お嬢様は魔女


 

 



第八話


夜間飛行



 秋の夜長はのんべんだらり。

 本日のお仕事もつつがなく終え、厨房でお茶を飲みつつ雑誌をぱらぱらとめくっていた私の元に、珍しくお嬢様がご自分からお見えになった。

「菜々、ちょっといいかしら」

「へ……? ありさ様、どうかされましたか?」

 びっくりして間の抜けた声を出した私に構う風もなく、ありさ様は隣の椅子を引くとちょこん、と腰掛ける。

 すでに寝間着に着替えておられ、御髪も下ろしてあとは眠りにつくばかりといったご格好だから、なにやら急なご用事であろうか。
 先ほど私がお部屋を辞した時には、みつき様からの『お手紙』を読んでいらしたと記憶しているけれど。

 どことなく落ち着かないご様子で髪の毛をもてあそんでおられたありさ様だが、やがて私の目をまっすぐに見てこうおっしゃった。

「菜々、あなた、つかさのところへ行ったでしょう? 一人で」

 ん……? はて、なんのことだろうか。ちょっと考えこんでしまった私だったが、ようやく思い当たってポンと手を叩く。

「あぁ……ありましたね、そんなこと。でも、もうかなり前の話ですよ」

 あれは先だっての真夏の頃。もうかれこれ……二ヶ月ほど経っている。ふむ、これまでありさ様にお話しするような機会もなかったわけではないのだが、なんやかやでタイミングを逃していた。

「みつきが書いてよこしたから。……で、どうだったの?」

 じろり、とありさ様のハシバミ色の瞳が動く。ひたりと据えられた真剣な眼光に、どぎまぎとしてしまう小心者の私。

「は、はぁ……えっと……。
 さつき様はお元気そうでしたし……つかさ様には直接お会いになる機会をまた設けてくださるとお約束をいただいて……」

 記憶をたどりたどり、ぎくしゃくと言葉をつなぐ私を、お嬢様がいらだたしげにさえぎった。

「そんなことはいいの。
 他に何か言っていなかったかしら? とても大事なこと」

「えー……? いえ、これと言って特別なことは何も……なかったような……」

 ありさ様にお伝えしなければならないようなこと、何かあったかしら? うーん、さっぱ思い浮かばない。

「本当に? 何も聞いてないのね?」

 ありさ様の美しいお顔がアップで迫ってくる。

「いやー、お嬢様に隠しごとなんて」

 そう言って『降参』のポーズを取る私。

 だいたい、ありさ様がその気になれば私の心を見透かすことなど造作もないのだ。それはよーく存じ上げておりますし。

「……まあ、いいわ」

 なおも疑わしげな表情で私の顔をのぞき込んでいたありさ様だったが、ようやくそうおっしゃった。ぷいと顔をそむける仕草は少々子供っぽく、きっかり納得されたようなご様子ではなかったけれど。

 ホッ。なんだかよく分からなかったけど、とりあえず胸をなでおろしておこう。

「お茶でもお淹れしましょうか?」

 ご機嫌取りも兼ねてそう申し上げてみる。

「いいわ、もう寝るつもりなの。
 それと、今日か明日か分からないけれど、そろそろみつきと交代するから。よろしくね」

「え……もうですか?」

 今回ありさ様がお見えになってから……確かまだ二、三日というところ。ちょっと短いのではないだろうか。

「ハロウィンにはまた出てきたいのよ。だから早めに眠るの」

 えっと、今は10月のアタマで……ハロウィンは今月の末か。確かにありさ様がおいでになる周期を考えると、そろそろみつき様と交代しておかないと間に合わない計算かも。

 そこまで考えて私はハッと思い出した。

「お嬢様! 忘れていました! 今年はお月見をしましょう」

 そう申し上げると、ちょっといぶかしげな表情をなさったありさ様だが、すぐに思い出されたのだろう。

「オツキミ……あぁ、いつだったかあなたが話していた、伝統儀式のことね」

「ぎ、儀式……?
 いや、そのような大それたモノではないんですけども」

 そう、今年の十五夜はもうすぐ。みつき様とは何度もご一緒させていただいているのだが、ありさ様とはなかなか折が合わず、一度もお月見をしたことがないのだ。

「満月を眺めるのだっけ? そうね、ちょっと興味はあるけれど。
 でもハロウィンを逃すわけにはいかないから。遠慮しておくわ」

 にべもなくそうおっしゃるありさ様。

「えぇー、そう言わずに! お願いしますよぉ。
 ハロウィンなんて、来年もあるじゃないですか」

 ありさ様とお月見! ありさ様とお月見!
 私は心の中でむやみに盛り上がっていた。

「オツキミも年に一回ではないのかしら。
 ……それよりもあなた、ハロウィンの意味をいまひとつ理解していないようね。
 仮にも魔女に仕えているのだから、もう少し魔術の知識も身につけた方がいいと思うわよ?」

 だが私はそんなありさ様のお小言にもひるまなかった。

「それはそれ、これはこれですよぉ。
 あと数日の辛抱じゃないですかぁ。お月見! 是非! なにとぞ!」

 私の熱烈なアピールに心動かされたのか、少し口ごもったありさ様だったが、結局はこうおっしゃった。

「あなたには悪いけれど、ハロウィンが優先よ」

「えぇ〜っ、そんなぁ。ありさ様のいけずぅ。
 お月見! お月見!」

 なおもあきらめずにたたみかける私。

「ハロウィンだったら」

「お月見がいいです」

「ハロウィンよ」

「お月見でお願いします」

「ハロウィン」

「お月見!」

 ……。

 ひとしきり不毛なやりとりが続き、いつになく頑固な私にありさ様も閉口なさったようであったが、やがてひとつ大きなため息をつかれた。

「仕方ないわね」

 やった。これは(珍しく)私の勝利となりそうな雰囲気。

「それじゃあ今年は……あら?」

 待望のお言葉を言いかけたありさ様だったが、なにかに気づいて途中で言い止めてしまった。

 お嬢様の視線の先を追うと、そこには先ほどまで私が読んでいたティーンエイジャー向けのファッション雑誌。読みさしのまま開かれているページには、とある女性アイドルのグラビアが載っている。

「この娘……魔女ね」

 独り言のように、そんな言葉を漏らすありさ様。

「へ……?」

 あまりにも意外な展開に私の貧弱な頭脳はついていかなかったが、お嬢様が雑誌を手にとって見入っているところをみると、確かにそのアイドルのことをおっしゃったようである。

 ま、まさかぁ。

 そう声に出してしまいそうになるのを、私はどうにかこらえた。

 それはお茶の間の人気歌手にして国民的アイドル、空知そら(そらちそら)の最新グラビアであった。

 彼女はそのルックスと快活な性格で、本業である歌手以外にタレントとしても大人気、各種テレビ番組からもひっぱりだこであるようだ。
 ようだ、と言うのはお屋敷にはテレビが一台しかないし(何か魔術的な理由らしい)、私自身あまりテレビっ子という感じでもないので、その辺りの感覚にはイマイチ自信がないのだ。

 とはいえそんな私でもお気に入りになってしまうほどの知名度であるし、みつき様も大ファンであったりするのだ。

 そんな全国的なアイドルが、まさか魔女などということは……。

「間違いないわ」

 ありさ様は自信たっぷりにおっしゃる。

「えぇ〜?」

 私は抗議の声をあげてお嬢様の脇からそのページをのぞき込んだ。

 そこにはしなやかなボディーを黒で統一したコスチュームに身を包み(襟ぐりの開いたスリーブレスにタイトミニと露出度は高め)、三角帽子をかぶってカメラ目線でウインクする空知そらが写っていた。

 魔女である。

 あぁー、そうか。
 空知そらの最新シングルは『夜間飛行』といって、ほうきに乗って恋人の元に飛んでいく魔女が云々といった歌詞なのだ。
 それで魔女を意識した格好なのだろう。プロモーションビデオなんかもそういう趣向だったような。

 いや、しかし。私は思った。
 本物の魔女であるありさ様が、そんな表面的なことを気にしたりなさるのだろうか。

 なにしろ黒いローブやら三角帽子やら、いわゆる通俗的な魔女らしい格好をなさっているお嬢様の姿など、ほとんど目にしたこともないのだ。

「あのー、魔女って、この格好のことじゃなくて、ですか?」

 そこで私はグラビアを指さしながら、用心深く聞いてみた。

「当たり前じゃない」

 ありさ様は何をバカなことを、というような口調でお答えになる。

 ふむ、やっぱり。

「そんなの、見ただけで分かるものなんですかぁ?」

「そりゃあね。
 外見というより、匂いのようなものだけれど」

「はぁ……」

 若干の懐疑のこもった声を出すと、私は改めてグラビアをしげしげと眺めた。

 年の頃で言うと、確か私よりは少し年上だったはず。同世代の有名人というのは、なんとなくひいきしたくなるものだ。それが魔女だなんて。本当かしら。

 文句なしの美女ではある。親しみやすい、愛嬌のある顔立ちをしているのだけれど、どこか見ている者を誘うような蠱惑的な魅力が感じられる。そういう点では魔女と言われても納得してしまいそうな気はするのだが……。

 うーん、やっぱり信じられないなぁ。

 お嬢様をはじめとして、素晴らしい美貌を誇る『魔女』が身近にいるわけなのだが、私にはそういった方面での観察力はさっぱり身に付いていないようだ。

「まあ、あなたには分からないでしょうけど。
 栞を呼んでみましょうか」

 ありさ様はそうおっしゃって人差し指でトントン、とテーブルを軽く叩いた。

 そう、お嬢様だって、ちょっとお目にかかれないような美少女なのだ。

 整った目鼻立ちと長いまつ毛にはつんと澄ました表情がお似合いで、サラサラとした栗色の髪をふわりとかきあげる仕草も実に優雅。まるで高貴なお姫様といった風情である。

 それでも魔女らしい様子というのは……特別に感じられない気がするのだけれど。

 そもそも魔女というと、世を欺き、魔術や魔法などといったことは秘密にして暮らしているのが常であって、蒼風院の例をとっても、人前で魔法を使うことだって禁止されているのだ。
 そんな魔女がテレビやら雑誌やら、やたらと目立って仕方のない表舞台に出てきたりするものだろうか。

「ふぁ〜あ……お嬢様、ごきげんよう……。
 ボクに何かご用ですかぁ?」

 私が徐々に空知そら魔女説には懐疑的になってきた頃、厨房に栞ちゃんが現れた。お嬢様に魔法で呼びつけられた、と言うのが正確なところだけれど。

 寝ぼけまなこに眼鏡をぞんざいに引っかけているところを見ると、寝ていたところを起こされてしまったようだ。

「あら、もう寝ていたのね。知らなかったわ」

「いえ、いいんです。というかむしろ、今起きようとしていたところで……。
 あ、菜々さんもごきげんよう」

 眠たそうな目を私に向けてくる。

 やれやれ、こんな時間に起き出してくるなんて、夜型生活にもほどがあるのではないだろうか。うら若い乙女がそんなことでは美容にもよろしくない。
 薄い碧色をした綺麗な瞳が、眼鏡ごしにぼんやり揺れている。なかなか手入れをしようとしない蜂蜜色の髪はハネ放題、いつも通りボサボサで……。まったく、不精な男の人みたいではありませんか。

 むむぅ、女の子がそんなことではいけませんわっ!
 せめて髪だけでもキチンとしてあげたいという欲求が、ふつふつとわき上がってくる。

「菜々さん、紅茶を一杯頂けませんか?」

「ん……いいわよ。
 その髪をいじらせてくれるならねー」

「……好きにしてください」

 やった。

「菜々、やっぱりあたしにも頂戴」

「はい、承知しました」

 喜んで紅茶の準備を始めた私を尻目に、栞ちゃんはありさ様と件のグラビアを挟んであーだこーだと魔女談義を始めた。

 そうねぇ、お嬢様はお休み前だし、ミントティーでも淹れようかしら。ポットを火にかけて、その間にティーポットを用意。正規のお茶会でもないし、少々カジュアルな茶器でも良いでしょう。カップもしっかり温めておく。
 選んだ茶葉はニルギリ。産地の言葉では「青い山」といった意味らしい。ティースプーンで慎重に計量して、フルリーフなので一杯分は多めに。
 沸騰したお湯を注いだら、蒸らし時間をきっちり計って、色と香り、深い味が出るタイミングを見計らう。この辺は長年の勘がものを言うのだ。エヘン。

 お嬢様たち二人の談義は大分白熱しているようで、『顔相学的にはどうこう』とか『占星術の観点からすると云々』とか、私にはさっぱり理解できない単語が飛び交っている。

 ま、こういうことは本職の方々にお任せした方がようござんすね。
 早々に会話に加わるのをあきらめた私は、紅茶を注いだカップをソーサーに載せてお出しする。

 と、お嬢様が唐突に私の方を向いておっしゃった。

「わかったわ」

「は、はぁ。……と、おっしゃいますと?」

 ありさ様は気取った仕草で髪をかき上げると、カップを手にとって可愛らしい口元に運ぶ。

「やっぱり、この娘は魔女よ。そうよね、栞?」

「魔女じゃないですかねー、多分。
 あくまでボクの見立てでは、ってことですけど」

 栞ちゃんもそっけない口調でそう言って紅茶をすする。

「えぇー……本当ですかぁ?」

 私は疑問を呈しながらも、栞ちゃんの背後に張り付くと、櫛を取り出して勝手に髪を整えはじめる。

「だから間違いないって……」

 途中までおっしゃったありさ様だったが、突然パッと顔をあげて私の方へ顔を向けた。

「そうだ。菜々、賭けをしない?」

 え……?

 なんのことだろうと私が見やると、ありさ様はちょっと小首をかしげ、キュッと唇の端を上げて笑みを浮かべる。

 ドキッ。思わず櫛を持った手を止めて、その綺麗なお顔に見入ってしまう。

 こ、これは……お嬢様がいたずらとか悪だくみとかいったことを思いつかれた時に浮かべる表情、いわゆる魔女の微笑みではないか。

「か、賭けですか……?」

「そ、賭けよ。どう? 乗ってみる?」

 ありさ様はいたずら好きの小動物のような笑みを崩さない。

 あ、危ない……。

 長年の経験にピンとくるものがあって、私は警戒感を強めた。狩人を恐れて神経を研ぎ澄ませる小鹿のようなものである。
 だいたい、魅力的な微笑みというのはある種のポーカーフェイスであって、お嬢様の真意をうかがい知ることはできないけれど、不穏な雰囲気はひしひしと伝わってくるわけで、私をだまそうとか、ハメようとか、あるいはオモチャにしようとか、なにかしらよからぬことをたくらんでおられるに決まっているのである。

「えっと、賭けと申しましても、どのような内容のモノでしょうか……」

 私は慎重に言葉を選びながらそう尋ねてみた。

「簡単なことよ。さっきの話を賭けで決めようっていうの。
 この……空知そらっていう子が、本当に魔女だったらあたしの勝ち。
 あたしはさっさとみつきと交代して、今年のハロウィンにはあなたも連れて行くことにするわ。
 けれど、もしそうじゃなかったら、あなたのオツキミにあたしが付き合ってあげる、というわけ」

 ……むむっ。

 お嬢様が意外にもあっさりと種明かしをされてしまったので、私はかえってどう反応していいのか分からずにとまどってしまった。
 てっきり『いいじゃない、内容なんて。たいしたことないのよ。それより菜々が賭けに乗るかどうかだけが問題なんだから』とか何とかおっしゃって、強引に私の言質を取ったあげく、理不尽な条件を提示して私を罠にかける……というような手管が用意されているものと予想していたのだ。

「どうするの? あなたにとっては悪い条件じゃないと思うけれど?」

 上目づかいでからかうような笑みを浮かべたまま、お嬢様がなおも問いかけてくる。

 むぐぐ……乗るべきかそれとも否か。正直なところ、私は迷っていた。

 悪い条件じゃない、とありさ様はおっしゃったが、それはあくまで『ご主人様』対『メイド』という、お嬢様と私との大幅に偏ったパワーバランスを考慮に入れた上での話である。
 つまり、本来ならば一方的にお嬢様(ハロウィン)が勝利するところ、私(お月見)にもチャンスをやろう……と、そうおっしゃっているのである。

 さらに『ハロウィンに私の方がつきあう』という条件がさりげなく付け加えられているという点も見逃してはならない。お嬢様はごく自然に紛れ込ませたつもりであろうが、私とて魔女との騙しあいにかけては歴戦の勇士、ありさ様の考えそうなことは先刻承知である。

 しかも、肝心の『空知そらは魔女なのか?』という点に関して、お嬢様はご自分の判断に大変自信を持っておられるようではないか。その根拠は私には理解できないところではあるけれど、それを言ってしまえば私の懐疑的な姿勢にだって特別理由がありはしないのだ。

 うーん、うーん。

「どうするの、菜々? 嫌なら無理にとは言わないわよ?」

 混沌とした思考の渦にはまりこみ、オーバーヒートしかけた頭をかかえる私に、お嬢様は余裕たっぷりといった様子で決断を迫る。

 ぐぐぐぐ……お月見、お月見、お月見。

 お嬢様とお月見……一見簡単に見えるこのご褒美を頂戴するまでが、なんと険しい道のりであることか。

 そして……

「の、乗ります……」

 さんざん迷ったあげく、結局私は絞り出すようにしてそう口にしていたのだった。

 あぁ……悔しいけれど、お月見という餌に釣られた形である。

「ふふっ、いい返事ね」

 ありさ様は嬉しそうにニッコリと笑みを浮かべる。表向きは無邪気な喜びの表情だけれど、その裏にはどのような思惑が潜んでいるのやら……。

「……あのー、菜々さん。
 決まったならボクの髪、なんとかしてもらえませんか」

 と、栞ちゃんがカップを手にしたまま声をあげた。

「あ、あら……ゴメンナサイ」

 思考の迷路に迷い込んでいる間、櫛を入れかけたままで完全に手が止まってしまっていたようだ。

「それで……どうやって確かめるんですか?
 空知そらが魔女かどうか、って」

 紅茶を一口すすって、栞ちゃんが冷静な指摘をした。

 はっ!? そ、そういえば……。

 あれやこれやと思いを巡らせていた私だったが、最も大切なことを聞き忘れていたのだった。それを確かめられないことには賭など成立しないではないか。

 いぶかる私だったが、ありさ様はこともなげにこうおっしゃった。

「あら、直接会って聞いてみればいいじゃない。
 今ちょうどこの近くに来てるわよ、この子」



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




 「見つけた」

 そうおっしゃったお嬢様は、アーケードの曲がり角から素早く飛び出すと、トコトコと駆けだして前方を歩いている人物――お嬢様によれば空知そら本人――を追いかけた。

「あっ、ちょっと、お嬢様!?」

 あわててその背中を追う私。

 いやはや、こんなにあっさり見つかってしまっていいのだろうか。

 いざという時になって、私はなんだかドキドキと胸が高鳴ってくるのを抑えられずにいた。

 どうやら人捜し、物探しの魔術はありさ様の得意分野らしく、栞ちゃんが『水晶玉でも持ってきましょうか? 上等のやつ』と言ったのに対して、『そんな小道具使わなくても、一発で見つけてやるわよ』などと胸を張っていらしたのだが、本当に見つけてしまうなんて。

 いやいや……。私は性急に結論を出そうとする自分の気持ちを押しとどめた。件の人物が本当に『あの』空知そらという保証はないのだ。

 見たところ20代前半の女性という背格好ではあるが、秋物の赤いジャケットにごく普通のブーツカットジーンズという、趣味はいいけれど比較的地味なファッションに加え、ベースボールキャップにサングラスまでかけているのだから、人相など分かりっこないのだ。

 だいたい、なぜもって空知そらが、このようなしがない地方都市に足を運んでいるのか、そこのところが私には疑問で仕方なかった。ありさ様のご説明では『帰省しているとか、そういうことでしょう』ということなのだけれど……。
 確か空知そらは出身地を公開していないし、テレビに出演するような場合には関西方面のアクセントでしゃべっている。その語り口とざっくばらんな性格のマッチングが人気の秘密でもあるのだ。
 そんな彼女と、冬になると氷点下を下回る日の方が多いのではないかというようなこの土地と、一体どのような関係があるのだろうか。

 そんなことを考えつつも、空知そら(らしき人物)と一定距離を保ちつつ歩いているお嬢様になんとか追いつくと、その小さな背中に隠れるようにしてコソコソとついて行くことにした。

 うわー、緊張する。なんだか探偵ごっこでもやっているような気分だ。

 尾行している相手との距離はかなり近くなっている。平日の昼下がり、アーケードは人もまばらで、このまましつこく張り付いているのでは、いつバレてもおかしくないのではないだろうか。

 それなのにお嬢様は堂々としていて、とてもやましいことをしているような気配など感じさせない。なんという自信であろうか。

 しかし、これでは目立って仕方ないと思うのですけれど……。
 と言うのも、今日のありさ様のご格好はいつになく気合が入っていて、シンプルながらドレッシーなデザインのアフタヌーンドレスはモノクローム調の色遣いがかえって豪華さを感じさせ(さるオートクチュール・メゾンから取り寄せたものだとか)、大人っぽいデザインのパンプスは少し背伸びした感じはあるもののよく似合っておられ、左右に高い位置で髪を留めるリボンもしっかり色も合わせたシルク製の一品に換えていらっしゃる。お化粧までなさるというので、私も小一時間あれこれと付き合わされた。

 ともかく……どこかの豪邸で開かれるティーパーティーに呼ばれたファースト・レディーならともかく、街中で誰それを尾行をしようという少女探偵がするような格好でないことだけは確かである。
 (仕方ないのでバスを使うのは諦めてタクシーを呼んだくらいなのだ)

 ちなみに私は落ち着いたベージュのワンピースに、編み込みの入ったカーディガンを羽織ってきており、手持ちの靴の中では一番高級そうなものを選んで、それなりにお洒落をしたつもりではあったけれど、お嬢様の隣に立ってみると色々な観点からして見劣りすることは否定できない。

「あ、あのー、お嬢様、もう少し離れた方が……」

 私は不安になってお嬢様にささやきかけた。

「何言ってるのよ。
 あなたみたいにおどおどしてる方が、よっぽど不審がられるわよ」

「そ、そうは申しましても……」

「いいじゃない、見つかったって。取って食われるわけじゃないんだから。
 ちょっと手荒なことをしなくちゃいけないかもしれないけど……場合によっては、ね」

 て、手荒なことって……あうあう。今さらながら、ありさ様の魔女流の考え方にはついていけないものを感じてしまう。

 なんとか穏便に済みますように。私は心の中で祈った。

 ……と、気づくと空知そら(らしき人物)はアーケードの端にあるレストラン――イタリア料理店のようだ――に入って行くところだった。

 うーん、私は入ったことのないお店だけれど……。控えめな主張の看板に、こぢんまりとしつつも瀟洒な店構えは、なにやら高級店らしき雰囲気を感じさせる。

「……どうするんですか?」

 私が尋ねると、お嬢様は、フッと不敵な笑みを漏らしておっしゃった。

「入るのよ。決まってるわ。
 人目につかない場所に連れて行く手間が省けたじゃない」

 それはつまり……ここで彼女に接触しようということでしょうか? 私がそう考えて口に出そうとした時には、すでにお嬢様がご自分でお店のドアを開けていたのだった。



 ありさ様は本気であった。

 店に入ったと思うと、いらっしゃいませと挨拶するウェイトレスを無視し、先客である空知そら(らしき人物)の姿を見つけると、さっそうと通路を横切って行って、何食わぬ顔で対面の席に座わったのだ。

 従って私はウェイトレスさんに『あの人の連れなんです。ははは』と乾いた笑顔を浮かべながら説明し、あわてた拍子にテーブルの端にスカートを引っかけ、転びそうになりながらもなんとかお嬢様の隣に腰を下ろすというようなハメになった。

「ごきげんよう」

 お嬢様がニッコリ笑ってそう挨拶する。

 空知そら(らしき人物)の表情は大きめのサングラスに隠れて分からないけれど、きっと怪訝そうな顔をしていることだろう。

 ん? こんなに薄暗いお店の中なのに帽子もサングラスも取らないというのは……? そんな疑問を感じながら私はそっと彼女の顔をうかがった。

「…………」

 私たちの意図を計りかねているのだろう、無反応のままであったが、間近で見ると確かに美人らしい。目元の様子がハッキリと分からないとはいえ、顔の輪郭やシャープなボディーラインは、『タレントです』と言われればうなづいてしまうかも。

 そして……そのチャーミングな口元を目にして、私はドキッと胸が鳴るのを感じつつ確信した。

 空知そらだ!

 サイズで言うと少し大きめかもしれないけれど形のよいその唇も彼女の魅力の一つだ。ダイナミックな歌声も楽しげなトークも、そこから飛び出してくる。

 その口元が、かすかに動いた……途端、ありさ様が手を上げてストップ、の仕草をする。

「あ、いいのよ。すぐに済むから。あなたのプライベートな時間を邪魔したくないの。
 単刀直入に言うけれど、あなた、魔女でしょう」

 うわぁ、いくらなんでも、いきなりそんなことを……。

「お、お嬢様……?」

 あわててありさ様のお顔をうかがったけれど、口元には楽しそうな笑みが浮かんでいるだけである。

 ちょっとの間、空知そら(間違いなく本人)の顔に驚いたような表情が浮かんだ……と思ったら、

「ははは……」

 笑い出した。

「うはははは! いやー、あんたおもろいなぁ!
 いきなり何かと思ったら! あはははは!」

 あぁ、間違いない。すっかり耳なじみになっている空知そらの声だ……関西弁に似たアクセントもテレビでしゃべっている、そのままではないか。

 おぉ……。私はむやみと感動してしまった。あの空知そらが、目の前でおなかを抱えて笑っているなんて、ちょっと拝める光景ではない。

「あら、そんなに面白い冗談だったかしら?」

 一方のありさ様は、笑みを崩さないまま小首をかしげてそうおっしゃった。

「そりゃあんた、いきなり、そんなこと……。
 魔女……って言った? 言ったよね? わはははは!」

 心底おかしそうに笑い転げる空知そら。

「そう……しらを切るのね」

 お嬢様はたいして意外そうでもなくそうおっしゃった。

 はて、こういう展開になった場合……どうすればいいのだろうか。私は昨日のお嬢様との会話を思い出していた。

 空知そらに直接尋ねることができたとして、本人がそうと認めない場合……それは本当に魔女でもなんでもないという事なのかもしれないけれど、お嬢様によると、彼女がその事実を隠そうとするかもしれない、というのだ。
 彼女が本当に魔女であるならば、それを知られたくない理由は……きっと色々あるのだろう。

「あのー、そこのところ、魔法を使って確かめたりできないんでしょうか?」

 ……と、私はひかえめに質問したのだが、

「あのね、魔女ではないと言い張っている相手なのよ?
 それを魔法を使って探るっていうのは、あなたの言うことを信じません、って言うのと同じことじゃない。
 見ず知らずの魔女を相手にそんなことしたら、敵対宣言と取られても文句は言えないわね」

 お嬢様に一蹴された。

「それに、あたしはそんな失礼なことはしたくないの。
 たとえ相手がどんな組織にも属していない、はぐれの魔女であってもね」

 ……ということである。

 さらにありさ様のお考えでは、まずご自分が魔女であることを明かして、それから先は交渉次第でどうにかする、とのこと。

 交渉、とお嬢様はおっしゃっていた。ふむ、空知そらに本当のところを教えてもらったとして、お嬢様はその見返りに何を提供されるおつもりなのだろうか?

 そこまでは考えていなかったなぁ、と私がのんきに思っていると、ウェイトレスさんが注文を取りにきた。

 笑い転げていた空知そらが一旦真顔に戻り、コホンとひとつ咳払いをして、あれやこれやと注文を済ませる……それと、ほとんど同時だった。

 お嬢様がパチン、と鋭く指を鳴らされたのだ。

 何も触れていないのに、空知そらのサングラスが、ピョンと跳ねるようにしてテーブルに落ち、かぶっていたベースボールキャップもひとりでにストン落ちてしまう。ウェーブのかかった黒い髪が解放されて、ふわりと肩にかかる。

 わ、本当に空知そらだっ! 私は思わずミーハーな叫び声をあげそうになったが必死にこらえ、心の中でキャーキャー言うにとどめておいた。

 彼女はハッとしてありさ様のお顔に目をやり、ちょっと不機嫌そうな目配せをして、それからまずいな、という表情になってウェイトレスさんの方を見上げた。

 そうだ、これで間違いなく彼女が空知そらだということはバレてしまった。こういう場所なら大騒ぎになったりはしないと思うけれど、このウェイトレスさんがキャーキャー叫び出さないという保証はないのだ。

「あの、ご注文は……?」

 ……が、私の予想は裏切られた。ウェイトレスさんは特に何事もなかったかのように私とお嬢様が注文するのを待っている様子なのだ。

「えー、えーと?」

 私はメニューを手にとって読むふりをしながら状況を把握しようとする。空知そらも、私と同じように狐につままれたような顔をしている。そしてお嬢様は……ニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべているではないか。

「どう? 面白いでしょう」

 得意満面といった調子でお嬢様が空知そらに告げる。

「…………」

 ははぁ、お嬢様が何かしたのね。私はようやく事態が飲み込めてきた。変装を解かせただけじゃなくて、このウェイトレスさんに? それとも空知そらに? それは分からないけれど、魔法をかけて『空知そらだと分からないように』してしまったのだ。

 いやぁ、お嬢様の魔法もたいしたものである。それに加えてこの早業、なんだかんだ言ってもありさ様は熟練の魔女に劣らぬ実力者なのではないだろうか。

 などと感心していると、ウェイトレスさんが再び尋ねてきた。

「あのー……ご注文はいかがなさいますか?」

「へっ? あー、えっと……」

 あわててメニューに目を戻した私をよそに、お嬢様がスッと手を上げられた。

「あたしとこの子にはロゼワインを。銘柄は何でもいいわ」

 ワイン……って、お嬢様、それは……。私はおそるおそるウェイトレスさんの顔色をうかがった。

「失礼ですが……未成年のお客様にアルコール類はお出しできません」

 困ったような微笑を浮かべながらも、きっぱりと断られてしまった。それはそうである。お嬢様は言うに及ばず、私だって成人と言い張るには少々心許ない年頃なのだ。

 しかし、そんなことで引き下がるありさ様ではなかった。

「あら、客の要望が聞けないなんておかしなレストランね。
 そんなこと言うなら、もっと無茶なものを注文をしてしまうわよ?
 例えば……」

 お嬢様はウェイトレスさんに悪戯っぽい視線を投げかけながら、とんでもないことをおっしゃった。

「あなたのアクメとか」

 その言葉の意味を理解するのに少々時間を要したのだろう、ウェイトレスさんはきょとんとした表情で固まっていたが、それから急激に顔を赤らめたかと思うと、怒りのあまり口をぱくぱくさせていたのだが……その一瞬の隙が命取りであった。

 涼しい顔をしたお嬢様は、流れるようななめらかな動きで、ご自分の唇に人差し指を当て、それからテーブルの上に置かれた水の入ったグラスの縁をつい、となぞったのだ。

「こうやってさわると……あら不思議。
 何の変哲もないグラスが、あなたの大事なところになっちゃった」

 そんなことをおっしゃって、お嬢様は含み笑いを漏らしながらグラスの内側を人差し指でくいくい、とこすった。
 すると……。

「はぁんっ!」

 途端、ウェイトレスさんの口からなんとも艶のこもった声がこぼれたではないか。

 そんな様子を見て、お嬢様はクスクスと楽しそうな笑い声をあげると、さらにグラスへの攻撃を加速した。微妙なタッチでグラスの内側を軽く叩いたり、水に突っ込んだ人差し指をかき回したり。

「あんっ……はぁっ……」

 その指の動き一つ一つに操られるようにして、ウェイトレスさんが身をもだえさせる。

 今度は一体、なにをなさったの!? あわててお嬢様の手元へ目をやるが、そこに置かれたのは本当になんでもないグラスだけ。どこにもおかしな様子はない。

 それなのに……ありさ様がグラスをなぞるように指を動かしただけで、ウェイトレスさんはまるで一番敏感な場所に愛撫を受けたかのような反応を見せるのだ。

 一体なにがなにやら分からないが、どうも件のグラスに、彼女の……その、性器の感覚が移されてしまっているのだ、ということは理解できた。もちろん、お嬢様の魔法の仕業である。

 ついさっきまで怒りに血を昇らせていたはずのウェイトレスさんは、いまや頬にほんのりとした桃色を添え、額にはまぎれもない劣情がもたらした熱っぽい汗の雫を浮かべている。

 ガクガクと震える脚を必死で支え、何かから逃れようとするかのように腰を引く仕草もうかがえるけれど、それも甲斐のないことであった。

 それもそのはず、当のお嬢様は彼女の身体には指一本触れておらず、ただ手元に置かれたグラスを何気ない様子でいじり回しているだけなのだ。

「ふーん、こうするといいみたいね」

「あぁんっ! ダメっ! それはダメぇっ……!」

 この異常な状況にも関わらず、ウェイトレスさんは次々に与えられる魔法の刺激によがり狂うのみ。

 見ると頼りなくふらつきながらも目線はグラスに釘付け、眉を寄せて熱にうかされているかのような表情に、口元もだらしなく緩んでしまっている。
 魔女の指先に絡め取られ、理性も判断力も吹き飛んで完全に魔性の快楽の虜、といったところだった。自分の身に一体何が起きているのか、ちゃんと理解できているのかどうかすらあやしいものだ。

 そう、彼女に分かっているのはただ、目の前の美しく着飾った少女に、指先一本で思うがままに感じさせられているという事実だけ。

「ふふ、仕事中だっていうのにそんなに感じちゃって。
 はしたないウェイトレスね」

「あぁ……そんなぁ……。い、言わないで……ください……」

 彼女が嫌がるそぶりを見せれば見せるほど、ありさ様のしなやかな指先はより無遠慮に踊り、今や彼女の急所となったグラスを容赦なく責め立てる。

「ふああぁっ! あぁっ!」

 ウエイトレスさんの嬌声が一段と高くなる。このままではお嬢様がご所望になった通り、本当にアクメを迎えてしまうのも時間の問題ではないだろうか。

「あ、あのー、ちょっと、お嬢様……?」

 見ず知らずの相手にこの所行、さすがの私も介入を余儀なくされる状況ではありませんか。いえ、このウェイトレスさんの境遇が、ちょっと他人事とは思えなかったという話もあったりしますけれども……。

「あら、客の注文を断ったりするからいけないのよ」

 しれっとありさ様はおっしゃって、グラスの水をゆっくりとかき回しながらウェイトレスさんに問いかける。

「どうかしら?
 少しはサービスする気になってくれた?」

「あぁ……はぁん……。はっ、はいぃぃぃ……しますぅ……いたしますっ……。
 いたしますからぁっ! ……はぁっ……!」

「本当に、悪かったと思ってる?」

 なおも水面をピチャピチャと弾きながら、そんな意地悪をおっしゃるありさ様。

「ひゃぁっ! はっ……はぃ……はいぃっ!
 も、申し訳…ありません…でし…たっ………あぁっ!」

 それを聞いて満足げに微笑んだお嬢様は、ようやくグラスから指を離し、彼女を解放する。

「そう、分かってくれて良かったわ。
 注文はさっきの通りよ」

「ロ、ロゼ……ワイン…ですね……。か、かしこまり……ました……」

 なかばうわごとのようにそう言って、ウェイトレスさんはどうにか伝票に注文を書き付ける。

 それから一礼して、ふらふらとした足取りで奥の厨房へ引っ込もうと……した時だった。

「あ、ちょっと待ちなさい」

 思いついたように、ありさ様が声をかけたのだ。

「は、はひいぃっ!?」

 何か見えないものに触れられたかのように、ビクリ、と肩を震わせて振り返るウェイトレスさん。上気した顔には、見間違いようもない怖れの表情。

「やっぱり……もらうことにするわ。あなたのアクメ」

 クスリと笑ったお嬢様は、ほおづえをついたままグラスの縁を指で弾いた。

 チーン、と澄んだ音がして、水面に波紋が広がる。

「〜〜〜〜〜〜〜〜っ!?」

 声にならない悲鳴をあげて、ウェイトレスさんはあっさりとイってしまったのだった。



「もう、お嬢様! 他のお客さんが居たら大騒ぎですよ!
 それにあのウェイトレスさんだって……!」

 さすがに腹に据えかねてつっかかる私だったが、ありさ様は涼しいお顔のままであった。

「大丈夫だって言ってるでしょう。
 彼女だって、アクメと一緒にさっきの記憶も」

 手を広げて『パー』の仕草をしてみせるお嬢様。

「いえ、だから、そういう問題ではなくてですねぇ……」

 やれやれ、お嬢様のわがままにも困ったものだ。いや、わがままなだけならばそれで済むところなのだけれど、手段を選ばずそれを押し通してしまうのだから……魔女というのは恐ろしい。

 頭をかかえてしまった私をよそに、ありさ様は得意げに空知そらの方へと向き直る。

「デモンストレーションとしては、これくらいでどうかしら?」

 いかが、と言うように腕を広げてそんなことをおっしゃる。

 空知そらは、相変わらず怪訝そうな顔のままであったが、やがて、ふぅ、と息をつくと、床に落ちてしまったキャップを拾い、テーブルの端に置く。そしてそれから、ニッと人なつこい笑みを見せた。

「あんた、ホントに面白いわ。
 ……で、ウチに何をしてほしいん?」

 その落ち着いた声音に、ちょっとした違和感が頭をかすめる。
 もし空知そらが魔女でないのなら、このような場面は生まれて初めて見たはずなのだけれど。彼女には恐れの色も、緊張している様子も見えない。うーん、やっぱり、彼女自身が魔女だからなのだろうか……?

「あたしとしては、あなたが魔女だと認めてくれればそれでいいの。
 正直に言うわ。この子とちょっとした賭けをしているのよ」

「そっちの子も、その……魔女なん?」

 と、私に視線を向けてくる。

「あ、いえ、私はしがない雇われメイドでして……。
 綾草菜々って言います、あはは」

 私は精一杯の笑顔を浮かべてそう応じる。うわー、見られてる。空知そらに……。ドキドキ。

「ふーん……」

 少しの間、何かを検討しているかのような顔で、お嬢様と私の顔を交互に見比べていた彼女だったが、やがてこう言った。

「悪いけど、他を当たってくれへん?
 あんたの言うことは信じる。けどウチが魔女なんてのは……」

「じゃあ、交換条件でどうかしら?」

 すかさずありさ様が口を挟む。

 『交換条件って?』と問いただす代わりに、空知そらは器用に片方の眉を上げてみせた。

「今日一日、あなたの正体が誰にも分からないような魔法をかけてあげる。さっきやったみたいなやつね。
 あなただって、変装して街中を歩くのでは息苦しいんじゃないかしら」

「…………」

 空知そらは沈黙を守った。お嬢様はなおも言いつのる。

「それと……少し立ち入ったことを言わせてもらうなら、こんなところに一人でいるっていうことは、連れが居たはずなのに何かの都合で会うことができなくなってしまった、とかそういうことなのではないかしら?」

「……だとしたら?」

「代わりにこの子を一日貸してあげてもいいわよ」

 ……と、私の上着の袖をつまんでありさ様はおっしゃった。

「ちょ、ちょっと、ありさ様……?」

 私はあわててお嬢様の手を振り払おうと袖を引っ張った。

 そりゃあ話の流れからして、彼女に何かしら見返りを提供なさるのだろうとは思っていましたけれど。それが……よりによって私だなんて!?

「あら、そんなに嫌がらなくてもいいじゃない。
 あなたも彼女のファンなんでしょう?」

 屈託なくおっしゃるありさ様は、袖をつかんだ手を放そうとなさらない。

「いやいやいや、それとこれとは全く別の問題でして……」

 すったもんだする私たちの様子を、空知そらはあっけにとられたように見ていたが、やがてクスクスと笑い出した。

「くくく……あんまし笑わせんといて……。
 ……分かった分かった。その話、乗りましょ」

 おぉ!? いいのだろうか、そんな条件で……って、私は全然、これっぽっちも良くないんだけれど。

「そう、良かったわ。その代わり、本当のことを言ってもらうわよ。あとで構わないけれど」

 コクン、とうなずく空知そら。

「契約成立ね。じゃあ、これを貸しておくわ」

 そうおっしゃって、お嬢様はハンドバッグから何か紙の束のようなものを取り出した。メモ帳というか、お店で見かける領収証の束というか……そんな感じの物体である。表紙はなんだかおどろおどろしい雰囲気で、絡み合った唐草文様の装飾がほどこされている。

 ん……? これは何でしょう……? 今日一日『私を貸す』というのだから、私が空知そらと一緒に居ればそれで済むような気がするのですが……、

「小切手帳よ。この……菜々のね。
 このあいだ作っておいたの」

 ……は? 小切手? 私の……? 一体どういうことでしょう。なんだか、とてつもなく嫌な予感が……。

 パラパラと『小切手帳』をめくって見せるお嬢様。表紙と同じく奇妙な文様で装飾されてはいたけれど、そこには確かに金額でも書き込めそうなアンダーラインが引いてあり、そして記名欄らしきところには……"Nana
Ayakusa" というサインが入っていた。これは紛れもなく……私の筆跡ではないか。

 え……? なんで……?

「こうやって使うの」

 お嬢様はそうおっしゃると、ビリッと小気味よい音を立てて『小切手』を一枚切りはずした。

 ポッと青い炎が小切手の表面を走ったかと思うと、そこに文字が現れる。

「わわっ」

 驚いて思わず声を上げてしまった私だったが、おそるおそる浮かび上がった文字を読んでみると……。

 『綾草菜々は、蒼風院ありさにキスをする』

 そこにはごく普通の日本語で、まったくもって普通ではないことが書いてあった。

「お、お嬢様? なんですか、これ……?」

「書いてある通りよ」

 ありさ様は笑みを浮かべると、小切手を空中で軽く一振りされる。またもや青い炎が小切手を包み込んだかと思うと、小さな紙切れは燃え尽きたかのようにして消滅してしまった。

「さ、菜々?」

 お嬢様はそうおっしゃると、私の方へぐぐっと顔を近づけてくるではないか。ありさ様の少し気が強そうなお顔に恍惚としたような表情が浮かび、アップで迫ってくる。ご丁寧に目までしっかりとつむっておられるではないか。

「え? え……?」

 ……信じられないことに、次の瞬間、私はお嬢様の肩を両手で抱き、そのまま顔を近づけて自分の唇をお嬢様のそれと重ねてしまったのだ。

「んんっ……!?」

 ここで自分自身の名誉のために一言お断り申し上げたいのだが、これは雰囲気に流されてしまったとかそういったことではなく、なぜか身体が思うように動かせなくなって、何かに操られるかのようにしてお嬢様と……その……接吻をしてしまったのだ。

 あぁ、女性同士のはずなのに、なぜか官能的で甘美な味わいが……って、いやいや、これはマズいでしょう、色々と!

 目を見開き、心の中では一生懸命に抵抗する私だったが、お嬢様は長いまつげを悩ましげに震わせたまま、首に抱きついてきたかと思うと、情熱的と言ってもいいくらいに唇を押しつけて……その上舌まで押し入れて前歯をこするようにしてくる。私はその積極的な動きに全く逆らえず……むしろそれを迎え入れるかのようにあごを浮かせてしまった。
 うぅ、なんだか悔しいけれど……でも、なぜか気持ちよくて……あぁ……だんだん、頭が真っ白になっていく……。

 結局、私はたっぷり時間をかけて口吻を侵略されつくしてしまい、ようやくお嬢様が身を引いて解放してくださった時には、興奮で頭にたっぷりと血が上り、文字通りフラフラになってしまっていたのだった。
 私のものともお嬢様のものともつかない唾液が、力の抜けた口元からこぼれてつい、と頬を伝う。

「……と、まあこういうわけ。
 小切手を切って、やらせたいことを思い浮かべればいいの。
 何でもさせられるわよ。たとえ本人が嫌がっていてもね」

 あぁ……お嬢様と……ありさ様と……キスしてしまった……。キス……キス……。

 ぼんやりする頭で、お嬢様が解説をしているお声を聞いていた私だったが、空知そらが見ている前だったのだということを思い出して、さらに顔が赤熱してしまうのを感じた。
 あぁ、いかなトップアイドルとはいえ、同性同士の濃厚なキス・シーンなど見せつけられて、さぞ心理的に後ずさりしていることだろう……と私は思ったのたが、当の空知そらは、

「ふーん、面白そうやね!」

 ……と言って、ニッと彼女一流の人なつこそうな笑顔を浮かべたのだった。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




 こうしてお嬢様に身売りされた(明らかに身売りではないか)私は、そらさんに引っ張り出されて近郊の遊園地に遊びに来ていた。

 ……そらさん、などと気安く呼ぶのは失礼な気もするのだけれど、他に仕様もなく、そう呼ばせて頂くことにしたのだ。

 お嬢様は『じゃ、楽しんでいらっしゃい。あたしは一人でぶらついているから』とおっしゃって、ふらりと姿を消してしまわれた。

 まあ確かに……考えようによっては、あの空知そらとデートしているようなもので、全国にウン百万人居るであろう彼女のファンならば、誰もがうらやむ垂涎のシチュエーション……と言えないこともない。

 言えないこともないのだが……私は恨めしげに隣を歩くそらさんを見上げた。
 素顔を隠す必要のない解放感からだろうか、やたらと上機嫌な彼女は、私と腕を組んで、冗談など飛ばしながら楽しげな足取りで午後の遊園地を歩いていく。

 そう、問題は例の『小切手』の魔力である。書かれた内容をそのまま実行してしまうというのだから恐ろしい。今この瞬間も『空知そらと恋人のように腕を組んで歩く』という命令を忠実に守らされているのだ。

「なんや、緊張しとるねー」

 ……とか言って、最初に下された命令がこれ。『小切手』の魔力が発せられた途端、私は彼女に身体を寄せると、その腕にひしっと抱きついてしまった。
 はたから見て仲の良い女友達……とでも写ればよいのだが、どちらかというと甘えん坊の小学生のような格好である。これはその……恥ずかしい。

 うぅ、なんでまた私なんかを連れ回すつもりになったのか……。本来ならば連れがいたはず、というお嬢様の予想は当たっていたらしいのだが、一体誰と一緒に来るつもりだったのか、そこのところは『んー、まぁ、ちょっとね』などとごまかされてしまった。
 私の考えでは……彼女がわざわざお忍びで会いに来る相手と言ったら、それはきっと恋人とか、そういう人ではないだろうか? もしそうだとするならば、私なんかではとても埋め合わせにならないと思うんだけどなぁ。

 色々と考えをめぐらせながらも、空知そらの様子をちらちらとうかがう私。

 並んで立ってみると背の高さは私とほとんど変わらないのだが、さすがと言うべきか、スレンダーながらメリハリのついた身体つきで、ウェストのくびれと形の良いバストは、カジュアルな服装の上からも女性的な魅力をいかんなく発散させている。
 なだらかなウェーブのかかった黒髪は肩のあたりまで自然に伸ばし、流れるがままにしてある。整った形の目元や顔かたちも美しいけれど、それ以上にくるくると変わる豊かな表情と、よく動く口元が印象的。快活でちょっと男性っぽいイメージもあるのかも? 頼れる姉御、といった雰囲気だろうか。

 こうしてくっついてみて初めて分かるくらいの、かすかな香水の匂い――柑橘系の香りだろうか?――が鼻をくすぐる。

 あーあ、こんな素敵な彼女を射止めた男性は誰なのかしら。

「よーし、菜々ちゃん、まずはあれや!」

 威勢のいい彼女の言葉に私は指さす方向を見る……と、お化け屋敷である。ふーむ、どっちかというと子供向けのアトラクションのような気もするけど。好きなのだろうか、こういうの。

「いいですけど。
 私、得意ですよー。ああいうの」

 自慢ではないがこの私、お化けとか怪奇現象とか、一般的に怖いとされているこの手のモノが全く怖くないのだ。心霊体験だろうがホラー映画だろうがドンと来い、である。

「えー、そうなん?」

「ふっふっふ、任せてください」

 私は(空知そらの腕に抱きついたまま)胸を張った。

「残念やなー。菜々ちゃんが怖がってキャーキャー言うの、じぃっくり鑑賞しよ思うとったのになー」

 ……あはは。一体何を言い出すのやら。

「そいじゃー、こうしよか!」

 ビリッ。彼女は小切手を切った。

 そこに浮かび上がった文字を見せられて、私は血の気が引いていくのを感じた。

『綾草菜々はものすごく恐がりになる』

「ちょっ……そ、そらさん! それ反則! 反則ですよっ!」

「さっ、行ってみよかー!」

 空知そらに引きずられるようにしてお化け屋敷に向かう私は、早くもガクガクと膝が震え出しているのを意識していた。



 結局……私はお化け屋敷の入口から出口まで、キャーキャー叫びっぱなしであった。暗闇からヌッと現れる生首やら、こっちをギョロリと睨んでくる人体模型やら、首筋に触れる生暖かい物体やら……。あ、あまりにおぞましくて思い出したくもない……。

 これで一生分は怖がったであろうというくらい恐ろしい目に逢わされた私は、最後は完全に腰が抜けてそらさんの身体に寄りかかり、グロッキー状態でようやくお化け屋敷を後にしたのであった。

 が、それは長い恐怖体験のプロローグでしかなかったのだ。どうやらそらさんは目尻に涙まで浮かべて怖がる私の姿がいたく気に入ったらしく、ご満悦の様子で『次はどれがええ?』と絶叫マシーンのラインナップを私に示した。
 あまりの事態に逃走を試みた私だったが、例の『小切手』を持つ彼女の前では、さながら狼の前の子羊のように無力であった。

「かもーん、菜々ちゃん」

「あっ、あっ、足が……勝手に!? ちょ、ちょっと、そらさんっ……!」

 私の意志とは関係なく、そらさんに諾々とついて歩いていってしまう。まるでハーメルンの笛吹きに操られる子供のよう。

「や、やめてくださいよぉ……」

「ダメダメ、菜々ちゃん今日一日は貸し出し中なんやから。観念しいやー」

 涙目になって訴える私に、しれっと答えるそらさん。

 うぅ、このサディスティックな性格、やっぱり魔女なのではなかろうか……。

「よーし、張り切って行ってみよか!」

 内心滂沱の涙を流す私とは対照的に、そらさんは実に上機嫌でそう宣言した。



「……そ、そらさーん……もう…限界ですぅ……」

 このような調子でジェットコースターやら、垂直落下式の乗り物やらを(無理矢理)体験させられた私は、スリルを楽しむどころではなく、すっかり神経を消耗しきってしまった。

 うぅ、絶叫しすぎて喉が痛い。間違いなく寿命が何年か縮んだであろう……。恐怖のあまり失禁しなかったのが奇跡とすら思える。

 ちなみにそらさんは、乗り物に乗っている最中はキャー!とかワー!とか叫び声こそあげるものの、降りると途端にケロッと元気になってしまう。度胸があるというか、肝っ玉が据わっているというか……。

「……ん? あぁ、さすがに疲れた? ごめーん」

 あはは、と屈託ない笑みを向けてくるそらさん。

 うぅっ、笑顔がまぶしい。
 本来ならば『あなたのせいでしょうっ!』と、恨みがましい視線の一つもお返ししたいところなのだが、この無邪気な微笑みを向けられるとなぜだか毒気を抜かれてしまう。

 やっぱり綺麗だなぁ、この人。

 今さらながらにそれを確認しつつ、積年の恨みも忘れて彼女に見とれてしまう私。

「そこで休んでこ。ソフトクリーム買ってあげよか。
 あ、恐がりなの、もうおしまいでええよ」

 見るとオープンテラスのカフェである。座って一休みできそうだということより、彼女の言葉と同時に心がフッと軽くなったことを感じて、ホッと一息。

「菜々ちゃーん、バニラー? チョコー? どっちがええー?」

 声の方を見やると、そらさんが売店に張り付いて、こっちに大きく手を振っている。

 やれやれ、童心に返るとはこのことだろうか。子供に戻ったようなはしゃぎようではないか。

「ミックスでー! ミックスでお願いしますー!」

 そんな彼女に、私も手でメガホンを作って大声で返事をしたのだった。



「じゃ、今しゃべってる関西弁も演技なんですか?」

「そ。キャラづくりってやつ? 今風に言うと。
 ま、それはそれで結構楽しいんよ」

 ニシシ、と笑みを浮かべるそらさん。

 私たちはソフトクリームを食べ終わってからも、他愛ないおしゃべりを続けていた。テーブルを挟んで話しているうちに、いつの間にか私の緊張も疲れもすっかり吹き飛んでいて、旧知の友人と話しているようなリラックスした気分になっていた。
 それもこれも空知そらの不思議な魅力のなせるわざ。知らず知らずのうちに彼女の明るい雰囲気に引き込まれて、こっちまで気分が高揚してきてしまうのだ。うーむ、これこそ魔法みたいなものではなかろうか。

 『やっぱり外国に別荘とか持ってるんですか!?』とか『カラオケに行って自分の歌を歌ったりするんですか!?』とか、私は大変くだらない質問を浴びせてしまったのだが、その都度笑って答えてくれるあたり、人間的な度量の広さがうかがえるというものである。

 そのうち、そらさんがこんなことを聞いてきた。

「ねぇ、あんたのご主人様……」

「ありさ様ですか?」

「そ、あの子……ホントに……その……魔女なん?」

 何を今さら、と私は一瞬思った。魔法とでも言わなければ信じられないような不思議な出来事を、そらさんもしっかり目にしたではないか。それに『小切手』のこともあるし。
 普通の人にはにわかに信じがたい事実であることは確かだけれども。それにしては、そらさんはこの事態をすんなり受け入れて、順応してるような気がするけど……。

「はぁ……そうですよ。正真正銘の魔女です。魔法を使ったりする女の子です」

「魔女ってさぁ、なんて言うか……色々と制約があったりするんやないの?」

 その質問の意味をとらえかねて、私はちょっと口ごもった。

「うーん……私はずっとお仕えしていますけれど、なんだかんだとルールやら決まり事やらはあるみたいですね。
 魔女の間でしか明かしてはいけない秘密だとかもあるみたいで、私も教えて頂いていませんし。
 本当は魔法だって、人目につく場所で使ったりしちゃいけない、ってことになってるんですよ。
 ありさ様は魔女の中でも奔放というか、自由気ままというか、もっと言うと、わがままでいらっしゃるから、あんな感じですけど……」

「そーいうのも分かるんやけど、もうちょっとなー、なんていうかなー、生き方、っていうかさ、人生的な制約?みいなのもあるんやないの?」

 そう聞いて、私は真っ先にお嬢様と蒼風院とのことを思い浮かべたが、さすがにそこまでは説明できないし、彼女がどういうつもりでそんなことを聞くのかますますもってよく分からないし、少々困ってしまった。

「そ、そうですねぇ……人生とかって言うと、じゃあ魔女はなんのために生きるのか、っていう問題になるんですかねぇ……そこまでは私、あんまり考えたことないですけど。
 でも、しがらみみたいなものはあるみたいですし……自分の家族のためとか、魔女の組織のために、一生をかけて働いたりするようなことも……きっとあるんじゃないでしょうか」

「ふーん、そうか……そうだよね……」

 我ながらしどろもどろで要領を得ない説明だったが、それを聞いたそらさんは、ほおづえをついたまま、ちょっと目を細めて、何か懐かしいものを思い浮かべているかのような表情で私のことを見つめている。
 彼女の声音にちょっぴり寂しそうな響きが含まれていたことに、遅まきながら私は気づいた。

 なんだろう。ちょっとした違和感。こんな反応をするなんて、なんだか……魔女のことを知っているみたいではないか。それとも、やっぱり彼女も魔女だから、なの……?

「ねぇ、魔女ってさぁ」

 しかし、そらさんはパッと明るい顔に戻って言った。

「は、はい……?」

「すごくエッチだって、ホント?」

 ニッ、と彼女は人なつこい笑みを浮かべた。



 まさか空知そらがそっち方面の興味を持っているなんて思いもしなかったが、私はどうやらあやしいぞ、と考え始めていた。
 さっきの質問を聞いて……私は絶句したままゆでだこのように真っ赤になってしまったのだが、その時、彼女の目が一瞬ではあるがキラリと怪しく光ったのだ。まるで獲物をを見つけた肉食獣のような、剣呑な光である。
 そして私は、その輝きをよーく知っていた。なにしろ私に(ときにエッチな)いたずらをして遊ぼうとたくらんでいる時のお嬢様の目に宿る光とそっくりなのである。

 あぁー、ちょっと困ったことになった……かも……。

 夕暮れの観覧車。私は少々落ち着かない気分でゴンドラの座席に座っていた。隣に座っているそらさんと時折肩が触れあうのが妙に強く意識される。

 とはいえ、そらさんも今は黙って窓の外に広がる光景を見つめている。

 つられて外に目をやると、綺麗な秋の夕焼け。朱色に染まる海の上に、燃える夕日が手持ちぶさたに浮かんでいる。

「綺麗ですねぇ……」

 思わず私は口にしていた。

「そうやねぇ……」

 そらさんも心ここにあらず、といった様子で視線を彷徨わせている。

 と、そのとき。

 ガタン、と音を立てて観覧車が突然、止まってしまった。

「キャッ」

 ゴンドラが揺れたはずみで、私はバランスを崩して……そらさんの腕に抱きつくような形になってしまう。

「あ……ご、ごめんなさい!」

 あわてて身を離すが、必要以上にわたわたとしてしまう。いやいや、こんなことまで意識するなんて、さすがに自意識過剰であろう……落ちつけ、私。

 観覧車が止まるなんて、よくあること……すぐ動き出すに違いない。そう思った私だったが、遊園地の敷地を見下ろして、ある事に気づいた。

「あれ……停電、ですか……?」

 ぽつぽつと点り始めていた街灯や電飾も、人工の明かりは軒並み消えてしまっている。

 よく見ると他のアトラクションも急停止してしまったようだ。ジェットコースターなどはレールの途中で立ち往生してしまっている。

 遊園地全体が動きを止めて、夕焼けの赤い光に沈んでいた。

「そうみたいやね」

 そらさんは落ち着いたものだ。

 メガホンから係員さんのアナウンスが聞こえてくる。やはり停電のようだけれど、観覧車の乗客はその場でしばらく待っていて欲しいとのこと。

 まあ仕方ない。じっくりとこの眺めを堪能できると思えば悪くないというもの。

「のんびり待ちますかぁ……」

 そう言ってそらさんの方へ向き直った私は、遅まきながら彼女の目つきが変わっていることに気づく。

 さきほど一瞬だけ覗いた剣呑な光が、今は隠すそぶりもなくあらわになっている。目尻に浮かんだ表情は捕まえた獲物を品定めしている獣のごとく、今にも舌なめずりが聞こえてきそうなほどである。

 口元には、もう見慣れてしまった、いたずらっぽい笑み。

「え……あのー、そらさーん……?」

 自分の声が情けないほど震えているのを、はっきりと意識することができる。

「菜々ちゃん、ちょっと楽しいことしよかー?」

 これみよがしに『小切手』をちらつかせながら、そらさんが迫ってくる。

「い、嫌ですっ! やめてくださいぃっ!」

 あわててそらさんの側を抜け出した私だったが、狭いゴンドラの中で逃げられる範囲などたかがしれている。すぐに反対側の座席に追いつめられてしまった。

「そんな可愛い反応見たら、ますますコレ使いとうなってしまうわー」

「だだだ、ダメですってば! やめて! 許してっ!」

 完全に狩猟モードに入ったそらさんの目には、冷や汗を浮かべつつ必死に拒絶の言葉を並べる私など、あわれな獲物としか映らなかったであろう。にんまりと笑って『小切手』を一枚、ペリッ。

「うひゃっ!? 
 一体何を……って、ちょ、ちょっと! そらさん!?」

 目に見えない力に支配されて、またもや勝手に動き出してしまう私の身体。ゴンドラの座席に手をついて、やや股を開き、そらさんの方に向けてお尻を突き出すような姿勢を取らされてしまう。

 こ、これではまるで自分から大事な箇所を差し出しているようではないか。そのことに気づき、あわててどうにかしようと、ウンウンうなりながら身体を動かそうと試みるものの、首から下がまったく思い通りにならない。
 『小切手』の魔力に操られて、完全にそらさんの支配下に入ってしまっているのだ。

「そらさんっ! やめてくださいってば!」

「まあまあ、そのうち菜々ちゃんも楽しくなるって。
 んー、もうちょっと高く上げてもらおっかな?」

 必死に懇願する私をさらりと受け流して、追加リクエスト。

 その要望に応えるように、ぐいっ、っと私の腰が持ち上がる。

 あぁっ、もう! 自分の身体だというのに……! 私の意志とは関係なく好き勝手に操られて、こんな屈辱的な格好をさせられるなんて……。悔しいやら恥ずかしいやら、頭の中は混乱の極み、私は完全に冷静さを失っていた。

「ふーん、健康そうな腰つきやないの」

「ひあっ!」

 スカートの布地の上から私のお尻をむにむにと触りながら、実に楽しそうに品評を加えるそらさん。ううっ、、このいやらしい手つきは一体……。

「じゃ、今度はきちんと見せてもらおか?」

 相変わらず楽しそうな口ぶりでそらさんが言って、また『小切手』を切る。その小気味よい音を耳にするだけで、私の心臓は恐怖のあまりドキリと跳ね上がる。

 こ、今度は一体なにをさせるつもりなのだろうか……!? それに、見せてもらう、って……。高まる不安に身がすくんでしまう。

「え……えぇっ!?」

 疑問はすぐに解けた。私の身体は再び勝手に動き出すと、片手で身体を支えたまま、もう片方の手でスカートの裾をめくり上げ、下着を下ろして、すでにそらさんの方に向けられている股間を露わに……って、ちょっと待った!

「うわわわわっ、わわっ!
 そ、そらさん!? なっ、なっ、何をさせるんですかぁぁっ!!!」

 ほとんど悲鳴のような抗議の声はしかし、そらさんには一向に応えないようであった。

「はーい、このままご開帳といこかー」

 相変わらず嬉しそうな声で宣言するそらさん。あぁ、愛嬌のある顔にニヤリと浮かんだ笑みが目に浮かぶようだ。

 淡泊な印象があるであろう私のヒップはあっという間に露出し、さらに恥部さえもそらさんの目の前に晒されてしまった……。

 あぁ……今日出会ったばかりの他人に、こんな恥ずかしい場所を隅から隅まですっかり観察されてしまうなんて……。ひどいです、そらさん……しくしく。

 しかし、事はそれだけでは終わらなかった。

 下着を膝のあたりまでずり下ろした私の手が、おもむろに秘所へと伸ばされたかと思うと、人差し指と中指で秘裂を挟み込み、むにっ、と力を入れて思い切り押し広げたのだ。

「へ……?」

 まさかそこまでさせられるとは思っていなかった私は、一瞬何がなんだか分からなくなってしまったが、自分が何をしているのかを正確に理解した瞬間、あまりのことに恥も外聞もなく叫び出していた。

「きゃああぁぁぁーーー!!!」

 唯一自由になる首を必死にそらさんの立っている後ろの方へと振り向けて、顔を真っ赤にして嘆願する。

「ダ、ダメえぇぇぇっ! みみみ、見ないでくださいぃぃっ!!
 見ちゃダメですっ! ダメですったらぁぁっ!!」

 この時、目尻には涙の粒が浮かんでいたと思う。

 しかし……

「菜々ちゃん、言ってることと、やってることがちぐはぐよぉ?
 自分で見せつけといてそんなこと言うたかて、道理に合わんで」

 そらさんはケタケタと明るく笑って、相手にもしてくれないのである。

 なおもぎゃーぎゃーと子供のように泣き叫ぶ私を尻目に、『どれどれ?』などと言って顔を近づけてくる。

「おーおー、ピンク色できれーな性器やないの。
 菜々ちゃんと同じで、可愛いでぇ?」

「そ、そんなこと、言われたって……!」

 あぁっ、ちょっとだけ嬉しかったりなんて……そんなことはっ。どう考えだって、おだてるというより辱めるためのコメントではないかっ。それは分かってるはずなのに……もう、何がなんだか……。

 あぁ、ただひとつハッキリしていることは、とにもかくにも、今すぐ死んでしまいたいほど恥ずかしいということだ……。

 も、もう耐えられません……。首をうなだれ、ぎゅっと目をつむってしまった私だったが、そらさんはそう簡単に獲物を解放してくれなかった。

「お? このお豆ちゃん、ちっとばかり反応してるんやないの?
 見られて感じちゃった?」

「……っ! そんなわけっ……!」

 そらさんの無遠慮な指摘に、反射的に首だけを振り返って反論してしまう。

 しかも、『もしかして……』と意識してしまったが最後、なにやら股間にムズムズとした感触があるような気がしてきて、どうしようもなくなってしまった。

「素直に認めれば、楽にしたげるよー?」

 そう言って、ふうっ、と息を吹きかけてくるそらさん。

「ひゃぁあっ!」

 そのかすかに撫でるような微妙な刺激に、私はついにあられもない声を上げてしまう。

「ほらほら、やっぱり、感じてるんやないの」

「ち、違いますっ! これは……」

 あわてて言いつくろう私だったが、

「ふーん? じゃ、これはどないかなー?」

 そらさんが、今度は指をゆっくりと私の秘所に侵入させてくる。ひんやりとしたその感触に、思わずビクリと身体を震わせてしまう。

「うわあっ! そらさん、やめ、やめてくださいっ!」

 そうは言ったものの、その指がやすやすと入り込んで来られるのも、他ならぬ私自身の指先が、しっかりとクレヴァスを開いて固定しているからなのだ。

「ほーら、菜々ちゃん、かわいーく、よがってなぁー?」

「あぁっ! そらさんっ、そらさんっ!
 やめ……ふああぁぁぁっ!!」

 ……結局そんな調子で、(昇天することのない程度に性欲を刺激されながら)そらさんが満足するまでさんざん弄ばれてしまったのだった。



「うぐぐぅ〜……」

 『小切手』の呪縛からようやく解放された私は、そらさんへの恨み言も忘れ、へろへろになってダウンしてしまった。
 いじくりまわされて疲れ果てたというよりは、もっぱら精神的なダメージが著しい。

「魔法も捨てたもんじゃないわね」

 ぼそり、とそらさんが何かを口にする。

「え……?」

 ぼんやりしていた私はそれがよく聞き取れなくて、思わず聞き返してしまった。

「んー、なんでもないんよ」

 はて、と、そらさんの方を向いた時には……すでに見慣れたニコニコ顔、口元にあの人なつこい笑みを浮かべてこう言ったものである。

「そしたら菜々ちゃん、次、行ってみよかー?」

 私は絶句した。



 もはや手慣れた動作で『小切手』を切るそらさん。一体何をさせられるのかと怯える私。

 あぁ、今日これで何度目であろう。もう意に沿わぬ行動(しかもエッチな)を強要されるのはこりごり。心ならずも主人であるお嬢様をお恨み申し上げるも仕方なし、というものである。

「イヤやなー、菜々ちゃん、そんな怖がらんでもええって!
 今度はホントに、楽し〜いことになるんやから」

 相変わらず上機嫌でそんなことを言うそらさん。

 ほ、本当だろうか……。これまでの経緯をかんがみるに、そのような言葉はまったく全然、信用ならない気がするのだけれど。
 それでもそう言われるとなんとなく信じてしまいそうになるのは、そらさんの声音に人を惹きつける魅力があるから? それとも単に私がお人好しだからだろうか?

 あれこれ考えていた私だったが……変化は唐突に訪れた。

「あ、あれ……?」

 突然、キュン、と胸が締め付けられたように苦しくなって、それから……心が毛羽立ったかのようにざわざわとしはじめて。

 な、なにこれ……? なにがなんだか分からずに、自分で自分の胸をギュッと抱きしめて、そらさんから逃れるようにして反対側の座席へと移動してしまう私。

「あ……あぁ……」

 だって、なんだか……ちょっと申し上げにくいのだが……目の前に立つそらさんが、急に……なんと言えばいいのだろう、愛おしく思えてきたのだ。そう、間違いない。これは紛れもない……愛情ではないか。それも私がいつもお嬢様に抱いているような親愛の情ではなく、もっと激しく、心揺らされるような……。

 もっとハッキリ言ってしまうならば、この切ない気持ちは……。そう、恋、じゃないのかしら……?

 こ、恋っ……!?

 なにそれ!? なんで突然……じゃなくて、なんでそらさんに!? そりゃあ私が知っている人の中でも飛び抜けて美人なのは間違いないし、テレビでそらさんの出演する番組はかかさずチェックしているし、今日だってほぅとため息をついてしまうくらい綺麗に見える瞬間が何度かあって……でもそれは憧れのようなあいまいな感情であって、恋だなんていうものでは……。

 ……って、いやいや、そういう問題ではなくて! だって、だって……そらさんは、じょ、じょ、女性なんですよおぉ!?

 私はおおいに慌てた。

 こ、これも、『小切手』の魔力なの!? まさかそんな、人の心にさえ、あれこれと細工できるような代物だったの……!? でも先ほど『恐がり』にされたりしたこともあったわけで……。

 そ、そんな植え付けられたような感情に、私は負けたりしない、したくないっ! あぁっ、で、でも……この暖かくも甘い感情が胸のうちを満たしていくのが感じられて……。

 それによく考えたら、私は元々そらさんのことが大好きだったのではないか。いやいや、だからって……あぁ、もうなにがなんだか。

「どや、菜々ちゃん?」

 耳朶を打つそらさんの声すら、心の中に幸福感を呼び覚ましてやまない。

「あぁ……そらさん……そらさん……」

 ゆるゆると首を振って、ぎゅっと手を握りしめると、そらさんの綺麗な顔を改めてじっと見つめてしまう。その時の私の瞳は、きっと穢れを知らない乙女のように純粋な輝きを宿していたことであろう。

「はは、どしたの。来てええんやで」

 そう言ってそらさんが腕を広げたから、もうたまらなかった。私はほとんど飛びつくようにしてそらさんに身を寄せると、その柔らかな胸に顔をうずめた。

「あぁ……私、なんだかおかしいんです!
 そらさんのこと見たら、自分でもどうしようもなくなっちゃって……」

「いいやないの。ウチと菜々ちゃんと、恋人なんやし」

 えぇ……? 恋人……!? 私と、そらさんが……? 一体何を……。

 頭の片隅にちょっぴりの違和感。でも、それすらかき消されるようになくなってしまって。

 そ、そう……そうだった。二人は……れっきとした恋人ではないか。愛し合う者達。祝福されたパートナー。

 なんでそんな当たり前のことを忘れていたのだろう?

「菜々ちゃん、どう、今の気持ち?
 正直に言ってみよかー? 恋人なんやし」

 そらさんが、私を抱きしめてくれている……。そう思うと、ポッと頬が朱に染まるのが自分でも分かる。

 ほんのりとただよう柑橘系の香りが鼻孔をかすめた。

「幸せです……とっても……」

 心の底から、そう答える。

「じゃ、ウチの身体のこと、どう思う?」

「え……ど、どうって……」

 そらさんは、わざと私に恥ずかしいことを言わせようとしているのだ……。おどおどと口元に手をあて、うつむいてしまう私。

「ほら、言って?」

「ス、スタイル良くて、うらやましいですぅ……」

 なぜか甘えたような声になってしまう。

「おおきに。
 したら、菜々ちゃんの身体は、見せてくれへんの?」

「そ、それは……」

「見たいなぁ……」

 耳元で囁かれる甘い睦言。

 恥ずかしい……。そう思って躊躇した私だったけれど、内心、そんな風にそらさんに言われたら断り切れないということは分かっていた。

「ね、いいでしょ? 恋人なんだしぃ」

「は、はい……」

 ぬくもりをいっぱいに感じて幸福感に浸りながら返事をする。ちらりとそらさんの顔を見上げると、形のいい瞳でじっと私のことを見つめている。

「じゃ、見せて欲しいなぁ。菜々ちゃんの裸」

 悪戯っぽい微笑を浮かべて、おねだり(?)してくるそらさん。

 あぁっ、そんな……恥ずかしい……でも……。

 すでに私の心は決まっていた。

 そらさんになら……大好きなそらさんになら、全部見せてもいいっ!

「は、はいっ! 分かりました!」

 必要以上に気合の入った声でそう宣言する私。

 ……けれど、やっぱり恥ずかしいので、おずおずとそらさんから身を離し、反対側を向く。

 小心者とそしるなかれ、恋人の前だからこそつつましく、恥じらいを見せるのも乙女のたしなみというものです。

 ちらちらとそらさんの方をうかがいながら、上着のボタンを外しにかかった私だったが……。

「全部、見せて欲しいんやけどなぁ」

 そらさんにそう言われると……どんなに恥ずかしくても拒否することはできなかった。

 しぶしぶといった調子ながら、結局はそらさんの目の前で着衣を脱ぎ捨てるところを披露することになってしまったのだ。

 そらさんに見られている……。その視線を意識すると、まともに目を合わせることなど思いもよらず、私はのろのろとカーディガンに続いてワンピースを脱ぎ捨て、そして躊躇しながらも下着にまで手をかけて……。

 一度は履きなおしたショーツからするりと足を引き抜くと、私はそらさんの目の前で、生まれたままの姿になってしまっていたのだった。

「ふえー、肌白いなぁ、綺麗やなぁ」

 顔から火が出るほど恥ずかしかったけれど、恋人のそらさんが褒めてくれるその言葉で、ドキドキと高鳴る胸もいくぶん落ち着きを取り戻すかのように思えるのだった。

 胸元と股間には隠すともなく手を当てて、さりげなくそらさんの視線を遮ろうとしていた私だったが(あからさまに隠そうとするようでは逆に恥ずかしいではないか)……。
 やはりじっくりと見られているという事実はそれ自体が強烈な刺激であって、期せずして私はある種の昂ぶりを覚えはじめていた。

「ふふ、そしたら……」

 ペリッ。そこに、そらさんが『小切手』を切る音が聞こえて……。

「…………!?」

 突然、狂おしいまでの衝動が心の中に生じて、私は息を飲んだ。

 今さっきまでそらさんに対して感じていた恋いこがれる気持ちを何倍にも濃縮したような、抗いがたいむきだしの感情。そのどうしようもない生理的欲求に支配されて、一瞬にして私は恋する乙女から劣情をむさぼる雌へと変えられてしまったのだ。
 それに加えて、さきほど性的ないたずらを受けた残り火だってまだ消え去ってはいないのだから、たまらなかった。

「そらさん、そらさん……!
 私っ、もう我慢できません!」

 何かに駆り立てられるようにして、私は裸のままそらさんに文字通り飛びついていたのだった。

「うわっ。ちょ、ちょっと待ってぇな?」

 押し倒されるようにして座席に腰を落としたそらさんは、その形のいい胸のふくらみにむしゃぶりつこうとする私を腕で押さえ込みながら、なんとか上着を脱ぎ去ったものの、あいにくと私の方はそれ以上の辛抱などできない相談で、肌にぴったりとフィットしたアンダーシャツを脱ぐ暇など与えはしなかった。

「あぁっ、もう! こんなにしたのはそらさんなんですから!
 全部そらさんがいけないんですから!
 だから責任を取ってください!」

 自分でもわけの分からないことを口走りながら、私はそらさんの肌着に下から手を突っ込むと、はぎ取るようにして乱暴に下着を押しずらし、ほとんど暴力的なくらいの力をこめて胸を揉み上げた。

「ひゃぁっ! な、菜々ちゃん!?」

「そらさんの肌、きめこまかくて、吸い付いてくるみたいですぅ……」

 まるでふわふわの綿菓子のような柔らかさと、不思議なくらいの弾力を兼ね備えたそらさんのバスト。その素晴らしい感触を楽しみながら、私は自分の身体を押しつけるようにして、半分だけ露出した胸をターゲットに責めを続けた。

「あぁ、食べちゃいたいくらいです……」

 じっくりとなぶった後で、ほおずりをして……それから今度は本当に口に含むようにしつつ、舌を使ってねっとりと舐めあげる。そらさんの抵抗にも構わず、私の唾液が恋人の肌を汚していることに奇妙な興奮と満足感を覚えながら、胸への刺激を続ける。

 頂点の突起をぺろりとひときわ熱情をこめて刺激すると、そらさんの身体がビクリと震えて、ついにその口から悩ましげな響きが漏れた。

「ひぁ……」

 ぺちゃり、と淫猥な音を響かせながら、私は唾液にまみれた双丘を両手を使ってこね回す。

「んっ……乳首、いいんですかぁ?
 私だってもう、すっかり濡れちゃってるんですからぁ……そらさんもたっぷり感じてくれなきゃ」

 快感のせいか抵抗が弱まったのを幸い、そらさんの身体にのしかかるようにし、肘で腕を押さえつけて、弱点らしい乳首に向けて指と舌を駆使する。

 左の乳房を手のひらで包むようにしつつ、親指と人差し指で乳首をつまむようにして転がすと、ピンク色の突起は明らかに硬く立ち上がった。

「そらさん、素直に……なってくださいね」

「あっ、菜々ちゃん、もうちょい優しく、優しく、な?」

 そらさんだって最初はリードするつもりだったのかもしれないけれど、いまや防戦一方。それならばと私は本能にまかせて好き勝手に責め立てた。

 あぁ、だって……大好きな人の肢体を目の前にして、この熱情を抑え込むことのできる恋人なんて、この世にいるものだろうか?

「こことか、どうですかぁ……」

 上目づかいでそらさんの顔色をうかがいながら、乳房から脇へのラインなどに指を這わせてみる私。なんでそんな勘が働くのか自分でもよく分からなかったけれど、そこがそらさんの性感帯だという妙な確信があった。

「あっ、まずいって、そこは……。
 な、菜々ちゃん、なんでそんなに上手なの……?」

「あっ、いいんですね。じゃ、今度は舐めてあげますから……」

 端正なそらさんの顔に劣情の色が浮かぶのを見て取ると、私はゾクゾクと嗜虐心を刺激されながら、今度は同じ場所に顔を近づけようとする。

 しかし、そらさんの方もたまらなくなったのか、抗うようにして腕を伸ばすと、私の頭を押さえつけて、急所を責めさせまいとまいと懸命になる。

 その抵抗すら愛らしいと思えてしまうのが愛情だったりするのだけれども……それならそれで、私にも考えがありますよぉ。

「そらさんのウェスト、スリムですよねぇ……ホントうらやましいなぁ」

 それを聞いて私の意図を察したのだろう、そらさんの身体が一瞬こわばるのが密着させている肌から感じられた。

「上がダメなら下ですよねぇ」

 よく分からないことを言いながら、私はそらさんの腰のベルトに手をかけた。あわてて股を閉じて腰を引こうとするそらさんだったけれど、私はすかさず自分の脚を割り込ませ、体重をかけて逃げるのを許さない。

 カチャカチャと鳴るバックルの音ももどかしく、ジーンズのボタンを外して……と。

 あーあ、私がお嬢様だったらなぁ……魔法でちょちょいのちょい、軽く指を振るだけで、ベルトがひとりでに解け、ジーンズも勝手に脱げちゃって、でもショーツだけは自分の手でじっくり脱がせてあげる、っていう具合なのに、きっと。それとも一瞬でパッと裸にしちゃうとか……?

 そらさんの身体だって操り人形みたいに好きに操って、いやだいやだって言ってるのに恥ずかしい格好をさせちゃって、感じる場所を自分から告白させながら、じっくり愛撫したりとか……。

 けしからぬ妄想をふくらませながら、私はそらさんの大事な所を露わにしつつあった。むっ、ショーツは黒のレース地。これはまた扇情的な。下着姿のそらさんも一見の価値ありといったところですかね。
 でも今回はお邪魔なだけなので、ちょっと除けさせてもらいますよー……っと。ちょいっと指をひっかけて、ショーツをはぎ取ってしまう。

「菜々ちゃん、か、堪忍……」

 いつも快活なそらさんに似合わずなんだか弱々しい声だったが、そのギャップがこのアイドルの魅力を増幅させているようにも思えて、かえって乗り気になってしまうというものだ。

 薄いヘアに包まれたつつましやかな性器が現れる。

「うわぁ、とっても綺麗ですよぉ」

 私は愛情をこめてチュッと割れ目に口づけをする。

 それだけの刺激で、そらさんはビクンと身体を硬くした。

 私のキスで感じてくれたんだと思うと、恋人として嬉しいと同時に、そらさんを責め倒したいという欲望がむくむくと頭をもたげてくる。

 早速、裂け目に指をあてがうと、こすりつけるようにして優しく上下に動かしていく。

 ふっふっふ、さっき手も足も出ない状態で弄ばれたお返しですっ。

「あっ……」

 少し驚いたような声音が、甘い吐息と一緒にはき出される。敏感な反応だった。

 本人同様、性器の方も急激に淫蕩の度合いを深めていた。快感と共に分泌されたのであろう透明な液体がきらめき、割れ目を伝っている。その粘り気のある感触を指先で確かめた私は、唇を押しつけてそれを舐め取りつつ、舌を伸ばして秘所の守りを破ろうとする。

「んっ……菜々ちゃん、激しすぎ…や……って……」

 半分は着衣を残したままのそらさんに全裸の私がのしかかる様は、さながら発情した獣に襲われる村娘といった図案であろうか。とはいえ本当に嫌がっているなら無理矢理に行為に及んだりするものではない。私だって愛するそらさんを傷つけたいなんて思っていやしないのだから。

 その点、そらさんの反応は、恥じらいにイヤイヤと身を震わせながらも明らかに期待が見て取れるものだから、私はすっかり自信をつけてその誘いに乗ってしまう。

「ろうれすかぁ……?」

 徐々に指を使った刺激を強くしていきつつ、首尾よく裂け目に舌先を滑り込ませた私は、ここぞとばかりに内側からかき混ぜるように活発に動かした。

「ひゃぁぁっ! ダメぇぇぇっ!」

 そらさんが快感に震える。

 そのうわずった声に、悩ましげな表情に、震える肢体に、たまらない愛らしさを感じてしまって、私は夢中になって舌を使う。

「ああっ! ふああぁっ!!」

 その綺麗な声音に陶酔しながらも容赦なく責めを続けると、そらさんも敏感に反応して感じてくれているのが分かり、ますます刺激を強めてしまう。

「あぁっ! やめっ、やめてっ! そんなにしたら……」

 あっ……もう、イッちゃいそう? 触れあった肌を通してそらさんの熱をしっかりと感じながら、せっぱ詰まった感覚を察知して、私はこれで最後とばかりに責めを加速した。

 見せてくださいね、そらさんの最高に惚けた顔……。

「あぁんっ!! ひあああぁぁぁっ!!!」

 感極まった声と共に、そらさんは絶頂の証に盛大に潮を吹いた。

 心からの満足感を覚えながら、私は顔にかかったその淫らな液体をペロリと舐め取ったのだった。



 それからしばらく……そらさんの弛緩しきった顔を見て幸福感に浸っていた私だったが、今度は自分も気持ちよくなりたいなぁという、ある種当然の欲求がわき上がってきた。

 しかし、そらさんはけだるそうにゴンドラの座席に寄りかかったまま、四肢をぴくりとも動かさない。う〜ん、これはずいぶんと気持ちよかったのに違いない。
 我ながら上出来、上出来。でも、今度は私も……。

 私はのしかかるようにして身体を持ち上げ、そらさんの顔に自分の顔を近づける。快楽のバラ色に染まった美しい頬をペロリと舐めてから、ふと思いついて薄くルージュを塗った唇を奪おうと……

 ……した時だった。

「キスはダメよ」

 そう言ったそらさんの声は、驚くほど冷静だった。ちょっと前までよがり声をあげていたなんて、とても思えないくらい。

 ビックリして目を開いた私に向かって、きゅっ、と魅力的な笑みを浮かべると、つん、と私の額をつつく。

 その瞬間――私はすっかり正気に戻ったのだ。

「うひゃっ!?」

 ……と同時に、自分が何をしたのかを思い出し、飛びすさるようにしてそらさんから離れる。

 その勢いで、ゴンドラがぐらぐらと揺れた。

 そらさんの恋人だと思いこんでいたこと、あれこれ不埒な行為に及んだこと、そして自分が今まさに全裸であるということ……色々なことがいっぺんに頭に浮かんで、私はなかばパニックに陥いりそうであった。

 けれども、半狂乱になるよりも先に、私は凍り付いたように固まってしまったのだ。

 なぜなら、もっとショッキングなものを目にしていたから。

「な、なんで……なんで泣いちゃうんですか!?」

 身を起こして、でも服装を整えようともせず、ただ座って窓の外を眺めている、そんなそらさんの頬を伝うのは……それは確かに涙の筋だったのだ。

「ここ、さ。今日……。
 一人でも、来るつもりだったんだ」

 私とは目を合わせずにそう言ったそらさんは、流れる涙をぬぐおうともしない。

 なぜか心打たれて、私はそっとそらさんの隣に腰掛けると、そのしなやかな手を握った。その手はさっきまで熱情を燃やしていたことなんて信じられないくらいに、冷たい。

「あなたにも、そんな時がくるかもしれない。
 いつか、大切な人をなくす時が……」

 声が震えるのも構わず、つむがれたそらさんの言葉は、きっと私に向けられていたはずだけれど、それは半分、自分自身に言い聞かせる独白だったのかもしれない。

「でも、あんまり泣いたらだめだよ。だって、その人に失礼だもん。
 だから泣いちゃダメ。ダメだよ……」

 涙はとめどなく……。

 その時の私は、語るべき慰めの言葉なんて一言だって見つけられなくて、ただ親愛の情を示そうと肩を寄せる、それが精一杯だった。

 そらさんの胸元からかすかに漂う香水は、不思議と気高く、それでいて優しく、そしてちょっぴり悲しい香りがした。

 ――ガタン、と音を立てて観覧車が動き始めた。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




 結局、聞けずじまいだった。

 遊園地を後にしてからのそらさんは、ケロっとして何事もなかったかのように明るい笑顔、冗談は飛ばすし、なにかとちょっかいは出してくるし……今までと同じデートの続き、といった案配だったのだ。

 一体、あの遊園地でなにがあったのか、そらさんの大切な人って誰なのか、今日はそらさんにとってどんな日なのか。お嬢様が推理していたように、そらさんは誰かと待ち合わせていたのか。

 答えはおぼろげに浮かんでいる。けれどもそれを確認することは……私にはできそうになかった。

 そう、そして……空知そらは魔女なのか?

 色々な疑問をかかえたまま、私たちはお嬢様との待ち合わせ場所に到着してしまったのだった。



「すごいもんやねー、魔法の威力は」

 そらさんは素直な感想を言って、お嬢様に『小切手』を返した。

「そうでしょう。
 この子のことも気に入ってくれたんじゃかしら?」

「そりゃ、もちろん」

「良かったじゃない、菜々」

 あはは……そりゃあ、まぁ、そらさんに気に入ってもらえたのは嬉しいけれど、あれやこれやと恥ずかしい思い出のおまけ付きでして……。

「それじゃあ」

 ありさ様がきりっとしたお顔にいちだんと真剣な表情を浮かべておっしゃった。

「約束通り、聞かせてもらおうかしら。
 あなたが、魔女であるかどうか」

 おっと、そうだった。

 私だって、いずれそらさんの口から直接答えが聞けると思ったればこそ、今まで確認の質問を控えていたという側面もあるのだ。

 そういう意味ではようやく訪れた待望の瞬間ではないか。どきどき。

「いやぁ、それがさぁ。
 確かにあんたが魔女だってことは認めるし、魔法だって信じる。
 せやけど、ウチが魔女やなんて言われてもねぇ。
 そんなわけないやないの」

 そらさんはニッと笑顔を浮かべて、そんなことを言う。

 なんだぁ、やっぱりそうだったのかぁ。私はホッとしたけれども、なんだか拍子抜けしてしまったのも事実であった。

「ふふん、嘘ね」

 しかし、ありさ様は自信満々にそう言い放ったのだった。

「えぇ……? でもお嬢様……」

「嘘かどうかは」

 ありさ様は私の言葉を遮っておっしゃった。

「すぐ分かるわ」

 えっ、どうやってですか……と言いかけた私の方へと向き直ると、お嬢様は軽く背伸びをし、素早く私の唇に接吻された。

「!?」

 接吻、である。いわゆるキス。本日二回目の口づけ。

「お、お嬢様!? いっ、いきなり何をなさるのですかっ!?」

 カッと頭に血が昇って、私は恥ずかしさに身体を震わせながら断固お嬢様に抗議しようとした。

 ここは公衆の面前であって、そのよーな破廉恥な行為が許される場所では云々……と頭の中で文句を考えていた私だったが、しかし、ありさ様の方は何か別のことに気を取られており、私のことなど全く意に介しておられなかったのだ。

 首をかしげる仕草は可愛らしいものの、なにやら考え込まれているご様子。

「……おかしいわね。菜々、もう一度よ」

 そんなことをおっしゃって、ふたたび私の唇を奪おうと背伸びしてくるではないか。

「わわっ、お嬢様、ですからそのような……」

 私は必死でありさ様から逃れようと身をよじる。

「こら! 逃げるんじゃないの!
 おとなしくしないと魔法をかけちゃうわよ」

「そ、それはご勘弁をぉ……」

 子供のように追いかけっこを続ける様子を微笑ましく思ったのであろう、そらさんはあの人なつこい笑みを浮かべ、優しい表情で私たちを眺めていた。



「絶対におかしいわ!」

 そらさんとお別れした後、帰りのタクシーの中でも、ありさ様は釈然としない表情であった。

「キスしてないはずないのに……」

 私にはなにがなにやら、ちんぷんかんぷんであったので詳しい説明を求めたのだが……。

 ありさ様がおっしゃるには、どうやら最初に私にキスをした時に、何かの魔法をかけていたらしいのだ。

 間接的な読心魔法……つまり、魔法のかけられた私の唇に、そらさんの唇が触れると、なにかの魔法的な反応が起こって、私の唇を通してそらさんが嘘をついているかどうかが分かってしまう、という……なんだかとても回りくどい仕組みの魔法なのだ。
 例えるならば、なんだろう……化学実験で使う試験薬のようなものだろうか。

(それならばそらさんに対して直接魔法を使ったことにはならないから、義理を損なうことにはならないそうである)

 ……ところが、結果は『そらさんは嘘をついていない』と出た。

 彼女の言葉は本当であった、つまり彼女は魔女ではない……ということだ。

「あなた、少しはエッチな命令とかもされたんでしょう?」

 ありさ様は私の顔をのぞき込んでそんなことを聞いてくる。

「あはは、少しでは済まなくて、割合、どっぷりと」

「そうよねぇ。
 こっちだって最初からそういう予定だったんだし……」

 お、お嬢様……やっぱりそういうおつもりだったのですね……。ありさ様のたくらみはいつもながら悪魔的である。

 しかしそこで、私はあることに気づいた。

 あれ……? 私、そらさんとキスなんてしたかしら……?

 んー? したような、してないような? 疑問に思って今日の午後の記憶をたどってみようとする。……が、脳裏にはキスなんかよりきわどいシーンばかりが鮮明に浮かび上がり、私は羞恥心に苛まされて回想を断念した。

 うーん、我ながらやり過ぎだったと思う、色々と……。

 気づくと、目の前にはありさ様の美しいお顔。う〜、などとうなって唇を可愛らしく尖らせ、なんだかご不満なご様子である。

「やっぱり納得できないわ!
 この不愉快な気持ちは菜々をいじめることで発散するしかないわね」

「そ、そんなご無体な……」

 理由なき大ピンチである。だが、私は意外なところでそらさんに救われたのだった。

「あら……?」

 ふと何かに気づいた、といったご様子で、くんくん、とお嬢様が鼻を動かす。

「菜々、あなた香水なんてしていたの?」

「え……? あぁ、多分、そらさんのじゃないですか。
 でも、よく分かりますねぇ。私だってずっとそばにいて、つけてるかどうかほとんど分からないくらいだったのに」

「魔女は鼻が利いてこそ、よ。
 ん…………これ、ちょっと高級な香水じゃない? 確か……」

 思案げに一拍おいてから、お嬢様はおっしゃった。

夜間飛行[ヴォル・ド・ニュイ]



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




 さて……こういった次第で、お嬢様との『賭け』は私の勝ちという結果になった。

 しかし、ありさ様はいまひとつ腑に落ちないご様子であったし、私自身、空知そらと一日過ごしてみて、なんとなく疑わしいと思っていたのも事実。彼女が魔女なのかどうか、という興味本位の感情に収まりがついていないというのが正直なところだった。

 手放しで喜べない宙ぶらりんな心持ち。

 そして、それに追い打ちをかけるように、今夜――十五夜の空はうろんげな曇り模様であった。

 厚くたれ込めた鈍色のヴェールから、今にも大粒の雨がこぼれて来そう。

 ……あーあ、お月様どころか星一つ見えやしない。

 せっかくありさ様とお月見の権利を勝ち取ったというのに、これではあんまりである。わざわざ予定を繰り下げてくださったお嬢様にも申し訳が立たないというもの。

 私は厨房のテーブルに突っ伏して盛大なため息をついた。

 目の前には魔法瓶いっぱいにつめた日本茶と、手作りのお団子の包み。

 そう、ちょっとその辺りまで夜のピクニックとしゃれ込もうという計画。昼間のうちから雷様のご機嫌をうかがいつつ、たぶん無理だろうなとは思いつつも、未練がましく準備だけはしておいたのである。お月見の気分を出そうとゴザまで買っておいたのだ。

 あぁ、それなのに……肝心の空模様がこんなことではどうしようもない。私もよくよく運のないメイドだ。自分のせいではないのに、なんだか気落ちしてしまいそう。もう、こうなったらお団子のやけ食いでもしてやりましょうか。

「菜々? ここに居るの?」

 と、私が一人でいじけているところにありさ様が現れた。

「あ、はい……ご用でしょうか?
 お月見の件でしたらこのような空模様ですから……って、お嬢様、そのお召し物は」

 戸口に立つありさ様は、全身を真っ黒なお洋服でまとめておられた。パフスリーブのブラウスと胸元にあしらわれた控えめなリボン、ゆったりとしたフレアスカート、丈長のソックスにエナメルの靴、アクセントのチョーカーに至るまで、ぜんぶ黒、黒、黒。

 そしていちだんと目を引くのは、やはり真っ黒な三角帽子。

 うーん、これは……いわゆる魔女っぽい格好を意識されているのだろう。さすがと言うべきか、よく似合っていらっしゃる。こんな可愛らしい魔女になら、たぶらかされるのも本望でありましょう。

「行くわよ」

 私が感想を申し上げる前にお嬢様はそうおっしゃった。

「えぇ……? 行くって、どこへですか?」

「だから、お月見なんでしょう」

「いえ、でも……曇っていてお月様は」

「いいから来なさい」

 ありさ様はそれだけおっしゃったかと思うと、さっさと厨房を後にされてしまった。

「あ……ちょっと、お嬢様?」

 あわてて後を追おうとする私。あぁっ、そうだ、お茶とお団子……それから、ゴザも? いちおう、念のため。雨具も要るだろう。おっと、私はお勤め中だからエプロンドレスのままだった。うーん、この際、おめかしは諦めるしかないか。待ってくださいとお願い申し上げて聞いてくださるありさ様ではない。

 やれやれ、一体どうするおつもりなのか。いつもながらお嬢様の気まぐれにお付き合いするのも楽ではない。



 お屋敷を出たところで、ようやくありさ様に追いつく。

「傘なんか要らないわよ」

「は、はぁ……?」

 そうは申しましても。そう言おうとして、私はありさ様が手にしておられるものに気づいた。

 ……ほうき? またまた魔女チックな小道具をお持ちである。まるでハロウィンの扮装のよう。私はさしずめ使い魔の黒猫といった役柄だろうか。

「あの……本当にお月見なんですか? その、ハロウィンではなくて」

 お嬢様がややご機嫌斜めという風に見うけられたので、私は控えめに質問してみた。

「だから、お月見って言ってるじゃない」

「いえ、でも、このお天気ですし……」

 悲しげに空を見上げる私に、ありさ様はあきれたような表情を見せると、さも当然のようにこうおっしゃった。

「曇っていて月が見えないなら、雲の上まで行けばいいでしょう?」



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




「うわー、す、すごい! すごいです!」

「あんまり騒がないの。しっかり掴まってないと落ちるわよ」

 私は――お嬢様の操るほうきに乗って、空を飛んでいた。

「でも、本当にすごいです!」

 このワタクシ、生まれてこのかた蒼風院のお屋敷にお仕えしていると言っても過言ではないが、このように魔法を使って宙に浮かぶなどといった体験は初めて。興奮するのも無理なからぬものと思っていただきたい。

 いくら日頃から魔法を見慣れていると言ったって、ほうきが人を乗せて空に浮かぶ光景なんて、ちょっと信じられるものではない。

 しかし事実、お嬢様がほうきにまたがり、私がその後ろに横座りになった途端――私たちの身体がふわりと浮かんで、そのまま空中を滑るようにして飛び上がったのだ。

 はじめのうちはふわふわとした感覚に本能的に恐怖感をいだいてしまい、お嬢様の腰をひしと抱きしめていた私だったが、やがてその眺めの素晴らしさにすっかり心奪われてしまった。

 眼下に見えるのは、闇に沈んだ大地と、それを貫く谷間のような道路沿いの常夜灯、それから銀河の星のように寄り添うきらびやかな街の灯。暗い田舎道をのろのろと動いていくのは自動車の灯りだろうか? 目をこらすとまるでミニチュアみたいな乗用車やトラックの姿が浮かぶ。それがあんまり小さいのがおかしくて、思わず笑いがこみ上げてきてしまう。
 大きく広がる海は黒く沈み、船の灯りだろうか、小さな光の粒がぽつんぽつんと浮かんでいるだけだった。

 想像していたより風は強くない。かなりのスピードが出ていると思うのだけれど。さきほどからお嬢様との会話にも困らない程度である。こんなに高さがあると気圧やら気温やら、色々と問題がありそうな気がするのだが、やっぱり魔法でなんとかなっているのだろうか。

「眺めはこれくらいでいいかしら? そろそろ本格的に行くわよ」

「は、はい」

 私が返事をした途端、ほうきがぐいと加速したのが分かる。風圧のようなものは大して感じないのだが、地上に張り付いた灯りがぐんぐん遠ざかっていく。

 また少し怖い気がして、私はありさ様の腰をぎゅっと掴んだ。その背中から確かなぬくもりが伝わってくる。こんなに小さい身体なのに、今はなんだかとても頼もしく思える。それによく考えてみれば、普段はせいぜい御髪をとかして差し上げるくらいで、(甘えん坊のみつき様はともかく)ありさ様のお身体に直接触れるなんていう機会自体、あまりないのだ。それを意識すると、なんだかドキドキしてきてしまうではないか。その胸の鼓動を悟られないかしらと、お嬢様の様子をうかがうけれども、闇に浮かぶ白いうなじが目に入って、かえってどぎまぎしてしまった。

「雲に突っ込むから、ちょっと目をつむってなさい」

「え? はい……うわっ」

 急に目の前が真っ暗になって、私は思わず声をあげてしまった。あわてて言いつけ通りにぎゅっと目をつむる。
 頬を撫でる風が湿気をはらんだものに変わったのを感じて、雲と言っても水蒸気の塊のはずであることを思い出す。普通なら、あっという間にずぶ濡れになってしまうところだろう。
 耳元を走る風の音がびゅうびゅうと激しく、何も見えないことと相まって、まるで奈落へと落ちていくかのような恐ろしい感覚がこみ上げてくる。すっかり怖じ気づいてしまった私は、ただ腕に抱いたお嬢様の身体の感触だけを頼みに、ひたすらその恐怖感に耐え続けていた。

 一体、どのくらいの間そうしていたのか。

「着いたわ」

 お嬢様の声を聞いて、初めて私は空気の感触が変わっていることに気づいた。風も……やんでいる。

 おそるおそる目を開く私。そして……。

「うわぁ……」

 そして、私は星の海を見たのだ。

 満天にちりばめられた星――まさに天に満ち満ちた星々が、またたきもせず私を見つめている。

 右を見ても、左を見ても、前も後ろも……びっしりと敷き詰められた星の絨毯。今にもこぼれ落ちてきそうなほど、誇らしげに輝いている光のさざ波……。

 あぁ、あの星々をひとつひとつ数えていったら、一体どれだけの時間がかかってしまうのだろう? 手を伸ばせば触れることさえできそうなほど近くに見える星たち。そのそれぞれが、みずから身を燃やし火を放って、遠く離れた暗い宇宙の向こう側から私たちに光を捧げてくれているなんて、どうして信じることができるだろう?

 そして中天に浮かぶのは、大きな大きな満月。これまでに見た何よりも豪奢なその灯りは、眼下の雲海を明るく照らしだし、まるで黄金色の夜明けが訪れたかのような錯覚を覚えさせた。

 正直なところを言って、私は――その光景に感動していた。なぜだか胸がいっぱいになり、思わず涙がこぼれてしまいそうなほど心が揺れるのを感じていたと、白状しなければなるまい。

「…………」

 そうそう、それに……生まれて初めての光景に見とれている私を、無言で見守ってくださったお嬢様のお心遣いには、今でも感謝の気持ちを忘れていない。



 ばさり、と音を立ててありさ様がゴザを広げると、まるでそこに地面があるかのように、それはピタリと空中に静止した。

 うーん、魔法とはまことに不思議なものでありますよ。

 ゴザにくつろいでお茶とお団子をお嬢様にふるまいながら、私はそのことを話してみた。

「不思議ですね、魔法って」

「……そう?
 そういう風に考えたことはないわね」

 う、うーん……。お嬢様にとってはそれが当たり前なのだから、それはそうなのでしょうけれども。

「不思議ですよぉ。
 あーあ、私も魔法が使えたらなぁ」

「魔法が使えたら、どうするのよ」

 お嬢様のお言葉に、私はぐっとにぎり拳を作って答えた。

「そしたらみつき様をほうきに乗せて、雲の上のお茶会にお連れしたいです」

 肩をすくめるありさ様。

「これくらいの魔法は、みつきだっていずれ覚えるわよ」

 ふと思いついて、私はさらに聞いてみることにした。

「あのー、ありさ様。私に魔法を教えてもらったりって、できないんですか?」

 だがお嬢様の反応は予想通り。やれやれ、といった表情を浮かべてこうおっしゃっただけだった。

「あたしはプロメテウスを気取るつもりはないのよ」

 つまり……教えてもらえないっていうことかしら。

 それからありさ様はちょっと頭上を見上げて、こう付け加えた。

「魔法は力。力があると人は余計なことをしてしまうものよ」

 あら……この話題を出したのは軽率だったかしら。ちょっぴり後悔の気持ちもあったけれど、その時は好奇心に任せて質問を重ねてしまった。少し興奮気味だったのかもしれない。

「本家の……蒼風院のことですか?」

「一般論よ。あたしだって、みつきだってそう。
 だからあなたが魔法を覚えたって、なにも得なんかないのよ。
 それに、残念だけどあなたに魔法の素質はないわ」

「本当ですかぁ?」

 私はしつこく食い下がった。するとお嬢様は、じろり、とやや厳しい目で私を見つめた。

「言っておくけど、あたしはあなたに嘘をついたこと、一度もないわよ」

「えぇー……?」

 我ながら、ずいぶんといぶかしげな声をあげてしまったものだ。

 そんなことってあるのかしら。確かに『そんなわけない』と言い切れるほどの出来事を思い出すことはできなかったけれど……。可愛らしいお姿をしておられるが、お嬢様はあくまで魔女である。お仕えしている私たちメイドとしては、からかわれたり騙されたりするのがごく日常的な光景となっているのですけれど……。

「まあいいわ。真実を語ったとしても信じてもらえるとは限らないもの。
 むしろ真実であればこそ、信じてもらえないものなのかも知れない。
 可哀想なカッサンドラの予言みたいにね」

「はぁ……」

 お嬢様のおっしゃることはよく分からなかったけれど、ともかく魔法を教えて頂くという計画は断念せざるをえまい。それならばと、私は別のアプローチを試みた。

「じゃあじゃあ、魔法の仕組みだけでも教えて頂けませんか?」

「仕組み……と言ってもねえ」

「いいじゃないですかぁ」

 これまたしぶっていたありさ様であったが、なおもおねだりを重ねる私のしつこさにうんざりしたのか、やがてため息をつき、『仕方ないわね』などとおっしゃって、簡単な講釈をしてくださることになった。

 わくわくと胸を躍らせて聞き入る私。

「魔法っていうのはね、例えて言うとある種の『違法行為』なのよ。
 この世は神の定めた永久法に則って――」

「えっと、そこで神様が出てくるんですか?」

「絶対存在としての神ではなくて、仮定の意味での神ではあるけどね。
 人格を求めているわけではないから、『運命』とか言い換えてもいいわよ」

「……なんだかよく分からないですけど、とりあえず納得しておきます」

「この世界の全てのものごとは、神の定めた永久法――Lex
Aeterna――に則って営まれているの。
 けれど、神の法則も完璧ではないのよ。
 永久法はあらゆるものごとを補足し、網羅しようとする『網』だけれど、漁師の投げ網と同じように、網の目より細かなものは抜け落ちてしまうし、いつか必ずほころびが出てしまう。
 その『ほころび』を見つけ出し、神の目を盗んで法に依らない現象を顕現する技術が、すなわち『魔法』なのよ」

「それじゃ、神様の覚えはあんまりめでたくなさそうですね」

「そうね。だから『違法行為』なのよ。
 そこには常にある種のリスクがつきまとう」

「リスク……ですか?」

「……あなたは知らなくていいことよ」

「まあまあ、そう言わずに教えてくださいよ。乗りかかった船じゃないですかあ」

 そう言って私が食い下がると、ありさ様はニッコリ笑っておっしゃった。

「『ほころび』を利用しようとして、うっかり『網』に引っかかってしまったらどうなると思う?」

「……イヤ、やっぱ教えてもらわなくて結構です」

 そんなことがあって、私は自分で魔法を使ってみるというアイデアはすっぱり諦めたのだった。



 ありさ様とのお月見。その親密な時間は、私にとって一生の思い出となった。

 ただ心がかりだったのは、ありさ様が時折見せる気落ちしたような横顔だった。そんな時、ご自分では顔に出していないつもりでも、その綺麗なハシバミ色の瞳がほんの少しだけ濁って見えるのだ。(お屋敷の他のメイドたちならともかく、私の目はごまかせない)

「あの……どうかなさったんですか?」

 どうしても気になって、私はそう聞いてしまった。

 ありさ様はしばらく無言でいらしたが、やがてこうおっしゃった。

「前にあたし、自分が渡り鳥みたいなものだって言ったの、覚えてるかしら」

「はい、覚えてます」

 もちろん、と付け加えてもいいくらいである。私はお嬢様のことなら何でも覚えているのだ。何でも……何でも……あれ? おかしいな。何かを、忘れているような気がするのだけれど。何か大切なことを。

「もしあたしが、本当に渡り鳥みたいにどこかへ飛んでいってしまったら、あなたはどう思うかしら?」

 それがあまりに意外なお言葉だったせいか、私はやけに動揺してしまった。

「そ、そんなこと……おっしゃらないでください。
 悲しいに決まってるじゃないですか!
 それにみつき様だって――」

 焦って言いつのる私の言葉を遮るように『そうね』とおっしゃったきり、ありさ様は口をつぐんで星空を見上げておられた。

「けれど、やっぱりあたしは渡り鳥……。
 たった一羽で蒼風院の風に逆らって空を飛ぶ、孤独な渡り鳥なのよ」

 ありさ様が蒼風院の名をおっしゃるのには、とても複雑で難解な気持ちがその裏に隠されているのだろう。そう思ってしまうと私には返して差し上げる言葉が見あたらず、ただ答えるでもなくぽつりと口に出してしまった。

「寂しい、ですね」

「でも自由だわ」

 私はハッとしてありさ様のお顔をうかがった。

 そのお言葉には、迷いもなく、気負いや強がりの響きもなかった――ただあるがまま、自然に口をついて出てきた言葉だった。そこには純粋な喜びがあったと言ってもいい。

 もし、ありさ様を渡り鳥に例えるならば――私は思った。ありさ様は高みを飛んでいらっしゃるのだ。蒼風院の思惑や、私たちの憐憫の情や、そんなわずらわしい事とは無縁の、孤高の高みを。

 そう、私にはこの星の海を渡っていく一羽の鳥を想像することさえできた。

 エミリーだ。唐突に私は思った。

 以前から私は、ありさ様に『嵐が丘』のキャサリンの面影を見るようだと思っていたけれど、それは少し違っていた。
 作者エミリーの写し身としてのキャサリンではなく、エミリー・ブロンテその人の姿をそこに見ていたのだ。

 犬に手を噛まれ、消毒のために自ら暖炉の炎に腕を差し入れた勇敢なエミリー。

 自然を愛し、動物を愛し、ヒースの野原を愛し、そして何よりも自由を愛したエミリー。

 『我に怯懦の魂なし』と言い放ち、死を怖れずに受け入れたエミリー。

 そのエミリーと同じ、純粋で凛とした心をお持ちのありさ様に、私は心惹かれ、ある意味で憧れ、そして――今にして思えば――恋をしていたのだった。

 
 


 

 

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