GAMEs


 

 

第一話


「……でさぁ、生徒会長が超イカスんだぜ。あの黒髪ロングがサラッとこう、風になびいて……」
「あのな、自習だからつってそんだけ喋りっぱなしじゃ、また委員長に怒られんぞ」
 白冬高等部・二年一組の教室は、現在自習ということで、生徒たちが思い思いに机を寄せて小声で雑談したり、次の時間の宿題を片付けてたり、本当に文字通り「自習」してたりと、雑然としている。俺は皆さんのお邪魔にならないように、片耳イヤホンでゲームのレベルアップに勤しませていただいている、というトコロ。
「コラァそこ! 宮下(みやした)に久我山っ。自習は自由時間じゃないのっ!」
 ……案の定、話し声が大きくなるとクラス委員長の金井(かない)女史直々のご叱責を喰らってしまう。

「……はぁ。もう宮下、いいから黙れ。お前と一緒にいるとバカが伝染る」
「へっへーっ。こないだの中間、俺に全教科負けといてよく言うぜ」
「ヤマ当てただけの癖に。……少なくとも、スケベ扱いはされなくなる」
「おろっ? 久我山センセイ、なんか自分だけイイコちゃんになろうとしてませんかぁ?」
「いいから黙れ。ゲームの邪魔だっての」
 そうそう、ここでドラゴンを誘き出して地雷を踏ませた瞬間に大刀でバッサリと……。

 バッサリと、委員長に教科書で右テンプルを豪快にハタかれた。
 カラカラカラーッとスピンしながらゲーム機が床を転がり、『GAME OVER』のサウンドがイヤホン越しに小さく流れてくる。

「あーっ!! ド、ドラゴンキラーの称号が……。今、目の前で……」
「ゲームやってんじゃないわよ! 久我山、いい加減にしないと先生にチクって没収して貰うわよ」
「そーだ、そぉだぁ。久我山、自習時間にゲームしてちゃイケないんだぞぉ」
「アンタもよ宮下っっ!! 五月蝿くて周りの邪魔になるだけ、余計質が悪いわっ!」
 返す刀で、宮下の顔面に教科書の角が突き刺さる。
「ぐあっ! 鼻がっ……俺の、自慢の高い鼻がっ……!!」



 この女好きピンク脳のチャラ助は宮下良平(みやしたりょうへい)。小学校の頃から早く手を切りたい切りたいいっそ殺してしまえば縁が切れるんじゃないかと思いつつ、ついつい止めを刺すのを面倒がっている内に、完全に腐れ縁になってしまったバカヤロウだ。
 子供の頃から何故か要領が良くて、勉強ならヤマを的中、バスケでは走り回って徒に疲れることもなくロングシュートを大事な所で決めてみせ、何時も肝心な所をしっかり外さず目立ってポイント稼ぎができる。天は二物を与えずというが、そんな才能というか運に任せている内に、いつしかこの男も骨の髄までサボり癖が付いたダメ人間になってしまっていた。
 二メートルはあろうかという長身を羨む者も多いのに、スリーポイントとダンクと覗き以外に生かす手段を思い付いたことが無いらしいところが、コイツのコイツたる所以みたいなモンだ。

 現在絶賛お怒り中なのが、中学で同級になった金井みちる。部活も勉強も真面目に打ち込めば両立できるんだ、なんて教師の戯言みたいな話を本気で実現してしまってる、特別天然記念物みたいな女。こういう話だけ聞くと、如何にもガリ勉というか「俺の(あたしの)邪魔すんじゃねえ」的な嫌な奴を想像しかねないのだが、こいつに限ってはソレが当て嵌まらない。天性の世話好き性分で、相手によって分け隔てすることをしない。以前訊いてみたところじゃ、「一々相手によって態度使い分けるのって面倒じゃない?」とかいう話だったけど、お前ソレ面倒に感じるポイントが違うだろと衝動的に突っ込まずにいられなかった。
 健康的なポニーテールに日焼けして小麦色に輝く項(うなじ)、制服のブレザー越しでも隠せない均整の取れた身体の凹凸は、その一番輝いているであろう時期を、この性格のためにあたら無駄にしていくのかと残念がる男子生徒も多い。だからといって気取るところが無い(というか、天然だから気取りようが無い)から、女子連中にもやっかまれる事無く受け入れられているらしい。

「大人しく勉強してなさいっ!」プンプンという古典的擬音が貼り付いてそうな様子で自席に戻る金井。
「アタタ……。相変わらず委員長の突っ込みはキッツイなぁ」
 宮下は相当さっきの一撃が致命傷になったのか、いまだに顔を痛そうに押さえている。
「いい気味だ。これに懲りたら少しは黙ってろよ」と俺もゲーム機を片付ける。

 ────チクリ、と胸が痛んだ。
 中学卒業の頃に聞いた、金井の告白が脳裏を過る。
『あのさぁ……久我山。誰か好きな人って、いる?』
『え……? ちょ、それって……どう、いう……』
『私ちょっと気になってんだ、宮下のバカが。──アイツ、誰か居るのかな。本命』
『──さ、さあ……。聞いた事はない、けど……』
 ──嘘だ。
『まぁ、そんな事気にしてたら始まんないし。思いきってコクってみれば?』
 ──嘘だ。
 あれから二人の様子に変わった所はない──つまり、金井はそのままダンマリを決め込んでいるらしい。
 ──嘘だ。

 だけど俺は知っている。
 あいつが──宮下が、今までで一番本気になったのは、中学二年の時の担任、清水先生だけだったって事を。
 結婚退職する先生の後ろ姿を、人気の無い校舎の屋上で子供のように泣きじゃくりながら見送っていた、その小さく丸くなった背中は、今でも記憶に残っている。
 あれから宮下は、チャラ度をますますアップさせたようなキャラになった。けどその心の中には、きっとまだ清水先生が不動の地位を占めている。

 それを俺は、金井に告げることができなかった。
 なまじ男とか女とか関係無い付き合いをやってきてたから、ずっと三人、そのままの関係が続くものだと思っていた。
 なのに、金井は。
 宮下の事が気になっていて。
 もう二人とも、昔の関係をこっそり終わらせているのに、俺独りだけ子供みたいに置いてきぼりを喰らったみたいで。

 ──その日から俺は、何かを真面目にやるって事を忘れた。
 子供の癇癪と変わらないって事くらい、自分でも分かってる。
 でも、いっそ徹底的なダメ人間になってしまって、こんな俺の事なんていっそ見放して突き放してくれ、という思いが捨てきれない。
 どうせ二人はもう大人になって、俺独り、子供みたいな気持ちでいるんだから。
 なのに卒業しても学校が一緒になったばっかりに、結局こうしてズルズルと関係が続いている。
 ──未練、じゃ無いんだけどね。

 白冬学園は理事長が地元の名士だけあって、進学校ではあるけれど地元の学生のための優先入学枠が若干数用意されている。俺も宮下も金井も、数少ない地元の子供ということでそれを有効に利用させて貰った。
 だけど。
 宮下は白冬でもそれなりの成績で、(練習サボりが問題になっているものの)バスケ部の試合で必ず何か見せ場を作る程度には実績を持っている。
 金井に至っては、水泳部の実績こそ人並みだが、成績は今すぐ大学受験になってもそれなりの所には入学できてしまえる程のものがあって、そもそもソレ地元枠使う必要すら無かったんじゃね? という有り様。
 俺独り、帰宅部で成績下位常連組。
 学費を出してる親には申し訳ないけど、このまま白冬が地元枠取り止めにして、俺だけ放校になったらどれだけ楽な気分になれるか、とか偶に考えてしまう。



 そうこうしてる内にチャイムが鳴って、昼休みになった。
「おっし授業終わりだ! さぁ学食行くぞ、久我山」
「ごめ。俺、パス」
「……どした? ……何か悪いモノでも食ったか?」
「まぁそんなトコだ。代わりに好きなだけ喰ってろ。俺ぁ保健室で寝てくる」
「なにっ! それはいかん。親友としては、早々に食事を終えて見舞いに行かねば」
「──誰が親友だって?」
「こんな奴と二人きりにでもなったら、俺たちの亜紀(あき)ちゃん先生が大変なコトに!」
「……おーい宮下。喋るのは建前だけにしとけ。てか、お前どんだけストライクゾーン広いんだよ」
「それはCIAでも探れない永遠の秘密♪」
「言っとくが、犯罪捜査ならFBIだぞ……」



 一階の一年アンド職員室フロアを突っ切って校舎の隅に向かうと、そこに高等部保健室がある。
 コンコンコーンとリズミカルにドアをノックしてみると、
「あーい、ドア開いてますよー」
 在室を確認してトボトボと中に入る。
 窓際の事務机では白衣の女性養護教諭が、こちらに背を向けて書類作業をしている。
「うーっす亜紀姉。久我山上等兵、体調不良であります! ……ってコトでベッド借りんねー」と、俺は空いているベッドを見繕って腰掛ける。
 顔をこちらに向けると、ジト目で睨む教諭。
「──はぁ。修ちゃんってば、相変わらずのダメ子ちゃんですね。どうせまた寝不足なんでしょ?」
「寝る子は育つ。まだまだ俺、せーちょーきデスから。どっかの先生と違ってさ」と視線を無視してシーツをひっ被り、丸くなる。

「しゅ……ちゃああぁぁぁぁんっっ!」
 多分格闘ゲームなら、この瞬間にピキーンと効果音が鳴っているだろう。
 ドップラー効果を伴って駆け寄ってくる教諭。ベッドサイドに到着すると、すかさずジャンプしてエルボー・ドロップ。
「ゲフゥゥッ!?」
 紙一重でかわした積もりが、全体重を載せた肘は抉り込むように脇腹に命中。完全に彼女の読み勝ちだ。更に苦痛で隙の出来た首を腕輪で抱えて喉輪≠作り、俺の頭に体重をかけてグイグイと押し付ける。
「ぎひっ……ぐぶっ………ぎ、ギブッ! 亜紀姉ギブッッ!!」
 綺麗に首が絞まってしまい、慌ててタップする。
「……ったく。修ちゃんはレデーに対するデリカシーってモノに欠けてると思うのですのよ、常日頃」
 ようやく解放された首を押さえ、咳き込みながら俺は酸素を吸いまくった。

 ──この養護教諭は沢口亜紀(さわぐちあき)。ウチのお隣さんチのお嬢さんだ。
 子供の頃から色々と面倒看て貰ってたんだけど、年を追う毎に俺との身長差はみるみる縮まり、あっと言う間に俺が追い越してしまい、……亜紀姉は一向に伸びる気配が無く、今に至る。
 齢二七というのに身長一三〇センチ強。そりゃ俺でなくたってネタにもするだろ。
 おまけに顔は童顔だし、サイズの合う服が無いからっていうんでキッズブランド着てるし、ヘアスタイルも似合うのが無かったからって、肩にかかる黒髪を両サイドで縛って垂らしてて、どっからどう見ても先生というより生徒。勿論高等部よりもっと下。
 お陰で本人としては非常に不本意らしいけど、この高等部の生徒たちからは半ば愛玩動物のように可愛がられてるらしい。ネタにならない方が怖いわ。
 この学園に着任してから独り暮らしを始めてるので、この五年ほどすっかりご無沙汰してたけど、入学して久し振りに会ってみたら、あまりの変わらなさに不覚にも吹き出してしまった(その直後に五段コンボを喰らったのはここだけの話)。

「修ちゃん? サボりもいい加減にしないと、本当に皆に勉強追い付けなくなっちゃって大変なんですよ?」
 両手を腰に当てて精一杯凄んでいる積もりなんだろうが、丈の合わない白衣を無理矢理着込んでる姿では威厳も何もあったモンじゃない。両腕には尺の余った袖が太いベルトのように捲り上げられているし、余った裾は床に引き摺ってて、清潔さが身上の白衣に床掃除機能なんて斬新なものを付加している。
「あーもういいの。体調悪くちゃ、何やっても身に付かないでしょ。お休み、亜紀姉」
「……はぁ、もう。修ちゃん、久し振りに会ったらすっかりダメダメちゃんが板に付いちゃって、お姉ちゃんとしては教育を間違えたのか真剣に悩んでしまうのですよ」
 ガックリと肩を落とし、スゴスゴとデスクに戻る亜紀姉。
 ──まぁ世の中、そんなモンでしょ。
 期待通りに何もかも上手くいくモンじゃ無いさ。
 そんな事を言ってしまうと本当に傷付きかねないので、心の中だけで呟いてみた。



 放課後の帰宅部といえば、遊びに行ったり家でゴロゴロしてたりが相場なんだが、俺の場合はそういう訳にもいかない。

「ふぅ。……とりあえず、こんなトコでいいか」
 竹箒片手に汗を拭いながら、自分に向かって呟く。
 ウチの神社はすっかり寂れたとはいえ、境内の広さはそれなりにある。軽く掃き掃除するだけでも相当な労働になってしまう。

 ──まぁ、朝お袋が掃除してはいる筈なんだけど、な。
 一応俺が学校に出た後、清め掃除をやっているとは聞いている。とはいえ氏子のいた頃は日に二回は掃除して当たり前だったのに、今や朝方チャッチャと簡単にゴミを捨てる程度。最近は氏子どころか近所の子供そのものがいなくなって遊びに来たりもしないので、ここの神社も緩やかに崩壊の道を辿っている。
 いつの間にか親父もお袋も、町内会の長老連中と一緒になって昼間から酒の臭いをさせる事が多くなった。過去の遺物扱いされてくさりたい気持ちは分からなくもないが、年寄りの年金で飲み食いしてるのは正直どうなんだろう。懐古趣味に浸りたい連中の太鼓持ちをやった代償と考えれば割り切れるのかもしれないが、お陰でこの神社はろくすっぽメンテされることも無いまま。これじゃ廃れないモノだって廃れるだろ。
 ……つっても、面倒臭いから着替えもせずに学生服で掃除してる俺だって、ご大層な事は言えないけどね。

 お次は本殿、か。
 ここばっかりは民俗博物館入りしてもおかしくないアイテムがゴロゴロしてるから、軽く埃を叩(はた)いて落とす程度のことしかできない。
 賽銭箱を覗いてみる。
 ──今日も参拝者無し、ね。
 軽くため息をついて、本殿の中に入っていく。
 はい、パタパタパタ〜っと。はい、はい、はい。
 ふと、昼間プレイしてたゲームを思い出してしまったりして。
 ──あそこで地雷を喰らって浮き上がったドラゴンの許にダッシュで駆け寄り! ここでっ! 三連撃コンボッ! 更にダメ押しで喉を突くっ! そこだあっっ!!
 と脳内ゲームに熱中していると、うっかり叩(はた)きで奥の木箱を思いっきり突いてしまったらしい。
「うわ、ヤッバ!」
 慌てて野球のダイビングキャッチの要領で木箱の下に飛び込む。
 ゴスッと素敵に景気の良い音を立てて、後頭部に木箱のエッジが命中する。

 ぐらり、と。社殿が揺れた気がした。
 ──地震? だとしたらこんなメンテ不足の建物、一気に崩壊間違いなし! 早く外に出ないと……。
 なのに全身から力が抜けて、俺は腰から床に貼り付けられるように倒れ込んだ。
 これ……は、ヤバ………い……。
 …………は、吐き気が……力が………。



 ────目が覚めると、周囲が完全に暗転していた。
 まだ日が暮れるまでには時間があった筈だけど……?
『……ほぉぉぃぃい……ぉぉおおぉぃぃい……』
「──?」
 微かに聞こえる声に視線を上げると、幽鬼のようにぼうっと人影が浮かび上がる。
 ──だ……れ………だ……?
 目を凝らしてみると、徐々にシルエットは薄く青白い光を身に纏い、その正体を浮かび上がらせてくる。
 古びた狐の面……に、簑を背負って……?
 しかし面の下、簑の内側はどんなに目を凝らしても暗く滲んで、どうなっているのか分からない。
『……ヒャヒャヒャ。長々五〇年も声を張り上げてきて、やっと応える者が来たかと思えば、このような小倅とは。つくづく運が無いと見えるな』
「──あ、あん……た……。誰なんだ? 何時からこの社殿に……」
『何時から? 果てしなく昔からよな。そのような問いは無益じゃて。
 ────なにせ儂は、この地で正に奉られておる稲荷(ほんにん)じゃからな』
「……は、バカな」
『……ところで死にかけた気分はどうじゃ? 頭に怪我をして脳震盪を起こし、折悪く訪れた地震による社殿の崩落に呑まれて今にも挽き肉になろうという気分は?』
「────う、そ……だ……」
 耳慣れないフレーズが耳に突き刺さる。……俺、今後頭部をぶつけて、地震が起こって……まさか、そんな。
『信じられんか? まぁ儂が温情で社殿の崩壊だけは止めておいてやったからの。じゃが危うく死ぬ所だったのは事実じゃ』
「俺……死に、かけて……」
『命脈がここで尽きて満足じゃったか? おんしの本音はチラとじゃが、そんな益体も無い事を考えとるみたいじゃな』
「そんな──」死んで満足なんて、そんな馬鹿な話。
 と、稲荷神を自称する男(?)は暗く滲んだ闇から右手首だけを現して、狐面を取り外して背中の簑に取り付ける。どうやら簑には同様の面が多数掛けてあるようで、面同士がぶつかり合うカラリと乾いた音が響いた。
 そして狐面の中には……。今度はひょっとこの面があった。面が替わったのに合わせて、おどけた調子で言葉を継ぐ稲荷神。
『皆僕を置いて大人になっちゃう。だけど僕は今の状況で大人になっても、どこにも居場所が無い。この神社だって何時無くなるか分からない。だから大人になんかなりたくない。学園の皆はそんな事これっぽっちも考えたりしないから、僕は独りぼっちで皆に邪魔物扱いされている。こんな毎日が只続くだけなら、終わってしまっても構わなかった』
 更にひょっとこの面を外し、中から狐面を現す。
『────そんな所じゃろ、お前の秘めとる本音とやらは』

 ──何も、言い返せない。
 そんな思いが多少なりとも無かったと言えば嘘になる。まさか死ぬ事まで肯定する気は無い……と言いたい所だが、なまじ相手が稲荷神(自称)だけに、もしかするとそんな事を考えていたんじゃないかと思わずにいられない。
『本当におんしは、それで良かったのかの? 誰にも必要とされず求められず、死んだ当座は涙を流して貰えるものの、半年や一年もすればすっかり忘れ去られるような人生で』
 きっと、宮下も金井も、亜紀姉も、一年もすれば俺の事なんて居なかったように笑顔で日々を送って。
『そんな人生で、本当に満足かの?』
「──────何が……、言いたい」

『もし、そうでないと言うのなら……。儂に代わって、この地の氏神になってみせい』
「うじがみ?」
『儂ゃもうこの地にほとほと愛想が尽きたわ。
 氏神、田の神、道祖神……名前は何でも良い、とにかく地に付く神というのは、その地の人の縁(エニシ)を紡いで絆(キズナ)を繋ぎ、絆の網目を使って、大地に川のように水のように流れる力を、必要なだけ受け止めるのが役目じゃ。
 じゃというのに、この十年、二〇年というもの、この地の人の絆はボロボロに腐れて果ててしもうて、復活する兆しすら有りゃせん。弱りきっておった所に出来たバカでっかい寺子屋が、最後の致命傷になりよった。もうこの地に、儂の出る幕など無いわ』
「────ん……と。難しい事は分かんないんだが、その寺子屋っつうか学園が出来て、何がダメなんだ? そもそもこの二〇年、ここの人口が減りっぱなしだった事に比べれば、よっぽど学園のお陰で立て直しが出来てると思うんだが」
『寺子屋に生活など有るかい。生活の無い地には一過性の縁しか紡がれんわ』
「で、あんた──稲荷神様とやらは、ここに見切りをつけて、どうする積もりだったんだ?」
『この地を捨てて、別天地を探して旅に出る積もりじゃったわ。────この地に未練が残らん訳では無いがな、もう数百年も見守っておっただけにの。
 じゃが、おんしが後を継ぐと言うのであれば、心残り無く去れると言うもんじゃ』
「氏神って、本気だったのか……」
『本気も本気、大本気じゃて』
「だって俺、只の人間だぜ? 神様なんて、ガラじゃないどころの話じゃねーだろ」
『まぁの。人が神の代行をする以上、何かと無理が出る事もあろう。じゃが、もう絆の絶え果てて、大地の力が常時川の氾濫や干ばつを繰り返しとるような状態の荒れ地では、誰がやろうと事態は変わらんじゃろ。後は儂の与えてやる力があれば、大抵の事はどうにかなろう』

『最後にもう一度問おう。これが最後の選択の機会じゃ。
 ────おんし、氏神になってみる気はあるか?』

「────この、クソみたいな人生が変わるって言うんなら」
 どうせ一度は終わった人生だ。
 なら、この稲荷神が悪魔の変装だったとしても、俺の答えは同じ。

 
 


 

 

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