黄金の日々×悪魔の流儀

〜遙かなる時を超えたエピローグ〜


 

 



 ※このお話には、『黄金の日々』のネタバレがかなり含まれますのでご注意ください。




 ――地上のはるか上空。
 
 本来なら、人間の世界から見えない異空間に隠れているはずの天界の門が剥き出しにされていた。

 そして、その手前で無数の天使と悪魔が戦っている。
 かなりの乱戦だが、悪魔側の方が優勢だった。

 見れば、悪魔側の陣営にもかなりの数の天使が混じっていた。
 その半数はまだ天使の面影を残す白い翼を持っていたが、残りの天使の翼は鴉のそれの如くに黒く染まっていた。
 そして、その闇に染まった天使たちの先頭に立って大振りの剣を振るうのは、これまた漆黒の翼を持った銀髪の女天使だった。



 その時、開いた天界の門の向こうに光るものが見えた。



「下がっていろ、綾!」

 その光に気づいた、やはり黒い翼を持った堕天使がその女天使の前に出る。

 そして、高速で飛んでくる光る物体に向かって手を突き出すと、巨大なエネルギーの塊を放った。
 そのエネルギー弾がぶつかった瞬間、天界の神が放った光の槍は消え去った。

 そして、すかさず次のエネルギー弾を開いたままの展開の門に向けて放った。

 門を閉じるのが間に合わず、天界に打ち込まれた、その、高密度で圧縮された魔力の塊が大爆発を起こした。

 それを見て、天使たちが慌ただしく動き始める。

 大多数の天使は、天界の門を固めて防御に徹する動きを見せていた。

「ありがとうございます、倭文様」
「いや、いいんだ。さすがに、あの神の槍はおまえたちの手には負えないからな」

 綾と呼ばれた女天使と肩を並べて戦況を見守っているのは、魔界を制して天界に戦争を仕掛けた首班で、今は倭文淳(しとり じゅん)と名乗ってはいるが、かつての天界との戦争の時には魔界軍の一員として戦い、敗北の屈辱にまみれたシトリーその人である。

 だが、その時シトリーの体がぐらりとふらついた。

「倭文様!?」
「大丈夫だ。……ちょっと力を使いすぎただけだ」
「ではっ、急いで本部へ!」

 綾が合図をすると、魔界へと通じる門が開く。

「しかたないな。後は頼むぞ、綾。天界の連中をしっかり見張ってろよ」
「かしこまりました」

 後の指揮を綾に託すと、シトリーはその門をくぐり抜けて魔界へと戻っていった。






* * *







 ――魔界。
 マジック・クラフト・エンジニアリング(M・C・E)本社ビル。

 ここは、かつてシトリーが一社員として働き、その野心を隠して雌伏していた場所である。
 また、この会社を支配下に置いたのを足がかりとして、魔界全体を手中に収めることになった場でもある。

 その後も、その本社ビルを自身の活動拠点としていた。



 そして、その部屋は彼のある目的のために改装された大部屋。
 床には高価な絨毯が敷き詰められて、中央には大きめのベッドが置かれていた。



「はぁんっ、ああっ、しっ、しどりさまぁあ゛あ゛あ゛っ! あう゛っ、あ゛っ、ひぁああっ、あ゛ぁあああーっ!」

 膣奥へと熱い精液の直撃を受けた女悪魔が、快感が頂点に達してシトリーにしがみつく。
 その体は小刻みに痙攣し、白目を剥いて半ば意識を失っているように見える。

 実際に、その女悪魔がシトリーを抱きしめる腕から次第に力が抜けていく。
 そして、シトリーが腕を放すと、そのまま仰向けに倒れて動かなくなった。

 しかし、シトリーはその女悪魔にはもう見向きもしない。

「まだだ、まだ足りない。次は誰が相手だ?」
「では、私にお願いします、倭文様」

 今度は、女天使がベッドに上がってくる。

「いいだろう」
「ああ、倭文様…………あんっ、あふぅうううううううっ!」

 女天使を押し倒すと、シトリーは前戯もなしに肉棒をそのヴァギナに突き入れる。
 それを、女天使も痛がることなく受けいれる。
 むしろ、喜んでいるようにも見受けられた。

「はうっ、あぁんっ、すばらしいですっ、倭文様! うぅんっ、はっ、あ゛あ゛っ、ひああっ!」

 肉棒で突かれて喘いでいる女天使の顔が快楽に緩み、蕩けていく。
 それと同時に、その瞳から急速に光が失われ、虚ろになっていくのがわかる。

 その女天使は、シトリーに犯されながら己の魔力を吸われていたのだった。




 伝説の魔物がその正体であった大門を封印し、その体に取り込んで彼が手に入れたその力は言い伝えに違わず強大で、かつて破る術はないといわれた神の槍を消し去るほどだった。
 その魔力の量も、ほぼ無尽蔵にあるかと思われたが、実際にはそうでもなかった。
 たしかに、大門を取り込んだ今のシトリーは魔王と呼ばれる魔界でのトップクラスの悪魔でも足許にも及ばず、天界の神をも凌ぐ量の魔力も手にしていた。
 しかし同時に、その力は出力も桁違いであるために使用するために消費する魔力も激しかった。
 それゆえ、その力を使いすぎると、その膨大な魔力も底を尽きかけることがあった。

 そんな時のシトリーは、猛烈な飢えと渇きに似た感覚に襲われる。
 だが、その体が求めているものは食料でも水でもなく、魔力だった。
 魔力を使いすぎた体が、自然とその補給を要求してくる。
 そして、魔力補給の方法が、女とセックスをすることだった。

 魔力が涸れた状態のシトリーが女と交わると、その持っている魔力を根こそぎ吸い取ってしまう。
 吸われた相手は魔力が枯渇して意識を失ってしまう。
 もっとも、生命力や精力を吸われているわけではないので命に別状はないのだが、2、3日は目を覚まさないし、目覚めても魔力が回復するまで数日は使い物にならない。

 まるで吸血鬼のようだが、吸血鬼が血や生命力を吸い取るのとは違い、シトリーは意識して魔力を吸い取っているわけではなかった。
 むしろ、その状態のシトリーがセックスをすると、女の魔力が勝手に流れ込んでくると言った方が正しかった。
 それは、あたかも乾ききったスポンジが水に触れると、瞬く間に吸い取ってしまう作用に近かった。

 もちろん、もともとの魔力の量を考えると、1人や2人の魔力を吸い取ったところで補給にすらならない。
 そのため天界との戦闘が激しくなってからは、配下の悪魔や捕らえて洗脳した天使たちの中から魔力量の多い者を選抜して、シトリーの魔力補給のためにこの本社ビルに常に待機させていた。
 それでも、天界の門の近くで激戦を繰り広げたその日はシトリーの魔力消費も激しく、すでに部屋の床には20人近い女悪魔や天使が意識を失って転がっていた。




「あっ、あ゛ぁんっ、はうっ、ぁんっ、あ゛あ゛あ゛あ゛っ!」

 激しいピストンで突かれている天使の、両の乳房が波打ちながら揺れる。
 すでに大半の魔力を吸われて、天使はほとんど意識を失って鈍い喘ぎ声をあげるだけとなっていた。



 その時、その広間にひとりの女が入ってきた。

 軽くカールした、赤みを帯びたショートボブの髪に、M・C・Eの社員の制服を着込み、自社製のタブレット端末を胸に抱えている。
 その姿はただの女子社員にしか見えないが、彼女はシトリー配下の大幹部のひとりで、主に情報収集やその分析、情報戦などの指揮を執っている植春愛那(うえはる あいな)だった。

「愛那か……。天界の状況はどうだ?」
「はい。相変わらず天界の門の周囲を固く守っていて、動く気配はありません。現地から送られてきている最新の映像を見ても、倭文様がここに戻ってこられたときの状態からまったく変化はないです」
「そうか」

 手にした端末を操作しながら、愛那が淡々と報告する。
 それを、シトリーは天使を犯しながら聞いていた。

「もちろん、こちらも警戒は怠っていませんが、あの……」
「ん? なんだ?」
「これは私の推測ですが、神の状態がかなり悪いのではないでしょうか? おそらくは、あの時の倭文様の攻撃で……」
「ふむ……あの程度でくたばる奴だとは思えないがな。それでも、天界の出方を見ると、かなりのダメージを受けているのかもしれないな」
「それでは?」
「僕としても、奴の回復を待つつもりはない。魔力を補給したら、明日には天界に乗り込んで奴の首を取ってやるさ」
「はい。それで……あの、倭文様……」

 それまで、冷静に報告していた愛那の口調が変わった。
 息苦しそうに喘ぎ、声もうわずっている。

「どうした、愛那?」
「はい……次は、私の魔力をお吸いになりませんか?」
「なんだと? おまえ?」
「ここまで来たら、もう情報収集がメインの私が行うべきことはほとんどありません。それならば、私の魔力を倭文様に捧げることでお役に立ちたく思います。気を失ってしまって、倭文様が天界を手に入れる瞬間を目にすることができないのは残念ですが、私の魔力ならそこで寝ている者たちよりもはるかに多いですから、かなりの魔力を補給できるはずです」

 そう願い出た愛那の顔は、すでに欲情してほのかに紅潮していた。
 その姿に、シトリーも苦笑を浮かべる。

「いいだろう、おまえの魔力をもらうぞ。さあ、こっちに来い」
「はいっ、ありがとうございます、倭文様……」

 弾んだ声をあげて礼を述べると、愛那はもどかしそうに制服のボタンを外していく。
 そして、一糸纏わぬ姿になるとベッドに上がってシトリーに抱きついたのだった。



















 今からはるか昔のあの日、神の起こした大洪水によって、最後の魔界と天界との戦争は終結した。

 あの大洪水は、地上の生命の多くを飲み込んだ。
 ただ、イストリアの片隅で最後まで神を信じる心を捨てずにいたノアという名の老人とその家族は、神によって助けられた。

 神の目的は、地上に攻め込んだ悪魔たちと、魔界になびいた人間たちの粛正。
 それだけでなく、魔法そのものすらを地上から消し去ることだった。

 それゆえ、地上にいた悪魔や妖魔だけではなく、魔法の使い手も天使たちによって徹底的に殲滅された。
 その当時においても地上にはほとんど残っていなかった、エルフをはじめとする精霊族や妖精族といった亜人種もその対象となった。

 とにかく、地上から魔の気配を消し去り、人間たちから魔法を取りあげる。
 それが至上命題だった。

 そして、命を救ったノアとその家族たちから魔物や魔法に関する記憶を消し、その代わりに神がこの世界を創造したという新たな神話と信仰を与えたのだった。

 それから長い歳月が流れ、新たな命を育み続けて、人間は再び地上に満ちた。
 すると皮肉なことに、人間たちの中には神が与えたものとは異なる信仰を唱える者が現れ始めた。
 そして、再び人間同士で争うようになっていた。

 そんな人間界の推移を、シトリーは魔界の片隅から醒めた目で眺めていた。

 人間たちが神の思うようにならないことは、人間を含む世界の全てを神が創り出したのではないと白状しているようなものだった。
 もしこの世界の全てが彼の創ったものならば、自分の創り出したものすら自分の思うようにできぬのは、なんと出来の悪い創造主であろうか。
 ましてや、己が人間に与えた神話に書いてあるとおりに、神が自分に似せて人間を作ったのならば、その人間たちが互いに争って醜い姿を晒しているのは、すなわち神が醜いものであることを示しているのではないかと言いたくなる。
 そもそも、本当に奴が世界を創ったのなら、それをやり直すために大洪水を起こして自分の意に沿わない者を滅ぼし、自分を信じる者だけを残すなどという迂遠な方法を採らずとも、最初から世界を創り直せばよいだけの話である。
 だが、神にはそれができなかった。
 世界はおろか、人間ですらも自分が創り出したものではないのだから、完全に滅ぼしてしまうともう人間を産み出すことはできないのだ。
 自分自身が元天使で、天界にいる神が世界を創ったのではないことを知っているシトリーは、新たな神話を与えることで人間たちを律しようとして、かえって矛盾を晒してしまった神の愚かさに皮肉な視線を向けずにはいられなかった。

 そして、かつて神に取りあげられてしまった魔法に代わって、人間たちは科学という新たな"魔法"を産み出した。
 それは、太古の昔に人間たちが魔法の力で成し得ていたことのいくつかを、再び人間の手に取り戻させることになった。
 一方、科学技術の発展によって人間同士の争いはかつて魔法を手にしていた頃よりもはるかに苛烈になり、悲惨さを増していった。

 人間たちが、自分たちの力で手にした科学の力を使って互いに争う様を、神はどのような思いで見ていたのか。
 ともあれ、人間たちの争いがどれだけ激しさを増しても、神はそれに介入することはなかった。
 神が人間界に介入してこなかったのは、それがあくまでも人間だけの問題であって魔界が関わってなかったからなのか、それとも、人間に関わることを神が諦めたからなのか。
 いずれにせよ、シトリーはそこに神の衰えを見たような気がしていた。




 一方で魔界はというと、あの大戦で完敗してからというもの、不公平な要求を呑まされて、ただ悪しき人間の魂を天界から譲り受けて地獄に送るだけの完全に天界の下請けとでもいうべき状態なっていた。
 もはや、上層部にはかつてのように天界と争うほどの覇気を持った者はおらず、天界の隙を見ては人間界に干渉して堕落させ、地獄に堕ちる魂を多少でも増やそうとするのがせいぜいだった。

 やがて悪魔たちの活動は、人間社会の発展を参考にして、人間の会社を真似た組織を作って行われるようになっていった。




 その間、シトリーがなにをしていたかというと……。

 頼りになる下僕たちを全て失い、大戦後の彼はまさに両翼をもがれた状態といってよかった。
 いや、正確にはまだ彼には力があった。
 人を操るその力を使えば、また下僕を増やすことができる。
 だが、あの時の大戦で大量の天使が魔界側に堕ちたことを重く見た天界の監視は魔界にまで及んでいた。
 だから、迂闊に動くことはできなかった。
 特に、下僕として役に立つような、力のある悪魔を堕とすような目立つことをするのは憚られた。
 それゆえ、シトリーはひたすら雌伏するほかなかった。
 長い時間の末に天界の監視が緩むまで、そして、天界の目を盗んで自分の手駒を増やす方法が見つかるまで。

 その、たっぷりとあった時間、彼が多く費やしたことは魔法の研究である。
 先の大戦の折りに魔法の有用性には気づかされていたし、ゆくゆくは魔界全体を彼の言いなりにするという目的のためには、自分の能力だけではなく魔法の助けが必要であることを痛感していた。
 しかし、すでにクラウディアやピュラといった、優れた魔導士を失っていた彼は、自らが魔法の研究に打ち込んだ。
 そして、人間たちが科学を進歩させると、魔法と科学の融合を目指すようになった。
 その成果がディー・フォンであり、そこに仕込まれた、悪魔を洗脳するための隠しアプリであった。

 さらに彼は、自分に残された武器の研究も怠ることはなかった。

 まず、リディアが残してくれた触手の能力も詳しく分析し、改良を試みた。
 はじめは、触手を目立たないように、細く糸のようにすることから始まり、最終的にはワイヤレス形態の球状にすることができた。
 同時に、威力を落とさずに消費魔力の効率化も図り、並の人間なら100人を越える人数を操ることにも成功したのだった。

 それと並行して、クラウディアが残した封印の宝石も、来たるべき日に使うためにより詳細な解析を行っていた。

 封印の宝石を使う目的。
 それは、魔界の全てを自分の手駒とすることと並ぶシトリーのもうひとつの野心である、神を凌駕する力を得ることと関わっていた。

 その手がかりとなったのは、かつて世界樹の洞でフィオナとメリッサから聞いた話であった。

 あの、最後の世界樹によって封印されていた、伝説の魔物。
 フィオナの話では、その魔物を封印するためには、古の神々と魔王たちが協力する必要があったという。
 そして、天界の神はその存在を怖れて常に監視していた。
 神までもが怖れるというその力を封印の宝石を使って自分の中に取り込めば、神に対抗しうるだけの力を手に入れることができる。
 その可能性に賭けてみようと思った。

 しかし、魔界ではその魔物のことはほとんど忘れ去られていた。
 なにしろ、シトリーが魔界に落ちてから、そのような話を聞いたことがなかったくらいだ。
 もっとも、彼は天界にいた頃にもその魔物のことは知らなかった。
 天界においても、その存在は一部の者しか知らない極秘事項だったのだろう。
 それは魔界でも同様だったのに違いない。
 だから、ごく限られた悪魔しか知らないのか、情報を伝える者がいなくなったまま、長い歳月の間に忘れ去られてしまったのか、それはわからない。

 ともあれ、シトリーは自分のやろうとしていることが他には知られないように細心の注意を払いながら調査を続けた。
 そして、魔界の書庫の奥深くに残されていたある書物の中に、その魔物についての記述が残っていることを発見したのだった。

 そこには、あの世界樹が根を張り、その魔物を封印していた場所の手がかりとなるものも残されていた。
 だが、それを手がかりにしてその封印場所に辿り着いたとき、そこには空っぽの石棺と朽ちた世界樹の根が残されていただけだった。

 それ以降、シトリーはさらなる手がかりを求めて文献を漁り、伝説の魔物の行方を捜した。
 情報が少ないその状況では捜査も難航を極めたが、それでもシトリーは諦めることはなかった。
 そして、ようやくその魔物の居場所を突き止めたのは、地上では人間たちが新しく決めた暦の上で21世紀になって間もない頃だった。

 その魔物は、今、シトリーが根拠地としているマジック・クラフト・エンジニアリング社で課長をしていた。
 大門と名乗っていたその姿は一見、ただの中級悪魔で、持っている魔力もさして多くないように見えた
 苦労して突き止めた伝説の魔物が、取り立てて見るべきところのない一介の中級悪魔であったことを知ったシトリーの落胆は大きかった。

 しかし、すぐにフィオナが話していたことを思い出した。
 彼女の話では、その魔物には何重もの封印が施されていることになっていた。
 だから、世界樹の封印だけではなく、その能力や魔力、記憶なども封印されているのだろう。
 ならば、その封印を解くなり破るなしすれば、その魔物の本当の力を取り戻させることができると、そう考えた。
 そのために、シトリーは大門が働いている会社に入り、その近くで機会を窺うことにしたのだった。

 入社してから数年の間は、自分の野心を他人に悟られぬよう、地道に与えられた業務をこなしていた。
 その後に出した転属願いが通って、大門の部署に配属になってから密かに立てていた計画を行動に移した。

 まずは、その少し前から人間界で流行り始めていたスマートフォンを模した、アプリを通じて人や悪魔を操ることができる端末であるディー・フォンを開発して大門の信頼を得た。
 大門には、人間に使わせて魂を堕落させるためのものだと説明したし、実際に人間相手の販売実績もそれなりに上げたのだが、シトリーがディー・フォンを開発した狙いは他のところにあった。
 もともと、携帯端末型のMC装置という構想は、魔界の悪魔たちを洗脳して自分の言いなりにさせるためにかねてから温めていたものだ。
 それが、流行の機器と組み合わせることで魔界において爆発的に売れたことは、結果としてシトリーの魔界制圧を容易にするものであった。

 そして、大門の信頼を得てからは新商品のテストと称して、その体に布石を仕込み始める。

 まずは、人の魂を縛り、その対象を操る赤い糸。
 これは、シトリーが苦心の末に開発した、リディアの触手の能力を模した道具だった。
 彼の持つ本来のリディアの触手ほど強力に相手の魂を縛ることはできないが、その代わりに汎用性を高めて、一定量の魔力を持っていれば誰でも扱えるようにして大門の体に埋め込ませた。
 もちろんそれは実験の名を借りただけで、その赤い糸にはいくつかのトラップが仕掛けてあった。
 まず、その糸を仕込まれた者はたとえどこにいても、その糸のもとになったリディアの触手によって感知できるということだった。
 これによって、大門がどこにいてもシトリーはその居場所を知ることができるようになった。
 そして、シトリーが自身の触手に改良を加えることによって、赤い糸と共鳴させて大門がその糸を使って操った相手をシトリーが操ることができるようにしていた。
 この、共鳴による操作はせいぜい対象を木偶人形のようにして操ることしかできなかったが、それでも、将来的に大門と対決する可能性も考慮に入れていたシトリーは、その際に大門の下僕を人質として使うことを想定してその機能を仕込んだのである。

 その上で、より重要な仕込みは、クラウディアが残した封印の宝石そのものを大門の体に埋め込むこと。
 そのために、封印の宝石にMC効果のある別な機能を組み込んだ。
 もとよりそれは簡単な作業ではなかったが、長い時間を魔法の研究と、科学と魔法の融合に費やしてきた成果の全てを注いでなんとか完成させた。
 <反転の宝石>というそれに付けた名前とその効果は、皮肉好きのシトリーの趣味というのもあるが、かつて、テオドーラを堕とした時に、強い憎悪や嫌悪の感情を反転させることでかえって強力に洗脳することができた経験を生かしたものであった。
 この宝石を大門に埋め込んだことで、その力が解放されたときにいつでも封印できる準備は整った。

 残った最大の難関は、大門自身にかけられた何重もの封印をどうやったら解くことができるかというものだった。
 封印の宝石が、発動した時点でのその者の状態で封印して、潜在能力などは考慮されないという性質のものである以上、神を凌駕する力を得るには大門の力が完全に解放されたときに宝石に封じるしかない。
 そもそも、どうすれば大門の封印が解かれるのかもわからないし、その秘めた力を完全に解放させるのはシトリーにとっても危険が大きすぎる。
 それも、魔界で下手に試みるのは得策ではなかった。
 少なくとも、シトリーが完全に魔界を掌握するまでは、他に不審を持たれるような行動はとりづらい。

 だからそれまでの間、大門には人間界にいてもらうことにした。
 それで、まだ下僕にする前の絢華に取り入って、大門の下から引き抜かせるように仕向けた。
 もともと大門と絢華のそりが合わないことを知っていたので、そうすればなにか問題を起こすだろうとは思っていたが、予想以上に上手くいって大門は人間界へ追放となった。

 もちろんシトリーは、大門が人間界に行けば天界が動くかもしれない可能性も考えていた。
 だが、この数千年間の神の動きの鈍さを見ていた彼は、天界が大きな人員を割いて大門に関わる可能性は薄いとみていた。
 おそらく監視ぐらいは付けるだろうが、大門の封印が解けかけるとか、具体的な危機が迫らない限りは天界は動くことはないと踏んでいた。

 そしてシトリーは、愛那をはじめ、絢華や璃々栖など、力のある悪魔でもあったMCE社の女たちを堕とし、封印の宝石の実験を兼ねてその社長を取り込んで会社を掌握し、ディー・フォンに仕込んでいた隠しアプリを解放して魔界の悪魔たちを一気に洗脳することで魔界を制圧した。
 その上で、天界への攪乱作戦を実行する傍らで大門の日常を観察し、封印を解く方法を探った。

 その糸口を見つけたのは、一度こちらから仕掛けてみようとバティンを差し向けた時だった。
 一緒にいたメイドを守ろうとした大門の封印が、一瞬解けかけたという報告があがったのだ。
 いや、報告を受けるまでもなく、大門に仕込んだ赤い糸を通じて、あり得ない量の魔力の気配がシトリーに伝わってきた。
 その時からシトリーは、大門自身を狙うよりもその下僕を狙えば、怒りで封印が破れるのではないかと思い始めた。

 今にして思えば、大門のところに銀髪のメイドがいると報告を受けたときに、どうしてサラの妹だと気がつかなかったのか。
 ただ、その時の報告ではそのメイドは、バティンの攻撃の前になにもできず大門に守られているだけだったとのことなので、まさかそのメイドが天使だなどとは思ってもみなかった。

 その正体がわかったのはあの夜、大門を守るために綾が乗り込んできた時だった。
 彼女がひとりでシトリーのところに来たのは幸いだった。
 おかげで、彼女を凌辱して餌に使い、それに対する怒りで大門の封印を破らせることができたのだから。
 結果として、力を解放した大門を宝石に封印してその力を取り込むことができただけではなく、綾を下僕に加えることもできた。

 こうして、自分のために命を捨てることも厭わない魔界の軍勢と神を凌ぐ伝説の魔物の力を手にしたシトリーは、地上の人間たちの多くを堕落させたうえで天界に対して宣戦布告をした。 
 神が人間界に干渉することを絶っている間に、もはやかつてのように大洪水を起こして自分の意にそぐわない者を粛正することが不可能なほどに人間の数が増え、その科学技術が発達していることを、そして、神が世界を再び創造することができない以上、全人類を滅亡させるような手は打てないことをシトリーは見抜いていた。
 加えて、かつての魔界と天界の大戦の時とは違って、魔界の全ての悪魔は今やシトリーの命令に盲目的に従う手駒となっていたし、神の力に対してはシトリー自身が力を振るうことで対処できた。
 さらには前回の時と同様、いや、その時よりもはるかに効率よく、捕らえた天使たちを洗脳して手駒に加えることもできた。
 その、シトリーが洗脳した天使たちの軍勢を率いて、天界との戦闘の前線に立っていたのが綾だった。

 そしてこの戦いも、間もなくシトリーの勝利に終わろうとしている……。

















「ううっ……あぁ?」

 目を開いたシトリーは、ベッドの上で体を起こす。

 どうやら、魔力の補給をした後でそのまま眠ってしまったらしい。
 魔力を吸われて気を失った女たちは、すでにそれぞれの部屋へと運ばれていた。

 だが、ひとりだけシトリーに寄り添うように眠っている女がいた。

「サラ? …………いや、綾か」

 その銀髪を見て、無意識のうちにサラの名を呼んでいた。
 しかし、その背中の漆黒の翼に、すぐにそれが綾だと気づく。
 ただ、彼女をサラと見間違えたことで、自分が昔の夢を見ていたことを思い出した。
 あの時の天界との大戦の、そして、再び魔界に雌伏し、ひたすら爪を隠して機会を待ち続けたこれまでの道程の、長い長い夢。

「ん……。あ、倭文様、お目覚めでしたか?」

 小さく呻いた綾の目がゆっくりと開き、シトリーの姿を見てニッコリと微笑む。

「おまえ、軍の指揮をしていたんじゃないのか?」
「はい。休息をとりなさいって、途中で絢華さんが替わってくれました。それで、失礼とは思ったんですけど、倭文様のお隣で休ませていただきました」
「そうか」

 シトリーの傍らにいるだけで嬉しそうにしている綾を見ていると、それしか言えなかった。
 それに、取り立てて咎め立てすることでもなかった。

 こうやって綾の姿を見ていると、どうしても昔のことを思い出してしまう。
 思えば、あの頃の自分を知っているのは、今となっては綾だけだ。

 ……いや、正確にはもうひとりいる。

 あの時、神の起こした大洪水に伴う地殻変動によって地上の様子も大きく変わってしまった。
 イストリアの国境を守っていたニップルの城があったあの地峡もその時に崩れて、東側の湖と西側の内海が繋がってしまった。
 その場所はその後の隆起によって両岸の陸地が盛り上がり、今はボスポラスという名の細い海峡となっている。

 そして、そこから少しばかり東に向かった場所。
 あの大洪水の後に人間たちがアララトと名付けた山の下に、アナトは封印されている。

 ……僕が神を倒して天界を手に入れたら、アナトの封印も解けるのだろうか?
 その時、全てを手に入れた僕を見て彼女はなんと言うだろう……。

 そんなことを思ったシトリーの脳裏に、エミリアやアナト、クラウディアをはじめ、かつての下僕たちの面影が甦ってきた。

 ふ……感傷だな。

 軽く頭を振って、胸の内に去来したセンチメンタルな感情を払い除ける。

 これは、シトリーが目的を遂げることによって、自分を生かすために犠牲になった下僕の命も報われるとか、そんな美談ではない。
 あの時、下僕たちはシトリーが生き残ることを願って、そのために喜んで命を捧げたのであり、それによって得た命でシトリーは自分の目的のために行動してきた。
 それはいわば、全員の総意と言うべきことであって、それ以上でもそれ以下のものでもない。

 それに、まだ全部終わっていない。
 感傷に浸るのは、この戦いに勝利して全てを手に入れてからでいい。

「……それに、全てを手に入れても3日もしたら飽きてしまうかもしれないしな」

 自分はただ、神を打ち倒してあの時の屈辱を雪ごうとしただけで、魔界、人間界、天界の全てを手に入れた後でなにをしようという展望も持っていないことに、シトリーは思わず苦笑してしまう。

「どうかなさいましたか、倭文様?」

 シトリーの呟きが聞こえたのか、綾がきょとんとした顔でこちらの様子を窺っていた。

「いや、なんでもない。それよりも、今日こそ神の奴を倒して全てを手に入れるぞ」
「はいっ!」

 その肩を抱いて笑顔を見せると、綾も嬉しそうに頷き返してくる。

 そして、身支度を整えるとシトリーは綾を従えて最後の決戦へと向かったのだった。

 
 
< 終 >


 

 

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