カースト越えて恋


 

 

第5話


「サクラ………。まだ帰れなさそう?」

「あ、ケンちゃん。………ゴメンね。あと2人だから、もうちょっと………10分くらいかな?」

「わかった。じゃ、図書室に本返してくるから、それから一緒に帰ろう」

 浜岡ケンジは優しい。サクラの理想の彼氏だ。ケンジと付き合い始めてから2週間。サクラの学園生活は、頭が爆発するほど恥ずかしいこともあったが、ケンジと一緒にいられることを考えると、プラスマイナスでトントンか、むしろプラスかもしれない。

 千堂サクラのクラス、2−Eは今、『未婚の未亡人』と呼ばれる専制君主、『便所飯のエリー』の支配下にあった。別のクラスの友達から聞いた雰囲気では、エリーの支配の仕方は、他のEグループの統治者たちよりも、ひねくれているようだ。



「今、クラスメイトに片思い中の女の子がいたら、告白しちゃおっか? ………うふふ。せっかくだから、大好きな男の子の机によじ登っちゃって、至近距離でオナラを吹きかけるっていう演出も入れちゃおうね。お互い、忘れられない告白体験になるんじゃないかな?」

 エリーの支配下に入った初日に、サクラたちの新しい支配者様は、ありえないような命令を出してくれた。サクラにとっては悪夢としか言いようがなかった。

(絶対イヤっ。………浜岡君にそんなこと………。死んだ方がマシッ。)

 サクラがどんなに心の中で悲鳴をあげても、自分の体はスクッと席から立ち上がった。これまで秘かに気になっていた、いや、大好きだけど伝えられずにいた、浜岡ケンジの席へとめがけてスタスタと足が進む。シャイな美少女、サクラに好きな人がいたのかと、他の男子たちの注目が集まってきた。

「男の子たちは良い子にしててね。ピュアな少女たちの思いを、きちんと受け止めるの。………アハハ。なんならそのまま、クサい仲になっちゃってもいいよ。私が許す」

 サクラが助けを求めるように周りを見回すと、教室には彼女の他に7人の女子が立ち上がって男子の席に歩いていた。人気のある男子生徒の机に、2人の女子が狭そうに登っているのも見えた。サクラは目の前のケンジの席の前でモジモジと立ちすくむ。

「浜岡君………。ご………ゴメンなさい………」

 恥ずかしさと申し訳なさとで、消え去りたい気持ちのサクラは、はしたなく足を上げて、愛しのケンジ君の机に華奢な体をよじ登らせる。ケンジに背を向けるように四つん這いになったサクラは、心で悲鳴を上げながらお尻を突き上げた。スカートが捲れ上がって、きっとケンジにショーツが見えてしまっているはずだ。

「は………、浜岡君、…………ずっと好きでした」

 サクラの口から、ずっと言えないと自分で思いこんでいた、告白の言葉が外に出る。声は震えていたけれど、ケンジにはハッキリと聞こえたはずだ。そして、プスーという、気の抜けたような、サクラの恥ずかしすぎる自然現象の音も聞かれてしまったはずだ。なにしろケンジの顔は、サクラの突き出されたお尻から10センチと離れていなかったのだから。

「…………ぼ、………僕も、………千堂のこと、好きです」

 人生最悪の告白体験になるはずだったその瞬間を、浜岡ケンジの意外なリアクションが変えてくれた。サクラは押し寄せて来る、恥ずかしさと惨めさと驚きと嬉しさとで、気を失っていた。


 結局その日の恥ずかしすぎる告白タイムで、成立したカップルは3組。4人の女子がクラスメイトたちの見守る中、悲しい撃沈を見せて黒歴史を作った。片思い中の相手の顔にオナラを吹きかけて告白するという、ありえないチャレンジを考えると、7人中3人の女子が両想いになれたことは、奇跡かもしれない。独裁者エリーも手を叩いて喜んでくれた。

「気絶しちゃうような純情な女の子もいたりして、なんかこのクラス、気に入ったわ。せっかくだから、みんなで、今日成立したカップルたちを応援しましょう」

 エリーが促すと、みんなが拍手をする。目が覚めたサクラは、皆の前で恥ずかしい秘密を全部、発表させられた。これまでにケンジのことを考えてどんなふうにオナニーしてきたか、自分のコンプレックスが小さな胸だということ、アンダーヘアーが普通より毛深くて剛毛ではないか心配していること、手入れをしなければケンジに嫌われないか、迷っていたこと。。。

 ケンジもサクラのことを考えてオナニーしていたということが明らかになると、2人は教室の対角線上に位置する、右前と左後ろの隅の机に立たされて、裸になってお互いの名前を呼び合いながらオナニーをさせられた。

 サクラがスクールカースト上のAグループ、ケンジがBグループに属すると知ったエリーは、2人の生活習慣をあっさり書き換えた。サクラは、コンプレックスである小ぶりな胸を少しでも大きくするために、毎日下校までに、ケンジを除いた5人の男子に、オッパイを直接揉んでもらわなければならない。ケンジは、サクラのために男らしい持続時間を保てるように、5人の女子におチンチンをしごいてもらう。ただし2人とも、途中でイってしまったら、人数はリセット。この命令を頂戴してからというもの、サクラは彼氏となったケンジのために、女友達に、自分の彼氏のおチンチンを優しくしごいてやってくれとお願いして回ることになった。

 恥ずかしい体験は毎日のことで、少しも慣れそうにもない。それでも、一生想いを伝えられないのではないかと悶々としていた過去の日々を考えると、こうしてケンジと、クラス公認のかたちでお付き合いが出来るようになった今のことを、サクラは少し複雑な思いで受け止めている。お互いにウブで奥手なケンジとサクラは、エリーの命令という後押しがなかったら、お互いの気持ちを確かめたり、付き合ったりということは無かったかもしれない。終業のチャイムと同時に、教室でシックスナインを初めてしまったり、デート中にお洒落なレストランで2人とも発情期の猫になりきってしまったりと、恥ずかしいハプニングは数えきれないが、それでも、ケンジはサクラに幻滅せず、ずっと好きだと言ってくれた。それだけで、あらゆる失態や失敗のお釣りがくるような気がした。

 今もサクラがあと2人の男子にオッパイを揉まれなければならないと聞くと、気を利かせて図書室へ行って、教室から離れてくれる。エリー様の悪戯心のせいで感度抜群にされたサクラのオッパイ。他のクラスメイトに揉まれて、涎を垂らし悶え狂うサクラの姿を見ないようにしてくれるあたり、やはりケンジは紳士だった。

 サクラの今日のタスクが無事終わったら、やっと愛しのケンちゃんと一緒に下校出来る。ケンちゃんの家は共働きなので、2時間くらいは2人きりになれるはずだ。若いラブラブカップルが密室で2人きりになると、やることは決まってくる。ハメ撮りだ。2人の交際を応援してくれるクラスメイトたちのために、2人の秘めごとはクラスの裏掲示板に漏れなくアップすることにしている。シャイな美少女、千堂サクラは今では2−Eにとっては性のスポークスマンのような存在になりつつあった。


「堤君、待たせてゴメンなさい。………お願いします」

 毎度のこととはいえ、顔を赤くさせながら、事前に頼んでおいた男子の前で開襟シャツのボタンを外すと、淡い水色のブラジャーをずらして、小ぶりだが形の良いオッパイを出す。興奮気味の男子に武骨な仕草でオッパイを揉まれて、少しだけ眉をしかめながら、サクラは周りを見回す。少しでも意識を他のところに持って行かないと、………敏感すぎるほどのサクラのオッパイから溢れ出る快感の波に、すぐに意識を遠くへ押し流されてしまうのだ。教室の中では他に、フミカやアキ、ミズホたちが男子に絡みあったり、跪いてお願いしたりしている。彼女たちはエリー様の命令で、『自分がキモイと思っていた男子のリストを作って、一人ずつに思いを正直に伝えた後で、その相手が満足したと言うまで、頼み込んでセックスをさせてもらう』ことになっている。当然のように相手の男子からはハードな要求だったり意地悪なリクエストを受け取る。お尻を叩かれたり、裸の体に落書きをされたりしながら、それでも媚びた笑みを浮かべて、懸命に腰を振っている。彼女たちに比べれば、サクラの置かれた状況は何倍もマシなはず………。そう考えたあたりで、サクラの思考は蕩けるように分解されていく。オッパイからこみ上げてくる痺れるような快感に、我慢できなくなって喘ぎ泣く。もうサクラの意識は天国にあった。


。。。



「何人つけてもらおうと、変わりません。先輩、申し訳ないですが、僕のクラスは、これ以上、トレードをしたくないです」

 シュンタが語尾を強める。『穴熊先輩』は小さく舌打ちをして、顔を背けると、しばらくシュンタには聞こえない音量で、独り言を呟いていた。また正体不明な詰将棋の棋譜だろうか?

「この前の2−Fの級長の扱いのこと、根に持ってるのか? 悪かったよ。だから破格のオファーをしてるだろ? こっちの手駒のSグループ、Aグループ、全部で6人。まるごと出すって言ってるだろ。3日………、いや、1日でいいから、藤沢ミオとトレードしてくれよ。頼む。この通りだ」

 コミュ障だけどプライドは人一倍高い(そして留年している)と評判の穴熊先輩が頭を下げるというのは、よほどのことだった。各々が交渉や考え事に耽っていた、生徒会議室の統治者たちが、一瞬静まり返って、『穴熊先輩』と『盗撮王子』との交渉の行く末を見守るようになる。その視線を感じて、穴熊先輩は余計に苛立つ。神経質そうにこめかみに青筋を立ててブツブツと呟いている。

「ごめんなさい。無理です」

「………これだけ言っても駄目って、俺と友好関係を保つ気がないってこと? そう聞こえるんだけど」

「すみません。トレードだけは無しです」

『盗撮王子』持田シュンタにとっても、ここは一歩も譲ることが出来ない状況だった。本来、シュンタは2−Fの臣民たちを1人もトレードに出したくはなかった。それでも、統治者たちの平和を保つために、しぶしぶAグループに属する級長、蔵池チサトを3日限定のトレードに出すことに応じた。シュンタは穴熊先輩にチサトを貸し出すかわりに、テニス部キャプテンの望月ミスズ先輩の引き締まった体を、3日間楽しませてもらうことは出来た。しかし、「所詮は他人様のモノ」という意識で、扱いには充分に気をつけて味見させてもらったつもりだった。それなのに、3日後にシュンタのもとに帰ってきたチサトは、ミスズとは全く違う扱いを受けてきたようだった。彼女は辛うじてコミュニケーションがとれるというレベルまで知能を落とされて、オムツと涎掛けのみを身にまとって帰ってきた。聡明で利発な級長が、2日はまともに会話が出来ないくらい、退行した性の人形のようになって戻ってきたのだ。数日で回復したので、統治者会議事務局はギリギリセーフと判断したが、シュンタは自分の大事なコレクションを汚されたと感じた。

 そしてあろうことか穴熊先輩は、今度はシュンタのミオを要求してきている。シュンタは頑強に拒絶の態度を見せた。普段、気弱そうに見える『盗撮王子』が思いがけず完全拒否の姿勢を見せる。こんな時、甘い観測でオファーを持ってきた統治者は焦り、苛立つ。プライドの高い『穴熊先輩』も、他の統治者たちの前で、引き下がれない状況になっていた。

「シュンタ、穴熊先輩。いったん落ち着こう。トレードは先行的に運用が開始されているけれど、まだ全ての協約が合意されたわけじゃないから、慎重に扱いたい。今、ここには議長の男爵がいない。男爵の意見も聞こう」

 マコトは男爵の裁定に期待するというよりも、意固地になりつつある2人を、他の統治者たちの目が少ない場所で、解きほぐしたいと思っているのかもしれない。シュンタはRKBの親友の思いを想像する。いつの間にか桂木マコトは、統治者会議の事務局長のような存在になっていた。調停者としての彼は有能だった。相容れない2つの意見を慎重に、時に大胆にコラージュする。それを可能にするマコトの鋭い目は、人に褒められない彼の趣味から培われたのではないかと、シュンタは思っている。

 穴熊先輩は不機嫌そうに、ブツブツと棋譜を呟きながら廊下を歩く。マコトは後ろを歩くシュンタを一瞬振り返って、シュンタを宥めるような、慰労するような、そして何かを頼むような視線を送ってきた。シュンタはそれに対して、申し訳なさそうに眉をひそめたけれど、すぐに目を逸らしてしまった。


「………ようこそ。先輩、医局長。それに王子。どうぞ、くつろいでください」

 扉を開けると、男爵の教室は、ゴシック調なのかバロック調なのか、とにかくゴテゴテとした西洋様式に改装されていた。学校の教室の天井に無理矢理吊り下げられた、シャンデリア。金色と朱色のカーペット。ビロードのソファーの上に足を組んで座りながら、笛吹男爵はワイングラスでグレープジュースを飲んでいた。黒板近くには全裸にピエロのメイクをした男女が絡み合っている。よく見ると、ピエロ女子たちは、みんなペニスバンドをつけている。男子たちのお尻を犯している。6人の男女は次々と相手を変えて、同性同士でも異性同士でもお互いにお尻を犯し合っているようだった。点在する机には赤いビロードの布が敷かれて、上で裸の女の子たちがオブジェのようにポーズを取っている。足を突き上げたり、逆立ちして両足を水平に開脚していたり、腰をひねって両手を頭の上に組んでいたり。そのオブジェたちは、全員、エクスタシーに浸ったような表情をしている。よく見ると、みんな、小刻みに震えていて、内腿にタラタラと愛液を垂らしていた。

「オブジェたちには、300分の1のスピードで、ゆっくり、1時間くらいかけてイキ続けなさいと指示しています。彼女たちの意識は、ヴァルハラにいると思ってください」

 シュンタの顔の向きに気がついて、男爵が説明しながら、グレープジュースを飲みほした。両脇に立つ、美女らしき人たちがグラスにジュースを注ぐ。「美女らしき」、とシュンタが思ったのは、全裸の彼女たちは頭にすっぽりと、ヤギとフクロウのマスクを被っていたので、雰囲気でしか判断できなかったからだった。

 くつろいでくれ、と男爵が言ったが、何時間いても、自分がくつろぐことは出来ない部屋だと、シュンタは確信した。


。。。



「お話はわかりました。これ以上トレードさせろ、させないと言い合っていても、お2人とも平行線だと思われます。他の妥協案を探るのはどうだろう? 例えば、穴熊先輩は藤沢ミオさんを1日借用する。但し場所は生徒会議室か私の部屋に限定して、他の統治者メンバーが監視役となる」

 監視役、と言った時に、男爵はマコトをチラっと見た。

「あるいは、盗撮王子君の心配ごとに最大限寄り添うなら…………、穴熊先輩は藤沢ミオさんを直接支配することはない。但し、1日の間、桂木マコト君の支配下に入って、穴熊先輩のリクエストに、穏当に応じる」

 穴熊先輩が何か言おうとして、男爵に無言で制される。最低統治者会議の議長となった笛吹男爵は、以前よりも禍々しいオーラが濃くなっているようだ。その濃すぎる顔から放たれる視線だけで、年上の穴熊先輩を抑えこんでいた。

「王子君。如何ですか? ………藤沢ミオさんは学園で指折りの美少女。そしてSグループは学園にとって希少な資源でもある。完全なる独占を貫こうとすると、軋轢を生んでしまいます。わかりますね?」

 今度は男爵の濃い顔が真っすぐシュンタを見据える。物凄い圧だった。それでも、唇をかみしめてシュンタが男爵の目を見る。

「おっしゃることはわかります。それでも、ゴメンなさい。逆にこういう提案は駄目でしょうか? 僕はミオ以外なら、クラスの誰でもトレードに出します。いえ、交換相手なしで貸し出してもいいです。だから、ミオだけは、誰にも支配されたくありません。指一本、穴熊先輩に触れさせるつもりはありません」

 男爵は人差し指と中指で、こめかみをさするようにして考えこむ。

「交易は全体をより豊かにする。………それでも君は、何がなんでも、藤沢さんを独占したい。それは………恋ですね」

 男爵はウットリしたような表情で、脇に立つヤギ頭の女性の脇に手をやる。腋毛を指で弄ると、女性が痙攣した。

「しかし貴方は恋する盲目な青年であるだけではいけない。統治者だからです。違いますか?」

「あの、男爵。すみません。ちょっといいですか?」

 シュンタの声のトーンが変わっていた。

「僕は………貴方がこれほど正しい人だとは思ってませんでした。色々と異常なことをされていますけど、仰っていることは、びっくりするほど正論だと思います。本当に、なんでこんな変態な人が、こんなまともなことを仰るのか、正直、今でも戸惑っています。ははっ…………。…………貴方の申し出で、学校の色んな人が無駄に辛い思いをするのを避けられたことには凄く感謝しています。そして、ゴメンなさい」

 シュンタがマコトをチラっと見る。マコトは目で「言うな、言うな」と訴えかけていた。

「僕が間違っているんだと思うんですが、それでも僕は一切の譲歩も妥協もしません。ミオだけは、誰にも提供しません。受け入れてもらえないなら、最低統治者会議は脱退します。本当にお世話になりました。1か月間の平和をありがとうございました」

 シュンタは背筋を伸ばして、深くお辞儀をすると、回れ右をして、男爵の教室を出ていく。マコトがシュンタの背中に声をかけようとするが、男爵に止められたのを気配で感じた。穴熊先輩はブツブツと、いつもより早い小声で何か呟いている。その声も、扉を閉じると聞こえなくなった。


。。。



 シュンタが2−Fの教室に戻ると、クラスメイトたちは静まり返って彼の様子を伺う。1ヶ月半もシュンタの臣民として生活していると、ご主人様の機嫌を伺いながら行動することが体に染みついているようだった。いつもならそんな臣民たちにシュンタは「楽にして」とか、「普段通りにしててよ」とか、一声かける。しかし、今はそんな気分にもなれなかった。シュンタは自分の席にまっすぐ速足で戻ると、手の動きで、隣の席に座るミオに立ちあがるように指示する。そして少し乱暴に、スカートを捲りあげる。膝を床につけて、ミオのスカートの中に頭を入れた。フリルのついたショーツの上からシュンタがミオの股間にキスをする。ミオは、びっくりして少しだけ腰を引いたあとで、すぐに力を抜いて、されるがままになった。舌でクリトリスのあたりを突く。アンダーヘアーを湿らせるように、ベロを這わせてミオの股間を舐め上げる。ミオが感じている時にいつも出す声が聞こえてきた頃、シュンタは歯でショーツを噛んで引き下ろした。アンダーヘアーに押し入るようにして、鼻を温かい割れ目に押しつけて、大きく深呼吸する。自分の唾液とミオの女の匂いが入り混じった、濃厚な、生き物の匂いがする。不思議と少しだけ、気持ちが落ち着いた。


「みんなも知らないうちに勝手に自分の運命を振り回されたら可哀想だから、予め今、何が起こっているか、伝えておくよ。その上で、このクラスの統治者としての指示をします」

 藤沢美緒のスカートから顔を出した持田シュンタが、2−Fのクラスメイトたちに呼びかける。1ヶ月半前と比べると、声が大きく、よく通るようになっていた。この先、いつまでこのクラスの統治者でいられるかわからない。でも今は、ここの王は僕だ。そう思うと、シュンタは精一杯、威厳をもって皆に語ろうと思った。

「………ちょっと、ゴメンなさい」

 横にかしずいていたミオが、恥ずかしそうにご主人様の顔に手を伸ばす。口元から何かを摘まみとる。シュンタはやっと自分が、口の横にミオの陰毛を1本貼り付けたまま、語らっていたことに気がついた。

「もうっ………」

 ミオが恥ずかしそうに俯く。シュンタのトーンも少しだけぎこちなくなった。教室の空気が少しだけ柔らかくなる。いつも通りの、世慣れない2−Fの統治者だった。



 一通り警戒の命令を下したあとで、シュンタは2−Fのクラス全員でお弁当や購買のサンドイッチなどを持って、校舎前の日当たりの良い芝生に行くことにした。いつもシュンタとミオがお弁当を食べている場所だ。今日はここで、2−Fのクラスメイト全員で昼食を取りたい気分だった。

「ナツメのウインナー、1個ちょうだい」

「………じゃ、私はトシヤの玉子焼き1つもらう」

 仲の良いクラスメイト同士はお弁当の中身を交換し合っている。ちょっとした遠足気分だった。その牧歌的な光景をシュンタはボンヤリ眺める。食べるものを少しずつ交換し合うと、バラエティが増えて飽きないということもあるだろう。しかしそれ以上に、同じものを食べたり譲り合ったりする行為自体が、相手への親密さの表明なのだろうと、シュンタはしみじみ感じた。ついさっきシュンタは、そのトレードを全否定して、最低統治者会議を脱退してきた。それは、ミオを独占したいという、自分の単なる我がままを通すために、2−F全体を危険に晒してしまう行為だったかもしれない。それでも………。シュンタが脇に控える美少女の顔を覗きこむ。すると水筒からシュンタのコップにお茶を注いでいたミオが、どうかしましたか? という笑顔を作って返す。

「みんなと一緒に食べると、楽しいよね?」

 ミオの声を聞いても、シュンタは何も言わない。ただミオの頭に鼻の頭を押しつけて、髪の毛の匂いを嗅いだ。いつもの柔らかい清涼感。フローラルミントのシャンプーの香りが、シュンタの胸に満ちた。

「お茶、もういいよ。………ちょっとトイレ」

 2−Fの当主は起き上がると、制服のズボンから芝を払って、校舎に入って一番近くの男子便所に向かった。



「お取込み中、ごめんなさいね。ちょっとお話があるの」

 小便器に向かってオシッコをしている途中、男子便所なのに後ろから、声を潜めた女子の声がする。聞き慣れない声だったけれど、その持ち主が誰か、シュンタにも大体の想像はついた。

「取り込み中………、そうですね。もうちょっとで終わります。『便所飯のエリー』先輩………ですよね?」

 腰を振ってオシッコをきりながら、シュンタは振り向かずに返事した。一応同行させていたシュンタのボディガードたちは4人とも、ほとんど音もたてずに制圧されてしまったようだ。ここのトイレは2−Fから一番近いトイレでもないのに、ここまでスムーズにシュンタ1人に迫ることが出来るということは、エリーたちの一団は、よほどしっかり準備して、今この場に来ているということだろう。シュンタが想像していたよりも、事態が動くのは速かった。

「僕が統治者会議を抜けてからまだ1時間もたっていないのに、ボッチかと思ったら………意外と情報通なんですね。先輩」

「うふふ。盗撮王子は、意外と頑固で大胆だった。貴方のことだから、もう少し日和るかと思ってたんだけど。………持田シュンタ君に教えてあげる。ボッチもこじれるとね、何周も回って、学校のみんなのことが、自分とは別世界のことみたいに思えてくるの。それこそラノベとか、ゲームの中の世界みたいに。そうすると不思議と、フラットな興味が湧いてくる。他人のことを調べても、それと比べて自分が惨めになったりはしないのよ。別世界の話だから。そうすると、とっても楽。時にはゲームのNPCと遊ぶみたいに、フラットな気持ちで接することも出来るのよ。だから私は、気がついたら学園一の情報通になっていたわ。………知ってた? トイレに半日いるだけで、凄い量のゴシップを聞かされることになるの」

 シュンタはモノをしまってチャックを上げると、両手をエリーから見えるように上げて、振り返りながら、洗面シンクとエリーの顔を交互に見た。エリーがアゴで、手を洗って良いと指し示す。トイレに入って来ていた3人の大柄な男子たちが、道を開けた。

 シュンタは手を洗いながら、エリーの話を聞く。鏡越しに見る『未婚の未亡人』黒沼エリーは、前髪が重くて長くて、陰気そうではあるが、割と整った顔立ちをしていた。

「統治者会議のお歴々も、色々と試したり、情報共有をしたりして、私たちEグループに出来ることの研究を進めているみたいだけど。私から見れば、ペースがスローすぎて全然退屈。貴方たち穏健派は、Eグループ同士の対決を避けた。とるかとられるかの潰し合いの中から得られる知見が、一番重要なのに、そこから逃げたのよ」

 シュンタが話を聞きながら、横目でトイレの外の様子を伺う。外にも5人。シュンタのボディガードたちの体を廊下に寝かせて、立ちはだかっている男たちがいる。廊下からさらに教室と壁を隔てて、校舎前の芝生にいる、2−Fのクラスメイトたちのことを思った。わざわざ彼らを外に連れ出したのは意味がある。シュンタの臣民たちに何かあった時、統治者会議のメンバー、特にマコトに、そのことが伝わりやすくするためだ。シュンタは、元仲間たちから逃げることよりも、彼らを信頼することを選んだ。それがうまく理解されることを期待しながら、鏡越しに黒装の女子を見る。

「学園生活は闘争よ。スクールカースト大革命が起きる、ずっと前からそうなの。平和を求めて仲間と日和っていたら、孤独なルサンチマンたちに引きずり降ろされるの。昔からそうよ………。『盗撮王子』。………知ってた? 貴方がクラスの掲示板に無邪気にアップしていた沢山の写真の中で、藤沢美緒のパンチラが写りこんでた写真を掘り起こして、炎上させたのって、裏アカ持って掲示板に入っていた、わ・た…し・よ」

 これまで鏡越しにエリーを見ていたシュンタが、激しく腰を捻って振り返る。心臓の鼓動が早くなった。

「うふふふ。貴方は何も知らないのね。各クラスの裏掲示板なんて、同じプロバイダーの似たようなアドレスを、真似し合って開設されてるの。パスワードなんて女子たちがトイレで何度も伝えあってるわ。私は1年生の時から、全クラスの板を巡回して、炎上の種を探しては火を点けてきたの。面白いし、惨めにカーストを転落する子を見るのってゾクゾクするわよ。私はこの学園に入った日から、ずっと独りぼっちで、ずっと皆のことを見つめ続けて、数々の炎上事件を仕掛けてきたの。こんなこと、タブレットを持って個室トイレにこもりきりにでもならないと、出来ないでしょ?」

 シュンタの黒歴史と、暗黒時代は、ここにいる黒沼エリーが仕組んだことらしい。何のために? シュンタはエリーと面識すらなかった。恨みをかったこともない。ただの愉快犯に、彼の学園生活の何割かが台無しにされていたと分かると、熱い怒りというよりも、冷え切った嫌悪が彼の体温を下げていくような気がした。今、彼の目の前に立って、嬉しそうに話している女は、統治者会議のどのメンバーよりも、見下げたクズだった。

 黒沼エリ―は、甲高い声でさらに笑う。手を叩いて笑い転げた。

「そう………。その目。私が待っていたのは、貴方のその目よ。シュンタ君。本当に貴方たちって何も知らないのね」

 不穏な空気が漂い始めた。さっきの男爵がまとっていた空気。いや、それ以上に禍々しく、さらに刺すような悪意のこもったオーラが、陽炎のようにシュンタの視界を歪める。何かが、普通でない状態になりつつある。シュンタの防衛本能が、「逃げろ」と警報を出しているのがわかる。それでも、シュンタはまだ動かなかった。いや、動けなかった。

「Eグループのメンバー同士がお互いの生死をかけて真剣に対峙した時、どちらかが相手を完全に軽蔑、嫌悪して見下すと、同じグループの中でさらにカーストが分かれるの。Eグループ・プラス? Eグループ・ダッシュ? 呼び方はどうでもいいわ。貴方は私を、過去の認識にまで遡って、自分よりも下の存在だと見下した。私を1つ下のカーストだと認識したの。すると………私が貴方に命令したら、どうなると思う? 盗撮の王子様」

 息苦しくて、頭が痛くなるほどの圧迫感を感じる。シュンタは今すぐ逃げるべきだ。いや、20秒前にも逃げるべきだった。

『私を、貴方の臣民たちの前に、案内して。』

 覆いかぶさってくるような重苦しい空気とオーラを、突き抜けるように、涼やかな声がシュンタを貫いた。さっきまでの危機感、焦燥感と葛藤を全て拭い去る天啓のように、エリーの声がシュンタの頭の中を整理してくれる。シュンタが今すべきことが、圧倒的存在感で示される。他の疑念や心配は全て、頭の隅へと押し出されていく。

「はい。………シュンタは、エリーをクラスメイトたちのところへ案内します」

 気がつくと、シュンタは答えていた。嫌だと思っても、足が動き出す。エリーとその取り巻きの集団を先導するように、トイレを出たシュンタは、廊下を歩き始めていた。


。。。



「シュン君。……もう皆、食べ終わっちゃったみたいだよ………?」

 校舎前の芝生で明るい笑顔で迎えてくれた藤沢美緒は、シュンタの苦しそうな表情を見て、眉をひそめる。シュンタの横に立って、腕組みしながら周りを見回している色白の痩せた女子を見る。後ろに屈強な男子たちを何人も引き連れたその立ち姿から、Eグループの支配者だと、ミオにも理解出来た。ミオを上から下まで、値踏みするような視線。瞬時に不快な思いを感じた。

「シュン………君?」

「ごめん………。ミオ、……………逃げて」

 2−Fの統治者からの命令か、それとも恋人からの懇願か。ミオは考えるより先に、体が起き上がっていた。シュンタと、隣に立つ女子生徒に背を向けて、ミオは全速力で走りだす。どこに逃げればいいのかわからなかったが、とにかくここから離れることだけを考えた。後ろで、女の人がミオの恋人に何かを囁きかけるのが聞こえる。

「………ミオ、止まって」

 突然体が棒のように硬直して、「気をつけ」の姿勢で直立不動になる。普通だったら全力ダッシュの慣性のために前につんのめるような動きだったが、Sグループのミオの体は、運動選手のような敏捷さで、シュンタの声に従って立ち止まった。

 クスクスと含み笑いをしながら、シュンタの耳もとで何か囁く、女の人の声。その後で、ミオは愛しいシュンタの言葉を聞いた。

「……………く……………ぅぅ…………。ミオ…………。こっちに来て………。ここにいる、エリーの、……上靴に………キスをして」

 エリーは玩具の兵隊のように固い動きで、直ちに回れ右をする。走り出した道を戻るようにシュンタのもとに戻るミオ。恋人同士が視線を交わすと、お互いの目に涙がにじんでいた。ミオはエリーと呼ばれた女子生徒の前に跪いて、両手を芝生につけて、平伏すように頭を下げる。上履きの爪先に唇をつける寸前に、少しだけ顔が震えた。

「あははは。シュンタ君が、統治者会議を抜けてでも守りたかった。最愛の藤沢美緒ちゃん。稜聖学園のアイドルが、わたしの靴にチューしてる………。楽しい………。シュンタ君。もっとミオちゃんにチューさせて。貴方の大好きなミオちゃんに、私の靴をベロベロ舐めて、発情しなさいって命令して」

「…………………う…………。ミオ…………。エリーの靴………。もっと舐めて………。そうすると………。興奮する。………ミオは………、ヤラシイ気分になる………」

 シュンタは、自分の口を塞ぐものなら、何でも受け入れたいとすら思った。それでも、エリーの言葉に従わなければならないという強固な思いに、頭をガッチリとマウントされて、ロックされる感覚。他のことが考えられなくなる。気がつくと、口がエリーの求める命令を、ミオに対して下してしまっている。苦しかった。これまでシュンタの命令を、Dグループの生徒たちはこんな思いで受け入れてきたのだろうか?

 ミオは自分の顔が赤くなるのを感じている。土や埃のついたエリーの上履きは苦い。何度もキスをして、媚びへつらうように靴を舐めている自分がミジメだ。しかし、どうしようもなく、体が昂って、股間がキュンキュンと甘鳴きし始める。一心不乱にエリーの靴を右、左と交互に舐め回しながら、いつのまにか浮かせた腰を、ヒクヒクと縦に揺らしていた。まるで発情期の雌犬のような自分。しかし自分の体のはしたない動きを、止めることはどうしても出来なかった。

「シュンタ君………、私の王子様。私のために、みんなにこんな命令をしてくれたら、嬉しいな」

 ヒソヒソとシュンタの耳もとに囁きかけるエリー。両目を固く閉じて、抗うように、苦しむように、頭を下げたり上げたりするシュンタ。しかし、言葉は出て来る。下された命令に対して、どれだけ抵抗しようとしても逆らえない気持ちは、シュンタを除く2−Fの生徒たち全員がよくわかっていた。

「2−Fのみんな………。こっちに集まって。服を脱いで、裸の自分をエリーに見せて。………『休め』の姿勢になって、その場でオシッコをして見せて」

 ハッと息を飲む音。トシヤとナツメが困った視線を交わし合う。チトセも心配そうな視線をクラスメイトたちに送る。それでも、体はスクッと立ち上がって、テキパキと制服を脱いでいく。

「うふふふ。このクラスの臣民たちは、王子様に甘やかされて、ずいぶんマッタリ生活してきたみたいだから、最初に新しい自分たちの立場をよーく理解してもらうね。大丈夫。恥ずかしいことのあとには、ご褒美もあるわよ。………ねぇ? シュンタ君」

 シュンタの口は止められない。

「全員、オシッコし終わったら、ご褒美にこれまでの人生で最大の絶頂を迎える。………Dグループの奴で、行動しか従えない連中は、最大の絶頂を迎えるくらいの、オナニーをする。みんなイク時は、『エリー様バンザイ』って叫ぶんだ」

 テキパキと服を全部脱いで、裸になるというところまでは、2−Fの生徒たちもこれまでの支配下生活のなかで仕込まれてきてはいた。けれどその後の、トイレではない場所で、体を隠せない姿勢で生理現象を見せあうというのは、初めてのことだった。当然のように動きが鈍る。それでも、率先するように優等生の級長、蔵池チサトが、昼食後の不要な液体を、放物線を描くように体外に排出しはじめる。級長についていくように、クラスメイトたちが芝生にオシッコをした。エリーの目の前に立っているのは真っ赤な顔と屈辱と、そして発情に燃える目をした藤沢ミオ。彼女が震えながら放尿を始めると、エリーが笑いながら、ひっかけられないように後ずさった。

「………え………、エリー様、バンザーイ。……くっ………くうううう」

「エリー様、バンザーイ、あぁあああっ」

「バンザイ………うぉっ」

 男子も女子も、放尿後に訪れた激しいエクスタシーに気を失いそうになる、自分のバンザイの声を聞きながら、ガクガクと体を痙攣させて、愛液や精液をまき散らした。ミオをはじめ、自分で汚した芝の上に崩れ落ちてよがる生徒も何人もいた。その様子を、新女王が1人ずつ値踏みするようにして、歩いて確認する。

「あははっ。みんな、気持ち良さそうで何よりね。これから貴方たちは、沢山の人の注目が自分に集まってるって感じたら、今の行動を再現してしまうっていうプログラムにしてあげよっか? Aグループ以上の子たちは、学校の外でも適用とか………。夢が広がるよね〜。………ここにいるシュンタ君から、貴方たち皆の所有権を譲り受けるのが、とっても楽しみね」

 そこまで言って、エリーは自分の小指を咥えた。考えごとをする時、彼女には小指の先を甘噛みする癖があるようだった。目を細めて、ニンマリと笑う。

「でも、その前に。王子様には最後のお仕事があるの。その他大勢の臣民の皆さんは、もうちょっとのあいだ、イッちゃった余韻に浸ってて良いわよ」

 エリーはパタパタとシュンタのもとへ駆け寄って、彼の肩に手を添えると、背伸びして耳もとへ口を近づけて来る。

「シュンタ王国の最期を貴方と臣民の皆に知らしめるには、もうちょっとインパクトのある象徴的な出来事が欲しいな。シュンタ君。君が何より大切にしていた愛しのミオちゃん。君自身の命令で、ぶっ壊して欲しいの。………ミオを、君が絶対にしたくないと思う、最悪にミジメで可哀想な姿に、君の言葉でするの。ほら、徹底的にねちっこく命令して。学校中の憧れの的だった天使を、愛する貴方の言葉で、底辺に突き堕としなさい。稜聖学園の恥部に生まれ変わらせてあげてごらんなさい」

 泣いて許されるなら、そうしたかった。シュンタの手でミオを貶めてしまうくらいだったら、自分がその身代わりになりたかった。それでもシュンタには一切の選択肢がない。自殺したり自傷したりして命令出来なくなるということすら、禁じられてしまっていた。激しい抵抗。服従して楽になりたいという無力感との葛藤。心までは縛られていないシュンタは、頭が割れそうなくらい、内面で精一杯のジタバタを繰り広げた。それでも、口を閉じていられたのは、わずか10秒程度だっただろうか。絶望のなかで、シュンタは自分の口から吐き出される、命令を聞いた。

「ミオは…………、いつでもどこでも、どんな男とでもヤる、肉便器みたいな淫乱女になる。………裸で外を徘徊して、ヤラシイ踊りで小銭を貰って男を誘って、生活する。ホームレス生活を満喫する。興奮してる男以外の周りの人たちは、君を敬遠して腫れ物扱いするから、捕まったりはしない。君は誰にも捕まったり保護されたりすることもなく、恥をさらし続けるんだ」

 唇から血を出して、涙と一緒に恐ろしい命令を下してくる恋人を前にして、藤沢ミオは優し気な笑顔で立っていた。

「シュンタ君。………今まで、ありがとうね」

 シュンタもミオも泣いていた。そして今のシュンタには、ミオの優しささえ、拷問のように感じてしまった。正直に言えば、とにかくこの苦しみから、早く解放されたいとさえ、願っていた。

「ミオは僕のことも忘れる。学校のことも、これまでの人生で楽しかった思い出も忘れて、これからのホームレスヤリマン人生を満喫する。君は知能の低い、エロいことにしか興味のない淫乱変態オンナだ。セックスと、男のイヤらしい視線と、女の軽蔑の視線だけを求めて、生きていくんだ」

 美しい造形の顔立ちから、知性が失われていく。内面が塗り替えられると、表情も、まとっていた雰囲気までも変わってしまう。シュンタの目の前にいたはずの恋人は、少しずつその場から失われていってしまう。後には、顔立ちと体のプロポーションだけは美しいけれど、品性の感じられない、薄ら笑いを浮かべる色情狂が立っているだけだった。

「あ………あはっ…………あはははははははっ…………。えへへ、えへへへへへへ」

 裸で裸足のまま、シュンタの元恋人は、フラフラと駆け出してしまう。学校の敷地の外へ………。おそらくは自分を激しく犯してくれるオスを探して、徘徊を始めたのだろう。

(お願い、誰か、ミオを止めて。)

 シュンタがクラスメイトたちを見回す。2−Fのクラスメイトたちの多くはまだ、放尿とオルガスムの強烈な余韻に浸って放心している。意識を回復している子たちも、ミオの姿を、ドン引きしながら見ていた。憐れみと、そこはかとない嫌悪感、そして関わり合いたくないという、突き放した目つき。級長のチサトさえも、腫れ物の扱いに困っているような表情を浮かべていた。

 もう学園の羨望と熱狂を集めてきた美少女、藤沢美緒は、どこにもいなくなってしまったようだった。

「うあぁああああっ。ぐっ、ぐぁああああああっ」

 シュンタは我慢できなくなって、地面に突っ伏して芝を噛みしめた。もうこれ以上、2−Fの生徒の破壊者となるのは耐えられなかった。

「早くっ。俺からこのクラスを奪ってくれよ。………俺はもうやだ。何も命令したくないっ。何もないっ」

 エリーはしばらくの間、余裕の無言で応じた。何人かの支配者を、こうして屠ってきたのだろう。

「自分で皆に宣言すれば良いのよ。2−Fは無くなって、『便所飯』黒沼エリーの仲良しクラブに併合されるって」

 頷くように、あるいは自分を責めるように芝に頭をゴンゴンと打ちつけたシュンタは、立ち上がった。

「2−Fの皆。聞いた通りです。僕はもう統治者じゃない。誰にも命令なんてしたくない。君たちはエリーに従ってくれ。本当にゴメン。2−Fは全員、エリーの利益のために行動する。僕の命令は忘れてください」

 誰とも目を合わせずに、シュンタは告げた。後のことは、仲良しクラブの絶対リーダーであるエリーが指示して収めた。


。。。



「しばらくはサヨウナラね。盗撮王子。………半年くらい、自宅に引き籠っていてもらおうかしら? ………ま、半年後に君が、学校に戻りたいと思うかどうかは、君次第だけど」

 校門の前に立って、黒沼エリーはシュンタの背中に語りかける。エリーの言いたいことはわかる。ボロ雑巾のような精神状態のシュンタは、しばらくは誰とも口を聞きたいと思わなかった。2−Fの生徒たちに自分の体を拭かせてから服を着させ、教室に戻るように指示したエリーは、王座を追われた元統治者が退場するのを見送ると言った。シュンタにとっては、見送りがあろうとなかろうと、すでにどうでも良かった。

 2−Fの級友たちは黒沼エリーの支配下に入った。これで6クラス分だろうか。エリーは統治者会議のメンバーがまだ知らない、Eグループ同士の対決時に起こる力関係の作用を知っている。それでも、勢力で言えば統治者会議が圧倒している。どちらかの勢力に、この学園は統一される。どちらが最終決戦で勝利するのか………。それすらも、今のシュンタには、どうでも良いことだった。

 重い鉄の扉を、人が1人通れる分だけ開けて、シュンタは稜聖学園を出ていこうとする。



 その時、自分の影が、もう一つの丸い影に覆われるのを見た。

「待ちんしゃーい」

 後ろから、聞きなれたデブ声。

「俺に断りなくコーモンを開け閉めされちゃぁ、困るぜ。………俺の場合マジで」

 聞き飽きた、つまらないジョーク。
 シュンタは、駆け寄ってきたのが、意外と動ける、お馴染みのデブであることを理解した。影を見ると、頭の部分は天然パーマでクシャクシャになっている。


「あら、大権現君じゃないの………。貴方は、自分の肛門のことを心配していた方が、いいんじゃないかしら?」

 エリーの煽りを無視して、肉団子がシュンタの肩を抱きかかえる。意外と温かく、抱かれ心地は悪くなかった。

「2−Aから2人のスパイを、お前のクラスに受け入れて紛れ込ませていたんだよな? 1人が辿り着いて、便所の会話も含めて、俺たちに教えてくれたぜ。マコトと男爵が、俺に行かせてくれた。エリーだったら、俺が相手になるぜ。盗撮ブラザー」

 ノリユキに寄りかかることが出来た瞬間に、シュンタは力が抜けた。自分でも意外なくらい素直に、完全にノリユキに身を任せた。

「………お前、今の、待ちんしゃいも……、スベッてたぞ」

 憎まれ口を叩いたつもりだったが、涙声になっていた。そのシュンタを地面に腰降ろさせると、天パ・デブは振り返って、未婚の未亡人を見据える。重く黒い前髪でいつも隠されている彼女の顔が、風のせいで額まで晒されていた。値踏みするような余裕の笑み。目を細めて天パ・デブを見下ろしていた。

「…………そうか。王子さまは『2−Fの皆』に命令を出していたけど、別のクラスから紛れ込んでたスパイには、自由に行動させていたって訳? ………今更、どうでもいいことだけど」

 エリーはまだ、余裕の表情を崩していなかった。これまで個室トイレで小指を噛みながら、何十通りもの作戦を考えて来たのだろう。

「大権現君、貴方が女子たちに何て言われてきたか、教えて欲しい? 何を言われても平気な、能天気デブっていうのは、ポーズなんでしょ? 腸が弱いのも、肥満体型も、本当は貴方のメンタルの弱さから来ている。実はとっても繊細な子なのよね。私は全部知ってるわよ。誰にも興味を持たれない、ボッチの極北にいて、皆のことを調べつくしてるからね」


 ノリユキはニカっと笑う。デブが笑っていると、謎の頼もしさがあった。

「俺は何にも考えてないデブだけど、仲間がいると色々心強いぜ。スパイ1号からお前の話を伝え聞いただけで、マコトは黒沼エリーの心の拠り所を見抜いた。ボッチだけど孤高っていうプライド。便所の個室っていうシェルター。学園の裏情報を自分だけが俯瞰してるっていう自意識。………グホッ……。それがお前の大事な心の支えだろう」

 真面目な長文を早口で語ることに慣れていなかった肥満児は、途中で一度ムセたが、何とか喋りきった。

「言っとくけど、便所に貼りついていたのは、自分だけだと思うなよ。腹が弱くて、しかもイジメられてっから男子用じゃなくて女子トイレに忍びこんででも大便してきた、苦労人の存在を忘れんな」

 親指を自分自身に突き立てて、またニカッと笑うノリユキ。

「個室ボックスでずーっとブツブツ言ってる陰キャ。でも覗き込むチャンスがあった時に、意外と美形なことが発覚。性格捻じれきったボッチ女子の生態を、俺だけが理解している。………そう。好きになるのに長い時間は必要ありませんでした」

 口調がおかしくなっていた。

「黒沼エリー。お前はずっとボッチで、シェルターみたいなコクピットみたいな個室ボックスに閉じこもっていたつもりだろうが、俺はずっと見てきたぜ。お前の食事を、お前の排泄を。インプット・アウトプット両方ってことだ」

「………やめなさい」

 エリーの声が、顔が、少しヒクついている。彼女のペースが狂い始めているようだった。

「冬場に、思ったよりも便座が温かったことはないかい? 歯ブラシが使う前から湿っていたことはないかい? お弁当のフライにかけられたホワイトソースが、想像よりも香ばしかったことはないかい?」

「やめろ………。ウッ…………」

 黒沼エリ―の呼吸が乱れていた。それはやがて、えずきに変わっていた。

「ユー・ネバ―・ウォーク・アローン。君は1人ぼっちなんかじゃない。いつも俺が見てた。俺がそばにいた。これまでも。そして、これからもだ」

 この状況でこの男の口から出たのでなければ、素晴らしくロマンチックな台詞だっただろう。シュンタはそのことを、とても残念に思った。そして、エリーは、口を押えて地面に突っ伏していた。

「ボエエエエエエッ」

 苦しそうに、胃液を地面に、叩きつけるように吐き出した。

「好きです。黒沼エリーさん。僕と付き合ってください」

 吐き続ける女子の前で、直立して、真剣に告白する、シュンタの親友。それは、これまで見てきたものとは、全く違うタイプの地獄絵図だった。

「誰がっ…………オエッ………………、アンタみたいなっ……………、マジモンと…………。ゲェエエッ」



「…………選り好みするなんて、人の相棒をずいぶん見下してくれたな。………ま、完全無欠な自業自得だけど」

 校舎の正面玄関から、校門近くまで歩いてきたのは、RKBの最後の1人。『アイコラ医局長』桂木マコトだった。

「ハニー。俺を軽蔑するんだったら、君の臣民全員と、………ここのシュンタを解放しろよな。………いや、解放しんしゃい!」

 シュンタが起き上がる。喋りつくしたノリユキがゼーゼー言いながら歩み寄る。マコトも軽快な小走りで駆け寄る。3人で、親指だけ上に立てた拳を、グッと突き合わせた。


「オレ、本当に一度、折れたよ。こんなことになると、思ってなかった」

 シュンタが弱々しい笑顔を見せる。

「だな………。ノリユキが急に会議室でキモい懺悔始めなかったら、ヤバかった」

 マコトが眉をしかめながら肩をすくめる。

「そして、俺はまたフラれた」

 ノリユキは意外と淡々としていた。

 シュンタが周りを見回すと、ようやく景色に色が戻って来ていた。
 深呼吸する。胃液の匂いは漂ってくるけれど、なかなか清々しい昼下がりだった。



。。。




 駅前のロータリー。雑踏のなかで、藤沢美緒は発見された。通行人が立ち止まって輪を作っている中で、全裸のミオは媚びるように体をくねらせて、扇情的なダンスを踊っていた。口の端と足の間から、何人もの男の精液を垂らしながら、色情狂の可哀想な淫乱女は、ヘラヘラと笑って男を求めていた。目を見張るような美人が、明らかに異常な精神状態を見せつけていると、周囲の恐怖さえ掻き立てる。それでもミオの若い体を、あえて性のはけ口に使おうとする猛者か、女に飢えた男たちだけが、壊れたオンナと人目も憚らずにまぐわった。

「ミオっ。僕だよ。………助けに来た。………もうやめよう」

 駆け寄った少年が、人だかりを突き飛ばすように押し入って、フラフラと踊るミオの腰にまとわりつく。シュンタは何人かの苛立った大人から背中や後頭部を蹴られた。それでも、蹴ってくる足を無視してシュンタは、なおダンスを続けようとするミオを抱きかかえる。制服のジャケットをミオの肩にかけた。

「ミオ。元に戻って。………僕だよ。思い出して。持田シュンタだよ。君の恋人。カーストが低いから、底辺だから君に命令が出来るんだ。君に見下されて当然の低い階層で生きてるから、君の心も体も操ることが出来るんだ。だから君を癒して、直すことも出来る。そうでしょ? そうだと言って!」

 ミオの目にはまだ、正気が戻らない。ボンヤリとシュンタの顔を見て、ほとんど自然反射のように、股間に手を伸ばしてくる。シュンタは焦っている。エリーの指示のせいで、ミオにはシュンタのことを忘れるように命令してしまった。これまでの学園生活のことも忘れさせてしまった。スクールカーストのことも2か月ほど前からのカースト大革命も、そしてシュンタの存在も、忘れきってしまっているとしたら、もうシュンタや稜聖学園Eグループのメンバーの命令は効かないのかもしれない。

「いやだ。ミオ。僕のお願いを聞いて。僕は低い低いカーストの男子だから、学校の頂点にいた君は、僕の言葉通りになったんだ。思い出して。ミオちゃん。…………スクールカーストだよ。君が頂点に君臨していた」

 空を見ながら彷徨っていたミオの黒目のピントが少しずつ、ゆっくりとシュンタの顔のところで留まっていく。つぶらな瞳に、涙と鼻水でボロボロクシャクシャの、シュンタの顔が映った。

「……………………越えてこい…………」

 ミオの顔にボトボトとシュンタの涙が落ちる。眉をひそめて、頭痛にこらえるような表情で、ミオが何か言った。

「………へ? …………なに? …………」

「ホントに…………。私のこと好きだったら…………。カースト、越えて来てよ。………………ご主人様」

 藤沢美緒の目にも涙が溜まって、表面張力の限界を超えると、顔の横へ流れていった。



。。。




 黒沼エリーの勢力を取り込んだ縄張りが確定して、プロテクト制度を含めたトレード協定も合意に至った時、最低統治者会議が、稜聖学園高等学校の支配を完全なものとした。そしてその直後に、『笛吹男爵』こと松園ヒロオミ先輩は議長の座を退いた。「自分よりも変態を見つけたので、引退する」と言った時、男爵はノリユキを、二代目統治者会議議長にするつもりだったようだ。けれど統治者の採決を取った結果、ノリユキではなくて、マコトが二代目議長に選ばれた。妥当なところだと思う。これからは、戦闘力最強が証明されたノリユキと、組織の運営が出来るマコトが、助け合って、この学校支配の均衡をとっていくのだろう。

 シュンタは思い切ってRKBの2人だけに、桃四里聖天という神様の祠で願いごとをした時、稲妻が走ったこと、その直後からスクールカースト大革命が起きたということを話した。2人はシュンタの話を、最後まで静かに聞いてくれた。ノリユキは「デンキの子ってやつだ」と、よくわからないコメントを返してきた。マコトは、それだったらこの大革命も、いずれ効果を無くしていくのだろうと、予測した。『スクールカースト最下層の人間が人生思い通りに生きられるような一発逆転』というのは、すでに完遂されたのだから。



 シュンタはミオと一緒に、しばらく学校を休んで、旅に出ることにした。真っ赤なオープンカーの助手席に乗る。運転席のミオは全裸にマフラーとゴーグル、革手袋だけを身につけていた。

「ホントにこんな感じで行くの? いつかシュンタの命令も効果を無くすと思うって、前にも言ったでしょ?」

 最低統治者会議の二代目議長、マコトがミオに呼びかける。ミオは優雅な物腰から悪戯っぽい笑みを浮かべたあとで、V8エンジンを2回ふかして見せた。

「シュン君の命令が効いてる間は、私、車の運転だって出来ちゃうし、裸でいたって、誰にも文句を言われないんでしょ。………こんなチャンス、人生で二度と来ないと思うな。変態のご主人様に仕えすぎて、私まで変になっちゃったんだって、思ってよ」

 シュンタはこの言葉を聞いて、ミオが完全に治ったのか、少しだけ不安が湧き上がってくるのを感じた。けれどミオはそんなシュンタにウインクを返してくれる。運転席の全裸の恋人は、生き生きとシフトノブの動きやミラーの角度を確認している。その様子を見た後で、マコトと目を合わせると、親友は肩をすくめて溜息を洩らしながら笑った。

 校舎の屋上から、丹波ノリユキのリサイタルの音が聞こえてくる。失恋記念大権現ライブは、もう始まっているようだ。クライマックスには、懐かしのマツケンサンバという曲へのリスペクトを捧げた、モテヘンタンバという曲を準備しているらしい。2−Fの可愛い子たちがあらかた、バックダンサーとして取られていってしまった。

 ふと騒音のような曲が途切れた合間に、学校の拡声器が金属をひっかくような高音を上げた。オープンカーから見上げると、屋上の柵に足をかけた天パ・デブが、拡声器を片手に、校門前のシュンタに呼びかけようとしている。

「アー、2−Fの持田シュンタ。キミは、こんな可愛い子ちゃんたちのハーレムを捨てて、旅に出ようと言うのか。早く考え直して、帰っていなさい。これから学園総出で、酒池肉林のパーティーを開こうとしている。至急あがってくるように。これまでのハーレムとは質も量も違う新体験。全ての男子の夢がここにある。ドント・ミスイット。これを逃したら、一生後悔するのである」

 シュンタは左側の運転席に座る、藤沢ミオと見つめ合う。彼女の握るシフトノブに、重ねるように自分の手を乗せた。大きく息を吸って、屋上に叫び返す。

「まー、来世に期待するわー。それじゃーなー」

 V型8気筒エンジンが獣のような咆哮を上げると、真っ赤なオープンカーがぶっ飛んでいく。運転するのは華奢で裸な絶世の美女。シュンタは真っすぐ前を向いて、振り返らなかった。ドリフトしながらスポーティークーペは細い道路もぶっ放す。どこに行くかも決めずに、ミオのドラテクに身を任せた。学校の周りをグルリと回るように、狭い路地裏を縫う。見慣れた街の景色が溶けるようにして後ろへ飛んでいく。途中で古ぼけた祠が一瞬、視界の隅をかすめていったような気がしたけれど、シュンタは目で追うこともしない。ミオと同じゴーグルを装着すると、ヘッドレストに後頭部を埋める。

 僕たちは自由だ。なんだって出来る。
 捕まるまでは。

 
 
< おわり >


 

 

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