きつねの眷属


 

 

第六話


 夜の学校に忍び込むというのは、存外にたやすい。
 もっとも、それは、部室棟に限定すれば、の話だが。旧館を再利用した部室棟は、新しく作られた教室棟本館よりも段違いに警備が薄い。運動部の部室がグラウンドに面しているせいで侵入も容易な上、廊下のセンサーもまともに起動している場所は少ない。俺は、過去に機会があり、絶対に安全に文芸部の部室まで辿り着けるルートというものを把握していた。

「仮にバレても、今の俺には力がある」

 そう独り言ちながら、夜の廊下を悠々と歩く。
 多少の回り道はあれ、学園の構内に足を踏み入れてから、文化部部室棟、文芸部部室前に到着するまで、十分と時間はかからなかった。このまま、ちゃっちゃと目的の物を回収して家に帰ろう、そう考えながら扉に手をかけようとした、その時。

(……なんで、電気がついてるんだ)

 どういうわけか、部室の中からは明らかに電灯の光が漏れていた。
 消し忘れ、か? まあ、ありえなくはない話だ。しつこいようだが、部室棟は本当に警備が薄い。そもそも、棟全体の管理をほとんど生徒たちに任せているようなものだから、その部員が明かりを消し忘れていれば、ひょっとすれば警備員もそれに気付かずそのままに放置されている可能性もある。今日、最後まで残っていたのは……、御咲か。消し忘れたのだとすれば、あの二人……、だが、あいつら、そういうところはしっかりしていそうなものだが。二人いればどちらかは気付くだろうし、やはり……。

 と。
 そんなことを考えながら、念のため、扉の小窓からその中を覗き込むと。
 そこには……、忙しなく、部室の壁沿いに一面に並べられた本棚に向かい、一心不乱に何かを探している二つの小さな人影があった。

(あれは……、御咲?)

 電灯に照らされ、きらりと煌く蝶のかんざし。
 紛うことなく、それは、御咲りいなと御咲るうな、その二人であった。

(だが、何故)

 いくら警備が薄いとはいえ、さすがにこんな遅くまで学内に残り続けるのにはそれ相応の勇気がいる。何か、探し物をしている? 本棚に向かって、あんなに真剣に? ……何か、ただごとでないというのは、誰の目に見ても明らかだった。
 無意識に、少し気圧されている自分に気付く。……いや、落ち着け。何も、俺には引け目を感じるようなことはないじゃないか。計画通り、部室に入って携帯を回収すればいい。それより、むしろ……、咎められるべきは、この二人。こんな遅くまで、何をやっているんだ。おそらく、何か大事な調べ物があるのだろうことは間違いないが、しかし、それにしても、ここは先輩として、偶然にでも出遭わせてしまったのだから、しかりと注意をしてやるべきだ。その後の判断までごちゃごちゃと言うつもりはないが、それにしても、今ここで立ちすくむだけという選択肢は、ない。

 ぎい、と。
 俺は、部室の扉を、押し、開く。

「おい、御咲」
「「!?」」

 さすがは双子、といったところか。俺の、少しドスをきかせた声に、御咲姉妹は全く同じくぴくりと身体を竦ませる。
 更に一歩、足を踏み入れる。そこでようやく、二人は、声の主が俺であるということを認識したようだ。……が、その二人の顔に浮かぶのは、決して、見知った人間が現れたことに対する安堵感ではなく……、吐瀉物でも見るかのような、果て無き嫌悪感。

「「……何しに来たの」」
「そりゃ……、こっちのセリフだ。何やってんだ、お前ら、こんな遅くまで」
「「来ないで、化け物」」
「なっ……!」

 こいつら、今……、ば、バケモノって言ったか?
 おい。おいおい。いくら何でも、ありえないだろう。仮にも、先輩だぜ。いや、最早そういう次元を超越している。バケモノ、だと。個人的な好き嫌いでは、そんな言葉は出てこない。何だ。何なんだ、こいつらは。俺に、この俺に、何を感じているんだ。

「ずっと我慢していた」
「けれど、もう赦せない」
「何言ってんだ、お前ら。……マジで、わけがわからんぞ」
「……何もしなければあたしたちも」
「……様子を見ようと思っていた」
「「だけど」」

 双子の声が、共鳴する。
 まるで、歌でも詠むかのように、流れるような口振りで、俺への呪いの文句を口にする。
 ……何を。本気で、こいつらは何を言っているんだ。片雛の時の比じゃない。本気で、相手が何を言っているのかわからない。何故、俺はここまで責められている? 俺が、こいつらに、何をしたっていうんだ?

「あなたはあたしたちの友だちに」
「あなたはソラに手をかけた」
「「もう、赦せない」」
「…………!?」

 ……こいつら。
 俺が、ソラに手を下したことを、知っている?
 いや、馬鹿な。俺がそれをしたのは、早桐の時と同じ、俺の自室。誰にも知られているはずはない。状況は、片雛と対峙した時と何ら変わりはしない。だが……、何だ。この、妙な焦燥感は。片雛の時とは、まるで次元が違う。……何故だかわからないが、この双子は、俺の中の、あの片雛の時とは比べ物にならないほど深い奥底の部分を見透かしている、気が、する。

「ちょ、ちょっと待て、落ち着けお前ら。何言ってんだか、全くもってわけがわからんぞ。ソラが、何だって? っていうかまず先輩にはさんをつけろ、さんを」
「ごまかしたって、無駄」
「あたしたちには、見える」
「あなたの影」
「血のように真っ赤な影」
「影……?」

 ……まさか、こいつら。
 いわゆる、……霊能力者、ってやつか。
 これもまた、今までの俺なら考え得なかった概念だ。妖怪VS霊能力者ってか。現代ファンタジーにも程がある。……だが、残念ながら、今、現実に俺が置かれてる状況は、既に、到底現実からはかけ離れた……、非現実、なのだ。もう、常識なんてものによる安定した制約は、俺にとっても、そしておそらく周りの人間にとっても、望めない。妖怪がいるなら、人を化かす狐がいるなら、……それを成敗する、霊能力者の双子がいても、おかしくは、ない。

「おい、御咲。……お前らが、ずっと、そうだ、お前らがここに入学して文芸部に入部した時からずっと、俺を嫌ってたのもそのせいだっていうわけか」
「「そう」」
「化け物と仲良くなんて」
「できるわけがない」
「ほう……、そうかい」

 そういう意味での、“化け物”、か。
 どうやら、もう、言い逃れはできないらしい。はなから、相手が“わかって”いるなら、どれほど弁を立たせたところで同じ、か。

 それならば。
 化け物は、化け物らしく。

 ……“力”で、立ち回らせていただこうか。

「…………なぁ、御咲」
「「何?」」
「お前ら……、レズプレイに、興味はあるか?」
「「なっ……!」」

 俺からのその問いかけが、よっぽど予想外だったのか、御咲姉妹は、全く同時に顔を赤く染める。

 ……なんだ。
 その程度か。所詮は……、ガキだな。
 そんなことで動転してるようじゃ、お前らは、俺に勝つことはできない。

 と、いうか。
 もう、勝った。

「そ、そんなもの、あるわけ……っ! ……えっ?」
「……!? り、りいな……っ?」

 俺は、さっき手に入れたばかりの藁人形に念を込め。
 双子の片割れ……、りいなに、“服を脱げ”、と、命じる。

「ち、ちがうっ、るうな……、 からだが、勝手に……っ」
「……!! 化け物ッ! りいなに何をした!!」
「何をした、も糞もねーだろ。お前ら、何かされる覚悟も無しに喧嘩売ったのか?」
「お前……っ!」
「よし、御咲りいな、自分の服を脱ぎ終わったら、るうなの服も脱がせろ」
「……はい」

 口に出した俺の命令に、虚ろな声で返事をするりいな。
 ふうん。声をイメージすれば、発言も意のままに操れるのか。まあ、口や声帯も身体の一部だしな。……ともあれ、好都合だ。言葉をジャックできるか否かでは、大分に趣が変わってくるからな。
 自らの手で全ての衣服を脱ぎ捨て一糸纏わぬ姿となったりいなは、その瞳は涙目になりながらも、従順にるうなの腕を押さえ、その制服のボタンに手をかける。

「……いや、いやぁ……ごめん、ごめんね、るうな……っ」
「り、りいな、やめ……」
「……なぁ、御咲。お前ら、こんな遅くまで部室で何やってたんだ?」
「…………だ、黙れっ」
「化け物なんかに、教えることは何もないっ」

 片や身体を操られ、片やかつての相方に服を脱がされているというのに、よくもまあこうも気丈に反抗できるものだ。
 肉体操作では、何かを聞きだすという上では精神操作のように優れてはいないのが厄介だな。とはいえ、それでも今現在俺が圧倒的優位に立っていることに変わりはない。それならば、あとは、原始的な脅迫で穴を埋めていけばいい。

 俺は、抵抗の術なくりいなに全ての衣類を剥ぎ取られてしまったるうなの元に歩み寄り。
 がしり、と、正面からその肩をつかんだ。

「……! やめろっ! 放せっ!」
「答えろよ、御咲。じゃないと、お前も、りいなも痛い目を見ることになるぜ」
「ふざけるなっ! あたしたちはっ!」
「そんな脅しには屈しないっ!」
「そうかい。なら、りいな……、お前は、るうなが俺の質問に答えるまで、こいつのアナルを舐めているんだ。菊門のしわを、一本一本、な」
「!? ……はい」
「なっ……!?」

 痛い目は痛い目でも、精神的に痛い目、だ。
 実の姉妹とはいえ、他人の肛門を舐め、しかもその姿を己が最も憎む男に見られるという屈辱。そして、勿論、舐められる側のるうなの羞恥も、並大抵のものではない。所詮は、一つ下の女だ。暴れたところでその力はたかが知れているし、こいつらの性格から考えて、無理矢理にりいなを引き剥がそうとすることもないだろう。
 逃げ道は全て固めた。俺の……、完全勝利だ。

「……んむ……ちゅぅ……ぺろ……」
「……っ! いやぁっ! やめて、りいなぁっ!」
「お前が質問に答えたら、やめさせてやるよ。りいなだって、好きこのんでお前の尻を舐めてるわけじゃないんだ。本当は嫌だろ、りいな?」
「……んぅ……はい……。るうなのお尻、臭いし……鼻が曲がりそう……、るうな、ちゃんと、きれいにしてよぉ……」
「りいな……っ!? や、やめろぉっ! りいなは、りいなはそんなこと言わないっ!!」
「本当に臭いし……汚いし……、ウンチのカスが、いっぱいこびりついてるよ? これ、わざとつけてるの? ……変態るうな」
「やめてっ、もうやめてぇっ!! わかった、教える、全部、あんたに話してあげるからぁっ!!」

 あまりの羞恥からついに理性が決壊したらしく、顔を真っ赤にしながらるうなは泣き叫ぶ。
 操られたものとはいえ、己が唯一心を許す姉妹に、ある意味秘所よりも恥ずかしい部位を執拗に罵倒される苦痛に精神が耐え切れなかったらしい。いくら霊能力者とはいえ、中身はただのガキってわけか。もう少しぐらい我慢してもらいたいところもあったが、まあ話が早い。俺は、一時的にりいなの動きを止めてやる。

「なら、答えてもらおうか。お前ら、……何を探していた? この部室で、こんなに遅くまで」
「…………あんたの、呪具」
「ジュグ?」
「とぼけないでっ! あんたがこの部屋に何か呪いを仕掛けてることはわかってるんだからっ!」
「……ああ、なるほどな」

 ジュグ、つまり、呪具、か。
 おそらく、御咲は……、部室の住人ソラの突然の異変を、この部屋に仕掛けられた、いうならばこの香炉のような呪いの術具によるものだと推察し……、それを撤去するために、こうにも必死で探し回っていたというわけだ。

「……御咲。お前ら、何ができるんだ? お前らが普通の人間じゃないってことはわかったが、どうにも、さっきの立ち回りを見る限り、何か特殊なことができるようにも見えない」
「…………そんなことまで、あんたに話す義務はない」
「お前のケツがふやけるまで、りいなにしゃぶらせてやってもいいんだぜ?」
「くっ……! ……そうよ。あたしたちには、あんたに何かをする、力はない。あたしたちは、“見える”だけ。あんたが化け物であることや、あんたがこの部屋に何かを仕掛けているということが、わかる、……ただ、それだけ」

 半ば自虐的に、るうなはそう吐き捨てる。
 つまり……、こいつらは、この俺に、狐の妖術に立ち向かう術は、何も持ってはいないということか。それならば、こちらにとってもありがたい話ではあるが……、しかし、どうにもおかしい。戦う術がないなら、どうしてさっき俺に喧嘩をふっかけてきた? それに、俺はまだこの部屋には何も仕掛けちゃいないぞ?

 ……待て。
 もし、もしも。俺以外の誰か。それは、この学園の外の人間かもしれないし、中の人間かもしれない。そして、ともすれば、それはこの文芸部の中の誰かですら有り得るかもしれないが……、俺と同じように、何らかの悪意を持つ誰かが、本当にこの部屋に何らかの呪いを仕掛けているとすれば。
 御咲姉妹は、それを俺の呪いだと思い込み、その正体を突き止めようとした。そして、それを探している姿を俺に見られたことで、自分たちに言い逃れはできないと考え、後手後手になる前に苦し紛れに牙を向けたのだとするならば……、辻褄は、合う。
 辻褄は合う、が。

 誰だ。
 いったい、この俺以外に誰が、そんなことをできるというんだ。
 俺以外にも、いるのか。何か、そんな道具を持っている人間が。それをこの部室に仕掛けること自体は、何も難しいことではない。この俺が今こうやって忍び込んだように、誰も見ていない時間にこの部室に何かを仕掛けること自体は難しいことではない、が。
 わからない。未知数すぎて、候補者を絞り込むことができない。……いや、待て! 少なくとも、この文芸部という限られた集団の中では、この御咲姉妹があの異常な嫌悪感を示すのは、俺に対してだけだ。……だとするなら、容疑者は文芸部の中にはいない。もっと広い集団、学園、いや、あるいは、この街の中の、誰か……?

「……ねえ。もう、質問には答えたでしょ……? ……りいなを、早く、りいなを返してっ!」
「うん……? そりゃ、できない相談だな」
「なっ……!!」
「俺がこいつを解放したら、お前ら間違いなく誰かに今日のことを話すだろ。……りいなには、俺の呪いの種を植えつけた。こいつがある限り、いつどんな時だってお前らの様子はりいなの目を通じて見ることができるし、お前らが怪しい動きを見せたらいつでも俺はりいなの身体を支配して、……るうな、お前を殺すこともできる」

 勿論、全くのでたらめだ。
 全くのでたらめではあったが……、今の俺には、それを奴らに信じ込ませるだけの、力があった。この化け物なら本当にできかねない、そう思わせるほどのことを、俺は実際に成し遂げてきた。
 こう脅しておけば、こいつらが今日のことを外に漏らすことは……、まず、ない。仮にるうながそれを提案したとしても、りいなが二の足を踏むはずだ。実際に、身体を操られた人間の恐怖。そのまま、実の姉妹を殺してしまいかねないという、戦慄。人間、愛する者に殺される覚悟はできても、愛する者を殺す覚悟は、早々できない。こいつらは、本当に、俺の呪縛から逃れることはできないのだ。

「それじゃ……、よろしく頼むぜ。俺も、できるだけ血は見たくないんでな」

 今日は、ひとまず、こいつらには恐怖心を植えつけるだけでいい。
 ゆくゆくは、こいつらもゆっくりと時間をかけて堕としていくことになるだろうが、今はひとまずこれで構わない。
 ゆっくり、ゆっくりと、……この香炉も使って、俺の下僕になっていってもらえばいいさ。



***



 一悶着あったせいで、すっかり当初の目的を忘れて帰ってしまうところだった。
 俺は、御咲姉妹を先に帰らせ、おそらくここで落としたであろう携帯を回収すると同時に、ついでと言ってはなんだが香炉も設置して帰ることにした。

 『俺の言葉には絶対服従』。
 『誰もこの香炉の存在に気付くことはできない』。
 『この部屋で起こっていることは、全て自然なこととして受け入れる』。

「…………とりあえず、基本事項として絶対に必要なのはこの三つぐらいか」

 あとは、オプションとして……、もう一つぐらい、何か面白いことを書いておいてやろうか。

 『御咲姉妹は、部室で俺に出会った場合、はいている下着を脱いで俺に手渡さなければならない』。

 ……まあ、こんなもんだろう。
 俺は、それらが記された四つの紙切れを香炉に入れ、部室を後にした。

 学園を抜け、暗い夜道を一人帰路につく。
 ……すっかり、帰りが遅くなってしまった。そういえば、紛失中に玉藻からメールが来ていたりはしないだろうか。思い、折りたたみ式のそれをぱかりと開いてみると。

 受信メールは、二件。
 そのどちらもが……、案の定、玉藻からだ。古い方から順に確認してみる。まずは、一件目。

 『今宵、お帰り、遅くなられますか?
  おかあさまが帰ってきていらっしゃるのですが……』

 ……あ?
 葛葉さん、帰ってきてるのか? ……昨日、しばらく帰ってこないと言ったばかりじゃないか。……いや、まあ、あの人の行動が予測不能なのは今に始まったことではない。それより、問題は……。
 受信時刻は、六時半。ああ、もう一時間半以上も前じゃないか。ダメだ、今更どうこうできる問題じゃない。二件目を見よう。

 『ごめんなさい。お夕飯、お先にいただきますの!』

 ですよね。
 受信時刻は七時ごろ。三十分も待たせてしまっていたのか。申し訳ない。
 しかし、逆に言うと。食べ始めてからこれほど時間が経っているのなら、二人の食事中に帰宅し、玉藻や葛葉さんに手間をかけさせてしまうこともあるまい。俺自身、夕方のチーズバーガーのおかげでそんなに腹は減っていないし、自分の飯ぐらい自分で用意しよう。

 とか何とか考えているうちに、俺の足は自宅の門前に辿り着いていた。
 ただいまは言わず、戸を開ける。人気のない、静寂。やはり、当たり前のことだがもう食事は終わっているらしい。玄関で靴を脱ぎ、居間の扉を開く。中には、玉藻の姿はなく、一人の見知った女性だけが佇んでいた。

「んむ?」

 物音に気付いたその女性は、ゆるりとこちらに振り返る。
 腰はおろか、ふくよかな尻ほどまでにある長い黒髪をなびかせる、その女性。浴衣の下から見える透き通るように白い肌に、派手ながらも上品にアイシャドウを塗ったつり目がちな瞳。艶やかな唇には、最早この人以外には誰にも似合うことはないであろう妖しげな紫色の紅をひく。
 絶世の美女、とは、まさにこの人のためにある言葉であろう。それ相応の美貌を持つ早桐も、瑞樹も、篠丘すらも、この女性の美しさにはかなわないと、今日この日、再び相見えて、改めて痛感した。……玉藻も、大人になれば彼女のようになれるのだろうか? それはその時になってみないとわからないことではあるが、俺は、おそらくいくら玉藻といえど成り得ないのではないか、と思う。
 目の前の義母……、天月 葛葉は、俺にそう思わせるほどの、何か人知を超越した美しさを持っていた。

「おお、鞍馬か。久しぶりじゃの」
「久しぶりです、義母さん」
「そう固くならんでよいぞ。まあ、座れ。おんし、酒は飲めたかの?」
「未成年です」

 久々の休暇だからか、葛葉さんはもう軽く一杯やっちゃっているようだった。
 焼酎か。俺は飲まないからよくわからないが、相当に度数が高いもののように思える。……この人、お酒にも馬鹿みたいに強いからな。

「なんじゃ、おんし、飲まんのか。きゃつの息男ならいけるクチじゃろうに、勿体のない。わらわの相手はできんということかえ?」
「や、法律で定められてるんで」
「律儀な男じゃのう。どうせ、あと二年もすれば気にせず飲むようになるじゃろうに。まあ、よかろ。それより、もっと近うよれ。仕事続きで人肌が恋しい」

 言いながら、居間のソファの上、少し距離を置いて座っていた俺を、葛葉さんはぐいと力強く抱き寄せる。
 親子とはいえ、少し近すぎる距離だ。俺の肩に、夏着の薄い布切れ二枚を隔てて、じかにあたたかい葛葉さんの胸が触れる。なんと、喜ばしくも煮え切らない、息苦しさ。酔っているのだろうか。この人は確かに普段からこういった過激なスキンシップを図ることもあったが、それにしても今日は少しいつもよりペースが速いように思えるぞ。

「しかし、おんしも逞しゅうなったの。この国の定めでまだであろうと、もう一人前の男ではないか」
「……義母さん、酔ってるんですか」
「ははっ、酔っとりゃせんよ。わらわは、酔わん。おんし、なんじゃ。一丁前に夜遊びなんぞしておいて、まだ子供だなんて言い張るつもりかえ?」
「別に、遊んでたわけじゃないですよ。大事な用があったんです」
「大事な用? 親との久々の食事の時間を足蹴にするほどの、大事かえ? のう、鞍馬。おんしは、わらわのことを嫌うてしまったのか?」
「そうは言ってないでしょう。義母さんのことは、大好きですよ」

 やはり、酔っているのだろうか。
 まったく、くだらない質問をする。俺が、葛葉さんのことを嫌いになるわけがないじゃないか。

「鞍馬よ。わらわは、おんしのことが心配なのじゃ。こんなに逞しゅうなりおって、悪い女にたぶらかされはせんかと、不安なのじゃ」
「気を揉みすぎですよ。僕なら、大丈夫です」
「いんや、わかりゃせん。外には女狐が溢れかえっておる。わらわは、大事な鞍馬をきゃつらに奪われたくはないのじゃ。鞍馬は、わらわの籠の中の小鳥でいてほしいのじゃ」
「だから、大丈夫ですって。僕は、義母さん以外の女性には興味ありません」
「わかるものか。……そうじゃ、鞍馬、そこを動くな。袴を脱がせて、おんしのモノが他の女に穢されておらんか、わらわが直々にこの目で確かめてくれるわ」
「……別に、それで気が済むんなら、いいですけど」

 まったく、心配性な人だ。
 この俺が、葛葉さん以外の人間を好きになることなど、あるはずもないというのに。……それほどまでに、今日の帰りの遅さが応えたのだろうか。だとするなら、申し訳ないことをしてしまった。これからは、遅くなる日はせめて、どこで何をしているのかきっちりと葛葉さんに連絡しておいた方がいいかもしれない。
 かちゃりと音を立てて、銀のベルトのバックルが外される。俺は、葛葉さんに言われたとおり、ソファに座ったままの姿勢で、自分のズボンと下着が彼女の手によって脱がされていくのを眺めていた。

「おお……、なんじゃ、おんし。脱がされただけで、そんなにいきり立たせおって。亀頭も、もう濡れ濡れではないか」
「……義母さんの手つきが、一々いやらしいんですよ」
「ふむ。にしても、やはり見ただけではわからんの。実際に味わってみんことには判別できん。……鞍馬、悪いが射精までつきあってもらうぞ」
「はいはい、どうぞ」

 俺の承諾の返事を耳にすると共に、葛葉さんはゆるりとその浴衣をはだけさせ、豊満すぎる二つの胸をあらわにする。
 いつ見ても、いやらしい胸だ。大きくも、しっかりとみずみずしく張りがある、甘い果実のような胸。これほどまでに美しく、扇情的な胸を、俺はいまだかつて葛葉さん以外には見たことがない。彼女は、それで、俺の怒張を挟み込み、更にその先端を口であんむりと咥えこむ。

「んむ……、ふふ、どうじゃ、鞍馬、わらわの胸は、心地良いかえ?」
「ああ……。気持ちいい、です……」
「外の女は、わらわのような胸を持っていたかえ? わらわのように、この口でいやらしく奉仕してくれたかえ?」
「……して、くれない……」
「そうじゃ。女狐は、所詮、女狐。わらわの美貌、おんしに注ぐわらわの愛情には到底かなわん。鞍馬、おんしは、わらわだけを愛すればよい」

 夢のような心地だった。
 最早、ここがどこなのか、今、自分が何をしているのかさえ、何一つとしてわかりはしない。
 わかるのは、股間に触れる義母さんのぬくもり。淫猥な舌づかいや、くちゅくちゅといやらしい音を立てる、彼女の唾液。俺の前に義母さんがいる。義母さんが、俺を包み込んでいる。ただ、そのことだけを、認識できた。

「わらわ以外の女は、みな、敵じゃ。敵に、愛着するゆえんはない。おんしが感じる女どもへの愛情は、全てまやかしじゃ。そんなまやかしなど、壊してしまえばよい。そんなまやかしを見せる女どもはみな……、壊してしまえば、よい」

 そうだ。
 その通りだ。
 玉藻も、ソラも、早桐も、……あの、狐も。
 皆、俺を、騙していた。俺を騙して、義母さんから引き離そうとしていた。……なんて、卑劣で、汚い、手口。
 あいつらは、全員……、薄汚い牝豚だ。壊せ。この俺をたぶらかす、人として生きる資格すらない牝豚どもは、一匹残らず殺してしまえ。
 御咲も、片雛も。奴らも、いつ手を出してくるか、わかったものじゃない。消せ。潰せ。殺られる前に、殺れ。豚に容赦はいらない。潰せ。潰せ。潰せ。
 全ての女を蹂躙しろ。全ての女を凌辱しろ。犯せ。犯せ。脳髄をぐちゃぐちゃにしてしまえ。豚が、人の姿をしていてはいけない。奴らに相応しい脳みそに、この俺が書き換えてやる。俺が愛しているのは義母さんだけだ。それ以外の女は皆、生きる価値すらない。
 それでも生きようというのなら……、奴らには、自分の立場というものをわからせてやらなければならない。奴らは、奴隷だ。奴隷以下の屑だ。俺に玩具のように弄ばれ、虐げられ、それでも俺に尽くし生きることに喜びを感じる、人形にならなければならない。あいつらは、圧倒的不条理なほどに頭が悪い。だから、自分の立場というものが理解できていないのだ。……俺が、教えてやらなければならない。屑は、屑らしく。屑として、屑のように生きるということがどういうことか、俺が教えてやらなければならない!

「良い子じゃ、鞍馬。……おんしの為すべき事、もう、わかったな?」
「…………はい」
「ふふっ、わらわのかわいい一人息子よ。イきたくなったら、いつでもイっていいのじゃぞ? おんしの汚いチンポから出されるくっさいチンカスザーメン、一滴残らずわらわが吸い尽くしてやる。さあ、イけ、イってしまえっ、全てを忘れ、おんしは新しく生まれ変わるのじゃっ!!」
「……くっ……、ぐ、ぅぁぁあああああぁッ!!!」

 文字通り。
 頭が、真っ白になった。
 脳を突き破るような激しい快感と共に、俺が今まで抱えてきた全ての記憶、概念、感情がぷちぷちと音を立てて灼き切れていく。代わってまっさらになった頭に流れ込む、莫大な量の知識の奔流。この俺を、天月 鞍馬という人間を、あるべき姿に創りなおしていく。
 そう。そうだ。俺は、人を支配する人間なんだ。甘さは要らない、非情になれ。情けは要らない、鬼になれ。異形。物の怪。……そうだ。俺は、化け物になればいい。人を支配するものが、人間である必要はない。人間を超越した化け物になり、俺は世界を蹂躙する。

 身体中に力がみなぎっている。
 頭の中は、透き通るようにさわやかだ。
 全身が、歓喜に染まっている。あるべき姿を取り戻した俺の身体は、その抑圧されてきた力を解き放たんと打ち震えている!
 俺が為すべきこと。俺が為すべきこと。俺は、この有り余る力をどこにぶつければいい? 俺が、今、この瞬間に、為すべきこと、とは。

 …………。


 ……玉藻は、どこだ?

 
 
< つづく >


 

 

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