放課後の催眠


 

 

充、やっと初デートに漕ぎ着ける


 明けて水曜日。起きても、なんとなく身体がだるい充だった。無理もない。昨日は静香と絵理を相手に文字通り精根尽き果てるまで交わった。考えてみれば、催眠術を習得してから欲望と好奇心の虜になってエッチしまくっている。すこし休まないと身体に悪いんじゃないかと思ったが、今日は彩とデートの約束がある。学校を休むわけにはいかない。

 充は午前中をぼんやりと過ごした。自分が抜け殻になったような気分だった。浅田杏子に頼んで進路指導室を使って寝てしまおうかとも考えたが、それも気が進まなかった。なんだか気持ち的にも飽和状態になってしまったようでエッチな妄想も湧いてこない。

「やっぱり、ここにいたね」

 昼休み、屋上でぼんやりしている充に彩が声をかけてきた。雨の降らない日には充が屋上で弁当を食べていることをクラス全員が知っている。

「なんだか、今日は元気ないみたい」

「そんなことないけど」

 ちょっと腰をかがめて覗き込むような格好になった彩を見上げて充が答える。

「けど?」

「ちょっとシナリオのことなんかで煮詰まっちゃってさ・・・」

「あは」

「なんだよ?」

 学校で彩がこんなふうに笑うのを見たのは初めてだった。

「嫌われちゃうかもしれないけど」

「だから、なに?」

「その煮詰まっちゃうって言い方、誤用なんだって。たとえば、そのお弁当に入ってる煮物がおいしくなったときに使うのが元。物事がうまく熟したときに使うのが正解なんだよ」

「ちぇ・・・」

 彩の口調は、いつもみたいにツンとしたものではなく、なんていうか親しさが伝わってくるようなものだった。

「怒った?」

「んなワケないだろ。むしろシナリオ書く身としては感謝かな」

 実際、ダメ出しされても腹が立たないのが不思議だった。

「よかった」

 彩が笑う。

「それより今日のことだけど」

 充はまわりに誰もいないことを確かめてから言う。

「うん・・・」

「いったん家に帰ってからの方がいい? それとも、そのまま行く?」

「どうしようかな・・・」

 キーワードを使わなくても、今日の彩は別人のようだ。まるで恋する乙女みたいだと充は思った。でも、悪い気はしないし、獲物を追い詰めていくような感じがして気分が高まってくる。

「家に帰るとお母さんにどこ行くか言わなきゃならないし・・・制服のままだと・・・」

「制服でデートしたって補導なんかされないよ。だったら一緒にそのまま行こうよ」

 もう、あの母親に邪魔されるのはごめんだ。

「う・・・うん・・・」

 なにを考えたのか、彩は真っ赤になってうつむいてしまった。

「なんかマズイことある?」

「そうじゃなくて・・・」

「岸本には、そういうことが必要なんだよ。決まりに縛られるだけじゃなく、殻を破らないと」

「そうだね」

 彩はそう言うと充の隣に座った。普段の彩からは考えられない大胆な行動だ。

「私ね・・・」

「うん」

「吉川君の言うとおりにしてみたの」

「えっ?」

「お母さんが買ってくれた下着・・・」

「そっか・・・で、気分変わった?」

 話の内容に、充は、いままでの疲れなどどこかへ行ってしまったような気分になった。彩が隣に座ったのは、向かい合わせになって顔を見合わせるのを避けるためだとわかった。

「あのね・・・」

「うん」

「いま着てるんだよ」

 そこまで言うと彩は両手で顔を覆った。

 充は驚いた。彩にしてみれば、ものすごい決意で言ったに違いないのだ。彩の言葉で充は満たされた気分になった。

「ありがと」

「えっ?」

「俺みたいなヤツの戯言をマジで受け止めてくれてうれしいよ。でも、俺、あのとき本気で言ったんだ。そういう一歩を踏み出すことで岸本はもっとかわいくなるって思ったから」

 ここ数日で充も大人になった。催眠術で相手の心を引き出すことで、女心の一端がわかるようになったのかもしれない。同時に彩の下着姿が猛烈に見たくなった。

「導師降臨」

 充はキーワードを唱える。

 彩はヒクリと震えた。

「アヤ」

「はい」

「こっちへ来なさい」

 充は立ち上がって彩を促す。昼休みが終わるまでに、まだ15分以上ある。

「ついて来なさい。いま私は吉川君の姿を借りています。だから、いつもと同じように」

「はい」

 彩は立ち上がって、充とちょっと距離を置いてついてきた。

 充が連れて行ったのは演劇部の部室だった。誰にも気づかれないよう気を配ったのは言うまでもない。

「今日は吉川君とデートするので、その下着を着てきたのですね?」

「はい」

「吉川君に見て欲しかった。そうですね?」

「はい」

「どこで見せるつもりだったのですか?」

「わかりません。想像するだけでよかったんです。かわいいって言われて、すごくうれしかったから着てみたんです」

「では、この夢の中で願望をかなえましょう。そうすることで、アヤはどんどん本来の自分に生まれ変わっていきます。まずは服を脱いで、その下着を私に見せてください」

「はい」

 彩はリボンタイを外してブラウスを脱いだ。香苗が見立てた下着は彩の清楚さをスポイルすることなく女らしさを際立たせていた。

「素晴らしい」

 スカートを脱いで下着姿になった彩に、充は本音でそう言っていた。生まれたままの姿よりエロく見えるのは、充に見て欲しいという彩の気持ちが影響しているに違いない。

「吉川君に見せたらなんて言うでしょう?」

「かわいいって・・・言って・・・欲しい・・・でも・・・」

「でも?」

「ほんとに、そう言ってくれるか、すごく心配なんです。それに場所も・・・」

「大丈夫です。アヤはとても素敵ですよ。吉川君も、アヤがその下着を着ていると聞いてよろこんでるし、見たがってもいるはずです。ですから、デートのときは彼の言うことを聞くことにしましょう」

「はい・・・」

 彩は安心した表情で息を吐いた。

 そのとき授業5分前を知らせる予鈴が鳴った。

「では服を着なさい。目が覚めるとアヤは吉川君と一緒にシナリオの相談で演劇部の部室にいます」

 充は彩の下着姿をiPhoneに収めると、そう言った。

「はい」

 彩が服を着てから「導師退場」を唱える。

「サンキュー。やっぱ岸本の意見は鋭くて助かるよ」

「えっ・・・あ・・・うん・・・」

 目を覚ました彩は戸惑ったように答える。充にはそれがおかしかった。

「教室戻らないと。一緒だとヘンな目で見られちゃうかもしれないから先に行ってて。俺、ちょっと用を足してから行くから」

「うん」

 彩は充の言うとおりに行動する。だんだん催眠術と現実のボーダーが低くなっていくような気がして、充はゾクゾクするような興奮を覚えた。でも、彩が公園で下着を見せるとは思えないし、どこかへ連れ込むにも場所が問題だ。それに、一番の問題は欲望があっても気力が湧かないというか、具体的に言えば使いすぎたのか勃起に至らない身体だった。



「ごめんなさい。待たせちゃって・・・」

 場所は駅中のマクドナルド。彩は急に生徒会の用事が入って充は先にセンター南駅まで行くことにしたのだ。

「ううん。ちょっと腹へってたから、ちょうどよかったよ」

 コーラを飲んで待っていた充は笑顔で答える。

「岸本、なんか食べなくて大丈夫?」

 公園へ行くのは暗くなってからの方がいい。まだ日が長い季節なので、充は時間を稼ぎたくてそう言った。

「あ・・・でも・・・家でごはん食べないと・・・」

「なんだよ。せっかくのデートなんだから・・・そうだ、テイクアウトにして公園で一緒に食べよう。ここで食べるよりデートらしいじゃん。お母さんには俺といるって連絡すれば大丈夫だよ」

「いいの?」

「なにが?」

「お母さんにそう言っても・・・」

 彩には充の言うことを聞くようにと暗示をかけてあるが、母親に知らせるのは想定外だったみたいだ。

「クラスの奴らだったら冷やかされるかもしれないけど、岸本のお母さんだったら大丈夫だよ。なんなら俺が電話に出てもいいし」

「ほんとにいいの?」

「あったりまえじゃん。やましいことねぇし」

 むしろ、その方が彩に帰る時間を心配させなくていいと思った。それに、もうひとつ目的があった。

「じゃあ、電話するよ」

「うん」

 彩は携帯を取り出す。

「もしもし、お母さん。うん・・・いま吉川君と一緒にいるの・・・うん・・・で、すこし帰りが遅くなりそうだから・・・そんなんじゃないよ・・・いま代わるから・・・」

 充が電話をかけるゼスチャーをすると、彩は携帯を差し出した。

「こんにちは。吉川です」

 充は努めて明るい声で言う。

「すみません。彩さんにシナリオ手伝って欲しくて。いいですか?」

「そんなこと言ってデートじゃないの?」

 電話口から、あのフランクな声が聞こえる。

「いや・・・その・・・」

「図星でしょ。いいわよ。今日中に帰してくれれば」

「あの・・・ちょっといいですか・・・」

 充は彩を手で制して店を出る。

「カナエお願い」

「・・・」

 キーワードを唱えると香苗は静かになった。

「今はひとりですか?」

「はい」

 トランス状態特有の抑揚がない声の返事。

「吉川君が彩さんといるのは心配ですか?」

「いいえ。しっかりした子ですから」

「そうですね。では、このまま彩さんを信用していてください。あとで吉川君から報告があるはずです」

 充は自分のiPhoneを取り出して、携帯に表示されている香苗の電話番号をタップした。今日だけでなく、彩と一緒に過ごすためには香苗と連絡を取る必要があると思ったからだ。番号を知ってる理由など催眠でどうにでも言い訳できる。

「吉川君は信用できる男です。ですから家で待っているように。カナエは戻る」

 またキーワードを唱えると電話口からも気配が変わったのがわかった。

「なので、夕食も軽く済ましちゃいますので、よろしくお願いします」

「いいのよ。吉川君のこと信用してるから楽しんでらっしゃい。彩には代わらなくていいから」

 そう言うと一方的に電話は切れた。

「なんだって?」

 彩は折りたたまれた携帯を心配そうに受け取る。

「今日中に帰せばいいって」

「デートだって言ったの?」

「ううん。そう聞かれたからウソついちゃった」

「あは」

 彩は屋上で見せた笑顔になる。

「うん、その調子」

「えっ?」

「お前、いま、すっごくいい顔になった。本当の岸本を見せてくれたみたいでうれしいよ」

「そんな・・・」

 彩の顔が瞬時に赤くなる。

「それよりハンバーガー買っちゃおう。なんか好きなものある?」

「あ・・・ええと・・・あんまり来たことないから・・・」

「じゃあ、お任せでいいよね。ちょっと待ってて」

 充は席を立ってレジへ向かった。ビッグマックとフィレオフィッシュのセットを買って紙袋に包んでもらう。

 二人は公園に入ってすぐの広場を見渡すベンチに座った。

「一緒に食べようぜ。ビッグマックとフィレオフィッシュ、どっちがいい?」

「フィレオフィッシュって魚だよね?」

「うん」

「じゃあ、そっちでいい? 吉川君が食べたかったら違う方にする」

「俺は岸本に選んで欲しくて買ったんだから。はい」

 充は袋の中からフィレオフィッシュの包みを出して渡す。

「なんか・・・」

「なに?」

「こんなの初めてだから・・・緊張しちゃう・・・」

「俺じゃ不満?」

「そうじゃなくて・・・吉川君・・・やさしいから・・・」

「そんな・・・フツーだろ・・・」

 彩の意識を誘導してる自覚があるから、充は当たり障りのない答えしかできない。

「私・・・吉川君に謝らなきゃならないと思って・・・」

「なんで?」

「だって・・・いままで、エッチなことばかり考えてる男子のひとりだと思ってたから・・・でも、あんな素敵なお話しを書けるし・・・いまだって、やさしくしてくれて・・・」

「まあ、エッチなこと考えてるってのは否定しないけど」

「ねえ」

「ん?」

「私、真面目にそう思ってるんだから・・・」

「ごめん。照れくさいから、つい、おちゃらけちゃうんだ。でも、俺も岸本のこと堅いばっかりのつまんないヤツって思ってたから、おあいこじゃね?」

「そうなの?」

「うん。でも、お前がイケてるってこと発見したのは、ちょっと自慢かな」

「・・・」

 あたりが暗くなってきたのに、彩が頬を染めているのが充にはわかった。

「おかしなもんだよなぁ・・・」

「なにが?」

「俺が、あのときエッチなDVD持ってなかったら、岸本がこんなにイケてるって気づかなかったもん」

「・・・」

「ごめん。俺、うれしくってさ。なにしゃべっていいのか・・・でも、ほんと感謝してるよ。岸本にシナリオ認めてもらって自信ついたもん」

「あのね・・・」

「うん」

「私もおんなじこと考えてた」

「どういうこと?」

「吉川君、私のキャラを自分で作ってないかって言ったでしょ」

「うん」

「私のこと、わかってくれる人がいて、すごくうれしかったの」

 理解者という暗示を与えていたことを充は思い出していた。

「ちょっと試してみてもいい?」

「なにを?」

「前に親父と見た映画にあったんだ。手のひらを重ねてみると合うかどうかわかるんだって」

 そう言いながら、充は手のひらを前に出して上に向ける。

「イヤじゃなかったら、岸本の手を重ねてみて」

「こう?」

 彩は充の言葉に釣られるように手のひらを重ねた。

「すげぇ・・・ほんとだ・・・」

「なにが?」

「波長が合うと、吸い付くように感じるんだって。岸本の手、違和感ないどころか、ひとつになったみたいだもん」

「うん」

 催眠の本に載っていた方法だった。充は普通の状態で親しみを増すよう彩に軽い暗示をかけようとしていた。

「岸本は、そう感じない?」

「わかんないけど・・・」

「けど?」

「なんか安心できる」

「そっか。感覚的なものは別にしても、俺、うれしいんだ」

「どして?」

「だって、岸本、なんの疑いもなく俺の手に触れてくれたから」

「あっ・・・」

「抵抗あった?」

 彩は首を振って答える。

「俺も安心したよ」

「なんで?」

「岸本って、すげぇ優等生だから、俺なんか相手にしてくんないって思ってたから」

 そう言って笑顔を向けると、彩は恥ずかしそうにうつむいてしまった。

「でさ」

「うん」

「ハンバーガー食べちゃおうよ。冷めたら不味いし。その後で、すこし歩かない」

「うん・・・」

 そう言って重なった手を離すと、彩はちょっと残念そうな顔をした。

 彩の表情を見て、充には壁をひとつ越えたと思った。いくら後催眠をかけてあるからといって、素の状態で向こうから手を触れさせることができたからだ。向こうから獲物が罠に飛び込んできたような感じだった。トランス状態にしなくても暗示で影響を与えられるのがわかったのは収穫だと思った。

 ハンバーガーを食べ終わったふたりは、肩を並べて池沿いの小径を歩いた。ちょっとした段差があり、充は先に上ると手を差し伸べた。彩はごく自然にその手を握って段差を上がる。

「ねえ」

 それまで無言だった二人の沈黙を破ったのは充だった。

「なに?」

「このままでいいかな?」

 充は握った手にちょっと力を込める。

「うん」

 具体的なことは言わなくても気持ちが伝わる。また壁を越えた感覚があった。こうして二人は暗くなりかけた斜面の道を登りはじめた。

 しばらくして彩が立ち止まる。

「・・・」

 どうしたのかと思って彩の顔を見ると、先方の暗がりを凝視している。そこには大きな木に寄りかかった女に男が身体を押しつけて、むさぼるように唇を重ねるカップルがいた。

 彩の手が汗ばんでくるのを充は感じていた。

「ガン見しちゃ悪いよ。素通りしよ」

 カップルに聞こえないよう耳元でささやくと、彩は電気が走ったように身体を震わせた。もちろん意識して耳やうなじに息かかかるようにしているのだ。彩の反応を見て、充は心の中でほくそ笑んでいた。

「行こうか」

 充は彩の手を引いて歩き出す。たぶん、この先にある展望広場には、もっとカップルがいるはずだ。元はと言えば、彩にカップルの痴態を見せて、どんな反応をするのか見るのがデートの目的だった。いまは自分の言葉による反応が面白いと感じている充だったが、刺激は多いに越したことはない。もし失敗だったらキーワードを唱えて忘れさせてしまえばいいのだから気が楽だった。

「緊張した?」

 彩はコクンとうなずく。

「上に広場があるから座って休もう」

 デート中は充の言うことを聞くように言ってあるから彩は素直に従う。

 思ったとおり広場はカップルたちの楽園になっていた。

「あそこのベンチが空いてる」

 ちょうど真ん中あたりにあるベンチが空いていた。充は彩の意見も聞かずに座ってしまう。

「みんな大胆だなぁ。そう思わない?」

 また耳元でささやくと、彩は身体を震わせながらうなずいた。

 景色のいい高台にいるカップルなど、まわりの目を気にすることもなく抱き合って、男の方は女の身体をまさぐっている。よく見れば大学生くらいで、充たちと大して年が違わないようだ。

「岸本と一緒に夜景が見れたらいいななんて考えていたんだけど、こんなにカップルがいちゃついてるなんて知らなかったよ。ちょっとマズったかも」

 充は口を彩の耳にさらに接近させて言う。

「俺、お前といたいんだけど・・・こんな雰囲気じゃ、なんだかなぁ・・・」

「ひゃん!」

 わざと唇が耳に触れるか触れないかの距離で言うと、彩はおかしな声をあげて身体を硬くした。

「ごめん。他に聞こえたらマズイと思って・・・くすぐったかった?」

 彩は慌てた様子で首を振る。

 そんな反応が面白くて、充は彩をじっくりと観察する。彩の目は高台のカップルに釘付けだ。二人の位置からは、男の手が女の胸元を彷徨っているのがよく見えた。

 充は握った手に力を込める。

 どれくらい時間が経ったのだろう。高台のカップルは立ち上がって暗がりに消えた。

 彩の呼吸が浅く速い。その様子から、ここでキスしても大丈夫なんじゃないかと充は思った。でも、それじゃあ影響された感が丸出しで、かっこ悪いとも思った。

「行こうか?」

 そう言うと、彩はなにも言わずにうなずく。

 もし体力に余裕があったなら、この場で彩を催眠状態にしてから香苗に電話してキーワードを唱えて出かけさせ、彩の家で行為に及ぶ方法もあった。でも、いまの充には最後までやり遂げる気力というか自信がなかった。そしてトランスに陥っていない彩の相手をするのは楽しかったが、続けるためのネタが尽きてきたのを感じていた。

 充は手を握ったまま反対側の斜面を降りていく。彩のマンションがある方向だ。

「家まで送ってくよ」

 そろそろ潮時だと思った。エアポケットのように、どこからも見えない空間があって、そこで充は彩に声をかけた。

「うん・・・」

 返事をする彩の声に、まだ一緒にいたいと訴えるものを感じて充は反射的に彩を抱きしめていた。

「あっ・・・」

 驚きとも喘ぎともつかない声とともに彩の身体から力が抜けた。

「ごめん。つい・・・」

 彩の背中に手をまわしながら充が言う。

 彩の呼吸が浅い。

「ごめん。まわりに影響されたワケじゃないんだ。お前がかわいいから・・・気がついたら・・・」

 半分は嘘、半分は本当だった。充自身はまわりに影響されたワケではなく、彩の興奮を促すのが目的だったし、なにもせずに帰るつもりはなかった。ちょうど、どこからも見えない場所があったから抱きしめた。抵抗されたらキーワードを唱えるつもりだった。

「怒った?」

 彩は首を振る。

 できればキスまでしたかったが、うつむいてしまって充を見ようとしない。

「あん・・・」

 しかたなく、もう一度抱きしめると、彩は喘ぎのような声をあげて身体を硬くした。

 学校の匂いに混じって果実を思わせる体臭が匂ってくる。

 絵に描いたような恋愛シチュに充は萌えた。

「岸本・・・」

 充が声をかけると彩はさらに身体を硬くした。

 好きだと言ってしまえば事足りるのだろうし、彩もそれを望んでいるのかもしれない。けど、充は自分にその資格があるのか考えていた。

「俺、お前のことばかり考えてて・・・」

 次の句が思いつかない。

「私も・・・だよ・・・」

 すこし間があって、彩が答えた。

「ありがと」

「ああんっ・・・」

 さらに背中の手に力を込めて引き寄せるように抱きしめると、彩は甘い声をあげた。密着した胸からブラジャーの感触とバストの弾力が伝わってくる。そういえば下着の話をしなかったと充は思った。

 そのとき、上の方から人が降りてくる気配がした。充は、どこかに隠れて続きをやりたかったが、適当な場所が見つからない。降りてきたのはカップルらしく、話し声が聞こえてきた。

「行こう・・・」

 しかたなく身体を離してそう言う充だった。

 公園を出るまで二人は無言だった。それでも、つないだ手はそのままだったが、門を出て街の灯りに照らされると他人の目が気になってしまう。ここは彩の地元だ。知っている人に見られてしまう可能性を考えると手を離すしかなかった。

「岸本」

「なに?」

「頼みがあるんだけど」

「うん」

「ほっぺたつねってみてくんない」

「えっ?」

「なんだか夢見てたみたいでさ・・・あれが夢だったら、俺・・・」

「なに?」

「もう一度やりなおしたい」

「ばか・・・」

 充が笑顔で言うと、彩は泣き笑いみたいな顔になって答えた。

「またデートしような」

 充が言うと、彩はコクリとうなずいた。

「家の前まで送るよ」

「うん。ちょっと待ってて」

 彩は携帯を取り出す。

「あ、お母さん。これから帰るから・・・うん、そうだよ・・・」

 いつもの真面目な口調に戻って、彩は母親に電話をかけた。

「うん、ハンバーガー食べた・・・えっ、ダメだよそんなの・・・」

 彩は困った顔になって充を見る。

「うん・・・うん・・・そうだけど・・・わかった。聞いてみるね・・・」

 彩は携帯を顔から離すと充に言った。

「お母さんがクルマで送って行くから、家でお茶飲んでいきなさいって」

「えっ・・・」

「だって、吉川君の家、電車で行くと遠回りでしょ」

「そんな・・・悪いよ・・・」

「そう言ったんだけど、お母さん、言いだしたら聞かないから」

「そか、わかった。岸本を困らせるのイヤだし、お言葉に甘えますって伝えて」

「うん」

 彩はホッとした顔で、また携帯で話しはじめた。



「それで、彩とはチューしたの?」

「えっ・・・」

 彩の家でコーヒーを飲んで、当たり障りのない会話を交わした後、地下の駐車場へ行くためエレベーターに乗った途端に香苗が聞いてきたのだ。

「だってデートだったんでしょ?」

「ですけど・・・お母さんだったらわかるでしょ。岸本の性格」

 香苗の口調は問い詰めるようなものではなく、むしろ友達同士の恋バナみたいな感じだったから、充もそれなりに答える。

「吉川君が本気だったら応援するって言ったでしょ」

「はい」

「女の子と付き合うには押しが必要なの。あの子の性格ならとくに」

「なんだか、そそのかされてるみたいだ」

 充は笑う。

「そそのかしてるのよ」

 香苗も笑って答える。

「あの・・・俺から聞いてもいいですか?」

「どうぞ」

「普通、女子の親だったら、そういうこと言わないと思うんですけど」

「規則や常識に縛られて、つまらない人生を送って欲しくないの」

「えっ・・・なんだか話が大きくなっちゃいましたね」

「あの子、成績はいいけど殻に閉じこもってるようなところがあるから」

「あ・・・」

「なに?」

「それ、俺も言いました」

「気が合うわね」

 そう言って微笑む香苗に大人の色気を感じて、充はドキッとしてしまう。

「うわっ! すげぇクルマ・・・」

 香苗がキーレスのスイッチを押すと、ウインカーと電子音で反応したのは最新型のマセラティだった。

「クルマ好き?」

「いちおう・・・フツーの男子並みには・・・」

「こんなものでしか見栄を張れないバカな旦那が選んだの。乗って」

「右ハンドルなんですね」

「それだけは私のリクエスト。そうじゃないと運転しにくいから」

 レザーシートに座るとパイプオルガンが奏でるような低音でエンジンがかかった。

「で、聞きたいんだけど」

「チューはしてません」

「そうじゃなくて」

 香苗は吹き出しそうになって言う。

「はい」

「ほんとに彩のこと好き?」

「この前も好きだって言いましたけど」

「うん」

「今日、会っていて余計そう思いました」

「合格」

「えっ?」

「自分のことをはっきり言える男の子って好きよ。だから合格」

 香苗はそう言ってマセラティを発進させた。

「お母さんに好きだって言われてもなぁ」

 充がそう言って香苗の方を向くと、地上に行く曲がりくねったスロープを登るハンドル操作で第二ボタンまで外したブラウスの胸元が大きく開いて、胸の谷間と派手な紫色のブラジャーが見えた。

「あら、彩は吉川君のこと好きよ」

 香苗は彩のオナニーを知っている。だから自信を持って言えるんだと充は思った。

「岸本が言ったんですか?」

「ううん。でも母娘だもん。だからよくわかるの」

「そんなもんかなぁ?」

 そう答えながら、充は香苗の胸元から目を離せないでいた。40を超えているとは思えない滑らかな肌は自分の母親と比べものにならないほど女を感じさせる。

「だから自信を持って押しなさい」

 香苗は微笑みながら言う。

「なんか・・・」

「なに?」

「お母さんって、岸本と性格真逆ですね」

「あの子のクソ真面目なところは父親に似たのかも」

「プッ・・・」

「なによ?」

「だって、お母さんの口からクソ真面目なんて言葉が出ると思わなかったから」

「おかしい?」

「ちょっとですけど・・・お母さん、すごくおしとやかな感じだから」

 サテン系のブラウスにストレートのパンツ姿の香苗は、いかにもセレブっぽいし、乗ってるクルマだってマセラティだ。やはり母娘だけあって、かなり美人の香苗が「クソ真面目」なんて言葉を使うのは似合わない。

「プッ・・・」

 こんどは香苗が吹き出した。

「お母さん、運転うまいですね」

 あんまり彩のことで突っ込まれるのは照れ臭いから、充は話題を変えた。

「このクルマ気に入ったなら、いつでもドライブ連れてってあげる。大切な娘の彼氏だもん」

 香苗は冗談めかして答える。

「だから・・・まだ、そこまでは行ってないですって・・・」

 充の意図を察したのか、話題を戻した香苗に、とても敵わないと思う。キーワードを唱えて黙らせてしまおうかとも思ったが、運転中にそんなことをしたら何が起こるかわからない。

 もうひとつ気になったのは彩の父親のことだ。あまりよく思われてないらしいことは言葉の端々から感じる。

 そんなことを考えているうちにクルマは充の家に着いた。

「ありがとうございます。助かりました」

「吉川君」

「はい」

 充が礼を言うと、香苗は急に真顔になった。

「あなたを送ったのは、彩をよろしくって言いたかったからなの」

「はい」

 神妙に返事をせざるを得ない雰囲気だった。

「親の欲目かもしれないけど、まっすぐで、とてもいい子だと思うの。でも、その生真面目すぎところが心配でもあるの。あなたも殻に閉じこもってるって言ったみたいだから、わかるでしょ?」

「はい」

「だから、困ったことがあったら、いつでも連絡して。これ、私の携帯の番号とアドレス」

 香苗は充にメモを渡す。

「わかりました」

 わざわざ彩に隠れて香苗の番号を調べたのに、なんだか拍子抜けしてしまったが、彩と同じように向こうから罠に飛び込んでくるような感じがしたのも事実だ。

「ほんとよ。遠慮しちゃダメだからね。いつでもいいのよ」

 そう言う香苗を見て、母親と言うよりは姉のようだと充は思った。

「わかりました」

「じゃあ、おやすみなさい」

「おやすみなさい」

 挨拶を返して充はドアを開けた。



 部屋に戻った充はあれこれ考え込んでしまった。意外だったのは催眠抜きのデートが楽しかったことだ。エッチ抜きでも彩といるのは楽しかった。思い返してみれば、彩のことで頭の中がいっぱいになってしまい、その代償行為で水樹とエッチしてしまった。その後は転がる石みたいに静香と、そして浅田杏子と、ついには幼い頃からの憧れであった絵理とも結ばれた。それどころか、浅田杏子や絵理には奴隷宣言までさせてしまった。なのに、彩との子供じみたデートが楽しいのだ。

「恋なのかなぁ?」

 思わず独り言が口から漏れる。

 もうひとつ意外だったのは香苗に対する感情だった。フランクな人柄に最初から好意を抱いてはいたが、艶めかしい胸元を見てからは女として意識してしまった。彩が恋の対象なら、その母親である香苗に対して肉欲を覚えるのはおかしい。それなのに、充は香苗のことが気になって仕方ないのだ。いや、すでにキーワードを仕込んであるから、その先のことを考えてしまう。

「欲望の赴くままにか・・・」

 また独り言が漏れる。香苗の肌や喘ぎを想像して、いまごろになって勃起している自分に苦笑せざるをえない。

 ひとりで処理してしまおうと考えたときドアが小さくノックされた。

「入ってもいい?」

 ドアを細めに開ける。ノックの主は静香だった。

「もちろん」

 充は笑顔で静香を招き入れる。

 頭の片隅で「俺って鬼畜かも」なんて思いながら、今夜は静香の身体を楽しもうと気持ちを切り替えた充だった。

 
 


 

 

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