キャッツ・アイ

〜Cats eyes〜


 

 

第1章


 A市某所――カツ、カツ、カツ。革靴の乾いた音を響かせながら、男が長い廊下を歩いていた。ある部屋の扉の前で立ち止まると、ゆっくりとその扉を開いた。中は暗闇に包まれている。男は綺麗に髭を剃ってある、ほっそりとした顎を考え込むように触りながら、扉の内側にいくつも取り付けられた鈴を眺めた。一つ一つにプラスチックのカードが付いていて、それぞれに番号が描かれている。やがてその中からいくつかを選び、男は人差し指で弾くようにそれらを鳴らした。チリーン……。澄んだ音が部屋に響き渡る。すると、その音に呼応するかのように、暗闇の中にキラリと光る点が星のように現れた。その点はすべてまっすぐに男に向けられていた。自分に集まる眼差しに、満足そうに頷きながら男は言った。「さあ、お前たち。仕事だ。行け」「ニャ−ン…」命令を受けた眼光の持ち主達は、愛らしく、どこか妖艶な声をあげ、部屋を飛び出していった。

 A市T区―――
「もう、明美、遅い!」美希はそう言いながら、頬を膨らませた。
「ごめんごめん。数学の教科書が見つからなくって」すまなさそうに顔の前に手を合わせながら、明美が玄関から出てきた。
 谷崎 明美(たにさき あけみ)と西村 美希(にしむら みき)は、区内にある公立校に通っている。家も近所で幼馴染の二人は、小学校の時からの親友だ。明美は長めの髪をポニーテールに結った、おっとりとマイペースな性格で、美希はショートヘアーの、活発で明るい性格だった。二人とも男子からそこそこ人気があったが、まだ特定の彼氏がいたことはない。
 いつものように他愛のない話を交わしながら、二人は学校へと続く道を歩いていた。すると、目の前に一匹の猫が現れた。猫は、二人を見つけると、ジッと二人を見つめた。
「あっ、見て、美希、猫だよ!可愛い〜」明美はそう言うと、一目散に猫に近づき、撫で始めた。明美は大の動物好きなのだが、両親が動物を飼うことに反対していて、これまでにペットを飼ったことはなかった。美希も、動物が好きだが、昔飼っていた犬が死んでしまって以来、ペットは飼っていなかった。
「飼い猫みたいだよ」美希が、明美に撫でられ、満足そうに喉を鳴らす猫の首に、鈴のついた首輪が付けられているのを見て言った。
「あ、本当だ。このあたりのコかな?」明美が言った。
「さあ。こんな猫、見た事ないけど…。」美希は言いながら、猫の首輪になにか手がかりはないかと探った。
「脱走してきたんなら、飼い主さんが困ってるよね」明美が言うと、猫から手を離して美希も頷いた。手がかりは得られなかったようだ。
「あっ、やば、明美、遅れるよ」美希が携帯電話の時計を見て言った。
「うそ、じゃあ行かなきゃ。ごめんね、猫ちゃん」明美は名残惜しそうに猫の頭をもう一度撫でると、美希と共に走り出した。猫はそのまま、ジッと二人を見送るように見ていた。その首輪についた鈴の内部にカメラが内蔵されており、二人の画像がある場所に送信されていたことなど、明美たちは知る由も無かった。

「あの猫どうなったかな?」昼休み、いつものように食堂で美希と昼食を食べながら明美が聞いた。
「きっと飼主が見つけたわよ。首輪だってちゃんとついてたし」そう言って美希は紙パックのカフェオレをストローで吸い上げた。
「そうだといいけど」明美は気になりながらも、美希の意見に合わせることにした。
「猫っていえばさ」美希は内緒の話をするかのように身を乗り出して囁いた。「明美、聞いた?『キャッツ』の話」
 美希が言うと、明美も強く頷いた。「うん。アジトがこのあたりにあるんじゃないかって話でしょ?」昨日からどのニュース番組もこの話題をこぞって取り上げていた。
「キャッツ」とは、最近世間を騒がせている窃盗集団のことだ。小さな宝石だけを狙い、夜中に宝石店に現れてはネックレス、ピアス、指輪などをショーケースからごっそり持ち去っていく。ただの強盗団にも思えるが、目撃者が口をそろえて言うのだ。「あれは人間じゃない」と。ある宝石店の店員が夜中に店に残っていた時、その店がキャッツに襲撃された時があった。その店員の目撃証言は不気味なもので、どこから入って来たのかわからないほど突然現れ、暗い店内でショーケースを壊して中から宝石を取り出していたという。店員が警報を鳴らそうと事務室へ行こうとすると、信じられないような動きで店員に近寄り、あっという間に取り押さえられてしまったという。その時見た、暗闇に光る眼光は、人間の物ではなかった。と店員は声を震わせた。別の証言では、見かけは人間の女性ばかりだが、その衣装、動きはまるで「猫」だった。という。他にも、人間の言葉は一切話さず、「ニャーン」と鳴いてコンタクトを取っていた。など、まるで彼女ら(警察は女性のみの窃盗団と確信している)が猫であるかのような証言が相次ぎ、やがて窃盗団は「キャッツ」と呼ばれるようになった。
 この嘘のような不気味な話は瞬く間に世間を騒がせ、にもかかわらず一向に手がかりが掴めないまま警察は頭を抱えていた。先日になって、警察は襲われた宝石店は全て、このA市周辺の町であることを公開し、アジトがA市内に存在する可能性があることを発表した。今週あたりからA市を中心厳重調査が入るという。この警察の行動に、普段平和なA市は騒然となり、明美達の学校もこの話題で持ちきりだった。
「本当にアジトがこのあたりにあるのかなぁ?」明美が不安そうに言った。
「あるわけないわよ。こんな何もない町に」美希は明美の不安顔を一蹴するように笑った。
「でも警察が捜査するのよ?なんか怖いな…」
「この辺にはキャッツが狙うような宝石店なんか無いし、私達宝石に縁なんかないじゃん。何も起きないわよ」美希はいつものように気楽に言った。「警察の捜査も、何も見つからずにすぐ終わっちゃうって」
「だよね。でも、あんな怖い人たち、早く捕まるといいなぁ」
「そう?女の盗賊なんて、かっこいいじゃん。私は一度会ってみたいな。仲間にしてくれたりして」
「えー!私は絶対いや。美希っていつも変なこと言う」明美は大きくかぶりを振った。それを見て美希が笑った。
「あはは、冗談よ。明美こそ、何でもかんでも真に受けすぎ」
 その時、午後の授業の予鈴が鳴った。二人は急いで食器を回収棚に置き、教室へ向かった。

 某所―――
 巨大なモニターに、少女の顔が次々表示されていく。優雅に椅子に腰掛けた男は、それを無表情に眺めていた。ふと、ある少女が映し出され、男は手を挙げた。二人の少女の画像が映し出されたまま画面が停止した。撮影場所はA市T区とある。
「T区…。なるほど、無能な警察への挨拶代わりか…」男はニヤリと笑みを浮かべると、手に持っていた鈴を鳴らした。どこからともなく、ひとりの女が現れた。身体が透けそうなほど薄い生地で出来たベージュのレオタードに身をつつんでいる。
「お呼びでしょうか、ご主人様」女は男の後ろに跪いて言った。
「ユキ、お前の会でT区に向かえ。今回はこの二人の娘だ。いいな」
「はい、ご主人様」ユキと呼ばれた女はそう言うと部屋から出て行った。しばらくして、「ニャーン」と、鳴き声が響き渡った。妖しいその声は、間違いなくユキのものだった。

 A市―――
 日の暮れかけた秋空の下を、明美と美希が歩いていた。
「ねえ、やっぱり誰かにつけられてる気がしない?」明美は心配そうな声で美希に言った。さっきから何度も同じことを美希に聞いては、キョロキョロと後ろを振り返ってばかりいる。夕暮れの道に、二人の他には誰も歩く者は見えなかった。
「しない」美希はもう何度目かの全く同じ返事をしながらため息をついた。「だから、気にしすぎだって。さっきの先生の話を真に受けてるのよ」
 終礼の時、担任の先生が「キャッツのこともそうだが、最近このあたりで女子学生が行方不明になる事件が多発していたりして、色々と物騒になっている。帰るときはなるべく集団で、まっすぐ帰るように。特に女子は気をつけろ」と言っていたのだ。
「そうじゃないけど、本当に誰かが…」
 明美が言いかけたとき、二人の頭上の木がガサッと揺れた。明美がキャッ、と美希にしがみついた。
「木が揺れただけじゃない。あんなところで誰が私達を見てるって言うのよ。キャッツじゃあるまいし…」
「で、でも…」明美はまだ美希から離れない。
「ほら、行こ。並んで歩いてたら怖くないって」美希は明美をなだめながら道を歩いて行った。それを木の上からじっと見ている眼差しに気が付かずに…。

 ニャーン……
 その夜、美希はふと目を覚ました。
(猫の声…?)確かに猫の鳴き声を聞いたような気がした。しかし、起きてみると何も聞こえない。(夢かな…)そう思い、美希はまた布団をかぶった。
 ニャーン……
(やっぱり聞こえる。でも、どこから…?)美希はしばらく布団の中で耳を澄ました。
 ニャーン……
 近い。かなり近くにいる。美希は布団を持ち上げ、もう一度起き上がった。すると、部屋の床に、何かの気配を感じた。ギラリと光る、星のような眼光が二つ、床に這いつくばって、ベッドの上の美希を見上げている。
「きゃっ」美希は一瞬悲鳴を上げたが、今まで眠っていたのと、恐怖と驚きで上手く声にならなかった。
「ニャーン」眼光の持ち主は鳴き声を上げて近づいてきた。
(猫?どうして猫が私の部屋に?どこから入ったの?)そんな疑問が次々と浮かび、パニックになりそうになりながら、美希はジッとその猫を見た。しかし、次の瞬間、その「猫」が身を起き上がらせて立ち上がり、美希は更に恐怖した。(ね、猫じゃない…!)
 それは確かに人間だった。前髪と後ろ髪をポニーテールでシンプルにまとめ上げた女性だった。身体のラインが透けるような、裸かと思うような薄い生地のベージュのレオタードを着ている。手を猫のように丸め、胸の前で構え、脚を曲げて前に体重を乗せた姿勢でゆっくりと近づいてくる。しかし、その目だけは明らかに人間の物ではなかった。ギラリと光を浮かべる目は、瞳は人間の物より縦長に割れ、まさに猫そのものだった。
(な、何、この人、まるで本物の猫みたい…)そこまで考えて、美希はハッと気が付いた。(ま、まさかこの人…)
 その瞬間、その女性は一気に美希に伸しかかってきた。美希は仰向けにベッドに倒れ、その上に乗った女性はその顔を美希に近づけた。「い、いや……何するの……」美希は恐怖の中で、やっと言葉を搾り出した。
「西村…美希…」眼光を美希に向けながら、女性は言った。
「ど、どうして私の名前…」
「アナタは、選ばれた」女性は心なしか抑揚のない声で言った。
「選ばれた…?誰に…」美希は次第に冷静さを取り戻していた。
「アナタはご主人様に選ばれた」
「ご主人様?」
「アナタは私達の仲間になる。『キャッツ』の一員になる」
「じゃあ、やっぱりあなたは『キャッツ』なのね!だ、誰が仲間になるもんですか!」美希は女性を押しのけようとした。しかし、身体が全く動かない。ふと気が付くと、部屋には他にも「猫のような女性」がおり、美希は完全に取り押さえられていた。
「アナタは猫になる…。私達の仲間に…」美希の上に乗っている女性が言うと、他の女性達も次々「ニャーン」と声を上げた。
「さあ、猫に…」女性の目の光が妖しい紫に変わる。その目が美希を見つめると、美希はボーっとなって、頭が真っ白になってきた。女性の目から目が離せない。
「アナタは猫…かわいい猫…」女性がゆっくりと囁く。その言葉が美希の真っ白になった頭の中に甘く響く。周りの女性も、「ニャーン、ニャーン」と、歌うように優しく鳴いている
「や、やめて…」美希は必死にもがこうとするが、身体が上手く動かせない。女性の眼光からも、甘い声からも、逃れることが出来ない。
「アナタは私達の仲間になる…。かわいい猫になる…」
「わ、私は…猫…」美希はもう何も考えられず、女性の声を復唱した。自分の声と、女性の声と、周りの甘い鳴き声が、美希の空っぽになった頭の中で何度もリフレインする。
「私は…猫…」自分で言うと、なんとも言えない快感が美希を支配した。その快感がさらに美希を刺激し、美希は何度も復唱した。「私は…猫…私は…猫…」
 快感が高まるにつれて、美希の身体はやがて、ピクン、ピクンと痙攣し始めた。それでも女性の暗示と美希の復唱は止まらない。「アナタは猫…アナタは猫…」「わたしはねこ…わたしはねこ…」
 美希はもう何もかもがわからず、自分の言っていることも理解出来なかった。ただ発言と共にやってくる快感に身を任せた。身体の痙攣も激しくなっていた。
「あ…わ…わたし…あぅ…ね…ねこぉ…えぁ…ねこ…」喘ぎ声と共に美希は溶けるような声で復唱し続けた。
「アナタは猫…アナタは猫…」女性も更に暗示を囁く
「あ…わたし…あ…あ…あああっ…」美希の快感は最高潮に達していた。一つ言葉を発する度に快感を破裂させそうになりながら、それでも美希は言い続けた「ああ…ね…ねこ…あ、ああああああああああっ!」ついに美希の中の快感が弾けた。美希は激しく痙攣しながら、声にならない声を上げた。そして、美希は完全に支配された。
 やがて、痙攣は治まり、美希はぐったりとなった。身体からは完全に力が抜け、ぽっかりと口をあけて、曇ったガラス球のような虚ろな目を宙に漂わせていた。痙攣が止まるとすぐに、美希の性器からトロリとした液体がとめどなく溢れてパジャマとベッドを濡らした。
 美希は静かに声を上げた。「ニャーン」
 それを聞いて、他の女性達も「ニャーン」と鳴いて、美希を解放した。
 美希はゆっくりと起き上がった。手を丸め、胸の前で構えた。女性が「ニャーン」と鳴くと、美希はベッドから降りて立ち上がった。虚ろな目は目の前に、自分と同じように立った女性達をまっすぐ見つめていた。
「アナタは猫…ご主人様の猫…」
「私は猫…ご主人様の猫…」女性が再び言うと、美希も迷わず復唱した。
「アナタはご主人様の命令に従う奴隷猫…」
「私はご主人様の命令に従う奴隷猫…」
 それを聞くと、女性達は一斉に「ニャーン」と鳴いた。
「ニャーン…」美希もそれに従った。美希の虚ろな目が暗闇でギラリと光った。
「さあ、行くのよ、ご主人様の元へ」女性が言うと、美希は窓を開けて外へ飛び出した。そして、他の女性達と共に、人間とは思えない身のこなしで、家の屋根から屋根へ飛び移り、深夜の闇へ消えていった。

 翌日、明美の家に、美希の母から電話が入り、明美は美希が失踪したことを知った。

 
 


 

 

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