ねこのみゃー


 

 

一日目


「ほら、早くしなさいよっ! 間に合わないでしょ!」
「そんなに引っ張らないでよ。っていうか、まだ七時前じゃないか。何に遅刻するって言うんだよ」

 ぐいぐいとネクタイを引っ張ってくるみゃーに僕は家から引きずり出された。まだ朝ご飯も食べていないのに・・・
 だけど、みゃーはそんな僕の抗議には聞く耳持たず、力いっぱい僕を引っ張っていった。

「いいから早く来るの!」

 ダダダダダと慌ただしく足音を鳴らして僕達は街を駆けていく。早朝なのでまだ人は少なく、遠くに出勤のサラリーマンとか朝練の学生たちがチラホラといるだけだった。そんな中を僕とみゃーは走っていく。みゃーはいつも通りに瑞々しさの溢れる肢体を動かし、トレードマークと言える猫の耳のような癖毛をやっぱりいつも通りに跳ねさせていた。
 しかし、いつもとは違う点もある。

「みゃーっ、学校に行くんじゃないのっ!?」
「はぁ!? なんでこんな時間に学校行かなきゃならないのよっ! 今からいったら時間余りすぎじゃないのよっ!!」

 学校とは反対方向に走っていくみゃーに対して発した疑問はあっさりと否定されてしまった。

「じゃあ何処だって言うんだよっ!」
「きしゃーっ! つべこべ言わずにミケはあたしに着いてくればいいのよっ」

 当然のはずの僕の疑問はみゃーの叫びに一蹴されてしまう。
 学校に行くものだと思っていた僕は、はぁと内心ため息をつきながらみゃーに着いていくしかなかった。
 みゃーは凄い勢いで街を駆けていく。みゃーのせいで僕も足にはそれなりに自信がある方になってしまったが、みゃーは桁が違う。短距離でも長距離でも一度もみゃーに勝ったことのない僕は、全力疾走しているというのにすぐに距離が離されていく。

「はっ・・・はぁっ・・・ま、待っ・・・っ・・・て・・っ・・・みゃっ・・・」
「お姉ちゃんっ!」

 どんどん姿が小さくなっていくみゃーを止めようとなんとか出した声は、立ち止まったみゃーの怒声に掻き消された。
 お姉ちゃんって・・・たま姉ちゃんがいるのか?
 ゴールが見えた僕はゴクンと溜まった唾を飲み込んで、ラストスパートをかけた。

「お姉ちゃんっ! 待ちなさいよっ!」
「あれ、みゃー。見送りはいらないっていったのに。あれ? ミケくんも」

 そこはバス停だった。この時間にバスに乗る人は殆どいないのか、たったひとりバス停に立っていたたま姉ちゃんが僕とみゃーに振り向いた。さらりと動いたたま姉ちゃん自慢の金髪がたま姉ちゃん自身を彩る。何でもない仕草のはずなのにたま姉ちゃんがやると物凄く優美な姿に見えるから不思議だ。

「なにが”見送りはいらない”よっ! あたしのぶたさん貯金箱の中身を返してよっ」
「おはよう、ミケくん。みゃーに無理やり連れてこられたの?」
「うっ・・・んっ・・・朝っぱら・・から・・はぁっ・・叩き起こされっ・・・・・た」

 みゃーに遅れること数秒、たま姉ちゃんの元にたどり着いた僕は全力疾走で乱れた呼吸を整えながらたま姉ちゃんの質問に答えた。

「お姉ちゃん!」
「ふふっ、それは大変だったね」

 くすりと切れ長の目を細めて微笑む。僕に顔を近づけるように屈み込むから、ふっと頭を上げた時にたま姉ちゃんの豊満な谷間が目に入ってしまった。

「ご、ごめんっ!?」

 僕は慌てて真っ赤になった顔をそらす。

「ん? どうしたの? ・・・・きゃぁっ」
「お姉ちゃんっ!」

 僕の行動で状況に気づいたたま姉ちゃんは慌てて背筋を伸ばして胸を隠す。そして、頬を赤くしながら呟くように聞いてきた。

「み・・・見た?」
「見てないっ!」
「・・・ホント?」
「ホントッっ」
「ホントにホント? 私の目を見て答えて」
「え・・・」
「お姉ちゃんってば!!」

 その声と共にたま姉ちゃんの手が僕の頬に添えられる。また屈んできたのか、くいと上げられた顔の目の前にたま姉ちゃんの顔があった。色白の肌、すっと通った鼻梁、そして綺麗に染め上げられた金髪を朝の陽光が綺麗に照らし、ミスコン三連覇、告白百人という輝かしい伝説を持った女性の美貌を彩っていた。

「本当に見てないの・・・?」

 たま姉ちゃんはすっと寂しそうな表情を浮かべ僕を見つめる。たま姉ちゃんのかっこよさの象徴とも言える切れ長の目は潤み、僕に何かを訴えようとしている感じでもあった。
 見て・・・・よかったんだよ?
 そんな風に言われた気がした。

「きしゃーっ!! 無視するなぁーっ!」
「うわぁっ!?」

 真横で上げられた奇声に、僕は驚いてすっ転んだ。見ると、みゃーが顔を真っ赤にしてはあはあと肩を怒らせている。

「もう、どうしたのよみゃー。あなた私を見送りに来たんじゃないの? だったら、私とミケくんの別れを邪魔しないでよね。あとちょっとでミケくんの慌てふためく顔が見れたのに」

 その言葉で今まで僕はからかわれていたと言う事に気がついた。
 慌ててたま姉ちゃんを見ると、既に立ち上がっていたたま姉ちゃんは僕を見下ろしてぱちんとウインクをした。
 やられた・・・

「きしゃーっ! 見送り? どの口がそんな事いうかなぁ! あたしのぶたさん貯金箱を返してよ!」
「餞別よ。いいじゃない。晴れて大学に合格した私に餞もないわけ?」

 僕ははぁと溜息をつく。
 そうだった、たま姉ちゃんは人をからかうのが趣味だったっけ。小学校の頃は毎日だったし、中学、高校と学校が変わっても会った時には必ず何かしらからかわれていたっけなぁ・・・

「きしゃーっ! 餞って! お姉ちゃんが勝手に持っていったんでしょっ!」

 そんな僕の感慨を余所にすぐ隣の姉妹喧嘩はどんどん白熱していく。いや、勝手にみゃーが白熱して、それをたま姉ちゃんは受け流しているだけだけど。その内容にちょっとだけ興味がわいた。

「たま姉ちゃん・・・もしかして一人暮らしをするの?」

 僕は立ち上がると、たま姉ちゃんに向かって聞く。たま姉ちゃんは満面の笑みを浮かべるとコクンと頷いた。

「うん、そう。行きたい大学があってね。だけど、ここからだと流石に遠すぎるから近くにアパートを借りることにしたんだ」
「全然知らなかった・・・みゃーも一言も言わなかったし。母さんからも聞かなかったから」
「みゃーにも母さん達にも口止めしておいたからね。私、そういうのって嫌だしさ」

 そういうの? 見送りが嫌なのだろうか?

「見送り・・・苦手なの?」
「? あー、うん。そういうことにしておいてくれる?」

 僕の質問にたま姉ちゃんは苦笑いをして肯定した。
 しんみりした空気とかが苦手なのかな?

「きしゃーっ! だから無視するなぁーっ!!」
「もう、五月蝿いなぁ。わかったわよ。返せばいいんでしょ、返せば」

 たま姉ちゃんは脇に抱えていたトートバッグの中から、僕もみゃーの部屋で何度か見たことのあるぶたさん貯金箱を取り出す。その時、たま姉ちゃんの待っていたバスが来た。プシューと気の抜ける音を立ててドアが開く。それと同時にたま姉ちゃんは貯金箱をみゃーに渡した。

「はい、今度はもうなくすんじゃないのよ」
「お姉ちゃんが持ってったんでしょっ!!」

 きしゃーっといつもの奇声をあげ、たま姉ちゃんを威嚇しつつ貯金箱に頬ずりをしているみゃー。そんなみゃーの一瞬の隙をついて、たま姉ちゃんは僕に顔を近づけてきた。

「ミケくん。ミケくんに魔法の言葉を教えてあげる」
「え?」

 五センチと離れていない僕ですら聞き取り難いくらいの小声でたま姉ちゃんは喋りだす。
 みゃーには万が一にでも聞かれたくない内容なんだろうか?

「みゃーと二人きりの時に”ねこのみゃー”と言ってみて。とても楽しい事が待ってるから」
「は?」
「それじゃ」

 話は終わりとばかりに顔を離すと、たま姉ちゃんはバスに乗り込んでいった。再びプシューと言う気の抜けた音を立てて、バスのドアが閉まる。そのドアの向こうでたま姉ちゃんはにんまりとなんか狐にも似たような笑みを浮かべていた。

「ああーーーーーっ!!」

 突然、隣にいたみゃーが奇声を上げる。見ると、下の蓋をあけることで箱を壊さずに中身を出せる仕組みになっているその貯金箱の中身が、お金ではなくどこかのゲーセンのメダルに変わっていた。

「それでミケくんとデートでもしなさいよーっ!」
「きしゃーーーーーーっ!!!」

 バスの窓から大きくてを振るたま姉ちゃんに向かって、みゃーの絶叫が谺した。




















「きしゃーっ」

 みゃーは一日中不機嫌だった。あの後、学校に遅刻してしまった僕達は職員室でみっちり絞られ、みゃーに至っては遅刻するというので家に戻さずに持ってきてしまったぶたさん貯金箱とメダルのせいで放課後までの貯金箱没収に一日日直まで押し付けられる始末だ。気まぐれで自分からは平気で押し付けてくる癖に人から押し付けられるのを酷く嫌うみゃーがよく我慢したもんだと逆に感心してしまった。僕は僕でみゃーには置いて行かれるわ、みゃーのせいで朝ご飯を食べられなかったのに不機嫌なみゃーの八つ当たりやフォローで大変だった。

「きしゃーっ」
「ふぅ・・・」

 これで何度目の『きしゃーっ』だろう?
 放課後、職員室で無事に貯金箱を返してもらい、朝も絞られたのにまたお小言をもらい、開放されたのは四時半を回った頃だった。四月も半ばを過ぎたこの頃は陽も段々と伸びてきて外は明るい。部活動の仮入部期間でどの部活も部員獲得のために普段は週イチでしかやってないような部活も活発に活動している中、僕とみゃーは互いに疲れたと言って学校を後にしたのだった。

「きしゃーっ」
「みゃー、いい加減に落ち着きなよ。そりゃ、怒りたいのもわかるけどさ」

 ぽんぽんとみゃーの頭を叩く。
 なんせお小言の内容が内容だったからなぁ。遅刻と貯金箱とメダルの持ち込みに関するお説教ははじめの数分。その先は今年卒業した一人の女生徒に関する嫌味と愚痴だった。その名を黒石 玉緒(くろいしたまお)。いや、たま姉ちゃんのことだけど。
 たま姉ちゃんが在学中に残した伝説について、一時間近く愚痴られた。曰く、ミスコン三連覇のために学内の風紀を著しく乱した。曰く、学生、教師を含め百人以上の告白を全部こっぴどく断り、数週間使い物にならなくした。曰く、生徒会長選挙をアイドルの人気投票に変えた上、就任の発表をゲリラライブの会場にした。曰く、文化祭と体育祭、そして球技大会では勝手に景品を用意し、学内を無用に煽った。
 学校側としては頭を痛める程の事をしていて、たま姉ちゃんも停学や謹慎を受けているが、生徒側の人気は絶大で、行ったイベントは全て物凄く成功したそうだ。更に、生徒会長に就任してからは他の生徒達の学力も向上させていたので、体面的にも生徒会長を停学にするわけに行かず、学校側は更に頭を痛めていたらしい。そのため、みゃーはたま姉ちゃんの妹ということで入学時から危険視されていたそうだ。
 ・・・・なんていうか。物凄くたま姉ちゃんらしいし、みゃーもみゃーで首席で合格しておきながら、面倒くさいという理由で入学式をサボっちゃう子だから、学校側の気持ちもわかるんだよなぁ。
 どうしたものかと考えていたら、パンと手を跳ね除けられた。

「き、きしゃーっ!」

 見ると、顔を真っ赤にしたみゃーが肩を怒らせて、いつもの奇声を発していた。

「子供扱いするな・・・か? わかった、わかった、悪かったよ。ごめん、みゃー」

 僕の言葉を聞いたみゃーはふんっとそっぽを向き、ピコピコと癖毛を揺らして歩き出した。
 僕はみゃーの姿にはぁと溜息を付き、その後を付いていった。

「みゃー」
「・・・」
「みゃー」
「・・・」
「みゃーってば」
「・・・」

 ああ、だめだ。完全にへそを曲げた。ピコピコと癖毛を揺らすその後姿がただでは許さないと物語っている。はぁ・・・この手はあまり使いたくないんだけどなぁ・・・

「みゃー、ちょっと家に来ない?」
「・・・」
「昨日母さんが買ってきた饅頭が大量に余ってさ。母さんも適当に買ってくるから・・・捨てるのも勿体無いから、なくすの手伝ってよ」

 ピク。ピコピコと揺れていたみゃーの癖毛が反応し、それと共にみゃーの足が止まる。
 よし、食いついてきた。みゃーは甘いものに眼がないからなぁ・・・実は僕のおやつだから無くなると僕が困るんだけど、このままみゃーを不機嫌にさせていた方が実害は酷くなるから仕方ない。

「・・・クリームじゃない?」

 止まった姿勢のまま、みゃーは聞いてくる。
 みゃーに言わせれば、伝統的な食べ物は伝統的だからいいらしい。和菓子にチョコやクリームを使うのは邪道なんだとか。そういえば前にケーキとか洋菓子にはあんこが使われてない癖になんで饅頭とか和菓子にはチョコとかが使われているんだって怒ってたっけ。

「当然あんこだよ。それも粒あん」

 僕はそんなみゃーの反応に肩を竦めて答えてやった。その答えにぴくんと癖毛が反応する。

「仕方ないわね、おばさんの為にあたしもなくすの手伝ってあげるわよ」

 なにか、素直じゃない返事をして歩く速度を上げるみゃーに、僕は再び肩を竦めてその後を追っていった。










「あれ? 鍵がかかってる」

 みゃーと一緒に家まで帰ってきた僕は玄関で異変に気がついた。
 いつも通りなら母さん今日は居るはずなんだけどな・・・買い物にでも行ったのかな?
 僕は鞄から合鍵を取り出すとガチャリと開けた。

「ただいまー」

 誰も居ない家に僕の声が響く。みゃーは着替えてくると自分の家に帰っていった。とは言っても、隣の家なので距離は大したことはない。数分もあれば僕の部屋にいるだろう。
 僕はとりあえず、居間へと顔を出すことにした。日が落ちかけ、やや薄暗くなってきた居間には当然誰もいない。買い物という線は普段はもっと早い時間にいくことから考えにくい。
 その他の用事だとすると、その旨の書き置きがあるはずなんだけど・・・あ、あった。
 僕は居間のテーブルにちょこんと乗っていたメモ用紙を持ち上げ、書かれている内容を読む。

『洋平へ、

 ちょっとしまちゃんと旅行へ行ってきます。とらちゃん達も今日は帰ってこないし、たまちゃんも家を出たそうなので、夕飯はみゃーちゃんと一緒に作って食べてね♪
 火と戸締まりには気をつけること。寝るときはどちらでもいいので、必ず窓にも鍵をかけること。

 追伸:みゃーちゃん、襲っちゃだめだぞ♪』

 ・・・・・・
 手紙の文章と内容に頭を抱える。

「またか、あの二人は!」
”きしゃーーーーーーーーーっっ!!!”

 僕が吐きすてたのと同時にみゃーの叫び声が隣の家から聞こえてきた。どうやら、みゃーも同じような置き手紙をみたらしい。

 僕の母さんとみゃーのおばさんは僕やみゃーと同じように子供の頃からの親友なのだが、二人とも旅行好きでよく二人で旅行に行っている。いつも旅行に出かけては、家のことなんかお構いなしに二人で楽しんでいる。僕やみゃーが小さかった時ですら交代で片方が旅行へ行ってもう片方が僕やみゃーの面倒をみたりもしていたくらいだ。 

「いったいどうしろっていうんだ・・・」

 今回は計画を立てておらず、ちょうど予定が合ったからと言う感じの小旅行なんだろうけれど、明日、明後日と丁度連休なので、どうせ明後日の夜まで帰ってこないだろう。今まではたま姉ちゃんや父さん達が家事をやっていてくれたから、僕とみゃーだけでできるとは思えない。
 はあと盛大にため息を吐くと、これから来るみゃーのために僕は戸棚に入れてある饅頭を取り出した。
 さようなら、僕のおやつ。
 これからみゃーに食べられる予定の饅頭と熱湯を入れた急須に湯呑みを二人分お盆に乗せ、二階の自分の部屋へと行く。お盆と鞄でふさがっている両手で四苦八苦しながらドアを開けると、そこには既にみゃーの姿があった。
 先程までの制服姿ではなく、ズボンにパーカーというみゃーの普段着だった。

「遅い」
「早かったね、みゃー」
「あたしが早いんじゃなくて、ミケが遅いのよ」

 ふんと机の椅子に座りそっぽを向くみゃー。そんなみゃーの態度に苦笑を浮かべながら、僕はテーブルへとお盆を置き、こぽこぽとお茶を注ぐ。
 部屋に番茶の匂いが漂っていく。みゃーはその匂いにぴくっぴくっと癖毛を揺らしていた。

「ほら、みゃー」

 テーブルの上に饅頭と湯呑み、そして急須を置いて、お盆をタンスに立てかける。みゃーはちらりとこちらをみるとふんっと小さく息を吐いて、テーブルの前へと降りてきた。

「これだけ?」

 みゃーは皿に載った饅頭を指して言う。数は三つ。僕のおやつだったんだからそんなものだ。

「そう、結局食べきれなかった分」
「食べていいの?」
「いいよ。別に」

 本当は僕のおやつだけど。

「ミケは?」

 じろりと僕を睨むようにみてくるみゃー。

「僕は昨日散々食べたからいいよ。お茶だけで」

 さようなら、僕のおやつ。
 僕がそう言うと、みゃーはなにやら考えた後、おもむろに一つの饅頭を半分に割った。

「ほら」

 そういって、みゃーは割った半分ともう一つ饅頭を自分の方へ寄せ、残った半分と一つを僕の方へと寄せた。

「ミケが物欲しそうな顔してるからよっ」

 ぷいっと顔を逸らしながらみゃーは言う。その頬がそこはかとなく赤かった事に僕は頬をゆるめた。

「うん。ありがと、みゃー」
「ふんっ」

 僕が礼を言うと、みゃーは耳まで真っ赤にして、ばっとお茶の注がれた湯呑みを手に取る。そして、あろうことかその中身をぐいっと一気に喉へ流し込んでしまった。

「あ、みゃーっ」
「きしゃーーーーーっ!?」
「みゃーっ」

 僕が止める間もなく、お茶を一気に飲んでしまったみゃーはその熱さに悶え、慌てて僕の部屋を飛び出した。僕はみゃーの後を追って台所へ行くと、みゃーは水道に飛びついて必死に舌を冷やしていた。
 僕は苦笑しながらコップを取り出し、その中へ氷を入れる。

「ほら、みゃー。ちょっと退いて」

 みゃーをどかしてコップに水を注ぐとみゃーに渡してやる。みゃーはコップを受け取ると、舌を必死に伸ばして水に浸けた。

「猫舌なのにあんな事するから・・・」
「ううふぁい。あんあいあついおおいえるおああうい」
「なに言ってるかわかんないよ」
「ひあーっ」

 じろりと上目遣いに僕を睨みながら、みゃーは叫ぶ。口ではああ言ったけど、これでも長い長いつきあいだ。みゃーがだいたいなにを言いたいのかはわかっていた。

「はいはい、みゃーもちゃんと冷まして飲もうね」

 ぽんぽんとみゃーの頭を叩いて、部屋へ戻ろうと促す。だけど、台所を出ようとした僕の後ろにはみゃーの気配は続かず、見ると、みゃーは舌をコップに浸しながら冷蔵庫を開けていた。

「みゃー。探したって饅頭はもうないよ」

 僕の言葉を信用してないのか、みゃーは上から下まで冷蔵庫の中を全部チェックしていた。
 いくらなんでも冷凍庫に饅頭はないだろうに・・・
 やがて、自分でチェックして気が済んだのか、みゃーは勢いよく冷蔵庫を閉じると、てくてくとこちらへと歩いてきた。

「ないって納得した?」
「・・・・・」

 ないことに納得したのかしないのか、僕の質問を普通にスルーしてみゃーは僕の部屋へと戻っていく。そんなみゃーの態度に苦笑しながら、僕もその後を追っていった。










「舌が痛い」
「そりゃそうでしょ」

 当たり前のことを言うみゃーの言葉を一蹴する僕。猫舌のくせに熱々のお茶を一気に飲めば、火傷する。

「舌がひりひりして味が良くわからない」
「火傷したんだから、それもしかたない」

 さっき、みゃーの舌を見せてもらったが、見事に白くなっていた。僕もたまにやるけど、そういう時ってなにを食べても味が良くわからなくなるんだよね。

「せっかくのお饅頭の味がわからないなんて・・・きしゃーっ! ミケのせいだっ」
「何でそうなるのさっ!? みゃーの自業自得だろ!」

 いきなり逆ギレしたみゃーにつっこんでしまった。
 みゃーがお茶を一気飲みなんてするからだ。
 だけど、そんな僕のつっこみなんて聞く耳持たず、みゃーはきしゃーとか叫んでいる。

「ミケがありがとうなんて恥ずかしいこと言うからでしょっ」
「ええ!? 何でそうなるのさっ」

 もう、訳が分からない。
 勝手に恥ずかしがって、勝手にお茶を一気飲みしたのはみゃーなのに、僕のせいにされても困る。

「みゃーが勝手に恥ずかしがったんだろ!」
「きしゃーっ!」

 互いに怒ったり威嚇しあう僕とみゃー。普段だったら、ここで母さん達なり、たま姉ちゃんなり、誰かの仲裁が入るのだが、今日は僕とみゃーの二人だけなので、みゃーとじっと睨みあってしまう。
 なんで、僕はみゃーと睨みあっているんだろう?
 睨みあって数分。そもそもつっこみを入れただけでそこまで怒っていなかった僕は今の状況にどうしたものかと悩み込んでしまった。
 みゃーは結構頑固で殆どの場合、自分からは退かない。かといって、こんな理不尽な言いがかりは僕も認めることはできない。

『みゃーと二人きりの時に”ねこのみゃー”と言ってみて。とても楽しい事が待ってるから』

 じっと睨みあっているのがきつくなって、無意識のうちにいないたま姉ちゃんの仲裁を求めてしまっているのだろうか。僕の頭に朝、たま姉ちゃんから言われた言葉が甦った。
 どうせたま姉ちゃんのことだから碌な事が起こらないのはわかっていたが、この状況を打破したい僕は半ばヤケになって、先のことを考えずその言葉を言った。

「”ねこのみゃー”」

 瞬間、みゃーの顔から一切の表情が抜け落ちる。そして、がくっと前屈みになったかと思うとそのまま横へくずおれて、みゃーは床へと手を突いた。
 そんなみゃーの反応に逆に僕は吃驚してしまった。
 とんでもないことをしてしまったのだろうか?

「みゃー?」

 僕は恐る恐るみゃーへと声をかける。だが、みゃーは僕の声が聞こえているのかいないのか、何の反応もしなかった。

「みゃー?」

 みゃーへ手を伸ばし、肩を揺らす。ぴくんとみゃーの癖毛に反応があった。
 しかし、その反応は完全に僕の予想外だった。

「みゃぁ」
「・・・・・・はい?」

 みゃーの口から漏れる言葉。それだけでさっきの状況は全部吹き飛んでしまったし、僕の目は点になっていたに違いない。
 みゃーはピクピクと癖毛を揺らし、まるで猫の様に四つん這いで僕に近づいてきた。

「ちょ、ちょっと、みゃー!?」
「みゃぁ」

 僕の言葉なんかまるで聞かずにみゃーは頬摺りをしてくる。その顔はとても気持ちよさそうで、こっちもみゃーの肌の気持ちよさは・・・って違うっ。

「何やってんだよみゃーっ」

 ぐっと肩を掴み、僕はみゃーをひきはがす。だが、みゃーは煩わしそうに肩を揺らし、僕の手をずらすと、ずいっと僕の懐へと飛び込んできた。

 ちゅっ。

 ずいっと上半身を伸ばしてきたみゃーの顔が僕の目の前にある。伸ばしっぱなしだった僕の手がガイドレールの役目を果たし、みゃーの顔が見事に僕の顔と接触していた。
 唇には柔らかい感触。
 これって・・・もしかしなくても・・・

「!?!?!?」

 状況を把握した僕は、もの凄い速さでみゃーから距離をとった。ごしごしと口を拭う。唇に残る記憶。数瞬前の光景が僕の頭によぎった。
 キ・・・・キス!?
 キスしちゃったーーーーっ!?
 じたばたとその場で身悶える僕。そんな僕の痴態を気にすることなく、みゃーがのっそりと近づいてくる。

「!?」

 それにびくっと体が反応し、僕は壁際まで逃げ出した。そんな僕をちらっと見て、それでもみゃーは僕の方へと寄ってくる。僕はじりじりと壁際を後ずさっていった。
 後ずさる僕に近づいてくるみゃー。そんなに広くない僕の部屋ではすぐに逃げ道なんてなくなってしまう。みゃーは僕を捕らえると、僕の足へと手をかけ、ぐっと前へと乗り出してくる。そして、ぺろんと僕の顔を舐め上げた。

「うひゃぁっ」

 変な声を出してしまう僕。それに気をよくしたのか、みゃーは次々と舐めてくる。

「みゃぁ」
「ちょっ、みゃーっ。やめっ、やめろよっ」

 僕にのしかかる様にして、みゃーは舌を伸ばしてきた。首筋、耳、頬、唇と順にみゃーの舌は僕の体を舐めていく。みゃーの舌が触れる度に僕は舌の感触にぴくんと震え、みゃーのなすがままにされていた。

「みゃーっ、やめろってばっ」

 一体、たま姉ちゃんは何をしたんだ? 明らかにいつものみゃーとは違う。しかも、ぜんぜん話が通じない。いや、話が通じないのはいつもの事だけど。でも、こんなみゃーは見たことがない。っていうか、みゃーはこんな事しない。
 僕はみゃーにのしかかられながらも、ポケットから携帯を取りだし、たま姉ちゃんへと電話をかける。

『はいは〜い。頼れるあなたのたま姉ちゃんですよ〜』

 よほど暇だったのか、それとも僕の電話を待ちかまえていたのか、ワンコール目でいきなり出たたま姉ちゃんは妙なテンションだった。

「たま姉ちゃっ」
『おかけになった電話番号は現在使われておりません、みゃーの声の後にメッセージをお入れください』

 僕の声を遮って、たま姉ちゃんの言葉は続く。
 いやいや、使われてないならメッセージは入れないでしょ。そもそも、最初に出たじゃないか。みゃーの声の後にってなにさ。
 たま姉ちゃんの台詞につっこみどころが山程出てくるが、そんなことをつっこんでる場合じゃない。

「たま姉ちゃんっ。何なんだよこれっ! みゃーになにしたのさっ」
『もう、ミケ君のいけず。もうちょっと乗ってくれてもいいじゃない』
「こっちはそれどころじゃっ、わぁっ、みゃー、やめろっ」

 僕は顔を舐めようとするみゃーの頭を押さえながら、電話に叫ぶ。それでこっちの様子を把握したのか、たま姉ちゃんは電話の向こうでくすくすと笑っていた。

『ミケ君ったら、もうあの言葉使ったんだね。そんなにみゃーで楽しみたかった?』
「そんなんじゃわぁっ」

 たま姉ちゃんの言葉を否定しようとしたが、みゃーが僕の手を突破して僕の顔に近づいてきた。

「うわぁっ」

 情けない声を出す僕の頬をみゃーはまたも舐めてくる。鼻先にみゃーの匂いが漂ってきて、先程の記憶が甦った。

「みゃぁ♪」
『ふふっ、みゃーったらずいぶんと楽しそう』

 楽しそうなみゃーの声に電話の向こうでたま姉ちゃんが反応するが、こっちは意味もなくドキドキしてそれどころじゃない。

「たっ、たま姉ちゃんっ。そんな楽しそうな声出してないで、なんとかしてよっ。一体何なんだよこれっ」
『ふふっ、しょうがないなぁ。じゃあ、ミケ君。電話をみゃーに聞こえるようにしてくれる?』

 こっちの災難を本当に楽しそうに笑うたま姉ちゃんの指示に従い、僕はみゃーの耳に電話を当てた。

「いいよ、たま姉ちゃん」

 たま姉ちゃんに聞こえるようにやや大きめの声で言う。
『”人間のみゃー”』

 たま姉ちゃんも大きめの声で言ったのか、電話から漏れでた声が僕の耳にも届く。たま姉ちゃんの声の一瞬後、先程のまでの雰囲気から一転、ぱちくりと目を見開いたみゃーが僕を見下ろしていた。

「・・・・」
「・・・・」

 数秒、僕とみゃーはそのままの姿勢で見つめあう。さっきまでのみゃーから戻ったようだけど、僕はどうしていいのかわからない。

「みゃー?」

 僕がみゃーに声をかけると、みゃーは何かに気づいた。
 僕を見下ろすとみゃーは顔を真っ赤に染める。わなわなと顔を歪め、ぶるぶると体を震わせると、ぎゅっと握りしめた拳を後方へと振り上げた。

「きしゃぁぁぁぁぁぁっ!!」
「ぐはぁっ!!」

 ご近所にも聞こえそうなみゃーの絶叫。それとともに振り上げられたみゃーの拳が弧を描き僕の顎へと叩き込まれる。瞬間的に真っ白になる視界。痛いと感じる暇もなく、僕の意識は白い闇に飲み込まれていった。














「はぁっ、はぁっ、はぁっ」

 洋平の顎に綺麗に拳を入れた美弥は顔を真っ赤にして、肩で息をしていた。その美弥の下で洋平は気絶している。

『ミケ君、ミケ君? おーい、ミケくーん? なんかすごい音したけど?』

 洋平の手に収まっていた携帯電話から聞き覚えのある声がした。美弥はその声に気づいた瞬間に洋平の手から携帯電話を奪い取る。

「お姉ちゃんっ!」
『ああ、みゃー。ってことは、今の音はみゃーがミケ君をけーおーした音でおっけぇ?』

 美弥の怒声に動じることなく、彼女の姉は状況を把握する。

「お姉ちゃんっ、何したのよっ。なんであたしがミケに、ミケにっ・・・」
『ミケ君にぃ? みゃー、ミケ君にどうしたのぉ? ほら、言っちゃいなよ。ゆー、いっちゃいなよー』

 自分のしたことを思いだし、言葉に詰まる美弥を玉緒はわざとらしくからかう。そんな玉緒の言葉に美弥はプルプルと震え、ぎゅっと携帯電話を握りしめる。

『ほらほら、いっちゃいなよー』
「きしゃぁぁぁっ!!」

 美弥は電話に向かって絶叫し、電話を切ろうとボタンに指を伸ばしかけた。

『”みゃーに命令。電話を切らない”』

 玉緒の言葉に美弥の指がぴたりと止まる。

『あれ? どうしたのみゃー? 電話を切るかと思ったのに』
「ふ、ふんっ。お姉ちゃんに聞いてなかったことを思い出しだけよっ」

 にやにやとした笑い顔が容易に想像できる様な口調の玉緒。普段ならば問答無用で通話を切っていたはずなのに、なぜ切らなかったのか? 自分でもよくわからないその理由をでっち上げて、美弥は電話を続けた。

『で、何を聞きたいの?』
「今日に限って誰もいないなんて、お姉ちゃんが企んだの?」
『企むなんて人聞きの悪い。私はそんなことしないわよ〜』
「どの口がそんなこと言うのよ。どの口がっ」
『この口が言うのよ。でも、本当に今回の事は私じゃないわよ? 偶然じゃない?』

 過去に姉に遭わされた酷い目を思い出し、美弥は電話の向こうの姉に向かって責め立てる。玉緒はふふっと美弥を笑い、しかし、やはり否定した。

「違うの?」
『違うよ。にしても、ミケ君と二人きりかぁ〜。おいしい状況ねぇ。みゃー、既成事実を作っちゃいなよ』
「にゃっ!?」

 唐突な玉緒の言葉に美弥は頬を赤く染めて動揺する。みていなくてもわかる妹の雰囲気の変化に玉緒はふふっと笑って言葉を続けた。

『だって、食事はみゃーが作るんでしょ? ミケ君はできないだろうし、あのブチシマコンビがわざわざ作り置きしていくわけないし。御褒美が欲しいとか思わない? 私の部屋の白いラベルのアロマ瓶とかも使って良いわよ? あ、でもあれはアロマテラピー用だから食事に盛るならマニキュアの瓶と一緒に入れてある黒いラベルの瓶の方ね。一滴でビンビン、二滴で』
「きしゃーーーーっ」

 美弥の叫び声が玉緒の言葉を遮る。玉緒はふふっと笑い、余裕たっぷりに美弥へと話しかける。

『そんなんじゃ、いつか誰かにミケ君を取られちゃうぞ』
「・・・ミケなんて誰も好きにならないよ」

 玉緒の言葉に美弥はぶっきらぼうに言う。その言葉を引き継いで玉緒が聞いた。

『あたし以外は?』
「な゛っ」

 動揺する美弥に玉緒はふふっと笑った。

『ミケ君かぁ。良いと思うのよねぇ』
「え・・・?」

 ぽつりと漏れる玉緒の言葉。その言葉に美弥の癖毛がぴくんと反応する。

『昔からの付き合いだし、文句を言わずについて来てくれそうだし、何やっても結局許してくれそうだし。意外と可愛いのもポイント高いよね』
「お姉ちゃん・・・何言って・・・」

 つらつらと姉の口からあふれてくる洋平への賛辞。それを聞く美弥はプルプルと体を震わせ、ぱくぱくと口を開いていく。目を大きく見開き、不安たっぷりな貌で電話に耳をあてていた。
 そんな美弥へ玉緒はくすりと宣告する。

『みゃーが手を出さないって言うなら私が手を出してもいいよね』
「きしゃーーーっ!!」

 玉緒の宣告に美弥は絶叫を以て反抗した。そこに込められたたった一つの感情。妹の感情をくみ取り、姉はくすりと柔らかい声を出した。

『大丈夫、みゃーからミケ君は取らないわよ』
「え・・・?」
『でもね、みゃーだけがミケ君を思ってるわけじゃないんだよ? だから、そんなことになる前にミケ君に告白しろって言ってるのよ』

 姉らしい優しさに満ちた声。しかし、そんな言葉を言われた美弥は途端に萎縮してしまった。

「でも・・・だって・・・」
『でももだってもないの。さっさと告りなさいよ。”みゃーに命令、今日、ミケ君と一緒にお風呂に入る”』

 玉緒から発せられた命令。美弥の意識には聞こえないそれは、しかし、美弥の無意識に受け入れられた。

『っとぉ、そろそろ時間だ。じゃ、みゃー。三日間をミケ君と楽しみなさいよ。”電話を切れない命令解除”』

 そう言って、玉緒は電話を切る。ツーッ、ツーッ、ツーッと聞こえてくる電子音に美弥も電話を切ると、机の上に電話を置いた。

「お姉ちゃんのお節介」

 美弥はぼそりと呟くと、他ならぬ自分の一撃を食らって延びている少年を眺め、けれどすぐにふんと顔を逸らした。











「・・・・・・・・・・・・け」


 ん・・・・


「・・・・・・・けっ」


 遠くから何かが聞こえる。聞き慣れた声。一日と聞かなかったことのないその声。


「・・・ミケッ」


 その声の主が頭の中で像を結ぶ。ピコピコと癖毛を揺らしながら不安そうな目で見つめる少女。
 なんだよ、その顔・・・そんな貌はみゃーには似合わないんだから・・・もっといつものように怒って・・・笑ってなよ。


「きしゃーーーっ」

 パンッ!

 頬に走る衝撃。じんわりと熱を持ってくる頬とそこからピリピリと伝わってくる痛みに、僕の意識ははっきりした。

「いつまで寝てんのよっ、このバカミケッ!!」

 目の前にはみゃー。僕の上にのしかかったみゃーは僕の胸倉を掴んでいる。目をつり上げて僕を睨むみゃーは僕が気づいたことに気づくと、ふんっと鼻息を荒くして僕の胸倉から手を離した。

 ズドンッ。

「〜〜〜っ」

 何の支えもなかった僕の体が床に落ちる。背中に走った衝撃は頬の痛み、顎の痛み、さらには後頭部の痛みと相まって全身を痛みで包んでくれた。

「ちょっ、みゃー。痛いなぁ・・・起こすならもうちょっと優しくしてくれよ・・・」

 僕の抗議にミケはふんっと顔を逸らす。その瞬間、みゃーの癖毛がピンッと立った。

「ミケのくせに贅沢なのよっ。ミケなんか本当なら水をかけても良いくらいよっ。後片付けが面倒だからやらなかったけど」

 ええー。
 みゃーの言葉に顔がゆがむ。みゃーだったら本当にやるから困る。前にプールに投げ込まれたこともあったっけ?
 それにしても片付けが面倒だからって・・・可哀想だとかそんなんじゃないんだねやっぱり。

「はあ・・・わかったよ。で、どうしたの?」
「ご飯」
「え?」

 みゃーの言葉に僕の思考が一瞬止まる。慌てて窓の外を見ると陽は既に落ちており、常夜灯の明かりと家の明かりが闇の中で個を主張していた。

「あれ? もうこんな時間?」

 なんか、妙に痛い顎と後頭部をさすりながら時計をみると、短い針が七を指していた。
 いつの間にそんなに寝てたんだろ?
 などと考えてたら、スパンと頭を叩かれた。

「きしゃーっ、ご飯が冷めるでしょ!!」
「はいはい・・・わかったよ。着替えていくから先に行ってて」

 いつもの調子のみゃーに苦笑して、僕はみゃーを台所へと行かせると着替えを始めた。










「・・・・・・・」

 僕は目の前に広がる光景に息を呑んだ。
 ピンと立って自己主張する白米。うまい具合に焦げ目のついた一口大のハンバーグに肉じゃがが並ぶ。それだけでは足らないとばかりにボウルに盛られたゆでたまごのサラダにほうれん草のごま和え、最後にホカホカとおいしそうな匂いをたてる味噌汁と見事なほどに和洋折衷、でも、ぼくとみゃーだけでは絶対にでてこないと思っていた献立が台所のテーブルに並べられている。

「ちょ、え?」

 戸惑う僕を後目にみゃーは椅子へと座る。そして、未だ呆然としている僕をじろりと睨んだ。

「早く座りなさいよ」
「あ、うん・・・」

 勧められるままに椅子に座る。そして目の前に広がる壮観な光景にみゃーをみた。

「これ・・・どうしたの?」
「別に」

 いただきます、と手を合わせて一人で食べ始めるみゃー。

「もしかして、みゃーが作ったの?」
「・・・」

 僕のその言葉にみゃーはぴたりと箸を止め、じろりと睨んだ。

「きしゃーっ。嫌なら食べなきゃいいでしょっ」
「そんなこと言ってないよっ。いつもたま姉ちゃんが作ってたから驚いただけだって」

 今にも片付けだしそうなみゃーに、僕は慌てて箸を取る。茶碗と箸を手に、いただきますと言った僕はとりあえずハンバーグへと手を伸ばした。
 火が通ってないなんて事ないよな?
 今までの実績があるたま姉ちゃんの料理とは違い、みゃーの料理を口にするのは初めてだ。小中学校の調理実習の時はみんな自分で食べてたし、成績表もそこまで当てにはならない。
 僕はドキドキしながらハンバーグを口にした。その瞬間、じゅわっと肉汁が口の中に広がる。かけられたソースと相まって、すごく美味しい。

「お」
「お?」

 思わず漏れた僕の声をみゃーが反復する。目の前から聞こえてきた声も気にならず、僕の箸はどんどん進んでいった。

「お、お、おお、おおお」

 咀嚼が追いつかずに口の中いっぱいに頬張らせていく。肉じゃがもちゃんとじゃがいもの中まで出し汁が染み込んでおり、サラダもごま和えも簡単だけどやっぱり美味しい。

「んぐっ」
「ミケッ!?」

 ご飯をかっこもうとした瞬間、僕はのどに詰まらせた。
 どんどんどんどん。
 慌てて胸を叩き、詰まったものを通そうとする。だが、その程度では全然通らない。

「ほらミケッ!!」

 僕はみゃーが差し出してきたコップを手に取り、なみなみと注がれた水を一気に飲み干した。

「ふぅ〜〜」

 なんとかそれで詰まったものを飲み込んだ僕は一息ついた。そんな僕にみゃーも安堵の息をついてから、じろりと僕をみる。

「なにやってんのよ・・・そんなに頬張って・・・・いつもゆっくり噛めってブチさんに言われてるでしょ」

 くどくどと言い出すみゃー。だけど、僕はそんな説教も右から左へと聞き流してしまうくらいに感動していた。

「美味いよ、みゃーっ」
「え・・・・?」
「みゃーの料理がこんなに美味いなんて知らなかった。いつもたま姉ちゃんがやってたから、できないんだと思ってた。でもさすがみゃーだ。これなら毎日作って欲しいな」

 感動が次から次へと口をついてでる。一息に言って、みゃーをみると何か面食らっていた。なんで?

「な、な、な・・・・・きしゃーっ!?」

 みゃーの絶叫と共に癖毛がピンと立つ。みゃーは顔を真っ赤にしてきしゃーっ、きしゃーっと叫んでいた。

「きしゃーっ! なに馬鹿なこと言ってんのよっ。そんなこと言ってないでさっさと食べなさいよねっ。き、きしゃーっ!」
「あ、う、え、あ、う、うん」

 みゃーは物凄い剣幕で叫ぶと、物凄い勢いでご飯をかっこんでいく。僕はその勢いに押されるように頷いてしまった。
 いや、ほんの数分前に僕にしていた説教はどこに行ったんだ?

「ん゛〜〜〜〜っ!?」
「みゃーっ!?」

 言わんこっちゃない。
 どんどんと自分の胸を叩いているみゃーに今度は僕が水を渡すことになった。











 じゃーーっ。
 台所からは流れる水の音とカチャカチャと食器のぶつかる音がする。
 二人だけだって言うのに非常に騒がしかった夕食が終わり、洗い物を手伝うと言ったら、邪魔だからいらないとあっさり断られた僕はすぐ隣の居間で何となくテレビをつけながら、たま姉ちゃんに電話をかけていた。

「さっきのは一体何だったのさ」

 何となくみゃーに聞かれたくなかったので、テレビのボリュームを上げて、小声で話す。たま姉ちゃんはふふっと笑うと僕の問いに楽しそうに答えた。

『ねえ、ミケ君。催眠術って知ってる?』
「え?」

 たま姉ちゃんの口から出てきた単語に僕の思考が真っ白になる。
 たま姉ちゃんは一体なにを言ってるんだ?

『え? じゃない。催眠術よ、催眠術』
「催・・・眠術?」

 たま姉ちゃんの口から出てきた単語を繰り返す。なぜか、嘘くさいその単語に真実味を感じてしまった。

『そう、催眠術。私ね、昔から催眠術に興味があったんだ。それでみゃーに催眠術をかけて練習してたんだ』
「で、でも催眠術って、あれでしょ? あなたはだんだん眠くなる〜ってやつ。あれってテレビのやらせなんじゃないの?」
『違うよ、ミケ君。催眠術はちゃんと存在する技術なんだよ。超能力とか魔法とか、そんなんじゃないの』
「え、でも、だって。人が鳥になるとか、馬になるとか、あんなのおかしいでしょ」
『でもみゃーは猫になったでしょ?』

 たま姉ちゃんの言葉に僕はなにも言えなくなった。
 さっきのみゃーの動き、行動。さっきは気が動転していて慌てふためくだけだったけど、冷静になって考えてみると確かにさっきのみゃーの動きは猫みたいじゃなかったか?

『朝、ミケ君に教えたのはみゃーを猫にする言葉なの。楽しかったでしょ?』
「楽しむ余裕なんてなかったよ・・・みゃーがおかしくなったんじゃないかと思った」
『電話で凄く焦ってたもんね。みゃーがずっとこのままだったらどうしようかと思った? 大丈夫、一度寝かせば元に戻るよ』
「ミケーッ。お風呂沸いたからさっさと入って」

 後ろからみゃーの声が聞こえて来て、僕はビクッとする。たま姉ちゃんと電話してたとかバレたら、またきしゃーっとか言って蹴りを入れられそうだ。

『おっとぅ。みゃーにバレたら面倒ね。じゃ、たまお姉さんからの愛の手はここまで、後は自分で頑張り給え、青少年諸君』

 たま姉ちゃんも同じなのか、慌てて電話を切った。

「ミケーッ?」
「う、うん。わかったっ」

 僕は慌てて返事をして居間を出ると、携帯電話を部屋に戻して風呂へと入った。
 ばしゃあと頭からお湯をかぶる。ぽたぽたと髪の毛から滴が垂れ、もわもわとあたりに立ちこめる湯気が気持ちいい。
 頭と体を洗って湯船にはいると、んーっと軽く伸びをした。

「ふぅ・・・・」

 一息ついた僕はふっと、たま姉ちゃんの言っていたことを考える。しかし、何度考えても納得することができなかった。
 だってそうだろう? よりにもよって催眠術って。あんなのはテレビのやらせじゃないか。とはいえ、みゃーが変なことになったのも確かだし・・・
 普通ならここでたま姉ちゃんが嘘を吐く意味があるかどうかを考えるんだろうけど、たま姉ちゃんは面白ければそれでいいというある種破綻した人なので、意味もなく嘘を吐くなんて普通にやるからなぁ・・・
 でも、たま姉ちゃんのことだから、本当に催眠術を習得していることもあり得るわけだし・・・ああ、もう、わかんないっ。
 思考が堂々巡りに入り、僕は頭を抱える。もしかして、たま姉ちゃんはこんな風に僕が悶えるのを想像して楽しんでいるんじゃないだろうかと思い始めた時、ガラッと脱衣所の戸が開かれた。

「ミケーッ、湯加減はどう?」
「ん、ああ。ちょうど良いよ」

 みゃーの声に思考が途切れる。

「そ、そ、そう?」
「うん、とっても気持ちいい」

 ?
 なんかみゃーの様子がおかしい。今までにもこんな状況は何度もあったというのに、なにをあんなに焦っているんだろう?

「どうしたの? みゃー?」
「き、きしゃーっ。何でもないわよっ」

 やっぱり何かおかしい。っていうか、何か隠してる。ずっと一緒にいるんだからそれくらいは余裕でわかる。

「みゃー、なに隠してるのさ?」
「な、な、なんでもないわよっ」
「そんな訳ないだろ。みゃーがそんな態度とるなんて大抵何か隠してる時じゃないか」
「き、きしゃーっ!! 何でもないって言ってるでしょっ」

 磨りガラスの向こう側でみゃーが叫ぶ。なにをやっているのかわからないが磨りガラスに映ったみゃーのシルエットはなにやらもぞもぞと動いていた。
 なにやってんだ?

 カラ・・・・

「ミ、ミケ・・・」
「? ・・・ッ!?」

 突然の光景に一瞬、呼吸を忘れた。きっと目も見開かれていることだろう。

「みゃ、みゃーっ!?」

 だってそうだろう? 戸が開いたかと思ったら、素っ裸のみゃーがそこにいたんだから。

「・・・・」

 思わずその姿に見惚れてしまう。普段から見慣れている体のラインだが、日焼けした腕や足とは違い、真っ白い胴体はやはりたま姉ちゃんと血を分けた関係だと思い知らせてくれる。

「き、きしゃーっ!!」
「あっ、ご、ごめんっ」

 みゃーの叫びに僕はみゃーを見つめていたことに気づき慌てて背中を向ける。目の前には壁。みゃーを見た瞬間からドキドキと高鳴っている胸の鼓動がみゃーに気づかれないか心配になる。
 ちゃぷ。
 微かな水音が浴室に響き、後ろに人の、みゃーの入ってきた気配を感じた。背中合わせに浴槽に浸る。背中に感じるみゃーの肌は暖かく、それがみゃーそのものの様に思えた。

「な、何で入ってきてんだよっ」
「う、うるさいわねっ。入りたかったのよっ、悪いっ?」
 みゃーにドキリと感じてしまったのを隠すために、僕は語気を荒くしてしまう。そんな僕の言葉にみゃーは無茶苦茶な事を言った。

「いや、悪いだろっ!? 二人入るには狭いんだよっ。それにこれがたま姉ちゃんたちにバレたら、どうすんだよっ」
「なんでそこでお姉ちゃんが出てくるのよっ。この馬鹿ミケッ」

 きしゃーっとみゃーはうなる。

「なんでって、たま姉ちゃんだからだよっ。またからかわれるネタが増えるだろっ」
「っ・・・きしゃーっ!!」

 僕がそう言うと、みゃーは奇声を上げて手を、いや頭を出してきた。体を前に屈め、勢いをつけて後頭部で頭突きをする。

「痛っ!?」

 ゴンという凄い音が頭に響く。唐突にきた衝撃にちかちかとする視界。明滅する世界に僕はみゃーの行動パターンを反芻していた。

「わ、わかった、わかったよっ。ごめんってばみゃーっ」

 そう言った瞬間、後ろ髪に何かが触れる。間違いなくみゃーの髪の毛だった。
 あ、危なかった・・・
 おそらく、数センチの位置でみゃーの頭が止まったのだろう。みゃーの事だからあのまま僕がなにも言わなかったら、もう一度頭突きを食らわせてきてたに違いない。その時、僕の意識があるかどうかはわからないけど、痛いのはごめんだった。

「きしゃーっ」

 最後に一度奇声を上げて、みゃーはずるずると僕の背中を滑る。髪の毛がちくちくと僕の背中を上から下に刺激してきた。

「あたしだって、何で入ったのかわからないわよ・・・」
 そして、口が水面についたのか、ボコボコと泡の音を立てて、なにやらぶつぶつ言っていた。

「ふぅーっ」

 脅威が過ぎ去っていったのに安堵し、一息吐く。あまりにも普段と変わらないみゃーに僕は昔を思いだしていた。

「昔も一緒に入ったよね」

 背中越しにみゃーに話しかける。
 もう七年くらい前までになるだろうか。僕とみゃーはそれくらいの頃は泥だらけになるまで遊んで、二人で一緒にお風呂に入れられていた。一緒に遊んでいたはずのたま姉ちゃんは何故か汚れておらず、いつも僕とみゃーがたま姉ちゃんにごしごしと洗われていたっけ。
 たま姉ちゃんが中学にあがった頃あたりから、互いに性別の違いを無意識のうちに意識しだしたのか、今でも、互いの部屋をノックすらなく行き来している僕もみゃーもお風呂だけは襲撃することがなくなっていた。

「こうしていると昔みたいだ」
「ミケはいっつもシャンプーハット使ってたよね。シャンプーが目に染みるって泣いてたっけ」

 くすっと笑う気配が後ろから漂ってくる。
 なんてネタを出してくるんだ、僕も忘れたいと思っている恥ずかしい過去を持ち出してくるなんて。

「そんな事言うなら、みゃーだって。いっつも百まで数えられなくて、しまさんに怒られていたじゃないか」
「む、それはミケもじゃない」
「僕は七十までは入っていられたぞ。みゃーは五十行く前に飛び出していたじゃないか」
「じゃあ、一番風呂に飛び込んで時はどうよ? 熱いって泣き出して、水で薄めてとらさんに怒られてたでしょ」
「あれは本当に熱かったんだよ。父さんは熱湯風呂が大好きだから」
「本当? ただ単にミケが熱いの駄目だっただけじゃない?」

 背中合わせなので全く見えないけど、みゃーがにやにやしている姿が容易に思い浮かぶ。まったく、これだから幼なじみは。

「そこまでいうならみゃー。今ここで勝負しようよ。今からずっとこのお風呂に入り続けて、先にあがった方が負け。で、負けた方は買い出しに行ってくるでどう?」
「いいよ、あたしが勝つから」

 ふふんと余裕を見せつけるみゃー。目に物を見せてやる。

「言ったな。よし、じゃあこのままさらにわかすからね?」
「どうぞどうぞ、ご自由に。でも一言だけ言っておいてあげるよ。わかしたらミケの負けが確定するからね」
「なんでさ。そんなことわからないでしょ」

 意味不明なみゃーの挑発を無視して、僕はお風呂をわかし始める。その気配を感じ取ったみゃーが背中越しに楽しそうに声を上げた。

「あーあ、やっちゃった」

 そして数秒、僕はみゃーの言葉の意味を体感する。

「うわ、熱っ!?」

 しまった。僕が入っている側はわかす口のある方だった。そこから熱されたお湯がじわじわと僕の体を責めあげていく。

「火傷しないようにね」

 ふふんとみゃーは楽しそうに言う。僕のというか、僕達の体が障害物になってみゃーの側には熱されたお湯が流れていかない。

「は、はかったなみゃーっ!!」
「なに言ってんのよ。あたしはちゃんと忠告したでしょ。気づかないミケが悪い」

 背中越しに楽しそうに言うみゃー。みゃーの言う通りなのだが、後ろで楽そうにしているみゃーに何か言わないと気がすまなかっただけだった。

「くぅぅぅぅぅぅ」

 どんどんと熱いお湯が僕の体を責めてくる。追い炊きを止めればいいのだが、そのために立ち上がったら、その時点で負けにされてしまう。みゃーはそういう奴だし、僕も逆の立場だったらそう言うだろう。子供の頃からそう言う風に勝負をしてきたのだから当然だ。
 だから、どんなにきつくても勝つためには我慢しきるしかないのだ。

「ふふん、さっさと負けを認めてあがったら?」
「う、うるさいな。これでもくらえ」

 背中越しに勧告してくるみゃーの側に目の前の熱いお湯を押しやってやる。もちろん、そんな程度で僕の方の熱さが変わることはないのだけど、少しでもみゃーの方を熱くしてやるのが目的だ。

「きしゃーっ、そんなの送ってくんな」

 そんなことをみゃーは言って、僕が押しやったお湯を戻すようにお湯をかいていく。僕の側とみゃーの側から押され作られた波がちょうど、僕とみゃーの間で大きくなった。

「熱っ」
「きしゃーっ!?」

 跳ね上がったお湯の飛沫が僕とみゃーの首筋に当たる。唐突にきたその熱さに僕とみゃーはびくんと体を跳ねさせた。

「このこのこの」
「きしゃーーっ」

 それを合図として、背中合わせのお湯の掛け合いが始まった。使うのは互いに手だけ、ごつっ、ごつっと肘がぶつかり、ばしゃっばしゃっと頭からお湯をかけられていく。

「熱ぅっ!?」
「きしゃーっ!?」

 散々な悲鳴が浴室に響く。浴室内はスチームサウナの様に激しく湯気が立ち、視界は靄だらけだった。
 その中で僕とみゃーはお湯をかけあう。どちらが先に逃げ出すかのチキンレース。どちらが長く居られるかの我慢比べ。子供の頃から何百回と行ってきた勝負だ。

「この、いい加減にあがったらどうだ、みゃーっ?」
「きしゃーっ、ミケの方こそ負けを認めたらっ?」

 僕の言葉にみゃーが応える。
 さっきまでの自分とは違う性を意識した空気はどこにもない。子供の頃の二人がそこにいた。
 ばしゃばしゃとお湯が跳ね、僕達へとかかってくる。

「きしゃぁっ!?」

 後ろでみゃーの悲鳴が起こり、一瞬、みゃーの攻撃が止む。僕がとどめとばかりに手をおもいっきりかいた時にそれは起きた。
 あれ・・・?
 視界が霞む。思考が靄の中へと消えていき、意識が微睡んでいく。
 ぐらりと視界が傾いだ。
 どぼんという音が遠くで聞こえ、意識と体が沈んでいく。

「ミケッ!?」

 完全に意識が消える前にそんな声が遠くで聞こえた様な気がした。
















「んん・・・」

 目が覚める。目の前に広がるのはいつも見慣れた茶色い天井。ここは僕の部屋だ。

「あれ・・・?」

 だというのに何故だろう? 何か激しい違和感がある。僕が僕の部屋で目覚めるのはおかしいような気がする。
 どうして・・・?
 僕は・・・みゃーと・・・?

 ピト。

「うひゃあぁぁぁぁっ!?」

 突然の刺激が首筋に訪れる。冷たい何かを押し当てられて、僕は跳ね起き、ぼうっとしていた頭は一気に覚醒していった。
 そうだ、僕はみゃーとお風呂に入っていたんだ。それがなんで僕の部屋で目が覚めるんだ?

「いつまで寝てんのよ」

 声の方に振り向くとタンクトップに短パンという寝間着姿のみゃーがいた。両手にスポーツドリンクの缶を持っていて、片方を自分で飲んでいる。
 おそらく、僕の首に押し当てたであろうもう片方の缶を僕に差し出していた。

「ん、ありがと」

 僕はみゃーから缶を受け取ると蓋を開けて、ゴクゴクと中身を飲んでいく。冷たい液体が喉を通り、火照った体をちょうどよく冷やしていった。

「ふぅーっ」

 一気に半分ぐらい飲んだ僕は一息吐く。そして、窓へと移動したみゃーを見た。

「ありがと。僕は湯あたりしたんだよね?」
「違うわよ。ミケは湯あたりじゃなくてのぼせたの」

 みゃーはふんっと顔を逸らして言う。まだ乾いてないのにも関わらず、頭の癖毛はピンと立っていた。

「え? 湯あたりってのぼせる事じゃないの?」
「違う。全く違う。そもそも家のお風呂で湯あたりは起こらないわよっ。ついでに言っとくと、湯疲れでもないからねっ」
「ふーん・・・よくわからないけど、ありがと。みゃーが僕を運んでくれたんだよね?」

 というか、僕とみゃーしかいないんだからそれ以外の答えがない。

「ふんっ、あのまま溺死とかされても気分悪いし、風邪引かれても困るのよっ」

 みゃーは顔を逸らしたまま言い訳のように言う。頭の癖毛はぴこぴこと動いていた。

「はいはい」

 そう言って、僕はスポーツドリンクの残りを飲もうとして気がついた。このスポーツドリンクは確かうちの冷蔵庫にはなかったはず。

「あれ? これって・・・?」
「ふん・・・結局あたしの方が先に出ちゃったから・・・」

 みゃーを見ると、癖毛をぺたりと倒して、恥ずかしそうにぼそぼそと口を動かしていた。多分、僕が倒れたのに驚いたみゃーが立ち上がったんだろう。それで自分の負けにしてわざわざ買ってくるなんて・・・相変わらず変な所で律儀な奴。

「ありがと、じゃあ、ありがたく貰っとくよ。でさ、この後どうする?」

 時計を見ると十一時を回ったあたりだった。僕もみゃーも大体寝るのは一時前後。風呂上がりって言うのもあるし、飲み物も飲んでしまったし、実は全く眠くない。
 布団が敷いてあるのを見るに、みゃーもここで寝るみたいだけど、今すぐ寝るとは思えない。

「そういや、みゃー。ここで寝るの?」

 そう広くない僕の部屋に布団が二つ、L字型に敷いてある。子供の頃から互いの部屋で一夜を明かすなんてよくやっていたけれど、二人きりなんだから母さんの部屋でも好きな所へ行けばいいのに。

「あたりまえでしょ。そこはあたしの指定席なんだから」

 そう言って、みゃーはごくごくとスポーツドリンクを飲み干した。軽くなった缶をこんっと窓枠に置く。そして、みゃーは窓枠から降りると僕の机を漁り始めた。開けられた引き出しにはゲーム類が入れてある。みゃーはそこからファミコンと一つのソフトを取りだした。

「ドッジやろドッジ。運動会でもいいけど」

 みゃーが取りだしたのは今は無きソフトハウスの作ったゲームだった。たしか、たま姉ちゃんがどこからか持ってきたモノで、シンプルなシステムと柔軟な操作性でたま姉ちゃんも含めて僕たちは延々とはまっていたものだ。

「いいね、ドッジ。今日こそはみゃーにぎゃふんと言わせてやる」
「できるものなら、やってみたら」

 僕とみゃーはいそいそとファミコンを繋いでいく。そして、懐かしい画面とともに懐かしい音楽が流れてきた。
 みゃーはそれん、僕はあいすらんどと一番得意なチームを選ぶ。内野と外野を割り振り、対戦を始めた。








「あー、くそっ。またまけたーっ」
「ミケがあたしに勝つなんて十年早いよ」

 それから二時間。僕とみゃーはチームを変え、たっぷりと対戦した。戦績は五勝十敗。僕の負けだ。僕が弱いのかみゃーが強いのか、どんなゲームでも勝ち越した事はない。ちなみにたま姉ちゃんはちゅうごくで無類の強さを誇っている。僕とみゃーがどれだけやってもちゅうごくを使ったたま姉ちゃんに一勝はおろか、一人も倒せた事がない。ほかのチームを使った時でさえ、一人二人を倒す事は出来ても、最後の一人を倒す事が出来なかった。たしか、一度ハンデと称して無条件に二人倒させて貰った事があったが、その時は一人相手に全滅させられたっけ。

「ちぇーっ」
「まだやる?」
「当然」

 にやにやと笑みを浮かべながらみゃーが聞いてくる。その問いに僕は即答した。
 時刻は一時。普段ならそろそろ布団に入る頃合いだけど、どうせ明日は休み。それに母さん達もいないから怒られないですむし。何より、みゃーに負けっぱなしってのはやっぱり悔しい。せめてみゃーに勝ち越して、みゃーを悔しがらせたら勝ち逃げして寝てやる。
 その後、僕たちはドッジからサッカー、バスケ、ホッケー、格闘、新記録に運動会とソフトを変え延々と対戦を行っていた。もちろん、僕がみゃーに勝ち越す事なんて無かったけど・・・
 そして、時刻が五時を回り、窓の外が段々と白けてきた頃、それは起きた。

「にゅぅ・・・」

 みゃーが限界に達したのか、変な声を上げて僕にしなだれかかってきた。体格相応の軽い体重が僕の体に寄りかかる。

「ちょっ、みゃーっ」
「にゃぁ・・・」

 寝言なのか何なのか、みゃーは変な声を出す。

「みゃー、寝るなら布団で寝なよ」
「きしゃぁ・・・」

 僕の言葉に反応したのか、みゃーは甘える様な声でいつもの奇声を発し、すりすりと体をすりつけてきた。
 ふわりと漂うみゃーの匂い。脂肪の少ないスレンダーなみゃーの体に夕方の事、お風呂での事を思い出す。小麦色に焼けたすべすべの肌。脂肪は少ないはずなのに触るとふにっという柔らかさを返してくる。微かに膨らんでいる胸は僕との性の違いを意識させ、口紅を塗っている訳でもないのに真っ赤な唇は事故とは言え重なってしまった時の柔らかさを思い出させた。

「ちょ・・・みゃー・・・」

 あれ、なんだこれ?
 何で、こんなにドキドキしてるんだ?
 みゃーはみゃーだろ?
 昔からずっと見ているじゃないか。何でこんなにドキドキしてるんだよ。

『みゃぁ』

 猫になったみゃーの姿を思い出す。まるで僕に甘えてくる様な、そんな、見た事もないみゃー。その姿を思いだし、今更ながらに胸がどきっと高鳴った。
 そんな思考に気づいた瞬間、僕はぶんぶんと頭を振る。
 って、何考えてるんだ僕は。みゃーだぞ。みゃーなんだぞ。
 みゃーはみゃーじゃないか。こんな風に無防備になるのだって、僕をたま姉ちゃん達と同じように思っているからだろ。僕だって、みゃーを家族の様に思っている。だったら、そんな事考えちゃ駄目だろ。

「ほら、みゃー。ちゃんと布団で寝なきゃだろ」

 僕はみゃーの手からコントローラーを抜き取ると、そっとみゃーの体を抱き上げる。いわゆるお姫様だっこだ。小柄なみゃーの体は本当に軽く、脱力しているというのにそこまで力が必要なかった。
 僕は立ち上がるとその場で反転し、すぐ後ろに敷いてある布団にみゃーを寝かせる。その際足で剥ぎ取った掛け布団を掛けてやると、僕は力尽きて、みゃーが寝てるのとあわせてL字型に敷いてあるもう一つの布団に倒れ込んだ。
 もぞもぞと掛け布団を被る。朦朧とした頭の中はみゃーの匂い、みゃーの体の柔らかさ、これまで感じなかったみゃーの女の子の部分で一杯だった。

 
 


 

 

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