超越医学研究所HML


 

 

砂の記憶(前編)


 暗闇の中を飛んでいくような軍用ヘリのプロペラの音が、耳にこびりついて離れない。
 ヘリに乗り込んだ仲間達は、死人のように青ざめた顔をしている。
 リンダ、ジェシカ、ケイン、ジョナサン、スティーブ……。
 今から人殺しに行くのさ……。夢も希望もありはしない。
 戦争が始まる。
 あたしの名前はキャシー竹橋。兵士として生まれ、兵士として死ぬ……。


 ――世界各地の戦争・紛争の舞台裏で暗躍した謎の戦闘集団。
 精鋭、精強を誇った第999歩兵遊撃部隊、通称・サイコマンダー部隊。
 タニア・シティにおける、反政府ゲリラの掃討作戦において投入された兵士達は、かの地での戦闘に際しゲリラの攻撃を受けてパニック状態に陥り、ある者は狂死し、ある者はお互いに殺しあった。見えない何者かの影に操られるようにして……。
 こうしてサイコマンダー部隊は壊滅した。そう伝えられている。
 たった一人の生き残り、キャシー竹橋を除いて――。



 ――ここは東京都内某所の超越医学研究所の事務室。
 その日は朝から重苦しい雰囲気がただよっていた。誰もがみんな無言だった。

 研究所では、研究員には専用の研究室が割り当てられているが、午前中には打合せや会議が多く、回診や手術の予定がなければ、おおむね所長を除くみんなが事務室のデスクに座って仕事をするのが習慣になっている。
 その日は、会議の予定はなかったが、いつもどおりみな事務室に集まっていた。

 水道橋正宗所長は、3日前から米国での学会に出席のため不在。
 所長代理として、研究所に残った神保美紀主任研究員は、どこか寂しげだった。
 そもそも今回の所長の学会出張、随行は当然神保主任と誰もが思っていた。しかし、水道橋所長が指名したのは、意外にも江錦華研究員だった。
 もちろん、みんなにはその理由はわかっていた……。

 一週間ほど前、入院患者であるキャシー竹橋の容態が急変したのだ。
 それまで、ほぼ日常生活に支障がないまでの回復を示し、リハビリとして所内で見習い介護士として、仕事を手伝うなどしていたのだが。
 それは突然の病状悪化だった。
 極端な鬱症状を示し、他人との接触を一切拒否。
 暴力的な兆候も見られたので、鎮静剤を投与。

 キャシー竹橋が心を開く人物は神保美紀だけだ。
 それにこうした難局にあたり、所長不在の留守をまかせることができるのは神保主任を置いていないと……みんなわかっていた。
 だけど、神保主任本人には割り切れないものがあっただろう。
 そして、何よりもキャシー竹橋の容態を気づかってか、神保主任は朝からふさぎこんでいた。

 突然、電話が鳴った。

 その場の沈黙に耐えかねたかのように、研究員の猿楽一郎があわてて電話を取った。
「もしもし……! はい、そうです……こちらは……」
 事務室の中に、猿楽の声だけが聞こえていたが、誰もその会話の内容には関心を払っていなかった。
「神保主任……ですか?」
 猿楽は、送話口を押さえ、少し離れた席の神保美紀に声をかけた。
「神保主任、T大医学部の岩本研究室の秋葉さんという方から電話です」
 神保美紀は少し意外そうな顔をしたが、電話を取った。
「はい、神保です……。お久しぶり」
 どうやら知り合いらしい。

 しかし、電話で話す神保美紀の表情に、これといった感情の動きは見られなかった。
「かまいませんが、何か……」
 短いやり取りのあと、神保美紀は受話器を置いた。
 そして彼女は机上の書類を小脇にかかえると席を立った。
 鳩が豆鉄砲をくらったような顔をした猿楽が、まじまじと見つめながら、神保主任を見送ったが、彼女はまったく気づかないかのように、事務室から出て行った。

「ねえ、もと子ちゃん」
 猿楽は、近くにいた看護婦の小川もと子をつかまえて訊いた。
「T大の秋葉っていえば、たしか若手でピカイチの脳神経外科学の研究者・秋葉仁のことじゃないか。
その道の権威である、岩本教授の門下で俊英と言われた……。神保主任がなぜ秋葉仁と知り合いなんだろう?」
「さぁ?」
「まてよ。僕の聞いた噂は、T大の岩本教授の門下生には、かつて二人の秀才がいて、そのうち一人が秋葉仁、そしてもう一人は、名前は知らないけどたしか女性だったとか……」
「それってたぶん主任のことですよぅ」
「T大出だったんだ……神保主任」
「『それにしちゃ、ショボいところで仕事してるな』って、顔に書いてありますよぅ。猿楽先生」
「そうか、わかったぞ! うちのスポンサーであるエリノア財団が、大金をはたいてT大の研究室から神保主任を引き抜いたんだな」
「違いますよぅ。主任は以前、ここで働かせてくれって、所長に泣いて頼んだんだそうですよぅ。お茶くみでも便所掃除でもしますからって……。割と有名な話ですよぅ」
「え?」
 猿楽は一瞬あっけにとられた。
 だって自分ならとうていエリートコースとはいえないHMLにわざわざ好き好んで、下手すればわけのわからない人体実験の実験台になるようなところによりによって……。

「神保主任って、いったい何を考えてたんだ?」
「あたしにそんなこと言われたって困りますよぅ。ぶつぶつ……」
 もと子がソッポを向いてしまったので、猿楽はそれ以上追及する機会を失った。


 主任研究員の研究室のイスにもたれ、神保美紀は疲れた目で書類に見入っていた。
 エリノア財団本部で閲覧したタニア・シティでの市街戦後の現場写真。
 空爆の焼跡の中から発見された無残な遺体の数々。そのほとんどは損傷が激しく、個人どころか性別すら特定することが困難であった。
 唯一、外観から性別の判定が可能であった、頭部を撃ちぬかれた女兵士の遺体――。
 眼鏡をずらし、美紀は目頭をおさえた。少し疲れているようだ。

 そうね、少し気分を変えてみるのもいいかもしれない。


 その日の夜――。
 美紀が研究所を後にして向かったのは、都心のビルの高層階にあるレストランであった。

 秋葉仁は先に来ており、窓際のテーブルから美紀に向かって軽く手を振った。
 わざとらしくない程度の微笑をうかべて、美紀は秋葉のテーブルに歩み寄る。

 美紀が会釈して、男と向かい合わせのイスに座った。
「元気そうだね……と言いたいところだけど、ひどく疲れているように見えるよ」
「そうかしら」
 真っ白なテーブルクロスの上に、ナイフとフォークが並べてある、店の全体的な照明は暗く、そのかわり、ひとつひとつのテーブルの上に置かれたガラス器の中にキャンドルが灯されており、ムードを高めるようになっている。
「君から教えてもらった電話番号が役に立ったっていうわけだ。ほかに連絡手段はないからね」
「ごめんなさい……」
「いや、いいんだ……。ただ、いまの仕事で苦労が多いんじゃないのかい? それに見合った対価があるなら何も言わないけどさ」
「そんなこと……」

 ボーイがやって来て、グラスにワインをついだ。
 やがて、すでに秋葉があらかじめ注文していたコース料理の皿が並べられる。

「大学に帰ってこいよ。今なら僕から岩本先生にとりなしてあげられる」
「お気持ちはうれしいのですけど、私、まだまだ今の研究所で勉強させていただくことがたくさんあって」
「詳しくは知らないけど……君がいるべき場所だとは思えないな」
美紀はそれには答えず、唐突に話題をふった。
「秋葉君は、MCウルトラってご存知かしら?」
「……? 軍事目的で研究されていたMC(マインド・コントロール)のことかい?
たしか1970年代ぐらいまでは、合衆国あたりの特殊機関で研究が続けられていたらしいと聞いたことがあるけど」

「医療の世界ではタブー視されている研究ですが、現在でもどこかで続けられているとも聞きますわ。この件について詳しく調べようとすると、なぜか『大佐』と呼ばれる人物の影が……。秋葉君は『大佐』と呼ばれる医学者について心あたりがありまして?」
「ごめん……。よくわからないな」
 秋葉は美紀の話をさえぎった。口元に愛想笑いを浮かべ、小さく手を振った。
 いけない、こんな場所でするような話ではありませんでしたわね。
「それが君の今の仕事に関係があるのかい?」
「ええ、まあ」
 もしやと思って訊いてみたが、やはり秋葉は何も知らなかったようである。

「それより、聞いてほしい話があるんだ」
「はい」
「近々正式に決まるはずなんだけど、僕は春からD大学でポストをもらえそうなんだ。岩本先生が推薦してくれた」
「まあ、すごいじゃありません……! おめでとう、秋葉君」
 二人はグラスワインであらためて乾杯した。

「それで……実は、僕も……研究者としての将来について少し考えてみたんだけど……」
 秋葉は急に口ごもった。
 ワインで口をしめらせると、意を決したかのように……。

「神保君……いや、美紀さん」
 ふいに名前で呼ばれたので、美紀ははっとなった。しかし、そのあと秋葉の口から出た言葉は、さらに美紀を驚かせるものだった。
「僕と結婚してくれないか!」
「?!」
 一瞬、言われたことの意味がよくわからなかった。

 ――今朝の電話で大事な話があるからって言われて、勝手に仕事の話と考えていましたけれど、そういうことでしたの……。

 美紀にとって、思いがけない話だった。
 秋葉が自分の目を直視していた。正確には眼鏡のレンズ越しにだが。
 たまらず目をそらすと、高層ビルからの窓越しに、夜景がきらびやかで……しかしその美しい夜景さえ、目には入っていなかった。
「僕と君が結婚すれば、きっと仕事や研究の上でお互い力になることができる。
それに、家庭を持つってことも、研究者として大事なことだと思うんだ」

 秋葉は真剣だった。
 気圧されるように美紀は視線を泳がせた。
 胸がどきどきして、喉がかわくのを感じる。
 その時、二人の間の緊張を破るかのように携帯電話が鳴った。
 発信音が鳴っているのは美紀のバッグからだった。あわててバッグから携帯を取り出す。
「はい、神保です」
 美紀が受信すると、それは研究所からの電話だった。
 秋葉は窓の外へと視線をそらした。
「わかりました。今から戻ります」
 ごく短い、事務的なやり取りがあり、美紀は電話を切った。

「秋葉君、ごめんなさい……。今からすぐ研究所に戻らなくてはなりませんの」
「急患かい?」
「ええ、まあ」
 秋葉は、仕方がない、というように肩をすくめ、
「わかってる。医者というのはそういうものだしね」
 にっこりと微笑む秋葉に、美紀は申し訳なさそうに頭を下げた。

「返事は今すぐでなくてもいい。でも、僕は真剣なんだ。真面目に考えてほしい」
 秋葉の方を、美紀は一度だけ振り返って、軽く会釈を返した。
 レストランを出て、足早にエレベーターホールに向かい、ホテルを出ると、あたふたとタクシーを拾った。


 ――結局、その日研究所に戻った私は、キャシーさんの病状に大きな問題がないことを確認したのち、数日ぶりに自分のアパートに帰ったのです。

 あわただしい一日でした。
 久しぶりに会った秋葉君からの思いがけないお話。
 私、結婚などと考えてみたこともなかったのですが……。
 秋葉君は悪い人ではありません。学生時代からよく存じ上げています。有能な医師でもありますし、好感の持てる男性だと思います。
 秋葉君のお気持ちはたいへんありがたいものでしたし、女としてささやかな幸せをつかもうというのでしたら、秋葉君はまたとないお相手だと思います。
 そして何よりも、私の結婚を待ち望んでいる田舎の両親のことが頭に浮かんで・・・
 でも、私は……私は……。

 もう日付が変わった頃である。
 あかりを消した部屋の中で、ベッドにもぐりこむと、まぶたの裏に、水道橋正宗所長の微笑む顔が、見える気がした。
 
 ――所長は私の気持ちに気づいておいだなのでしょうか?
 もっと私を見ていてほしい。できることなら私だけを見ていてほしい。
 でもでも、所長の愛は人類すべてに対する愛情……。
 
 違うよ……(影の声)。
 
 それを知っていたから私は超越医学研究所の門をたたいたのでは?
 美紀は自分に問いかける。

 そして眠りにおちれば、決まってキャシーの夢を見るのである。
 ここ数日、美紀の夢の中にあらわれるキャシー竹橋は、ときにはすさまじい形相で、ときには恨みがましい顔で、自分のことを見ていた。
 ――必ず直してみせます。
 と、水道橋所長に懇願して引き受けた患者がキャシー竹橋だった。
 いや、いまではキャシーは自分にとって一人の患者というより、大事な友だちであるはず……。

 ――友だち? 笑わせるんじゃねえよ。

 キャシーの声が聞こえた気がした。

 ――おまえは自分の研究の対象としてあたしに興味があっただけだろ?
 それとも水道橋のオヤジの気がひきたかったのか?
 あたしには友だちなんていやしねえよ。一人もな……。

「ちがう!」
 美紀はかたく目をつむり、耳をふさいだ。
「所長……ああ、所長」
 唯一、相談できる相手、水道橋正宗はいま日本にいなかった。
 
 パジャマズボンの中に手をすべり込ませ、下着の上から股間の敏感な部分に触れる。
 キメの細かい肌着の繊維が指にサラサラと心地よい。その奥に息づく柔肉の感触も……。
 
 しみ出してきた……。
 だめ……今日はせっかく時間をかけてシャワーを浴びて、新しい下着をつけたのに。これじゃあ台無しになっちゃう……。
 美紀は、横になったまま、パジャマズボンのゴムと、下着に手をかけて、もぞもぞと膝のあたりまでおろした。
 
 ベッドに入る前に、ブラジャーをはずしたバストを、パジャマの生地ごしにさすってみる。どうにももどかしいので、ボタンをひとつ、ふたつとはずす……。
 
 人差し指で、右の乳首を押してみる。ふくらみかけたつぼみのような柔らかい肉感は、すぐにコリコリとしこった感覚に変わり、指を押し戻してくる。
 ピン、とたった乳首が、自己主張をしている。
 乳輪にそって、指先でなぞってみた。
 
 男性を知らない美紀の身体は、かたく閉じられたままだ。
 自慰行為といっても、男性器をかたどった玩具を使ったことはないし、膣口深く指を挿しいれたこともない。
 少女の頃と変わらない、性器と、そのまわりをこすって、刺激するだけのつたないオナニー。
 でも、熱い部分は、昔よりずっと熟れてしまって
 
 シュッ、シュッ、シュッ……!
 ワレメにそって指を動かしてみる。もう少しはやく……。もう少し深く……。
 シュッ、シュッ、シュッ、シュッ、シュッ……!
 
 自分だって女だから、期待していないなんてことはない……。
 いつか愛する男性の、おち、おち、おちち……おちんちんを……!
 
 それが水道橋所長だったら……。ポッ……!
 
 いやだわ、なんてはしたない妄想――。
 男女の交合は、子孫を残すという大事な目的のための、人間として当然の営み。
 そして、愛し合う男女が、お互いの愛情を確かめあう神聖な行為。
 快楽は、つけたしに過ぎない! そう自分に言い聞かせる。
 
 初めての挿入は、とても痛いって聞いたけれど……。でも愛する人のためならきっと我慢できる。
 
 膝のあたりにまとわりついている衣類がジャマで、下半身をよじって、最後は蹴り飛ばすようにして脱ぎ捨てる。
 むきだしになった下半身が、スースーしてキモチがいい。
 
「はあぁっ……!」
 美紀は大きなため息をもらした。
 
 両の乳首を指でつまんでもてあそんでみる。
 次に乳房をわしづかみにして、形が変わるくらい思い切り揉みしだいてみる。
 自分は乳首を刺激するほうが好きだ。
 
 大きく股を開いて、指をワレメにあてがった指をすべらせて、今度はクリトリスを刺激する。
 ぞくぞくっと背中に電流のような感覚が走って、思わず弓なりにのけぞった。
 ぶるるんッ、と乳房が揺れる。
 
「んんっ……!」
 少し声を出してみる。
 一人暮らしだし、誰にも聞かれることはない。
 
 これはイケないこと?
 
 パジャマの上は、完全にはだけてしまい、乳房がむきだしになっており、荒い息をするたびに波打っている。
 下半身はハダカである。
 いま自分がどんな恥ずかしいかっこうをしているのか、そう考えるだけでますますアソコが濡れて、感じて、イッちゃいそうで。
 
 腰を使ってみよう……。
 
 仰向けで、股を広げた体勢から、腰を浮かせて上下動させてみる。自分の指先に、陰部を逆にこすりつけることで快感を求める。
 クチュ……クチュ……クチャ……。
 イヤらしい音……。
 
 腰の動きが早くなっていく。
 こんなかっこうもしも誰かに見られたら、きっと生きていられない!
 でもキモチいいの! キモチいいの!
 
「んはあッ……!」
 熱い息を吐くとともに、大きく寝返りをうつようにして、身体を入れかえた。布団がベッドからずり落ちたようだが気にしない。
 腹ばいになり、ヒップを高く突き上げた。
 
 股間から右腕をのぞかせて、指先でアヌスからヴァギナのあいだの会陰部に、愛液をこすりつけるようにして、撫であげる。
 分泌液の、粘り気が濃くなってきた気がした。
 ツ――と、糸をひいてしたたり落ちる。
 
 今夜はどうしてこんなに乱れるのだろう?
 
 美紀は秋葉に抱かれる自分を思い描いてみた。
 そういえば、レストランで秋葉は自分の身体を嘗めまわすように見ていたようで……。
 秋葉の申し出にYESと答えれば、いずれ秋葉に処女をささげることになる。
 真っ白で、清潔なダブルベッドで、彼に夜な夜な抱かれることになる。
 昼間は怜悧で実直な医師として、夜はちょっとHで可愛い奥さんとして生きる。
 裸エプロンで「ねえ、今晩抱いてくださる?」とおねだりするのだろうか?
 結婚……ってそういうことだから、別にイヤだとかは思わないけれど……。
 でも……でも……。
 
 水道橋所長への思いは憧れと、いつでも割り切れるつもりでいた。
 だけど、なぜ今夜はこんなにも所長が恋しいのか。
 妄想上の男性はいつのまにか秋葉から水道橋所長に変わっていた。
 
 知らず知らずのうちに腰の動きが激しくなってきた。
 指使いも……ああ、われながらなんてイヤらしいのかしら!
 感じる……! 感じる……! 感じちゃう……!
 
 そういえば所長の学会への出張のお供が、江錦華というのも妬ましかった。
 あの子、美人だし……。たしか自分より二つか三つ若かったはずだ。
 所長のような、魅力的な男性とご一緒して、もしも過ちでもあったら……!
 
 それはないだろう……(影の声)。
 
 考えるだけで全身の血が逆流する気がした。
「イヤよッ! いやッ! いやッ……!」
 中指と薬指をケイレンさせるようにふるわせて、固くシコった自分のクリをなぶり上げた。
「ひいいッ……! ふうんッ……!」
 ぶるるッ……と、ふるわせたヒップから、汗と、それ以外の体液とがとびちり、真っ白なシーツの上に点々とシミをつくった。
「いいッ……! いいッ……! いいのぉッ! いやッ! いひッ……! あはッ……あああンッ……!」
 
 どうやら快感の波が最高潮に達したらしい。
 
 腰の動きがしだいにゆっくりになり、やがてとまった。
 美紀は力尽きたかのように、ばったりと倒れこんだ。
 しばらく、はあはあと息をしている。
 平静さを取り戻すまで、しばらく時間がかかった。
 
 ――私、動揺しているのでしょうか?

 明日の朝、キャシーさんのカルテをチェックしなければ……。
 仕事のことがふいに思い出された。
 美紀は、いつのまにかあふれ出ていた涙をぬぐい、眠りについた。




 翌日――。

 その部屋の窓の外には、落葉した木々がつらなる、寒々とした光景が広がっていた。
 室内には、膨大な医学書が並んだ書棚。
 壁にはその部屋の住人の栄光を彩るような、賞状や、額に入れられた写真の数々。

 ここはT大医学部・岩本研究室。
 脳神経外科学の世界的権威・岩本鉄蔵教授のもとを、この日、一人の客が訪れていた。
 男は、部屋の片隅に立ち、窓の外の風景を微動だにせず見つめている。
 岩本教授はイスに深々と腰かけて、まるで物思いに沈んでいるかのようである。二人は無言であった。

 男の、詰襟に似たスーツ――いわゆるマオカラーというやつ――が、軍服を連想させる。
 やがて岩本教授は、窓辺の男の方に向き直ると、声をかけた。
「大佐……それともスルーガ博士と呼べばいいのかね」
「それでいい。もっとも、名前になど深い意味はないがね」
 室内には、岩本教授と、大佐と呼ばれた外国人らしい男性以外誰もいなかった。

 堀の深い顔立ち。長身の、がっちりした体格。オールバックにまとめた髪は黒々としているが、あるいは年齢は意外と高く、自分と同じくらいの老人なのかもしれない、と岩本は思った。
 奇怪な男だった。ヨーロッパでの学会で以前話をしたことがある。
 医師として、医学者として卓抜した力量を持つ男であることは認める。そして、なぜか公の場にはほとんど姿を現さない、謎の多い人物であるにもかかわらず、先進国のVIP級と特殊な人脈を持っている。
 決して愉快な相手ではないが、彼との関係を保っておくことで、大きなメリットもあった。

「君とこうして再会できるとは思わなかった」
「私も君に会えてうれしいよ、ドクター岩本」
 岩本は煙草に火をつけ、ゆっくりとふかした。
「スルーガ博士、その後どうだね?」
「ご覧のとおり、元気にしている」
 時候のあいさつなど、必要な人物ではないな、と岩本は思った。
「いろいろ危ない橋を渡っているそうじゃないか。悪い冗談だろうとは思うが、君が世界各地でのテロ活動に君がかかわっているという噂まで耳に入ってくる」
「クククッ……私はどこの国にも属さないし、誰からも束縛されない。私の研究は常に人類の進歩のためのものだよ」
「戦争も人類の進歩のため、と言いたいんじゃないかね? パレスチナでの自爆テロなどを見ていると、君がかつて提唱したマインド・コントロールによる兵士の戦闘力の強化についての仮説とやらも、決して夢物語ではないように思えてくるがな」
 いささか皮肉な口調だったかな、と岩本はあやぶんだが、大佐は特に気にする風もなく、低く笑うと話を続けた。
「狂信者どもによる暴走は、私には関心のないことだ、ドクター岩本。が、彼らの勇敢さは買える」
「そうかね」
「しかし、命知らずの行動は何もイスラム原理主義者の専売特許というわけでもあるまい」
「?」
「宗教的確信にもとづいた自爆テロを、一種のマインド・コントロールと考えるなら、君達の国では遠い昔にすでに戦場での実用化に成功していたはずだ」
「む……?」
「カミカゼ特別攻撃隊……。あれほど勇敢な戦法は歴史上かつてない。愛国心の発露による自己犠牲の行動は、信仰によるそれと大差なかろう」
「それは……」
「核の保有が認められない君達の国では、国家に忠誠を誓う、戦闘力に秀でた優秀な兵士の育成こそが対敵戦での重要なファクターになるはず」
「私もそう思う……そう思うからこそ……」
「最強の兵士、最強の軍隊……。それを造りだすために私は生涯を捧げてきたのだ」
 沈着冷静な大佐であったが、話が戦争に及ぶと、興奮した口調を帯びるようであった。

「サイコマンダーの養成もいまだ途上に過ぎん。何度失敗しても、私は必ず成功させる……」
 サイコマンダー、という言葉が出て、岩本は驚いた。
 危険な匂いがする。それ以上踏み込みたくない話題だった。

「しかし今日私がここに来たのは、君と国際情勢について話をするためではない。私は君に『お願い』があってやってきたのだ」
「む……わかっている。しかし、君の言う『被験者』とやらに私は心当たりがないのだ。本当に日本にいるのかね……?」
「それは間違いない。日本国内に搬送されたところまでは確認済みだ」
 大佐は、岩本の座る椅子の背後にまわり、彼の肩に手を置いて、ささやきかけた。  

「ノーベル賞財団には私の友人も多い。かねてからドクター岩本の研究成果に私も敬服している。私は君の日本での人脈にすがりたいのだ、ドクター岩本。協力してほしい」
 しかし岩本は目を閉じ、無言だった。
「実は今回の一件については、エリノア財団が動いた可能性が高い」
「?!」
「ドクター水道橋正宗という男を君は知っているかね?
その男がおそらく、エリノア財団の日本における代理人、エージェントだ」
 もちろん知っている……! 岩本は思った。いま目の前にいる大佐以上にわけのわからん男じゃあないか。
 大佐と同様、優れた医学者であることは認めるが、日本の学界からは敬遠されている。
 というのも奴があまりにも学界のルールを無視した行動ばかり取るからだ!
 自分もいつぞや話をしたことがあるが、鼻持ちならん男だった。この私に意見などしおって……!

「水道橋正宗……そういえば……。いや、ちょっと待ってくれ」
 そういえば何かひっかかるものがある。岩本教授は、少しの間首をひねって考えていたが、おもむろに電話を取ると、内線にかけた。
「ああ、秋葉君か? 私だ、岩本だ。今から私の研究室まで来てくれんか」
 受話器を置き、椅子の背もたれにもたれると、岩本は大きなため息をついた。
「少し待ってくれ。何か、わかるかもしれない」
 大佐の顔に、凍りついたような笑顔が浮かんだ。


 昼下がりの超越医学研究所。事務室の、主任研究員・神保美紀のデスク上の電話が鳴った。
「もしもし」
 何気なく、電話に出た美紀だったが、急に声をひそめた。
 電話をかけてきたのは、昨夜ホテルのレストランで会ったばかりの秋葉仁だった。
 と、すれば用件はプライベートな話だ。
「あの……秋葉君。昨日の今日では私もお返事のしようが……」
 浮かない調子で応対した神保だったが、電話の向こうの秋葉の声は意外なほどはずんでいた。
「いや、そのことじゃなくて。あ、そのことも考えてくれると嬉しいんだけど……。
今日電話したのは、君の力になれるかもしれないと思って……! 昨日君が話していた件について……」
 昨日の話?
 神保は記憶の糸をたぐった。そういえば昨夜は秋葉に、キャシーの症状に関連する話をしたのだった。
「岩本先生が情報を持っていた。君が調べていたのはたしか……」
 
 受話器を握る神保美紀の顔色が変わった。
「ほんとうですの……?!」
 声までうわずっているのに、すぐ近くにいた猿楽一郎研究員は気づいていた。

「はい……! 行きます! 場所と、時間を……!」
 美紀はメモ紙にボールペンを走らせた。


 キャシー竹橋の病室のロックが解除され、ドアが横滑りに開いた。
 実は入院患者であるキャシー竹橋は、現在病状が安定していると診断され、さほど厳しい監視下にあるわけではない。
 室内に入ってきたのは主治医でもある神保美紀。
 ベッドの上のキャシーは横になり、毛布を頭からすっぽりとかぶっている。
 枕もとに用意された食事にはまったく手がつけられていない。
「キャシーさん、お加減はいかが?」
 ベッドの上のキャシーは、毛布を引っ張り上げ、美紀に背中を向けるようにして身体を丸めた。
 どうやら起きているらしい。
 美紀はベッドのかたわらの腰かけに座り、眠ったふりをするキャシーに語りかけた。
「キャシーさんには、謝らなくてはいけませんわ……私」
 美紀の口調はあくまでもおだやかだった。
 口元には寂しげな微笑を浮かべて。
 
 しばらく沈黙が続いた。エアコンの音だけが静寂をやぶる唯一のものだった。
 やがて美紀はまた、話し始めた。
「……だって、キャシーさんをだまし続けていたようなものですもの。
エリノア財団まで調査に行ったのも、本当はキャシーさんのためというより、私自身の疑問に答えたくて……」
 キャシーには相変わらず反応がない。
「でも、今度は……」
 しばらくして、美紀は立ち上がった。
 出入口のドアから、もう一度ベッドの上のキャシーを振り返り、
「行ってきます、キャシーさん」
 きっぱりとした調子で、そう言い残すと、美紀は病室を出て行った。扉が音もなく閉まる。

 部屋の中には再び静寂が戻った。
 一分、二分、三分……十分、二十分……。
 どれぐらい時間が経ったのか? 何か気がかりな夢からでも覚めたかのように、キャシーはものうげに身体を起こした。
「美紀?」
 キャシーは室内に神保美紀の姿を追い求めたが、もちろんそこに美紀の姿はなかった。
「おい、待て……美紀」
 腕を宙に伸ばし、身体を起こすと、毛布がベッドからすべり落ちた。


「おいっ!!」
 突然響き渡った大声に、事務室にいたスタッフは、驚いて一斉に声のした方を見た。
 そこに仁王立ちになっていたのは、病室で寝ているはずのキャシー竹橋だった。
 事務室まで走ってきたらしい。肩で大きく息をしている。

「いけませんよ、キャシーさん、起きてきちゃあ」
 研究員の猿楽一郎があわててキャシーに駆け寄った。
「美紀は……! 美紀はどこだ……?!」
 キャシーは猿楽を押しのけるようにして、神保美紀の姿を探したが、室内に美紀の姿はなかった。
「主任ならさっき、急用があるからと言って出かけましたよ」
「どこへ行ったときいてるんだ!!」
 キャシーは猿楽の胸倉をつかみ、締め上げた。
「いてててて……。キャシーさん、乱暴はよしてくだ、くだ……」
 猿楽が目を白黒させる。

「外線から電話があったんですよ。その電話に出たとたん、神保主任、急にあわてだして……」
「電話だとぅ? 誰からの?!」
「し、知りませんよ……そんなこと」
 キャシーは猿楽をつかまえた手をはなすと、主のいない神保美紀のデスクに駆け寄った。
 電話のかたわらにメモ帖が残されている。一番上のメモ紙を破いて持って出たらしい。
 残されたメモ紙に、ボールペンの筆圧のせいで筆跡がうっすらと残っている。
 キャシーがじいっと目をこらすと、かすかに文字が読み取れた。

 ――ベイエリアホテル東京。

 
 


 

 

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