お嬢様は魔女


 

 

第一話

お嬢様は魔女



 蒼風院家の朝は早い。

 冬の薄い日差しがカーテンを通してさしこむ頃、私は自然と目をさます。

 緩慢な動作でベッドから這い出すと、ぼんやりした頭がスッキリするまで、ひとしきりぼうっと窓から外を眺める。眼下には穏やかな海が広がり、照り返す朝日が眩しい。

 ――なんだか寂しそうなカモメが一羽、寒空を彷徨っていた。

 この時期、肌にこたえる寒さにブルッとひとつ身震いをして……それからようやく身支度にかかる。

 早起きなんて苦手もいいところ。
 でも、あいにく二度寝なぞという甘美な享楽に浸っていられるような身分ではないのだ。

 私の隣のベッドを見ると、いつも通り寸分の隙無くきちっと整えられている。
 相棒の少女はすでに着替えを済ませて、朝一番の仕事に取りかかっているようだ。

 さて。さっさと顔を洗って、歯を磨いて、櫛を使って、それから……。

 思ったより時間を食ったことよと嘆きつつ、姿見の前に移動。手早く仕事着を身につけていく。

 煩雑な下着をつけてから裾の長い濃紺のワンピースを着て、その上に純白のエプロン。
 髪を整えてから、フリルをあしらったカチューシャを頭にのせて。
 襟元のアクセントになっているリボンを微調節、カフスのボタンをきちっと留めると。

 可愛らしいハウスメイドの一丁あがり、である。

「よっし」

 ぐっ、と握り拳をつくって気合を入れた後、私は颯爽と扉を抜けて――

 ――っと、申し遅れた。

 私は、彩草 菜々(あやくさ なな)。

 ここ、蒼風院家のお屋敷で『お嬢様』の付き添いメイドとして働いている。

 今、取ってつけたような名前だと思ったアナタは鋭い。
 本当に取ってつけた名前なのだ。

 ま、その話はまた今度。そもそも私が何者かと言うと……。

 何と言ったものか、まかり出でたるはナニガシと申す風来坊でござい、ってなわけで……この物語の狂言回し、とでも思ってもらえれば結構。

 そう、この物語――冬に始まって、冬に終わる、この長くて短い物語。

 ……まあまあ諸君待ちたまえ。
 言いたいことは色々あるだろうけど。

 とりあえずは朝のお仕事にかからねばならないのですよ。



★★★★★★★★★★




 お嬢様付きメイドとしてまず第一のお勤めは、お嬢様にさわやかにお目覚め頂くことである。

 私は一般的な家事の能力は他の優秀なメイドたちに一歩譲るとしても、このお仕事だけは誰にも負けないという、確固たる自信を持っている。

 お屋敷にメイドの仕事は数あれど、これほど高貴なお仕事は他にあるまい。

 ……と、私は思っている。
 決して起き抜けのお嬢様を扱うのが面倒であるとか、あるいは――。

 ――ま、まあ、良いではないか。

 ともかく、この重大なお仕事を全面的に任されているという事実、それこそ私がお嬢様付きメイドの地位をがっちりとキープし続けている証なのである。

 そんな訳で、お嬢様をお起こしするまでの過程は、ちょっとした企業秘密だったりする。
 特に今日のような底冷えのする冬の朝などは総力戦の様相を呈するが故……お見せできないのが大変残念だ。



「菜々ちゃーん。着替え取ってぇ……」

 この寝ぼけまなこでベッドにちょこんと腰掛けている少女が、みつきお嬢様。

 フルネームは蒼風院みつき。
 このお屋敷のただ一人の主人にして、私のお仕えするご主人様――そして、この物語の主人公でもある。

「はいはい、こちらにご用意してますよー」

 私はみつき様のお召し物――私立桜花学院の制服――を差し出す。

「ありがとぅ……」

 今にも眠りの淵に吸い込まれそうな声を出すみつき様を、私はじっくりと観察した。

 こちらに横を向けたみつき様のお顔は、(今この瞬間は少々しまりのないところもあるけれども)とびきり可愛い。

 真っ直ぐ伸びた艶のある長い髪は、やや栗色がかった色合いで、櫛を入れるまでもなくサラサラと流れるように揺れている。
 くりっとした茶色の瞳に、それを縁取る美しい眉。つんと上向いたまつげが華を添えている。
 お顔の真ん中にちょこんと居座る小ぶりなお鼻と、うっすらとピンクに色づいた小さな唇。
 見るからにやわらかそうな頬に薄く朱が差して、可憐さを強調している。
 愛らしさの中にも気品を失わない、整ったお顔立ちである。

 年頃の乙女と言うには少し未熟なスレンダーな肢体、やや未発達な感のある胸元と形の良いお尻。

 そして何より、自分の持つ美しさに無自覚な者だけがまとう、純真無垢の空気……それが、お嬢様の魅力を完成させていた。
 まるで天使に祝福されているかのようではありませんか。

 もそもそとお召し物を身につけていく様は、ある種の小動物を連想させ、私の母性本能を刺激してやまない。

「さ、こちらへ」

 着替えを終えたみつき様を、そっと化粧台に誘導する。今度は私が髪を梳いて差し上げる番なのだ。

 みつき様の長い髪にそっと櫛を挿すと、驚くほどなめらかな手応えで、文字通り滑るようにくしけづることができる。高価なビロードの肌触りにも匹敵するこの感触は何物にも代えがたい。役得役得。

 私が満足す……いや念入りに髪を梳き終わり、いつも通り髪留めをつけて差し上げようとしたところ、みつき様お気に入りのバレッタが見あたらないことに気づいた。

「あれ……? お嬢様、いつもの髪留め、どうなさいました?」

「え? どこにやったかな。覚えてないないや……」

 辺りを探し回ったが、なかなか見つからない。朝食の時間まで、もういくらもないのだが……。
 私が少々焦りはじめていると、みつき様が何か思いついたらしく、いたずらっ子のような笑みを浮かべて言った。

「ねね、菜々ちゃん。
 こんな時こそ魔法の出番だと思わない?」

 ――そうそう、うっかりして大事なことを言い忘れていた。
 お嬢様は魔女、なのである。

 いわゆる女の魔法使い。不思議な力を使う女魔術師。

 一体何がどういう原理でどうこう、といったことは私にはサッパリ分からないのだけど、ともかく私が知っているのは、みつき様が生来そういった特別な力を持っている、ということ、それから蒼風院家の女性は皆魔女である、ということくらい。

 なんだけども、『みだりに魔法を使ってはならない』というのは蒼風院本家からも厳しいお達しが出ている通りだし、そもそもみつき様の魔法が成功した試しがあまり……コホンコホン。
 なんと言ったものか困惑していた私だが、どうやら相当に渋い表情をしていたらしく、見るとみつき様は悲しそうなお顔で……いやむしろちょっとした涙目になっているんではないか、これは。

「ねぇ、いいでしょう……?
 菜々ちゃんが黙っていてくれたら誰にも分からないわ」

 上目遣いでお願いのポーズを取るお嬢様に押し切られ、私はゴーサインを出してしまった。

「う、うーん。
 まあ、ある種の緊急事態なのは確かですし……このような場合、仕方ないのではないでしょうか」

「やったー!」

 途端に、ぱっと大輪の花が咲いたような笑顔を見せて、盛大にバンザイをするお嬢様。
 むむ、ダマサレタ。

「えへ、ごめんなさい。
 でもでも、わたし、随分魔法が上手くなったんだよ!」

 ニッコリ笑ってそう言うお嬢様を見ていると、そもそも苦言を呈するような気分にはならないのだが。

「見ててねー」

 お嬢様はなにやら真剣な表情になって目をつむり、何やらブツブツと口の中で唱え始めた。
 『呪文』なのだろう。多分。
 でも、魔術書の類など参照しなくて大丈夫なのだろうか。
 一人前の魔法使いなら、それくらいはそらんじているのだろうけれど、お嬢様の場合……。

 しかし、ありがたいことに私の心配は杞憂に終わった。

 呪文が途切れ、お嬢様が瞳を開く。すくいあげるような格好で差し出されたその手の中に、一瞬、ふっとやわらかな光がたなびいたかと思うと――そこには琥珀色の髪留めが忽然と姿を現していたのだ。

「ふう……。上手くいきましたね」

 私は驚くというよりホッとして言ったものだ。

「へっへー。ほめてほめて〜」

「よくできましたね」

 ご褒美をねだるお嬢様の頭をナデナデしてあげながら、さりげなく化粧台へと誘導。
 お嬢様は歳の割には子供っぽいところがあるのだ……それがまた良かったりするのだけども。

 鏡の中でまだニコニコしているお嬢様に、琥珀色のバレッタを留めて差し上げる。栗色に近い髪の色とよく調和していて、お嬢様のお気に入りなのもうなづけるというものだ。

「はい。これでようございますよ、お嬢様」

「はぁい。菜々ちゃんありがとう!」

 みつき様は私とは比較的フランクな間柄というか……主人と使用人という関係ではあるのだが、あまり格式ばったところはない。
 それほど歳が離れていないということもあって、立場の違いさえなければ仲の良い従姉妹といった雰囲気かもしれない。
 と言ってももちろん、私が一方的にみつき様のご好意にあずかっているというだけの話なのだが。

「あ、そうそう。
 菜々ちゃん……ちょっとわたしの目を見てくれる?」

 そんなことを考えていたので、みつき様がおっしゃったことがすぐには呑み込めなかった。

「へ?」

 間抜けな声を出した私は、みつき様がいたずらっぽい表情を浮かべ、化粧台の鏡の中から上目遣いでじっと私の目を見つめているのに気づいた。

 鏡に映るみつき様の瞳は髪と同じ栗色……のはずが、瞳の中央、虹彩の部分にほのかに金色の燐光のようなものがきらめいたような気がして、私は思わず目をしばたいて、もう一度みつき様の瞳を――。

「何が見える……?」

 ささやくようなお嬢様の声。

「えー……っと……、あ……?」

 私はなぜだか頭がぼんやりしてきて、意味をなさない言葉を漏らした。
 身体がふわふわして……なんだか夢を見ているような気分で……それでもお嬢様の瞳を見つめていた。

「よーく見て……何が見えるかしら……?」

「ふぁ……ひか……り? ゆら…ゆ…ら……」

「そう……。その光をじっと見て、私の声を聞いていると、とっても安らいだ、いいキモチになってくるよー」

「いい……きもち……」

 透き通るように美しいお嬢様の声が穏やかに語りかけてくるのを聞いていると、柔らかな寝床に包まれているような心地よい幸せな気分になってくる。

「そう……。
 私の声、もっと聞いていたいよね……」

「きき、たい……です」

「じゃあ……菜々ちゃんは、わたしのお願い聞いてくれるかな?」

「は…い。もちろん……です。おじょうさま……」

 いつのまにか私は膝をついて、お嬢様を見上げるような姿勢になっていた。身体に力が入らず、お嬢様の腰にすがりつくようなみっともない格好。

「ふふっ、いい子ね……。
 それじゃあ……」

 お嬢様の手がそっと私の額に添えられた途端――ロウソクの火が吹き消されたように、ふっ、と私の意識は途切れた。



★★★★★★★★★★




 ――はっと気づいた時には、お部屋にみつき様の姿はなかった。

 Q.一体何が起きたのか?

 A.サッパリ分からない。

 化粧台の鏡を覗くと、いわゆる狐につままれたような表情をした自分の顔が映っている。
 鏡を通して自分の身体を隅々まで眺めてみたが、特段、変わったことは何もないようだ。

 胸ポケットから懐中時計を取り出そうとしたが見つからず、お部屋の大時計で時間を確かめると、お嬢様をお起こししてから……さして時間も経っていないようだった。
 ただ、お嬢様がお着替えを済ませた後のことを思い出そうとすると、アタマにもやがかかったようになって、なんだか考えがまとまらない。

「うーん、まあ……気にしても仕方ないよね」

 私は口に出してそう言うと、気を取り直してお嬢様の部屋の掃除に取りかかることにした。
 切り替えが早いというのが私の美点の一つなのだ。

 お嬢様のベッドルームは二階の南側に面していて、寝室としてはかなりの広さがある。
 樫の大時計、本棚と書き物机のセット、小ぶりな装飾つきの丸テーブル、ヨーロッパ製のソファーといった、やや古びた、しかし気品のある調度品がバランスよく並べられており、東側の壁際には暖炉が鎮座している(これはさすがに使ったことはないけれど)。

 お部屋の南側には、床から天井近くまであるガラスの大窓があり、そこからバルコニーに出ることができる。今は薄いレースのカーテンを引いて日差しを遮っているが、夏の間は開け放しておくことも多い。

 私ははたきと雑巾を持って順繰りに家具のお手入れを始めた。

 普段はハッキリ言って無精な性格の私だが、みつき様のお部屋のお掃除となれば気をつかう。
 なにせ家具一つとってもヴィンテージのついた高価な品で、扱いに気をつけなければならないし……まあお嬢様のためを思えば張り切ってしまうのも当然というものなのですよ。

 ベッドの掛け布団を(羽毛が飛び出したりしていないか)念入りにチェックした後、シーツを取り替え、カバーをかける。
 紋様入りの厚手の絨毯には大型のバキュームをかけた後、シミなどついていないか丹念に調べる。
 木製の家具はホコリを落とした後、しっかりと磨きこむ。(こうすることで長く使っている間に艶が出てくるのだ)

 ……こういったメイドのかいがいしい努力があって、お嬢様の生活は守られているのだ。エヘン。

「んー、これで良し。上出来!」

 たっぷり時間をかけて広いお部屋を隅々まで綺麗にすると、私は満足して一旦自室に引き上げることにした。

 重い掃除機を引きずってお嬢様の部屋を出た私は、廊下で相棒のメイドとばったり鉢合わせした。

「よっ、胡桃ちゃん」

 私は陽気に声をかける。

 この子は樫木 胡桃(かしぎ くるみ)と言って、私と同い年。
 もう長いこと同じ部屋で暮らしている気心の知れた仲だ。

 私は相棒、相棒と言っているけど、胡桃ちゃんはそういう呼ばれ方を嫌がったりするので、ちゃんと名前で呼んであげるのがよろしいでしょう。
 ちょっと堅い性格なのが玉にキズなのよね。

「……菜々ちゃん?」

 ところが、その胡桃ちゃんの声と表情は、堅いとかそういう問題ではなく、まるで北極海に浮かぶ氷河のように冷ややかなものであった。

「ん? 私、なんかまずいこと言った?
 ……って、挨拶しかしてないけど」

「あ、あなた、なんて格好してるのよ!? はしたないっ!」

 突然、胡桃ちゃんが顔を真っ赤にして怒り出した。
 もっとも彼女は私より頭一つは背が低いので、あんまり迫力はないのだが。
 むしろ興奮に頬を赤く染めた様は愛らしいと言って良いくらいのものである。

「え……?」

 が、そんな胡桃ちゃんに言われて初めて、私は自分の格好に気づいた。

「ひゃっ! なにこれ!?」

 思わず、情けない声を上げてしまった。
 私はいつの間にか仕事着かつ制服でもあるエプロンドレスをすっかり脱ぎ捨てた上、その下に穿いていたロングペチコートとドロワーズまでばっちり脱ぎ去って、ブラジャーとショーツだけのかなりキワドイ格好になっていたのである。(ご丁寧にカチューシャだけはそのままだった)

「なにこれ……って、あなたね!
 セ、セミヌードでお掃除はちょっと開放的すぎるんじゃないの!?」

 胡桃ちゃんがちょっぴり恥じらいの混じった憤りの表情で言ってくる。

「いや、それ誤解。っていうかちょっとマテ」

 私は額に汗を浮かべつつも、徐々に事態を把握しつつあった。

「……みつき様にやられたワ」



★★★★★★★★★★




「つまり、みつき様に何かの魔法的な命令? 暗示? 何かそんなのを与えられて、ほとんど裸のような格好にも気づかず、いつも通りにお仕事をさせられていたと。
 ……そういうこと?」

「うむ。その通り」

 自室に戻ってきちんと仕事着を着直してから、私は胡桃ちゃんに仮説を披露していた。

「でも、みつき様ってそういう類の……その、魔法はあまり得意じゃないって……。ありさ様と違って」

「そうだっけ?」

「ありさ様のお話では、『純粋に物質に干渉する魔法は比較的難易度が低いけど、精神に干渉するような魔法はより大きな力を使うし、術式も高度で難しいの。特にみつき(様)は精神を扱う魔法はどう考えても向いてないわね』ってことだったわよ」

 胡桃ちゃんが一息で言い切った。

 そうそう、これも言い忘れてたけど、このお屋敷で働く「私以外の」メイドたちは皆、なにかしら非常にハイレベルな水準の特技を持っている。
 というか、その特技を見込まれてお屋敷にスカウトされるというのが正しいのかな。

 胡桃ちゃんの場合は、そのたぐいまれな記憶力。
 何年も前にちょっと目端にはさんだ新聞記事から、おとといの晩ご飯の献立まで、一度見聞きしたことは絶対に忘れない、のだそうだ。
 という訳で、彼女の知識は大変なものがあり、お嬢様の教育係という大任を担ったりもしている。
 ちなみに趣味は百科事典の一気読み。

 そんな彼女が言うのだから間違いない……というか一字一句ありさ様がおっしゃったそのままなのだろう。

「うーむ、そうなのか。
 しかし、それも過去の話なのかもしれんね。みつき様も成長なさっているのだよ。うんうん」

 私はもっともらしくうなづいてみた。
 そういえば、みつき様は魔女としては駆け出しで、まだまだ先は長い……という趣旨のことをご本人から聞いたような気もするのだが。

 ちなみに、ありさ様というのは……っと、その話はちょっと複雑なのでまた今度。

「仕方ないわね。
 みつき様が学校から帰っていらしたら一度お話をしてみましょう」

「うむ。それが良いね」

 そう結論を出すと、私たちは持ち場に戻ることにして自室を出た。



「みつき様も……まだちょっと子供っぽいところがあるわね」

「うーむ、こんないたずらをされたのは初めてだけどね」

 私たちはこの件について相談をしながら廊下を歩いていた。

「やっぱりお寂しいのかしら……普段は明るく振る舞っていらっしゃるけど」

「そうだなぁ。それはあるんじゃないかなあ。
 家族と言えるような間柄の人間が、せいぜい私たちくらいなんだし」

 みつき様は、ご幼少の頃にお父様を亡くされている。その後、お母様は蒼風院本家に嫁ぎ直していた。
 そのあたりは蒼風院本家との複雑な関係があって、みつき様は自由にお母様とお会いすることもままならない、という大変不幸せな境遇にいらっしゃるのだ。
 一番甘えたい年頃を両親の居ないまま過ごす寂しさ。そのお気持ちは私にもよーく……

「あら」

 唐突に、胡桃ちゃんが立ち止まると、何かに気づいたような声をあげた。

「どしたね」

「今思いついたんだけど……菜々ちゃんにかけられた魔法がこれで終わりとは限らないんじゃないかしら?」

「はえ?」

 そんなことは考えてもみなかった私は、すっとんきょうな声を出してしまった。

「だって、魔法で与えられた暗示が一つとは限らないでしょ。
 それに、みつき様が菜々ちゃんにそんなことをさせた動機を考えると……」

「動機って?」

「『菜々ちゃんの可愛くて恥ずかしい姿が見たい』という動機ね」

「はあ……」

 私はなんだか疲れた気分になってきた。

「みつき様は菜々ちゃんになついてらっしゃるから。
 よく『菜々ちゃん大好きっ』って抱きついてるし」

「それは否定しませんけどもね。
 なんで私のことをそこまで気に入ってらっしゃるのか、分からないのよね」

 私がそう言うと、胡桃ちゃんは私の顔をまじまじと見つめた。

「……な、なんでございましょ」

「ま、いいわ」

 胡桃ちゃんは歩き出しつつ推理を続ける。

「それで、菜々ちゃんはいつもみつき様のお姉さん的な役割を演じているわけじゃない?
 けれど、みつき様はたまには菜々ちゃんを『可愛い妹』のように扱ってみたいという思いに駆られたのね。
 ちょっと頼りなくて恥ずかしい菜々ちゃんにあれこれお世話を焼いたりとか、そういったこと。
 で、魔法が上手くいって菜々ちゃんに色々させてみようと思ったはいいけれど、朝食のお時間になってしまったので途中で諦めて、あわててお部屋を出て行かれた……と予想するわ」

「私の服をひっぺがしたままで、かぁ……」

「多分、菜々ちゃんに自分で脱がせておいて、それをじっくり見ていらしたんじゃないかしら」

「……」

「ただ、今までの傾向から見て、みつき様がやりそうないたずらっていうと、もうちょっと程度が軽いというか、他愛ないというか……例えば……」

 私はイヤな予感がしてきた。
 胡桃ちゃんは記憶力だけでなく、やたらと勘もいいのだ。

「例えば?」

「何もないところで転んじゃう暗示、とか」

「ははっ、そりゃ可愛いね」

 ドテッ

 そう言った瞬間、私は見事にコケた。

「っタタ……」

「……菜々ちゃん、確かに可愛くて恥ずかしいと思うけど、それはノリが良すぎるんじゃないの」

 胡桃ちゃんは普段からノリがあまり良くない……じゃなくて。

「いやいやいやいや、マテマテマテ! わざとじゃない! わざとじゃない!
 これはシャレにならない!」

 私は焦った。
 スカートの裾を踏んづけたというにしては、あまりに不自然なコケ方であった。

「……ホントに、その……魔法?」

 私の微妙にせっぱ詰まった表情を見て、胡桃ちゃんも多少は信じる気になってくれたようであった。

「多分、ね……チクショー」

「女の子がそんな言葉遣いはダメですよ」

 胡桃ちゃんが差し出してくれた手を取り、立ち上がった私はしかし……数歩進んだところでまたズッコケたのであった。

「みーつーきーさーまああぁぁ」

 涙混じりの私の声がお屋敷の廊下に響いた。



 ……その夜、お嬢様がお帰りになるまでに、私は通算十数回に渡るその場ズッコケを披露した他(不思議と怪我はしなかったのだが)、気づくと同僚のメイドに『はい、お姉様』と返事をしていて怪訝な顔をされたり、食事前のお祈りの代わりに児童唱歌を歌わされたり、その他諸々の散々な目に遭ったのだった。

 ちなみに胡桃ちゃんのいたずら予想は8割以上の的中率を誇り、みつき様に「魔法みたい!」と褒められたそうである。

 
 


 

 

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