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《前回までのあらすじ》
 女性が巻き込まれる凶悪犯罪専門組織として結成された警察機構『レディースワット』。チーム6はその中でも「売春・人身売買」を中心に活動するチーム。
 いよいよ組織売春のシンジケート『セルコン』主催の人身売買オークション『BLACK X’mas』への奇襲捜査を当夜に控えたレディースワット チーム6。行動開始までは12時間をきっていた。チームの作戦監査役である伊部奈津美は特務局石原からの動員要請を受けて『セルコン』との関連が取りざたされるお台場の世界のネコ鑑賞喫茶『にゃんにゃんハウス』へ2時間の限定付で帯同する。



明智 祐実 :【チーム6 チーフ】メンバーとして配属後、短期間に多くの功績を挙げチーム内では年少ながらチーフに抜擢された。上昇志向が強く、自らの階級をあげるためには手段を選ばず、メンバーを駒としてしか見ない非情な面がある。研究所から手に入れた洗脳薬LDを隠し持ち、メンバーの隷属化を企てている。前チーフの伊部奈津美との確執がありチーム内では孤立。
伊部 奈津美:もとはチーム6のチーフ。過去の事件の失態から降格。メンバーからの信頼は厚く、非常時にも冷静な優れた指導力をもつ。特務局・石原の要請で売春組織「セルコン」に関係する「にゃんにゃんハウス」に赴く。

松永 奈那 :【レディースワット チーム6】過去の事件で殉職した長峰江梨子とともに伊部奈津美と同期。祐実の洗脳薬の罠にかかり(1st−day)祐実の命令を忠実に守る人形だったが、薬物治験『L−2プロジェクト』の被験者になった折に偶然得た特異な免疫から祐実の洗脳を脱した(5th−day)。
不破 美穂 :【レディースワット チーム6】奈那の後輩、チーム内では経験のある中堅。捜査中に訪問した学生寮で陣内瑠璃子の力によって同僚・沢村弘美と共に堕とされ下僕化(2nd−day)している。

石原・加藤 :【特務局捜査員】本庁特務局からチーム6の監視役として派遣されている。立場上制約を受けながらも、明智祐実・伊部奈津美には協力的。『にゃんにゃんハウス』の潜入捜査に伊部奈津美と偽名「石山」「川崎」「阿部」で来店。




**********5th−day Vol. 5**********




【 お台場 DEX 『にゃんにゃんハウス(表店)』 】




「哲郎君、ホントにこれで最後にしてね。お茶だけだからね。そして約束して、もう私との交際は諦めると。私、本当にあなたとそんな気持ちにはなれないの。悪いけど最近はあなたとは喋ったり、会ったりするのも気持ち的に負担になってる。このあと沙織ちゃんの交代でショートの日勤当番もあるんだから20分で帰るわ」

そう言って松崎奈緒は時計を気にした。
「奈緒せんぱ〜い、野暮ったい話は後にしましょうよぉ〜。せっかく『にゃんにゃんハウス』に来て話題の『にゃんにゃんドック』を食べないなんてもったいないよ。もう2つ頼んじゃったし食べてきましょうよぉ」

「いいえ。悪いけど、コーヒー飲んだら帰る」
「つれないこと言わんで下さいよぉ。これで最後のデートなんだからぁ。我輩、これを最後のメモリーにしたいんですぅ」

「最後にしてくれなきゃ・・・・困る!」
 そう言って奈緒は表情を固くした。
「おぉ、怒った顔もとってもイイっす。やっぱり我輩の理想のカノジョっス」
「からかわないで!」
 奈緒の言気に怒りが表れる。
「またまたぁ、いつも我輩の冗談なんか気づいてもくれないくせに。こんな時だけ突っこむんだからぁ。最後に是非記念の2ショットの写真、お願いしたいっすねぇ」

 一向に奈緒の拒絶の意思を汲まない哲郎に、奈緒は情けない気持ちに苛まれる。
「・・・・・・・・どれだけ私を苦しめれば気が済むの?これ以上しつこくするのなら、私、いくらあなたがゼミの後輩でもストーカーとしてあなたのこと警察に相談するよ」

 奈緒の目が潤みかけて悲しげな表情が浮かぶ。

「いや、それはまいったっス。降参っス。でもその悲しげな表情もそそられるッス。あ、いや、自分から誘うの本当にこれで最後っスから。最後だから終わりまでつきあってくださいッス」

「本当に最後なのね、最後にしてくれるのね。つきまとったり、追っかけたり、勝手に写真撮ったり、メールや電話も全部やめてくれる?」
「ホントっス。もう自分からは誘いません。誓いますっス。奈緒先輩が望まないことは今日を最後にもうしません。だから最後の思い出に奈緒先輩が来たがってた『にゃんにゃんハウス』にしたのもその気持ちのあらわれっす。目いっぱい最後の演出は奮発したっス」

 哲郎はグフフと笑った。
 奈緒は、その哲郎の肩を上下させて笑う下卑た笑い方を何より嫌悪していた。
 お台場DEX内にあるアミューズメントのファーストフード店でバイトを続ける2人は同じ大学のゼミの先輩後輩だった。

 テーブルの前のショーウィンドウには奈緒の大好きなアメリカンショートヘアの仔猫がつぶらな瞳で奈緒を見つめる。

 携帯を手に取る。
 ゼミの同期生でバイト仲間の滝川沙織はすぐに電話口に出た。
「もしもし、沙織?奈緒だけど・・・」
「あぁ、いいよ大丈夫。私、そのまま当番継続で入るから気にしないで。ゆっくりでいいよ、哲郎さんと一緒なんでしょ」

「えっ・・・・・・・」
 何も話さないうちに沙織は奈緒の言いたいことをすべて了解して返答してしまった。
「でも・・・優しさもそこまでくると命取りになるよ」
 沙織の言葉は忠告じみているようで、妙に意味深で冷たく感じた。

「ごめん。午後番には戻れるから」
 奈緒はそれでも沙織に気を遣う。
「いいよ。ゆっくりしてきなよ、和泉さんもOKだって言ってくれてるから。なんなら午後休で」
 ショップマネージャーの佐野和泉にまで哲郎のストーキングを心配されているのが奈緒には心苦しかった。

「そ、そんな。沙織、からかわないで。哲郎君には今はっきり言ったから」
「・・・・またあとでね。今オーダー混んでるから」
「う、うん。ごめん」
 奈緒の言葉を待たずに沙織は電話を切ってしまった。
 奈緒は携帯を置いた。
 哲郎はその奈緒の戸惑ったような表情を見てニヤついていた。

 本当は沙織や他の友達と来ていればもっと楽しい気持ちになれたのにと奈緒は思わずにはいられない。
 心癒されるこの人気のにゃんにゃんハウスには絶対行ってみたいと奈緒は思っていた。

 バイト後や休憩時間、いつ来ても長蛇の列で待ち時間1時間以上が常の人気店に憧れてはいたもののその待ち時間に辟易して今まで足を踏み入れられずにいた。

 だから本当はスキでもない、むしろできれば避けていたいこの後輩の日暮里哲郎(にっぽりてつろう)にすぐに入れる優待券があるといわれたときには迷ったものの、短時間ならと承諾したのも、店に入りたい一心からだった。

 奈緒が日暮里を避けはじめたのは、日暮里が常に奈緒のすぐ近くに居続ける存在であることを意識してからだった。

 奈緒の脳裏に沙織との会話がよみがえる。
「ねぇ、哲郎って、いっつも奈緒のこと見てる」
 株式のスーパーデイトレーダーを自認して、月30万以上の収益は軽いと鼻についた自慢をする哲郎。
 ゼミの中でも異質な存在の彼がかろうじてゼミ仲間として認められているのは、その卓越した知識と技術においてだけ一目置かれていたためだった。


 『生きる自己顕示欲の塊』・『金の亡者』、いくつのも彼についた異名はすべていいものではない。
 
 ただそれを彼は「光栄だ」と怒りもせずに甘受する。
 その風変わりな感覚から同級生は勿論、上級生からも一歩も二歩も引かれていた。
 ゼミの飲み会では疎まれながらも強引に参加して、常に中心であろうとし更に疎んじられる。
 金払いだけは嫌味なほどよく、気がつけば先に全員の分の精算を済ませて誰の金も受け取らない。
「儲けてますから、我輩。グフフフフ、こんくらいの金、おちゃのこさいさいで明日にでも稼げますな、我輩なら」
 嫌われる原因を自分自身で作っていることを気づかない。
(かわいそうなコ・・・・・・)

 奈緒はいつか飲み会で哲郎に真顔で注意した。
「哲郎君はもう少し人との接し方を考えた方がいいよ」
 教授や他の先輩が諫言したときは手のつけられないほど切れまくって、まるで拡声器のようにがなりつけ相手を徹底的にやり込めるまでやめなかった哲郎が奈緒の言葉には素直に耳を傾け、「気をつけます」と逡巡した。

 哲郎が奈緒を意識し始めたのはそれからではないだろうかと奈緒は思った。
 でもその行動は日に日に度が過ぎているのではと思うほどエスカレートしていく。

『ねぇ、哲郎っていっつも奈緒のこと見てる』、ゼミの夏セミナーの時に言われた沙織の一言に奈緒ははっとした。

 言われてみればと思わずにはいられない。
 ゼミの時間中や帰りの駅、街中の本屋で、彼の存在を見つけたときに偶然にしてはと訝しく思ったのも事実だった。

「なんか変なことされてない?言われてない?」
「ないけど・・・・でも・・・・」

 実はそれだけではない。ことあるごとに誘いの言葉をかけられた。
 
「やっぱり。それってストーカーじゃないの?」
「えっ」
「奈緒のこと気に入ってて追い回してるんだよ」
「そんな。わたし、別に彼のことなんとも思ってないし・・・」
「あなたの気持ち、考えるようなヤツだと思う?」
「・・・・・」

「キモイよね。でしょ?」
「う、うん・・・・最初は友人関係を築くのが苦手なコなのかなと思って・・・。でも最近はちょっと・・」
「みんなそう思ってるよ。奈緒はどんな人でも、みんなに優しいから、他のゼミ仲間も心配してるんだ」
「で、でも、別に何かされてるわけでもないし・・・」
「いい。奈緒。されてからじゃ遅いのよ。常に近くにいてアイツ、イヤらしい眼でいつも奈緒のこと見てるんだよ」
「そ、そんな、まさか」
「みんな知ってるよ。奈緒の視界の死角から奈緒の胸やブラウスの合わせ目の隙間や胸の谷間、スカートのお尻のラインにだって目を皿のようにして見てるんだから!」

「えっ・・・・」
「よく携帯で奈緒のこと撮ってんだよ。きわどいトコだってあったんだから。あなた酔うと結構無防備になるしぃー」

 奈緒は言葉にならない声を出して顔を紅くした。
「アイツが学校に出てくるのゼミの時だけなんだってよ。それもあなたに会うため」
「うそ」
「あとは気が向いたときにあなたの履修授業にピンポイントで。これ結構有名な話、あとは一日中、家で株やってるんだって」

「・・・・・・・・・」


 それから間もなく、彼は奈緒のアルバイト先に新採用のバイトとして現れた。
「奇遇ですなぁ、奈緒先輩、ありゃ沙織先輩も」
「哲郎!奈緒に気があってわざわざここまで追いかけてんじゃない?」
 沙織は嫌悪感を隠さない。
「沙織先輩。誤解ですよ、我輩はただ社会勉強をかねてバイトに入っただけです。金になんか、もう全然困ってませんから」
「それって私達に対する嫌味?だったら、他に行けばいいでしょ!なんで奈緒のいるDEX店にくるのよ!学校の近くなら渋谷店でいいじゃない。それより同じ会社を選んだのだって腑に落ちないわ!」

「たまたま外資系外食産業に興味があったんで選んだんです。配属は各マネージャーが欠員状況見て決めてるんでしょ?我輩の意思ではないのです、まったくもって巡りあわせですな」

「な、なにが『・・ですな』よ。あ〜キモイ」
「イヤですな、その言い方。沙織先輩はもう少し人との接し方を考えた方がよろしいですな」
「それ、私があなたに言ったセリフよ。からかってるの?」
 さすがに奈緒も不快感を隠せない。

「いやいや、そんな滅相もござらん。よろしくお願い申す、先輩方」
「うざい!だまれ、このヲタ野郎!」
 沙織は嫌悪感を顕わに哲郎を睨みつける。
「沙織先輩はもう少し思いやりというものをもったがいいすね。恋をしたらいいんじゃないっすか?狂いそうになるくらいの熱い恋を」

「お前がいうな!」
「我輩がカレシになってあげてもいいけれど。我輩はどちらかというと奈緒先輩の方がタイプなんっス、グフフフ、言っちゃった。コレって告白ぅ?」

「やっぱり、お前・・・奈緒のこと・を・・・」
 奈緒を見つめる哲郎の視線を遮るように沙織は奈緒の前に立ちはだかって哲郎を睨みつけた。
「沙織先輩、あんまり我輩に敵意をもたれても困ります。愛されるのは歓迎ですけどね」
「こ、コイツっ!」
 沙織の怒りは収まらない。

「あら?3人は知り合いなのかしら?」
 3人の会話に割って入ったのはショップマネージャーの佐野和泉だった。
「えぇ。まったくの偶然なんですが、大学のゼミの先輩2人なんですよ」
 哲郎は含み笑いを浮かべて奈緒たちを見ている。
「あら!じゃあ、沙織ちゃんと奈緒ちゃんで彼に仕事教えてあげてね。なら日暮里君には第3クルーに入ってもらおうかな。その方が知り合い同士で時間中の休み時間のシフトも気兼ねなく調整できてよさそうだよね」

 慌てたのは元から第3クルーの奈緒と沙織だった。
 シフトを組んでいるクルーは沙織と奈緒、それに田町という別大学のバイトだった。
「ま、待ってください。和泉さん、できれば彼とではなく別のコまわしてください」
「わがまま言うんじゃないの。もとはといえば辞めちゃった田町クンの後釜に補充したんだからそこに填まるのがスジってもんだわ。エリマネ(エリアマネージャー)の久美子さんにお願いしたのもヤル気のある男の子をって希望したあなた達の希望を汲んだからなのよ。じゃあお願いね、2人とも」

 和泉は哲郎が2人の知り合いだとわかると詳細な説明さえせずに哲郎を託して売り場へさっさと戻ってしまった。

「グフフフッフ〜。よろしくお願いしますです、諸先輩方。我輩も嬉しいっス。手取り足取り教えてほしいっス、特に奈緒先輩には。優しくしてね、グフ。グフグフ」

 気味の悪さに沙織は露骨に嫌な表情を浮かべ、奈緒も複雑な思いを隠しきれなかった。

 ゼミに入ってきた後輩、最初はただそれだけの存在だった。
 それが今では避け難い嫌悪すべき存在に変わっていた。
 高校時代にも、中学のときも、言い寄ってくるクラスメートや上下級生、果ては見知らぬ大学生や雑誌モデルのスカウトと称する人間にまで街中や電車内で声をかけられることはあった。

 中には強引なくらいにしつこい男もいたが、どれも断れば、避ければ、拒否すれば、それほど時間もかからず後腐れなく済んでいた。

 そのどれもがこの哲郎には通用しなかった。
 どんな嫌味な言葉も彼は賛辞としか受け取られない。
 沙織ほど言葉はきつくないが明確な拒絶と傷つくのではと半ば心痛むような言葉さえ口にしたこともあった。

 だが、彼は奈緒から離れていくどころか執拗につきまとい、とうとう交際を口にするようになっていた。
 『ストーカー』、奈緒の脳裏に哲郎を意識するイメージはそのままの形で固定化した。


「グフ、グフ、グフグフグフ。うれしいな、奈緒先輩と2ショットでデートだなんて。『嬉しいかい、奈緒?君の来たがってた『にゃんにゃんハウス』だよ』なーんて言ってみたいっす、恋人みたいにって、あっ、もう言ってるか。グフ、グフ、グププププ」

「・・・・・・・・・・・・・・・」
 奈緒の背中に冷たいものが走る。
 今までにもったことのない生理的な嫌悪感の何ものでもない。
 (今日で終わりにできるなら・・・)あと少しの我慢だと奈緒は必死に自分に言い聞かせた。

その時、にわかに周囲がざわめきだった。
「あっ、あの人だ!」
「あっ、キャーッ、見るの初めて!ラッキーっ!」
 周囲の雰囲気が喧騒から一瞬にして沸き立つような高揚感に包まれる。
 その変化に奈緒もまた周囲を見渡し、哲郎はグフフと肩をゆすって笑いをこらえていた。

 周囲から携帯で写真を撮るもの、握手を求めるもの、その存在に、あたりは異様なまでに沸き立った。
 店の奥から現れたのは、あきらかに右半身全体に障害があるように見受けられる歩き方の老女だった。
 奈緒と哲郎のテーブルに近づく一人の老婆はパール調の真っ白なシルクのワンピースを着ていた。

「『シヲマネキ』様よ」
 隣のテーブルのOLが同僚に向かっていったのが奈緒の耳の入った。
 ガイドブックで読んだことがある。
 この店のオーナー室を利用して不定期にやってくる有名な占い師の老婆だ。

 もともと「にゃんにゃんハウス」の前身は銀座の小さな喫茶とパブの店、その軒先を借りてやっていた彼女の占いには定評があり客足が絶えなかった。
 マスコミもそれを大きく取り上げて、彼女の人気と知名度は全国区にまでなるほどだった。
 
 その頃の彼女は『アガサ塩牧』と名乗っていたが、後に今の『死を招き』を名乗り始めたのにはワケがあった。
 
 バブル全盛の頃、地上げにかかった店は閉店間際の深夜、ダンプに突っ込まれたのだ。
 
 奇跡に一命を取り留めたアガサ塩牧は半身をダンプと建物の残骸に挟まれ潰された。
 彼女の右手は機能が大きく損なわれ、指は肥大したように大きく形を変えた。
 顔面にも大きな傷を負ったとの噂も囁かれた。

 それよりも占い師が自分に起こりうる災難を予期して回避できなかったと、今までもてはやしていたマスコミが一斉に突っ込み、彼女は占い業から抹殺されかけた。
 
 銀座のその場所は店も客もアガサも一月足らずで一瞬にして消え去った。
 人々の記憶はあっという間に店も彼女も過去へと押しやってしまった。

 それがお台場が新たな東京のアミューズメントの地位を確立し、複合施設のテナントとしての「にゃんにゃんハウス」の復活とあわせ、昔馴染みの店のオーナーが苦労してアガサを探し出し呼び寄せた。

 半身障害を負い、マスコミに抹殺された彼女が失意のどん底から這い上がるきっかけをオーナは用意したかったからだという。
 
 彼女が再開した占いは、こと恋愛に関してはすさまじい力量を発揮して再び人々からの信頼を得るに至る。
 ただし、マスコミとのつながりはことTVに関しては一切遮断して、気の向いたときだけ店の奥から現れてくるカリスマ的な存在になったのだった。

 彼女はその頃から自嘲的に「死を招き」を名乗り、以前の「アガサ塩牧」の名を捨てていた。
 彼女の外見の不気味さと受難から「シヲマネキ」をある者は「死を招き」を連想し、ある者は右腕肥大から「シオマネキ(エビ目スナガニ科)の蟹」を連想した。

 以前の名前『・・・塩牧』から、もじったとも考える者もいる。

 本当のところ、どちらを意図しているのかは、彼女は言及していない。

 生きることへの執念と、そのひたむきさに、彼女の変わり果てた姿を人々は気味悪がったり、中傷することなく受け入れていった。
 
 人柄がよかったからだと誰もが褒め讃えた。

 その彼女が奈緒と哲郎の前にきてぴたりと足を止めた。
 いでたちはまるで美輪○○を連想させる風体だが、はじめて見る傷隠しの半面マスクと手袋で隠したものの明らかに常態である左手より肥大した右手の大きさに奈緒は異様さを感じずにはいられなかった。

「なにやら先ほどから奥で聞いていればあまり楽しそうな会話ではありませんので気になって出てきてしまいました」

 老女はそう言って、露出した半面の顔にできる限りの笑顔をもって軽く会釈をした。

「若者」
「わ、若者って我輩のことっスか?」
 哲郎はびっくりして自分を指差した。
「私の前にほかに若者がおりますか?聞けばお嬢様は大変困っておられる様子、あまりむげにしつこくすべきではありませんよ」

 老女の言葉はとても落ち着いていて優しさが感じられた。
 奈緒は不安に昂ぶった気持ちが落ち着いていくのを感じた。

「もう少し、落ち着いてお話なさい。あなたはお嬢さんの気持ちも考えずに自分を押し付けすぎじゃあありませんか」

「わ、わ、わ、我輩に意見するってか!店員の分際で。我輩は客だぞ、失礼なヤツだ。しかも人の話を盗み聞きして出てくるなんて地獄耳の上にお節介もはなはだしい!」

 哲郎に怒りの表情が現れた。

「哲郎君、やめて。この人は私たちのことが心配で声をかけてくださっているのよ」
 落ち着きを取り戻した奈緒が哲郎を諭す。
「なんで?金払ってきてる客なんだよぉ、我輩たちは。盗み聞きしてお節介やく店員の方がよっぽど失礼だい!」


「やれやれ、あなたの礼儀知らずにはほとほと困ったわね」
 老女は「信じられん・・・」といった様子でため息をついて首をうな垂れて左右に振った。
「す、すみません。彼はあまり人付き合いが得意ではないんです。どうか許してあげてください」

「お嬢さん、あなたって人は本当に人間ができてるわ。あなたのような人がどうしてこんな若者に・・・」

「すみません。バイトの同僚なんです。大学のゼミの後輩なんです。失礼があったことは本当に誤ります」

 奈緒は立ち上がって老女に頭を下げた。

「あなたは私に気を遣い、周囲の人たちにも騒ぎを大きくせぬように謝罪して気を遣い、交際をしつこく強いてくる彼を庇いだてまでしている。美しい、実に心根の美しいお嬢さんだこと」

 周囲は老女が次にどういう態度に出るか興味津々と見守っている。
「ついておいでなさい。お嬢さん、そして無礼なそこな若者よ。私がとりなしてあげるよ、この『死を招き』がね、老婆心ね、ホホホ」

 高笑いして老女は2人を諭すようにポンポンと2度肩を左手で叩き、きびすを返して店の奥へとよたよたと歩き出した。

「み、みなさん。お騒がせして申し訳ありません」
 奈緒は周囲にくまなく詫びるように頭をさげ、バックをもつと哲郎を気に留めることもなく逃げるように老女の後を追うように歩き出した。
「な、なんだ、なんだ。せっかく頼んだ『にゃんにゃんドック』はどうなっちゃうんだぁ?グフフフフ、たかが店員が店の奥に客呼び出して説教かぁ?何さまだい!」
 
 ふてくされた態度も顕わに哲郎も、奈緒に追いすがるようにしぶしぶ後を追った。
 3人の姿が店の奥にある伝説の『オーナー室』の扉へと消えていく。
 他の客達がそれをじっと見守っている。

「あっ、あのコたちオーナー室に呼ばれたんだ、いいなぁ」
「どうして?なんなの?オーナー室って」

「『死を招き』さまのお部屋。いろんな相談にのってくれる、みんな悩みが円満に解決されてるっていうわ」

「どうなっちゃうの?」
「もちろん、彼女があんなヤツと縁を切りたいんでしょ。『死を招き』様はきっと彼女をあの変な男から解放してあげるために現れたに決まってるじゃない」

 野次馬な客達がテーブルで今の『死を招き』の登場と選ばれた2人がどう諭されてくるかを話題にしていた。





【 お台場 DEX 『にゃんにゃんハウス(表店)オーナー室』 】



 2人が入ったオーナー室にはさらに3つの大きな門があった。
「な、なんか見たようなシチュエーション・・・・」
 哲郎はヘラヘラと笑っている。
「ま、まさか・・ココはビルの中のはずなのにまるで天井がないみたい・・・。こんな大きな門があるなんて」
 奈緒は入った部屋の不思議さに戸惑っている。

「若者、あなたに選択の余地はない。そこの門から出ておゆきなさい」
 オーナーは不自由な右手で門を指差した。
 老女の有無を言わさぬ態度に奈緒は心が晴れる気持ちだった。
「このお嬢さんの気持ちを真摯に受け止めて、今後は自分からしつこく迫らないこと。それならば後々もお嬢さんだって、あなたに優しい言葉の一つもかけ、機会があれば遊びにも誘ってもくれましょう」


「グフフフ、我輩はアマノジャクっす。反対のこっちから行かせてもらうっス。奈緒先輩、まだ『にゃんにゃんドック」喰ってないっすから。2ショットも撮るんで話が終わったら席に戻ってきてくださいねグフフフフ」

 奈緒はその言葉にビクッと体を震わせ身構えてしまった。
 哲郎は指示された門ではない反対の門に消えていった。
 哲郎にしてはごねもせず素直に出て行ったのはやはり老女の存在が大きかったのだろうと奈緒は思った。

「あ、ありがとうございます。助かりました」
「お嬢さん、あなたの不安をこの『死を招き』が取り除いて差し上げましょう。どうか悪い思い出としてこのお店を記憶することなく、再びこのお店に戻ってきておくれ」

 老女はそう言って丁重に頭を下げた。

「そ、そんな。お店にはなんの落ち度もありません。悪いのは彼なんです。私にしつこくして、周囲を気にせず大声で話したりする彼なんです。私、本当に困ってしまって・・・・」

「あなたのその不安な気持ちを取り除いて差し上げます。明日からは何の心配もいらなくなるようにお手伝いして差し上げますよ。さぁ、そこの門を開けて御覧なさい」

 奈緒が門を開けるとそこは店内の広さからは想像できない真っ白な壁で日が射すように明るい何もない部屋だった。

「こ、こんな広くて明るい部屋があるなんて・・・それも天井が見えない、まるで太陽の光が直接あたっているみたい」
「ほぉ、あなたにはそう見えるのね」
「えっ」
「この部屋はあなたの心を映す鏡の世界なんだよ」
「そ、そんな、こんなことって・・・・」
 奈緒は驚きを隠せない。
「それからあなたにはこのコを抱かせてあげよう」
 そういうと老女の空の両手から一瞬にして奈緒の一番大好きなアメリカンショートヘアの仔猫が現れた。

「あぁ、かわいい・・・、とっても可愛いわ!」
 奈緒は老人から猫を受け取ると頬ずりをした。
「一番大好きな仔猫ちゃんよね」
「は、はい。私、いつか自分で飼いたいと思ってるのはこの猫なんです。しかもこのコわたしの好みにぴったりの顔立ちと毛色なんですもの。びっくり」

「抱いていてごらんなさい。可愛がっておくれ」
「はい。よちよーち、かわいい、かわいいでしゅねぇ」
 奈緒の顔が嬉しさに緩んだ。
 すでに不思議な体験をしていることも忘れ去ってしまっている。
 哲郎が視界から消えたことで不安な気持ちが一気に緩んだようだった。

 仔猫は甘えるように奈緒の頬や唇や胸に体や舌を摺り寄せて可愛い声で文字通り猫なで声を上げている。

 それがたまらなく愛らしくて、奈緒もその仔猫をかまう。
「とても素直ないいコね。その仔猫の喜びようからでもお嬢さんの心根の素晴らしさがわかるというものだわ」

「はい、ありがとうございます」
(なんて優しいヒト・・・)
 奈緒の心中には老女に対する全幅の信頼感が急速に生まれていた。


「さあ、いらっしゃいお嬢さん。すべての悩みからあなたを解放するために私は来たのだから」

 老女は優しく奈緒を背を押した。
「は、はい」

 いつの間にか老女の焼け爛れを隠していた半面の仮面はすべての顔を隠すように全面の仮面になっている。

 そのことに奈緒は不思議に思うことも不審がることもなかった。

 真っ白な空間に忽然と次のドアが現れる。
「何も怖がることはない。私も一緒だから、勿論、このコもね」
「はいっ」
 奈緒は元気を取り戻して明るく返事をする。
 仮面で表情の窺い知れない老女を前に奈緒は猫をあやしながら満面の笑みをたたえている。

「わたしの言うことを信じてくれるわね」
「はい」
「うれしい。素直なコは大好きよ」
 そう言って老女は奈緒の頭をまるで仔猫をあやすように撫でた。
 その左手からにじみ出てくる慈愛の温かさを奈緒は感じてとてもリラックスしていた。

「わたし・・・とても気分が軽くなったみたい」
「私がすでにお嬢さんの心を解き放し始めているからだよ」
 老女の左手はゆっくりと奈緒の頭を、頬を、顎の下を、耳を優しく撫で上げている。

「その仔猫のようにあなたは純真で素直なのよ」
「はい」
「猫は可愛い生き物。主人に従順で媚びる愛らしく皆からも愛されている」
「はい」
「その仔猫のようにあなたも従順で、時には主人に対して甘えん坊な愛らしい子になって欲しいわ」
「はい・・・わたしもこのコのように従順で愛らしく甘えん坊な愛らしい子になりたいです」
 
「さぁ、扉を開けて。そしてあなたの不安を消し去りましょう」
 奈緒は老女に諭されてドアノブを引いた。

 そこにはフカフカの大柄な1人座のソファが置かれていた。
 他にはなにも目に入らなかった。
 先ほどの部屋と同じように奈緒にとっては椅子以外すべてが真っ白に消し飛んでいた。

「そこへお座り、お嬢さん」
「はい」
 奈緒は言われるがまま素直に座った。

「私がいいというまではそこから立ち上がってはいけないよ。そこから立ち上がるときはすべての不安から解放されて清々しい新たな気持ちで元の世界に戻るときなのだから」

「はい」
 老女の言葉はとてもファンタジックな内容だなと奈緒は好意をもって受け入れる。
 できることならもう哲郎への心配がなくなったらいいと思わずにはいられない気持ちが奈緒を老女の言葉に対して従順にさせていた。


「体の力を抜いてごらんなさい。体がソファにゆっくりと沈み込んでとても気持ちよい」
「気持ちいい・・・・」
 奈緒はうっとりとした表情でうつろな目を虚空に投げている。
 下腹部に置かれたアメリカンショートヘアは、奈緒にすっかりなついて腿の上に寝そべって奈緒のヘソあたりに頬づりしていた。

 その仕草がとても快く思えて奈緒は仔猫をさらに優しくあやす。


「今からお嬢さんをその仔猫のように従順な愛らしいコに生まれ変わらせてあげる」
「はい」
 奈緒はまるで夢見心地のような気の抜けた返事をした。
(な・・・ん・・だろ・・・う。なん・・か・・・わた・・し・・ふわ・・ふわ・・して・・る・・)

「人間のまま心は仔猫になるんだ。私の仔猫にね」
「・・は・・い・・・」
「想像してごらん。仔猫に生まれ変われる自分を。何の心配しなくていい、お気楽な飼い猫におなり。にゃん?にゃん、にゃん?」
 老女がおどけて猫語のような語尾をつける。
「う、ウフっ。に、にゃん、にゃ〜ん」
 奈緒もつられて微笑みながら猫のまねをしておどけて見せた。
 老女に喉元を指で転がされたとたんに奈緒は猫なで声を上げてソファの横に立つ老女の腰の辺りに頬擦りをしてしまった。
 同性であったのと、老女に対する信頼感から奈緒はまるで子どもが親に甘えるような素直な行動を起こす。


 劇的な変化の瞬間だった。

「可愛いコだね。名前は?」
「ナオといいますぅ〜にゃん」
「フフフフ、猫好きは自分の心の中に鮮明な猫のイメージがあるから。ナオはもうすっかり私の可愛い飼い猫のナオね」

「にゃん、にゃふ〜ん。はい、です。にゃ〜ん」

「さてさて、それではナオの心を掴まえたところで、一度『奈緒』に戻ってきてもらいましょう」

 そう言って老女は体を摺り寄せて甘えてくるナオの目の前に左手の人差し指を差し出す。
 その指に興味を示してナオはクンクンと鼻を近づける。
 奈緒の仕草はまさに猫の仕草だ。

「自分を取り戻しても、体はソファから外れない」
 そこで老女は差し出した指を解いて大きさの異なる両手を猫騙しのように奈緒の目の前でパンっと叩いた。

 いきなり目の前で手を思い切り叩かれて奈緒はビクッと体を大きく震わせた。

「き、キャーっ!イヤーっ、な、なんなのぉ一体!」
 
 奈緒の悲鳴がマイクを通して周囲に響き渡りハウリングを起こしかけている。
 奈緒の視界に広がったのは暗がりに見え隠れする男達の好色な視線だった。
 そして自分はといえば、煌々と照らし出されたステージの中央に大振りのソファにどっかりと腰を落ち着けている。

「いけないよ、大声を出してはお客様に失礼だろう?」
 老女は変わらぬ声で奈緒の脇で話しかけた。
「い、一体、どういうことなんです!ここ、どこなんですか!」
「ホラホラ、大きな声を出さない。今、説明してあげるから。あなたに託した可愛いドラ猫もびっくりしているじゃないのさ」

「えっ・・・・・」
 奈緒は先ほど老人から託された奈緒の好みにぴったりのアメリカンショートヘアの猫に視線を移す。

「な、なおーん、ご主人様ぁ〜、グフフフフッフ、アメリカンショートヘアーのテツローでえ〜し、グフフフフ」

 奈緒が大事に撫でさすっていた仔猫はいつの間にか哲郎になって奈緒の下腹部に頬擦りをしていた。

「い、いやーーーーーーーーっ!なんなのぉーーーーっ!どいて、私から離れてっ!私のそんなところに擦り寄らないで!」

 奈緒は恐怖にも似た絶叫を上げる。

「『死を招き』さん、さっそく『テイクアウト』の準備をお願いしたいっす」
 そう言いながら哲郎は奈緒のスカートを腰の辺りまでたくし上げていく。
 スポットライトに映えるアクアブルーの奈緒のパンティーが現れた。
「い、な、なにすんの!いや、いや、いやっ!なんで、いやーっ、なんで体がソファーから離れないのーっ!」
「グフフフ、動くでしょ、動くけど、ソファから離れないだけなのさ。だから我輩はこんなこともできチャうっす!グフフフフフっ〜!」

 そう言って哲郎は奈緒のパンティの上から頬擦りしたあと、ペロンっと舐めあげると親指を食い込ませるようになぞりあげる。 

「イヤーっ!やめてぇーっ!誰か、誰か助けてください!この人をやめさせて!私を助けてぇーっ!おねがいぃぃぃぃぃーっ!」

 奈緒の涙声の絶叫が周囲に響き渡る。
 自由にならない体はソファに張り付いたまま。奈緒は必死に体をねじって哲郎の卑猥な愛撫から逃れようとしていた。

「イヒヒ、この揉み甲斐のあるメロンのような形のいいボインちゃんも我輩のものに・・・グフフフフ、早く直にさわりた〜いいん」

 哲郎はそういいながら感触を楽しむように奈緒の右胸を手のひらいっぱいかぶすようにして揉みしだいた。

「ひっ!私の体に勝手に汚い手で触んないでーっ」
 怒りのエネルギーが奈緒の右手をソファから引き剥がして思い切り哲郎の左頬を殴りつけた。
「い、い、い、いった〜い!な、な、な、な、なにすんだよぅ〜。『死を招き』さんどうなってんのよ、コレーっ」

 殴られた勢いで尻餅をついて赤くなった頬を押さえながら哲郎が訴える。
「オーホホホっ!元気のいいお嬢さんねぇ。私の暗示を小破るなんてね。気に入ったわ、非常に強い精神力をお持ちね。私も一段と堕とし甲斐がある」

 ソファから離れた奈緒の右手を掴むとソファのアームレストにそっと置いた。
「もう、離れないわよ」
 それだけで奈緒の右腕は二度とソファから離れなかった。
「た、助けて、助けてくださいーっ。お願い、私をココから帰して!私が何をしたというのぉーっ!」

 奈緒の悲嘆にくれた声が響き渡る。

「お嬢さんはもちろん何も悪くはないよ。ただ、このガマ親分みたいな小僧に気に入られてしまったその美貌と性格が災いしたということか」

「が、ガマ?わ、我輩がガマってか、『死を招き』どの」
「だまらっしゃい!気に喰わんクライアントにはいずれ拒否権を発動いたしますよ?」
「だ、黙ります、従います。『死を招き』さんは我輩の大切なパートナーですからな」
「ククク、わかればよろしい。まあ、このケガで傾いてしまった私に多く仕事をくれるのもあなたぐらいなモノだがね。このお嬢さんもあなたのご希望に沿わせましょうかね、クヒヒヒ」

 老女の含み笑いに悪意が満ち満ちていた。
 奈緒は老女の変貌を目の当たりにして新たな恐怖に苛まれる。

「い、イヤーっ、助けてっ、助けてください。お願い、だれか、お願いだから私を助けてくださいっ!ココから帰して」
「グフフフフ、奈緒先ぱぁ〜い。大丈夫で〜す、帰れますってば。帰れないなんて言ってないっす。あと20分もしたらみんなに、沙織先輩達のトコへ帰れますってば。グフフフ」

「い、いや、来ないで。触んないで!」




【 お台場 DEX 『にゃんにゃんハウス(裏店)』 客席 】



 目の前に繰り広げられる展開に奈津美の我慢は限界だった。激しく感情的に揺さぶられていた。
 奈緒の悲鳴に肩を震わせて、奈津美は腰をあげかけたところを石原に勢いよく肩を押し着けられた。
「動くな。じっとしてろよ阿部!」
 今までのひょうきんな言葉遣いから一転して石原も加藤も目が真剣だった。
(な、なんなの。この力の強さ・・・私が微動だにできないなんて)
 奈津美は石原に押さえ込まれて動けなかった、窮地に追い込まれている奈緒を目の前にして。

 奈緒が『死を招き』にタブらかされて連れて来られたのは、オーナー室をドア1枚隔てた『にゃんにゃんハウス』裏店のメインステージ上だった。

 彼女が目にした天井しらずの真っ白な部屋も大きな門もすべては「死を招き」が彼女に見せた幻影だった。
 彼女は忌み嫌う哲郎を大好きなネコと思い込み抱きついて可愛がり、言われるがまま観衆のド真ん中にあるステージのソファに自らすすんで座ったのだ。
 すべては老女のなせるワザだったのだ。


 奈緒の入場前、おもむろに入った店内放送。
 『テイクアウトの準備が整いました。皆様、仔猫との遊びをひとときお休み頂き、今日も新たな仔猫の誕生をお楽しみください。テイクアウトのお客様は211号様、そしてブリーダーはご存知『潮招き』です』


 周囲は一気に暗くなりステージが以前にも増して煌々と照らされた。
 そこに舞台下から大きな革ソファが浮上したかと思うと、醜悪な男を大事に抱きしめて入ってきた奈緒の姿だった。


 アナウンスの言葉が奈津美の脳裏をよぎった。


「な、なんともないのか、あなた達は」
 押し殺した低い声で奈津美が石原に喰ってかかる。
 奥歯を噛みしめて、奈津美は歯間から血が出そうなほど怒りに耐えている。

 今ならあの恐怖に震える何の罪もない彼女をすんでのところで自分は救うことができる。
 少なくとも自分にそれが出来うるだけの力と使命感があると思うと奈津美はいてもたってもいられなかったのだ。

「堪えるしかないんです。今は・・・・」
 奈津美に訴えかけるように囁く加藤の表情も暗い。
「約束を忘れたわけじゃないだろ、阿部ちゃん。俺達は今まさに「とらのあな」にいるんだぜ」
「くっ・・・・・」
 奈津美は唇を噛みしめた。
「彼女を救ってすべての手がかりと熊ちゃん(熊田巡査)達の行く末を放棄するのなら引きとめはしないよ。でもそんな馬鹿じゃないだろ」




 石原が何を言いたいのかは十分に察しがつく。
 せっかく手がかりをたどってココまで来た捜査の糸口、おそらくは今あるのも多くの犠牲の上に導かれたものに違いない。
 所轄の3人のことも奈津美の脳裏からは離れない。
 彼女たちもまた今の奈緒のように憎むべき『セルコン』の罠に嵌められたに違いないのだ。

 石原たちの所属する特務局も、レディースワットの各チームに関わるようになってから奈津美の知る数年だけでも4人が殉職や重傷を負っている。
 
 その内容は捜査の秘匿性からスワット内でも十分には明らかにされていない。
 それら局の努力を奈津美がぶち壊していい筈はなかったし、行動に移すことで3人がこの場においても、組織内においても無事に済むはずはないのだ。

 ある意味、石原と加藤はそのリスクを承知上で奈津美を捜査協力という形で情報提供をしていることを思い出した。

「こ、こういう・・・こういうことに慣れていないので取り乱しました。すみませんね、先輩方」
(くっ、堪えるしか・・・ないっていうの・・か・・・)
 語気の荒さを隠すような丁寧な言葉遣いが逆に奈津美の凄みを増した。

「社会勉強だよ、阿部ちゃん。いつも行ってるアキバの「とらのあな」とは違う場所なんだから」
「そ、そうですか」
「受けないね、この冗談は」
 石原が苦し紛れのまったく下手なジョークに舌を鳴らす。
「すみません。石山先輩、オレにも笑えないっす。どこが冗談なんすか?」
 加藤が突っ込んだ。
「うるせぇやい」

「いやーっ!」
 舞台からの悲鳴に3人ははっとして視線を投げる。
 周囲から『おおっ』っと歓声が上がる。
 
 そのどよめきの視線の先にあったもの、それは老女が右手の手袋を外したからだった。
「ンフフ、お嬢さんも私が醜いと思うのね・・・・」
 奈緒の反応に老女の変質的な憎悪が生まれている。

「い、いや・・・来ないで。来ちゃイヤ!」
 激しく首を左右に振る奈緒、しかし体は決してソファから離れることはなく、磁石に吸い付けられたように革張りの上で体を右往左往するしかなかった。

 老女の手袋をとった右手は押しつぶされて肥大化していただけでなく、焼けタダレ黒ずみ、表面がまるで魚類か恐竜のように複雑な起伏をしていた。

「グフフフフ、奈緒センパぁーイ。もうじき我輩への先輩の気持ちが劇的に変わりますよぉ」
 老女の背後からニョキっと顔を出して哲郎が含み笑いを浮かべる。
「な、なにをする気っ!変わらない!変わるモンですかっ!むしろ最悪になった!アンタなんか見たくもない!大っキライ!」
 奈緒は嫌悪感を顕わにした。
「いいっ!すっごくいいっす!もっと言って、もっと言って!その方がこの後の変わりきった奈緒先輩とのギャップが楽しくて嬉しくて仕方ないっすから〜!グフフフフフぅぅぅ」

「ひとでなしっ!あんたなんかムシケラ以下だわ!」
 奈緒の顔は恐怖と戦いながらも哲郎に対して毅然と怒りの表情を顕わにしていた。

「お嬢さん。それでは私がお嬢さんの心の悩みをこの神の右指で吹き消してあげるわ」
 まるで人外の、魔物のような手が奈緒の前にかざされる。
「い、いや、イヤーっ。来ないでぇーっ!」




【 レディースワット拠点 PD(パドック) チーム6フロア 廊下 】



 奈那の足取りは重かった。
 美穂は躊躇うことなく皆がいるであろうスタッフルームに向かっている、他の隊員たちを洗脳薬の餌食とするために。
 今、まだ祐実の支配を受けていない同僚を自分が薬を使って堕とさなくてはならないのかと思うと迷いは尽きない。
(どうしよう、奈津美さん・・・奈津美さん・・・)

「なにタラタラ歩いてるのよ!」
 美穂の声にはっとなって顔を上げる。
 およそ感情の起伏を失ってしまったであろう美穂の表情は冷酷にしか見えなかった。

(えへっへへ、奈那さ〜ん。麻布で美味しいパスタのお店見つけたんですよぉ、今日にでも一緒に行きませんかぁ?勿論、奈那先輩殿のオ・ゴ・リでっ!)

(こら!美穂!調子のいいヤツめぇーっ)
(だってぇ〜、先週遊びすぎちゃって給料日までキッツイんですモン!)
(いいよ、だったら弘美も連れておいで。3人で行こうよ)
(やったぁーっ!奈那さん、話わっかるぅ〜っ!)
 つい先日、この廊下で美穂と交わした会話を思い出して、今、目の前で自分を怒鳴りつける後輩のギャップに心が惑わずにはいられない奈那だった。


「まさか、あなた躊躇ってるわけ?」
 小馬鹿にしたような美穂の口調は明らかに奈那を見下したものの言い方だった。
「そんなことあるわけないでしょ。私は祐実様の命令を速やかに遂行することだけを考えているわ」
(美穂、あなたが、あなたがまだ祐実の支配下になければどれだけ心強かったか・・・・)

 奈那の感情は祐実の殺害を決断したときとは比べ物にならないくらいにぶれていた。
「だったら悩むことないじゃない。薬はちゃんと持ってきてるわね」
 あっさりと美穂は言い切った。
 不遜な態度は以前の美穂からは到底考えられない。
「え、えぇ、ココに」
 奈那が手に持って見せたとたんに美穂はそれをひったくろうとして慌てて奈那が半身を逸らす。
「な、なにをするの!」

「私が薬を預かろうって言ってるの」
「祐実様は私がやるように命令されたはず。あなたはサポートでしょ、あなたに薬を渡す理由はない」

「フフフッフ、立派ね。『祐実に忠義だてをする奈那』の図かぁ」
「えっ」
「いい加減、やめたら?ストレスが溜まるだけよ。まぁ、それだけ迫真の演技ができたのもあなたを「素」の状態にわざわざ戻したからなんだろうけれど・・・・」

 可愛い後輩・美穂の態度があまりにも自分に対して横柄であることが奈那には信じられない。

 奈那を無視して美穂は携帯を手にする。
 美穂の規律を無視した態度に奈那はさらにうろたえる。

「み、美穂、作戦24時間前は外部との接触は電話でさえ禁じられているのを忘れたの!」

 思わず奈那は素の自分のまま美穂に向かって頭ごなしに怒鳴りつけた。
 美穂はそれすら無視した。
「美穂です。はい、えぇ、祐実から薬を渡されました。今夜の作戦前にチーム全員を支配下におくよう薬漬けにしろと・・・」

「み、美穂。一体誰と話しているの・・」
「はい、はい。わかりました、ご指示に従います。はい、奈那も私の横に・・。はい、自分で判断ができずに戸惑っているようです」

 奈那に向けられた美穂の視線は冷ややかなままだったが、電話の相手は奈那も知っていることが察せられた。
(だ、誰なんだろう・・・電話の相手。しかも、美穂は祐実のことを呼び捨てにして、その非情な指示までも電話の相手に伝えている。もしかしたら美穂は祐実の支配下にないのかも・・・・)

「はい、わかりました。代わります」
 美穂はそういうとうって変わって微笑んで「電話よ」と自分の携帯を奈那に差し出した。
「私に・・・?美穂、あなた一体・・・」
「出ればわかる。きっと今悩んでいることも解決できるわ。あなたもきっと話したいと思っていた筈、あなたにとっとも大事なヒトよ」
(な、奈津美さん!奈津美さんだ、よかった、美穂はまだ祐実の支配を受けていなかった、私と同じように奈津美さんとつながってたんだ!)

 張り詰めた緊張感が少しだけ安堵に変わった気がした。
「あ、ありがとう!美穂」
 携帯電話を受け取るとすぐに奈那は耳にあてた。
「奈津美さん!奈那です。よかった、どうしていいか悩んでしまって・・・・」
「大丈夫。私の指示通りに動いていればノープロブレムだよ!奈那」
 電話の向こうから聞こえた声は奈津美の声とは似ても似つかぬ軽い幼い声だった。
「だ、誰?あなた、奈津美さんじゃない!」
「やだなぁ?忘れちゃったのかしら、あなたの大事なヒトの声を」
「誰!誰なのっ」
 奈那の声が焦りと怒りで荒くなる。
「奈那、あなたは過去のL−2プロジェクトとか言う実験の影響で馬鹿祐実の呪縛から逃れられたと思ってるでショ」

「えっ・・・・(相手はL−2を知ってる・・・・・)」
「ところがぎっちょん。奈那は私のちょっとした気まぐれから今は自分を取り戻しているだけだよ」
「一体、どういうこと?」
 奈那は携帯の相手に戸惑いを隠せない。
「あの馬鹿に刃物のようなそんな薬持たせてたら厄介でしょ。それにしてもびっくりするぐらいうまく行き過ぎーってカンジ?」

「だれ!あなたは一体誰なの。どこまでのことを知ってるの」
 奈那は必死に声の主に思い当たらないか考えをめぐらせていた。
「戻っておいで、な〜なちゃん。美穂姉さんもあなたが悩んでいる姿を見て心配しているわ」
「美穂姉さん?」
 美穂のことを誰が姉呼ばわりをしているのか不思議に思う奈那が耳にしたのはあの女の名前だった。
「私の下に戻っておいで奈那。私の名前は陣内瑠璃子、あなたは私の可愛い妹。『あなたにとって私はなあに〜?』ウフフフ・・」

「あっ、あ、あ、あああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
 携帯電話を耳にあてたまま奈那は悲鳴にも似た声をあげる。
 そして奈那の視線は虚空を泳いだ。
「フフフフフ。おかえり、奈那。私が誰だかわっかるぅ〜?」
 携帯電話からの瑠璃子の声は元の奈那自身の耳には入らなかった。


 携帯電話を耳にあてしばらく凍ったように動かない奈那がやがて携帯を耳から離すとゆっくりと美穂に向いてうすら笑った。
 奈那は美穂の携帯をたたむとゆっくりとした仕草で美穂に返す。
「さあ、奈那。行くよ」
「は・・い。美穂お姉さま」
 奈那は子どものような無邪気な笑顔を美穂に向ける。
「フフフ、ようやく自分が誰なのか思い出したみたいね」
「はい。私は瑠璃子お姉様や美穂お姉さまのお言いつけを忠実に守る妹でなければなりませんでした。それを、そんな大事なことも忘れ、美穂お姉さまのことを呼び捨てにまでするなんて奈那は悪い子でした・・うぅ・・」

 そういって奈那はウソのように従順な態度で肩を震わせて泣いている。
「わかればいいのよ。あなたは瑠璃子お姉さまの意図で一時的に保護を外され、奈津美や祐実に接触するように仕向けられたの。勿論、私が陰で見守っていたけれど」

 美穂の態度は以前の奈那と美穂との関係とはまったくの逆で奈那に対して尊大だった。
「ごめんなさい、美穂お姉さま、奈那は・・奈那は本当に悪い子です」
「いいの。あなたは十分に瑠璃子お姉さまの意図したとおり、『元の奈那』のまま動いていたわ。祐実から薬も手に入れた。きっとお姉さまもあなたのことを褒めてくれるわよ。奈津美との接触で彼女にも罠がはれる下地をあなたが作ってくれたし、きっとお姉さまはお喜びよ」

「瑠璃子お姉さまが・・」
 奈那の表情がまるで子どものように一瞬にして明るくなる。
「今夜、私達はきっとお姉さまに会えるわ。そのときまでお姉さまのお言いつけをしっかり守ろうね」
「は、はい」
「いこっ!奈那。これから弘美とも合流する」
「はい!美穂姉さま」
 奈那はつい数分前までの自分をすっかり失っていた。
「さぁ、薬を渡してくれるわね」
「はい!喜んで!」
 奈那は屈託のない無邪気な笑顔で何の疑念もなく美穂にタブレットを渡した。

 2人は仲間の待つスタッフルームへと歩き出した。

 
 


 

 

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