BLACK DESIRE


 

 



0.


「……あなたの目的は何ですか?」

 少女の透き通った声がコンクリートの壁に反響している。僅かにエコーのかかった音響がこの建物の空虚さを強調し、僕とその少女の存在を暗闇のスポットライトのように浮き彫りにする。
 この舞台には2人しか存在しない。階段1段分の高さと数メートルの距離を隔てて視線が互いに相手を射抜き合う。

 ……まずい。

 この少女自体に脅威を感じるわけではない。体格も細身だし、手に武器を持っているわけでもない。襲いかかってきたとしても致命打を貰う前に押し倒すことはできるだろうし、叫ぶのなら首を絞めたっていい。逃げようとしたなら髪を掴んで引きずり倒せばいい。

 何がまずいかって、この少女にブラックデザイアのコントロールが効いていないって事がなによりまずい。
 たまたま春原との出来事を覗いていたならいい。先日の探研部での様子を見られていたとしてもまだいい。
 騒ぎ立てたとしても本人達に記憶が無いのだから裏も取りようが無いからだ。

 だが、この女生徒はこの僕の転校をはっきりと『異常』と言い、そしてだれもその異常に気付いていない事実を認知している。
 たかが1人の生徒。されど確実な1人だ。肝心なのはその1人が目の前に存在しているという事。

 もうこの事を誰かに話したのだろうか。気付いた事実を書き留めたりはしていないだろうか。こうして僕の前に現れたということは、よっぽどの馬鹿ではない限り万が一の手を打ってきたと考えるのが妥当だ。
 それに、1人いたということは他にもブラックデザイアの効力から逃れている者が存在する可能性も示唆している。

 青天の霹靂というやつだ。
 こっちには何の準備もできていない。相手の持つ情報も、能力も、規模もわからない。
 だが僕にとってこれが危機的状況であることは確実なんだ。

 考えろ!
  考えろ!
   よく考えろ!

 観察し、耳を澄まし、想像し、相手の手を読め!

 なぜこの場で僕の前に現れたのか?
 きっかけがあったのか?
 単にたまたま僕が一人になったから?
 それともこの場所に特別な意味があるのか?
 またはこの時間帯に?

 この本は、僕の基盤だ。
 ブラックデザイアの力は物理学者が捻り出した原理法則などよりもずっとずっと現実的に僕の欲求を満たしてくれる。
 この場所に僕が存在する根拠はあたり前の秩序の世界ではあまりにも希薄。
 僕の存在原理はこの本の力と共にある。これだけは、死守しなくてはならないんだ!

 切れ長の瞳を見つめ返す。少女の眼差しは動かない。
 僕もまた、全身全霊を込めて相手の奥底を見ようとまなじりに力を入れる。

 緊張した空気が世界を遠くする。
 周囲の雑多な音が駆逐され、沈黙が鋭利な刃物となって2人を取り巻く。

 動けない。
 呼吸をするのもはばかられる。それなのに僕の耳はうるさいほどの自分の呼吸音を知覚する。
 それは相手も同じなのか。それとも、僕だけの錯覚なのか。

 長い沈黙の末、遂に、少女が静止を破る。静かに一歩、足を踏み出す。残った1段を下り、僕と同じ水平に足を乗せる。
 たったの一歩が僕と少女の間の緊張の壁を打ち破った。
 自分でも何をするかわからない。足が自然に少女に向けて動き出そうとする。

 ごちゃごちゃ考えるな。
  目の前のそれは、僕の行く道を邪魔する者。
   例え何であろうとそれは……『敵』。

 僕の両手が前に伸ばされようとしている。ゆっくりと、確実に、そして残酷に、まっすぐに少女の喉元目掛けて。

「──何やってるの?」

 背中からかけられた少女の声に、僕ははっと足を止めた。今まさに伸ばされようとしていた両手を握りしめ、その動きを固定する。

 もう一人いたのか!? ちくしょう、やっぱり手を打っていたということか。

 だが、背後の少女は僕の側をすり抜けると正面の少女に向けてすたすたと歩み寄った。
 背中の中程で切りそろえられた髪がさらさら揺れる。

「何やってるの?」
「……何もしていません」
「そんな訳ないでしょう?」

 後から来た少女が首を巡らせて振り返る。ばらりと髪が扇状に広がる

 !? え……!?

「転校生クン、子猫みたいに警戒心出して怖がってたじゃない? 何やったの?」

 切れ長の目、小さめの口、細く整った眉、切りそろえられた前髪。どことなく日本人形を思わせる風貌。
 同じ顔、同じ髪型、同じ背格好、同じ制服。
 違うのは、その少女の方が目の中の光が強いということ。彼女自身の言葉を返すようだが、まるで猫のような好奇心を持った目。

 それに対し、まるで何も興味を持たないかのような表情でもう一人の少女は手を伸ばし、僕の後方を指さす。

「……彼が立ち入り禁止の区画に入ろうとしていたので注意してました」

 指先を追ってそっと後ろを見る。確かに、「通路補修中。生徒立ち入り禁止」と書かれた紙の貼ってある立て札が置かれていた。

「それだけ?」
「……はい」
「ほんとに?」
「……はい」
「ふーん……」

 猫のような少女はくるりと振り返り、わざわざ腰を屈めて僕の顔を下から覗き込んだ。

「ということで。ごめんね、転校生クン。この子、目つきが悪いから初めての人には怖がられちゃうんだよね」
「……」

 もう一人の少女がその怖い目付きで抗議の視線を送る。後ろ向きなのにもかかわらず「あはは、怒られた」と少女はペロリと舌を出した。

「でもね、転校生クンも規則は守らないとだめだよ?」
「……え?」
「この学校には怖ぁーいのがいっぱい有るからねぇー。あんまりおいたしてると……食べちゃうぞーっ!」

 少女は言葉の途中で急に両手を構えて僕に迫ってきた。先ほど緊張のせいで僕はとっさに手を出しかけてギクリと体を震わせる。

「きゃはははははは! びっくりした? びっくりした!」

 少女は階段を跳ねるように駆け下りていく。まるで背中に翼が有るかのようにステップを踏み、あっという間に踊り場の向こうに見えなくなる。
 それを追いかけ、もう一人も静かに階段に足をかけた。すれ違う瞬間僕を一瞥し、しかし何事もなかったかのように沈黙したまま通り過ぎる。
 僕はその2人を、拳を固めたまま見送った。

 昼間のハルの言葉が思い出される。

 ──二人ともそっくりなの。お人形さんみたいですごく綺麗だし……

 なるほどね……。あれは目立つよ。
 全くそっくり、黙っていればどちらがどちらかわからないほど瓜二つ。
 しかし性格は真逆。片方は寡黙で警戒心が強く、もう片方は騒がしくて好奇心が強い。

 僕は2人の名前を知っている。あんな目立つ存在が2組もいるはずがない。


「……あれが、双子の哉潟姉妹……か」




BLACK DESIRE


#4 フタカナ




1.


 翌日、僕は緊張しながら登校した。

 一晩考えてみたが、結局あの姉妹への対策なんて思いつかなかった。そもそも情報が不足し過ぎているのだ。こっちはあの少女がどのようにしてブラックデザイアの影響から逃れているのかすらわからない。

 念のため幎にも問いただしたが、やはりその答えは芳しいものではなかった。

「──少数ではありますが、ブラックデザイアの精神干渉を防ぐ手段は存在します。過去、まだ本物の魔術師が存在した時代にも高位の精神障壁を操る者には実際にコントロールが受け付けられなかった事例があります」

 ならば直接インサーションを試みてはどうだろうか? もちろんそれは所詮一時しのぎだ。僕が目を離せばその効果は消滅するのだから。
 だが、相手の情報を引き出すことはできる。うまくやればブラックデザイアの力を躱す方法や相手の規模がわかるかもしれない。

 あれだけ僕に対して警戒心を持っていたんだ。それは興味と言い換えてもいいだろう。
 名前さえ知れば本に記載される可能性がある。後は昨日のように直接2人きりで会うことができれば……。

 思案しながらも僕は表面上はいつも通りの顔つきと行動を維持する。行動は監視されている可能性が高い。目立つ動きはこちらが警戒していることを相手に知らせてしまうことになる。予想されているとは思うがわざわざこちらから知らせる必要もない。

(──ん?)

 校舎に到着し下駄箱を開けてみると、折りたたまれた紙片が上履きの上に置かれていた。昨日の下校時には存在しなかった物だ。僕は周囲を見回して誰か僕を見ている人間がいないか確認する。
 誰もいない。それぞれ自分の下駄箱から上履きを取り出して履き替えている。僕の動きに注目している者はいない。
 少し迷ったが僕はその場で紙片を開いてみた。上履きを取るように靴箱の中に手を入れ、その中で紙を開いて目を走らせる。

 ──放課後4時30分にお座敷で待っています

 きちんとした字で一文、これだけだ。名前は記載されていない。

 僕はその紙を折りたたみ、上履きの中に落とした。そしてそのまま履き替えてしまう。
 後でトイレにでも行ったときに脱いで取り出せばいいだろう。

(……先制攻撃ってところか)

 相手はペースを支配したくてこの手紙を置いたに違いない。この先、何をするにしても僕は今日の放課後の行動を意識しなくてはならないからだ。
 先んずれば人を制す。僕は一歩遅れを取ったわけだ。

(さて、どうする?)




「……悩み事ですか?」
「え?」
「何か深く考えていらっしゃったようですので」

 隣りの席に座った女生徒に声をかけられて初めて、僕は既に3時間目の選択教科の時間が終了している事に気がついた。
 しまった、放課後のことを考えるのに一杯で授業なんか聞いていなかった。相手のペースに乗っちゃ駄目だと言いながらどうしても向こうの手が気になってしまう。

「い、いや、別に。何でもありません」

 僕がしどろもどろに答えると、その少女は少し眉を寄せて僕に顔を近づけた。ふわりとかすかにいい匂いが僕の鼻を撫でていく。

「大丈夫ですか? 授業に集中できていなかったようですので少し心配になりました」

 げげ、ずっと見られていたのか!? 思わずまじまじと見返してしまう。

 少女は長い髪を後ろで2カ所、髪留めでまとめている。綺麗にそろえられた髪や整った眉の形が育った環境の良さを象徴しているかのようだ。
 瞳の色が普通の人と少し違うような気がする。日本人の典型的なブラウンではなく、やや緑がかった灰色の瞳。神秘的な輝きが僕を魅了する。
 口は小さく、唇は可憐だ。柔らかさを証明するように自在に形を変えて言葉を紡いでいる。

「あの……よろしかったら相談に乗りましょうか?」

 なぜ? どうしてそんな言葉をかけられるのだろう? 僕なんか少女の名前すら知らないというのに。育ちの良さだけでは説明できない少女個人の優しさが感じられる。

 僕は「何でもない」と返してこの会話を終わらせるつもりだった。だが、少女がただの社交辞令で言っているのではなく、本心から僕を心配していることに気がついてしまった。
 ここまで言ってくれているのに何も話すことは無い、では失礼だろう。

「えーと、それじゃ、ちょっと話を聞いてもらってもいいですか?」
「ええ。もちろんです」

 少女はかすかに笑みを浮かべる。その言葉には曇りが無い。

「まず……目の前に大きな問題があります」
「はい」
「すごく重要なことで、しかもそれは自分で解決しなくてはならない。しかし、それは複雑でどこから取りかかればいいのかもわからない。取りかかっても本当に一人で終わるのかもわからない。こんな状況でまず何をしたら良いでしょうか?」
「そうですね……」

 少女は眉根を寄せて顎の近くに手を寄せる。僕はその素振りを見てはっと気がついた。

(あっ! なんか今のって嫌なことの前に駄々をこねる子供みたいじゃなかったか!?)

 なんてことだ。もしかしてそんなおこちゃま思考で授業を蔑ろにしていたのかと落胆したのではないだろうか。これは状況を詳しく話せない複雑かつ摩訶不思議な環境のせいでありまして!

 しかしそんな僕の慌てぶりも杞憂だった。少女はしばらく思案した後に顔を上げて口を開く。

「では、私の場合のことを話してもよろしいですか?」
「え、あ、はい。お願いします」
「私なら……まずは、前に進んでみます」
「?」
「やはり止まっていてはいけないと思うんです。体当たりでいいから自分のできる範囲でやってみないと。もしそれが必要なことなら、きっと何か得るものがあるはずです。それが何なのか、見極めてみるのがいいと思います」

 へえ……見た目によらず実践派なんだな。

「でも、何でもやってみてから考えようでは困難も多いのでは?」
「はい。だから、たまには後ろに下がることも必要ですね」
「引き下がるってことですか?」
「一歩下がって、自分を含めて問題をもっと大きな視点で客観的に見直すんです。問題を困難にしている理由は、本当は些細な事なのかもしれません。それが寄り集まって一見複雑に見えているのかも……。後は、もしかして自分にも改善すべき点が無いか、とか」

 とても模範的な回答だ。そして揺るぎない口調がそれを実際に少女が実践し、成功を収めていることを示している。
 先ほどの直感は僕の中で確信に変わる。この少女は見た目に騙されがちだが、そこらのお嬢様連中よりも遙かに強い自信と行動力を持っている。

「前に進み、後ろに下がり……時に自分自身を振り返り、問題の本質に多面的に対処せよ。そういう事ですね」
「そうですね。あ、でも……」

 初めて少女が言いよどんだ。僅かな笑みを浮かべながらも困ったように眉を寄せる。
 その表情に少女の繊細さを意識し、僕はどぎまぎする。

「でも、それでもどうしてもやりたくないことは有りますよね」
「え、ええ。確かに」
「……たまには逃げちゃうのもいいかもしれませんね」
「逃げるちゃう……ですか?」

 「それができたらの話ですけど」そう言って少女は再びはにかみを見せた。

 ちょうどそこで予鈴が鳴る。そろそろ次の選択教科の準備をしなくては。
 僕は出っぱなしだったノートを閉じて筆入れと一緒に脇に持った。

「ありがとうございました、相談にのってくれて」
「いえ。あまりお役に立てなくて申し訳ありません」
「そんなことないですよ。ありがとう」

 僕はそう言って一礼する。
 少女の微笑みとお辞儀を後に、僕は足早にその教室から歩き去った。




 4時間目が終了して昼休みになり、僕は早速行動に移った。ハルに双子の教室を聞いて訪ねてみることにしたのだ。

(まずは前に進んでみる。放課後まで手をこまねいていたらこっちの出せる手がますます減ってしまうからね。手詰まりになる前に僕なりのやり方でやらせてもらうよ)

 双子の2人は驚くべき事に一緒のクラスだった。普通、混乱するからそういうのは同じにはしないはずだ。なにか特別な事情が? 僕は3年柚組の扉を見つめながら1つ息を吐く。
 ここまで来てためらう意味はない。進む事にこそ意義がある。僕はガラリと扉を開放した。

 開けはなった扉の向こうは、異様な雰囲気の別世界だった。

「はーい、ナナちゃん。あーん♪」
「姉さん、一人で食べられるから……」
「だーめー。はい、あーん♪」

 観念したように少女が口を開くと、白いヨーグルトの塊を乗せたスプーンがその中に差し込まれる。満足げに笑みを浮かべる同じ顔のもう1人の少女。スプーンはその少女によって保持されている。
 最初の少女が口を閉じ、スプーンをくわえ込む。そこで、教室の入り口で扉を開け放ったままの僕と目が合った。ピタリと動作が凝固する。

「? どうしたの?」
「……」
「?」

 スプーンを持っていた少女がそれを口からするりと抜くと、彼女はやっと口を動かし始めた。そして僕へじっと向けた視線を微動だにすることなくそれを嚥下し、席から立ち上がった。
 もう1人に待っているようにとの素振りと一言、二言の言葉をかけ、こちらに歩いてくる。興味津々の1対の目線がその後を追う。

「……何か?」
「えっと……」

 どうしようか。色々なパターンを予想してきたけれど、これは想定外だ。
 とりあえず、これは言っておかなくちゃいけないよな……。

「何の用ですか? まだ時間ではないはずです」
「……あのさ、ここ……ヨーグルトついてるよ」

 僕が自分の唇を指さしながらそう言うと、少女は僅かにピクリと反応したようだった。すっと左手をスカートのポケットに手をやってハンカチを取り出すと唇を拭う。

「……他に何か?」

 表情は変わらないが少し顔が赤らんでいる。
 やば、怒らせたかな?

「放課後に、と伝えたはずですが」
「あ、やっぱりこれ君のか」

 僕は懐から折りたたんだ紙を出してみせる。少し皺が付いているが内容の確認には何も問題はない。

「誰と思ったのですか」
「僕のファンからのラブレターとか、告白の呼び出しとか」
「……自惚れが強いようですね」

 少女の口に初めて笑みが浮かぶ。しかし、それは見ていて気持ちが良くなるようなものではなく僕を威嚇するような挑戦的なものだ。

「少し考えればあなたを手紙で呼びつけるような人物はこの学園に他にいないとわかりそうなものでしょう」
「そうは言っても名前も書かれていないからね。不審な手紙にのこのこ誘い出されるほど僕はお調子者じゃないよ」
「そうですか。なら、それは私の出した物です……これで満足ですか?」
「まだだよ。手紙の出し主の名前を聞いていない」
「……もう知っているのでは?」

 知っているさ、調べたからね。でも、自己紹介は相手が名前を知っているから省略されるものじゃない。それが礼儀ってもんだろう?

「いや、知らないなぁ。自己紹介してよ」
「……私は3年柚組の生徒で名前は哉潟七魅(かながたななみ)といいます。初めまして」
「初めまして、僕は椿組の達巳郁太です……そして、後ろで猫みたいにこっちに耳をそばだたせているのが、お姉さんの三繰(みくり)さんだね」

 再び少女の体がピクリと動く。いや、今度は眉も明らかに動いた。ははは、怒ってる怒ってる、ざまあみろ。

 僕はその怒りが少女の中で燻っている内に退散することにした。「じゃ、また放課後に〜」といかにも軽薄そうに言い残してその場から素早く立ち去る。
 後方ですごい勢いの質問声が聞こえる。たぶん姉の方が妹を捕まえて質問攻めにしているのだ。
 僕はくすくすと笑いながら軽い足取りでその声を後にする。

 ……これで昨日の借りは返したよ!




2.


 放課後になって教室を出たところで、僕は愕然とした。

「お……お座敷って、どこ?」

 僕は馬鹿だ。相手への対応を考えるばっかりで肝心の下調べをやっていなかった。
 この間ハルに案内してもらったルートにそのような名前は無い。まだ僕の知らない建物が有るか、それともランチハウスのように星漣の生徒達にだけ通じるニックネームなのかもしれない。

 どうするか……。ハルがいればそれでいいのだが、あいにく今日も掃除らしくホームルーム終了後にすぐにいなくなってしまった。
 闇雲に捜すより他の生徒に聞く方がいいだろう。

 と、そこまで考えたところで思いつく。
 そうだ、この星漣には受付があった。昇降口から入ってすぐの所に来賓の対応をするための窓口があるのだ。そこに行けば施設の位置ぐらいわかるはずだ。

 さっそく階段を下りて向かってみる。窓口に声をかけながら中を覗いてみる……が、しかし中は誰もいない。

「留守……かな? あれ?」

 受付のガラス窓を開けて覗き込んでみると、机の上に人形が乗っていた。某有名ネコ型ロボットのぬいぐるみだ。その人形には何かメモが貼り付けられていた。なになに……。

「代行中」

 ……。

 ……これでいいのか、星漣学園。

 だが、留守じゃしょうがない。未来の四次元ポケットにだって星漣の案内図は入っていないだろうからな。
 僕は踵を返して校舎裏へと向かう。食堂なら顔見知りだっているかもしれない。

 しかし残念ながら食堂に到着して中をざっと見回しても知り合いはいないようだった。
 まずいね、だんだん時間が無くなってきた。

 僕は食堂から外のテラスに出る。噴水の周りの小道を何人かの生徒が先を急いでいる。
 もう誰だっていい。どう見ても僕がこの学校唯一の男子生徒で転校生なことは一目瞭然なんだ。
 学校に不慣れでもおかしくはないだろう?

 グルリと見渡す。不幸にもその場にいる全員が僕のいる方から反対へ歩いていく。
 くそっ、間が悪いな。次だ。次に目があった相手にお座敷の場所を聞くぞ。絶対に聞く。

 む! 背後で気配!

 僕は勢いをつけて振り向く! 君に決めたぁっ!

「……」
「ねえ、ちょっと忙しいとこごめん」
「……」
「すまないけど、教えて欲しいことがあるんだ。時間はとらせない」
「……」
「お座敷って、どこにあるのかなぁ?」
「……」
「……」

 相手からの返事は無い。む、ちょっと早口すぎたか? それともいきなりでびっくりさせたか? もう一度声をかけてみようか?……って。

「ニャア」
「猫かよっ!」

 僕のひとりつっこみにその猫はビクッと体を震わせた。しかし、よほど人懐っこいのかそのまま警戒心のこもった目付きで僕を見たまま逃げずに立ち止まっている。

 はぁ……猫にあたってもしょうがないな。
 僕は目線をそらせて他に誰か代わりはいないかと辺りを見回す。すると、その猫はようやく安心したのかたったっと軽快に歩いて来た。あれ? ゴロゴロと喉を鳴らせながら僕の足に首筋を擦り付け始めたよ?

「こら、何だよ」

 食堂で何か匂いでも付けて来ちゃったかな? 僕は追い払うように足を振ってみるが猫はそれを遊んでくれているとでも思ったのか靴にじゃれついてくる。人なつっこいにも程があるぞ。お前、これまで良く生き残れてきたな。

「あーっ! イクちゃんミッキーと遊んでる!」

 突然、横から声をかけられた。
 ハルだ。食堂と校舎の間の渡り廊下から体を乗り出してこっちを見ている。

「遊んでいるように見えるのか、これが」
「ミッキー、おいでおいでー」

 ハルはいつも通り僕の台詞を無視するとダッシュで廊下を回り込み、僕の足下に滑り込んできた。猫の両前足を持ってダンスをするようにフリフリする。……って、ミッキー?

「ミッキー?」
「そ、ミッキー。ここに住み着いてる猫さんだよ。見ててね、ミッキー面白いんだよ」

 ハルは周囲を見渡し、適当な雑草を引き抜くと根っこを持って猫の前で振ってやる。当然のようにそれにじゃれつき始める猫。
 更に、その雑草をだんだんと高く上げ始める。それを追って猫の方も姿勢を起こして後ろ足で立って雑草をパンチングし始める。だんだん角度が急になってきた。
 ハルが立ち上がる。それを追って猫ものけぞるようにトタトタと後退して行き……遂に耐えきれなくなってコロリと尻餅をついた。

「あはははははは! 見た見た? かわいいでしょ、ミッキー」
「動物虐待は抗議が来る前にやめときな。それより、なんでミッキーなのさ」
「ん? なんで?」
「ネズミでしょ、ミッキーって」
「ああ、そうだよね。でも、名前を付けたのはずっと前の先輩だから」

 なんでもこの猫はこの星漣の敷地内で生まれた猫で、子猫の頃は黒いブチ模様があったらしい。それで、当時の生徒が両耳が真っ黒なこの猫を見てミッキーイヤーを着けているみたいだと言い出したのが名前の由来だとか。良かったな、版権問題になる前にブチが消えてくれて。

 僕はしゃがみ込んで立派なトラジマになった頭をなでてみる。おお、気持ちよさそうに伸びをするな。こいつ、ここでずっと可愛がられてきたから警戒心0だな。
 試しに喉を掻いてやる。だが、ミッキーは急に四肢を突っ張らせると顎を僕の手に乗せてぐいぐいと地面に押しつけようとした。

「なんだよ?」
「ああ、ダメダメ。ミッキーは喉を撫でられるのが嫌いなんだから。ほらほらしっぽ〜しっぽ〜」

 ハルが尻尾を扱くように撫でてやると機嫌を直したのかその場でコロリと横になった。尻尾を平気で握らせるとは……こいつは本当に猫なのだろうか?
 
「……まあいいや。それよりハル、お座敷ってどこにあるか教えてくれない?」
「ん? お座敷って文化会館のお座敷のことかな?」
「文化会館?」

 この星漣は超名門だけあって日本の伝統文化にも理解が深い。ハルの説明によると、日本舞踊や茶道、華道の活動のために特別に稽古場や畳敷きの部屋を用意した文化部棟の別館が存在するらしい。

「クラブ活動で使う以外には、文化祭で展示をするくらいしか使わないね」

 そんな授業に必要のない建造物をポンと造ってしまうのだから星漣、恐るべし。

「どうやって行けばいいの?」
「噴水と反対の方へこの道をまっすぐ行ったところだよ。イクちゃん何しに行くの?」
「ん……」

 なんと言っておくべきか。下手な言い訳だとこいつまでついて来てしまいそうだな。
 だが、そんな心配は必要なかったようだ。ハルの手をするりと抜け出したミッキーがトコトコと小道の先へ歩き、ニャアと鳴き声を上げたのだ。

「あ、そっか。ミッキーが案内してくれるって」
「はぁ? 何だよそれ?」
「ふふふ、イクちゃんも立派に足跡付けられて来るんだよ? がんばれー」

 そう言うとハルは無責任に僕を後ろから押して進むよう促した。何だよ、無茶苦茶気になるな。
 ミッキーはもう既に結構先まで進んでいてそこで振り返ってニャアニャア鳴いている。僕は仕方なく手を振って見送るハルを残してその後を追った。




3.


 ミッキーに連れられ小道を進んでいくと、前方の木々の向こうにに瓦葺きの和風建造物が見えた。この煉瓦造りの塀に囲まれた星漣の中では一際異彩を放つその姿。あれが目指す文化会館なのだろう。

 玄関の前でしばし躊躇する。
 人気がないのだ。ハルの説明ではクラブ活動にも使用しているはずだけど……。
 まさか……罠?

 その時、足下にいたミッキーが僕の靴を引っ掻いた。何か用があると言わんばかりにニャニャニャと声を上げる。

 「なんだよ?」

 しゃがもうとした時、突然ミッキーは僕に向かって飛びかかってきた!

 「わっ!?」

 とっさに顔を庇う。ミッキーは構わずに肩に飛び乗るとそのまま連続して僕の頭を蹴って跳躍する。空中で綺麗に身を捻り、何事もなかったかのように文化会館入り口のひさしに着地した。クルッとこっちに向いて僕を見下ろす。

「お、お前……僕を踏み台にしたのか!?」
「ニャー」

 ご苦労、と一声鳴いてミッキーは身を翻して屋根を駆け上って行った。
 くそっ! ハルのやつ知ってやがったな。『足跡を付ける』ってこれのことか。
 苦々しい表情で屋根の上に視線を送るが、気ままな猫に僕の緊張がわかるわけがない。そこには既に茶色い曲者の姿は見えなかった。

 僕はため息を吐き、扉を開いて文化会館の中に入る。中も完全に和風建築だ。僕は土間で靴を脱いで靴下で板張りの廊下を奥へと進む。靴を入れるときにチェックしたが、下駄箱には女生徒の靴が一足既に入っていた。もう先にスタンバっているってことか。

 文化部棟も板張りだったが、それはあくまで木造建築物の延長としてのことだ。ここは既に学校という空間を逸脱している。これはもう屋敷と呼ぶべきカテゴリーの建物だ。
 稽古場を横目に通り過ぎ、その奥に見えている畳敷きの部屋に入る。ここがどうやら目的の『お座敷』に間違いない。
 なぜなら、そこにはすでに哉潟七魅が1人で正座して待っていたからだ。

「お待たせ、かな?」
「お気遣い無く。時間通りです」

 時計など見もせずにそう言う。可愛げの無いヤツ。
 僕は挨拶もそこそこに七魅の前に用意されてた空き座布団に胡座で座り込む。

「正座なんか慣れていないんでね、崩させてもらうよ」
「ご自由に」

 ちぇっ。もう少し喋ってくれれば相手のテンションがわかって対応がし易くなるんだけどな。完璧なポーカーフェイスを決め込まれたら、明らかになった手札を見て判断するしか無いじゃないか。

 七魅は沈黙している。姿勢は自然に真っ直ぐに伸ばされ、そこに気負いや萎縮などは全く見えない。この広大な屋敷の中に在りながらその不動の姿は全てを支配下に置いていると言わんばかりだ。

 だけど、お見合いをしていてもしょうがないんだ。そっちが来ないならこっちから話を振らせてもらおう。僕のペースでね。

「今日はクラブ活動はお休みなのかな?」
「……」
「少しは喋ってよ。この建物、茶道部とか華道部とかが使うんでしょ? 早めに話を済ませないと誰かが来るんじゃない?」
「……今日はここには誰も来ません」

 誰も? 何か言い方が凄くホラーだね。

「どうしてそう言い切れるのさ?」
「茶道部も華道部も日本舞踊同好会も全て本日の部活動は休みにしてもらいました。今日、ここに来る生徒は誰もいません」
「休みに……『してもらった』? 変な言い方だな。君がやったって言うの?」
「はい」

 おいおい、ちょっと待て。それは一体何のマジックだ? 一介の生徒にそんな権力が有っていいのか? 

「大したことではありません。先ほどの3つの部は外部から講師を呼んでいますが、哉潟家はお三方とたまたま縁があったというだけのことです」

 それで自分の都合だけで講師を休ませて部活動を中止にしたって? 何考えてるんだ。

 七魅の考えが良く解らない。なぜそんな手間をかけてこの場所を空ける必要がある? この学園には滅多に人の来ない場所が他にだって有るはずだ。例えば、運動部棟の4階は全部今は空き部屋になっていると春原が言っていた。
 なぜ、この場所を選んだ?

 ……待てよ。『誰も』来ないって言ったか?

「君の姉さんは? いつも一緒にいるんだし、今日もここに来ているんじゃないの?」
「……姉さんはいません。ここには1人で来ました」
「1人……ね」

 本当だろうか。昼間の様子を見るにこの姉妹がべったりなのは明白なんだ。なぜ単独で行動する必要がある?
 建物に入る前に下見をしておくべきだった。かまをかけてみるか……。

「それなら尚のこと捜してるんじゃないかなぁ? もうすぐここに駆け込んで来たりして」

 どう反応する?

「……姉さんは絶対にここには来ません。ご安心を」

 絶対? なんだろう、薄く笑ったその表情が一瞬凄く自虐的に見えた。

「そうしておきますか。それじゃ、そろそろここに僕を呼びつけた理由を話してくれないかな? まだ僕の目的を聞きたい?」
「……」
「黙ってたらわからないよ。呼びつけた理由は何なのさ」

 七魅はただ黙っている。先ほどのように眉を動かしたりもせず。まるで僕の言葉がただの涼風であるかのように受け流している。

 ちぇっ。こいつはやっかいだぞ。七魅は自分のペースを絶対に崩すつもりはない。
 いいさ、毒喰らわば皿まで。この会館に入った時点で僕は獅子身中の虫だ。せいぜい猛毒を出せるようにそっちに付き合ってやる。
 僕がそう腹を決めるのと同時に、まるでそれを計っていたかのように七魅が口を開いた。

「……正直に答えて下さい」
「何を?」
「あなたの持つ力は、人の認識を狂わせるのですか?」

 ! 来た! それもいきなり核心かよ!

「それこそ、君はもう知っているんじゃないのか?」
「私が知るのはあなたが源川さん達を裸で掃除させたり、春原さんに飲み物を口移しで飲ませてもらったということだけです。彼女たちは日常の様子となんら変わりはありませんでした。ただ一つ、自分があなたの言う異常な行動をしながらそれを認識しなかったという点を除いて」
「……よく見てるね」

 まったく。一体どこから見ていたのやら。

「この学園にあなたが居る事についてもそうです。皆がいつもと同じように生活しながら、しかし誰もあなたが居るという不自然に気がつかない」
「……」
「……あなたには人に異常を異常と認識させない、その様に認識を狂わせる力がある。そうですね、達巳郁太」

 七魅は僕を真っ直ぐに見つめている。その瞳には既に確信がある。
 驚いたね。ここまでブラックデザイアの力をずばりと言い当てられるとは。ここまで知られていたらもうこっちの持ち駒を隠しても仕方がない。オープンカードといこうか?

「良くわかってるじゃないか。その通りだよ。それで? 僕がその力を持っていたら、君はどうしたいんだ?」

 正直、僕はこの後に続くはずの七魅からの要求を旨くあしらう自信なんてこれっぽっちも無かった。こっちはもう手札を全部見せさせられたのに、相手はまだカードを一枚も切っていないのだ。完全な負けゲーム。
 だから、その言葉を聞いたときは自分の耳を疑った。

「あなたに協力しましょう」

 ……………………………は?

「あなたの味方になっても良いと、そう言ったのです」

 な……な……

「何ですとぉ!?」
「悪い話ではないと思います。私には、すでにお見せした通り学園の人間を動かして施設の人払いをするぐらいの事はできます。それは、あなたのやりたい事にも有利に働くのではないですか?」

 待て待て待て待て、落ち着け、ちょっと話が進み過ぎだ。
 旨い話には裏がある。何でもかんでも鵜呑みにするな。
 僕は知っているだろう? 他人に有利な事をする動機となるのは『好意』だけじゃない。むしろそれ以外の方が圧倒的に多いんだ。

「何を企んでいる?」
「それはお互い様でしょう」
「まさか、言い逃れできない状況にして僕を追放するつもりか」
「やるならあなたに知らせる必要はありません」
「君の方には見返りがないはずだ」
「それを決めるのは私です」
「僕の力の秘密を暴きたいのか?」
「私には既にその力は効いていません。性急になる必要は無いでしょう」

 やっぱり向こうもこっちの反応は予測済みか。

 どうする……。
 七魅の申し出は確かに魅力的だ。僕一人では大人数のコントロールをした時にその規模に応じて他人に見られる確率が跳ね上がる。
 人払いや監視を請け負う仲間がいればそれを実行するリスクがぐっと減る。
 でも、相手にとってそれが何の益になるというんだ? 学園の秩序を壊して、何の得がある?

「……信用できないな」
「そうでしょうね」

 あっさりと認める七魅。手のひらで踊っている気分だ、くそっ。

「ならば、私にあなたの『術』をかけてみて下さい」
「……へ?」
「今から30分間、私は精神操作への抵抗を緩めます。条件は3つ。私に触れてはならない、私が自分を傷つけることはできない、私が協力する事情を聞いてはならない。これを破った時には抵抗し目を覚ますよう自分に暗示をかけます。よろしいですか」

 次から次へとポンポンと話が飛んでいく。ええい、ちょっとは考える時間をくれ。
 七魅の提案は無茶苦茶だ。僕がこいつにブラックデザイアの力を使ったとしても、僕側には何の得もない。対して向こうは力を自分自身で体験することができる。一方的すぎる取引だ!

 だけど……それは七魅が力の実態を知らない場合だ。彼女は僕が過去女の子達に何をしてきたか知っている。自分にもそれが行われる可能性がある事を理解しているはずなのだ。

「……自分の身を晒してみせて信用してもらうって言うのか?」
「ここを人払いした時から覚悟はできています」

 ちぇっ。本当に何でもかんでも僕の先を行くな。腹をくくったのは七魅の方がずっと先だったってことか。
 完全に相手の想定通りなのが面白くないが、仕方ない。

「わかったよ。君に力を使おう」
「お願いします。こちらの準備は終わりました」
「うん……それじゃ」

 七魅の事がブラックデザイアに記載済みなのはここに来る前に確認した。次はキーを設定する必要がある。
 ここまでは君の思い通りだったかもしれないけどね、悪いけど、ここからは僕のペースで行かせてもらうよ。

「そうだね、まずは話をしよう」
「?」
「僕の『術』は、そういうモノなんだよ。相手と会話しなくちゃ始まらない」
「……わかりました」

 さあ、ブラックデザイアの脅威の力……身をもって体験してもらおうじゃないか!




4.


 さてさて、会話をすると言っても、何を話題にしようか。
 お互いの趣味なんて知らないし、そもそもそんな会話に七魅がついてくるか怪しいものだ。
 インサーションキーを設定するには相手が特定の単語を強く認識していなくてはならない。
 話を合わせるだけの上辺の応答では駄目なんだ。

 そういえば、先ほど七魅が一瞬だけど表情を見せた時があった。確か、姉の三繰がこの場には来ない、と言った時だ。
 七魅も姉に対しては甘い。話にも食いついてきそうだ。そこら辺を攻めてみるか。

「さっき、君の姉さんはここには絶対に来ないって言ったよね? どうしてなのかな」
「……」
「ほら、会話しないと僕としても困るんだよ」

 七魅は少し迷っているようだった。だが、僕に促され、仕方なくという感じで口を開く。

「姉さんがこの場所に来ることはありません。姉さんはここを嫌っていますから」
「なんで、嫌ってるのさ」
「ここで日本舞踊同好会が練習をするからです」
「? 仲悪いの? そこのメンバーと」
「いえ……」

 また言いよどんだ。
 だんだんと表情が出てきている。いい傾向だ。

「……姉さんは、言いつけで人前で舞うことを禁止されているからです」
「何それ? 君の家のしきたり?」
「そうです。だけど、姉さんは本当は踊りが大好きなんです。だから、ここに来ると自分が抑えられなくなりそうだと、ここにはなるべく近づかないようにしています」
「……良くわからないな。なんで好きなことをやっちゃいけないのさ?」
「それは……」

 眉が寄せられる。初めて見る七魅の表情。痛みを堪えるような、悲しげな顔。

「……それは、私達姉妹が『力』を持っているから……」
「『力』?」
「はい。姉さんの舞は普通の人間には危険なんです。だから、祖父に舞を禁じられ、姉さんはずっと大好きな踊りを我慢してきました」

 『力』か……それは、どんなものなのだろうか? 踊るだけで他人を狂わせる、魔性の舞。大好きなことなのに、有り余る力のために誰にも見せることはできない。

「普段の君に僕の力が通用しないのもその『力』のせいなの?」
「そうです」
「なるほどね。その話が本当なら、この学園で僕のことに気がついているのは君とお姉さんだけって事になるね」
「……姉さんは多分、気がついていません」
「どうして?」
「精神の抵抗力に関しては私の方が強いからです。それに、姉さんは警戒心が薄いので普段からそういった事への抵抗の意志は持っていないはずです」

 おいおい、それじゃこれは、本当に僕と七魅の一騎打ちだったのか?

「どうしてこの事、お姉さんにも内緒にしてるのさ」
「……5分経ちました。後25分です」

 そう言って沈黙する七魅。もうこれ以上聞くなということか。
 まあいいか。実はもうキーは見つけてある。

「わかったよ。お姉さんの事はもう聞かない」
「はい」
「次は、君のことが聞きたい」
「? 私に術をかけるのではないのですか」
「まだ20分以上有るし、大丈夫大丈夫」

 大丈夫、もう術は始まってるんだよ。

「うん、実は僕はこう見えても他人の悩みを聞いてあげるのが好きでね」
「……はい」
「最近、何か悩んでいる事とか無い?」
「え?」
「有るよね? なにか『我慢』していることが有るはずだ」

 その瞬間、僕の中心でドクンと魔力が鼓動する。同時に七魅ははっとした表情になった。
 どうして知っている、そう思っているのか? それすらも作られた認識だともわからずに。

「その我慢していることって、実は自分の体の事でしょ? もっと有り体に言っちゃおう。君は時々無性に性欲を我慢できなくなることがある、だよね? 今だってそうでしょ? 我慢してるんだ」
「……」

 七魅の顔にさっと朱が差す。凛とした姿勢を保とうとするが、正面から見れば正座したままの両足がもじもじ動いているのは丸わかりだ。
 なるほど、『我慢できなく』なってきたんだな。

「人にそれを知られるのはとても恥ずかしいことだよ。でも、幸いここには人の悩みを聞くのが得意な僕しかいない。我慢しないで言ってごらん? 相談に乗れると思うし」
「は、はい……実は、時々そうなって……我慢できなくなります」

 七魅が自分から口を割る。少女の中では既にそれは事実になっているんだ。

「我慢できなくなるってのは、何が?」
「性欲……です」

 耳を澄ませないと聞き取れないくらいの小さい声。
 僕は座ったまま七魅との距離を少し縮める。

「もう少し具体的に。ほら、ぶっちゃけちゃおうよ、我慢しないで」
「……体が熱を持ったように熱くなって……触りたくなります」
「どこを?」
「む、胸……」
「他に?」
「……」
「我慢しちゃダメだ。全部言うんだ」
「は、はい……こ、股間です」

 くくくくく。七魅は今、訳もわからず自分の性欲のことを僕に話さなくてはいけないと思いこんでいる。僕がそう言ったからだ。
 君自身が言ったことだろう? 僕の力は、相手に異常を異常と認識させないってさ。

 その通り、それがブラックデザイアなんだよ!

「そうか、性欲が我慢できなくなって、体を触りたくなるんだね? そういうの、なんて言うか知ってる?」
「……自慰、です」
「そ。オナニーだね」

 さあ、今日君にやってもらうことは決まったね。

「性欲を抑えるのは良くないことだ。我慢せず、ここでした方がいいよ」
「え……」
「僕の見ている前でするんだよ、オナニーを。ほらほら、我慢してると欲求はどんどん強くなってくるよ?」
「あっ……んっ……」

 七魅は両手で股間部をぎゅっと押さえ、目をつぶって衝動を堪えようとする。
 無理無理。我慢できなくなるって言ったからね。

「我慢しなくていいんだ。やりたいようにやってごらん」
「……はぁっ……!」

 七魅の手が遂に動き出した。胸に手を伸ばし、最初は軽く押しつけるように、そして次第にふくらみ全体を掴むように揉みしだく。もう一方の手はスカートの上から股を押さえ続けている。僅かに開いた唇から漏れる吐息には熱が籠もっている。

「服の上からじゃ我慢できない、そうでしょ? 直に触れたいよね」
「はい……」

 僕のアドバイスに従ってもどかしげにファスナーを下ろす。胸をはだけ、ブラウスのボタンも外すのもそこそこに開いた合わせから右手を突っ込んだ。
 服の下で手の平が乳房を乱暴に弄っている様が見える。時々その頂点を指先で摘み、その度に少女の体がピクリと反応する。

「下着も邪魔でしょ? 我慢しないで脱いじゃおうか」

 上気してぼうっとした目付きのまま両手をスカートに差し入れる。捲れた裾から少女の白い太股が見え隠れする。
 そのまま下ろそうとしたが、座ったままでは脱げないことに気が付いたようだ。しばし夢でも見てるかのように視線を彷徨わせた後、ころんと後ろ倒れる。そして膝を立てて腰を浮かせ、小さな白い下着をするりと膝の辺りまでまで引き下ろした。
 捲れたスカートの中からその布地の中央部に一瞬、透明な液体の逆アーチが伸びる。

「その格好、いいね。もっと我慢しないで自分をさらけ出してごらん。僕に見せつけるように」

 こくん、とうなずく七魅。寝転がった姿勢のまま足から下着を抜こうと腰を曲げて両足を高く上げる。僕の目の間に無防備なお尻が晒される。べっとりと濡れて股間に張り付いた茂みや、わき出した液体が流れて来ててらてら光っているすぼまりの様子がはっきりとわかる。

 七魅はもどかしげに下着から足を抜くとそれを放り捨てた。M字開脚の姿勢からお尻を持ち上げるとスカートが重力に引かれて腰の辺りまで捲れあがる。180度に近い角度で開かれた七魅の股間が僕の目の前に突き出された。内腿の筋に引っ張られてあまり肉厚でない七魅の秘部が左右に引っ張られ、茂みの奥の色づいたひだを露わにしている。
 なるほど、全てを僕にさらけ出してくれるつもりか。

 片手で肉ひだを割り開き、もう片方の手ですでにはち切れそうに膨れていた肉芽を剥き出しにする。股間部の両手がそこを撫でるように前後する度、全身をビクビクと跳ねさせる。僕の目にはその奥から愛液が溢れ出す様まではっきりと見えた。

「我慢しないで、声、出しなよ。その方がずっと気持ちいいよ」
「は、はいっ……! あぁ……はぁっ!」

 広い畳敷きの部屋の中に少女の嬌声が響く。自分のはしたない声に刺激され、その興奮はますます加速していく。

 僕の言葉に従順に七魅は官能を高めていく。風通しの良い木造建築の中であるにもかかわらずその体にびっしりと玉のような汗を浮かべ、ぽたりぽたりと雫を垂らす。

 体の痙攣が小刻みになってきた。そろそろ限界が近いのかもしれない。
 でも、このまま終わったら面白くない。僕のペースで行かせてもらうからね。

「もうイキそうなの? 我慢できない?」
「は、はい……」
「でもだめ。我慢するんだよ」
「え……?」
「まだまだ、我慢我慢」

 僕がそう言ったとたんに少女の表情が痛みを堪えるようなものになる。当然だろう。今の七魅はどんなに絶頂を迎えたくてもそれを無意識に我慢してしまうのだから。
 敏感な箇所を責める手の動きはまったく緩まっていない。でも、そこから先へは決して進めないのだ。辿り着けない頂点へ向けて七魅は身悶えしながら足掻くように快感を貪っている。

「君のオカズはなんなのかな?」
「あぁっ、はぁっ……んぅっ、っくぅぅ……」

 七魅の目が焦点を結んでいない。ぼんやりと何を言われたかわからないという表情で僕を見つめている。

「オカズ。オナニーの時に思い浮かべる人。我慢しないで呼んでごらん。その人がどんな風に体を触ってくれるか、説明してごらん」
「うん……あぁっ……」

 顔つきが陶酔したような表情に変わる。ぼんやりとした眼差しがここにはいないはずの人物の姿を見つめ、その人物を甘えるように呼ぶ。

「……ねぇさぁん……あぅん……!」
「ええっ!?」

 ま、まさかっ……ここにもそっち系が!? しかもシスコンかよっ!? そりゃまずいだろ。どっちかだけでもヤバいのにダブルヘッダーだとぉ!?

「ねぇさんが……あん、ふざけて私の耳を噛んでくるのぉ……それに怒ったら、そしたらねぇさんがもっとふざけて耳の中に……あぁ……舌をぉ……んっんんぅぅうううっっ!!」

 全身がビクビクと痙攣する。それを両手で股間をぎゅうっと押さえつけて耐えようとする七魅。その隙間からは止め処なく溢れたものがお尻を伝い畳に水たまりを作っている。

「ねぇさん、ねぇさぁん……お風呂でふざけちゃダメだよぉ、そんなに押しつけな……あぁあああああっ!」

 再び、七魅が快感の大波にさらわれかけて身を捩ってそれに耐える。服の袖を噛んで今にも弾けそうな自分を繋ぎ止める。

 七魅の体はさっきから跳ねっぱなしだ。もう完全に体は出来上がってしまっているのに、それをブラックデザイアのコントロールで強引に我慢しているだけなのだ。まなじりから遂に大粒の雫がこぼれ始める。

「きもちいい、きもちいいよぉ……ねぇさん、こんなのイヤだよ……たすけて、たすけてねぇさん……!」

 掠れた声で姉の助けを呼ぶ七魅。さすがに限界か。
 時間もそろそろ無くなるな。僕は七魅の耳元に口を寄せ、少女の期待する赦しの言葉をそっと呟いてやった。

「……もう、我慢しなくていいよ」

 その瞬間、ふっと七魅の表情に笑みが戻る。心の底から歓喜するような、喜び以外の全てを捨てたような、安心しきった赤子のような笑み。
 直後、七魅の喉が絶叫する。

「あぁあああああああ! ああっ! うあぁあああああああああっ!!」

 腰がガクガクと快感に揺れる。股間から吹き出した液体がそれに併せて辺りに撒き散らされる。
 左手が床をがりがりと引っ掻く。爪を立てられた畳の表面が抉れていく。

「はぅ、うんんんんんんんっ!!」

 右手の袖を噛んで何かの衝撃に懸命に耐えようとする七魅。だが、それですら抑えることはできず、再び嬌声と共に吐き出してしまう。全身に力がこもり、体をエビのように仰け反らせる。

 我慢している期間が長かったせいか、七魅の絶頂はそれに比例するかのように長く続いた。数十秒もそのままの姿勢でブルブルと震えた後、ようやく筋肉が弛緩し始める。
 出し尽くしたのか愛液が飛び散ることはなかったが、それでも溢れた液が太股や背中を伝って七魅の半面をびしょ濡れにしていた。
 
「うぁっ……はぁっ……あっ……あはっ……はっ……」

 水音を立てて七魅の腰が畳に落ちる。荒い息で胸を上下させながら陶然とした表情で天井を見上げている。
 スカートは捲れたままで、膝を立てたままの両脚の間からは名残のように濁った愛液を零し続けている。
 かいた汗で制服はジットリと湿り、長い髪も畳の上でバラバラに投げ出されている。額も汗の雫が光っていたがその表情は満足げで、微笑んでいるようにも見えた。

 5分も経っただろうか。呼吸が整うのを黙って見つめていた僕は、ようやく腰を上げて寝転がったままの七魅の顔を覗き込む。
 そして、ぽんと肩を叩いた。

「……以上、堪能していただけたでしょうか?」
「……え?」

 ぱちくりと目が瞬く。たった今目を覚ましたと言わんばかりの表情。

「どうだったかな? 実際に僕の力を体験してみてさ」
「え?……え? え、え、え?」

 だんだんと理解してきたようだね。自分が僕の言うがままに一体何をやったのか。

 ガバッと身を起こす。胸元とスカートを抑え、ずざざざざっと座ったまま後ずさる。その顔は茹で蛸のように真っ赤だ。
 僕の顔を見ようとするが視線が合うと即座に逸らし、部屋のどこに向けるでもなくあてどなく視線を彷徨わせる。

「……あの、僕の話聞いてる?」
「!」

 七魅が下がった分、僕たちの距離は開いている。これでは小さな声だと聞き取れないかもしれない。僕が1歩進むと、それにあわせて七魅は2歩分も飛び下がった。

「あの?」
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」

 七魅がガバッと立ち上がった。そしてクルリと後ろを向くと一目散に駆けだす。部屋の扉を開け放ち、そのままにしたまま廊下を走って行く。
 足音が遠ざかっていくのを、僕は立ち上がろうと手をついた姿勢のまま固まって聞いていた。

「……なんなんだよ」

 僕以外誰もいなくなった部屋の中を見渡す。そして、ため息を吐いた。

「僕が片付けるの、これ?」

 水溜まりやひっかき傷の出来た畳を見下ろす。こりゃ交換しないと駄目なんじゃないか?
 側に落ちていた純白の下着を拾い上げ、僕はもう一度ため息を吐いた。




5.


「昨日は失礼しました」

 翌日、僕はまた七魅に手紙で呼び出された。今度は運動部棟の屋上だ。
 ここの鍵は1つしかなくて、屋上に出た後外から鍵をかければ誰も入ってこれないらしい。

「失礼なんてとんでもない。結構なものを見させてもらったし」

 七魅の顔がさっと赤くなる。表情を動かさないように努力しているのがありありだ。
 僕はにやにや笑いを隠すことなく言葉を続ける。立場的には僕は下だけど、精神的にはもうどっちが上かははっきりしてるよね。

「それで? 今日の話はなにかな?」
「……昨日の話の続きです」

 持ち直した七魅は1つ咳払いをする。

「私は、あなたに協力したい、そう言いました」
「そうだったね。でも、見返りがあるんじゃいの?」
「ええ」
「何?」
「……」

 七魅は僕から視線を逸らす。おいおいここまで来て条件を明かせない、じゃ協力体制なんてできるわけ無いじゃないか。
 僕が文句を言おうとすると、それを制して七魅が口を開いた。

「あなたの力は見せてもらいました。だから、今度は私達の事をお話ししましょう」
「?」
「私達の名前……『哉潟』、珍しい名前だと思いませんか?」
「まあ……初めて聞いたけど」

 いきなり何の話やら。まあ、聞かせてくれるって言うなら聞くけど。
 でも、珍しい名前が何なのさ。そんなの日本にいくらでも有るだろう? それがどうして協力することに関係するの?

「哉潟という字は今でこそこう書きますが、昔は違う字だったのです」
「へえ……」
「何代か前の当主がそれまでの家業を廃止し商家に転身する際、名前を変え、それまでの一族のしがらみを全て捨てました。それは哉潟家が世に出るための通過儀式でした」
「世に出る?」

 なんだろう? 妙な言い方だ。

「哉潟(かながた)とは……昔は『奏でる方』と書いて奏方(かながた)だったのです。この名から以前の家業がわかりますか?」
「奏でる、ね……何かの演奏家かな」
「それに近いです。私達の家は、もともと祭事に於いて奉納の舞を踊る巫女の一族でした……」

 日本の各地にはそれぞれの土地毎に独特の風習がある。奏方家がかつて定住していた地にもそういった独自のしきたりがあって、その1つに、祭りなど皆が一緒になって行動する時に巫女が舞を踊って神にお伺いを立てる風習があったらしい。

 全ての住民が見守る中、神々しい衣装を身にまとい神の化身として踊る巫女。その踊りには力が宿り、人々を高揚させて一体感を確実なものにさせる。
 そうやって、その地方の人々は団結して困難を解決し、時に戦を勝ち抜き、生き延びてきたのだという。

「しかし、近代に入り様相が変わりました」
「踊りだけではやっていけなくなった……か?」
「はい」

 時代が変わり、祭事は日々の生活に必要不可欠なものではなくなった。
 同時に奏方一族の持つ巫女の力も弱まり、その意味を失っていった。そして、奏方家はそれまでの自分を捨てる決心をしたのだ。

「当時の当主には才能が有ったのでしょう。商業で成功し、1代で巨万の富を築き上げました。もはや巫女の一族としてのステータスは必要ない。そう感じた当主は住み慣れた土地を離れ、新天地に移り住みました。自らの名前を置き去りにして」

 それが、哉潟家の誕生にまつわる物語。1つの巫女の一族がその歴史を終え、1つの新たな商家が世に出る出生物語。

 でも、僕はその話に少し引っかかりをおぼえた。

「巫女の力は弱まったんじゃないの? お姉さんは他人に見せると危険な程の『力』を持っているんだろ?」
「はい。だから、これは私達2人だけの特別な事なんだろうと思います。母や祖母もその様な力は持っていなかったと聞いていますので」
「隔世遺伝のようなものなの?」
「ええ」

 途方もない話だ。過去に失ったはずの巫女の力を蘇らせてしまった双子。3流ライトノベルかって。
 でも、僕はその話を信じることが出来る。僕自身が現実離れした力を宿すブラックデザイアを持っているし、何よりその力がこの少女に通用しないことを知っているからだ。

「すると、君もその危険な舞を踊ることができるのか?」
「いいえ。私と姉さんでは『役』が違うのです」
「役?」
「姉さんは人々を鼓舞し、興奮を誘う舞を踊る『踊り手』。そして私は、行き過ぎた人々の熱を冷ます為に楽器を弾く『諫め手』。踊り手と諫め手は常に1対で舞を構成します」
「2人で1組か」
「はい。哉潟家にはもともと強い力を持つ踊り手が産まれると、その次の女児には同等の諫め手としての力が備わって産まれてくるという不思議な伝統が有ります。その点で、私達が双子として産まれてきたのは姉の力の強さを証明しています。私達に、2人で十になる名が与えられたのもその為でしょう」

 三繰と七魅。3と7。2人で全部。常に対となる双子の姉妹、か。

「姉さんには踊り手としての強い才能が有ります。だけど、巫女としての道を捨てた哉潟家に異形の力は必要ないのです。だから幼い頃から、その強い力の在り様がわかったその日から、姉さんは大好きな踊りを禁止され、ずっと自分の中にその想いを閉じ込めてきました」
「……それを、何とかしたいってこと?」

 しかし、七魅は僕の問いかけに首を振った。

「姉さんの力は強い。どんな対応策をとっても人前で見せることは命にかかわります。そしてそれは姉さん自身も自覚していること。ずっと前に姉さんは舞を捨てました。だから、文化会館の稽古場にも近づかない」

 そうか……そういう理由があったのか。

「でもその代わりに、姉さんは新しい『遊び』を見つけたんです」
「ん……遊び?」
「ええ……」

 なんだろう、七魅の薄い笑みが凄く、怖い気がする。

「……自分の内面をさらけ出し、他の人間に確認してもらう。衣服を捨て、ありのままの姿であろうとする」
「え? え? ちょちょちょっと待て! それっていわゆる……」
「ええ、そうです」

 七魅は事もなく言い切った。

「姉さんは、露出趣味があるんです」

 ……まじで?

「これまではうまく私が人払いをしたり、なんとかやめさせたりして大きな問題になる事を防いできました。しかし、3年生になり卒業が見えてきて、姉さんの欲求は日に日に増大しています。このままでは私の言葉では止められなくなる……と思っていました」
「そこに、人の認識を狂わせる力を持った僕が現れた?」
「そうです」
「その、お姉さんの行動が異常と認識されないよう、他の人間を操ることが出来れば問題は一挙解決?」
「はい」

 なんだ……そりゃ。

「もともと、この学園を裏から操作する体勢は姉さんの行動をバックアップするために作り上げたもの。それを使えば、あなたの行動を支援することだって容易いはずです」
「そう……だろうね」
「昨日も言いましたが、悪い話では無いはずです。あなたはこれまで通りに自分の道を進んでください。ただ、時々姉さんの願いを叶えるために力を貸して欲しいのです」

 ……ちぇっ、なんだよ。
 最初、僕は七魅のことを敵だと思った。僕の存在を脅かす排除するべき邪魔者だと認識した。
 だけど、フタを開けてみればどうだ。結局相手も似たり寄ったりの同じ穴のムジナだったんじゃないか。

 この話はとても魅力的だ。迷うことなく承諾したい。
 でも、このままじゃダメだ。対等の立場で了承なんかしちゃいけない。何故なら、あくまで力を欲しているのは七魅の方だからだ。

 ! そうだ! 僕はあることを思いつき、左手をポケットに突っ込む。

「わかった。どっちにも得があるし、これが良い手段だということも理解した。協力しよう」
「……ありがとうございます」
「君は僕の味方?」
「はい。私を信じてください、達巳……君」

 微笑みを浮かべる七魅。
 へえ、笑えばそこそこ可愛いじゃないか。今までずっと挑発するような笑いしか見ていなかったからな。

 僕は七魅に向かって右手を差し出す。七魅も右手をそれに合わせようとする。僕はその手を躱し、相手の手首をぐっと掴んだ。

「え?」
「ほら、僕からの親愛の印だよ」

 そう言って七魅の手の平を上に向け、そこに左ポケットから取り出したものを乗せてやる。

「!」
「昨日の忘れ物。安心して、オカズには使ってないからさ」

 そう言って手を放す。七魅手の上に残る、くしゃくしゃに丸められた純白の物体……。

「ははは、駄目じゃないか、忘れ物しちゃ。昨日はどうやって帰ったの? まさかノーパ……」

 僕は最後まで言い切ることが出来なかった。
 なぜなら、顔を真っ赤にして、少し涙を浮かべたりもしちゃっている少女の左手が、絶妙のスナップを効かせて僕の頬をはたいたからだった。

 90度世界が捻れ、その後で上に流れ始める。膝が笑って僕の上体を支えてくれていない。
 KOパンチを食らった僕は、こんな誰も来ない場所に僕を放っておいたまま歩き去っていく少女の後ろ髪を眺めつつどさりと背中から地面に落ちる。

(……ちょっとしたお茶目じゃないかぁ……)

 見上げる青空の天井に、景気のいい炸裂音がまだ鳴り響いているかのようだった。

 
 


 

 

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