BLACK DESIRE


 

 



0.


 3年椿組9月最後の体育は、生徒達の希望もあって体育祭での水泳競技に備えての水泳となった。それなりに泳げる人間は少しでもクラスの得点に貢献できるように得意種目を練習し、あまり得意でない者もお遊び系種目で頑張れるように潜ったり跳んだりの水慣れに精を出す。そしてハルを始めとする少数のガチ勢は、最多獲得点種目のクラスリレーで優勝を目指してスタート台の付近で引き継ぎ練習をしていた。

 僕はと言えば「特別役員」の権限を利用して選手から外してもらい、主に研究用と称した防水ビデオカメラ片手に水の中と外で撮影に余念を無くしていた。
 平泳ぎをする娘の足に蹴られないよう慎重に近付いてその腰回りを撮影したり、背泳ぎする娘の水に浮かんだ2つの浮き輪を追いかけたり。プールから上がって四つん這いになっている娘が胸の先などから水をしたたり落としている様子や、飛び込んでずれた水着の肩紐やお尻の食い込みを直すところをタイミング良く狙ったり。撮影係も結構忙しいんだよ、ほんと。

 もちろん、ただ体育の授業を撮影するだけでは勿体ないので、魔力回収のためにみんなには少し悪戯をしてある。
 椿組の生徒達の着る水着は『特別制服』と同じく、『特別な』水着となっている。外見上は白のスクール水着、通称「白スク」と変わりないが、裏地の当て布が存在せず、ちょっと小さめで、さらに濡れると良く透ける素材で出来ている。そのため、今、この星漣屋内プールには濡れ濡れになった25人もの女の子達が、乳輪の色や股間の繁みがスケスケの食い込み気味ピッチリスクールスイムスーツに身を包んで魅力的な姿を晒していた。



 授業終了後、プールサイドのベンチの真ん中に座って録画チェックしてると、僕の膝に人影が被る。少し視線をずらすと、正面に立ったその人物の太腿の内側に、水着からしたたり落ちる水滴がつうーっと流れ落ちる様が見て取れた。ビデオの液晶画面から顔を上げると、そこには白透けスク着用のイインチョが、首に水色のセームタオルをかけて僕に視線を向けている。

「今、話いい?」
「いいよ?」

 ベンチをスライドして一方を空けると、そこにイインチョは座る。僕は遠慮無く彼女の濡れた全身に視線を這わせた。

 決して豊かとは言わないが、手のひらに収まり良さそうな2つの膨らみ。その先端には水の冷たさのせいかぽつんと尖って存在を主張する色づいた突起部。水着が張り付いたお腹は肌色に透け、お臍のへこみの周囲だけ白く元の色を残して呼吸に合わせて緩やかに前後している。そして、薄い繁みが肌と素材の間に張り付いている様がありありと見えている下腹部。座っているためにその下の部分は見えないが、その代わりにそのほんの少しだけ上方に、小さくポツンとほくろが在るのが透けて見えていた。
 イインチョはセームタオルで前髪から垂れる雫を拭い、話しかけてきた。

「達巳君、マクドゥガルさんと仲良いんだよね?」
「へ? なんで?」
「ちょっとお願いがあるんだけど」

 おいおい、何処をどうやったら僕があの高飛車魔女と仲が良いなんて誤報が出てくるんだ。誰だ、そんな飛ばし情報流したの。
 何の冗談かと思ったけど、イインチョの表情は真剣そのものでふざけている様子は無い。誰かに偽情報を掴まされたかな? 僕はイインチョのお尻からベンチ下に滴り落ちる水たまりの広がりを見つつ、首を振った。

「僕は別に、マクドゥガルさんと仲が良くは無いよ」
「そうなの? 彼女、あんまり他の人と一緒にいないけど、達巳君とだけは話してたって聞いたから」
「誰が、そんな誤情報を」
「源川さん」

 ハルが? どうやって僕がエアリアと屋上で会っている事を知ったんだ。屋上への階段を登るときは見られないように注意してたんだけどな。
 イインチョは肩紐の位置を直しつつ、「そうなんだ」とあんまり興味が無さそうに言う。

「まあ、それならそれでもいいわ。改めて同じ特待生として達巳君にお願いするだけだから」
「特待生……?」
「達巳君もそうでしょう?」
「ああ……うん」

 なるほど、この学園でのエアリアの認識はそうなっているのか。いや、夢世界を使ってそういうことにしてるって事かな? 「僕と同じ」ってのが引っかかるけど。
 どういう風に認識させているのかわからないから、ここは話を合わせておいた方が良いのかな。僕はイインチョに曖昧に頷いた。

「その、特待生が何?」
「達巳君はいいんだけど、マクドゥガルさんがね」
「うん」
「もう少し、ホームルームとか、授業とかに出てくれないかなって」

 おお、イインチョもそう思ってたのか。僕もまったくの同意見だよ。

「そうだよねぇ」
「いくら特待生と言っても、もうすぐ体育祭や星漣祭もあるし」
「みんなに打ち解けてくれないとね」
「そうなのよ」

 イインチョは真剣な顔のまま大きく頭を動かして頷いた。勢いで髪から飛沫が落ちる。

「達巳君もそう思ってくれてるなら、今度会ったときマクドゥガルさんに伝えてくれない?」
「クラスに顔を出せって事で良いのかな」
「そう。お願いできる?」

 さすが、みんなのイインチョだ。捻くれロンリーウルフのエアリアの事まで気にしてくれるなんて。僕は心の中で少し感激し、出来るだけ誠意を込めて頷き返した。

「わかった。彼女に通じるかわからないけど、言っておくよ」
「ありがとう、達巳君」

 イインチョはそう言うと手を付いてベンチから立ち上がった。そして僕を見下ろしながら笑いかけてくる。

「達巳君、そろそろシャワーも空いただろうし、着替えよう?」
「そうだね。お昼ご飯を食べる時間も無くなっちゃうしね」
「うん」

 頷いてイインチョは先ほど直した肩紐に指を入れ、するりと肩から下ろした。両肩分を肘の上まで下げ、水着が引っかかっている胸の上のところに両手をやる。僕はそれを見つめながらわざとらしく尋ねた。

「あれ? イインチョここで着替えちゃうの?」
「そうだけど? せっかくだしね」

 胸にやった手を一気に下ろすと、ペロンとイインチョの胸が露わになる。ツンと上向きの乳首が彼女の気性を象徴するかのように突き出てぷるぷる震えていた。続いてお臍、下腹部、お尻を剥き出しにしながら下ろしていき、身を屈める。僕は手に持っていたビデオを思い出してイインチョに向けて構えた。ちらっと目をやり、少し笑うイインチョ。

「だって、女の子の裸、見たら嬉しいでしょ? 達巳君」
「もちろんさ」
「だから。あ、それとも私じゃあんまり見たくないとか」
「そんな事無い。ありがとう、イインチョ」
「うん。どういたしまして」

 両足から水着を抜いて全裸になったイインチョは、満足そうに笑みを浮かべながら身体を起こした。見せつけるように腰に片手をやって立つと、ちょうど座って構えたカメラのフレーム内に先程は見えなかった彼女の股の間がすっぽりと収まる。お腹や背中を流れた水がイインチョの恥毛に集まって小水を漏らしたようにしたたり落ちていた。

 今現在、椿組の生徒たちは僕によって幾つかの常識改変を受けているが、その中に1つ、自発的な行為を促す為のものを入れてある。

『男子生徒は女の子のエッチな姿を見るのが大好きなのだから、着替えや恥ずかしい姿を見せて喜んで貰うのはクラスメートの大切な役目である』

 夏合宿中、同じ書き込み内容を何日も継続させているとだんだんと行為がエスカレートしていき、女の子達も大胆になっていくことに僕は気付いた。たぶん、恥ずかしい行為をしたことによる自己矛盾を正当化する認識改変が積み重なっていく結果、そうなるのだと思う。それを実験で確認するため、今回のこの書き込みを行ったんだ。

 この内容を発動させてから数日経つが、最初は比較的親しかった数人が積極的に下着を見せに来る程度だったが、その行為はすぐにエスカレートしていった。現在では、あのおカタいイインチョもこの様にわざわざ更衣室では無く僕の目の前で水着を脱いで見せてくれる有様である。

 イインチョは全裸のまま僕の手を握り、立ち上がらせる。そして、ぐっと僕の腕を胸に当たるように引き寄せた。ぷにっとした感触と、その先端のぷちっとした刺激がとてもいい感じだ。

「早くシャワーに行こうよ」
「いっしょに?」
「そうよ、当たり前でしょ?」

 抱え込まれた手の甲にはお腹の弾力、そして、その指先にその下の茂みがさわさわと当たっている。僕はビデオを持ち上げ、朗らかに笑うイインチョの表情を捉えた。

「一緒にシャワーを浴びるだけなのかな?」
「言ってくれれば達巳君の好きに撮って良いけど?」
「じゃあ、シャワーついでにその辺の身体の仕組みについて実況解説して欲しいなぁ」

 僕がカメラのレンズをイインチョの茂みの辺りに向けると、その意図に気付いた少女はオッケーと指で丸を作りウィンクした。

「いいよ。おしっこ出すところ、良くわかる様に見せながら教えてあげる」





BLACK DESIRE


#19 「A CLOCKWORK GIRL 2」






1.


「という訳で、クラスにもっと参加してもらえませんかねぇ」
「何が『という訳』なのか知らんが、断る」

 おや、どこかで見たような光景。

 イインチョと楽しい一時を過ごした後、昼休みに僕はさっそく頼まれた案件を片づけるべく校舎の屋上を訪れていた。野良猫を探す如く塔屋の上に登り、「おーいいるかー?」と声をかけると寝起きの不機嫌といった感じバリバリで貯水タンクの影から件の魔女がのそりと姿を現す。
 僕はその威嚇状態に構わずズバッと要求を告げたのだが、結果は前述の有様である。僕は七魅の様に不機嫌な半眼で睨みつけてくるエアリアに怯むことなくさらに言い募った。

「クラス委員長も心配してるんだよ? 君がなかなか姿を見せないから打ち解けられないってさ」
「そいつに伝えろ。余計なお世話だ」

 うわ、何という典型的不良学生。社会性獲得の訓練も学校での重要な勉強ですよ?
 だが、今日の僕は一味違う。あれだけイイモノをイインチョに見せて貰ったのだ。義務では無いが義理はある。もう少しだけ頑張ってみようじゃないか。

「このまま授業に出ないままじゃ、卒業も出来ないんじゃないかな」
「その心配こそ無用だ。私は全授業も試験も免除されているからな」
「はあ? どうしてさ」
「必要ないから、そうしたまでだ」

 特待生って事か? 特待生ってそういう特別待遇を受ける生徒って意味じゃないと思うんだけど……。
 僕はランチハウスから持ってきたビニール袋の中から適当にサンドイッチを選ぶと包装を剥がす。一応、長期戦の準備はしてきたのだ。エアリアは僕がなかなか引き下がらなそうなので露骨に嫌そうに眉を潜めた。

「そんな事を言うためにわざわざ来たのか?」
「いや、大切なことでしょ」
「ボーヤは本当に馬鹿だな」

 あれっ!? 僕なんか間違ってますか!?

「ボーヤだって本の力で授業なんか出なくとも適当に理由付けが行われる筈だろう? こんな事にかまけてないでその間に有用な契約者の1人でも増やしたらどうだ」
「ちゃんとやってるよ、それも」
「私が言っているのは、10人以上の統制権を持つ有用なドミネーターの事だ」
「そ、それも増えてるし。春原だってリタルデーション対象者だし」
「ちゃんとやってると言うからには、そうだな、生徒会執行部の1人くらいはもう契約完了したんだろうな?」
「ぐへぁ……」

 僕はエアリアの指摘にぐうの音も出せないので、代わりに「ぐへ」と呻いておいた。カツサンドを頬張っていたので若干くぐもって聞こえたけど。もぐもぐ。

「一応、あてはあるんだけど中々上手く行かないんだよね。ガードが堅いって言うか」

 立ったまま食べ続けるのも行儀が悪いし、僕は給水塔の影に腰を下ろした。そして、「座らない?」と隣をぽんぽんと叩く。

「まだ居座る気か?」
「じゃあ、相談に乗ってよ」
「それも断る」
「せっかく買ってきたネコパンあげないよ?」

 ビニール袋の中から新しいパンを出してエアリアに見せる。2カ所の尖った耳が特徴的な菓子パンの一種だ。猫と言い張れば猫にも見えるが、それよりも余計なオマケの付いたあんパンと言った方が正しい物の見方と言うものだろう。
 ただ、ビニールの包装に描かれた猫の顔のイラストは可愛いと評判で、この星漣に於いてもそれが9割の理由でけっこうなレアフードとなっている。今日はたまたま運が良く僕がプール帰りに寄った時に買うことが出来たのだ。これもイインチョのご利益かな?

 エアリアは「フン」と興味無さそうに鼻を鳴らしたが、魔女と言えど身体は正直で胃袋には勝てなかったのだろう。多少迷う素振りを見せた後に「馬鹿者が」と捨て台詞の様に呟いて渋々と僕の隣に腰を下ろした。僕の差し出した手からすぱっとネコパンを奪う。

「それで、相談とは何だ」

 袋からパンを出して若干迷い、結局オマケのような耳から頬張ってエアリアが尋ねる。こういうのって、餌付けって言っていいのかな。

 さて、イインチョには悪いけどエアリアを教室に引っ張って来るにはもう少し時間がかかりそうだ。まずはこの魔女には人を見下さずに会話する事を覚えて貰わないとなるまい。だから、今日はせっかくだしさっきの話に便乗して僕の方の用件で話してみよう。

「相談って言うか、疑問なんだけどさ。ブラックデザイアは僕に興味を持っている人の情報が自動的に載るじゃない?」
「興味または好意だ」
「うん、そうだね。だけど、人によってあんまり僕に興味なさそうな人がもう載っていたり、逆に結構仲良くなったのに載る気配が無い人がいるんだよね」
「ふむ」

 最後に残っていた反対側の耳を袋から摘んで口に入れ、もぐもぐ租借しながらエアリアは考え込む。ちらっとこっちを見る目が「もう無いのか」と問いかけている気がしたので、僕はオヤツに買っておいたミニドーナッツを差し出した。

「可能性としては、『体質』と『気質』、両方の原因が考えられるな」

 ドーナッツを受け取りつつそう言うエアリア。珍しいものを見たとばかりにひっくり返して穴の部分から空を見上げたりしている。

「『体質』というのは……『神話体質』というやつだ。7回殺さないと死なないとかの、神話に残るような極レアケースでこの場合は余り考える必要は無い」
「本の力が効かないこともあるの?」
「魔法全般の効きが悪いとか、全く効かないなんて体質の持ち主も居る。いや、居た」

 ふと、エアリアの目が細くなった。何か、懐かしんでいるような、ただ空が眩しいだけのような、そんな微妙な表情。

「私の知り合いにも、『侵食体質』なんていう魔法に影響を与えてしまう特異体質の持ち主が居た。どんな魔法をかけようと、必ずその結果が想定外の大失敗になってしまうんだ。歪んだレンズを通して見たように、魔法そのものが歪んでしまう。簡単なシールド魔法は巨大なフライパンの底でぶっ叩く恐ろしい衝撃魔法になったし、箒で飛ぼうとすれば周囲の半径10mの重力を反転させて根こそぎ空にすっ飛ばしてしまった」
「ある意味才能じゃないの、それ」
「だが、学園でルームメイトになった相方は大迷惑だ。そいつの体質と対処法が判明するまで、『おミソと泣き虫』のゼロゼロペアと笑われていた」

 ……これって、エアリアの過去の話なのかな。この尊大な魔女にも落ちこぼれだった時期が有ったって事か。何だか急に親近感がわいてきたぞ。

「何だ、その目は?」
「いや、別に」

 やば、顔に出てたか。悟られて怒らせる前に、話を逸らしてしまおう。

「でも、そういう『体質』の持ち主はあんまり居ないんでしょ?」
「そう言っただろう」
「じゃあ、もう一方の『気質』の方も教えてよ」
「ふむ」

 かぷ、とドーナツをかじり、そしてもぐもぐと味わって飲み込み、だいぶもったいを付けてエアリアはようやく口を開いた。

「『気質』による本の力に対する抵抗……それは、『ペルソナ』の防護が有るからだろう」
「『ペルソナ』?」

 何だそれは。守護霊みたいなものか? オカルトっぽくなってきたぞ?
 しかし、エアリアはドーナッツをちぎって口に放り込みながら首を振る。

「この場合の『ペルソナ』は『社会的役割』の方の意味だ。ある集団に属し、その集団内で高い地位に置かれると、その『役割』の為に感情がセーブされる、そういう気質の者がしばしば居るのだ」

 エアリアはドーナッツを持ってない方の手に30cmくらいのステッキを何処からともなく取り出して持ち、空中に光るラインで十字の線を引いた。

「今から人の気質を4つに分類してみるぞ。横軸でその人間が感情的な人間か、それとも理性的な人間かを区分し、縦軸は公的な立場を尊重するか、本人の意志を尊重するかで区分する」

 横線の端と端にそれぞれ「情」と「理」、縦線の端には「公」と「私」と書き込まれる。空中に「情ー公」「情ー私」「理ー公」「理ー私」の4つのエリアが出来た。

「例えば、ボーヤの幼なじみ。あの娘は典型的な私情に振り回される人間だ。だから、『情ー私』タイプといえる。また、哉潟家の妹の方は理性的だが公の行事より自分の予定を優先するタイプだから、『理ー私』と言えるだろう」
「ふむふむ。確かに」

 空中の絵のそれぞれのエリアにくせっ毛のハルと半眼の七魅のアイコンが追加された。……誰がこれ、デザインしたんだろ?

「『情ー公』タイプは……ボーヤの周囲には余りいないかもしれないが、そうだな。昨年度生徒会長がそんな感じだった」
「荒巻さん……だっけ」
「ああ。公タイプの人間は自分の立場を強くするために上に立ちたがる事が多いのも特徴だ」
「なるほど」

 公と私の対比は、ゲームのロウとカオスと考えれば良いのかな。体制側か、反体制側かで考えても良さそうだ。
 これで3つのタイプの特徴が分かった。エアリアのステッキは最後の「理ー公」のエリアを指し示す。ドーナッツの残りを口に入れ、飲み込んでから言葉を続けた。

「ここが、今問題としているタイプ、公の立場を尊重し理性で感情を抑える事の出来る人間たちのエリアだ。こういったタイプの人間が実際に高い立場に立つと、感情を抑えブラックデザイアの付け入る隙の少ない『ペルソナ・ガード』を持つ事になる」

 確かに、宮子を始めとする生徒会執行部の面々は皆この「理ー公」のタイプのような気がする。だとすると、なかなか宮子や早坂が黒い本の支配対象にならないのも納得がいく。

 そうか、そう言えば以前、7月生徒会の前日に紫鶴にもブラックデザイアの力が効かなかったことがあったな。あれも、元セイレン・シスターという立場による『ペルソナ』が紫鶴を守ったせいだったのかもしれない。

「そのペルソナを破るにはどうしたらいいの?」
「3つほど考えられるな」

 エアリアは砂糖の付いた指先をペロリと舐めてからぴっと人差し指を立てた。

「1つは、多少のペルソナなど問題にならないくらいボーヤへの好意を持たせること」
「うん」
「2つ目は、その者を役職から外し、公的な立場を守らなくても良くすること」
「荒技だね」
「最後の1つは、ペルソナをどうこうするのではなく、インフェクションやドミネーションを使って間接的に支配することだ」

 そうか、別に直接支配が無理でも、第2や第5の能力で他の人間経由でコントロールすれば書き換え自体は可能なんだった。前にプール大作戦を実施した時や、6月に寮に行った時はそうやって紫鶴や早坂をコントロールしたんだっけ。

 その事を思い出した時点で、僕はある考えに思い至ってぽんと手を打った。

「ああ、そうか。君が教室に来たがらないのはドミネーションの支配下に入るのが嫌だからなのか」
「む……」

 エアリアは自分の書き込みページを自分で持っているから(僕に本を貸した後、周到にもそこだけ取り返されてしまった)、何時でも自分自身への書き込みは消す事が出来る。だが、誰か他の契約者の支配領域に入ってしまったらそれに対抗する術は無い。だから僕のいるところには来たがらなかったのだ。

「そうかー。なんだ、言ってくれれば君だけ効果の対象から外してあげたのになー。大丈夫だよー? 自分だけ本の効果から逃れたいって言っても僕らの信頼関係はびくともしないからねー?」

 お、お、お。肩がぷるぷるしてる。耳まで赤いし、怒ってる怒ってる。でも、図星だから否定は出来ないみたいだな。
 優位に立った僕は俄然イインチョの案件にもやる気を取り戻し、さらに言い募ろうとした。が、その前にくるりとこっちに振り向いたエアリアによって口の中に太い木の棒の先端が押し込まれる。

「もがっ!?」
「……やはり、ボーヤには少しお仕置きが必要だな」

 片手に今僕の口に入っているいつもの長い杖、もう反対の手の指先にバチバチと不穏な稲妻をまとわりつかせながら妙に笑顔の魔女が言う。

「ボーヤに選ばせてやろう。唾液がハバネロの300倍の辛さになる呪いと、涙が辛子になる呪いと、汗が里芋の絞り汁の臭いと痒みになる呪い、どれがいい?」
「も、もが……?」
「そーか、そーか、感心な事だ」

 エアリアはにっこりと笑いながら頷いた。

「全部か。反省の色が見えて大変結構」
「……も、もがーっ!」

 9月の昼の屋上に、僕の断末魔の叫びが響きわたったのだった。





2.


 放課後、僕はサポート役のスカウトに向かうので第2図書館での集まりはナシと春原に告げ、早坂へ同じ内容の伝言を頼んだ。

「めぼしい娘がいるの?」
「写真部の知り合い」
「ああ。生徒総会の時の」

 わかったと頷いた春原は、少し心配そうに僕の顔を覗き込む。

「大丈夫? 泣きっ面に蜂に刺されてその直後に馬に蹴られたあげくよろけてサボテンに顔を突っ込んだ様な顔をしてるよ?」
「ほっといてくれ」

 「死ぬかと思った」という言葉は今まで何回か使ったことは有るが、「もういっそ殺してくれ」と思ったのは今日が初めてだ。あの魔女、ぜったいいつか泣かせちゃる。

 ま、それはともかく。

 祭事運営委員長としての目下の最優先事項はサポート要員の確保、それも文書仕事に向いた人間を手中に収めなくてはならない。僕はその為の第1候補として写真部2年生の橘静香(たちばなしずか)を狙っていた。
 静香は1年生の時に生徒会長直属の特別役員として執行部で働いていた事もあるし、パソコンのでの文書作成にも慣れている。手伝ってくれるならこれ以上無いくらい有能な助っ人になるだろう。僕は春原と別れて3年椿組を後にすると、校舎を出て文化部棟を目指した。

 写真部の部室は文化部棟の1階にある。入り口で履き替えたスリッパでペタンペタン歩いてきた僕は、特に躊躇うこともなくその扉をノックした。静香は、いつもなら放課後はここで同じ写真部の部員達とお茶を飲んだりしながら過ごしている筈なのだ。現に、その時の写真部部室の中からは複数の女の子たちの話し声が聞こえていた。

 だが、今日ばかりは僕の予想は外れていた。「はーい、どうぞー」という声に「どうもー、お邪魔しまーす」とノブを捻った僕は、思いがけないメンバーに驚きの声を上げる。

「あれ? 何で新聞屋が?」
「おやおや、お邪魔でしたか?」

 写真部に居た珍客の正体は「自称」新聞部・蔦林藍子(つたばやしらんこ)だ。部屋の中央のテーブルの上座側に着き、いつもの好奇心爛々とした目で僕に視線を向けている。

「どうしたんです、その顔? 泣きっ面に蜂に刺されて馬に蹴り飛ばされたあげくデッドボールを急所に貰ったような顔をしていますよ?」
「ほっとけっての」

 その右隣の位置には小柄な少女が座っている。くりっとした大きな眼、髪を後ろ頭で結んだ大きな白いリボン。写真部部長・一ノ宮榧子(いちのみやかやこ)だ。部長という肩書きだが、榧子は静香と同学年の2年生だ。
 1学期中に僕が転校してきた時、彼女は事情が有って休学していたらしい。そのため、こうして顔を合わせてちゃんと挨拶するのは初めてかもしれない。榧子は立ち上がって両手を前でそろえると僕に向かって丁寧なお辞儀をした。その際、大きなリボンがふわふわと動いてとても可愛らしい。僕は自然に眼を細めて榧子に挨拶を返した。

 最後の1人は1年生の夏目文紀(なつめみのり)だ。子狸といった印象のこの小動物系少女は夏合宿にも参加していたので十分顔見知りである。僕が「久しぶり」とシュタッと手を挙げると、文紀は大きくぺこりんとお辞儀をした。

 それにしても、榧子と文紀は写真部だからいいとして、何故藍子がここにいるのだろう。それに静香は今日はいないのか? 僕は文紀がお茶を用意してくれている間、それを聞いてみることにした。

「なんか、今日はいつものメンバーと違うね。橘さんはお休みなの?」
「そのようなのです。今日は体調不良で自宅療養中だとか」

 お前には聞いてないよ、ブン屋。榧子はこくんと頷くとその後を引き継ぐ。

「翠子さんは静香さんのお見舞いで今日は帰りました。私はその事を文紀に知らせた後、戸締まりを確認してから帰ろうと思ったんですけど」
「そこに私がお邪魔した、という訳なのです」

 比喩でも何でもなく本当に「邪魔」する奴って、居るんだな。2年生以下だけの所帯の他の部に3年生権限でズカズカ入り込むなっての。僕も他人の事言えないけどさ。

 僕はあてが外れてすこしガッカリした。静香は深窓の令嬢といった風体の通り、それほど身体が強い方ではない。もしかすると回復は長引くかもしれないから、その分だけ僕からの依頼をするタイミングが遅れる恐れがあるのだ。

「何か静香さんに用ですか?」
「うん。ちょっとお願いをしに来たんだけど」
「良ければ私が聞きましょうか?」
「うん?」

 榧子は真剣な顔で僕の方を見つめている。そうか、静香を目当てにしてたけど、パソコンがそこそこできるならそれだけで結構な助けになるな。僕はそう思って気を取り直し、聞いてみることにした。

「一ノ宮さんはパソコンできる?」
「ぱそこん……ですか?」
「あ、いや、いやいや。やっぱいいや」

 ぱちくりとした表情に僕は慌てて手を振った。その表情はゲームコンソールを全部まとめて「ふぁみこん」と言うお年を召した方々のそれだ。写真部部長だからもしかしたらと期待したが、残念ながら榧子はどうもアナログなタイプの女の子らしい。
 紅茶を持ってきてくれた文紀も反応は似たようなものだった。とすると、この場にはもう僕の用は無い。適当なお喋りをしながら紅茶を飲み干し、程良い頃合いで席を立つことにした。

「……じゃあ、そろそろ僕は行くよ。帰るところ引き留めちゃってごめんね」
「いえ、いつでもまた来て下さい。今度は写真部全員でお待ちしてますから」
「ありがとう、一ノ宮さん」

 バイバーイと手を振る文紀と、来たときと同じく丁寧なお辞儀をする榧子の2人に見送られ、僕は写真部を後にした。

「さて……帰るか」

 くるっと向きを変え、文化部棟の出入り口へとズルペタズルペタ歩き出す。その制服の背中を、誰かがくいっと引っ張った。ペタンと僕の足が止められる。

「あれあれ?? あれれ? 私は無視ですか? 何ですかシカトですか?」

 ……ちっ。
 せっかく存在を無視していたのに、一緒に写真部を退出した藍子が「あれれ〜?」とわざとらしく僕の前を腰に手を当てて横目でチラチラ見ながらうろうろと左右に動き回る。なんというウザさ。
 「失せろ、お前に用は無い」と追い払いたいところだが、こいつの心証を悪くして新聞に「無いこと無いこと」書かれるのは避けたい。僕は仕方無く、ほんと〜に仕方無く、思わせぶりな態度をとっている藍子に向いて口を開いた。

「僕はもう帰るけど、蔦林さんはどうするの?」
「写真部の橘静香さん、今日はお休みで残念でしたねぇ」

 いきなり無視かよ。

「橘さんに何の用事が有ったのですか?」
「君に言う必要有るの?」
「ああ、パソコンが使える人を捜しているんでしたね」
「まあ、そうだけど……新聞部の人には関係ないでしょ」

 僕が渋面で認めると、藍子はわざとらしく両手を上げて驚いたフリをした。

「そんな事はありませんよ。写真部と新聞部は同じ文化部同士、姉妹みたいなモノです。お互い、欠けたるを補い合い、足るを譲り合う仲なのです」
「あー、そー」

 僕はできるだけ興味無しの雰囲気を見せるため、藍子に引っ張られた制服の裾を気にするフリをしながら気怠く答えた。ここがお嬢様学校じゃあなかったら鼻でもほじってやるところだ。
 だが、藍子は例え壁相手でもスカイツリー並のハイテンションを維持できる特異気質の持ち主だった。ぽんと手を打ち、名案とばかりににっこり笑う。

「いいでしょう! 写真部の代わりに我が新聞部から人材を派遣いたします!」
「はあ?」
「いえいえ、お礼なんてとんでもない! 困った時は何とやらですよ。さあ、さっそくご紹介しますので、ささ、部室の方へ。さあ! さあ!」
「はあああ!??」

 藍子は僕の背中側に回り込むと、強引にぐいぐいと押して僕を文化部棟の2階へ上らせる。って、こんな事ついこないだも有ったぞ?
 最近の僕は災難の卦でも出ているのだろうか。人間台風ブン屋に押し切られ、僕は彼女の言う新聞部部室へと引っ張り込まれたのであった。



「立華! 仕事ですよ!」

 新聞部の部室は2階の奥まったところに在った。手書きの「新聞部」のプレートの打ち付けられた扉をバタムと勢い良く開いて飛び込むなり、藍子が叫ぶように言い放つ。

「何事ですか、藍子さん」

 こんな唐突な登場にも慣れっこなのか、ノートパソコンの前に座って何か文章を打ち込んでいた少女がモニターからチラとも眼を離さずに返す。そして「ん?」と一瞬手を止めると、こちらを見てもいないのにいきなり立ち上がった。

「お客ですか?」

 そして椅子と机の間から出てこちらに向き直る。

「ど、どーも」
「こちらこそ」

 僕が藍子の後ろから身体を覗かせて挨拶すると、その少女は会釈して答えた。

 落ち着きのある大人びた顔付きの少女であった。髪は頬の辺りの長さでシャギーカットにしていて、背は同年代の娘達より高め。僕より少し身長が低いはずなのに、姿勢が良いのかほとんど視線の高さに差は感じられなかった。
 その少女は僕と初対面にも関わらずじろじろと値踏みしたり、慌てて視線を逸らせたり、気後れしてもじもじしたりせず、自然に僕に眼を向けたまま自己紹介した。

「新聞部2年の、巾足立華(はばたりりっか)です。いつも藍子さんがご迷惑をおかけしてます」
「あ、どうも。3年の達巳郁太です。よろしく」
「よろしくお願いします」

 そう言って視線を外し、再度会釈する立華。うひゃあ、僕の方が年上なのに、なんだかアベコベな感じになっちゃってるぞ。さり気なく皮肉られたのに、当事者の藍子は聞き流して憎らしいくらいに涼しい顔だ。何なんだよ、新聞部って。

 部室は小所帯の写真部よりもさらに狭く、奥行き5m、幅2mくらいの長方形のスペースしかない。ここ、そもそも倉庫かなんかだったんじゃないか? そこに強引に木製の机を3つ設置、それぞれ奥側のこっち向きの机1つにデスクトップパソコン、横の壁向きに押しつけられた2つの机にそれぞれノートパソコンとプリンターが乗っている。プリンターはもう1つ、奥の机のそのまた奥の窓際の棚の上にも乗っていた。
 来客を座らせる用の椅子も足りていないため、僕達3人は自己紹介が終わった後も入り口付近に立ったままでいた。

「それで、仕事とは何の事ですか?」
「それがですね、カクカクシカジカという訳で達巳君を手伝って欲しいのですよ」
「カクカクシカジカでは何の事かわかりませんよ、藍子さん」
「仕方ないですねぇ、立華は。では、詳細はご本人から伺いましょうか」
「私からもお願いします、達巳さん」

 漫才をやってるのか、おのれら。
 僕は嫌々ながら立華に促され、現在祭事運営委員として文書仕事が得意な生徒をサポートに欲している事情を説明した。飲み込みが早い立華は僕の簡単な説明にも関わらず頷いて言う。

「そうでしたか。藍子さんが写真部で張っていたのは達巳さんが静香さんをスカウトに来るのを見越しての事だったんですね」
「張ってた……って?」
「大方、私を貸し出す代わりに行事の記事に関して、情報のリークをお願いするつもりなのでしょう」
「リークって……」

 僕は呆れて藍子の方を向いた。何考えてるんだ、こいつ。僕が写真部に来る事まで読んであそこに居座っていたってのか。

「リークとは酷い言い方ですね。私はただ、立華が仕事上で知り得た情報を、自身の課外活動に活用する事を許可してあげて欲しいと言うつもりだったのです」
「恩着せがましく言っていますけど、私の都合とか、意見とかは確認しないんですか?」
「どこにそんなモノが? ちゃんと名前を書いておかないから無くした物が帰ってこなくなるんですよ?」

 酷い。なんという言い草だ。本当にコレが静香や紫鶴と同じ星漣の生徒なのかと疑いたくなる。怒ってもいいんだぞ、立華。いや、怒れ。今だろ、今。
 だが、そんな横暴にも立華は慣れっこの様であった。ただ、1息だけ深いため息を吐くと、彼女は僕に向き直り、今度は手を揃えてお辞儀をした。

「こんな藍子さんですが、先輩命令ですので仕方ありません。達巳さん、条件を飲んでいただけないでしょうか?」
「君は、それでいいの?」
「いつもの事ですので」

 怖えー! 怖えーよ新聞部! そこらの体育会系より怖いじゃないか! 何でこんな良い娘が藍子なんかの下に付いているのやら。不憫だ。

 でも、猫の手より欲しかったパソコンの使い手だ。しかも、新聞部の仕事の速さは既に何度も見てきている。書面作成速度だけ言えば文句の付けようが無い。僕は立華と同じく諦めのため息を吐くと藍子に顔を向けた。

「言っておくけど、校則にある通り生徒会の正式告知前にその内容に関しての報道を行うのは禁止だからね」
「オーケーです。新聞部としては同日発行できれば十分ですから」
「じゃ、その条件で」
「交渉成立ですな」

 僕が頷き、再度立華の方を向くと、立華もまた先程と同じくお辞儀をした。

「では、しばらくの間よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」

 くそっ、藍子の一人勝ちってのだけが気に入らないぞ。



 その後、僕と立華は藍子に見送られ、とりあえずの打ち合わせの為に第2図書館に移動することにした。

「他の運営委員は、誰ですか?」
「委員って言っていいのかわからないけど、生徒会からは早坂さんと春原さんを借りてる」
「体育会の自治会長と元バスケットボール部キャプテンの方ですね」
「うん」

 文化部棟から校舎中央の受付に向かうなら、中央並木を通って食堂側から入る方が近い。僕たちは当然そのルートで並んで歩いて校舎へと向かった。だが、食堂と校舎を繋ぐ渡り廊下から校舎内に入ろうとした時、突然立華が足を止めた。一歩余分に進んで前に出た僕は彼女の方へくるりと振り返る。

「どうかしたの、巾足さん」
「……」

 立華は宙に視線を向け、何か考え込んでいるようだった。そして、急にぱっと僕の方を見ると、慌てたように口を開いた。

「申し訳ありませんが、ひとつやり忘れた事を思い出しました」
「え?」
「打ち合わせは明日にして下さい。放課後、受付前でよろしいですね」
「あ、うん」
「では、失礼します」

 立華は僕の返事も待たず、くるりと身を翻すと、たたっと駆け出していった。今来た道を脇目も振らず、スカートを翻しながら遠ざかっていく。あっという間の出来事で、僕はびっくりしたまま何のリアクションも取ることができなかった。

「何だったんだろ……」

 僕は首を捻るが、立華の突飛な行動に関する情報は持ち合わせが無い。ここで考えても何の解決にもならないと思うので、僕は今日は諦めて大人しく帰る事にした。他の2人にも、今日は集まらないって言ってあったしね。

 校舎に入り、そのまま真っ直ぐ進む。鞄はもう持ってきてたし、正面玄関はこの先だ。そこを抜けて1人で帰るつもりだった。

「……あれ?」

 玄関のガラス戸のすぐ先の柱の所に、人影があった。午後の日光のせいで逆光になり、その正体はわからない。一瞬またあの変わり者受付嬢かと思ったが、柱に寄りかかっているその人物は、星漣の制服を身に付けていた。風にその白いスカートがふわりと揺れる。

(誰だろ……)

 僕が疑問符を浮かべながら近付いていくと、その人影も僕の事に気がついたようだ。くるっと頭をこっちに向け、その動きに合わせて金色の髪がきらっと反射した。

「あら? 早坂さん?」
「遅かったわね。結構待っちゃった」

 その言葉とは裏腹に、少女の顔には微笑みが浮かんでいた。

「あ、ごめん。でも、今日は集まらないって春原から聞かなかった?」
「謝らないでいいわ。聞いてたけど、ただ待ちたかっただけだから」

 ? ? ?
 なんかの用事で遅くなったついでなのかな? でも、それなら空調の利いてる受付の中で待ってれば良かったのに。

 「帰るんでしょ?」と柱から背中を離す早坂に、「そのつもり」と返す僕。すると、早坂は「じゃ、早く行きましょ」とスタスタと歩き出した。僕も慌ててそれに並ぶ。横並びになると、ちょうど早坂のツインテールの結び目が僕の視線の高さにあった。目線を動かし、彼女の柳眉を追う。

「サポート役は見つかったの?」

 ちらっと僕を見上げながら早坂が口を開く。今日の成果が知りたかったのかな?

「ああ、うん。当初の予定とは違ったけど」
「間に合いそうかしら?」
「うーん。みんなの頑張り次第かな」

 早坂は今度は僕をじーっと見つめてきた。まともに視線が合う。

「間に合わせないと全員が困るのよ? わかってる?」
「だから、うん。頑張るってば」
「そうね。頑張って」

 言葉付きとは裏腹に、優しく眼を細めて笑う早坂。僕の中央で心臓がドキンと跳ね上がった。
 風が吹き、舞い上がる髪を押さえるために早坂が片手を上げて耳の辺りに手を置く。ちらりと見えた彼女の夏服の袖の中の光景に僕は狼狽え、自分のどぎまぎを感づかれないよう平静を保つのに苦労した。

「……涼しくなったわ」
「そうだね、だいぶ過ごしやすくなった」
「秋が近いのね」

 2人で空を見上げる。空の高いところに筋状の雲が流れるように漂っているのが見えた。そうか……夏ももう終わりなんだな。

 放課後になってある程度時間が経ち、しかし下校時間までまだ時間が有るこの時刻帯は、丁度スポットとなっているのか他の生徒の姿も見当たらない。僕たちは2人並んでセイレン像にお祈りし、正門を抜けてマリア坂を下った。駅方面と市街地方面とに別れるT字路に差し掛かる。

「どっち?」
「こっちだけど」

 早坂は黙って僕が指さした方へ道を曲がる。早坂の寄宿しているさざなみ寮もこっちだったっけ。早坂のペースに歩調を合わせて坂を下っていく。と、視界が開けて眼下に市街地が見えてきた。高原別邸は……ここからじゃちょっと見えないな。

「……で、見つけたサポート役ってどんな娘なの?」

 出し抜けに早坂が聞いてきた。やっぱり作業を一緒にするんだから気になるか。

「うん、新聞部の2年生の娘だよ。部長のお墨付きで借りる事になった」
「新聞部?……何か条件を言ってこなかった?」

 少し眉をしかめて言う早坂。むう、そこもお見通しか。

「まあね。生徒会からの発表に合わせて記事を出したいから、情報を回して欲しいって言ってきたよ」
「やっぱりね」
「生徒会より早くなきゃ良いよって言ってきたけど……まずかったかな」
「校則違反では無いわね。いいんじゃないかしら? 運営委員長の判断なんだし」

 口ではそう言うが、早坂はどこか不満そうだった。彼女にもこの取引があの弾丸ブン屋の一人勝ちだって事がわかるんだろうなぁ。

「新聞部が嫌いなの?」
「嫌いってわけじゃないけど……。運動部の試合報道も翌日には上がってるしね。ただ、執行部として何度か配布物を差し止めさせてもらう事態にはなったのよねぇ」
「新聞部の部長はプライバシーとプラシーボを同じくらいに考えてるところがあるからね」
「本人が気にするだけで取るに足らないって意味? あまり上手くはないわね」

 早坂はくすっと笑うと上体を曲げ、僕の顔を下から覗き込むような仕草をした。

「そういえば、あなたもそのプライバシー問題を記事にされそうになってたわね」
「ああ、うん」
「冬月が回収に乗り出してたけど、あれって結局どうだったのかしら?」

 問題の記事というのは、僕がエアリアによって監禁されている間に起こった出来事のことだろう。
 エアリアの使い魔によって夢世界に囚われた僕は、こっちの世界での記憶を保てなくなっていた。そのため、メッシュと幎と七魅たちは一計を案じ、僕に食べ物の形で記憶を夢世界に持ち込むのに必要な魔力を与える事にしたのだ。その実行法として選ばれたのが「お弁当」の受け渡しであり、実行者として選出されたのが七魅であった。

 普通に見ればこれは七魅からのお弁当のプレゼントにしか見えない。だからこそ成功したのだが、副作用として僕と七魅の関係を勘違いする者達が大量に出てしまった。藍子もその1人で、これ幸いと翌日には号外をばらまこうとした所で風紀委員長のお縄にかかったのであった。

 この件に関し、僕達は自然に噂が消えるのを待つ一方、万が一直接訪ねられた場合には口裏合わせした嘘の内容を伝えるということで同意していた。だから、僕も内緒話だよ、とフリをするために周囲に目を走らせてから早坂に顔を寄せる。

「ここだけの話だけどさ、他には話さないって約束できる?」
「いいわ。約束する」

 別に、噂として流してもらう分にはかまわないけどね。僕はもう一度周囲を見渡してから、七魅たちと考えたストーリーを打ち明けた。

「あの記事が出る少し前に、ちょっと僕におかしな付きまとい方する娘が居てね」
「あなたに? 付きまといって?」
「毎日ものすごい量の手紙を送ってきたり、教えてもないのに家に来たり、メールでしてもいないデートの内容を『楽しかった』って言ってきたり」
「うわ……それ、ストーカーじゃないの?」
「そうなのかも」

 僕はまじめな顔をして頷いた。こういうのは少しだけ本当の事を混ぜるのが良い。僕がエアリアに付きまとわれていたのは本当だったんだし。

「それで、僕としてはほとほと困り果てていたところ、事情を知った哉潟さんたちが協力を申し出てくれたんだ」
「哉潟さんが? ……ああ、あの時のアレって、その件だったんだ」
「アレって?」
「ん……ちょっと、今やっている準備作業の事でお姉さんの方に聞いたことがあったの」

 ふーん……。その頃から早坂は体育祭の事を気にしてたのか。有り難いやら何とやら。

 その後の経過については早坂も知っている通り。七魅が手作り弁当を僕に持ってきている様子を周囲の者に見せる事で、僕と彼女が付き合っていると噂が立った。その結果、その架空のストーカーは僕の事を諦めてチャン、チャンという訳だ。

「そんなことがあったのね……でも、哉潟さんの方は大丈夫だったの?」
「特に嫌がらせとかも受けてないって。その娘も一時的な思い込みだったんじゃないかな。目が覚めたんだよ、きっと」
「へえ……」

 もう少し突っ込まれるかと思ったけど、早坂はそれ以上ストーカー事件について追求する気は無いようだった。やれやれ、有り難い。細かい設定を突っつかれるとボロが出るし、七魅たちとの口裏合わせもしないといけないからな。助かった。

 いつしか僕達は話に夢中になっていたようだ。気が付けば「公民館前」のバス停のある交差点だ。さざなみ寮は通りの向こう、僕やハルの家から近い歩道橋はこちら側だ。ここで早坂と別れることになる。

「ねえ、達巳君」
「え?」

 僕は突然名前を呼ばれてちょっと驚いた。いつも早坂は僕の事を「あなた」とか、適当な時は「あんた」とか呼んで、名前で呼ばれた事がなかったからだ。だから、その次に繋がった言葉にとっさに反応できなかった。

「達巳君は、その後も哉潟さんと付き合ってるの?」
「……え、えっと?」

 言葉がつかえる。何でそういう話になるんだ? 僕の説明がおかしかったか? 僕は慌ててその間違いを正そうとした。

「だ、だから。僕と哉潟さん達は何の関係でも無いよ。彼女たちは僕のストーカー除けに手を貸してくれただけで、本当にあれはただのフリだったんだから」
「そうなの? 付き合ってないの?」
「うん。付き合ってません」

 ふーん、と早坂は僕から視線を離した。そして、急に道の向こう側を指さす。

「ここからは私、あっちだから」
「あ、そっか……」
「あなたとはここでお別れね」
「うん」

 ……唐突に、僕の内からある感情が湧き上がってきた。もう少し、早坂と話がしたい、顔を見ていたい、並んで歩きたい……一緒に居たい。その感情は、この少女と距離を開けたくない、離れ難いと感じる引力のような力。僕の内に渦巻くそれを知ってか知らずか、少女は視線を逸らせたまま、言い訳のように呟く。

「今日は、寮母さんを手伝う事になってるから」
「早坂、寮住まいだったんだ」
「そうよ」

 早坂、と呼び捨てにしたのに関わらず、彼女はそれを受け流した。いや、受け入れた。そして、くるっと髪をなびかせながら僕の方へ振り向いた。

「また明日ね? 達巳君」
「うん……また明日」

 小さくバイバイ、と手を振って道を渡る少女。僕はそれを見送り、彼女が道の向こうでもう一度こっちにバイバイ、と今度は肘から先を使って手を振るのを見た。僕もそれに先程より大きく手を振って応える。

 彼女が後ろを向き、歩き出したので僕もくるりと向きを変えた。そして、いつもの道を歩き出す。夕方近い太陽の創る自分の影が、僕の行く先へと伸びていっている。それがもたらす寂寥感に、僕は堪えきれなくなってもう一度振り返った。

 ちょうど同じように振り返った早坂と、眼が合った。

 僕は思わず手を大きく上げ、子供みたいにブンブンと手を振ってしまった。早坂も身体ごとこっちを向き、背伸びするみたいに爪先立ちになって鞄を持っていない方の手を振っている。
 表情は見えない。だけど、その代わりに彼女の金色のツインテールがその周囲を、輝きながら飛び跳ねていた。







 早坂英悧が親友の春原渚から本日の準備活動の中止を伝えられたとき、彼女はムッとした。
 ムッとしたというのは客観的な表現であり、それは「イラッとした」より微少で、かんに障るよりも無自覚な感覚である。そして、当人はその感覚を準備が間に合うのかと「不信に思った」と表現するだろう。

 どう表現するにしても、とにかく彼女の方には、今日は第2図書館で少年の連れてきたサポート役に作業内容を教え、スケジュールを立て、役割分担するビジョンが有ったので、それが崩れて早坂英悧はちょっぴり不満だったのだ。
 だから、とりあえず意固地になった英悧は少年がどんな娘をサポートとして選ぶのか確認してやろうと受付の周辺で待ち伏せするつもりになった。だが、第2図書館で待つのは中止を伝えられているので間抜け過ぎる。そこで、下駄箱の先で受付の方を見張りつつ、帰りがたまたま一緒になった風を装うことにした。

 英悧が選んだ待ち伏せ箇所は、昇降口の庇の下の陽の当たらない柱の影である。馬鹿らしい事をしてるとチラとも思わなかったでもないが、何故か、その時の少女はどうしても少年の顔をひと目でも見てやらないと気が済まなくなっていた。

 待ち惚けは退屈だろうと思っていたが、意外にもそれほどでもなかった。少年が連れてくる生徒の事を考えたり、どういう顔をして現れるか予想したり、英悧の存在に気がついてどうリアクションするか、待っていた英悧に呆れるか、謝るか、それとも慌てるか、そんな事を空想するのは、楽しかった。いつの間にか、英悧の心にわだかまっていた怒りの欠片はこぼれ落ち、9月の日差しに溶けて消えてしまっていた。

 少年と並んでの下校の別れ際、名残惜しさを感じていたのは英悧も同じだった。後ろ髪引かれる思いで少年とは反対方向へ向かうために道を渡り、ちらりと後ろに目をやる。すると、少年は律儀にも英悧が渡りきるのを見守ってくれていた。見守られていた事に何故か胸の内が暖かくなり、その高揚のまま少年に手を振る。

 2度目の別れを交わした後、少女の胸には不確かながら予感が有った。自分と、少年の間に、今まで感じたことの無い縁……あるいは絆……それは言い過ぎとしても、相性の良さが有るという事に。足を止め、もう一度だけ後ろを振り返る。

 ほぼ同時に、少年もまた英悧の方を振り返っていた。

 少年が、まるで小学生の子供の様にブンブンと手を振っている。確かに、感じた。私たちは、お互いに同じ事を感じている。英悧もまた、溢れる喜びに身を任せ、伸び上がって手を振り返していた。





 この時点で少年に対し、少女の心が急速に惹かれつつある事には理由が存在する。

 少女の方の記憶には残っていないが、およそ3ヶ月前、少年が少女の住まう寮に侵入した際、彼は自分の欲求を満たすために少女と一緒に入浴した。そして、その折に少年の友人である哉潟家の秘伝の技を持つ別の少女によって、2人の感覚は接続されたのだ。
 お互いの快感が1つに合わさり、強固になり、更なる快感を呼び起こす。その様な精神状態で2人は抱き合い、肌と肌を密着させて飽和した快楽を延々と味わい続けた。

 その際、哉潟家の少女は2人のことを「身体の相性が良い」と評したが、それは誤りである。
 実際は、「良い」どころではなかった。少年と少女は、稀にみる完璧な身体的相性の持ち主だったのだ。これは誰にも気付くことのできない誤算であった。

 その時の1時間程度の体験で、少女の身体は少年に対してすっかり「開いて」しまった。記憶には残らなかったが、その時の快感、恍惚感、幸福感、絶頂感を皮膚、肉、骨、臓器、粘膜、神経、そして細胞の一片一片、それら全てが覚え込んだ。新陳代謝によって更新されようとも、刻み込まれた体験はもはや遺伝子に取り込まれたように喪失することは無かった。

 もちろん、その記憶を少女が自覚したことは無い。これまでのところは。ただ、断片化してバラバラにされた記憶も、時折少女が意識を失い、眠りにつくと不意に蘇る事が有った。夢の中で鮮やかに再生される至福の体験は、無意識下から少女の好みを少しずつ改変していった。少年の華奢な胸板、男らしさの欠けた細い腕、ひょろりと平均以下の体躯、細く繊細な髪質、性別を間違えたような顔付、どこか焦点の定まらない黒い瞳……。

 それらの書き換えられた少女の好みは空白のヒトガタの様な物であった。そこに当てはめるべきパーツは記憶ごと抹消されている。だから、その存在が意識に上ることは無い。しかし、彼女の無意識は確実にそれを欲し、求め、渇望した。

 だからこそ、少女と少年が作業のために狭い空間で接触した際、驚くべき早さでそのヒトガタは少年のパーツによって埋められることになったのだ。少年の声、少年の眼差し、少年の匂い、少年の肌の手触り。パーツがぱちんぱちんとはまる毎に、少女の無意識は歓喜に打ち震えた。

 少女の無意識はハッキリと認識していた。自分の半身となるべき存在はこの少年であると。少女の欠けたる内側を埋めるのは、この少年以外には有り得ないと。その胎へと肉体の一部を導き入れ、精を受けて子を孕むべき伴侶であると。

 その強烈な肉体の欲求が、少女の精神に干渉して意識の中で焦点を結び――少女らしく可愛らしい「とある感情」に昇華するのに、それほど長い時間はかからなかったのである。

 
 


 

 

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