超越医学研究所HML


 

 

武器よさらば(後編)





 月が出ていた。
 
 湾岸の、工場、倉庫が建ち並ぶその一帯は、昼間でも訪れる人はそれほど多くなく、日が暮れればほとんど静寂につつまれる。
 その建物は、外観上はただの倉庫といったところで、周辺の倉庫街に溶け込んで違和感がない。
 しかし注意深く見ると、ただの倉庫というには不似合いなほどの強固な外壁によって守られていることがわかる。
 超越医学研究所――。
 実は地上部分はほとんどがダミーであり、主要な設備はほとんど地下にあるのだが。
 
 海の方角からやって来た影が四つ。
 体格のいい、屈強な男達である。それが足音もたてずに、闇にまぎれてヒタヒタと忍び寄ってくる。4人とも全身を迷彩服で覆い、覆面ですっぽりと顔を隠している。そして、一人一人の手には、武器――サブマシンガンが握られていた。
 
 
 見当をつけた外壁の箇所に爆薬を仕掛け、起爆装置をONにする。
 爆発が起こり、外壁にぽっかりと大きな穴が開いた。
 迎撃のないことを確認し、彼らは建物の内部に素早く足を踏み入れる。
 この間、1分も経っていない迅速な行動であった。
 さらに、地下の研究所本体へと続くゲートのロックに取り付いた。
 
 あっという間にロックが解除され、地下の施設へと続くゲートが開く。
 4人の男達は、目線で合図をすると、2人ずつ二手に分かれた。
 
 兵士達が施設内に潜入したことを見届けた頃、倉庫街に新たに三人の影が現れた。
 マオカラーのダークスーツに身を包んだ背の高い男――大佐。
 その大佐に付き従うように、迷彩服を着用したがっしりした体格の副官。そして、その副官に抱きかかえられるようにして、一人の女が今にも倒れそうな足取りで月明かりの下に姿を現した。
 その女は、全裸だった。魂をどこかに置いてきてしまったかのように、無表情で、呆然としたその有様は、最強の女兵士であったはずのキャシー竹橋の変わり果てた姿だった。

「きたな……。思いのほか早かった」
 警報装置が鳴り響き、外部からの侵入者がいたことを示している。
 水道橋正宗は、江錦華の方を向いた。
「……ですな」
 この期に及んで、二人は冷静だった。
「錦華君、非戦闘員を避難させたまえ」
「非戦闘員って……ここには戦闘員なんていてませんで、所長」
「ま、そりゃそうだわな。死にたくなければみんなで戦うしかあるまい」
「おおこわ」
 錦華はため息をついた。
 
 それから水道橋と錦華は所員たちを集めて簡単な指示を与えた。
「隔壁を閉鎖しよう。時間稼ぎにはなる」
 
 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ!
 周囲に轟音が響き、通路や階段の随所に非常用に用意された隔壁が閉鎖されていく。
「ところで」と、水道橋所長は話題を変えた。
「神保君はどうしているね?」
 隅の方で控えていた猿楽一郎研究員が、一歩前に進んだ。
 
「鎮静剤を投与して、とりあえず落ち着かれましたので、ご自身の研究室に軟禁状態にしてあります。隔離病棟で監禁した方がよろしかったでしょうか?」
「いや、それでいいんじゃない?」
 猿楽は少し表情を曇らせて続けた。
「表面的にはこれといった外傷は見当たりません。ただ……」
「わかっている。あとは私にまかせたまえ」
 水道橋所長は、神保美紀に面会するつもりであるらしかった。
「神保主任は所長に対して攻撃行動をとるよう暗示がかけられていました。お会いになるのは危険では?」
「な〜〜に、もう大丈夫だろう」
 水道橋正宗の表情には思いのほか余裕があった。
 階段を降り、廊下の突き当たりにある部屋の前に出た。ふだんと変わらない足取りで。
 そこが神保美紀の研究室であり、彼女はこの中にいるはずであった。
 
 
 
 ロックされていたはずのドアが開いた。
 ふだんは神保美紀が専用に使用している彼女の研究室。
 美紀は入口に背中を向けて座っていたが、誰かが部屋に入ってきたのに反応して、身体の向きを変えてそちらを見た。が、それが水道橋正宗であることに気づいて顔をそむけた。
 錦華に当て身を食ったときに割ったのだろうか、メガネのレンズにひとすじ亀裂が走っていた。
 沈黙……。
 イスに座って身体を固くしている美紀を、所長が黙って見下ろしている。
 しばらくして、正宗が口を開いた。
 
「神保君、君に伝えたいことがあってね」
「……なんでしょう?」
 ためらいがちな口調で美紀が答えた。
「ウィーンのエリノア財団本部から、ぜひ君を客員研究員として迎えたいという話が来ている」
 水道橋正宗は、事務的な口調でそれだけを告げた。
 重要な話には違いないけれど、いま、話題にすることとも思われない。
「たしか海外の学術機関での研究活動は神保君の夢だったはず……」
「夢? そうですわね、私がまだ何も知らない小娘だった頃の夢……」
 
 美紀は自嘲気味に笑った。視線は所長からそらしたまま。
 あれ? どうして今日は所長に対してこんな態度が取れるのだろう?
 私、少し自暴自棄になっているのでしょうか?
 
「神保君」
「はい」
「君には、つらい思いをさせた。私の責任だと思っている」
 
 神保美紀の目から涙があふれた。
 
 自分は所長の留守中に独断で大佐の誘いに乗り、結果的に入院患者であるキャシー竹橋の身柄を奪われるという大失態を犯した。
 さらには、大佐にいいように利用され、暗示にかけられていたとはいえ、所長に向かって銃を発砲するというとうてい許しがたい行為に出た。
 所長はそうした事情をすべて知ったうえで、何事もなかったかのように暖かい言葉をかけてくれているのだ。
 
 美紀はふいにイスから立ち上がると、身体ごとぶつかるようにして水道橋の胸に飛び込んだ。
 無我夢中だった。
 
 水道橋の胸の中で、嗚咽をもらす美紀。
 だがその時、神保美紀は、まったく思いがけない行動に出た。大きく口を開けると水道橋正宗の肩口にがぶりと噛みついたのである。
 どうやら正宗に対する攻撃を命じた大佐の暗示が、まだ残っているらしい。
 しかし正宗は、平然として美紀を抱きしめる腕に力をこめた。
 10秒……20秒……1分以上経過しただろうか。美紀は息がつまったかのように顔を上げ、大きく息を吐いた。
 
 美紀は水道橋を振り払うようにして後ずさりした。
「私……私! 申しわけありません!」
 どうしていいかわからなかった。
 だが、水道橋正宗は無言だった。咎めるようなまなざしではない。ただ、憐れみをこめたような瞳で美紀を見つめている。
 
 いけない! このままでは自分と、所長の距離は永遠に縮まることはない! 正宗との間に横たわる溝は決定的なものとなってしまうだろう。
 いや! そんなのはいや!
 美紀はあせった。頭の中が目まぐるしく回転している。
 そして、自分でも思いがけない行動に出た。
 美紀は服のボタンをはずし始めた。プツ、プツ……。
「所長……私、私! お願いがあります!」
 三つ目のボタンをはずし、ブラウスの前をはだけると、Fカップの白いブラジャーが、ほとんど丸見えになった。
 布地いちまい下には、豊満な乳房が息づいている。胸の谷間が、まぶしかった。
 
 今にも泣き出しそうな美紀の口を突いて、思わず言葉が出ていた。
「抱いてください……!」
 
 
 
 一方こちらは、研究所の奥深くまで潜入した大佐の部下の兵士二人組である。
 研究所内に突入した段階で四人の人数を二手に分けた。任務は研究所の制圧。
 抵抗されるようなら発砲してもかまわないと指令を受けている。そう、これは戦闘行動なのだ。
 しかし、奇妙なことに行けども行けども単調な廊下が続くばかりで、人っ子一人見当たらない。
「おい待て」
 一人がもう一方に声をかけた。
「どうした?」
「妙だとは思わんか? 誰にも会わないなんて」
「俺たちの侵入に気づいて逃げ出したんだろう。警戒するほどのこともなかったな」
 
 そうだろうか? と、思ったが、一抹の不安はぬぐいきれなかった。
 
 一人が足を止めた。
「おい、何か聞こえなかったか?」
「さあ?」
「たしかに聞こえた。この扉の向こうからだ」
 そこには重そうなドアがあった。
 ドアノブを回してみると、扉は簡単に開いた。
 二人は銃を構え、迎撃の体勢をとって中に飛び込んだ。
 が、そこは無人であった。医学関係の書籍がぎっしりと詰まった書棚やOA機器が並ぶ、無機質な、研究室らしき施設であったが。
「誰もいない……」
「いや、待て」
 部屋の奥にさらに扉があり、その扉が半開きになっている。そこから風が通り抜け、室内の空気をわずかに乱していた。
「階段だ……地下室があるようだな」
「誰か隠れているんだろう。下りてみようぜ」
 二人は、薄暗く、黴臭いにおいのする階段を下りていった。
 たどり着いたところにある地下室は、意外と広い空間で、壁際に得体の知れない道具やら計器類が邪魔者扱いされたかのように寄せ集められ、山のように積まれているが、部屋の中央にはぽっかりと床が剥き出しになったスペースが広がっており、その真ん中にはベッドらしき台が据えられていた。そこでは……。
「ああん……うん……うふん」
「いやぁ……はぁん……いい……いいのぉ」
 二人の兵士は驚いて眼を剥いた。
 
 医療ベッドらしい無機質で飾り気のないベッド――それにしてはダブルベッドほどの広さがあったが――の上では、一糸まとわぬ裸の女が二人、絡み合っていたのだ。
「悦っちゃん、悦っちゃん……感じとるぅ?」
「せんせい、もっと……もっとおっぱい触ってぇ」
「ああ、ええわぁ……悦っちゃんのカラダ、最高やわあ」
「せんせい……せんせい……素敵ぃ」
 下になっている女は、ヒップラインの肉付きがいい好色そうな身体つきで、豊満な乳房を揺らしていた。
 上になって……つまり攻めに回っている女は、長い黒髪にスレンダーな肢体が印象的で、小ぶりだが形のいい乳房に、抜けるような白い肌の、目が覚めるような美人だった。
 男達が下りてきたことに気がついていないのか、一心不乱に女同士の情事に耽っているのである。
 ちゅく……くちゅ……ぴちゅ、と、いやらしい音が男達の立っている場所まで聞こえてくる。
 腰を使い、陰部をこすり合わせる。髪は乱れ、乳房がぶるんとふるえる。
 女の撒き散らす体液で、ベッドの上はしっとりと濡れていた。
 
 二人の男は目を見合わせた。
 なぜ、こんな薄暗い地下室で? ここは確か医療施設ではなかったのか?
 これは想定外の事態であり、いったい何が目の前で起こっているのか判断がつかない。
 しかし、たしかなことは、その光景が男にとって、とてもソソるものであることだった。
 二人はしばらく、ベッドの上で繰り広げられる痴態に見入っていたが、ふっと我に返ると銃を構えたまま声をかけた。
 
「おい!」
 
 フッ……。
 髪の長い方の女が、笑ったような気がした。兵士の方に媚びるような視線を向けて口を開いた。
「あらぁ、お兄さんがた、前の方膨らましよってからに……たくましいわぁ。
 こっちに来てうちらと一緒に愉しまへん?」
 腰を動かすのをやめようとしない。
 女はおいでおいでをするように男達に向かって手を伸ばした。
 
 それじゃあ、と言いそうになるのを、一方の男が制止した。
「おい、マズくねえか? 何かのワナかも……」
「女二人で何もできやしねえさ……。お前らここの研究所の人間か?!」
 
「そんなこと、どうでもええやん」
 自分で自分の乳房を揉みしだき、股を広げて見せびらかそうとする。
「お兄さんがたのモン、欲しいわあ」
 ルージュをひいた、女の赤い唇のあいだから、話をするたびに白い歯と、チロチロと動く舌が見え隠れする。
 
 誘ってやがる。完全なヤリマン女か……?
 色情狂が地下室にでも閉じ込められていたのか……。それとも命だけは助かりたいという窮余の策か?
 事情はわからないが、どうせ最後は始末するんだ、遊んでやってもいいだろう。武器も持っていないようだし……。
 兵士達は目配せし合い、ニヤリと笑うと、無造作にベッドの方に歩み寄った。
「俺はその髪の長い可愛い子ちゃんだ」
「じゃあ俺はそっちのグラマーな方をもらうぜ」
 小銃の安全装置をオフにして……。
「ああ、そうやった……。お二人さん、そこは魔法陣やで」
 
 急に女の口調が変わったような気がして、男達は足をとめた。
 部屋の中央にあるベッドからあと数歩の距離である。
 暗くて気がつかなかったが、床一面には、何か得体の知れない紋様やら文字が、円陣形に書きつけられている。しかも驚いたことに、足元に何かぬめぬめした黒いものが無数に蠢いている。
 目をこらしてよく見ると、それは蛇やトカゲ、クモや、ヒキガエルといった虫類の群れである。
 兵士の膝のあたりまで這い上がってきているのもいる。
 二人の男はあまりの不気味な光景に息を呑んだ。なぜか前へ進むことも、後ろへ下がることもできなかった。
「ひっかかりよった、アホが」
 江錦華の瞳が、残忍に光った。
 
「まあ、ええわ、せっかくやからちいっとばかり愉しませたろか?」
 錦華はベッドから降りると、周囲の毒虫の群れが目に入らないかのように、男の前にひざまずき、ズボンのチャックを下げた。
「悦っちゃんはそっちの男を相手にするとええわ」
「はぁい、先生」
 須田悦子ナースが錦華の言葉のままに、もう一人の兵士の股間をまさぐった。
「このカタさ……反り具合。ま、65点ちゅうとこやな」
 危機的な状況にもかかわらず、男たちのイチモツは固く勃起したままだった。
 そして、男たちは仁王立ちになったまま、身体を動かすことができない。
 女のするがままになるしかなかった。
 
 くちゅ……くちゅ……くちゅ。
 
 錦華がペニスを咥えこみ、口内でもてあそんだ。唾液と、兵士の先走りのツユが混ざり合い、卑猥な音を出した。
「あ……あ……」
 喉の奥まで肉棒を吸い込んでは、吐き出すかのような上下動。さらに舌先が肉棒のウラ筋をチロチロと刺激する。
 男はわずかにうめき声をあげた。そうこうしている間にも、毒虫の群れは迷彩服を這い上がってくるのだ。
 男の顔が恐怖にひきつる。しかし、なぜか大量の蛇もトカゲも女たちの肌にはまとわりついて来ようとはしなかった。
 ちゅくる……ぐちゅ……。
 錦華の口の動きが激しさを増した。
 
「んッ!!」
 
 恍惚とした表情の錦華の唇から、白濁した精液がどろりとあふれた。
 口元から流れ落ちた精液を、錦華は無造作に手でぬぐうと、
「薄口やなあ、あんたヤリ過ぎやで。健康には気ィつけた方がええで。ま、今さらそんなことゆうても無駄やけどな」
 錦華が上目遣いに男の顔を見上げた。冷たい、凍りついたような瞳だった。
 
 その直後、地下室に絶叫が響きわたった。
 
 
 ――言ってしまった! とうとう言ってしまった!
 
 神保美紀は、もうあとには引き返せないと思った。
 
「こんなに! こんなにお慕いしていますのに、私は……!」
「秘奥義、恵神孔……」
 意味不明の言葉をつぶやくと、水道橋正宗が、ずい、と一歩前に出た。
「……は?」
 美紀は思わずたじろいだ。正宗の目は真剣だった。
「大佐が君にかけたマインドコントロールは、恵神孔といって、人体の神経経絡を刺激することによって、他人を意のままに操るという秘儀だ」
「はあ……」
「今回、大佐が使ったのは、女性の全身に分布している、快楽物質の分泌に密接な関連のある神経経絡だ。どういうことかわかるかね?」
「も……もうしわけありません、わかりかねます」
「性感帯……! と、いうことだ! 大佐は君の快楽中枢を司る神経経絡を突き、攻撃衝動を高めたうえで、私への刺客として送り込んだのだ!」
「はあ……? えっ……? は、は、はい」
「私に遭遇することにより、私を攻撃するようにマインドコントロールされていたというわけだ」
「所長、私……私」
「条件反射的な暗示はやがて解ける。が、問題はそれだけではない。神保君、このままでは君は、大佐との行為によってしか快楽を得られなくなるおそれがある」
「なんかイヤです! そんなの!」
「これを破る方法はただひとつ」
 水道橋は大きく息を吸って、
 
「神保君、服を脱ぎたまえ」
「はあ?」
 
 固まってしまった神保美紀。
 ――たしか今、「服を脱げ」っておっしゃったわよね?
 「靴を脱げ」ではなかったわよね?
 私、自分からすでにイキオイで半脱ぎになっているのですけれど。
 でもでも、あらためて「脱ぎたまえ」と言われるのも、あんまり唐突でドキッとするような、ときめくような……本能的に身の危険を感じるような……。
 ああ、そうだわ、きっと所長は診察のためにおっしゃっているんだわ。
 そういえば思い当たることがあるわ。大佐は、私の身体を何日もすみずみまでいじり回し、なめ回し……その、その……イヤだわ、これ以上思い出すのも恥辱だわ!
 そうよ! 治療や実験のため所長の目の前で裸になるのは、別に初めてじゃないし……。
 
 水道橋所長は、神保美紀の内心の混乱を、まるで見透かしているかのようにきっぱりと言った。
「神保君、君の全身の性感帯をチェックし、神経経絡を刺激しなければならない」
「は……はあ」
 
 ――なんだかめまいが……。
 
 でも、でも、所長はきっとわたしのことを考えておっしゃってくださっているに違いありませんわ。
 ここは所長にすべてをおまかせすることとして……。
 はい、脱ぎます。脱がさせていただきます。女は度胸ですわ。
 ブラウスのボタンをすべてはずして、がばっと脱ぎ捨てまして、それから、スカートのジッパーですわね……えっと、えっとお、下着も脱ぐんですよね?
 ブラを……はずして、と。
 お風呂に入るときのようなわけにはまいりませんわね。
 所長がずっと私のことを見つめていらっしゃって……緊張、しますわ。
 パ、パ、パ、パ……パンストも、面倒くさいので最後の一枚といっしょに、一気に……脱ぎました! 脱ぎました!
 一糸まとわぬすっぽんぽん、ですわ!
 あの、眼鏡だけはご勘弁いただけますでしょうか、所長?
 
 でもやっぱり恥ずかしいですわ! ここは前を隠した方がよろしいのでしょうか?
 乙女のはじらい……なんちって、なんちって。
 
 美紀の内面の葛藤を知ってか知らずか、正宗は彼女に向かって歩み寄ると、おもむろに手を伸ばした。
 ――触診されますの?!
 
「ひえッ!」
 思わず大きな声を出してしまいましたわ。
 所長ってばいきなり私のおっぱいを両手でむんずと鷲づかみになさって……はぁん……!
 でも、少し乱暴なのもいいかも……。
 やだあ、乳首が勃ってしまいましたわ!
 
 むにむにむにと、水道橋の器用な手先は、美紀のおっぱいを揉みしだき、持ち上げ、絞りあげる。さらには軽くひっぱたくと、美紀の豊かな乳房がたぷんと揺れた。
 
 かたくなった左右の乳首を、両手の親指を使って、こねくり回すようにすると、美紀の標準より少し大きいと思われる薄いピンク色の乳輪にシワがよって、真っ白な乳房の肌触りとは異なる肉厚感をかもし出している。
 しつような乳房への攻撃が、性感帯をいたく刺激するのだろう。美紀は顔を真っ赤にして、熱い息を吐いた。
 
 ――ああああ! 乳がはっちゃってるう! 嘘みたい!
 みなぎる充実感! おっぱいが急に大きくなったみたい!
 
 乳腺を刺激し、ツボを押さえることによって、まるで妊産婦が母乳をみなぎらせるかのような知覚を与える、これは一種の正宗による操心術なのか?
 
 美紀は思わずあられもない声を出していた。
「吸ってえ! おっぱい吸ってえ!」
 正宗はすかさず美紀の乳首を口に含んだ。
 ちうちうちうちう……れろれろれろれろ。
 乳首を吸い、舌先でころがす。ときに強く、ときにやさしく。
 同時に彼女の裸のウェストラインから、わきの下にかけて、両手で撫であげた。
「ひいあああッ!!」
 神保の体重をささえる両脚は、内股に折れ曲がり、もじもじと太ももがこすりあわされた。
 とうとう彼女は立っていることができなくなり、崩れ落ちるように床にへたりこんだ。
 
 正宗は美紀をやさしく仰向けに横たわらせると、上からおおいかぶさって自らの身体を重ねた。
 ただし、美紀の股間が自分の顔に、自分の下半身は美紀の顔にかぶさるように。これがいわゆるシックスナインの体位。
 美紀は驚いて声を出した。
「いやッ! いやですわ所長! こんなかっこう恥ずかしいですわ!」
 
 ――だって、これですと私のお尻も、ワレメも、アンダーヘアも、アヌスまでもが所長の鼻先三寸、丸見えではありませんの!
 
 だが、正宗は意に介する様子もなく、美紀の膝をわり、股ぐらを押し広げ、顔を近づけると陰部をまさぐった。
「ひゃあッ!!」
 そりゃ大声も出るわな。
 水道橋正宗の施術は、医学的な触診と単なるスケベの境界線、とはいえ、会陰をなぞり、肛門をまさぐり、陰唇をねぶり、足指の股をしゃぶるその目は真剣そのもので、正宗を信じきって、すべてをまかせる美紀は、めくるめく快楽と羞恥のはざまで必死に耐えるその様は、
「いやン……あっはァん……! いい……いやぁ……イッちゃうぅ!」
 だいたいこんな感じ。
 
「さて、神保君、ひとつ手伝って欲しいことがあるのだが」
「なんなりと、所長……ハァハァ」
 すでに息も絶え絶えの美紀であるが。
「恵神孔の奥義を用いるにあたり、わしは自分の手と指と、舌とをもって神保君の神経経絡を刺激し、さらに階梯を進め、大佐の術を破るためには、さらに次なる手管を用いる必要がある」
「はぁ……い」
「わしのズボンのファスナーが神保君の目の前にあるかと思う。それを開けてもらえないかね?」
「は……はい」
 ああ……そうです、そうなのですわ。私の目の前には、ズボンの布地の奥に隠された熱っぽい所長の男性器が。目にも明らかなほどの怒張がそこに。
 そして、それこそが、女として私が最も欲したものではなかったのかと。
 私は、はやる気持ちを抑えながら、所長のズボンのファスナーをおろしますというと……。
 
 べろん……!
 
 私、思わず心臓が停まるのではないかと思いました。
 巨大な……その……ナニが……パンツを突き破るかのようにして飛び出してまいりました。
 まるで凶暴な生き物か何かのように。
 
 どっくん、どっくん、どっくんと脈打っているではありませんか。
 見事なカリ高の、神々しいばかりのおちんちん。ああ、そう! おちんちんですわ!
 私は思わず、その男性自身のきっさきにキスをいたしました。
 私の心の臓が早鐘のように高鳴り、女性器からは愛液が泉のようにあふれ出ていたのです。
 それは、私が自分の中に、愛する人を受け入れたいという、心のしるしに他ならないのです。
 
 正宗の前戯……いや秘儀・恵神孔の荒技は、美紀のデルタ地帯を重点に、手と指、口と舌とを使って攻めまくるとともに、下半身でいきり立つペニスをも駆使して性感帯を刺激した。
 女の口に挿入された肉棒は、くちゅるくちゅると美紀の口腔内を荒らしまわると……
「んぐッ……んぶぅッ……! ぷはあッ!」
 次には乳首から胸の谷間、腋の下とねぶり回す。
 
「神保君! 気になる神経経絡があったら遠慮なく言いたまえ!」
「気になる……と、はひぃッ! い、い、言いますと? ……あァん!」
「大佐は君の最も敏感な箇所に想像を絶する外部からの刺激をくわえ、脳内ホルモンを大量に分泌させることにより、君の自律神経をコントロールしたのだ!」
「はぁい! きゃあッ……!」
「大佐の術を破るためには、君がとりわけ感じる部位、ひらたく言えば性感帯を教えてもらいたいのだ!」
「でしたらここッ……ここッ!」
 美紀は身悶えながら、自分の乳首に、正宗の亀頭をぐりぐりと押しつけた。
 
「ここというと、ここかね?」
 正宗は、グミのように膨れあがった美紀のクリトリスを指ではじいた。
「ひいあああああああンッ!!」
 不意打ちともいうべき攻撃に、思わずイってしまった美紀は、大量の蜜をほとばしらせた。
 
 それから二人は目まぐるしく体位を変えた。
 四つんばいになった美紀の背中のラインを、正宗が指でなぞり、舌を這わせた。
 さらに、屹立した肉茎が、美紀の柔肌の上に粘液の跡を引きながら、美紀の粘膜質の部分を狙って攻め立ててくる。
 しかし、一歩手前で美紀の子宮へとつながる入口へと、侵入してこようとはしない水道橋に、彼女は全身を火照らせながら、快感を限界までつのらせていた。
 
 ――はぁ・はぁ・ひぃ・ひぃ・はぁ・ひぃ・あはん……。
 
 もう、一気に来て欲しいってゆーか!
 もっと触ってってゆーか!
 私を犯してってゆーか!
 おちんちん入れてってゆーか!
 私もう我慢できないいいいいいいい!!
 
「わかったぞ、神保君! 大佐は君の膣奥の神経経絡を突いたんだ! 大佐の術を破るには、より大きなパワーで同じところを突かねばならない!」
「突いてえ! 突いてくださああい!!」
 
 ズン!!
 
「ああッ……!!!!」
 美紀は大きく身体をのけぞらせた。
 ・・・・・・・・・・・・・・
 
 ――感じる……。感じるわ……。
 
 ――所長の、たくましいものが、私の中に入ってる……。
 私の中を満たしている、大きくて、固くて、強くて、あったかくて、やさしい所長の分身。
 カリ首の高さも、浮きあがった血管も、感じる……感じるわ。
 
 ひとつになれた……ひとつになれたのね……。私と所長がひとつになれたのね。
 いま、世界のすべての音が途絶えて、気配が消えて。
 私と、所長と、たった二人しかこの世には存在しない……。
 あっ……脈打ってるのが感じる。
 すごい……心臓の鼓動が聞こえてくる。
 ドクン……! ドクン……! ドクン……! ドクン……! ドクン……!
 私……私、なんだか涙があふれてきて……。
 
「神保君、よく聞きたまえ!」
「はい、所長!」
「わしと君との動きをシンクロさせることによって、より強く、より深く交われば、神保君に残された大佐の呪縛を必ずや打ち破ることができる!!」
「はぁい!! もっと、もっと激しくしてくださぁい!!」
 
 腰骨が砕けるほどに腰を振り、お互いどうしの性器がこすれ合う。
 正宗の巨根は、思うざま美紀の膣内をかき回すと、美紀もそれにこたえて歓喜の声をあげる。
「いいィ! いいのぉ! 所長、気持ち……いいですぅ!!」
 とどめの一撃、二撃が子宮を突き上げると、水道橋の首にまわしていた腕に力をこめる。
「ぐちょぐちょにしてええええ!!」
 
 ――頭の中が真っ白になっていきました……。
 その時私は、私を捉えていた悪夢のような呪縛から、解き放たれたとともに、生まれてからこれまでに、到達したことのなかった高みにまで、私が達したことを感じていたのです。
 
 幸せ……。
 私はその、時涙がとめどなくあふれてくるのを止めることができませんでした。
 ・・・・・・・・・・・・・・・
 
 
 やがて所長は、身だしなみを整え、ふたこと三言、私に何ごとか言い残されますと、私を残して部屋を出ていかれました。
 戦いに、行かれるのですね……。おそらくは宿命の対決の決着をつけるために。
 さて、残念ですが余韻に浸っている暇はありませんわ。
 私にもやらなければならないことがあったのです。
 
 
 ――その頃。
 大佐と副官は、研究所内のひと気のない長い廊下を急いでいた。
 配下の兵士たちが突入し、確保したルートをたどって。
 副官の腕の中には、キャシーが抱きかかえられていた。裸のうえにシーツを巻いただけのしどけない姿である。
 ぐったりとして、気を失っているらしい。
「ここだ」
 大佐と、キャシーを抱きかかえた副官が最後にたどり着いたのは、およそ医学的治療というイメージからはかけ離れた奇妙な機械が設置された部屋だった。
 医療用のベッドの脇にはモニター類が並び、複数の電極を備えた巨大なヘルメットのごとき物体がでんと置かれて存在感を主張している。
 
 大佐はモニターに取りつき、機械の電源をオンにした。
「よし、動く……動くぞ」
 自信に満ちた表情で大佐は言った。すべてここまでは予定通り。
 
 そして、副官は手術台のような無機質なベッドに、裸のキャシーを仰向けに寝かせた。
 キャシーの巨乳は、横になっても型崩れすることなく、乳首はピンと上を向いていた。
 息をするたびに、小山のように盛り上がった乳房が波打っている。
 電極につながったヘルメットを彼女の頭にかぶせ、固定したところで準備完了である。
「タニア・シティでの野戦において、ドクターMが残した化学式をキャシー竹橋は記憶している。これより、キャシー竹橋の大脳皮質に残存するドクターMに関する記憶を強制的にサルベージする」
「はッ!」
 大佐の目的は、かつてキャシー竹橋が軍事行動の任務遂行中に接触した天才的医学者・ドクターMに関する情報を、彼女の脳の記憶領域から強制的に呼び起こすこと。
 その情報とは、ドクターMが開発したとある化学薬品に関するものであるはずだった。
 それは人間の中枢神経に作用し、感情的な部分をコントロールする物質だと言われている。
 ある種のホルモンとか、あるいは向精神薬なのか。詳らかではないが、大佐はその物質の組成にかかわる化学式を手に入れることによって、感情に左右されない最強の兵士……完全なるサイコマンダー部隊を自らの手で作り上げようとしていた。
 
「やりたまえ」
 モニターを覗き込んでいた大佐が合図する。副官がレバーを引いた。
 ガコンッ!
 キャシーの身体がビクン! と、大きく痙攣し、やがて小刻みにふるえ始めた。
 1分……2分……。しかし、それ以上の変化は見られない。
「キャシー、聞こえるか? キャシー」
 返事がない。わずかに眉をひそめるような表情をした。
 
「とめたまえ」
「は」
 ヒュルルルルルルルルル……
 出力の落ちる音がして機械が停まった。
 副官が不安げな様子で大佐に訊いた。
「失敗でしょうか?」
「いや、出力の問題だ。もう少し電圧を上げてみることにしよう」
 大佐はモニターを覗き込みながら、コントローラーを調節し、ふたたび機械のスイッチをオンにした。
 
 ジジジ……ジジ。
 キャシーの頭部に被せられた電極から、電流が漏れ出すような音がした。明らかにさっきと比べて高い負荷がかかっているらしい。
「うう……ううン……ううあああ」
 キャシーは苦しそうに首を振った。
 大佐はベッドに横たわるキャシーに向かって語りかけた。
 「聞こえるかね、キャシー? 君にはいまタニア・シティにおける反政府ゲリラ掃討作戦の命令を出したところだ。聞こえたら返事をしたまえ」
「う……うう」
「キャシー竹橋、こちらは作戦司令部。君の任務はドクターMの身柄の確保。サイコマンダー部隊、突入せよ!」
 キャシーは何かを感じ取ったらしく、うすく目を開けてうめき声に似た言葉を発した。
「タニア・シティ……任務遂行。ドクターM……目標の死亡を確認」
「ちがう! 君は生きているドクターMに会っているはずだ。思い出せ、キャシー!」
 
 砕け散ったガラスの破片を集めるようにして、つなぎあわされた記憶の断片。
 あの日、ゲリラとの銃撃戦をかいくぐり、ドクターMが立てこもる部屋に踏み込んだ自分は、そこで彼と会い、言葉をかわした。
「やつは……やつはあたしの目を見ていた」
「そうだ、その時ドクターMは君に何と言った?」
「サイコマンダーは……まだ完全ではない」
 キャシーの手が苦しそうに虚空をつかんだ。半身を起こそうとするキャシーを、大佐はベッドに押さえつけた。
 唇の端からよだれをたらし、全身から噴き出した汗が肌をつたった。
 ハァハァハァハァハァハァ……。
 呼吸が荒くなり、脈拍が異常に速くなる。
 
 突然、キャシーがくわっと目を見開いた。
「うがああああああああああ!!」
 獣のような咆哮が、キャシーの喉の奥から発せられた。
 
 彼女が大きく身体をえびぞらせ、のたうつ姿は、激しいSEXで絶頂に達するさまに似ていなくもなかった。
 ただし、けだもののような反応は、とても人間のものとは思われなかったが。
「電源を切れ、副官!」
「はッ!」
 電源が切られたとたん、糸の切れた操り人形のように、キャシーはベッドに叩きつけられた。
 全身を紅潮させ、じっとりと汗をかき、苦しそうに喘いでいる。
 
「よし! さらに電圧を上げるんだ」
 大佐が冷酷に言い放った。その時……
 
「やめてください!」
 女の声だった。大佐と副官は声がした方を向いた。
 いつのまに部屋に入ってきたのか、そこには青ざめた表情の神保美紀が立っていた。
 ブラウスとタイトスカートを着た上に、白衣をまとっている。眼鏡の奥に知的な瞳がひかる、普段どおりの神保美紀の姿がそこにはあった。
 大佐の艦艇から解放された時に比べて、いくぶん体力を回復しているようにも見えた。
「これはドクター神保、お元気そうで何よりだ」
 大佐の呼びかけには答えず、悟りきったような表情の神保美紀はつかつかとベッドの上のキャシー竹橋に歩み寄った。
 
「かわいそうなキャシーさん……。こんなになるまで苦しまなければならないなんて」
 美紀はキャシーの額の汗をそっとぬぐい、乱れた髪をなでつけると、大佐の方に向き直った。
「そんなに知りたいのでしたら、教えてさしあげますわ」
 大佐と副官は顔を見合わせた。
「キャシーさんを私の部屋まで運んでいただけますこと?」
 美紀の瞳は大佐の目をまっすぐに見つめていた。
「ほう……そうか。そういうことか……」
 大佐がニヤリと笑った。
 
 
 美紀はキャシーをソファにもたれさせると、毛布で裸の身体をおおい包んだ。
 彼女はさいぜんから無表情のまま、キャシーの髪をなで、倒れかかりそうになるキャシーの身体をささえてやった。
 そして、キャシーの姿勢が安定するのを見届けると、無言で踵を返して、部屋の奥に姿を消した。
 給湯室でお湯を沸かしに行ったらしい。
「大佐、あの女少し様子がおかしいのでは?」
 副官が大佐に耳打ちした。
「なに、気にすることはない。すでにドクター神保は私の意のままだ。ここは私にまかせておきたまえ」
 ほどなくして、美紀が戻ってきた。足取りや素振りに特に異常な様子は見られない。
「コーヒーが入りましたわ。よろしかったらどうぞ」
 と、テーブルの上に二人分のコーヒーカップを置く。
 大佐と副官はさすがに警戒して、口をつけようとはしなかったが、美紀は意に介する様子もなく、自分の分と、さらにもうひとつのコーヒーカップをキャシーのところへ運んでいった。
「キャシーさん、コーヒーが入りましたわ。目を覚まして……」
 湯気が立ち、いい香りのするコーヒーカップをキャシーの鼻先に近づけた。
「ん……?」
 固く目を閉じていたキャシー竹橋が、わずかに反応した。
 
「キャシーさんが美味しいと言ってくれたコーヒーですわ」
 美紀がカップをキャシーの口元に持っていくと、キャシーはすうっと湯気を吸った。
 
「よく聞いてください。キャシーさん……私の言うことを」
 美紀はキャシーの手を取り、キャシーの顔を覗きこんだ。
 うっすらと目をひらいたキャシー。しかし、その瞳はうつろだった。
「ごめんなさい、キャシーさん。私が頼りなかったばっかりに」
 美紀はさらに語りかけた。
「思い出して、キャシーさん。去年の夏にはみんなで海に行きましたわね。とっても天気が良くて、楽しい一日でしたわね」
「美紀……」
 キャシーの唇から声がもれた。
 キャシーは美紀が手にしたコーヒーカップを、美紀よりもやや大きな両てのひらでおしつつむようにした。
 カップに口をつけると、ひと口、ふた口とキャシーはコーヒーを飲んだ。
 
 キャシーの唇がふるえ、まなじりからははらはらと涙があふれ出た。
「美紀……あたたかい」
 それがコーヒーのことを言っているのか、キャシーの手を握る美紀の手のぬくみのことを言っているのかはわからなかった。しかし、それは野獣のように猛り狂っていたキャシーが、ついぞ見せたことのない反応だった。
 
「キャシー竹橋が心を開放している! サイコマンダーが、他人の心に反応している!」
 副官が思わず声を上げた。信じられないといったように。
 美紀は淡々とした口調で言った。
「マインドコントロールの狂気……おそろしい地獄かもしれません。でも、それを超えるものは人間の心の強さ、やさしさなのです」
「そんなことは幻想に過ぎん。キャシー竹橋へのマインドコントロールが不完全だっただけの話だ」
 大佐は酷薄そうな笑いを浮かべて、そう断言した。
 
「もう、秘密を守る必要はありませんわ。私にはすべてわかっていますから……」
 美紀はキャシーに向かってさらに語りかけた。
 あくまでもやさしさにあふれた口調で。
「教えてあげてください、あの人……ドクターMは、最後の最後にキャシーさんに何を伝えたかったのか」
 やがて、キャシー竹橋は重い口を開いた。
「あの時……あの時あたしは、ドクターMの部屋に飛び込んで、あいつに……あいつに会った」
「ドクターMはそこにいたんだな?! そうだな、キャシー?!」
 大佐がわきから口をはさんだ。
 その声が聞こえているのかどうか、キャシーはさらに言葉を続けた。
「サイコマンダーは完全ではない。化学式は……サイコマンダーをより完璧なものにするための……」
 大佐が喜色をあらわした。
「アドレナリンの分泌を抑制する必要が……。何だこれは? 血の……血の匂いがする」
 どうやらキャシーの記憶は核心の部分にたどり着いたようであった。
 
「ドクター神保、君の協力には感謝する。ククク……」
「そうだ、あいつはあたしに見せびらかすようにして、ホワイトボードに書きなぐった。
 化学式の……続きを」
「そうだ、その最終項だ」
 大佐が身を乗り出した。
「思い……出した」
「すばらしい! ドクター神保、君には私の愛人として、一生富と財宝にかこまれた生活を約束しよう」
 
「やつは、最後のメッセージと言った。やつが書いたアルファベットは……」
「アルファベットは?!」
 それさえわかれば、自分は世界を握ることさえできる、大佐はそう確信していた。
「A、U、F、 N、I、C、H、T GESTALT……」
 大佐は眉をひそめ、不可解だという表情を表した。
「アウフ・ニヒト・ゲシュタルト……? 無の上に築く? 存在しない?」
「そして化学式が最終的に組成する物質は……」つぶやくように神保が言った。
「H2O……水だ」
 
 大佐はしばらく呆然として言葉もなかった。そして、猛然とキャシーに食ってかかった。
「どういうことだ?! ドクターMは、化学物質の開発に失敗したとでも?!
 どうなんだ?! 答えろ、キャシー!」
 しかしキャシー竹橋は、目を閉じて眠りに落ちたらしく、それ以上口を開こうとする気配はなかった。
 
「いいえ、そうではありませんわ」
 落ち着いた声で美紀が言った。
「すべてを無に還元する……。それがドクターMの最後のメッセージだったのです。人を人でなくする方程式なんて、存在してはならないものだったんです」
 美紀は大佐の顔をじっと見ていた。
 澄みきった、強い意志の力を感じさせるまなざしだった。
「くッ!」
 大佐は美紀の腕を掴むと、乱暴にぐいと引っ張った。
「来い! 貴様も一緒に来るんだ! 化学物質は、必ずこの私が完成させてみせる!
 完全な兵士をつくるための実験だ! 貴様にも協力してもらうぞ!」
 美紀は、キャシーが残された部屋に、少し気を引かれる素振りを見せたが、さほどの抵抗もなく、大佐に手を引かれるまま歩き出した。
 慌しいいさかいのあと、部屋にはしばしの沈黙が訪れた。
 
 10分ほど経った頃だろうか。
 キャシー竹橋の寝息以外、静寂が支配する研究室に、二人の兵士がドタドタと足音も荒々しく踏み込んできた。
 
「くそ! まるで迷路のようだ! どうなってるんだ、この研究所は……!」
「大佐との通信は?」
「取れない。どうやら壁に電波を遮断する細工がされているらしい」
 これからどうする? と、いうように二人は目を見合わせた。
 その時である。
 
 美紀……美紀……。
 
 どこからともなく女の声がした。
「おい、何か聞こえなかったか?」
「さあ」
 二人の兵士は、ソファの上の毛布が人型に盛り上がっていることに気がつかなかった。
 
 美紀のいれたコーヒー……。
 
 カラン……と、陶製のコーヒーカップが床の上に落ちる音がし、男たちはぎょっとして振り返った。
「?!」
 突然、一人の兵士の背後に二本の腕がぬうっと伸び上がった。完全に気配を消していた。
 女の手が口をふさぎ、同時に首をキメると、兵士は真後ろに一気に引き倒された。
「!!」
 異常を察したもう一人の兵士が振り向くと、裸の女が視界に飛びこんできた。目の前に、怒りに燃えたキャシー竹橋の姿があった。
「き……貴様?!」
 まるで豹のような敏捷さだった。
 あせって銃口を向け、照準も合わないままに発砲しようとした、が、なぜか引き金を引いても弾は出なかった。
 不発弾か……?! と、考える暇はなかった。いきなりキャシーの回し蹴りが、兵士の頭部に炸裂し、兵士はもんどりうって倒れた。
 
「ざまあみやがれ」
 キャシーは吐き捨てるように言うと、コキコキと肩をならした。
 
 
「妙です大佐。来たときと同じルートをたどっているはずなのに、いつまで歩いても出口にたどりつかない」
 副官が言った。
「われわれが罠にはまったとでも?」
「それはわかりません」
「兵士たちはどうした?」
「連絡が取れません。隔壁が電波をさえぎっているものと思われます」
「なに?」
 大佐は立ち止まって、副官の方をかえりみた。
 乱暴に腕をつかまれ、ひきずられるままについてきていた美紀の襟首をつかみ、彼女の顔を自分に近づけた。
「ドクター神保、答えてもらおうか。この施設から脱出する方法を」
「お教えできません」
 美紀の口調はきっぱりとしていた。
「一人前の口をきくじゃないか。貴様の意志など関係ない、今すぐこの場で自分から股をひらいて、淫らなことをしてくれと哀願させたあげく口を割らせてもいいのだぞ」
「いいえ、もう私はあなたには負けません。勇気をいただきましたから」
「なにい?」
 眼鏡越しに、見返してくる神保の視線の強さに、大佐はわずかだがたじろいだ。
「でもひとつだけ教えてさしあげますわ。あなた方は研究所から出ることはできません。
 ここはあなた方にとっての最終項なのです」
 
 大佐は思わず周囲を見回した。飾り気のない、無機質な廊下が続くだけの場所だった。
「ここは?」
 大佐と副官が耳をすませた。
 廊下の突き当たりの、薄暗い曲がり角から、コツン、コツンと靴音を響かせて、その人物はまるで散歩にでも行くかのような足取りでやって来た。
 白髪と、白髭が、燃え立つように逆立っている。
 白衣をまとった分厚い胸板をそびやかすように、のっしのっしと歩いてくる。
 
「所長!」喜びをあらわにして美紀が叫んだ。
 現われたのは……超越医学研究所・水道橋正宗所長その人であった。
 
 正宗の姿を認めた大佐は、ニヤリと笑った。
「これで私を追いつめたつもりかね、マサムネ?
 飛んで火にいる夏の虫とは君のことをいう。ここで長年の決着をつけようではないか」
「ほんと、久しぶりだね、ダイちゃん」
「昔の名前で呼ぶな!」
 
 大佐は、つかまえていた美紀を後手にまわし、副官の手にゆだねようとした、ヒゲ面の副官の、毛深い腕が美紀をつかまえようとしたとき、それまでぼーっとしていたかに見えた彼女は一転して驚くほど俊敏な動作で身体を反転させた。
 
「えいっ!」
 副官の一瞬のスキをついて、美紀が副官の腕をひねりあげたのだ。
 さすがに副官も格闘技はこころえている。節くれだった太い腕は、美紀の生兵法の合気道などにひねられたりはしない。
 しかし、わずかの油断をついたのが功を奏したのか、美紀の身体はフッと自由になった。
「逃げろ! 神保君!」
 美紀は駆け出した。
「副官! 女を逃がすな!」
 一瞬遅く、美紀をとらえようとした副官の手が空をつかんだ。
「くそッ!」
 副官は体勢をたてなおして、美紀を追う。美紀も死に物狂いで走る。水道橋と大佐を振り返りもせずに、一目散に突進し、廊下の角を曲がった。
 駆け足は間違いなく副官の方が速い。
 つかまってしまうのか?!
 二人の間の距離は、あっという間に詰まった。
 さらに長い廊下の角を曲がったところで、あやうく副官に捕らえられようとしたまさにその時……。
 
 横から人影が飛び出してきた。
 
 副官はタックルを辛うじてかわしたが、バランスを崩し、床の上で一回転して受身を取った。
「チッ!」
「?!」
 副官に体当たりをくらわそうとした人影の正体は……キャシー竹橋だった。
「キャシーさん!」
 満面の笑みをうかべて、美紀がスルリっとキャシーの背後に回る。
 キャシー竹橋は、兵士から剥ぎ取った男物の軍服を着こみ、サブマシンガンを構えていた。
 仁王立ちになったキャシー。その目には生気が充ち、身体中の毛穴のひとつひとつから闘気がにじみ出してくるようであった。
 
「よお、副官」
「きさま……」
 副官の唇がゆがんだ。
 ――相変わらずのマズいツラだぜ、とキャシーは思った。
 そういえばこいつは、某国の元大統領に顔立ちが似ていることから、「サダム」とあだ名されていたんだっけ……と、キャシーはどうでもいいようなことを思い出していた。
 
「久しぶり……と言いたいところだが、ここに来るまでだいぶ世話になったようだな」
「礼には及ばんよ。虫けらに恩返しなどしてもらうつもりはないんでな」
「そっちにその気はなくとも、こっちには大ありだ。たっぷりと礼はさせてもらうぜ」
 副官は歯を剥き出しにして笑った。
「おまえは用済みだ。この俺がひねり殺してやる」
 副官が懐中から取り出したのは大型拳銃である。
 銃の撃ち合いになって、血の雨が降るのか?! と、思ったその瞬間……
 
「ちょおっと待ったあ〜〜〜っ……ですわ!」
「どうした美紀?!」
 突然、二人の間に割って入った神保美紀。しかし銃口の前に立つなんて無謀すぎる。
「あぶねえ、美紀! 下がってろ!」
「残念ながら銃は使えませんわ。いま、研究所内には、先ごろ水道橋所長が開発に成功なさいました素粒子が散布されていますわ」
 なんのこっちゃ、というように、キャシーと副官は神保の顔を見た。
「それは、目には見えませんが、空気中に発散されると、あらゆる銃火器の着火を無効にするという画期的な微粒子ですの。
 嘘だと思いましたらためしに引き金を引いてみるといいですわ」
 言われなくとも、さっきから副官は神保とキャシーに向かって拳銃の引き金を引いているのだが、ガチリ、ガチリ、と空しい音がするだけで、まるで火薬がしけってしまったかのように弾が出ない。
「われわれの火力を封じたうえで、施設内に閉じ込めるつもりだったのか……?」
 副官が青ざめた。
「水道橋所長はついさっき、地下最深部のターミナル・ドグマ(おい!)に潜って、粒子を研究所内に解放、散布したのです。その粒子こそ名づけてマサムネジンボスキー粒子!」
「美紀、おまえ少しキャラが変わってねえか?」
「これで世界の医療施設におけるセキュリティーは万全ですわ」
「どこの世界に病院で銃をぶっ放すやつがいるんだ? ……ああ、あたい達のことか」
 
「おまえらっ! さっきから何を勝手なことを話している!!」
 副官がしびれを切らして怒鳴り散らした。
「おっと、忘れてたぜ! 副官のおっさん!」
 本当に忘れていたかのように、キャシーは副官の方を向き直った。
「こうなりゃ鉄砲ぶっぱなすなんて野暮はなしだ! いくぜ!!」
 キャシーはサブマシンガンを放り投げた。副官も大型拳銃を投げ捨てた。
 
 副官がアーミーナイフを抜いた。キャシーも負けじとナイフを抜き、身構えた。
 相手は前傾姿勢を取って、切り込む機会を窺っている。浅黒い顔の、剥き出しにして笑う歯だけが異様に白かった。
「切り刻んでやる、このできそこないのサイコマンダーが」
「ぬかせ、インポ野郎。てめえの悪運もここまでだ」
 勝負は一瞬で片がつく、とキャシーは直感した。
 
 二人はお互いの出方を窺うように、じりじりと弧を描くように移動した。
 神保は遠巻きにして、はらはらしながら勝負の行方を見守っている。
 一気に間合いを詰めてきたのは副官だった。アーミーナイフを薙ぎ払うと、キャシーのシャツに切れ目が入った。
「おっと」
 間一髪、彼女の生身には刃は届かなかったようである。返す刀で副官がナイフを突いて出るところを、キャシーはとっさに相手の腕を取り、自ら後方に転がりながら、相手の体を巻き込むようにして引き倒し、寝技に持ち込んだ。
 
 格闘戦になった。
 しかし、倒れこみながらもナイフでの攻撃にこだわった副官は、あっさりとキャシーに腕をからめ取られた。
 さらにキャシーは巧みな動きで副官のバックを取ると、背後から頚部を締め上げた。
「うぐぐ……く、くそッ!」
 副官が苦しそうな息の下、キャシーの腕をふりほどこうともがいた。が、もがけばもがくほど、キャシーの締め技は、蟻地獄のように副官の気道を圧迫した。
「う……」
 やがて、副官は完全に締め落とされてがっくりとなった。
「ざまあみやがれ!」
 キャシーは勝ち誇ってガッツポーズをとった。
 
「キャシーさんっ!」
 美紀がキャシーに飛びついた。
「正気に戻ってくれましたのね!」
「ああ、何とかな」
 キャシーは呼吸を整えながら、額の汗をぬぐった。
 
「あとは頼んだぜ、水道橋のオヤジ」
 いま、ここにはいない水道橋正宗に呼びかけるように、キャシーはつぶやいた。
「残念だが、あたしには大佐は倒せない。最後の決着は、あんたにまかせるぜ」
 
 水道橋正宗と大佐の対決は、今まさに火蓋が切って落とされようとしていた。
「すでに君の艦艇は東京湾に沈めたところだ。もう逃げ場はないんだよ。まあ、ゆっくりしていきたまえ、スルーガ・ダイ軍医大佐」
「おのれ……許さんぞ、マサムネ」
 すでに孤立無援の状態となった大佐だが、その態度は決して負け惜しみには見えない自信に満ちていた。
「マサムネ……私は負けない。貴様さえ倒して、すべては私が手にする。
 誰にも邪魔はさせん、これは私とおまえの誇りを賭けた闘いなのだ」
 大佐は上着を脱ぎ捨て、仁王立ちになった。
 隆々とした筋肉には、戦場で負ったと思われる無数の傷が縦横に走っていた。
 
 水道橋正宗は大佐に対抗し、なぜかベルトをゆるめてズボンをおろそうとして……やめた。
 白衣を脱いで、シャツをむしり取るようにしてかなぐり捨てると、大佐に負けない逞しい上半身が現れた。
 大佐が指をならして、不敵な笑みを浮かべた。
「クククッ……行くぞ、マサムネ!!」
 
 武器を持たない二人の戦いは、初っ端から肉弾戦となる。
 拳や、蹴りを繰り出し、隙を見ては腕をたぐり、関節を取ろうとする。戦場に臨む兵士が身につける体術なのだ。
 ドカッ! バシッ!
 相手の攻撃をガードする腕の、肉や骨が激しくぶつかりあう音が聞こえてくる。
 
 しかし、そこまではお互いの出方の探りあいに過ぎなかった。
 いったん、飛びすさるように距離をおくと、ふたたび二人は廊下の中央で激突した。
 
 息もつかせぬパンチの応酬になった。
 お互いに相手のパンチを巧みにかわし、ガードする。
 蹴りを出せないのは、両者の防御に余裕がない証拠だ。
 
 二人とも若く見積もって初老、下手をすれば老年といってさしつかえない年代のはずなのだが、これほど激しいアクションを演じているにもかかわらず、息ひとつ乱れていない。
 やはり日頃の鍛え方が違うのか?
 
 一瞬の隙を突いて、大佐が水道橋の髪をつかむと、一気にたぐりよせ強烈な頭突きをくらわせた。
「ひッ!」
 いち早く現場にかけつけた神保美紀が短い悲鳴をあげた。
 
 正宗はあとずさり、わずかにぐらついたようであったが、すぐに体勢をたて直した。
 しかし、相手にダメージを与えたと判断した大佐は、とどめを刺すべく必殺のパンチを繰り出した。
 
 肉を切らせて骨を断つ!
 大佐の強烈なパンチは、水道橋の顔面をとらえた……かに見えた。しかし、正宗の俊敏な動きは間一髪、急所に入るところをかわしていた。同時に、正宗の踏み込みは、大佐の懐深くまで間合いを詰めていた。大佐の腕が伸びきった一瞬の隙を、正宗は見逃さない。
「な……?!」
 下からだ! と、思った瞬間、水道橋の腰の入ったアッパーカットが……
「ぬおおおおおおおおお!!」
 ドガアッ!!
 大佐の顎に深々と突き刺さった。
 
 ダウン! ダウン! ダウンである!
 壁際まで吹っ飛ばされた大佐は、意識がぼんやりとしているらしく、首を大きく左右に振った。
 そしてフラフラしながらもどうにか立ち上がった。ボクシングでいえばカウント・ナインといったところか。
 
 いつのまにか、研究所のメンバーが、二人を取り囲むように集まってきていた。
 神保、キャシー、小川もと子、猿楽……。おっとり刀で駆けつけた江錦華には、すでに勝負のゆくえは見えているようであった。
「決まったようやな」
 
 大佐はなおも攻撃の手をゆるめようとはしなかった。
 鼻から血を流しながらも、目まぐるしい勢いで正拳を繰り出し、相手を倒そうと向かってきた。
 しかし、水道橋の「受け」には余裕があった。
「大佐、君の技は見切った」
 タイミングよく繰り出すカウンターパンチは、確実に大佐の急所にヒットした。そのたびに、大佐はがくりと膝を落としそうになった。
「やられはせん! やられはせんぞ!」
 壁際にまで追いつめられた大佐は、なおも叫び続けた。
 
「エリノア・シュミット(エリノア財団の理事長)は、私のジュニア・ハイからのガール・フレンドだった!
 それを……まるで泥棒猫のように脇からかっさらっていったのは、マサムネ、おまえだ!」
 
 がべし!!
 問答無用とばかりに水道橋のパンチが大佐のこめかみに炸裂した。
 頭蓋骨が、ひんまがるかというほどのメガトン級の一撃。
 かろうじて大佐のプライドが、ダウン寸前で踏みとどまらせた。
 「知っているぞ! 陸軍の野戦病院でおまえが、夜な夜なナースを集めては横流しの物資でどんちゃん騒ぎをしていたのを!
 そんな時、徹夜で遺体の処理を手伝うのは、いつも私だった!」
 
 言い終わると同時に、正宗のボディブローが大佐の腹に入った。
 身体が浮き上がるほどの強烈なパンチに、血反吐を吐きながら、大佐はなおも正宗を指さした。
「積年の恨み、忘れんぞ!
 私はただ、おまえがほえ面をかくところが見たかっただけだ! だから……だから」
 
 正宗の筋肉が躍動し、最後のとどめを刺そうと勢いをつけた。
 
「どう見たって私のほうが二枚目なのに! なぜお前ばかりがモテるんだあああ?!」
 
 ぐわば!!
 正宗渾身のストレートパンチが、大佐の顔面にめり込んだ。
 大佐の身体はきりきり舞いをして、棒が倒れるようにひっくり返った。
 完全に白目を剥いている。
 
 水道橋正宗は、背中で大きく肩で息をしていたが、すぐに、
「悪は滅んだ」
 みんなの方を振り向くと、握りこぶしに親指をつき立てて、ニッと笑った。
 あっけに取られている一同……何か腑に落ちないといった表情で。
 神保は、間に割って入ると場を取り持つように、大きく両腕をひろげてはやし立てた。
「みなさん、ここは笑うところですわ。せえ〜のお……」
 
 わはははははははははははははははは!!
 
 勝利を告げる、朗らかな笑い声が研究所内に響きわたった。
 
 
 <エピローグ>
 さて、いま私がどこにいるかといいますと、新東京国際空港……成田空港のターミナルビルです。
 実は私、神保美紀は、水道橋所長のお勧めにしたがって、このたびエリノア財団本部研究所の客員研究員として、ウィーンに行く決心をしたのです。
 
 昨夜は、研究所の皆さんで、盛大な送別会を開いていただいて……とてもうれしかったですわ。
 ただ、送別会というには、ずいぶんハメをはずしていたようですけれど。
 なぜか錦華ちゃんがヘンな踊りを踊っていました。
 
「う〜〜らア〜〜、べ〜〜らあ〜〜くはんメエ〜〜〜〜」
 呪文みたいな声を出しながら、身体をくねらせて踊るのですが、くねくねと腰を振るうちに錦華ちゃんのドレスがずり落ちて、いつのまにか彼女は裸になっていたのです。
 
 錦華ちゃんの肌は抜けるように白くて、脚も長いし、ウェストがきゅっとくびれていて、女性から見てもキレイな裸で、うらやましいくらいですわ。長い黒髪をかきあげながら、お尻を振るさまが色っぽくて……ついつい見とれてしまうのですが、そういえばなぜかアンダーヘアを剃っているんですわね。
 その踊りを見て猿楽君が、それに所長までが拍手喝采して……。
 まったく! イヤらしいったらありゃしない!
 
 でも、胸は私の方がずっと大きいですわ……って、ああああああ、私何を考えているのでしょう。
 でも、昨夜は、そんなことも笑って許せるような気がしました。
 
 そういえば、ひとつ……哀しいことがありました。
 少しお酒に酔ったなと思った私は、どんちゃん騒ぎの宴会場を抜け出して、ひと休みしたのですが、そこには先客がいました。
 背の高い女性の影……キャシーさんでした。
 研究所内のラウンジルームは、ドーム型の天井がガラス張りになっていて、夜空を見上げることができるようになっています。
 昨夜は星がとてもきれいでした。
 
 私が入ってきた方向を、彼女は振り返りました。
「なんだ、美紀か」
 一人で物思いにふけるキャシーさんはどこか哀しげでした。
 ついさっきまで、一升瓶をかかえ、あぐらをかいてゲラゲラ笑っていたキャシーさんとは、まるで別人でした。
 
「お別れだ、美紀」
 キャシーさんが言いました。私は努めて明るそうな表情をして、
「1年も経てばまた戻って来ますわ、その時はまた……」
「出て行くのは美紀じゃない。このあたしだ」
「え?」
 キャシーさんは、謎めいた微笑みを浮かべていました。
「おまえとは住む世界が違う。長いような短いような間だったが、おまえ達と一緒に暮らせたこと、楽しかったぜ」
 
 私はキャシーさんが何を言おうとしているのか、やっと気がつきました。
 彼女は研究所を出て行こうとしているのです。
 ここでお別れしたら、二度と会えなくなる、そんな気がして、私は思わずキャシーさんの前に立ちはだかり、両手を広げ、通せんぼをしたのです。
 
「だめです! キャシーさんには今後も定期的なアフターケアが必要です! 私はキャシーさんの主治医として命令します! あなたは、この研究所にいて……!
 ずっと、ずっと一緒に……!」
 
 キャシーさんは、にっこりと笑うと、ふいに私のことを引き寄せて、ぎゅっと抱きしめました。
 不意をつかれた私は思わず言葉を失ってしまったのですが……。
「あばよ、親友」
 彼女は私の耳元ではっきりとそう言ったのです。
 
 すると急に身体の自由がきかなくなり、目の前が暗くなりました。
 
「ずるい……ですわ」
 キャシーさんをつかまえておかなければ……!
 懸命にもがいて、手を伸ばそうとするのに、どうすることもできませんでした。
 
 私が意識を失っていた時間は、1分か2分か、ほんの短い間だったようです。だけど、私が目を覚ましたとき、すでにキャシーさんの姿は、その場からかき消すように見えなくなっていたのです。
 私はぼう然としたまま、あたりを見回して、それがキャシーさんとのお別れだったことに気がついたのです。
 彼女の過酷な運命を思い、私は哀しい気分になりました。
 同じ年頃の女性が、お洒落をしたり、恋をしたりして、青春を謳歌する。そんな当たり前な生き方が、あなたには許されなかったとでもいうのでしょうか?
 
 それでもキャシーさんが、世界のどこかで幸せになってくれることを、私は願いました。
 
 ・・・・・・・・・・・・・
 
「ウィーン行き直行便、ご利用のお客様は搭乗口までお越しください。繰り返します……」
 
 時間が来たようです。
 私は行かなければなりません。泣いている暇なんて、ありませんものね。
 あら、いけませんわ、ご挨拶を忘れるところでした。
 
 皆さ―――ん、私、超越医学研究所・主任研究員の神保美紀で―――す!
 お別れすることはつらいですけれど、別れは出会いの始まりとも言いますですわ。
 私はこれからも所長やキャシーさん、みんなに教えてもらった勇気、愛情、そして思い出をたいせつにして生きていくでしょう。
 
 そしていつか、きっとまたどこかでお会いしましょう。
 

 
 
< 終わり >


 

 

戻る