キャッツ・アイ


 

 

第6章


AM8:50――――――
 岸田は車のドアを開け、乗り込んだ。
「岸田さん、本当に岡崎が犯人だと思っているんですか?」
 助手席に乗り噛んだ山口が、岡崎の話が終わってから続いていた沈黙を破った。
「容疑者の一人、という意味ではな」
 エンジンをかけながら岸田が答えた。

「信じるんですか、あの話」
 山口は窓の外へ目をやりながら聞いた。ソメイヨシノの並ぶ並木道。もうすぐ夏へと季節は変わる。
「俺だってあんな飛躍した話、信じたくはないさ。だが、これが事実なら俺の仮説も確信に変わる。真相へ一歩前進だろ」
 岸田は気丈に言い放ち、車を走らせた。山口は再び黙りこんだ。
 しばらくして信号待ちの列に付いてブレーキを踏むと、岸田は先程の岡崎との話を思い出した。


―――この事件には催眠術が絡んでいる。
 これが岸田の立てた仮説であり、今回の岡崎との対決で最も重要な要素となる発言だった。
 女性達は催眠に掛けられ、何者かに操られて自分で家を飛び出した。
 催眠にかかった人間が石のように硬くなったり、犬などの動物のような行動を取らされているのをテレビでみたことがある。あのように、人間を自らの意思とは無関係に、しかも長期的に行動や人格を制御することが、催眠によって可能ならば、少女が2階の窓から抜け出し、自分のところへやって来させることも出来るのではないか。というのが、岸田の推測だった。

 しかし、テレビで見るのは多くがヤラセ。本当に催眠で人を操ることなど不可能だ。というのが一般常識とも言える見解だ。
 だがもしも、それを可能にする技術があるとしたら、専門家であればそれは現実味を帯びた論理が作り出せるのではないか、と思ったのが岡崎に会うことを決めた一番の理由だった。

 馬鹿な、と一笑されて終わり。というのも、岸田は覚悟していた。だが、岸田がこの事件と催眠術との関連性を疑っている旨を説明すると、予想に反して岡崎は真剣な目で岸田を見つめていた。岸田は、その視線に何か得体のしれない恐怖感をわずかに覚えた。

「随分前の話ですが」
 岡崎は立ち上がり、自分の机の傍の棚からいくつかの冊子を取りだした。
 何か関連する資料があるのか、と岸田は思ったが、どうやら今日診る予定の患者のカルテらしい。開院時間が迫っていることを、岸田は思い出した。「時間が無い。色々聞かせてやるから手短に切り上げて帰ってくれ」と、岡崎の背中が言っているように思えた。

「ある男の論文で、『催眠暗示による人格や自覚的意識の改変』と『催眠暗示の長時間持続』に類する内容が含まれたものを読んだことがあります」
 岡崎は再び岸田に向き直ると、淡々と述べた。
「人格の……?」
 岸田にはチンプンカンプンだった。山口もポカンと口を開けている。最も、岸田が催眠の話を切り出したあたりから、山口はずっとこうだったのだが。

「つまり、催眠によって『人を人以外の物にする』ことと、『人をかなりの長時間催眠状態にすること』について、ですよ」
 岡崎はやや苦笑しながら言った。
「それって」
 山口が言って、岸田を見た。久しぶりに声を出したからか、山口の声は掠れていた。

「そう、あなたが私に尋ねたことを、可能にする方法が述べられているんですよ。岸田さん。最も、この二つは精神医療においてまったく非常識なことで、この論文も一般には公開されていない特殊な物でした。だから私もよく覚えているわけで。しかし、内容はかなり現実的で、非常に興味深い内容でした」
 岡崎は想像の中でまたその論文を読み解くかのように、宙に視線を漂わせた。

「ど…どんな内容だったんですか?」
 岸田は身を乗り出していた。真相にぐっと近づく大物が釣れたのだ。尋ねる声に力がこもる。
「その論文の中では」
 岸田とは正反対に、岡崎は優雅ささえ感じさせるような落ち着いた声で話した。
「この二つはある一つのことに成功すれば、容易に成せると述べてありました」

「一つのこと?それは一体……」
 そのあと、岡崎が放った一言が、今も岸田の耳の中で響いていた。

「被暗示者の、『記憶の削除』です」――――――



 某所 猫の館 教育部屋:AM8:50――――――
『さあ、私の後に続けて言いなさい。私は奴隷猫です』
「私は……奴隷猫……です……」
『ご主人様のご命令に服従します』
「ご主人様の……ご命令に……服従…します……」
『ご主人様にお仕えすることが私の喜びです』
「ご主人様に……お仕え……する…ハァ…ことが…私の……喜び…アァ…です……」
『私はご主人様に永遠の忠誠を誓います』
「私は……あ…ご、ご主人…うぁ…様に……えいえ…ああっ…永遠の……忠誠を…誓います…あ…ふぁ…ぁ」

 明美は精液を滴らせ、イってしまいそうになるのをこらえながら、「しつけ猫」が言う通りに、奴隷猫としての誓いの言葉を繰り返していた。
 明美の教育はプロセス22に入ってしばらくが経過していた。

『もう一度、今度は自分で言いなさい』
 そういうと、再び「しつけ猫」の目が怪しく光り出した。
 明美の身体がピクリと反応し、先程の言葉を反唱し始めた。虚ろな視線は猫の目にカッチリ固定され、その怪しい光を鈍く反射している。

「わ…私は……奴隷猫です……ごしゅ…うぁ…ご主人…様の……ご命令に…従いま…あぁん……従います……は…あ…」
 明美の喘ぎと痙攣が強くなってくる。明美はトロトロと愛液を流しながらも、与えられた指示を実行する。
 プロセス22が始って間もなくは、明美は「しつけ猫」の言葉を復唱しようとしなかった。わずかに残った理性が奴隷猫となるのを拒んでいたのだ。

 しかし、これまでのプロセスを経ることで、強力な自我抑制を施された明美は、「しつけ猫」が何度か命令するうち、素直に従い始めた。すでに明美は、従うことで与えられる快楽に逆らえなくなっており、暗示と絶頂のループを繰り返していた。それはプロセス1よりも激しさを増し、絶頂の感覚は短くなっていた。同時に、明美の自我の抑制と記憶の削除はコンプリートへと向かっていた。

「ああああああああああ!はう…うぁああああああああああっ!!」
 明美は絶頂に達し、愛液の滝でその白い脚を濡らした。
『ストップ』
 「しつけ猫」の冷たい声が響く。明美はだらりと項垂れ、脱力する。「しつけ猫」の測定がはじまる。
『測定します。61号、自我抑制率………エラーです。精神信号不安定のため、計測不能です』

 「しつけ猫」が目を赤く点滅させ、エラーを訴える。明美は未だ愛液をトロトロと流しながら、身体を震わせていた。
「ア………ア………ア………ア………」
 明美は白目を剥き、ガクガクと震える口から小さく機械的な声を出し続けている。
 絶頂に達して激しく波打つ感情が、「しつけ猫」の精神抑圧波でも抑えきれず溢れだしているのだ。

 すると、林立する少女たちの影からティーチャーが現れた。手には大きな人工毛製の猫じゃらしが握られている。
 ティーチャーは明美に近づくと、猫じゃらしの先端の毛玉を、明美の首から胸、腹部へと、ツー、ツー、と這わせた。

「ア、アアッ…」
 毛玉が身体を這う度、明美は過敏に反応し、声を漏らした。
「アア…ウァァ…」
 毛玉が下半身へと下がってくると、明美の喘ぎも激しさを増していく。
 やがて、毛玉は明美の液にまみれた秘所を、スルリと舐めた。
「ヒウッ!……ハ…ア…アアアアアアアアアッ!!」

 明美はピクンと、磔になった身体を限界まで張りつめ、吠えた。
「アアアアアアアアアアアアッ!!ア…ファアアアアアアアアアアアア!!」
 白い眼は天を仰ぎ、第二の絶頂に感情を爆発させる明美。ぷしゅう、ぷしゅうと、秘所からは止めどなく愛液が溢れる。

『ストップ』
 ティーチャーが再起動させた「しつけ猫」が、改めて精神抑圧波を流す。
「アアアアアアアアアッ…アッ…アア…」
 今度は明美はおとなしくなった。だらりと脱力し、虚ろな目で機械猫を見つめた。

『測定します。61号、記憶削除率…35%。自我抑制率…32%』
「ご主人様がお帰りになるころには、このコの教育はかなり進行できそうね」
 ティーチャーはぐったりする明美を見ながらクスリと笑った。



 ――――――人間というものは、「記憶」で自己を確立していると言える。自分の名前、性別、家族、果てには自分が人間であるという定義に至るまでの一切の情報が、突き詰めれば「記憶」という存在に位置づけられる。
 そのため、催眠暗示にかかっていても、「自分」という確固たる記憶があるため、放っておけばそのうちに催眠は解けてしまう。

 ところが、もしもこの記憶を消し去ってしまうとどうだろうか。「自分が人間である」、「自分の名前は○○である」、「自分は女である」などの記憶を失った者に、何か別の人格、あるいは、極論であるが、例えば動物であるという暗示をかけると、それはその者に対する新たな記憶となり、それにより、完全に催眠による精神構成の左右をも可能にできる。
 何もかも忘れた者に、催眠状態にいることが今あるべき状態だということや、その状態に快楽を覚える暗示を埋め込めば、その者は長時間、発展すれば、半永久的にも催眠状態を持続させられる。

 これは依然仮説であるが、実践機会があれば、恐らく立証できるであろう理論であると私は考える――――――



岡崎医院 院長室 AM8:50――――――
 岡崎は古い論文の冊子を閉じると、腰かけている机の引き出しの奥深くにしまい込んだ。
 何度も同じ部分を読み返した。この論文の核心となる部分だ。これまで類を見ない、非現実的なテーマでありながら、それを立証する理論を正確にかつ細やかに記してある。しかし、その飛躍したテーマと、思想が危険な物につながると懸念した大学側は、この論文を認めなかった。催眠で人を完全に支配するなど、あり得ない話でありながら、実現すれば脅威となることは、精神医療に携わる者なら誰でも、その危険度も含めて十分に理解できるので、岡崎にもよくわかった。

 しかし、この発想と理論の構築は明らかに恐ろしいまでの才能だ。日の目を見ることの無かったこの論文も、立証されれば、医学会を揺るがす革命的な発想である。そしてそれは、この論文を書いた張本人と、この論文を読んで理解した数少ない者にしか不可能だろう。
「だからこそ俺は……」
 岡崎は睨むように窓の外に目を向けた。既に高く昇り始めた朝日が眩しい。
(あの岸田という刑事、ヒントを与えてやったが、どこまで食らいつけるのか……)
 走り去る岸田の車を見ながら、岡崎は思った。

 同時に、机に置いてある携帯電話が鳴った。
表示される名前を見て、岡崎は、ふっ、と息を吐く。
「もしもし……ああ、大丈夫だ。だけどもうすぐ開院時間なんだ。手早く頼む……今夜?また突然じゃないか……なんだ、いいものって……ああ、そうか、なら俺も何か持っていこう。え?お前の喜ぶ物だ……ああ、じゃあ今夜」

 岡崎は通話を切ると、電源を切って掛けてあるコートのポケットに入れる。口元には笑みが浮かんでいる。
 立ち上がると、診察室へと向かった。今日も岡崎の診察を求めて、多くの患者がやってくる。
 机の片隅に置いてある写真立ての中では、写真に写った岡崎と一人の女性が並んで笑っていた。

 
 


 

 

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