キャッツ・アイ


 

 

第4章


 ティーチャーの後ろに従うまま、明美は「教育中」の少女達の間を歩いていった。
 横に5枚ずつ2列、計10枚の、黒光りする壁の如く垂直に立てられた板に、少女達は裸で「大」の字に磔にされている。息を弾ませ、肌を紅潮させ、体を震わせながら、抗うことの出来ない興奮と快楽に身を任せているが、虚ろな目はしっかりと、目の前に立つ猫のオブジェを凝視している。

 前列の一番右、明美達が入ってきた出入り口の手前に無人の板と、起動されていない教育装置がある。先日まで51号の少女が「教育」されていた装置だ。
 奴隷猫となる前の、これから「教育」をうける少女はこの教育部屋にいる間は1号・2号のように通し番号で呼ばれる。明美が来る前までは、ここで51号から60号までの少女が教育され、先日「仲間入り」を果たした。

 今は52号から60号までが教育を受け、空いたスペースに61号、つまり明美が入る。
 ティーチャーは板の前に歩み寄り、明美に目で指示を送ると、明美も側に寄ってきて、板の前に直立した。
 ティーチャーが何やら準備をしている間、裸の明美は虚ろな目で正面を見つめたまま、マネキンのように立っていた。

 ミキによって深い催眠にかけられた明美は、自分がどこで何をしているのかも自覚していない。猫達への服従心を植え付けるためと、自我を一時的に抑制するためにかけられた「猫化」の暗示は、今はさほど影響していないが、同時にかけられた「服従」の暗示はしっかりと明美を支配していた。今の明美には、「従うこと」が全てなのだ。

 今は命令があるまではこうして人形のように待ち続けることが「服従」を意味する。
 ティーチャーは猫のオブジェにコードで繋がっている黒い首輪を取り出すと、明美に首に取り付けた。そして明美の手足を、板の上部と下部に二つずつ取り付けられている枷に固定し、真ん中にある少し大きめの枷に腹部を固定した。明美は他の少女と同じように大の字になり、教育の準備が整った。

「では、61号、これからあなたの教育プロセスを開始します。目の前にある猫の像が見えますね?」
「はい…見えます…」
 ティーチャーが訪ねると、明美は従順に答えた。

「これは『しつけ猫』です。プロセスが始まったら、絶対にこの猫の目から目を離してはいけません。常にこの目を見続けなさい。いいですね?」
「はい…」
「あとは『出される課題』に従えば結構です。あなたが良い猫へと『しつけ』られることを祈ります。では、プロセス開始」

 言い終えると、ティーチャーは「しつけ猫」のスイッチをいれて立ち去った。
 「しつけ猫」はヴーーーーンという、まるで大型の車のエンジンのような重い音と共に稼動し始めた。猫の目が淡い緑色の光を放ち始める。明美はその目を見つめた。

「61号の教育プロセスを開始しました」
 ティーチャーはコンピューターに搭載している通信機能を使って男に報告していた。
『ご苦労。では、何か異常があったらその都度報告するようにしろ』
 モニターに映し出された男が言った。

「かしこまりました。ご主人様」
 ティーチャーはモニターの男に向って「猫の礼」をする。
 ブツン、と通信が切れた。

 「しつけ猫」の目の光はネオンのようにその色を徐々に変幻させた。緑から黄緑…黄緑から黄色…そしてオレンジ…赤…紫…青へ…。
 明美はその光を両の目でしっかりと受け止め続けた。虚ろな目が、光をぼんやりと反射する。

『私の声を聞きなさい』どこからか声がする。『私の声に集中しなさい』
 「しつけ猫」の頭部についているスピーカーから流れる声だ。超音波にのせて音声を流しているのだ。超音波にのった音声は、正面にいる明美にしか聞こえない。同様に、他の少女達も、それぞれの正面に立つ「しつけ猫」から流される声を聞かされているのだ。

 明美はその声に聞き入った。声を聞き、光を見る。そしてその2つが明美が感じ取れる全てになった。明美の暗示はリセットされ、さらに深い催眠に誘導される。
『あなたは何も考えない。何も感じない。私の言うとおりにしなさい。私の言うことは全て正しいこと。従うべきこと…

 私が今から言うことを復唱しなさい。ゆっくりと、一言、一言、全て…。そして復唱した通りに従いなさい。私に従えば、あなたはとても気持ちよくなれる。従えば従うほど、気持ちよくなれる。それは素直なあなたへのご褒美です。忠実なあなたへのご褒美です…。』

 歌うような声の暗示に、明美はどんどん支配されていった。声の命令以外には、もはや動くことはない。
『さあ、復唱しなさい。「私は全てを忘れます」』
「わた…しは…すべて…を…わすれます…」

 明美はぎこちなく、だが従順に復唱した。途端、ドクン、と、何も感じなくなった明美の体を、微かな快感が突き抜けた。
『もう一度、「私は全てを忘れます」』
「私は…全てを忘れます」
 今度ははっきりとスムーズに応えた。ドクン、さらに大きな快感が体を走る。

『もう一度、「私は全てを忘れます」』
「私は全てを忘れます」
 明美はもう何の抵抗もなく復唱し始めた。完全に暗示の虜となった明美は、快感を求めるまま、声に服従する。

『さあ、復唱したとおり、全てを忘れなさい。そして何もかもを忘れるまで、何度も復唱し続けなさい。』
「私は全てを忘れます…私は全てを忘れます…私は全てを忘れます…」
 明美は壊れたテープを再生するかのように繰り返し復唱した。一度復唱する度に、徐々に大きな快感が体を包む。

『気持ちいい。ほら、気持ちいい。復唱すると、どんどん気持ちよくなっていく。気持ちよくなる度に、一つずつ忘れていく。しかし、それがまた快感となる。「忘れる快感」となる。ほら、忘れていく、忘れていく…』

 明美は快感に肌を紅潮させ始めた。
「私は全てを忘れます…私は…あっ…全てを…ああ…忘れ…」
 明美は喘ぎ始め、体をピクン、ピクンと振るわせる。絶頂が近い。しかし、止まらない明美は、更なる快感を求めて復唱を続ける。やがて、
「あ、あああっ、あああああああっ!」
 目を見開き、大きな嬌声を上げて明美は絶頂を迎えた。トロトロと愛液が明美の性器から滴り落ちる。

 嬌声を上げ続ける明美は、まだ、「しつけ猫」の目を見続けている。「しつけ猫」の目は妖しいワインレッドになっている。そして、「しつけ猫」から静かな声が流れた。
『ストップ』
「あああああっ!あああ!ああ…!あああ…あ…」
 
 声がそう言った途端、明美の絶頂は鎮まった。肌は紅潮し、体はピクンと波打っているが、元の虚ろな目で「しつけ猫」の目を見つめている。明美が静かになるのに合わせて、猫の目の放つ光も、ワインレッドから、普通の白い光へと変わっていった。
『プロセス1終了。測定』
「しつけ猫」が機械的な声で言うと、明美はもう一度、ビクンと痙攣し、「あっ」と声を上げた。

『測定結果。記憶削除率8%、自我抑制率5%。データ送信完了。プロセス2開始』
「しつけ猫」の目が再び緑色になり、七色に変化する。明美はまた暗示の世界へと誘われていく。
 これが「教育」なのだ。暗示によって操られ、性的快感を褒美に、記憶を無くさせ、自我を無くさせ、奴隷猫としての自覚と意識を植え付けていく。

 プロセスの過程で絶頂を迎えても、首輪から放出される微量の特殊な電磁波によって、コントロールされ、鎮められる。少女達は完全に「しつけ猫」の支配下にある。
 プロセスは暗示をかけ、完全に支配するための導入で、完了すれば、プロセス2から、本格的に記憶の削除、自我の抑制、奴隷猫としての様々な「しつけ」を施されていく。

 完了しなければ同じプロセスを何度も繰り返すのだ。
『さあ、復唱しなさい…「私は名前を忘れました」』
「私は…名前を忘れました…」
『私は年齢を忘れました』
「私は年齢を忘れました…」
 明美は再び快感に支配され始めた。
『私は生年月日を忘れました』
「私は生年月日を忘れました…」


 AM 3:00
 警視庁・捜査二課――――――
「岸田さん、コーヒー持ってきましたよ」
 山口に言われて、岸田は浅い睡眠から目を覚ました。
「家に帰って、ちゃんと寝てはどうですか」

 ソファから身を起こした岸田に、山口は心配そうに聞いた。
「調べたいことが山ほどあるんだ。ちゃんと仮眠をとってるから心配はいらん」
 岸田は気丈に言うが、その声からは寝不足と疲れがはっきりと伺えた。
 この数日、岸田は捜査に没頭していた。食事もちゃんとは摂っておらず、睡眠時間も、何回かとった仮眠の数時間だけだ。

 自分達が捜査をしているすぐ側で、別の少女が消える。最初の事件から約2ヶ月。先日の西村 美希の失踪から4日になろうとしている。しかし、いずれの事件も、全く手がかりは得られないままだった。

 コーヒーをすすりながら、岸田は先日話を聞いた、美希の母親と、親友の谷崎 明美の顔を思い出した。娘が、親友がいなくなり、戸惑いと悲しみで沈んだ顔…。
 岸田にも、明美や美希と歳の近い娘がいる。思春期になり、最近はあまり父親には話し掛けてくれなくなったのが少し寂しい。あの二人と、自分の娘のことを重ねて思うと、いまの不甲斐ない捜査状況では、休んでなどいられなかった。

 岸田は無意識に近くにおいてある新聞を取った。
「それ、一昨日のやつですよ」山口が言った。
 気が紛れればなんでもいい。そう思い、岸田はテレビ欄に視線を落す。年末でもあり、ドラマはほとんど終わって、2〜3時間の特別番組が名を連ねている。

 ―――今年ヒットのアーティストが大集合!新曲を続々披露!
 ―――アスリートが語る成功の秘訣。メダルの裏にある感動の秘話。
 ―――あの大物女優が催眠治療でトラウマを克服!精神医療スペシャル。
 ―――ビックリ人間コンテスト!指で逆立ちする男、動物そっくりモノマネ…

 ふと、岸田の視線が止まった。一瞬、自分でも恐ろしい程の仮説が頭に浮かんだ。
 忽然と姿を消した少女…そして、確か捜査一課が捜査しているのは…
「どうかしましたか?岸田さん?」
 山口が訪ねるのを無視して、岸田は立ち上がると、本棚に駆け寄り電話帳を手に取った。
 
 急いでページをパラパラめくると、何かを見つけて、手帳にメモした。山口が立ち上がってチラリと覗くと、どこかの電話番号のようだ。
「山口、少し仮眠をとれ」
「へ?」

 突然の岸田の言葉に、山口は素っ頓狂な声しか出せなかった。
「行くところがある。6時に起きろ、30分には出発する」
「あ…はい。じゃあ、そうします」
 山口は怪訝そうな顔をしたまま、部屋を出た。

 山口が部屋から出ると、岸田は再び手帳に目を落した。
 ―――岡崎医院 ○○○―△△△△ B区2丁目7−5
 岸田は手帳を上着にしまうと、再びソファに横たわった。

 
 


 

 

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