BLACK DESIRE


 

 



6.


 ランファ=ランカ少尉はアイドルである。
 それは21小隊のアイドルと言う意味ではない。彼女はアイドルとしてのパーソナリティを与えられたホムンクルスなのだ。

 戦争が長引くに従って、年々ホムンクルス兵の役割は多様化してきた。最初は魔動兵器のパーツの一部、そして兵達を慰める性処理人形。やがてそれは日常生活での単純な会話相手や隣人としての安らぎを求められるようになり、戦争の花形パイロットとしてカリスマ性すら要求されるようになってきた。
 ホムンクルス兵の製造企業はそれらの要望に応えるため、ホムンクルスに封入するオートマトンプログラムの改良を常に続けてきた。より人間らしい仕草、より人間らしい会話、そして相手の反応を読みとり適切な対応を行う豊富な状況判断能力……。
 だが、そうやって複雑化した対応プログラムはいざ戦闘の時になると無駄であるばかりか余計な負荷をかけて反応が遅れる原因となる。

 その解決法として、近年では戦闘用のプロテクトルーチンと部隊が好きに使える自由書込ルーチンの間に、両者を参照しつつ個性を発揮する事の可能な中間ルーチンを持つものが増えてきた。
 ランファ=ランカはその中でも特に尖った特徴を持つホムンクルスであり、それが彼女の個性的な中間ルーチンに与えられた「アイドル性」の部分なのである。

 彼女の場合、大元となるホムンクルス・アイドルがそのベースになっている。アイドル的な歌唱や踊り、グラビアや動画の撮影など、そういった活動を行うアイドル活動専門の別個体ホムンクルスが存在し、それと身体的特徴を同一にしたホムンクルス兵に個性ルーチンとして簡略化したパターンデータを移植したのである。
 その結果、元のアイドルの外見年齢が若かったため多少身体能力に不利はあるが、優秀な戦闘能力と魔力供給能力、そして非番時にはアイドル的カリスマを持つ上に性処理に使用することが可能な多機能ホムンクルスが完成した。

 この様に、ベースとなるパーソナリティの反応パターンを簡素化してルーチンに組み込むのが最近のホムンクルスのトレンドである。その元はランファの様にパターン作成専用のホムンクルスを1から造る場合もあるが、実在の人間からパターンを提供してもらう方法もある。その場合多くは匿名で提供され、中には没落貴族が娘に金目当てで了承させる場合もあるのだという。(21小隊にも配属されている「ディアナIV型」も、そうやって提供された貴族女子のパターンを複数取り込んでいるという噂である。)

 注意すべき点としては、こうやって人間味を得たホムンクルスであっても、その反応はあくまでパターン・ルーチンによるものであって本当に喜怒哀楽の感情を感じているわけではないという点である。ホムンクルスの感情と言える物はあくまで「吸精欲」を始めとした単純な衝動と、命令達成に関する快不快の反応くらいである。表情もまた、ルーチンから引き出されたパターンで作っているに過ぎない。
 ホムンクルスの内部霊的係数は0であり、霊的高度を持たないために高次からの精神体継承が行われない……要するに『魂』が発生しないのである。故に、魂を揺さぶるような感情体験は絶対に行われることはないとされる。





 ランファの製造企業や軍の思惑通り、21小隊においてもランファ=ランカは人気者であった。アイドルと同じ外観、声、笑顔を持つホムンクルスが、同僚として寝食を共にするのである。頼めば流行りの歌と踊りを披露することも出来たし、実際に小隊内の数十人のファン達によって小規模な戦地慰労ライブが定期的に開催されている。
 それだけではない。ランファは元のアイドルと完璧に同じ見た目でありながら、ホムンクルス兵として男性隊員の欲求にも完璧に応えた。

 例えば、グラビアと同じポーズ、同じ笑顔を皆の前で裸になって披露したこともあるし、性器が露出する過激な衣装で歌い踊ったこともある。単純なヌード撮影会や男性隊員と一緒に入浴して疲れを流す事くらいは日常茶飯事で、当番兵の趣味によっては延々と泣き顔の表情を作ったまま犯され続けたこともある。アイドル系ホムンクルス兵は非番の時も演技派なのだ。

 さて、今日のランファの当番もその時に負けず劣らずの偏った趣味を持つ兵士だった。彼女のガゥルシュミット3号機の格納がすむやいなや、その当番兵はランファのルーチン・スイッチであるチェーン付き首輪をその細い首に填め、素っ裸にさせた。そして少女を四つん這いで歩かせ、屋外を引き回したのである。
 当然の様にその途中途中でランファは雄犬のようにマーキングをさせられた。少女の股間から透明な小水が放たれるのを喝采する観客達。そのうち片脚上げた姿勢のランファを、放尿中にその脚を掴んで転ばせて尿を飛び散らせる様を面白がる。
 それどころか、やがて面白みの鮮度が落ちたとみるや排泄行為まで要求しはじめた。自由書込による肉体改造により、少女の尻穴を通過できるギリギリの太さのものを要求される度に排泄させられる。最終的には、1時間半かけて基地内を一周する間に排泄行為も10回は強要されることとなった。最後の1回など、自分の握り拳よりも太い疑似排泄物をランファは観客の目前で体内から吐き出して見せたのだった。
 そして、それらの行為を当番兵は、オリジナル・アイドルの羞恥の表情で行わせた。その可憐な表情と変態的行為のギャップにそそられるものがあったのか、その後のランファの慰安ライブはかなりの盛り上がりを見せた。





 レクリエーション・ルームの床に、裸の少女が転がっていた。うつ伏せで首を横に曲げて寝ているのだが、どう見ても転がっている、あるいは転がされていると形容すべき状況である。それは、部屋に敷かれた青いシートの上に乱雑に長かったり曲がっていたり、開いたりする器具が無造作に転がっていて、それらが一様に泡だったどろっとした液体に濡れ光っていて、そしてその少女がそんな玩具とほぼ変わらない様子で放置されていたからだった。

 少女の小さく細い指がぴくっと動く。感触を確かめるように、指先をゆっくりと擦り合わせる。指の間にぬるりと糸を引いた。
 ゆるゆると腕が持ち上げられ、緑がかった髪の横に手をついた。そして、ぬちゃっと粘液にまみれたシートから頭を引き起こす。上半身が起き、とろんと半目のあどけない顔立ちが見えるようになった。ランファ=ランカ少尉である。

 ホムンクルスは魔力さえあれば活動していけるので、眠る必要はない。だから、今までランファが睡眠状態にあったのもルーチンに書き込まれたパターンによるものである。
 どうやら乱交に混じっていた男の中に、意識を失った少女を犯す趣味を持った者がいたようだ。その要望で当番がランファに気絶状態になるように指示を出したのだろう。今はそれらの者の姿が見えないので、たぶん満足してそのまま少女を放置したものと思われる。

 ぺたり、とシートの上に女の子座りにお尻を付ける。その動作で、少女の膨らみかけサイズの胸の先に付けられたピアスと首輪のチェーンが接触してチリンと小さな音を立てた。さらに、よく見ればお腹も少し不自然に膨らんでいる。何か、少女の身体には不釣り合いな巨大なものがそこに詰め込まれていることが、肌の外からも想像できるような有様であった。
 しかし、ランファは寝ぼけ眼できょろきょろと辺りを見回すと、ふぁ〜と小さな口に手を当てて欠伸をした。そして猫のように手首を曲げて目の辺りを擦る。ちなみに、これはランファのパターン元が行う動作を真似ている。

 ぷるぷると頭を振って意識をはっきりさせると(そのように見える仕草をすると)、ランファは立ち上がった。そして、少し脚を左右に開くと、手を使って自分の股間から体内に押し込まれているものを引っ張り出す。まずは一本が、ごとんと重い音でシートに落ち、続いて少し長めの物が、もう一本。直後、ランファの前後の穴からおびただしい量の白濁液がシートの上にバシャッと溢れ落ちた。少女の幼さを残した身体によくもこれだけと呆れるばかりの性欲である。
 どう見ても少女の小さな身体の許容量を超えている。人間相手なら時期に関係なしに孕んでしまいそうな量だ。もっとも、最近のホムンクルスは体内に入ったり肌に付着した精子を疑似卵細胞結界で即座に魔力変換して取り込んでしまうので、ランファの身体からあふれてきた液体は既に「種無し」状態になっているのだが。
 腹を内から圧迫していた物が無くなり、少女のお腹は元の通りのスリムに丸みを帯びた形に復元した。その下の前後の穴も、しばらくはぽっかりと口を開いたままだったが、やがてゆっくりと閉じていく。

 ランファは汚物や器具をそこに残したまま、レクリエーション・ルーム隣のシャワー室へと向かった。「ふんふふんふ〜ん♪」と流行歌の鼻歌を歌いながらシャワーを浴び始める。
 頭から湯を浴び、肌を手のひらで撫でて表面のぬるつくものを流していく。胸の先端に手が触れたとき、そこに穴を開けて貫通しているピアスに気が付き、無造作にそれを取って床に捨てた。若干血が滲んだがそれもすぐ湯に流れ、そして見るまに傷穴も塞がって僅かに肌に赤い跡が残るのみになる。
 この様に、ホムンクルスは魔力さえ十分にあれば軽傷程度ならすぐに直ってしまう。自己復元機能が備わっているのだ。この力は魔動戦闘機などに乗って魔力増幅されていればもっと強力になる。増幅率にもよるが、失った手足くらいなら6時間もあれば再生が可能だ。寝ない、疲れない、怪我しない、死を恐れない、命令に従うとホムンクルス兵は正に理想の兵士なのである。

 その時、シャワーの音をかき消す大きさで緊急アラームが鳴り響いた。ばっと振り向いたランファの顔付きがカチンとスイッチが入ったように真剣なものになる。ぎゅっとシャワーノブを回して止めると、その格好のまま通路へと飛び出した。カンカンカンとアラームが鳴り響く中、水滴を飛び散らせながら通信機に飛びつく。

「ランファです! アラームの詳細をお願いします!」
『シャルロットよ。ランファ、緊急指令、ガゥルシュミット3号機に搭乗して発進準備。指令内容については準備中に同時にブリーフィングを行い、通達する』
「発進予定時刻を教えて下さい」
『準備でき次第よ』

 つまり、それほど緊急の用件という事か。ランファはまだ自分の首に残っていた革製の首輪と喉の間に指を入れる。

「了解!」

 ぶちりと、少女はそれを素手で引きちぎった。





 ホムンクルス用の特殊戦闘衣装は4つのパーツに分かれてパッケージングされている。上半身の前後が1つずつ、両脚、そしてブーツである。
 まず、この衣装は素肌の上に身に付けるため全ての衣服を脱がなくてはならない。裸になったら、最初に身に付けるのは上半身の前パーツである。指先から肩までの腕、顎と喉、鎖骨部分までを覆うこのパーツは、両手の指を通して肩の位置を合わせ、顎を固定してやることで装着完了する。丁度、長袖シャツを首を通さずに腕だけ入れた状態に似ている。
 続いて、うなじから肩胛骨までの背中、脇腹を覆う後パーツを着ける。少しコツが要るが、左右どちらかの脇腹の覆いを片手で持って背負い、もう反対の手でうなじの部分から順に前パーツと噛み合わせてやる事で固定できる。脇腹の覆いを肌に密着するように調整してやれば完了だ。
 両脚のストッキングのようなパーツはそのまま履くだけで良い。太腿外側には脇腹と同じ肌に密着する調整パーツが有るので、一度密着させればずり落ちることもない。爪先まできちんと入れ、腰の部分と脇腹の接合部を噛み合わせれば防護服自体の装着は完成だ。
 上半身前パーツが他の部位パーツを認識している事を確認し、手首のスイッチを入れれば衣装の保護魔法が起動して、胸、腹、腰、背中、脇下、内腿といった露出部を防護皮膜が覆う。最初は肌が潤っただけに見える透明極薄流体シールドだが、数分でゴム膜状に安定し、少しだけ縮む。この時、設定した色合いに変色して肌色は見えにくくなる。各軍によってこの皮膜の色は違い、近衛は黒、海軍は青紫、そしてランファ達陸軍はグレーに統一されている。なお、訓練装備や試験装備の衣装では内側に更に機器を貼り付けることがあるので、見えやすく白やオレンジ色を使用したり、または色付け自体しない事もある。
 最後に、ブーツを履けば特殊戦闘服装の完成となる。踝のロックを外し、脚の甲側のカバーを開いて足を入れ、閉じて再度ロックする。このブーツに関しては大きさは統一されているが、内側にサイズ調整機能が付いているために足の大小は関係無い。

 この特殊戦闘衣装は衝撃干渉や生命維持、健康状態モニタなど多種の機能を持っているが、それはほぼ魔動戦闘機の操縦席と連携してのシステムになる。座席に座るとこの衣装は金具で操竜手の身体を固定し、同時に機体とのインターフェイスを開始する。座席にレバーは付いているが、それを倒して操縦することは無い。身体の傾き、微細な腕の力の入れ方、足の踏み込み、それらをこの戦闘服で直接筋肉や神経から検知し、操縦情報として機体に渡しているのだ。レバーはだだの「目安」である。この様に、最近の魔動戦闘機は操縦者の衣装側に操縦検知機能を持たせ、操縦区画にはデジタルなスイッチ類以外を搭載しないデザインが主流となっている。これは、高速機動時に慣性による誤操作を減らす目的がある。





 さて、緊急指令を受けたランファは裸にサンダルのまま自分のガゥルシュミットの足下に駆け込んだ。整備員達に野次を飛ばされながらお尻を振ってラッタルを登り、取る物もとりあえずで持ってきた戦闘服を操縦席に放り込む。頭を突っ込んで操縦席横の可動モードスイッチを停止からスタンバイにガチンと捻り、ホイール回転音を確認したらすぐにまた外に出た。

 整備員も一通りの機体チェックを行うが、空を飛ぶ翔竜機の最終チェックは操竜手が責任を持って行わなければならない。墜落すれば命を落とすのは操竜手本人であり、それ以外の誰も責任を取る事が出来ないからだ。
 さすがにサンダルで機体に登る訳にもいかないので、取り急ぎブーツだけは履く。金属のラッタルの冷たさに怯むことなく座り、まだ乾ききっていないシャワーの雫でお尻の型を付けつつ足首のロックをしたところで通りがかった若い整備員に目を付けた。立ち上がって駆け寄り、目を丸くしているのを何とか交渉して手袋をゲット。

 服ぐらい着ろ、と言いたいであろうが仕方がない。ホムンクルス兵は基本戦闘服がノーマルであるし、衣服を身に付けない羞恥心は戦闘モード時にはパターンに入っていない。発進準備の方が優先度が高い場合、こういう光景はまま有る事なのだ。
 というか、緊急発進訓練では戦闘服の装着も手順に入っているので、大抵はランファのように裸で駆けまわって機体チェックをすることになる。実戦でなければ遠慮なく眺め回す事ができるので、整備兵にもホムンクルス兵対象のその訓練は人気が高かったりする。

 そうこうしている内にランファはブーツに手袋だけの姿で機体後部に回り込み、台座のラッタルを登って一気にガゥルシュミットの肩まで上がった。竜鱗模様剥き出しの装甲に開脚して跨がり、竜眼に光を当てて反応をチェックしたり、背中の飛翔翼の展開機構、固定機構を確認したりする。首の下の緊急脱出開口部の閉鎖確認をしている時、ちょうどすぐ隣りに格納されたフォーゼッツIIの肩回りの動作点検をやっていた整備兵達が突き出されたお尻に気付いた。一時手を休めてランファの股間部や尻穴付近をにやにやと眺めて目の保養をする。少女が脱出口から頭を上げた瞬間、目を逸らせて元の作業を再開した。

 ランファは更にその他の部位もあちこち動き回って次々と調べていく。特に、朝の戦闘で負荷をかけた左腕の各関節部は耳を当てて異常な動作音がしないか、逆に脚を掛けてランファの体重を乗せても簡単に関節の固定が外れないか、入念にチェックを行った。最後に台座足下にいた整備班長と作業報告を行い、おまけの様に若い整備兵に手袋を返す。ここまでで5分。

 機体の準備ができてももう一つ、発進前に確認の必要な部品がある。ホムンクルス兵たるランファ自身だ。
 ガゥルシュミット3号機の前にはもう管理官が待っていて、ランファに細長い棒を手渡してくる。それを少女は、ためらうこと無く自分の股間部に宛がうと、一気にその棒の印の位置まで挿し込んだ。すぐに抜き取って管理官に手渡す。この手順が有るため、ホムンクルス用戦闘衣装は股間部までスイッチ1つで皮膜を張ったり解除したりできるようになっているのだ。
 管理官は棒を布で軽く拭うと、そこにあるメモリに付着した魔力残留物を読み取った。頷き、ランファに許可を出す。どうやらランファの先ほどの「補給」は十分だったようだ。

 ようやく全部の外回り作業を終わらせ、再度操縦席に駆け込んだ。今度こそランファはその小さな背中を座席に預け、先に放り込んでおいた衣装の脚パーツに足を通す。片足を上げて爪先を押し込んでいると、ピン、と2141号機から通信が入った。

『ランファ、状況を説明するわ』
「お願いします!」

 窓に映ったシャルロットは既に準備完了しているようだ。きっと待機任務中だったのだろう。

『1420に入った情報よ。今朝方、0800頃王立魔動研究所に何者かが侵入。セクション1の秘匿区画から開発中の翔竜機1機を盗み出した』
「へぇ〜。お城の地下なのに案外ザルなんですね」
『0843、王都南方をパトロール中だった近衛軍機が盗難機と思われる翔竜機を発見。追跡するも振り切られて0915に見失った』
「あらぁ、賊のくせにやるもんだ」

 戦闘服の前と後を着る前に組み合わせながら感嘆の声を上げる。この着方は髪の短い者だけができる時間短縮の裏技である。ランファは袖に手を通しながらスポッと頭からそれを被った。

『盗難機は見失う最後に方位070に向けて飛行していた。そして、1335、第6区域の620監視所が東進する所属不明の飛行体を探知、これを盗難機であると断定した』
「は?」

 首を襟から出し、分かれたパーツの噛み合わせ部を固定していたランファの手が止まる。

「王都で盗まれたのに、なんで急に東部に話が飛ぶんです?」
『研究所からの情報によると、開発中だった翔竜機の性能なら8時間で大陸を横断できるらしいのよ』
「えぇ? ちょっと待ってください、盗まれたのは翔竜機なんでしょ? 飛竜機じゃないんですよね?」

 翔竜機と飛竜機の性能差は飛行可能高度だけでなく、最大速度にも大きな違いがある。第4.5世代機で最速と言われるガゥルシュミットを使い、理想状況を想定したとしても大陸横断しようとしたら30時間はかかる。それを8時間でというのは無茶が有り過ぎる。
 だが、シャルロットには心当たりが有りそうだった。

『……以前、王都に行った時。噂を聞いたことがある』
「勲章をもらった時ですか?」

 ピ、と手首の皮膜形成スイッチを入れながらランファが尋ねると、シャルロットは無言で頷いた。

『魔動研究所の次世代翔竜機は飛竜機との可変型で、その内の1機は王の専用機らしい』
「信憑性有るんですか? それ」
『実は、勲章はついでで、その専用機の姉妹機の飛行テストにシュミットで付き合わされた』
「ふぅーん……それで?」
『飛竜機形態は見れなかったけど、翔竜機の状態でもさすが王専用機ってくらいよく動いてたわ』
「いや、そうじゃなくてですね」

 天井付近のスイッチを次々と入れ、機体の機能を1つ1つ立ち上げていくランファ。肌の表面を覆う防護皮膜がようやく色付き始める。

「つまり、賊が盗んだのはその専用機で、飛竜形態でかっ飛ばして極東に突っ込んでくるから、私達がとっ捕まえてこいって事なんですね?」
『機体の回収が最優先。賊の逮捕はその次』
「生死は?」
『回収さえ出来れば、問わないそうよ』
「あ、そうなんですか」

 整備兵のサインに従って2143号機を立ち上がらせる。すぐ側の台座から鞘に収まったままの太刀を取り上げた。

「なら、私達の得意技ですね」

 ビュウゥン。竜鱗迷彩が作動し、機体の装甲面が一瞬で森林迷彩色に塗り分けられた。





 その後、先に状況を聞いていたカノエも合流し、指定された作戦区域に飛行しながらブリーフィングを行う。

『目標の性能を考えたら、ゼッツーを置いてくのは仕方ないですね』
「それに、フォーゼットIIの移動速力では目標が到着するまでにたどり着けないから」

 ランファの言葉に同意するシャルロット。作戦に参加する他の2機に共有機能を使って地図を送る。

『あれ? これって……』
『朝の』
「そう、地竜討伐地点。ここを今回も使う」

 そして司令部から示された作戦要項を説明した。

 今回目標となる盗難された翔竜機、これを<グリフィン>と呼称する。<グリフィン>は620監視所の算出によると、約71度で東進しているので作戦区域に西端から1615頃進入してくる。単純にこれを3機のガゥルシュミットで取り囲もうとしても、速力に任せて振り切られる可能性が高い。そこで地形を利用する。

「カノエの2142号機は今朝のポイントブラボー南15kmの地点に潜伏。区域に<グリフィン>が侵入し、右10度となったところで狙撃開始。これは当てるのが目的ではない」
『目標を北に追いつめるんですね?』
「その通り。第11区域の北には東西にウルベクス山脈が走っている。北の高地に寄せる事で相対的に高度を上げ、<グリフィン>の3次元機動に制限をかける」

 この時代、翔竜機にとって高度の壁は下方向にだけ有る訳ではない。皇竜によって閉ざされた空自体が広大な蓋になっているのだ。

「ウルベクス山脈の標高は5000m以上。飛竜機であってもここを飛び越えるのは不可能だ。当然、<グリフィン>は山脈沿いに東を目指すと予想される」
『ということは……』

 ランファが地図上に山脈に沿うように赤線を引いた。その先には、今朝方激闘のあった崖に挟まれた川が南北に流れている。

『私はこの辺に潜んで、ポイントブラボー付近に追い込めばいいんですね?』
「その場合の<グリフィン>の対応は2通り考えられる。低高度で狭い崖の間に追い込まれることを嫌って高度を上げるか、速力を落とし、翔竜機形態になって崖に飛び込むか、だ」
『南側には私がいますから、高度を上げれば目標はもう上下にも動けず、まっすぐに東に進む動きしかできませんね。それなら十分、狙えると思います』
「その時は私とランファでカノエの援護を行う」

 カノエの意見にシャルロットも同意した。『飛び込んできた場合は?』とランファがもう一案について尋ねる。

「ポイントアルファ付近には私の2141号機が待機する。向かってきたら、取り押さえる」
『相手は次世代機ですよね?』
「情報によるとチェンウィップの様な武装しか装備していない。目視できるなら躱せるよ」

 「それに」とシャルロットは自信ありげに頷いた。

「私は一度、あれの同型と空戦したことがある。推力はあちらに分があるが、小回りと格闘能力はシュミットの方が上だ。狭い空間での接近戦に持ち込めば、圧倒的にこちらが有利になる」





 メッシュと幎が乗ったオールドゥージュ・ヴァナージは順調に東へ向けて一定高度で飛び続けていた。

「……そろそろ第11区に入ったな」

 地図を見ていたメッシュが顔を上げ、呟く。2人と1機は魔法王国王都のある大陸の西岸から中央を横切り、いよいよ極東と呼ばれる区域へと差し掛かっていた。この11区の先に、目的の魔法学園が在る。
 初動で近衛軍にまとわりつかれた以外、順調な旅であった。8時間の予定行程もほぼ8割方消化し、後は山脈を1つ迂回すれば学園の建つ湖から流れる河の下流部に広がる平原が見えてくるはずだ。そこまで行けば、あと20分程度で到着する。

「小僧はまだ無事か?」
「……はい」

 前方をじっと見つめたまま幎は頷いた。

「だんだん、近付いています」
「敵さん、素直に返してくれればいいんだが」
「……」
「ま、その時は多少は痛い目には遭ってもらうか」
「……はい」

 「ま、娘っこを困らせるのは小僧の方が得意だろうが」と軽口を叩く黒猫。髭を振るわせ、ニヤリと笑う。幎の方は真顔のままだ。

 その時、突然ビーッという警告音と共に機体が左に傾いた。「うおっ」と椅子から転げて幎の膝の上に落ちてくる黒猫。続いて、バシンとはじける音と共に機体がグルリと勢いよく360度回転した。

「狙撃された!? ヴァナリィ、高度を落とせ!」

 即座に反応し、飛竜形態を解いて人型に戻るオールドゥージュ。飛翔翼を前方展開して垂直降下した。その上方をさらに2発の弾丸が通過する。

「偏差射撃か! 距離を取れ!」

 オールドゥージュはジグザグの回避運動を行いながら北に進路を変えた。前方の狙撃手を大きく迂回する経路だ。横合いから追いかけてくる弾丸を上下に細かく機動して躱していく。そちらの方向に目を凝らしながら黒猫が苛立ちに尻尾を振り回した。

「待ち伏せか、どこの部隊だ! あとちょっとだって言うのに」

 そしてブツブツと独り言のように呟く。

「ヴァナリィに任せて突っ切るか?……よほどの翔竜機でもない限りこっちのフルスピードに着いてこれる奴はいないはずだ……ある程度距離を離したらまた飛竜機モードで振り切れるはず……」
「……! ……前!」

 幎が前方から接近する機影に気が付き、黒猫の言葉を遮った。オールドゥージュは北に向けた進路を再度右に振って東に頭を向ける。それに追いすがるように鋭角なシルエットの迷彩柄翔竜機が後ろに着いてくる。ズームした映像を見てメッシュが尻尾をピンと立て、珍しく余裕無しに慌てた。

「逃げろっ! ありゃ陸軍のガゥルシュミットじゃねえか! ホムンクルス用にカリカリにチューンした変態機だぞ! 1機でもまともに相手したらやべぇっ!」
「……!」

 幎の身体が激しく上下左右にシェイクされる。直撃こそ無いものの、狙撃によって飛翔翼の作る飛行フィールドが破壊されて慣性制御が効かなくなってきてるのだ。回避運動のGをもろにくらうようになり、黒猫の身体がゴム鞠のように跳ね回るのを黒い鎖がつなぎ止める。

「痛てててて! ちょっとは加減しろろっろおろおお!!」

 言葉の途中で今度は捻り込み大回転を始める操縦室。狙撃に気を取られている間に後続のガゥルシュミットが追いついてきたのだ。後ろを取られ、ばらまかれる弾丸を推力に任せた強引な機動で回避する。メッシュは黒いスライムの如くべちょっと天井にへばりついた。

「のおぉおぉおおののおおお〜!」
「……崖……どうしますか?」
「がけぇだとぉおうぅおおお……!」

 自分だけしっかりと座席に固定されているため被害の少ない幎。その言葉に、ぐるぐる目のメッシュは前を向いた。

「……! だめだ、飛び越すなヴァナリィ! そこを越えたらもう上下動はできなくなる! 的になっちまうぞ!」

 今まさに上昇しようと機首を上げかけていたオールドゥージュはその動作を緊急中止。盛大に大出力によるエーテル光を撒き散らしながらすれすれで北に向けて方向転換した。急激に高度が落ち、眼下に川面が広がる。オールドゥージュは左右を崖に挟まれた渓谷へ飛び込んだ。

「そうだ、ヴァナリィ! 崖の間を行けば狙撃を食らうこともない。最高速ならこっちが上なんだ。地形を盾に攻撃を封じれば、ガゥルシュミットの1機や2機くらい振り切れる!」

 後ろを気にしながら自分の席に踏ん張って黒猫が叫ぶ。そしてくるりと正面を向いた瞬間、その視界に覆い被さるように急接近する岩肌色の迷彩カラーを見た。

「もう1機だとぉおっ!」





「予定通り!」

 ガゥルシュミット2141号機が身を隠していた例の崖上ポイントから飛び出す。<グリフィン>は身を捩って衝突を避けようと回避運動を行うが、飛翔翼が崖に引っかかって飛び散り、フィールドが乱れて不安定に機体がぶれる。対してシャルロットは機体に旋回させながら飛翔翼の出力をマニュアルで操作し、巧みに崖の間をすり抜けて肉薄する。

 バシッと一瞬で<グリフィン>の姿が変化した。金色だった縁取りが炎の如く揺らめく紅に変わり、翼も赤く極大化する。その出力に盛大に翼で崖をガリガリと抉りながら黒い巨人はシャルロット機の方を振り向くと、その両手から黒い鎖を打ち出してきた。

「……っ!」

 その2本をひょいと僅かな機動でかわすガゥルシュミット。<グリフィン>は更に、翼の中から蜘蛛の巣のように放射状と螺旋状に無数の鎖を放出した。鎖は空中で自在に方向を変え、結界のようにありとあらゆる方向から黒い槍のように向かってくる。だが。

「遅いっ!」

 シャルロットの操るガゥルシュミットの動きはその上を行った。目視が困難なほど細かく鋭い機動で大半の鎖をぎりぎりで躱し、接近するのにどうしても邪魔はものは大盾を使って斜めに打ち付けて逸らす。シャルロットを足止めするために速力を落とした<グリフィン>に、逆に一気に詰め寄った。

 ドガン! とガゥルシュミットと<グリフィン>が激突する。シャルロットはぶつかる寸前に機体を僅かに捻り、上手く<グリフィン>の脇腹から盾でかち上げるように操った。<グリフィン>側は軸をずらされた圧力に衝撃を受け止めることも出来ず、自分よりも小型のガゥルシュミットに押し切られる。そのまま受け身を取る事も出来ないまま、崖に叩きつけられ、2機分の運動エネルギーをもろに食らうことになった。半ば斜面にめり込むように動きを止められる。盾でギリギリと岩肌に押しつけながら、ガゥルシュミットは<グリフィン>の胸部ハッチをバン、と反対の手の平で叩いた。

「ハッチを開け! 投降しろ!」

 崖から飛び出し、僅か30秒の空中戦であった。






「お〜、痛ぇ。無茶しやがるぜ」

 頭頂部に大きなタンコブを作ったメッシュは、尻尾でそれをさすりながら文句を言った。相変わらずの軽い口調。だが、その背中は怒りかそれとも他の感情に逆立っている。黙って幎は膝の上の黒猫の背中を撫でつけた。

「……どうしますか?」
「ふん、俺たちゃ運にも見放されたな。見ろ、やつら、陸軍の極東21小隊の連中だ。ホムンクルス兵のみの魔導戦闘機編成を目的に構成された翔竜機運用のトップエリート集団よ。どうりで虎の子の零式シュミットを複数配備している訳だぜ」

 メッシュは目の前の迷彩機の肩の文字を拡大して見せながら言った。

「俺の記憶が正しければ、あそこにはヴァナリィの同型機と模擬格闘戦やって、シュミットにスペックオーバーの成績を出させた化け物が居たはずだ。技師が首を捻っていたぜ。……まったく、何て巡り合わせだよ」
「……逃げられないのですか?」
「まともにやったらな」

 ガン、と操縦席に衝撃が走った。またもハッチを殴られたのだ。

『10秒待つ。ハッチを開放し、投降しろ。次は操縦席ごとえぐり取るぞ』

 見れば、目の前のガゥルシュミットは盾で押しつけるのはやめたものの、左手には盾の先から仕込み刀のように細い刃が伸び、ピタリと胸部ハッチの境目を狙っていた。先ほどの格闘戦の様子を見ても、この距離なら宣言通り胸部の操縦席と搭乗者だけ切り刻んでえぐり取るくらい容易く出来そうだった。

「……ホムンクルスか……」

 メッシュがガゥルシュミットの薄いグリーンの両目を見つめながら呟く。そして、尻尾をピンと立てて幎の膝から身を乗り出した。

「ヴァナリィ、俺が合図をしたらフルパワーで突っ込め。それと、操縦席内の照明は消せ。俺たちの姿を見えにくくするんだ」

 黒猫の言葉に、操縦席付近の照明が僅かな表示ランプを残して落とされる。暗闇の中に、それらの光に混じってメッシュの金の両目と、幎の紅の片目が残された。それを確認し、メッシュは「回線を繋げ」と命じる。そして、正面の機体に向かって呼びかけた。

「待て、降参だ。今ハッチを開けるから少し下がってくれないか?」





(男か……)

 <グリフィン>からの呼びかけにシャルロットは一瞬迷った。本当に素直に投降するなら機体を無傷で回収することが可能だ。だが、もし何か企んでいるとしたら、こちらが引いた瞬間を狙われるかもしれない。
 しかし、今のように機体が接触するような距離でハッチを開かせるのも危険なのだ。万が一、操縦室内に賊が強力な武器を持ち込んでいた場合はそれを使って突破口を開こうとするかもしれない。自爆などされようものなら開いたハッチが開口部となって正面にいるガゥルシュミットが巻き添えを食らう可能性が大だ。
 その迷いを察知したのか、追いついてきたランファから通信が入る。

『取り押さえたんですね。どうします?』
「わかってる。ランファは下がって照準を合わせておいて。カノエは上空待機。こちらの指示と違う行動をとった場合は令無く発砲せよ」
『『了解』』

 ランファの2143号機が少し離れた位置で銃を構えたのを確認し、シャルロットは<グリフィン>内の犯人に呼びかけた。

「私が良いと言うまでハッチは開くな。おかしな動きをしたら僚機が操縦席を撃ち抜く。怪我やそれ以上の目に遭いたくなかったらこちらの指示に従え」
『……了解した』

 先ほどの声が同意したのを聞き、シャルロット機は油断無く右手の銃口を向けながらゆっくりと3歩後退した。片足が河の水に浸かる。腰を落とし、いつでも飛べるように飛翔翼は展開しておく。

「繰り返すが、おかしな動きをしたら無警告で撃つ」
『わかっている』
「……よし、ハッチを開け。それ以外の動作はするな」

 <グリフィン>はシャルロットの呼びかけに素直に従った。襟部分の装甲がまず上にスライドし、続いて胸部の装甲ハッチが若干前方にズレた後に倒れて開く。内部は暗く、様子が見えにくいがガゥルシュミットと違って全天球型の投影装置を装備しているようだった。2重の防護になっているもう一枚の透明なシールドが上方にスライドして音もなく開く。そこにポカリと開いた暗闇の拡大映像に、シャルロットの視線が吸い寄せられた。通信越しに男の声が響く。

『ずいぶんと慎重だな』

 ハッチに片足が乗せられた。まるで乗っている機体に合わせたかのような、黒地に金の刺繍の入ったトーガを上等な衣装の上に巻いている。装甲の縁に手をかけ、身を乗り出して外に出てきた。

『……が、悪くない』

 男の黒髪が陽光に晒され、その下の素顔が視界に収まる。妙に軽薄な笑いを浮かべる口元。どことなくいたずらっ子のような光を放つ金の瞳。髪は一部脱色してるのか、前髪の一房が彗星のように白い。
 その瞬間であった。閃光のようにシャルロットの脳裏に「何か」の命令が下った。思わずその者の御名を叫ぶ。





「……ギルガメッシュ王!!」





 反射的に、シャルロットは男に向けていた銃口を下げた。ホムンクルスが製造されるとき、最優先で書き込まれる創造主への絶対的敵対行為禁止命令である。それは意志の力やその後の書き込みで何とかできるものではない。シャルロットの思考ルーチンに強制的に最優先中断命令が割り込み、両の瞳がするりと焦点を失う。ガゥルシュミット2141号機はだらりと手を下げて棒立ちとなった。

『今だっ!』

 男の鋭い叫びに反応し、<グリフィン>は赤い光を放ちながら無防備なシャルロット機に殺到した。その加速の最中、霞のように黒い服を着た男の姿はかき消える。はっとシャルロットの瞳が色を取り戻した。

「……幻術っ!?」

 咄嗟に銃を上げようとするが間に合わない。さっきのお返しとばかりに片手で胸部ハッチに張り手を食らい、バランスを崩したところで更に右手首をがっちりと捕まれてしまった。圧倒的なパワーに手首の駆動部が軋みを上げる。喉輪を捕まれ、そのまま反対側の崖に叩きつけられた。ガツン、と右手を岩肌に叩きつけられ、銃を取り落とす。左手の仕込み刃を出して応戦しようとするが、それも<グリフィン>の背後から湧き出した鎖で岩肌に縫いつけられてしまった。

「貴っ……様……!!」

 岩肌に押さえつけられたまま、ガゥルシュミットのグリーンの眼と<グリフィン>の赤い眼が睨み合う。そして、その下の操縦席でも、シャルロットは投影された敵機の操縦席内部の映像を睨みつけていた。

 女だ。近衛の戦闘服を身に付けた、眼帯の女が操縦席に座っている。髪は黒く、肌は白い。そして右眼はぞっとするほど鋭利な色の朱。一瞬だったが、その姿はシャルロットの脳裏に熱さすら伴って焼き付いた。

 <グリフィン>の背後にランファ機が迫る。僚機が近すぎるので誤射を避けるためか、銃は背中に納めて短刀を構えている。
 すかさず黒い巨人は身体を捻り、口を開けて背後に竜哮を叩きつけた。牙の間から漏れた恐ろしい衝撃にバチッとランファ機の表面に赤い光が走り、竜鱗迷彩が解除されて粘土色の鱗模様が露わになる。

『くっ!』

 ぐらついたランファのガゥルシュミットが立て直す前に<グリフィン>は地を蹴って飛翔翼を広げ、飛び上がった。上昇しながら胸部ハッチが閉じられる。その後を上空のカノエ機からの銃撃が追いかけるが、空しく岩肌に弾痕を穿った。
 追いすがろうとランファの2143号機も翼を広げるが、ガクンとその動きが止まった。見れば、足首が鎖で地面に繋ぎ止められている。脛に仕込まれていた仕込み刃でそれを切断するが、完全に出遅れてしまっていた。

『大丈夫?』

 ランファ機が僚機の左手の拘束を外しながら問いかける。竜鱗迷彩が再構成され、機体の自動判断で岩肌そっくりに表面が塗り分けられた。
 解放された2141号機はひしゃげてしまった大盾を捨てると、異常が無いことを確かめるように先ほど掴まれた右手を握ったり開いたりする。

『どうする?』

 返事が無いので、さらに問いかけるランファ。この場合の「どうする」は、「再度目標捕獲を実施するのか」という問いかけだ。それに対し、シャルロットは静かに答えた。

「3軸射撃だ。<グリフィン>を撃墜する」
『空中で撃墜してもいいんだね?』
「問題無い」

 暗に含ませた問いかけの意味に、きっぱりと言い切る。

「王の姿や言葉を騙った者は、死罪と決められている」





 上空ではカノエの2142号機とオールドゥージュがうねった2重螺旋のような軌道を描きながら交戦中であった。カノエ機が無駄の無いなだらかなカーブを描いて追いすがるのに対し、オールドゥージュは赤い残光を残しながら推力に任せた鋭角な軌道で振り切ろうとする。

「ちっ! 先読みが上手いな、こいつ!」

 メッシュが幎の片手に抱えられながら叫ぶ。カノエの撃つ弾は機体に直撃すらないものの、避けようとする方向を封じるように飛んでくるためオールドゥージュは絶対的優位である最高速力まで加速することが出来ない。それどころか、目的の東に向かうことすら出来ず北に追いやられていった。

「くっそ、高地に追いつめる腹か! 高度限界が厳しいぜ!」

 急峻な大地はだんだんと下から迫り、上下軸の余裕が狭まっていく。追いかける方から見れば上下左右に逃げる相手が、今度は左右だけ気にすれば良いのだから圧倒的に有利となる。
 もちろん、飛竜機形態になればガゥルシュミットの高度限界の上を飛び越えることはできる。だが、飛竜機形態の推進力は前進特化のたまものであり、翔竜機形態と比べればその回避能力ははっきり言って緩慢である。絶対に相手が追いかけてこられない状況を作れなければ、狙撃によって撃ち落とされるのは明白であった。
 ピピッという警告音と共に後部に向けてカーソルが注意を促す。幎がその表示を読み上げた。

「……後ろ、もう1機追いかけてきます」
「追いついてきたか! あと1機はどうした!?」
「……見つからない」

 右手後方のカノエ機と90度ずらすように左手後方から接近してくるランファのガゥルシュミット。これで幎たちには前にしか逃げる方向は無い。「探せ!」とメッシュの声に、ほんの一瞬遅れて警告音が答えた。


「まっ、真下ぁ!?」

 いつの間に現れたのか、前方の地面すれすれを背面飛行するガゥルシュミットがこちらに銃口を向けていた。





『撃てっ!』

 カノエ達が空中戦をしている間に崖の間を高速で抜け、超低空でオールドゥージュの下やや前方に飛び出したシャルロット機。すでにカノエとランファが所定の90度軸をずらしたポジションに着いていたことは確認していたので即座に号令を発した。
 複数の味方が同時に射撃する場合、誤射を防ぐ意味でも同一の軸に乗らない事は鉄則である。だが、それ以上に全く同時に3方向から飛んでくる弾を避けるのは至難の業である。射撃手の位置を正確に把握して回避方向を決めなければならないからだ。

 その点では、射撃の直前にオールドゥージュがシャルロット機を発見できたのは僥倖であった。だが、3つの射撃点からオールドゥージュが弾き出した唯一の回避方向は絶望的である。

「上しかねぇのかよっ!?」
「……!!」

 瞬間的に幎の右目が燃え上がった。システムと自分自身を直結し、足りないパーツを自分自身で代替する。
 一瞬の内に飛竜形態となったオールドゥージュは、その大推力にものを言わせて天空へと機首を向けて加速した。

『避けた!?』
『馬鹿なっ!』

 後続弾まで上方へと逃げて回避したその姿に、ランファとシャルロットは驚愕する。あからさまに、あの高度は……!

 ビビーッと嫌な警報と共にガゥルシュミットの操縦席内が真っ赤に染まる。カノエが慌てて僚機に通達した。

『皇竜警報! エリアターゲットされてます! 待避してください! あと10秒!』
『逃げなきゃ! みんな分解されちゃうよ!』

 ランファの言葉にもシャルロットは咄嗟に動けない。自分の位置から見て太陽の中に飛び込むように上昇する黒い機体を、険しい顔で睨みつけ続ける。

『……自ら死を選ぶのか!?』





 高度10000m。
 皇竜が現れて以来、人が決してたどり着けなくなった未踏の領域である。ここは飛竜ですら飛ぶことはかなわぬ、上位種の「天竜」の支配域であった。上昇を止めた黒い巨人は静かに変形を解き、元の人型に戻る。

「……どーすんの、これ?」

 高度計が5桁目に突入したのを確認し、黒猫は悟ったような顔付きで前方を見つめた。対する眼帯の少女もまた、じっと正面の空を見つめている。
 この高度まで来ると、大気の濁りは薄くなり、昼であっても高々度に浮かぶ存在が陽光の反射で見えてくる。2人の正面、遙か空の先に、ぽつりと光る点が見えた。オールドゥージュがそれを拡大する。

 何か大きな球体に巻き付く蛇のようなとぐろ。途中途中から生えている強靱な脚。東洋風の長い髭を持つ頭部。しかし、世界を監視する目的か、そこには数え切れないほどの無数の眼が存在する。その眼のいくつかが、不遜にも彼らの領域に侵入してきた者を凝視していた。
 とぐろを巻いた状態でも全長2kmを越えている。解いたらいったいどれほどの大きさなのか。

 影の獣たちの王、竜の王にして皇。第3次人魔大戦の引き金を引いた最強の魔獣、「皇竜」、その一匹であった。

 幎はその皇竜をじっと見つめている。自分と同じく、赤い光を持った魔獣の無数の瞳に視線を注ぐ。そして、ぽつりと呟いた。

「……空の竜が飛ぶ者を見て区別するというなら……」

 ガチャリと椅子の左横のレバーを倒して身体のロックを外す。

「……見て、判断してもらえばいい」

 立ち上がって、オールドゥージュの胸のハッチを開いた。透明シールドが開き、一瞬薄い大気の中に吸い出されそうになる。装甲の縁に手をかけ、身を乗り出して上空に両手を広げた。

「『私』が、何者かを」

 静かに、赤い眼が天空の竜を見つめた。





 オールドゥージュの上空、3万6千kmの彼方に静止する皇竜。その無数の眼が、じっと大地に向けて注がれている。そのほんの僅か上空に浮かぶ黒い小さな小さな影。人の形と竜の形を併せ持つその影の中央に、何か赤い点が見える。
 それは、人のような、人ではないような、そのような存在の片目が放つ光であった。皇竜の無数の眼が、その紅玉にじいっと向けられる。僅かに開いた口元から、輝くオーロラのような光の吐息が漏れる。

 ……そして、数瞬の後。

 皇竜は、まるで安心したかのようにその眼を静かに閉じたのだった。





『何故だっ……!?』
『うっそぉ……』

 シャルロットの叫びと、ランファのあっけらかんとした驚きが重なった。カノエが冷静に追跡結果を読み上げる。

『高度12000m……高度そのままで移動開始しました』
『何故皇竜は撃たなかった!?』
『……わかりません』

 シャルロットの言葉に、待避先の山脈の影から見上げながらカノエは首を振る。

 3機のガゥルシュミットは皇竜警報を受け、被害を避けるために即座に追跡を打ち切り、山脈を盾にした。
 だが、10秒待っても皇竜の光刃ブレスは放たれず、そのまま皇竜警報は解除されたのだ。皇竜が一度ロックした相手を見逃すなど、軍の記録にも無い初めての事象である。

 カノエ達の視線の先、高空のオールドゥージュは再び飛竜の姿になると、東に向けて飛び去っていった。もはや、あの高度の存在を追うことは人の力では不可能だ。

『報告を作らないと……しかし、私達ですら目の当たりにしたことが信じられないのに、信じてもらえますかどうか』
『信じるしかないですよ。だって3人とも見たんですから』

 ランファのガゥルシュミットの手がカノエ機の肩に乗せられた。コクリと頷くカノエ。シャルロットの機体はまだ上空を見上げている。ランファは今度はそちらに声をかけた。

『シャルロット……?』
『……作戦を中止。これより小隊基地へと帰投する』
『『了解』』
『帰投中も哨戒を怠るな! フォーメーションデルタを組み、1番機はランファ、2番機を私が努める。行くぞ!』
『了解。じゃ、先行きます』

 ランファ機を先頭に、2等辺3角形の布陣で西に向けて飛び上がる3機のガゥルシュミット。
 配置に付く寸前、もう一度シャルロットは後方の東の空を見上げた。

(あの女……絶対に、忘れない)

 黒い翔竜機に組み伏せられた瞬間、開いた操縦席に見えた黒髪、赤い瞳の女の姿を再度深く心に刻みつける。そして、ぎゅっと一瞬眼をつぶった後、見開いて自分の監視範囲へと向き直った。

 基地の在る西方の空は既に太陽が傾き、そろそろ夕暮れの気配がし始めている。その方向へと向けて、飛び去っていく3機の鋭角のシルエット。
 後に残るのは、西側からの陽光に影に沈みつつある崖の間の河川の姿。日没まで、あと1時間半ほどしか残されていなかった……。

 
 


 

 

戻る