BLACK DESIRE


 

 



2.


 そうこうする内、あっと言う間に日は過ぎた。僕とハル達は選挙に向けて毎日をそれこそ1秒も無駄にしないように駆けずり周り、気が付けばもう今週は終わろうとしていた。

 放課後、その週の最後のお茶会を終えた僕はハル達に後片付けを任せ、早々に退散することとした。何か文句の1つでも言われるかと思ったが、「ゆっくり休んでね」と労られる位だったのだから、僕の顔色は相当なものだったのだろう。

 げた箱まで来たところで、僕は遂によろけて壁に手を付いてしまった。そのまま寄りかかって呼吸を整える。自分の胸の中にある心臓が、まるで自分のものでは無いかのように不規則に鼓動していた。

「ああ……くそっ、やっぱり慣れないな」

 魔力の使い過ぎだった。ぼんやりと霞がかかったように思考がうつろぐ。やはり、第2契約の乱用は反動が大きい。連続使用で消費は激しく、見返りは雀の涙ほど。やはり、幎の忠告は正しかった。

 だが、代償分の価値はあったと思う。僕へ対する印象はこの数日で確実に良くなってきている。
 あんなに約束はできないと言っておきながら、サラはその日の昼の放送でさっそく僕からの相談を匿名扱いで採用してくれた。そればかりか、「親身に助けてくれる友達は宝物でス。一緒にがんばって立ち向かえばきっと良い結果になりますヨ」と、応援の言葉まで付けてくれたのだ。
 おそらく、放送を聞いた多くの生徒が僕とハルのことを想像したはずだ。これはもう公然と放送部が僕たちを応援すると宣言したようなものだった。
 また、そこまであからさまではなかったが藍子が急遽作成した号外も、この間の僕の意見を下地にしてあったために僕ら寄りの意見でまとめられていた。その藍子の取った緊急アンケートの結果でも、当初より僕らに同調する者が増えてきたらしい。

 ただし、それはあくまで意見を決めかねていた層が流れてきただけで、最初から生徒会側の意見の者は殆ど動きがない。それだけ安芸島の信頼度は高いと言うことなのだろう。来週水曜の決戦まで、どうにかしてその牙城を突き崩さないと勝ち目は無い。方法が無いことはないのだけど……。

 呼吸が落ち着いたのを見計らい、僕は身体を起こした。幸い、誰も通りがからなかったようだ。こんなところ、人に見られたくないからな。
 そして、靴を履き代えようとげた箱に手を入れかけ、そこに白い封筒が置いてあることに気が付いた。思わず手を引っ込め、周囲を伺う。

 誰かがいる気配は無い。もちろん、体調が万全じゃないから確実ではないけど、もし通りがかりの生徒か教師がいたなら、さっきヘたりこんでいた僕に声ぐらいかけるだろう。

 もう一度、周囲を見渡して誰もいないことを確認して、僕は封筒を手に取った。味気のない白い封筒で、宛名も、差出人の名前も無い。軽く振ってみたが、中に固形物が入っている様子もない。
 少し迷ったが僕は思いきってその封筒の上端を破って中を覗き込んだ。もう放課後だし、何かの連絡だとしたらあまり時間が無いと判断したからだ。

 封筒の中には折り畳まれた便せんと、地図のコピーらしきものが入っていた。地図の場所はよく分からない。取り合えず便せんを開き、そこに印刷されたワープロ文字を目で追う。




  達巳郁太 様

  初めまして。
  私はあなたがなぜこの星漣に来たか、その事情を
 ある理由により知り得た者です。

  高原那由美さんの事で、お伝えしたい情報があり
 ます。

  同封の地図の印の場所に、今日の午後7時に来て
 下さい。

  もしも来られない場合は、あなたの立場は微妙な
 ものになることをご承知下さい。




 読み終え、僕は呆然としていた。

(僕がこの学園に来た理由を知っている……つまり、ブラックデザイアの力の存在に気が付いている!?)

 それだけではない。僕と那由美の関係を匂わせているということは、僕の最終目的をも知っているということじゃないか?

 そして、呼び出しに従わないときは、洗いざらいぶちまける……その結果、「立場が微妙なものになる」……。

 つまり……。

(……これは、脅迫状だ!)



 その1時間後、僕は不慣れな道を地図を頼りに急いでいた。
 呼び出し場所の下調べをする余裕もなかった。七魅にすら教えていない事実を突き付けられた僕は、ただ時間までに指定の場所へ辿り着くことだけを考えて足を進める。
 同封されていた地図は不自然なほど目印となる建物の記載が無く、僕は正しい道順を辿るために何度も同じ道を往復する羽目になった。
 長かった初夏の陽も暮れ始めるとあっと言う間で、ようやく指定された場所へ続くらしき路地を発見した時には、すでに電柱の明かりがなければ番地も読めないほど薄暗くなっていた。

(なんとか……間に合った)

 携帯の明かりで地図を確認し、路地へと足を踏み入れる。左右をふさぐ壁のせいでそよいでいた夕暮れの風がパタリと止まり、息苦しい蒸し暑さだけがまとわりつく。
 壁はかなりの距離をひと続きに延び、隣接した区画が相当広い敷地であることを伺わせる。だが、地図を確認してもそこが何の場所であるかは分からなかった。

 ふと目を上げ、電柱のライトの下に見えた縦長の影に僕はギクリと足を止めた。
 最初、それは人影かと思ったが、何のことは無い、それはぶら下げられた緑色の鳥避けネットだった。その周囲はこの付近のゴミ収集場所になっているのか、夜間にも関わらずいくつかのゴミ袋が置きっぱなしなっていて、それが夜の明かりの下、青白く反射光を放っていた。

 ふう、と微かなため息の後、僕はさらに先へ足を進める。僅かな生臭さを通り過ぎると、その先は壁が左右から狭まり車も通れないような細い裏路地になっていた。電灯の明かりも届かず、足下も良く見えない。壁向こうの建物も壁との間にかなりスペースがあるのか、屋根や木々は見えるものの窓の明かりは遮られて見えなかった。
 なぜ、こんな場所をと訝しがりながら携帯で時間を確認すると、6時55分を過ぎたところである。とりあえず、時間通りに指定の場所に辿り着くことができた。路地のど真ん中に立ち止まると、蒸し暑さが余計に気になり手の甲で額を拭う。自分でも気付かない内にそこはべったりと汗で濡れていた。

 その時、かすかな女の悲鳴が聞こえた気がした。ギクリと顔を上げ、周囲を見渡す。壁のせいで何も見えないが、先ほどと異なり空気がざわめきを伝えて来ているように感じる。
 直感的に何か不穏な気配を感じ、僕はその場を去るべきであると思った。きびすを返し、もと来た方向に向き直ろうとしたその時、辺りが落雷の時のように瞬間的に発光した。
 夕立かと思って空を見上げたが、周囲が暗いせいで都内にも関わらず星座は良く見えていた。空気に湿り気も無いし、数秒待っても雷鳴は届かない。

 再び、発光。
 その瞬間、僕は脱兎の如く駆けだした。瞬間的に雷に似た発光現象をもたらす文明の利器に思い当たったからだ。

(ちくしょう! これはフラッシュだ!)

 慌てていたせいか、狭い路地から抜け出した瞬間に電柱の根本に転がっていた何かに蹴躓いて僕は危うく転倒しかけた。倒れかけたとき右手をゴミ袋に突っ込んでしまい、袋が破けて中身が少しこぼれ、僕はそれに舌打ちした。

 何が何だか分からない。
 その場所からとにかく離れようと走りながら、僕の頭は混乱気味にその言葉を繰り返す。

 何とか選挙に向けて活路が開けたかと思った矢先、突然僕の秘密を知っている者が現れた。そいつはいきなり僕に脅迫紛いの呼び出しをかけ、僕はとにかくその場所に辿り着こうと汗だくになりながら夜道を急いだ。そしてそこに着いたと思った瞬間、どこかで騒ぎが起こり、同時に何者かに僕の姿を写真に撮られた。

(最悪だ!)

 何が最悪なのかも分からないまま、僕は心の中で自分の迂闊さを呪う。こんな事をしている場合じゃないのに!



 何とか自分の屋敷に帰り着いたとき、僕は相当ひどい状況だったのだと思う。いつもの様に門の前で待っていた幎が、僕をひとめ見るなり眉根を寄せたのだから。
 無言でポケットから白いハンカチを取り出した幎は、僕の右腕を掴みあげるとそれを人差し指にあてがった。

「痛っ!」

 いつの間にだろう。たぶん、転びかけたときかもしれない。僕は右手を怪我していたらしく、幎の手におさえられた時そこに刺すような痛みを感じた。
 そのまま幎はずんずんと僕を捕まえたまま屋敷の中へ歩を進め、僕を居間のソファに座らせると自分で指を押さえるように指示して急ぎ足で出ていった。

 そんな普段と違う様子の幎に驚いていると、彼女はすぐに救急箱を抱えて小走りに戻ってきた。この間のように僕の側にひざまづき、箱の中から消毒液とガーゼ、脱脂綿、ピンセット等を手早く取り出す。

「〜〜〜〜っ!」

 消毒液がしみて僕は悶絶した。自分の右手が逃げ出さないよう左手で押さえておかなければならなかったくらいだ。
 右人差し指はナイフで切ったように、腹の部分がざっくりと裂けていた。何か尖った物があのゴミ袋に入っていたのだろう。簡単に袋が破れるわけだ。
 幎は僕の様子は完全に無視するようにピンセットをちょいちょいと動かして指先を綺麗にすると、慣れた手つきでガーゼを当てて包帯を巻く。その時になって、僕は自分のズボンにまで血が飛び散っていることに気が付いた。まったく、なんてザマだ。

 幎による治療はあっという間だった。包帯がきつすぎないか確認した後、手早く救急箱に道具を片づけて立ち上がる。僕といえば、今更やってきた疼きのような痛みと幎の手際の良さに、ただしげしげと右手を眺めているしかなかった。

「……郁太様」
「え?」

 一瞬、怪我をしたことを怒られるのかと身を竦める。とっさに言い訳が心の中に浮かんだが、結果的にその必要はまるでなかった。

「夕食ができていますが、すぐに召し上がりますか」
「え……あ、うん……いや……」

 僕の動揺具合に対して余りにもいつもと変わらない幎の様子にしどろもどろとなる。

「……いや、悪いけど、今日はちょっと疲れたんだ。あまり食べられそうもないし……それに、この指だしね」

 包帯巻きの右手を上げる。フォークくらいなら持てるだろうけど、僕は和食派なのだ。幎はそれを見て小首を傾げる。

「……よろしければ、食事のお手伝いをさせていただきますが」
「え!?」

 それは……つまり、幎が僕の代わりに食事を取って食べさせてくれるって事なのだろうか。いや、それは余りに大和男子として恥ずかしいのではないだろうか。

「い、いいよ。本当にもう食べられないんだって」
「……そうですか。では、入浴の準備をしますのでしばらくお待ちください」

 そう言って、ふと幎の目線が僕の右手に留まる。何だかこの後の言葉が予測できるぞ……。

「よろしければ、入浴のお手伝いを……」
「い、いいってば! もう今日は本当に疲れたんだ、もう寝る!」

 慌てて立ち上がり、僕はほうほうの体で居間から抜け出した。

「郁太様、ズボンを洗いますので……」
「勝手に持っていってよ!」

 追いかけてきた言葉に捨て台詞のように振り返りもせずに言い捨てると、僕は自分の部屋にすっ飛んで帰った。
 部屋で乱暴に衣服を脱ぎ捨てると、早々にベッドに倒れ込む。

(くそっくそっくそっ……冗談じゃないぞ!)

 いくら疲れているから、いくら不可解な出来事で混乱しているからといっても、これは酷すぎる。

 僕は……幎に世話を焼かれている僕は……あろうことか、あの瞬間、幎に対して親しみを感じていた。
 もっと言えば、彼女に「甘えたい」とまで感じていたのだ。

 あり得ない!

 家族もなく、親しい友人もなく、恋人なんて作ろうとも思わなかった僕が……他人に興味なんて無かったはずのこの僕が。

 あろうことか、悪魔に母性を求めるだなんて!

「〜〜〜〜〜〜〜〜っ!」

 意味不明の呻きをあげ、僕は布団を頭の上までかぶった。
 おかしな事ばかりだ。ハルもおかしいし、安芸島もおかしい。あのブン屋もおかしいし、そもそも星漣学園自体がおかしい。脅迫状などはその最たる物だし、その後の出来事は一生記憶に残りそうな奇妙な出来事だ。そして、妙にやさしい幎もおかし過ぎるし、それでどぎまぎする僕などはもう気がおかしくなったと言われてもしょうがないくらいにおかしいのだ!

 混乱してぐちゃぐちゃな僕の頭は、ついに思考することを放棄した。連日の無茶な能力使用に加え、逃亡のための全力疾走も重なり、僕はもう色々と限界だった。
 幎がその数分後、ズボンを取りに部屋をノックしたときにはもう、僕は布団にくるまってぐっすりと寝こけていたのだった。



3.


「……郁太様……郁太様……」

 遠くから、幎の呼び声がする。いつもの様に、控えめな、ともすれば消え入りそうな儚げな音色の声。
 だが、何故か僕はその時、その声が幎のものとは思えなかった。それは、その響きにどうしようもない寂しげな雰囲気を感じ取ったからだ。

「……郁太様」

 どうしたの? どうしてそんなに寂しそうなの?

 闇の中、ポツンと灯った蝋燭の火のように頼りなく立ち尽くす黒ずくめの少女の姿。今にも消え入りそうなほどそのシルエットはおぼろげだ。
 胸の前には抱きしめるかのようにあの本を抱え持っている。その本を失ったら、ほんとうに少女は幻影のように消える運命なのだと言わんばかりに。

「……郁太様」

 静かに、艶やかに僕を呼ぶ。それは、僕への問いかけなのか、哀願なのか、それとも、恋慕なのか。

 僕はその姿に手を伸ばそうとした。だけど、その手は何故か真っ赤に塗れていて、思わずそれを引っ込めてしまう。
 寂しそうに、僕を見つめる幎。僕は、彼女に何を言うことができるのだろう?

「……郁太様……」

 急速に、その姿がぼやけていく。僕にはもう、為すすべは何もない。その名を呼ぶことすらできないのだ。

「……」

 最期に、幻のように消え入る瞬間、少女は初めて僕の名前以外の何かを口にした。その瞬間、僕の中に去来するとてつもない後悔の念。耐え難い心の痛みに、血が溢れるかのように右目から涙が溢れ出た。

 そして、視界が急速に明るくなり始める。急速な浮上感。夢幻の体験がようやく終わり、覚醒の時が近づいている事を僕は第3者的に理解していた。

「……郁太様」

 僕を起こす幎の声。わかっているよ、もうすぐ起きるから。
 瞳を開ける直前、ほんの一瞬閃いた残滓の中、そう言えば夢の中の幎は両眼がいつもの赤ではなく、僕と同じ黒色をしていた事を唐突に思い出していた。



「おはようございます、郁太様」

 目を開けると、ベッドサイドにはいつもの様にかしこまった姿勢の幎が佇んでいた。

「うん……おはよう」

 身体を起こし、首筋を揉みながら「あれっ」と気がつく。昨日が土曜日だったから……今日は日曜じゃなかったっけ。休日は起こさなくてもいいって前頼んだんだけど。
 しかし、幎は首を振って用件を告げる。

「……郁太様にお客様です」
「えっ? 今何時?」
「……午前6時22分です」
「そんなに早く!? 誰が!?」

 一気に不機嫌になった僕はもう少しで帰ってもらえと幎に言うところだった。せっかくの休みの日に非常識にも程がある。

「……哉潟様です。名前を伝えれば郁太様はお会いになるとの事でしたので」
「えっ? どっちの?」
「お2人ともでした」

 げげ、哉潟姉妹がそろって僕の家に、こんな朝早くから何の用だ!? 僕は幎に2人を通してお茶を出すように言うと、慌てて用意されていた衣服に袖を通した。
 顔を濡らすだけの洗顔を済ませて階下に駆け降りると、見まごうことなきうり二つの双子の少女が紅茶を飲みながら待っていた。

「ほんとに居たよ……」
「それが来客にかける最初の挨拶ですか?」

 不機嫌そうに睨み付けてきたのは妹の七魅の方だ。おまけのように「酷い顔……」と付け加える。

「顔が不遇なのはしょうがないだろ、生まれつきだ」

 と、僕も仏頂面で二人の前の席につく。すかさず幎が僕の紅茶を運んできた。七魅の隣の三繰は対照的に笑みを浮かべている。

「そういうことじゃないよ。寝癖、凄いよ」
「後で直すよ」

 僕はますます不機嫌になった。そのままぶっきらぼうに用件を尋ねる。

「で、何? 日曜の朝っぱらから僕の顔に文句を付けにきたわけ?」
「違うよ。まずは、んー……」

 三繰はしゅた、と手を挙げて「おはよう」と笑顔で言った。無視してやろうかと思ったが、七魅に「挨拶もできないのですか」と睨まれる事が目に見えていたのでしかたなく「おはよう」と返しておく。

「達巳クン、ホントにここのお屋敷住んでたんだ。実は凄いお坊っちゃまなの?」
「違う。ただの居候だよ」
「でもメイドも居るんだね」
「まああれは一種の労使関係だし」
「そうだね。これだけ広いとお手伝いさんいないと管理が大変でしょ」
「さあね。全部幎に任せてるから」

 三繰の言葉に僕は肩をすくめて見せた。どうせ那由美の持ち家だ。どうなろうと僕の知った事ではない。
 七魅は会話の切れ目で隣の三繰に耳打ちするように何かを囁いた。それに対し、一言、二言答えて頷く三繰。七魅は正面の僕の顔をじっと見据える。

「達巳君に質問があります」
「え? なにさ、改まって?」
「確認させていただきたいのですが……昨日の午後7時頃、何をしていましたか?」

 ギクリとしてもう少しで飲みかけの紅茶をこぼすところだった。七魅は僕の動揺を見て、目つきをさらに鋭くする。

「実は、昨夜7時頃、星漣学園第2学生宿舎『さざなみ寮』で痴漢騒ぎがあったのです。なにやら浴室を覗いた人影があったとか」
「へぇ、そうなんだ。物騒だね」

 平然と答えながら、僕は昨日路地裏で聞いた騒ぎを思い出していた。なるほど、あそこは星漣の寮だったのか。異様に敷地が広いと思ったが星漣関連の施設だというなら納得がいく。
 それにしても、ちょうど僕があそこにいた時に痴漢騒ぎか……どう考えても罠、だな。

「それで、その時間、達巳君が付近にいなかったかお聞きしたいのですが」
「僕を疑っているの?」
「いいえ。別に達巳君なら不埒な覗き行為をしなくてもいつでも見たいときに見ることができるのですから、まず動機が無い点で犯人では無いと考えています」
「そうだよね。僕じゃないよ」
「ただ……」

 七魅の視線が僕の右手に吸い寄せられた。

「その指、どうされましたか?」
「あ、えっと……夏休みの自由研究をやっていてカッターで切ったんだよ」
「へぇ、随分ご熱心ですね」
「でしょ?」
「星漣の宿題に自由研究はありませんけどね」
「……ああ、そうなの」
「ちなみに、さざなみ寮の裏手にあるゴミ捨て場付近で少量の血痕が発見されました。おそらく、昨日夕方頃に付いたものでしょうね」
「……」

 黙り込んだ僕に、七魅はため息をついた。

「安心して下さい。騒ぎの後、家の者をやって路地裏の血痕は片づけさせました。誰にも気付かれていません。だから、何故、あの時間、あそこに居たのか。真実を教えて下さい」
「はぁ……」

 僕はもう、名探偵に「犯人はあなたですね」と言われた人間の気持ちで部屋から昨日の脅迫状を持ってきて七魅に提出するしかなかった。
 七魅はざっとそれを眺め、ちらりと眼を上げる。

「こんなものにひっかかってノコノコ誘き出されたのですか」
「はい……」
「おまけに路地裏に居るところを写真に撮られたと」
「はい……その通りです……」
「しかも、2度もですか」
「……」
「ようやく危険に気が付いて逃げ出したら、足を取られて無様に転倒したと」
「転んでないよ、とっさに手を付いたから」
「手を付いたときに怪我をして、血痕まで残してきたと」
「うぐぅ……」

 僕がさんざんやり込められているのを三繰はニヤニヤ見つめている。アイコンタクトで「助けてミクリン!」と念を送ってみたが、「おかけになったアイコンタクトは現在好感度が足りておりません」と忌々しくも目線で返してきやがった。何だよ、好感度って!? それに通じてんじゃねえか!
 味方も無く、孤立状態の僕は何とか弱々しく弁解の言葉を吐いてみた。

「だ、だってさ、僕の力のことを知っているみたいだし、それに……」
「どうして那由美さんとの事を知っているのか、ですか」
「げぇぇ……!」

 どうして七魅にまで知られている!?
 僕が呆然としていると七魅は心配そうに眉を寄せて僕の顔をのぞき込んだ。

「達巳君、どうしたのですか? いつものあなたらしくないです。このくらいの内容の手紙なら星漣に居る者は誰だって書くことが出来る事くらい分かるはずですよ」
「なんですとぉお!?」
「ちょっと考えてみて下さい。……私達がどうしてここに来ることが出来たと思いますか?」
「えっと……? あれ?」

 そう言えば、僕、七魅にも三繰にも、ハルにさえまだ僕がここに住んでいるって教えたことは無い。それじゃ、幎が? と顔をそちらに向けようとすると「ちなみにあのメイドにも聞いていません」と七魅は先を制した。

「えっと、じゃあ学校で生徒名簿から……?」
「ええ、一応プライベートですから簡単には見られませんがそこから調べることもできますね」

 七魅はようやくか、と半分呆れ顔で頷いた。

「達巳君がこの『高原』の表札のある屋敷に住んでいることくらい、その気になれば住所録を盗み見るなり下校時に跡をつけるなりしてすぐに判明します。そしてそれがわかれば、あなたと高原家、ひいては那由美さんとの間に事情が有り、また転入時期を併せて考えれば彼女がらみで何らかの目的を持って星漣に入って来たことを推論する事は難しくないでしょう」

 「そして、その事は先週の金曜日の時点でほぼ公然の秘密となっていました」と、僕が再度仰天するような言葉で七魅は締めくくった。脳裏にあの弾丸ブン屋がケケケと笑いながらすっ飛んでいく様子が、何故か思い浮かんだ。



 七魅達の説明を要約するとこうだ。

 金曜日の放課後の時点で、僕と那由美が親類かごく親しい間柄であった事はほぼ星漣の中で確定事項になっていたらしい。
 その事で少し不穏な雰囲気を感じた七魅は、それとなく僕に注意するよう呼びかけるつもりだったが、昨日の僕のあまりにも憔悴した様子になかなかそのタイミングが取れなかった。

 そして、夕方、心配していた事態は起こってしまった。
 脅迫状に仰天した僕が星漣の寮の裏手にのこのこ現れたのを見計らい、犯人は痴漢騒ぎを起こす。同時に不審人物(つまり僕だ)の写真を撮影し、決定的な証拠とする。

 目的は明白だ。来週の総員投票までにこの写真を学園内に流布して僕への不信感を煽ろうというのだろう。今、僕の作戦による印象操作のおかげで流動層の生徒が大量にこちら側に傾き始めている。この時期にこんな悪評が立つのは致命的だ。間違いなくほとんどの票が生徒会側に流れ、惨々たる結果になるだろう。

 学園内の動きに注意を払っていた七魅は、その騒動を聞きつけてすぐに僕が何かに巻き込まれたことを悟った。即座に人をやって寮の周辺を見張らせ、そして血痕を見つけ、万一のことを考えて証拠になる物は片づけさせた。

 そして、ほぼ確信状態で今日僕を訪ねたところ、右手の怪我を見つけてチェックメイト、という訳で現在にいたる。

「……でも、いったい誰がこんなことを。まさか生徒会が?」
「……それは無いと思います。安芸島さんがこんなずさんな策略を行うとは、到底思えません」
「随分彼女の肩を持つね」

 七魅は「あの人の事は、正直よく分からないのですが」と首を振った。

「実際の所、安芸島生徒会長の考えを理解できる人など現在の学園内にはいないと思います。あの方は常に10手ぐらい先を、それも偶発的な事態まで織り込み済みで判断しているのではないかと。少なくとも、驚くとか、唖然とするとか、そういった表情と一番縁遠い方ですね」

 なんじゃそりゃ。星漣の生徒会長はバケモノか?
 それじゃ、僕達「新校則に反対する会」に勝ち目なんて無いじゃないか。

「そう……です、ね。でも、そうとも言い切れないといいますか……」

 七魅は何か含みのあるような口調で言葉を濁した。

「それより、今は写真でしょう? 早く何とかしないと、『証拠写真』が学校中にバラ巻かれちゃうよ?」
「うん、そうだ。なんとかしないと」

 三繰の忠告に僕は頷く。
 ようやく僕の頭も回り始めてきたようだ。背筋をシャンとさせ、当面の問題に思考を切り替える。
 七魅の方を向き、僕は質問した。

「写真は今どうなっているだろう?」
「昨晩から寮の外出者を見張っていますが、コンビニなどで現像している生徒はいませんでした。路地は狭いし、達巳君に姿を見られなかった事からしても恐らく敷地内で写真撮影を行ったのでしょうから、写真はまだ現像されずに寮の中にあるのでしょう」
「でも、デジカメの可能性はあるでしょう?」
「さざなみ寮に寄宿している生徒は現在12人。寮母を含めても全員パソコンを所有していませんし、プリンターも無いはずです。また、携帯電話のメールを使用する場合もパソコンがなければ直接データをデジタルカメラから移すのは難しいのではないでしょうか」
「携帯のカメラを使った可能性は?」
「その場合は、フラッシュの有効範囲が狭いので大した写真は撮れていないと思います」
「ふむ……外出時に誰かにカメラごと手渡した可能性は?」
「少なくとも、昨日の7時半から現在まで、寮の外の人間と直接会って何かを受け渡ししたような生徒はいませんね。しかし、今日は日曜ですから全員が外出するとなると追いかけるにも手が足りなくなります」
「なるほど。カメラが寮の中にある内になんとかしないといけないわけか」
「ええ」

 こちらの手勢としては僕、七魅、三繰、それと哉潟家の万能使用人達数名、そして切り札のブラックデザイアがある。
 この間の第2契約の際、僕は新たにキャプチャリングフィールドとして「常時100名程度が使用可能な星漣学園の関係施設」を設定しておいた。偶然だが、これでさざなみ寮の内部でも存在優先権を発動させることが出来る。つまり、三繰を使って寮の中の人間をすべて操ることができるのだ。

「納得したよ。2人は僕の力で寮に乗り込んで写真を取り返すために、朝早くから来てくれたんだね」
「ええ」
「すぐに準備するから、少し待っててくれ」

 昨日はシャワーも浴びずに寝たから髪がなんだかべとついている気がする。女の子だけの寮にお邪魔するんだ。ちょっと一風呂あびて身だしなみを整えようか。

「私達は外に車を待たせているので、そちらにいます」
「わかった。15分で支度するよ」
「できるだけ急いで下さい」
「了解」



 哉潟姉妹が乗り回している車はロールスロイスだった。まだ髪が濡れたまま車に駆けつけると、メイド服の女性が恭しく後部座席のドアを開けてくれたので、そこに滑り込む。音もなくドアが閉められ、そのメイドさんはそのまま運転席に座ってすーっと静かに車を発進させた。

「あの人は?」
「家で雇っているお手伝いの一人です」
「運転手さんって男の人じゃないんだ」
「何でもやるって触れ込みで雇いましたので」

 そこには、張り込みや尾行、家宅捜索も含むのだろう。哉潟家のメイド達は、そういった特殊能力が有りながら訳有りの人間を選んで雇っているらしい。理由は身辺警護も兼ねてとの事だが、どう考えても証拠隠滅は身辺警護と関係ないような。

 さすがに高級車の代名詞であるだけあって、ロールスロイスはクッションはフカフカで非常に座り心地が良い。僕と哉潟姉妹は対面に座っているのだが、シートベルト無しでも全く問題がないほど車の中は静かなものだった。

「さざなみ寮って、結構広そうだったけど12人しか住んでいないんだっけ?」
「あそこはもともと体育会の合宿所として利用されていましたから。現在は部活の早朝練習に間に合わないような体育会部員の希望者にのみ部屋を貸し出しています」
「そのリストはある?」
「ええ」

 七魅から既に用意されていた用紙を受け取り、僕はそのリストの先頭の名前に驚いた。

「あれ!? 早坂がいるじゃないか!」
「ええ。自治会長も寮住まいですよ」
「なら、あいつが首謀者ということも考えられないか?」

 僕の問いに、しかし七魅は「まさか」と首を振った。

「あの人が小細工をするなんて、安芸島さん以上にあり得ませんよ」
「なんでさ? 彼女だって執行部の人間だろ?」
「不器用なんですよ、あの人は。良く言えば体育会系の人間なんです」
「ふぅん……?」

 僕が納得のいかない顔をしていると、七魅の横から三繰が助け船を出した。

「実直で謀に向かない性格って事。生徒会執行部でも一番雰囲気に馴染めてないみたいだし、何しろ『銀の騎士』だから」
「え? 何それ?」
「あー、そうか達巳君は知らないよね。今年度の生徒会長選挙で、早坂さんはそう呼ばれていたの」

 なんだそりゃ。僕の理解を超えた内容に当惑する。
 「つまり」と七魅は僕に理解できるよう、掻い摘んで事情を説明し始めた。

「星漣の生徒会長選挙では、伝統的に立候補者の後援会は『〜の会』とかではなく、通称を名乗ることになっているのです。そして、今年の2月の選挙では安芸島さんと早坂さんが候補者に挙がり、奇遇にもそれぞれの後援会は安芸島さん側は『黄金の薔薇騎士団』、早坂さん側は『銀の騎士団』を名乗りました」
「だから、安芸島さんは『黄金の薔薇姫』、早坂さんは『銀の騎士』ってわけ」
「はー……」

 2人の説明に僕は嘆息する。
 何とも時代がかった名称だが、それを大真面目にやるのだから生徒会長選挙もきっと大したお祭り騒ぎだったのだろう。僕の脳裏に白銀の鎧を着た早坂率いる騎士団と、薔薇を髪飾りにした安芸島姫を奉じる黄金の騎士団とが対峙する構図が浮かんでくる。
 しかし、そんな宝塚的ワンシーンも様になってしまうのだから、つくづく星漣学園が塀の外とは異世界なのだと思い知ったのだった。



4.


 さざなみ寮に向かう前に、僕は少し確かめたいことがあって寄り道をしてもらった。七魅データファイルにあった住所を頼りに道を辿り、そして「カメラのヤマナ」と軒先に表示された店を見つける。まだシャッターは半分閉まっていたが、お目当ての人物がその店の前で後ろを向いて何か作業をしているのを見つけ、僕は車を降りた。

 近づくにつれ、そのお店の細部が見えてくる。どうやら店の半分は記念写真などの写真屋、半分はカメラ自体の販売店となっているようで、ちびっこい癖毛メガネの少女が写真屋側に飾られた記念写真のショーウィンドウを拭き上げているところだった。
 その少女はガラスに映った僕に気が付き、驚いたようにこちらを振り向く。

「やあ、おはよう。『達巳先輩』だよ」
「……あれ? なんで先輩がこんなところをほっつき歩いてるんですか?」

 一瞬少女の視線が虚ろいだが、直ぐにいつもの生意気盛りの口調を取り戻す。
 少女の名は山名翠子(やまなみどりこ)。星漣学園写真部所属の2年生だ。彼女の実家がカメラ屋だということは以前、同じ写真部の橘静香(たちばなしずか)から聞いていた。今日はその知識を見込んで彼女を訪ねたのだ。

「んー。ちょっと山名さんに聞きたいことがあってさ。『先輩』の頼みだし、事情は聞かないで答えてくれないかな」
「いいですけど。ただ、分からないことは答えられませんですよ?」
「大丈夫。カメラとメガネの専門家の君なら答えられるはずだ」
「メガネが何か?」
「いや、何でも」

 僕は昨日、路地裏であった事を包み隠さずミドリに教えた。そして、フラッシュを炊いて姿を撮ったとすると、どうしても違和感の残るポイントを質問する。

「う〜ん……1回目と、2回目の間は何秒くらいでしたのでしょうか?」
「雷かと思って空を見上げてたから正確な所は分からないけど、30秒くらいかな? 1分は経ってなかったと思うけど」
「なら、それ、多分使い捨てカメラですね。フラッシュ付きの」
「やっぱりそうか……」

 そう、後々その時のことを思い返してみて発見した違和感。犯人になったつもりで僕の姿を撮影しようとした時、どうしてそんな風になったのか疑問に思った点。
 それは、2回目の撮影まで随分時間がかかったという事。そして、3回目以降の撮影が何故か無かったという事である。何せ僕は最初落雷だと思って空をぼけっと見上げていたのだ。連写すれば大量に写真が撮れたはず。それは、そうしなかったのではなくそうせざるを得なかったのだ。使用した道具がそんなに高度な物ではなかったからだ。

「たぶん、間の時間は手で巻く時間とフラッシュの充電時間ですね。使い捨てカメラのフラッシュを使ったことがありますですか? ボタンを押しっぱなしにして電気が貯まるのを待つのですよ。大体10秒くらいかかりますのです。2回目を撮ったところで先輩が走り出したから、それ以降はもう間に合わなかったんだと思いますですよ」

 ミドリはそう言いながらまるで本物の使い捨てカメラを持っているかのようにネジを巻き、フラッシュの電力を貯め、そして構えるところを実演して見せた。確かに素早くやっても20秒はかかりそうだ。手元が暗ければさらにもたついてもおかしくない。

「なるほどなるほど。さすがカメラの専門家だね。ありがとう、参考になったよ」
「どういたしましてです」

 さて、これだけ確認できれば用はない。僕はもう一度ミドリに礼を言うと素早く七魅達の車が隠れている路地に歩き去り、能力を解除した。

「や、おまたせ」
「何かわかりましたか?」

 七魅が中からドアを開けながら尋ねる。

「うん。やっぱり使い捨てカメラの可能性が高いみたいだ」
「なら、使用済みのカメラを探せば良いのですね」
「だいぶやりやすくなったんじゃないかな」
「そうですね」

 僕が乗り込むと同時に、哉潟家の使用人のメイドは車を発進させた。さあ、今度こそさざなみ寮に向かおう!



「……あれ?」

 山名翠子は不思議そうな顔で辺りを見回した。いつの間にか掃除の手が止まり、道路の方を向いてぼうっとしている自分に気が付いたからだ。

「えっと……?」

 首を振りながら、ガラス拭きを再開する。なんで手を止めて振り向いたのだろう?
 その時、道路を歩く人影がガラスに映り脳裏のイメージと重なった。

(あ……っ!)

 そうだ、思い出した。確か、達巳先輩が現れて、挨拶したんだった。そして……そして……そして、何でもない世間話をして、達巳先輩は帰ったのでした。
 ちょっと寝ぼけていたみたいだと少女は思い、小さく舌を出した。よりいっそう気合いを入れ、ガラスを磨く作業に没頭する。

 一体その先輩と何を喋ったのか、その記憶は全く無かったが、以後彼女がそれを疑問に思うことはなかった。



 さてさて、目的地到着までの時間を使って今回の作戦要項を整理しておこう。
 作戦の目的はもちろん、昨日僕を撮影したフィルムを手に入れることだ。現在のところ、それを誰が実行したか、そして今誰が持っているのかはわからない。しかし、どうやら使用されたカメラは市販の使い捨てカメラで、まだ寮の中に有ることは推測できた。

「ならば、寮にいる全員に今持っている使い捨てカメラを全て提出するように暗示をかければいいのですね」

 確かにそうなんだけどね、七魅。今回はそれは止めておいた方が良い。

「なぜですか?」

 そもそも今回の騒ぎを起こす原因になった失敗を繰り返さないようにだよ。

「どういうことですか?」

 では、説明しよう。
 ブラックデザイアでコントロールされていた間の記憶は、その解除と同時に消去される。これはこの能力の利点であると同時に、欠点でもある。何故なら、消えてしまった記憶がどのように補完されるか、僕にも予想がつかないって事だからだ。

 つまり、プール大作戦の失敗は、あそこで行われた実際の出来事の代わりに、楽しかったという印象を手がかりにして「僕と楽しく遊んだ」という記憶が補完されてしまった点にある。それが親御さん達に知れて問題になってしまった訳だからね。

 今回、もしも僕が寮のみんなに「使い捨てカメラを全部僕に預ける事」とか何とか書き込みをしたとすると、みんなの記憶からカメラを持ち出して僕に預けるところまでの記憶がすっぽりと抜け、そしてそこを補完するためのでっち上げの出来事が代わりに記憶されることになる。

 さて、どうだろう。想像してみてくれ。僕が来た時にあったカメラが、僕が帰った後に無くなっている。その間の記憶の補完はどうなるか?
 その人物は僕を騙して罠にかけた当人だ。後ろめたい人間は他の人間も自分に害をもたらしたがっていると思い込み易い。当然、僕が悪意を持ってカメラを持ち去ったと記憶を補完する可能性が高い。そして、そう補完されたらそれはその人にとって事実となってしまうのだ。何しろ、それを否定する記憶は何もかも綺麗に消去されてしまうのだから。

 プール大作戦の時、僕は自分がプールの監視員であると皆に認識させた。そのため、彼女達は監視員である「僕の監督の元楽しく遊んだ」という印象が残り、結果男子生徒と一緒に遊んだという補完記憶がでっち上げられてしまったんだ。
 正しくは、「みんなが揃った後プールから現れるのが監視員である」と認識させれば良かったのだ。そうすれば、「監視員の監督の元みんなで楽しく遊んだ」という印象が残り、そこに僕が介在したという記憶が作られる可能性がかなり低くなったはずだ。

 人間の記憶などという曖昧なものを操作する以上、僕はそこまで良く考えた上で能力を使わなければならない。それが前回の失敗から学んだ教訓である。

「では、どうするのが最適な方法だと考えているのですか?」

 うん、それはね。能力とは関係なくこっそり盗み出すのさ。

「盗むのですか? しかしそれも、達巳君に疑いがかかるのは同じ事では?」

 全然違うよ。「疑いがかかる」のと、あたかも見てきたかの様に「事実を誤認する」のとはね。それに、本当に盗まなくたっていい。ちょっと手を加えて現像できなくするだけでも良いんだ。そこでも、僕がカメラに何かしたという偽の記憶があるかどうかで結果は全然違ってくる。

「なるほど……では、実際のところ今日はどのような策でカメラを手に入れるのですか?」

 実際に手に入れるのは七魅とメイドさん達だよ。彼女達は家宅捜索も出来るんだよね?

「ええ。さざなみ寮程度なら20分も有ればカメラを全部根こそぎ見つけて来れるでしょう。後始末を考えなければ」

 後始末?

「実際は、捜索より『元通りに戻す』方が遙かに時間がかかるのです。特に衣類は畳み方に個人差が有りますから、相当注意して戻さないとかなりの確率で持ち主が違和感を覚えるでしょうね」

 ……逆に、衣類さえ戻す必要がなければ20分で可能って事だね。

「そうですね」

 じゃあ、簡単だ。僕と三繰の仕事は2つ。

・衣類を片づけなくて良いようにあらかじめ処置を行う。
・20分間、寮の全員を外に連れ出す。

……以上を実行することだ。おっと、そうそう、外に連れだす時はカメラを隠し持って出ないように気を付けないといけないな。それだけに気を付ければ七魅達が上手くやってくれるさ。



「……よしよし、大分見えてきたぞ」

 僕は作戦がほぼまとまってきたのに満足してウンウンと頷いて見せた。しかし七魅はまだ不安が有るのか、納得できないといった表情のままだ。

「しかし、達巳君の能力は寮の中に限定されるのではないですか? 20分間も全員を外出させることが本当に出来ますか?」
「寮と、まあその周辺の道路1本分だろうね。それ以上外に出ると効果範囲から外れるてしまうかも」
「つまり、連れ出せるのは寮の周囲1周分の道のみですね。そんなところを20分も何をするつもりですか。ジョギングでもするのですか?」
「あるいは、それもいいかもね」

 僕は既にあるプランが浮かんでいたのでニヤニヤしながら答えた。最近は魔力の消耗が激しいし、ここらで一発大量に補充しないとやっていけないだろうから、ちょっと派手目にやらせてもらおうかな。
 僕の考えに察しが付いたのか、三繰も上気した顔で身を乗り出してくる。

「ねえ、家の周り一周って、もしかして達巳君、アレをやるつもりなの?」
「三繰さんには予想が付いたか。うん、アレだよ」

 2人して顔を見合わせニヤニヤ笑いをする僕らに、七魅はヤレヤレといった仕草をした。三繰が興味を持ったことでおおよその見当がついてしまったのだろう。

「では、そちらの方はお任せします。一応無線機を渡しておきますので状況に変化があったときは知らせてください」

 そう言って、見た目は腕時計に見えるものを僕に寄越す。

「サンキュー。お、やっと着いたねぇ」

 昨日は暗かったせいで良くわからなかったが、前方に寮というには立派すぎる2階建ての建築物と門が見えてきた。ロールスロイスはその正面で音もなく減速して静止する。
 車のドアを開けて昨日の敗走の地に降り立ちながら、僕の心は何にも知らない純真無垢な乙女達の痴態を思い浮かべて踊り狂っていた。

 
 


 

 

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