BLACK DESIRE


 

 



7.


 日没が迫っていた。オレンジ色に染まりつつある湖に、南方の河川沿いに赤い光を引いて黒い影が突入してくる。

「見えたぞ! あれがウィルヘルム魔法学園だ!」
「……あそこです!」

 黒猫の言葉に、幎もそこに建つ細長い構造物を凝視して答えた。彼女の主人が、そこに捕らえられている事は間違いなかった。悪魔と契約者の繋がりがもたらす超感覚が、それを明白に知らせていた。

 オールドゥージュの操縦席内は警告ランプの光で赤く明滅している。因子炉の燃料切れだ。元々出動の予定の無いところを強奪してきたのだから当然と言えた。8時間の飛行行程と2回の戦闘をこなす分が残っていただけでも幸運だったと言える。

 魔法学園の周囲には、陽光とは異なる銀色光を放つスモークのような膜が張られていた。黒猫がふん、と鼻を鳴らす。

「防御結界か。何者かがあそこにいる事は間違いないな」

 そして、幎の膝の上から体を乗り出した。

「ぶちかませ! あれくらいの結界、食い破って見せろ!」

 オールドゥージュは命じられた通り飛竜形態のまま、正面から突っ込んだ。激しい干渉光と結界因子の4大元素再変換が起こり、空中へ稲妻や青白い炎が吹き上がる。操縦席内に一遍に大量のアラートが鳴り響いた。
 ミシミシと先端部の角にヒビが入り、中途から真っ二つに折れた。即座に人型に変形して両腕を結界内に突っ込むオールドゥージュ。背後の翼が金と朱の混じり合った光を空に届きそうなほど吹き上げる。

「突き破れ! お前の出力は戦艦並だ! 力だけで押し切って見せろっ!!」

<<ォオオオオオオオオオオオオオオオオオオンン!!>>

 金と朱の光に包まれた巨人が吼えた。その瞬間、バリバリと雷鳴の様な音を立てながら巨人の右手が結界の内へと潜り込む。ドン、と塔の切れ目のような空間に作られた庭園の地面に、その鉤爪のような指が食い込んだ。更に、その結界の綻びを左手で強引に押し開きながら上半身を潜り込ませる。

「よし!」

 胸部ハッチが開き、透明シールドがシュインとスライドした。その前方にはオールドゥージュが左の手の平を上にかざして用意している。幎とメッシュが飛び乗ると、巨人はその手を伸ばして二人を庭園に運んだ。

 ミシミシと巨人の右手が食い込んだ地面に亀裂が入る。巨人の身体がガクンと下に沈み込んだ。一杯に延ばした指先から、少女と黒猫が庭園の奥に飛び降りる。

 その瞬間であった。庭園の真ん中程からボソリと大地が割れ、外に向けて落ち込んだ。それに捕まっていた巨人ごと滑落していく。

「……!!」
「ヴァナリィに構うな! どうせもう動けん!」

 幎が振り向くのを黒猫が鋭い声で制した。ガラガラと周囲の構造物を巻き込みながら黒い巨人は湖へと落下していく。庭園も基部が折れたのか、どんどんと幎達の方まで崩れ始めていた。

「行くぞ! 小僧はもうすぐそこなんだろ!」
「……はい!」

 前方へと向き直り、少女と黒猫は並んで走り始める。その後方で、大きな重量物が水面に落下するドーンという水音が聞こえてきたのだった。





 闇の中、エアリアは肘掛け付き椅子に座って正面に投影した映像を見つめていた。そこには、迫る夕暮れの赤い日差しの中、必死に学園の外を巡る螺旋階段を登る少女と黒猫の姿が浮かんでいる。

「……ずいぶん荒々しく乗り込んできたものだ」

 足を組み肘を付き、握った手に顎を乗せた斜めの姿勢でエアリアは呟く。

「どうやったか知らないが、翔竜機まで強奪してくるとはな」
「……私もそろそろ出迎えの準備をした方が良いでしょうか?」

 椅子の後方、闇の中に溶け込むように立っていた女の形の影が問う。頭部にねじれた山羊のような角を持ち、背中にはコウモリの翼を生やしたエアリアの使い・夢魔のラミアである。
 その問いに彼女の主人は馬鹿にしたように「ふん」と鼻を鳴らした。

「まだここに来るには時間がかかるだろうな。まあ、切り札を失った奴らに『アレ』を突破できるとは思えんが」

 そう言ってエアリアはくっくっくと楽しそうに笑う。手を振り、新しい遠隔映像を呼び出した。

「……せいぜい、楽しいショウにしてもらえるよう精一杯足掻いてもらいたいものだ」

 そこには、塔の前にそびえる小山のような人影が映っていた。





「こっちで間違いないんだな?」

 先に進む黒猫が振り返りもしないで問う。それに幎は走る足取りを緩めることなく「はい」と頷いた。

 庭園を後にし、2人は休むことなく階段を上り続けている。空間が歪んでいるのか、不思議なことにこの学園はどれだけ真っ直ぐ移動しても端にたどり着くことは無かった。見た目に反して塔で囲われた内部は縦横上下に広大な敷地が広がっていたのである。

「遠回りのようだが……」

 メッシュが中央部に見えるひときわ高い塔を見上げながら言葉を続けた。

「……だが、契約者の呼び声は絶対だ。この歪んだ空間じゃお前の感覚だけが頼りだぞ」
「……はい」

 その時、がらーん、がらーん……と意外に近い位置から鐘の音が鳴った。6回打ち鳴らされたところでそれは止まる。黒猫は首を伸ばして階段の先を見上げた。

「ウィルヘルム魔法塔の鐘だ。学園の中央部が近いぞ!」
「……!」

 突然、階段が途切れた。途中で崩れているのではない。2人は階段の先に踏み出し、足を止める。
 そこは外壁に沿った螺旋階段の終点で、先ほどの庭園よりも遙かに広い平坦な空間の端へと繋がっていた。左右には木々が茂り、そして正面には大きなアーチ状の入り口を持つ一際大きな造りの塔がそびえ立つ。その中程には、先ほどの音の出所であろう鈍い色の光を放つ5mほどもありそうな鐘が釣り下げられているのが見えた。

 だが、2人の足取りを止めたのはその光景ではない。正面の視界を塞ぐように立つ、小山のような影を警戒したのだ。

 胴の長さよりも肩幅の方が有りそうな逆三角形の幅広の身体。長く地面にまで到達する両の腕。肩は内部に筋肉が詰まっているのか盛り上がり、その中央の頭部が半ば埋もれている。頭は竜のように長い口と牙、額には3本の角。そして、それらの巨大な体躯を金属の分厚い鎧で覆った重厚な容姿。

「こいつは……たまげた」

 黒猫は首が背中にくっつきそうな程上を見上げてぽかんと口を開けた。その視線の先で、その竜の頭を持つ巨人が無言で腕を振り上げる。

「……ウォーダン・ゴーレムだっ!」

 ドーン、と爆発でも起きたかのように、2人がいた場所が砕け散る。ゴーレムが腕を振り下ろしただけで、そこには豪快なクレーターができあがった。

 付近の背の高い木の枝に、スタッと小脇にメッシュを抱えた幎が着地する。その手にチャリリリと音を立ててロープ代わりに使った鎖が巻き戻っていった。

「……?」
「ここの技術教師どもが趣味で作ったタチの悪いゴーレムだ。竜の骨に魔力強化した鋼線を巻き、それを芯にフレッシュ・ゴーレムのように人工筋肉をくっつけ、更に鋼鉄の鎧を着せている。普通の魔力供給型と違って竜の骨髄が自己再生、自己強化しているから、ちょっとやそっとじゃ壊れない止まらない干渉されないの3拍子揃った強力なハイブリッド・ゴーレムだ」
「……」
「見た通り、意外に動きも素早いから避けて通ることもできん。あぁもう、何でこんな奴が今だに門番やってるんだよっ!?」
「……!」

 ゴーレムの頭が幎たちの方を向いた。そして木の上に2人を認めたのか、片腕をぶうんと振り回した。まるで柳を払うように、いとも簡単に木々をまとめて打ち折っていく。真ん中から折られた大木がくるくると回転しながら空の彼方へ消えていった。

 幎はそれより一瞬早く跳び上がっていた。空中でくるくると回転し、そして両手から無数の鎖を放出する。ジャララララ……と自在に飛んで宙に結界を描いた黒い鎖は、ゴーレムの手、首、脚、腰をがんじがらめにして大地や構造物や木々に繋ぎ止めていく。着地して体重をかけ、ぐっと幎が鎖を引っ張ると巨人の間接部に鎖がギリギリとめり込んだ。だが。

「止めておけ!」

 くるりと回転して着地したメッシュが叫んだ瞬間、ゴーレムは身じろぎしてあっさりと数十本、いや数百本絡みついていた鎖を引き千切った。幎の両腕からばっと黒い血しぶきが舞う。声こそ上げなかったものの、少女はよろめいて数歩後ろ向きにたたらを踏んだ。
 黒猫が駆け寄って来て、両腕からぼたぼたと黒い血を落とす幎を見上げる。

「無茶だ! あんなのと力比べできるはずがないだろ!」
「……」

 幎の目は真っ直ぐ前を向いている。それは、正面のゴーレムを透けて通り、その後ろの塔、そして、その上にいる彼女の主人を見据えていた。

「……郁太さまが、あの上にいるんです」
「それはわかるが、あいつを何とかしないと塔に入る事もできやしないぞ」

 ウォーダン・ゴーレムは見失った目標を探し、グリグリと周囲を見回している。何が気に入らないのか、小屋ほどの大きさの石造りの建物を横から殴り飛ばし、横向きの石つぶての雨に変えた。あの中に生物がいたとしても、たぶん雨が多少赤くなった程度の違いしかなかっただろう。
 幎はその様子をじっと見つめ、そしてぽつりと言った。

「……少し、思い出しました」
「何を?」

 黒猫の問いに答えず、ひょいっと少女はその首根っこを掴んで持ち上げた。「おいっ?」と驚くメッシュの首元の金のプレートに手をやる。

「貴方に預けていたものがあったはずです」

 そして、そのプレートをクルリと黒猫の首後ろまで回して持ってきた。「ぎゅっ!?」と首を絞められたような変な声を上げる黒猫。幎は更に、猫のうなじに来た小さな金属プレートを摘んだまま、背中側へと下ろし始めた。じじじじじ、とジッパーを開ける音がする。その隙間から金色の光が漏れ始めた。

 その閃光に気が付いたのか、ゴーレムが2人の方に首を向ける。足をこちらに向け、ずずん、と地響きが響く。

「おい、おい、おいおいおいおい!? 何するつもりだ、何するつもりだ!?」
「……今だけ、それを返してもらいます」
「何だとっ!?」

 幎はゴーレムの接近に構わず、黒猫の背中に開いた穴の中に右手を突っ込んだのだった。





 世界の北の果てに近い領域を、白銀の飛竜が飛んでいた。この辺りは霊高度が高いため、この季節は一足先に夜が訪れる。空には既に無数の星が輝き、光の精霊の通り道であるオーロラが幾筋も揺らめきながら空を横切っていた。
 眼下には氷結した海。所々の割れ目の付近には氷同士の押し合いの結果か盛り上がった氷山が山脈のように連なっている。それらの凍り付いた光景は、空からの細々とした光を反射してゆったりと煌めいていた。

 その飛竜の胸部の僅かな空間に、2人の人物がいた。1人は銀色の長い髪を持つ王国近衛軍大将、アルスティナ=ブランシェ。そしてその膝に乗っている小さな少女は、飛竜――第6世代型翔竜機、オールドゥージュ・トバージ――の操り手たるホムンクルス、フランベルジュである。
 少女はアルスティナの片腕に抱えられ、顔を笑みで満たしながら彼女のもう片方の手の細い人差し指の先をしゃぶっていた。それを少し頬を赤らめながら見つめているアルスティナ。

 ホムンクルスであるフランベルジュは、人間の遺伝子を取り込むことで自分の活動する魔力を発生する能力がある。そして、少女は吸血鬼の様に人の血からそれを生み出す事ができた。彼女が生み出された研究所に帰れば必要な魔力は即座に補給することができたが、それでも小腹が空くと周囲の者に「おやつ」をねだった。最初の内はアルスティナも断っていたのだが、一度許してしまうと後はずるずるとなすがままだった。今もこうして、オールドゥージュに操縦を任せて指先に付けた傷から血を飲ませている。
 しかし、見た目麗しい幼女にこうして指をしゃぶらせ続けていると何だか変な気分になってくる。何というか、「そういう趣味」の者の気持ちが理解できそうになったりならなかったり。アルスティナが指を引くと、つぷっと小さな音を立てて少女の唇から抜け、その間に糸を引いた。

「あん、もう終わり?」
「もういいでしょ? ほら、血も止まってる」

 アルスティナはそう言ってハンカチで自分の指を拭った。ついでに涎の垂れたフランベルジュの口元も拭いてやる。少女は「んー」と目を瞑って上を向き、アルスティナに拭われるのに任せた。

 2人を乗せたオールドゥージュは今、魔法学園から北回りで海に出て、西へ向かって帰還の途中であった。この時期は強い風が東から北極大陸上を吹き抜けるため、最短ルートを真っ直ぐ帰るより時間と燃料を節約することができる。行程消化も順調で、この分なら後3時間ほどで王都に戻れそうだった。

「ねー、そう言えばアルスティナさまー?」
「うん?」

 フランベルジュが脚をブラブラさせながら上を見上げる。アルスティナは首を傾げてくりくりとした瞳を見返した。

「このあいだ、この辺におーじゅたちが持ってきたの、なんだったの?」
「え? 小さな箱のこと?」

 一瞬、どきりとして聞き返す。だが、少女はぷるぷると首を振って否定した。

「ちがうよ。おっきなの。みんなで運んでたおっきな荷物」
「ああ……」

 アルスティナは内心安堵した。魔王計画に使われる箱の中身について聞かれたのかと思ったからだ。だが、もう1つの物についてなら答えられる。

「あれはね、鎖だよ」
「くさり?」
「そう。大切な物が盗られないよう、しっかりと固定するための鎖」
「ふーん。でもおーじゅならそんなのかんたんに持ってっちゃうよ?」

 少女の言葉に、アルスティナは吹き出しそうになった。ほんとに、この少女はオールドゥージュを頼りになる友達程度に思っているのだ。

「無理だよ」
「むりじゃないもん。ねー、おーじゅ?」
「駄目だよ。だって、あの鎖は王様が特別に作ってもらったやつなんだから」
「だれに?」
「王様の友達。王様の、一番大切なお友達だよ」

 「どんな人なの?」と続けて訊ねる少女。どうやら興味の方向はオールドゥージュにその鎖が切れるかどうかよりそちらに移ったらしい。

「お城で見かけたことがある。黒い髪の、綺麗な女の人」
「その人、まほう使い?」
「そうだよ。それも、王様と同じくらい凄い人」

 アルスティナは、王城の奥で見た光景を思い出しながらフランベルジュに語ってやった。

「そのお友達は炎を操る魔法使いでね、その火を使って物を加工することもできるんだ。そして、王様のお願いで、王様のために鎖を編んでくれたんだよ」
「王さまはいつもそのお友達にお願いごとするの?」
「うーん、いつもじゃないかな。お互い、して欲しいことがあったら贈り物したり、頼みを聞いたり、そうやって交換条件でやってもらうんだって」
「ふーん……フランがご褒美のおやつをもらうみたいに?」
「そうかも」

 少女の一生懸命の理解に微笑みながら、頭を撫でてやる。

「2人の大切な約束なんだよ。王様はそういう契約なんだって笑ってたけど」
「やくそくはやぶっちゃダメだよね」
「そうだよ。だから、今回も王様は鎖と交換に、魔法を一杯込めた剣を友達に贈ったんだ」

 その言葉に、フランベルジュは目を丸くした。

「おくり物に、どうして剣なの? お友達はだれかと戦うの?」
「背反魔法って言ってね。絶対に切れない鎖を創る事はできないけど、わざと何か1つのものだけが切ることのできる鎖を創る事で、逆にその他のどんな手段を使っても切れなくすることができるんだ」
「お友達は、その剣だけで切れるように鎖をつくったんだ」

 うんうんと自分で頷きながら少女は納得の笑いを浮かべる。良くできた教え子にアルスティナも笑った。

「そういうこと。だからオールドゥージュにも無理なんだ。その鎖は、王様の贈ったその剣でしか切れないんだから」
「そうなんだ」

 フランベルジュは大きく頷く。そして、急に良いことを思いついたばかりにぱっと顔を輝かせた。

「じゃあ、フランもアルスティナさまに贈りものする!」
「え?」
「アルスティナさま、フランのいちばん大事なお友達だから、だから贈りものするね!」

 そして、「なにがいいかな〜」とうんうんと考え事を始める少女。アルスティナは腕の中のその姿にどうにも愛おしさが堪えきれなくなり、きゅっとその小さな身体を抱いた。

「……いいよ、フラン、ゆっくり考えれば」
「どうしたの、アルスティナさま?」
「……何でもない」

 ……どうして美しく、愛おしいものはすぐに失われてしまうのだろう。この腕の中の少女が、本当はこのオールドゥージュという兵器を操るためだけに生まれてきて、しかも後1年数ヶ月しか生きられないなんて、なんと残酷なのだろう。

 アルスティナは北極近くの澄み通った夜空を見上げる。様々な色合いのオーロラが、一時として形を保たずにその姿を変えていく。

 逆なんだ。と、アルスティナはしみじみと思った。儚く、たゆまなく変化していく存在だからこそ、愛おしく、美しい。この手の中の少女もそう。そして、やがて滅び逝くこの魔法世界も。

「変なアルスティナさま」

 フランベルジュが笑い、手を差し伸べる。その瞳に、自分が映っている。

 ……だからこそ、今はためらうことなく愛そう。
 アルスティナは、静かに彼女の腕の中の宝物の小さな手を握り、指を絡めたのだった。





 黒猫の背中から引きずり出されたそれは、巨大な闇の固まりだった。夕暮れの赤い陽の光の中、辛うじてそれが光を反射しない長い板状の物だと判別することができる。幎の右手はその根本の方を握り、それを空に向かって掲げた。自分の体躯の何百倍もの大きさの物体を抜き取られたメッシュは、地面に転げながらそれと少女を仰ぎ見る。

「やめろ! その『剣』が何だかわかっているのか!?」

 だが、誰かそれを見て「剣」と認識できる者がいるだろうか? ジェット機の翼ほどの大きさのある黒い闇の固まり。普通に見ればただの壁でしかない。それほどの大きさのものを、幎は片手で支えているのだ。

 ミシミシと、軋むような音を立てて少女の右手が闇に染まっていく。蛇の頭のように延びていく影が、戦闘服の上から幎の腕を締め上げ、黒く変色させる。同時に、ギシギシと足下から空間の捻れる音がし始めた。黒猫は地面に爪を立てて吹き飛ばされるのを必死に堪える。

「見ろ! 今のお前じゃ剣の存在負荷に耐えられん! 逆に『食われる』ぞ!」
「……」

 幎は答えない。じっと、近付いてくるゴーレムを、その後ろの塔を、そしてその中にいる彼女の主人を見つめ続けている。ぐっと身体の向きを変え、剣の刃を魔動人形の巨体へと向ける。幎とその剣を覆う闇が、いっそう濃くなった。

「止めろ! 使うな! それは、それは……」

 そして、今まさに両手を固め、大鎚の様に真上から落としてくる巨人に対し、無造作にそれを振り下ろした。

「それは、地獄を繋ぎ止める鎖を切る、『咎人の剣』だっ!!」




 ずおん!




 一瞬、闇の雷が地面から吹き上がった。しかし、衝撃も、大音響も轟かない。拡散した雷が太陽のコロナのように弧を描いて戻り、そして、ぱきぃんと何かが砕ける音がする。

 数秒の静寂。

 そしてその後、ずしんずしんと大きな音と共に、ゴーレムの腕だけが地面に落ちた。その他の部位は見あたらない。肩と繋がっていた上腕部の切断面も、黒い煙のように僅かな影の残滓を放出しているだけだ。
 巨人の大部分は、咎人の剣の闇に飲み込まれたのだ。地面もまた、剣の落ちたところだけナイフで切ったチーズのように鋭角に断面を露わにしている。およそ50mほどの直線で、例外無く、容赦も無く。

 どさっ、と音が響く。幎が横倒しで倒れていた。慌てて黒猫が近付く。
 闇の絡まった幎の右手に噛みつき、前脚を使い、強引に指を開かせると、巨大な闇の剣は黒猫の背中にしゅるしゅると吸い込まれ始めた。吹き出した黒煙の映像を巻き戻すようにそれらの全てが収まると、ひとりでに下まで降りていた金のプレートが動いてジッパーを閉め、くるりと首の周りを回っていつもの定位置に戻る。ぷう、と黒猫は溜めていた息を吐いた。

「……おい、動けるか?」

 ゆっくりと、幎の片目が開いた。左手を地面につき、身体を起こす。ふらふらと上体が揺れて安定しない。

 幎の右半身は黒く闇の色に染まっていた。右腕、右脚、そして胴も脇腹から背中の半分まで。うなじから右耳の下にもギザギザの影の模様が入り、それは彼女の白い頬に入れ墨のように痕を残していた。
 まだしゅうしゅうと黒い影の残滓を吹き上げる右手を庇いつつ、ゆらりと少女は立ち上がる。そして、黒猫が口を開く前に言った。

「……行きましょう」
「大丈夫なのか……って、見りゃダメだって事はわかるな」
「……」

 止めても聴く気は無いのだろう。幎は右足を引きずりながら既に歩き始めている。メッシュはやれやれとため息をついた。

「……行くか。もうそんなに時間は無い、急がないとな」

 そして、軽く駆けて幎の横に並ぶ。2人はゆっくりと、しかし真っ直ぐに塔へと向かっていった。陽の光の作る2人の影は長く、それは夜の時間の到来が間近であることを知らせている。
 抉られた地面の側に残る、鎧に覆われた二本の巨大な腕。それは空の色を反射し、真っ赤に染まっていた。

 
 


 

 

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