黄金の日々


 

 



第2部 第12話 翼を得た者、そして、失われた翼







 ――10日後。

 ラドミール城塞を囲む天使たちは、攻略の糸口を掴めないでいた。
 なにしろ、魔界の軍勢は砦に籠もったまま守りを固めて打って出てくることはない。
 周囲を警戒している有翼の悪魔たちも、砦からの魔法の援護が届かない範囲には決して出てこようとはしなかった。

「逃がさないわっ……このっ!」

 業を煮やしたひとりの天使が、大剣を手に半ば強引に突撃していく。
 それはあの銀髪の姉妹の妹、アーヤだった。

 しかし、悪魔どもは無理せず受け流し、数体かがりでアーヤを取り囲もうとする。
 包囲されるのを避けようと距離を取った瞬間……。

「危ない! アーヤッ!」
「きゃあああああっ!」

 彼女のすぐ近くで、火球が爆発した。

「アーヤッ!」

 爆風に吹き飛ばされた彼女を、サラが抱きとめた。

「あ……姉さま……」
「怪我はない? アーヤ?」
「うん……大丈夫……」
「あまり無理をしたらダメよ」
「はい」

 咎めるようなサラの口調に、アーヤはシュンと項垂れる。

 そこに、副隊長のイェキエルも駆けつけてきた。

「おいっ! 大丈夫か!?」
「はい……大丈夫です、副隊長」
「さっきのはちょっと強引すぎだぞ。あまり無茶するなよ、アーヤ」
「はい。でも、私、もどかしくて……」
「確かにな。あんなに意地悪く砦に籠もっていられると、こっちとしては手の出しようがないしな」
「焦ることはない。籠もっていたい奴らには好きに籠もらせておけばいいさ」

 そう言って会話に入ってきたのは、隊長のアブディエルだった。

「……隊長?」

 その発言の真意を量りかねて、その場の面々は首を傾げる。

「もともと、人間界に攻めてきているのは悪魔どもの方だからな。長引けば長引くほど苦しくなるのは向こうの方という意味さ」
「しかし隊長、この方面の魔界軍は魔法王国といわれたヘルウェティアを手中に収めています。たとえ城塞に閉じ籠もったままでも、魔法で物資を輸送されでもしたら兵糧攻めは成り立ちませんが……」

 アブディエルの言葉に、サラが訝しげな表情で問い返す。
 イェキエルも、彼女と同じ意見だというように頷いていた。

「それならば、この城塞に奴らを押し込めたまま、このモイーシアを人々の手に取り戻させてやればいい。そして、その上でヘルウェティアを攻める。本国を抑えられたら、いくら多数の魔導士がいてももう補給はできまい」
「しかし、そんなことが可能なのですか?」
「実は、先ほど報告が入ってな。我々天界軍が派遣されたことを知って、この国の民が各地で蜂起しているそうだ」
「それは本当ですか?」
「ああ、本当だ。そこでだ、ここに籠城している奴らの本隊を俺たちで抑え込んでおいて、エリアナに分隊を率いさせてモイーシアの民の援護に当たらせる。各地に配置されている魔界の留守部隊は人間相手を想定したもので規模も大きくはないから、エリアナの一隊で十分対処できるだろう。はじめは多少厳しい戦いになるだろうが、悪魔どもから町や城を奪い返すことに成功したら、魔界に対して立ち上がる人間も増えるはずだ」
「そんなにうまくいくでしょうか?」
「もちろん、それなりの人数を割く分、ここで魔界の本隊を抑え込む俺たちの負担は増す。全ては、我々が悪魔どもをどれだけここに釘付けできるかどうかにかかっているといってもいいだろうな」
「だったら私、頑張ります! なんとしても悪魔どもをここで足止めさせてやりましょう!」

 今、この場にいる4人の中で最年少のアーヤが、やや興奮気味に口を開いた。

「ああ、頼りにしてるぞ、アーヤ」
「はいっ!」

 アブディエルにポンポンと肩を叩かれて、アーヤがはにかんだ笑みを浮かべる。

「まあ、気概は買うけどアーヤの場合はもう少し慎重な戦い方を覚えないとな。猪突猛進ばかりだといつか大怪我するぞ」
「もう、副隊長ったら!」
「でも、副隊長の言うとおりよ。あまり心配させないでね」
「……はい、姉さま」

 軽い口調でイェキエルにからかわれてむくれていたアーヤも、真剣な顔をしたサラにそう言われては、素直にうんと頷くしかなかった。

「まあ、この城塞も向こうが守りやすいということは、出入りできる場所が限られているということだ。それはつまり、こちらとしてもそこさえ警戒しておけばいいということになる。だから、他に人数を割いても、奴らをここに足止めさせておくことは十分に可能なはずだ」
「そうですね」
「すべては悪魔どもの手から人間を護るためだ。皆も頑張ってくれ」
「はいっ!」

 その場にいた全員が力強く頷く。
 それぞれが、悪魔たちから人間界を護る天使としての使命に燃える引き締まった表情をしていた。






* * *







 その、同じ頃……。
 こちらは、ラドミール城塞内の広間。

 城塞防衛の指揮に当たっているアナトとマハを除いて、シトリーをはじめとする主立った面々が集まっていた。
 その中から、シトリーの前に進み出たのはピュラである。
 今日、皆を集めたのも彼女だった。

「それで、ピュラ、僕たちを集めたということは……」
「はい、これです」

 ピュラが差し出した手のひらには、黒光りする丸薬のようなものがふたつ載ってた。

「……これは?」
「悪魔の因子を内包した種、とでも申したらいいでしょうか」

 シトリーの問いかけに答える形で、ピュラが説明をはじめる。

「悪魔の因子を?」
「そうです。この丸い方にはエミリアさんの、やや楕円形の方にはニーナさんの因子を植え付けてあります。これを人間の体内に埋め込み、体組織と融合させることでその人間に翼を生じさせることができます」
「翼を? ……そうか!」
「この術は、神聖魔法のような優れた治癒魔法を持たない我が国の魔法体系において、どうにかして怪我の治療をできないかと思って人体組織を再生させる魔法の研究をしていたものがもとになっています。体組織再生の術式に悪魔の因子を組み込むことによって、その悪魔の要素を人体と融合させることができるのではないかと思ったのですが、ようやく完成に至りました」
「だったら、これでこちらの手勢を飛行可能にできるってことか?」
「はい。ただし、この種と融合させる人間には条件があります」
「む……条件とは?」
「まず、種と融合させる対象が、肉体に何らかの変化を生じさせるほどに濃い魔の気になじんでいる必要があります。そうでない人間にこの種を埋め込むと、急速に悪魔の因子に染まった衝撃に体が耐えられず、ショック死をしてしまう可能性が高いでしょう。それともうひとつは、できるだけ体内に相応の魔力を蓄えている者が望ましいですね」
「なるほどな。で、もちろん、その条件に合う相手の目星は付いているんだろうな?」
「はい。確実にこの種と融合できるであろう者の候補は確かにいます」
「で、それは?」
「はい、この場にいる、悪魔以外の人間全てです」
「この場に? ……なるほどな」

 その言わんとしていることを理解したシトリーが、その場にいる面々を見渡してニヤリと笑みを浮かべる。
 たしかにここにいるのは皆、これまでにシトリーの精と魔の気を十分に体に受けてきた者たちばかりだ。
 ピュラはもちろん、クラウディアもそのことを理解している様子だったが、中にはアンナのようにわけがわからずきょとんとしている者もいた。
 そして、ピュラが視線を向けたのは、シトリーを護るようにその席の背後に立つふたりの人物だった。

「ただし、単に人が飛べるようになっても、戦力としてプラスにならなければ意味がありません。飛行ができるようになることで対天使戦の大きな戦力となり得るのは、この中ではフレデガンドとエルフリーデでしょうね」
「私たちが?……なるほど、そういうことか」
「そうですね。私も天使の来襲以来お役に立てなくて歯痒い思いをしてましたし。飛ぶことができるようになるのなら、シトリー様のお役に立てますわ」

 ピュラに名指しされたふたりの女騎士の顔には、むしろシトリーの力になれる喜びすら浮かんでいた。
 そんなふたりに向かって、ピュラが口を開く。

「ただ、ふたりには言っておくけど、これで得られる翼は、シトリー様やエミリアさんたちのものとは違ってしまい込むことができないわ。常時翼が生えたままになってしまうから、今後、日常生活に多少の不便を感じるようになるかもしれないけれど、それでも翼を得たいという覚悟はあるのかしら?」
「かまいません。この剣でシトリー様のために戦うのが私たちの務めですから、そのためなら、私はどのような苦難も厭いはしない」
「もちろん私もです。天使が現れてから、シトリー様のお役に立てずにどれだけ悔しかったことか……。今、そのための翼が手に入るというのに、その程度のことを気にしてはいられません」

 きっぱりとそう言い切ったふたりは、やはり剣に生きる戦士であった。
 その覚悟を聞いて、ピュラがふたりの手を取って広間の中央へと連れていく。

「では、早速やってもらおうかしら?」
「ここでですか?」
「もちろんよ。せっかくですからシトリー様にも見ていただきたいし」

 さすがに、今すぐやれと言われてふたりは戸惑っていた。
 そこに、シトリーも口を挟む。

「おいおい、本当に大丈夫なんだろうな?」
「はい。このふたりに関しては間違いなく成功する確信はあります」

 そう答えるピュラの表情は、自信に満ちたものだった。

「まあ、おまえがそこまで言うんだったら大丈夫だろう。……というわけだが、おまえたちの方はどうだ?」
「はい、シトリー様がそうおっしゃるんでしたら」
「もちろん私も、そのこと自体には反対ではないですから」
「なら決まりね。では、この種から好きな方を選んでちょうだい」

 ピュラがふたりに向かって歩み寄ると、種を載せた手を差し出す。

「……たしか、この丸い方はエミリアの因子が植え付けてあるんだったな?」
「そうだけど?」
「だったら、私はこっちだ」

 そう言ってエルフリーデが手にしたのは、ニーナの因子を組み込んだ楕円の種だった。

「ちょっと!? それってどういうことよー?」
「どういうことって、そういうことだが?」
「もうっ、エルちんったらー!」
「だからその呼び方はやめろと言ってるだろうが!」

 不満そうに唇を尖らせるエミリアがエルフリーデと掛け合いを演じている間に、フレデガンドは丸い方の種を手にしていた。
 それを見て、ピュラが頷く。

「では、決まりね。それではいったん種をこちらに渡して、鎧を外して上半身裸になってちょうだい」
「ええっ?」
「だって、そのままだと生えてきた翼が折れてしまうでしょ」
「あ、そうですね……」

 ピュラの言葉に従って、ふたりは鎧の胸当てを外していく。
 とはいえ、肌当てもはだけて胸が露わになると、さすがに少し恥ずかしそうに顔を赤らめる。

「では、はじめましょうか。…………クラウディア様」
「はい、先生」

 ピュラが目配せすると、あらかじめ打ち合わせをしていたのか、クラウディアが進み出てくる。
 そして、フレデガンドが選んだ丸い種を手にするとその背後に立つ。
 同様に、ピュラは楕円の種を手にエルフリーデの後に立った。

「ふたりとも、前もって言っておくけど、魔の因子があなたたちの肉体に融合する際に、おそらく体が引き裂かれるような痛みが全身を駆け巡るはずよ。だけど、絶対に大丈夫だから頑張って耐えてちょうだいね」
「わかりました」
「大丈夫です」
「じゃあ、心の準備はいい?」
「はい」
「お願いします」

 ふたりが頷くと、クラウディアとピュラはその背中に種を押し当てた。
 そして、低く歌うような呪文を詠唱すると、その種がふたりの体内にすうっと吸い込まれる。





 はじめは、なにも変化がないように感じられた。
 しかし、その場にいる全員が息を詰めて見守ること5分近く……。





「……ぐっ!? ぐああああああっ!」
「あうっ! いああああああああっ!」

 くぐもった悲鳴をあげてエルフリーデとフレデガンドが膝をついたかと思うと、そのまま倒れ込んで苦しみ始める。

「がはっ! くうっ、んぐぅうううううううっ!」
「はうっ! ……あんっ、あうぅううううううっ!」

 歯を食いしばってのたうち回るふたりの呻き声と、臑当てが床にぶつかる音だけが響く。
 フレデガンドの声に多分に艶めかしさが混じっているように聞こえるのは、その苦痛すらも彼女の体質によって快感に変換されているからだろうか。

 いずれにしても、ふたりの苦しみ方は誰の目にも異様であった。
 ピュラとクラウディア以外の全員の胸に、実験は失敗したのではないかという疑念が去来しはじめた、その時。

「ぐわぁああああああああっ!」
「あくぅうううううううううううっ!」

 咆哮のような叫びを上げたふたりの体がくの字に折れ、芋虫が丸まったような体勢になる。
 次の瞬間ふたりの体が淡い光に包まれたかと思うと、剥き出しになったその背中の、左右の肩胛骨のあたりから瘤のような塊が突き出てきた。

 その、ふたつの肉塊はみるみる成長していき、同時に薄く広く伸びていく。
 それぞれ、エルフリーデのものは黒い産毛に包まれていき、フレデガンドのそれは黒い鱗片に覆われたものへと変化していった。
 それが、次第に翼を思わせる形に近づいていき……。

「くうっ!」
「ああっ!」

 最後にふたりが短く呻いたかと思うと、エルフリーデの翼の先端を突き破るように鉤爪が生え、フレデガンドの翼の鱗片がぱんっと弾けてそのひとつひとつが漆黒の羽根と化した。

 そして、一同が目にしたものは……。

 背中からニーナのそれと同じ、コウモリの皮膜を思わせる翼が生えたエルフリーデと、エミリアやシトリー同様、鴉のような黒い羽根に覆われた翼が生えたフレデガンドの姿だった。

「成功よ。ふたりともよく頑張ったわね」

 ピュラが労いの声をかけるが、ふたりは両手を床についたまま苦しげに顔を歪めている。
 その姿は、この実験の体への負担の苛烈さを窺わせるに十分だった。

「大丈夫ー? ふたりとも動けるー?」

 まだ肩で大きく息をしているふたりに、エミリアが歩み寄って声をかける。

「ああ……」
「大丈夫よ……」
「どう? 翼が生えた感じは?」
「どうと言われても……」
「なんか、背中の方が重くて……少し不思議な感じがするわね」
「翼の感覚はちゃんとある?」

 そう言うとエミリアは、まずフレデガンドの翼に、続いて天鵞絨(ビロード)のように艶のある産毛に覆われたエルフリーデの翼に触れる。

「やだっ……なんかくすぐったいわ!」
「こらっ、おまえっ! 気持ち悪からあんまり撫でるな!」

 翼を触られてくすぐったそうなフレデガンドに対して、エルフリーデが本気で嫌がっているのが対照的だった。

「うんうん、フレダさんのは骨格のある部分以外は神経が通ってない羽根だから、ちょっとくすぐったい程度よね。よくわかるわー。……って、あたしの因子から生まれた翼だもんね、これは。で、エルちんの翼は全体に神経も血管も通ってるはずだからずっと敏感なのよ」
「そうそう〜。私もあんまり翼を触られるの好きじゃないもの〜」

 と、エミリアの説明に、エルフリーデのものの素体になった翼を持つニーナが同意する。

「うん、ちゃんと感覚もあるみたいね。で、どう? 動かせる? 今、あたしが触ったあたりに意識を集中して、ゆっくり動かしてみて。そーっと……そうそう、そーっとね」
「こ、こうか……?」
「本当に不思議な感じね。背中側に腕が2本増えたみたいな感じかしら?」

 エミリアの声に合わせて、ふたりの翼がゆっくりと動く。
 
「うんうん、大丈夫だね、じゃあ、ちょっと飛んでみようか」

 そう言って短く呪文を唱えると、エミリアも漆黒の翼を生やした姿になった。
 さすがに、ここで練習をするという提案にはエルフリーデが驚きの声をあげる。

「飛んでみるって……ここでか!?」
「そうよ。この広間なら天井も高いしね。だいいち、外は天使たちが見張ってるから屋外練習ってわけにはいかないでしょ」
「それは、そうだが……」
「エルちんだって、飛ぶのに慣れないとシトリーの役に立てないよ。大丈夫大丈夫、それにかけては先輩のあたしがちゃんと教えてあげるから!」
「む……おまえに教えてもらうのはなんか不安なんだがな」
「エルったら、そういうこと言わないの。お願いしますね、エミリアさん」
「う……フレダお姉様がそう言うんだったら、よろしく頼む……」
「じゃあ、エミリアさんの飛翔講座を始めよっか!」

 フレデガンドに窘められて、渋々ではあるがエルフリーデも頭を下げる。
 こうして、急遽エミリアによる講習会が始まることになった。



「ふたりとも、まずは軽く羽ばたいてみて。いい? あくまでも軽くだからね」
「こうかしら? ……きゃっ!?」
「……おわっ!」

 翼を羽ばたかせると、ふたりの体がふわりと浮かび上がる。
 エルフリーデにいたっては、天井にぶつかりそうなほどに高く舞い上がっていた。

「うん、フレダさんはいい感じね。エルちんはちょっと力みすぎだってば。もっと肩の力を抜いて軽く羽ばたくのよ」

 エミリアも、すっとエルフリーデの近くまで飛び上がると、羽ばたき方をゆったりとした動きにしてみせる。
 すると、エミリアの体がふわっと緩やかに沈んでいく。

「ほら、こんな感じで力を抜いて……そうそう」

 エミリアの羽ばたきを見様見真似でエルフリーデも力を抜くと、ふわりふわりとエミリアとフレデガンドのいるところまで降りてきた。

「うん、じゃあ、今度はあたしの羽ばたき方に動きを合わせて……そうそう。ね、わかる? 空中で位置をキープするだけなら、この程度の力加減で十分なのよ。さっきのエルちんは力を入れて羽ばたきすぎなの。まあ、気持ちはわからないでもないけどね。ふたりとも、今、自分たちがなんで飛べてるかわかってる?」
「なんでって……?」
「それは、私たちが翼で羽ばたいてるからじゃないの?」
「うーん、それだけじゃ不正解なんだよね」
「ええっ?」
「どういうこと?」
「そもそもね、あたしたちの体を翼の力だけで飛ばそうと思ったら、この程度の大きさの翼じゃ絶対に無理なの。もっと大きな翼でないとあたしたちの体重を飛ばすことはできないわよ。でもね、そんな大きな翼じゃ、普通の力で羽ばたかせることなんて不可能だしね。鳥なんか体格に比べてずっと翼の大きさが大きいし、そのための筋肉も発達してるのよ。まあ、これはあたしが鳥にも変身できるからわかることなんだけどね。でね、今のこの姿で飛ぶことができてるのは、魔力を使って浮かぶ力を得ているからなの」
「魔力を使って?」
「そうよ。さっきピュラさんも言ってたでしょ、体内に相応の魔力を蓄えていることが望ましいって。なんでかっていうと、あたしたちが今飛んでいるのは、この翼を媒介にして体内の魔力を浮力に変えることで浮いているからなのよ。だから、この程度の羽ばたき方で宙に浮いて体勢を維持することができるってわけ。本当なら、空中でじっとするのは大変なことなんだから。そんなことできる鳥はほとんどいないし、もし、空中で静止していようと思ったらかなりのスピードで細かな羽ばたき続けないと無理なはずよ。まあ、ふたりは初めての経験だし、自分の魔力を使って飛んでるって実感はないと思うけどね」

 エミリアに説明されても、エルフリーデとフレデガンドはいまいちピンときていないようだったが、下ではピュラが感心したように何度も頷いていた。

「さすがにエミリアさんはよくわかってるわね。飛行できる悪魔に関する研究書に、悪魔が飛行できるのはその魔力によってだって書いてあったこともこの種の開発のヒントになってるし、私たち魔導士も短時間なら魔法で飛行することができるけど、それも原理は魔力を浮力に変換することなのよ」
「まあ、あいつだって元天使だしな。それも、かつては天界軍の最前線で難しい潜入任務にも当たってたんだ。普段はおちゃらけたことばっかり言ってるけど馬鹿じゃないさ」

 ピュラと並んでエミリアたちを見上げるシトリーも、思わず苦笑いを浮かべる。
 もちろん、あのふたりが翼を得てもすぐに自在に飛べるわけがないのはわかっていたので、誰かが飛び方を教えてやらなければならないとは彼も思っていたのだが、エミリアがノリノリでエルフリーデたちに講義をしているのが妙に可笑しく感じられた。

 ……もしかしてエミリアのやつ、そこまで考えてわざわざ自分から指導役を買って出たのか?

 ふと、そんな思いが頭をよぎる。
 いずれにしても空中戦の実戦訓練ならともかく、こんな基礎的な飛行訓練の指導はさすがにアナトやマハに任せるわけにもいかなかったので、シトリーとしてはありがたかった。

「……でね、空に浮かぶ浮力は自分が持っている魔力から得ているのはいいとして、問題はその先よ。上昇下降や方向転換、それに加速減速は、羽ばたき方の微妙な翼使いで決まるの。それと、重要なのは空中での踏ん張り方ね。ふたりは今まで地に足をつけて戦っていたから、踏ん張るときは足腰を使う癖が付いてると思うけど、空中では足場なんかないから両足で踏ん張っても意味はないの。そうね……感覚でいうと、翼で踏ん張るって感じかな? でも、これをマスターしないと急停止や急旋回はできないし、そもそも剣を打ち込んだり相手の攻撃を受け止めることもできないから絶対に習得しないといけないわ。とりあえず、これからしばらくは、そういった空中での動き方の基礎を身につける特訓をみっちりとやるわよ」
「ああ、わかった」
「お願いするわ、エミリアさん」

 シトリーたちの頭上では、まだエミリアの講習会が続いている。

 しかし、シトリーにはさっきから気になっていることが、それも、口にせずにはいられないことがひとつあった。

「おい、特訓はいいけどな、エルフリーデもフレデガンドもその格好で続けるつもりか?」
「……え? あっ、あああっ!」
「きゃっ! そ、そういえば……」

 シトリーの声に、顔を真っ赤にしたエルフリーデとフレデガンドが慌てて両腕で胸を隠す。

 ふたりとも、翼を生やす際に邪魔になるからと上半身裸になったままだ。
 そのままエミリアの講習会が始まったので、ふたりは形のいい乳房を露わにした状態で空中に飛び上がっていたのだった。

「ふたりとも、それじゃハーピーかなんかみたいだぞ。まあ、僕は目の保養になったけどな」
「そんな、シトリー様ったら……」
「からかわないでくださいませ……」

 ニヤニヤとシトリーに見つめられて、ふたりはますます恥ずかしそうに体を屈める。
 夜、シトリーの相手をするときはどんないやらしい格好でも平気なふたりも、皆の見ている前ではさすがに恥ずかしいらしい。

 一方、シトリーの傍らではピュラが困惑気味に考え込んでいた。

「でも、困ったわね。この城塞にはそんな設備がないから有翼用の鎧をあつらえることなんかできないし、まさかそのまま戦うわけにもいかないでしょうし……」
「あ、じゃあ、今の翼が生えた状態でも身に着けることができる軽めの胸当てなんかはどう? どのみち、今のふたりには重たい甲冑は飛行の邪魔だしね」
「そうね、私はそれでもかまわないわ」

 と、素早い身のこなしを活かすために普段から軽めの鎧を愛用していたフレデガンドはすぐにエミリアの提案に乗る。

「たしかに、今は飛び方を覚える方が重要だし……飛ぶのに慣れるまで軽めの装備の方が無難なのかもな。……わかった、おまえの言うことに従おう」

 体力にものを言わせて重装備で戦ってきたエルフリーデの方は、少しの間考えた後でその意見を受けいれることにした。

「じゃ、ちょうどいいのを見繕わないとね。動きやすい装備が決まり次第訓練を始めるわよ。ついでだから、もう少し広い部屋に場所を移そうか」
「そうね」
「わかった」

 エミリアの仕切りで、ふたりの装備の選定と訓練の予定が立てられていく。



「あっちはエミリアに任せてて大丈夫だろう。……で、他はどうするんだ? 確かにあのふたりが加わるのはかなりの戦力アップだけど、人数としては全然足りないぞ。他の当てはあるのか?」
「もちろんです。私の見立てでは、元親衛隊だった子たちは種と融合できるのではないかと思っています」
「ああ、なるほどな」

 かつてクラウディアの親衛隊だったメンバーは、そっくりそのままシトリーとクラウディアの護衛部隊としてこの遠征にも同行していた。
 親衛隊の女子たちは、親衛隊長だったフレデガンドがシトリーの手に堕ちてからクラウディアを襲撃するまでの間に、全員がシトリーの手駒に堕ちていたからピュラの言うとおり種と融合できる可能性は高い。

「後は、騎士団の中から適性を持った者を選別するしかないですね」
「そうだな。その作業はおまえとクラウディアに任せる」
「かしこまりました」

 シトリーの指示を受けて、ピュラとクラウディアが広間から退出する。

「それまでにエルフリーデとフレデガンドには飛び方をマスターしていてもらわないと、今度は飛ぶのを教えるやつが足りなくなるな……」

 もう一度、エルフリーデたちの方をちらりと見遣ると、外の状況を確かめるためにシトリーは広間の外へと出て行ったのだった。






* * *







 ――それからさらに半月ほど……。

 その間、城塞に籠もっていた悪魔たちには、それまで以上に目立った動きがなかった。
 むしろ、あまりに静かすぎることに城塞を囲む天使たちも不審に思い始めた頃。



「隊長! 敵が打って出てきました! それも、かなりの人数です!」

 警戒に当たっていた部下の報告を受けて、アブディエルは直ちに総員を迎撃に向かわせる。

 そこで天使たちが目にしたのは、城塞上空で陣形を整えている、少なく見積もっても以前の3倍を越える人数の翼を持った軍勢だった。

「これは、新手か? いや……」

 アルドゥヌムの近くで最初に交戦して、このラドミール城塞に押し込んで以来、敵の飛行戦力は明らかに悪魔とわかる姿のものがほとんどだったというのに、今、目の前に展開されている軍勢には明らかにそれとは違う姿が多数混ざっていた。
 それはいわば、人間に翼を持たせたような……そう、天使の姿を模したような者たち。

「なにか妖しげな術でも使って人間に翼を生やさせたとでもいうのか? それにしても、これは?」

 同時に彼は、その有翼の軍団の動きが緩慢なことも見抜いていた。

「敵の動きは鈍いぞ! 数人で連携を取り合いながらヒット&アウェイで戦え! 機動力ならこちらがはるかに上だ、敵に攻撃の的を絞らせるな!」

 全員に指示を出すと、アブディエル自身も剣を抜いて最前線での指揮に向かった。







 一方、こちらは攻めて出た魔界軍の側では。

「そちらの指揮はあなたに任せてもいいですか?」
「ええ、この分ならそこそこの時間は持ちこたえられそうよ」
「さすがに、奴らを押し返すのは無理ですか」
「それは、こちらの熟練度がこの程度じゃちょっとね……。いくら人数はこちらが多くても、被害を最小限に抑えて時間稼ぎをするのがせいぜいだわ」
「それで十分です。頼みましたよ」
「わかったわ」

 全体の指揮をアナトに委ねて、シトリーは数人を引き連れて全体の戦況を窺う。
 彼に付き従っているのは、エミリア、マハ、エルフリーデ、フレデガンドの4人。

 あれから、ピュラとクラウディアの働きによって、最低限天使たちに対抗しうる人数の飛行戦力を得ることはできた。
 しかし、たかだか10日程度の訓練でそれが天界の軍勢と渡り合える戦力になったわけではないことは彼にもわかっていた。
 それでも敢えてここで打って出たのは、わずかな綻びを求めてのことだった。
 あわよくば、彼が見つけた可能性の、そのきっかけを掴むことができるかもしれないと思い、ここで勝負に出たのだ。



「……いたぞ!」

 注意深く戦場を見つめていたシトリーが、大剣を振るって戦う銀髪の女天使の姿を捉える。
 彼の予想していたとおり、その側には同じ銀色の髪に、女には不似合いな大剣を振るう姿がもうひとつ。

 もともとが、複数で連携を取り合って戦うのが天使の基本戦術だ。
 1対1では相手にし得ない強力な敵を相手にするときはもちろん、今回のように数は多いが細やかな機動力に劣る相手にもその戦い方は有効だった。
 数人でフォローしながら、スピードを活かして攻撃を仕掛けては離脱を繰り返し、味方の損害を抑えつつ敵戦力を削る連係攻撃の訓練は、かつてシトリーもやったことがあった。
 だから、この人数で仕掛けても向こうは逃げずに迎え撃つだろうと踏んでいた。
 まだ飛行戦に慣れているとはいいがたい手勢を繰り出したのも、敵の総員を戦闘に引きずり出すためだ。
 こちらにどれだけ人数がいたとしても、一歩間違えば天使たちのスピードが圧倒してこちらが一気に崩れてしまいかねない危険な賭ではあったが、アナトの指揮統率のおかげでなんとか持ちこたえている。

 そして、シトリーのターゲットはただふたり。
 目を付けていたあの姉妹は、きっとふたり一緒に戦っているだろうという確信があった。

「マハ、あのふたりだ! どちらか一方を押し出すことができるか!?」
「そのくらい、朝飯前でさぁ!」

 シトリーの言葉を受けて、マハが凄まじい速さで敵の中へと突っ込んでいく。
 まるで稲光が走ったかと思うような突破力で突入すると、体ごとぶつけるような一撃を銀髪の女天使に食らわした。

「きゃあああああっ!」

 マハが狙ったのが、妹の方だったのは偶然ではないだろう。
 初めて剣を交えた時と比べたらだいぶ硬さが取れてはいたものの、彼女の方が隙が大きかったのを見逃さなかったのだ。

「アーヤッ!」

 マハに吹き飛ばされた妹をフォローしに、すぐに姉が駆けつけてくる。
 だが、それよりも早くマハは妹の方をさらに押し込んでいく。
 もちろん、姉の方も妹を助けようと追いすがってくる。
 
 こうして、ふたりの女天使は主戦場からかなり引き離された。

「今だ!」

 シトリーの合図で、エミリアたちがふたりの女天使を取り囲む。

「マハ、あっちの相手はおまえに任せていいか?」
「もちろんでさ!」

 シトリーの指示でマハは妹の方から離れ、追いかけてきた姉の前に立ちはだかる。
 前回の経験から、あの姉の方はマハひとりで対処できることはわかっている。
 というよりも、仮にもマハと1対1で渡り合える相手など、他のメンバーではたとえ数人がかりでも抑えられない。

 そして改めて、シトリーとエミリア、エルフリーデとフレデガンドで妹の方を取り囲んだ。

「アーヤッ!」
「ふんっ! てめぇの相手はあたしだってんだよ!」

 姉の方も、マハに阻まれて妹の援護に来ることはできない。


 そのままシトリーたち4人は、妹への包囲をじりじりと狭めていく。

「……っ!」

 シトリーが踏み込む構えを見せると、天使がシトリーの方を向いた。
 おそらく、前回シトリーとエミリアに痛い目に遭わされたためか、少し剣先を立て気味にして攻撃よりも防御を重視した構えだ。
 それに、今回新たに加わったふたりのことを警戒している様子も窺える。

 エルフリーデとフレデガンドのことが気になるのは、シトリーとて同じだった。
 ふたりの飛行技術に、まだまだ改善の余地があるのはシトリーにもわかっている。
 ただ、現時点でふたりの力がどこまで天使に通じるのか見てみたい思いもあった。

 相手の逃げ道を潰すように、囲みをさらに詰めていった、次の瞬間。

「そりゃあっ!」
「くうううっ!」

 鋭い気合いと共にエルフリーデが天使に斬りかかる。
 その攻撃を天使が受け止め、互いに遜色のない大振りの剣が火花を散らす。

「おりゃあああっ!」
「きゃあっ!」

 鍔迫り合いと呼ぶにはあまりにも強引な、力に任せたエルフリーデの押し込みに女天使がよろめいた。
 そこにすかさずフレデガンドが斬りかかってきた一撃を、天使は大剣を片手薙ぎに払い除ける。

 そのまま、エルフリーデとフレデガンドは互いに連携しながら、女天使と斬り結ぶ。



 ……やっぱり、空中では向こうに一日の長があるな。

 目の前で繰り広げられている2対1の戦闘を冷静に観察しながら、シトリーはそう判断を下す。
 だがそれは、やる前からわかっていたことだ。
 常人を超える能力を得ているとはいえ、それまで人間だった者がたかだか2週間程度の特訓で、天使と空中戦をまともに戦えるようになるはずがない。
 それでも、エルフリーデには飛行技術の未熟さを補ってもあまりあるほどのパワーがあるから、こうやって4対1で相手を囲んでいる状況だと強引に力押しで押し込める。
 だが、フレデガンドの方はそうはいかなかった。
 もっと飛ぶ技術を磨かないと、彼女本来の鋭く俊敏な動きを活かした戦い方ができない。
 
 ……あっちもそろそろ準備は整った頃だろうし。

 シトリーは、遙か下方の鬱蒼とした森の方に視線を向ける。

 あまり長引くとアナトの方も厳しくなるだろうし、ここらが仕掛け時かな……。

 エミリアに目配せをすると、シトリーも攻撃に参加する動きを見せる。

「……くっ!」

 さすがに4人を同時に相手にすることは不可能だと判断したのだろう。
 シトリーとエミリアが踏み込んでくる前に、女天使がモーションを起こした。

「はあっ!」
「なにっ!?」

 彼女も、4人の中ではフレデガンドが弱点だと見抜いていた。
 鋭く踏み込んでフレデガンドの剣を大きく撥ね上げ、がら空きになった右脇腹に切り込む。

「フレデガンド!」
「フレダさん!?」

 シトリーもエミリアも、フレデガンドが天使に斬られたかと思った。

 だが、そこに響いたのは鋭い金属音。

 フレデガンドが、撥ね上げられた勢いを殺さず、そのまま左手一本で大きく剣を回転させて天使の一撃をすんでの所で受け止めていた。
 いや、正確には、女天使の剣は数センチほどフレデガンドの脇腹に食い込み、そこから血が噴き出ている。
 咄嗟に回転させた剣の根元の、刃が鋭くない部分を右手で掴んで抱え寄せることで自分の剣を相手の剣に合わせ、かろうじて大剣の衝撃を受け止めて横薙ぎに両断されるのを食い止めたという格好だが、それでも並の人間にできる芸当ではないし、いくら籠手を着けているといえ、掴む場所を少し間違えば右手の指を失いかねない危険な荒技だった。
 実際に、その代償として戦闘続行は不可能なほどの深手を負ったはずだ。

 だが、次の瞬間にフレデガンドが取った行動はさすがにシトリーも度肝を抜かれた。

「ぐふっ……うぉおおおおおおお!」

 自分の剣を手放すと、フレデガンドは左手で天使の剣の柄を掴み、右腕でその刀身を抱え込んでいた。
 籠手は着けていてもその腕の、刃に当たった箇所が裂けて血が滲み、歯を食いしばった口もとからも一筋の血が滴り落ちる、
 そのような状況であるというのに、彼女は楽しげな、いや、恍惚とした表情を浮かべてすらいた。

「……なっ!?」

 予想だにしていなかったフレデガンドの行動に女天使は言葉を失い、一瞬の隙ができる。
 そこに、大きく剣を振り上げたエルフリーデが襲いかかった。

「貴様! よくもフレダお姉様をっ!」

 渾身の力で剣を振り下ろすエルフリーデ。
 ただし、その刀身は寝かせてあった。
 天使を生け捕りにしたいため、峰打ちにしろと事前にシトリーがしていた指示を忘れない程度には彼女も冷静さを残していた。

 だが、峰打ちとはいえ、男でも扱いかねるほどの大剣の刀身は分厚い鉄板に等しい。
 それを、エルフリーデの怪力で思い切り打ち下ろされたのだ。

「きゃああああああああああっ!」

 剣をフレデガンドに抑え込まれたままでは受け止める術もなく、強烈な一撃をまともに食らった女天使の姿は一直線に下方の森へと消えていく。

「アーヤッ!」

 妹が叩き落とされたのを見て、姉の方がマハとの戦闘を放棄してその後を追う。

「追うな、マハ! 後のことは下のやつらに任せておけ!」
「は……はい」

 天使を追いかけようとしたマハを、シトリーが止めた。
 その間に、エルフリーデとエミリアがフレデガンドを心配して両脇から肩を貸す。

「ちょっと、フレダさんったら無茶しすぎだって」
「大丈夫ですか、フレダお姉様?」
「ええ、このくらいの傷なら大丈夫よ。それに、私にとって痛みなんか快感しかもたらさないもの」

 心配するふたりに向かって、フレデガンドが笑顔を見せる。
 その言葉通り、かなりの深手であるにもかかわらず脇腹の傷はゆっくりと塞がりはじめていたし、刀身を押さえた右腕の傷はすでに跡形もなく癒えていた。

「しかし、あまり無茶はするなよ、フレデガンド。いくらその能力があるとはいえ、そんな戦い方をしてると命がいくつあっても足りないぞ」
「申し訳ありません、シトリー様。でも……無茶をしたというか、致命傷を避けるためにはあれが精一杯だったんです。その後のことはもう無我夢中で。……やっぱり、訓練での模擬戦闘とは全然違って、相手のスピードもパワーも段違いで。私の飛行技術がまだまだ未熟なことを痛感しました」
「まあ、今回は僕もそれをわかってて前線に出したからな。今の力でどれだけ天使と戦えて、どのくらい力が足りないかがわかればいい。……じゃあ、おまえたちふたりはエミリアと一緒に城に戻って訓練でもしておけ」
「……って、シトリーはどうするの?」
「僕はマハと一緒にアナトの援護をしてくる」
「だったらあたしたちも行った方がいいんじゃないの?」
「いや、下の連中が上手くやるまでの時間稼ぎだから大丈夫だ。それに、剣を放り投げてしまったからフレデガンドは得物がないだろうが。城に戻るにしても誰かがついてないと危険だしな。ふたりは護衛代わりというわけで、おとなしく戻ってろ」
「まあ、シトリーがそう言うなら」
「申し訳ありません、私が足手まといになってしまって……」
「いや、フレデガンドは気にしないでいい。それに、そう思うなら訓練を積んで早く空中戦に慣れろ」
「かしこまりました」
「で、とりあえずマハ、おまえには存分に暴れてもらうぞ」
「はいっ! 了解でさっ!」

 項垂れたフレデガンドを両側から支えるようにしてエルフリーデとエミリアが城塞に戻っていくのを見届けると、シトリーはマハとふたり並んで、いまだ乱戦を続けるアナトたちが戦っている主戦場に合流していった。






* * *







 一方、森の中では……。

「アーヤッ!」

 森の中に墜落したアーヤを見つけると、サラはその体を抱き起こして妹の名を呼ぶ。
 額から血を流して意識を失ってはいるものの、それ以外には目立った外傷はない。

「アーヤッ! 目を開けて、アーヤッ!」

 何度も繰り返し名前を呼んでいると、妹の目がうっすらと開いた。

「……ん、んん……サラ……姉さま?」
「大丈夫!? アーヤッ!?」
「うん……大丈夫、みたい……つぅっ!」

 体を起こして軽く頭を振ったアーヤが、辛そうに顔を顰める。

「いきなり動いたらだめよ」
「うん……本当に大丈夫……だから……」
「ごめんね、アーヤ。守ってあげられなくて……」
「ううん……私の方こそごめんなさい……。私が弱いから、姉さまの、みんなの足を引っ張って……」
「そんなことないわ。あなたはよくやってるわよ」
「でも……」
「初陣では、本来の力を発揮することはとても難しいのよ。訓練と実戦は全く別物といっていいものだし。でも、あなたは十分に戦える力がある。自分を信じなさい」
「うん……」

 小さな子供に言い聞かせるようなサラの言葉。
 敵と戦っている時の厳しい表情が嘘のように、優しい眼差しを妹に向けていた。



 その時、サラの耳に微かな葉音が聞こえたように思えた。



「アーヤ! 伏せて!」

 瞬時の判断で音のした方向から妹を庇い、盾代わりに自分の剣をかざした。

 カンッ! カンッ! と金属同士がぶつかる音が響き、幾本もの矢が辺りに散らばる。
 だが、いくら幅広の大剣とはいえ全身をカバーできるはずはなく、サラの太ももや腕に数本の矢が突き刺さった。

「……くうっ!」

 サラが、痛みに表情を歪める。

「姉さまっ!?」
「大丈夫よ、この程度……」

 降り注ぐ矢が落ち着くと、妹を安心させるように刺さった矢を引き抜いて笑みを見せる。
 実際、幸いなことにそれほど深い傷はひとつもなかった。

 ……くっ、どこから?
 どこに潜んでいるっていうのよ?

 矢の飛んできた方向から考えて、この森の樹上に敵がいるはずなのに、いくら見回してもその姿は見えない。
 だが、何者かが息を潜めてこちらを見ている気配だけはひしひしと感じる。

 そればかりか、今度は……。

「きゃああああああっ!」

 アーヤの悲鳴が森の中に響く。

「アーヤッ!?」

 見ると、不気味に蠢く蔓草がその手足を絡め取ろうとしていた。

「アーヤッ! ……このっ!」

 サラは慌てて妹に駆け寄ると、剣を振るって蔓草を断ち切っていく。

「大丈夫っ、アーヤッ!?」
「うん、大丈夫……ああっ、姉さま危ない!」
「……っ!」

 咄嗟に、妹の指差した方向に剣を振るうと、蔓草を断つ鈍い感触がした。

「これは?」

 振り向いたサラが目にしたものは、無数に蠢く蔓の群れだった。

「姉さまっ!」
「アーヤ…………あなたはここから逃げなさい」

 駆け寄ろうとする妹を片手で制して、サラはそう言い放つ。

「姉さま……?」
「早くここから逃げるの。全速力で上に飛べば、あなたのスピードなら敵の攻撃を受ける前にこの森から出られるはずよ」
「でも、姉さまは?」
「私は、あなたが安全に森を抜けられるようにここで援護するから」
「そんなっ、姉さまをここに残して逃げるなんてできるわけないわ! 私も戦うからっ!」
「そんなこと言っても、あなたはさっきの戦いで剣を失くしてるじゃないの」
「だけど……姉さまが……」
「早く行きなさいっ、アーヤッ!」

 叱りつけるようなサラの厳しい口調に、アーヤの肩がビクッと震える。

「いい、アーヤ。私を助けようと思ってるんだったら、一刻も早くみんなと合流して応援を連れてくるのが現状では最も可能性が高いの。このままだと、私たちふたりともやられしまうわ。だから、あなたは逃げなさい」
「わかったわ、姉さま……」

 泣きそうな表情で、小さく、それでもはっきりとアーヤが頷いた。

「きっと……きっとみんなを連れてくるから!」
「頼んだわよ。もし、上にさっきの敵がまだいたら、とにかく逃げることに専念しなさい。みんなが戦っている場所まではそれほど離れていないし、あなたのスピードならきっと逃げ切れる。隊長たちのところに近づいてさえいれば、危なくなっても必ずサポートがくるはずだから」
「うん、わかった!」

 意を決したように口を引き結ぶと、アーヤは全速力で飛び上がった。

 その後を追うように伸びた蔓を、サラも翼を羽ばたかせて追い縋り薙ぎ払う。

「……っ!? ……させないわよっ!」

 飛び去っていくアーヤを狙って矢が放たれたのに気づくと、剣を振るい、自らの体を盾にして防ぐ。

 その間に、アーヤは枝葉の間を抜けて飛び上がっていく。

「あの子は……あの子だけは絶対に守ってみせるわ!」

 鬼気迫る表情で飛んでくる矢を打ち払い、襲いかかる蔓を切り捨てる。
 妹の姿が見えなくなっても、その場にとどまって剣を振るい続けた。



 だが、その時突然サラの動きが止まった。



「……うっ!?」

 短く呻くと、そのまま地上に落下する。

「な……に……? どういう……こ……と……」

 剣を杖にしてなんとか立ち上がるが、手足が痺れて力が入らない。




 その時、女の声が聞こえた。

「ようやく効いてきたみたいね」
「……くっ、おまえ……はっ?」

 声のした方を見上げると、樹上で自分を見下ろす、エメラルドグリーンの長い髪を後ろに垂らした女が立っていた。
 蔓草を周囲に従えたその女が漂わせている雰囲気は、明らかに人間のものではない。

 それだけではなく、いつの間に姿を現したのか、弓を構えたエルフたちがサラを取り囲んでいた。

「おまえ、悪魔ねっ!」
「そうよ、私の名前はメリッサ。シトリー様の命令であなたを捕らえに来たの。以後よろしくお願いするわね、女天使さん」
「シトリー……ですって!?」
「そう、シトリー様。私たちの主の名よ。そして、あなたの主となる方の名前でもあるのよ」
「なにを……言っているっ!」
「もちろん、あなたもシトリー様の下僕になるってことよ」
「ふざけるなっ! 誰が……悪魔の下僕に……などっ……うっ! くうううっ!」

 目の前の女悪魔の言葉に激昂したサラだが、全身に力が入らなくなってそのまま地面に倒れ込む。

「本当にたいしたものだわ。痺れ薬の仕込まれた毒矢を何本もその体に受けて、あれだけ動き回れるんだから。でも、もうほとんど力が入らないでしょう? この痺れ薬は、たとえ天使でも効くように私が調合した特別製なのよ」
「ぐっ……ううっ……!」

 もう、舌先まで痺れてきたサラの口は喋ることすらできなくなっていた。
 楽しそうに笑っている女悪魔を、呻きながら睨みつけることしかできない。

「どうやら終わったみたいですね。では、私たちの魔法でこの方を城まで移動させるとしましょうか、メリッサさん。それに、リルやメルたちもご苦労様……」

 その時、またもや新たな声がして今度は長衣を着た数人の人影が現れた。

 その先頭に立っているのは、深い知性を湛えた濃紺の瞳に、淡い水色の髪を長く垂らした細身の少女だ。
 その少女が人間であることはサラにもわかったが、辺りに威を払う凜とした気品を放っているのと同時に、人間離れした妖艶さも漂わせて女悪魔やエルフたちに微笑みかけている姿は、彼女がただ者ではないことを窺わせる。

「お願いします、クラウディア様」

 女悪魔が、少女の名を呼んだ。
 その名は、サラにも憶えのある名だった。

 ……クラウディアですって?
 たしか、あの魔法王国ヘルウェティアの女王にして、幼い頃から天才と謳われた魔導士。
 それほどの者が悪魔の手先になったということなのね……。

 ヘルウェティアが国ごと魔界に降ったという話は、少なからず天界にも衝撃を与えていた。
 今、その国の女王が悪魔と親しげに話している姿は、その事実をまざまざと思い知らさせる。

 暗然たる思いのサラをよそに、クラウディアと呼ばれた少女は穏やかな表情を浮かべていた。
 もっとも、自分を見つめるその瞳には冷たい色が浮かび、射るような鋭さを湛えていたのだが。

「でも、皆を魔法で運ぶ前に、この方には完全に眠っていただくとしましょうか」

 クラウディアが、柔らかな口ぶりで、非情な提案をする。
 その時にはすでに、彼女の手のひらに稲光を放つ光球が現れていた。

「なにをなさるのですか?」
「いえ、ショックで気を失ってもらうだけですわ。動けないとはいえ、先ほどの様子を見ていたらやはり油断はできそうはない方のようですし、それに、意識を失ってもらっていた方が魔法で移動させるのも楽ですから」

 言葉の内容の凶悪さとは裏腹に、優美とすら思える笑みを浮かべながら少女が光球をサラに向かって放った。

「ぐうっ!? ぐむぅうううううっ!」

 雷に打たれたかのような衝撃が、サラの全身を駆け巡る。
 そのまま、サラの視界は一瞬にして暗転してしまったのだった。






* * *







 ――ラドミール城塞。

 あの後、タイミングを見計らって軍を撤収させたシトリーは、メリッサとクラウディアから女天使ひとりを捕らえたとの報告を受けた。
 本当なら、あの姉妹をふたりとも手に入れることを狙っていたシトリーとしては当てが外れた形だが、捕獲したのが姉の方だと知って、初めての戦果としては悪くないと思い直すことにする。
 メリッサたちの話だと、この姉の方が妹を逃がすためにかなりしぶとく粘ったようではあるし、簡単にふたりとも捕らえられるようではあっけないというか、このくらい歯ごたえのある相手でないと手駒にする価値がない。

 そして、シトリーが赴いたときには、囚われの女天使は鎖に繋がれたままでまだ気を失った状態だった。

 ……まあ、気を失っていた方が好都合かもな。

 無抵抗の天使相手にさっそく取りかかろうと、両手から触手を伸ばす。

 しかし、女天使の精神世界に入り込むことができない。

 触手を侵入させようとすると天使の体がぼんやりと輝いて、弾かれてしまう。

「む……これは?」

 触手の数を増やして試みても、虚しく天使の体の表面を這い回るばかりで中に入り込めない。
 その間も女天使の体は淡く白い光に包まれていて、どうやらそれがバリアーのように触手の侵入を阻んでいるらしかった。

「これが、こいつの能力なのか?」

 自分自身がもともと天使であるからこそ、シトリーにはそれが天使全般に備わる力ではないことはわかる。
 おそらく、シトリーの人の精神に干渉する能力やエミリアの変身能力と同様、これはこの女天使だけの特殊能力なのだろう。

 とは言っても、単なるバリアーなはずはないな……。

 マハとやり合った際に、この女天使が手傷を負っているのを目にしている。
 となると、物理的な攻撃を防ぐ力はないのだろう。
 そもそも、相手の精神世界に侵入するこの触手はそれ自体が精神的なもの、もしくは霊的なものといってもいい。

 そうだとすると、外部から精神に対して攻撃なり干渉なりがなされたときにそれを防ぐ力か?
 ……外部から?
 ふむ、そうだな……。

 ふと思いついて、フィオナを呼びにやらせる。




「シトリー様。残っている愛の実はこれで全部です」

 差し出しされた袋の中に残っていた愛の実の粒は、十数粒ほど。
 フィオナの弟子たちを堕とすのに大半を使い、アナトの時にも使ったりもして、もうそれだけしか残っていなかった。

「まあ、こいつが効けば一粒で十分だからな」

 小袋を受け取って、指先で一粒摘まむ。



 その時、繋がれている女天使が小さく呻いた。



「う……ううっ……」
「目が覚めたか?」

 頭を上げた女天使の視線が、シトリーを捉える。

「……おまえはっ!? ここはどこなのっ!?」
「ここはおまえたちが攻めている城の中だ。で、僕の名はシトリーというんだが、というか、僕の姿は戦場でも見てるだろ」
「シトリーだと? その名、あの悪魔が言っていた……。そうか、おまえがこの方面の悪魔どもの司令官だったのか」
「いや、厳密には軍を指揮しているのは僕じゃないがね。それよりも、まずはおまえの名前を教えてもらおうか?」
「ふん、悪魔に名乗る必要などない」
「へえぇ……知らないうちに天使の品位もずいぶんと落ちたもんだ。僕が天界にいた頃は、たとえ相手が悪魔でも自らの名を名乗るくらいの礼儀はわきまえていたものなんだけどな」
「貴様っ、堕天使か!?」

 女天使が、嘲るようなシトリーの言葉に声を荒げた。
 憎しみと侮蔑の入り交じった眼差しで、キッとシトリーを睨みつける。

「だとしたら?」
「かつては天界に身を置きながら、魔界に与して人々を苦しめるなど、恥を知るがいいわ!」
「別に、僕は人間を苦しめているつもりはないけどね。むしろ、僕の下僕になった人間は喜んでいるんじゃないか?」
「詭弁を! 現に悪魔どもが地上を蹂躙して人々を苦しめているじゃないの!」
「それに関しては知ったことじゃないというか、実際に僕がここにいるのは人間を苦しめるためでもないんだがね。まあ、他の悪魔がどうかなんて、僕の関心外だし」
「なっ……恥知らずな奴め!」
「まあ、僕がこうして名乗っているのに、自分は名乗りもしない礼儀知らずにそんなこと言われても恥ずかしくもなんともないけどね」
「くっ……」
「その程度で屈辱に感じるくらいなら名前を名乗ったらどうだい? 無礼な女天使さん」
「くっ……わかったわよ、名乗ればいいんだな。私の名は、サラよ……」

 シトリーの揶揄にプライドを傷つけられたように、サラは己の名前を口にする。
 だが、屈辱に打ち震えながらも、シトリーを睨みつける気丈さは失わない。

「それで、私を捕らえてどうするつもりだ? あの女悪魔は、私が貴様の下僕になると言ってたけど、無駄だわ。私は、貴様などには絶対に降らない」
「そうだな、では、とりあえずこうさせてもらおうか」
「なっ!? ……ぐっ、ぐむむっ!?」

 ふらっとサラに顔を寄せたシトリーが、いきなりその唇を奪った。
 もちろん、事前に口中に含んでいた愛の実を飲ませるためだ。
 そして、突然のことに息を呑んだ拍子に、サラはそれを呑み込んでしまう。

「……んぐっ!? きっ、貴様! なんと破廉恥なっ! ……っ?」

 口づけが終わるやいなや、怒りに燃える目でシトリーを睨みつけて声を荒げるサラの体が、白い光に包まれる。

「……貴様、私になにを飲ませた?」
「さあ、なんのことだ?」
「とぼけても無駄だ。接吻したと見せかけて、なにか薬物を飲ませただろう?」

 全身から淡い光を発しながら問い糾すサラの目は、完全に正気を保っているように見える。
 明らかに、これまで愛の実を飲ませた相手とは勝手が違った。

「言っておくが、なにをしても無駄だ。薬物を飲ませて私を狂わせようとでもいうのだろうが、そんなものは私には通用しない」

 サラの顔に浮かぶ、勝ち誇ったような笑み。
 たしかに、愛の実は全く効いていないようだ。
 それはシトリーも認めないわけにはいかなかった。

「確かに無駄みたいだな。で、おまえのそれはどういう能力なんだ?」
「愚かな。それを言うとでも思っているのか?」
「まあ、聞かなくても見当はつくがな」

 最初シトリーは、この天使の能力は外部から精神への干渉を防ぐことだと思ったが、どうやら外部からだけではなく、飲み込んだ薬物やそれに準じるものを体内に吸収することによって精神に及ぼす効果も防ぐもののようだ。

 だが、メリッサの報告では痺れ薬は効いてたみたいだから、肉体に効果を及ぼす薬物は効くみたいだな。
 物理攻撃は効くのと同じで、肉体への攻撃や干渉は防げないということか。
 反対に、精神に影響を及ぼすものはどんな手段であれ防ぐとなると、それはつまり精神の完全防御……それがこいつの能力。
 ……まったく、いちばん厄介な能力だな、そいつは。

 ん? 待てよ?
 痺れ薬が効くんなら、それ以外の薬も、少なくとも肉体への効果はあるってことだよな?
 それなら、まだ攻め手はあるかもしれないな。
 それに、この能力も無尽蔵に使えるわけじゃないだろうし……。

 腕を組んで考え込んでいたシトリーが、不意にサラに背を向ける。

「どうした? 諦めたか?」
「まさか。楽しみはこれからじゃないか。まあ、今日のところは引き下がるけどね。明日からはじっくりと楽しませてもらうことにするさ」

 そう捨て台詞を残すと、シトリーはサラの繋がれた牢獄から出て行った。

 
 


 

 

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