枕営業マン


 

 

−5−


「あっ・・・、これ・・・僕。・・・しくじったかな。」

 蓮太が、あまり感情のこもっていない声を出して、しばらく何かに考え込むように、無表情になった。

「これ・・・罠・・・だよね?」

 蓮太の目の前に、フラフラと立ち尽くしているのは、今、最も深いところまで催眠導入されているはずの、美貌のダンスインストラクター。元アイドルで、芸能界でもソコソコいい線まで行ってたらしい、若奥様だ。けれど彼女は、完全に茫然自失になっているはずの状態で、「貴方の名前を教えてください」と頼りなげに呟いた。いかにも、ご主人様を求めるが如く・・・。うまく催眠状態に落とせていると、ウキウキしている素人術師だったら、嬉しくなって言葉を繋いでいたかもしれない。それでも、本当にこの、宮代菜々さんが深い催眠状態だったら、自分から蓮太の言葉を切ってまで、こんなことは言わない。・・・言わない。

 気がついたら、蓮太は数歩後ずさっていた。下着姿でゆっくり揺れている、スタイル抜群のこの美女は、きっと誰かに、より深い催眠にかけられて、トラップまで仕掛けられている。彼女は、誰かの「持ち物」だ。・・・問題はこれが、ただの警告なのか、それとも撒き餌として機能する罠なのか・・・。いつの間にか口の近くで拳を作って、自分の人差し指の第二関節あたりを噛んでいる蓮太。よくよく観察してみた蓮太の見立てでは、これは「罠」だった。

「ただちにこっちに害をなすような感じじゃないけど・・・。少なくとも、僕と同レベルか、僕より上級者の仕掛けだよね、これって。だって、この段階まで、僕が偽装催眠状態を見抜けなかった訳だから・・・。・・・お先、マックラだな。」

 売りモノの枕を顔に当てて、くだらない冗談を言ってみても、誰も反応しない。蓮太の表情もいつもよりも固かった。

「ふうっ・・・。帰ります。あと、僕、どこかに飛びますからね。そいじゃ、さいなら。」

 菜々さんに振り返らずに、蓮太はそそくさと準備をして、趣味のいいマンションを後にする。普段だったら催眠状態の相手をそのまま放ったらかして帰ったりなんてしないのだが、今回は気にしないことにした。上級者の仕事なのだ。何らかの予防線なり事後策が準備されているんだろう。


。。。



 小林蓮太が自分以外の催眠術上級者、もしくはその組織の影を意識したのは、実は今回が初めてではない。百人に一人ほどの美女や美人を引っ掛けているのだ、どこかで誰かの「唾つき」に遭遇してしまうのは、避けられない。そんな時、明確に攻撃の意志を見せてくる奴もいれば、警告するだけの平和主義者もいる。そして今回みたいな、周到なトラップ(らしきもの)を仕掛けている奴もいるのだ。こういう連中の影を踏みそうになった時、蓮太はいつも、一目散に逃げることにしている。長く楽しく催眠術で遊んで暮らしていくには、それが一番適切な対処法のように、蓮太には思えるのだ。

「あ〜ぁ。せっかく楽しい街なのに。残念だな、グスン。・・・でも、怖い目に会うの嫌だから。ドロンしましょっか。」

 3年続いたセールスマン稼業を、今日であっさり辞める決断をして、蓮太は「つつじヶ丘」を後にするのだった。それでも、名残惜しむように、街をキョロキョロ見回しながら、トボトボ歩く。


。。。



 ドロンする・・・と言っても、急に高跳びするような動きをとると、もしも既に監視がついてきてるとしたら、かえって敵の策に飛び込むようなものだ。蓮太は、自分自身に自己暗示をかけて、半年から一年ほど、催眠術と無縁な一般の男の子になって生活することで、危険をやり過ごす。なんだかんだと十年近くも、催眠術と女性たちと遊び尽くしてきた蓮太の、一番確実なやり方なのだった。しばらく、深く潜伏する。自分自身も別人となって。

 そうと決まれば、行動は早かった。もともと暗示をかけて操っていたお姉様たちには、メール1つで催眠導入時の記憶をさらに長く封じることが出来る、「暗示冬眠モード」を仕込んである。勤務先の上司、同僚も、都合良く解釈してくれるようになっているから、挨拶もなく姿を消しても捜索願いなどは出ない。今まで住んでいた家も、電気水道、ネットなどの契約も、近所のお金持ちがスムーズに引き継いでくれる。もとより、「蓮太」という名前からして「借り物」なのだ。新しい仮住まいと仮の勤務先を見つけて、周囲の人間も自分も、昔からそこにいたように思い込ませるだけで、潜伏は完了する。

 段取りを頭の中で確認しているあいだに、蓮太の表情はこれまでのものよりも大人びてきた。若手のセールスマンという自己暗示すら、ゆっくり解けてきたのだった。部屋を引き払う前に、最後にコンビニで缶ビールとタバコを買う。何年ぶりかに買う、お気に入りだったタバコは、値段も、名前さえも変わっていた。


。。。



 暗い部屋でPCのキーボードを叩いて、一服の煙をくゆらせる。味は昔通りのタバコだったが、久しぶりに吸うため、随分辛く、煙たく感じる。蓮太はゆっくりと、広幡早紀や藤村玲香、雅代先生や優希社長、白塚親子といった、これまで彼を遊ばせてくれた美女たちのことを一人ずつ思い出す。蓮太の潜伏中に、妊娠したり、新しい生活のステージに移る人もいるかもしれない。そうすれば完全にリリースしなければならないのが、惜しいと言えば惜しい。それでも、これまで充分に遊ばせてもらったと言えなくもない。ボンヤリそんなことを考えながら、口から煙を出す。

「このタバコは、メビウスって言うんだ。・・・メビウスの輪って・・・、こんなんだったっけ? ・・・いや、これは無限大か・・・。」

 PCに打ち込んできた文章を、ざっと見直しながら蓮太はタバコを吸い、ビールを飲んだ。今書いているのは、人名・地名だけはフィクションだが、筋はほとんど事実のままの、催眠術エロ小説。既に引退を宣言したアマチュア作家のアカウントを使って、マインドコントロールを扱うエロ小説サイトに投稿する。

 これまで遊ばせてもらった人妻たちの家のコンピュータには、「お気に入りHP」の目立たない場所に、このサイトへのショートカットを潜ませている。仮に彼女たちの忘却暗示が弱まって、フラッシュバックが起きたとしても、自分が不意に思い出した「体験」をそっくりそのままウェブ小説で見つけてしまえば、これを体験だとは思わずに、前に読んだ話を、自分のことのように思い込んだだけだと、考えてくれる。無理矢理に全てを忘れる暗示を強制するよりも、こうして逃げ道を作るほうが効果的なのだ。(といっても、ここの種明かしまで読まれたら、あまり意味がないので、エピローグは読まないように仕込んでいる)

 そしてそれは、彼女たちへの暗示だけでなく、これから蓮太自身にかける自己暗示にも言えることだ。いくら、半年、1年と全てを忘れるように暗示を刷り込んでも、「催眠」、「操作」、「支配」、「暗示」と言った、これまで慣れ親しんできた言葉への「ひっかかり」はなかなか消えないだろう。それであれば、もともとそういう分野のフィクションを愛好している一読者なのだという自己暗示をかけるほうが、よほど安定する。自分はまともな仕事も友人関係もある、単なるこの分野の小説愛好家・・・。これを読むときには、全てを実践してきた記憶を無くして、この小説もありふれたフィクションだと思うんだろう。・・・ひょっとしたら、蓮太は、君かもしれないのに。

「・・・ま、こんなところか。それじゃ、半年後になるか、1年後になるかわからないけど、しばらくはさよならだな。無事に家に帰るまでが遠足・・・どころじゃなくなっちゃったか。次の遠足まで、我慢して毎日をしのぎきるのが、遠足です。こんなところかな? ・・・では皆さん、それまで、さようなら。」

 蓮太は暗闇でニッコリ笑うと、一人エンター・キーを叩いて、ラップトップを閉じた。暗い部屋は、無音になった。

 
 
< おわり >


 

 

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