黒と白


 

 

11. 降臨


 じめじめと湿った感触が肌を嘗める深夜の庭園に、男は一人空を眺めていた。

 日の光を遮られ輝きを失った月は、感情を無くした男の様に只佇んでいる。

 真の闇というのはここよりも深いのだろうか?
 自分が今、どこに居るのか?足は地に着いているのか?...分からないまま、ただ時が来るのを待っていた。

 館の中から微かな鐘の音が響き、12回目を打ち終えた時、切るように冷たい風が影一の心に吹き込む..と同時に目の前の闇が人を形取っていった。

「大儀じゃの、人間」

 見る物の心を凍りつかせる様な眼差しは、しかし究極ともいえる美しさで造詣されているその貌をより際立たせていた。

 影一は片膝を地に着けながら

「今宵は存分にお楽しみ頂けますよう」

 男は視線を落としたままの影一を一瞥し、館に向かって歩き出す。

 樫製の重厚な扉を手も触れずに押し開くと、玄関ホールに静かに直立する二人の人間に目を向けた。

「いらっしゃいませ...今宵、館のご案内をさせて頂きます茜と申します。よろしくお願いいたします」

「麻里でございます。ご主人様のご意向に添えるよう、全身全霊にてご奉仕させて頂きます。どうか心行くまでお楽しみ下さい」

 二人の裸体を値踏みするかの様に眺めている男に一礼すると、振返り、二人同時にホールへの両の扉を開け放つ。

 すると、その中に充満していた淫気が一気に流れ出し、男の鼻をくすぐった。

「ふん...」

 男の目が一瞬見開かれた。




 壁からいくつも突出している真っ白な尻は、上に向けられた二穴で極太の蝋燭を支える燭台として足元を照らしている。

 世界中の美味が並べられたガラス製の食卓には、脚の代わりに逆さに固められた牝達の尻と股裏で支えられ、押しつけられた性器を見せつけている。

 男は興味深げにそれらを眺めながら同じく牝製の椅子に腰掛ける。
 仰向けに二つ折りにされ、乳房を脚で挟み込んだクッションに腰を降し、背もたれとなっている牝の豊かな胸の間に頭を預け、両横で突き出すように掲げられた尻の上に手を休める。

 特に男の興味を引いたのは、頭上に揺れる2つのシャンデリアだった...。
 8匹の牝達が後ろ手同士を結合され、尻を合わせるような姿勢で吊下げられている。
 首から吊られた太股は隣のそれと結合され、その上には短い数本の蝋燭が足先まで並んで揺れている。
 全身を輝かせている電飾は、真ん中に吊り下げられた球型の大きな電球へと繋がっており、その電球の重量は全員の括約筋で支えられていた。
 皆の淫裂から湧いて出るどろどろした汁がアナルから伸びる鎖をつたい、電球の上でまとまると滴となって床へ放たれ、きらきらと光を反射させながら空間をも美しく飾っている。

「はっはっはっはっはっ!気に入った。気に入ったぞ、人間。これなら我が復活の儀式を存分に楽しめようぞ」

 男は瞳に野獣の光を浮かべると、辺りで調度品のように飾られている牝達を次々と犯していく。

 女に埋れ、女を操り、様々な場所で、様々な体位で...。
 男の中心に鼓立する巨大な剛直は、常に、歩いているときでさえも、誰かの口淫か、淫孔を貫いている。
 ヒトでは不可能な領域で繰広げられる性交は、女達に快感とは呼べぬ程の強烈なそれを与え続け、人格や思考を剥取って行く。

 世界有数の美貌と性技の持ち主数十人を相手にしているにもかかわらず、男の獣欲は留まる事を知らない...いや、それどころか、交わり、果てる度毎に内なる力が漲っていった。

 高らかな笑い声と共に腰を振りたくるその男の貌からは人外の狂気がとめどなく溢れ出ていた。


 外界の光も音も届かない館の中で続く淫靡な狂宴は、今始ったばかりである。







 夜の闇の中、影一は十二月の冷たい空気を味わう様に吸込むと、空を見上げ、語りかける。

「よう、いい加減出てきたらどうだ」

 またも闇の中から老人の声がするが、月の薄灯すら無いここでは、いつもの陰気な表情も伺えなかった。

「お主、ええ仕事をしたのう。あれなら”あのお方”もご満足じゃろうて。うまくいけばお主、天上人に成れるやもしれんぞ」

「そんなもんに興味はないね....おっさん、そろそろ教えてくれてもいいんじゃねえのか?いったい”あのお方”ってのは何者なんだ?ここで何をしようってんだ?」

 老人はしばしの思案の後、ゆっくりと話し出した。

「お主、淫魔を知っておろうかの?」

「触手を一杯持った虫みたいなやつか?」

「ふぉっふぉっ。本来はあのような姿はしておらん。女を落とすのに必要とあらば別じゃがな...
 ”あのお方”はあれらの総大将じゃ。創造主とも言えるかの」

「何物だ?」

「神の使い...元はな」

「堕天使ってやつか?」

「お主らの言葉でいえばそんな所じゃ」

 老人は記憶の隅を辿る様に目をつぶりながら話を続ける。

「あれは、ついこの間のことじゃ、と言っても人の寿命よりも昔じゃが...。神々が人の信仰に興味を失い、ほとんど下界を顧みなくなっておられるのをいいことに、当時、性を司っておられた”あのお方”が、他の煩悩を司る天使達を集めて地上界を支配しようと考えなされた。人間を操るには煩悩が一番じゃからの...」

「それが失敗した?」

「ん。まあそうじゃ。..その時傷つき、力を奪われ、ようやく動ける様になられたのが5年前じゃ」

「俺の前に現れた頃だな」

 影一の頭に当時の様子がちらつく。

「儂はずっと”あのお方”の傍に着いておったのじゃが、その必要が無くなったので儂を下界に遣わされた..という訳じゃ。しかし、儂や”あのお方”が下界で力を使う訳にはいかぬ。見張られておるのでな。それに”あのお方”はまだ弱い..日の光を浴びられぬ程に...」

「それで今日..月食の夜って訳か」

「そうじゃ」

「で、今あの中でやってるのは?」

「天上に帰れぬ以上”あのお方”が力を取戻すには人間の精気を取込み練るしか無いのじゃ。しかし、人の精気なぞたかがしれとるわい。じゃから数多くの人間が必要じゃった..それも極上の女達がな」

「ふん、なるほど..そこで俺の出番って訳か..しかしその後、俺の女達はどうなる?精気を抜かれたら、人はどうなるんだ?」

「お主の女?あれは”あのお方”の物じゃ。お主はただの調達係にすぎん。....あの者共がどうなるかは自分の目で確かめる事じゃ。
 まもなく夜が明ける...儂もそろそろ行かねばならん。
 じゃがお主も闇の力を受け継ぐ者..もう気付いておるじゃろう。”あのお方”と同じくお主の中にも力が漲るのを感じておるはずじゃ」

 影一はさっきから感じていた高揚感の理由を知り、と同時に言いしれぬ不安も感じていた。

「またお主の力が必要になる事も有るじゃろう。その時まで自愛するがよい」

 そう言残すと、またも老人は闇の中へ溶け込んでいった。

「お、おい。ちょっと待て。まだ聞きたいことは....」

 その影一の言葉も深い闇へ吸込まれるばかりで、そこには既に気配は無かった。






 辺りの木々がやがて白み始め、館が日の光に包まれるのを確認すると、影一はゆっくりと玄関の扉を押開いた。

 僅かに開かれたホールへの扉からは先程まで溢れていた淫靡な気配は感じられない。

 何かを恐れるように中を覗き込む...。
 だがその目に飛び込んできた異様な光景には息をのみ、ただ立ち竦むばかりの影一であった。



 きらびやかに飾られていた女達は無惨に横たわり、汚され、傷つけられ、白く濁った瞳に光は無い。

 頭上では灯を灯していた女達が縛られたまま血と精液を垂流しながら、静かに揺れている。

 食卓のガラスは割れ、食器は散乱し、床に敷かれた絨毯には赤黒い染みが広がっている。


 この光景から今まで行われていた儀式を推考する事は出来なかったが、自分が犯した罪の重さだけはひしひしと感じられた。

 今、自分が見ている物をまだ信じられないといった表情でふらふらと歩き回り、現実であるのかを確認する様に視線を彷徨わせている。

「宏美...洋子...ケイト..香蘭...綾香..舞....」

 一人一人の顔を覗き込み、目を閉じてやりながら影一は自分のなすべき事を、出来ることを探していた。



「さ........ま........ごしゅ........」

 その中から微かな、本当に微かな呻き声を聞き、賢明にその主を捜す。

「誰だ!?どこにいる?」

 割れたテーブルの下敷になりながら、僅かに生気を残した優子が声を発していた。

「優子!優子か!大丈夫か?俺はここだ!」

 優子は影一を認めると、微かな微笑みを作り、唇を震わせながら振絞るように声を出す。

「ご、ごしゅ..じん.さま...わ..たし...おや..く..に...た.たて..ました..で..しょう..か?....わた.し...せっ..せい..いっぱ..い......」

 影一は彼女を抱き起し、頬を擦り付けながら耳元へと囁いた。

「ああ、ああ、お前は役にたった。お前は精一杯がんばったな。俺の為に......優子..お前は...」

 その言葉を最後まで聞かず、彼女の唇の震えは止った。

 とうに捨てた筈の涙がこぼれるのにも気付かないまま、彼女の頭を抱え、賢明に話しかけるが答は返らない。

 この中で一番若く、元気のあった彼女だからこそ僅かな生気が残ったのだろうか?それとも一番未熟だった為、男の興を得なかったのかもしれない...。

(っ!すると..茜と麻里は!?)

「茜!麻里っ!」

 周りを見回し、探し回る...と、玉座のあった傍らに寄添うように横たわる二人を見つけ、抱き起す。

「っ!こっ、これが、あの..麻里と..茜か!?」

 あの美しかった顔と体には見る陰も無く、周りの誰よりも無惨なその姿に影一は我を忘れ、その骸を見つめるばかりだった。

 明るく、いつも主人を気遣っていた麻里...
 冷静に主人の道を共に歩いた茜...

 あの頃の面影は欠片も無く..壊され、打ち捨てられた人形の様に宙を見つめたまま動かない。

「うわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 二人を抱きしめたまま、ただ意味もなく声を上げ、自分を含む全ての物を壊したかった。





 あれからどれ位の時間が、いや時が流れていたのかさえ判らないまま、影一は広間の中に横たわっていた。

(このまま腐っていこう。こいつらと一緒に。他に俺がしてやれる事は...思いつかない)

 眠っているのか、覚めているのか...全ての感覚を捨て、考える事をやめた影一はそっと夢の中から呼びかける声を聞くともなしに聞いていた。

(....ちゃん.....おにいちゃん...)

(ああ、恵か..すまない。すっかり忘れていたよ...俺はもうお前の所には帰れないんだ。こいつらとずっと一緒にいる事に決めたから...)

 頬に優しく触れる恵の手の感触を思いだしながら影一は意識を深く沈めていく。

(ああ...お前の手は今でも暖かいな...だが俺はもう安らぐ訳にはいかない...)


「おにいちゃん..おにいちゃんっ!」

 だが、あまりに現実的なその声の響きに影一は思わず目を開いた。

 ぼんやりとした風景の中で次第に恵の姿が像を結んでくる。

「っ!恵っ!恵なのか!?本当に?.....どうしてここに?」

 涙を流し、苦悩に顔を歪めながらも、いつもの優しい光を宿した恵の微笑みがそこにはあった。

 
 


 

 

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