと炭酸水、お願いします。」

「はいはーい。ありがとうございます。」

 返事をしたのはミカさん。また上半身裸になって、左手で両胸を隠しながら右手を挙げて笑顔の応対。左手からは、隠しきれない豊乳がほとんど顔を出している。そのミカさんの腰には後ろから酔ったオッサンが抱きついていた。美代子さんというらしい、若奥様が、また気まずそうにその光景から目を逸らす。また少し、この席の雰囲気が悪くなった。

「ご・・・ごめんね。義姉さん。・・やっぱり、お店出る?」

 雰囲気に耐えかねて、充君という青年が中腰になる。

「・・・一杯飲んでから、帰るんでしょ。・・・いいわよ、待ちましょう。」

「でも、義姉さんが、本当に嫌だったら、無理に残る必要は・・・、あぁっ。」

 要領の悪そうな充君が腰を浮かせて足で腰を引いた瞬間、机の手元に置かれていた「突き出し」の小鉢が横倒しになる。中身がテーブルから床にまで零れてしまう。

「あらっ・・・もうっ。充君。そのまま、動かないで。」

 若奥様が席を立ち、駆け寄ってお手拭きで充のズボンを叩く。テーブルの小鉢を直してこぼれている白子ポン酢を拭き取ると、充のお手拭きも手にして、丁寧に床も拭く。両膝をついて丹念に床を掃除している姿は、先ほどまでのお店に嫌悪感を見せていたセレブ妻とは、ほんの少しだけ様子が変わっていた。

「ごめん、お義姉さん。店員さんに掃除してもらおう。」

「いいの。私たちが汚したのだから、私たちが、綺麗にしないと。」

 気まずそうに、そのくせ自分では立ったままで、オロオロと事態を見守る充君。本当だったら、自分で率先して掃除した方がいいのに、この世慣れない感じ・・・。なんだか僕は、自分の学生時代を思い出してしまった。

「も、もう、いいと思うけど・・・。」

「駄目・・・。来た時よりも綺麗にして、帰るのが基本でしょ? ・・・充君も、ボランティア活動とかに興味を持ってるっていうんだったら、ちゃんとそういうことにも、気を遣えるようにならないと、駄目よ。」

「義姉さん・・・。いいから、手を止めて、立って。」

「え? ・・・いいけど・・・。」

「・・・その・・・、右足を上げて、片足で立ってみてよ。」

 キョトンとした顔で、充を見る若奥様。

「なんで・・そんなこと・・・。・・・・こう、かしら? ・・・・これでいいの?」

 美代子さんは、充の顔を訝しげに覗き込みながらも、言う通りにする。なんだかお互いにお互いを探りあっているような、ぎこちない瞬間だった。僕はそれを固唾をのんで見守る。遥香から聞いた、初めて彼女がこのお店に来た時の様子と似ている気がするのだ。だとすると、これから起きようとしていることは・・・。そう考えると、敷居にかけた手に、自然と力が入っていた。

「義姉さん・・・。その、暑くない? ・・・カーディガン、脱いだらどうかな?」

「別に、暑くなんかないけど・・・。えぇっと・・・。お洋服はここに架ければ、いいのかしら?」

「義姉さん、・・・じゃ、今度は・・・、僕に・・・キ、キスしてみてよ。」

「何を言ってるの? ・・・私には夫がいるの。貴方のお兄さんでしょ・・・。そんなこと、絶対に・・・。絶対に、内緒にしておいてね。」

 気色ばんだ若奥様が、途中から妙に自信がなさそうになって、フラフラと充に近づく。まるで吸い寄せられるように充の胸元に倒れ掛かると、震える顎をあげて、薄く両目を閉じる。若奥様の方から、義理の弟君にチューをしてしまった。

「義姉さん。・・・どうして、こんなことしてくれるの? ・・・嫌だったら、このお店から、出ても良いんだよ? ・・・もし、このお店に残っていたかったら、残りの服も、全部脱いでよ。」

 美代子さんが首を横に激しく振る。両手で充君の胸を押して、自分の体を少し離すけれど、目が泳ぐ。震える両手が、襟元のボタンへ伸びていった。

「どうしてって・・・、その・・・、ほら、充君に、ボランティアの、大変さとか、覚悟を、ちょっと、教えたくなって・・・。でも、・・・こんなこと・・・。絶対に駄目・・なのに。」

 ボタンを一つずつ外していくと、胸元から光沢のある素材の淡いレモン色のブラジャーが顔を出す。スレンダーな体つきで、小ぶりなブラジャーだけど、胸の形は綺麗に見える。鎖骨の下にも、右目下の泣きボクロと同じくらいの大きさのホクロがあった。色が白いせいか、よく目立つ。

「ちょっと、やだ・・・。むこうを向いてて。・・・充君。見ないで。私のこんな、はしたない姿・・・。」

「ビールと炭酸水でーっす。・・・おっ・・・、綺麗なお姉さんと盛り上がってますね。・・・お兄さん、ちなみに今ならお2階にも空いてる部屋、ありますからねー。」

 軽いノリの京花ちゃんが、持ってきた飲み物をテーブルに置いていく。さっきまで、軽蔑の視線で見ていたウェイトレスさんの前で肌を晒してしまっている自分に気がついて、美代子さんは慌てて京花ちゃんに背を向ける。それでも、スカートのチャックを下す手は止まらない。

「こんな・・・こと・・。絶対に、主人やお義父様、お義母様には、言わないでね。・・・私、酒田の家にいられなくなっちゃうわ・・。」

 困った声を出しながら、脱いだ服を丁寧に畳んで、皺にならないように気をつけながら敷居に懸ける美代子さん。僕が寄りかかっている敷居に架けられた衣服から、高級そうなパフュームの香りが漂った。不意に、空港の免税店とか通り過ぎる時の匂いを思い出した。ブラジャーとショーツだけの、下着姿になって、所在なさげにモジモジと立ちすくむ美代子さん。華奢でスレンダーな体つきは、まだ20代後半くらいの年齢を思わせた。家の外。それも酔っ払いが騒いでいる居酒屋で下着姿を晒している美代子さんは、真っ赤な顔で落ち着かない様子。さっきまでの自信と確信に満ちた人生勝ち組の奥様、っていう威厳はすっかり消え失せてしまっていた。

「これで・・・充君は満足、してくれるのかしら?」

 お義姉さんの声が耳に入らないような様子で、目の前の美しい裸体を上から下まで凝視しつくす充君。しばらくの沈黙の後で、やっと震える唇を開いた。

「ずっと・・・、見たかったんだ。お義姉さんの裸。・・・普段だったら、部屋着の姿だって、こんなに間近で思う存分見つめることだって出来ないから。・・・凄い。綺麗。・・・触っても良いよね?」

 最初のうちは掠れていた充君の声は、何度も唾を飲み込んでいるうちに、力がこもってきた。感情移入しているせいか、覗き見している僕にまで力が入ってくる。充君の言う通り、美代子さんの裸は後ろ姿だけでもゴージャスで色っぽい。ふくよかで優しいお尻の曲線まで繋がる腰のクビレ。肩甲骨から背筋に沿って背中の真ん中を走る僅かな窪み。ほっそりとした肩を支えるスベスベしていそうな白い背中。モジモジして体を隠そうとする美代子さんが動くたびに、肌の下で華奢な骨格が動く。肌が捩れる。適度なお肉が震える。耳の後ろまで赤くなっている美代子さんは、手で体の前の部分を出来るだけ隠そうとしているけれど、それでもしゃがみこんだり、踵を返したり、逃げ出したりするわけではない。まるで、充君に恥ずかしがっている自分ごと、裸を目で楽しませてあげているみたいだった。

 そう、それが美代子さんの本当の意志ではないとしても、美代子さんは今、無意識のうちに充君を精一杯喜ばせてしまっているようだった。

「触っても、・・・良いよね?」

 充君がもう一度問いかけると、美代子さんは顔を逸らして、目をつむりながら溜息を漏らす。それを許可と見た充君が、手を伸ばして、オッパイに触れる・・・。と、思ったら、オッパイを隠そうと腕を交差させている美代子さんの、二の腕を人差し指で押すところから始めた。・・・どれだけ慎重なんだろうか。しばらく美代子さんの二の腕の感触を楽しむようにツンツンしている充君を見ていると、なんだか本当に昔の僕自身を思い出すような気がした。

「はぁっ・・・。だっ・・・駄目っ。」

 許しを乞うような、色っぽい声を美代子さんが出す。充君がやっとオッパイに手を出したみたいだ。

「義姉さん。ここは主に男のお客さんを、料理やお酒と一緒に女性の店員さんやお客さんも、みんなで楽しませるためのお店だよ。義姉さんも僕をもっと楽しませてよ。腕は背中で組んで、もっとオッパイをこっちに突き出してよ。」

「も・・・もう・・・、そんなこと・・・できるわけ、・・・ないのに・・・ほんとうは・・・。こ・・・こう?」

 美代子さんが迷いながら、両腕を後ろに回して、腰のところで組む。顔を横にそむけながら、体は真正面の充君と相対したまま、諦めるように背筋をグッと伸ばした。突き出された豊満そうな胸に充君の手が伸びる。さっきよりも格段に不躾になった動きで、義理のお姉さんのオッパイをワシ掴みにする学生君。セレブな若奥様は裸の背中をビクッと反らした。

「ふふふっ。凄いや。お義姉さんのオッパイを好き放題だ。ほらっ。兄さんもこんなに乱暴にはモミモミしてないんじゃない? 正直に答えてよ。」

「そっ・・・そうね。悟さんは紳士だから・・・。もっと優しいわ。結婚する前は、もっと荒々しい時もあったけど、私が恥ずかしがると、もっと丁寧に私を喜ばせるために、触ってくれたわ。こんなに執拗なのは、たぶん充君だけ・・・。た・・、楽しんで・・・、もらえてるかしら?」

「最高だよ。お義姉さん。このお店では義姉さんは兄さんのモノじゃないんだ。このオッパイも、このお尻も、・・・ここも。みんな、僕のモノ。・・・僕たちのモノなんだ。ほらっ。もっと僕を楽しませたいでしょ? ・・・お2階に行こうか?」

 充君は全身で美代子さんの体に絡みつくように、手当たり次第にモミしだいて、撫でまわして、吸いつきながら喋る。美代子さんは、どんどん力を抜いていって、充君にされるがままになっていった。時々表情が僕からも見えるけれど、その美貌は陶然としていて、快感に酔っているように見えた。

「お2階に行けば・・・、貴方がもっと楽しんでくれるの? ・・・私に・・・貴方を、もっと喜ばせることが出来るなら・・・。はぁんっ・・・。美代子は、お2階でも、どこでも・・行きます。」

 我慢出来ない様子の充君が、お義姉さんの体を、生まれたままの姿のまま、引きずるようにして階段に向かう。美代子さんももう、周りの目なんて全く気にならないように、義理の弟と裸でディープキッスをしながら、ペッティングに夢中になりながら階段を上る。ドタドタと足音が遠のいていくと、さっきまでの熱気に当てられた僕が残されていた。

「あ・・、こちらのお客様、お2階ですね。」

 空いたグラスを片付けようとした桐生遥香さんに気がついた僕は、今の充君と美代子さんの熱が乗り移ったかのように、強引に遥香さんの腕を掴んでしまっていた。

「お・・・お客様、只今、お2階は満室で・・・。」

 僕の発情っぷりを目にした遥香さんが、若干引き気味の笑顔で応対しようとする。けれど僕は、すっかり我慢出来なくなっていた。僕の目が、手が、股間が、さっき味わわせてもらった桐生遥香さんの体をはっきりと思い出してしまっていたからだ。

「遥香さん、何度もゴメンっ。『マネキンになって』よ。」

 さっきの須賀野さんのセリフをマネる。その瞬間に、遥香さんはビーンッと手足を伸ばして硬直させて、目を見開いたまま、張り付いたような笑顔で固まった。ペッタリとした、工業的な笑顔。さっき「恋人同士」になった時に見せてくれた、はにかむようなナチュラルな笑顔とは違う。無感想、無差別に、何でも受け入れてくれるような、お人形の笑顔。今の僕はそれで良かった。即物的に、遥香さんの女の体を、好き勝手に使って、再沸騰した僕の性欲を満足させたかった。

 硬直した遥香さんの腕に角度を付けさせようとすると、しばらくの抵抗の後で、クキッとあるところまで一気に曲がる。フィギュアを扱っているようだ。肌の感触は生気に満ちた健康的な女性のままなのに。自分が何でも受け入れるプラスチック製の人形だと、全身で信じ切っているような様子だった。その体の姿勢を変形させて、テーブルに両手をつけさせて体を「くの字」に前傾させる。遥香の背後に回ってしゃがみこんだ僕が、作務衣のズボンをズルっと両手で下すと、目の前にまたあの、懐かしい丸い桃尻が現れる。ショーツが少しだけ右にズレていた。お仕事が忙しいと、下着がちょっとずれていても、いちいち直せなかったようだ。前傾姿勢の遥香のショーツに両脇から指を入れて、めくるようにして下におろす。プリンッと丸いお尻が現れる。僕はお尻の肉をギュッと掴んだ後で、パンツから右足を抜かせて、足をグッと開かせた。オブジェのようにその姿勢のまま動かない遥香。僕は作務衣の前の紐を解くために遥香の横に回り込んだ時に、彼女の顔を覗き込む。さっきの貼りついたような笑顔のまま、桐生遥香はテーブルに両手をついて、丸出しのお尻を突き上げて、足を大きく開いて僕を待っていた。顔のつくりは深夜のニュースで男たちを癒してきた天使のまま。表情はマネキン。姿勢は性具のようになって、バックからの持ち主様の挿入を待っていた。前戯も無いままに、慌てて出したモノを遥香のアソコに後ろから捻じ込む僕。幸いなのか、このお店の常態なのか、遥香の大事な部分は温かくシットリと湿っていた。奥まで挿入を進めると、ジワジワ熱い液に満たされて僕のモノを受け入れて握りしめてくれる。全身でマネキンになりきっているようでも、ここはジュクジュクとしたナマモノ。温かくて柔らかくてネットリ、プツプツとした感触が心地良い、元お天気お姉さんの膣だった。作務衣の上と下から両手を入れて、遥香のオッパイを揉みまくりながら、僕が腰を振る。僕がピストンするたびに、遥香の口から息が漏れる。口角を上げて笑顔のままで肺の空気を押し出されているので、遥香の呼吸音は、「ヘッ・・・ヘッ・・・ヘッ・・・」と、音が鳴っているように聞こえた。

 さっきの「恋人同士の」熱烈な愛の交わりとは様子の違う、一方的な性欲の満たし方。これはこれで、気兼ねのいらない、自分の快感だけに集中して好き勝手の出来る時間だった。

 時間・・・。

 ・・・そろそろ、30秒たつだろうか? 僕が大事なことを思い出した時には、硬直していたはずの女性の体は、僕の強引で自分勝手なピストンに耐え切れずに、急にグラッと体制を崩した。テーブルに突っ伏するような体制で、不安そうな遥香さんが振り返る。寝起きで状況が分からないというような表情だった。

「おっ、お客様? ・・・や、やめてくださいっ・・・。ここは1階ですっ。・・・私、どうしてはだ・・・。」

「遥香さんっ、もう一度、『マネキンになって』。」

 僕が慌てて言うと、腕の中で、元美人レポーターは体を捻った体勢のまま、またビーンッと手足を伸ばして硬直する。狼狽していた表情から、パックリと口を開けたスマイルになる。少し心配しながら、結合したままだった下半身をおずおずと突き上げる。首を捩じって僕を見たままの体勢で笑顔になっている遥香はバックで犯されていても、人形のように無反応だ。バックで繋がりながら、振り返って僕に笑顔を振りまいてくれている可愛いマネキンさん。これはこれで、僕の別の興奮のツボをついてくる。性の世界は思ったより奥深いものだと、自分でも感心してしまった。

 パンパンと腰を打ちつけると、髪を揺すって汗は垂らすけれど、表情はパキッとした笑顔のままでいる遥香を、好き勝手に犯し続ける僕。30秒ごとに正気に返って狼狽える彼女に、同じセリフを繰り返す。知性的な美人の表情とマネキンのスマイルとを何度も行き来しながら、最後はフィニッシュを迎えた僕の熱い精液を、奥の奥。子宮から溢れかえるほどしっかりと受け止めてくれた。たまたまその瞬間は遥香が正気に戻った時。訳も分からないまま、中出しされている感触だけ理解した遥香は、眉毛と口を「ハの字」に曲げて、困り果てていた。

「ど・・・どうして? ・・・あぁっ・・・あぁぁぁぁぁぁ・・・1階なのに、・・・私・・・。」

「まぁ・・・、どうでもいいじゃん? ・・・遥香さん、どうしてこうなったか、覚えてる?」

 恍惚の射精の後、あれこれ説明を考えるのが面倒くさくなった僕は、手で遥香の腰をポンポン叩きながら、適当に聞いてみる。遥香はうなだれてテーブルに伏せたまま、首を振る。後ろ髪がファサファサと揺れた。僕がモノを抜いてあげると、脱力してテーブルに体重を委ねた。

「じゃあ、しょうがない。お仕事に熱中していると、色々気がつかないうちに起きることもあるよ。・・・ほら、僕が気持ち良かったから、いいでしょ? ・・お仕事に戻ろうか?」

「・・・はい・・・。お仕事、戻らせて頂きます。・・・でも、その前に、お客様の身だしなみを、整えさせて頂きます・・・。」

 遥香さんは健気にも、悪戯でバックから犯してた僕の股間を、オシボリを持って両手で綺麗にしてくれる。まだ自分の服も一切身に着けていないのに、僕の作務衣から綺麗になおしてくれた。両膝をついたまま、僕を見上げて、上目遣いで話す桐生遥香。僕に話しかけながら、まだ納得がいかないというように、首を傾げていた。

「私、時々、こんな変なこと、お仕事中にあるんです。大事な接客中に、急に記憶が飛んで、・・・気がついたら、裸になってたり、変な・・・恥ずかしいことになっていて・・。その後は決まって、体の節々がちょっと強張っていて・・・。あの、私、何かお客様に失礼、ありませんでした?」

 純真な目で僕を見上げて、接客中失礼が無かったか、聞いてくれている清楚な元お天気お姉さん。僕はそんな遥香さんからうっかり目を逸らして、適当に相槌を打ってやり過ごしてしまった。裸で膝をついたまま、僕の身だしなみを整えてくれたあと、やっと自分の服を着る遥香さん。僕は目のやり場を探していたら、隣の席から仕切り越しに僕をみている須賀野さんと目が合った。

「須賀野さん・・・。ずっと見てたんですか?」

「若いって良いよね。今日2回目でしょ? ・・・ま、こちらもお酒が進んで、楽しかったよ。」

 ニンマリとしながらお猪口に口をつける須賀野さん。たぶん、充君と美代子さんのやり取りを、覗き見している僕もずっと横で覗き見していた訳だ。覗き見の二乗。このオジサンは、やっぱり底意地の悪い人なんではないかと思ってしまった。


「そろそろ、ラストオーダーの時間だよ。」

 須賀野さんが腕時計を覗き込んで告げる。顔を手の甲に近づけたり遠ざけたりして時間を見ているのは、近眼と老眼が重なっているかららしい。

「もう、そんな時間ですか? まだ10時半ですが。」

「この店、大将が早朝に市場でその日のネタを仕入れてくるから、夜閉まるのも早いんだよ。まぁ、年寄客も多いし、みんな閉店11時でも満足してるけどね。」

 須賀野さんの言葉を遮るように、BGMが急に大きくなる。これまでの演歌や70年代フォークソングから打って変わって、明るい曲調のポップスのイントロが流れ始めた。

「ラストオーダーの時間です。オーダー伺いにまいりま〜す。」

 女の子たちが、声を揃える。その声は厨房脇の従業員口から聞こえて来ていた。

 耳馴染みのあるポップスはイントロから、若い男の子たちの高い声に繋がる。

「よーこそー、ここーへー」

 思い出した。この曲はパラダイス銀河という曲だ。一世を風靡した少年アイドルの人気曲。・・・最近あまり聞かないのは、確か、作者が歌詞の内容以上のパラダイスに飛んで行ってしまったからだ。

 店の雰囲気とはずいぶんギャップのある曲調に乗って、店員さんたちが登場すると、カウンターの常連客たちは慣れた様子で手を叩く。美女、美少女揃いの店員さんたちは、さっきまでの作務衣もエプロンも身に着けていないどころか、下着もない。素っ裸の状態で足にローラースケートだけ履いて従業員口から滑り出てくる。可愛い笑顔の店員さんたちは列を作って、前の店員さんの腰を両手で持って、ムカデ競争のようにローラースケートで店内を滑る。

 繰り返す。ローラーブレードじゃない。ローラースケートだ。僕はこの、普通っぽい造りの居酒屋の時空の歪みっぷりに眩暈がするようだった。先頭で腕を左右に大きく振って、少ししゃがんだような姿勢で滑っているのはリーダーのミカさん。その後ろに京花ちゃん。世里さんは今日はお相手してもらえなかった。愛しの遥香さん。そして最後になんと、酒田美代子さん。ハイソサエティでお上品な佇まいの美人人妻が、最後尾に貼りついて一緒にローラースケートを滑っている。カウンターの横、「かぶりつき」の席から充君が声援を送っているのも見える。その充君に、美代子さんが投げキッスをしてみせた。

 一列の全裸美女のローラースケート隊が店内を一周した後でバラバラになる。それぞれの席に立ち寄って、オーダーを取っていく。口頭で注文した後で店員さんのお尻をパチンと押し出すオジサン。わざわざ水性ペンを手にして、店員さんのお尻やオッパイに注文を書き込むオジサン。もう飲めないし食べられないからと、キスだけ求めるオジイサン。勝手気ままな酔客たちに対して、笑顔でハイテンションな店員さんたちは一人ずつ、精一杯媚びを売りながら、愛想良く対応していく。

 一人、若干ギコチ無いのは美代子さん。接客は優雅でスムーズ。惚れ惚れするようなマナー。それでもローラースケートには慣れていないようで、お客さんに給仕しながらズルズルと、意図しない方向に後退していってしまったりする。注文を聞いている時にはテーブルにつかまりながらも、両足が勝手に開いていってしまったりと、苦心していた。

「ほらっ、美代子頑張って。しっかり腰に力を入れるの。・・・私も最初はたくさん転んだし、お客様にぶつかったり、迷惑かけたけど。練習すれば大丈夫よ。」

「遥香先輩。・・・ありがとうございますっ。・・きゃあっ。」

 桐生遥香にお辞儀をした酒田美代子は、お辞儀の勢いでさらに後ろに進み、足を限界まで開いてしまう。スラリと長い足を開ききった体勢のところに、一人の酔っ払いがフザケて自分の顔を美代子のお尻にムギュっと押し付ける。美代子は大股開きのまま、前に重心を動かそうとして床に両膝をついてしまった。

「美代子、ファイトッ。精一杯、お客様にサービスよっ。」

 遥香さんは美代子さんに力強い檄を飛ばしながら、近くのお客の胸元まで滑っていって抱きつき、オーダーを取りながらオッパイをそのお客の顔に押しつける。後ろから対面のお客がお尻に手を伸ばすが、お尻をプリッと突き出してその手も笑顔で受け入れた。さっきまでの遥香の働き方とは、少し変わった様子。もう彼女は一番の新米店員ではない。美代子という、最年長人妻後輩を指導する、先輩店員なのだ。僕は、働く女性たちの強さを見せてもらったようで、密かな感動に胸を熱くした。こんなところにでも、こんな仕事にでも、ちゃんとプロの矜持があって、女の子の成長がある。日本はまだまだ大丈夫だ。

 世里と遥香と美代子がオーダーを取っている間、ミカと京花が料理や飲み物をトレイに載せて運ぶ。ベテランの域に達しつつある2人は、トレイを片手に、鮮やかなターンを決めたり、お客さんに尻をひっぱたかせたりと自在に給仕を行う。特にミカが颯爽と店内を滑る姿は、フィギュアスケートでも見ているようだ。それも超美人。そして全裸。そしてお触りオーケー。最高のフリースタイルだ。

 そのミカの演舞があまりにも鮮やかで、完成されているのを、物足りないと思ったのか、一人の意地悪な酔客が声をかける。

「上手すぎて、ちょっと可愛げが足りないな。『ミカちゃん、マネキンになって』よ。」

 得意げに颯爽と客あしらいしていたはずのミカが、途端にローラースケートで滑走をしたまま、笑顔で硬直する。そのまま「気をつけ」の姿勢で固まってしまって、真正面から壁にドカンと激突してしまった。ドッとオッサンたちの笑い声。可哀想なミカさんは、棒のように固まった体でばったりと床に仰向けに倒れる。満面の笑顔の真ん中で、ツンと高い鼻が、赤くなってしまっていた。そのままの体勢で30秒近く倒れていたミカさん。我に返った時には、酔客が2人、ラストオーダーの刺身で勝手に女体盛りを始めていたところだった。正気に戻って、状況を理解したミカさん。ムクれながらも体を起こさずに最後まで女体盛りのお付き合いをしてあげるあたりは、さすがは女店員さんたちのリーダーだった。

 お目付役であるミカさんがマネキン、そして女体盛りの器になっている間、店内はいっそう狂騒が激しくなる。世里さんは4人も5人も、一度に「最愛の恋人たち」に囲まれてしまって、全員に対して同時に全身全霊の愛を捧げている。京花さんと美代子さんは、まるでピンボールの玉状態。酔ったオッサンたちに揉みくちゃにされながら、あっちに滑らされて、こっちで押し返され、時々2人がぶつかって跳ね返る。オジサンに押されるたびに、無遠慮なオッパイやお尻の掴み取りを笑顔で受け入れている。

 遥香さんは生真面目に、全ての客がラストオーダーを聞かれているか、各テーブルを回っていた。もちろん、全身で触られたり舐められたりしていない場所が無いというくらい、ベトベトになっている。それでも桐生遥香さんは、キラキラとしていた。テレビの画面を通してみていた彼女よりも、良い笑顔をしている。

「そちらのお席は、ご注文大丈夫ですか〜?」

 僕たちの席をスケートで滑りながら通りがかった時、須賀野さんはすっかり満足したように、手で応じただけだった。僕も、これ以上飲んだら、家まで辿り着けなさそうだ。酒にも強くないのに、色んなものに酔ってしまっているような、フワフワした気分だった。

「えぇっと、オーダーは、じゃ、最後は遥香さんのスマイルで。」

 こんなオヤジギャグがすんなりと僕の口から出たのも、すっかり酔っぱらって出来上がってしまっていたからだろうか。それともオヤジの欲望全開のこの店の雰囲気に飲まれたからだろうか。

 遥香さんは、なぜかその瞬間だけ、トレイで自分のオッパイを隠すような仕草をした。もう片方の手はオヘソの下の大事な部分を。そして笑顔を見せかけて、ペロッと舌を出した。

「ごめんなさい、売り切れですっ。
 またお越しの際にお願いしますっ。」

 僕の注文に対して最後だけ、ベロを出してお断りした遥香さん。悪戯っぽい笑みをちょっと浮かべ、小さく右目でウインクすると、僕に背中を向けて、滑り去って行ってしまった。自分の汗と、オヤジ客たちの手汗、そして唾液を全身にキラキラ光らせながら、僕の憧れだったお天気お姉さんは、お尻を左右に振って店内を滑っていく。以前、テレビの中で必死に天気予報やレポートをしていた桐生遥香さんは、困ったことに、今、一番輝いているようだった。優雅に、鮮やかに自由に大胆に、遥香さんは狭い店内を縫って、裸で舞うようにして、皆に接客をしていく。遥香さん本人の意志とは全く違うところでかもしれないけれど、彼女は天職に出会ってしまっていたのかもしれない。天が、彼女に有無も言わさずに天職を与えてしまったのかもしれない。そんな妄想を思い浮かべるほど、僕の天使は、晴れやかに皆を喜ばせていた。


「閉店のお時間でーっす。ありがとうございましたー。またお願いしやっす。」

 バイ田さんというマッチョな板前さんが声掛けする。パラダイス銀河がきっちりフルコーラスで3回流れたあと、BGMは音量を下げて、懐かしのフォークソングに変わっていた。「あの素晴らしい愛をもう一度」という曲だ。音楽の授業でも習ったような気がする。

 ヘトヘトになっているはずの女店員さんたちは、出入り口の前で2列になって、お客さんをお見送りしている。まだ居座りたがっているお客さんは強制的にフェラチオや手コキに素股で元気を抜き取ってしまって、お帰り頂くというシステムなのだそうだ。千鳥足気味になっている須賀野さんに肩を貸しながら、僕もお店を出ることにした。

「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております。」

 ミカさんが若さと自信の溢れる、力強い笑顔で送り出してくれる。世里さん、京花さん、遥香さんが声を揃えてお辞儀をする。美代子さんは、しつこくネットリとディープキスを充君と続けながら、こちらに視線を送ると、申し訳なさそうに小さく会釈をした。頭を全員同時に上げたけれど、遥香さんが一番長く僕を見て挨拶してくれたような気がするのは、気のせいだろうか。僕はそんなことを考えている自分に気がつくと、恥ずかしくなってふと振り返って店内を見回してみた。

 カウンター裏で、まな板を丁寧に拭いている大将の姿が目に入る。

「あのー、大将。ご馳走様でした。料理もお酒も美味しかったです。」

 僕が声をかけると、怖そうな顔の大将が顔を上げる。鬼瓦のような顔が、フニャッと綻んだ。

「兄ちゃん、嬉しいねぇ。この店は、オンナモミテェってお客ばっかり来るから、料理の張り合いがないんだが・・・。また来てくれよなっ。」

 怖い人だとばかり思っていた大将が、満面の笑顔で送り出してくれたので、僕はホッとして、さらにいい気分になってしまった。不愛想なんじゃない、職人気質の料理人だったのだ。肩の荷が下りたような気がしたけれど、そこに須賀野さんがすぐに体重をかけてくる。このオジサンは、僕がこの店を気に入ったことを心底喜んでいるような様子だった。

「須賀野さん、最高のお店ですね。ありがとうございます。」


「・・・もう一軒、深夜から開いている、こんな店があるんだけど、そこも行ってみる? そこはまた、趣向が違って、面白いよ。たまたま同じ神棚が置いてあるんだけどね。それ以外はまた雰囲気違うんだよ。」

 オジサンの目はすっかりすわっていた。僕は、丁度よい酩酊状態。ここで切り上げておくのが、一番良いって、わかっているのだけど、わかっていたのだけど。歩きながらちょっとだけ考えてみることにした。

 もう一軒、こんな感じの店・・・か。趣向も雰囲気も違う店なのか。よくわからないが、一杯だけ頼んで、確かめてみるのも・・・どうか。



。。。



 ところがと言うか、当然というか、その後の記憶がない。楽しかったような気もするし、異常に激しかったような気も・・・。なんだかとんでもない店だったような気もするけれど、よく思い出せない。きっとまた、確かめに行ってみるしかないのだろう。

 そんなこんなで、断片的で交錯する記憶を辿りながら、僕は今日も酒場を巡る羽目になる。

 
 
< おわり >


 

 

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