黄金の日々


 

 

第1部 第8話 5


 翌日。

「それでは、私はこれで護衛の任務を交替させていただきます、クラウディア様」
「ええ。お疲れさま、フレダ」
「はっ!」

 直立不動の姿勢で敬礼をすると、フレデガンドはクラウディアの前を辞す。
 その後ろ姿を、クラウディアは不安そうに見送る。

 確かに、この3日ほど、彼女の前でフレデガンドは明るく振る舞っていた。
 しかし、目の下の隈は消えていないし、疲労の色も隠せない。
 それでも、どこか吹っ切れたようなところもあるのは事実であった。

 こういうことは、解決に時間がかかるものなんでしょうね。

 クラウディアは、フレデガンドの後ろ姿を眺めながらぼんやりとそんなことを考える。
 王家の人間という特殊な立場もあり、また、まだ恋愛の経験のない彼女には、男女の関係がこじれたときにどうすればよいのかということは皆目見当もつかない。
 自分には、ただ、フレデガンドのことを見守ることしかできないことが歯痒くも感じられた。





 一方のフレデガンドの方は、クラウディアが考えているほどに落ち込んではいなかった。
 確かに、クラウディアの思っているとおり、彼女の前では努めて明るく振る舞っていた。
 それに、毎日眠りに就くとあの夢を見てしまうことには変わりはない。夢のことが気になって深く眠れないし、睡眠時間も短い。
 マクシミリアンとエルフリーデのことを考えると、どうしても悪い方向に向かって心が千々に乱れる。

 だが、それも今日までのことだ。そんな予感がフレデガンドにはあった。
 とにかく、今日マクシミリアンに会えば、全てははっきりする。
 そう感じられて、吹っ切れた思いがあったのも事実だった。

 とにかく、マックスに会わないと。

 マクシミリアンと約束していた時間までもう間もなくだ。
 宮殿から騎士団の隊舎へと抜ける小道を、フレデガンドは足早に急いでいた。





 そして、茂みの向こうに騎士団の厩舎がちらちらと見え始めた、その時。

「フレダ」

 陰から姿を現した者が自分の名を呼んだ。
 それは、彼女にとってはよく知っている聞き慣れた声。

「マックス?」

 声のした方を向くと、やはり、そこにあったのは紛れもなく恋人の姿だった。
 
「ひょっとして、迎えに来てくれたの?」

 フレデガンドが近づくと、マクシミリアンもゆっくりと歩み寄ってくる。

「ああ、フレダ」
「ちょっと、マックス?」

 手の届く距離まで近づくと、マクシミリアンが腕を広げて抱きしめてきた。

「フレダ……」
「やだ、きついわ、マックス」

 恋人にきつく抱きしめられながら、言いようのない違和感にフレデガンドは戸惑いを感じる。
 自分を抱いているこの感触、確かにマクシミリアンのものなのに、普段と雰囲気が違う。
 いつもは饒舌な彼が、今日は自分の名前を呼ぶだけで、他に何も言わない。それに、その、自分の名を呼ぶ口調すらも抑揚が感じられない。

 それに、さっきの表情……。

 さっき現れてから、マクシミリアンはいつも彼女に見せる眩しい笑顔を見せていない。
 それどころか、抱きしめてくる前に見たマクシミリアンの表情には、一切の感情が感じられなかった。
 しかし、それなのに、こうして固く抱きしめている。

 いったいどうしたっていうの?

「ちょっと、離してよ」

 それでも、マクシミリアンがふざけているのかと思って、軽く相手の体を押す。
 だが、がっしりと抱きしめられて押し離すことができなかった。
 それに、自分を抱きしめたまま、彼は何も喋ろうとしない。

「ねえ、ちょっと」



 さすがに、これはただごとではないと思い始めた時。



「危ない!フレダ!」

 また、自分を呼ぶ声が聞こえた。

 これは、マックスの声?

 フレダが、今自分を抱きしめているマクシミリアンの肩ごしに声のした方を見ると、そこにいたのも紛れもなくマクシミリアンだった。

 どういうこと?マックスが……ふたり?

「危ない!そいつから離れるんだ!フレダ!」

 混乱しているフレデガンドに向かって、後から現れたマクシミリアンがもう一度叫ぶ。

 どういうこと?マックスがふたりいるなんて……?
 あれが本物のマックス?ということは、今私を抱いているのは?

「偽物っ!?」

 渾身の力を込めて体を相手から引き剥がすと、フレデガンドは大きく跳び退いた。

「おまえはいったい!……はっ、そういうことね!」

 マクシミリアンが、ふたりいる。そんなことはあり得ないことだ。
 しかし、今、自分の目の前に立っている男は、見た目は間違いなくマクシミリアンそのものだった。そして、向こうで自分に警告を発したのも。 
 だが、だからこそ、その相手の姿を見つめていると、フレデガンドにはこれまでの全てのことが繋がったような気がした。
 もちろん答えは最初から決まっている。片方が本物で、もう片方が偽物に違いない。

 あの時、市場でエルフリーデと一緒に歩いていたマクシミリアンと、騎士団の隊舎の前と、ふたりのマクシミリアンがいたのもこれで説明がつく。
 フレデガンドとふたりで会うとき、彼の様子がいつもと変わりがなかったのは、それが本物のマクシミリアンだったからだ。
 だが、その陰で偽物のマクシミリアンがエルフリーデをたぶらかしていたのだ。
 エルフリーデが特に変わった素振りを見せなかったのは、きっと、裏で偽物に上手いこと言われていたからに違いない。

 そして、今度は自分を狙ってきた。

 相手が魔物なのか、魔導師なのか、それはフレデガンドにもわからない。
 ただ、何者かがマクシミリアンになりすまして純真な後輩を騙し、今度は自分にまで食手を伸ばしてきた。
 何が狙いかはわからないが、こうやって騎士団の中に混乱の種を蒔こうとしているからには、この国に害を為すつもりなのに違いない。

「赦せないわ……」

 偽物のマクシミリアンを睨み付け、フレデガンドは低く呟いた。
 怒りの炎が自分の中で燃え滾り、食いしばった歯がぎりり、と鳴る。

 騎士団に、そしてこの国に害を為す行いはもちろん赦せない。
 だが、もっとも赦せないのはそのやり口だ。
 あろう事か、自分の恋人の姿を借りて可愛い後輩をたぶらかした。
 そして、その姿のままで、今、自分の前に立っている。愛する者の姿を借りて相手の油断を誘うなど卑劣極まりない。
 さらには、本物のマクシミリアンが姿を見せたこの期に及んで、なお本来の姿を現さず、恋人の姿をしているのは自分を馬鹿にしているとしか思えなかった。

 それに、考えてみれば、毎日見ていたおかしな夢も、この偽物が妖しげな術で見せていたのに違いない。
 そうでなければ、寝るたびにあんな夢を見るはずがないのに。

 考えれば考えるほどはらわたが煮えくり返り、憎悪に満ちた視線で目の前の敵を睨む。
 フレデガンドは、ごく当然のように、最初に姿を見せて自分を抱きしめてきた方を偽物だと思い込んでいた。

 しかし、自分を騙すつもりなら本物のマクシミリアンとして振る舞わなければならない。
 さっきのように、無表情のままいきなり抱きしめてくるなどという、明らかに不審な行動をとるはずがない。
 そんなことは、冷静に考えたらすぐにわかることであるというのに。
 だが、連日の睡眠不足に加えて彼とエルフリーデのことで思い悩んでいたことによる精神的な疲労と、怒りに我を忘れていることがフレデガンドから冷静な判断力を奪い去っていた。

「よくもっ、エルフリーデをたぶらかしてっ、今度は私にまで!」

 フレデガンドは怒りにまかせて剣を抜き放つと、偽物に向かって突きを放つ。
 完全に逆上していた彼女には、自分に害を為そうというには相手の動きが不自然に鈍いことに気づく余裕はなかった。

「がっ、は!」

 剣が突き刺さった瞬間、偽物が苦しげに目を見開いて呻く。
 だが、フレデガンドは容赦しない。

「よくもっ、マックスの姿を騙るなんて真似を!」

 腹から胸へ、突き上げるようにして剣で抉ると、偽物の体がみるみる血に染まっていく。
 そして、ようやく剣を抜くと、血しぶきをあげながら偽物は力なく地面に倒れ伏した。

「やったわよ!ありがとう、マックス!」

 偽物の返り血を浴びて自分も真っ赤に染まりながら、フレデガンドは、さっき警告を発して自分の危機を救ってくれた本物のマクシミリアンの方を見る。

 だが、そこには誰もいなかった。

「……え?」

 さっきまで確かにそこにいたはずなのに、彼の姿がそこにない。
 思わずきょろきょろと周囲を見回すフレデガンド。

「ちょっと、どこに行ったの?マックス?」

 だが、辺りを見回してもどこにも恋人の姿は見あたらない。

「ねえ、マックスったら?」

 彼が、こんな状況でどこかへ立ち去るような性格ではないのは彼女自身がよく知っていた。
 むしろ、彼自身が怒りに燃えて偽物に襲いかかってきてもおかしくはないくらいなのに。




「マックス?どうしたの?マックス!?」
「どう……して……なんだ、フレダ……」
 
 不安に駆られてフレデガンドは恋人の名を呼び続ける。
 すると、周囲を見回していた彼女の足下から声が聞こえた。
 そこにいるのは、血塗れになって倒れている偽物のはずだった。
 フレデガンドが見下ろすと、偽物のマクシミリアンは、哀しさとも、悔しさともつかない瞳で彼女を見上げてきた。

「ちょ、ちょっと……?」
「フレダ……なんで……俺を……?」

 一瞬瞳に宿った、その、鋭く人を射るような眼光は、フレデガンドがよく知る騎士団長としてのそれだった。
 偽物であるはずの相手に本物の恋人の面影を感じて、混乱したまま立ちつくすフレデガンド。
 だが、すぐに足下のマクシミリアンの瞳から光が失せたかと思うと、そのままがくりと顔を伏せる。
 そして、もう二度と動く気配はない。

 フレデガンドは、茫然としてその姿を見下ろすことしかできなかった。
 だが、足下の相手は完全に息絶えたのか、ピクリともしない。

「うそ、どうして……?」

 もし、魔物や魔導師が姿を変えていたのなら、死んでしまえばもとの姿に戻る。
 それくらいのことは、フレデガンドも知っていた。
 だが、目の前の死体は恋人の姿を保ったままだ。

「……マックス?」

 どうして?こいつは偽物じゃなかったの?
 なんで姿が変わらないの?じゃあ、こっちが本物のマックス?
 さっき私に声をかけてくれた彼はどこにいったの?
 まさか、幻?あんなにはっきりと声が聞こえたのに?

 そんな……わたし……マックスを……殺して、しまった?

 足の力が抜けて、がくりとその場に膝をつくフレデガンド。

 だが、次の瞬間、狂ったように叫びながら血塗れの亡骸を抱き上げた。

「マックス!ねえっ!どういうことなの!?マックス、マックス!?」

 返り血を浴びて自らも鮮血に染まったまま、フレデガンドは恋人の名を呼び続ける。

「お願い!目を開けて、マックス!お願いだから、ねえっ!」

 しかし、いくら恋人の体を揺すり、何度呼びかけても、死んでしまった相手が目を開くはずもない。
 それでも、半狂乱になりながら恋人の名を呼び続けるフレデガンド。

「マックス!お願い、起きて!マックス!ねえ、マックスったら!……あ」

 不意に、意識が遠のいて、そのままフレデガンドはその場に倒れ伏す。

 その足に、棘のある蔓草が巻き付いていた。



「ふふふ、剣の腕は立つかもしれませんけど、足下がすっかりお留守でしたよ」

 そう言って姿を現したのはメリッサだった。
 彼女の操る蔓草に眠らされて、フレデガンドはその場に昏倒したまま微動だにしない。

「はい、これで大丈夫です、シトリー様」

 メリッサのその言葉に、シトリーとニーナも姿を現す。




「おい、もう出てきてもいいぞ」
「はいはい〜」

 さらに、シトリーに呼ばれて、木陰から黒猫が姿を現した。もちろんエミリアだ。
 さっき、本物のマクシミリアンの振りをしてフレデガンドに警告を発したのは彼女だった。
 反対に、フレデガンドが偽物と思い込んで自分で手にかけたのが、シトリーに操られた本物のマクシミリアンだったのだ。

 そして、エミリアに続いてもうひとり、エルフリーデも姿を現した。
 シトリーたちの方に歩み寄りながら、エルフリーデはマクシミリアンの死体を一瞥する。
 醒めた眼差しで自分の上司の骸を見遣るその表情は、何らの感慨をも催していないかのように冷ややかだった。

 エミリアは、シトリーのすぐ側に来ると、くるりと身を翻して人型に戻る。

「じゃ、頼むぞ、エミリア」
「おっけー」

 エミリアがシトリーに向かって手をかざし、目を閉じて集中する。

 すると、シトリーの姿がゆっくりと変化し始めた。
 細身の体が、がっしりとした筋肉質の体格へと変わり、頬から顎にかけて縮れた髭が覆っていく。

「はい。騎士団長さんのできあがり、と」

 エミリアが目を開いて、ふう、と息を吐く。
 さっきまでシトリーの姿があった、そこに立っているのは、騎士団長マクシミリアンだった。

「よし。じゃあ、マクシミリアンの部屋に案内しろ、エルフリーデ」

 そう言うと、マクシミリアンの姿をしたシトリーは倒れているフレデガンドの体を抱え上げた。

「あっ、それでは血が付いてしまいます、シトリー様」

 エルフリーデが慌てて近寄ってくるのをシトリーは目で制する。

「構わないさ。むしろ僕が血塗れの方がこいつへの心理的ダメージが大きいんじゃないか。ああ、それと、この死体の処理を頼むぞ、メリッサ」
「かしこまりました」
「さあ、早く案内しろ、エルフリーデ」
「はい」


 エルフリーデが先に立ち、その後をフレデガンドを抱いたシトリーとエミリア、ニーナが続く。


 その場にひとり残されたメリッサが、何か呪文のようなものを唱えると、草や灌木が伸びてきて、マクシミリアンの死体を包み隠していく。
 それらの草たちは、死体を糧としているのか、隙間から見える死体がみるみる白骨化していくのがわかる。
 そして数分後、そこには中の様子が窺えないほどの鬱蒼とした茂みができあがっていた。





 一方、こちらは騎士団の隊舎。

 フレデガンドを抱いたまま、マクシミリアンの姿をしたシトリーたちは誰にも咎められることなく隊舎の中に入ることができた。
 それは、彼がマクシミリアンの姿をしているためではなく、ひとえに騎士団の大半が彼の駒となっていたからである。
 エルフリーデの案内で騎士団長の部屋に入ると、シトリーはフレデガンドを部屋の中にある簡素なベッドに寝かせた。

「それじゃあ頼むぞ、ニーナ。とびきりの悪夢をこいつに見せてやれ」
「はい〜、了解です〜」

 ニーナが、舌なめずりをしてベッドに横たわっているフレデガンドを見下ろす。
 緊張感の感じられない返事とは裏腹に、その横顔はぞっとするほどに冷酷な笑みを浮かべていた。





* * *






「フレダ!おい、フレダ!」
「……ん、んん?マックス?」

 自分を呼ぶ声にフレデガンドが目を開けると、マクシミリアンが心配そうに自分の顔を覗き込んでいた。

「お、目が醒めたか?フレダ」
「マックス!あなた、無事だったの!?」

 フレデガンドは慌てて起きあがると、マクシミリアンの肩を掴んだ。
 しかし、マクシミリアンは、表情を曇らせて顔を背ける。

「どうしたの?マックス?」

 そう訊ねても、マクシミリアンは黙ったまま何も答えない。
 だが、しばらくしてゆっくりとフレデガンドの方に向き直った。

「マ、マックス……」

 改めてその姿を見て、フレデガンドは言葉を失う。
 自分の方に振り向いたマクシミリアンの胸から腹にかけて、一面に血で赤く染まっていた。

 しばしの沈黙の後、ようやくその口が開く。

「無事ではないよ、フレダ。だって、俺はおまえに殺されたんだからな」

 そう言ったマクシミリアンの口から血が一筋流れ落ちる。

「あ、ああ……」

 フレデガンドは体を小さく震わせたまま、言葉を発することができない。
 その肩を、ふらつきながらマクシミリアンが掴み、顔を寄せてくる。

「フレダ、どうして俺を刺したんだ?」

 マクシミリアンの恨みがましい表情がフレデガンドの視界一杯に広がった。

「あ……。いやあああああああああああぁっ!」

 フレデガンドは、その場にしゃがみ込むと、固く目を瞑り頭を抱える。

「ごめんなさい!赦して、マックス!ごめんなさいっ、ごめんなさいいいっ!」

 ひたすらにマクシミリアンに赦しを乞うフレデガンド。
 そうして、血塗れの恋人の姿から目を背けるように、固く目を閉じたまま叫んでいるうちに、次第に彼女の意識は遠のいていった。






「う、うう……。はっ!?」

 意識が戻ると、剣を持って立っている自分がいた。

「う、フレ、ダ……」
「マックス!!」

 目の前にマクシミリアンが立っている。
 そして、自分が持っている剣の先は、恋人の体に突き刺さっていた。

「フレダ、どうし…て、俺を……?」
「いや、マックス!違うの!」

 恨めしそうにマクシミリアンが自分を見つめている。
 フレデガンドは大きく頭を振り、剣を抜こうとするが体が動かない。

「どうして……俺を、刺し…たんだ……?」
「ごめんなさい!ごめんなさい!」

 泣きながら赦しを乞うフレデガンド。
 その目の前で、マクシミリアンの体が溶けるように崩れ始める。

「うう……フレ…ダ」
「いやああああっ!ごめんなさい!赦して、マックス!うああああああっ!」

 泣き叫ぶフレデガンドの目の前で、恋人の体がドロドロに溶けて崩れ去った。
 そして、その跡に大きな血溜まりだけが残される。

「いやああああああっ!マックスううううっ!!」
「フレダ……フレダ……」

 その体が溶け去っても、自分の名を呼ぶその声だけが残っていた。
 だが、それもゆっくりと遠ざかっていくのがわかった。

「いやっ!行かないでっ!マックス!お願い!」

 遠ざかっていく声に向かって、涙をぼろぼろと流して叫ぶフレデガンド。
 だが、自分の名を呼んでいた声は次第に聞こえなくなり、暗闇の中に彼女だけが取り残されていた。






「フレダ。おい、フレダ」
「……マックス?」

 気がつくと、マクシミリアンの声が聞こえた。

 フレデガンドが目を凝らすと、少し離れたところに彼が立っていた。

「マックス!」

 マクシミリアンに向かってフレデガンドは駆け寄っていく。
 だが、走っても走っても彼の所まで辿り着けない。
 それどころか、その姿が、すーっ、と遠のいていくようにすら思えた。

「待って、マックス!」
「俺はもう行かなくちゃならない」
「どういうことっ!?」
「だって、俺はおまえに殺されたんだからな」
「いやああっ!ごめんなさい、ごめんなさい、マックス!お願いだから行かないで!」

 遠ざかる恋人の姿を追いかけながら叫ぶフレデガンドの目から、また涙がこぼれてきた。

「死んだ者はこの世にはいられない。全部おまえのせいだ」
「ごめんなさいいいいいっ!お願い、行かないでっ!何でもするからっ!マックスううううっ!」

 声を限りに叫んで追いかけても、マクシミリアンの姿はどんどん小さくなっていく。

「俺はおまえを絶対に赦さない……」
「ごめんなさい!ごめんなさいっ、マックス!お願いっ、行かないでええええええっ!」

 何度も謝罪の言葉を口にしながら、必死で追いかけるが追いつけない。
 やがて、マクシミリアンの姿は完全に見えなくなった。

「マックスううううううううっ!」

 虚空に、恋人の名を呼ぶフレデガンドの絶叫だけが響いていた。






「フレダ、どうして俺を刺したんだ?」
「ごめんなさい、ごめんなさい!」
「おまえのせいで俺は……」
「お願い、赦して!」
「これでおまえとはお別れだ」
「いやあああっ、行かないで!お願いだから!」
「それもこれも全ておまえのせいだ」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」









 もう、何度マクシミリアンに謝り、詫びただろうか……。
 どれだけ赦しを乞い、去らないように願っただろうか……。

 ごめんなさい、本当にごめんなさい。

 フレデガンドは、真っ暗な中を当てもなく彷徨い歩いていた。

 どこにいるの、マックス?
 お願い、行かないで。
 あなたのためなら、私の命をあげてもいい。
 だから、行かないでマックス。

 どれだけの時間歩き続けたのか。
 もう、長いことマクシミリアンの姿を見ていない。
 たとえ自分を怨んでいてもいい。一目でいいから彼に会いたい。
 フレデガンドは、恋人の姿を探してただ歩き続けていた。

 ごめんなさい、マックス。
 私が、私があなたの命を奪ってしまった。
 もう、あなたに赦してもらえなくてもいい。
 でも、もしあなたが戻ってくるのなら、私、何でもする。
 もし、あなたを生き返らせるために私の命がいるのなら、私は喜んで自分の命をあなたにあげる。
 だから、だからお願い、戻ってきて、マックス。

 恋人の姿を求めてふらふらと歩き続けるフレデガンド。
 すでに、心はぼろぼろに擦り切れ、涙は涸れ果てていた。

「あっ!」

 その時、フレデガンドは何かにつまずいた。

「マックス!」

 自分がつまずいたのが、マクシミリアンの体だと気づいてしゃがみ込む。

「マックス!、ねえっ、マックス!」

 よく見ると、恋人の体は血塗れで、揺すってもピクリとも動かない!

「マックス!お願い、起きて!マックスったら!」

 いくら呼びかけても、マクシミリアンの目は開くことはない。

「やっぱり、死んじゃったの?私のせいで……」

 フレデガンドは、恋人の亡骸を下に降ろすと、自分の剣を引き抜く。

 全部私のせいだ。私が彼を殺してしまった。
 もうだめ、私も生きていられない。
 そうだわ、死んだらマックスに会える。
 会って、彼に謝らないと……。

 剣を自分の胸に当てると、フレデガンドはひと思いに力を込めた。

「ぐっ、ぐふっ!」

 その瞬間、彼女の体を、灼けるような痛みが貫いた。

「ぐっ!うううううっ!」

 痛みに顔を歪めながら、それでも剣を捻って自分の体を抉る。

 くっ、痛い、この痛みをあの時彼も感じたのね。
 ごめんなさい、ごめんなさい、マックス……。

 剣が体を突き抜けている感触。
 じんじんと痺れ、火で焼かれる感覚にも似た痛みの中、フレデガンドはぎゅっと目を閉じ、恋人に向かって詫び続ける。
 だが、いつまで経っても意識ははっきりしたままで、死ぬことができない。

 どうして?どうして死なないの?
 こんなに痛いのに、どうして私は死ぬことができないの?

 もう、全身が麻痺したようになって、痛いのかどうかすらわからない。

 その時。

「フレダ」

 マクシミリアンの声がした。

「え?」

 フレデガンドが目を開けると、すぐ目の前に横たわっているマクシミリアンが目を開いてこちらを睨み付けていた。

「マ、マックス?」

 よかった、生きてたんだ……。

 彼が生きていた嬉しさに、自分の身を灼くような痛みすら吹き飛んだように思えた。

「ぐっ、あがっ!?」

 だが、マクシミリアンがゆっくりと手を伸ばすと、フレデガンドの首を絞めてきた。

「マックス!?ど、どうして!?」
「自分が死んで、それで赦されると思うのか、フレダ?」

 マクシミリアンは、フレデガンドの首を締め付けながら冷酷に言い放つ。

「あっ、がっ!ご、ごめんなさい!ぐふっ、ごめんなさい!」

 恋人に向かって必死に謝りながら、首を絞められる苦しみと、剣で体を貫いた痛みに気が遠くなってくる。

「ごめんなさい!ごめんなさい!マックス」

 遠のく意識の中、フレデガンドはマクシミリアンに謝り続ける。

 でも、これで私も死ぬことができるの……?

 最後まで恋人に向かって詫びの言葉を述べながら、フレデガンドの意識は闇に閉ざされていった。





* * *






「フレダ!目を覚ませ、フレダ!」
「ん、んん……」

 誰かが私を呼んでる。
 この声は……マックス!?

「んん、マックス!」

 フレデガンドが目を覚ますと、すぐ目の前にこちらを覗き込んでいるマクシミリアンの顔があった。

「お、目が覚めたか、フレダ?だいぶうなされてたけど、悪い夢でも見たのか?」
「……夢?そうだったの?」

 そういえば、ここは隊舎の騎士団長の部屋?
 そうか、私、ずっと夢を見ていたんだ。
 じゃあ、マックスが死んだのも、全ては夢の中でのことなのね。

「そうか、夢だったのね。本当にひどい夢。私があなたを刺すなんて、そんなことあるわけないものね」
「……」
「あ、ごめん!気を悪くしないで!夢の中だからって本当にひどい話よね」
「……」
「マックス?」
「……」
「どうしたの?」

 ずっと黙ったままの恋人の顔を、フレデガンドは怪訝そうに見つめる。

「フレダ、それは夢じゃないよ」
「え?そんな?……あっ!」

 マクシミリアンの体を見たフレデガンドが絶句する。
 恋人の服には剣で裂かれた跡があり、そこは一面血塗れになっていた。

「マ、マックス……」
「ああ。間違いなく俺はおまえに刺されて、そして死んだ」
「そんな、マックス!?」
「ごめん、フレダ。俺はもう行かなきゃならない」

 それは、夢の中で何度も聞いた言葉。
 だが、夢の中でのように、彼はフレデガンドのことを責めたり詰ったりしなかった。
 いま、確かに彼は、ごめん、と彼女に謝ったのだ。

「い、いや、マックス……」

 フレデガンドは、だだっ子のように頭を振る。

「でも、わかっているだろう、フレダ。死んだ人間はこの世にいることはできないんだ」
「いやっ、いやよ!行かないで、マックス!」
「聞き分けのないことを言わないでくれよ、フレダ!」
「お願い、行かないで、マックス!あなたが行かないでくれるなら私、何でもする!」
「そんなこと言っても、フレダ」
「あなたに私の命をあげる!私の全てをあなたに捧げるからっ、お願い、行かないで!」

 恋人にしがみつき、必死に懇願するフレデガンド。
 その時、彼の口調が少し変わったような気がした。

「本当かい、フレダ?」
「……え?」

 思わず、フレデガンドはマクシミリアンの顔を見上げる。

「本当にきみの全てを捧げてくれるのかい?」

 恋人が、真剣な顔でフレデガンドの顔を見つめていた。

「ほ、本当よ!あなたが行かないで済むんだったら、私の体も、心も、そう、命も全部あなたに捧げるわっ!」
「ありがとう、フレダ。じゃあ、きみの全てを僕に捧げてくれ」
「……あ」

 不意に、マクシミリアンの瞳が輝いたような気がした。
 フレデガンドは言葉を失い、恋人の瞳を見つめたまま、視線を逸らすことができない。

「もう一度言ってくれるかな、フレダ。僕はきみの最愛の人で、僕のためなら、身も心も、そう、自分の全てを僕に捧げると」
「……はい。あなたは、私の、最愛の人、です。あなたの、ためなら、私はあなたに、身も、心も、自分の、全てを、捧げ、ます……」

 金色に光る瞳を見つめたまま、フレデガンドは抑揚のない口調で相手に己の全てを捧げることを誓う。

「ありがとう。だけど、僕がきみに刺された痛みの分だけ、きみは僕に償わなければならない。だからこうしよう。きみは、痛みを与えられながら僕に言われたことには逆らえない。痛みと共に僕に言われたことはその通りになってしまうよ」
「私は、痛みを、与えられながら、あなたに言われた、ことには、逆らえません。痛みと共に、あなたに、言われたことは、その通りに、なってしまいます……」

 フレデガンドがそこまで言うと、相手の瞳の輝きが弱くなっていく。

「ありがとう、フレダ」
「……あ、ああ?」

 輝いていた瞳の輝きが収まると、フレデガンドは我に返った。
 そして、ぼんやりと自分の前にいる相手を見つめる。
 そこにいるのは、黒髪に金色の瞳の若い男。

 あ、れ?何か感じが違うような気がするけど?
 確か、あの人は髭を生やしていたと思っていたのに?
 え?あの人って誰?
 そうよ、この人は私の最愛の人で、私はこの人に自分の全てを捧げたんだから。

 フレデガンドは、自分の中の違和感を振り払う。
 今目の前にいる相手は、間違いなく愛おしい自分の恋人で、自分はこの人に自分の身も心も捧げたのだから。

「んっ!?んむむっ!」

 いきなり、相手が自分の唇を塞いできた。

「むむっ!んんっ、んふう!ん…んはあ。ちょ、ちょっと」

 唇を解放されて、フレデガンドが少し拗ねたように抗議の声をあげる。

「だって、きみの体は僕のものなんだろう?だったらキスくらいしてもいいじゃないか」
「それは、そうだけど……」
「だから、こういうことだってしてもいいはずだ」
「きゃっ!なんなの!」

 恋人が、フレデガンドの体を起こすと四つん這いにさせた。
 そして、親衛隊長の装飾付きのズボンに手をかけて尻を剥き出しにさせると、いきなりピシャリとはたいた。

「痛いっ!何するのよ!?」
「痛い?僕はきみに剣で突き刺されたんだよ」

 そう言うと、恋人はまたピシッ、と尻をはたく。

「あうっ!そ、それはそうだけど!」

 そ、そうだわ、私はこの人を刺し殺してしまったのに。

 自分の恋人を殺してしまった記憶は生々しく残っている。
 それに、さっきの夢の中での悲しみと苦しみも。

 あ、れ?でも、さっき私が刺したのは?
 そう、あの人には確か髭が……。

「ああっ!」

 また、尻を叩かれてフレデガンドは叫ぶ。

「きみに刺されたときの痛みはこんなものではなかったよ」
「あうっ!」

 そうよ、この人が私の恋人じゃない。
 最愛の人で、私の身も心も全て捧げて、そして、私が刺し殺してしまった人……。

 さっき、自分が刺してしまったのは間違いなくこの人だ。
 この、黒髪に金色の瞳の人は、確かに自分の恋人なのに、なぜそんな違和感を感じたのか不思議に思えてくる。

 すると、さらに続けて、ピシリ、と尻を叩かれる。

「ああっ!ごめんなさい!」

 フレデガンドは、反射的に謝罪する。

「僕の痛みはこんなものではなかったぞ!」
「あうっ!ごめんなさい!ごめんなさい!」
「僕は、きみの最愛の人ではなかったのか!?」
「あううっ!そうっ、その通りよ!」
「きみは、僕に自分の全てを捧げたんじゃなかったのか!?」
「いああっ!そうっ、そうです!」

 一言ごとに、ピシリ、ピシリと叩かれて、立て続けに尻に痛みが走る。
 そのたびに、恋人に謝罪し、その言葉を肯う。
 自分の尻がひりひりと熱くなり、腫れてきているのが自分でもわかる。

 フレデガンドは、尻を叩かれるたびに自分の中から何か大切なものが失われていくような気がしていた。
 しかし、その失われてしまったものがいったい何なのか、自分ではわからない。
 それがわかっているなら、きっとそれはまだ失われてはいないのだ。消え去ってしまったもののことが彼女自身にわかるわけがなかった。
 ただ、忘れてはいけない大切なものをなくしたような気がして、一抹の哀しさと寂しさが去来する。
 だが、それも束の間のこと。
 次第に、彼女は自分が何かを失ったということすら忘れ去ってしまう。
 それに、尻を叩かれる痛みと共に、自分の中が何か新たな感覚で満たされていくように思えた。
 そうしているうちに、いつしかフレデガンドの中から、本物のマクシミリアンの面影が消え去っていた。

 と、不意に尻を叩く手が止まった。

「……あ」

 思わず振り返ったフレデガンドを、相手の金色の瞳が見つめていた。

「だったら、僕の名前を言ってみるんだ、フレダ」
「え?そんなの……」

 簡単よ。と言いかけてフレデガンドは言葉に詰まる。
 今、自分を見つめている相手の、自分の恋人の名前が出てこない。

 そんなはずはないのに。さっきまで普通に名前を呼んでいたはずなのに。

 その、黒髪に金色の瞳という容姿と一致する名前がどうしても思い浮かばない。

「どうした?言えないのか?」
「あ、う、ああ……」

 今まで、ずっと名前で呼び合っていたはずなのに、それだけが記憶からすっぽりと抜け落ちてしまったように恋人の名前が出てこない。

「きみは、自分の恋人を刺し殺してしまった上に、その名前まで忘れてしまったのか?」

 そう言うと、彼はさっきよりも強く尻をはたいた。

「いああああっ!ごっ、ごめんなさいっ!」
「それで、よく僕のことを最愛の人だとか、自分の全てを捧げたとか言えたものだな」
「ひくうっ!」
「さあ、こういうときに何か言う言葉はないのか?」
「あううっ!ごめんなさいごめんなさい!」
「きみは謝るしか能がないのか!?」
「あああっ!ごめんなさい!私はっ、大事な恋人の名前を忘れてしまう馬鹿な女です!ですからっ、私にあなたの名前を思い出させて下さい!もう二度と忘れないように、私の中にあなたの名前を叩き込んでくださいいいいっ!」

 尻を強く叩かれる痛みを何度も感じながら、フレデガンドは恋人に向かって必死で乞う。

「わかった。じゃあ僕の名前を言うから、もう絶対に忘れるんじゃないぞ!」
「はいいいいぃっ!絶対に忘れません!だからっ、だからお願いしますっ!」
「僕の名前はシトリー!おまえが全てを捧げた相手の名前だ!」
「はいぃ!シトリー!もう忘れません!私の愛するシトリー!あっ、いああああっ!?」

 恋人の名前を頭に叩き込もうとして叫ぶと、フレデガンドはいっそう強く尻を叩かれた。

「ど、どうしてっ、シトリー!?ああっ、はううっ!」

 驚いて振り向こうとしたら、また強く尻を叩かれる。

「おまえは、自分の全てを捧げた相手を呼び捨てにするのか!?」
「いっ、ひいいっ!」
「身も心も、自分の全てを捧げるってことは、おまえは僕のもの、つまり、僕の所有物ってことだ!」
「あうっ、はいいっ!」
「僕の所有物ってことは、僕の奴隷も同じ事なんだぞ!その相手を呼び捨てにしてもいいと思っているのか!?」
「ひいっ!もっ、申し訳ございません!」
「さあっ!おまえは自分の主人を呼ぶときはどう言うんだ!?」
「はいいっ!シトリー様!シトリー様ですっ!私の大切なご主人様のお名前はシトリー様ですうううぅっ!」

 ビシッ、ビシッ、と尻を叩く乾いた音が部屋の中に響き渡る。
 その痛みと共に、フレデガンドの中で自分と相手との関係が書き換えられていく。
 対等な恋人同士から、主人と奴隷への関係へと。

 ピシャッ!

「いいっ!ひいいいっ!」

 だが、それでも尻への張り手は止まない。
 ずっとぶたれ続けているそこは、熱く火照り、じんじんと痺れている。
 ぶたれる強さはきつくなっているはずなのに、もう感覚が麻痺して痛みが鈍くなっているような気がしてきていた。

「いひいいっ!どっ、どうしてっ!?シトリー様!?」
「だって、まだ躾は済んでないだろう?」
「し、躾、ですか?あっ、あひいいっ!痛いっ!痛いですっ、シトリー様!」
「痛い?結構なことじゃないか。だっておまえは、痛みを快感に感じてしまうんだろう?」
「ええ!?あっ、はうううっ!?」

 叩かれた瞬間の痛みと共に、ぞくりとするような感覚に襲われて、フレデガンドは中途半端に叫ぶ。

「おまえは、自分に与えられる痛みを気持ちよく感じてしまう変態なんだ」
「あああっ!はひいいいっ!」

 フレデガンドの叫ぶ声に、今、確実に悦びの響きが混じった。
 尻をぶたれる痛みの、その、じんと熱を帯びた感覚を確かに気持ちよく感じていた。

「どうだ?口に出して言ってみろ」
「あひいいいっ!気持ちっ、気持ちいいですうううっ!」

 はっきりと快感を口にするフレデガンド。
 主に尻を叩かれるその痛みが、たまらなく心地よく感じられる。

「そうだろう?おまえは主人に尻を叩かれてしまう変態の奴隷なんだよ」
「はひいいいっ!そのっ、とおりですううっ!あふうっ、いいですうっ!」

 シトリーに尻を叩かれながら、フレデガンドは表情を蕩けさせる。
 今の自分は、主人に尻を叩かれてその快感に喘ぐ変態奴隷。
 彼女は、自分で完全にそう思い込んでいた。

「ほらほらほら!これならどうだ!?」
「あうっ、ああっ、はううっ!いいいっ、そんなっ、激しすぎですううぅっ!」

 立て続けにぶたれて、フレデガンドが身をよじらせる。

「そんなに気持ちいいのか?この変態が」
「はいいいっ!気持ちいいっ!私はご主人様にお尻を叩かれて感じちゃう変態ですううぅっ!あひっ、ふあああああっ!」

 尻を真っ赤に腫らしたフレデガンドが、ぶるるっと体を震わせた。
 その表情は完全に緩み、目には涙が溜まっている。
 その涙も、痛みのためではなく、明らかに快楽に悶えている涙だった。

「なんだ?尻を叩かれただけでイキそうなのか?とことん変態なんだな、おまえは」
「あぎいいっ!そんなに強く叩かれるとっ!あっ、あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!」

 ぎゅっとシーツを握りしめ、大きく喘ぎながら体を硬直させて、尻を叩かれた痛みだけでフレデガンドは絶頂に達する。

「ああ……。はあっ、はあっ。あふううううっ!」

 ベッドの上に、俯せに身を沈めて喘いでいるフレデガンド。
 その腫れ上がった尻をぺろっと撫でられると、そこに走るひりひりした痛みで、また感じてしまう。

「もうイってしまったのか?しようのない女だな、おまえは」
「う、うああ?シトリー様?」

 フレデガンドは、無理矢理に体を起こされ、また四つん這いの格好にさせられる。

「本当にしようのないやつだな。まだこれだけじゃ終わらないだろうが」

 そう言うと、シトリーは、フレデガンドのズボンに手をかけ、尻を剥き出しにした状態からさらにずり下ろした。
 そして、自分もズボンを下ろしていくと、いきり立った肉棒がそこから現れた。

「あ、ああ……」
「いいか、これは僕の剣だ。おまえの剣で貫かれたお返しに、今からこれでおまえを貫いてやる」

 シトリーがいったん肉棒を誇示するようにして見せつけると、ゆっくりとフレデガンドの股間へと近づけていく。

 あ、ああ。あれがシトリー様の剣。
 私は、シトリー様を貫いた代償として、この剣で貫かれなければならない。
 ……いや、むしろ貫いて欲しい。

 屹立した肉棒を目にし、その先が自分の敏感な部分に当たる感触を感じて、フレデガンドは何とも言えない気持ちの高ぶりを覚えていた。

「は、はいぃ。どうか、シトリー様の剣で、私の体を貫いてください」

 シトリーに顔を向けたまま、フレデガンドが物欲しそうに涙目で訴える。

「だけど、いいか、これに貫かれたら、おまえは数いる僕の奴隷のひとりだということを認めなければいけない」
「数いる、奴隷の、ひとり?」

 言っていることの意味がわからず、怪訝そうに首を傾げているフレデガンドに向かって、シトリーは冷たく言い放つ。

「ああ、そうだ。僕には他にもたくさんの奴隷がいるからな」
「そ、そんな……」

 初めて知った事実に、少なからずショックを受けている様子だ。
 だが、シトリーは構わずに言葉を続ける。

「その代わり、僕の奴隷のひとりになれば、今までに味わったことがないくらいの快感を与えてやる」
「今までに、味わったことのない、快楽……」
「ああ、そうだ。そして、奴隷としてずっと僕に仕えていく事ができる。もし、それが嫌だというのならこれっきりだ。僕の目の前から消えて、どこにでも行くがいい」

 そして、シトリーはフレデガンドに選択を突きつける。

「さあ、おまえはどっちを選ぶんだ?これで貫かれて、僕の奴隷のひとりとして生きることを選ぶのか、それとも僕のもとから立ち去ることを選ぶのか?」
「シトリー様の奴隷として生きさせてください!」

 即座に、そして躊躇なくフレデガンドから返事が返ってきた。
 もとより、すでにシトリーに自分の全てを捧げている彼女には他の選択ができるわけがなかった。

「本当にいいんだな?」
「はい。ですから、シトリー様の剣で、どうぞ私を貫いてください」

 シトリーの言葉に頷いたフレデガンドの表情には、すでに奴隷としての卑屈な翳りが満ちていた。

「ふ、よく言った。じゃあ、おまえの望み通りに貫いてやる。そして、一生僕の奴隷として生きるんだ」

 芝居がかった口調でそう言うと、シトリーはフレデガンドの腰に手をかけ、その秘裂から、一気に肉棒をぶち込んだ。

「くっ、くうう。いっ、いああ……あ、あああああああああっ!」

 肉棒を突き入れられた瞬間、歯を食いしばって耐えていたフレデガンドが、きゅっ、と体を反らせて大きく喘ぐ。
 自分の敏感な部分から、まさに自分の体を貫かれたように、脳天にまで響く衝撃に、一瞬意識を持って行かれそうになる。

「あっ、いああああっ!くううっ、はああああっ、あっ、あふうううううっ!」

 シトリーがぐっ、と力強く腰を動かし、その度に、体の奥深くまで貫かれる刺激に頭の芯まで揺すぶられるようだ。
 しかし、確かに体を貫かれている実感はあるが、夢の中で、自分の体を剣で貫いたときのような身を灼くような痛みはない。
 むしろ、そこにあるのは身も心も飲み込んでいく純粋な快感のうねり。

 確かにそれはシトリーが言ったとおり、今まで味わったことのない快感だった。
 昨日まで、いや、今日の昼過ぎまでは、自分はこの人と恋人同士だったはずだ。
 まだ、恋人同士だった頃に、この人と体を重ねた事があるはずなのに、それがはるか昔のことのように遠く霞んで思い出すことができない。
 いや、そんなことなど思い出せないほどに、今、自分に与えられている快感が強烈だった。
 対等の恋人であるよりも、この人の奴隷として、所有物として犯される方がずっと心地いい。
 自分の全てを相手に委ね、支配され、身も心も、全て快楽に染め上げられていく。

「ああああっ!いああああああっ、きもちっ、いいですううううっ!シトリー様ああああっ!」

 ごつっ、と子宮の奥にまで響くその一撃ごとに、体を反らせて喉の奥からよがり声を絞り出すフレデガンド。

「ふん。まだ、こんなのでは満足できないんだろう?」

 そう言うと、シトリーが自分の体の上にのし掛かるようにして、金糸の刺繍の入った親衛隊の制服に手をかける。
 そして、制服の胸元をはだけさせると、乳房に手を伸ばしてきた。

「ほら、こうするとどうだ?」

 シトリーは乳房を掴むと、指を捻るようにそのまま強くつねりあげる。

「ひぎいいいいいいっ!いいああああああっ!」

 一瞬、脳の回路が弾けたかと思う刺激に、視界が真っ白になった。
 いや、実際にフレデガンドは白目を剥いて絶叫していた。

「ふ、そんなに気持ちいいのか、この変態が」

 シトリーは蔑むように言うと、さらに胸をつねる。

「いぎいいいいっ!きもひっ、きもひいいれしゅうううううううううううううっ!」

 フレデガンドは、涎をだらだらと垂らしながら、その痛みがもたらす快感に悶えている。
 両の目の瞳が完全に上側に寄り、小さく震えていた。

 そして、ひくひくと痙攣していたかと思うと、腕を突っ張って体を硬直させた。
 極限まで被虐嗜好を高められたその体には、犯されながら胸をつねられる痛みはこの上ない快感に変換されていく。

「なんだ?もうイってしまったのか?」
「ふやあああぁ。ふぁいいいぃ。わらし、きもひよふひて、イっひぇひまいまひひゃああぁ!」

 イってしまって舌がもつれるのか、何を言っているのか全くわからない。
 体を支えているその腕は、今にも折れそうにぶるぶると震えている。

「体勢を崩すことは許さないからな」
「ふ、ふええ?し、しとりーひゃまぁ?」
「僕がまだだろうが。奴隷のくせに主人よりも先にイって、そのまま休むなんて事が許されると思っているのか?」
「も、もうしわひぇ、ありまひぇん」
「主人が気持ちよくなるように奉仕するのが奴隷の務めだろうが。だから、僕が出すまで腕を折ることは許さない」
「ふわぁい。どうぞ、わらしのからだで、きもひよく、なっひぇ、くらひゃいぃ。ひゃうううっ!」

 シトリーが腰を打ちつけると、フレデガンドが舌を出して首を反らせた。
 両腕はまだぷるぷると震えているが、それでも必死に体を支えようとしている。

「ひゃううっ、あああっ!はううっ、ふああっ、あうっ、ひゃあああっ!ふあっ、ひぎいいいいいっ!」

 力強く、かつリズミカルな挿入の動きに合わせてフレデガンドの体がガクガクと揺れる。
 そこに、シトリーがまたもや胸に手を伸ばして強くつねりあげたものだから、体がぎゅうっ、と反り上がった。

「いああああっ!らめれすっ、痛いの、きもひよすぎて、らめれすううううっ!」
「おまえは、いつから主人に向かってダメだと言える身分になったんだ?」
「いひいいいいいっ!もっ、もうしわひぇありまひぇえええんっ!あぐううっ、くふうううううっ!」

 フレデガンドの体が仰け反ったまま再び固まる。

「なんだ、またイってしまったのか?」
「ふああぃ、もうひわひぇごひゃいまひぇん」
「本当に、主人を差しおいて自分ばっかり気持ちよくなるとは、とんでもない奴隷だな」

 そう言って、シトリーがピシャリと尻を叩く。

「あひいいぃ!ごめんなひゃいいいっ、ごしゅひんひゃまぁっ!」
「じゃあ、もっと気合いを入れて僕を気持ちよくさせるんだな」
「ふわああぃ。あうっ、ぐうっ、あぐっ、うくうっ!」

 フレデガンドが歯を食いしばって力を入れると、急に肉棒への締め付けがきつくなった。

「なんだ、やればできるじゃないか」
「んくうっ、ふっ、ふああっ!あ、ありがとう、ごひゃいましゅうううっ!」
「くっ、そう、いいぞ、その調子だ」
「あ、ふぁい!あふっ、くっ、ぐううっ、くああっ!」

 シトリーを気持ちよくさせようと、フレデガンドはぐっと下腹部に力を入れて肉棒を締め付けてくる。
 さすがに日頃から体を鍛えているだけあって、力を込めるとぐいぐいと締め付けがきつくなっていく。

「そうだっ、僕に尽くし、喜ばせることがおまえのすべてだ」
「ああっ、ふわいっ!くうっ、ぐううっ、あふっ、あくううっ!」

 シトリーの言うままに、とうの昔に限界を超えた快感に耐えながら、フレデガンドは肉棒を締め付けつつ腰を動かし始める。
 その、濃いワインレッドの髪が、汗と涙と涎でベトベトになって肌に貼り付いていた。
 今の彼女は、シトリーの忠実な奴隷として、彼に尽くすことだけに悦びを見出すようになっていた。

「くううっ!いっ、きもひっ、よろひいでしゅかあぁ!あうっ、くふうっ!」
「ああ、いい感じだよ、フレダ」
「んふうううっ!わらしをっ、フレダとっ、呼んでっ、くださるのでしゅかぁ!?あっ、くああっ!」
「そうだ。僕の言うことをよく聞き、務めに励む奴隷にはいい主人でいてやるよ、僕は」
「ふああいっ!わらしのしゅべてはっ、シトリーさまの、ものでしゅうううっ!あうっ、うああぁっ!」
「くっ!いい心がけだ。じゃあ、おまえの中に出してやる!」
「くあああっ、ふぁ、ふぁいい!わらしのなかに、だしてくらひゃいいいっ!」

 フレデガンドは、懸命に腰を動かしてシトリーの肉棒を刺激していく。
 シトリーはそこに最後の仕込みをする。

「よし。では、今から僕に射精されると、おまえは他の男のことは気にもならなくなる。おまえにとって、僕だけが意識する男になる」
「ふぁいいっ!シトリーさまだけがわらしのごしゅひんさまれすうううっ!だからっ、わらしに、たっぷりと、せーえぎっ、くらさいいいいっ!」

 子宮から頭のてっぺんまで響く衝撃と共に、フレデガンドの心がシトリーで染め上げられていく。その中に、他の男のことが入り込む余地などないほどに。
 そう、彼女の本当の恋人のマクシミリアンのことも。

「よく言った。じゃあ、存分にイクがいい」

 シトリーは、フレデガンドの尻を思い切りつねりあげると、その体を貫かんばかりに深々と腰を打ちつける。

「ひぐううううううっ!いだいっ、いだくて、きもひいいれすぅっ!いぎああああああああっ、あっ、でれるっ、あづいのがっ、なかにっ、あひいいいっ!!らめっ、もうらめれすっ!いだいのどっ、あづいのでっ、いぎいいいいいいっ!」

 尻をつねられた痛みによる快感と、熱い精液で満たされていく快感に、フレデガンドは激しく身をよじらせる。
 シトリーは、尻をつねる指にさらに力を込めた。

「ひぎああああああああああっ!」

 目の前で火花が散り、頭の中が焼き切れそうな感覚にフレデガンドは絶叫をあげた。
 固くシーツを握り、腕を突っ張って体を硬直させる。
 もう、快感が振り切れてただただ体が熱く、痺れる感じが身も心も覆っていく。
 そして、今、この熱をもたらしている相手に満たされていく感覚に自分の全てを委ねる。

「ひいいいいっ、いぐううううううううううっ!うぅ……」

 何度目かの絶頂の果てに、フレデガンドの眼球がぐるんとひっくり返り、白眼を剥いたかと思うと、そのまま意識を失ってベッドの上に崩れ落ちた。







「すごいねー。ここまでやる必要あったの?」

 フレデガンドが気を失うと、エミリア、ニーナ、エルフリーデが部屋に入ってきた。

「ああ。こいつの中から本当の恋人の面影を消し去り、僕をその代わりとしてすり替え、僕への服従心と隷属心を植え付けるんだから、このくらいはしないとね」
「ふうん。このくらいねぇ」

 エミリアが、涙と涎でどろどろになって気絶しているフレデガンドの方をちらっと見る。

「それよりもエミリア。手筈どおりにやってくれ」
「ええっと、手筈どおりっていうと……」
「マクシミリアンの姿になって、少しの間、騎士団長の振りをしろって言っただろうが」
「ちょちょちょっ、ちょっとそれはっ!」

 そう言われて、エミリアが急に慌て出した。

「騎士団の主だった面子はこっちの手駒だし、実務的なことはエルフリーデたちにやらせるから問題はない。それに、間もなくクラウディアに取りかかるから、ほんの短い間だけだ」
「いやっ、そうじゃなくって、今ここでやれって言うの?」

 シトリーの命令に後込みしながら、エミリアがフレデガンドをちらちらと見る。

「ああ。問題はない」
「でも、今、あのおじさんの姿を見て、このお姉さん大丈夫なの?」
「大丈夫だ。もう、こいつはあいつの姿を見ても何の感情も持つことはないさ。どのみち、クラウディアを堕とすまでは、あの男が死んだことは隠しておかなくちゃいけないし、代役は必要だ。だったら、遅かれ早かれこいつはあの男の姿になったおまえを見ることになるんだ」
「そ、そう?シトリーがそこまで言うんなら」

 エミリアはまだ渋々ながらも、命令どおりにマクシミリアンの姿へと変身する。

「こ、これでいい?」
「ああ。見た目も声も本物そっくりだ。だけど、人前で話すときには話し方には気を付けろよ」
「うん、それはわかってるけど。でも、本当にあたしは騎士団の仕事なんて何にもできないからね」
「それは私が補佐するから心配するな」

 シトリーとエミリアの会話に、エルフリーデが割り込んできた。

「うん、お願いね、エルフリーデちゃん」
「おまえは周囲に怪しまれないように威厳のある態度をとっていればいい。もっとも、団長は気さくな人柄で通っていたからそこまで演技をする必要はないだろうがな。ただ、おまえの品のない態度と物言いが出なければいい」
「ぐむむ。やっぱりあたしには当たりがきついのね」

 エルフリーデに釘をさされて、エミリアが口を尖らせる。

 と、その時。

「ん、んん。シトリー様ぁ……」

 気を失っていたフレデガンドの目がゆっくりと開いた。
 ベッドの上に起きあがってぼんやりとシトリーの方を見ていた視線が、その側にいるマクシミリアンの姿をしたエミリアを捉える。

「あ、この人?」

 この人……どこかで見たことがある。
 でも、どこで見たのか、誰なのか思い出せない……。

 もう、彼女の中には、マクシミリアンとの記憶も想い出もない。
 彼の役割は、すべてシトリーに置き換えられている。
 だが、それでもその容姿には見覚えがあるという微かな印象だけはあった。

 シトリー様のお知り合いかしら?

 どこかで見たような気はしても、フレデガンドにはそれ以上の感情は湧かない。
 今の彼女にとって、シトリーが全て。他の男には一切の感慨をもつことはなかった。

「シトリー様、この方は?」
「ああ。この国の騎士団長、マクシミリアンだ」

 フレデガンドの問いかけに、シトリーは事も無げに答える。
 その名前を聞いても、フレデガンドには何らの感情も湧いてこない。
 それどころか、彼女が不審に思ったのは別な点だった。

 騎士団長?でも、それはシトリー様が?

 フレデガンドの中で、マクシミリアンが負っていた役割はすべてシトリーのものへと書き換えられている。
 だから、彼女にとって騎士団長はシトリーのはずだった。

「騎士団長は、シトリー様ではないのですか?」

 フレデガンドは今の彼女にとって、当然の質問をする。

「何を言っているんだ。騎士団長は昔から彼じゃないか」

 当たり前のことだという口調でシトリーが返事を返してきた。

 そうだったかしら?でも、シトリー様がそう仰るのだから、きっとそうなんだわ。

 今の彼女の記憶の中では、確かにシトリーが騎士団長のはずだったのに。
 しかし、絶対の主人にそう言われると、その通りだと思えてくる。

 私、何か思い違いをしていたのかしら?
 あ、でも……。

「でも、そうだとしたら、シトリー様は?」

 フレデガンドがそう思ったのもまた、当然のことであった。

「ああ。僕はこの国を奪おうとする者だよ」

 シトリーが、そうさらりと言ってのけた。

「この国を、奪う者、ですか?」
「ああ、すでに魔導院も教会も、そして騎士団も僕の手の内だ。後は、クラウディアを僕の前に跪かせるだけだ」
「クラウディア様を……?」

 そんなこと、初めて聞いた。
 いままでずっと一緒にいたのに、シトリー様がそんなことをしていたことも知らなかったなんて。

 その言葉を聞いてフレデガンドの表情が曇る。
 だが、それは親衛隊長としての使命感や、驚きといったもののせいではない。
 それよりもむしろ、主人のことを全く知らなかった、自分の奴隷としての無能さに悲しみすら覚えたためだった。

「どうした?僕のしようとしていることが不満か?まあ、おまえはクラウディアの親衛隊長だからな」
「いいえっ。私はクラウディア様の親衛隊長である以前にシトリー様の奴隷です。奴隷の身でご主人様に異議を差し挟むなどとんでもないことです」
「じゃあ、僕のやろうとしていることを手伝う気はあるのか?」
「はいっ。もちろんです!」

 たとえ、それがどんなものであっても、シトリーのしやろうとしていることは彼女にとって絶対のこと。
 奴隷である彼女がシトリーに反対するなど、とてもではないが考えられないことだった。

「それで、私は何をすれば……あっ!」

 フレデガンドの視線が、今度はエルフリーデの姿を捉えた。

「エルフリーデ……」

 やっぱり、エルフリーデもシトリー様の……。

 だいぶ記憶がぼやけてしまって、ずっと昔の話のような気がするが、彼女と自分の主人との関係について思い悩んでいたような気がする。
 その記憶だけは確かだった。
 そして、現にこうしてエルフリーデがシトリーと共にいるのを目の当たりにして、改めてその事実を知る。

 でも、しかたがないわね。シトリー様の奴隷は私ひとりではないんですもの。

 あの時は、そのことで思い悩み、嫉妬したが、今はしかたがないと思える。
 自分の主人であるシトリーには多くの奴隷がいて、自分はその中のひとりにすぎない。
 自分ひとりがご主人様を独占するなど、そんな分をすぎた真似はできない。

 それでも、つい後輩をなじる言葉が出てきてしまう。

「エルフリーデもシトリー様の奴隷だったのなら、せめてそう言ってくれればよかったのに」
「ごめんなさい、フレダお姉さま。でも、フレダお姉さまがシトリー様の奴隷になられたのはついさっきなんですもの」

 あ、そうか。

 私は、ご主人様を刺してしまって、その償いとして自分の全てを捧げて奴隷となったのだ。
 それまでは、自分はシトリー様と恋人同士だった。
 やっぱり、恋人に奴隷の存在を知られるのは憚れたのだろう。
 恋人同士であった時のことが、ものすごく昔のことのように思えて、よく思い出せない。
 しかし、今となっては、恋人だったときは何かと不便なことや、悩むことが多かった気がして良い印象がない。
 むしろ、シトリー様の奴隷になった今の方が、清々しい気分で、幸福を感じられる。

 自分の主人に全てを捧げ、委ねて、従う、その満ち足りた感覚。
 その幸せな思いにフレデガンドは満たされていた。

 それに、奴隷同士として、これからエルフリーデともまたいい関係を築くことができるに違いない。
 だから、彼女のことも今は許してあげることができる。
 それどころか、彼女の言うとおり、奴隷としては自分はまだまだ新米なのだ。

「ご、ごめんなさい、エルフリーデ。そうよね、シトリー様の奴隷としては私の方が後輩なのよね」
「気になさらないで下さい。どのような立場になってもフレダお姉さまは私のお姉さまですもの。これから、力を合わせてシトリー様のために尽くしていきましょう」
「……ありがとう、エルフリーデ」

 後輩の心遣いに、フレデガンドは思わず涙ぐんでしまう。

「さてと、仲直りが済んだところで、フレダ。おまえにはもう少しの間クラウディアの親衛隊長として振る舞ってもらう」
「は、はい?」
「こちらの準備ができ次第、クラウディアを屈服させる。だが、それまではクラウディアに気づかれないように、その前ではこれまでどおり親衛隊長として振る舞うんだ。それくらいできるな?」
「はい!できます!」
「うん、いい返事だ。あと、僕はいつもは教会にいるが、おまえの部下をそこに連れてきてくれないか」
「私の部下を?」
「ああ。いずれ、僕がこの国を手に入れると、おまえたちには僕の親衛隊をしてもらうつもりだ。そのために、今からおまえの部下たちを教育しておかなくてはならないからな」
「はい。かしこまりました」
「よし、頼んだぞ、フレダ」
「……はい」

 シトリーに見つめられて、フレデガンドは恥ずかしそうにはにかむ。
 その表情は、かつて、騎士団が邪教討伐から帰ってきた日にクラウディアからマクシミリアンのことを訊かれて見せた、はにかんだ笑顔と同じもの。
 その笑顔を、今、彼女はシトリーに向け、頬を赤らめて少し上目遣いに主人の姿を見ている。

 そのことが、彼女の全てが書き換えられたことをはっきりと示していたのだった。

 
 


 

 

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