BLACK DESIRE


 

 



4.


 翌日、今日も今日とて昼休みを潰してソフトボール第2戦の準備をしていると、スマホがメールの着信を知らせてきた。誰だ、学校中にメールなんかしてくる奴は、と自分の事を棚に上げて確認すると。




   『来い 屋上』




「ごめんっ! 急用っ!」

 僕は後の事を他の役員の娘達に任せて急発進でその場から駆け出した。送信者なんて見なくても件名だけで誰かわかる。そのまま校舎内に飛び込もうとしたところで再度着信。




   『わかってるな?』




 はいっ! わかりますっ!
 ドリフト気味に急ターンして進路を急速変更。僕は財布を売店のカウンターに叩き付ける準備をしながら食堂に飛び込んでいった。





 そして、屋上到着。僕は両手に食堂の売店で買い込んできた物を一杯に詰めた袋を抱え、ぜぃぜぃと息を上げながら最後の力を振り絞って塔屋の梯子を上った。

「た、達巳っ! ただいま、到着……しましたっ!」
「遅い、バカ者。いつまで待たせる気だ」

 そこには、相変わらずの黒マントの少女が傲然とふんぞり返って仁王立ちで待ち構えていた。僕はすかさず平伏して持ってきた袋を献上する。

「も、申し訳ありませんっ! こちら、ご所望の品で御座います、エア様っ!」
「うむ、くるしゅうない」

 大量のパンや紙パック飲料で膨らんだ袋がひょいっと持ち上がる。その少女が手に取って持ち上げたのでは無い。身長より長い杖を少女がこん、と地面に突いた瞬間、不可思議なパワーでそれがふわりと浮いたのだ。そのまま、宙を滑るように移動して少女の手元に引き寄せられる。宙に浮いたままの袋を両手でごそごそとやって、中身を漁る少女。その手がピタリと止まった。

「顔を上げて良いぞ、イクタ」
「あ、ありがとう御座います」
「わざとらしい芝居も辞めろ。気持ち悪い」
「……酷くね?」

 顔を上げると、そこにはニンマリと擬音が付きそうな顔つきでエビチリドッグを立ったまま頬張っている現代最後の魔女、エアリアの姿が在ったのだった。



 もしゃもしゃと吸水塔の影に座り込んで僕の買ってきたパンを食べ続けるエアリア。異様に食べるのが早いのだが、今回観察してみてわかった。この魔女の食べ方、変わってる。あーんと大口を開けてパンを口の中一杯に詰め込み、ハムスターみたいに頬を膨らませて一気に噛み砕いて飲み込んでいるのだ。そりゃ、一瞬でパンが消える訳だよ。
 しかし口の大きさは少女サイズなのだから口元がすぐに汚れる。今も唇から鼻の横にかけてスジのように真っ赤なチリソースが斜めにくっ付いていた。

「汚い食べ方だなぁ」
「ん」

 もぐもぐとしながらくいっと顎を上げて頬をこっちに突き出す。何だよ、それ? 僕は溜息を吐きつつハンカチを出してエアリアの頬を拭いてあげた。要介護の少女魔女なんて古今東西のお話の中でも極レアなんじゃないか? べとっとハンカチに付いた赤い毒々しい色のソースを見て、これは洗濯しても涙を拭ったり出来ないな、と確信した。

 僕の買ってきた激辛パンセットを粗方食べ尽くし、一息付いたのか紙パック紅茶にストローを刺して飲み出すエアリア。ふぅ、と吐いた息が赤く色付いている気がする。口の動きがようやく止まったので、僕はやっとこさ声をかける事が出来た。

「で、何の用?」
「……イクタは年長者への敬意が足りないな」

 口を尖らせて文句を言う。年長者? だから介護が必要ってか。

「僕だってヒマじゃないし。大体お詫びとして持ってきた物、全部食べちゃったじゃん」
「許した覚えは無いが?」
「じゃ、パン返して」
「無理だ。断る」
「じゃ、許してくれるんだ」
「何故そう思う」
「じゃなきゃ、もっと辛辣でしょ。エアリアは」
「勝手な思い込みだ。私の何をわかった気でいるのか」

 下着の色とか? 白でしょ。……と言った瞬間にまた例の3重殺の呪いが襲いかかってきそうなのでここは黙っておく。僕だってエアリアと冗談を言い合う境界は学んでいるのだ。

 何故ここまで僕は気さくにエアリアに話しかけているのか。それはまあ、この体育祭期間前にちまちまこの屋上に来て色々とこの魔女の尊大な所やモノグサな所、大食いな所を知ったからでもあるんだけど。ま、ニュアンスかな。最初、「バカ者」と呼ばれた時、あ、これはそれほど怒ってないなって直感したんだ。「馬鹿者」じゃなくて、「バカ者」、ね。思っていたほど雰囲気が尖ってなかったんだよ、今日のエアリア。

「まあ……宮子のヤツからもあまり怒るなと言われたからな」
「へぇ? 何、仲直りしたの? いつ?」
「イクタと食堂の約束をした翌日だ」
「!?」

 へ!? それって僕が宮子の能力の事を知るより前って事じゃん!

 エアリアの話によると、何と、その約束の翌日の昼休みに彼女が僕を待ち受けるために食堂に赴くと、そこには既に宮子が席に着いて待っていたのだと言う。そしてそこで、宮子はエアリアに自分の能力の詳細と、僕に対する想いを告白し、しばらく信頼して貰うための手順を踏むまで僕を拘束する事を予め知らせてきたんだとか。

「君はそれを信じたの!?」
「疑う必要も無い。ラミアに調べさせて、宮子がイクタに想いを寄せている事は最初からわかっていた」

 だからこそ、達巳裁判で宮子に対して「いやがらせ」をしてやったのだとか。

「あの、盗撮写真か!」
「正確ではないな。盗撮犯を特定する写真だ」

 ひらり、と手品のようにあの時の荒いコピーの原盤となった写真を手の平の上に出現させてみせる。

「宮子がイクタの為にあの裁判を起こした事は知っていたからな。男の為に学園を動かすなんて不届きに、ちょっと懲らしめてやろうとな」
「……それも、君が後で僕を夢世界に連れて行ってしまうから、そうしたらしいけど」
「つくづくアイツと私は相性が合わないって事だな」

 涼しい顔で言ってのけやがった。だけど、宮子の言葉を全面的に信用してるってのはどうやら本当の様だ。

「未来記憶の事も知っていたの?」
「いや、あの能力は夢世界に存在しない力だったからな。そこまでは言われるまで気が付かなかった」
「でも信じたんだ」
「言われてみれば、という色々納得できる事柄が多かったからな」

 ちゅーっと紅茶を口に含み、飲み込んで息を吐く。

「まさか、宮子が『エスペランサ』だったとはな。ラミアに探らせてもわからなかった訳だ」
「えすぺ……何?」
「『エスペランサ』。『世界』に選ばれてアカシック・レコードを直視する能力を持つ者を魔術師はそう呼ぶのだ」

 エアリアは魔女モードで語った。「世界」は自分の望む「物語」を実現するため歴史を紡ぐが、それを行うことが出来るのは「内」からの視点からのみ。カマクラを作る時に中から雪を積み上げていく事しか出来ないのだという。
 だから、それを「外」から叩いて固めて補強するために「ガジェット」となった「英雄」が必要で、さらにその英雄譚を目撃し、「世界」に報告する「観察者」が必要なのだという。

「その、選ばれし観察者の中に、極希に『世界』との連絡中に逆にアカシック・レコードを読んで意味の有る文脈で理解する才能を持った者が現れる事がある。そのような者を、我々は『福音を識る者(エスペランサ)』と名付けた」
「へぇ……みんな、宮子みたいな予知能力を持っているの?」
「発現の仕方はまちまちだ。千里眼のような距離や遮蔽を無視した遠隔視、高次の存在の呟きを聞き取る神託受領者、肌に文字や記号が浮き出るなんて者もいた。もちろん、予知能力者もな……だが、宮子の様な強力無比な力は、余程の偶然が重ならなければ本来有り得ないものなのだ」

 お腹も膨れ、久々の講釈に調子が出てきたのだろう。エアリアは飲み終わった紅茶パックをぽいと僕に放ると唇をぺろりと舐め、人差し指をピンと立てて得意げに胸を反らした。

「携帯電話のバッテリーを想像すれば良い。エスペランサは予め『世界』に連絡するための回線とバッテリーを持って生まれてくるが、そのバッテリーが尽きれば回線は途絶え、能力は使えなくなる。それが貯まる周期は能力の強さによるが、一生に一度の事も有るし、週に一度程度の事も有る」
「えらい俗っぽくなったね」
「イクタの理解力に合わせているのだぞ。感謝しろ」

 へいへい、僕なんかの頭じゃ「こうどなまじゅつりろん」なんてまったく理解不能ですよーだ。僕の方もエアリアのおこぼれのパンで昼食にしようか、と袋を漁る。

「不満そうだな、イクタ。何なら秘数術の七次方陣形構成式を一から説明してやっても良いが……まあ、良い。重要なのは、本来のエスペランサは『世界』の側の用意した、特定の歴史進行の頻度、強度、深度での情報のやり取りに限定された回線しか持っていないという事だ」
「ふーん……だけど、宮子は違うの?」
「違う」

 断言し、くるっとこっちに首を向けてエアリアは僕の顔をじっと見つめた。突然の視線に食べていたネコパンの耳が喉に詰まりかける。ドンドンと胸を叩きつつ、何とか飲み込んだ。

「な……何?」
「お前のせいだ」
「は!?」
「正確には、お前の使うブラック・デザイアのせいで、宮子はエスペランサの中でも極めて強力な力を持つに至ったのだ」

 未来扇の話を覚えているか、とエアリアは逆に質問する。

「未来扇は未来の可能性を辿る概念で、樹系図の様に横に断絶の有る物では無く、シームレスな面の形で捉える考え方だ。ここで大事なのは、『世界』の様に時間の概念のない存在から見ると、ある人間の未来扇は1枚の繋がった板状に見えるって事だ。つまり……その未来扇のどこかでもしもその人間が世界と繋がる可能性が有ると、その効果は未来扇全体に波及する」
「えっと……例えば、ガジェットになったり……とか?」
「その通り」

 エアリアは僕の解答に満足して頷いた。

「宮子は自身でも自分の未来にガジェットとなる可能性を見ていたのだろう? ガジェットとなり、『世界』と繋がる可能性を持つエスペランサ……先ほどの例で言えば、発電所そのものと直結した電話の様なものだ。ありとあらゆる制限が緩和され、回線はほぼ繋ぎっぱなしとなる。だからこそ、宮子は自分の行動次第で変化する未来を全部知るなんて掟破りの予知能力を持ってしまったのさ」

 僕は絶句した。未来の僕の行動が……宮子に強力な「未来記憶」の能力を与え、その人生を狂わせた……って、事なのか。

「僕が宮子を将来ガジェットにするから……」
「イクタが宮子をガジェットにする可能性が有るから、だ。まだ決定では無い。だが、可能性が有るというだけでも未来扇は接続しているのだ」

 気のせいか、エアリアの口調が柔らかく、僕をあやすようなものに変化していた。何だ? エアリアが、僕を慰めてる? まさか……ね。

「例え、イクタが他のガジェット候補……例えば、あの哉潟七魅という娘を将来、世界への生け贄として選んだとしても宮子の持つ能力は変わらないだろう。宮子自身の能力と同じだ。選ばれなかった未来の選択結果も、アカシック・レコード内には記憶されているのだ。だからこそ、魔法は起こりえなかった可能性を汲み上げる事が出来るのだからな」
「だ、だけど……宮子は僕が望みを叶えたら自分の能力は失われるって……。おかしいじゃないか、矛盾してる! 未来扇が一続きなら、宮子の人生の終わりまで、その能力は続くはずでしょ?」
「私はこうも言ったはずだぞ、イクタ……」

 静かに、氷の様に冷ややかな光を湛えた瞳でエアリアは僕を見つめた。その眼差しに、僕の背筋にぞくっと寒気が走る。

「……ガジェットとなった者は、『世界』の物語の為に都合良く消費され、消える運命にあると」
「!」
「……宮子がそこまで『識って』いるかはわからん。だが、ガジェットとなって物語を紡いだ後、消滅して再構成された世界には宮子が存在しないとしたら……それは能力が消えたと同じ意味になる。もう、宮子に未来は見えないのだから」

 じっと、僕の覚悟を試そうというかの様に氷の眼差しが僕の眼窩を覗き込んでいる。寒気がしているのに、背中に汗が浮くのを感じた。
 非難されているのでは無い。そんな刺々しい視線じゃない。これは……僕の事を、「哀れんで」いる? 何故?

 沈黙と視線の圧迫に耐えきれず、その疑問を口にしようとした瞬間、ふっとエアリアの視線が外れ、口元が緩んだ。「まあ、まだ先の話だ」とがらっと口調を軽くする。思わず、ふぅーっと大きな息を吐いてしまった。

「どちらにしろ、やらなければならない事はまだまだ有る。今から終局の心配をしていては行動に支障が出るからな。忘れておけ」

 そう言って、エアリアは僕の買ってきた袋から苺ミルクの紙パックを出すと、それを僕に放って寄越した。

「イクタのだろう」
「覚えてたの?」
「それしか飲んでいるところを見た事が無い」
「確かに」

 僕はふむんと頷くと、ストローを外して所定の場所に突き刺し、口に含んだ。うむうむ、やっぱりこの甘さが僕の健全な脳には必要だなぁ。

「それはそうと……イクタ?」
「んん……んぁに?」
「どうやら、宮子に男にしてもらったようだな」
「ぶふぉおおおっ!?」

 口から吹き出した苺ミルクが、ピンクの飛沫となって屋上に色合いの偏った虹を形作った。

「げほっ! ごほっ!……みっ、宮子は君にそんなことまで喋ったの!?」
「いや? お前達の浮ついた雰囲気からあたりをつけただけだが……どうやら図星だったようだな」

 浮ついた……? そ、そんなに僕って顔に出やすいのか? それに、お前「達」って……宮子が最近浮かれた様子をしてたっていうのか? 僕から見ても全然いつも通りで、そんな変化全くわからなかったぞ?

「気を付けろよ、イクタ。女の目線で見れば結構あからさまにわかったりするものなのだ」
「な、何がさ?」
「イクタほど明け透けでは無いとはいえ、全く気が付いてもいないなら宮子も苦労する……」
「だから、何が!?」

 「ふーむ」と顎の下に拳を当て、エアリアは僕の事を上目遣いで見つめた。

「イクタ、宮子が髪留めの位置を変えた事に気が付いていたか?」
「え」
「やはり、気付いていなかったか」

 エアリアは困ったヤツだと溜息を吐いた。

「い、いつ?」
「お前とコトが有った日からだ。お前、何も気にせずアイツの首筋にキスマークを付けただろう?」
「え、あ……そうだったっけ……」

 何もかもが無我夢中で良く覚えてないけど……もしかしたら、してたかも。

「宮子は髪留めの位置を変えて首筋の痕を隠そうとしてたんだぞ。もう少し、体面というものを考えてやれ」
「……で、でも! キスマークを隠すだけだったらずっと髪型を変えてる理由にはならないんじゃ……」
「お前はバカか。その日一日だけ首筋を隠してたら、本当にキスマーク隠しに変えていたのがバレバレだろうが」
「……」

 お、女の子ってそんな事まで観察して推論しちゃうの? ホントに?

「目聡くて耳年増なヤツなら薄々イクタと宮子の関係に気が付いているだろうな」
「マジですか……」

 ま、まさか紫鶴にも知られてたりとか……、無いよね? 無いよね!? 狼狽えまくる僕を、エアリアはニヤラニヤラと嫌らしく顎に手を当てて眺めている。

「いや……宮子の事だから、案外それも予想の内かもしれん」
「ど、どういう事よ」
「ライバル達に、それとなく自分がイクタにマーキングされた事を知らしめてやったのかもしれんぞ」
「隠してたのに!?」
「ワザとらし過ぎる」

 エアリアの言葉が真実だとしたら、女の子の思考回路って僕の思考と10万光年くらいぶっ飛んでいるんですけどっ!? と、目を白黒させていたら。

「イクタがお子ちゃまなだけだ」

 見事に切って落とされた。



 僕が売店で買い込んで来た野口英世3人分のパンと飲み物は、2人でごちゃごちゃ喋りながら摘んでいる内にいつの間にか無くなっていた。まあ、8割方エアリアが消費したんだけどさ。この小さな身体のドコにそれだけの量が納まっているのだろう? それに、魔女って食べるだけで出す必要は無いのか? 謎だ。
 うーんと胡座をかいて背伸びをするエアリア。ついでにでっかい欠伸もした。もう「おねむ」なのか。食べたら寝て、どっちがお子ちゃまだか。

 屋上の陽射しもだいぶ柔らかになった。秋の雲の流れている空の下、気持ちの良い風がふんわりふわりと漂っている。さわさわと風に乗って頬を擽るものに視線を向けてみれば、きらきらと太陽の光を反射しているエアリアの髪だった。風が弱まり、ビデオテープを巻き戻したようにふわぁ……と黒マントの背中側に綺麗に収まる。
 最近の激務に比較し、久々にのどかな雰囲気。ふと、思い付いた事をそのまま口にしてしまった。

「エアリアはさ、ブラックデザイアが手に入ったらどうするの?」
「ん? 何だ、藪から棒に」
「前、言ってたでしょ。悪魔に奪われたままの自分の未来扇を取り戻したいって」
「……憶えていたのか」

 しぱしぱと目を瞬かせてこっちを見つめるエアリア。そんなに意外そうな顔しないでよ。僕って記憶力無いって思われてるのかな。

「君の未来の可能性が戻ってきたとして、どうするの? って言うか、どうなるの? 今の君だって一応宮子の再従姉妹って事になってるんでしょ」
「肉体的にはな。だが、魔女フリージアでもある」
「夢魔のお陰で記憶を取り戻せたんだっけ?」
「そうだ。ラミアが私の元を去れば再び2人に分裂し、ただの学生のエアリアと、魔法王国の残骸として夢世界に閉じこめられた魔女の夢の欠片に切り離される事になるな」

 エアリアが魔女エアリアじゃなくなって、ただの人間に? 言葉を失っていると、「ちっ」と当の本人は舌打ちした。余計な事を喋ってしまったと自分の迂闊さに苛立った表情。

「私の事はイクタには関係ないだろう。さっさとブラック・デザイアを完成させて発動させれば良し。それが無理なら所有権を放棄して私に返せ」
「ん……それは駄目だけど……」

 ふと、思ってしまった。何とかしてエアリアをその夢世界から解放してあげる方法は無いのかな? でもそんな事口にしたら、それこそ「二度とその口利けなくしてやろう」と激怒される気がするから、黙っておく。
 僕はエアリアに自分の心中を悟られないよう、慎重に話題を逸らす事にした。

「そう言えば、大封印とか言ってたっけ? そのせいでそうなっちゃったんだっけ」
「ああ。別名『魔王計画』とも言う。魔法やそれに類する存在を一気に消去する決戦魔法だ」
「何て中二病なネーミングなんだ……」

 ん? 待てよ?

「おかしくない?」
「何がだ」
「だって、大封印のせいでエアリアの悪魔は居なくなったんでしょ? でも、幎(とばり)は居るし、今のエアリアにもラミアがいるじゃないか。それに、魔法もまだ使えてるし」

 そう言えば、悪魔猫のメッシュも居たなぁ。今もこの学園の何処かで暢気に昼寝してるのだろうか。

「確かに君の居た時代から見れば魔法は消えちゃった様なもんかもしれないけど、それでもちゃんと残ってるみたいだけど?」
「それは、大封印の最終段階の発動を失敗したからだ」
「失敗したの?」
「大封印は計7つの手順を踏んで実行される予定だった。だが、その大詰めで根本的な問題が発生したのだ」
「計算ミスとか?」
「王国の最高峰の魔術師達だぞ。そんな初歩的なミスをするか」

 さっきの雰囲気は何処へやら、エアリアは小馬鹿にするように鼻で僕を笑った。良いぞ良いぞ、その調子。

「そもそも、大封印は魔法王が『魔法』そのものを原罪と認めたところから計画が始まったのだ」
「魔法王……って、誰さ。偉そうな呼び名だけど」
「魔法王ギルガメッシュ。『原初の悪魔』と取り引きし、世界に魔法を持ち込んだ張本人だ。魔法の第一人者で、その力で寿命を始めとする在りとあらゆる人間としての限界を突破した超人でもあった。魔法王国の建国者にして最初から最後まで唯一の王、千年以上の歴史を一人で築いた男だ」
「凄い人だったんだね」
「人柄は褒められたものでは無かったがな」

 ちょっと懐かしそうに口元を緩めるエアリア。面識があって、それなりに親しかったのかな。経歴だけでは分からない人柄まで知っていたって事は、そうだったんだろう。

「原罪……人間の最初の罪? 失楽園の?」
「『聖書』か。私の言う原罪は魔法王国開闢の物語の出発点となった、冒険者ギルガメッシュが『原初の悪魔』と結んだ契約の事だ」
「そもそも、その開闢物語を知らないんだけど」

 エアリアは「当然だ」と頷き、しかし「だが、どこかで聞いてはいる筈だ」と謎かけの様に言葉を続けた。

「魔法王の物語は、それを原点としてこの世界にも類似した逸話として伝わっているし、アカシック・レコードに記録されたそれが再現され、それがまた伝説となって伝わった物も在る。イクタも多少は耳にしたことが有る筈だ」

 魔法王の物語――親しい者を亡くし、絶望の果てにその者を蘇らせようと禁忌を犯した男が、代償として災いを現世に持ち込む話……あれ? 確かにどっかで聞いた事があるぞ?

「魔法王国滅亡の引き金となった魔獣ども……『浮き出る者達』を引き寄せたのも、結局は魔法だった。つまり、今の世界の排ガスや放射性廃棄物の様な、魔法の残留物こそがそいつら影の眷属の構成物だったんだ」

 パンドラの箱を開け、そこに在ったのはただただ、絶望のみ。希望は幻想ですらなく、更なる絶望の呼び水でしかなかった。

「だから、魔法そのものを根本から消さなければ王国は、そしてそこに生きる人間は浮き出る者達に駆逐され、滅びる事になる。その前に禁断の果実たる『魔法』を消滅させ、全ての歴史を無に帰そうとしたんだ」
「それが、大封印」
「ああそうだ。現在この地球で魔法や魔法使いが『物語』の中に閉じこめられているのは、大封印のお陰だ。私もまた、フリージアの精神は夢物語の中に閉じこめられ、辛うじて夢魔の力を得てこうしてエアリアの肉体に留まっている」

 少女は片手を持ち上げ、空に透かした。血流が赤く透過しても、空や雲が透けて見えることは無い、実体を持った手。エアリアは今もこうして僕の前に存在し、実在しているんだ。ふとその手をしっかりと握ってやりたい衝動に駆られ、そんな自分の感情に僕は驚愕した。どうしたんだ、僕? 何で、そんな風に感じちゃったんだろう? 慌てて目線を外して話の先を促す。

「でも、さ。失敗したんだよね。だから、魔法も、悪魔も生き残った」
「……そうだな」
「計算ミスでもない。って事は、予想外の要素があった?」
「なかなか理論的な推論だな」
「……何があったの?」
「ふむ」

 エアリアは手を下ろし、その手を顎の辺りに置いた。何だか、説明を躊躇っている様な……いや、言い方を考えている? エアリアにも上手く説明出来ない事なんてあるのか?
 しかし、その躊躇も納得だ。次のエアリアの言葉は、僕は魔女が間違って似た発音の魔法王国の言葉を使ってしまったのかと疑うくらい、意外性に満ち満ちていたのだ。

「――妊娠していたんだ」
「……は?」

 何だって? 聞き間違い?

「原初の悪魔は、妊娠していた。魔法王の子を、な」

 ?

 ?

 ?

 僕の顔は、多分(?_?)←こんな感じになっていたのだろう。噛んで含めるようにゆっくりとエアリアは説明する。

「千年にも渡る期間、原初の悪魔は王と共に暮らした。人間の社会形態を学び、文化を学び、人間の喜ぶ事、悲しむ事、怒る事、楽しむ事……それらの感情を学んだ。そしてその中に自分も溶け込もうと、自分の思考や、身体そのものを、錬成の魔法を駆使して改変していったのだ。魔法王自身も、悪魔の考えに賛同して力を貸した。その研究の副産物として、人間に近い身体機能と悪魔の持つ魔法力を併せ持つ『ホムンクルス』なんていう人造人間を創造したくらいだ」
「人造……人間? 人間を造った?」
「あくまで、それらしいモノであって『魂』は持たなかったがな」

 魔女としての無意識の共感か、それともエアリアの女性としての本能か……少女の手が自分の下腹の辺りをそっと撫でていた。

「原初の悪魔は、人間に憧れていたのかもしれん。唯一想像力で可能性の壁を突破する力を持ち、世界に認められた揺るぎ無い生命。悪魔からしてみれば、どれほどの能力と引き替えにしたって欲しい、成りたい、全てが羨ましい。そして、人間に近付く為に、魔法王の欲求にその身体で応える為に、原初の悪魔も腹の中に子を為す器官を作成していた。人間の女を真似してな」
「……」
「だから、理屈で言えば『そういう事態』も有り得た。だけど、本当にそんな奇跡が起こるとは魔法王も、当の悪魔自身も一欠片も考えなかっただろう。いや、信じなかっただろう。万に一つも起こりえない出来事だ。誰が世界から弾かれた可能性である悪魔に、新しい別の生命の可能性が宿るなどと思うものか」

 大封印が発動する以前の世界では、新しい命の「肉」は母胎の中で発生し、そしてそこに宿る「魂」は高次世界から「降りて」くる物だったのだという。子宮の中の赤子は臍の緒で母親と繋がっているように、魂の緒によって「世界」と繋がっていた。だから、まさか悪魔のような可能性の外の存在の内に新しい魂が宿るなど……世界と接続してアカシック・レコードの一部と認められるなど、誰も考えなかったのだ。

「生命を宿した母親は、出産までの間、腹の中の子を通して『世界』と繋がっている」
「ガジェットみたいに、世界の一部だって事?」
「ああ。性交すれば子供が出来るなんて生易しいものでは無い。新しい生命の誕生自体が1つの創造物語なのだ」

 母親の子宮の中で、新しい生命は数億年分の進化の過程を辿って命の形を得るという。それは、魂も同様。アカシック・レコードの膨大な記憶を辿り、集約し、予め未来扇の根元となる発生点を定められて新生するのだ。

「故に、大封印で消滅させようとしても、母胎の中の魂の接続までは消し去り切れなかった。そして、それが命綱となって原初の悪魔は生き残ってしまった。原初の悪魔が生き残ったから、そこを根とした魔法の樹系も消滅しなかった。枝葉となる部分は刈り取られて見た目はただの枯れ木となったが、幹の芯となる部分と根は生きていたという訳だ。こうして、大封印は大部分で成功し、だが、最も核となる部分では失敗してしまったのさ」
「……原初の悪魔……」
「一説には、人間らしい手足を持つ前は炎のような鱗を持つ蛇だったとも言われている」

 まるで最初の人間をそそのかした楽園の蛇みたいじゃないか。これも、神話の原型だって事なのだろうか?

「大封印で生き残った後は? 今、その悪魔はどうなってるの?」
「さあな、大封印で世界の低次元化が起こり、魔法王国の歴史そのものが物語の中へと隔離された。その混乱の中だ。誰も追跡しきれなかっただろう……。もしも知っている者が居るとしたら、そして生き残っていたとしたら、それは元魔法王の男だけだろうな」
「ふぅーん……それじゃ、その悪魔の子供の事も?」
「そもそも、原初の悪魔の腹の中でまともな『命の形』をしていたかも不明だからな。どうなったかはまるでわからん」

 魂が宿ったとしても、無事生まれたとは限らないって事か……。何だろう、魔法王国に全く思い入れが無いからかもしれないけど、その原初の悪魔にちょっと同情してしまう。

「結局その魔法王も、千年も一緒に居て、しかも自分の子供を妊娠した悪魔を消滅させようとしたんだよね」
「全人類の存続とは天秤に掛けられまいよ」
「そうだろうけどさ……」

 魔法王は、本当に知らなかったのだろうか? 原初の悪魔が自分の子を身篭もっている事を。そしてその為に大封印が失敗する事を。本当はその悪魔を……愛していたから、わざと失敗したのではないだろうか。
 ……なんて事を考えるのは、僕らしくなかったか。真実は第三者があれこれ考えたって分かる訳が無い。エアリアだって、あくまで推論を重ねて教えてくれているだけだろうしね。

「……やっぱり、その魔法王もその後行方知れず?」
「もう魔法王ではないがな。魔法も、王国も無いのだから……だが、もしも生き残っていたとしたら、そうだな――」

 ふと、遠くを見るような目でエアリアは前方に視線をやった。僕もそれに釣られ、そちらに目をやる。
 校舎の屋上、その塔屋の上の給水塔の影の中。そこからは、真っ青な秋空の下に広がる星漣学園の丘の麓の街並みが一望できる。魔女エアリアの見ていた街ではない。それは、僕達魔法を持たない者達の街だ。

「――ああ、そうだな。原罪を清めるために、今も何処かで、不毛な宝具回収でもしているのかもしれないな……」

 だけど、僕は……エアリアもまた、何時か、何処かで親しい誰かと一緒に、こうして学園の屋上から風景を見下ろした事があるのではないかと、そう思えたのだった。何故なら、その時のエアリアは……とても、優しげに微笑んでいたから。





 ……さて、その後の事。
 優秀な体育際運営役員達は僕みたいな中途半端モンの委員長など居なくても、問題無くちゃんとソフトボール第2戦の準備を完了させてくれていた。楽チンな様な、ちょっと寂しい様な。

 ともかく、今日の対戦カードはグラウンドのA面で赤組対白組、B面では青組対黄組だ。結果だけ述べると、今日も我らが赤組は快勝した。10対6で相変わらずの二桁得点だが、逆に相手にも6点取られて防御力不足も浮き彫りになった。2連勝で球技の部優勝にリーチだが、油断は出来ない。明日の最終戦は万全の体勢で臨んでもらわないとね。





5.


 3日目、体育祭球技の部最終日。今日は朝方少し雨がパラついたけど、お昼にはすっかり晴れてグラウンドも使用可能になった。天気予報では明日の予備日は雨らしいから、このままでいって欲しいなぁ。

「おーい! そっち、まだちょっと濡れてるから机こっちに動かそう」
「はーい。じゃ、椅子持ってきてねー」

 いつもの様に昼休みを潰して準備をするが、手慣れたもんで僕が何かを考えて指示する必要も無い。宮子が選んでくれた役員メンバーだけど、実に助かっている。15分もすれば準備もほぼ終わり、売店に買い出しに行っていたメンバーが、お昼を配ってくれた。
 特に行き場所も無く運営委員長席に座ってもさもさと苺ミルク片手にパンを食べていると、早くも昼食を終えてユニフォームに着替えたソフトボール選手達がぱらぱらとウォーミングアップにやってきた。自分たちのベンチに手荷物を置くと、バットやミットを手に元気良くグラウンドに散っていく。
 今日の最終戦、今僕がいるA面グラウンドでは2連勝チーム同士の優勝決定戦だ。1塁側が我らが赤組「赤いアライグマ」チーム、対する3塁側は黄組「流星」チームだ。赤いユニフォームと黄色のユニフォームの選手達の中に何人か見知った顔を見つけ、僕は机に置かれた球技の部実施要領をめくって参加メンバー表のページを開いた。元の組順だから、最初は赤組だ。


 赤組ソフトボールチーム
「Red Raccoons」

打順 氏 名  (ふりがな・学年・所属部等)

1  源川 春 (みながわはる・3年・歴史探訪研究会)
2  玉楠 楓 (たまくすかえで・3年)
3  安田茉希 (やすだまき・1年・ソフトボール部)
4 ※春原 渚 (すのはらなぎさ・3年・初日MVP)
5  森田美雪 (もりたみゆき・1年・フットサル同好会)
6  斉藤可憐 (さいとうかれん・2年・ラクロス部)
7  杉浦 茜 (すぎうらあかね・2年・ラクロス部)
8  亘 慶子 (わたりけいこ・2年・バトミントン同好会)
9  丹羽迩隹 (にわにとり・2年・ジョギング愛好会)
10 麻生美夏 (あそうみか・1年・卓球部)

 ※=キャプテン



 赤組の隣には青組のメンバー、そしてページをめくると、そこに対戦相手の黄色組のメンバー表が掲載されている。



 黄組ソフトボールチーム
「Shooting Stars」

打順 氏 名  (ふりがな・学年・所属部等)

1  桜木杏子 (さくらぎきょうこ・1年・ソフトボール部)
2  本田早耶香(ほんださやか・3年・元ソフトボール部)
3  三神 隼 (みかみじゅん・2年・ソフトボール部)
4 ※早坂英悧 (はやさかえいり・3年・運動部自治連合会長)
5  柚木 円 (ゆずきまどか・3年)
6  滝川那智 (たきがわなち・2年・バスケットボール部)
7  三嶋 愛 (みしまあい・2年・テニス部)
8  野乃宮典子(ののみやのりこ・2年・バスケットボール部)
9  結城火邑 (ゆうきほむら・1年)
10 細井 薺 (ほそいなずな・1年・薙刀部)

 ※=キャプテン



 さて、今更だけど今体育祭におけるソフトボール競技のルールを確認しておこうか。

 まず、メンバー表を見て分かるとおり守備は基本10人で行う。通常の配置+1のフリーな選手が存在し、この1名は何処で守っても良い。最低限この10名のスタメン登録が必要で、更に各学年3名以上スタメン入りさせなければならない。ピンチヒッター、リリーフピッチャー等の補欠選手は学年自由だ。

 ソフトボール部関係者はもう少し制限が厳しく、引退した元部員も含めて3名までしか試合に出場できない。これは補欠であってもそうで、スタメンに3人入れてしまったらもうソフトボール部員はピンチヒッターでも不許可だ。そして、ピッチャーとしてマウンドに立てるのも合計3回(9アウト分)までに制限され、これは参加ソフトボール部関係者での累計となる。3人が1回ずつ交代で投げたらそれでお終い、後は他の選手に引き継がなくてはならない。

 投球については、基本はスローピッチ厳守で一般選手相手に速球を投げ込む事は出来ない。ただし、現役ソフトボール部員または引退した3年生部員は目印としてヘルメットは星漣学園ソフトボール部の正規の物を使用し、そのメンバーに対しては速球の投球が認められている。

 午後の授業を潰して競技を行うため、試合時間も短くなっている。通常7回のところを5回に短縮し、その代わりにタイブレーカーは採用していない。5回裏終了時に同点なら通常のルールで延長戦をやって、7回裏終了時で勝負が付かなかったら引き分けだ。その方が見ている観客にもルールや状況が理解しやすいからだそうだ。

 球技の部全般としてのルールは、赤・青・黄・白の総当たりで試合を行い、勝ち数が多い方から順位が付く。勝ち数が同じの場合は直接対決で勝った方、もしも引き分けだったのなら3試合合計での(得点数)ー(失点数)が多い方が勝ちとなる。得失点差まで同じ場合は仕方が無いので同着だ。

 うん。他にも細々としたルールは有るけど、審判でも無い僕が最低限知っておくべきなのはこれくらいだろう。

 正面玄関の所にある掲示板に対戦成績表が毎日更新されて掲示されているのだが、午前中の休み時間にそこでお喋りしている娘達からこっそりリサーチした感じだと赤組と黄組の対戦予想は5分と5分。ほぼ拮抗していた。
 赤組は人類規格外のハルを筆頭とした凶悪な爆弾打線がウリの攻撃特化チームだ。平均打率は3割を軽く越え、毎回2桁得点を叩き出す攻撃力は若干の防御力不足を補って余りあるこのチームの魅力となっている。それにハルと春原、2人の人気上級生が率いるこのチームに1、2年生からの応援も視線も熱い。勢いに乗せたらどこもこのチームの攻撃力に追いつく事なんて出来ないだろう。
 対する黄組は、キャプテンで現役運動部連合自治会長の早坂英悧(はやさかえいり)が率いるドリームチームだ。ソフトボール部関係者も枠一杯まで登録し、なんと今体育祭で未だ無失点という強固な防御力が自慢の抜群の安定性を誇る。記録を見ても、何しろ優秀な投手が揃っていてまず塁に出る事が難しい。そして例え出られたとしても、ほぼミスの無い堅い守りに全く塁を進める事が出来ず、ランナーは毎回そのままベンチに戻ってきている。乗馬部を引退したとは言え「銀の騎士」早坂の人気も未だ健在で、応援でも赤組に引けを取るものでは無い。

 この最終戦、以上の様にくしくも最強の矛チームと最高の盾チームが激突する事になった訳だ。赤組は黄組の防御を貫けるのか、それとも黄組が攻撃をいなして一撃を決めるのか。見所十分な戦いになるのは間違いない。

「いくよー!」

 今、ダイヤモンドで守備練習をしてるのは黄組の方だ。ソフトボール部の娘が堂に入った様子でそれぞれの守備場所を指定し、そこにボールを打ち込んでいる。バウンドするボールの前に駆け込んでミットで掬い取り、すかさずファーストへ。その動きを見ただけで良く練習しているとわかるくらいキレが良い。1つ1つの動きに迷いやブレが無いんだ。これは強敵だな。

 時間で赤組が交代し、こちらは1年生ソフトボール部員の安田茉希が同じ様にノックを行う。だが、こちらはやはり守備に不安が有り、若干もたつく者もいる。ファーストへの送球も何とか捕球できるといった程度だ。急増の選抜メンバーじゃこれが普通なんだよなぁ。だが、その代償という訳では無いのだろうが、バッティング練習の方は申し分無い。バットをブンブカ振り回したハルが今もボールを1つ地平の彼方へ葬り去った所だ。当たれば間違いなくボールはグラウンドの外まで飛んでいく。この規格外スイングがどこまで黄組ピッチングに通用するのか。

 その赤組優勝の最大の傷害となる黄組の先発ピッチャーは、早坂らしい。というか、ソフトボール部関係者を差し置いて今回の体育祭では毎回先発は早坂が投げているらしい。
 試合中の早坂はいつものツインテールではなく、長い金髪を活動的なポニーテールにまとめている。柔らかくてしなやかな手足を伸び伸びと使って鋭く投球し、ピッチャー返し気味に飛んできたボールを片足を浮かせたまま片手で捕球、そして跳ねるようにステップを踏んでサイドスローで一塁へとノーバウンドで送球する。流れるような一連の動作をきらきらと輝きながら金糸のような髪が後を舞い、何処で止め絵にしても様になりそうなスタイリッシュさだ。

 ほんと、エアリアの言葉通り早坂って1つ1つの動きに華が有るんだよな。長嶋茂雄は空振りでさえ様になってたと言うけど、早坂も正しく役者が一枚上って感じだ。瑞々しくこめかみから汗が落ちる様子まで、何だか清涼飲料のポスターになりそうな爽やかさと格好良さだ。
 もちろん、明るいエネルギーに溢れたその瑞々しい肢体はそれだけで十分に魅力的で僕の目を嫌でも引き付ける。ショートパンツから延びた白い太腿は秋の空の陽射しにすべすべと光って撫で回してみたくなるし、チームロゴを歪ませるくらい盛り上がった胸は顔を埋めて一杯に息を吸い込みたいくらい心地良さそうだ。そしてあの早坂の象徴とも言える髪! 太陽の光を一杯に吸い込んで、さぞかし良い匂いがするのだろう。
 じっと投球練習する少女を見つめているとその視線に気が付いたのか、早坂は照れたように俯いて帽子の位置を直す素振りをした。だけど、その仕草に紛れて僅かに僕の方に向けてミットを付けていない方の手が振られる。僕は暖かい気持ちになって、笑いながら小さく手を振り返した。




「プレイボール!」

 主審の大きな声と共に、ソフトボール最終戦が始まった。
 まずは先攻の黄組の攻撃から。これはソフトボール部の安田茉希が快調にストライクをバシバシ投げ込んで、多少は打たれたが何とか3人で押さえ切る。よしよし、なかなか良い出だしだぞ。

 赤組の攻撃に変わり、攻撃力一点集中チームの面目躍如と応援にもいっそう熱が入る。最初のバッターは当然、ハルだ。
 だが、黄組は一発の怖いハルとの対決を徹底的に避ける作戦に出たようだった。何処に当たっても場外までボールを飛ばすハルとはまともに勝負するだけ無駄って事だな。4球連続でハルがどう手を伸ばしても届かない外にボール球が緩く放られ、フォアボールが告げられた。
 いきなりの敬遠で塁には出たが、やはりハルの表情は不満そうだ。応援席も一部の者が「ずるーい!」とお嬢様学校らしからぬブーイングを飛ばしている。だけど、早坂はそんな赤組の様子にも涼しい顔。それどころかしてやったりとニヤっと笑って見せた。流石に体育会系だけあって勝負事にはシビアに思考するようだ。実に僕好みだねぇ。勝てばいいのだよ、勝てば。

 続く2番、3番打者は危なげなくゴロとフライで討ち取り、瞬く間に赤組はツーアウトに追い込まれた。ここで初日のMVP、レッドラクーンズの4番・キャプテン春原の登場だ。歓声の中、クルンクルンと頭上でバットを2回振り回してからぴたりと静止する。対する早坂も初回ながら勝負どころを感じたのか、入念に足下を確かめた後に真剣な表情で春原を見据える。
 早坂がモーションに入り、一球目。ぐいんと延びたボールは春原の顔の目前を掠めて高めに外れた。応援席から悲鳴のような声がきゃぁっとあがる。だけど、春原はボールが良く見えているのか、ちょっと顔を逸らしただけで特に堪えた様子は無い。トン、とバットで肩を軽く叩いて拍子を取ると、再び先ほどと寸分違わぬバッティング姿勢に戻る。
 2球目、今度は外角低めの球。しかし、春原は今度も手を出さずに見送った。主審の判定はボール。3球目もそれと殆ど同じコースの球。だが、今度は春原は反応して目にも留まらぬスピードでバットを振った。がつっと先端部に引っかけ、ライト側のラインの外にボールは切れる。僕の位置からは同じ位置に投げ込まれた様に見えたけど、もしかしたらボール一個分だけストライクゾーンの内に入っていたのかもしれない。これで2ボール、1ストライク、2アウト。ランナーは1塁。
 4球目、これも低めの内角のストライクゾーンに切れ込む球。これにも春原は反応し、今度はレフト線へぎりぎりファールとなる。だけど、これは本当に惜しかった。30センチ内側だったらレフト前ヒット間違い無しのコースと勢いだったのだ。

 いつしか、観客達も両チームのエース対決に飲まれて声を失い、静まり返っていた。投球とスイングの一瞬の攻防に悲鳴と驚嘆の声を漏らすが、それ以外で2人の集中力を乱さない様に自然と声を控えてしまっているのだ。

 だが、そのバランスも遂に崩れる時が来た。速めの球を放っていた早坂が、全く同じスピードの投球フォームからまるで時間が止まったかのようなふわりとしたスローボールを突然投げたのだ。タイミングを崩され、春原のスイングに中途でふらふらっと急ブレーキがかけられる。だが、止める事ができずに半端な勢いのままこつんとボールに当たってしまった。ころころとまるで狙っていたかの様に早坂の目の前に転がっていく白球。それを拾い上げると、早坂は容赦無くシュッとファーストに送球した。パシン、アウト! ハルを塁に残したまま、赤組は遂に1回の攻撃を終了してしまった。
 これは、実に驚嘆すべき事だった。昨日、そして一昨日の試合、赤組は4番春原までの間にほぼ間違いなく数人がホームベースまで返って得点を取り、スタートダッシュで相手チームを引き離していたのだ。それが2塁にすら進めないなど、誰も予想もできない結果だった。黄組シューティングスターズの守備力は本物で、まずは赤組の攻撃を完璧に封じて見せた。
 観客も初回のこの攻防の意味を理解できていたのだろう。赤組応援団は必死になって挽回の声援を送り、黄組は勝利の予感に沸き立つ。僕も、今の成り行きにこれはちょっと厳しい戦いになったと赤組ベンチの方に視線を送ってしまう。何とかしてくれよ、ハル、春原!



 だが、黄組の赤組対策は完璧だった。ハルに対しては全打席敬遠で、その他の一発の無い選手に対してはピッチングの巧みさと鉄壁の守備陣で塁には出させてもホームまで帰さない。
 赤組もソフトボール部の安田茉希やリリーフの春原が頑張って押さえてたが、それも4回までだった。最終回、投球数が30球を越えたくらいから春原のボールに乱れが出始める。ランナー2、3塁。ここで1回の攻防をそっくり裏返した様にバッターは相手のエース、早坂。そして遂にタイムリーを許してしまう。わあっと相手サイドのベンチからは大歓声、そしてこっちからは大きな悲鳴。これで2人が帰り、2対0となってしまった。

「ハル、何とかしろよ」

 その回のチェンジの最中、僕は遂にたまらなくなって幼なじみに声をかけてしまった。最初はびっくりした様に目を丸くしていたが、にやらーっと相好を崩してハルは僕に話しかける。

「贔屓はしないんじゃなかったの?」
「僕はあくまで中立だ。何とかしろと言っただけで別に勝負に勝てとか言った訳じゃない」
「屁理屈ぅ! でも、イクちゃんが後で褒めてくれるなら、ちょっとだけ早坂さんをびっくりさせちゃおうかな?」
「わかった。さっさと行ってこい」
「約束だよ。うーんと褒めてね」

 最終回裏の赤組攻撃。ワンナウトでバッターボックスに立ったハルは、僕への予告通りに早坂達黄組の度肝を抜いて見せた。どう見ても完璧に手の出しようの無い敬遠球に向かって「ほいっ」と大股でジャンプし、片手でコツンとバットにその球を当てたのだ。跳ね返ったボールは、どういう訳かふらふらと高度を上げて内野手達の頭を飛び越え、ポトンとセンター前の空白地帯に落下する。その時にはもう、それっとばかりに着地と同時にヘルメットだけを残して走り始めていたハルは2塁へ到達していた。
 どうやってバッティング姿勢からあんだけの大々ジャンプをしたのかとか、バットに当てただけの打球がどうしてあそこまで遠くに飛んだのかとかいろいろ突っ込み所が多いが、とにもかくにもツーベースヒットだ。赤組はやんややんやの大歓声。照れながら手を振り返すハルに、相手チームの選手は疑念と呆れの混ざった複雑な表情を向けている。まあ、あのじゃじゃ馬を人間の物差しで判断しちゃ駄目って事だよな。

 これが最後のチャンスと死に物狂いで食らいつく赤組メンバーは執念のヒットと犠牲フライで1点を返した。遂に今大会無失点記録の黄組に初めて失点を出させる事に成功する。
 だが、赤組の足掻きもそこまで。ラストバッターの春原と黄組リリーフピッチャーの対決は、ファールで粘るも追い込まれた春原が高めのボール球を振らされ、高く舞い上がった内野フライで幕を閉じたのだった。

 こうして、今年度の体育祭、球技の部の優勝はジンクス通りに黄組に決定した。

 
 


 

 

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