超越医学研究所HML


 

 

女兵士キャシー




――1――


 ここに来て、かれこれ半年がたつ。
 超越医学研究所。
 その病棟の一室が、今のあたしのねぐらということになっている。
 場所は日本の首都・東京のどこからしい。海が近いようだが、ここは地下の設備が多い。あたしのいる病棟も地下にあるので、外のことはよくわからない。まあ、どこにいようがあたしに興味はない。
 マッドサイエンティストの道楽のための施設かと思ったが、けっこう真面目な臨床治療もやっているらしい。
 水道橋正宗――。
 ここの所長の名前だ。気になるな。
 このあたしが格闘技で歯が立たなかった。それだけじゃない、あやしげな催眠術だか、気功だかわからんが、人を操る妙な術を使う。
 ただのセクハラ親爺ではないことは確かだ。
 そういえば、奴と同じ目をした男を、一人知っている。
 
 あたしの名前はキャシー竹橋。職業軍人ということになっている。
 ここに来る前は、ホンモノの戦場を駆けずり回って、死ぬような目にも遭ってきた。
 それに比べれば、ここでの生活はまるで天国だ。
 食事は、うまいとは言えないが、戦場では満足に食えなかったこともある。贅沢さえいわなければ、何も問題はない。そして何よりも死の恐怖からの解放――。
 だが、たった一つ気に食わないことがある。それは……。
 
「キャシーさぁん……!! お加減はいかがですかぁあ……?!」
 美紀が来た。
 超越医学研究所主任研究員・神保美紀センセイ……。
 あいつの声をきくたびに、全身から力が抜けてゆく。
 ここの偉い研究員で、女医さんだそうな。まだ若いのに大層なもんだ。
 こうして日に何度か、あたしの部屋に顔を出してはつまらん話をして帰って行く。
 おせっかいな女だ。
 
 美紀はあたしがあまりにヒマそうにしているのを見かねてか、リハビリがてら所内でできる仕事を見つけてきてくれた。
 介護士見習いだそうだ。
 仕事の世話までしてくれるとは、ありがたくて涙が出る。
 患者を逆さづりに縛りつけてやった時は、美紀にこっぴどく怒られたけどな。
 美紀に言わせると、あたしの生きることに対する姿勢は、「まだまだ甘い」らしい。ほんとうに大きなお世話だ。
 
 そういやいつのことだったか、あたしが隠し持ってたマリファナを部屋で吸っていると、偶然、美紀が入ってきたことがあった。
 あの時はあいつ、何にも言わずに、いきなりあたしの横っ面を張り飛ばしやがった。
「このやろう!」と、思って見ると、美紀のやつが涙をぼろぼろ流してあたしの顔をじっと見てやがったんだ。いい大人のくせによ。
 なぐり返す気も失せちまったぜ。
 
 あたしより年上で、育ちが良くて、恵まれていて、頭が良くて……。おまけに処女で……。へっへっ……。
 でもな、どうすればお前をうろたえさせることができるか、あたしは知っている。
 
「なあ、美紀よ」
「なんですの?」
「水道橋のおっさんだがな……」
「所長がどうかしたのですか?」
「軍隊の経験があるな……たぶん」
「?!」
「知らねえか……。お前なら知ってるかと思ったんだがな」
「……し、知りませんわ!」
 ムキになってやがる……。
 ホントに可愛い奴だよ、おまえって。からかいがいがあるぜ。
 しかし、まあ、なんだ……。
 あたしがこの研究所にたたきこまれて、とにもかくにも、まともな生活ができるレベルまで回復したのは美紀の治療のおかげだ。
 口には出さないが、感謝はしている。
 
 ただ、美紀も気づいているようだが、あたしにかけられたマインド・コントロールは完全に解けてはいない。
 魂に刻み込まれた傷痕は、消せはしない。
 今でも、思い出すたびに、あたしは恐怖とともに、妖しい胸の高鳴りを感じる。
 戦場での忌まわしい記憶……。
 そして、あたしが、命を賭けて愛し、殺したいほど憎んだ男……。
 いつか話してやろうか? 美紀よ……。だけど、おまえが知らなくてもいいこともある。
 
 今日は疲れた……。もう寝ることにするよ。
 朝食は……美紀のいれたコーヒーがいいな……。
 
 
――2――

 
 ドドドドドドドドドドドド……!
 この爆音は? 夢かな? それとも……。
 ドドドドドドドドドドドド……!
 これはヘリの回転翼の音だ。するとこれは昔のことか。あたしが戦場を駆けずり回っていた頃のこと……。
 
 輸送用の双発ヘリの内部で、迷彩服に身を包んだ兵士達が13人、押し黙ったまま膝を抱えて座っている。
 あたしの隣には、リンダ、ジェシカ。同じ部隊の女兵士だ。
 あと10分ほどで目的地に到着する――。
 
 過去には旧東欧圏での軍事行動、アフリカ戦線、中東の砂漠地帯でのゲリラの掃討戦ってのもあったな。
 あたし達はっきりした目的も知らされないまま、戦場に送り込まれる。
 今日はどこへ行くんだっけ?
 別にどこでもかまいはしない。あたし達はただ、命令どおりに動くだけだ。
 数時間前、あたし達は前線基地で、「大佐」から直接指示を受けた。
 われらが上官、われらが敬愛すべき、スルーガ軍医大佐殿。
 どうして軍医大佐が作戦行動の指揮を取るのかって? あたしも詳しいことは知らないね。
 そういや、「大いなる実験」とか、大佐が言っていたことがある。してみるとあたし達兵隊は、何かの実験材料だったのかもしれない。
 
「君達は選ばれた部隊だ」
 大佐は確かにそうも言った。
「本日の軍事作戦は、人類の戦闘史上、革命的なものになる」
 へいへい、わかりましたよ。その手のごたくはもう聞き飽きた。
 もちろん大佐は前線基地から動かない。手を汚し、泥にまみれるのはあたし達の仕事だ。
 でも、大佐には戦場のありさまが、あたし達の「目」を通して、手に取るようにわかるんだそうだ。
 遠隔操作であたし達の神経系に接続し、視覚、聴覚情報を受信する。たしかそんな理屈だった。
 偉大な指導者であり、指揮官である大佐の、絶対的な精神の下に、統率された鉄の軍団。
 第999歩兵遊撃部隊――。しかし、誰もそんな正式名称で呼びはしない。
 通称サイコマンダー部隊。
 あたし達、サイコマンダー部隊は、スルーガ大佐の人形だった。
 だけど、恨んだことはあったけど、大佐には絶対の信頼を置いていたさ。
 あの日までは……。
 
 昔話をしようか――。
 
 ガキの頃のあたしは、スラム街に巣くっていた少年窃盗団の群れの中にいて、毎日スリリングな日々を送っていた。
 仲間は、金持ちの雇ったマッチョな自警団の男どもに、虫けらのように殴り殺された。
 スラムでの生活は、そりゃあひどいもんだった。
 飲んだくれの親父はあたしがガキの頃、家を飛び出したきり帰ってこず、おふくろも、貧困の中、伝染病にかかって死んだ。
 一人で生きていくしかなかった。
 スラムでゴミにまみれて生活をしていた、みなし子のあたしを拾ってくれたのがあいつだった。
 考えてみれば犬っころみたいなもんだ。
 
 大佐はあたしを自分の手元に引き取って、あたたかい毛布と、食事を与えてくれた。
 どうやらそこは、似たような境遇のガキをどこからともなく集めてきては、兵隊として訓練するための施設だったらしい。
 つまり大佐とは施設の支配者だった男。
 「ハウス」と呼ばれた訓練施設には、支配者である「大佐」と、複数の教官が君臨していた。
 起床から、就寝まで、教育係である奴らの命令に従うことが求められた。
 
 ちなみにあたしを女にしてくれたのも大佐だった。
 無理やりだったけど、別にいまさら文句はない。
 おふくろが、金欲しさに男を家にひっぱりこんでいたことぐらい知っている。
 男なんてそんなもんだと思っていたし、食わせてもらっているという恩義はあったしね。
 ただ、最初はやはりショックだった。
 いきなり押さえつけられ、尻をむかれて、それで……。
 
 同じようにして連れてこられたガキが、ハウスには常時10〜20人ぐらいいた。
 訓練に耐えられず、脱走したヤツ、いつのまにか姿を消したヤツもいたし、ある日突然新顔がいることもあった。
 最後まで残った女は、あたしと、リンダ、ジェシカの三人だった。
 三人とも同じような境遇の娘だった。みなしごで、どこにも帰るところなんかありゃしなかった。
 
 リンダの髪はブロンド、ジェシカは栗色、日系のあたしは黒髪だった。
 三人は寝る時も、食う時も一緒だった。
 この世でたった、三人だけ、心を通わせることのできた友達だったと思っている。
 お互いガキだったあたし達は、不幸な境遇に生まれた身分を嘆きながら、お互いの傷を舐めあうようにして生きてきたんだ。
 夜ごと、ひとつのベッドで、まるで子犬のようにじゃれあっていたっけ。
 リンダ、ジェシカ、あたしたちいつまでも一緒だよな……。
 そんなあてのない約束を、あたし達は常々かわし合っていたものだった。
 
 ある夜のことだった、あたしが大佐の部屋の近くを通りかかると、中から明かりと、女の声が漏れてくるのに気がついた。
 あたしが細く開いたドアの隙間から中を覗き込むと……。
 リンダの真っ白な裸が、ベッドの上で、後から大佐に抱きすくめられていた。
 あたしは、がく然とした。
 彼女は、髪を振り乱して、押し殺した声をあげていた。
「あん……! ふン……ああン……!」
 苦しそうで、それでいて鼻にかかった甘ったるいような声だった。
 あたしもきっと、あの時、あんな声をあげているんだろう……。そんなことをふと思った。
 気の強いリンダが、むせび泣くようにして、大佐に抱かれている。
 身体を入れ替えて、仰向けになったリンダの上に、大佐がのしかかって、さらに激しい絶頂へと向かう。
 リンダがのけぞって、シーツの端をつかんで、必死に耐えているのが見えた。
 ――あたしは黙って、その場を後にした。
 
 部屋に戻ると、薄暗い中、ジェシカがベッドに寝転がって壁の方を向いていた。
 おそらく、ジェシカもその夜のことを知っていたのだろう。
 あたしは、何も言わずに、ジェシカのベッドに滑り込むと、背後から手を伸ばし、彼女の身体を求めた。
「あっ……」
 ジェシカが短い喘ぎをあげる。肌を合わせている時が、いちばん安心だった。
 
 あそこでは、食事も、学問も、クスリも、セックスも、すべて兵隊になるためのものだった。
 あたし達の日常は、訓練の連続だった。
 筋トレ、ランニング、格闘技、武器を持たされての訓練。
 格闘技ならあたし、射撃ならリンダが得意だった。
 ジェシカは、どちらかというと兵士としてはおとなしい性格で、メカニックに強かった。そういや将来は、学校で勉強して、技術者か医者になりたいようなことを言っていたっけ。
 本の読みすぎで目を悪くして、眼鏡をかけていた。
 だから医者でもあった大佐を一番無条件に信頼していたのがジェシカだった。
 あのうさん臭いおっさんをな……。
 
 しかし奇妙だったのは、フィジカルなトレーニングより、メンタルな面でのトレーニングに異常に時間が割かれていたことだ。
 ある時は、鼻から上がすっぽり隠れる妙な形のヘルメット(ヘッドギアと呼ばれていた)をかぶらされ、訓練生どうしでワイヤレスに通信するトレーニング……交感というそうだ。よくわからないが、テレパシーとかいうものに近いらしい。
 ある時は催眠実験、マインド・コントロールに関する実験。
 あるいは暗闇の中で、意識を集中することによって、敵の存在を察知する訓練。
 サイコ戦といわれる特殊な戦闘訓練。
 おっと、これは最高機密とか言ってたっけ。
 
 やがて、あたし達は、実際に戦場に投入される年齢に成長していった。
 ハウスで特殊な訓練を受けたあたし達は、死をおそれない兵隊のはずだった。
 もちろん人間なんて、そんなに強いもんじゃない。
 実は死の恐怖から逃れる、いちばん手っ取り早い方法は、ドラッグとセックスだった。
 あたし達の部隊では、違法なはずのクスリを、入手することもできた。
 覚醒剤、LSD……あたしも一通りはやったかな。
 ここは学校じゃない。戦場だ。キレイ事でやっては行けない。中にはクスリに依存しなければ生きていけなくなった奴もいた。
 
 あたし達が送り込まれたのは、つねに最悪な戦場だった。
 伝染病と、毒蛇が満ち満ちた密林の奥地だったり、ゲリラの潜伏する砂漠地帯だったりした。
 しかし、あたし達の部隊は、死をおそれない精神力、研ぎ澄まされた感覚と、極限まで高められた身体能力を武器に、局地戦では圧倒的な強さを発揮した。
 対ゲリラ、対テロ仕様の徹底した装備、戦術……。
 わずかな人数で、大隊クラスの敵を殲滅することさえ可能だった。
 
 そして、残忍さも一級品だった。
 
 ある戦場で、一村まるごと全滅させたあとのことだ。若い女ゲリラが、蛇の脱皮みたいに裸にひんむかれて、男の兵隊どもにレイプされていた。
「ああんッ……! ひいいッ……!」
 男の兵隊どものぶっといイチモツをかわるがわるぶちこまれて、後も前も、精液でドロドロになっていた。
 そんなサイテーのモードにもかかわらず、思い切りヨガってやがったのは、死にたくない一心だったんだろうが……。
 あたしやリンダは、最初ただニヤニヤ笑って見ているだけだったが、実は女に対して本当に残酷になれるのは、女なんだ。
 こういう時、ジェシカは遠巻きにして見ているだけだが、リンダは容赦なかった。
 拘束された女ゲリラの股間を、小銃の銃床でこづきまわして、
「死にたくなかったら、四つんばいになって、あたしの靴を舐めな」
 かわいそうにね……。
 最後は結局、女ゲリラは絶叫を残して、血だらけになって死んでいった。
 
 あたし達は、殺すことに陶酔を感じていた。自分達が途方もない力を手に入れた気がしていたんだ。
 人の命さえ自由にできる、人間を超えた神のような存在。それとも、悪魔か?
 だけど、あたし達はやはり勘違いしていたのだと思う。
 サイコマンダー部隊は、大佐の人形だった。
 大佐の手のひらの上で踊らされていたに過ぎない。
 
 
――3――

 
 あたし達を乗せたヘリは、低空から侵入し、街のはずれであたし達兵隊を降下させた。
 その日は、最初から嫌な予感がしたんだ。
 今にして思えば、それは何かの実験だった。
 そのことに気づかされた時は、もう手遅れだった。
 
 タニア・シティは、もともと砂漠地帯のオアシスに建設された都市。
 少数部族が独立を求めた内戦では、政府軍に追われて、砂漠地帯に転戦したゲリラ勢力の拠点となった。
 政府軍の空爆を受けながらも、かろうじて民族解放のゲリラ勢力の拠点として、孤塁を守り続けていた。
 情報によると、平和な時代に、政府の肝いりで作られた医療研究機関に、現在数十人のゲリラが立てこもり、最後の抵抗を続けているらしい。
 
 生き残ったゲリラを殲滅しろというのなら、難しい話ではない。
 ゲリラの中心人物が、ドクターMという医師らしいのだが、今回の作戦の目的は、ゲリラが根城にしている施設の防衛網を破り、そこにいるであろうドクターMなる人物の身柄を確保せよ、というものである。
 要するに拉致して来いということだ。
 たかが医者ひとりにドンパチやるとは大げさなことだ。
 あたし達にしてみれば、政府軍にも民族ゲリラにも加担する義理はない。
 空爆で息も絶え絶えになったところで、火事場泥棒よろしく殴りこんで、ゲリラの親玉をひっさらって来いというのだから、ひどい話だ。
 だいたいドクターMだかSだか知らないが、そのおっさんは、何らかの政治的確信があってゲリラと行動を共にしているんだろう。
 まあこっちにも、それなりの目的があるんだろうが、よけいなおせっかいというものだ。
 まあいい、これがあたし達の仕事だ。人さらいだろうが、人殺しだろうが……。
 
 あたし達部隊員は、特殊なヘッドギアを頭に装着することにより、ゴーグルを通して得る、視覚・聴覚情報の兵士同士、および司令部との共有が可能となる。
 指揮官と、兵隊同士の連絡もそれによって取る。
 つまり、大佐殿の目となり、耳となって働けってこった。
 ヘッドギアとゴーグルをセットアップして、お互いの神経系をオンラインにする。
 そして、市街地に降下したあたし達は、目的地である研究施設へと侵入を試みた。
 
 ――通りを、ワンブロック先まで直進しろ。
 ――その先に10階建てほどの建物が見えてくる。
 ヘッドギアを通して聞こえてくる大佐の声は、まるで頭の中で響いているようだった。
 いや、実際に大脳中枢に直接アクセスしてくるシステムなんだ。
「了解」
 市街地に生きている者の姿はなかった。
 このあたりは爆心地だ。
 あたし達は、特有の勘で、一帯に生存者はいないということを確信していた。
 その気の緩みがあったのか……。
 静寂を破る銃撃の音が響き渡り、アスファルトをえぐり、街灯を吹き飛ばした。
 撃ってきやがった。
 
 なるほど、ここが敵さんのアジトの医療施設か。
 ただの研究機関にしちゃあ、ずいぶんとものものしい警備だ。
 こんなこったろうと思った。いつだってそうだ。楽な仕事なんてありゃあしない。
 もちろんこっちも黙っちゃいない。
 一瞬のちには、正確な狙撃で、数人のゲリラを撃ち落した。
 発砲のあった窓のあたりには、鉄甲弾をぶちこんで、敵の攻撃を瞬時に不能にした。
「突入!」
 迷う必要はない。あたし達はゲリラの狙い撃ちを受けないうちに、建物の内部に突入した。
 
 敵さんも必死だ。廊下の奥、非常階段の上から、いっせいに撃ってきた。
 あたし達の自動小銃が火を噴き、手榴弾が炸裂し、ゲリラどもの肉体がバラバラになって飛び散った。
 とりあえず、ゲリラの攻撃を抑え、安全な場所を確保する。
 どうやら、「目的」の所在地は、上の階らしい。
 
 ――リンダ、先行しろ。
 リンダはいま、西側のブロックから迫ってくる敵と撃ち合いの真っ最中だ。手が離せない。
 ――……キャシー、先行しろ。お前とジョナサンでドクターMの身柄を確保するんだ。
「了――解」
 さて、命令は下った。行きたくないが、進むとするか。
「ここはあたしが食い止める。早く行って、キャシー」
 ジェシカが踏みとどまってくれる。ありがとう、ジェシカ。
 
 コンクリートが剥き出しになった階段を一気に駆け上る。
 あたしの視界に飛び込んできたゲリラは、あっという間に血に染まってぶっ倒れた。
 どけ! 死にたくなければ、どきやがれ!!
 
 5分後、階下が静かになった。片づいたのか?
 あたしは壁にへばりついて、周囲を警戒しながら、ジリジリと先に進んだ。
 薄暗い廊下の奥を窺っていた時だった。頭のところを、何か鋼線のようなものがかすめたのを感じた。
「!!」
 ヤバイ! あたしはとっさに身を避けた。が、次の瞬間、耳をつんざくような爆発音がして、目の前が真っ白になった。
 あたしはもんどりうって倒れた。受身を取るヒマもなかった。
 
 痛え……。
 幸いたいした殺傷能力はなかったか。
 ヘッドギアが、あたしの頭を守ってくれたが、強打したせいでゴーグルに仕込んだICカメラがおシャカになっている。あたしは、ゴーグルをかなぐり捨てた。
 ヘッドギアに仕込んだワイヤレスマイクによる音声通信のみになっちまった。
 
 ――どうしたキャシー? 視覚情報が途絶えたぞ。
 大佐からの通信だ。
「トラップに引っかかった。ゴーグルをやられた」
 ――そうか。ケガはないか?
「だいじょうぶ、心配ない」
 ホントに心配してくれてるんだか怪しいもんだ。
 
「ここだ……」
 ゲリラをなぎ倒してやっとたどり着いた気密性の高いドア。「目標」はまちがいなくこの中にいる。
 ジョナサンが目配せし、あたしが頷いた。
 小型のプラスチック爆弾を、ドアロックに仕掛けて着火する。
 ドカン! と大音響がして、鋼鉄製のドアがひしゃげた。
 先行していたあたしがまず突入し、ジョナサンが出入口に立ち、廊下を警戒した。
 
 室内は、ドアを爆破したあとの硝煙が立ち込めていた。
 テーブルに突っ伏して、事切れている男がドクターMか?
 画像データで見た特徴から間違いないだろう。
「死んでいるのか?」
 ジョナサンが訊いた。
「ああ……」
 拳銃で頭をぶち抜いていた。死後それほど時間は経っていないようだ。
「目標発見。死んでいる……」
 ――シット……! 
 大佐がつぶやくのが聞こえた。
 残念だったね。ムダ足だったってわけだ。
 
 ――キャシー、室内に何か発見できないか?
 机の上に山のように積まれた書類。
 ホワイトボードに、わけのわからないアルファベットと数字を組み合わせた数式の羅列。
 古臭い型のコンピューターは、電源が落ちている。
 
 ――書類、電子データ、なんでもいい。その場で集めうる限りのデータを採取せよ。
「了解。ジョナサン、あんたもおいで」
 サイコマンダーは、大脳連合野に、短時間で大容量の記憶の蓄積が可能であり……たしかそんなごたくを聞いたことがある。
 別に頭がいいとかそういうわけではない。
 訓練を受けたスパイが、一度歩いただけの市街の地図や、初対面の人間の似顔絵を簡単に描けるようなものだ。
 あたしは、とりあえず室内を目視し、パソコンを起動し、ファイルを物色した。
 しっかし、書類関係まで持ち出すとなると骨だな。あまり時間もかけられないだろうし、適当にみつくろうしかないな。
 
 その時、背後で室内をあさっていたジョナサンが何かに気づいた。
「キャシー、逃げろ……」
 その言葉が終わらないうちに、耳をつんざくような爆発音が響き、いきなり壁が崩壊し、床が抜けた。
 部屋にあった機材も、書類も、ドクターMの遺体も、何もかもが崩れ落ち、あたしの身体も奈落の底へと転落していった。
 (やられた……)
 死ぬのかな、あたし……。そんなことを思った。
 気が遠くなり、目の前が暗くなった。
 
 それから、数分後、あたしは瓦礫の中から身を起こした。どうやら時限爆破装置か何かがしかけられていたらしい。自爆したのか? 建物全体を崩壊させるほどではなかったが、3階の床が1階まで抜けて、吹き抜けのようになってしまった。あたしも一気に、1階まですべり落ちたのだから、かすり傷程度ですんだのは奇跡だった。
 ジョナサンはというと……コンクリートブロックで頭をくじき潰されて死んでいた。
 そうだね、ここは戦場だ。敵だけが死んで、味方は無事、というわけにはいかないさ。
 
 気がつくと、数人の仲間達が銃を構え、無言であたしを見おろしていた。気味の悪い奴らだ。生きてるよ……。おあいにく様。
 ヘッドギアはあたしの頭蓋骨を守ってくれたが、今度こそ、内蔵の通信機器がイカれてしまい、そのためあたしは、直接仲間と交信することが困難となっており、間近に接近していたのに気づかなかった。もし敵だったら蜂の巣にされていたところだ。
 リンダが、よう、無事だったか、というように片目をつぶった。
 
 危険が迫っているのは、誰もが感じていた。
 ミスターMの拉致は、失敗だ。早いとこずらかるに限る。
 他の仲間もバラバラと集まってきた。
 お互いの無事を確認しつつ、撤収する段取りに移る。
 部隊長のケインが、手振りで「前進しろ」と、合図を出したその瞬間だった。
 鈍い音がして、ケインの頭部が朱に染まり、きりきり舞いして、地面に叩きつけられた。
「!!」
 一瞬、何が起こったのかわからなかった。
 次の瞬間、やや離れていたグエンが、同じように頭を吹っ飛ばされた。
 撃たれた! 敵がいたのか?! 何者かに狙撃された。しかも、かなりウデがいい。
 あたし達は散らばり、それぞれ物陰に身を隠した。
 
「突き当たりの部屋からだ!」
 誰かが叫んだ。一斉に兵士達の銃が火を吹き、ガラスが飛び散り、コンクリートの壁が砕け散った。朦朦とした硝煙が、あたりにたちこめ、視界がきかなくなった。
「待て! やめろ!」
 耳をつんざくような銃撃の音がやんだ。
「スティーブ! 本当にあそこから撃ってきたのか?!」
「人影が動くのを見たんだ!」
 しかし、スティーブが指示した地点に、人の気配はなかった。仕留めたのか?
 いや、手ごたえはない。
 ガラス張りのオフィスのガラスが派手に砕け散っている。ガラスに映った自分達の姿を敵と誤認したんじゃないか?
「ムダ弾を撃つわけにはいかない。落ち着くんだ!」
 
 地べたに倒れたケインの様子を覗き込んでいたマックスが首を振った。
 グエンの方は、完全に頭部を撃ち抜かれ、脳漿が飛び散っており、一目見て即死だった。
 いずれも一発でやられている。あたし達は戦慄した。
 敵は全滅したのではなかったのか?
 どうして敵の襲撃を予測できなかったのか?
 
 ――たった二発の銃弾が、あたし達の運命を変えた。
 それは、恐怖と狂気に満ちた、殺人ゲームの始まりだった。
 
 
――4――


 ケイン、グエン……それに、ミスターMの部屋が爆破された時にジョナサンがやられた。
 あたし達の数はあと10人。
 
 電源の落ちた薄暗く狭い通路が延々と続き、無数のダクトや配管がうねっていた。それに瓦礫の山が道を塞ぎ、身を隠す場所に不自由はしないが、敵がどこに潜んでいるかもわからなかった。
 
 おかしい! 絶対におかしい!
 あたし達は、完全に疑心暗鬼に陥っていたのだろう。
 見えない敵の恐怖にとらわれていた。
 何人のゲリラがここの施設に潜んでいたのかは知らないが、奴らはあたし達の第一波の攻撃で、全滅したか、ほぼ戦意を喪失したはずだ。
 これほど確実な精度であたし達の仲間を仕留められるほどの戦力が残っているとは思えない。
 しかし、仲間は一人、また一人と確実に消されていった。
 敵の集中攻撃を受けないため、知らず知らずのうちに、あたし達は分散して退路を探し始めたが……。
 建物から、出ようとしたやつは、中から何者かに狙撃されたらしい。
 中庭に後頭部を撃ち抜かれた仲間の死体が点々ところがっているのを見たときは、あたしも震え上がった。
 
 見えない敵の、銃弾を避けながら、あたしはリンダと二人で、当てのない前進を続けていた。
 そして、たどり着いたのは、薄暗い回廊の行き止まりだった。
 あたしとリンダは、ドアの向こうに、人の気配を感じていた。仲間がいる……。
 しかし、そいつは交信を絶っている。あらゆる周囲からの干渉を拒絶し、まるで貝か何かのように、自分の世界に閉じこもっている。そして、もう一人、弱々しい信号(パルス)で誰かが助けを求める気配が……。何かとてつもなく嫌な感じがした。
 明らかに異様な事態だった。
 あたしとリンダは、目配せをして銃をかまえ、ドアを蹴破った。
 「!!」
 そこで、あたしとリンダの目に飛び込んできたのは、信じがたい光景だった。
 あたしもリンダも、思わず悲鳴を上げそうになった。
 
「よお……リンダ、キャシー……遅かったじゃねえか」
 イッちまった目で、あたし達を振り返ったのは、スティーブだった。
 スティーブは、ズボンを下ろして、下半身を剥き出しにしていた。汚ねえケツを向けやがって! そして、スティーブのいかつい身体の下に組み敷かれているのは……ジェシカだった。
 あたしとリンダは愕然とした。ジェシカは作業台の上に、素っ裸にされて大の字に縛りつけられていた。口には声が出せないように、剥ぎ取られた自分の下着が突っ込まれていた。ジェシカは、目に涙を浮かべて、あたし達に助けを求めている。
 そして、さらに目を見張ったのは、まるでスイカのように膨れ上がったジェシカの腹……。
 かたわらの床上にエアー・コンプレッサーが一台……。そこからチューブが伸び、ノズルの先端がジェシカの肛門に突っ込まれていた。空気浣腸……。いにしえのナチスや米帝が好んで用いたマニアックな拷問だ。いま、ジェシカの腸の中は、コンプレッサーから送り込まれた空気で、バスケットボールのようにパンパンになっている。あたしは血の気が引いていくのを感じていた。
 もう口にするのも汚らわしい……。大股開きに固定されたジェシカの股間は、精液でドロドロに汚されていた。
「やっぱりジェシカのマ×コは締まりがよくて最高だぜ……。ヤリマのおめえ達と違ってよお。へっへっへっ……」
 スティーブが下卑た笑い声をあげた。
「この変態野郎! ジェシカから離れやがれ!」
 この野郎、恐怖のあまり気が変になるやがったか。こんなことをしてただで済むと思っているのか?!
 あたしとリンダが、スティーブに銃口を向けた。
「そういきり立つなよ、キャシー。一緒に楽しもうぜ……。どうせ俺達は……」
 スティーブの手には、抜き身のアーミーナイフが握られていた。
 もし、仕損じれば、確実にヤツのナイフはジェシカの喉元を切り裂くだろう。
「どうせ俺達はここから生きて出られねえ……。最初っから決まってたことなんだ」
「何言ってんのさ! 力を合わせてここから脱出しようって……!」
「おっと、それ以上近づくんじゃねえぜ。リンダ」
 少しでも間合いを詰めておこうかと思ったが、無理だった。
 それにあたしの小銃もリンダの小銃も口径が大きすぎる。この位置からでは、ジェシカごと撃ってしまいかねない。
「無駄なあがきはよしにしようぜ……。俺達の運命は決まってる。それに、ジェシカだって……」
 スティーブの野郎が、ジェシカの乳房をわしづかみにした。
「んんっ……!!」
「こんなに乳首をとがらせて感じてるじゃねえかよう」
 眼鏡の奥のジェシカの目が、苦痛に歪んだ。
 ジェシカの腸の中にたまったエアーが、出口を求めている。苦しいはずだ。
 内臓を押し上げるほどの圧迫感があるだろうし、チューブを引っこ抜けば、そのとたんにカエルを裏返したようなかっこうのまま、腸内の汚物をエアーごとぶちまけることになる。
 死ぬほどの屈辱を与えることがこの拷問の特徴なんだ……。
 ガマンしてくれ、ジェシカ。今すぐ助けてやる。
 
「もうじき空爆が始まるぜ……。さっき政府軍の無線を傍受したところさ」
 スティーブがおもむろに口を開いた。
「なに寝言を言ってやがる! あたし達がまだここにいるんだぜ!」
「甘いなあ、お嬢ちゃんがた。俺達はなあ、もう用済みさ」
 この野郎、いつのまにかまたペニスをおったててやがる。ケダモノが……。
「命のある間にな、せいぜい楽しもうぜ。なあ……?!」
 スティーブは、てめえの先端をジェシカの股間にあてがうと、ズン! と、腰を突き出した。
「ンん――――ンッ!!」
「ああ〜〜気持ちいい〜〜〜」
 この変態野郎……!
 目をそらしたくても、そらすわけにはいかない。あたしとリンダは、吐き気をこらえながら絶句していた。
 スティーブは、ジェシカの中にイチモツを突き入れながら、喉元にナイフをあてている。うかつに手出しはできない。
 
「大佐は俺達を消そうとしているんだ! 作戦はしくじったからな」
「バカな! 何をわけのわからないことを?!」
「最後の一人だけが生きてここから出られる……。
 必要とされてるのはな……強い兵隊なんだ。なあ? これはな、大佐の実験なんだ」
 狂ってやがる……。
 スティーブが腰を突いた。
「うおッ! 締まってくる! 締め付けてきやがる!」
「ウウッ……! ンッ……!」
 裸のジェシカの身体が苦しそうに波うち、膨らんだ腹がつっぱった。
 
 あたしとリンダは目配せをして、スティーブに気づかれないよう、背中でナイフを抜く。スティーブの腰の動きがにわかに早くなり、息が荒くなる。
 この早漏野郎! こんどイクときがてめえの最後だ!
「ううッ……」
 反吐の出るようなうめき声とともに、野郎がジェシカの中で果てるのが見えた。
 あたしとリンダは、その隙をついて、背後から一気にスティーブに襲いかかった。
 しかし、酔っぱらいのようにドロンとしているとばかり思ったスティーブの動きは意外と俊敏だった。
 狙いすましたリンダの投げナイフを、スティーブは鼻先でかわした。
 さらに踏み込んだあたしが、ナイフを横に一閃、なぎ払ったが、これも野郎にかわされた。あざ笑うかのように……。
 そして逆に、スティーブの早業が、ジェシカの腹を真一文字に切り裂いた。
 次の瞬間、エアーで膨らみきっていたジェシカの腹は収縮し、ピンク色のはらわたが、まるでそれ自体、命のある生き物のように、うねりながら飛び出した。
「うおおおおおおおおお!!」
 リンダの小銃が火を噴き、スティーブの野郎の頭部が、真っ赤なトマトになって砕け散った。
 あたしはジェシカに駆け寄って、彼女の縛めをナイフで断ち切って、自由にしてやった。
 なんてこった! なんてこった! どうしてこんなことに?!
 ジェシカは、縦に切り裂かれた腹から、作業台の上に内臓をぶちまけて、息も絶え絶えになっていた。
「ヒィッ……! ヒィッ……! ヒィッ……!」
「しっかりしろ! ジェシカ!!」
 かわいそうなジェシカ!
 あたしもリンダも涙で顔がぐしゃぐしゃだった。
「殺して……殺して……」
 苦しい息の下で、ジェシカが喘いだ。
 戦場で、無惨な負傷者や死体はイヤになるほど見てきたはずなのに、姉妹同然に暮らしてきたジェシカの、苦しむさまはとても直視できない。だけど、見守ってやるしかなかった。
 
「がんばれ、ジェシカ!」「気を確かに持て!」と、いくら励ましてみたところで、助かる見込みがないことはわかりきっていた。ピンク色の臓物をぶちまけた状態の彼女を運ぶことは無理だったし、仮にそれが可能だったとしても、重傷を負った彼女を連れて、安全地帯まで脱出することは不可能だった。
 あたし達だけ先に脱出し、医者を連れてくる……。無理だ! 絶対に無理だ!
「苦しいよう……。殺して……。はやく殺して……」
 意外と出血が少ないのが不思議だった。
 哀願するジェシカの声が、しだいに弱々しくなっていく。
 あの時の声は、いまでも耳について離れない。
 
 ほうっておけば、助かる見込みのないまま、ジェシカはあと数時間生き続けるだろう。
 ここにいては、あたし達の助かる見込みもなくなる。
 かといって、このまま放置していくことは……。
 あたしとリンダは、途方に暮れ、お互いの目を見合わせた。
 リンダが首を振った。
 
 あたしは意を決すると、軍用ナイフを取り出し、ジェシカの首筋にあてると、思い切り引いた――。
 
 リンダとあたしは、口々に何かわけのわからないことを叫びながら、部屋から飛び出してきた。
 廊下に踊り出たあたしは、何かにけつまずいて倒れそうになった。
 それは、頭を割られて死んでいる仲間の死骸、それに折り重なるようにして、もう一人の死骸は、自ら短銃で頭をぶち抜いて死んでいた。チャンとチェルピンスキーだった。
 あたしは恥も外聞もなく悲鳴をあげて、走り出した。
 
 
――5――

 
 途方もない考え方があたしの頭の中に渦巻いた。世の中のすべての連中が、あたし達を殺そうとしている!
 何か大きな力が働いて、あたしを、あたし達全員を抹殺しようとしている!
「いやあああああああああああ!!」
 声をあげれば狙撃されるかもしれない。しかしあたしは、そんなことに考えも及ばないほど錯乱していた。
 
 そしていつのまにか、あたしはまた一人で、瓦礫の間を駆けずり回っていた。
 すでに時間の感覚がおかしくなっていた。
 銃を乱射しながら、何時間も施設の中を走り回っていたのか?
 それとも、ほんの数分の間のことだったのかもしれない。
 
 気がつくと、あたしはがらんどうになった、広い場所に立っていた。
 吹き抜けになっている突き当たりの出口の先から、昼間の日差しに満ちた世界が広がっている。
 そこはまるで、薄暗く湿った瓦礫の山とは別世界のようだった。
 出られる! ここから外に出られる! あたしはそう思った。
 安心感と、解放感とで、あたしはすっかり油断して、ついふらふらと明るいほうへと足を踏み出そうとした。
 
 ビシッ!
 
 わずか数十センチ先の地べたに弾着があり、あたしは反射的に瓦礫の陰に飛び込んで、身を隠した。
 (敵か?!)
 もはや敵も味方も、わからなくなっていた。
 死にたくなければ、目の前の相手を倒すしかない。あたしは殺人ゲームのプレイヤーになっていた。
 しかし、あたしにはまだ、今撃って来た敵の潜んでいる方角を判断するだけの余裕は残っていた。
 相手の射程内に入らないように、ジリジリと廻り込む。この場合、同じ場所にいては危険だ。向こうはあたしの位置を知っている。
 あたしは懸命に五感を研ぎ澄まし、正確な敵の位置を察知しようとした。
 
 人の気配がする。おそらく、あそこだ……。崩れかかったダクトの陰……。
 しかし、罠でないとは言い切れない。
 相手はスゴ腕だ。
 試してみるか……。
 あたしは軍服のジャケットを脱ぎ捨てると、適当な棒っきれにひっかけ、放り投げた。
 敵の自動小銃が火を吹き、あたしの身代わりはズタズタにちぎれとんだ。
 かかった! やはりそこか!
 さあ、姿を見せな! あんたはいったい何者なんだ?!
 あたしは間髪をおかず、一気にカタをつけるため、身を躍らせた。
 しかし、敵の影を捕捉し、狙いを定めた瞬間。あたしは固まってしまった。
 
 立っていたのは……リンダだった。
 その時、あたしとリンダはお互いに銃口を向け合い、引き金にかけた指は引きつっていた。
 
「嘘だろう……? リンダ」
 
 誤射ではありえない。状況から判断して、リンダはあたしであると認識して銃を撃ったのだ。なぜ……?!
「もう誰も信じられない……」
 リンダが口をひらいた。敵意に満ちた表情で。
「部隊の中に裏切り者がいたのさ。そうに違いない」
 それは、あたしもうすうすとそんな気がしていた。
 しかし、誰も口に出すことができなかった。
「いったい、誰が……?」
 リンダは、真っ青な顔をして、答えた。
「生き残ったのは、あたしと、あんただ。裏切り者は、あんたさ、キャシー」
 リンダは小銃の狙いをあたしに定め、全身に殺気をみなぎらせた。
 
「やめろ! リンダ!」
「スティーブの言っていた意味がわかった。裏切り者を、倒さなければ生き残れない……。一人しか、生き残れない……。
 あたしは死にたくない。あんたを殺して、ここから脱出する」
「何言ってるんだよ? リンダ。あたしが裏切り者だなんて……。二人で力を合わせて逃げよう。きっと、逃げられる……。
 あたし達……あたし達、友だちだろう……?」
 リンダに向かって一歩を踏み出そうとするあたしを、リンダは銃で威嚇した。
「おまえは、ジェシカを殺したろう?!」
「!!」
 あたしの背筋に電撃が走った気がした。違う……あれは……。
 
 どこからともなく、飛行機の鈍い爆音が響いて来た。低空飛行で爆撃機が街の上空に進入してきたらしい。
 スティーブは、政府軍があたし達を見捨てて、空爆を始めると言っていた。
 時間がない。逃げなければ。
「リンダ! 時間がない! 逃げよう!」
「うるさい!」
 リンダの自動小銃が火を吹いた。あたしは一瞬早く横っ飛びに身をかわすと、体勢を立て直した。
「うおおおおおおッ!!」
 あたしは、リンダの射程をかいくぐって、彼女の真正面に踏み込むと、銃床であごに一発食らわせた。とにかく、リンダの動きを止めなければ、と思った。
 リンダは一瞬ひるんだが、すぐに反撃に転じた。リンダのハイキックをブロックしたあたしは、必死に踏みとどまる……。
 
 その時だった。
 大地が裂けるような衝撃が来て、あたしもリンダも大きくバランスを崩した。
 爆撃機の落とした爆弾が施設を直撃した!
 轟音とともに、天井が崩れ落ち、コンクリートの破片が雨のように降ってきた。
 あたしは恐怖を感じた。しばらく忘れていた感覚だった。
 死にたくない! 死にたくない! 死にたくない!
 それは命のあるものは、生きることを欲する、という当たり前の感覚だったのだが――。
「いやああああああああ!!」
 リンダが狂ったように銃を乱射した。
 二弾、三弾と確実に爆撃は施設を直撃してくる。もはや、身を隠す場所などなかった。
 この世が終わるのかと思えるほどの大崩落が、あたし達の頭上に襲いかかった。
  ・
  ・
  ・
 ……すべての音がとだえ、そこには静寂が広がっていた。
 そして、すべては崩れ去っていた。
 あたしは横たわったリンダの上にかがみこんだ。
 リンダの全身から、どくどくと鮮血が流れ出ていた。
 ぼろ雑巾のようになった瀕死のリンダが、手を伸ばして、あたしの首に手をまわそうとし、言葉にならないつぶやきを、唇に浮かべた。
 リンダは何かを訴えようとしていたのか?
 しかし、その目からは急速に命の輝きが失われていった。
 彼女の突き上げた両手は、何もない虚空をつかもうとしてあがくと、そのままパタリと、折れるように崩れ落ちた。
 そして、リンダは目を閉じた。永遠に……。
 
 あたしは、あふれ出る涙をおしとどめることができなかった。
 リンダ……! リンダ……!
 どうしてあたし達は殺しあわなければならなかったのさ?
 リンダは、最後まで、あたしの首を掻こうとしたのか?
 いや、あたしはリンダが最期に、「生きろ」と伝えてくれたのだと思っている。
 
 爆撃の合い間を見計らって、あたしは、施設の構内から外へ飛び出した。
 誰も撃ってくる者はなかった。
 そして、信じられるものも、何もなかった。
 原隊に復帰する、気力も、体力も、失われていた。
 三日三晩、ブッシュと砂漠をさ迷ったあげく、あたしは瀕死の状態で、中立国のNPO組織に身柄を保護された――。
 
 
 ――世界各地の戦争・紛争の舞台裏で暗躍した謎の戦闘集団。
 精鋭、精強を誇った第999歩兵遊撃部隊、通称・サイコマンダー部隊。
 タニア・シティにおける、反政府ゲリラの掃討作戦において投入された兵士達は、かの地での戦闘に際しゲリラの攻撃を受けてパニック状態に陥り、ある者は狂死し、ある者はお互いに殺しあった。見えない何者かの影に操られるようにして……。
 こうしてサイコマンダー部隊は壊滅した。
 たった一人の生き残りを除いて――。
 
 
――6――

 
「――どうしましたの? うなされていましたわ」
 
 枕元で、美紀があたしのことを覗き込んでいる。
 あたしはいつの間にか、美紀の手を固く握り締めていた。
「ひどい汗ですわ。着替えた方がいいですわね」
 あたしは、ベッドの上で身体を起こし、汗だくになったTシャツをたくし上げた。
 美紀が乾いたタオルをよこしてくれた。
 
 冷静になった頭で、あたしはもう一度改めて、あの日のことを思い出してみた。
 裏切り者がリンダで、あたし達を皆殺しにしようとしたのか?
 それとも、信じがたいことだが、見えない影におびえて、お互いに殺しあったのか?
 ――もうひとつの可能性。
 それに思い至ったから、あたしは戦場から逃亡し、原隊に復帰しようとはしなかった。
 
 なあ、美紀よ……今日はもう少しそばにいてほしいんだ。
 おそろしく不安で、心細くて。どうしてこんな気持ちになるんだろう?
 ガラにもないって、自分でもわかってるんだけど……。だけど、美紀よ、おまえがそばにいてくれると、なんでだか安心できるんだ。
 そういや、まだ美紀に話していないことがあったっけ……。
 あれは、たしか……。
  ・
  ・
  ・
 キャシーさんが、眠りについたのを見計らって、私は明かりを消して、部屋から出ました。
 そういえば、キャシーさんが昼間、水道橋所長について、気になることをおっしゃいました。
 たしか、所長には軍隊の経験がおありになる、と。
 私が水道橋所長に初めてお会いしたのは、日本国内の学会でのこと。
 以前は、ヨーロッパの大学や研究機関にいらっしゃったとお聞きしたことがありますが、そういえば、私は以前の先生について詳しく存じ上げてはおりませんわ。
 
 超越医学研究所のスポンサーでもある、エリノア財団。
 政情の不安定な地域において、財団本部の付属研究機関に、キャシーさんは一時保護され、のち、東京に送られたと記録にはありますわ。
 ファイルは極秘となっており、所長にお願いしなければ見ることは不可能でしょう。
 エリノア財団にかかわっていくことは、所長の過去を知ることにもなるかもしれませんわね?
 そして私は、深夜の研究室で、パソコンを起動して、文書をまとめることにしたのです。
 

 ――キャシー竹橋の症例に関する報告書。
 
 6ヶ月にわたる臨床治療を経てもなお、キャシー竹橋はいまだ完治に至らず。
 強度のマインド・コントロール下にあった後遺症と見られる情動の著しい不安定、記憶の混乱、脅迫観念、等々が見られ、これらは精神的外傷が原因と思われる。
 患者は根本的な部分で、他人を一切よせつけない「秘密」を持っており、そのことがカウンセリングに際しても大きな障壁となっているものと思われる。
 逆にいえば、深層心理のレベルにおいて、これらの不安要因を取り除き、治療を施すことにより、必ずや完治させることが可能と確信する。
 患者に関する情報は、より総合的、時系列的に検討される必要があり、ついては、エリノア財団本部において把握した、キャシー竹橋の臨床治療記録、健康診断結果、精神鑑定結果ほか、同人に関する一切の記録の閲覧許可を求めます。
 
 超越医学研究所主任研究員・神保美紀。
 
 

 
 


 

 

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