夢を叶えるディギトゥス・マヌス


 

 

第1話 Pilot


「エル。光希はこっちの世界に来ると思う?」
「さあ、わたしにはなんとも」
 彼女のそばにいたメイドはそっけなく返す。
「でも可能性はあるわけじゃない?」
「はい。可能性はゼロではありません」
「そっか。でもそうなるよね。わたしもなるべく事を荒立てたくないんだけどなあ」
 言葉とは裏腹な弾んだ調子で言うと、彼女は自分のそばでかしずいていた少年を見下ろす。
 少年は期待に満ちたまなざしで主人を見つめていた。
「やっぱ独り占めしたいんだよね。この力」
 彼女はそう言うと、少年の乳首につけたバーベルピアスを引っぱる。
 少年は与えられた被虐の快感に身を焦がし、大量の白濁液を身につけていたショーツへぶちまけるのだった。


* * *



 春の到来を告げる満開のソメイヨシノ。それらが列植された並木道を無数の中学生たちがあるいていた。
 携帯電話をいじりながら登校する男子。友達と談笑しつつ登校する女子。いろいろな生徒たちが混在している。
 その中でひときわ異彩を放つ少年がいた。
 彼はGRAVITY社製の派手なスケートボードを駆り、学生たちの合間を縫うように走りぬける。
 額にかけたオレンジ色のアンティークゴーグルが目立つ、中学生ぐらいの男の子。
 名前は綾小路光希(あやのこうじ・みつき)。青龍学園中等部の生徒で、背は小さいけど、いつも明るく笑顔の絶えない少年だった。
「ちょっと。なんなのよお!」
 しばらくボードを走らせていると、後ろから女の子の悲鳴が聞こえてきた。
 振りかえると、めくれ上がったミニスカートを女子生徒が押さえてる。光希が横切ったせいでスカートが舞い上がっちゃったみたいだ。
「ごめんごめん。けど、どうせ見せパンだろ」
「なによあいつ。サイッテー!」
 彼女の罵声を背に受け、いたずらっぽく笑う光希。
「いやあ、朝からいいもん見してもらったな」
 そんな風に浮かれていると、いつの間にか青龍学園の校門にたどり着いていた。
 光希は携帯電話で時間を確認する。
「よっしゃ。今日は遅刻しなかったぜ」
 彼はガッツポーズを決めたあと、学校の敷地に足を踏み入れようとする。
 すると校門の前に立った一人の少女と目が合った。
 ショートヘアの前髪をヘアピンで留めた女の子だ。
「相変わらず子どもっぽいことしてるんだね」
 光希はボードを止めると、少女の前に立つ。
「だって子供だし」
「開き直らないの」
 彼女は、呆れ顔で光希の言葉をいさめた。
 彼女は泉鈴華(いずみ・りんか)。光希とは保育園のときからの腐れ縁だ。
 光希はボードを脇に抱えると、先に教室へ向かおうとした彼女の背中を追いかける。
「なあ、今日の授業はなんだっけ」
「時間割があるでしょ」
「時間割は持たない主義なんだ、おれ」
「自慢気に言わないでよ」
 ジト目で見つめられた光希は、まいったなと頬を掻く。
 しばらくあるいていると1−Fのプレートが掛かった教室が見えてきた。
 最近の教室は廊下側の壁がない。光希たちが二人一緒に教室へ入ると、即座にクラスのお調子者がからかってくる。
「よう、お二人さん。夫婦そろって登校かよ!」
 光希は顔を真っ赤にして反論する。
「たまたま校門で会ったんだよ!」
「へえ。そうなのか、泉?」
「さあね」
 鈴華は付き合いきれないって感じだ。
 お調子者は張り合いねえなとつぶやくと、自分の席に座ってティーン向けのゴシップ雑誌を読みはじめる。
 彼は根っからの悪人じゃないけど、根っからのお調子者で、今みたいに光希を困らせることが多かった。
 光希はそんなお調子者に声をかける。
「おまえ、いつもその雑誌を読んでるけどさ。どこが面白いんだ?」
「かあ、分かってねえな。これを読んでみろよ」
 お調子者は読んでいた雑誌を光希によこす。
「えっと。一つ目の怪物。別の次元に通じるエレベーター。黄金のザリガニ……?」
 ほかにもページをめくるたびに、街から消えていく子供たちとか。空飛ぶハムスターとか。首刈り騎士の呪いとか。ある意味とてつもない話が載っていた。
「ううん。やっぱおれにはよく分かんねえ」
 光希はお調子者に雑誌を返した。
「そっか。まあいいけど。ところでさ」
 お調子者は手を筒状にすると、ひそひそ話をしてくる。
「いいかげん彼女には告ったのかよ。前に脈ありって言ってたじゃん」
「おまえのせいで逆に距離が遠のいてるんだよ」
 光希はお調子者のあたまを小突いた。
「おいおい。おれはよかれと思って」
「逆効果だよ」
 光希はお調子者に毒づき、椅子に腰かけた。
 そして斜め前に座っていた鈴華へさり気なく視線を送る。
「この調子じゃいつまでたっても告白できないよ」
 光希は小声で愚痴り、SHRがはじまるのを待った。


* * *



 放課後。すべての授業を終えた光希は、鈴華といっしょに帰宅の途へついていた。
 夕暮れの太陽は物哀しげに地平線へと吸いこまれ、学校帰りの高校生たちが、住宅街の真ん中に伸びた通学路を自転車に乗って走り去っていく。
 光希は彼らの背中を見送りつつ、並びあった鈴華に声をかける。
「あ〜あ。ゴリに殴られた頬がまだ痛いや」
 光希は右頬をいたわるようにスリスリと撫でた。
 対して鈴華はいつものように呆れ顔で対応してくる。
「それはあんたが悪いんでしょ。勉強道具を持って来なかったんだから」
「だからって容赦なくゲンコツ食らわせるんだぜ」
「軽く数メートルはぶっ飛んでたもんね」
 光希が先生にしばかれたときの様子がよみがえり、鈴華は思わず吹きだしてしまった。
「笑いごとじゃないぜ。まったく」
 光希は面白くなさそうに天を仰いだ。赤く染まった空を一台のヘリコプターが横切っていく。
「あっ、光希。めずらしいバイクが停まってるよ」
「めずらしいバイク?」
 光希は鈴華の視線を追いかける。そしたら道の先に停まった黄色のバイクが目に留まった。
 普通のバイクと違って前二輪の三輪。愛嬌たっぷりの丸型ライトと、前方にボリュームを与えたボディラインのコントラストが格好いい。
 光希はこの特徴的なボディラインに見覚えがあった。
「カンナム・スパイダーじゃん!」
 光希はそう言ってバイクのもとに向かった。
 そして仲のいい友だちと再会したかのように、親しげな調子でバイクのフロントを撫でる。
「やっぱそうだ。カンナム・スパイダーだ!」
 興奮する光希。真後ろからその様子を見ていた鈴華が話しかけてくる。
「光希はこのバイクのこと知ってるの?」
「ああ、こいつはトライクっていう乗り物なんだ。なつかしい。爺ちゃんがよく乗ってたっけ」
 光希はあたりを見渡してみる。
「持ち主は出かけてるみたいだな」
 そう言ってトライクにもたれかかる。
 ふに。光希の後頭部から柔らかな感触が返ってきた。
「光希。そういうのはお行儀が悪いんだよ」
 鈴華に咎められるまでもない。彼は顔を真っ青にしてトライクから飛び退いた。
「ど、どうしたの?」
「いや、あたまに柔らかなものが……」
 鈴華に返事してから、へっぴり腰でトライクに近づく。
 あれはシートの数十センチ上ぐらいで感じた。だけどそこにはなにもない。光希は虚空に指先を伸ばしてみる。
 ふにっ。ゴムまりのような肌ざわりが返ってきた。さらに見えない輪郭を探ろうと手を動かす光希。
「なによ、光希。パントマイムでも覚えたの」
 光希は彼女の声を聞いて右手を離した。
 刹那、光希たちの視界に強烈なフラッシュが炸裂する。
 二人がまぶたを開けると、一人の人間がトライクのシートにまたがっていた。
 カンナム・スパイダーに乗ったライダーは、あぜんとする二人をよそにトライクを始動させる。
「鈴華!」
「きゃっ!」
 とっさに鈴華を抱えてトライクを避ける光希。間一髪、彼らの真横を黄色のトライクが突っ切っていった。
「あの野郎」
 光希はおおいかぶさっていた鈴華から離れると、相手の動向を注意深く見守る。
 トライクに乗ったライダーはハンドルを操りながらUターンすると、ふたたび光希たちのほうに迫ってきた。
 よけ切れない。二人は反射的に顔を伏せる。
「光希様」
 ジッと顔を伏せていると、頭上から予想だにしない言葉が降ってきた。
 光希と鈴華が顔を上げる。ちょうどライダーがフルフェイスのヘルメットを脱ぎ捨てたところだった。
 ヘルメットから艶やかな黒髪がこぼれ落ちる。
 光希は目を剥いた。中から現われた顔立ちはハタチ前後の可憐な少女のものだったからだ。
「あれ、女?」
「男に見えましたでしょうか?」
「あ、いや」
 光希は口ごもる。
 こうして見ると彼女の体つきは女性そのものだ。
 着用しているのは肉体にぴったりフィットするボディスーツ。上下ツーピースから成っていて、頭部をのぞく全身をおおっている。色は黒く光沢があった。
 ロングヘアの黒髪が似合う清楚な美人。だがひとたび顔から下に目を向けると抜群のスタイルが現れる。
 光希はおろか同性であるはずの鈴華まで、彼女が持つオーラに息をのんだ。
 彼女は颯爽とトライクから降りる。動作の一つひとつが軽やかで、美しくて、立ち振る舞いには一分の隙もない。完璧すぎて出来の良いロボットみたいだ。
 まっ先に我を取りもどした鈴華は、光希より先に彼女へ話しかける。
「あの、あなたは誰なんですか?」
 彼女はまず相手の身元をたしかめた。
「わたしはエルと申します。先月まで光希様の祖父『森谷錬太郎』様に仕えていました」
 爺ちゃんの名前に反応し、光希もこっちの世界にもどる。
「爺ちゃんにお手伝いさんがいたなんて聞いてないぞ」
「知らないのも無理ありません。錬太郎様はわたしの存在を秘匿されていましたから。しかしわたしと錬太郎様をつなげるものならあります」
 エルはカンナム・スパイダーのボディに目線を送った。
「光希様がマジックペンで落書きされたものだと伺っております」
 見るとボディには下手くそな字で光希の名前が書かれてる。このサインは確かに自分が書いたものだ。将来、爺ちゃんがこのバイクをくれると言ったから。
 でもその夢はかなわず、このトライクの行方もあやふやなままだった。先月、爺ちゃんがあの世に逝ったときから。
「わたしの使命は、錬太郎様の遺言を遂行することです」
「爺ちゃんの……遺言……?」。
「はい。錬太郎様の形見を受け継いでいただきたいのです。あなたに」
 その言葉が合図だったかのように、光希の目の前からエルが掻き消えた。
 いやな予感がする。光希は鈴華の片腕を引っぱってこの場から逃れようとした。
「鈴華!?」
 いきなり引きつれていた彼女の腕から力が抜ける。見返ると鈴華が地面にへたりこんでいた。
 彼女が気絶したのを見計らい、エルが空間から染み出すように出現する。
「これは改造スタンガンです」
 そう言ってエルが掲げたのは、一見なんの変哲もない携帯電話だった。
 しかし彼女が本体の側面に触れた途端、バチバチという音と共に青みがかった光がほとばしる。
 光希は鈴華を連れて逃げようとするが、数十秒後、あえなくスタンガンの餌食になってしまった。


* * *



 光希にとって爺ちゃんは羨望の的だった。
 キャンプ、川釣り、山登り、火をつける方法、食べれる昆虫の種類。アウトドアの楽しさはひと通り学んだし、タフな男になるために身体を鍛えられたりもした。
「光希。おまえに叶えたい夢はあるか」
 ある日、二人で夜の海へと散歩に行ったとき、爺ちゃんはそんなことを言った。
 光希はきょとんとした顔で爺ちゃんのほうを向く。
 爺ちゃんは海岸線に立ち、打ち寄せられる波に足元を濡らしながら夜空を眺めていた。
「なんだよ、爺ちゃん。いきなり真面目な声して」
「男たるもの。夢の一つや二つぐらいあるだろう?」
「夢かあ。まだよく分からないや」
「そうか。ならいい」
 爺ちゃんは振りかえると、しゃがみこんで背の低い光希と視線を合わせる。
「これをやろう。おれの宝物だ」
 月明かりが逆光になって顔はよく見えなかったけど、光希は爺ちゃんが微笑みかけてくれてるような気がした。
 光希は爺ちゃんに問いかける。
「これってなに?」
「ゴーグルさ。ライダー時代に使ってた骨董品だがな」
「ふうん」
 怪訝に思いつつ、光希は手渡されたゴーグルをかける。サイズが合ってなかったから、頭部に回すゴム製のベルトを爺ちゃんに調整してもらった。
 初めてかけるゴーグルの感触に、自然と心がはずむ光希。
「おれ気に入ったよ、このゴーグル!」
「そうか」
 爺ちゃんはそれ以上なにも言わず、ただ彼のあたまを撫でた……
「くっさ!」
 爺ちゃんの夢を見てまどろんでいた光希は、突如として鼻がひん曲がりそうな刺激臭に襲われた。
 光希は思わずまぶたを開けてむせ返る。
 身体がびっくりしたっていうのはまさしくこれだ。
 涙目になって周囲を見回すと、あの女が銀の小瓶を持ったまま立ちつくしていた。
 光希は目を真っ赤にして言う。
「おまえ、おれに変なもの嗅がせたろ!」
「ただの気付け薬です。ご安心を」
 がなり立てる光希を受け流しつつ、エルは手に持った小瓶をしれっとエプロンのポケットにしまい入れる。
 今のエルの服装は、最初に出会ったときのボディスーツではなく、実際に使用人が着るような本格的なメイド服。
 そして光希が今いる部屋は、生前、爺ちゃんが住んでいた洋館の中にある応接室だった。
「ここは爺ちゃんの……」
 光希はおどろいた。
 まんなかに配置された木目調のテーブル。ベージュ色の壁。等間隔に配置されたグレーのカーテンと大きな窓。部屋の角のふかふかソファ。みんな昔の面影を残してる。
 ガキの頃はよくこのソファで眠ってたっけ。光希は昔の記憶に触れたあと、ソファから起き上がった。
「だんだん思い出してきたぞ。そうだ、鈴華は!」
「殺してしまいました」
「はあ!?」
 彼女は真顔でとんでもないことを言い放った。
「……というのは冗談です。目的を果たすために少々手荒な真似をしましたが、それ以上のことは」
 言ってから、エルは椅子の正面を彼に向ける。そこには座面にもたれかかって寝息を立てる鈴華がいた。
「よかった」
 ホッとすると共に、ふつふつと怒りがこみ上げてきた。
「ロボットみたいな顔してシャレにならない冗談かましやがって!」
「ロボットみたいな顔ですか。ふふ」
「いや、笑ったら笑ったで不気味なんだけどさ」
「そうですか」
 エルは笑顔を消す。
「ああもう、おれが聞きたいのはそういうことじゃなくて。そうだ。どうしてあんな暴挙に出たか聞きたいんだ」
「それはぜひ本人の口から聞いてください」
「ほ、本人?」
 目を丸くする光希を放ったらかし、エルは部屋の奥から大きな機械を載せた台車を持ってくる。
 光希は近くに寄って機械を見た。
 木製の四角い本体の上に、アサガオのような金属製のホーンがついている。
「この機械はフォノグラフ。こちらはシリンダーと呼ばれるものです」
 エルは円筒状のシリンダーを再生機にセット。ホーンに付いた針をシリンダーの溝に接触させ、本体の横についたゼンマイを巻きはじめる。
「このシリンダーにあなたのお祖父様のメッセージが刻まれています。お聞きになりますか?」
 ここまできて断る理由はない。
 光希は返事の代わりにゆっくりとうなずいた。
「かしこまりました」
 エルが手動でシリンダーを回転させると、シリンダーに封じこめられた音が解放される。
「――このメッセージが、わたしの血を受け継いだ人間の耳に届けられることを切に願う」
 光希の耳に届けられたのは、ノイズ混じりではあったけど、ありし日の爺ちゃんの声に違いなかった。
「さて、唐突な話でさぞかし驚いたことだろう。なるべく穏便に連れてくるようエルに命じたが、不快な思いをさせたなら謝る」
「まったくだよ」
 光希は文句を垂れた。
 とうぜんその文句は爺ちゃんに届かない。
「前置きはここまでにしようか。さっそく本題に入ろう」
 光希は次に来る爺ちゃんの言葉を待った。
「単刀直入に言うと、おまえたちにわたしの遺産をゆずりたいんだ」
「爺ちゃんの遺産?」
 光希はまっ先にあのトライクを思い浮かべた。
「ではエルに以後の説明をまかせよう。じゃあな」
 それを最後に爺ちゃんの声は途絶えてしまう。
 エルは台座を部屋の隅に下げてから、なにかを持って光希のもとにあるいてきた。
「これが錬太郎様の遺産です」
「これがって。え、これなの?」
 光希はエルの手に握られたライトとブラシを指さした。
「これらは人間にある影響を及ぼす道具です」
「はい?」
「論より証拠。実際にこれらを使ってみましょう」
 エルは足元に転がっていたアタッシュケースを開くと、中からブラックと書かれた丸いケースを取り出す。
「この丸いケースを開けてください」
 光希はしぶしぶ彼女の指示に従う。
 ふたを開けるとアイボリーブラックの粉が詰まっていた。
「次はこのくだの毛のブラシで……」
 エルは光希にブラシを手渡すと、毛先に粉をまぶすよう指示してくる。
「終わったけど。これでいったいなにかできるんだ?」
「その前に、失礼します」
 光希の身体に密着してくるエル。
 自分の目前に大きなおっぱいが現れたせいか、彼は頬を赤くして言う。
「な、なんだよ」
「動かないでください」
 エルは彼が掛けていたゴーグルを目元にかぶせる。加えてゴーグルのフレームを弄った。
 そうすると今までオレンジ色のレンズに添っていた視界の色が、瞬く間に赤へと変わっていく。
「このレンズはフレームのスイッチに応じて色を変えます。今度はライトでテーブルを照らしてみてください」
 エルがスイッチを入れると、ライトから青紫色の光線が照射される。
 光希は渡されたライトでテーブルを照らしてみた。
「これは……指紋……?」
 まるで魔法のように、テーブル中央についた指紋が浮かび上がってきた。
「あとはブラシにまぶした粉を指紋にふりかけるだけ。騙されたと思ってやってみてください」
 彼はブラシを指紋にあて、優しく粉をまぶす。
「うん……ふわああ……あん……」
 自分でもないエルでもない、第三者の色っぽい声が、光希の鼓膜を震わせた。
 無言で後ろを見る。鈴華が眠ったまま身もだえていた。
 まさかと思い、なおもコチョコチョと指紋に触れると、さっきよりも彼女の嬌声が大きくなった。
「いかがでしょう。これは指紋の持ち主に特定の刺激を与える粉です」
「いや。いやいやいや」
 光希はぶんぶんと手のひらを振った。
「お気に召さなかったでしょうか?」
「そうじゃなくて。いくらなんでもぶっ飛びすぎだから!」
「ぶっ飛びすぎ?」
 エルは小首をかしげた。
「あら可愛い、じゃなくて。爺ちゃんの名前を聞いたからここまで付きあったんだ。でも茶番に付きあう気は」
 エルは会話の最中に彼の手を取り、さらにブラシで粉をまぶさせる。
「……ひゃあ……こそばゆいよお……」
 鈴華は身をよじってくすぐったさを訴えた。一応、まだ眠っている。
「断続的にブラシで撫で続けたせいで、刺激がくすぐったさに転じたようですね」
「冷静に解説するんじゃねえ。もし鈴華が起きたらどうすんだよ!」
「薬を嗅がせたのでしばらく目覚めないかと」
「え、マジ!?」
 光希は無意識のうちに指を鳴らしてしまった。
「あっ」
 バツが悪そうに鳴らした指をポケットへ突っこむ光希。
 そりゃ、口ではなんだかんだ言っても、普通の中学生はえちぃことに興味津々だ。
 そんな光希の本音を知ってか知らずか、エルは淡々と喋りつづける。
「なんでしたら違う粉も試してみますか?」
 光希は意を決すると、小声で耳打ちする。
「実は試してみたいことが一つあってさ。こういうふうにできないかな……」
「それぐらいでしたら朝飯前です」
 彼のリクエストを聞き、エルはアタッシュケースからべつの粉を出す。
「この黄色い粉を使ってください」
「よっしゃ」
 光希はさっきの要領で粉を指紋にふりかける。
「あ……暑い……すごく暑い……」
 効果が現れるのは早かった。鈴華は寝言で暑いとつぶやき、身につけていた上着を脱いでいく。
 これが光希の求めた、暑くて服を脱ぎたくさせる粉だ。
「見たみた? あいつ意外と谷間あるのな!」
 薄手のキャミソールから覗く谷間に、歳相応のはしゃぎようを見せる光希。
「気に入っていただけました?」
「うんうん。これがお約束ってやつだよな」
 光希はエルに向かってサムズアップした。
「それでは次の粉を」
「いや、おれはもういいや」
 光希は道具一式をエルに返す。
 エルはわずかに表情を変えたが、すぐ元の無表情になって光希に話しかける。
「やはりこういうことには罪悪感がありますか?」
「それもあるんだけど。いや、ホントはおれだって使いたいんだぜ。こういう道具を使って女の子にイタズラできるなんて夢みたいじゃん」
 光希は言い訳めいた言葉を吐いた。
「でもなんか。さっきからこう、背中がこそばゆくて。顔もずっと熱いんだ。えちぃことには興味あるけど、いざ本番ってなると急に気恥ずかしさがこみ上げてきてさ」
 もしこの場に例のお調子者がいたら、カッコつけてるけど要は童貞だろ、って言われそうだ。光希は苦笑する。
「失礼ですが光希様は女性経験がおありですか?」
「ホンッとに失礼だぞ! 人がせっかくオブラートに包んで言ったってのに」
 光希はただでさえ赤い顔をもっと赤くして言った。
 それがなによりの答えになったのか。エルは小さく微笑みながら光希のもとへやって来る。
 彼女は不意に光希の足元へひざまずくと、彼の履いていたジーンズの股間に片手で触れた。
 光希がエルを怒るまえに、ジーンズの股間部分がすっと煙のように消えてしまう。彼女は開いた穴から指を差し入れると彼の男性器を露出させた。
「お、おいこら、ちょっと待てって」
「まだ皮が剥けていないんですね。オナニーはどうなさるんですか?」
「なっ。余計なお世話だよ!」
「ふふ、そうですね」
 エルは光希の反応を面白がりつつ、包皮に細長い指をやって、一気に亀頭をむき出しにさせる。
 包茎のまま自慰をしていたせいで、彼の亀頭には無数の恥垢がへばりついていた。
「チンカスがいっぱい付着してますね」
「うっそ。皮の下ってこうなってたのか」
 エルは恥ずかしげもなく亀頭の状態を報告し、光希は口をパクパクと開けて自身の男性器を見つめる。
「光希様は皮を剥かないままオナニーしてしまうタイプのようですね」
「え、それってヤバイの?」
「ご心配なく。わたしが今からお掃除しますから」
「お掃除たって……うおっ!」
 彼は男性器から来るピリリとした刺激に声を出した。見ると彼女が光希の肉棒に舌を這わせている。
「敏感ですね。それに……んちゅ……このチンカス……数が多い……」
「やめろよ。そんなの汚いって!」
 光希はエルを止めようとするが、男の弱点を的確に攻め立てる舌技を前に、声の勢いは萎えていく。
「汚いだなんて言わないでください。とっても美味しいですよ。光希様のチンカスは」
 エルは彼の肉棒からいったん距離を置く。
 そして頬に手をあてると、舌に乗せた光希の恥垢をじっくり味わいはじめた。
「ベルベットな口当たりで、強い栗の花の匂いの中に、わずかにパイナップルのような果実香が」
「おまえ、適当なホラ並べてるだろ」
「かもしれません。でも美味しいというのは本当です」
 エルは心の底から光希の恥垢を美味しいと思っているようだった。
 ひと通りの掃除がすんだと判断した彼女は、先走り液が滲みはじめた亀頭を飲みこんでいく。
「ちゅっぷ……んっ……んんんっ……じゅぷっ……」
 彼女は口内でも積極的に舌を使い、じゅぷじゅぷと汁気を帯びた水音を立てながら顔をストロークする。
 次第に高まってくる射精感にまぶたを閉じる光希。
 彼の表情を確認すると、エルは唇の合間から肉棒を抜きさり、大きく口を開けたまま光希が射精するのを待った。
 ぷぴゅっ、ぶぴゅっ、ぶぷぴゅっ。
 数秒後、光希の肉棒からものすごい量の白濁液が噴きだした。まるでタガが外れたように。
 一方、大量の精液を口で受けとめたエルは、口内に溜めこんだ粘っこい液体を笑顔で胃袋に流しこむ。
 それだけじゃなく、衣服へ飛散した精液まで指の先にからめ、口の中に入れて味わった。
「ごちそうさまでした。気持ちよかったですか?」
 エルは人形じみた無機質な表情から一転、お日様みたいな笑顔で感想を聞いてきた。
「あ、ああ。すっげえ気持ちよかったよ」
 彼女の熱のこもった奉仕は、童貞の光希を満足させるのに十分すぎるほど十分だった。
「そうですか。よかった」
 エルはホッとしたように胸をなで下ろす。
 まさか緊張してたのか? 
 光希がそう言いかけた瞬間、鈴華のいる方向からくぐもった声が聞こえてくる。
 エルは光希の後ろ側へ視線を送り、心なしか残念そうな表情になった。
「そろそろ時間のようですね」
 エルは自分の口内で彼の肉棒の掃除を済ませると、出しっぱなしになった男性器をズボンの奥にしまい入れる。
「あれ、さっきはジーンズに穴が開いていたのに」
 光希は不思議がった。
「なあ、エル」
「それより光希様。薬の効果がそろそろ切れます。彼女が起きたら事情を説明しておいてください」
「事情つったって」
 光希は困り果てる。自慢じゃないが嘘は下手な方だ。
「それではごきげんよう」
 エルは光希の事情なんて知ったこっちゃないというように、三度すがたを消してしまった。
「おい待て! ったく。爺ちゃんといっしょで勝手なやつ」
 光希は小さくぼやくと鈴華のところにあゆみだした。


* * *



 あれから数週間ぐらい経った。
 あのときはどうやって鈴華をごまかそうかと考えていたけど、エルが記憶に細工でもしていたのか、鈴華はなにも覚えちゃいなかった。
 エルに出会ったことも、スタンガンで気絶させられたことも、すっかり忘れてもとの生活を送ってる。
 自分はどうだろう。
 光希はカバンをあたまの後ろで持ちながら空を見上げた。
 あの日の出来事は今でも鮮明に覚えてる。交わした言葉も匂いも感触も。恥ずかしい話だけど、何回かズリネタにもした。それほど鮮烈な出来事だった。
 だけどあれ以降、エルからのアクションは一向にない。
 光希はしびれを切らして爺ちゃんの洋館に足を運んだ。近所に住んでる人に彼女の話を聞いてみたりもした。それでも彼女につながる情報はなかった。
 彼はハアとため息をつける。
「あ、またため息ついた」
 となりに立った鈴華が心配そうに言った。
「悩みごと? わたしでよければいつでも相談して」
「悩みごとっつうか。喉の奥に小骨がつっかえて取れない感じ。それがもどかしいんだ」
「ふうん」
 光希の答えが分かったのかわかってないのか、あいまいに返事する鈴華。
「でもほどほどにしときなさいよ。あんまりボーっとしてるとまた先生に叩かれるよ」
「……なあ、鈴華」
「な、なに」
 急に神妙な面持ちになった彼に対して身構える鈴華。
「おれ、今日の学校は風邪で欠席するから。先生にもそう言っといて!」
 鈴華にそう伝えると、光希はそれまで来た道を全速力で走りだす。
「風邪って絶対に仮病じゃん。ちょっと光希!」
 鈴華の戸惑った声を背に受けて駆ける。
 やっぱこのままじゃダメだ。気になって夜も眠れないし勉強にも身が入らない。
 光希は必死にある場所を目指す。ここからほど近い場所。爺ちゃんの洋館だ。
「……はぁ……はあっ……くっ……ふぅ……」
 洋館の正門にたどり着いた光希は、ひざに手を当て息を整える。
「開いてる」
 ギギっと錆びついた音と共に開かれた正門。光希は敷地内に入った。
 フレンチ・ルネッサンス様式の木造洋館と正門をつないでいるのは、手入れの行き届いた庭園。光希はゆっくりと洋館に向かう。
 飾り台に載せられたエンジェルやビーナスの像が不気味で、光希はずっとこの庭が苦手だった。
 パキリっ。
 気配を感じて背後をすかし見る。だれもいない。
「気のせいか……?」
「気のせいじゃないですよ」
 まさか返事があるとは思わなかった。
 彼はびくっとはね上がる。声の主はそんな様子をクスクスと笑った。
 光希はまなじりを決して大声を出す。
「隠れてないで出てこいよ!」
「いいですよ」
 笑い声がおさまり、エンジェル像の裏から人影が現れる。
 こいつ、なんなんだ? 光希は相手を見やった。
 まとっているのは金の刺繍が入った象牙色のローブ。目深にかぶったフードで顔は分からないけど、さっきの声とスカート状のローブから考えて性別は女だ。
 もちろん、こんな怪しいやつと爺ちゃんが知り合いだなんて聞いたことない。
「もしかしてエルの仲間?」
 光希の質問をシカトし、彼女は光希の後ろを指さした。
 すぐあとに首筋から焼けつくような痛みが走る。
「痛ぅっ!」
 二年まえ野犬に噛まれたことがある。あれと同じ痛みだ。光希は本能的に腰を落として蹴りを放つ。
 きゃうんっ、ケモノのような悲鳴が上がったかと思うと、噛みついてきたやつが離れた。
 光希は首から血を流して言う。
「ちくしょう。噛まれた」
 やつは身軽な動きで地面を駆けまわると、ローブの女の足元で犬のように伏せる。
 そいつはローブの女以上に異様な格好をしていた。
 首に巻いているのは血のように真っ赤な首輪。腕にはエナメルの赤いロンググローブ、足には赤いニーハイブーツを履き、ブーツの履き口にはさんだスイッチからピンクのコードが伸びている。そのコードはなんとお尻の穴に突っこまれていた。
「……こいつ……なんなんだ……」
 変態的な格好をしてるが、こいつは間違いなく自分と同い年ぐらいの少女……
「可愛いでしょ。この子はわたしの忠実なしもべなの」
 ローブの女が彼女のあごを撫でると気持ちよさそうに喉を鳴らした。
「さあ、トドメを刺しなさい」
 命令を受けた少女は、再度、光希の喉笛めがけて飛びかかってきた。

 
 


 

 

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