黄金の日々


 

 

第1部 第8話 2


「何かあったの、フレダ?」

 その日、護衛の任に就くために参上したフレデガンドの様子がおかしいことにクラウディアはすぐ気付いた。
 心なしか表情が暗く沈んでいるし、その周囲の空気までもがぴりぴりと張りつめている。

「あ……。何でもございません、クラウディア様」

 そう言って笑顔を見せるフレデガンド。
 だが、無理に笑みを作っているのがありありとわかる。

 もちろん、彼女の気持ちが沈んでいるのは、王宮に来る前に騎士団の厩舎裏で見た光景のせいだ。
 しかし、フレデガンドとしては、そんな私事のためにクラウディアに気を遣わせるわけにはいかない。

「そう。それならいいんだけど」

 クラウディアとしても、それ以上踏み込んで訊ねるのは躊躇われた。
 それほどまでに、フレデガンドの放っている雰囲気が重く張りつめたものだったのだ。

「でも、もし何か心配なことがあるのなら、私でよかったら話だけでも聞いてあげるわ」
「もったいないお言葉。ありがとうございます、クラウディア様。でも、本当に大丈夫ですから」

 その、見るからに落ち込んでいることを隠している素振りに、クラウディアは余計に不安になる。
 だが、彼女にそう言われてはそれ以上言葉が続かない。

 そのまま、黙りこくってしまったフレデガンドの姿を心配そうに見つめるクラウディア。
 一昨日、少しはにかみながら見せた彼女の嬉しそうな表情がまぶたの裏に焼きついているだけになおさらだった。
 いったい、彼女に昨日何があったのか。そんなプライベートなことまで踏み込むことはさすがに憚られる。

 しかし、戸惑い、悩んでいるのはフレデガンドも同じだった。
 昨日はあの後、久しぶりにマクシミリアンとふたりで過ごした。その時の彼はいつも通りの様子で、自分への愛情を感じた、と、そう彼女は思ったのだ。
 それなのに、あんな夢を見て、不安な気持ちになって騎士団の隊舎の方へ向かうとあんな場面を見てしまった。
 今考えても、さっき見た光景が自分でも信じられない。
 マクシミリアンは確かに誰とでも気易く話すし、調子のいいことを言うこともあって、重厚さとか威厳といったものを感じさせるタイプではない。
 地位の高い人物にしては気さくだが、それがともすると軽薄な人間だという印象を人に与えることもあった。
 しかし、こと人間関係については誠実で、きめの細かい心遣いを見せる男だった。
 そんな彼が、フィアンセに隠れて他の女に手を出すなんて考えられない。

 それに、あの子、エルフリーデもそんなことをする子じゃないわ。

 フレデガンドの知るエルフリーデは、真面目で、努力家で、そして純真な少女だ。
 彼女の方からマクシミリアンを誘うなんてとても考えられないし、仮にマクシミリアンの方から誘ったとしても、彼とフレデガンドが恋人同士であることを知っているエルフリーデがその誘いに乗るなんてこともあり得ない。

 もしかしたら、あれはマックスじゃなかったのかもしれないわ。

 あんな夢を見た後なので気が動転してしまったが、今思い出せばエルフリーデと抱き合っていた相手の顔はよく見えなかった。
 あの時は頭に血が上っていて早合点し待ったが、体格や髪の色がよく似た別の騎士だったのかもしれない。

 フレデガンドは、そう考え直す。
 いや、そう自分に信じ込ませたかった。
 そうしなければ、重苦しい気分を振り払うことができない。
 胸の奥のわだかまりで、息苦しくなりそうだった。





* * *






 同日、午後。騎士団の訓練場。
 その日、騎士団ではマクシミリアンの発案で勝ち抜き形式の試合が行われていた。

 騎士団の中でも腕に覚えのあるものが続々と名乗りを上げ、勝った負けたの勝負があり、ある者は2人抜きで止まり、そして。

「おおっ!ガイゼリックの野郎が4人抜きだぞ!次の挑戦者は誰だ!?」

 訓練場の中央で、広刃の大剣を突き立てて仁王立ちしている容貌の魁偉な男はガイゼリック。
 平民の出だが腕っ節が強く、豪商や貴族の用心棒をしていたところをマクシミリアン直々にスカウトされたという経歴を持つ。
 部隊を率いての戦闘は苦手だが、並の人間には持てないほどの大剣を軽々と振り回し、個人としての戦闘力は間違いなく騎士団でも屈指の猛者である。
 そのガイゼリックに4人抜きをされては、実力主義で戦技には自身のある者が揃っているとはいえ、さすがに挑戦者はすぐには出てこない。

「どうだ、行ってみないか、エルフリーデ」

 場がざわつく中、マクシミリアンがエルフリーデを指名する。

「私がですか?」
「ああ」
「し、しかし……」

 指名に戸惑い、躊躇する素振りを見せるエルフリーデ。

「いいからやってみろ」

 マクシミリアンにそこまで言われては、エルフリーデも断れない。

「はい。わかりました」
「ひとついいことを教えてやる。あいつの攻撃を受けとめようとするな、全部避けるつもりでいけ。おまえの身のこなしの速さがどこまであいつに通用するか試してみろ。後は、一瞬の瞬発力が勝負を決める」
「一瞬の瞬発力?」
「なに、難しいことは考えるな。昨日俺とやったときくらいの動きができればいい勝負になるさ」
「わかりました。やってみます」



 エルフリーデは頭を下げると、中央へと進み出る。



「おい、次はエルフリーデかよ」
「ああ。なんせ団長直々の指名だからな」
「つうか、あいつでガイゼリックの相手になるのか?」

 エルフリーデの挑戦に、ちょっとしたどよめきが起こる。
 ガイゼリックと正対したエルフリーデは、大人と子供くらいの体格差があった。
 騎士団のメンバーは、ふたりの実力をよく知っているつもりだった。
 確かにエルフリーデの剣技のレベルは高い。だが、1対1の勝負で彼女がガイゼリックに勝てると思った者はほとんどいなかったであろう。

 そして、マクシミリアンの手が上がり、ふたりはゆっくりと剣を構える。

「はじめ!」
「うおりゃあっ!」

 合図と共に、ガイゼリックが大きく踏み出し、その大剣を振り下ろす。
 素早く後退してエルフリーデはその攻撃をかわす。

「おりゃっ、おりゃっ、おりゃっ!」

 その巨体からは思いも寄らぬほどの速さで大剣を振り回すガイゼリック。
 一撃ごとに凄まじい剣風が起こり、エルフリーデの髪を巻き上げる。
 ただでさえ、その大剣が空気を薙ぎ払い、打ち下ろされるときの威圧感はただものではない。
 だが、その攻撃の全てを、彼女は間一髪のところでかわす。
 その展開に、再びどよめきが起こる。

「おいおい、ガイゼリックの奴、加減てものを知らないのか?」
「そうだよな。あんなのまともに食らったら、たとえ剣で受けとめたとしてもただじゃすまんぞ」
「いや、確かにそうだが、よく考えたらこれまでの奴は皆それで負けている。あいつの攻撃を受け流そうとしても、そのまま力押しに吹き飛ばされるか、得物がいかれてしまうかだ。それを考えると、あいつの攻撃を全てかわすのが一番安全ってことになるが」
「ああ。驚くべきはエルフリーデの身のこなしだな。確かにあいつは、もとから速さには見るものがあったが、普通は、あんな攻撃を見せつけられたら体がすくんでスピードが鈍るもんだ」
「まったくだ。あいつには恐怖心ってものがないのか?」

 驚く一同の前で、エルフリーデは次々とガイゼリックの攻撃をかわしていく。
 しかし、なかなか反撃に移ることはできない。
 客観的に見れば、エルフリーデは攻撃をかわしているだけで、ガイゼリックが一方的に攻め立てているように映る。

 そんな攻防がどれだけ続いただろうか。
 一方的に攻めているとはいえ、なかなか相手を捉えることができないガイゼリックに、さすがに焦りと苛立ちの色が見え始めた。
 自然と、一回ごとの振りが大きく粗くなっていく。

 そして、ガイゼリックがひときわ大きく剣を振り抜いた瞬間。

 エルフリーデがの体が弾かれたようにガイゼリックに向けて飛び込み、剣の腹でその足を払った。

「ぐわあっ!」

 足払いを避けきれず、もんどり打って倒れたガイゼリックの喉元に、エルフリーデが剣先を突きつける。
 全ては、一瞬のことだった。

「ま、参った!」

 ガイゼリックが降参の声をあげ、ようやくエルフリーデも剣を収める。




「おいおい、エルフリーデのやつ、ガイゼリックに勝っちまったぜ」

 またも、大きくどよめく中で、マクシミリアンだけがエルフリーデを見て大きく頷く。

「さあ、次だ。誰か、エルフリーデに挑む者はいないか?」
「じゃあ、俺がいくとしましょう」

 そう名乗りを上げたのは、フィロン。先ほどエルフリーデの戦い方を冷静に分析していたうちのひとりだ。
 彼も平民出身で、かつて隊商の護衛団を率いていた男だ。
 実戦慣れしている上に、一団の長の経験があるだけあって指揮能力も高い。
 そのため、騎士団ではしばしば分隊を率いることがあったが、敏捷な体さばきで細身の曲刀をよく使い、彼個人の剣の腕も定評があった。

「まあ、ひとつお手柔らかにな、エルフリーデ」

 中央に進み出たフィロンは、エルフリーデに微笑みかけると剣を構える。
 そして、マクシミリアンの腕があがる。



 しかし、勝負はあっけなくついた。
 さっきとはうってかわって序盤から猛烈に攻め立てたエルフリーデの攻撃を、フィロンは受けきれなかったのだ。
 彼は、柔らかい身のこなしから、相手の攻撃を受け流してその反動を利用するのが得意だった。
 しかし、エルフリーデの攻撃は彼が捌ききれないほどに手数を多く出し、しかも、そのひとつひとつが重く強烈だった。
 烈火の如く攻め立てる連続攻撃をはじめの数回はなんとか受けとめていたが、途中でエルフリーデがさらに攻撃のスピードを上げるといとも簡単に剣を跳ね飛ばされてしまった。

「参ったな。おまえの踏み込みがこんなに鋭かったとは。油断したつもりはないんだけどな」

 悔しさを隠すように、そう言って苦笑いするフィロン。




 騎士団の実力者を立て続けに破った思いがけないエルフリーデの2人抜きに、その場のざわめきがさらに大きくなる。
 その中で、ただひとり、マクシミリアンだけが満足そうな表情を浮かべている。

 そして、3人目の挑戦者は、先ほどフィロンと会話をしていた髭面の男、ブルーノ。
 元々は傭兵として各地を渡り歩いていた男で、ある戦に参加したときに、放浪時代のマクシミリアンと知り合って意気投合し、それ以来行動を共にしているという、今の騎士団の中では古参のひとりで、片手用の戦斧と角盾を使うたたき上げの戦士だった。

 だが、ブルーノとの勝負もエルフリーデに軍配が上がった。
 今回は、はじめ、ブルーノの方が積極的に攻めていた。
 エルフリーデは相手の攻撃を時にはかわし、時には受け流しながら反撃するが、ブルーノは巧みに盾を操ってその反撃を完璧に受け流す。
 だが、長期戦に持ち込むのがエルフリーデの狙いだった。
 戦いが長引くほどに、重い戦斧と盾を使うブルーノの動きに疲労の色が見えはじめた。
 そして、ブルーノの攻撃が鈍ったところで、その懐に一気に飛び込んで勝負をつけたのだった。



「おいおい、エルフリーデが3人抜きだって?」
「しかも、相手はガイゼリック、フィロン、ブルーノだぜ?」
「あいつ、あんなに強かったか?」
「いや、強いことは強かったけどよ」
「そんなことより、次は誰がいくんだよ?」

 ざわざわと、驚きの声が上がる中、フィロンがひとりの若い騎士に声をかける。

「おい、ダニエル、おまえやってみろよ」
「ええ?僕がですか?」

 ダニエルと呼ばれた騎士は、今年で22歳になったばかり。
 彼は、歴としたヘルウェティアの貴族の次男である。
 体格もそれ程大きくなく、話し方も優しい雰囲気だが、決してお坊ちゃん育ちの優男というわけではなく、剣の腕は優れ、素早い身のこなしから繰り出される華麗な技は騎士団の将来を担う逸材と嘱望されていた。

「ああ、実際にあいつとやってみて思ったんだが、あのスピードに対して、力技や中途半端なスピードで挑んでもだめだ。おまえはもともとあいつと戦闘スタイルが似ているし、スピードとテクニックだけなら互角かそれ以上にやれるはずだ」
「し、しかし、今日の彼女、何か今までと雰囲気が違いますよ」
「確かにだいぶ上達してるし、力強さも格段に上がっている。しかし、今見回してもスピードであいつに勝てそうなのは、おまえと、そうだな、後は団長と副長くらいしか見あたらないんだよ」
「そんなことはないでしょう」
「いや、今さっきエルフリーデはブルーノの旦那とかなり長くやっていたから疲れもあるはずだ。だから、そこでおまえのスピードでいくしか勝ち目はないと思うんだが」
「そんな、同じ仲間ですし、勝ち負けなんて」
「まあ、別に本気で打ち負かしてどうこうしようってわけじゃないさ。仲間が腕を上げるのは俺たちにとっても心強いことだしな。しかし、強い相手といい勝負をしたいってのも戦士としての性分だろうが。それに、見る方としてもいい勝負が見たいしな。今日のあいつはノってる。あれじゃ並の奴じゃ相手にならねえ。冷静に見て、団長クラスを除くとおまえしか今日のエルフリーデの相手はできないと思っただけだ」
「そうは言っても」
「おまえ、時々あいつと手合わせしていて、成績も分がいいんだろ。ここであいつの連勝を止めて来いって」
「フィロンさんがそこまでおっしゃるのなら……」

 そう呟いて、ダニエルはしばし考え込む。
 そして、出口の方へと一歩踏み出した。

「おい、どこへ行くんだ?」
「ちょっと、剣を取ってきます」

 そう言うと、ダニエルは控え室の方に歩いていく。





「さあ、次の相手は誰だ?」
「では、僕がお相手します」
「ダニエルか。ほーう……」

 進み出てきたダニエルの姿を見て、マクシミリアンが目を細める。
 その手に握られていたのは、ごく刀身の細いレイピアだった。

「なんだあいつ?決闘でもするつもりか?」

 その、あまりに華奢な武器に、ガイゼリックが呆れた声をあげる。

「いや、あれでいい」
「なんだって?どういうことだよ、フィロン?」

 ガイゼリックの隣で、フィロンがにやりと笑う。
 すると、ブルーノも会話に入ってくる。

「なるほど、考えたな、あれだけ武器を軽くすると、ダニエルの持ち味であるスピードを最大限に生かすことができるというわけか」
「そういうこと。ダニエルはエルフリーデがおまえとやったときのと同じことをやろうとしてるのさ」

 そう言って、フィロンはガイゼリックの脇腹を小突く。

「しかし、そう上手くいくかな?」

 腕を組み、低い声でブルーノが言う。

「やっぱり、旦那もそう思うかい?」
「ああ。エルフリーデも速さなら負けちゃいない。ことに、今日のあいつはスピード、キレ、パワー、どれを取っても以前とは見違えるほどだ」
「そうだな、気合いの入った面してるしな。ともあれ、いい勝負になりゃいいんだが」

 フィロンたちの見ている前で、マクシミリアンの手が上がり、エルフリーデとダニエルが剣を構える。

「はじめっ!」

 かけ声と共にマクシミリアンが手を振り下ろす。
 だが、ふたりとも剣を構えたまま動こうとしない。

 それまでの3人との戦い方を見ていて、ダニエルはエルフリーデの攻撃をかわすことに意識を集中させていた。
 相手の攻撃をかわし、向こうが体勢を崩したところで一気に踏み込む。そこに勝機を見出そうとしていた。
 そのために、敢えて軽い細身のレイピアを選んだのだ。

 レイピアという剣は、貴族の決闘で好んで使われるが、戦場で使われることはあまり無い。そもそも、大人数を相手にした戦闘には向いていないからだ。
 細い刀身は脆く、それ自体の耐久力が無いし、振り回すよりも突くのに向いている武器なので、相手を突いても抜くときに隙が生じる。
 たとえひとりを倒したとしても、相手が複数の場合、その隙をつかれてしまう。
 だが、1対1の対決なら話は別だ。
 剣を振るうよりも突く方が攻撃の時のモーションが小さくてすむ。それだけでも速さの面で優位に立てる。
 もちろん、その細い刀身では相手の攻撃を受け流すのにはリスクが伴う。
 だが、スピードに自信のある者なら、相手の攻撃をかわし、一瞬の踏み込みで勝負を決めることができる。

 それがダニエルの狙いだった。

 だが、相手の方から仕掛けてこないことでその目論見は外れてしまった。
 それならそれで、こちらがわざと隙を作り、相手の攻撃を誘う手もある。しかし、それができない。
 下手にこちらが動くと、一気にやられる。ダニエルは直感的にそう感じていた。
 剣を構えているエルフリーデの、どこにも隙はない。

 それに、この威圧感。

 年が近いこともあって、ダニエルとエルフリーデは訓練がてら試合をすることがよくあった。
 それだけに互いの手の内は知っていたし、通算での対戦成績もダニエルの方がだいぶ分がいい。
 確かにエルフリーデは女ということを抜きにしても身のこなしは素速いし、技量もあった。
 それでも、1対1の試合では、ダニエルの方がいつも優位に立っていた。
 なにより、今まで対戦して、彼女からこれほどのプレッシャーを感じたことはなかった。
 剣を構えたままのダニエルの額に汗の粒が浮かぶ。
 エルフリーデから放たれる威圧感に、対峙しているだけで神経がすり減っていく。

 見物している他のメンバーも固唾を呑んで見守る。
 そして、息の詰まるような時間が流れていく。

 その緊張に耐えられなくなったのはダニエルの方だった。

「はっ!」

 一歩踏み出し、剣を突き出す。
 それは、エルフリーデの攻撃を誘い出すための擬態、のはずだった。
 だが……。

「くううっ!」

 一撃で、ダニエルのレイピアがへし折られる。
 ダニエルは、茫然として、床に転がるレイピアの刀身を見つめることしかできなかった。

「……参りました」

 ややあって、ようやく我に返ったダニエルが頭を下げる。



「ダニエルのやつ、雰囲気に飲まれやがったな」

 ガイゼリックがそう舌打ちをする。

「仕方ないだろうな。あれに耐えるにはもう少し場数を踏まないとしんどいだろう」

 と、これはブルーノ。

「まったくだ。相手がダニエルならエルフリーデの方から仕掛けると思ったんだがな。レイピアを手にしている時点でこっちの考えを読まれたかな。あいつ、結構冷静じゃないか」

 フィロンも少し悔しそうな表情を見せる。



「すみません。フィロンさん」

 ダニエルが、項垂れながらフィロンの所に戻ってくる。

「気にするな。言っただろう、勝ち負けは問題じゃないって」
「はい。それにしても彼女、今までに感じたことがない威圧感で」
「ああ。それは俺も感じたよ。きっと、自分でも実力がついたって感じているんだろう。自信に満ちた顔してるぜ」

 そう言ってフィロンはダニエルをフォローする。

「そうだな。こうなると、後はあいつが何人抜きまで記録を伸ばすかだが」

 ブルーノも、腕を組んだままエルフリーデの方をじっと見ている。



 エルフリーデは、その後さらに5人を相手に勝ち続けた。



「おいっ!9人抜きだぜ!」
「どうするんだよ!?次は誰が相手するんだよ?」

 思いもかけないエルフリーデの9人抜きに異様なざわつきを見せる騎士団の一同。
 さすがに、9人抜きをされると、それ以上手を挙げる者もいない。

 と、その時。

「では、私がお相手しよう」

 そう言って進み出たのは、副長のユリウスだった。
 彼は、代々騎士の家柄の出身で、フレデガンドが親衛隊長になった後に騎士団の副長となった。
 几帳面な性格で、質実剛健、まさに騎士の典型のような人物である。
 豪放な性格のマクシミリアンとは好対照だが、だからこそ騎士団としての規律が保たれているともいえる。
 もちろん、戦技においても騎士団の中では抜きんでていた。

「おい!副長が出てきたぞ!」

 ユリウスの申し出にさらにその場が沸き立った。
 そして、全員が見ている前で、ユリウスはハルバードを手にする。
 彼は、騎士団の中でも随一のハルバードの使い手として知られていた。

「おい!あれって!?」
「ああ。訓練用で刃は潰してあるけど、あんなものをまともに食らったら無事じゃすまないぞ」
「しかし、長柄の武器でエルフリーデのスピードに対抗できるのか?」
「バカっ!副長に限ってそんなことはないだろう」

 見ている者それぞれが、思い思いのことを口にする。
 今日のエルフリーデの戦い方を見てきた彼らには、もしかしたら彼が負けることもありうるかもしれないという思いがあった。

「ともかく、これは見物だな、旦那」
「ああ。副長の腕は確かだしな」
「それに、ハルバードってのは厄介な武器だからな」
「そのとおりだ。長柄の武器とはいっても、別に端を持って扱うわけではないからな。それでも充分リーチはあるし、それでいてガイゼリックの大剣よりかはよっぽど小回りが利く。それに斬り払うだけではなく突くこともできるし、攻撃のパターンが豊富な分、対応が難しい」

 ざわめく一同の中で、フィロンとブルーノは冷静に論評をしている。

「ま、ここはエルフリーデがどう戦うか見せてもらうとするか。もし副長に勝つようなら本物だぜ」

 そう言ってフィロンは身を乗り出す。




 訓練場の中央では、エルフリーデとユリウスが一礼してそれぞれに武器を構える。
 マクシミリアンが双方の顔を見てゆっくりと手を挙げる。

 そして。

「はじめっ!」 

 合図と同時に、ユリウスが鋭く横薙ぎに払った。
 エルフリーデは、大きく後に跳び退いてそれをかわす。
 だが、間髪を入れずにユリウスは鋭い突きを続けざまに見舞う。
 それを今度は、横にステップを踏んでかわしていく。

 そして、もう一度ユリウスが薙ぎ払ったハルバードを後に退がって避けた次の瞬間、エルフリーデは大きく前に踏み出した。

「くっ!」

 だが、その懐に飛び込む前に襲ってきた石突きでの攻撃をなんとか剣で受けとめるが、そのまま押し戻される。
 そして、再び繰り返される突きと縦横の切り払いをどうにか避け続けるエルフリーデ。



「あれだ。あのタイミングで踏み込んでも間に合わない」

 防戦一方のエルフリーデの姿を眺めながらブルーノが呟いた。
 黙ったままでフィロンも頷く。

 その目の前で、またもや横に払われたハルバードを後に飛んでかわすと、エルフリーデはさっきよりも鋭く前に踏み出す。
 今度は上手く懐に飛び込んで打ち込んだかと思えた。
 だが、ユリウスはハルバードの柄でその剣を受けとめていた。
 そして、剣の当たっているところを支点にしてハルバートを横薙ぎに払い、エルフリーデを押し戻す。

「あれでも無理か」
「ああ。だが、副長の攻撃を後にかわしてからでは、あれが精一杯だろうな。どう素速く飛び込んでも、僅かの差で副長の方に対応する余裕が生まれる」
「さあて、どうするよ、エルフリーデ」

 後に跳び退いてからではユリウスの懐に潜り込むことはできない。
 それがフィロンとブルーノの見解だった。

 そして、それはふたりの戦いを見守るマクシミリアンも同じ。

 長柄の武器相手では威力でもリーチの長さでも負ける。かといってユリウスの攻撃は速さも正確さもある。
 さて、どう切り抜ける、エルフリーデ?

 皆の見ている前で、エルフリーデはユリウスの攻撃をかわすのに精一杯で、反撃の糸口を掴めないでいるようにみえた。

 そして、突きをかわしたエルフリーデが一歩踏み出そうとした瞬間に、ユリウスがリズムを変えて横に払った。

「あれはまずい!やられたか?」

 相手が攻勢に出ようとしたタイミングを捉えたユリウスの攻撃に、フィロンが息を呑む。

 前に出ようとした瞬間に切り払われては避けようがない。
 誰もが、吹き飛ばされる彼女の姿を想像して息を呑んだ。

 しかし。

「なにっ!?」

 エルフリーデは深く体を沈めて、紙一重のところで攻撃をかわしていた。
 そして、そのまま体を伸び上げるようにして大きく踏み出すと、ユリウスの喉元に剣を突きつける。
 ユリウスは一瞬、驚いた表情を見せるが、ゆっくりと武器を下に降ろす。

「……お見事。私の負けだ」

 そして、苦笑しながら負けを認める。
 その様子を眺めているマクシミリアンの顔にも笑みが浮かんだ。

 昨日俺がやって見せたことを覚えていたな。
 なるほど、日々進化しているってことか。

 今、エルフリーデがやって見せた、体を沈めて相手の攻撃をかわす動きは、前日手合わせしたときにマクシミリアンが見せた動きだ。
 それを彼女は、今日すぐに、それも強敵相手にやってのけた。

 いい線行くだろうとは思っていたが、まさかここまでやるとはな。

 マクシミリアンは満足げに頷くと、頃合いと見て勝ち抜き戦の終わりを告げる。
 この日の訓練は、エルフリーデの10人抜きで幕を閉じた。

 騎士団の皆は、ある者はエルフリーデに近寄って祝福し、ある者はその強さを称賛している。
 その実力を目の前で見せられては、彼らもそれを認めざるを得ない。
 胸の内で嫉妬を抱いた者もいるだろう。だが、実力主義で強い者を素直に認める風潮の強い今の騎士団では、嫉妬をあからさまに顔に出す者はいない。
 それに、大半の人間が素直に彼女の上達ぶりに驚き、称えていたのだから。
 もちろん、その中の誰ひとりとして、彼女の肉体がシトリーの魔の気によって強化されたというからくりを知るはずもなかった。





* * *






 その日の夜。

 王都フローレンスの盛り場で酒を飲んでいるのは、フィロン、ブルーノ、ガイゼリックの3人。
 別に、夜の酒場に繰り出すことは騎士団では禁じられてはいない。
 もちろん、酔って醜態を曝したり、暴力沙汰を起こすことなど、騎士団の名誉を傷つける行動は問題外だが、そうでなければ今の騎士団は寛容で、個人のプライベートにまでそううるさく言われることはなかった。
 なにしろ、騎士団長のマクシミリアン自身が、夜の盛り場で機嫌良く酒を飲んでいることがしばしばであった。
 だから、騎士団のメンバーの姿が見られるのは別に珍しいことではない。
 特に、彼らのような平民出身の者にとっては、こういう場で飲んでいる方が落ち着けるので、好んで下町の酒場に来ることが多かった。



「まったく、エルフリーデのやつ、あんなに強かったか!?」

 そう言って、陶製のジョッキを呷るガイゼリック。

「そこそこ強かったぜ、昔から。身のこなしは素速いし、技術もあった」

 椅子の背もたれに腕を掛けて話をしながら、フィロンはちびちびと酒を飲んでいる。

「だけど、今日のあいつはスピードも力強さも以前とは見違えるほどだったな」
「うむ。あいつは練習熱心だし、体もずっと鍛えていたんだろうがな」

 フィロンの言葉に、ブルーノも同調する。

「しかし、驚くべきは対応の柔軟さだな。以前のあいつの攻撃は、確かに速さはあったが直線的で単調なものだった。だが、今日のあいつは、相手をよく見て、戦い方を臨機応変に変えてきていた」
「それだ!いったい何があったんだ!?」

 ガイゼリックが大きく身を乗り出す。

「さてな。でも、邪教討伐に出る前から団長が何かと目をかけていたしな。薫陶よろしきってやつじゃないのか」
「でもよ、団長にはフレデガンドって恋人がいるんじゃねえのか?」
「別にそう言うわけじゃないだろう。団長がフレダの姉御にぞっこんなのは間違いないさ。あの人のことだから、単にエルフリーデの素質を見抜いてのことだと思うけどな。旦那もそう思うだろ?」
「ああ。そうだな」

 フィロンもブルーノも、ガイゼリックの言葉を一笑に付す。

「まあ、あれだけのやつが仲間だってのは心強い話じゃねえか」
「そ、そりゃそうだがよ」
「それにしても、大の男が束になって、ふがいない話だな」
「違いねえや」

 苦笑いしながら、フィロンはぐいと酒を飲み干す。

「そう言えば、ダニエルのへたれ具合ったらなかったよな。あいつこそエルフリーデに気があるんじゃねえのか?」

 そう言って、またガイゼリックが身を乗り出してくる。

「おまえはそんな発想しかできねえのかよ。ま、あいつらは年も近いし仲がいいのは確かだが、ダニエルには婚約者がいるはずだぜ」
「婚約者?」
「ああ。あいつは貴族の息子だからな。親が決めた相手がいるんだよ」
「なんでえ、そうかよ」

 面白くなさそうにどっかりと椅子に座るガイゼリック。

「それにしても、好きな相手ひとり自分で選ぶことができんとは、貴族も面倒なものだな」
「それがそうでもないみたいだぜ、旦那。ダニエルが婚約者の子と一緒にいるのを見たことがあるけどな、人形みたいにかわいい娘だったぜ。なんていうか、見てるこっちが恥ずかしくなるくらい初々しいカップルでな」

 饒舌に話し続けるフィロンの話を聞きながら、物静かに酒を飲み続けるブルーノ。
 そして、話題は次第に他愛のないものへと移っていく。





「うははははっ!いや、いい気分だなぁ、おい」
「全く、ちょっと飲み過ぎじゃねえのか、ガイゼリック?」
「そんなことあるかよ。まだまだいけるぜえ」

「ちょっと〜、そこのおにーさんたち、うちで一杯やってかない?」

 酒場を出た3人が、人気のない路地にさしかかったとき、不意に女の声に呼び止められた。
 見ると、明らかにコールガールとわかる女がそこに立っていた。
 浅黒い肌に黒髪、くりっとした大きな目に、こぼれるような笑顔が特徴的だ。
 肌も露わな黒いドレスは、丈がふとももまでしかなく、すらりとした足をさらけ出していた。

 よく見ると、その背後にもうふたり立っている。
 ひとりは赤紫の髪の少し年増の女。もうひとりは紫の髪の少女。
 年はだいぶ違うように見えるが、ふたりとも申し分のない美人で、黒髪の女と同じ様な肌も露わな格好をしていた。
 年上の方は豊満な胸を強調するように胸元の大きく開いた格好で、少女の方は楚々とした雰囲気のドレスを着ている。

「姉ちゃんの店で?いいねぇ」
「おいっ、こら、ガイゼリック!」

 鼻の下を伸ばしてふらふらと女たちの方に歩いていこうとするガイゼリックを、フィロンが引き止めようとする。

「なんだよ、フィロン?」
「おまえ、もうだいぶいい時間だぞ、わかってんのか?」
「明日の訓練に響かなけりゃいいんだろ」

 ていうか、あいつらの格好を見たらただ酒を飲むだけのところじゃないってすぐわかるだろうが!

 そう言おうとしたフィロンは脇から腕をつかまれた。

「あら、こちらのお兄さんもハンサムね。あなたもどう?お安くするわよ」

 フィロンの腕に自分の腕を絡めて、赤紫の髪の女が耳元で囁く。
 場末の街角に立つ女特有の、安物の香水の匂いが漂ってくる。

 ん、これは……。誰かに似てないか?

 フィロンは、その女の顔をどこかで見たことがあるような気がするが、どこで会ったのか思い出せない。

「いいじゃねえかよ、フィロン。なあ、姉ちゃん。姉ちゃんとこにいるのはここにいる3人だけなんてことはないよな?」
「もちろんよ〜。あたしみたいな可愛い子が沢山いるわよ〜」
「へっへっへ。そりゃ、もう行くしかないよな」
「おい。ガイゼリック!」
「さあ、お兄さんもどうぞ」
「くそ。おい、ブルーノ!おまえも来てくれ!」
「俺も?」
「目付役だ。俺だけじゃあのバカを止められる自信がない!」
「そうは言ってもだな」
「さあ、あなたもどうぞ、私がご案内します」

 紫の髪の少女が、ブルーノの腕に細くて華奢な腕を絡めてくる。
 体のラインも細く、胸の膨らみも小さいが、蠱惑的な青い瞳を潤ませてこちらを見上げている。

「さあ」
「う、うむ……」

 少女に促されて拒むこともできず、ブルーノも先を行く4人に続いて歩きはじめる。




「おい?この街にこんな路地があったか?」

 路地をいくつかまがって歩きながら、フィロンがブルーノに訊ねる。

「ああ。俺も初めて見る通りだ」

 おそらく、まだ盛り場の中なのだろう、それは何となく雰囲気でわかる。
 通りの両側にある店のあちこちからは、まだ灯りが点り、盛り場特有のざわめく声が漏れている。
 だが、それらの店にも、いや、その路地そのものにも見覚えがない。

 だいいち、この街の下町はこんなに広かったか?

 フィロンの頭にそんな疑問が浮かぶ。
 曲がった角の数、歩いた時間を考えても、もう盛り場のあるエリアを出ていてもおかしくないはずだった。

「さあ、もう少しで私たちの店に着きますよ」

 フィロンに体を寄り添わせている女が囁くように言う。
 その、赤紫の髪に紫紺の瞳には、確かにどこかで見覚えがあるのだが、どうしても思い出せない。

「はいはい〜!着きましたよ〜!」

 ガイゼリックと腕を組んで先頭を行っていた黒髪の女が指さす先に、一軒の店があった。
 
 確かに、煌々と灯りの漏れているその建物には、居酒屋を示す看板が下がっていた。
 スラムに近いエリアでは、普通の居酒屋の体裁の店で女を買うことができる。そういう店があることはフィロンも知っていた。
 それにしても、彼は妙な違和感を感じていた。
 この3人の女たち、確かに美人だし、格好はどこからどう見ても娼婦のものだ。
 だが、漂わせている雰囲気はただの娼婦のそれではない。
 だいいち、今自分たちが街のどの辺りにいるのか、その感覚が全くつかめない。

 そんなフィロンの心配をよそに。

「それじゃ、階段を降りた先ですから気をつけてね!」

 中に入ると、地下に降りる階段があり、黒髪の女が先に立って歩いていく。

「なんでえ、地下に店があるなんて変わってるな」

 口ではそう言いながら、全く警戒する素振りも見せずにガイゼリックも後について降りていく。

「おい、ガイゼリック!……まったく」

 渋々と言った様子でフィロンとブルーノも後に続く。

「はい、お客様のご到着〜!」

 階段を降りると、そこは想像以上に広い空間だった。
 いくつものランプに照らされたその広間の床には絨毯が敷かれ、壁には豪華な装飾が掛けられている。
 しかし、どう見てもおかしい。
 なにしろ、酒を飲むにしても、そこにはテーブルひとつなかったのだ。

 その代わり、彼らの目の前には……。

「あ、男の人……」
「男の人だ」
「欲しい、男の人の……」

 肌も露わな、と言うどころではない。半裸の女が3人、こちらに顔を向けた。
 そして、女たちはフィロンたちの姿を認めるとにじり寄ってくる。

「わたしにちょうだい。男の人のおちんちん」
「わたしも。太くて大きいのが欲しいの」
「ねぇ、お願い」

 口々にそう言いながら見上げてくる女たちの瞳は潤み、顔も、露わになった胸もほのかに赤く染まって汗ばんでいる。

「な、なんだ?これは?」

 フィロンがそう叫ぶのとほぼ同時に、辺りの景色が一変した。
 壁の装飾も絨毯も消え去り、床も壁も、石組みの露わになった殺風景な空間に彼らは立っていた。

 そして、目の前で微笑む赤紫の髪の女。
 その横に歩み寄る紫の髪の少女。いや、少女の髪は紫ではなく、淡いグレーになっていた。

 そうだ、あれは!!

 ようやくフィロンは女が何者か思いだした。
 雰囲気と服装があまりにも違うためと、あんな所でその人物がそんなことをしていることなどあり得ないために、フィロンの中で認識が今まで一致しなかったのだ。
 だが、間違いない、彼女はこの国の魔導長、ピュラだ。

 そう気付いたのも束の間、フィロンは自分の周りの空間が歪んでいくような感覚に襲われ、気が遠くなっていく。




 そして。

 意識を失い、床に倒れ込むフィロン、ブルーノ、ガイゼリックと3人の女たち。
 同様に、意識を失っている灰色の髪の少女、リディアの体を抱きかかえて、ピュラは床に転がる6人の男女を見下ろしていた。

 フィロンたちをここに誘い込んだのは、それぞれ幻術と変身で娼婦に擬装したピュラ、リディア、エミリアの3人。
 道中、ピュラとリディアの工夫を凝らした幻術で盛り場の路地を歩き続けているものと思い込ませ、連れてきたのはここ、魔導院の地下牢。
 そこにいるのは、リディアの能力の実験の犠牲となり、男の肉棒による快楽を求めるだけの淫乱な獣と化した女たちだった。
 この、シトリーの言葉を借りれば地下牢の獣たちを使って、ピュラとリディアは魔導院と教会の男を何人も快楽の虜にし、自分たちの命令通りに動くようにしてきた。
 それも、リディアが力に慣れ、より自在に操れるようにする練習の一環だ。今回は、それが、いよいよ騎士団に及んだだけのこと。
 今日、彼らが酒場で飲んでいるという情報は、すでに夕方にはエルフリーデからの報告で手に入っていた。
 後は、擬装の仕込みをして、彼らが店から出てきて人通りの少ない路地にさしかかるのを待ち構えていたのだ。

 ピュラは、薄笑いを浮かべて目の前の男女を見下ろしている。

 その、半裸で意識を失っている女の中には、赤毛をポニーテールにまとめた女。かつて魔導院王都特務室の魔導師であったレオナの姿もあった。







 気が付くと、フィロンは靄のかかった茫漠とした空間に立っていた。

「ん?ここはいったい?」

 自分の置かれた状況が確認できずに戸惑うフィロン。

 だが。

「ねぇ、お願いしますぅ」

 冷静さを取り戻す間もなく、自分にしがみついてくる半裸の女の姿に狼狽える。

「なっ?こらっ!……!?」

 女の体を振り払おうとしたフィロンは、自分の体が動かないことに気付いた。

「な?ど、どうして!?」

 混乱しているフィロンには構うことなく、赤毛のポニーテールの女が、フィロンのズボンをずらしていく。

「おいっ、おまえ!」
「あ、おちんちん、まだこんなに萎れてる……」

 ズボンを完全にずり下げて、露わになったそれを見て、女は少し悲しそうな表情をする。
 しかし、すぐに、ふやっと腑抜けた笑みを浮かべると、それに手を伸ばしてきた。

「でも、わたしが、気持ちよくしてあげますね」
「くうっ!」

 いきなり股間のものを握られて、フィロンが小さく呻く。

「はやく大きくなって、わたしも気持ちよくしてくださいね」
「うっ、くううっ!」

 笑みを浮かべながら、女がゆっくりと手を動かし始め、鈍い快感が伝わってくる。
 女の手で扱かれて、次第に快感も大きくなっていき、それに合わせて肉棒がむくむくと大きくなっていく。
 上目遣いに見上げてくる女は、確かに美人だが、その瞳には理性の光が感じられず、欲望にまみれた白痴的な笑みを浮かべている。

「ぐああっ!」
「うぐっ!」

 その時、すぐ近くで、男の呻く声が上がる。
 その声の上がった方に目を向けると、そこにはガイゼリックとブルーノの姿があった。
 それぞれの前に、自分と同じく女がひとりずつかしずいている。
 ほとんど裸同然の女たちは、ガイゼリックには胸で、ブルーノには口で、思い思いの方法で肉棒を扱いている。

「くあああああっ!」

 肉棒が暖かいもので包まれる感触に、フィロンの口からも呻き声が洩れる。

「ん、んむ、んふ、ちゅ、じゅっ、じゅっ、じゅるっ……」

 女が、肉棒を口に咥え、舌と唇を使って刺激を加えてきた。

「があああっ、くああああ!」

 肉棒をしゃぶる女の動きは確かに巧みで、たまらなく気持ちいい。
 その刺激に肉棒が熱くなっていき、どくどくと脈打っているのが自分でもわかる。
 それにしても、この全身が痺れるような快感は普通ではない。

 こ、これはっ?いったい何が起きているんだ!?

 フィロンは、これまで何人もの女を抱いた経験がある。
 だが、今、体を駆け巡っているほどの快感は、これまでに感じたことがない。

 と、その時。

(ほら、気持ちいいでしょ)

 突然、頭の中に女の声が響いた。

「なっ、なんだっ!?おまえはいったい!?」

 咄嗟のことに、その謎の声に対して、声に出して反応してしまう。
 だが、フィロンの問いにその声は答えることはなかった。
 その代わり、帰ってきたのは。

(さあ、もっと気持ちよくなって)
「ぐうっ、かはあああああああっ!」

 頭の中に、再びその声が響く。
 すると、それと共に、さらに快感が高まっていく。

(いいのよ。もっと感じてちょうだい)
「ぐあっ!うあああああっ!」
「んふ、んっ、んっ、あふ、じゅるるっ!んふ、あ、いま、おちんちんがびくびくって。ん、ちゅ、ちゅる、んむ、んっ、んっ」

 全身を貫く強烈な快感にフィロンは身をよじる。
 そして、その反応は、女が咥え込んでいる肉棒にも如実に現れる。
 女がいったん口を離して蕩けた笑みを浮かべると、再び肉棒を咥えてさらに激しくしゃぶり始めた。

(ほら、気持ちいい)
「ぐああああっ!や、やめろっ!」
(どうして?こんなに気持ちいいのに?)
「うあああああああああああっ!」

 肉棒への愛撫と、頭の中に響く謎の声によって、フィロンは一気に射精へと持って行かれる。

「んっ、んくうっ、んんんんっ!ふあああああっ!ああ、精液、こんなに、いっぱい」

 口の端から涎のように白濁液を垂らし、潤んだ目で見上げてくる女の顔は欲情にふやけて、妖しいまでに淫靡な雰囲気を漂わせている。

「すごい。こんなにいっぱい出しても、まだこんなに大きい。その大きなおちんちんで、今度はわたしのここをたくさん気持ちよくしてくださいぃ」

 女はふらりと立ち上がると、恥ずかしげもなく自分の陰部を目の前に突き出す。
 フィロンの目の前で、赤く爛れたような襞がひくひくと動き、とろりと蜜が溢れ出ている。

「あ、うああ……」

 目の前の媚肉を凝視したまま呻くフィロン。
 その頭の中に、さらに声が響く。

(あなたの好きにしていいのよ。ほら、快楽に身を任せなさい)

 その言葉が引き金となった。

「うおおおおおおおっ!」

 獣のような声をあげると、女の体を押し倒し、肉棒を一気にその秘部へと突き入れる。

「あはああああああっ!すごいいいいいいっ!」

 すぐに大きく腰を動かし始めて、歓喜の声をあげる女の秘裂を何度も何度も突き上げていく。
 さっきまで動かなかった体が、今は動いていることを気にすることすらもうフィロンにはできなかった。

「あんっ、ああっ、もっと、もっと奥まで突いてえええっ!」

 体を仰け反らせ、ポニーテールにまとめた髪を跳ねさせて悦びに喘ぎながら、女がフィロンの腰に足を絡めてきた。
 女の膣の中は暖かく滑り、肉襞がまとわりついてきて、脳が溶けそうなくらいの愉悦をもたらしてくる。
 実際、フィロンはまともな思考ができないほどに、女の体の虜になっていた。

「がああああああっ!」
「あんっ、あっ、あっ、大きい!奥までズンズン響くのおっ!」

「ふんんんっ」
「はあっ、そこっ!そこがいいのっ!あ、ああっ!」

 気が付けば、ガイゼリックは女の体を抱え上げて、ブルーノは女を四つん這いにさせてバックから犯していた。
 だらしなく口を開き、獣の咆哮のような声をあげながら腰を打ちつけ、女たちの膣に杭のように肉棒を打ちつけ続けている。
 男も女も快感に溺れ、快楽に身も心も蕩けさせた表情をしていた。

(もっと、もっとよ。快感に身も心も全て委ねなさい)

 フィロンたちの頭の中に、謎の声が響き続ける。
 彼の頭の中はすでに女を犯す快楽に埋め尽くされていた。
 実際、今自分が犯している女の肉襞は熱く、とろとろと肉棒に絡みつくようで、その快感をいつまでも感じていたくなる。

(あなたたちにとって、快楽こそがすべて。この快感なしに、もうあなたたちは生きてはいけない)

 その声が、心の中にまで染み込んでいく。
 すると、男たちの腰を振る動きがさらに大きく激しくなっていくようだ。

 淫らに絡み合う6人の男女。
 その、3人の男の体のそれぞれに、1本の蔓が突き刺さっていた、
 その蔓が伸びていく先には、紫の髪に金色の瞳の少女。
 魔族状態のリディアだ。

 リディアは妖しく微笑むと、激しく女を犯している男たちの頭の中にさらに声を送り込んでいく。

(ほら。気持ちいいでしょ)
「うああっ!気持ちいいっ」
(もっと気持ちよくなりたい?)
「あっ、ああ!」

 男たちは腰を大きく振って女の秘裂を突きながら、頭の中に響く声に答えていく。

(わたしの言うことを聞いていれば、あなたたちはいつでもここで気持ちよくなることができるわ)
「おまえの言うことを聞けば!?」
(そう。わたしの言うとおりにしていれば、あなたたちはいつでもこの快楽を手に入れることができるの)
「しかしっ、それは!?」

 僅かに残った理性が、謎の声の言うことを肯んじることを躊躇わせる。
 だが、彼らの抵抗もそれまでだった。

(あら?嫌なの?だったらこの快感ももう終わりね)

 いったん突き放してきたその声に、彼らは一斉に答える。

「やるっ!おまえの言うとおりにする!」

 快感を求めるよう心に刷り込まれ、快楽に溺れさせられている彼らは、もうその声に抗うことができない。

(そう。いい子ね。じゃあ、あなたたちは、これからシトリー様のために働くの)
「シ、シトリー様?」

 その、頭に響く謎の声と共に、フィロンたちの頭の中に黒髪に金色の瞳の男の姿が浮かび上がった。

「これがっ、シトリー様!?」
(そう。この方がわたしたちのご主人様。わたしたちはこの方のために働くの)
「これがっ、俺たちの、主人……」
(そう。シトリー様の役に立てば、もっとこの快感を手に入れることができるわ)
「あっ、ああ……」

 目を見開き、だらしなく口を開いたまま、彼らは女たちを犯す腰の動きを止めない。
 肉棒を女の中に突き入れるそのひと突きごとの快感とシンクロするように、フィロンたちの精神にシトリーへの忠誠心が刷り込まれていく。

(わかった?あなたたちはシトリー様のために働く兵士になるの)
「なる……シトリー様の兵士に……」
(よくできました。では、ご褒美よ。天にも昇る快感に、身も心も蕩けさせなさい)
「ぐああああああっ!」
「がああああああっ!」
「くうううううううっ!」
「ふあああああっ、いいいいいいいぃ!」
「ああああああっ!イッちゃううううううぅ!」
「ふおおおおおっ!しゅごひいいいいいい!」

 男たちが獣のように腰を突き上げていき、女たちの歓喜の声も大きくなっていく。
 そして、子宮まで貫かんばかりに深々と肉棒を女の体に打ち込み、体を震わせる。

 その瞬間、フィロンたちの視界が真っ白になる。

(ふふふ。これからも私たちの言うことを聞いてシトリー様のために働けばご褒美がもらえるわ)

 遠のく意識の中で、最後の声が頭の中に響いていった。





* * *






 日付が変わって、翌日の朝。

 これは、また夢?

 フレデガンドは、またあの夢を見ていた
 上下の感覚もない空間で、目の前には抱き合っているマクシミリアンとエルフリーデ。
 ふたりを止めたくても、体が動かない。

 ただ見ていることしかできないフレデガンドの前で、ふたりは見つめ合い、目を閉じると顔を寄せていく。

 やめて!だめよ、マックス!そんなことやめて!

 恋人と後輩が口づけする姿を見ながら、声にならない叫びをあげるフレデガンド。



「はっ!?」

 目を覚ますと、親衛隊隊舎の自分のベッドの上だ。

「またあの夢を……」

 あの独特の空間の中は、夢だとすぐにわかる。
 しかし、夢だとわかっていてもマクシミリアンとエルフリーデが抱き合い、口づけを交わす姿など見たくない。
 見たくないのに、直視したまま目を逸らすことができない。

「まだ、昼までには時間があるわね」

 昨日は深夜から早朝まで王宮の警護に当たっていた。
 だから、眠っていたのは3時間足らずだろうか。
 今日は、午後から、市壁の外に新設された市場の施設に赴くクラウディアの護衛として同行することになっている。
 もう少し眠る時間はあるはずだが、あんな夢を見た後ではもう眠れそうにない。

 昼夜を問わず交替で王宮と女王を守るのが親衛隊の務めだ。
 生活が不規則になるのにはもう慣れている。
 だが、夢見の悪さが疲労感を増しているような気がした。





 昼過ぎ、王宮。

「では、行きましょうかフレダ」
「はい。クラウディア様。」

 クラウディアに付き従って、馬車に乗り込むフレデガンド。
 彼女たちふたりと侍従、大臣を乗せて、馬車は市場の視察へと走り出す。



「賑わっているわね」
「はい。この地区は街道沿いで都の西門も近いですし、隣接して宿屋も建てさせましたから隊商にとっても便利なようで、西方からの商品が盛んに取り引きされているようです」
「やはり、ここに市場を新設したのは正解だったわね」
「はい」

 馬車の中から市場の様子を窺いながら大臣と言葉を交わすクラウディア。
 フレデガンドも、周囲の人混みを注意深く見回す。
 もちろん、護衛として怪しい者がいないかチェックしているのだ。

 と、その時。

「あ!」

 視界の端にちらりと映ったふたりの人影に、フレデガンドは思わず小さな声をあげる。

「どうしたのですか、親衛隊長?」

 クラウディアが訝しそうに訊ねてきた。
 大臣たちの手前もあって、いつものようにフレダ、ではなく、親衛隊長、と呼んでいる。

「い、いえ、私の見間違いのようです。視察の邪魔をしてしまい申し訳ございません」

 そう言って頭を下げるフレデガンド。
 だが、あれは見間違いではなかった。
 すぐに人混みに紛れてしまったが、あれはマクシミリアンとエルフリーデだ。
 ふたり並んで歩くその後ろ姿は親しげに体を寄せ合い、そして、マクシミリアンが抱くようにエルフリーデの腰に手をかけていた。


 フレデガンドが黙ると、クラウディアは再び、改善すべき点などについて大臣と話し始める。
 そして、市場の視察は特に大きな問題はなく終わった。

 ただひとり、浮かない顔をしているフレデガンドを除いて。


 視察を終え、すぐに馬車は王宮へ戻るために走り始める。
 馬車の中、フレデガンドは煩悶として座っていた。
 本人は馬車の外に目を向け、注意を払っているつもりなのだが、心ここにあらずなのは誰の目にも明らかだった。

 帰る道々、押し黙ってしまったフレデガンドに、大臣と話をしながらクラウディアが時々心配そうに視線を投げかける。
 そして、馬車は王宮に近づき、騎士団の隊舎の前を通りすぎた。

 ええ!?

 フレデガンドは、あまりの驚きにまた声をあげそうになった。
 隊舎の前で、騎士たちになにやら指示を出しているマクシミリアンの姿が目に飛び込んできたのだ。

 そんな?マックスはさっきエルフリーデと市場にいたはずよ!?

 市壁の外に新設された市場からここまではかなりの距離がある。
 騎馬ででもない限り、馬車よりも速く戻ってくることは不可能だ。
 さっき見たふたりは徒歩だったはずだ。

 どういうことなの?

 市場で見たことと、今見たことの説明がつかずにフレデガンドは戸惑う。

 ここにマックスがいるのなら、さっき市場にいたのはいったい誰だというの?
 どっちが、どっちが本当のマックスなの?

 それに、あのエルフリーデはいったい?
 幻覚ででもない限り、見間違えるはずはない。
 昨日、厩舎の裏でマクシミリアンとキスをしていたのも、今日ふたりで親しげに市場を歩いていたのもやはりエルフリーデなのか?
 そんな、エルフリーデがそんなことを……。

 でも、だとしたら、たった今、騎士団の隊舎の前にいたマックスは?

 考えれば考えるほわけがわからなくなる。
 ただ、嫉妬、不安、混乱、そして戸惑い。
 およそ好ましくない感情がフレデガンドの胸の奥で渦巻いていた。




「親衛隊長?」
「は、はい」

 不意に、クラウディアに声をかけられて慌てて返事をするフレデガンド。

「到着しましたよ」

 気づけば、もう宮殿の前に馬車が着いていた。
 心配そうな顔でクラウディアが自分を見ていた。
 大臣たちも訝しむようにこちらの方を窺っている。

「これは。失礼いたしました」

 フレデガンドは急いで馬車を降りると安全を確認し、直立してクラウディアが馬車を降りるのを迎える。
 そして、クラウディアの後に従って宮殿の中へと入っていった。





「いったいどうしたというの、フレダ?」

 王宮の中、女王の執務室へ向かう廊下の途中でクラウディアがフレデガンドの方に振り向いた。

「やはり、昨日から何かおかしいですよ」
「いいえ。クラウディア様、そのようなことは……」

 口ではそう答えるが、目を伏せて、クラウディアの顔を直視することはできない。
 明らかに何かあるのに、それを口に出そうとしない。

 その姿に、クラウディアも悲しそうに顔を歪める。
 彼女が黙っている理由はクラウディアにも察することはできた。
 それはきっと、彼女のプライベートな問題。
 臣下の身でありながら、私的な話で主君を煩わすことはできない。
 そんな彼女の心中はクラウディアには痛いほどわかる。

 だが、自分は女王である以前にひとりの女だ。
 フレデガンドのこともただの臣下だとは思っていない、自分にとって大切な友人のひとりだとすら思っていた。
 だから、昨日から塞ぎがちで、今も顔を伏せたままでいる姿を見るとなんとかしてあげたいと思う。

「あの、こんなことを聞いてはいけないのかもしれないけど、もしかして、マクシミリアンと何か……」
「いえっ、そんなことはっ!」

 顔を伏せていたフレデガンドが、吃驚したようにクラウディアの顔を見上げた。
 そして、両手をクラウディアに向け、ばたばたと振りながら慌てて否定する。
 その取り乱しようは、かえってマクシミリアンと何かあったことを確信させるに充分だった。

「本当に何でもないんです。クラウディア様にまでお気遣いさせて申し訳ございません。でも、大丈夫です。本当に何も、ありませんから……」

 再び顔を伏せ、いつもの彼女とは似ても似つかぬ小さな声で、だが、はっきりとクラウディアの申し出を拒絶する。
 まるで、自分とフレデガンドの間に見えない壁を作っているようで、クラウディアにはそれ以上もう何も言えない。

「……そう。わかったわ」

 寂しげな笑みを見せると、クラウディアは執務室の中へと入っていく。
 はっとして面を上げたフレデガンドも、今にも泣きそうな表情を浮かべていた。





* * *






 同日、騎士団の隊舎。

「おーい、ダニエル」
「なんでしょうか、フィロンさん?」

 背後から呼び止められてダニエルが振り向くと、フィロンがにやにやしながら立っていた。

「これが来てるぞ」

 そう言ってフィロンは小指を立てる。

「えっ、あ、いやっ、フィロンさん!」
「ほら、入り口の所で待ってるぞ、とっとと行ってやりな」

 顔を真っ赤にして狼狽えているその尻を、フィロンがぽんぽんと叩く。
 小さく頭を下げると、ダニエルは急ぎ足で入り口へと向かう。
 その後ろ姿を、フィロンがにやつきながら見送っていた。




 ダニエルが表に出ると、金髪の少女が駆け寄ってきた。

「ダニエル様!」
「いったいどうしたんだい、ジュスティーナ?」
「はい、お父様からこれをダニエル様に渡すようにと」

 ジュスティーナと呼ばれた少女は、ひとつの包みをダニエルに差し出す。
 年の頃はダニエルよりも少し下くらいだろうか。
 まるで、人形のように小ぶりな顔立ちに、ウェーブのかかった流れるような金髪、そして青く透き通った瞳。
 絹のような白い肌も相俟って、いかにも貴族育ちらしい気品を漂わせている。

「これは?」

 ダニエルが包みを開けると、ペンダントのようなものがひとつ出てきた。

「先日、お父様がイストリアへ巡礼に行ったのですが、その時に手に入れた護符だそうです。なんでもこれを身につけている戦士の身を守り、武功を立てる助けをするとか。やはりあちらは教会の総本山もありますし、ぜひともダニエル様にこれを、と」
「これはわざわざ。しかし、それなら何も君が持ってこなくても、使者なりに屋敷に持って来させればよいものを」
「あっ、いえっ。そ、それは、わたくしが自分で申し出たのです!あ、あの、ダニエル様にお会いしたくて」

 そういったまま、ジュスティーナは恥ずかしそうにもじもじしている。

「しかし、こちらはまだ勤めの最中だし」
「す、すみません。しかし、ダニエル様が邪教討伐に従軍なさっている間、ずっとお会いできなくて、わたくし、それが寂しくて、ご無事かどうか不安で……」

 話しているうちに、その声は消え入りそうなほどに小さくなっていく。
 そのまま、泣き出しそうな表情になったジュスティーナをみて、ダニエルはふっ、と口許を綻ばせる。
 そして、その華奢な体をそっと抱き寄せる。

「お父上にも、お気遣いかたじけないと伝えておいてくれ」
「あ、ダニエル様……」
「でも、あまり隊舎まで来るんじゃないぞ」
「はい」
「では、僕はもう戻る」
「あっ、あの、ダニエル様!」

 身を翻して中に戻ろうとしたダニエルを、ジュスティーナが慌てて呼び止めた。

「どうしたんだ?」

 ダニエルが立ち止まると、ジュスティーナはしばし躊躇していたが、もうひとつ包みを取り出す。

「こ、これを、ダニエル様に……」

 そう言ってジュスティーナが自分で包みを開くと、そこには宝石を散りばめた、細工の見事な金のフィブラ(帯留め)があった。

「これは?」
「は、はい。これはわたくしからお父様にお願いしておいたものです。東方の金細工は良いものが多いので、きっとダニエル様に似合うだろうと思って」
「そうか。ありがとう、ジュスティーナ」

 顔を真っ赤にして手を差し出しているジュスティーナからフィブラを受け取ると、もう一度その体を優しく抱く。

「こんど君の屋敷を訪ねるときには、これが映える格好で行かなくてはいけないね」
「ダニエル様……」
「さ、今日はもうお帰り。まさか、歩いてきたわけではないよね」
「はい。外に馬車を待たせてあります」
「じゃあ、馬車まで送ろう」

 ダニエルとジュスティーナは、ふたり並んで隊舎の外へと向かう。



 そんなふたりの姿を、物陰から眺める人影があった。

「なかなか初々しいカップルじゃないか」

 まず口を開いたのは、黒髪の少女。怪しまれないように女の子の姿で外出したシトリーだ。

「はい。彼はダニエル。騎士団の若手の中では剣技はかなりのものです。そこそこ大きな貴族の次男で、将来的には騎士団の幹部になると目されています」

 少女にそう説明しているのはもちろんエルフリーデだ。
 その横には、黒猫姿のエミリアを抱いたアンナと、リディアもいる。
 ピュラから今日のクラウディアとフレデガンドの予定を聞いたシトリーの指示で、エミリアはマクシミリアンの姿に変身してエルフリーデとふたりで市場をうろついた後、すぐに引き返してアンナたちと散歩に出ていたシトリーに合流したのだ。
 目的は、夜、盛り場に繰り出さないような堅物の騎士をどう籠絡していくか、ターゲットを品定めするためだ。

「で、あっちの女は?」
「彼女は、ダニエルの許婚でジュスティーナ。名門であるフラウデンブルグ伯爵家の令嬢です。彼女の父親は、今では第一線からは隠退していますが、かつては大臣を歴任した有力な人物です」
「なるほどね。名門貴族の坊ちゃん嬢ちゃんてわけか。どうせ親が決めた結婚なんだろ?」
「はい。ですが、あのふたりの仲は上手くいっているようですが」
「そんなのはさっきのあれを見ればすぐにわかる。だけど、こいつは使えるな」
「シトレア様?」

 にやりと笑みを浮かべた少女を、エルフリーデはわけもわからずに見守るばかりだ。

「次のターゲットはあいつらだ。今までとは少し手法を変えるぞ。おい、エルフリーデ」
「はい?」
「その、フラウデンブルグとかいう貴族の家はわかるか?」
「はい、知っていますが」
「よし。じゃあ早速案内しろ。あと、リディアも一緒に来い」
「かしこまりました」
「はい」

 素直に頭を下げるエルフリーデとリディア。

「ああ、それと、エミリアもな」
「え?あたしも?」

 アンナの腕に抱かれていた黒猫が驚いた声をあげた。

「ああ。変身を解くからな。あのジュスティーナとかいう娘はもとの姿で堕とす。まあ、その後またこの姿に戻るかどうかわからないけど、いちおうついて来い」

 口許には笑みを浮かべたままだが、少女の目は獲物を見つけた獣のようにぎらついている。

「あ、そう。そういうことなら」

 黒猫が、アンナの腕から、ぽんとリディアの腕に飛びうつる。

「じゃあ、アンナは先に教会に戻っていてくれ」
「はい」
「じゃあ、いくぞ。街の人間に怪しまれないように注意してな」
「あ、ちょっと待って」
「なんだ、リディア?」
「じゃあ、幻術で街の人にはわたしたちの姿が気にならないようにしますね」
「そんなこともできるのか?」
「うん、ちょっとしたおまじないみたいなものだから」

 そう言ってにこりと微笑むと、リディアは呪文を唱える。

「はい。これで大丈夫」

 シトリーたちには互いの姿が確認できるのでその変化はわからないが、リディアがそう言うのだから間違いはないだろう。
 一通り指示を出し終えると、少女はエルフリーデに命令する。

「じゃあ、あの娘の家に案内しろ」
「かしこまりました」

 エルフリーデが、先頭に立って進んでいく。
 その場で一行の姿を見送っていたアンナも、ゆっくりと教会の方へと歩きはじめた。



 シトリーたちが立ち去って少ししてから、ダニエルが隊舎まで戻ってきた。
 自分の許婚に危険が迫ろうとしていることを、彼はまだ知らない。

 
 


 

 

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