絆催眠


 

 

<始1>


「影浦(かげうら)君!」

 背中から名前を呼ばれ、僕は後ろを振り向いた。
 真っ赤な顔をした、見覚えのない女子が立っている。

 ――いつも通りの光景。

「あ、あの、これ……」

 彼女は震える声で、手に持っていたものを両手で僕に差し出した。
 ハートマークのシールが貼られた、ピンク色の封筒。

 ――これも、いつも通りの光景。

「ああ、うん」

 僕は微笑して、封筒を受け取る。
 封筒には緊張からか彼女の指の跡が少し残っており、彼女の真摯な想いが感じられた。

 ――やはり、いつも通りの光景。

「渡しておくよ。宛先は……ああ、紅介(こうすけ)のほうね」
「よ、よろしくお願いね!」

 用事は済んだとばかりに、名も知らぬ彼女は脱兎の勢いでその場から立ち去った。
 僕もすぐに、何事もなかったかのように歩き出す。


 面と向かって渡すのは恥ずかしいから、僕を介してラブレターを届けさせる。

 ――まったくもって、いつも通りの光景だった。





「はい紅介、いつものやつ」
「またか……面と向かって告白しないような相手と、付き合う気は無いんだがな」

 昼休みの教室。
 紅介はそう言いつつも、僕に手渡されたラブレターを丁寧に内ポケットに仕舞い込んだ。
 無視することも出来るだろうに、きっと紅介はちゃんと呼び出された場所に行って、告白を断るのだろう。
 それが僕の知る幼馴染、久城(くじょう)紅介という男だ。

「紫郎(しろう)もさー、直接渡せって言えばいいんだよ。そうすりゃ手間にならねえんだから」

 紅介の隣にいた橙真(とうま)が、眠そうな声を上げた。
 飛騨(ひだ)橙真。
 紅介と同じ、僕の幼馴染の一人。

「僕が頼んだんだ。というか、忘れたのか? 前にそれで、紫郎が酷い目に遭っただろう」
「……あー、あったあった! ありゃあ、すげえ逆恨みだったな」
「うん……僕、しばらく夜道の電柱裏とかが怖くて近寄れなかったよ」
「そうだったそうだった。すまん、そのこと完全に忘れてたわ、俺」

 ぱんっと両手を合わせ、頭を下げる橙真。

「いいよ、気にしてない」

 僕は首を横に振る。

「そんな橙真にも、はい、ラブレター」
「……あ? さっき紅介に渡したんじゃねえの?」
「それはさっき受け取ったやつだよ。こっちは、僕がトイレに行く前に頼まれたやつ」
「かーっ、こっちもかよっ」

 橙真は汚物でも見るような遠慮の無い目付きで、僕に手渡されたラブレターを睨み付けた。
 紅介も、橙真も、とてもモテる。
 こうして、恋文を頻繁に渡されるくらい。

「今は試合が近くて忙しいんだから、こういうのは勘弁してほしいもんだぜ」
「練習試合の相手、決まったんだ。また、応援しに行くね」
「おう、今回もドデカいホームランを連発すっからな!」

 橙真は、野球部のエースだ。
 変化球は投げられないけど、とんでもない剛速球で対峙したバッターを悉く薙ぎ払っている。
 そしてバッターボックスに立てば、どんな際どいコースからでもホームランを放ってしまう、真性の化け物だ。
 既にドラフト入り確実と噂されており、実際、何度かスカウトらしき人物が橙真と接触している。

「そうだ紫郎、今日は生徒会の会議があるんだが、資料室から書類を運ばなくてはならなくてな」
「分かった、手伝うよ」
「すまない、助かる」

 紅介は、生徒会の役員をやっている。
 頭が良くて、テストの成績は常に全科目5位以内をキープ。
 親が弁護士で、彼自身もその道を歩もうとしている。
 それでいて頭でっかちにならず、視野狭窄に陥らないのだから大したものだ。

「あんまり紫郎を便利に使うなよー?」
「ちゃんと礼はするさ」

 背が低く、童顔気味の熱血スポーツ少年、橙真。
 背が高く、知的で冷静沈着なクールガイ、紅介。
 とても対照的だけど、2人は親友同士で、お互いのいいところも悪いところも分かっている。

 ……一応、僕も親友の1人ということになっているけど。
 僕は、至って普通の人間だ。
 何の特徴も取り得も無い。
 どこにでもいる、普通の男。

 輝く彼らの日陰に住まう、小さな醜い寄生虫……


「ごめん、待った!?」


 と、暗い気持ちになりかけた僕の悩みを吹き飛ばすかのように。


「た、大変だった……今日に限って、凄い行列で……」


 教室の扉が勢いよく開かれて。


「でも、お目当てのものはゲットしてきたよー!」


 3人の美少女が、太陽のように眩しい笑顔を浮かべながら、現れた。





 ――僕たち6人は、幼馴染だ。

 僕たちの年代になれば、たまに交流することはあっても、基本的に男子だけのグループ、女子だけのグループで固まることが多いだろう。
 だけど、僕たちは幼いころより、男女比3:3という形を維持したままやってきた。

 喧嘩をすることもある。
 一人になりたいときもある。
 別の友人と遊ぶこともある。

 だけど、僕たちの友情と結束は途切れることのないまま、結局はこの6人でいる空間に落ち着いた。
 なにせ親の代から仲が良く、今でもご近所付き合いが続いているくらいだ。
 そして僕たちの団結は、そんな親たちの影響も多分に受けていると言っても過言でもはない。

 ことの始まりは、十数年前。
 6人の妻たちが、偶然にも、全員同じ時期に妊娠した。
 彼女たちは、この思いがけない出来事に更なる連帯感を増し、生まれ来る子供たちに『繋がり』を与えることにした。

 僕の名前は影浦紫郎。
 親友の名前は飛騨橙真と、久城紅介。
 そして――


「はい、ヤキソバパンとコロッケパンと……まったく、女子をパシリに使うんじゃないわよ」
「じゃんけんで負けたんだから、文句言うなよ、蒼依(あおい)」

「あっ、ご、ごめん、フィッシュバーガーの形、ちょっと崩れちゃってる……」
「味が変わらなければ問題ないさ。気にするなよ、碧(みどり)」

「じゃじゃーん、飲み物は新製品も一緒に買ってきましたー。『濃厚抹茶ドリアンジュース』!」
「ちょっ、明らかに名前おかしいよね!? きいろはいつも変なもの買ってきて……」


 姫本(ひめもと)蒼依。
 鳴瀬(なるせ)碧。
 藤咲(ふじさき)きいろ。

 この華やかな3人娘にも、僕たちにも、名前に『色』が含まれている。
 赤・橙・黄・緑・青・紫……虹を構成する色の名前が。
 日本式に考えると虹は七色で『藍色』が足りないわけだけど、それは一応、補っている人物が別にいる。

 とにかくそんなわけで、僕たちはこの世に誕生する以前から、チームでいることを義務付けられた。
 勿論、そこに不満なんてない。
 特に、一人だけ優れたところを持たない僕にとっては、彼らたちとの数少ない『絆』なのだ。

 ――そう、紅介たちだけじゃない。
 彼女たちもまた、秀でた才能を持っていた。

「蒼依、女子剣道部の今月の活動報告書が、まだ生徒会に提出されていないのだが」
「嘘? あのモノグサ部長め……分かったわ、伝えておく」
「いっそ、お前が部長になっちまえば? 面倒見がいい先輩だって後輩に慕われてるじゃん、お前」
「そ、そうかしら? ま、まぁ、次期部長は普通にあたしなんだろうけど、でも今すぐ部長になるわけには……」
「それに、『胴薙ぎ真っ二つ』が部を率いたほうが、後輩のモチベーションも上がると思うぜ」
「ちょっと、その変なあだ名やめてよね! なんだか、他校にまで伝わり始めてるんだから!」

 姫本蒼依は女子剣道部の期待のホープ。
 幼いころより腕っ節は男子顔負けなところがあったが、竹刀を握ったことにより、その実力を更なる高みへと飛躍させた。
 ここ数年、一回戦すら勝ち抜けずに廃部の危機に見舞われていた弱小剣道部に現れるや否や、個人戦で全国大会に出場。
 惜しくも決勝戦まで進むことは出来なかったが、更に1年の特訓を積んだ今、優勝も夢ではないと噂されている。

「あ、碧、借りてた本返すぜ」
「うん……面白かった?」
「橙真も借りたのか。後半のヒロインの独白は感動しただろう?」
「おう、まぁちょっと背中がむず痒かったけどな……なんだ、今度はああいうの書くのか?」
「編集さんは、そう言ってるけど……どうしようかな……」

 鳴瀬碧はプロのライトノベル作家だ。
 去年、新人賞に応募した原稿が大賞に選ばれ、既に何冊か本を出版している。
 その本も同期の新人たちの中では一番販売数が多く、有望株としてネットでも静かな話題になっていた。
 ちなみに、内容は僕たちをモデルにしたキャラクターたちが活躍する、冒険活劇だ。

「お菓子もあるよー。昨日撮影現場の近くで買ったやつ、持ってきちゃった」
「おいおい、またか? バレたらマズいって、いつも言ってるだろ?」
「バレなきゃいいっしょ。まさかチクったりなんてしないよねー?」
「足を踏むな、足を! ったく、やっぱりワケの分からん名前の菓子だし……」 
「だから面白いんじゃん! どんな味か試してみたくなる魅力が溢れてるでしょー?」

 藤咲きいろは現役モデル。
 ファッション雑誌などで様々に着飾り、愛くるしい笑顔を浮かべている。
 小柄だがプロポーションは良く、天使のような清廉さと悪魔のような妖艶さを使い分けられる演技力は並大抵のものではない。
 いつか表紙を飾りたいと言っていたが、すぐにでも叶えてしまうことだろう。

「紫郎ー、『送信術』の新刊買ったー?」
「あ、うん、買ったけど」
「読み終わったら貸してくんない? もうお小遣い無くなっちゃってさぁ」
「それ、前にアレ買ったからでしょ、ロボットのやつ」
「ああ、3万円するデラックス合体……なんとか」
「だって欲しかったんだもん! みんなも昔欲しがってたじゃん!」
「何年前の話だよ!? ガキのころに放送してたアニメの玩具じゃねーか!」
「あ、編集さんにそのこと話したら、見たいって言ってたよ……希少品なんだって……」
「え、マジで?」
「えーと……とりあえず、帰ったら家に持って行くよ」
「サンキュー! ついでに『ザ・移民遊技』もあったらよろしくねー」
「ちょっと紫郎、いつまでもきいろの我侭に付き合ってたら駄目よ?」
「僕は構わないよ……あ、みんな食べ終わった? じゃあ、ゴミ捨ててくるね」
「悪いな、紫郎」
「いいさ」

 僕はみんなのゴミを纏めて、立ち上がった。

 ――僕には何も無い。

 この6人の中で、僕一人だけが、何の才能も持っていない。
 運動も、勉強も、芸術も、色々なことに挑戦してみたけど、どれも続くことは無かった。
 何事に対しても、自分の中に眠る素質なんてものを見つけ出すことは出来なかった。
 悔しい。
 口惜しい。
 僕はあの頃と、何も変わってなんかいない。

 だから。
 せめて、これくらいのことはしたかった。
 いじめられていた僕を助けてくれたみんな。
 僕の憧れの5人。
 どんなことでもいい、ほんの少しでも、彼らの力になれるのなら。

 雑用係でいい。
 漫画を貸すだけの便利な存在でいい。


 彼らに、5人じゃなくて6人がいいんだと、思わせることが出来るのなら――





 放課後。
 生徒会に必要な書類を運ぶため、僕と紅介は資料室に来ていた。
 黴臭い匂いが漂う狭い部屋の中、紅介が棚を端から端まで目を細めて調べていく。

「……よし、このファイルだ。これを一式運ぶぞ」
「お、思ったより多いね。ええと……ちょうど、ダンボール2箱で収まる量かな」
「すまない、役員でもないのにいつもいつも手伝わせて。甘える僕も僕なんだが……」
「いいよ、部活も何もやってないから暇だし。気にせずこき使ってよ」

 指定されたファイルを棚から抜き出し、ダンボールに積める。
 埃がもうもうと舞い、鼻先をむずむずとくすぐった。

「……くしゃみが出そうだ」
「年末の大掃除を除いて、まったく掃除することが無いんだな。今日の生徒会で、一ヶ月に一度の定期的な清掃を提案してみよう」
「うん、そうするべきだと思う」

 雑談している間に資料を全て積み終わり、ダンボールを持ち上げた。
 ずっしりとした重さが腕にかかる。
 予想よりずいぶんと重量があったが、運ぶのが困難なほどではなさそうだ。

「……紫郎も、筋肉が付いたものだ」
「そりゃ、流石に子供のころと比べるとね」
「毎度、橙真や蒼依に付き合わされていたからな。自然と体も鍛えられるか」
「今ならもう、いじめられることもないかな」
「それはそれで少し、寂しい気もするな」

 苦笑する紅介。
 僕も微笑んで、一緒に資料室を出た。
 両手が塞がっているので足を使い、扉を閉める。
 そんな横着をする僕に、紅介は真面目な顔で話しかけてきた。

「……紫郎、無理をする必要は無いんだぞ?」
「大丈夫、僕、結構足癖悪いし」
「それは誤用……いや、そういう意味ではなく……もういい、何でもない」
「変なの」

 言いたいことは分かってる。
 でも、本当に無理だなんて思ってないよ。
 だって、僕が出来ることなんて、これくらいしか無いんだから……

「ほら、早く生徒会室に運んじゃおうよ」
「……ああ」

 紅介。
 僕は、君たちのことを本当に大切に想っている。
 君たちも、僕のことを大切に想ってくれているのだろう。

 でも、僕は「絶対にそうに違いない」という確信が持てないんだ。

 君たちのせいじゃない。
 僕のせいだ。
 僕が弱いからいけないんだ。

 だから。
 何か、僕にも。
 僕にも胸を張って、これだと言えるものがあれば。

 その時こそ、僕は君たちと、対等になれるんだろう……





 生徒会室に資料を運び込んだら、いきなり手持ち無沙汰になった。

 紅介はこれから会議。
 橙真と蒼依は部活。
 碧は図書室でプロット思案中。
 きいろはこの前のテストの点数が悪かったから、先生に捕まって空き教室で補習を受けているはずだ。

 さて、僕はどうしたものかな……

「あ、紫郎!」
「ん?」

 適当にポケットから携帯を取り出そうとしていたところで、ふいに、聞き慣れた声で名前を呼ばれた。
 顔を上げる。

「蒼依」
「そういえば、紅介を手伝うって言ってたっけ。今終わったところなの?」

 ジャージ姿の蒼依がいた。
 あれ、部活動をやっているはずじゃ……?

「ああ、部長にこれ書かせてたのよ」

 ひらひらと、手に持っていた紙を僕に見せる。
 活動報告書……
 ああ、女子剣道部の活動報告書が提出されていないって、昼休みに聞いた気がする。

「でも、なんで蒼依が?」
「あの部長、明日持っていくって言うんだもの。あれは絶対明日になったら忘れるタイプよ」
「はは……」
「で、今すぐ持って行けって言ったんだけど、なんか紅介に会いたくないらしくて。仕方なしに、私が持ってきたってわけよ」
「紅介に? なんで?」
「……フラれたらしいの」
「……ああ、成程」

 それは、確かに顔を合わせづらいことだろう。
 紅介は別に気にしないだろうけど。

「だから、これ渡したら早く戻らないと」
「精が出るね。調子はどう?」
「うーん、部員のみんなは頑張ってくれてるんだけど、ちょっと実力差がありすぎて練習相手が足りないのよねえ」

 はぁ、と蒼依はため息をつく。

「僕が剣道強かったら、良かったんだけど……」
「あんたが気に病むことじゃないわよ。まったく、強すぎるってのも考え物よねー」

 冗談めかして笑う蒼依に、僕もつられて笑みを浮かべる。
 気を使わせてしまった。
 蒼依は男勝りだけど、姉御肌で世話好きな面がある。
 こうして活動報告書を自分で持ってきたのも、その表れだ。
 道端で捨て犬や捨て猫を拾ったら、絶対に放置せず、飼い主を探して方々を歩き回り、その後もちゃんと飼ってもらえているか心配で見に行くタイプ。
 責任感が強いのはいいことだけど、なんだか割を食うことも多い気がして、僕はちょっと心配になる。

「……橙真が剣道やってくれてたら、良かったんだけどね」
「橙真、スポーツ万能だし。剣道やらせても、強いんじゃない?」
「流石に、毎日練習してる私には及ばないわよ」

 そう言って前髪をかきあげる蒼依の瞳には、幾ばくかの寂しさが滲んでいた。

「……昔は、いつも同じことで張り合ってたのに。最近は、そんなことも無くなったわ」
「今でもやってるじゃん。パンの早食い競争とか」
「そういうことじゃなくて」
「冗談だよ、分かってる」
「……なんで野球なんて始めちゃったのかしら、あの馬鹿」
「…………」

 ひょっとして、蒼依は……
 いや、まさか。
 まさか、ね……

「……ねえ、紫郎?」
「え?」
「今日は忙しいから、今度……今度、相談に乗って欲しいことがあるわ」

 何かに迷うように視線を彷徨わせながら、蒼依はぽつりと呟いた。
 相談……僕に?

「……僕でいいの?」
「みんなには話せない。あんたが一番適任だって、あたしはそう思ってる」
「…………分かった、僕で良ければ」
「ありがと。じゃ、あたしはこれを提出してくるね」

 蒼依はほっとした顔でそう言って、生徒会室に入っていった。
 ……
 僕に相談。
 僕個人を頼ってくれた。
 そのことに、感激しなければならないはずなのに……

 何故だろう。
 どうしようもなく、心がざわつく。
 僕たちを取り巻くこの状況が、変わってしまうような。
 そんな、嫌な予感がする…………





 言いようの無い不安を抱えたまま、僕は暇を潰すために図書室に来ていた。
 うちは田舎のため、都会の大きな学園に比べれば蔵書の量は大したことはない。
 しかし勉強で使う生徒たちが多いため、人の出入りはなかなかのものだ。

 よく『図書室では静かに』という言葉を聞くが、うちの図書室は余程迷惑になるくらいの大声で騒ぎ立てなければ、問題視はしない。
 今だって、勉強の合間に雑談をしているグループがちらほら見えるが、誰も注意しようとはしていない。
 静謐さに支配された空間もいいものだけど、こうした適度に活気に満ちた図書室というのも、なかなかにオツなものだと僕は思う。

「や、碧」
「あ……紫郎」

 そんな図書室の隅のほうに、碧がいた。
 ネタ帳に使っているノートを開き、鉛筆を握って、大量に持ち込んだ本の山に囲まれながらうんうん唸っている。

「なにか、面白いネタは思い付いた?」
「前回が山の話だったから、今回は海の話にしようと思うんだけど……海の何にしようか……」

 碧の隣の席に座り、ノートを覗き込む。
 様々な単語が、ノートのあちこちに乱雑に書き込まれていた。
 海水浴、嵐、遭難、地下洞窟のお宝、海賊、船、イカダを作る、外洋に漕ぎ出す、釣り、烏賊、蛸、海鮮料理、旅館、温泉、卓球……
 ……思考があちこちに飛んでる感じだな。

「単語を組み合わせてみても、どこかで読んだことのあるような話だけ思い浮かんで……」
「スランプ?」
「そう、かも……」

 眉毛を八の字にして、碧ははぅぅ、と情けない声を上げた。
 背が高く、すらりと細身で、黙っていれば深窓の令嬢と見紛う碧だが、性格はとことん気弱でネガティブ思考だ。
 幼いころからよく蒼依の影に隠れていて、何をするにも手を引っ張られていた。
 そういうところ、僕とちょっと似てるかもしれない。

 でも、彼女は僕と違う。
 彼女には誰にも負けない、決して折れることのない芯の強さがある。
 臆病だけど、絶対に自分の意見は曲げないし、嫌なことははっきりと拒否する。
 だからこそ、彼女も僕のために、いじめっ子に立ち向かってくれた。
 喧嘩なんてしないタイプだろうに、蒼依の陰に隠れるだけじゃなく、きちんと相手と向かい合って僕を守ってくれた。

 それがきっと、彼女と僕の違いなのだろう……

「……やっぱり、取材が必要かも……」
「そうだね。まだ寒いから、泳ぐことは出来ないけど」
「ん……今年も、みんなで一緒に泳ぎに行くのかな?」
「そりゃ、橙真やきいろが行こう行こうっていつものように騒ぎ立てるでしょ」
「ふふ……」

 目を細めて、碧が上品に笑う。
 先程深窓の令嬢に例えたが、碧の家は結構なお金持ちなので、実はあながち間違いではなかったりする。

「でも、水着姿を見られるのは、ちょっと恥ずかしい……かな」
「女の人は色々な水着が選べていいじゃないか。男は海パン履いた、はい終わり、だよ?」
「そ、そうだね、上半身裸……」

 ちょっと顔を赤くして、碧が俯いた。
 ……この方向性で話題を進めるのは、マズい気がする。

「と、ところでさ」
「あの、紫郎」
「え?」

 方向修正の言葉を遮られた。
 仕方なしに、僕は次の碧の発言に耳を傾ける。

「……今日、きいろの家に行く……ん、だよね?」
「あ、うん、漫画貸さないと」
「……その時、その……」

 そわそわ、もじもじ。
 いつもより落ち着かない感じで、碧がもごもごと口ごもる。

「……紅介の……」
「紅介?」
「あ…………………ご、ごめん、なんでもない。その、忘れて……」
「……はぁ?」

 要領を得ない。
 きいろに、紅介のことに関して、何か聞きたい――あるいは伝えたいことがあるのだろうか?
 それも、あまり深く立ち入りたくないような、そういった話題で。

 と、先程の蒼依の様子を思い出す。
 …………まさか、碧も?

「えっと、紫郎……そ、相談があるんだけど……」
「そ、相談」
「う、うん、でも、今じゃないの。今は駄目……」

 きょろきょろと、周囲にいる生徒たちを見渡し、碧は声を潜める。

「今度……時間が空いた時でいいから。相談に乗って欲しい……かも」
「……蒼依や紅介じゃなくて、僕に?」
「うん……多分、紫郎が一番適役だと思うから……」

 ……またか。
 その言葉は、僕が一番待ち望んでいたもののはずなのに。

 変な疎外感を覚えてしまうのは、何故なんだ……?

「……僕で良ければ、いつでも」
「ありがとう……じゃあ、それとは別に、ネタ出しに協力してくれる……?」
「いいよ、海の話ね」

 その後は、いつも通りの感じで真面目だったりギャグだったりのアイディアを提供したりしたけど。
 内心の狼狽を悟られていないか、自分がちゃんと作り笑い出来ているかどうか、気が気ではなかった。





 そうこうしているうちに橙真や蒼依の部活が終わる時間になったので、碧と一緒に校門までやってきた。
 季節は春の終わり目。既に桜は散ってしまい、そろそろ梅雨が訪れる。
 とはいえ、今の夕空に雲は少なく、しばらく雨の降る気配はなさそうだった。

「ん、紫郎と碧か」

 校門には、既に紅介の姿があった。
 既に生徒会は終わっていたらしい。

「ずっとここで待ってたの?」
「いや、呼び出しを受けていたからな。断りに行っていた」

 そういえば、昼休みにラブレターを渡してたっけ。
 僕の隣に立つ碧をちらりと避け目で眺めれば、ほっとしたような表情を浮かべていた。
 …………

「おいーっす……」

 しばらくすると、げんなりした様子のきいろが現れた。

「マジありえない……最後にテストって……それに採点だけでいいじゃん……なんで間違えたところの解説をもっかい始めるわけ……」
「さ、災難だったね」
「僕と碧がちゃんと勉強見てやったのに、赤点を取るほうが悪い」
「ていうか、なーんでアタシだけなのよー! どうして橙真は赤点じゃなかったのー!?」
「だって橙真、分からない選択問題を全部エンピツ転がしで記入して、それが全問正解だったから」
「……信じらんなーい……」

 うん、僕も信じられなかった。

「おー、揃ってる揃ってる」
「やっぱり着替えがある分遅くなっちゃうわね、ごめんなさい」

 更に待っていると、部活を終えた橙真と蒼依もやってきた。
 外せない用事があるとき以外、僕たちは6人一緒に下校するようにしている。
 別に誰かが言い出したことではなく、自然とそうなっていた。

「じゃあ、行こうか」

 紅介の言葉に、みんな歩き出す。
 ……うん、やっぱりこの6人がいい。
 落ち着く、というか、居心地がいい、というか。
 この6人でいることが僕にとって自然体であり、完全な形なのだ。

 橙真が一番前を後ろ歩きしながら身振り手振りで話をして。
 紅介がその隣でツッコミを入れつつ、橙真が転ばないように注意している。
 蒼依は剣道部故に自分の臭いを気にして少し離れたところを歩き。
 碧は話をふられては大げさに驚いて。
 きいろはちょろちょろとみんなの間を行ったり来たりで大忙し。
 そして僕は、一番後ろで、その様子を眺めているのが好きだった。

 ……蒼依と碧の様子を盗み見る。
 別段、変わったところは見当たらない。
 だけど。
 僕は彼女たちに、相談相手になるよう頼まれていた。
 もしもその内容が、僕の予想通りだったのなら。

 ――この6人の下校風景も、見納めになってしまうかもしれない。

 僕は相談の内容が予想を外れてくれることを、強く祈った。





「はい、これ」
「わっ、さんきゅーさんきゅー。代わりに今度、『蜂蜜海苔煎餅』持って行くね」
「え、いや、それは結構かな……」

 その日の夜、約束通り、僕はきいろの家に漫画を貸しに行った。
 きいろの家は、僕の家から歩いて3分もかからない場所にある。
 というか、別にきいろに限らず、僕たち6人の住んでる場所は全員そんな感じだった。

「うーん、ちょっとは浪費を抑えないとダメかなー。モデルのバイト代も無制限ってわけじゃないしねー」
「きいろは、欲しいものが多すぎるんだよ」
「だってさー、『欲しい!』と思ったら、買っちゃうでしょ?」
「いや、そのあたりの感覚がよく分からないんだけど」

 呆れた風な僕の言葉に、きいろはただただ首を捻るばかりだ。
 きいろは純粋すぎる。
 いや、欲望に忠実、といったほうが正しいだろう。
 とにかく、自分が楽しいと思うことに全力を尽くしている。

 橙真と似たタイプだが、橙真が狭く深くを追求するタイプであるのに対し、きいろは広く浅く手を伸ばすタイプだ。
 いや、時間とお小遣いが有限だから浅いだけで、本当は広く深く行きたいのかもしれない。

 きいろは迷わない。
 自らの行動に責任を持ち、仮に失敗しても後悔することなく常に前に進んでいく。
 自分自身を完全に信じきっているのだ。
 その辺り、僕とは完全に真逆の性質だった。

「ところでさー、紫郎は今日の放課後、碧と一緒にいたんだ?」
「うん、次は海の話だってさ。そこから、今年も海に行こうねって話もした」
「いいねいいねー! じゃあ、また6人で……っと……」

 言葉の途中で言い淀み、きいろはバツが悪そうな顔で頬をかいた。
 ……なんだろう?

「何か、都合が悪いことでも?」
「あー、そういうわけじゃないんだけどさー……」

 珍しい。
 歯に衣着せぬ言い方しかしないきいろが、奥歯に物が挟まったような話し方をしている。

「碧とさー、どんな話した?」
「え? いやだから、海の話を」
「ええと、そうじゃなくて……例えば、アタシの話とか……」
「きいろの? いや、別にそんな話はしなかったけど」

 ……咄嗟に嘘を付いてしまった。
 何故か、そのほうがいいと思ったから。

「そう……そうなんだ。いや、ごめんねー、変なこと訊いて」
「ああ、うん、別に構わないけど」

 あからさまにほっとした顔をするきいろ。
 ……予感があった。
 これから何を言われるのか、僕は克明に想像がついた。
 そして、その予感は見事的中する。
 きいろはきょろきょろと僕の背後を、そして後ろを振り向いて自分の家族が周囲に誰もいないことを確認し、

「あのさ紫郎、ちょっと相談があるんだけど」

 今日、それぞれ別の人物に言われた、3回目の同じ言葉を耳にした。





「…………どうしたものかなぁ」

 自室のベッドにごろりと転がり、はぁ、と僕はため息をついた。
 あれから5日。
 その間、何が起こったか。
 勿論、相談を受けた。

 3人から?
 違う。

 ――5人から。

 なんと、橙真や紅介まで、僕に相談を持ちかけてきたのだ。
 最後には、実は僕のことを担いでいるんじゃないか、と疑う始末。

「…………困った」

 覚悟はしていたが、やはり相談の内容は、恋愛に関するものだった。
 恋愛相談といっても、僕は単に彼女たちの意思や愚痴を聞かされるのみ。
 要するに、『人に話したら楽になった』ってことだ。
 まあ、彼女たちの心がちょっとでも軽くなったのなら、僕としても本望だ。

「うー…………」

 僕を除いた5人は、みんな恋をしていた。
 それだけなら、話は単純だ。
 僕は全力でその恋が実るよう、応援したことだろう。
 ところが、今の状況はまったくもって、単純な話ではない。
 何故なら。

「なんで、こうまで、バラバラなんだ……」

 5人が好きな相手は、みんな幼馴染の誰かで。
 そして、矢印はみんながみんな、完全な一方通行だった。

 碧ときいろは、紅介が好きで。
 紅介は、蒼依に好意を持っており。
 蒼依は、橙真を想っていて。
 橙真は、碧が気になっている。

「……そして、僕は含まれていない、と」

 哀しい、寂しい、妬ましい。
 そういった感情は、「当然の話だよな」という納得にかき消された。

 橙真と、紅介と、僕。

 この中で誰かを好きになれと言われたなら、まあ、誰も僕を選ぶことはないだろう。
 ……そりゃあ、ちょっと辛いものがあるけど。
 でも、僕は誰よりも、橙真と紅介の素晴らしさを知っている。
 僕は蒼依も碧もきいろも好きだし、彼女たちと恋人になるような妄想をしたことない、と言われれば嘘になるけど。
 橙真と紅介のことだって好きなんだ。
 ……変な意味じゃないぞ。

「それはともかく」

 全員の恋を応援したら、泥沼になることは確実だ。
 だけど、親友として応援しないのも変だ。
 そして誰かの恋が成就すれば、誰かが失恋して傷付く。
 男2人、女3人だから、必ず余りが1人出てしまう、不公平な椅子取りゲーム。

 ――その余りの女の子を、僕が――

 なんて、そんなことを出来る人間か、僕は?
 はぁ……なんて面倒で厄介な状況なんだ。

 出来れば、現状維持のままでいてほしい。
 だって、誰と誰が付き合うことなっても。

 きっと、6人の結束は、今までと同じようにはならないだろうから――


「駄目だ……こうしていても始まらない」

 僕はベッドから起き上がり、パソコンに向かった。
 恋愛、三角関係、修羅場……様々なキーワードを打ち込み、現状を打破する方法を検索していく。
 しかし、有用な解決方法は一向に見つからない。

 やはり僕なんかには、この苦境を乗り切る力は無いのか……

 諦めかけていたその時、ある単語が僕の目を掠めた。
 何となく気になった、その単語。
 そして、この単語が、僕の運命を大きく狂わせることになる――――



「――――催眠術、か」

 
 


 

 

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