僕の変性期


 

 

第2話


 蜂屋拓海が、音楽の授業中に喉を痛めて早退してから2日。彼は学校を欠席した。

「声変わりの症状なので過度に心配する必要はないけれど、少し症状が重いので大事を取って安静しています。皆さんも成長期には色々と体調を崩したりすることがあるので、何か困ったことがあったら、一人で悩んでいないで、早めにご両親や先生に相談して下さい。」

 ロングの黒髪を後ろでまとめた、担任の吉尾洋美先生が声をかけると、何人かの男子がクスクスと下らない冗談を言い合う。どうせ女性の体の変化のことでも口にしているんだろう。ガキっぽい・・・。優等生の園池澪は、短く後ろの方にいる悪ガキたちを睨みつけると、ふと、自分の幼馴染みである拓海のことに思いをやった。

(拓海・・・。今日も休んじゃって、本当に大丈夫なのかな?明日も学校来なかったら・・・、お見舞いにでも行ってあげようかな?)

 進学コースでない、中高一貫の一般コースに所属している澪は、実は実際の学力と比べると、ずいぶんと楽な授業を受けている。そのためか、既に知っている事柄を延々と聞かされる授業の間、何度も拓海の心配をしてしまうのだった。


。。。



 翌日の朝、拓海が教室に入ってきた時には、澪は思わず立ち上がって、声をかけようとした。

「拓海、喉はもう大丈夫なの?・・・え、・・・拓海?」

 澪は、一瞬、人違いをしてしまったのかと、躊躇した。通学カバンを不良気取りで肩から背中に背負うように持ち、少し伸びた髪の毛を無理矢理立たせて額を出している。奥手で大人しいけれど、優しい性格が取り柄だったはずの拓海が、すっかり大人の男を気取って教室に入ってきたのだ。それは澪に言わせると、かえって滑稽な出で立ちだった。

「や・・、おう、澪。元気かい?・・・バリバリか?」

 かなり、無理をして、男っぽい話し方をしようとしているのが見え見えで、澪はドン引きした。

「あの・・・。似合ってないから。あんた、声変わりして、大人っぽくって・・、わかりやすすぎない?」

 拓海と視線を合わせずに、冷めた口調で返事をする澪。しかし拓海はデリカシーのないことに、たまたま空いていた、澪の隣の席に、遠慮なく座ってしまった。そこは級長の野村君の席だ。

「あんたね。ちょっと幼馴染だからって、急に馴れ馴れしく近づかないでくれる?だいたい私をあんたは・・・。」

 澪に喋りきらせずに、拓海が割り込む。

「なんで?澪ちゃん、俺の彼女じゃん。・・・『思い出して』、ほら。」

 言われると同時に、澪の体が急に床と椅子から15センチぐらい浮き上がったような気がした。澪の頭の中が濁流に飲み込まれる。穏やかな様子で堰き止められていた記憶のダムが、急に豪快な放水を始めたようだった。

 3日前の、今でも信じられないような出来事・・・。澪はあの日、拓海の不思議な声に指示されるままに裸を晒したり、笑いこけたり、サカリのついた猫になって交尾をねだったりと散々に弄ばれて、大切な純潔を失ってしまったのだ。それどころか、その後で拓海への愛情を何倍にも倍化されてしまい、交わったまま彼への永遠の愛を誓ったりまでした。見届け人となった拓海の兄貴、蜂屋陸の前で二人で声を合わせて交際宣言までしてしまった自分たち。拓海は今、そのことを話しているに違いない・・・。

「陸にぃに、お礼奉公なんかさせられちゃって。丸二日間、兄貴の欲望の道具だったよ。その間もずっと、澪のこと考えてたんだぜ。でも大丈夫、ちゃんと色んな遊び方を教わってきたんで、これから楽しい学園生活を楽しもうよ。」

 顔が、真っ赤に、より正確には赤黒く染まっているだろうことが自分でもわかる。澪は恥ずかしさと怒りでブルブル震えながら、両手の拳を固くした。

「あ・・ん・・た、こんなことして、許されるとでも・・・?」

 ワナワナと体を痙攣させていたほどの、湧き上がる力は、拓海が小さく口を動かすと、見る見る蒸発してしまうように、体から抜けていってしまう。

「澪ちゃんリラックス。僕に任せて。」

「馬鹿・・・。なんで。」

 拓海が両手を意味ありげに両手を広げて、「世界に愛を振りまく宣教師」みたいなポーズを取ると、澪は思わず、吸いつくように拓海の体に飛び込んでしまった。拓海の薄い胸板に頬を切なげに擦りつけると体を密着させながらムギューッと抱きしめる。

(やだっ・・・、こんなの皆に見られたら、私が超積極的みたいに・・・。はぁ・・・あったかいな・・・)

 幸福感全開の笑顔で拓海の体をいとおしそうに抱きしめる澪。拓海が悪戯っぽい笑みを浮かべて追い討ちをかけてきた。

「キスしてもいいよ。澪ちゃん。皆に熱烈なのを見せつけちゃおっか?」

 拓海が言い終わらないうちに、彼の口を塞ぐように、澪の経験少ない唇が吸いついてきた。澪のはかない抵抗をあざ笑うように、体はブレーキが壊れた機関車のように猛烈に拓海を味わいつくそうとする。勢いあまって口と口の間に隙間が出来るたびに、「チウチウ」と唾液と粘膜の音が外に漏れる。ディープキスの音が響き渡ることで、澪は、いつの間にか、教室中が静まり返って新生カップルの激しいセッションに注目していることに気がついた。熱い視線や、呆れたような冷たい視線を感じて、澪の頬がまた紅潮する。

(ちょっと〜。これじゃ・・・。どう見ても私から・・・。皆、違うんだってば!ヤダ・・・、キスが・・・、止められないよー!)

 ジュパッと派手な音を立てて、やっと唇を引き離したのは拓海の方からだった。余裕をかました顔で、また悪戯っぽく、若干芝居がかった口調で言う。

「おいおい、澪ちゃん。いくら僕ら付きあうことにしたからって、神聖な学び舎であんまり素の僕らの姿を見せびらかしちゃ、駄目だよ。『大人しく着席しよう』か?」

 最後の一文は、口しか動かなかったような気がするのだが、澪の体は即座に椅子に腰を下ろし、背筋をピンと伸ばして両手を膝の上に置いた。まるで入学写真のような、固いポーズだ。灼熱の抱擁と接吻のせいで、制服が若干乱れているし、顔はいくらかふやけてしまっているようだが、それでも大真面目な表情で真っ直ぐ黒板の方向を見据えた。

「級長、そんな訳で、僕たちカップル成立になったんで、席変わってもらってもいいですか?」

 何か反論しようとしていた野村君だったが、口をパクパクさせた後、しばらく動きを止めてしまうと、一転して笑顔で頷き、手のひらで「どうぞ座ってください」というジェスチャーをして見せた。高級レストランのボーイのような優雅な仕種だ。そのままスタスタと、本来の拓海の席まで歩いていって、着席した。

 ホームルームなしの木曜日は、古文の北原先生が教室に入ってくる。授業が始まると同時に、澪は大人しく着席していた自分の体勢を解いて、ゆっくりと体を傾げていった。仲睦まじい新婚夫婦が寄り添うように、体を拓海に預けたくなってしまう。

「澪ちゃん。授業中でしょ。」

 肘で小突くように、寄りかかる酔っ払いを起こすように、拓海が澪を静止する。

(わ・・、私かよ・・・。)

 いちいち腹の立つ、拓海の不思議な悪戯に、澪が体を強張らせる。

 しばらくその様子を伺っていた拓海が、先生の様子を気にしながら、耳元で囁いてきた。

「そんなに怒んないでよ。お行儀良く授業を受けることも大切でしょ。だってあんまり行儀悪く振舞ってたら、スカートとか捲くれあがって、パンツが見えちゃうかもしれないじゃん。そう言えば、澪ちゃんって、今日どんなパンツ穿いてるんだっけ?」

 拓海の口は、声が聞こえなくなってもまだ何かを囁くように動いていた。やがて、何かの錠が開くように、澪は思い出す。あまり思い出したくないことばかりだが・・・。もともと大きな瞳が、皿のようにまん丸になってしまった。

 拓海がまた口をモゴモゴ動かすと、澪の口も誘われるように開く。馬鹿正直に、言いたくないことも全部ありのままに答えてしまった。

「今日も白地のパンツを穿いてきたんだけど・・・。自分でカラーペンで色々書き込みしちゃってる・・・。前にでっかく、「タクミLOVE」って書いて、その下の、股が・・・股が当たるところにハートマークを描いてあるの。今思うと趣味悪すぎのデザインなんだけど、・・・今朝はウキウキして、鼻歌歌いながら書いてた・・・。私、もう駄目かも・・・。」

「股間にハートマークね。趣味悪いかな?可愛いデザインじゃん。普通のハートなんでしょ?」

 頭痛を感じた澪は、頭を両手で抱えて、教科書に顔を突っ伏した。

「普通のハートマークじゃないですっ。矢が刺さってて、ハートの中に「タクミ専用」って書いてあるの。股間に。・・・思い出させないでよ!はぁ・・もう・・・トラウマ。筆、折りたい。」

 完全に、蜂屋拓海の手のひらの上で転がされている自分を自覚した澪。冷やそうとするように机の上に左のコメカミを当ててうなだれた。多分、拓海に一言指図されれば、澪は喜び勇んでクラスメイトたちに破廉恥なデザインのパンツを見せびらかしてしまうだろう。手作りの、心のこもった破廉恥パンツ。彼女がクラス内で築き上げてきたものをぶっ壊して余りある、強烈なパンツ、いや、パンチだった。

「真面目ぶってても、しょうがないか・・・。授業もつまんないし、やっぱり澪ちゃんに肩、貸しちゃおっかな?」

 拓海が左肩をこれ見よがしに突きつけると、澪は力なく体を預ける。ショックから立ち直れない澪の頭を、拓海が撫でると、澪は頭をコテッと拓海の左肩にのせて、撫でられるがままになった。

(はぁ・・・・。何?この気持ちよさ・・・。
 この安心感とか、癖になっちゃったらどうしよう・・・。もう戻れないよう。)

 恋愛映画に見入るラブラブカップルのように、澪と拓海は肩を寄せ合って、イチャつきながら古文の授業を最後まで受けるのだった。


。。。



 二時限目の公民の授業は、宮脇先生の突然の思いつきか、課題を割り振ってのグループ学習になった。図書室で調べ物をすることになった澪のグループには、当たり前のように拓海が入っている。他の女子は中谷スミレ、幡野悠里、酒井柚月というクラスを代表する綺麗どころ揃い。男子は笹尾駿、足立祐樹という拓海の友達だけ。あからさまに怪しい人選だった。

 不審がって、席を立とうとしない澪だったが、拓海が

「調べ物もいいけど、パンツが・・・」

 と笹尾駿に話しかけた瞬間、火がついたように駆け出した。

「もうっ!行けばいいんでしょっ。拓海の大馬鹿っ!」

 
 


 

 

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