ファンタジーシティー


 

 

マイ・ディア・シスター (scene10-14)


−10−


 まだ、マヤがこの街にきてから一月も経つ前のこと。
 セアラとアレクは、ともに魔術師ギルドで『精霊魔術応用』の単位を受講していた。
 講師は帝室魔術師を引退したばかりの大魔術師で、自分で講義を行うより、生徒に喋らせ議論させるということを好んでいた。
 不思議なことに、アレクはこの授業がことのほか気に入ったらしく、授業をさぼることもなく、それどころか積極的に発言し、その時も、精霊魔術論の基本となりつつあるホーエンハイムの四大精霊説にケチをつけていた。
 すなわち、サラマンダーって本当に精霊なんですか。
 いわく、古代帝国期の博物書において、サラマンダーは精霊ではなく、蜥蜴型の魔獣として扱われている。
 いわく、ノームやシルフと異なり、サラマンダーと会話や契約をしたという話を聞いたことがない。
「加えて――、精霊は信仰や想念によって成立するという説があります。ノームはドワーフの、シルフはエルフの、ウンディーネはマーメイドやセイレーンの信仰の対象です。この考えに従うなら、炎を主属性とする半人類(デミ・ヒューマン)が存在しない以上、ノームやシルフに対応するような意味での、炎の精霊は存在しえません」
 アレクの論旨は明白だったが、セアラはなにか受け入れがたいものを感じていた。
「それでは、四属性の対照性はどうなる?」
 一人の見習い魔術師が、その居心地の悪さの原因をアレクに告げた。
「炎を主属性とするデミ・ヒューマンがいない時点で、バランスなんて崩れてるんです。
 別に四属性に精霊を無理に対応させなくたっていいじゃないですか。
 火のフェニックス、水のリヴァイアサン、地のベフィモス、風は? いないでしょう。“精霊”サラマンダーってのは、そういう属性の対応関係を過度に求める姿勢が生んだ幻なのではないかと私は考えています」
「ホーエンハイムの『ニンフ論』が誤りだと?」
「あれ、ホーエンハイムの著書なんですか?」
 即座に切り替えされて、その青年は黙り込んだ。どうやら、原典は読んでいないらしい。
「よろしいでしょうか」
 セアラはすっと手を上げた。
「どうぞ、ヴェルネさん。それともシスター・セアラと呼んだ方がよかったかな」
 教授の言葉を待たず、アレクが偉そうに口を開く。
 セアラが彼のそういう性格に馴れるのは、もう少し先の話だ。
「フィクス君は、信仰や想念によって成立する“実体”として捉えているわけですね。
 ですが、精霊には実体としての側面と、世界の諸属性の結晶としての側面の、二重性があります。
 炎の精霊が存在しないとするならば、後者の側面はどうなるのでしょうか」
「火属性は結晶化しない、じゃダメですか」
「現に炎の精霊魔術は存在しています。炎属性の精霊的なものは存在するはずです。
 そして、魂を持たない精霊に“真の名”はありませんから、それに魔獣サラマンダーとは別個に、サラマンダーの名を与えることには何の問題もありません。シルフにしても、ホーエンハイム以前、一般的な呼び名はエリアルでした」
「古典的な『名前が先か、実体が先か』問題かぁ」
 アレクが難しい顔をしてノートをペラペラとめくっている間に、教室の扉が激しく叩かれた。

――ドンドンドンッ、ドンドンドンッ、バタンッ

 桟から外れた扉が、部屋の中に倒れてくる。
 倒れた扉の上には、黒髪の巫女が乗っていた。
 非常識な闖入者に、生徒たちの冷ややかな視線が集まる。
 聖職者のほとんどと魔術師の多くは、異教徒に対して敵対的だ。
「助けてくださいっ」
 救いを求める言葉に、応える声はない。
 きょろきょろあたりを見渡す巫女と、セアラは不意に目が合った。
 だが、どうしたの? という言葉がどうしてもかけられない。
 そんなに周囲の目が気になるか。
 聖職者の使命はなに? 司教の意向に従うこと? 困っている者に手を差し伸べること?
 巫女の澄んだ黒い瞳から逃げるように、セアラは視線を落とした。
「あー、マヤちゃん、いい事を教えてあげよう、そのドアは引き戸だ」
 陽気というより、能天気と言った方がいいような声と口調だった。
 椅子を蹴倒し、周囲の非難の目など気にかけていない様子で、アレクが教室の真ん中を歩いていく。
「アレクさんっ!」
 巫女――マヤは弾かれたように駆け寄り、そのままの勢いで飛びつく。
 愛らしい美少女に強くしがみつかれ、アレクはだらしなく相好を崩す。
 けれど、その顔つきは、マヤの話を聞くにつれて、次第に真剣なものになっていった。
「えっと、えっと、あのあの――」
 文法とアクセントが滅茶苦茶になった西方標準語を、アレクは一語一語確かめていく。
「港で、モンスター? 蜥蜴みたい? 目隠しされてて、毒を撒いてた。倒したけど、病人がたくさん……」
 アレクは包帯――もとい、大量の呪符で覆われたマヤの手を握る。
「っつ………。わたしのことはいいんですっ。自分でなんとかしますっ。それよりも――」
 マヤの言葉には耳を貸さずに、アレクは札の一枚を剥いだ。
 室内に腐肉のような異臭が広がる。
「腐食性の毒か。間違いない、バジリスクだな」
 アレクは苛立たしげに、机の脚を蹴飛ばした。目に余る振る舞いだが、気持ちはわかる。
 バジリスクは体長1〜2フィートほどの、蜥蜴型のモンスターだ。瞳の石化能力ばかりが強調されるが、主に犠牲者を出しているのは強力な毒の瘴気だ。
「あれの毒にはヘンルーダが効くはずだ。すり潰して油に混ぜて塗り薬にするといいだろ う」
「ヘン……ルーダ?」
「別名ルー。蜜柑みたいな匂いがする香草で、花は菜の花に似てる。小さい葉っぱが茎の 左右に――」
「え? え?」
 マヤは途方にくれたような顔をしていた。
 薬草の話は、口で言って分かるようなものではない。
 扱っている店も分かりにくく、店員の応対も不親切なことが多い。つまり、彼女が一人で望みの品を買える可能性は極めて低い。

――くいっ、くいっ

 呪符に包まれた手で、何度も服の裾を引かれて、アレクは重く息をついた。
「しょうがないよなあ。マヤちゃんが悪いんじゃないもんなあ」
 その台詞がマヤにどう聞こえるか、わからないわけではないだろうが、それでも彼の口からは愚痴が漏れる。この街に来てからの半年を棒に振るかもしれない決断を、嫌な顔ひとつ見せずにできるほど、彼は出来た人間ではない。
「先生っ、気分が悪いんで早退しますっ」
 自棄っぱちのように大声を聞いて、ぱあっと、マヤが表情を輝かせた。
「あいつには魔術師より医者の方がお似合いだ」
 どこからか湧き上がったそんな冷やかしに、アレクは陽気にさえ取れるような口調で応える。
「その二つって、そんなに違いがあるもんなんですかねえ」
 それだけ言い残し、彼はマヤを伴って教室を去っていく。
 そういえば、ホーエンハイムも、ノートルダムも、本業は魔術師ではなく医者だったはずだ。
「あれは賢者にでもなるつもりか」
 教授が感情の読めない口調で呟いた。
「なれると思いますか?」
 思わず、セアラは問い返していた。
「確率は千に三つあるかないかだな」
 失笑が起こったが、それでは言葉の意味の半分を取り落としているだろう。
 魔術師を志す者を1000人集めたとして、その中から賢者が3人も生まれるだろうか。
 多くの者は、途中で諦めたり、冒険者や技術者になったり、専門分野に引きこもるのであって、あらゆる分野へ飽くなき探求を続ける者は少ない。
 彼ならば、続けられるのではないだろうか。賢者になれる可能性が、たとえ千に三つだったとしても。



−11−


 夢に区切りがついたところで、目が覚めた。
 次回――3日後の講義で、アレクの仮説はセアラたちによって徹底的に論破されることになった。
 しかし、満足感などは欠片もなかった。たとえ動機がなんであれ、他人のために不眠不休で働き消耗しきった人間相手に、勝利を誇れるほど卑しくはなれない。
 夢に見るぐらいだから、胸の奥ではいまだにやましさを感じているのだろう。
 あれから、自警団員の職務云々という名分をつけて、何度もマヤのことを助けてきたし、あの子もその時のことは忘れてしまったようだけれど。
 ………やめにしましょう。
 非生産的な回顧を打ち切り、セアラは上体を起こした。
 ベッドサイドの木枠の窓を空け、朝の涼やかな空気を取り込む。
 日の出直前の紺色の空から、室内に仄かな光が差し込んでくる。
 姿見の前で、白綿のローブの前を開く。
 内側には、ほの赤く輝くペンダント。
 もともと、寝るときは下着はつけない趣味だし、指輪や十字架も外したけれど、なぜかこれだけは外す気になれなかったのだ。
 きらきら輝く赤い光が、セアラを魅了する。
 これはマヤとフィクス君がくれたもの――
 大切な後輩と…信頼する親友がくれたものだ。外すなんてとんでもない。

 そういえば、ここ数日、あの二人の雰囲気は明らかに変わった。
 アレクがマヤに示してきた好意を考えれば、当然の結果と言えるかもしれないけれど。
 最後の一線のところで遠慮の混じる、どこか芝居じみたところのあった会話が、今では完全に恋人同士のそれになっている。マヤの立ち振る舞いも、女の子女の子した中に、なにか“女性”を感じさせるものになっていた。

――そうです、アレクさんはわたしと付き合ってくれてるんです

 甘えん坊のマヤは、アレクにぴったりと身をすり寄せて。

――アレクさんが、本気でそうするべきだ思って決めたことなら、わたしはそれに従います

 絶対の信頼と献身を捧げて。

――ちゅっ、ちゅく…ちゅ…ちゅる……
――おちんちんの先端は、男の人の身体中で、いちばん敏感なところなんですよ

 口付けをして、あるいは彼のペニスに愛しげにしゃぶりつき。

 その光景が、まるで見てきたもののように脳裏に浮かび上がる。
 唇や舌の立てるいやらしい水音が耳に聞こえてくる。
 飲み込む粘っこい唾液が喉をすべる。
 無意識のうちに、セアラの舌がゆっくりと唇を撫でる。
 鏡の中の魔石が、強く輝きを増した。

「はあ……、フィクス君………ん…ふ………」
 いつのまにか、妄想の中でアレクのものに奉仕しているのは、自分になっていた。
 口元に運んだ指に舌を沿わせる。
「………ん…ぺろ……ぺろ…………ふぁ…あ………」
 一本だった指は、二本になり、すぐに三本になる。
「ん…ん…んん……ちゅぷっ……もっと……んんっ…ちゅっ…ちゅっ……」
 三角形に束ねられた白く細い指は、すぐに唾液にまみれてべとべとになる。
 けれど、セアラの目には、それがもはや自分の指とはわかっていなかった。
 力強く聳え立つ男の凶器。むっとするような湿り気を持った男の臭い。塩辛く、微かに苦い、男の味。
「…ん…ん……ふあ…あ……フィクス君の……大きい……」
 目を細めて、淫蕩に頬を緩ませながら、セアラが自分の指を口に含む。
 第一関節どころか、第二関節、さらにもっと先まで。
 口いっぱいに頬張った指に、舌を絡み付けていく。
「ふぁむ…、う…む…むう……。ふぇろれろ…れろ…ふあ……」
 発情期の小動物のような鳴き声が喉から漏れる。
 指を突き入れたり、引き抜いたり、頭を前後に揺さぶったりして、唇でも自分の指に――愛する人のペニスに快楽を伝える。
「ん……ちゅっ……ちゅうっ……ちゅく…ちゅっ…ふああ……」

――ばさっ

 ローブが肩から滑り落ちる音と感触で、セアラは我に返った。
「……わたくし、なんてことを」
 はっとなって胸に手を押し当てると、乳首から甘い快感が広がる。
(どうなってしまっているの? わたくしの身体……)
 指先でこすって確かめると、まるで妊娠でもしたかのように、乳房が固く張っていた。
「もしかして……」
 不安と、ほんのひとかけらの期待を感じながら、下腹部に指を滑らせると、そこはぬめり気のある液体でべっとりと濡れている。
 陰核に触れると、ぞくぞくするような性感が身体中を突き抜けた。
「ひゃうっ」
 背をのけぞらせ、腰をくねらせ、へたりこんでしまうセアラ。
「わたくし……発情してしまっている?」
 姿見に映るのは、ぺたんと座り込んだ自分の姿。下半身を辛うじて白いローブで隠しているほかは、身につけているのは赤いペンダントだけ。頬は上気し、長い金髪がしどけなく乱れている。髪に隠れるように、首筋に赤黒い内出血の跡。
「なにかしら?」
 打ったりした覚えはないのだけれど。
 指先で触れると、彼の声が聞こえたような気がした。

「おまえは俺のものになるんだ」

――きゅんっ。
 身体が内側から熱くなり、心臓が強く拍動した。
 性器が、疼く。
「だめ…いけないわ……」
 衝動を抑えるためだと内心で言い訳しながら、自分の下腹部を掌でぎゅっと押さえる。
 圧力がじぃんと子宮のあたりに響く。気持ちよくて、下半身がとろけていくようだった。
「もう…一度……もう一度だけ………んん……」
 これで最後にしようと思いながらもセアラは何度も繰り返してしまう。
 割れ目を直接いじるわけでもない、自慰のうちにも入らないような行為だが、セアラは性感に浸り、また背徳と罪悪感におののいていた。
「朝の…お祈りを……!」
 鏡台の上に置いてあった聖書を床に広げて無造作に開く。
 本当なら、今日はどこを読むのかは決まっていたはずだが、いまのセアラにはそんなことは思い出せない。
 アレクのことを想って、性器を弄りたい。
 その衝動と戦いながら、セアラは聖書の内容を口にする。
 けれど、その目は文字はほとんど映っていない。鏡に反射した赤いペンダントの光がぼんやりと広がっているばかりだ。
 内容も頭には入っていない。何回も何十回も読んで、身体が覚えている通りに、口から言葉を垂れ流し、ページをめくっているだけ。

『愛する者たち、互いに愛し合いましょう。
 愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです』

 その一節だけが、なぜか意識の中に残った。
 聖書の記述の詠唱が止まり、視線が何度も聖書の上を行き来する。
 確かに、聖書にはそういう記述が書いてあった。
 もちろん、聖書における「愛し合う」という言葉が、直接的な性交渉を指すわけではないことはわかっている。
 それどころか、教会の“正統な”解釈では、この記述での愛は特定個人に対する情愛ではないという風に規定されていることも。
 自慰も禁止、口淫も禁止、後背位も騎乗位も禁止で、それどころか愛撫も禁止。
 一切の快感を生むことなく、ただ膣奥に精子を注ぎ込むのが教会の理想のセックスだ。
 そんなつまらない性観念を、セアラはこれまで不思議に思うことすらなかった。
 性も愛も知らないままに、そういう観念を広める側にいたのだ。
 二十歳そこそこにも関わらず、自警団の小隊長として、白魔術師として、颯爽と社会を生き抜くセアラに、性欲などに捉われず理性を持って生きるべきだなどと言われたら、世の女性たちにどんな反論ができるだろうか。
 でも、自分が実際、性の渇望に駆られて、思ったのはもっと素朴で身も蓋もない考えだった。

――仕方ないじゃない、愛しているのだから。

 若くして武名を馳せた王子や、胸震えるほど感動的な詩を送ってくれた詩人に、心を奪われかけたこともある。
 けれど、それはシスターの使命や禁忌を投げ出させるような想いではなかった。
 なのに、アレクサンドル・フィクス、生意気な弟のような、ちょっと頭の回転が速いだけの見習い魔術師に。
 わたくしは、恋をするわけにはいかないのに。
 フィクス君は、マヤと愛し合っているというのに。
 どうして、こんなにいとしいのでしょう。
 目をつぶると、涙が一粒頬を零れた。

――ゴンゴン

 無粋なノックが、セアラの苦悩を押し流した。
 音の重さで、明らかにレジェナだとわかる。
「後にしてください。朝拝の最中です」
 声の裏返りかけたその台詞にも関わらず、作りのいい扉は音もなく開いた。
「お祈りの最中には見えないぜ。ほとんど裸じゃないか」
「レジェ…ナ……?」
 セアラの友人、レジェナ・バルカは、まるで別人のようになまめかしい空気をまとっていた。
 感覚だけの問題ではない。レジェナの着ているシャツは、胸をどうにか覆うぐらいのところでばっさりと裁ち切られ、へそが丸出しになっている。下着もつけていないので、乳首の形がシャツに映っている。
「オナニーをしていたんだろう?」
「なっ……」
 なんてことを。
 自警団の女子小隊では、セアラが聞けば失神ものの猥談が為されているのは知っている。けれど、そういう風潮からこれまでセアラを守ってくれていたのはレジェナではないか。
「正直に答えろよ。フィクス様と抱き合ったり犯されたりすることを想像してたんだろ? なあ」
「フィクス様?」
 何を言っているのか、意味するところを考えようとするより早く、レジェナが耳元で指を鳴らした。

――パチン

 その音がセアラの脳裏に響き渡り、一瞬頭の中が真っ白になってしまう。
「なにもおかしなことはない」
 レジェナの言葉がセアラの思考を侵していく。
(はあ……、なにもおかしなことはないわ……
 レジェナが、フィクス君のことを、フィクス様と呼ぶのは、当然のこと。彼は立派な人ですもの……)

「どうした?」
「なんでもありません」
「ふふふ、なんでもないってことはないだろう。なあ、フィクス様のことを想ってオナニーするのは気持ちいいだろう?」
 そう言って、レジェナはいやらしく笑った。
 男のようと揶揄されている普段の姿が嘘のように、その笑みは肉感的で扇情的だった。
「……そ…そんなこと……ありませんっ」
「シスターが嘘をついちゃあいけないな。それとも、本当に、フィクス様じゃないのか?
 なら、自警団のレナード・ハーウッドか? 魔術師ギルドのヴィクトル・シャトルか?」
「違います」
 セアラは即座に否定した。
 挙げられたのは、どちらも街の女たちの憧れの的となっている男の名だ。容姿・家柄・能力のいずれにも優れ、街の噂に取りざたされたこともあるが、彼等とそういう関係になるなど想像もできない。
「反応が違うな。ココがこんなに濡れるのはフィクス様の時だけか」
 レジェナはセアラの下腹部を撫で上げた。
「やっ……やめなさいっ」
「隠しようがないだろ。こんなに濡らして、いい匂いをさせてちゃあ」
 あふれ出した愛液をくちゅくちゅとかき混ぜながら、レジェナが顔を近づけてくる。
「いやっ…、どうして? レジェナ。……こんな…みだらな………」
「女はいやらしい生き物なんだ。特に愛する人のことを想うとな……」
「だって…わたくしは………」
「正直になれよ。ここにはオレとおまえしかいないんだから」
 脇の下に腕を差し入れられ、身体がふわりと宙に浮く。
 数秒後には、セアラはベッドに腰掛けさせられていた。
 背中に、レジェナの大きな胸の弾力。後ろから胸元に腕が回され、両胸がゆっくりと捏ね上げられる。
「んんっ、はあっ、いやあっ……」
 セアラは身をよじって拒絶を示す。いまだセアラの中では、快感自体は恐怖や禁忌と結びついていた。
「オレの手じゃ不服か、仕方ないな」
 レジェナはいったん手を止め、セアラの耳元に口を寄せ、ねっとりと絡みつくような口調で語りかけた。
「いいか、目を閉じて想像するんだ。おまえは今、裸でフィクス様に抱かれている。胸に触れているのはフィクス様の手だ」
 言葉をかけられただけで、セアラのまぶたがあっさりと閉じた。
 催眠状態にあるわけではないが、思考力と精神力が極端に落ちているのだ。
「ほら、フィクス様が胸を揉み解してくれる。胸の中の恐怖がだんだん溶けていく。教会の教えも気にならなくなる。気持ちいいだろう? 幸せだろう?」
「はあぁ……、あ……ふ……あ……はい……」
 レジェナは反応を確かめながら、胸を巧みに攻め立てていく。
 外周から乳首に向けて渦を巻くように指を這わせたり、胸を突き出させるように根元からしごいたり、左右の乳首を時間差をつけて刺激したり。レジェナの技巧を尽した愛撫に、セアラは陶然と身を任せる。
 右手が秘所にのばされても、押し寄せる快感に身体をくねらせるばかりだ。それどころか、閉じていた脚が、レジェナの手を受け入れるように少しずつ開く。
「ん……あ…あ……あ………、はふ……ん……ああっ……」
 すでに全身の筋肉は脱力しきって、ただレジェナの愛撫に反応するだけになっている。
「あ……はあ……ん…ふ………あ……あ……あ……痛ッ」
 乳首を指先で強くひねられ、セアラは目を見開いた。
 痛みのせいでリセットされた意識が何かがおかしいと思うが、それが形にならないままに、セアラは今まで発したこともないような甘ったるい声で叫んでいた。
「違うわっ、フィクス君はもっと優しくしてくれるのっ」
「くくくくくっ」
 セアラは知らぬことだが、からかうような調子の笑い声は、レジェナの“神”のものによく似ていた。
「まだセアラには早すぎたみたいだな」
 レジェナがまた優しく身体を撫でさすりはじめると、かすかな違和感はすぐに快楽に押し流されてしまう。
 さっきまで同じように目を閉じ、セアラは愛する人に愛撫を願う。
「うん……そう………、いい……いいわ……、もっとして……フィクス君……」
「そうだ。フィクス様の名前を呼べ。そのたびにフィクス様の顔が思い浮かぶ。頭の中がフィクス様のことでいっぱいになる」
「んんっ……はあっ…ああっ……フィクス君ッ、フィクス君ッ!!」
 セアラは髪を振り乱して何度も叫んだ。
 アレクの名を発するそのたびに、脳裏にその姿が浮かぶ。
 全身から押し寄せる快感が高まり、胸の中に甘やかな幸福感が充溢する。
「フィクス君……きもちいいの……もっと…触って……」
 レジェナの右手は股間に向けられているから、セアラの胸は左胸ばかりが攻められる状態になっていた。
 はっきりと意識もしないまま、垂れ下がっていたセアラの手が右胸に向かう。
「……ん…んんっ!!」
 自分で胸に触れるのと、“アレクの手”に触れられるのでは、感触も、得られる満足感も、どことなく違っているような気がした。
 けれど、どちらも、気持ちいい。
 左胸にされる愛撫を手本にしながら、セアラはたどたどしい手つきで自分の右胸を揉みしだきはじめる。
「ん…ふ…ふあ……あ……あんっ……んんっ……
 ああ……自分で…するのも……きもちいいのぉ……」
 自分の身体は自分がいちばんよく知っている。もともと物覚えもいい方だ。
 自慰になれてきたセアラの左手が、レジェナの左手に被さる。
 すると、レジェナはすぐに左手も胸からはずして、セアラの脇や、ふとももの内側に滑らせ始めた。
 都合四本の手が、セアラの身体を昂ぶらせていく。
「ん…ん…フィクス君……わたくし……わたくしぃ……」
 セアラが高みに近づくに従い、レジェナの指の動きが再び激しくなる。
 膣穴に指を挿し込み、入り口のところを何度も出し入れする。肉芽に大しても容赦なく、ぐりぐりと指の腹で押し潰してくる。
「ああっ、すごいっ、すごいのっ、達して…しまいますっ……」
 自慰もろくにしたことがなく、絶頂の経験など表層の記憶には存在しない。
 しかし実際には、セアラは昨日、アレクの指でイかされていた。身体がその感覚を覚えて、そして求めている。
「んんっ! はっ、ふああっ、ああんっ、あっ、なんかっ、来るっ、来ますわっ、いいっ、ふぁっ、あっ、ああああああああっ」
 激しく突っ張るセアラの肢体を、屈強なレジェナの身体が押さえつけた。
 ベッドに座り、腰を支えられたまま、大きく仰け反った白い肉体が、褐色のレジェナにもたれかかる。
 顔にも、首にも、肩にも、胸にも、汗が浮かんで玉になり、昇ってきた太陽の朝の光に輝いている。
「よかっただろ? オナニー」
「ふぁい…、きもちよかったわ……。また…してしまいそう……」
 霞んだ目を天井に向けながら、惚けたような意識のまま応える。
「フィクス様とセックスするのはきっともっと気持ちよくて幸せだぞ」
「はあっ………」
 セアラはアレクとのセックスを思い描いて、夢見心地で身もだえした。
 けれど、その幻想は急に破れて、冷たいなにかが心の中に吹き込んでくる。
「でも、わたくしはフィクス君とお付き合いするわけにはいきませんもの……」
「くくくっ。そんなこと、すぐに気にならなくなるさ」
 レジェナの腕がセアラの身体を抱いた。
「さあ。フィクス様に会う準備をしよう。『夢見るシスター』」
 催眠状態に落ちるキーワードを言われて、セアラの意識は凍りついた。



−12−


 この日の午前、アレクの後を逐一追い掛けているような人間がいたら、彼の持つ強い二面性に気づいたことだろう。

 夜警と門番が交代し、パン屋が店先に焼き立てのパンを並べる頃、アレクは一人の男の子を背中に背負っていた。
 年の頃なら10歳ぐらい、幾度も接ぎを当てた古着を着た孤児だ。
 発熱のせいでぼうっと霞んだ目をして、弱々しくアレクにしがみついている。鼻水がコートの襟についていることに、アレクは気がついていないわけではない。
「代わりましょうか?」
 鼻水のせいでもないだろうが、隣を歩くマヤがそんなことを言ってくる。
「ダメダメ、こいつも一応男だから、俺のマヤちゃんを貸してやるわけにはいかないなあ」
「じゃあ、次、風邪をひいたのが女の子だったら、私がおんぶして運びますからね」
「まさか。女の子にしがみつかれるような美味しい機会を逃がすわけがないだろ」
「むう。だったら、反陰陽か雌雄同体の――」
 むきになって言いつのるマヤの額を、ぴしゃりと手の甲ではたく。
「あうっ……」
「いいね、その声、もう一度聞いてみたいな」
 アレクの言葉に、マヤがささっと飛びずさった。
「冗談だよ」
 言ってアレクは立ち止まる。
 そこは、夜明けに店を閉めたばかりの娼館の前だ。
 人影の映る二階の窓を見上げて、アレクは言葉を続ける。
「女の子をいじめる奴だなんて、誤解されたくないしね」
「誤解なんですか? アレクさん絶対いじめっ子だと思いますけど――」
「それはマヤちゃんのことが好きだからさ」
 マヤはぽっと頬を朱く染めて呟く。
「そうやって、人が困るようなことを簡単に言えるのがいじめっ子の証拠です」
「ははは。なんもしないから、早くドアを開けてよ」
 子供を背負ったアレクの代わりに、マヤはその娼館の扉を開けた。

 真っ白なシーツの敷かれたベッドに、アレクは少年の身体を横たえる。
 そこから先はマヤの仕事だ。汗で湿った服を脱がせ、お湯に浸したタオルで身体を拭いて、よく乾いたパジャマを着せてやる。ほんの3分ほどの作業だった。
 つまるところ、慣れているのだ。
 橋の下や路地裏で暮らす子供たちは、栄養と環境の悪さゆえに簡単に体調を崩し、かなりの割合でこじらせる。
 はじめはマヤの神社まで運んでいたのだが、街外れの神社は遠く、そのわりに隙間風は吹くわ暖房はないわで、しまいには手伝っているアレクが「やめちまえやめちまえっ!」と叫びだすような始末だった。
 売り言葉に買い言葉、やはり不毛な活動に疲れていたマヤは「なら一人でやります。アレクさんなんて必要ありません!」と怒鳴り返し、以来半月ほど二人はひどく険悪な関係になった。
 その半月の間に、アレクが見つけてきたのが、この娼館一階の空き部屋である。
 シーツを毎日換えてくれて、薪(たきぎ)代まであっち持ち。
 娼館『サトゥリコン』の経営者、ガゼット氏は盗賊ギルドの重鎮で、マヤの医療活動を高く評価してくれている。
 もちろん、あちらも単なる慈善事業ではないので、マヤにはひとつの義務が課されている。

 次第に、隣の部屋ががやがやとうるさくなってきた。
 今いる部屋が「病室」だとしたら、隣の部屋は「診察室」である。
 中では5人ほどの女性が、マヤの治療と診察を待っている。部屋を借りるときにガゼット氏が出した条件というのが、店の人間の健康管理の支援だった。
「んじゃ、マヤちゃん、お仕事がんばってね」
 部屋と部屋を繋ぐ扉を開け、アレクはマヤを見送――ろうとした。
「いいから坊やも入んな」
 張りのある声がして、アレクは何かを言い返す間もなく、色っぽいお姉さん達に診察室の中に引きずり込まれてしまう。
「ジル姐(ねえ)さんがそう言ってるから、ね」
 客寄せどころか誘拐でもできそうな見事な手際だ。
「あ、あの、あの……」
 動揺してどもるマヤに、ベッドに腰掛けて、30代後半のベテラン娼婦のジルが言う。
「坊やを一人で待たせとくつもりかい? アタシが気兼ねしちゃうよ。
 今日の患者はアタシだけだから安心しな」
 ジルはガバッと股を開く。
 下腹部、下着の内側には、封をするように呪符が貼り付けてある。
 「穢れを祓う」という巫女の能力は、性病も含め、感染症一般によく効くのだ。
 見たところ、患部に腐敗の気配はなく、順調に乾燥が始まっている。
「アレクさんっ!」
 怒鳴りつけてきたマヤは、アレクの目つきを見て口調を和らげる。
「その…あっち向いててくださいね」
「いいからいいから」
 ジルは股を開け広げる。
「わたしが恥ずかしいです」
 どのみち、マヤが正面にしゃがみこんでしまえば、“そこ”はその後ろ姿に隠れてしまうわけだが。
「ん……、くぅっ……」
 塗り薬が患部に沁(し)みるのか、苦痛の声が、見えないせいで逆に妄想を喚起させる。
「痛いですか? ごめんなさい、もう少し我慢してください」
「わかってるよ……、あぅ…ううっ……」
 優しく声をかけるながら、まるでいたぶるように手を動かすマヤと、その動きに反応して身をよじらせるジル。背中側からは、当然、マヤの表情は見えない。
「あんたさー、興奮してんじゃないの」
 蓮っ葉な口調でからかうのは、赤毛のショートカットのアニーだ。
「うるさいなあ」
 払いのけるような仕草が、その言葉の正しさの証明だった。
「終わりましたよ」
 水桶で手を洗い、布巾で水気を拭って、マヤが振り向く。
「あ、マヤも赤くなってる。どーしたのよ、いつもやってることじゃない」
「だって、アレクさんがヘンなこと言うから――」
「俺かよ」
 アレクはマヤの額を小突く。
「あう……」
「ふーん。ずいぶん仲良くなったのね。前は見ているこっちがじれったいぐらいだったのに」
「えへへ……」
 照れ笑いを浮かべながら、マヤが隣に腰掛ける。
「でも、大変でしょう? 彼、悪い子じゃないんだけど、わがままで悪戯好きだから、きっと付き合うと苦労するよ」
 ジル姐さんの指摘は鋭い。
「苦労だったら、もうしてます。でも、アレクさんにしてもらったことに比べたら」
 ちらりとアレクを一目見てからのろけてみせる。
「してもらったこと、ねえ」
 娼婦たちは意味ありげに目配せをする。
「で、どうだったの?」
「どうだったって、なにがです?」
「したんでしょ、坊やと。一目でわかったわよ」
「こいつすぐ魔法使うでしょう。性魔術なんて邪道よ、今度、あたしたちが本当に気持ちいいこと教えてあげようか」
 羞恥も遠慮もなく猥談など始められては、男のアレクに居場所はなかった。
「だあっ、マヤちゃんは俺のだーっ」
 あげく、つかみ止めようとしたマヤにまで、するりと身をかわされてしまう。
「あの…、アレクさんが喜ぶやり方とか、教えてくれますか……?」
「いい子いい子、ああもうっ、坊やにはもったいないぐらい」
 ジルは豊満な胸でマヤを抱きとめて、頭をくしゃくしゃと撫でる。
「いいからっ。俺はマヤちゃんがしてくれることならたいていのことは嬉しいからっ」
 アレクは動揺して非常に恥ずかしいことを絶叫する。
 そしてアニーに指まで差されて笑われるのだ。
「そうよね、こいつ、シャルに白い服着せて赤いスカート穿かせてねー」
 シャルことシャルロットは、マヤより2つ年下で、マヤと同じぐらいの体格の新人である。最近は少し馴れたようだが、“あの時”は本当に初々しかった。
 そのシャルがマヤの耳元に口を寄せて何事かささやく。
「あのね、マヤさん……」
 アレクがしたことさせたことを、いちいち話して聞かせているのだろう。
 職業倫理は? と言いたくなるような話だが、「覗き部屋」なるものまである娼館に、一般的な意味でのプライバシーの理屈は通用しない。
 マヤは「はぁ」だの「あう」だのと意味のない声を漏らしていたが、ある一線を越えたところで、一気に感情を爆発させた。
「アレクさんのばかあっ!!」
 いきなり胸倉をつかまれ、壁に押しつけられる。
「エッチ! ヘンタイ! 恥知らず!」
 グーにした手でぽかぽかとだだっ子パンチ。退魔巫女として鍛えられてるマヤのこと、その一発一発はかなり重い。
「年端もいかない女の子に欲情するなんて不潔ですーっ」
 最後の一撃、大声とともに両手を打ちつけられた時など、肋骨がきしんで息が詰まるほどだった。
「だいたいシャルに『お兄様』って呼ばせようなんてどういう趣味ですか!」
 室内の女性たちは大爆笑だ。
「俺、もう帰る……」
 いろんな意味で打ちのめされたアレクは、ふらふらと窓から逃げ出そうとする。
「お兄様、待ってくださいっ、そこは出口じゃないですっ」
 背後からばっさり一太刀食らって、そのまま窓の向こうに転げ落ちる。
「い…今のわたしじゃありませんからねっ」
 見上げれば、マヤも窓枠を乗り越えようと、袴の裾を翻していた。
 けれど、よほどあわてていたのか、バランスを崩し、アレクの上に降ってくる。
 視界が袴の赤で包まれ、顔にすべすべでしなやかな何かが押し付けられる。
 ん? なんだろう。
 アレクは指で触ったり突いたりしてみる。
 ぷにぷに。
 温かくて柔らかくて張りのある感触。
「きゃああああああああああああっ」
 拳だか肘だかが脳天めがけて振り下ろされた。
 ああ、あれはマヤちゃんの脚だったんだなと、アレクは消え行く意識の中で思った。



−13−


「あの……、怒って…ます?」
 足早に歩くアレクの半歩後ろから、マヤがくいくいと袖を引く。
「えっと、その、ごめんなさい。でも、わたしも、ジルおばさんたちも、悪気があったわけじゃないんです」
「わかってるよ」
 アレクはちらりと後ろを振り返り、無造作に答える。
 腹を立てても仕方がないことだ。いつの日か素敵な誰かが苦界から拾い上げてくれることを夢見ている――そしてそれがかなわないことも知っている――娼館の女たちが、恋人たちをからかいたくなるのは当然だろう。
 マヤにしても、彼女たちは気兼ねなく付き合える相手だ。はしゃいで羽目を外すのもいいことだと思うし、困ったり痛かったりするのも、マヤが幸せなら別に構わない。
「じゃあ、もしかして、まだどこか痛いんですか?」
「あ? たいしたことじゃないよ」
 頭は多少ずきずきと痛むが、ひらひらと手を振ってそう返す。
 その右手をつかまれ、いきなり力ずくで引き寄せられた。

――ぎゅっ

「どうしたんだい?」
「だって、アレクさん、話しかけてもいい加減に答えるだけで、わたしのこと見てくれないです。手も繋いで…くれないです」
「いやさ、後を…つけられてるから」
 そんなことかと、マヤの視線が言っていた。
「知ってましたよ」
 考えてみれば当たり前の話だ、こういう感覚はマヤの方がずっといいのだから。
「自警団の、たしかハーウッドさんとかいう人です」
 レナード・ハーウッド。宿場町のこの街で唯一、農地経営を基盤にした都市貴族であるハーウッド家の三男坊。年はアレクやセアラと同じぐらいで、6フィートを超える長身に筋肉質の身体、金髪碧眼、白面の美男子。現在、自警団の第五小隊長、選ばれたのは家の力だが、地位に見合うだけの剣技を身につけている。
 なんとも羨ましいことで。
「どうして言わなかった?」
 怒りからか嫉妬からか、声が硬くなる。
「いつものことですから」
 マヤは寂しげな作り笑いを浮かべる。
「………………」
 急に攻撃的な衝動が湧き上がり、アレクはマヤに手をつかませたまま駆け出した。
「きゃっ。ど、どうしたんですか?」
 そのまま何も言わず、細い路地へと力任せに引っ張っていく。
 尾行者は、鎧をガチャガチャ言わせて、隠れるところもろくにない路地に平然と入ってきた。これでは尾行というより威嚇か脅迫だ。マヤにとっては、こんなことも“いつものこと”のうちなのだろうか。
 路地や裏通りの角を二度三度曲がっても、金属質の足音は消えることはない。
 5つ目ぐらいの曲がり角を曲がろうとするとき、何事かを言おうとするようにマヤの口が開いた。
 言われなくてもわかっている。その角の先は、表のどの通りからも死角になった完璧な路地裏で――、行き止まりになっている。
 やっと追い詰めた…つもりなのだろう。
 レナードは通路に仁王立ちになっていた。ぶつけたりこすれたりで傷のついた肩当てが、荒い呼吸に合わせて上下している。
 アレクは睨み返す。
 何様のつもりだ。俺のマヤちゃんをこそこそと追い掛け回して。
 そんなに見たいものがあるなら、存分に見せつけてやろうじゃないか。
 八つ当たり同然の感情に任せて、アレクはマヤの常衣の内側に手を突っ込んだ。
「痛ッ、あ…あの…アレクさん……? 怖いです……」
 マヤが身体をくっつけてきた。
 これでは胸を触るわけにはいかない。
 が、今度は尻が無防備だ。
「ん…あ…、はぁ……、見られて…ますよ……」
「気にするなよ。マヤちゃんはエッチな女の子だろ?」
 耳だけでなく、心の奥底と肉体に向けて語りかける。
 アレク専用の侵入経路(バックドア)を仕込んであるマヤは、魔力を込めた言葉ひとつで、容易く操ることができる。

――びくん

 マヤの身体が痙攣する。
 顔から羞恥と困惑の色が消え、一瞬だけ無表情になる。
 そしてすぐに、緩んだ笑顔が取って代わった。
「あ…、はあ………、からだが…うずいちゃってます……」
 とろんと焦点のぼやけた瞳がアレクの顔だけをぼんやりと映す。
 小ぶりのおしりを撫でさするのに合わせて、喉を鳴らして艶っぽい声を漏らす。
「……ん…んんっ………ぁ…あふっ…ふぅ…ふぅ……」
 前髪をかき上げてやっただけで、撫でられた猫のように身をくねらせる。
「マヤちゃん」
「は…はい……。わたしは…マヤは…エッチな女の子です。いつでもどこでも、大好きなアレクさんに触ってもらうと嬉しいんです」
 路地の入り口に背を向け、震える手で白衣の胸元を開く。
 アレクには、もはやその背後にあるはずの人影は見えていなかった。敵意に満ちた視線だけを、五感以外のなにかで感じ取っている。
「ふふん」
 優越感に唇の端を吊り上げ、アレクはマヤの胸をもてあそんだ。苺のように赤くしこった乳首を、指先でつまんでしゃぶりつく。
「んん……、ふああ……あんっ……」
 攻めに応じて面白いようにマヤが鳴く。
 甲高いマヤの声はよく通る。誰かに聞きとめられても困るので、アレクはその口を封じた。
「声を出すのは我慢できるね」

――ぶんっぶんっぶんっ

 きっと口をきつく閉じて、首を三度も縦に振る。
 下腹部を強く撫で上げると、マヤは大きく目を見開く。必死に口を閉じて、叫びだしそうになるのをこらえている。
「………!!」
「いい子だ」
 首筋に舌を這わせる。走り回った後の肌は汗で塩辛い。
「ん…ふぁ…ふうぅ……」
 上半身ばかりをいじっていると、マヤは両足をもじもじとこすり合わせ出す。
「おしっこかい?」

――ぶんぶんっ

 激しく首を横に振る。
「ははっ。別に喋っちゃダメって言ったわけじゃないんだよ」
 無言のジェスチャーを試みるマヤはかわいいが、それは別の話だ。
「おなかが……なんだか…せつないんです……」
 “おなか”ねぇ。
 腹の肉でもつまんでやろうかと思ったら、マヤの腹部はちょうど袴の帯の部分になっていた。
 解こうとすると、「もっと下ですっ」とあわてて抗議する。
 脱がせてしまうと後が面倒なので、その辺にしておく。
 両足の間に右足を押し込み、ぐりぐりと膝で恥丘のふくらみをなぶってやる。
「あっ、はあ……」
 マヤは気持ちよさそうに息を漏らした。
 アレクの動きに合わせて、自分でも下腹部をこすりつけてくる。
「はあっ、はあっ、はあっ……もっと…もっとしてください……」
 足を止めると、汗まみれになった顔を切なげに歪めて懇願してくる。
 コートの襟元を強く握って、全体重をかけてくるので、背中が煉瓦の壁に押しつけられた。
 太ももを両足で挟み込んで、腰を上下に振り始める。
「はんっ、ああっ、ふんんっ……」
 自ら服を乱して、大きく息をつきながら、壁際に追い詰めたアレクの身体で自分を慰めるマヤ。まるでマヤがアレクを犯しているような構図だ。
 いくらレナードとやらが女にもてると言っても、これほど熱烈に迫られたことはないだろう。
 クッとマヤの顎を指先でつかんで上向かせる。
「恥ずかしい……恥ずかしいです……」
 頬を赤く染めてそう言う表情に、嫌悪や拒絶の色はない。
 グラインドに合わせて上下するおしりを揉みほぐす。
 袴の上からでも、まだ熟れていないぷりぷりとした感触が楽しめる。
「んっ……あ………ん…んっ…んっ……」
 肉を揉むだけでなく、尻の割れ目にも指を這わす。
「ん…いやあ…そんなとこ……触らないで……」
 マヤはコートに顔をうずめていやいやをする。
「ダメ。マヤちゃんの身体はぜんぶ隅々まで俺のものなんだよ」
 妙に布地のすべりがいいのは、こんなところまで愛液が広がっているせいだろうか。
 その液体の出所の方に手を滑らせる。
「でも、マヤちゃんはこっちの方がいいのかな?」
「んん……ん…ん……んはあっ!!」
 尻の側から恥丘をさすると、マヤはついに声を抑え切れなくなった。
 快感に身をよじらせることで、体重を預けているアレクのふとももに、秘所が何度もこすれてしまう。
「ああっ…あふっ…あん…あん……!!」
 こっちからも、両足を絡み付けられた右足を、マヤの内股にこすりつけていく。
 胸に強く抱きついてきて、目に嬉し涙すら浮かべつつ、痴態をさらす可憐な巫女。
 愛しさと征服感を同時に感じながら、アレクは彼女の割れ目に指を押し込んだ。
「んんんっ……あ…あああっ!!」
 崩れ落ちそうになるマヤを、アレクは両腕で抱きとめる。
「イッちゃったねえ」
「はい。足も…エッチなとこも…ぬるぬるです。からだが、ふわふわして、力が入りません……」
 左手で腰のあたりを支えて、右手で服を整えてやる。
 常衣は汗でぐっしょりと湿っていて、袴にもぬめり気をもった液体で染みができていた。
 着せ替え人形のように、マヤはされるがままになっている。
「ごめんなさい。わたしばっか気持ちよくなっちゃったし、声出すなって言われてるのにあんなに大声出しちゃって……」
 犯されたも同然の状況で、謝罪の言葉を言いつのるマヤ。
 人差し指一本で口を塞いで、アレクはその小さな身体を起こした。
「歩けるかな」
「ぎゅって、してもいいなら――」
 つかまるマヤを支えて、ゆっくりと歩き出す。
 ここは行き止まりなので、出口は元来た道しかない。
 路地の四つ角から覗いていた自警団の青年隊長は、隠れる機会を失って、悔しそうに顔を伏せ背を向ける。
 屈辱と憎悪をにじませる後ろ姿を一瞥して、アレクは胸の中で哄笑した。
 人生万事上手く行ってる連中に恥をかかせるのは楽しいものだ。

 表通りに戻る頃には、熱病のような強烈な感情は消えていた。
 いまだこそこそとついてくる男に対して引け目はないが、大事な恋人を巻き込んだことについて後悔の念がのしかかる。
「つまらないことにつき合わせちゃってごめんね」
 遅すぎる謝罪に、マヤは心底嬉しそうに頬を緩ませる。
「気にしないでいいですよ。今のわたしはアレクさんのものですから」
「うん、ありがと」
 肩に押し当てられた頭を、指先で優しく撫でる。
 マヤがくすぐったげに首を振って、「はぇー」と甘えた声を出す。
 ちらりと、マヤが背後を振り返った。
「アレクさんは、あの人が嫌いなんですよね」
「ああ、嫌いだよ」
 アレクは正直に答える。
「じゃあ、わたしも嫌いになることにします。アレクさんの敵はわたしの敵です。
 追い払っちゃいましょう。もうじきお昼ですね、広場に向かってください」



−14−


 マヤの言うとおり、セアラとノエルは街の中央広場で待っていた。
 昨日のうちに、レジェナやノエルにあれこれと命じておいたのだそうだ。
 アレクが二人の姿を見つけるのとほぼ同時に、二人もアレクに気づいて椅子から立ち上がる。
(フィクス君、会いたかったわ)
 テレパスで思考の内容を伝えてくる。昨日かけておいた暗示はしっかり残っているようだ。
 軽やかな足取りで駆け寄ってきたセアラは、唐突にアレクの頬に口付けた。

――ちゅっ

「おはようございます、フィクス君」
「…ヴェルネ?」
 アレクが驚いて呼びかけると、セアラは唇に指を当ててたおやかに微笑む。
「どうかなさいました?」
 碧の瞳が暖かな光をたたえてアレクを見据えている。
(フィクス君ったら、顔が赤いわ。ただの…挨拶ですのに)
 アレクと会ったら挨拶にキスをする、そんな暗示を埋め込まれていたらしい。
 その暗示をかけた犯人の片割れ――ノエルが、ゆっくりと歩み寄ってきてパンと手を叩く。
「………!!」
 ほんの数秒の間に、セアラの顔がぽっと赤くなる。
(な…なんて恥ずかしいことを……。フィクス君に…その…わたくしから口付けだなんて……
 フィクス君…驚いてたわ……。はしたない女だなんて思われたらどうしましょう……)
 顔に当てた両手の指の間から、ちらちらと視線を送ってくる。
「ヴェルネ」
「は…はいっ」
 セアラはピンと背を伸ばして応える。
 自警団の小隊長をつとめる白魔術師が、初めて聖餐に出る新米シスターのように見える。
「本日は幸いにも青空に恵まれまして――」
 パニックになってなにやら口走るセアラ。アレクの記憶が正しければ、これは街の体育祭の時の開会式のスピーチだ。
 珍しい光景なのでしばらく見ていたいような気もするが、面白いことはただ見ているより演出するのがアレクの流儀だ。
「ヴェルネ、マヤちゃんにも挨拶は?」
 アレクに押し出されたマヤは、きちんとその意図を理解して、目を閉じて顔を上げる。
「セ・ア・ラ・さん」
(キス…? こんな往来で…恥ずかしい……。フィクス君もノエルも見てる……
 でも、拒んだらフィクス君にだけ特別な気持ちを持っているって知られ…誤解されてしまうわ……)
 セアラは細い指でマヤの前髪をかき分け、その額に軽く唇で触れた。
 最近なにやらキス魔なマヤは、おでこなどでは不満らしく、自分からセアラの唇に飛びつく。

――ぷちゅっ

「も、もうっ。マヤ、はしゃぎすぎよ」
「えへへー」
「服もこんなに乱れてしまって、だらしない子ね。もっと神に仕える者だという自覚をきちんと持って――」
 たしなめながら、セアラはマヤの襟元を調えてやる。
 とはいえ、和服など扱ったことがあるはずもなく、布地の折れ目やシワを持て余してしまう。
 基本的に世話を焼かれるのが好きなマヤは、セアラにあれこれ服をいじられ、嬉しそうに笑っている。

「こんにちわ、皆さん。本当に仲がよろしいのですね」
 落ち着いた声が割って入った。
「ああ、ノエル。おつとめごくろうさん」
 なかなか面白かったぞ、という意味を込めて、グッと親指を立ててみせる。
「ありがとうございます」
 ノエルは丁寧に頭を下げた。
「あら? 貴方たち……」
 セアラが飲み込んだ言葉は、きちんとテレパスで伝わってきた。
(ノエルはフィクス君のことをあんなに悪し様に言っていたのに……)
 いつもの落ち着いた声に、確かな思慕を乗せて、ノエルがセアラに説明する。
「教会の事件の際に、神社までマヤさんのお供をして、一晩、泊めていただきました。
 フィクスさんは、知的で、優しくて、とても立派な方です。誤解していた以前の私を恥ずかしく思います」
「わかってくれて嬉しいわ」
 ありえないほどの豹変を、セアラは喜んで受け入れた。
「アレクさんは、今日も、わたしの回診に付き合ってくれたんですよ」
「そう、よかったわね」
 セアラはマヤだけでなくアレクにも優しく微笑みかける。

「その時なんですけど――」
 声のトーンを落として、マヤは本題に入った。
「なんか、アレクさんを追い掛け回す人がいるんです」
「え? 追われてるのはマヤちゃんじゃなくて」
「たぶん…今日のはアレクさんだと思いますけど」
 言ってから、マヤは独り言のように小声で呟く。
「あー、わたしのために怒ってくれたんですね。嬉しいです」
 そんな会話をする二人の肩越しに、セアラは尾行者を見つけたらしい。
「あれ…かしら?
 武器屋の前のポプラの木陰。銀色の鎧を着た男性。背は高くて髪は金髪」
「その人ですよ」
 反射的に振り向きかけたアレクの足を、容赦なく踏んづけながらマヤが答える。
「自警団のハーウッドさん。アレクさんのことを疑ってるみたいです」
 マヤはより一層声を抑え、セアラにゆっくりと語りかけていく。
「あの人はわたしたちをいじめるんですよ。酷いですよね。そんな人、嫌いですよね。
 ほら、だんだん腹が立ってくる。怒りが湧き上がってきて抑えきれない。
 追い払いましょう、怒っちゃいましょう、こてんぱんにやっつけちゃいましょう」
 耳元で指が鳴らされるごとに、セアラの思考が塗り替えられていく。
 顔からは柔らかな笑みが消え、唇が強くかみ締められる。
(二人を傷つける者は許せない。なんて忌々しい男でしょう。同じ組織に属しているというだけで不愉快だわ)
 眉を逆立て、碧の瞳に敵意を込めて、セアラはアレクの背後を睨み据える。強張った肩から握り締められた拳までが、怒りにふるふると震えていた。
「さあ、わたしたちを守ってください」

――パチン

 セアラは敵を追うことしか頭にない猟犬と化していた。
「しばらく、ここで待っていてください。長くはかけませんわ」
 早足で歩き出すと、ブーツのかかとが敷石に甲高い音を立てる。
 街路樹のポプラに隠れようとするレナードを、セアラは挨拶もなく問い詰めた。
「こんなところでなにをなさっているのです?」
「や…やあ、セアラ、偶然だね」
(セアラだなんて、こんな男に呼び捨てにされる筋合いはありませんわ)
 あまりに芸のない誤魔化しを無視して、セアラは言葉を続ける。
「貴方の隊は死者も出たということで、待命ということになっていたはずですが――」
「ああ、だから一人で捜査をしているんだ。
 今は部隊のことより、一刻も早く悪魔を倒して部下の敵を討たないと」
 レナードは無駄にさわやかなスマイルを放つ。
「捜査? わたくしの大切な後輩と親友を、朝から追い回すことがですか」
「ああ。これ以上の容疑者はほかにいないだろう。
 魔術師なんていうのは土台が背教者の集まりだし、奴はどこの産とも知れないチンピラだ。異教徒の娘まで飼っているじゃないか。スラムのごろつきどもと付き合ってるぐらいだから、禁制品なんかも簡単に手に入るはずだ」
 根拠もない偏見丸出しの台詞だが、それで結果だけは当たっているのだから偶然というのは恐ろしい。
「わたくしは彼の疑いは晴れたものと考えていますが」
 セアラはアレクに都合のいい“捜査結果”を信じ込まされ、それを会議で報告していた。
「貴女は奴に騙されている」
「そう思うなら、なぜ昨夜の会議でおっしゃらなかったのです? わたくしの捜査に不備があるというのでしたら――」
「不備だって? 容疑者を捜査に関わらせるなんて聞いたこともない。手伝いが必要なら他にいくらでも人がいるだろう」
「彼ほど聡明で博識な人はそうはいませんわ。貴方などでは話になりません」
「なんであんな奴の肩を持つんだ。あいつはさっきも巫女と乳繰り合って……」

――パンッ

 セアラはレナードの頬を張った。
「貴方はその様子を覗いていたと? ずいぶんと下劣な真似をなさるのですね。どうやら貴方を買い被っていたようですわ」
「くうっ……だって奴が……」
「わたくしはこれ以上友人への侮辱を看過しようとは思いません」
 セアラはレナードの喉下に手を当てて呪文を放つ。
 すぐにレナードの言葉は途切れ、それどころか舌を突き出して苦しみ始めた。
 魔法封じとして広く知られる『発声禁止(サイレント・カーズ)』の変則版で、『呼吸封鎖(チョークド・カーズ)』。実は落ち着いて深呼吸すれば解ける程度の拘束力しかない子供騙しの魔術だが、大の大人でも錯乱して失神するまで悶えることは多い。
「消えなさい」
 氷のような宣告を受けて、レナードは転がるように走り去る。
 どちらも貴族出身で、自警団の小隊長だが、その格の違いは歴然としていた。

「助かりました。セアラさん、カッコいいです」
「そんな、礼なんて。自警団の者が不愉快な思いをさせて、申し訳なく思ってるのに。
 できれば、お詫びになにかしてあげられるといいのだけど」
「でしたら、これから食事をご馳走するというのはどうでしょうか」
 ノエルが昼食のことを話題にすると、セアラに埋め込まれた暗示のスイッチが入る。
「それは名案ね」
 セアラはどこか夢見心地のような目つきと口調で言う。
(今日の昼食はフィクス君たちと一緒に取ります。個室のあるレストランでないといけません)
 というのが、セアラに掛けられた暗示らしい。
「街道添いに『ルクルス・ヴィラ』というレストランがあるの。そこにしましょう」
 セアラは当たり前のように名前を出すが、たしか帝室勅許とかいう称号のついた高級料理店だ。ディナーなど頼めば、それだけでアレクの月の収入ぐらいは消えて飛ぶ。そもそも、衣服その他で門前払いだろう。ランチとはいえ、ずいぶんと奢ったものだ。
 しかし、高級料理に釣られた、などと思われるのはいささかシャクである。
「総動員って外食とか禁止のはずじゃなかったっけ」
 件のレストランはなにしろ帝室勅許なので例外だが、街の外食産業は悪魔騒ぎで軒並み営業停止のはずだ。もちろん、こっそり営業しているところは少なくないが。
「ん…。でも、フィクス君には事件のことで相談したいこともありますし」
 セアラは相変わらずとろんとした口調のまま答える。
「一般の市民は黒パンとスープだけど、自警団の都合で使う分にはOKと」
 きつい言葉を投げかけると、セアラの目から大粒の涙がボロボロとこぼれる。
「え? あ…あれ…? どうして?」
(フィクス君の言うことは正論だけど……
 それでも、一緒に食事がしたいって気持ちが抑えられないの……)
「おいおい、泣くこたあないだろ」
「おかしいわ。こんなに自分が律しきれないなんて、小さな子供の頃以来よ」
「意地悪言ってみただけだって。本気で責めたりしちゃいないよ」
「本当?」
「ああ。本当だって。ただ飯食えるチャンスを逃すわけないだろ」
「もうっ、フィクス君たら」
 目の端に涙を浮かべたままセアラが笑う。
「さ、早く案内してくれよ」
「はい」
 無造作に差し出した右手に、セアラの細い指が絡められる。
 すぐに左腕にはマヤが飛びついてきた。
 歩き出した3人の背後に、ノエルがそっと付き従う。
 支配下にある美女と美少女に囲まれながら、アレクはこんなことを考えていた。
 個室付の高級レストランか。どうやって遊んでやろうかな。

 
 


 

 

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