黄金の日々


 

 



第2部 第20話 神の怒り





 その後、シトリーたちはしばらくニップル城に留まり、捕らえていた天使たちを堕としてから侵攻を再開した。

 イストリアに入ってからも各城塞は神聖魔法のバリアーと天界軍によって守られていたが、シトリーの方針は城を落とすことではなく、城を守る天使たちを壊滅させて自分の戦力に組み込むことと決めていた。
 それは、今後の天界との戦いを考えると天使たちを堕として戦力にするのが最優先事項であることを意味するが、結局はあのバリアーを破る方法がまだ見つかっていないということでもあった。
 もっとも、今となっては人間たちの守備隊程度は放っておいても構わないだろうという見立ての上での方針だった。
 もし仮に、放置してきた守備隊が追撃してきてもそんなものはいつでも粉砕できるし、モイーシアからヘルウェティアに攻め込む構えを見せても、それよりも早くこちらがイストリアの首都のアフラに到達できるために後方攪乱の意味をなさないと踏んでいた。





 実際、ニップルさえ抜いてしまえば、アフラまでの間に特に問題のある場所はなかった。

 イストリアの守備隊は城や町を囲むバリアーの中に籠もっているだけで戦おうとはしないし、追撃もしてこなかった。
 それに比べると天界軍の方は士気も高く、あくまでもシトリーたちの行く手を阻もうとしてきた。
 シトリーたちは知る由もないが、天界に戻ったミュリエルの報告を受けてからは、この方面の天界軍も強化されていたのだが、その時には本来持っていた有翼の悪魔たちとエルフリーデたち翼を得た人間に、女ばかりとはいえアブディエル隊とシャルティエル隊および、イストリアに侵攻してから壊滅させたいくつかの部隊の天使たちを戦力として取り込んでいたシトリーたちは、行く手を阻む天使たちを圧倒できるだけの飛行戦力を有していた。





 そして、シトリーたちが辿り着いたのはイストリアの中心部、人間たちがグエディンナと名付けた肥沃な平野に建設された首都アフラを望む高台だった。
 その高台は人々が聖地とも呼ぶグエディンナ平原の西の端に位置しており、都からはいまだかなりの距離が離れていたが、そこからでも広大な平原の中に現れた、複数の高く聳える尖塔を有した宮殿を中心として、全体を城壁で囲まれた巨大な町の偉容は見るものを圧倒するものがあった。
 しかも、その大都市をすっぽりと包みこむようにあの、輝く障壁が覆っている。
 その輝きも、これまで見たどのバリアーよりも力強く、清冽な光に満ちあふれていた。

 しかも、城下の平原にはすでにイストリアの大軍が陣形を整えており、上空には部隊数にすると20近くはいるだろうか、確実に1万を超える数の天使たちが展開していた。

 さすがに神聖王国の名を持つだけあって、この地には最後まで天界側に立って悪魔に抗おうとする人々が集結してきていた。
 そして、それを加護するかのような夥しい人数の天使たち。

「なるほどな……どうりで途中の抵抗が少なかったはずだ。イストリアはほとんどの戦力をここに集結させていたわけだ」
「しかも、あの天使の数……まあ、ここが人間たちの最後の希望の地なんですから、なんとしても守ろうとするのは当然よ」

 人間と天使の大軍勢を見つめるシトリーとアナトの表情はさすがに険しかった。

「それも、なまじ一番乗りしただけに、僕たちの戦力だけであれとやり合わなければならないんだからな」
「いちおう、北からの侵攻軍は1週間以内にここに到達するはずよ。どうやら、あっちは北の街道を封じる要塞を落とすことを諦めて、山岳越えをしてきたみたいね。途中でかなりのロスはあるでしょうけど、あの方面軍はもともとかなりの戦力があるみたいだから、合流したら互角以上にはやり合えるはずよ」
「……ふん、僕らには少ない戦力でやりくりさせて、他には大盤振る舞いか。それで最初に乗り込んできたのが僕たちなんだから、まったく、やってられないな。でも、よくそんな情報を掴んでますね」
「まあ、私も司令官の立場上、他の方面軍との連絡をとりあってはいるから」
「なるほど。で、南からの侵攻軍は?」
「あっちの方はあまり期待しない方がいいわ。南からイストリアに入るには、ニップルと似た狭い地峡を通らなければならないの。で、私たちとの時と同じようにそこにイストリアの要塞が建っていて、そこで足止めされてるらしいのよ」
「ということは、僕たちと北の方面軍とであれを迎え撃つということになるわけか」
「でも、どうやらこちらの軍勢が合流するのを待ってはくれないみたいよ」
「まあ、戦術的には当然のことですけどね」

 シトリーが嘆息すると、アナトも、しかたがないとでも言うように肩を竦める。



 結局、ふたりが出した結論は、地上軍同士の戦闘に有利なこの高台に陣地を築いて敵を迎え撃ち、北の方面軍が合流してくるまで防御に徹するというものだった。






* * *







 攻めかかるイストリア軍と天使たちに対して、シトリーたちはなんとか持ちこたえていた。

 もともと、地上軍の戦力差はそれほど圧倒的な差があるわけではなく、有利な地形に陣取っている分、守るのは容易だとは思っていた。

 それに対して、飛行部隊はシトリーの予想以上に善戦していた。
 その原動力となったのは、サラをはじめとするこちらに堕ちた天使たちである。 
 彼女たちが天界軍を叩くことになんのためらいも見せないのに対して、天界側は、いかに悪魔側に堕ちたとはいえ、同じ仲間であった天使と戦うことに対する躊躇と戸惑いは隠せないでいた。
 その、わずかな士気の差が、空中戦の人数でははるかに勝る天界軍の攻撃を鈍らせていた。





 そして1週間後、北からの侵攻軍がグエディンナ平原に到着すると戦局は一変した。

 自分たちの軍団以外の他の方面軍を初めて見たシトリーが思わず笑ってしまうほどに、その戦力は充実していた。
 マハやアナトには及ばないものの、上級悪魔クラスで組まれた飛行戦力を備えている上に、天使でも手を焼きそうな大型の飛竜まで揃えていた。



 それを機に、戦況は魔界軍の優勢に転じる。



 地上では、シトリーたちは北の方面軍と連携してイストリア軍を攻め、アフラを覆うバリアーの中へと押し返すことに成功した。

 空中戦でも、こちらが互角以上の戦いを見せていた。
 天界からはさらに天使たちが派遣されてきているようだが、それでもまだこちらが優位に戦いを進めていた。

「まったく、なんてふざけた戦力を持ってるんだ? あっちに割く分があれだけあるんだったら、最初から僕たちの方にもう少し戦力を回してくれててもいいものなのにな」

 天界軍を押している北の方面軍を眺めては、シトリーが愚痴をこぼす。

「ぼやかないの。これでもまだこちらには、あのバリアーを破る方法すらないんだから」

 飛行部隊の指揮を執りつつ、自らも槍を振るって天使たちと戦っているアナトがその愚痴を聞き咎める。

「そうだよー。それにシトリーもわかってるでしょ、まだ天界は手の内を全部見せてないってことが」

 と、天界軍の参戦してきたあの日から、ずっとシトリーの傍らで剣を振るってきたエミリアもアナトに同調する。

「ああ、わかってるさ……」

 確かにふたりの言うとおり、どれだけ戦力で圧倒しても、こちらにあのバリアーを破る手立てがない以上、イストリアを倒すこともままならない。
 天界の戦力も、まだ底を見せていないことは、かつて天使だったシトリー自身がよく知っていた。

 それに、もうひとつ彼とエミリアは知っていた。
 この戦いでは、天界の側にまだ姿はおろかその実力の一端すら見せていない者がいることを。

 たとえどれほど強力な悪魔を投入して、集団での戦闘で優位に立ったとしても、天界にはまだ奴がいる。
 遙かな昔にアナトたち他の神々を魔界に追いやり、今では唯一絶対の神と称しているあいつが……。

 かつて天界に身を置いていた者としては、味方としても敵としてもその恐ろしさは十分に理解しているつもりだった。

 そのはずなのに、その悲劇は突然に訪れた。
 後になってみれば、その時のシトリーには僅かな油断があったのかもしれなかった。






「あっ! シトリー危ないっ!」

 不意に、エミリアが大声を上げてこちらに突進してきた。
 そしてそのままシトリーを突き飛ばす。

「うわっ!? ……っ!!」

 よろめいたシトリーの目の前で、光り輝く槍のようなものがエミリアの肩を貫いた。

「きゃああああああっ!」

 悲鳴をあげるエミリアの黒い翼が、時の流れが止まったかのようにゆっくりと舞い散った。
 次の瞬間に、その体は地上へと落下していく。

「エミリアーッ!」

 考えるよりも早く、シトリーはエミリアの後を追っていた。



 あれは……。
 あの光は……。

 シトリーはそれを知ってた。
 それを放つことができるのは、あの神だけ。
 時に雷にも喩えられる、神の放つ光の槍。
 あれに貫かれたら、どんな強力な悪魔といえども灰と化し、もはや魔界で復活することも叶わない。



「エミリア! おいっ、エミリア!」

 地上に倒れ込むエミリアを抱え上げると、何度もその名を呼ぶ。
 すると、その目がうっすらと開き、シトリーを見上げて安心したように目を細めた。

「シトリー……よかった……無事だったんだね……」
「おいっ、しっかりしろ!」
「ダメだよ……。あたしだってもと天使だから……あれが何かはわかってるもの……そっか……あたし、光の槍にやられちゃったんだね……」
「……エミリアッ!」
「そんな顔しないで、シトリー……。あたし……嬉しいんだ。だって、シトリーのこと庇って……その身代わりになって……シトリーを助けることができたんだから。あれにやられたら……シトリーが死んじゃうものね……」
「そんなっ……」
「前にも言ったでしょ……あたしは……シトリーのためだったなんでもするって……。だから満足だよ……あたしの命で……シトリーを守れたんだから……」
「エミリア……」

 その言葉の通り、エミリアは満足そうに微笑んでいた。
 その、慈母のような笑顔を前に、シトリーは今にも泣きそうな顔でその名を呼ぶことしかできない。

「あたしのためにそんなに悲しんでくれるなんて……ちょっと嬉しいかも。でも……そんな悲しそうな顔しないでよ。あたしも……悲しくなっちゃうじゃない」
「エミリア、おまえ……」

 まるで、天使に戻ったような優しい表情を浮かべたエミリアが、ゆっくりと手を伸ばしてシトリーの頬に触れる。
 その感触は、今にも消えてしまいそうなほどに儚く感じられた。

「ねぇ、シトリー……あたし、あの時……魔界に行くシトリーについてきて……本当によかった……。でも……ひとつだけ心残りがあるの……。あたしも、他のみんなみたいに……シトリー様って呼んでみたかったな……」

 穏やかな笑みを浮かべてそう言ったエミリアが、静かに目を閉じる。
 その体が、次第に透き通っていったかと思うと、シトリーの手からその重みも感触も消え失せた。
 一陣の風が灰を吹き飛ばし、ただ、エミリアが身に着けていた甲冑と愛用の剣だけがその場に遺される。

 シトリーの手に抱えられた白い胸当てに、一滴、また一滴と涙の雫が落ちた。

 ……泣いている?
 この僕が、泣いているのか?

 もちろん、シトリーもかつて天使だった頃には泣いたこともあった。
 だが、魔界に堕ちてからはもう涙を流すことなどないと思っていたというのに……。



「シトリー! さっきのあれって、もしかして…………シトリー?」

 シトリーから遅れて降りてきたアナトが、声をかけようとして異変に気づく。

「エミリアが……」
「そう……」

 その一言に、アナトはそう答えることしかできなかった。

 彼女も、かつて自分たちが追いやられた大戦で、あの光の槍を目の当たりにしたことがあった。
 だから、なにがあったのか瞬時に理解したのだ。






 そのまま、アナトが押し黙ってシトリーを見つめていると、アフラを囲んでいる地上軍から、異変を察したクラウディアとメリッサが連れだって駆けつけてきた。

「シトリー様! アナト様! ご無事ですか!?」
「ええ、私たちは無事よ。ただ、エミリアがね……」
「そんなっ!?」
「エミリアが……」

 唇を噛み、力なく頭を振って告げるアナトの短い言葉に、ふたりも状況を把握する。
 エミリアとの付き合いが長いメリッサは、さすがにショックを隠せない様子だった。
 クラウディアも、エミリアの鎧を抱えたまま立ち上がることもできないシトリーを、沈痛な面持ちで見つめるしかできないでいた。



 そのまま、しばしの沈黙の後、自分を奮い立たせるようにして口を開いたのはクラウディアだった。



「アナト様、さっきのあれはいったい何なのですか? あの後、あれと同じものがこちらの飛竜や悪魔を数体撃ち落とすのが見えたのですが……」
「あれは、天界の神だけが放つことができる光の槍よ。あれを受けたら、どんな強力な悪魔でも消滅を免れることができない、天界でも最強の攻撃と言ってもいいでしょうね」
「そんな……あんなものを何発も撃たれたら……」
「いえ、いくら神でもあれを無尽蔵に放つことはできないはずよ。1日に撃てるのはせいぜい十数発ってところかしら。それでも、十分に脅威ではあるけどね」

 アナトの説明に、今度はメリッサが口を開いた。

「ならば、私に考えがあります。成長の早い魔界の樹を私が召喚してこの地に森を産み出し、フィオナさんたちの精霊魔法で世界樹の森のような、生きた樹木の結界を作り出すのです。私たちがその中に籠もっていれば、いくら神といえども狙いを定めることはできないでしょう。……このようなことを言うのは憚られるのですが、そうしていれば、あの光の槍の攻撃は自ずと北の方面軍の方に集中するでしょうし」
「なるほどね。味方を囮に使うみたいでいい気はしないけれど、私も向こうの軍団に義理があるわけでもないし、上からの命令がない以上、それぞれが自分で自衛手段を考えただけのことだものね。それに、今最優先すべきは私たちを守るため……いえ、私たちの主を守ることだから」

 そう言うと、アナトはいまだ蹲ったままのシトリーを心配そうに眺める。

「でしたら、そのように……」
「そうね。本来ならシトリーの判断を仰がなければいけないんでしょうけど、今はこんな状況だし……いいわ、私が許可するから」
「しかし、シトリー様は……」
「彼のことは、もう少しの間だけそっとしてあげましょう。もし可能なら、この場所を中心にして森を作り出すことができればいいんだけど」
「わかりました。戻ってフィオナさんと相談してみます」

 アナトの許しを得て、ふたりはまた地上部隊の方へと戻っていく。





 それからのメリッサとフィオナたちの全力の作業によって、シトリーのいる場所を中心とした巨大な森が一夜にしてグエディンナ平原に現れたのだった。






* * *







 メリッサたちが作り出した森の中に全軍を収容し、周囲の警戒と野営の指揮を他に任せると、アナトは再びシトリーのところに赴いた。

 あれからずっとシトリーは、その場所から動けずにいたのだった。



 いまだにエミリアの胸当てを抱えて蹲っているシトリーに近づいて、声をかける。

「シトリー……私は、あなたと彼女の関係はよく知っているつもりだから、あなたの気持ちはわからないではないし、あなたの好きなようにさせてあげたいとも思うわ。でも、状況を考えなさい。いつまでそうしているつもりなの?」
「…………」

 しかし、シトリーからの返事はない。

 そんなシトリーの様子に、アナトは一度天を仰ぎ、ふぅうう……と大きく深呼吸する。
 そして、厳しい表情を浮かべて口を開いた。

「いい? あなたは私たちの主なのよ。その主のために下僕が自分の命を賭けるのは当然のことじゃない。きっと、エミリアは自分の命を賭けてあなたを守れて満足だったはずよ。それなのに、あなたがいつまでもそれを引きずっていてどうするのよ? そんなことをしても何にもならないわ。いいこと? 主人が下僕のためにすべきことは、その死を悼むことじゃないのよ。その死を無駄にせず、前に進む事なのよ」
「……黙れよ」

 低く、絞り出すような、シトリーの声。
 それは、ほぼ1日ぶりにアナトが耳にしたシトリーの声だった。

 しかし、アナトはその言葉に従うことはなかった。

「いいえ、黙らないわ。私たち下僕はあなたのために存在してるのよ。そのすべては、主であるあなたのためにある。反対に、もしあなたが死んでしまったら、私たちは己のすべてを失うことになるわ。あなたがいなくなってしまったら、その下僕も生きている意味を失ってしまうのよ。だから私たちは、ただあなたがずっと生きていてくれたらそれだけで十分なの。だいいち、私たちをそういう風にしたのはあなたでしょ? だから、あなたは生き続けなくてはいけないわ。そのためなら、下僕の命を踏み台にしてでもね。あなたを生かすためなら、下僕たちは喜んで命を差し出すはずよ」
「おまえは……おまえは自分がなにを言ってるのかわかってるのかっ!?」

 アナトの言葉に、珍しくシトリーが声を荒げて睨みつけてくる。
 だが、彼女は怯むことなく一気にまくし立てた。

「ええ、当然じゃない。私だって、あなたのためならいつだってこの命を差し出す覚悟はできてるわよ。……いいえ、覚悟なんて必要ないわ。あなたのために自分の命を使うことができるのなら、それはむしろ喜びですらあるのだから。むしろ、主人としての覚悟ができていないのはあなたの方よ。もしあなたに野望があるのなら、その達成のために下僕を捨て駒にすることも厭わない覚悟を持ちなさい。もしあなたが危機に陥ったら、下僕の命を盾にしてでも生き延びなさい。それが、主というものよ。もちろん、魔界に堕ちたとはいえもともと天使だったあなたは生まれつきの悪魔とは違ってそういう面で甘いところはあるし、普段は悪ぶってはいるけど、その甘さがあなたのいいところだともいえるわ。だから、自分のためなら下僕の命を使い捨てにできる覚悟をすぐに持てとは言わない。だけど忘れないで。私たち下僕は、あなたにどんな扱いを受けても、たとえ使い捨てにされたとしても、決してあなたのことを恨んだりはしないわ。むしろ、それがあなたの望みなら、あなたの目的達成のために少しでも役に立つのなら、私たちはいつだって喜んで自分の命を捧げるってことを覚えていて。だから、あの子……リディアも、それにエミリアも、あなたのためにそうしたんだから」
「おまえ……」

 そう言ったきり言葉が出てこないシトリーに向かって、アナトはどこか寂しそうな、それでいて慈しむような温かい笑みを浮かべる。

「私たち下僕は、あなたが決めたことならどんなことでも受けいれるけど、それでもやっぱり、あなたがここでなにもしないまま天界にやられてしまうのは見ていられないわ。だからお願い、しっかりしてちょうだい、ご主人様……」

 最後は、シトリーの肩にそっと手を置いてそれだけ言い切ると、アナトはその場を後にしたのだった。






* * *







「アナト様、シトリー様のご様子はいかがでしたか?」

 仮の本陣にしている天幕にアナトが戻ってくると、クラウディアをはじめとする面々が心配そうに尋ねてきた。

 もちろん、その場にいる全員がすでにエミリアのことは聞いている。
 それ以来シトリーがああいう状態であることもあって、その場には重く沈んだ空気が漂っていた。

 普段なら、こんな時にはエミリアが無理にでも場を明るくするはずなのだが、その彼女はもういない。
 その場にいる全員が、ムードメーカーとして、いかにその存在が大きかったかを痛感していた。

「大丈夫なのでしょうか、シトリー様は……?」

 エミリアのことを思い出しているのか、涙ぐみながらアンナが呟く。

「大丈夫に決まってるわ! シトリー様は……私たちのご主人様はこんなところで終わるお方であるはずがないもの!」

 強い口調でそう言い切ったのは、サラだった。

 すると、マハが不機嫌そうに吐き捨てる。

「ふん! 新参者がなに言ってやがる!」

 おそらく、この場にいつものシトリーがいたら、おまえだってこの中じゃ新参者だろうが、と突っ込みのひとつも入れていたに違いない。
 しかし、彼女たちの主は、今、この場にいない。

 ただ、その場にいる誰もがサラと同じ事を思っていることは、複雑な表情で腕を組んだマハの呟きがよく表していた。

「……でもまあ、てめえの言うとおりだけどな」

 マハの言葉を受けて、アナトが口を開く。

「そうね、彼はきっと立ち直るわ。だから、信じましょう、私たちの主人を」

 その場にいる者は皆、その言葉に頷くことしかできなかった。

 
 


 

 

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