慶応三年の乱痴気


 

 



1. 故郷の夢


 誠一は暗闇の中にいた。額が燃えるように熱かった。嫌な汗が、身体中を伝っていた。
 暗闇が開け、眼前に灰色の田畑が広がった。収穫を終え、冬を迎えた村の風景。天沢村だった。誠一の故郷だ。
 背の高い少年が、仁王立ちで誠一を見下ろしていた。何年も前の兄の姿だった。兄は真新しい綿入れを羽織っていた。目を落とすと、誠一は小汚い、継ぎ接ぎだらけの野良着を着ているらしかった。身体が目に見えて小さく、筋肉もついていない。小さな子どもに戻ってしまったようだった。
 兄の拳骨が振り下ろされ、額を打った。熱さを増す額。父母の怒鳴り声や、村人たちの嘲笑が聞こえたような気がした。
 誠一の家は、小さな農家だ。それでも村の中では中の上程度の収入はあった。だが、三男坊はそのおこぼれに預かることはできない。家にいる限り大した収入もなく、嫁をとることもできない。出稼ぎに出たところで、その収入はたかが知れていた。家にとっては厄介者であったし、誠一にとって、家は希望や人間性をすり減らすだけの牢獄のようなところだった。

 ――早く家を出たい。村を出たい。

 誠一が額の熱に耐えながら強く願うと、世界が暗転した。


 再び暗闇が開ける。誠一は峠から山道を見下ろしていた。天沢村と外界を結ぶ、唯一の道だ。
 肩が重い。腰にも慣れない重みを感じる。行李と脇差の重みだった。
 振り返り、もう一度村を見る。あまり良い思い出のある村ではなかった。農家の三男坊である誠一に、居場所はなかった。

 ――出世して、村の連中を見返するんだ。

「誠一さん!」

 決意を新たにして村に背を向けたとき、遠くから女の声が聞こえた。見送りに来てくれる者など、一人しかいない。庄屋の家の娘、美乃だけだ。庄屋は、村一番の地主でもあった。庄屋が村の外の妾に産ませ、自宅に引き取ったのだという噂を、どこかで聞いたことがある。ぱっちりとした大きな目が印象的な、美しい顔立ちの娘だった。
 誰もが誠一に無関心な村の中で、この女だけはいつも声をかけ、時には大福や握り飯を差し入れてくれていた。誠一にとっては、淡い初恋の相手だった。

「きっと帰ってきてください! 私、待っていますから!」

 誠一が歩みを止めるつもりがないと分かったのだろう。遠くから精一杯に叫んでいる。誠一は振り返りもせず、手を振ることもなく峠道を駆け下りた。

「ずっと待ってます! 美乃は誠一さんを待ってます!」

 悲痛なまでの女の声が、峠の上からもう一度聞こえた。美乃の小さな、引き締まった唇が脳裏によぎった。

 ――美乃さんのそういうところが、俺を勘違いさせたんだ。

 誠一の胸が、ちくりと痛んだ。庄屋の娘が、一農家の三男坊の自分を同等の人間として見てくれているとは思えなかった。自分はこの娘にとって、飼い犬のようなものなのだろう。飼い主は何くれとなく飼い犬の面倒を見てやり、時に恋人のように慈しむこともある。だが、飼い犬と結ばれようと思う飼い主はいない。庄屋の家には跡取りがいるから、この娘は、どこかそれなりに豊かな農家の長男に嫁ぐのだろう。
 どこまでも美しく、優しいこの娘への感情は、いつしか恋心から妬み、僻みに変っていた。きっと武士になって、身分の高い女を妻にむかえて、美乃も見返してやるんだ。そう思っていた。
 誠一は女の声が聞こえなくなるまで、ついに振り向かなかった。峠道を進むにつれ、額は熱さを増した。世界はまた、暗くなっていった。


2. 暗殺者たち


 智香は早足で藩邸に向かいながら、そっと下腹部を撫でた。人を斬った後は、何かを求めるように子宮が疼いた。喉が渇いていた。
 夜ごと幕府方の要人を斬り、時には新選組とも渡り合った。すっかり男装にも慣れていた。胸のふくらみを晒で覆い、濃い紺色の着物を羽織り、墨色の袴を着けていた。紺色の着物は、鈍い月明かりの下で、返り血を上手く隠してくれていた。
 豊かな黒髪は一束に結ばれ、彼女の歩みに合わせて尻尾のように揺れていた。目鼻立ちのはっきりした智香の姿は、美しい少年のようだった。
 慶応三年の京都である。智香が京都入りしたころとはずいぶん様子が変わっていた。要人暗殺の噂は少なくなっていた。開国以来の物価騰貴に加え、幕府が第二次長州征討に失敗したことで、政治への不安と不満はピークに達しつつあった。暗殺の時代が過ぎ去っているのを、彼女も彼女の同志たちもまだ知らない。
 藩の同志の中でも、智香の剣の腕は、他を圧倒していた。智香の父は国元の道場主だった。物心がつく前から父の太刀筋を目で追い、竹刀を振り回していた智香は、若くして一流の剣士になっていた。
 彼女が京へ出てきたのは、しかしその剣の腕のためではなかった。愛する男を追ってきたのだ。男の名は吉益沖之介。父の道場の師範代だった男だ。剣の腕は抜群で、智香と渡り合える唯一の門弟だった。
 沖之介は滅多に智香と目を合わせようともしなかった。目が合うのは稽古の最中だけだ。彼と目を合わせて感じるのは、暗い欲望だった。彼の目を見ていると、時折、頭に靄がかかったようにぼんやりとしてくることがあった。これが恋なのだろうと、当時の智香は思っていた。暗い欲望の正体は智香にはわからなかったが、その不思議さにも彼女は惹かれた。
 彼が藩命で京都に向かったと知って間もなく、智香も出奔するように国元を離れた。沖之介はもともと、京都で暴れまわるつもりだったらしい。智香が到着した時には、彼の同志らしい青年・少年が十数人も集まっていた。道場で見知った顔も少なくなかった。智香も男装して、同志に加えてもらった。彼の近くを離れたくはなかった。
 唇に、冷たい感触が残っていた。さきほど斬った男の唇の感触だ。ずいぶん血を失っていたからだろう。彼の唇は冷たかった。
 今日の獲物は天沢誠一という男だった。旗本酒井伯耆守の家臣だ。元は農民だったが、酒井に取り立てられて、用人を務めていた。近頃は、会津・桑名両藩や、現将軍を輩出した一橋家の家臣たちと、しきりに連絡を取り合っていた。智香たちは、幕府の官僚と諸藩のパイプ役だと踏んだ。智香がひとりで「天誅」を加えた。
 智香は誠一に刀を抜かせなかった。額に一太刀浴びせ、続けざまに胴や腕を斬りつけた。
 止めを刺さず、刀を収めた。これだけ何か所も斬りつけたのだ。ここに放置して、落命しないはずはないと思った。
 誠一の目が、智香をまっすぐ見上げていた。その目に智香は暗い、子供じみた欲望を感じた。俺の欲望はまだ満たされていない。そう、駄々をこねる子供のような目だった。沖之介とよく似た目だった。ただ、この男の目には、彼女の意識を奪い取るような、吸い込まれるような感じはなかった。
 智香は、胸が締めつけられたような気がした。倒れている男に惹き寄せられるように膝をつき、男の唇に自分のそれを重ねた。紫色に変色した唇は冷たかった。男の目は優しく接吻している女を凝視し、やがてくたびれたように閉じられた。額の深い傷から、血液が流れ続けていた。

「お眠りなさい」

 言って、男の身体を離し、智香は素早くその場を立ち去った。


 藩邸に帰り着いた。同志であり恋人の吉益沖之介は智香を待っていてくれたようだ。吉益は大きく目を見開いた。智香の意識を吸い込むような、いつもの不思議な目だ。股間が疼く。男が欲しくてたまらなくなった。

「早くお部屋へ」

 智香は沖之介を急かし、自分の部屋へ連れ込んだ。障子を閉めるのももどかしい。自らの帯に手をかけた。

「もう我慢できません、早くください」

 黒足袋だけを残し、生まれたままの姿になった。髪を留めていた紐も解いた。仄かな汗のにおいを孕んだ黒髪が、白い背を隠した。

 沖之介は一物を取り出し、仰向けに寝た。智香は男の腰のあたりに跨り、男のものを掴んで、女の部分へ導いた。前戯など必要なかった。智香のそこは小水でも漏らしたように愛液でびっしょりと濡れ、太腿までてかてかと光っていた。女の腰が、円を描くようにくねり始めた。
 沖之介が、口角を歪めて笑った。

「はは、智香のあそこは、もう大洪水ではないか。国事のために人を斬るのは心地よいだろう。国事に尽くす男を慰めるのも気持ちよいだろう。剣を振るのも、一物を咥えて腰を振るのも大好きであろう」

「はい、智香は、智香は大好きでございます……うぅん!!」

 智香の声はもう切羽詰ったものになっていた。智香の動きに合わせて突き上げつつ、男は智香の脳裏に刷り込むように、国事と男に奉仕するのだと繰り返し、智香に復唱させた。
 智香がはしたない大声を上げて絶叫した。強い締めつけに耐えきれなかったのか、沖之介も智香の中に精を漏らした。男の精を受けて、智香はまた、小刻みに震えた。
 男は智香を抱き寄せ、智香の耳に唇を寄せた。

「智香は、まだ興奮が治まらない。もっと男の一物が欲しい。口も、あそこも、男のもので埋めてほしい。そうだな。それが御国のためだものな。お前は国事のためなら誰にでも股を開く女なのだ」

 智香は何度も頷いた。女の腰は、最後の一滴まで搾り取ろうと、まだ動いていた。沖之介は智香から一物を引き抜いた。智香の女の部分から、混ざり合った精液と愛液が溢れた。

「もう入っていいぞ」

 左右の障子が開き、数名の同志が入ってきた。二人の少年が衣服を脱ぎ捨て、一物をあらわにした。二人とも父の道場の弟子で、幼いころから知っていた。智香よりも何歳か年下で、顔立ちにも幼さを残していた。二人が脱ぎ捨てた袴から錆びた鉄のようなにおいがした。人を斬ってきたということだった。智香は血のにおいの濃い男から順に相手をすることになっていた。這って少年たちの前へ行き、とびきりの笑顔で少年の一人を見上げて、一物を口に含んだ。

「智香様の口だ、智香様の……」

 男は智香の頭を掴み、夢中になって喉を突き始めた。そんなことではえずかなかった。それだけたくさんの男を咥えてきた。
 後ろから、智香の腰が掴まれた。もう一人の少年が我慢できなくなったのだろう。

「挿れますよ、智香様」

 声変わりがまだ終わっていないような、高い声だった。朽木という少年だ。膣内に異物が侵入してきた。女に慣れていない力任せの腰の動きが、血の興奮から醒めない智香にはかえって心地よかった。

 ――これも国事のため。でも、気持ちいい。病みつきになってしまいそう。もっとよ。もっと頂戴。

 靄のかかったような頭で、智香は思った。智香にしゃぶられている少年は、あっと声を上げて、智香の喉に精を放った。どろどろとした液体を、智香は喉を鳴らして飲み込んだ。尻を掴んでいる朽木の物も震えていた。射精の合図だ。智香の身体が大きくうねった。朽木と一緒に達することができそうだった。

「智香様、出てしまいそうです」

「いいのよ。中に、中に出して!」

 精液が噴き出してきた。膣内に広がる暖かい感触が、智香を絶頂に押し上げた。大きく反らされる背中の後ろで、朽木は腰の動きを止めて、つぶやくように言った。

「智香様……お慕いしていました、幼いころからずっと……」

 周りを囲んでいる男たちがどっと笑った。まだ絶頂の余韻の中にいる智香と朽木には、その笑いの意味が理解できなかった。男たちは、沖之介が不思議な力で智香を操り、暗殺と性欲処理に利用していることを知っていた。道場出身の若者や少年は、ほとんど一様に美しい智香に恋をしていたが、女の淫らな変化に戸惑い、やがて性処理のための道具だと割り切るようになっていた。変わらないのは朽木だけだった。
 薄く開いた智香の目が、汚されていく恋人を嬉しげに見下ろす沖之介の顔を捉えた。

「国元の御父上がこの姿を見たら、さぞお喜びになるだろうな。智香の働きで御国は安泰だ。さあ、もっと皆に尽くすのだ」

 頷いた智香は、近くに立っていた若者に縋りついた。


3. 暇


 ――せ……ち、せい…ち。

 遠くから女の声が聞こえた。美乃の湿り気を帯びた、やや低い声とは違っていた。鈴の鳴るような、高い声だった。

 ――誠一っ!

 女の声が大きく聞こえて、暗闇が晴れた。大人びた少女の顔が誠一の顔を覗き込んでいた。誠一は、少女の顔をぼんやりと見上げながら、俺は蒲団に仰向けになっているらしいと思った。

「誠一、良かった」

 目を覚ましたのですねと、女の手が誠一の頬を優しく包んだ。少女特有の甘い香りが、誠一の鼻孔を刺激した。少女のまっすぐな眼差しから目を反らすと、うぐいす色の着物が目に入った。少女のお気に入りの着物だった。
 夢を見ていたようだった。故郷の苦い思い出だった。意識がはっきりしてきた。

「姫、勿体のうござる」

 言って少女の手をそっと払おうとしたが、身体が思うように動かない。相変わらず額が熱かった。

「動いてはなりません。身体中、傷だらけなのですよ。あなたは何者かに襲われたのです。意識を失って倒れているところを、所司代の者たちに助けられたのですよ」

 ――そうか、額も切られたのだったな。

 言われて額の熱の正体がわかった。確かに、刀を受けた記憶がある。
 少女の声は落ち着きを取り戻していたが、その手のひらは誠一の頬を包んだままだった。薄く紅を引いた唇が、少し震えているのが分かった。

「信(のぶ)、誠一を離してやりなさい」

 障子が開き、落ち着いた男の声が響いた。少女――信姫は誠一から手を離した。

「殿、申し訳……」

「無理に話すな、誠一。医師の話では、命に別状はないそうだ」

 殿――酒井伯耆守は大身の旗本である。幕府の実務官僚として上洛し、このころは新将軍の手足となって京で奔走していた。日々の雑務に加え、長州征討の収拾、諸藩や公卿たちと幕府との間の調整、酒井家自身の軍備増強などに追いまくられ、京都ではいくら人がいても足りなかった。そこに現れたのが、酒井の所領である天沢村を飛び出した青年、誠一だった。
 人手不足に悩んでいた酒井は、すぐに誠一を雇入れた。この時期に雇入れた者たちの中でも、誠一の働きは抜群だった。長期化する京滞在で、酒井家の財政は逼迫していた。算術の才に長けていた誠一は、京での酒井家の出費を上手く削減し、何とか破綻を食い止めて見せたのである。酒井はすぐに誠一を士分に取り立て、出身地にちなんで天沢誠一と名乗らせた。

「父上、あのこと」

「そうじゃったな。誠一、そちに半年ほど暇を与える。傷がふさがったら帰郷して、ゆっくり村で静養するがよい」

 ちと早いがこれは餞別だと、酒井は懐から何やら取り出した。誠一はまた首をあまり動かせないが、枕元から重い音が響いてきた。

「もともとお前が倹約して用立ててくれた金だ。自由に使ってくれ。わしはこれから神戸に行かねばならん。多分、次に会うのは半年後じゃろう。きっと元気な顔を見せるのだぞ」

 酒井は、信姫がそうしたように誠一の頬を両手て包むと、力強くうなずいた。

「ありがとうござります」

 誠一の目に涙が浮かんだ。


 酒井伯耆守に遅れること半月。誠一も京を離れ、駕籠に揺られていた。天沢村で静養するためである。
 額の痛みはもう引いていた。治りは良いが、額の傷跡は深く、人に見せられる状態ではない。誠一は常に額を布で覆っていた。出血こそ止まっているが、腕や胸、腹部の傷は癒えていない。こちらも、当分包帯の世話になりそうだった。幸い足には大きな怪我はない。骨にひびが入っているということだが、歩けないほどの痛みはなかった。早々に京都を離れることができたのも、そのためだ。
 京を離れる時、主のいない宿舎を守る信姫が、門前まで見送ってくれた。
 村を出たときより腰の重みは増していた。そこには真新しい大小二本が差されていた。行李には酒井から与えられた金子が入っている。武士に取り立てられ、短い年数でそれなりの金子を持ち帰る。もしかしたら、村や実家は、こんどこそ自分を認めて、歓迎してくれるかもしれない。
 誰にでも分け隔てなく接する姫の優しさに、誠一の頑なな心は、少しばかりほぐされたようだった。

 ――それにしても、あの夜……。

 誠一は駕籠に揺られながら、そっと自らの唇に触れた。柔らかい感触がよみがえるような気がした。襲撃された夜のことを思い出していた。

 ――きれいな女だったな。

 誠一は、刀も抜けないほど素早く斬りつけられたのに、相手が女だということには気づいていた。

「旦那、そろそろ天沢村です」

 駕籠者の声が聞こえた。
 誠一の頬に微笑が浮かんだ。
 だが、誠一を迎えたのは、以前と変わらぬ人々の冷淡な顔であり、母と長兄のなじるような態度だった。傷だらけで家に籠っているしかない彼に、人々の態度を受け流す余裕はなかった。


4. 暗い喜び


 美乃が最初に抱いたのは、怒りだった。
 誠一が帰ってきた。その噂を耳にしたのは、天沢村が駕籠を迎えて、十日も経ってからのことだ。妾腹の美乃にとって、家人も村人たちもどこか余所余所しく、気軽に村の噂を話してくれる者はいなかった。美乃の美しさが、人々にとってどこか冷たいもののように感じられたことも手伝っているだろう。美乃も、そんな人々に対して、頑ななまでに無関心を通してきた。
 村人たちは、武士になった誠一に一応の敬意をはらって、「天沢様」と呼んでいた。だがそれは、全くの社交辞令に過ぎない。その証拠に、誰も誠一の帰郷を歓迎せず、彼の家へ見舞いに訪れることもなかった。それどころか、以前は誠一に対して無関心であった村人たちは、彼を強く警戒しているようだった。
 幕府は長州征討に敗れ、開国や戦争による物価高で、民心を失いつつある。権威が失墜したのは幕府だけではない。領主である酒井伯耆守からも、村人たちの心は離れつつあった。そんな天沢村に、領主に仕える誠一が帰省してきた。
 酒井の殿様に命じられ、検地に来たのだ。いや、村を見張りに来たのではないか。様々な噂が村を飛び交った。美乃が最初に耳にしたのも、そういう噂だった。
 美乃はさっそく、誠一の家を訪ねた。
 誠一の家には、誠一の母と長兄が住んでいるはずだ。父は先ごろ亡くなっている。誠一が村にいたころから飼われている、ロクという犬が、美乃の足もとに擦り寄ってきた。それを一撫でしてやってから、板戸に向かって声をかけた。返事はない。もう一度声をかけて板戸を開けると、家の奥で男が仰臥しているのがわかった。額や身体に包帯を巻いている。誠一だった。皆、畑に出ているのか、家人はいないようだ。
 すでに美乃の目頭は熱くなっていた。

「よくお戻りくださいました……天沢様」

 忘れかけていた笑顔を向けた。
 けれど、誠一は暗い目、硬い口調で美乃を迎えた。自分の来訪を喜んでくれるはずだと信じていた美乃は、肩透かしを食わされたような気がした。誠一と私は、どこか深いところで通い合っている。彼が村にいたころから、彼女はそう信じていた。
 誠一の身体に巻きつけられている包帯は、黄色く変色していた。傷口が開いたのか、血がにじんでいる箇所もあった。家人は、彼の看病を放棄しているのだろう。村人や家人の態度を思えば、誠一の態度が硬いのも無理からぬことだと、美乃は思った。美乃の瞳に、村人たちへの怒りが宿った。

 ――でも、私は違う。

「村に、私のところに帰ってきてくださって嬉しい」

 美乃は「私のところに」を特に強調して言った。今言える精一杯の、愛の告白のつもりだった。すぐに包帯を変えますねと、手際よく包帯をほどいていった。
 やがて帰宅した誠一の母や長兄は、美乃の来訪に驚き、いささかあきれていた。美乃に対する態度は慇懃だった。だが、誠一に対する家人の態度は、やはり村人たち以上に冷淡だった。

「私が天沢様をお世話いたします。傷が癒えるまで、ずっと通ってまいりますから」

 そう一方的に宣言してやった。美乃の唇は怒りに震えていた。家人は目を丸くしていたが、来るなとも言わなかった。


 しかし、彼女の怒りは、今では喜びに変っていた。美乃は毎日誠一を訪ね、看病を続けた。

 ――私だけが誠一様をほんとうにお慕いしている。きっと誠一様も振り向いて下さるに違いない。

 いつの間にか、彼女は、彼を「誠一さん」でも「天沢様」でもなく、「誠一様」と呼ぶようになっていた。私は他の村人とは違う。その気持ちが、美乃に自分だけの誠一への呼び名を選ばせた。きっと、誠一も彼女の気持ちに気づいてくれているはずだ。
 その日も、美乃は誠一の家を訪ねた。周囲の山々から蝉の声が響いていた。燃えるように暑い夏だった。誠一の家まで、そう距離もないのに、美乃の首筋を汗が伝った。あまり長く外にいると、意識が遠くなってしまいそうだ。
 途中、誠一の母と、長兄の熊吉とすれ違った。いつもは形だけでも慇懃に挨拶をしてくる二人が、今日に限って素通りしていく。二人の眼差しは遠くを見るように虚ろで、ふらふらと少し危ない足取りだった。美乃も、会釈もせず通り過ぎた。誠一以外の人に興味はなかった。
 ただ、犬のロクにだけは、頭を撫でて挨拶してやった。ロクは美乃を気に入っているようだ。彼女が訪ねてくるのを見ると、いつも嬉しそうに尻尾を振った。

「誠一様、美乃でございます」

 板戸を開ける時、美乃の胸は高鳴った。毎日のように顔を合わせているのに、彼に会うのが嬉しくてたまらない。

「きゃっ……」

 美乃は小さく声を上げた。板戸の目の前に誠一が立っていたのだ。面食らったが、美乃はすぐに気を取り直した。

「今日はお加減がよろしいのですね」

 美乃の看病の成果だろうか。誠一の傷はずいぶん癒え、大概のことは自分でできるようになっていた。

「でしたら、少しお散歩いたしましょう? 私と」

 美乃は自分の左腕を誠一の右腕に絡ませた。看病の中で、身体に触れるのは自然なことだ。腕を絡めるくらいのことなら、あまり照れることなく実行できた。それどころか美乃は、自分の小さな胸のふくらみを、そっと誠一の腕に押しつけさえした。散歩に誘ったのは、村人たちに、誠一との睦まじい姿を見せつけてやりたいと思ったからだ。
 だが、誠一は絡んだ腕を軽く払った。

「誠一、様……?」

 誠一に拒絶されたのは初めてだった。病人であったからというのもあるが、愛撫のような際どい手の動きさえ、彼はされるままにしていたのだ。
 誠一が額の布を外そうとしている。額の痛みは、もうないと彼は言っていた。相変わらず布を巻いているのは、傷を隠すためだ。
 額の傷が露わになった。まるで半眼のような、横にぱっくりと口を開けた傷だ。大きな目に凝視されているような感じがした。
 美乃も、その「目」を見つめ返した。目が離せなかった。誠一は何も言わない。ただ、いつもより口もとが緩んでいた。
 額の「目」が、少しずつ開いていくように見えた。朝日が当たったのだろうか、「目」の中心が黒光りしていた。「目」が完全に開いたと見えたとき、美乃は芯が抜けたように、土間にしゃがみこんだ。だが、誠一の「目」は、美乃の両目を離してはくれなかった。

「やはり、この力は、誰にでも効き目があるようだな」

 誠一が独り言のように言ったが、美乃にその意味は分からなかった。

「美乃、聞こえるか」

「はい」

「質問に答えてもらおう」

 誠一がゆっくりと質問し始めた。美乃はどんな質問にも答えなければならないような気がした。

「そなた、男と床を共にしたことはあるか」

「いいえ」

「好きな男はいるか」

「います」

 それは誰だとは、誠一は聞かなかった。それなら、ますます汚し甲斐があると、独り言を言っただけだ。彼の顔に、好色で陰湿な笑いが浮かんだ。

「自分を慰めることはあるか。乳首や女の部分を弄ることは?」

「あり……ます」

「いやらしい女だ」

 誠一が嘲弄するように鼻で笑った。

「着物を脱いでみろ」

 美乃の意識は朦朧としていた。ただ、なんでも誠一の言うとおりになるはずだ、そうなるべきなのだという強い想念が渦巻いていた。
 美乃は帯を解き、華やかな桜色の着物を土間に落とした。
 村娘のものとは思えない白い肌が露わになった。ほっそりとしたなで肩で、小ぶりな乳房は整った椀型だ。細い身体のわりに尻は大きかった。
 誠一は美乃をそのまま土間に座りこませると、両脚を開かせた。下の毛は薄く、女の部分がほとんど直接外気に触れていた。誠一の指が、女の部分に触れた。くちゅという湿った音が、美乃の耳にも聞こえてきた。

「淫乱な女だな。何も言わぬのに、もう濡らしている」

 四つん這いになって尻を向けろと、誠一は言った。

「お前の大好物をくれてやる」

 美乃には、自分の下半身に何が起きているのかわからなかった。ただ、男に尻を掴まれたことと、美乃の女の部分に、裂くような痛みが走ったことは分かった。続けて、膣に強い圧迫感を覚えた。

 土間に数滴の血が落ちたのを、美乃はぼんやりと見つめた。

「ほら、美乃の好きな一物を入れてやったぞ。気持ちいいだろう?」

「私、好き、気持ちいい……」

 膣から痛みが引いた。

「男のち○ぽはいいだろう? 大好きだものな、お前は。よくも俺を飼い犬のように憐れんでくれたな、この売女め! どうだ、飼い犬に犯される気分は」

 男の物が、激しく出入りしていた。肉のぶつかり合う音が土間に響いた。

「いい、いいっ、気持ちいいです! 飼い犬のち○ぽ、気持ちいいですっ!」

 美乃は自ら腰を振り、飼い犬に犯されるのが気持ちいいと、何度も繰り返した。美乃には見えなかったが、この時の誠一の顔にはひきつった笑いが浮かんでいたはずだ。美乃から「飼い犬」と言われることで、彼は自分の嗜虐心と復讐心を支えようとしていたのだった。

「出すぞ、美乃!」

 誠一の物が、膣内でぴくぴくと震えた。美乃にはまだよくわかっていなかったが、射精だった。
 何かが子宮をたたきつける感触に、美乃の目の前が真っ白になった。背を反らし、痙攣していた。汗が顎を伝って落ち、土間を濡らした。
 男が尻から手を離した。力尽きた美乃は土間に崩れた。土のにおいが鼻孔をくすぐった。


 この頃、誠一と一緒にいる時間が短くなった気がする。相変わらず、日のある内は誠一の家に入り浸っているのだが、気づかぬうちに日が傾き、暮れてしまっていたこともしばしばだ。
 誠一が笑いかけてくれることも増えた。翳のある、好色な笑いだったが、その好色さに美乃は気づかない。彼の笑顔を見られることを美乃は喜んでいた。
 それに、誠一はいろいろと話して聞かせてくれたり、身体に触れてくれたりする。だが、記憶に靄がかかっているように、その内容を思い出すことはできなかった。正気の時は、誠一と一緒にいることに、いつも幸福を感じていた。だから今度も、

 ――時間を忘れてしまうくらい幸せなんだ、私は。

 と思った。誠一に関する限り、彼女の考えはいつも肯定的だった。
 誠一の家を出る時、女の部分や乳房、背中、尻に痛みを感じることもあった。そのことも、美乃はあまり気にしないようにしていた。


5. 遅すぎた告白


 美乃は駆け足だった。ぐずぐずしていると、家の者が美乃を探しに来るかもしれなかった。
 美乃に縁談の話があった。

 ――よりにもよって……。

 縁談の相手の名は熊吉。誠一の長兄である。熊吉が庄屋宅を訪れ、熱心に頼み込んだのだという。父と継母は、美乃の意見も聞かず快諾した。
 正気の美乃は知る由もないが、操られた美乃は、熊吉の目の前で何度も誠一に犯されていた。もちろん熊吉もまた正気を失っていたが、あまりにも美しく淫靡な美乃の裸体は、彼の脳裏に強く焼き付けられたのかもしれない。
 父にとって私は厄介者だと、美乃はずっと思ってきた。美乃を授かったと聞いた時、父は密かに堕胎するようにすすめたと、実の母から聞かされた。父に引き取られる時も、決して歓迎されているわけではないと感じた。若い継母の目は、十歳も離れていない娘に対してどこまでも冷淡だった。村一番の地主である父は裕福で、実母の元にいた時とは違って、何不自由のない生活ができた。しかし、そのことは彼女を幸福にしてくれはしなかった。
 実母の許では快活だった彼女は、暗い翳を持った、しかし美しい娘に成長した。その翳は彼女に不思議な艶を与えていた。美人だが陰気で、何を考えているのかわからない女。村人たちも、父と付き合いのある近村の村役人や地主たちも、彼女にそういう印象を持っているようだった。
 そんな状態だから、すでに十八を過ぎた美乃に、縁談の一つも持ち込まれなかった。
 熊吉は、村の中ではそこそこの農家の跡取り息子である。妾腹の陰気な娘の嫁ぎ先は、その程度で十分だろうという計算が、父の頭にはあっただろう。
 誠一の家の前に着いた。犬のロクが尻尾を振りながら駆け寄ってきたが、美乃には相手をしてやる余裕はなかった。

「誠一様、本日は折り入ってお話がございます」

 どうか、私を連れて逃げてくださいましと、誠一の家に入るなり、美乃は捲し立てた。

「なんのことだ? 何があった」

 誠一はきょとんとして、聞いた。美乃は事情を話した。熊吉と結婚させられそうであること、自分はその結婚を望まないこと……。誠一は首をかしげた。

「なぜ俺が、貴女を連れて逃げなければならない? 熊吉兄よりもマシな男、マシな家に嫁ぎたいのなら、逃げても無駄だろう」

 微かな違和感が、脳裏をかすめた。誠一はとぼけているのか、それとも本当に美乃の気持ちに気づいていないのか。美乃にとっては見当違いな答えだ。

「私は誠一様をお慕いしております。誠一様と添い遂げたいのです」

 美乃は畳みかけた。誠一が目を見開いた。唇が震え、後悔の表情が浮かんだ。それは、やがて悲しみとも怒りともつかぬ表情に変った。

「何故……」

「え?」

「何故、そんなことを言うんだ! 俺も、昔はあんたのことが好きだったさ! けどな、あんたは家でいびられ、他の村人に嘲笑される俺に、エサを与えて、頭を撫でて、優越感に浸ってたんだ! 村に帰ってからもそうだ。口では誠一様などと言っているが、心の底ではぼろ雑巾のように傷だらけになった俺を憐れんで、慈しんでいる自分が可愛かっただけだろう!」

「そんな……」

 誠一の言葉は、美乃を詰るというよりも、自分に言い聞かせるようだった。

 ――これは何かの間違いだ。誠一様は、何か勘違いをしていらっしゃる。きっとちょっとした誤解があっただけなのだ。

 美乃は誠一に繰り返し犯されていることを知らない。誠一につられるように繰り返し口走った美乃の言葉、「飼い犬」という言葉が、彼の心をさらに深く抉っていったことを知らない。だから、愛の言葉をささやけば、簡単に誤解を解くことができると思った。勇を鼓して口を開いた。

「私の気持ちは嘘ではありません! 私は……」

 言葉を続けることを、誠一は許さなかった。頭の傷を隠している布を解きながら、男は言った。

「今日は……そうだな。ロクと交わらせてやる。飼い犬が一人だけではさびしいだろう?」

「ロク? 交わる?」

 美乃に誠一と交わった記憶はない。誠一が何を言っているのかわからなかった。わからないまま、誠一の「目」に意識を吸い込まれていった。


6. 慶応三年の乱痴気


 その日は村祭りだった。村人たちはほとんど全員、村の中心の御社に集まった。名もなき小さな社だ。
 老若男女が円になって踊っていた。毎年の村祭りの、ゆったりとした踊りではなかった。皆、髪を振り乱し、激しく腰をゆすり、何やら叫ぶように歌っていた。歌声には、統一感もリズムもなかった。踊り狂う人々の中には、誠一の母や長兄、美乃の父や継母も加わっていた。
 村人たちの中心で、美乃は、誠一の一物を咥えていた。全裸で四つん這いになった美乃は、後ろからも突き上げられていた。コツコツと子宮口を叩かれていた。美乃はくぐもった声を上げながら、腰を震わせていた。

「踊れ! みんな踊れ!」

 かがり火の中で、誠一の「目」が強い光を放っていた。舌で男のものを刺激しながら、美乃はうっとりと誠一の「目」を見上げた。誠一の一物を、飲み込むように深く咥えた。

「出すぞ、美乃!」

 誠一の腰が震えた。喉を鳴らして、男の体液を飲んだ。膣に入っているものの動きも、激しさを増していた。美乃は快感に震えながら、鋭い喘ぎ声を上げた。飲み込みきれなかった精液が、形のよい唇から洩れ、顎を伝って落ちた。

「勿体ない」

 美乃は精液が落ちた砂を舐めた。

「ええじゃないか、ええ姿じゃないか、美乃」

 誠一が膝をついて、美乃の頭を押さえ、くしゃくしゃと撫でた。一部の村人が、誠一の言葉を聞きつけたのだろう。

「ええじゃないか、ええじゃないか」

 誠一の言葉を真似て、囃子立てた。その言葉は瞬く間に広がった。

「ええじゃないか、ええじゃないか」

 四方から村人たちの歌声が聞こえた。もう統一感のない叫び声ではない。独特の拍子をつけ、だれもが「ええじゃないか」と歌っていた。

「美乃、正気に戻れ」

 誠一は言った。美乃には、誠一の額の「目」が、ゆっくり瞼を閉じたように見えた。霧が晴れるように、意識がはっきりとしてきた。口の中に、精液と砂の感触が広がっていた。

 ――私は、誠一様に想いを告げて、それで……。

 記憶が飛んでいた。周囲で村人たちが踊り、騒いでいた。頭をめぐらしたが、うるさくて考えが纏まらない。

「ええじゃないか、ええじゃないか」

 股間に違和感があった。何かが膣の中で震え、生暖かい感触が広がっていく。目の前にいた誠一が、頭を撫でながら笑いかけてくれた。愛しい人の笑顔につられて、精液と砂にまみれた口許を綻ばせた。誠一の指が、美乃の背中の方を指していることに気づいた。

「え?」

 誠一の指に導かれるように後ろを見ると、丸出しの白い尻にロクがのしかかり、じっとしていた。美乃が正気に戻ったころから、ずっと射精していたのだ。

「いやあああぁぁぁ……っ!!」

 目の前が真っ暗になった。子宮を圧迫していたものが、抜き去られるのを感じた。遠くで、誠一の命令するような言葉が聞こえた。

 ――さあ、みんなもっと踊れ! ずっと踊れ!

 身体がひっくり返され、太腿を開かされた。誠一様の匂いだと、美乃は感じた。子宮を突き上げられ、美乃は覚醒した。喘ぎというには激しすぎる、動物的な叫び声を抑えることができなかった。
 「目」の力からは解放されていた。誠一が自分の身体にどんな仕打ちをしてきたのか、美乃には察しがついた。それでも。

 ――好き、誠一様。

 美乃の呟きは、誠一の耳に入ったらしい。誠一の目に動揺が走った。悲しげに眉を寄せていた。

「好き、愛しています。私には誠一様しかいないのです」

 今度ははっきりと言って、美乃は脚を誠一の背に回した。誠一の突き上げが、優しく、しかし深くなった。

「うれしい。もっと、もっと愛してください」

「ええじゃないか! ええじゃないか!」

 高揚感を増した村人たちの声が遠ざかっていくのを、美乃は今日一番の深い絶頂の中で聞いた。


7. 夢の終わり


 何かから解放されたような感覚と、性行為への嫌悪が、この数日の智香を戸惑わせていた。
 恋人の吉益沖之介が死んだ。上野で流れ弾に当たって、即死したのだという。間もなく運ばれてきた遺体を見て、しかし智香は泣けなかった。数年間、行動を共にした同志であり、最愛の恋人であるはずだった。ところが、智香の心に浮かんできたのは、悲しみではなかった。自分を縛りつけていた戒めが、ゆっくりと解けていくような解放感だった。
 智香は江戸にいた。前年の十月に江戸に入り、連日のように辻斬りや強盗に励んだ。薩摩藩の工作に協力して、幕府方を挑発していたのだ。この工作はすぐに効果を上げ、幕府方は薩摩藩邸を焼打ちにした。上方でも、幕府軍は薩長軍との決戦に臨み、無残に敗れていた。京からは潰走する幕府軍を追うように、新政府軍が東海道を東へ進んだ。新政府軍は、無血で江戸に入った。幕府海軍は脱走し、上野には彰義隊が立て籠もった。
 智香たちの根城だった藩邸には、新政府軍に従った藩の正規軍が続々と到着した。小藩の藩邸は手狭だった。それに、藩に無断で破壊工作を行なってきた吉益沖之介一党と、正規軍との肌が合うわけもなかった。吉益と同志たちは、藩邸を出て、旗本屋敷を新しい宿舎に選んだ。酒井伯耆守という旗本の屋敷だ。江戸を脱走したのか、上野に立て籠もっているのか、家人のいない屋敷を奪い取るのは簡単だった。
 新しい根城を得たものの、差し当たって智香たちになすべき仕事はなかった。彰義隊を掃討するための戦いにも、お呼びはかからなかった。情報だけでも集めよう、俺たちにも何か為すべきことがあるはずだと、沖之介ら数名が江戸各地に散った。上野の方角から砲声が響いてくる、一刻ほど前のことだ。半日もしないうちに、沖之介の遺体が旧酒井邸に運ばれてきた。
 上野の彰義隊は潰走したものの、江戸の町はまだ落ち着いてはいない。彰義隊の残党が潜伏しているとか、反政府分子が江戸奪還の機会を窺っているとか、どさくさに紛れて略奪を働く輩がいるとか、様々な噂が飛び交っていた。
 こうした分子を探し出し、密かに始末することを考えついたのは、吉益沖之介の死を受けて頭目になった、朽木という若者だった。かつて智香の道場に通っていた男だ。同志の中では最年少だが、この一年の働きは群を抜いていた。剣の腕はそれほどでもない。だが、彼は誰よりも敵味方の両方に目配りをし、その場その場で的確な判断を行なう、参謀格のような存在に成長していた。剣の腕では突出しているが、単独でしか力を発揮できない智香とは対照的だった。
 同志たちは、暗殺と破壊工作が必要とされる場面が、急速に減っていることを肌で感じていた。だから、もっとも頭の回転が速い朽木を新しい頭目に選んだ。ところが、その朽木が考え出したのは、かつての京都での新選組のような仕事だった。後ろ盾もなく、先細りも目に見えていた。暗殺と破壊工作に育てられたような彼に、その生活を抜け出すような構想が湧いてくるはずもなかった。
 沖之介が死んで数日は、同志たちも遠慮していたようだが、間もなく智香の身体を求めてきた。
 十数名の男に囲まれた。同志のほとんど全員だ。前戯も何もなく、上下の口を犯された。智香の女の部分はいつまで経ってもあまり濡れず、美しい顔は、苦痛と恐怖に歪んだ。泣き叫び、嘔吐し、やがて失神した。男たちは、最後の一人まで智香の身体を使ったが、やはり後味は悪かったようだ。
 智香は、部屋にこもりがちになった。男たちの様子も変わった。智香の急な豹変に、薄気味悪くなったのだ。部屋に訪ねてくる者は、ほとんどいなくなった。

 ――あんな陰気な女を抱いてもつまらん。

 聞えよがしな悪態をつきながら、男たちは女郎を買いに出かけるようになった。
 それでも智香の許を訪れてくる男が一人だけいた。頭目の朽木だ。朽木だけは、彼女にこだわった。毎夜のように部屋を訪れた。
 嫌悪感を覚えるとはいえ、数年の間、毎夜のように繰り返してきたことだ。抵抗せず、智香は朽木を受け入れた。けれど、彼の人一倍長い一物で子宮を突かれても、苦痛を訴えるばかりで、最後には泣いた。

「ごめんなさい、ごめんなさい……」

 朽木が空しく精を放った後、智香は毎夜のように畳の上にうずくまり、繰り返し謝った。朽木だけが、自分に強く恋焦がれていることを智香は知っていた。だから、彼の愛情と欲情に応えてやれないのは悲しかった。
 ある夜、朽木は泣き崩れる智香を抱き寄せて言った。

「俺は貴女を愛している。俺だけの女になってほしい。いや、妻になってくれ、智香」

 まっすぐな告白だった。けれども、沖之介が死んで間もない時期の、性急すぎる告白だった。彼の目には、焦燥感が宿っていた。
 もう沖之介はいない。どういうわけか、全く未練も湧いてこない。同志は、遠からず四散するだろうという予感、あるいは確信も、智香にはあった。智香という共有物が、彼らの性欲に応えられなくなったこともある。だが、本質的には、新しい生き方を模索する必要があるからだ。もう彼らが、同志の集団を維持したままで活躍する機会は、巡って来そうになかった。
 だからと、智香は思った。朽木と逃げ、どこかで静かに暮らす道も考えられないではない。それは案外、幸せなことかもしれない。だが、責任感が強く、しかも血に塗れることしか知らない朽木は、逃げることを受け入れはしないだろう。

 ――それに。

 国元にいたころの遠い記憶を思い起こしてみた。朽木は勤勉な少年で、毎日のように道場に通ってきては、智香から手ほどきを受けていた。朽木はいつまでも可愛い教え子だ。智香に無い部分を補ってもくれる。年齢の割には子供っぽいが、そこも好もしいと言えなくもない。だが、小さな少年の顔は、もう思い出せなかった。
 はっきり思い出せるのは、血と性欲にまみれた日々だった。複数の男と毎夜のように繰り返される乱交。相手の中には、必ずと言っていいほど朽木が混じっていた。
 「国事」という言葉が思い出された。私は何をなすべきなのか。何をなしたいのか。それは、沖之介とともに血塗られた道を歩み続けることでも、愛情と欲情を受け止めることでもないと思った。

「……無理、です」

 智香は、彼を拒否した。

「ごめんなさい」

「俺こそ、無理を言いました。智香様」

 男は悲しげに背を向け部屋を去った。口調が、沖之介がいたころのものに戻っていた。いや、あのころよりもずっと余所余所しかった。


 朽木は、それでも毎夜彼女を訪ねてきて、身体を重ねた。智香はもう泣かなかったし、謝らなかった。苦痛に眉を寄せながら、ただ人形のように男のものを受け入れ続けた。
 朽木ももう、愛している、一緒になろうとは言わない。初恋の思い出を汚して、自分の黒い欲望を満たすことだけを考えるようになったようだ。毎晩、朽木が部屋を去るころには、乳房に歯型がつき、臀部は赤く腫れていた。女の部分がぱっくりと口を開き、しばらくもとに戻らなかったこともあった。
 屋敷の同志たちは、一人減り、二人減り、ついには半数以下になった。あるいは国元に帰り、あるいは東北での戦争に参加したようだった。朽木が屋敷にいる時間も、次第に少なくなっていった。

 ――もうじきこの子もここを去るだろう。

 ある朝、そそくさと出かける朽木の背を目で追いながら、智香は思った。智香も朽木も、江戸へ来たころよりもずいぶん痩せていた。
 身の振り方を考えている時間は、あまりなさそうだった。


8. 再会


 智香は、久しぶりに屋敷の外へ出た。少しばかり心が軽くなったと感じられるのは、うぐいす色の上等な着物を着ているからだろう。酒井邸に残されていたものだ。旗本の奥方か、姫君の持ち物だったのだろう。
 秋を迎え、熱を失いつつある空気が心地よかった。江戸の町は閑散としていた。多くの民衆が逃げ散ったまま帰ってこなかった。政府中枢は京都にあり、東北でも戦争が続いていた。江戸だけが、ぽっかり穴が開いたように静かだと、智香は思った。
 隅田川河畔から葉桜を見上げた。まだ黄色く色づいてはいない。少し冷たい風が、智香の頬を撫でた。深い緑色の葉も微かに靡いたようだ。木漏れ日が少し大きく揺れた。

「もし、信姫さまでは?」

 後ろから男の声がした。ちらと振り向くと、額に布を巻いた武士がいた。秋だと言うのに、首筋に汗を垂らしていた。
 智香ははっとした。背筋が寒くなった。

「いや、人違いでした。失敬」

 謝る男に、見覚えがあった。

「天沢、誠一……生きていたの?」

「え?」

 天沢が智香の顔を覗き込んだ。彼の双眸は、以前とは違った印象だ。ずっと穏やかで、死んだ恋人を思い出させるような暗さはなかった。

「あんた、あの時の人斬り……!」

 天沢は数歩下がり、刀に手をかけた。智香が両手を左右に広げた。

「丸腰です。斬ってくださっても結構です……あなたの目、あの時よりずいぶん澄んでいますね。人が変わったみたい」

「いろいろ、あったのだ」

「いろいろ、あったのですか」

 ふふと、智香は笑った。もう少しこの男の話を聞きたいと思った。天沢から殺気が消えた。刀の柄から手を離し、近づいてきた。今さら智香に報復する気もないらしい。

「今は主君と、その姫君を探している。姫君が気に入っていた着物が、そなたの着物とよく似ていた」

「ご主君? 酒井伯耆守殿?」

「左様」

「でしたら、もうお二人とも、江戸にはおられないのでは?」

「なぜわかる?」

「私、酒井邸に住んでいるんです。官軍が江戸に入ったころには、もぬけの殻でした。この着物、きっとその姫君が残していったものだわ」

「では、酒井邸に行っても、消息はつかめないということか」

 今から酒井邸を訪問するつもりだったのだと、天沢が肩を落とした。彼はしばらくそうしていたが、もう智香に用はない様子だった。

「御免」

「待って」

 去りかける男を、智香は無理に止めた。この男をこのまま行かせては、自分の未来は開かれないような、そんな気がしたのだ。
 葉桜の枝が強い音を立てた。急な強い風が吹きつけたのだった。目を閉じ、再び開けると、天沢の額が露わになっていた。額の中央に、三つめの目のような傷跡があった。
 額の「目」は暗かった。すべてを呑み込もうとするような、暗い炎が揺蕩っているような気がした。

 ――沖之介様の目だ。それに、あの夜に見たこの男の目だわ。

 吸い込まれるように見つめていたが、身体の変化に我に返った。
 内腿を何かが伝っていくのを感じた。愛液だ。膝が、達した後のようにがくがくと震えていた。
 意識ははっきりしていたが、燃え上がる身体と心は、女の理性を奪った。

「あの、その傷を見ていたら、その、切なくなってしまって……」

「?」

「お願いです、抱いて」

 思わず、智香は男を誘った。何日ぶりだろうか。男が欲しくて仕方がなくなった。それも余人ではなく、天沢誠一が欲しかった。天沢は驚いたように目を見開いていたが、

「場所を変えよう」

 智香に何が起きているのか察してくれたようだった。
 男は額を再び布で覆って、智香の手を引いてくれた。男の背中は、京で襲った時より、少し大きくなったような気がした。


9. 仇討


 誠一は、天沢村に引き上げた。美乃と智香も一緒だ。女二人を連れて実家に転がり込んで、生計が立てられるとは思っていなかった。はじめから額の「目」を使って、美乃の実家から援助させるつもりだった。
 酒井伯耆守も信姫も、一向に消息がつかめなかった。京都時代に知り合った諸藩の藩士は、江戸には出てきていないか、あるいは東北の戦争で敵味方に分かれていた。旗本や御家人にも知人らしい知人はない。今、江戸に居残っている連中は、酒井が京都で奔走している間、江戸にいた人たちばかりだ。酒井の旧臣と名乗る誠一を彼らは敬遠したし、仮に話を聞けたところで、有力な情報は得られなかっただろう。
 情報を集める手段はなく、ただ闇雲に江戸の町を駆け回るしかなかった。時間だけが過ぎていった。懐は寂しくなってきていた。仕事があるわけでも、新たに雇われる見込みがあるわけでもなかった。仮にも行方不明の旗本の旧臣である。思わぬことで追及され、捕縛されないとも限らない。一度江戸を離れた方がいいと思った。
 天沢村は、平静を取り戻していた。誠一が最初に村を離れる前と同じ暮らしが再開されていた。変わったのは、年貢の納入先だけである。昨年の乱痴気も、人々は忘れかけている。「目」の力に操られていたこともあり、誰もはっきり記憶していないようだった。
 美乃の実家の庄屋夫婦は、誠一たちを歓待し、離れを明け渡した。もちろん、額の「目」の力だ。離れに寝転がり、気が向いたら美乃や智香を抱いた。平穏だが、退屈な日々だった。
 やがて誠一は智香を相手に剣の稽古を始めた。稽古といっても、一方的に教えられるばかりだ。悪くない弟子を得ましたと、智香はそれでもにっと笑ってくれた。
 娘を略奪した上に、タダで食わせてもらってはきまりが悪いと、庄屋の仕事も手伝うようになった。政府の交替で村の行財政は混乱していた。誠一は、次々と舞い込む文書を手際よくさばく傍ら、文書や帳簿の様式を整えて事務を改善した。庄屋は仕事がやりやすくなったと喜んでいるようだ。
 そんな充実した日々が続き、天沢村は、灰色に染まりはじめた。冬が近づいていた。
 美しい少女が庄屋宅を訪ねてきたのは、そんな晩秋のことだった。

「天沢様、酒井の殿の姫君と名乗る方が面会を求めておられますが……」

 庄屋が当惑した表情で、誠一の執務室となっている母屋の一室に報告してきた。先ごろまで酒井領だったとはいえ、庄屋は酒井伯耆守に会ったこともほとんどない。その姫君の顔を見知っているはずもなかった。半信半疑といった様子だ。

「まさか、信姫様が……」

 あり得ない話ではなかった。重大な政変が起こったのだ。二百年以上も前から酒井領だったこの村に、姫が頼ってきても不思議はないと、誠一は思った。

「お会いしよう」

 言った時には、もう玄関に飛び出しそうとしていた。

「姫っ! よくぞご無事で」

 見間違えるはずもない。確かに信姫の顔だった。大人びた顔立ちの少女だ。形のよい唇は、真一文字に結ばれていた。
 誠一は、少女の前に平伏した。庄屋の家の者たちもこれに倣った。美乃や智香は、家の奥から様子を窺っていた。庄屋は慌てて飛び出してきて、板の間に頭をこすりつけるようにして無礼を詫びた。天沢村は酒井家の支配を離れ、既に政府の直轄地になっていた。だが、二百年来の領主であった酒井家の姫は、村人にとって雲の上の存在であることに変りはない。
 信姫の表情は強張り、居心地が悪そうだった。誠一の側に来て、

「外へ出ませんこと? お話したいことがあるのです」

 と言うなり、踵を返した。誠一は一礼して従った。


 二人はあぜ道を歩いていた。信姫が先に立ち、二、三歩遅れて誠一が続く格好だ。
 信姫の態度が妙に余所余所しい。おしゃべりだった口が、今日に限って一言も発しなかった。庄屋の家の者に遠慮したのかと思っていたが、そうでもないらしい。京都の宿舎で一緒にいたころとは、勝手が違うようだ。そういえば、再会してからまだ、あの笑顔を見ていないと思った。

「殿は、ご無事ですか」

 姫の表情が硬いのは、酒井の殿に何かがあったからだと見当をつけて、誠一は聞いた。

「知っていて、尋ねているのですか?」

「まさか」

 ちらと誠一を見た姫の眉は険しく、応答には棘があった。

「父は亡くなりました。宇都宮の戦闘に参加して、そのまま帰って来ませんでした」

「それは……」

 言葉を失う誠一を無視して、姫は話し続けた。

「あなたがいてくれたらと、何度も思いました。でもあなたは帰ってこなかった」

 それどころか、天沢村で騒動を煽り、酒井家を窮地に陥れたのだと、信姫はなじった。あながち間違ってはいない。誠一は何も言い返せなかった。
 二人は雑木林に足を踏み入れた。信姫はそこではじめて足を止め、振り返った。

「私はあなたを兄のように慕っておりました。あなたが帰ってこないと知って、あなたを憎みました。けれど……もうお終いです」

 姫の胸元がきらりと光った。懐剣を抜いたのだ。

「覚悟ッ!」

 叫んで真っ直ぐに誠一の顔を見た。誠一は額の布を外していた。額の「目」が、暗い光を放った。懐剣が草の上に落ちる音がした。信姫の目は、もう光を失っていた。

「姫、林の奥へ行きましょう」

 信姫は意志のない顔を縦に振った。子供っぽい仕草だった。誠一は京都にいたころの信姫を思い出し、頭を振った。今の信姫は、もう旗本の姫ではないし、子供でもないと思った。いや、旗本の娘や子供であってはならないと思った。乳房が、着物の上からでもはっきりと存在を強調していた。以前の姿からは信じられないほど大きくなっていた。

「帯を解かれよ」

 言われるままに、信姫は帯を解き、肩から着物を落とした。形のよい巨きな乳房が、重力に逆らうように真っ直ぐ前を向いていた。まるで、いつも真っ直ぐな彼女の眼差しのようだ。寒さのためだろうか。小さな桜色の乳首が硬く勃ち、天に向かって突き出していた。

「あなたはいつも真っ直ぐでありすぎるのだ。心も身体も。それがしが曲げて差し上げよう」

 乳房を掴み、上下に激しく揺さぶった。むしりとるような乱暴さに、姫の虚ろな顔が微かに歪んだ。


10. 乱痴気は続く


 箱根宿は、にわかに活気を取り戻していた。江戸は東京と改称された。東京奠都が実行されたのは、昨月のことだ。以来、東京へ向かう旅人は激増していた。
 誠一もその中の一人だ。東京の事情は変わっていた。京都にいたころの知人の多くが東京へ出て、政府の仕事に就き、あるいは藩の代表として政府との交渉にあたっていた。人脈を頼れば、どうやら東京でも生計は立てられそうだった。
 誠一には、旅装の三人の女が従っていた。道行く人々が思わず振り返るような美人ぞろいだ。特に、もっとも若い、背伸びしたように大人びた顔立ちの少女は、首まで桜色に染めて、息が荒かった。それが、妙な色気を感じさせた。
 適当な宿を取ると、四人は身体の埃を落とし、足を洗っただけで、さっさと部屋に籠ってしまった。
 部屋に入るなり、女たちは帯を解き始めた。部屋には女たちの汗のにおいが充満した。

「むせてしまいそう」

 女のにおいには慣れていない智香が、鼻を押さえる真似をした。

「この方が興奮するのだ。さ、今日は信子の番だったな」

 呼ばれた信子、かつての信姫が、煤けた畳に手をついて、尻を高く上げた。重い乳房が、彼女の動きに合わせて大きく揺れていた。菊門と女の部分が丸見えになっていた。尻や太腿まで桜色に染まっている。発情しているのだ。よく見ると、信子の両穴は彼女自身の体液でべっとりと濡れ、ふやけていた。

「卑しい信子のお尻の穴に、誠一様のお情けをくださいませ」

 甘い声で男を誘っている。誠一は言われた通りに菊門に狙いを定め、一気に刺し貫いた。抵抗はなかった。それだけ、少女の菊門は、男のものに慣らされていた。白い背中が波打った。挿入しただけで、軽く達したようだった。

「まだ、いくのは早いぞ!」

 二、三度強く臀部を打ってやると、少女は嬌声を上げ、また震えた。彼女は誠一への隷従に自分の幸福を見出したようだ。
 腰を使い始めた男の乳首を口に含んだのは、智香だ。彼女は人差し指で男の菊門も刺激している。性経験が豊富だからだろうか、智香の愛撫はいつも的確だった。彼女は人斬りに代わる新しい闘いの場を求めていた。

「誠一殿となら、何かが成し遂げられる気がするのです。でも、それは男女の営みではありませんよ」

 と、彼女は半ば冗談のように語っていた。
 手持無沙汰な様子の美乃が、顔を近づけてきた。接吻だ。彼女は右腕を男の肩に回し、舌で唇を押し開いた。我慢できないらしく、左手で自分の女の部分を慰めているようだ。誠一と共にあることが、彼女の数少ない望みであり、最高の贅沢だ。

「好き、好き、愛しています」

 時折唇を離しては愛を囁き、また舌を絡ませてきた。

 そして俺はと、誠一は思う。

 ――小成に甘んじるつもりはない。こんどこそ、もっと大きなことを成し遂げるのだ。

 自分を鼓舞するように、少女の菊門を深く突き上げてやった。少女の唇から、高い嬌声が漏れていた。


 この後、日本は急速な近代化を進めていった。しかし、国内には常に危機の火種が燻っていた。要人の暗殺、士族の叛乱、社会運動の激化、民衆騒擾……。体制を揺るがすような危機的な事件は、枚挙にいとまがない。それらの事件の現場では、しばしば一人の男が目撃された。目撃者たちは異口同音に言った。「男の額には、目のような古傷があった」と。最後の目撃証言は、大正七年。米価高騰に端を発する騒擾の火の手が上がる直前だった。その男の額の「目」は、人々に最後の一歩を踏み出させる、不思議な力を持っていたのかもしれない。

 
 
< 完 >


 

 

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