BLACK DESIRE


 

 



5.


 七魅にとって翌日の登校は憂鬱なものとなった。郁太は昨日の出来事を何処まで覚えていて、そしてどれくらい記憶を補完したのだろう? いっその事全部忘れていてくれればやり直しも効くのに、とため息をつく。

「……言っておくが、今日の内容は昨日のとは別にするんだぞ?」
「わ、わかっています」

 見透かしたような黒猫の言葉に慌てて答える。いつも通り、裏門から黒猫を引っ張り込んだその帰り道の事であった。

 校舎前で黒猫と別れ、そして代わりに姉と合流する。七魅が目線で問うと、三繰は黙って首を振った。まだ郁太は現れていないらしい。仕方がないのでその出現を待つべく、いつもの監視ルームに行こうと校舎に入ったところで、ひくっと七魅の頬が引きつった。

「おはよー」
「おはよう!」
「おはようございます」
「おはよーございまーす!」

 昇降口の下駄箱には何人もの星漣学園の生徒達。元気に知り合い同士、あるいは顔見知りでない者にも朝の挨拶を交わしている。それ自体はいつもの朝の音声だ。違うのは、その姿。

「あは、それ新しいの?」
「うん、ちょっと高かったんだよ?」
「レースが細かいね」
「ちょっと見え過ぎじゃない?」

 和やかに少女達は自分の衣服についての話題で談笑している。それが自前のスカートやシャツや帽子や靴下についての話題なら問題は無かっただろう。しかし、実際はその下の部分。つまり……

「あれ、ちょっと胸大きくなった?」
「うん。だから新しくしたの」
「うらやましぃ〜!」
「少し分けなさーい!」
「あははは……」

 ……登校した少女達の中に、明らかに下着姿の者が混じっている。いや、そうではない。彼女たちは、靴を上履きに履き代える際、同時に白い星漣の夏服まで脱ぎ、それを畳んで持って行っているのだ。つまり、ここで「はきもの」と「きもの」を脱ぐという古典的笑い話が現実のものとなっていた。

「ね、姉さん……」
「? どうかしたの、ナナちゃん?」

 隣で同じ様に靴を脱ぎ、制服のファスナーを下ろしている三繰に七魅が困惑した表情で呼びかける。一瞬、首を傾げるがすぐに三繰は合点がいったと頷いた。

「また?」
「……ええ」

 七魅が頷き返す。双子でありながら妹の方にのみ本の能力が効かないため、誤認状態が発生した時にはその異常と事情を同時に知ることが出来るのだ。七魅は声を潜め、姉に問いかける。

「……どうして、みんな下着になっているんですか?」
「うん……。ナナちゃんが知っている星漣には、登校してすぐに制服を着替える決まりが無いんだね?」

 コクリと頷く七魅。三繰は努めて自然に制服のファスナーを戻し、七魅と一緒にその場を離れながら「これはね……」と囁く。

「……『校内制服』に着替えるんだよ」





「う〜ん、今日はどうしよっかなぁ……」

 松浦紗織(まつうらさおり)は自分のロッカーの中から「校内制服」を出し、右手に上着、左手にスカートを持って思案した。既に昇降口で脱いだ彼女の「登校制服」はその中のハンガーにかけられ、現在の少女は下着に靴下、上履きの無防備な格好だ。

 今紗織が悩んでいるのは、今日一日をどの様な格好で過ごすか、という事だ。もちろん、校則に決まっている通り登校したら昇降口横の更衣室で校内制服に着替えなくてはならないのだが、実は、校内制服はその「全部を着用する義務は無い」。3ピースに分かれた校内制服のどれか1つを身に付ければ良いことになっているのだ。

 星漣の夏用校内制服は、ぱっと見では紺色のラインが入ったシックな印象の白い半袖制服に見える。登校制服と違い上下の2ピース構成に制服とそろいのニーソックス、このセットが一応は正式な星漣夏用校内制服となっていた。上着の肩、スカートの裾、そしてニーソックスの上端に星漣の校章がレース模様になって入っていて、それが少しだけ華やかな印象をもたらす。上品さと可愛らしさを併せ持つデザインに生徒達の人気も上々で、この制服を外でも着たいと思っている者も多いらしい。だが、残念ながらこの制服は星漣の敷地内、それも校舎などの建物の中と、その間の行き来の際だけ、つまりは校内活動でしか使用してはならない事になっていた。

 その理由は、この制服の目的にある。この校内制服は、「【学園の男子生徒】に成長期の女子生徒の【少女らしい身体の魅力】を【見て喜んでもらうため】」に制定されているからである。

 星漣女学園は、単に女子生徒に充実した施設で学問を学ばせたり、スポーツや文化活動の育成を行ったりする学校ではない。その程度の名門校なら全国に掃いて捨てるほど存在する。日本中からほんの300人、1学年なら約100名のみの少数しか入学出来ないこの女子校が日本最高峰の女子校とされる理由は、独自の躾教育や生徒の自主性を尊重する校風により、最高の大和撫子教育機関としての名を欲しいままにしているところにある。それ故に、星漣学園の生徒達は常に女性としての魅力を磨くための制度に従い、自覚ある行動を要求されるのだ。

 校内制服の制度も、そういった校風の中で「少女の身体の持つ魅力を最大限見せる」事に主眼を置いて定められている。上着は女性らしさの象徴ともいえる乳房の印象を強めるため、カップ部分の下は凝ったデザインのひだが付けられて可愛らしさを演出すると同時に胸の膨らみをより強調する様な工夫がなされている。
 また、スカートもプリーツ付のミニスカートで、裏地には裾が可愛らしく広がるように補強布が複雑に張り合わされた凝った作りになっている。そして、目的通りに男子生徒の目を楽しませるため、出来るだけ露出が多くなるように校則ではその長さは膝上ではなく「股下12cm以内」と決まっていた。

 これだけでもかなり男子の目を楽しませることが出来るすばらしい出来ではあるが、校内制服の決まりにはさらに一歩踏み込んだ緩和事項があった。それが、先に述べた「校内制服は星漣の校章が入った制服の一部のみを身に付ければ良い」という補足である。これにより、星漣の生徒は校内で「上着だけ制服で下はパンツのみ」や「上はブラジャー姿、下はミニスカート」という魅力的な格好で過ごす事を許されている。そして、男子を目で楽しませることを女子の嗜みと信じる生徒達は、躊躇い無くこの補足に従っていた。

 しかし、この校内制服の約束事の制定に際しては1つ問題が有った。それは、キャミソールのような長い下着を着ている場合や、上下お揃いの魅力的な下着を着ていてどうしてもそれを見せたい場合についてである。これまでに説明した規則では上下どちらかしか見てもらうことができないのだ。

 この問題の解決案として、星漣制式校内制服にニーソックスを加える事が決まった。これにより、例え上下ともに制服を着ないで下着姿であっても、制式ニーソックスさえ身に付けていればOKになった。より魅力的な姿の提供が可能なので、生徒達にも歓迎されている。

 その様な訳で、先ほどの紗織のように朝一で校内制服の着こなしバリエーションからどのスタイルを選ぶか悩むのは、星漣の女子生徒にとって当たり前の日常であった。その日の自分の下着と気分に合わせて、最も魅力的に男子に見えるようコーディネイトしなくてはならない。それが星漣の生徒として最低限の嗜みなのだ。

「どうしよっかなぁ……」
「まだ悩んでるの?」

 再度の呟きを聞き留め、隣のロッカーからひょいと同じクラスの生徒が顔を出した。紗織の友人の小糸由加(こいとゆか)だ。由加はいつも上着を着ないため、髪が剥き出しの肩に擦れないように髪をポニーテールに纏めている所だった。

「それ、新しいのでしょ? だったら良く見てもらった方がいいんじゃないかしら?」
「そうよね……そうしよっと」

 由加の勧めに従い、紗織は頷いて制服を上下ともロッカーの中に戻した。そして、下着のまま腰を屈めて今履いている靴下を脱ぐと、中から長いソックスを出して更衣室の隅へと向かう。そこにあるベンチに腰掛けてそれを身に付けるつもりだ。紗織は今日一日下着のみにニーソックスの格好を選択したのである。

「私は、っと……」

 由加の方は髪を纏め終えると、非常に短い青いラインの入った白いミニスカートに脚を通した。彼女は今日もスカートだけの格好を選んだらしい。定位置で横のファスナーを閉めると、スカートの裾は膝上何センチとかいうのが馬鹿らしくなるほど上方に来る。正確な規定ではスカートの裾は「正面部が股下12cm以内」とだけ定められていて、短い分には制限は無い。だから、由加も自分で一番可愛く見える様にスカートの長さをギリギリまで詰めていた。

 そのため、一律短めに揃えられたこの少女のスカートは、膨らんだお尻側に行くに従ってその曲線に沿い短くなり、真後ろから見るとギリギリ下着が見えない程度の長さしか残っていなかった。今も着付けを確認しようとロッカーの鏡を見ながらくるりと回転した際、翻ったそれの下から白い布地がかなりの部分見えてしまう。

「うん、良し!」

 しかし、鏡に向かってにっこりと笑う少女にそれを気にした様子は無い。いや、気にはしているが、それを直す必要性を感じない。何故なら、このスカートもその下の白い下着も、男子生徒が見て喜ぶならどちらも積極的に見せるべきと教えられているのだから。

 更衣室の中には、そうやって沢山の少女達がもはや衣服としての様相を呈していない制服へと着替えを行っている。お喋りをしながら、鏡を見て確認しながら、あるいはお互いに着付けや下着の見栄えに口を出しながら、わいわいと活気に満ちている。皆、この学園の男子生徒、たった1人しかいない特別編入生徒に肌や下着を見せて、喜んでもらうためにその様な姿を惜しげもなく晒す。それこそがこの学園の正当な躾だと、完全に信じ込んでいた。





 黒い本の力に対し、哉潟七魅は完全な抵抗力を持ち、三繰はそれを完全に受け入れてしまう。そのため、2人がお互いの認識の違いに気が付いてもその状況の把握は非常に困難なものであるはずであった。三繰の側が何が異常なのかわからないからである。

 しかし、そのギャップを埋めるための特殊な力が双子にはあった。着替える前に一時自分達だけのスペースに待避した姉妹は、さっそく能力を解放した。

「いい? じゃあ『糸』、付けるよ」
「はい」

 三繰の「網」から延びた糸を七魅の「網」に絡ませ、意識と感覚を共有する。2人の認識が超高速で言葉を介さずすり合わされ、一瞬の内にお互いの認識が統一された。

「なるほど、随分大がかりな書換えだね」
「ええ。それに、どうやって生徒全員分の制服や専用のロッカーを揃えたんでしょう……?」

 顔を見合わせ、首を捻る。既に数分前にあった認識の違いの壁は存在しない。

 これこそが、七魅が郁太の行う支配の内容を推察する事の出来る理由、そして三繰が本にコントロールされながら記憶を保つ事の出来る理由なのだ。三繰の繊細な能力コントロールが有るからこそ、2人揃ってようやく本の魔力に対抗する事が出来る。
 先日三繰が郁太の記憶を失っている間は、彼女自身が記憶の所在すら見つけられなくなっていたために七魅は状況を掴むことが出来ず、孤軍奮闘する羽目になった。
 余談であるが、七魅が三繰経由の本の支配に抵抗できないのはこの頻繁な意識共有による「繋ぎグセ」ゆえである。無条件に姉の匂いのある感覚を受け入れてしまうのだ。

「達巳君がやったのかな?」
「あの本は認識を変えることは出来ても、服や部屋を用意することが出来るなんて聞いていませんが……」
「じゃあ、達巳君を攫った奴らの仕業?」
「そうなりますね」

 そういう結論に達するが、意図が読めない。こんなへんてこで恥ずかしい格好を生徒達にさせて、それがどんな意味を持つのだろうか? 魔力回収という点ではむしろこの状況は郁太の方に益が有るのでは? 暫く思案し、七魅は首を振った。

 悩んでも、答えは出てこない。それに、当面考えなくてはならない切実な内容の問題もあった。

「で、ナナちゃんはどうする?」
「……みんなと同じようにするしかないでしょうね」

 特殊な趣味のお陰でちょっと楽しんでいるような口調の姉に、七魅はため息がちに呟いた。

 とりあえず、上着かスカートか。「校内制服」の制度に従い、どちらかを諦めなくてはならないのだ。





 制服だけでなく、学園の中もまたその様相が変わっていた。下駄箱のすぐ近くにいつの間にか出現した大きな更衣室もそうだ。
 廊下は不思議な光沢のある暗褐色のものに張り替えられていて、それが鏡のように反射して下を向けば容易に目の前の人間を下から見た光景を眺めることが出来た。また、それを更に見やすくするためか、通路や階段の壁の足下のところに光源が設置されており、それが目に入ってまぶしく無いギリギリの光度で少女達を下から照らしている。絶妙に設定された光は女子生徒達の股間部の様相を、鏡のような床面に克明に浮かび上がらせていた。

 一番大きな改造がされていたのは、案の定というべきか、やはり手洗いであった。と言っても、外から見た変化は大きくない。せいぜい、男女別だったトイレが「男子手洗」と「男女共用手洗」の2種類になり、男子優遇措置に置き変わっていた事くらいだ。
 だが、元が女子トイレであったはずの共用トイレはその内装が大きく変更されていた。面積が広くなり、区画分けされてシャワー部分が追加されているのである。

 詳しく説明しよう。共用トイレの区画を□で表し、その中にTの字を書いて3分割すると丁度その区画分けと等しくなる。□の上辺は校舎の外壁で、下辺は廊下に面している。
 下側の中央からトイレに入ると、いきなり正面が壁になって大きな鏡が有り、そこで左右に区画が分かれている。右に行けばトイレ、左なら更衣室である。先ほどの区画分けで言うならそれぞれ右下と左下の区画にあたる。Tの字の上の区画は新しいシャワールーム区画だ。この学園では誰でもトイレに行くついでに更衣室で服を脱ぎ、いつでもシャワーを浴びることができるのである。

 外と面したシャワールームの窓は広々と大きな透明ガラスが使用されていて、自由に開け閉め出来る。そのため、休み時間などに汗を流した女子生徒達が窓を開放し、風を取り入れて裸のまま涼む光景がよく見られる。この区画はそうやってちょっとした開放的な休憩を過ごすことが出来るよう、簡易なベンチやテーブルも用意され、そこでは裸で休み時間を過ごす女子生徒達の姿を見ることが出来る。

 その構想は1階の共用トイレでは更に押し進められ、地上に面したそこのシャワールームの外壁は、全面ガラス張りで更に直接校舎の外と行き来できる様にドアが付いている。体育や屋外活動で汗をかいた後に直接ここから入ってシャワーを浴びたり、逆に裸のまま外に出てそこからすぐのテラスで休んだりする事も出来た。

 実は、前述した校内制服の制度には一つ大きな穴があった。その決まりでは「校内の建物内及びその間の移動の際」に着用するように定められていたが、建物外の場所──つまり、屋外施設やテラス、花壇等の屋根のない場所──に行く場合、着用する義務が生じないのである。つまり、例えば屋外プールやグラウンドへの行き帰り、あるいはシャワールームから出て涼んでまた戻ってくるという名目が有れば、この学園の生徒は衣服を着用しなくても良い。

 勿論、校内制服を着なくても良いと言っても、年頃の娘である女子生徒達が無闇やたらと自分の裸を見せる事など言語道断である。その柔肌は、唯一この学園の男子生徒に見せて楽しませるという目的に於いてのみ日の目を見るのだ。彼女達は、ただ一人の男子の為にのみ恥ずかしさを我慢し、素裸のまま屋外で彼に見られるという変態的露出行為に自ら身を委ねている。

 さて、解説を元の筋に戻そう。区切られた区画のうち左手に有るのは更衣室だと前述した。更衣室の例に漏れずここには木製の棚が並び、その中に脱衣かごが1つずつ収まっていて衣服を畳んで入れるようになっている。その脇にある小さな棚は靴入れだ。
 シャワーを浴びる際にはここで衣服を脱ぐのだが、後で説明するトイレ区画を使用する前に、ここで衣服を脱ぐ者もいる。トイレで用を足した後にすぐシャワーを浴びるつもりだったり、或いはトイレ区画の「そのまた隣」まで行く用事が有る場合などである。その隣は脱衣かご等が無いため、衣服を脱ぐ場合はここで脱いでいった方が都合が良い。
 何にせよ、この共有トイレは各区画を相互に行き来する事が多いため、それぞれの区画の間には扉が設置され自由に目的に合わせた順番で使用する事が出来るようになっている。

 最後に説明するのは右下部分のトイレ区画である。この区画は先の説明通り入り口から右に曲がれば直ぐに入る事が出来るが、更衣室やシャワールームの区画から入る事も可能だ。そして、更にもう1つこの区画には入り口が用意されている。
 それは男子手洗との扉である。実のところ、男子手洗は「男子」と名が付いているが別段男子専用というわけでも無く、女子が使用して構わない。単に男性用小便器が設置されている為にそう名前が付いているというだけで、共用の方が埋まっていたら、扉を潜って男子手洗いを使用するという生徒が殆どである。
 もちろん、そこの小便器を使用する以上、皆きちんとした作法でそれを行う。男性用小便器に放尿する際には男子と同じく立ったままする、それは躾であった。

 例え共用トイレが満員で無くとも、男子用の方を使用する生徒も多い。その多くには2つの理由が存在している。

 1つは、練習の為である。
 女子が男性用小便器を使用するのは体の構造の違いから案外難しいもので、慣れない内は便器や自分の体を汚してしまいがちだ。だから、1年生の内は積極的に立ってする練習を実施する事が推奨される。その際、衣服を汚さない様に更衣室で服を全部脱いでから来ると更に望ましい。また、作法については男子生徒に直接見てもらうのが早道なので、時間に余裕が有るなら一緒に来てもらって教えてもらうのが良いとされている。

 2つ目の理由は、1つ目とも被る部分があるが男子生徒に見てもらう為である。
 女子の放尿はきちんと行えば男子にとってとても魅力的な姿で、なるべくなら側にいる男子生徒を呼んで見てもらうのが良いとされている。だから、星漣の女子生徒は花摘みに向かう時、近くに男子生徒がいたら取り合えずは「一緒にしませんか?」と誘ってみるのだ。都合が合えば、男子トイレで男女が並んで連れションする事ができ、喜んでもらえる。それは下着や肌を見せて喜んでもらう事と同様、星漣の生徒にとって欠かせない嗜みなのだ。

 では、都合が合わなかったり、男子が付近にいなかった場合はどうするのか。話が長くなったが、共用手洗いのトイレ区画は、その時のために考案された特別な作りになっている。
 丁度そこを使用する為に入ってきた女子生徒が1名いるので、その少女の行動を追っていく事で充実したこの区画の機能について説明しよう。





 鹿山留美(かやまるみ)は校舎に辿り着くと早々に構内制服のスカートとニーソックスを身に付け、1階の共用手洗いに入った。出来るだけ余裕を持ってしずしずとお嬢様らしく振る舞ったつもりだが、内心では冷や汗が出るくらい尿意が切迫していた。

(こんな事なら電車が一本遅れていいから済ませて来るんだった!)

 後悔先に立たず。駅から学園までの登り道の足取りが留美の膀胱を直撃し、15分の道のりが恐ろしく遠いものに感じられた。今直ぐトイレの有る場所に連れていってくれるなら宇宙人にアブダクションされてもいいとまで思い詰めた。10数度に渡る波を乗り切り、何とか正門が見えた時はほっとし過ぎて漏れそうになったくらいだ。

 何はともあれ、ようやく留美は目的地に辿り着いた。入り口から右に曲がりトイレ区画に入り、そこに並んだ個室の扉の表示がいくつか「未使用」の緑になっている事を見て取り、さらに安心する。その中の1つにそそくさと入り込んだ。

 個室のドアを閉め、表示を赤の「使用中」に変える。ロックがかかる訳ではない。基本的に、共用トイレのドアは鍵がかからない構造である。別段、それを不思議とも異常とも少女は感じていないが。
 表示を変えるとそれを合図に個室内に設置された機器が作動を始める。無数に設置されたビデオカメラ、録音機器、生徒の顔認証システム等々、高価で高性能な機械が同時に起動し、留美の行動をつぶさに記録していく。

 そう。ここの個室はトイレのブースとして設置されているのではない。ここは、女子生徒のトイレ姿を自動記録する目的を与えられた小さなスタジオなのだ。

 先に説明した通り、男子生徒にとって女子の放尿姿は魅力的で、出来ればその全部を見たいと願うのが常識だろう。しかし、女子の数に比べ、この学園の男子生徒の人数は余りにも少ない。だからこそ、「男子に後で好きな時に自分の放尿姿を見て貰うため」、共用手洗いのトイレではその一部始終を詳細に記録する事が出来る様になっているのだ。

 その記録を見る者を楽しませる為、中に設置された便器の形も数種類有り、個室によって違っている。洋式、和式、あるいは隣にもある男性用小便器等。
 留美の入った個室に設置されたものは、公衆トイレ等に多いアサガオという形式の小便器だった。このタイプは死角が他のタイプに比べ少ないため、女子にも男子にも人気が高い。

 留美が小便器の前に立つと、その上部に設置された赤外線センサーが反応して赤いランプを灯す。にこっと笑いを浮かべ、下着の横に手をかけ、内心の焦りを見せないようにゆっくりとそれを下ろしていく。微笑んだのは、この場所に設置された少女の排泄姿を撮影するためのカメラの存在を知っている故である。

 ドアの表示に反応して撮影を開始したカメラの数は、なんと7台もある。少女の表情を斜めと横から捉えるためのそれぞれのカメラ、臀部下方から股間部を撮影するためのカメラ、秘部の様子を前方から撮影するために便器内に特殊ガラス越しに設置されたカメラ、便器の縁から少女の尿道口を自動追尾するマクロカメラ、小水の放物線を横から捉えるためのカメラ、そして天井から斜めに全体を撮影するカメラの計7つである。

 何故これほど大量の記録が必要なのかと言うと、それはほんの短い時間の少女達の美を完全な形で保存する為である。わずかな時間に現れる表情の変化、身体の反応、流れる水流の作るアーチの様子など、見所は沢山ある。それらを同時に見る事は叶わないが、記録にしておけばいつでも見返すことが出来るという訳だ。この様にして、星漣学園の生徒達の排泄姿は毎日極めて詳細に記録されていくのである。

「んっ……」

 下着を脚から抜き、さらにスカートも脱いだ留美は小便器の正面に足を開いて立った。そしてその奥にあるカメラに向かって股間を突き出すように腰を前に出し、片手を使って秘部を割り開く。その内部の襞の部分が機械の視線に晒される。

「……っしょっと」

 更に留美は、今直ぐ出したい気持ちを堪えてもう片手も股間に持っていき、前庭部を剥き出しにするように上下に拡げた。こうする事で尿道口が少し拡がって、マクロカメラが目的の場所を発見しやすくなるのだ。
 約10秒間そうやっておしっこの穴を剥き出しにしてカメラ追尾を安定させ、ようやく留実はその手を放した。準備が完成し、後は出すだけとなった。

「……んふぅ……」

 軽く息を吐くと同時に、待ちかねた様に勢い良く放出が始まった。慣れたもので最初から1本の線となった小水のアーチは便器の底に当たって激しい音を立てる。それに留美は少し赤くなったが、この音もちゃんと録音され、男子生徒を喜ばせる記録の一部になるので流量を弱めたりはしない。そのままじょろじょろと放出し続けた。

 相当溜まっていたので留美の放尿は非常に長い時間続いた。だんだんと下腹部の圧迫感が少なくなり、やがて完全に消滅して同時に尿も止まる。後はぽたぽたと滴が垂れるのみだ。

(あぁ、良かったぁ……あっ!)

 自分がぐんにゃりと安心しきった微笑みを浮かべているのに留美は気が付いたが、もう録画されてしまったのでどうしようもない。慌てて立ちションの作法通り、腰を振って滴を切る。
 この特製の小便器には後ろ向きになる事でビデの機能が付いているので、留美はくるりと身体の向きを変えた。お尻の位置を調整し、このタイプの便器を使う女子が良くやるように先ほど正面から撮っていたカメラに映るように手を使って肛門を左右に引っ張って開いて見せる。これも男子へのサービスである。

 十分な時間、その場所を録画したところで壁のボタンを押し、ビデを作動させた。直ぐに便器の縁から小さなノズルがすっと現れ、細い水流で留美の股間部を洗い流し始める。良いところでそれを止め、留美は備え付けの紙でそこを水滴を拭き取った

「……よしっと」

 元通りにスカートと下着を身に付ける。最後にもう一度表情用のカメラににこっと笑うと、留美はドアを開けた。自動で表示が「未使用」にカチッと変わり、同時に少女の後方で水流が便器を洗い流す音が聞こえて来る。留美はそれを聞き流しながら洗面台の方へと向かって行った。





6.


 自分の教室に行く前に校内のチェックを行った七魅は、あまりの校舎の変わりように頭がくらくらした。姉は「へえ〜」と感心したような声を上げて興味津々の様子であったが、自分は今日はお手洗いを出来るだけ控えようと決心していた。

 さて、結局の所七魅はどんな校内制服を選んだかというと、いろいろ悩んだ末、最終的に上着無し、スカート着用にさらにニーソックスを身に付けていた。理由としては、上のみと下のみの生徒を見比べて、上着の裾から見える下着の淫猥さに比べればまだスカートのみの方が明るい健康美と目に映ったからだった。七魅のロッカーに入っていたスカートが彼女の性格に合わせてか、校則ギリギリの比較的長めのものが用意されていたせいもある。

 ただし、それだけではさすがに心許なさ過ぎるので、見かけた少女の真似をしてニーソックスで少しでも露出面積を少なくする作戦に出た。そのお陰で郁太に言わせれば「絶対領域」なる魅惑ゾーンが自分の太腿に出現したのだが、そこまで気を回す余裕は七魅には無かった。
 ちなみに三繰は言わずもがな、妹がさんざん苦心の結果採用したニーソックス、それだけの下着姿である。

 3年柚組の教室に三繰は鞄を横に提げて堂々と、七魅は心許なさに鞄を前に、背中を丸めて入って行く。同時に、投げかけられる朝の挨拶。それに三繰は朗らかに返していく。

 「おや?」と七魅は違和感を覚えて顔を上げた。立ち止まり、周囲を見渡す。教室内の光景は──確かに、クラスメイトの服装に関しては昨日までの面影もなかったが──物に関しては取り合えず変わったところは見受けられない。だが、微細な違和感が有る。例えるなら、鏡の中と外を間違えたような、良く似ているのに決定的に何かが違うと感じる差異。近くに在る物が遠くて、遠くに在る物には手が届きそうになっている。すぐ側の三繰の声が遠い。そして窓の外の小鳥の鳴き声が頭の中央から響いてくる。これは何? 何が起きている?

 七魅の眼がすっと細まった。少女の超常的感覚が、確かに今、何かが認識の壁を越えた事を知覚したのだ。自分の周囲がガラス張りになったかのように、急速に朝のざわめきが遠のいていく。クラスの光景が古いビデオの映像のようにノイズが混じる。そして、その小さな世界にぽつりと取り残された七魅の机。そこに腰を乗せ脚を組んで、いつの間にか1人の少女が出現していた。

「……なるほど。こういう趣向には馴れているとでも言いたそうだな」

 座ったまま、その金髪の少女は七魅を見つめてにやりと笑った。星漣の白い制服を身につけ、その上から黒いマントを羽織っている。膝の上には、少女の身長よりも長いのではないかと思われる白い杖。これでトンガリ帽子を被ればもう完璧だろう。

「……日中にこんな人気の多いところに出て来ていいのですか?」
「私の事を気にする必要は無いさ。この教室に入った瞬間、あんたに少しだけ『こちらの世界』に踏み込んでもらった。今の私達は存在するが、誰の意識にも認識はされない。普段の私と同じだよ」
「このまま私をそちらに連れていくつもりですか?」
「いいや、そんな危ない事はしない」

 金髪の少女は方眉だけを上げるおどけた表情をした。少し首を傾げ、口元を片方だけ曲げて笑いを作る。

「こっちに着いたら、あんたのバックにいる悪魔を呼ぶつもりだろう? わざわざご招待したい相手では無いからね」
「それは残念です。最後の一言には同意しますが」

 七魅の言葉に黒マントの少女は、今度は悪戯っぽい笑いを浮かべた。思っていたよりもずっと幼い感じのするその表情に、七魅は心の中で少し驚く。老獪で男勝りな言葉使いとは裏腹に、目の前の少女は何処か生徒会長・安芸島宮子の様な可憐さを持っていた。黒マントの少女は芝居がかった仕草でふわりと細い金糸のような髪をかきあげる。

「自己紹介が必要か? 私の事は良く見知っているだろうが」
「……ええ、知っています。でも、こうしてこちらの世界でお会いするのは初めての筈ですが?」
「違いないな」

 少女がふいっと右手を持ち上げると、膝の上の杖が糸に吊られた様にひとりでに浮き上がった。くるくると空中で回るそれをぱしっと掴み、座ったまま床をコンと突く。にいっと開いた口元に犬歯が鋭く見えていた。

「3年椿組、エアリア=マクドゥガル。『魔女』をやっている」
「3年柚組、哉潟七魅……今は、悪魔の手先といった所でしょうか」

 少女の表情が幼く見えたのはその八重歯のせいだったのか、と一人納得して七魅は頷いた。

「とうとう、貴方に逢えましたね。逢えたらお話したいと思っていた事がいっぱい有るんです」
「こちらとしてはあんたにしゃしゃり出てきて欲しくは無かったな。その点は本当に予定外だよ」
「予想通りに行かないのが人の世というものでしょう」
「それに人の心もかい? 随分と入れ込んでいるじゃないか、あのボーヤに。そんなにあんな捻くれた坊やが好みなのかい?」
「好き嫌いで付き合う相手を変える程幼稚ではありませんから」

 「ふぅん」とエアリアは感心したような声を出した。膝に肘をつき、上体を乗り出して手の平に顎を乗せる。気だるそうな、どこか超然とした雰囲気を纏う。

「腹を割って話をしようじゃないか、哉潟七魅。正直、こちらとしてはあんたの存在が不可解で仕方が無い。本の力を欲しがる訳でもないのに、どうしてあのボーヤに協力してるんだい?」
「懐柔しようという算段ですか?」
「本の力を必要としているのなら、ボーヤから取り返した後に私がもっと上手く使ってみせるさ」
「取り返す? 貴方があの本を作ったのですか?」
「違う。しかし、作った男から譲り受けたのは私だ。だからあの本は私の物なのさ」

 金髪の少女は子供っぽく唇を突き出す。不満な感情を演技っぽくわざと見せているという雰囲気だが、本心もその下に見え隠れしていた。

「そう、最初の契約者は私だった。それを、『大封印』にかこつけてある悪魔が持ち去ったんだ」
「『大封印』……?」
「あんた達『内』の歴史しか知らない者に言っても理解できるかどうか……かつて在った人魔戦争を終結させた決戦魔法だ」

 魔女の末裔は語った。
 かつて、この世には確かに魔法が存在していた。そしてその力によって魔法使い達は大いなる魔法文明を築いた。その象徴ともいえる「千年魔法王国」。魔術の先鋭研究機関たる「魔法学院」。空の彼方に浮かび大地を睥睨する「軌道魔法都市」。
 しかし、それらの繁栄は常に悪魔や魔獣など「浮き出る者達」からの侵攻という驚異に晒され続けていた。数度の大規模な大戦が起こり、その度に人間は強力な攻撃魔術を開発し、魔物達はより強靱な存在となって対抗した。2度の「人魔世界大戦」を経て、開発と進化の頂点に達した両陣営は遂に世界を滅ぼしかねない禁断の領域に辿り付いた。そして、ようやく魔術師達は気が付いたのだ。第3次大戦によって得られるのは「勝利」でも「生存」でも無い。両者の「滅亡」だと。

「そもそも、魔法で悪魔に対抗する事自体が間違いだった」

 エアリアは遠くを見つめる目付きで嘆息した。

「魔法ってのは形を持たなかった可能性を汲み上げて形にする技術の総称でね。滅びゆく世界の中でようやく一部の研究者達が気が付いたんだ。『形を持たない不可能の存在、それこそが世界に侵攻してくる悪魔の正体だ』ってね」
「……つまり、貴方達は……自分で自分達の敵を呼び出していたと?」
「そういう事だ。お互いの力が拮抗していたのも当然さ。強い魔法を使えば使うほど、より有り得ない可能性が形を取って『浮き上がって』来るんだからな」

 魔術師達は恐慌を来した。軍部はこのまま戦闘開始を主張し、少数の研究者達は魔法そのものを世界から切り離し、封印する可能性を説いた。そして多くの者は情勢の混乱に着いていけず、右往左往した。

「……そして、結局のところ全部が全部中途半端なところで魔法の『大封印』が強行された。その結果、魔法に連なる『魔』が全て世界との繋がりを切り離され、それらは永遠に姿を消した。可能性の外……いや、混沌の内、と言った方が良いか……そこに、全て追放されたのさ。歴史ごとね」

 「これが、『大封印』の顛末さ」とエアリアは息をついた。しばらく2人の間に沈黙が満ちる。1分も経った頃、ようやく七魅の側から静かに会話を再開した。

「……それを全部信じるわけにはいきませんが」
「真実さ。事実には残っていないが」
「しかし、矛盾があります。その『大封印』があったのに、何故貴方は残っているのですか。そして、あの本も何故今でも魔法の力を持っているのですか。魔法が消えたのなら、一緒に無くなってしまうのではないのですか?」
「その答えは簡単だ。いや、対になっているとも言える。それは、私が本によって『世界と繋げられている』からさ」
「……どういう事です?」
「難しい話じゃない。『大封印』が世界との繋がりを切り離すなら、その本は願望を叶えた相手を世界とより深く繋げる力が有るのさ。かつて私はその本と契約し、願望を叶えた。そのお陰で、今もこうして不完全ながら世界と──この学園と繋がったままだ」

 七魅はその言葉に沈黙し、少しの時間考えをまとめた。そしてある事に思いついて再び目線をエアリアに向ける。

「貴方はあの本を取り戻して、この世界に戻りたい、あるいは完全に──どちらにしろ、その不完全な状態から逃れたい、という事ですか?」
「そういう事だ。本は1人と契約している間は1つの『究極の願望』しか叶えない。だからこそ、あのボーヤにはさっさと諦めて欲しいのさ」
「達巳君と協力して……いえ、彼の終了まで待てないのですか?」
「待てないね。気が付いていないのか? ボーヤにも私にも、この学園に居る限りタイムリミットが有るんだよ」
「本の力に期限が有るんですか?」
「卒業だ」

 口元ににやりと笑いを浮かべる。そして虚を突かれたような七魅を見てそれを更に深くした。

「卒業……」
「この学園と繋がっている私。そしてこの学園を存在優先先と選んだボーヤ。お互い、卒業と同時に自分の立場の保証を無くし、この学園から姿を消すしかない。嫌なら、本の力を成就させてもう一度世界と自分とを繋ぎ直す必要があるのさ」
「そんな事は一度も……」
「さてね。ボーヤが気付いていないのか、それともあんたに教えていないのか、それともそこまで詳しく契約について詰めていないのか。どういう事情にしろ、のんびりやってられる時間は無いんだ。さて……」

 「最初の質問の答えを聞こうか?」とエアリアは急に口調を変えた。自分の話したい事はこれで全部お終いと言わんばかりの変化だった。七魅はそれに少し逡巡し、そしてきゅっと口元を引き締める。

「どうしても……あの本が必要なのですか?」
「自分の所有物を返してもらって何か悪いかな?」
「……言い方を変えます。あの本を手に入れなくとも、貴方はこうしてこの世界に出てこられるじゃないですか」
「この世を面白可笑しくするのに使えるじゃないか? まあ、あの本は想像の境界を越え混沌を汲み上げるのも簡単に出来るけどね」
「それは、悪魔にとっての利益では?」
「同じだよ」

 片目を瞑り、顎を乗せた手を外して頬のあたりを人差し指でとんとんと叩く。ふうっと少女は息を吐いた。

「……同じなのさ。存在を否定された者という『非存在の存在』としては、魔法使いも悪魔も同等だ。『大封印』以降、伝説や物語の中にしか魔法使いは存在できない」

 そう言った後、エアリアは「そうそう」とひょいと顔を上げた。片足の踵を机の上に載せ、組んだ手で膝を持つ。少し視点を下にやれば太腿の付け根が見えそうになっていたが、黒いマントが良い具合に影を作っていた。

「『トイレのイチタロウ』だったか? あれは見事だった。流石にまさか新しい噂を流して本の力を行使するとは思わなかったぞ。あれもまた一つの新しい伝説だな」
「あれは達巳君が用意したものですよ」
「しかし、ボーヤ一人ではあそこまで噂は広まらなかった。あんた達はいいコンビだよ」

 持ち上げた膝に頬を乗せ、ニコリと笑うエアリア。さらりと金の髪が一房机の上に落ちる。七魅はそれをじっと見つめながら特に笑みを浮かべもしなかった。コケティッシュな格好の魔女の微笑みを見つめたまま、七魅はなお質問を続行する。

「なぜ学校をこんな状態に?」
「あのボーヤの願望を少しだけ切り取ってこの学園に現実化してみたのさ。下らなくも恐ろしいまでの熱意に満ちた妄想じゃないか? あの年頃ってのは皆そうなのかな」
「達巳君の願望を形にして何か貴方に益が有るのですか?」
「無いよ。ただの嫌がらせ」

 あっけらかんとした言い様に七魅は顔を顰めた。エアリアはその反応を見てくすくすと笑いをこぼしている。無防備に素足を見せる姿勢といい、どこか無警戒で、それでいて野生の動物のようなしなやかな雰囲気が同居していた。

「幻滅した?」
「……別に。こんなものだろうとは思っていました」
「酷いね。年頃の娘達に自分のトイレでの姿を撮影させるような変態だぞ?」
「……彼を貶めたいのですか?」
「いいや? ただ、あのボーヤに本を持たせていても決して世のため人のためにはならないって事を見せただけだが」
「ご注進、どうも。それくらいは想像の範囲内です」
「そんなにあのボーヤと手を取り合って人の道を外れたいのかね? あんたの家だって、黙ってればそうそうに力の存在がバラされる心配は無いだろう?」
「人には人の都合が有ります。それを一々説明する必要は無いと思いますが」
「自分も含め、この学園の無邪気な生徒達を辱めても?」

 七魅はエアリアの言葉に黙った。しかしその沈黙は、痛いところを突かれて黙らされたのではなく、思い詰めた自分の心情を正確に吐露しようとする溜めの様なものであった。言葉を選びながら、慎重に自分の内面と向き合いながら、ゆっくりと七魅は口を開く。

「力を持つ者は、この世界においてはその在り様を求める限りずっと孤独な存在です」
「何故、そこでボーヤに荷担する。お互いの領域を決めてその外から協調してもいいじゃないか」
「そうですね……。でも、達巳君は自分の意志で戻ってきましたから」
「何の事を言っているんだ?」
「……貴方は知らないのですね」

 七魅はエアリアから視線を外し、上空を見上げる仕草をした。脳裏に、あの暑い一日の事が思い出される。7月のあの日、体育館の裏で一人真昼の太陽を見上げていたあの少年の姿を。

「……別に手を取り合ったりしなくてもいい。その後ろ姿を見つめたまま、ただ同じ方へと進むだけでもいい。その方が、もしも別の道に進む姿を見ても別れるのは私の中だけで済みますから」
「……面倒くさい事を考えるんだな」
「ええ、性分ですから。……でも、彼は戻ってきた。一度は眩しい昼の光に憧れながら、それでもそれを振り切って暗いトンネルの中に戻ってきた。なら、私ももう少し、彼が暗闇に慣れるまで手を引いてあげても良いと思うんです」
「そこまでする必要が有るのかい?」
「さあ……。とんでもないお節介かもしれません」

 微笑みながらぽつりと七魅は呟いた。そして、ふと首を傾げる。たった今何かに気が付いたと言わんばかりに目を見開き、エアリアを見つめる。

「……もしかして、あの時皆にばら蒔かれたビラは、貴方が作ったのですか?」
「ご名答だ。良く気が付いた」
「水泳部の瀬川さんの夢から持ち出したんですね」
「素晴らしい。あのボーヤも随分と掘り出し物のブレーンを持ったじゃないか」

 茶化したような少女の口調に、七魅は軽く目を閉じた。片手で体側に付けたもう反対の腕の肘をきゅっと掴み、隙間のないポーズをとる。そして、そのまま静かに言った。

「……やっぱり、貴方に達巳君は渡せない」
「仕返しかい?」
「夢の中からしかこの世界を覗けない貴方は、もうとっくに忘れてしまったんでしょうね」
「何を?」

 エアリアは顎に手を当て、首を傾げた。その問いに七魅は答えない。静かに目を瞑ったまま、しかし断固たる意志をその言葉に込めて放つ。

「……貴方は知らない。達巳君が泣いていた訳を」
「興味無いね」
「達巳君は自分がこの学園に受け入れられたと思った。自分がこの星漣の一部として迎え入れられたと。だから、希望を持ったんです」
「……所詮本の力の与えた幻想さ」
「だけど、何がきっかけか分からないけど、彼はその芽を、もう一度自分で踏み潰した。自分がこの学園でやる事の罪を、背負い直す事を決心した。昼の陽の光に憧れながら、それでも闇の道を進もうと心に決めた」
「……」

 あの帰り道の車の中で、少年のその言葉を聞いた時。七魅は確かに涙をこぼした。胸の内から溢れてくる混ぜこぜの感情の行き場を失い、取り乱して弁解の余地も無く子供の様に泣いた。
 少女にとってその瞬間は、2人で闇に落ちる大きな恐怖と、そして後ろ暗い想いに満ちていたからだった。悲しくて泣いたのでも、不安で心細かったのでも無い。嬉しかったのだ、心が傷つくほどに。

「私達は、『駒』なんですよ。彼にとって」
「それが、あんたの選択?」
「達巳君の、です。私にとっては彼が私をどう使おうと構わない。彼は……」

 七魅の口元にわらいが浮かぶ。奇しくも、それは夏の合宿の最中、郁太が発作的に見せたものと同種のものであった。

「……私と同じく、『夜を行く』事を決めたのですから」

 その瞬間、両者の中間の空中にバチッと青白い火花が散った。「ほう」と感心したような声をあげるエアリア。いつの間にかその手に杖を持ち、七魅の方に先端を向けていた。

「いきなりだ。思っていた以上に攻撃的じゃないか」
「……」

 七魅とエアリアの中央の空間が歪んでいる。まるでそこだけ映像のレンズが狂っているように、周囲の光景がそこだけ波紋の様に揺らめいていた。エアリアはくるりと杖を返してぴたりと体の正面でそれを静止させる。

「性格の違いかとも思っていたが……どうやら本の力が効かないのは、単にお前の力の方が桁違いに大きいからのようだな?」
「もちろん、幼い頃から姉との力の違いには気が付いていましたよ」

 先に「糸」を見たのも、先に「糸」を掴んだのも、先に「網」を手繰り寄せたのも、先に「網」のコントロールに成功したのも……そして、あの「事故」を起こしたのも、全て七魅だった。双子でありながら、三繰と七魅にはそれだけの力の差が有ったのだ。

「怖いな。暴力的でかつ容赦が無い。しかし、粗野に過ぎるな。能力の大きさのせいで制御が効かないか? 人間の脳を焼き切るくらいにしか使えなそうだ」
「そうですね。もう一度試してみましょうか?」
「遠慮しておこう。それに、そろそろ潮時のようだ」

 笑いながらエアリアはそう言った。ゆらり、と空間の歪みが伝播したようにその姿が揺らぐ。郁太が消える時のように、その足下から暗い夢に紛れ始めていた。

「結局、交渉は決裂か」
「1つ切りのモノを両者が欲しがっているのです。最初から相容れないと分かっていたのでは?」
「これは私の性分だ。自分のモノを欲しがっている相手を観察したくなる」
「人に好かれそうもない悪い癖ですね」
「違いない。しかし、それはお互い様だろう」

 うっすらと消えかけた魔女は、それでもまだ影のように暗いマントを払い、どこからとも無く取り出したトンガリ帽子を斜に被った。片目だけで七魅を見つめ、不敵に笑う。七魅もまた、「そうですね」と頷いて同じだけの意志を込めて視線を返した。

「……私たちは互いに自分を『昼に相容れない者』だと認識しながら、確信犯的に行動しています」
「ああ。この会話でお互いの唯一の同意点は、そこだけかもしれないな」
「……だからと言って、」
「さらさら譲るつもりは無いけどな」

 エアリアはぐいっと帽子を下ろして顔を隠した。机から降り、今はもう見えない足で七魅と同じ床面に立つ。

「今はお別れだ、悪魔の手先の娘。あんたの願望の成就は願えないが、出来得ることならまた、このような会話の機会を得たいものだ」
「……さようなら、最後の魔女。心配せずとも、達巳君を返してもらった後なら何時でも、ご招待を受けますよ」

 金髪の少女は口元で笑い、「その時は、約束しよう」と言った。

「あんたの知り合いの悪魔によろしくな」
「……伝えておきましょう」
「ああ」

 すうっと周囲の気配が近付いて来る。切り離された七魅の世界が日常に戻りつつあるのだ。開け放たれた教室の窓からの風がエアリアと七魅の髪をなびかせる。その金色の煌めきが落ちる前に、朝の喧噪が七魅の耳に帰ってきた。ふっと、まるで夢から覚めたように少女は自分の体重を足の裏に取り戻した。

「……ナナちゃん? どうしたの?」

 自分の席の側から三繰が不思議そうに首を傾げている。七魅は首を上げ、壁際の時計を見た。まだ、教室に入った瞬間から1分も経っていない。首を振って少女は姉に答えた。

「何でもありません。少し、考え事をしていました」
「そう?」

 自分の席に向かい、鞄を横にかける。そしてふと思い付いて机の上を軽く触ってみた。そこには金髪の魔女の体温も、その影も何も残ってはいなかった。

(全てが夢に還ってしまった……)

 七魅は椅子を引き、自分の席に着く。そして、机に肘を付いて両手で顔を覆った。その内で、長い息を吐く。

(……もう、躊躇ってなんかいられない)

 今までのやり方は甘かったのだろう。夢の中にいる魔女の存在にも、それほど実感を覚えていなかった。そして、自分自身が、どれだけ達巳郁太を取り戻したがっているのかにも。

 エアリアと対話し、七魅は自分がどうしても郁太に拘りたい理由を自覚した。身勝手な願いかもしれないが、七魅は郁太に「側にいて欲しい」のだ。その為には、もう躊躇わない。

(……何だって、やってやる)

 姉と共に定めた禁じ手の一つの封印を解く事を、七魅は決めた。

 
 


 

 

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