黒と白


 

 

08. 出会


「つぎはー、よこはまー、よこはまです。お降りの方はお忘れ物の無い様お気をつけ下さい」

 細身のジーンズにTシャツ。その上にはまっ黒のジャケットを羽織り、ぼさぼさだった髪は後ろで括られている。
 その為か、普段は隠されている整った顔立ちがよく強調され、時折振返りこちらを指さす女共の視線を疎ましく感じながら、影一は思い思いに着飾った人混みの中をゆっくりと流れに沿って出口へ向う。

 そんな改札前、人混みの頭の上に ぴょんぴょん と飛上がりながら相原恵が顔を見せていた。

「おにいちゃーん!ここ、ここ」

(あいつには羞恥心という物が無いんだろうか?その辺はいじってないはずなんだが。)






 影一が初めて彼女と出会ったのはちょうど6ヶ月前。

 そのころの影一にとって人の心などは、気に入れば墜とす。そうでなければ壊す。ただそれだけの対象であり、茜や麻里でさえ優れた道具の一つとして扱われた。



 獲物を求めて横浜まで足をのばし、狩りを楽しんでいた時、薄暗い公園の茂みの中で啜り泣く声が漏れ出てくるのを聞きとめた。

 よくは見えなかったが、どこかの高校の制服だろう。それを無惨に破かれ、真っ白な肌を小刻みに振わせながら横たわる少女の上に数人の若い男が群がっている。
 それは影一にとってさして関心の有る状況でも無かったが、自分以外に女を陵辱出来る人間がいるという事が許せなかった。

「おい!」

 影一の声に男達全員が振返る。

 彼らが真っ暗な闇の中で蠢く二つの光を見て取ると、周囲の時が止ったように静まりかえった。

 少し経つと、彼らは思い出した様にお互いを睨付け、殴り合いを始めだす。
 肋骨の砕ける音が響き、歯と血飛沫が舞い、手足や指が有らぬ方向に曲っている。

 しばらくその壊し合いが続き、動ける部分がほぼ無くなってきた頃、彼らの頭の中にプツンという音が響くと目の光が抜け、心身共に崩壊した。

 それらを冷めた目で観ていた影一は ふんっ と鼻を鳴らしその場を後にしようとしたのだが...放心しきっていると思っていた少女にふいに声を掛けられ、つい振返ってしまった。

「あ、あの、ありがとうございます。助けて、もらったん、ですよね?」

 暗がりでよく見えないが”肌が白い”という事だけは判る少女の素肌をまじまじと見つめながら少し思案し、やはり無視して立去ろうとした。

「あ、あのっ!すみません。わたし、あの、ここから帰るのに、服もないし、怖くて、その、なんとか、その...」

 この不気味な男が信用に足る人物であるかどうか、判断しかねてはいたが、今唯一すがる事の出来る人間を離してはいけないと、必死で引留めようとする。

 影一は背中で少女の声を聞いていたが、自分でも理解出来ない衝動が湧出すと自らのコートを脱ぎ、少女に放り投げた。

 それを慌てて拾い、急いでぼろぼろの制服の上から羽織るとまたも立去ろうとする影一の方へと駆けてくる。

「ありがとうございます。助かりました。あの、このお礼は、コートもお返ししないといけないし、どうすればいいですか?どちらから来られたのですか?」

 男を追いかける様に繁みの中を早足で歩きながら、少女は不安げな言葉を吐き続ける。

 街灯の立並ぶ小道に出てしばらく歩いた後、影一は初めて振返り、少女の顔をのぞき込んだ。

(っ......!!)

 その儚げな顔は未だ少女としてのあどけなさを残しているものの、芸術品といえるほど整っており、今まで墜としてきた女達とは全く違う、神々しいまでの雰囲気を醸しだしている。
 少し開いた唇からはハァハァと誘うような息が漏れていたが、涙もまだ乾いていない瞳は影一の腐った精神を洗い清めるかの如く輝き、影一の中から彼女を陵辱するという気持を奪い去っていった。

 もうすでに失ったと思っていた、いや初めから持っていたのか本人にも判らない物が風の様に胸の内を流れ、心地よい居場所を残していく。

 その感覚を噛みしめ、ごく久しぶりの笑顔を多少引きつらせながら浮べると、少女に向って告げた。

「いや、いいんだ。コートは捨ててもらって構わない。後で俺の顔を見るとまた今日の事を思い出すだろう。それより早く忘れる事だ」

 自分の台詞に苦笑を漏らすと影一は、今度は振返らずに光の中へ消えていった。





 数週間後、海外の獲物を連れ帰る為に降り立った横浜港近辺のレストランでウェートレスのアルバイトをしている彼女を見つけた。

 周りの男達の視線を一手に集める彼女の美貌は、否が応でも目立っている。

 その時にはすでにもう彼女の人生に関わるまいと決めていた影一であったが、今 正にガラス製の水差しを持ち驚いた顔の彼女が目の前に立っていた。

 スーツ姿の影一と茜が座る席のコップを取り静かに水を注ぐと、ためらいがちに話出した。

「あの、私..覚えてらっしゃいますか?その、以前コートをお借りした...」

 茜がその少女の顔を見上げると、かなり驚いた様子をみせている。
 自らの主人が人にコートを貸すという行為もそうだが、これほどの造形美を称えた少女に出会いながら、まったくの手つかずで置かれていた事に心底の驚嘆と疑問を持たずにはいられなかった。
 しかし主人の考えの奥深くを覗こうとする事など、一奴隷の分を越えている。

 影一は黙ったまま卓上の書類の束をまとめている茜に ちらっ と視線を向けるとぶっきらぼうに言放った。

「ああ、覚えてるよ。だが別にあんたに会いに来た訳じゃない。あんたにも俺とは関わらない方がいいと言っといた筈だがな」

 こんな笑顔の持主であれば当然の事だが、そのような無愛想な物言いに初めて出会った恵は戸惑いながらもう一度つぶやいた。

「あ、申し訳ありませんでした。お邪魔してしまって。ただ、あのコート..今でも家に置いてありますので、もしご迷惑でなければ今から取りに帰ってお返ししたいと思いまして...」

「前にも言ったが、それは捨ててくれて構わない」

 人を突放すようなその言い方と態度はいつもの主人の物のようではあるが、言葉の端々に焦りの様なニュアンスが含まれているのを茜は感じ取っていた。

(ご主人様が自分を押えていらっしゃる?)

 自分ではとても考えの及ばない状況に茜はただ押し黙る事しか出来なかった。

「はい。判りました。あの、それと先日は本当に、ありがとうございました」

 少し涙目で頭を下げる少女の様子を見るにつけ、なぜか胸を締めつけられるような罪悪感を感じ、思わず下がろうとする彼女を呼止めていた。

「ああ、ちょっと」

「はい?」

 振り返り、おそらく自分を嫌っているだろう男の表情を伺いながら次の言葉を待つ。

「コーヒーをもう一杯もらおう。それと茜、これからの予定はどうなっている?」

(予定?今まで御主人様が予定に基づいた事が、ましてやそれを私に託した事などあっただろうか?)

 茜には今、何が起っているのか全く判らなかったが、それなりにこの状況に合った答を必死に模索すると、有能な秘書を装い手元のシステム手帳を開きながら、読むとも無しに読み上げた。

「この後の社長のご予定は、市内のホテルに戻って頂き本日入荷した製品の検品と明日以降の新人研修予定をお打合せ頂きたいと考えております。ですが明日にも製品の入荷がございますので、それに立会って頂けるのでしたらお打ち合せは今日でも明日でも構いません。それ以降は研修の詳細さえ指示して頂ければ私と風見さんとである程度進めておく事はできますのでご予定の変更は可能です」

 完璧な茜の状況判断に改めて感心しながら影一はもう一度少女に向きなおった。

「という事だ。明日、もう一度来よう。その時にコートは返して貰うことにする」

 ほっとした様な表情を浮べると ぺこっ とお辞儀をし、

「はい。判りました。お忙しいところすみませんでした」

 そういい残して厨房の中へと入っていった。



 翌日、一人でレストランを訪れた影一はコーヒーを注文すると、ゆっくりと煙草をふかしていた。

 するといきなり前の席に大きな紙袋を持った少女が滑り込んで来る。
 オレンジ色のトレーナーにフレアの付いたミニスカート。昨日とはうって変った明るく、少女らしい服装に影一は少なからず驚いた。

「なんだ。今日はバイトじゃなかったのか?

「はい。あ、でも気にしないで下さい。家がすぐ近くなんで休日もよく邪魔しに来るんですよ。でも”今日は人と待ち合せだ”っていったらみんな驚いてましたけど」

「普段人と待ち合せはしないのか?」

 少しばかり的を外した質問に少女は くすくすっ と笑いをもらした。

「しますよー。でも男の人とは初めてなんですよね。バイト先じゃ無かったらデートみたいだったんですけど」

「デートもした事無かったのか?」

 相変らず外しまくりの男に昨日まで持っていた不安感を徐々に消しつつ、またも笑いを隠しきれなかった。

 なにがそんなに可笑しいのか、全く理解出来ないまま、それでも咎める素振りも見せず影一は不思議そうな顔を彼女に向けたままである。

「んー、ノーコメントです。あっそうそうこれお返ししときますね。どうもありがとうございました」

「ん?ああ、本当に捨てても良かったんだがな。まあせっかくだから貰っておこう」

 影一はそれを受取ると無造作に横の席においた...ただそれだけでも彼女はくすくすと笑っている。

「何がそんなに可笑しいんだ?」

 腹が立った訳ではないが、影一は内からの疑問を我慢しきれず彼女に告げる。

「あ、ごめんなさぁい。でもなんか可笑しくって。ほら社長さんってなんかすごく怖そうな感じなんだけど、こうしてるとなんていうのか、ほのぼのしちゃって...あ、私なんだかすごく失礼な事言ってますね...ごめんなさい」

 影一は目を丸くしながら、

(まったくだ。こいつ俺の事何も知らずに..好き放題言ってやがる。うちの犬共には聞かせられんな。)

 そう思いながらも他愛ない話を交す内に、影一はほのぼのな空気に心が浸食されていくのを感じていた。そしてその悪くない居心地にゆっくりと身を任せてみようとも思った。

 彼女を墜とすのを遮る何物もありはしないが、それをしない事が自分が人間でいられる最後の条件であるような気がしてならないのだ...が、このまま自分がこの少女を黙って見守っていられる保証もない。

 影一の苦悩の表情に心配そうな顔を向けると、恵は愛くるしい瞳で覗き込んできた。

「どうされました?お仕事の事考えてらっしゃるんですか?私お邪魔してます?」

「いや..すまない。そんなことは無いんだが、もう行く時間だ。もう会う事は無いだろうが..元気でな」

 これ以上その瞳を直視できないとばかりに目を反らしながら、逃げる様に席を立とうとする影一の袖を慌てて引張りながら、振絞ったような声で恵が告げる。

「あ、あの、今日はお忙しいんですか?もしご迷惑でなければお仕事が終ってからまた会って頂けないでしょうか?この辺りにいらっしゃるんでしたら私ここで待ってたら駄目ですか?」

 下から見上げる無邪気で儚い瞳を見続ける内に影一は、この少女を忘れ去る事は出来ないだろうと感じていた。そして人として、この世に永らえる為の糧として、この娘との居場所を守って行きたいと考えていた。

 
 


 

 

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